「風の便り 」(第147号)

発行日:平成24年3月
発行者 三浦清一郎

 国際結婚の社会学③
日本人の「手品」-「客分」の制度化
「よそもの」は当然「仲間」ではありません。「彼ら」は「我々」ではなく、「外人」は「日本人」ではなく、「あいの子」も「ハーフ」も「純粋日本人」ではありません。しかし、「客分」にすることによってすべてが変わります。「客」は「特別なよそ者」で「身内」ではありませんが、時に「身内」と同等か或いはそれ以上の特別待遇を与えることができるのです。

1「養女」や「客分」の論理

 時代劇を見ていると、惚れ合った男女が身分のちがいのために結婚できない悲劇が随所に出て来ます。この時、物わかりのいい知恵者がいれば、身分ちがいを解消する方法に「養女(養子)」というトリックがあることに気付きます。惚れ合っても身分制社会の身分違いの男女の結婚は厳禁です。そこで考案されたのが「養女(養子)の論理です。男(女)と同一身分またはそれ以上の身分に在る第3者に二人のうちのどちらかを「養女(養子)」にしてもらって身分の釣り合いを創り出すのです。「養女」の論理は、身分差別の制度を変えないで、同一身分(或いは相手以上の身分)を創り出す日本人の手品です。見方によってはずる賢い、人間の平等という観点から見れば、本質的には何の解決にもならぬその場しのぎのやり方です。しかし、別の見方をすれば、「身分制度」そのものを変えることなど到底出来なかった時代の柔軟で賢い日本人の知恵であったと言って過言ではないでしょう。

2 「お傭い外国人」は「客分」処遇の知恵

 日本人の応用力は、外国人を差別しながら、被差別意識を緩和する「客分」の制度でいかんなく発揮されました。「お傭い外国人」は、「養女の論理」の延長です。
 彼らには、明治政府が雇い入れることにより、「客分」(養女)の身分を与え、臨時の日本人待遇を与えたのです。当時の常識の何十倍もの給料を払って、特別待遇をし、日本人の技術者を育成し、その後は外国人に頼らなくてもいい状況を創り出したという近代日本の知恵です。「お傭い外国人」は、現代の客員教授ですから今でも応用が出来るのです。文科省はなぜ明治の知恵を忘れて、英語の喋れない日本人英語教員に英語を教えさせているのでしょうか!?おそらくこちらの答は流入する外国人教員の数の問題なのでしょう。外国人看護師の問題も似たようなものです。
 看護師が不足していることも、将来ますます不足することも明らかなのに、現状は外国人看護師に難しい日本語試験を課して故意に入国をブロックしています。漢字圏出身者でない人々に医学用語を多く含んだ日本語試験を受けなさいということの非常識は故意にやっているとしか思えません。看護師協会やその意を受けた政府の審議会の役人や学者が、日本語試験を関門にして合格者が出ないようにしているのは、そもそも外国人看護師を日本人看護師と同等に認めたくないという既得権者および一般日本人の思惑が働いているからでしょう。
 ここでもお傭い外国人「看護師」としてどんどん採用し、数年の間日本人の助手につけて、現場実習を積めばあっという間に日本語のコミュニケーション能力などは向上するのです。元々が母国の専門家ですから、現場体験を積めば、日本人看護師と同じように仕事をするようになることは時間の問題です。事の本質は、日本人が自国に外国人を入れたがらないという問題です。良くいえば文化論の好き嫌いの問題であり、悪くいえば「よそもの」差別の問題なのです。

3 「学歴」もまた社会の「流動性」を増すための客分資格でした

 「学歴」もまた「客分」概念の応用です。時代劇の「養女」の仕組みを明治以降の「学歴」と置き換えてみると分かる筈です。明治以降の「学歴社会」は、東京大学(一流大学)卒という「特別枠」を与えて、当時の「出自」の身分のちがいをご破算にして、時代の「エリート客分」に取り立てたのだと思います。この場合、「客」とは平民や被差別人のように、社会の主流から常に排除され続けた側の人間を意味します。しかし、主流からはじき出された人々も、「学歴」を取得することによって、時代の「客分」になることができました。「客」の処遇は時に「士族」や「華族」を越えて「特別待遇」を受けることができます。「客」の処遇は一時的で、「客」はいつかは元の場所へ「帰る人」だから大元の身分制度は変えなくて済むのです。

4 学校の怠慢 
 「学歴」を通行手形にして、人材を登用し、身分制度が残存する中で、社会の流動化を進めた手法の凄いところは、学歴と「客分」の資格を同等に置き、有効期限は本人限り、「客」と同じ「時限」のものであるという論理です。「客」がいつかは帰るように、学歴の保持者も一代限りで終わります。帝国大学や陸・海軍大学はそのような濾過装置として活用され、合格者は村を挙げて応援することになったのです
 身分社会の差別が色濃く残る中で、差別しながら差別しないという見事な応用力と言わなければなりません。現代は「たてまえ」における差別は解消されました。「人権」概念も確立され、明確に法に謳われました。人権週間も設定されました。しかし、「差別のない明るい社会」というスローガンが存在するということは、スローガンの中身はいまだ実現していないということです。
 社会的に不利な条件の中で成長する子ども達が、実態における差別を跳ね返して生きるためには、今でも、明治時代が発明した学歴社会の原理を応用することができます。「学歴」は、時代が必要とする具体的な証明書です。親は周りを見て、感覚的にそのことを知っています。だから受験戦争が加熱し、「塾通い」で教育費が高騰し、「学歴社会」が加熱するのです。誰でも、東大を出れば、出自に関わりなく何とかなるという前例を知っているからです。日本社会では、「学歴」という「武器」を与えることによって、子どもが家族の歴史の制約を越えて生き抜くことができることを明治以降証明して来たのです。なぜ、学校や教育委員会は、子どもの「学力保障」などと、口先だけのことを言うだけで、特別に配分する「加配」教員とか「同和教育推進教員」などを配置しながら、徹底した「補償教育」として学力補填授業をやらないのでしょうか?上記の教員達を時差出勤制にして放課後の補習事業を徹底すれば、子どもの学力は疑いなく上がるのです。教育行政や学校の怠慢としか言いようがありません。

5 文化は分類する
 筆者が接した限りの言語には必ず「われわれ」があって、その対極に「かれら」があります。おそらくどの文化にも彼我を区別する共通の「集団意識」が存在するということでしょう。その集団意識こそが「敵」と「味方」を分け、「内」と「外」を分け、「身内」と「よそ者」を分け、「主」と「客」を分けて来たのだと思います。文化は必ず自分たちの「同類」と「異質」を分類するのです。
 それゆえ、国際結婚が嫌われるのは、もともと存在する文化の分類基準において異なっているもの同士が「一緒になること」によって、関係者の既存の「分類基準」や「集団意識」を混乱させることだと思います。このことはことなった「宗教間の結婚」を考えればよりはっきりするでしょう。
 「敵」と「味方」が一緒になっても、「身内」と「よそ者」が一緒になっても、敵を許せない人やよそ者を受入れない人の間に、必ず大きな波紋が起ります。「神様」の違う者同士の結婚は、「神々の戦い」にまで発展しかねないのです。封建時代の「身分違い」の結婚も同じです。身分制が壊れては、今の身分に安住している人々が困るのです。身分によって守られている人々にとって、身分とは「既得権」だからです。
 前号に、「外人」とは内なる人間関係を形成する円の「外の人」を言うと書きました。外人は身内や仲間内の円の中に入れてもらえないから外人なのであって、外人は「外の人」であると同時に、「人の外」でもある、とも書きました。桃太郎他のお伽噺や民話の中でたまたま顔かたちの異なった欧米系の外国人は、人ならぬ「赤鬼」や「青鬼」にされたのは当然のことだったのです。
 わが妻はその「外人」であり、子どもたちは混血の「あいのこ」であり、国籍は日本人でも「純粋の日本人」ではありませんでした。民族間の歴史的交流を考えれば、日本人の中にさえ、「純粋な日本人」がいるとは考えにくいのですが、集団意識における日本人とは、顔かたちの見かけが似ていて、両親、祖父母が日本人で、日本語を話し、日本の慣習に同化していれば、日本人として認知されるということでしょう。それゆえ、戸籍制度を撤廃してしまえば、在日アジア人の多くはあっという間に日本人になってしまうことでしょう。
 もちろん、どの文化も「自分たち」と「自分たち以外」を区別します。日本だけが例外ではありません。ただし、日本の問題は、彼我の「区別」が度を超えて極端だということです。国際化やグローバリゼーションのスローガンがお題目に終わるのはそのせいだと思います。日本人は国際化などしたくはないのです。国際結婚の問題の核心はそこに行き着くのです。

6 分類は学問の始まり

 分類は「論理学」の方法です。あらゆる学問はふつう分類から始めます。分類とは事物の「共通の属性」を有するものを集めるところから始めます。植物学や動物学が種や科や目に分けて行くのも同じ手法です。
 分類は事物の区別であり、学問上、観察結果の最初の処理作業ですが、区別と差別の境界は区別をする人間の頭の構造次第で実に曖昧できわどい境界です。「内」の人間を贔屓し、「外」の人間に冷たいのは日本人の常識だからです。
 人間の世界では「同じような性質のものが含まれる範囲」を範疇と言います。「よそもの」は「仲間」の範疇に入らない人々です。「彼ら」は「我々の範疇」に入らない人々です。もちろん、「外人」は「日本人の範疇」には入りません。ドイツ語や英語では「カテゴリー」と言います。アリストテレスが分類概念の創設者だそうですが、後にいろいろな哲学者が分類に挑戦しています。ドイツ哲学のカントは分類基準を「量」と「質」と「関係」と「様態」に分けました。「様態」というのは、普段使わないわかりにくい言葉ですが、可能性とか現実性とか必然性を意味しています。

7 「客分」とは「違った者」を同類に準じて処遇する方法

 「養女」も「客」も実態としての差別を一時「棚上げ」にする方法です。臨時・例外的な特別待遇も「客」の身分に留めることによって身内の「不公平感」や「やっかみ」を回避することができたのです。わが妻も同じ意味で世間一般にとっては最後まで小生の「客」であり、日本の「客」でした。
 文化が許容しない相手を仲間として迎え入れたくない場合には、「客分」にしておけばいいのです。 それゆえ、どの文化も「客」の概念を発明したのだと思います。「客」は臨時の訪問者であり「客」は誰かの招きによって一時的・時限的に縁の内側に入れてもらうことになります。「客」扱いをすることによって帰属集団の「範疇」を変えることができるのです。
 言語学者が言うには、商売上の「客」も一時的に「身内」の「客」になるという意味だそうです。だから、「お客さま」は「神様」で、「お客さま」には丁寧語を使い、列車に乗っただけでJRの客となり、「傘の忘れ物」から、「お気を付けてお帰り下さい」まで、身内に言うように言うのだそうです。なっとくです!
 既存の人間関係の輪に属さない「よそ者」も誰かの「客」になることによって一時的に「輪」の中に入れてもらうことができるのです。もちろん、誰の「客」になるかによって「輪」の中の待遇が異なることはいうまでもありません。
 特に、「内と外」を厳しく区別する日本人の「同類意識」は「客」の概念を多用して、「外の人」にも特別待遇を与える方法を生み出しました。
「やくざ」の客分から、政府の「お傭い外国人」まで文化的には全て同格の「客分」です。
 妻は私の妻であることによって日本人の「客」となり、私を親切にしてくれる人々によって親切にされました。しかも、私は「男」であり、教職に在ったので、人々は並々ならず親切でした。同じ国際結婚でも日本人女性と外国人男性の組み合わせの場合は、世間の処遇はもっともっと厳しかったことでしょう。多くの日本人は知らないことですが、外国人の日本人妻の子どもは日本人になれない時代が長く続いたのです。国際結婚について日本人女性が書いた分析が日本人についても日本文化についてもより厳しく、より多くの怒りを含んでいるのはそういう事情を反映しているのだと思います。国際化はもちろん男女共同参画においても、日本は「発展途上国」の名にも値しない、世界の「後進国」であることは疑いのない事実だからです。

8 子どもも「客分」

 外国人を一時の「客」として処遇することは、子どもたちについても同じでした。私にやさしい人々は私の子どもたちに対しても特別にやさしくして下さいました。
 しかし、未熟な子ども同士の世界では「客」の概念も「客」を遇する礼節もまだ文化的に確立されていないので事態は深刻でした。教師が事情を分かって我が子ども達を日本人と認知するか、あるいはクラスの「客」にしてくれていればまだしも、教師が混血の子を「外人」であると思っていれば一般の子どもたちが「自分たちと同じではない」「異質の子」である思うことも当然だったでしょう。
 日本人の「同類(異質)意識」は、基本的に見かけや言語の共通性ですから、同じ日本人の帰国子女ですら外国訛りのアクセントで日本語を話すといじめの対象になったのです。こうした事件の主たる原因は異文化の仲介をすべき教員が愚かで世界を知らない田舎者だったからでしょう。
 「帰国子女」に対するいじめで明らかなように、見かけが違う混血の子に対して、単純・単細胞の子ども達が差別の手加減をするはずはありませんでした。「外人!外人!」とはやし立てることは最初から分かっていたことでした。おまけに、娘の目は青みがかったみどり色でしたから、立ち所に「ミドリめんたま」と囃されるようになったのです。日本で混血の子どもを育てるということは、最初から世間との戦いであり、当人にとっては正当防衛の戦いでもありました。

9 日本の国際化とは「客分」を増やす、という意味です

 文科省にいた時代も、国立大学にいた時代も、私立大学の運営に関わった時代も、「留学生」を日本人と同じように遇することが「国際化」であると論じましたが、ほとんど通じませんでした。留学生は「外人」ですから、最初から最後まで「仲間うち」に入れてもらうことはなく、「客身分」でしかなかったのです。日本の大学の多くは、組織上「国際交流課」ではなく、「留学生課」を作り、留学生を日本人学生から隔離する「留学生寮」を作り、全てのイベントに「留学生フェア」のような「留学生」という冠をつけ、日本人とは違うということを強調しました。担当者がどれくらい意識していたかは定かではありませんが、善意の上では留学生を「客」として特別扱いし、悪意の上では日本人と同格とは決して認めないという区別(差別)を徹底したのです。
 恐らく、日本で初めて留学生を日本人学生と隔てなく受入れた大学は立命館が大分県別府市に設立したAPU(アジア太平洋大学)だったと思いますが、日本全体としての留学生隔離政策は今も国際化の名の下に続いているのです。
 自分が留学生として暮らしたアメリカの大学の遇し方やフルブライト交換教授として過ごしたアメリカの同僚との交流を思うと彼我の何たる違いかとため息の出る思いです。どこかの「青年会議所」が調査したところ、日本に来た留学生は、日本を嫌いになって帰る人が多かったという結果が出たと聞いたことがありますが、「輪の中に入れてもらえなかった人間」の寂しさはさもありなん、と思います。
 妻は日本語にも、日本文化にも堪能でした。しかし、妻の嘆きは、長い日本での結婚生活を経ても日本人の中に入れてもらえず、常に「客」として遇され、「客」に留まらざるを得ないということでした。彼女が亡くなる数年前に、ようやく日本人の友だちが出来たと述懐したことがありましたが、それは彼女が20年近くも教えた同世代の英語グループの仲間でした。

「新しい時代」とは何か、「古い時代」とは何だったのか?

山口大会で司会の自分に与えられた任務は「「新しい時代の構築を目指した生涯学習のあり方」についての討論でした。それゆえ、想定される提案の切り口は次のようなことを含む筈だとして登壇者に質問を送りました。
「新しい時代」に対比される「古い時代・これまでの時代」はどんな時代だったのでしょうか?また、「新しい時代」の「構築」という時、どのような「条件」や「仕組み」を構築すればいいのでしょうか?それは「なぜ」でしょうか?その時、生涯学習はどのような機能を果たし、何をすべきなのでしょうか?人々に任せた生涯学習」だけでいいのでしょうか?社会的な課題を前提とした生涯教育のあり方は問題にしなくていいのでしょうか?2020年には戦後生まれが75歳の後期高齢者となります。過疎はますます深刻化し、国土の均衡発展は崩れ、限界集落の発生も止まっておりません。少子化が続き、生産人口が増える傾向は全く見えません。子育支援は不十分で男女共同参画も極めて不十分です。したがって、女性の就労や社会参画による労働力の向上を期待することも難しいと思われます。この時、生涯学習の振興は、何をどのように変え、どのような意味と意義をもたらすのでしょうか?
筆者の最大の不満は、「新しい時代」の定義も「古い時代」の分析もなく討議が進んだことでした。改めて「新しい時代」とは何かを問うたのが以下の小論です。

I  「新しい時代」とは何か?

 「新しい時代」とはあらゆる生活分野で変化が連鎖して発生する時代です。それゆえ、技術革新も国際化も、無境界化も分衆化も共同体の崩壊も、自動化、機械化も新しい時代の特徴です。機械の助けを借りれば、もはや男だけにできて、女には出来ないことはなくなりました。それゆえ、男女共同参画も新しい時代の大きな特徴です。また、情報化が直接的人間の接触を著しく減少させ、孤立や孤独感を増大させているのも新しい時代の人間関係の特徴です。新しい時代の子どもはもはや「不便」を知りません。昔の「貧乏」も、したがって、家族内で子どもが果たして来た「労働」も「がまん」も知りません。格差に伴う貧困感や不公平感は存在しますが、“昔のような”貧乏は存在しないのです。新しい時代とは変化の時代です。変化の中身とそれがもたらす適応の必要を論じないで生涯教育を論じることなど出来るはずはないのです。生涯教育とは、人の生涯に渡って発生する変化への適応を契機として生み出された考え方だからです。

II 「先ず己の旗を立てて、この指止まれ」と呼び掛けよ
  -「地域づくり」は「志縁づくり」-

山口大会の1か月前、豊田ほたる街道の会、おごおり熟年集い塾、山口Volovoloの会が共同主催した下関市豊田で行なわれた研究会は山口大会の「鼎談」より遥かに先を読んだ現代の地域づくりの分析だったと思います。テーマは「地域を学び、人々をつなぎ、新しい地域を創る」でした。ここには「新しい時代」の特性を「共同体の崩壊」と読み取り、新しい地域づくりは、地域再生の必要に気付いた人間が先ず己の「旗を立てて」、「この指止まれ」と志縁の人々を結集するしかないという方法原理が提起されました。

1 従来の伝統的共同体を前提とした地域づくりはできなくなりました

(1) 共同体そのものが産業構造の激変によって消滅したのです

(2) 従来の共同体は農林漁業を基幹産業とした住民の「共益」を守る仕組みでした

(3) 水資源も、森林資源も、海洋資源も地域住民の共同財産であり、それ故に住民総掛かりの共同管理を行なって来ました。

(4) おたがい様も、助け合いも、防災も、防犯も,資源管理の一斉行動も、一律のしきたりや慣習も「共益」を守る共同体文化の一環です。個人の自己都合・わがまま勝手は「共益優先の原理」の前に許されませんでした。

(5) 共同体文化を応用した地域組織が「隣組」や「自治会」ですが、共同体が機能しなくなれば、共同体文化に依拠した地域組織も機能しなくなるのは当然です。

(6) 今や防災や防犯の協働も分業化され、消防団は壊滅に近く,防犯は保険業界やSECOMのようにビジネス化したのです。

(7) 「地域ぐるみ」で子どもを育てようと言いますが、「無縁社会」に「地域意識」はほとんど存在していません。地域全体の子どもを預かっている学校が噛まないかぎり、もはやそうしたことは不可能に近いのです。

2 産業構造の変化が共同体文化を崩壊させました
  -現代日本の稼ぎ手は第2次、第3次の先端産業です-

(1) 稼ぎの根本は個人や個別企業の「技術」や「営業」であり、地域資源も地域住民の共同もほぼ関係がなくなりました。経済の国際化も地球化(グローバリゼーション)も地域共同体を必要としていません。

(2) 「共益の管理」から解放された地域住民は、しきたりや慣習から解放され、個々バラバラに自己都合を追求する自由な日本人になりました。

(3) 共同体の崩壊は、「共益優先」が「自己都合優先」に変わったということです。換言すれば、「自己中」社会が「共同体文化」を崩壊させたのです。昔を懐かしんで、「おたがい様」の文化に戻れという人もいますが、一度「自己中」の自由と気ままを味わい、「自己都合の優先」を認められた人々が昔に返る筈はないのです。

(4) 自由になった日本人は「自分主義」の「自分流」で生活し、あらゆることを自己都合優先で選択します。友人も職業も、ライフスタイルも楽しみ事も全て居住地域には関係なく選びます。当然、自己選択の裏側は「自己責任」ですから、時代は人々自身の選択責任を問うことになりました

(5) もちろん、人々の選択の成否は、格差に繋がり、「選ばれなかった人々」の孤独や孤立に繋がります。格差は、生涯学習格差の総合結果として、情報格差・知識格差、経済格差、健康格差、交流格差、自尊格差などを生み出します。

(6) しかし、「自由人」が招いた結果は自己責任ですから、誰も干渉せず、誰も助けてはくれません。「自己責任」社会は、自業自得」社会という意味でもあります。「自分主義」社会が「セイフティ・ネット」論にどことなくよそよそしいのはそのためです。

(7) 「無縁社会」とは、自由人が自己都合で生きる社会のことです。「無縁」とは「誰も私に干渉しないで!」という意味ですから、頼まれもしないのに誰も他者に支援することのない社会です。「親切」は「お節介」に、「お節介」は「内政干渉」に転化したのです

(8) 「個人情報保護法」はそうした考え方の象徴です。「私にかまわないで!」、「あなたに関係ないでしょう!」という法律です。

3 現代の地域づくりは「無縁社会」の中で行ないますー関心のない人は置いて行くしかないのです

(1) 共同体が崩壊し、一斉行動が崩壊した今、自由人の自己都合を束縛する地域総掛かりや地域総出の事業は何ごとにつけ不可能です。回覧板も、地域の一斉清掃も形骸化しました。町内会の組織率は農村部でさえ7割前後になり、都市部では半分を切っているでしょう。その町内会活動の大部分は行政の下受けで、惰性ですから、地域問題の解決にも、地域の教育力にもほとんど役に立ちません。役員はくじ引き交代制で、ひたすら任期の終わる年度末を待ち望んでいます。自己都合以外の余計なことはしたくないのです。

(2) もちろん、「無縁社会」の中には、解決すべき問題や助けを必要とする人々が存在します。その場合でも、地域全体は動きません。そうした問題に関心のある特別な人だけが動きます。通常、「自己中」社会は、構成員が「自己中」ですから、多くの人は自分の暮らしに直接的な関係がない限り,「地域」についての問題意識すらありません。

(3) 地域づくりは「関心のある人」だけが頼りです。人々の「関心の縁」が「志縁」です。それゆえ、現代の地域活動は「関心の縁:志縁」を結節点として「この指とまれ」方式で組織化されなければならないのです。

(4) 「地域の絆」はかけ声だけの「虚言」に終わります。自己中社会は「身内」、「仲間内」のことにしか関心のない社会です。

(5) 「絆」は、関心のある人だけの「絆」、「がんばろう日本」は、関心を持ち続けてがんばる人だけの「がんばろう日本」に終わります。仮設住宅で孤独死が始まるのはそのためです。

(6) 政治や、行政は、「個人情報保護法」を策定しておいて、「地域は仲好くみんなで助け合おう」ということは不可能だ、ということに気付いていないのです。

(7) 「この指」にとまろうとしない人々に無理矢理関心を持たせることは困難です。それゆえ、「地域ぐるみ」構想は、通常、時間とエネルギーの無駄になります。地域活動に限りませんが、無縁社会の活動は小さく始めるしか方法がないのです。

(8) 唯一、人々の「関心」を喚起し、その「増幅」に力を持ち得るのはメディアですが、メディアが喚起する関心は基本的に流行り廃りの速い、底の浅いものです。

(9) 注意すべきことは、関心を持たない人々は、極めて冷淡です。地域活動が自分たちの自己都合を脅かしそうだと感じたら、予算を「部分的なことに使うな」というようなことを言い出して反対者に廻ることでしょう。

(10) コミセンや公民館の地域プログラムが遊びや稽古事や安楽な実益型行事になるのは、これらは予算消化の前提が全員参加型で、「負荷」が小さいからです。苦しんでいる人がいたとしてもそれは彼らの自己責任であり、地域とは関係ないというのが「無縁社会」です。

(11) 全員の賛成が得られることのない「無縁社会」の地域活動は「タコツボ」型にならざるを得ないのです。それゆえ、地域横断的にタコツボをつなぐネットワークが重要になります。「協働」や「連絡会議」や「共同研修会」が不可欠になるのはそのためです。

(12) 現代の「地域づくり」は「志縁づくり」にならざるを得ないのです。「関心のない人」は、最初の段階では、置いて行くしかないのです。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

佐賀県佐賀市 小副川ヨシエ 様

 お便り拝受いたしました。災難でしたね。お見舞い申し上げます。これまでの常識からいうと奇妙に聞こえるかも知れませんが、高齢者には身体も頭も「安静」が一番危険なのです。中でも骨折は最大の敵です。使わない頭には認知症、使わない身体には運動器症候群といってわれわれの世代は全ての機能が低下します。予防法はたった一つです。毎日出来る範囲の運動を続ける事です。佐賀シンポジュームでは楽曲に合わせた小生の「タコ踊り体操」をご披露してもいいなと思っています。介護予防カルタ風にいうと『音楽体操、日に3回、回して回って足上げて、突いて、捻って、大きく振って』となります。タコ踊りのおかげで日々すこぶる快調です。

東京都 瀬沼克彰 様 

 ご本を頂戴いたしました。健筆に感服いたしております。小生は学生の教育や実践を生き甲斐とし、研究や執筆については、晩年に目覚めたカタツムリですが、ようやく自分の役割が「書くこと」にもあったと自覚することができました。後からゆるゆる追いかけますのでよろしくご指導下さい。

沖縄県南城市 高嶺朝勇 様

 初めてお送りしたにもかかわらず、過分のご批評を頂き、大いに勉学の励みになりました。ありがとうございました。

長崎市 武次 寛 様

 南島原の第2回大会のこと福岡の友人諸氏からお聞きしました。走りますね、長崎は!この種の研究事業は昔の飯炊きと同じです。初め「ちょろちょろ中ぱっぱ」で行きましょう。それでも中央政治や中央官庁の感度が余りにも鈍い時は、日本の進路も政策も全く変わらないことがあります。その時は「終わりを決めてさっと引きましょう」。過日は、過分の印刷・郵送料をありがとうございました。

過分の印刷郵送料をありがとうございました。

沖縄県南城市 高嶺朝勇 様
長崎県長崎市 武次 寛 様
佐賀県佐賀市 小副川 ヨシエ 様

147号お知らせ

1 第119回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin飯塚

日時:4月21日(土)15:00-17:00(14時からはNPO幼老共生まちづくり支援協会の一周年記念総会を企画しております。)
会場:福岡県飯塚市 穂波公民館(-0948-24-7458. 住所:〒820-0083飯塚市秋松408.)
事例発表:春日市におけるコミュニティ・スクール構想の展開とその成果(仮)福岡県春日市教育委員会 指導主幹 太郎良光男 
論文発表:アメリカにおけるコミュニティ・スクールの実践とその思想 三浦清一郎

2  NPO幼老共生まちづくり支援協会一周年記念総会
会場:上記フォーラムと同じ場所です。
時間:14:00-14:50

 昨年1月22日(土)、標記のNPOは、前飯塚市教育長森本精造氏を初代理事長として79名の創設メンバーのご出席を得て船出しました。「新しい公共」の大義のとおり少子高齢社会を乗り切る「幼老共生」のステージを創造できるか、否かが問われた1年でした。顧問として側から拝見していて、一番の鍵は行政に「協働」姿勢があるか、ないかによって、NPOの力が発揮できるか出来ないかが決まるということだと思います。
 この1年、各地の移動フォーラムなどを通して、市民団体の活動を見て来ましたが、日本の行政は誠に自分本位で、発想の能力も乏しいくせに、「偉そうな挨拶」ばかりを繰り返し、市民の力を馬鹿にしていると思います。すぐれた活動の「芽」も、実践もすでに行政施策の中よりは民間の有志の活動の中にありました。広島フォーラムでも、山口の豊田フォーラムでも、長崎フォーラムでも、大分フォーラムでも市民グループは質的に行政より遥かに優れた活動を展開していました。山口での全国大会の30を越える事例発表を全部聞けたわけではありませんが、やはり優れたまちづくりの実践は民間の中にありました。旅費をもらって、謝金を受け取って山口まで来て、施設機能の説明などしている行政職員を見ると呆れるのを通り越して、税金の無駄使いに憤りを感じます。
 本NPOも「生涯教育まちづくりフォーラム」の主催を始め、飯塚市の「e-マナビリンピック」構想と銘打って子どもの体力向上特別プログラムを展開して来ましたが、これらの構想が社会を少しでも変える力になり得るか否かは、2年目以降、行政や学校が市民の力を施策や教育活動の中に組み込んで行けるかどうかにかかっていると感じています。もはや、任意の「選択した者」だけが行なう生涯学習では日本の現状は打開できません。学校や学童保育や行政が主導する高齢者教育の現場に市民の発想と力を入れる時期が到来しています。豊田フォーラムの出席者から、「行政は遅すぎ」、「行政は市民活動の邪魔をするな」、「行政は何も分かっていず、何もやっていない」という声が出ていましたが、誠にその通りだと思います。
 それゆえ、筆者の総括は次のようになります。
 本NPOにとって、今年も行政や学校本体との「協働」が成立しなければ、「新しい公共」としての具体的な成果を生み出せず、学校も変わらず、高齢者も変わらず、地域社会も変わらず、なによりも行政を変えることも出来ないでしょう。社会を変えることができなければ、世間の承認が得られず、手応えを失い、「機能快」を失い、活動の意味が薄れ、やがて本NPOも、他のNPOと同じように失速するであろうと危惧しております。
 会員のみな様、またNPO活動にご興味のある方はどうぞ「総会」からご参加下さい。

3 第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会
(今年から大会名称が「生涯学習」から「生涯教育」に変わりました。)

日時:5月19-20日(土-日)
前夜祭:18日(金)の19時-
 今回の「風の便り」に特別チラシを同封いたしました。また、過去3年間の参加者には4月中旬に詳細を記したご案内のリーフレットを発送いたします。ご参加ご希望の方は福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)までお問い合わせ下さい。

編集後記「庭の冬薔薇」
 大分大会の後始末をしていたらポケットからメモが出て来ました。「梅園の里」の壁に張ってあった地域の方の短歌を写し取ったものでした。お名前をメモし忘れたのはまことに残念で失礼なことでした。
 我が晩年もかくありたいと思って書き写して来たものです。もちろんご本人は晩年を歌ったのではなく、庭の薔薇を写生しただけかも知れませんが、私には自分に頂いた歌のように思えました。

崩れ行く、仕舞いの時も
鮮やかに紅深し
庭の冬薔薇

 年度末の狂想曲が終わって「やらねばならぬこと」は全てやり終えました。忙しいとは「心を亡くす」と書くことがよく分かります。教え子にも「集中と選択」だよ、と書き送りました。ようやく自分を取戻し、普段の執筆ペースに戻りました。目的があり、目標が定まった日々のあることがどんなにありがたいか、身に滲みます。「介護予防カルタ」の老年学の解説を書きながら、日本の高齢者の最大の問題は、引退後に、日々の目標と姿勢を見失う「暮らしの姿勢病」だとしみじみ思うようになりました。元気の向こうに「やりたいこと」があり、がんばる目標があることが高齢者を支えているのです。

今日もまたがんばりますと
便りする
朝の目覚めのありがたきかな

息子夫婦の招待で孫に二度目の再会を果たしました。8か月が過ぎて「桃」もすっかり人間らしくなり、一緒に湯に浸かりました。幼い者の成長に死んだ者を懐かしく思い出します。

久々に桃と旅出の
椎葉川
彼岸に笑みて妻立てる見ゆ

「風の便り 」(第146号)

発行日:平成24年2月
発行者 三浦清一郎

「生涯現役・介護予防カルタ」の老年学
-壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず(*)-

 下関にある高齢者のリハビリ支援グループ「再起会」(永井丹穂子代表)が地道な活動を続けて今年で20周年の節目を迎えます。永井代表から、記念事業に「ロコトレかるた」(ロコモティブ・シンドロームを予防するカルタ)を作りたいので会員さんから文言の「案」を募っているが出そろった段階で、監修を引き受けてくれないか、というご相談がありました。
 筆者は、どうせ作るのなら「森も木も全体を見渡せる」「生涯現役・介護予防かるた」を作りましょう、と提案しました。永井代表は瞬時にお分かりになりました。「そうだった」とおっしゃって、即断でご賛同いただきました。生涯現役を推奨し、健康寿命を延ばそうという趣旨のカルタであれば、これまで筆者が書いて来た「The Active Senior-これからの人生」や「安楽余生やめますか、それとも人間やめますか」の発想と知識が100パーセント生かせます。本年の筆者の執筆計画は大幅に狂いましたが、冬休み中の関心のベクトルは一気に「生涯現役・介護予防カルタ」の作成に傾いたということです。(*佐藤一斎 江戸時代の儒者、「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり、壮にして学べば、則ち老いて衰えず、老いて学べば、則ち死して朽ちず」と書き残した。幕府の昌平坂学問所の「学長」となる。)

1 原因は、理念的には「暮らしの姿勢病」、具体的には「生活習慣病」

 少年の場合も、高齢者の場合も、あらゆる「発達」や「退化」の問題は、現象の上では部分的に現れます。しかし、その原因も影響も常に人間全体のあり方に関わっています。現代の日本は「分業思考」の結果、人間の教育や高齢者の老衰を総合的・全体的に考えることができなくなっていると常々申し上げて来た問題です。
 「分業思考」に囚われる原因は、疑いなく、行政のタテ割り分業や学問の分業化・専門化の弊害だと思います。なぜ保育に教育プログラムを入れないのか?逆に、なぜ教育にもっと保育のような生活体験の機能をいれないのか、と問うて来ました。発達期の幼少年を指導した経験の在る人なら「保教育」の必要は瞬時に分かることですが、日本の行政は分からず、その周りにいる専門家も「分業思考」の故に見えなくなっているのです。それが行政や学問の「たこ壷化」と呼ばれる現象です。
 高齢者問題も同じ「たこ壷」にはまっています。なぜ保健指導と生涯教育を同時平行的にやらないのか、誠に理解に苦しむところです。福祉分野のプログラムを拝見していると、人々の暮らし方にほとんど関係のない、ただただ単純で、愚かとしか言いようのない、部分的なリハビリ体操や介護予防のプログラムが行なわれています。高齢者の生きる姿勢や暮らし方の全部を変えなければならないのに、生活を見ず、人間全体を見ず、人間を分断し、部分化して見る傾向が強いのです。衰えた運動機能や退化する頭の働きだけを取り出して注目し、部分的な対処法が取られます。ロコモティブ・シンドロームの予防には「ロコトレ」だけ、認知症の予防には、生活の実態を離れた「脳トレ」ゲームやお遊びに近い対処法だけが提案されるのはそのためです。
 しかも、当人の「考え方」や日々の「暮らし方」そのものを変えるというところに重点を置かないのでトレーニングの頻度が全く不十分です。年に1回/集中的に2-3日だけとか月に一度程度のゲームや遊びで対象者の生活のあり方や考え方を変えることなどできる筈はありません。もちろん、本人の「介護予防」が不十分に終わることは明らかです。この種の活動は「木を見て森を見ていない」という現象ですが、助長しているのは介護予防等に専門的に関わっている人々です。分業化・専門化が進むと必ず起こる「たこ壷化」の「副作用」です。特に老衰予防の場合、問題の発生原因は生活全体にあり、暮らし方や考え方を総合した生きる姿勢から生じているのです。それ故、高齢者の急速な老衰の原因の源は、理念的には「暮らしの姿勢病」であり、具体的には「生活習慣病」なのです。

2 「生涯現役・介護予防カルタ」の目的

 カルタは、まず遊びであり、ゲームであり、同時に人々を和ませ、会話に導く格好の手段であり、様々な有益情報や教訓を含んだ教材なのです。これらの機能・特性をカルタ調で要約すると、「まず娯楽、仲間づくりの大事な道具、次に脳トレ・認知症予防、教材・教訓・人生指針」という具合になるでしょう。
 カルタの導入目的の第一は、ゲームとしての娯楽とグループ交流や会話の水路付けにあります。しかし、本カルタは「生涯現役・介護予防カルタ」ですから、その最終目的は、高齢者仲間のカルタ取りゲームを通して、高齢期の活力維持に役立つ「暮らし方」を提示する教材としての利用価値を高めることです。暮らしの姿勢や生き方の方針が変われば、廻り回って病気予防や活力維持に資することは疑いないことだからです。

3 高齢者の司令塔は「頭」ですーボケればお仕舞い

 頭がだめになれば誰でも「自分の人生」を失います。就中、高齢者にとっては致命傷です。頭は自己実現のレフリーであり、生きる力の「作戦中枢」であり、人間という複雑な行動体系を機能させる「統合参謀本部」です。健康維持も、社交の展開も、趣味・教養・ボランティアなどの活動もすべて頭の判断と指示によって可能になります。
 「生きる力」の開発や維持には企画が肝要であり、プログラムが不可欠であり、情報収集と分析が欠かせません。全ては「頭」が司ることです。まだ「頭」のトレーニングが進んでいない子どもには大人が指示して人生の目的や目標や日々の暮らし方を指導します。しかし、高齢者は独立独歩の人生を歩いて来た成人ですから、自分のことは自分で決めるのが原則です。それゆえ、「老年学」の第1課題は高齢者の頭脳の働きを維持する方法を提示することです。
 「生涯現役・介護予防カルタ」の最重要課題は、急激な老衰の主要原因は不適切な「暮らし方」や「考え方」にあり、「頭がボケたら自分の人生はお仕舞い」になるということを分かっていただくことです。

3 理性と感情は別物ですが、頭と心は同じものです

 人間の知性には、理性(論理性)と想像力(感性)の2分野があります。日本人は頭は理性、心は感性というように両者を分けがちですが、頭と心は同じものです。知性は、「考えること」も「感じること」も含みます。人間が人間である中枢は「頭」であり、人生の司令塔は「頭」です。
 私たちは「胸を焦がす」と言ったり、「胸が痛む」と言って胸を指しますが、「焦げている」のも、「痛んでいる」のも実際は頭です。それゆえ、頭が司る感情のコントロールが出来なければ、理性の部分の指令塔も機能しないのです。マインドコントロールが恐ろしいのはそのためです。理性と感情を司る頭は人生の海に浮かぶ船のようなものです。感情は「船」のバランスと自家発電の動力源の役目を果たします。感情はエンジンの出力を司り、理性はスクリューや舵のように動力を推進力に変え、運行の目標や方向を決定します。感情が安定しなければ、船の運航を管理する理性も機能しないのです。それゆえ、人間が感情や意欲を失うことは心的エネルギーを失い、人生の動力源を失うことを意味しています。前頭葉摘出手術(ロボトミー)が人間を人間でなくしてしまう結果を招くのは、前頭葉こそが感情を司る頭の中核だからです。

4 感情の安定

 感情のあり方、情緒の自己コントロールをカルタの文言にすることは特別難しいのですが、日常の生活態度や気持ちの持ち方を想定して表現してみました。以下はその数例です。高齢者が活力を維持するためには、暮らしに「前向きの」姿勢が不可欠です。老後はあらゆる面で個人差が大きくなり、「満足-不満足」の思いも、「幸-不幸」の感覚の落差も大きくなります。現状に囚われれば、愚痴の一つも出るでしょうが、どうがんばってももはや過去を変えることはできません。それゆえ、「く」-「愚痴らない、くよくよしない、ひがまない、人の振り見て、わが振り直す」と言わなければならないのです。また、心身の健康を保つためには、ある意味では楽天的に、また別の意味では積極的に自助努力を積み重ねることが不可欠になります。だから、「わ」-「忘れよう、過ぎた昔は、戻せない、あしたはあしたの風が吹く」となります。
 とにかく、高齢者はみんな今日までがんばって生き抜いて来たことはまぎれもない事実です。しかし、もちろん、誰一人、一人で生きられた筈はありません。気持ちの安定を保つためには、世の中と繋がり、他者への感謝や思いやりの気持ちをもつことが極めて重要な働きをします。それゆえ、「ぬ」-「ぬかるみも、時雨れるときも、風の日も、乗り越えられた、感謝忘れず」としました。また、「こ」-「越し方を、一人で生きた、筈がない、心ばかりのわが恩送り」とも書きました。次の世代に感謝の気持ちを返す「恩送り」は日本人の生き方の伝統です。このように介護予防や生涯現役を志して生きようとも、いずれ加齢とともに老衰は進みます。生老病死は人間の必然です。しかも、生きとし生けるものの中で、人間だけが「死の必然性」を自覚しています。それゆえ、美しい晩年を全うしたいと願うことは衰弱と死に向かって降下する自分自身との戦いです。如何に戦うかで個人の矜持や自尊や人生の美学が問われることになります。それゆえ、カルタには、「た」-「発つ鳥の跡を濁さず、われもまた、捨つべきを捨て、断つべきを断つ」と晩年の準備を喚起し、「ち」-「誓います、日々の挑戦、終わりまで、我が晩年をご照覧」と終末に向かっての覚悟を歌いました。

5 人間の基礎と土台は「動物」です。人間の精神が「動物」をコントロールします

 人間は霊長類ヒト科の動物がしつけと教育によって人間になったのです。人間の基礎と土台はあくまでも動物で、動物は人間精神の「容れ物」です。「容れ物」がしっかりできていないと中身がきちんと入りません。子どものしつけと教育は容れ物を鍛えながら、同時に、中身の知性と精神を育てるのです。それゆえ、「半人前」の子どもは、どちらかと言えば、「容れ物」が先で、「中身」が後です。保護者や指導者の教育によって、動物的特性(肉体)を鍛えながら人間的特性(頭)を育てるのです。ところが、「一人前」になると、自己教育が原則になりますから、高齢者は自分で心身の機能を維持しなければなりません。高齢者の場合は、心身の重要度が子ども時代と逆転して、知性がより重要になり、肉体の維持・訓練は知性の命ずるところとなります。高齢者は知性(頭)の衰えを防止しながら、その判断と指示によって、動物的特性(肉体の健康)を維持するようになるのです。高齢者が頭の司令塔を失えば、肉体を維持する知恵も作戦も失うのです。頭を使い続けること、読み、書き、討論、生涯学習が重要なのはそのためです。「荘にして学べば、老いて衰えず、老いて学べば、死して朽ちず」(佐藤一斎)です。子どもは肉体の鍛錬が十分にできないと、集中や持続の力がつかず、学業が遅れます。しかし、高齢者は逆で、頭脳の維持が最重要課題です。頭脳が衰えれば、健康を守ることも、自己の鍛錬を考えることさえできなくなります。「う」-「動かにゃすべて衰える、生涯学習人生分ける、頭は老後の司令塔」なのです。精神が滅べば、必然的に高齢者の肉体も滅ぶのです。「ボケればお仕舞い」とは、そういう意味です。

6 答は自分で探せ

 このカルタは、社交や社会参加や社会貢献を強調しています。老後の仲間は決定的に大事です。だから、仲間の大切さについても、「お」-「老いの日の、友は得難き、宝なり、互いに支え、互いに尽くす」と謳いました。しかし、最後に人生の答を出すのは自分です。自分自身で日々の暮しの心構えや戦略が立てられなければ、老後は加齢とともに急速に衰えるのです。
 暮らしの実務や生き方、人との付き合い方、体力や健康はみな大事ですが、それを決めるのが知性であり、精神です。カルタは,高齢者の日常の活力維持の具体的な方法を提示していますが、精神のあり方に付いては、自分で探し、自分で決めなければなりません。人生の最後をどう生きて、どう死ぬかについて既成の解答があるはずはないからです。それゆえ、「ゆ」-行く道は、神も仏も代われない、誰も代わりに生きられない」としました。基本原則は自立と自己鍛錬です。本カルタの提言は、インスタントな答を探そうとする人の役には立たないかも知れません。総論として自立と社会参画のための自己鍛錬こそが高齢期の活力維持の極意であるという結論から出発しています。自立とは、自分で自分の日々の暮らしの基準と原則を探すという意味です。 

7 カルタの理論的背景

(1) 基本は「考え方」と「暮らしの姿勢」

 上記の通り、高齢者が自分自身の健康・活力を維持するにあたって一番大事なのは老後の「考え方」と「暮らしの姿勢」です。老衰の原因を「暮らしの姿勢病」と言ったのは高齢者の「考え方」-「頭」が問題だということです。
 高齢者の日々の暮らしに明確な「目的」と「目標」があれば、「暮らし方」が決まります。「も」-「目的があなたを磨く、目標があなたを引っぱる、希望も見える」と強調したのはそのためです。また、人生への関心や興味が高齢者の活力を支えます。それゆえ、「こ」-「好奇心、居甲斐、やり甲斐、生きる甲斐、老いてもやる気、冒険心」として高齢者の人生における頭と精神の重要性を最優先に強調しています。
 体力や健康を失うことは辛いことですが、まだ人生を失ったわけではありません。しかし、頭の働きを失えば、「認識すること」、「考えること」、「判断すること」、「決定すること」など、自分を失い、人間の特性を失い、やがて、自身の健康も人生も失います。「生涯現役」を全うしようとする生き方は、自分の人生を失う対極にあります。生涯現役とは、自分自身が最後まで「認識すること」、「考えること」、「判断すること」、「決定すること」を失わず、社会に役立ち続けようとすることです。「生涯現役・介護予防カルタ」は、社会に参画して文字通り「現に」、「役に立つ」生き方を目指しています。そのためにも、生涯の健康を維持し、介護の必要に至らぬよう「頭」の働かせ方に最も重点を置きました。理論的背景には、医学の言う「廃用症候群」の考え方やスポーツ生理学の言う「オーバーローディング法」、心理学の言う生きがい論、社会学の言う「自分のためのボランティア」論などを前提にしています。

(2)「廃用症候群」と「オーバーローディング法」

 標記の概念は医学用語ですが、「使わなければ使えなくなる」、という意味です。英語では、文字通り、Disuse Syndromeと言います。人間の心身の機能は誠に不思議な性質を持っています。使い過ぎると壊れますが、使わないと身体が不要だと判断して、機能が衰退してしまうのです。ほどほどの「負荷」をかけて使い続けることが重要になります。スポーツ生理学では、適切な「負荷」をかけるトレーニング法を「オーバーローディング法」と呼んでいます。自分ができる程度よりちょっとがんばってみるということです。「適切な負荷」の効用については、若者も、高齢者も同じです。
 廃用症候群について、カルタでは、「ヨ」-「読めない、書けない、話せない、歩かなければ歩けない、使わなければ、使えない」と提案しています。英語のいう「Disuse Syndrome」は「使わない症候群」という意味ですから、文字通り、「使わなければ、だめになる」と警告しているのです。また、オーバーローディング法については、「ら」-「楽すりゃ、自身の身が錆びる、がんばらなけりゃ、心も錆びる」とか「な」-「なにごとも、習わにゃできない、日々精進、練習せねば、上手にならぬ」と提案しています。生理学者ルーは、「ルーの3原則」と通称される重要な指摘をしています。すなわち、「人間の持つ機能は①使わないと衰え、②使い過ぎると破壊されるが、③ほどほどの負荷をかけて使えば発達を促し、維持することができる」というものです。ちなみに、「休めば錆びる」とは発明王エディソンの名言「Resting is Rusting」を援用しました。「練習しなければ上手にならない」とは、「やったことのないことはできない」、「教わっていないことは分からない」と合わせて教育学の3原則です。カルタは、予想される高齢者の問題状況を考慮して文言を工夫し、手引書の説明は、背景となる理論や考え方に沿って文言を解説しています。

7 カルタの「情報量」を重視

 全国の大部分の新作カルタが「いろはカルタ」調の簡単な短文でできているのに対し、「生涯現役・介護予防カルタ」は百人一首にならった31文字の短歌調を採用しました。短歌形式を使った最大の理由は、カルタに盛り込むことのできる情報量の問題です。もちろん、具体的な説明が必要だからと言って、くどくなりすぎれば、誰も遊びには使ってくれません。文言の長短やリズムを調節するさじ加減が難しいところでした。
 カルタ文化の伝統と文化を支えて来たのは百人一首です。それゆえ、5-7-5-7-7の短歌のリズムは多くの人々に身近に感じてもらえると想定しました。しかも、短歌調はいろはカルタの倍以上の情報を盛り込むことができます。
 生涯現役論も介護予防論も、身体運動や食育については余り複雑な論理は必要ありませんが、ボランティア論や尊厳死などになると「あなたも進んでボランティア」というだけでは説明が足りません。ボランティア論は日本の言-「情けは人の為ならず」を下敷きにして見ました。いささか字余りになりましたが、他者に寄せる親切な思いは「自分」に返ってくるものだという意味を込めました。「を」-「おかげさま、おたがい様です、人の世は、情けは人のためならず、自分のためのボランティア」ではどうでしょうか。また、少し理屈っぽいのですが、ボランティアを推奨するものとしては、「ほ 褒められて、必要とされ、喜ばれ、元気をもらう、人の世話」としました。また、日常の社交を絶やさない心がけとして「に にこやかに、人と交わる、心がけ、明るく元気、いやごと言わず」と提案しています。「いやごと」というのは不平や文句を意味する長州の方言だそうです。また、「無縁社会」の近所付き合いは難しいことですが、「へ 塀越しに、お隣様に、ご挨拶、木にも花にもこんにちは」や「る 留守の日は、戸締まり、火の元、ご近所に、出かけますので、お願いします」などと意識的にご近所とのコミュニケーションも図ろうと提案しています。
 死期を意識した時の尊厳死論は極めて難しい課題です。多くの高齢者はまだ「リビング・ウイル」という表現を知らないかも知れません。そこで、まず、「ろ」-「老年の整理整頓・遺書・遺産、旅立つ前に、謝辞整える」と提案し、次に、抽象的ですが、「り」-「凛として逝かむとすれば、凛として生きる準備を怠らぬこと」として見ました。しかし、この辺までが31文字の表現限界です。

8 理由を語り、意味を語る

 健康カルタはたくさん作られていますが、「なぜ」とか「どのように」の具体的な説明が不足しています。「毎日運動、1、2、3」だけでは、なぜ運動が大事なのか、どんな運動をするのかは分かりません。しかし、「胸を張り、背筋を伸ばし、大股に、足は第2の心臓だから」と言えば、毎日の散歩のコツが分かり、「歩くこと」の重要性も意味も分かります。また、「階段・段差に気をつけよう」というだけでは、具体的な動作が分かりません。そこで「い 急がない、一度止まって、気を張って、深呼吸して、手すりを持って」と注意を喚起し、「ま 待ち合わせ、急がず、慌てず、駆け出さず、バスも電車も10分前」と暮らしの発想を提案しています。もちろん、上記のように31文字を使っても舌足らずのところが多々残りますが、限度を弁えず、説明調が過剰になってカルタの娯楽性を浸食してはならないと考えました。

9 想定した活用分野
(1) ロコモティヴ・シンドローム予防
① 加齢による運動器障害は高齢社会病

 新しい医学用語ロコモティブ・シンドローム(locomotive syndrome)は高齢社会病です。近年注目されるようになった病名です。日本語では「運動器症候群」と訳されます。高齢者が、「運動器の障害」により「要介護になる」リスクに注目して導入された概念です。高齢期では、自分で動くことができなくなることが一番危険です。カルタでは「転ぶこと」、「動けなくなること」の危険を警告しました。「ね」-「寝たきりは、動かない故、ご用心、ねん挫、骨折、転倒予防」。高齢者が骨折などで寝たきりになると立ち所に筋肉が落ち、使わない関節は固まってしまうと言われています。早めのリハビリが大切なのはそのためです。また、自分でやれるロコトレの具体的方法として、「て」-「手を打って、腕を回して、足腰伸ばし、声張り上げて思い出の歌」を提案しました。筆者は毎日好きな音楽に合わせて自己流のエアロビを工夫して身体を動かします。舞踊をなさる方々がいつまでも若々しいように、毎日の軽運動の効果は抜群です。体操が主食なら音楽はおかずのようなものです。好きな歌や曲ですから身体が自然に動きます。時には声はり上げて歌に合わせてカラオケのように歌います。詩吟の方々と同じように大声で発声することも循環や代謝の体調を整え、練習の後が実に快適です。熟年期に入ると身体を長く使って来た分、各種の運動器障害は多発します。約3-4人に1人が発症するということですから、運動機能を健康に保つことが如何に難しいかを示しています。だからこそ頻度の少ないプログラムは意味がなく、高齢者にとって「ロコトレ」とは、日々の習慣的軽運動が課題なのです。筆者は「音楽体操、日に3回、為すべきを為さざれば、必ず悔いあり」と墨書して壁に張っています。

② 動けなくなるから寝たきりになるのです

 高齢社会は、高齢者が心身の機能を長期間使用し続ける時代を意味します。それゆえ、どの機能も手入れを怠らず、長持ちさせることが大切です。加齢による老衰に加えて、人々の運動不足、不摂生など、健康に害のある生活習慣は、高齢者の骨量、筋量、関節軟骨、椎間板、神経活動などを減少させます。骨粗しょう症、膝関節痛、腰痛などはその結果です。また、筋肉量、血管量、神経活動が減ると加齢性筋肉減少症や神経障害を引き起こし、段々動けなくなると言われています。動けなくなるから動くことが億劫になり、動こうとしないから最後は全く動けなくなり、寝たきりになるのです。医学が言うように、要介護や寝たきりの原因に 「運動器」 の障害が多いのは間違いありませんが、根本の原因は考え方であり暮らし方です。高齢者の心身の健康は医学と同等か或いはそれ以上に教育学や心理学の問題なのです。高齢者自身が、意識して、がんばって、自身に「負荷」をかけ、毎日適度の活動(運動)を続けることが不可欠であると自覚しなければ、月に一度や2度の転倒予防教室や介護予防教室で防げる問題ではないのです。筆者が文言の選択に迷った時、「再起会」の皆さんは具体的な健康法の文言を捨てて、次のような理念的な文言に投票してくれました。嬉しい驚きでした。「か」-「がんばろう、誰かが見てる、がんばれば、最後はあなたがあなたを見てる」。高齢者の最後の生き方を決めるのは、「自分のがんばり」や「自身の生きる美学」なのです。こうした日々の姿勢を「ロコトレ」に適用すれば、先に紹介した「ルーの3原則」の通り、「つ」-「使い過ぎれば壊れるけれど、使わなければ衰える、日々さじ加減、老いのコツ」となるのです。

③「ロコトレ」は介護予防の基本ですが、ロコトレに限らず、老化の防止策は毎日実行するという姿勢が基本です
 
「ロコトレ」は、運動器の機能の衰えを防止する健康法の総称です。毎日の運動はもちろん、日々の暮らし方を工夫して日常生活の自立度を低下させないことが目的です。ロコトレは一番具体的で、一番簡単です。ロコトレを日常化し、習慣化することが、高齢者の老衰防止策を実行する最初の一歩になります。「け」-「健康は、自分で作る、生き甲斐は自分で探す、生涯現役心意気」まで辿り着くことが目標です。

(2) 筋肉・心肺機能の老衰防止トレーニング

 筋肉は正直です。鍛えれば強くなり、怠ければ消えてなくなってしまいます。高齢者に一番危険なのは足腰の筋肉が衰えることです。当然、足腰が弱るとほとんどの活動ができなくなります。活動は、頭も、身体も、気も使いますから、活動ができないということは、全分野にわたって心身の機能が衰えるということです。それゆえ、「き」-「筋肉、関節、心肺機能、気力、活力、希望と意欲、すべて訓練次第です」ということになります。
 筆者が繰り返し強調して来たように、元気だから活動するのではありません。活動するからお元気を維持できるのです。高齢者に対する生涯教育・生涯スポーツ指導は医療や保健に優るとも劣らぬ高齢社会の必須条件です。高齢者が自らの心身を鍛えることは本人自身の健康維持に役立つことはもとより、医療費を減らし、介護費を減らす最善の方法なのです。「シ 趣味・娯楽、お稽古事の仲間居て、活動するから活力が湧く」のです。
 歩かない人は歩けなくなり、読まない人は読めなくなり、話さない人は話せなくなります。おむつを当てれば、段々自分で用がたせなくなることも分かって来ました。中でも、筋肉と心肺機能は一番正直です。筋トレをやめると、筋肉は萎んでしまいます。筋肉が衰えると、代謝のペースも下がると言います。同じ食事をしても太るのはそのためだと言われます。
 歩かない人は歩こうとしない人です。読まない人は読もうとしない人で、話さない人は、最終的に、話そうとしない人なのです。本人の自覚と姿勢が伴わない限り、部分的に何をやってもだめなのです。高齢者の生き方を決めるのは最終的に「暮らしの姿勢」であり、頭なのです。
 スタミナの元は心肺機能です。階段や運動が辛くなったら心肺機能の低下を疑ってみる必要があります。バテ易いというのは、少し身体を動かしただけで息が上ってしまうことをいいます。「はあはあ」と息が上がるのは心肺機能が弱いということです。心肺機能を鍛えるということは、酸素を取る機能を鍛えるということですから、日常の定期的な運動を欠かさないことです。毎日身体を動かし、ほんの少しでいいですからがんばり続けることです。自立の習慣と「負荷」論とボランティアの勧めを組み合わせると「そ」-「それくらい自分でしよう、がんばって、時には人の、お役に立とう」となります。
高齢者のスタミナ維持には、自立や社交を想定して「ほんの少しオーバーローディング法」を続けることが秘訣です。

(3) 趣味・学習・稽古事など生涯学習による脳や活力のトレーニング

 世間では生き生きと老後の活動をなさっている方を「お元気だからいろいろ活動なさっている」と言いますが、実際は逆です。「いろいろ活動なさっているから、いつまでもお元気を保っていられるのです」。活動は、頭を使い、身体を使い、気を使います。「廃用症候群」の概念が指摘している通り、人間の機能は使わないと衰えます。適切に使い続けていると衰えにくいのです。
 なにより、老後の生涯学習は高齢者の「脳トレ」に最適です。「脳トレ」という生涯学習をするのではなく、生涯学習は最高の「脳トレ」であり、生涯スポーツは最善の「ロコトレ」なのです。「脳トレ」や「ロコトレ」は、「木」に過ぎませんが、生涯教育や生涯スポーツは「森」なのです。生涯教育は生涯活力の元だとお考えください。「の 脳トレは、友とおしゃべり、食事会、朗唱、カラオケ、『現役カルタ』、「け 健康は、自分で作る、生き甲斐は自分が探す、生涯現役心意気」なのです。
 しかし、日本社会の問題は、中央・地方の教育行政が、生涯学習を「個人の選択」の問題にして、従来の社会教育をないがしろにしてきたことです。結果的に、生涯学習を「選んだ人」と「選ばなかった人」の間の「生涯学習格差」が拡大しています。「格差」は、頭に出て、身体に出て、気に出ます。それらが「知識格差」、情報格差」、「健康格差」、「交流格差」、「生きがい格差」、「自尊感情の格差」などです。高齢期に入って、活動しなければ、あらゆる心身の機能が衰えるのは当然の結果なのです。「格差」の拡大も当然の結果なのです。「選んだ人」も「選ばなかった人」も確かに国民自身であり、原則的には、彼自身の責任ですが、政治や行政は「選ばなかったあなたが悪いのです」と言って済ませていいでしょうか?教育に関わる政治家や行政職員の優先すべき事業は、選択の失敗に伴う不幸な「格差」を埋めて行くことなのです。

惹かれ合う男と女
男女共同参画の課題-「新しい男らしさ」とは何か

 福山の男女共同参画センター「イコール福山」の講演が2012年の初仕事でした。早めに到着したので、八田所長さんを始め、関係者とゆっくり話をすることができました。
 男女半々ぐらいの職場とお見受けしましたが、お茶を運んで下さったのは一番若い女性職員でした。男女共同参画が看板ですから、デモンストレーションとして案内して下さった中年男性がお茶の係をするかと想像しましたが、案に相違しました。寒い日だったのでさりげなく置いて行ってくれたお茶の温もりが腹に沁みました。
 講演の終わりに、「母のジレンマ」を説明し、自分の息子だけは不自由させずに育てたいと過保護を止められず「変わりたくない男」を育てているのは「母」だと論じました。また、表で「男女共同参画」を口にして、格好を付けていても、「変わりたくない男」をそのまま放置しているのはあなた方「妻」だとも言いました。女性聴衆の怒りがめらめらと立ち昇るような気がしました。
 最後のまとめは、男女共同参画と性別・性差・「らしさ」の問題に移行しました。男女共同参画が実現して、これまでの「古いらしさ」が消滅したとしても、性別はなくなるはずはなく、男は男、女は女で「新しいらしさ」が生まれる筈であると言いました。これまでの「性別役割分業」を否定したところで男女差を解消して「人間性」などという抽象的な概念に人間を還元できないとも言いました。
 ここは「男女共同参画センターだから、お手本に男性がお茶を入れるのかと考えていたら案に相違して若い女性が持って来て下さった。「雰囲気も和らぎ、お茶もおいしかった」と正直な感想を言いました。途端に、「それって、失礼じゃないんですか?」と聴衆のお一人から「ヤジ」が飛びました。若い女の入れたお茶の方が良かったというのは、所詮おまえも「変わりたくないおやじ」に過ぎぬと思ったのでしょうか!会場の空気が険しくなったような気がしました。しかし、ここからが本論です。小生も皆様と同様、従来の「性別役割分業の固定化」には断固反対です。自分でお茶も入れます。人様にも入れて差し上げます。しかし、一般的に、男が女に惹かれるのは自然ではないでしょうか!?男と女が惹かれ合うのは「種の保存」から言っても自然の摂理に適っているのです、と怒鳴り返しました。
 リハビリ中の老女が「今日の担当は若い『イケメン』だといいのにね」、というのと同じです。老女も若いイケメンに惹かれるのです、と言ったら大半は笑って、納得してくれました。相変わらず、男女共同参画の闘志たちは人間存在の自然性を無視して、建前主義で固いですね。男女共同参画を支援する男は、どんな男だったらいいのでしょう?問題は女性自身が納得できる新しい「男らしさの条件」を一日でも早く青少年に提示して彼らに指針を与えていただきたいものです。

「所有」の虐待
虐待の4類型-崩壊した「さじ加減」の常識

 Nobody Owns Me.

アメリカのテレビドラマを見ていたら、「おれの女」だと言い争った二人の男が最後は争いが高じて殴り合いになりました。当事者の女性は「あたしは誰のものでもない(Nobody owns me)」と厳しく言い放ち、二人の男たちに冷たい一瞥をくれて立ち去りました。
 人の性格にもよるのでしょうが、筆者のような年寄りでも一瞬女性の格好良さにしびれました。愛は複雑です。「尽くし足りない私が悪い(大阪しぐれ)」という愛もあれば、「ついて来いとは言わぬのに、黙って後からついて来た(夫婦春秋)」という愛もあります。前者は奉仕の愛、後者は従順の愛とでも言いましょうか。しかし、愛は時に所有であり、支配であり、時に略奪でもあります。かつて、有島武郎は「惜しみなく愛は奪う」(新潮文庫)と恋愛論のタイトルにしました。
 親が子どもを所有した時、その愛情表現の多くは「過干渉」になります。親は養育者であり、保護者ですから、親の愛に対して、通常子どもは無力です。子どもは、上記の女性のようにNobody owns me.(誰も私を所有などできない)と親に言う術は持っていません。そこから所有の虐待が始まるのです。所有の虐待とは「愛で支配する」ということです。「オレの子どもに何をしようと勝手だ」という「おやじ」もいれば、「あたしの子育てに干渉しないで」という母親もいます。彼らは意識しているか否かは別として子どもは自分の「所有物」だと思っているのでしょう。当然、過保護にも過干渉にもなります。悪気はなくても、子どもの自由は認めません。子どもを「所有」することを「やさしい虐待」という人もいます。時々、少年スポーツやブラスバンドの指導者にもこの種の人間がいます。ストーカーの中にもいます。
 筆者のような性格の子どもにはとても耐えられることではありません。筆者もまたNobody owns meという女性のように生きたいのです。

1 成長要素のバランスは生物の条件

 「食育」の基本がバランス論であるように、あらゆる生き物の成長には成長を促す要素とそのバランスが不可欠です。農夫が作物を育てる時、庭仕事の好きな人々が草花を育てるとき、成長要素をバランス良く組み合わせることは常識です。あらゆる植物には陽光も水も、窒素・リン酸・カリのような肥料の3要素などをバランス良く組み合わせることが重要だと私たちは知っています。医者の薬も患者の症状に併せて、調合するのが「さじ加減」の語源でしょう。料理の味付けにも関係があるかも知れません。
 子どもの養育も同じことです。健全な発達に必要な成長の条件を組み合わせてそれらのバランスが極端に崩れないようにすることが重要です。古来、子育ての格言にバランスを強調したものが多いのも「指導のさじ加減」を考慮したものです。例えば、「文武両道」などはその典型です。「よく学び、よく遊ぶ」や「可愛くば五つ教えて、三つ褒め、二つ叱って良き人と為せ」などもそうでしょう。バランスは生物がより良く生存するための基本条件なのです。

2 虐待の4類型

 憎悪に基づく虐待は問題外として、「放任」、「過保護」、「過干渉」という子育て上の「さじ加減」の失敗も、最終的には虐待に行き着きます。放任から過干渉まで、これら3つのケースはいずれも養育条件のバランスを著しく欠いた形態です。したがって、子どもはどの場合でも健全に発達を遂げることは難しくなります。さらに、これらの三状態が極度のレベルに達すると、発達に支障を来すどころか、虐待になります。
 通常の暴力的虐待は憎悪を根源とし、「放任」と「過干渉」を伴う暴言や暴行が主たる内容の虐待です。
 放任は「保護・養育」機能の放棄です。自立・自活のできない子どもにとっては、無言の暴言であり、暴力に匹敵します。「飯を喰わせない」などというのは昔から糧道を断つと言って、生き物である人間にとっては暴力以外の何ものでもないでしょう。
 これに対して、過保護も、過干渉も著しい「暴言」や「暴行」は伴いません。「やさしい虐待」と呼ばれる所以でしょう。  
「過保護」は「甘い毒を与え」、自立のトレーニングを妨げる」「不作為」の虐待です。「過干渉」は「子どもの自由を奪い」、「子どもを支配する」虐待です。

3 放任の酷

「放任」は世話をしない「保護機能の放棄」に繋がります。極端な「放任」は、実質的な「養育放棄」ですから、子どもの世話をしないということです。日本の親は別名保護者と呼ばれ、まだ自立できていない子どもの「保護」を担当することを任務としています。もちろん、保護とは、何度も繰り返し説明して来たように、まだ自立できていない子どもたちに「世話」、「指示」、「授与」「受容」を与えることを基本内容とします。子どもが幼ければ、「保護」なしでは生存が危ぶまれます。極端な放任は「おまえの世話はしない」ということですから、実質は「死ね!」というに等しいことです。一人で生きることのできない子どもにとって過酷な虐待であることは自明でしょう。さしずめ「早寝、早起き、朝ご飯」など生活リズムの指導のできない親は「保護放棄」の虐待の一歩を踏み出しているのです。

4 過保護の「甘い毒」

 極端な「過保護」は、筆者が名付けた「甘い毒」になります。可愛がっているつもりの保護者や爺婆は怒るでしょうが、見ようによっては、過保護も疑いなく「不作為」の虐待です。子どもを「保護」することは、彼らの未来の自立を前提とした過渡的なプロセスです。それゆえ、あらゆる「保護」のプロセスは、自立のための訓練と組み合わせることが重要です。保護をしながら自立のトレーニングをするということです。
 子どものできないことは、世話や指示をしながら、他方では、「自分でやってごらん」、「自分で決めなさい」、という指導を組み合わせて行くのです。養育における保護は、自立への指導と応援を含んでいるのです。それゆえ、自立の指導と困難への挑戦を忘れた保護は応援にはならず、「甘い毒」になります。
 子どもは、「負荷」の大きいトレーニングより、現時点での「甘い毒」の方を好みますから、保護に当たる者が指導しない限り、楽な方を選びます。フロイドが「快楽原則」と名付けた人間の自然です。子どもに限らず人間は特別な条件がない限り「楽」な方、「快適」な方を選ぶということです。
 子どもは自分を見守ってくれる人々の厳しさに打たれ、やさしい指導に励まされて自立のトレーニングに耐えて行きます。過保護とは、自立のトレーニングを伴わない「保護のための保護」を意味しますから、不作為の虐待です。「甘い毒」はやがて子どもの全身に廻って、子どもの体力や耐性を蝕み、ほんの少しの負荷にも耐えられなくなります。保護のための保護も、一見、表面上は、子どもにやさしく見えますが、結果的に、子どもの人生の基本条件を崩壊させることになります。子どもの欲するものを与えて必要なものを与えないのは口当たりのいい「甘い毒」を与え続けるのと同じなのです。

5 所有の虐待

 所有の虐待は過干渉による虐待です。子どもを愛しているのですから、大抵の親は自分が虐待をしているなどとはつゆ思わないでしょう。しかし、子どもは真綿で首を絞められるように自由を認められないのです。
 親の愛が虐待になるか否かは、子どもの性格にもよると冒頭の「囲み」にも書きました。相対的に強い「自我」を持たない子どもは、親の愛だけを感じて、自分が常に拘束されているとは感じないかも知れません。確かに、従順な子、素直な子、反抗しない子という子どももいるのです。しかし、総体的に強い「自我」、明確な「自分」を持っている子どももいるのです。そうした子どもたちにとって、この世には、ありがたいことでも、迷惑なことは沢山あるのです。「愛」もその一つです。
 「ありがた迷惑」も「お節介」も過干渉の変態形です。失敗も成功も、前進も後退も自分で決めようとする人間には、過干渉は「余計なお世話」だということになるのです。
 しかし、相手は親切や愛や奉仕のつもりですから、自己の愛や行為が相手を拘束しているなどという意識はなく、恐らく多くの過干渉者は想像もできないのです。むしろ、いつも「なぜ思いが届かないのか」と苛立ち、もっとこまめに、もっと親切に干渉することになるのです。善意の(?)ストーカー行為を思い出させます。
 相手の親切が干渉だと思ったとき、あるいは愛が支配だと感じ、自分の自由は許されないと思ったとき、子どもも大人も、最後は、「もういい」から「放っておいて」ということになるのです。時に、子どもは親が最も干渉する学業を放棄して不登校になるのです。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 古希を過ぎて季節を刻む時計がますます早くなったように感じております。それに反比例するかのように「やりたいこと」、「やらねばならないこと」が増えて行くようにも思えます。人間の「業」の深さを感じます。先月号のスペースが足りなくなり、お礼が遅くなりました。たくさんの方々から過分の郵送・印刷費を頂戴致しました。激励を無にしないよう「回遊魚」たるべき本領を発揮してがんばります。誠にありがとうございました。
 皆様のご厚情に応え、晩学の成果を上げるべく、体操を欠かさず、読み書きを欠かさず、外に出ない日は大声で漢詩や和歌を朗誦して己の活力の維持に励んでおります。
去る、1月23日、予定より1か月遅れましたが、新刊「熟年の自分史-人生のラストメッセージを書こう」(学文社)を上梓いたしました。ご笑覧いただければ幸いでございます。

御礼-過分の印刷郵送料をありがとうございました。

福岡県宗像市 赤岩喜代子 様
福岡県岡垣町 神谷 剛 様
福岡市 菊川律子 様
北海道札幌市 水谷紀子 様
北九州市 古川雅子 様
福岡県宗像市 岡嵜八重子 様
福岡県朝倉市 手島 優 様
福岡県八女市 杉山信行 様
福岡県小郡市 樋口智鶴子 様
福岡県宗像市 大島まな 様
北九州市 小中倫子 様
福岡県宗像市 牧原房代 様
埼玉県越谷市 小河原政子 様
福岡県宗像市 賀久はつ 様
佐賀県佐賀市 紫園来未 様
北九州市 永渕美法 様
大分県日田市 安心院光義様
福岡県嘉麻市 永水正博 様
福岡県宗像市 田原敏美 様
宮崎県宮崎市 飛田 洋 様
千葉県印西市 鈴木和江 様
佐賀県佐賀市 城野眞澄 様

146号お知らせ

1 第117回生涯教育まちづくり移動フォーラムin大分(「活力・発展・安心」デザイン実践交流会:大分大会)

1 日程:2月25日(土)10:30-26(日)正午まで
2 場所/会場:会場:「梅園の里」
  (大分県国東市安岐町富清2244、TEL0978-64-6300)
3 プログラム:
基調提案:地域と共に育ち、輝く高校生 ~県立国東高校JRCの活動から~
大分県立国東高等学校

第1分科会:学校や地域活動のために子どもと地域住民を繋いだ取り組み:5事例
第2分科会:子どもの体験・交流を充実する具体的な取り組み:5事例

特別講演:無縁社会の発生源と「協働」の方法 三浦清一郎
記念講演:「協育の協働」の動向
~大分県「協育」ネットワーク協議会の設立~、中川忠宣
テーマを語ろう リレートーク/会場参加者による全体討論、ファシリテーター:岡田正彦
4 参加費:500円、宿泊費は別
5 問い合せ先:事務局:大分大学高等教育開発センター;中川忠宣(TEL/FAX097-554-6027)または東国東デザイン会議事務局 冨永六男(TEL0978-65-0396,FAX0978-65-0399)

2 第118回生涯教育まちづくり移動フォーラムin佐賀・勧興公民館

共 催 : 佐賀市勧興公民館、生涯教育実践研究交流会福岡実行委員会
後 援 : 佐賀市教育委員会、佐賀市公民館連合会
日 時 : 平成24年3月16日(金)10:00-16:00
場 所 : 佐賀市勧興公民館(佐賀市成章町3-18)
参加費 : 無 料
プログラム:
午前の部:10:00-12:00
勧興公民館主催:「かささぎ学級」(公開/午前中から参加される方々には勧興公民館が軽食を準備して下さいます。)
講義:「熟年の危機と無縁社会-カギは活動に在り」 三浦清一郎
午後の部:13:30-16:00
インタビュ―・ダイアローグ
『老いの身の一人を生きる』
健康、生きがい、ぼけ防止の態度・姿勢・心構え・実践とは何か

「お一人様の老後(上野千鶴子)」がベストセラーとなり、高齢者の結婚相談事業が「シルバーロマンス産業」としてビジネス化しました。老後の「一人暮らし」が注目を浴びるようになりました。一方で、「無縁社会」の中で孤立化し、引き蘢り、急速に老衰が進む高齢者も目立つようになりました。「孤独死」はその極限の事例です。「老いの身は 二人いてさえ、寂しいものを まして一人をどう生きる」。
今回は、「無縁社会」で一人を生きる老いの身の、健康、生きがい、ぼけ防止のための態度・姿勢・心構え・実践力とは何か、を探ります。

コーディネーター :
古市勝也さん(九州共立大教授)
登壇者 : 香田喬子さん(佐賀市在住者) 
     高木博さん(佐賀市在住者) 
     大石正人さん(太宰府在住者)
     川副孝行さん(佐賀市在住者)
     三浦清一郎さん(宗像市在住)

 ※ 勧興公民館の駐車スペースは、あまり多くないため、できるだけ公共交通機関等でお出で下さい。
問い合わせ:佐賀市勧興公民館、0952-23-6303

編集後記-蒼い空

ああこんな青空だったかと
久々に空を仰ぎます
花があるのに花が見えず
月があるのに月を忘れ
哀れ、こうもなるものか
犬たちがこんなに忠義なのに
粗相ばかりが目について
食育の原稿書きながら
茶漬けばかりを食っています。
あなたはこんなにやさしいのに
愚痴と不平を聞かせました
多忙は心を失います
多くの思いをなくします
年度末です、耳元で
狂想曲が鳴りました

 世間は勝手を許しません。がんばるだけではだめだと言う。自分流もだめだと言う。マグロだろうとADHD大人版であろうと勝手な回遊は許さない。人生に時間割があり、締め切りがあり、ADHD回遊魚の受難です。確定申告は3月15日まで、70歳の運転免許特別講習ももうすぐです。葬儀の後始末は狂気の沙汰で、義理の会議も目白押しです。「風の便り」も約束です。月に一度の宣言です。約束したでしょう。守りなさい。仕事はみんな「契約」です。「しめきり」も「でき」も問われます。正月陽気な回遊魚、終われば暗い年度末。狂想曲が響きます。今じゃ陰気なカタツムリ。追われて今日も一歩ずつ。

がんばれ がんばれ かたつむり

十日のうちに仕上げよと
追われて 歩む かたつむり
約束は約束ですから かたつむり
戻っちゃだめよ かたつむり 
前進あるのみ かたつむり
がんばれ がんばれ かたつむり
つまらなくても世の中です
がまんするのが人生です

かたつむり今日はどこまで行ったやら
日が暮れて明日はどこまで行くのやら
寒気は天に満ち満ちて
夕べの月が出ています
あなたに褒めてもらいたい
一歩ずつです かたつむり
歯を食いしばり かたつむり

「風の便り 」(第145号)

発行日:平成24年1月
発行者 三浦清一郎

詩論の試論-「言語・表現教育」批判-

1「型より入りて 型より出よ」

 上記の小見出しは世阿弥の名言です。初めは先生が教えてくれる通りの「型」を素直に習い、やがてその「型」に習熟したら、工夫を加えて「自分流の型」を創出しなさいという意味です。いろいろ理屈をこねずに、まずは過去の経験知の「型」に精通しなさいということが第1の教訓です。第2の教訓は教えられたことに精通したからと言ってその「型」だけに執着せず、自分なりに工夫せよ、ということです。能を創始した達人の世阿弥の教育論です。
 筆者は幼稚園・保育所はもとより、主流の学校教育においても、幼少年期の教育は、言語教育からしつけに至るまで、受け継がれて来た「型」から入り徐々に本人の理解や思考や試行を導いて行くべきであると考えています。

2 「型」教育の基本内容-現代の欠損体験

 「型」で教えるべき基本内容は「礼節」、「労働」、「がまん」、「言語」です。現代の幼少年期のしつけや教育に欠損しているのもこれら4つの体験です。義務教育学校の基本任務は「欠損体験」を補完して個人差を最少にするよう努めることです。

(1) 礼節

 まず、「礼節」は人間関係の「型」です。自分を取り巻く人々への挨拶から家の内外での立ち居振る舞いに至るまで、礼節なしに集団生活は成り立ちません。オ・ア・シ・ス運動も小さな親切運動もそのささやかな一例です。

(2) 労働

 お手伝いや応分の「労働」は共同生活を成り立たせる基本の「型」です。日々の暮らしでは、誰かが食事の支度を整え、誰かが汚れた皿も衣類も洗わねばなりません。子どもをあたかも「客」の如く遇して、労働や共同を教えないことは、将来の共同生活・集団生活に鑑みてあり得ないのです。

(3) 耐性

「がまん」や「忍耐」を教えることは「この世はおまえの思ったようにはならない」ということを教えることが目的です。「がまんすること」は他者に対する礼儀のもとであると同時に、将来の自分を守る基本の能力です。人間の欲望は無限で、人間を取り巻く資源は有限です。それゆえ、人生は思い通りにはなりません。
 幼少期から人生の「有限」性と「ままならぬ」浮き世に慣れておかない限り、子どもに困難に対する「免疫」はできません。思い通りにならない幼少期の不満や挫折や失敗に堪えられなければ、先行き子どもの困難は増すばかりになります。自分が置かれた状況に我慢さえできれば、小さな困難は困難でなくなるのです。

(4) 言語・表現教育

 最後に、「言語」はあらゆる文化のコミュニケーションの「型」です。言語表現は「文型」と言われるように単語や短い文章を組み合わせて成り立っています。もちろん、私たちは言語なしにあらゆる思想も感情も他者に伝えることはできず、自分でものを考えることも出来ません。言語を使う能力は様々な動物の能力の中で人間に特有の能力なのです。イルカやチンパンジーも相互のコミュニケーションを行なうということが知られて来ましたが、彼らもまだ言語と呼べるようなコミュニケーションの型は持つに至ってはいないのです。言語教育は、「ヒト」をより確かな人間にするための重要な教育なのです。然るに、現代っ子の多くが、「単語人間」などと呼ばれるのは、思考や感情の伝達がきちんとできないということです。若い世代が言語による表現能力を十分に身に付けていないということは社会や国家の発展にとって由々しきことなのです。
 日常の家庭生活の中で保護者から学ぶことのできる言語には通常一定の限界があります。「日常性」という限界です。そのためいつの時代も、どこの国でも、言葉の教育は教育の専門機関たる学校の役目なのです。

3 表現教育は文型モデル教育

 日本では、戦後の学校教育が表現の「文型」を丸ごと教えることを「詰め込み教育」と呼んで否定し、表現モデルを体得させることに失敗して来ました。
 どう考えても、子どもの論理や理解力を超えた言語表現を教えるためには「文型」を丸暗記させなければなりません。表現教育は優れた文型モデルを丸暗記することである、と言っても過言ではありません。分からせてから教えるということは、分かりようのない子どもにとって順序が逆なのです。十分な意味を理解させずに「丸暗記」させることは、「詰め込み」であると批判することは、子どもに意味を理解させることができる、という前提に立っています。しかし、その前提は間違っていないでしょうか。どうして人生を知らない発展途上の子どもに、世界の天才である芭蕉や杜甫の言語表現が理解できるでしょうか。理解が先であると言ってしまったら、未熟な子どもに芭蕉も杜甫も教えられるはずはないのです。彼らにできる事は覚えることだけです。

4 教育の適時性

 幼少期の表現教育は基本的に「憶えさせる」ことを中心とした暗誦・記憶教育です。しかも、重要なことは、子ども時代だけがスポンジのように言語表現の型を頭脳が吸収できるのです。子ども時代に覚えさせておかなければ、読者の皆さんの年齢になってからでは学んでも中々覚えられないのです。言語表現に限ったことではないでしょうが、教育には「適時性」という「タイミング」の問題があります。それを逃すと、「臨界期」と言って習得が困難になるのです。人間社会から何らかの理由で遠ざけられた子どもがふたたび正常な人間として成長できるか、否かも幼少年期のどこかに発達上の「臨界期」があると考えられています。「狼に育てられた子」の「カマーラ」は16歳まで生きましたが、結局、通常の発達を遂げることができませんでした。彼女の場合もオオカミの巣穴で大事な発達上の「臨界期」が過ぎてしまったのではないでしょうか。 
 言語表現教育における「詰込み」批判は、さも子どもの側の視点に立ったかのような「錯覚」を日本人に与え続けました。しかし、詰め込むべき時に、きちんと詰め込んでもらえなかった子どもの不幸に思いを致したことがあるでしょうか?詰込み教育として批判した教師たちは自分たちがどれほど子どもの表現能力を奪う結果になったかという事実に気付いているでしょうか。子どもの頭脳が吸収できる適切な時期に言語の型を丸ごと教えて来なかった戦後教育のゆえに、日本は一貫して子どもの言葉の教育に失敗し、子どもの表現能力を奪って来たのです。現代の青少年の稚拙で未熟な表現は、基本的に学校が負うべき責任なのです。

5 言語習得法の特性

 言語は文法も使い方も分からないままに覚えることが最大の特徴です。そのプロセスは幼児の言語習得過程を見れば一目瞭然です。どの国の言葉の習得も「反復練習・丸ごと記憶」が基本です。
 なぜそれぞれの事物に一定の名前がついているかは、子どもが後になって理解すべきものです。なぜ、それぞれの状況を説明するのに一定の表現が使われるのかも、後から分かって来ることです。言語は「型」が先行し、なぜそういう言い方をするかは後で勉強するのです。言語は、覚えてから意味が分かり、使ってから使い方の原理が分かるようになるのです。言語こそ理屈抜きに「型」から学ぶべき学習法の典型と言っていいでしょう。
 幼児を見ていれば明らかなように、言葉の習得は、彼らの理解を超えた無条件の「反復」と「練習」の賜物です。子どもは決められた通りにネコをネコと呼び、犬を犬と呼びます。犬は日本語で「わんわん」と吠え、英語では「bow・wow」と吠えます。もちろん、日本語は日本語流に教え、英語は英語流に教えます。子どもが分かろうと分かるまいと型通りに教えるから「型」なのです。子どもがやりたかろうとやりたくなかろうと文化や教育の名の下に、社会は半強制的に子どもに言語の反復と練習を要求します。言語学習は文字通り「型」の学習なのです。
 日本人は和服の型を崩さないための「しつけ糸」になぞらえて「型の教育」を「しつけ」と呼びました。言語教育こそが子どもの自侭や自由を認めない「しつけ」の典型なのです。原則として「学ぶは真似ぶ」なのです。しかし、戦後教育は、子どもに「覚えさせること」より、子どもが「分かること」を重視し、「型」を反復して「学ばせる」前に「意味付け」や「理解」や「納得」を教えようとしました。時間とエネルギーを浪費する何と愚かなことだったでしょう。
 一方で、「型の強調と半強制」は、考えることを許さない非教育的・反教育的な「詰め込み」法として忌避されたのです。「理解させたつもり」の「つもり教育」に膨大な時間と労力を費やし、しかも多くの子どもが理解も使用能力も身につけなかったことは、現代っ子の貧弱なコミュニケーション能力を見れば一目瞭然でしょう。戦後の日本は言語教育の根本を間違えたのです。一歩踏み込んで言えば、「詰め込み」法だけが子どもの言語・表現能力を豊かにする最も簡単で効果的な方法であることを忘れたのです。

6 表現の「体得」-暗誦と朗唱

 暗誦も朗唱もすぐれた文型を選んで「丸暗記」することです。文字通り、すぐれた言語表現を「型通り」に体得することです。もちろん、上記の通り、戦後教育では「型」から入ることは極めて不評でしたから、子どもの理解や同意を得ずに「詰め込む」ことはしませんでした。「詰込み教育」は戦前の教育を酷評する理由の典型でした。そのうちでも一番評判の悪かったものの一つが暗誦と朗唱ではなかったでしょうか。
 筆者は幸運にも両方を大事にする先生方に出会い、暗誦と朗唱を褒めてくれる保護者のもとで育ちました。言語の機能は意味や文法や論理だけに代表されるものではありません。詩歌が典型ですが、言語にはリズムがあり、音韻があり、意味や論理を伝えるだけでなく、感情や情緒を伝える機能があります。
 言語の機能が、意味と文法と論理だけであれば暗誦や朗唱をしなくても、何とか基本の文型はものにできるでしょうが、人間のコミュニケーションは意味と論理だけでできているものではありません。
 伝えるべき意志の強弱、思いの明暗、感情のひだや裏表、情緒の深浅などを抜きにしたコミュニケーションでは多くの場合、人間相互のコミュニケーションは成立しません。
 まして、文学や詩歌のセンスは丸ごと覚え、丸ごと味わって見なければ分かるようにはならないでしょう。古今東西、感情表現に関する優れた文型は山ほどあり、子どもにとっては、汲んでも尽きない泉のような豊な恵みなのです。

7 人間の知性

 人間の「知性」はふつう「理性」と「想像性」に分けられます。理性は論理性と置き換えても間違いではないでしょう。理性も論理性も自然や現実を分類したり、論理を組み合わせたり、事象の性質を分析したりする能力を指します。しかし、人間の知性は、同時に、自然や現実にはないものを想像したり、夢見たり、あこがれたりすることができます。それが想像性です。想像するとは自然や現実のままではあり得ないことを創り出すということです。それゆえ、想像性は論理や現実を越えます。人間の知性は、自然や現実のあり方を関係づける働きと自然や現実にはない関係を創り出す働きの両方を備えているということです。
 大きく分けて、前者はふつう科学と呼ばれ、後者は芸術と呼ばれます。芸術と言っても本論の興味は言語表現の習得にあるので、音楽や絵画・彫刻などを論じるつもりも資格もありません。ただ、子どもに言葉を教える時には、論理性に基づく事実の科学的(客観的)認識と想像性に基づく事物の芸術的認識の二つが同時に存在するということを考えることが重要ではないかと考えています。科学も芸術も共に同じ「認識」という言葉を使いましたが、科学的認識は主として理性に則り、芸術的認識は主として想像性に則っているということです。もちろん、両者は二つが合わさって人間の「知性」を形成するものですから、理性と想像性はどこかで交錯するところもあると想像しています。「鳥のように飛べたらなあ!」、という想像上のあこがれが飛行機の発明に繋がったと考えることは決して不自然ではないでしょう。
 使い古された事例ですが、「氷が溶ければ」「水になり」、同時に、「春にもなる」のです。「氷が溶ける」のは「温度」の問題ですから、科学的には、温度が上がった結果、氷が「水になる」ということは論理的にその時点で完結するでしょう。
 しかし、「春になる」という理解の方は「もうすぐあの人に逢える」に繋がるのかも知れません。斯くして「根雪も溶けりゃ」「もうすぐ春だで」「畑も待ってるよ」(「かあさんのうた」)という歌の文句になるのです。
 このような表現が優れた詩的表現であるか、どうかは別として雪国の人々が待望する春を「根雪の氷解」と連結するか、「コブシ咲くあの丘」(「北国の春」)と連結するかは詩を書く側の選択になります。春の到来を何をもって証明するかは科学ですが、どのような言語をもって感情や思いを表現するかが詩歌(言語の芸術的表現)です。藤村は氷雪の溶けた早春の信濃を「千曲川柳かすみて、春浅く水流れたり」と表現し、蕪村は「歩む歩むもの思う春の行方かな」と詠みました。「藤村の春」も「蕪村の春」も感じるものであって、科学をもって「両者の春」を分析しても恐らくは詰まらぬものになるでしょう。西脇順三郎は詩歌の想像とは、「新しい関係を発見することであり」、詩歌の快感もまた「新しい関係を発見する」ことから来ると要約しています(*1-p11)。彼の言う「発見する」とは、もちろん想像力を駆使して「創作する」ことを意味しています(*1-p.15)。
 千曲川の春は藤村によって発見され、憂愁の春は蕪村によって新しい見方が語られたと言っていいのかもしれません。

(*1) 西脇順三郎、詩学、筑摩書房、1969年

8 感情表現とは何か

 人間の感情も情緒も感じるものであって理解するだけのものではありません。感情や情緒を表現した詩歌は一つの意識ですが、その意識は言語表現を伴って、人間に快感を与えなければ優れた文学にはなりません。ある種の言語表現によってどうして快感は起きるのでしょうか?人間はある言葉の組み合わせによってどうして感情が動くのでしょうか?
 ところで感情や情緒を表現した詩歌は人に何事か感じさせるものといいますが、何を感じさせるのでしょうか?西脇の言う「新しい関係」とは何を創り出すのでしょうか?西脇は、詩歌は「自然や現実を超越して想像する」と言い、「自然や現実の通常の関係を断ち切って二つのかけ離れたものを連結する」とも言っています(*1-p.19)。筆者の想像による自然や現実の描写が、西脇の言う「自然や現実を超越する」ということになるかどうかは分かりませんが、詠み手に訴えることができれば、詩歌になるのです。
 また、「書き手」の想像力が自然や現実から乖離して、実人生と全く関係がなくなった時、シュールリアリズム:「超現実主義」が生まれるのでしょう。超現実主義的に想像した結果が、人々の感情を揺れ動かし、感動を呼べば、それもまた「新しい関係」を創造したのであると認めなければならないでしょう。

9 詩歌表現は事物の見方を提示します

 私の印象深い表現をいくつか思いつくままに列挙してみると次のようなものがあります。
 俳句の形式を崩した自由律俳句は俳句の中に新しい表現の関係を創り出した山頭火のような俳人を生みました。
 「分け入っても 分け入っても 青い山」は、日本のいたるところに事実として存在しました。旅人は何百年もその風景を見て来た筈です。しかし、山頭火がそこだけを切り取って提示するまでは誰もこの風景を詩歌にすることはできなかったのです。今、私たちは山頭火のおかげで、あらゆる山道に詩情を感じることができるのです。それが優れた言葉であり、芸術的な表現なのです。まさしく、自然は芸術を模倣し(オスカー・ワイルド)、山頭火の詩心によってありふれた自然の森の道は、分け入っても分け入っても尽きない「時の山、人生の山、寂寥の山、芸術探求の山」として我々の前にその姿を現したのです。
 何年か前の「芭蕉忌」の優秀句は「帰省子を風になるまで見送りぬ」でした。この一句によって小生の「風」に対する感情に新しい視点が加わりました。母は切ない、帰省子も切ない、一条の「風」が切なく、別れが限りなく切ないのです。
 我が亡き父も大学に帰る私が遠い道の角を曲がるまで店先にたって見送ってくれたものでした。最後に振り返ってもまだ立っていてくれました。時が過ぎてもまだその立ち姿が目に浮かびます。
 中原中也は「帰郷」の中で、「草があどけないいやいやをし」、「おまえは何をしにきたのか、と吹き来る風が私に言う」と歌いました。草や風と話のできた詩人なのでしょう。風は過ぎ去り、吹き過ぎて二度と戻らず、まさに、人生の一瞬と重なるのです。別れが切ない、生きていることが切ない、と思わせ、また新しい季節が巡ってくれば、「風立ちぬ、いざ、生きめやも」とも思わせるのです。「風の魔法」ですが、大元は「言葉の魔法」なのです。

10 芸術的表現は意欲や感情を喚起し、新しい視点を創出し、未知の思いに気付かせます

 言葉をつないだ想像力が、西脇の言う「新しい関係」を提示した時、私たちは「無限」や「永遠」、時に「哀愁」や「悲哀」、また時に「未知」や「神秘」、更には時に「希望」や「ゆめ」、「苦悩」や「絶望」など人生に起こりうる事件の感情をより深く感じます。それが詩的表現であり、詩的体験です。
 これらの文型がもたらす情感は「感じる」ものであって、「理解する」だけのものではありません。それゆえ、論理によって分からせることは極めて困難であり、多くの場合、不可能なことです。
 詩歌の表現は、丸ごと覚えていて、人生の実体験がそうした文言と交差して、出会う時を待つしかありません。言語の芸術性を会得・鑑賞する特定の方法はないのです。それゆえ、子どもの実体験が欠けていれば、いくら表現上の言葉を習っても、言葉の詩情と出会うことは難しくなります。逆に、いろいろな体験があったとしても、子どもの側が、先人が創り出した言語表現を丸ごと覚えていなければ、本人の体験によって、感情や想像力が掻き立てられることもないでしょう。
 現代日本の幼少年教育は、体験が不足している上に、言葉を丸ごと覚えさせる教育もしていません。子どもたちの感情や情緒が枯渇して行くのは当然のことなのです。

9 言語表現における「教育的時差」

 筆者は幸運でした。我が先生方は音読や暗誦を奨励しました。父もそうでした。後になって分かることですが、人生の体験を積んで行くプロセスで、少年期に覚えた詩歌の文言が人生の見方を教えてくれるのです。「時に感じては花にも涙をそそぎ・・」(春望、杜甫)は、その「時」が来るまでは分からないものです。子どもの頃に習い覚えた言語表現の意味は、時を経て、自分が覚えていた表現にマッチする情景や事実に出会って初めて自分なりに「腑に落ちる」のです。多くの場合、「習い覚える時」と習い覚えた表現の意味を「感じる時」の間には人生の時間の落差があるのです。それが言語教育における「教育的時差」です。習った時と分かる時は往々にして違うのです。

10 春秋の月、人生の出会い

 筆者が明確に意識した月は異国の月でした。心細く、切ない望郷の月でした。李白の「静夜思」は筆者に月の見方を教えてくれたように思います。漢文の時間に覚えなさいと言われたから覚えたのですが、習った時には「文字通り」の意味しか分かりません。しかし、後に、仕事をするようになって多くの異国の月を見ました。故郷を離れて見る月は、どの国の月も「頭を垂れて故郷を思う」風情でした。「静夜思」は学校の授業の暗誦詩です。試験に出るから必死で覚えただけでしたが、今では「頭をあげて山月をのぞみ」と口に出ます。
 百人一首の中の「月見れば千々にものこそ悲しけれ 我が身一つの秋にはあらねど(大江千里、古今集)」も月や秋の見方を習った一つです。みんなに平等に来る秋だけれど、自分には何故にかくも切ないのか、という心境は「我が身が為すべきことに追いつかない時」、「頑張っても、頑張ってもがんばり足りない時」にいつも思います。
 また、春のことは萩原朔太郎が解説する蕪村の句に習いました。
遅き日のつもりて遠き昔かな
春の暮れ家路に遠き人ばかり
 萩原朔太郎は次のように言っています。
 『こうした春の日の光りの下で、人間の心に湧いて来るこの不思議な悩み、憧れ、寂しさ、捉えようもない孤独感は何だろうか。蕪村はこの悲哀を感ずることで、何人よりも深刻であり、他の全ての俳人等より、ずっと感じ易い詩人であった(*2)』
 また、小学校で習った「朧月夜」は曲も見事ですが、作詞が特に見事だと思います。信濃の人、高野辰之は2番の歌詞に「蛙のなく音(ね)も鐘の音(おと)も、さながら霞みて朧月夜」と歌いました。「音」の語感を使い分け、風景も長閑に霞んで夢の世界に浮遊するようです。この歌を知らなければ「朧月夜」の無限や平安を知らないで生きたことでしょう。ここでもまさに自然は芸術を模倣するのです。
 人恋しさについては、啄木や百人一首の藤原敦忠に習ったような気がします。
「別れ来て 年を重ねて 年ごとに 恋しくなれる君にしあるかな」(啄木)
「逢ひみての 後の心にくらぶれば 昔はものを おもわざりけり( 権中納言敦忠)」。
 人生の事件に遭うたびに「思い」の「深さ」が変わって来ることはあるものです。古希を過ぎて若かった日々を振り返ってみると、まさに「昔はものを思わざりけり」でした。
 そして時間のことは、萩原朔太郎自身が、「漂白者の歌」の中で、人生の漂白を「過去より来たりて未来を過ぎ久遠の郷愁を追い行くもの」と歌っています(*3)70年を生きてまさに夢のようです。これからも久遠の郷愁を追って行くのでしょう。

(*2)萩原朔太郎、郷愁の詩人与謝蕪村、新潮社、昭和26年、p.22-23
(*3)萩原朔太郎、「漂白者の歌」、伊藤信吉編、現代名詩選(中)、p.45

「体験原理主義」の有効性
-第115回生涯教育まちづくりフォーラムin広島-

 第115回生涯教育まちづくりフォーラムin広島 は、初めての試みにも関わらず旧大野町のビッグフィールド大野隊の子どもたちとその見守り隊の活躍で手応えのある「学び」をもたらすことに成功しました。山口のVolovoloの会からはたくさんの皆様の応援をいただきました。お礼申し上げます。
 成功の手応えとは、参加者の多くが「その気になった」ということです。それらは筆者及び関係者に届いた感想やお礼の便りが証明していると思います。
 大会はもちろん終始、手づくりにこだわり、子どもたちの実質的な「運営参加」にこだわりました。企画者の川田、正留の両氏からご相談を受けた段階で、筆者には現代の子どもを事実上の運営に巻き込むのは無理だと感じ、率直にそう申し上げました。子どもの「人権」や「個性」や「主体性」を子どもの「欲求」と等値し、さももっともらしく教育的言辞をもって「子どもの目線」に立つことを要求する現代教育においては、大人が想定する真っ当な鍛錬はできないだろうと想像したからです。「鍛錬」とは、社会の目線に立つことであり、大人の想定が問われることです。それゆえ、「鍛錬」の前に「子どもの欲求を尊重する思想」が立ちはだかっている以上、子どもたちにがまんを強いて、困難を突破させようとする指導はほぼ困難だからです。
 しかし、心配は杞憂に終わりました。この間、ビッグフィールド大野隊の規範と行動力を鍛錬して来られた正留、川田の両氏の「理屈」は「実行」によって証明されました。現代の教育論に毒された学校関係者が噛んでいなかったことが幸いしたとも思えます。両氏の発想は、「体験原理主義」とでも呼ぶべき「実践一途」の頑固さですが、子どもたちに対するトレーニングはその有効性を見事に証明したと思います。余程、指導力のある、しかも、強権的な校長を擁しない限り、学校でもあそこまで子どもに大人の事業の運営に参画させ、請け負わせることは難しいでしょう。
 まして、現代の過保護な保護者が見守る中の地域活動がどれくらい難しいか想像に難くありません。見守り隊の保護者の皆さんの度量と覚悟もまたお見事という外はありませんでした。子どもの実力を現場で発揮させ得たことで、保護者はもとより我々外部からの参加者をも納得させたことは、ビッグフィールド大野隊における「体験原理主義」の勝利だったと思います。

1 情報で子どもは変えられない!

 現代は情報環境の時代です。溢れるばかりの情報が子どもを取り巻いています。しかし、人間が肉体で存する以上、言語や映像や疑似環境が人間自身に教えられることには限界があります。とりわけ、幼少年教育には直接体験が不可欠です。熟年世代が今日を築いて来ましたが、熟年世代を鍛えた基本は、「貧乏」と「不便」がもたらした直接体験の積み重ねです。情報や読書や説教ではありません。
 幼保機関や小学校は読書や授業の一部を捨てて、「体験教育」に戻るべきです。労働の汗も、鍛錬の汗も知らない子どもに「したたる汗」の読書をさせたところで言葉を覚えるに過ぎないのです。失敗も挫折も知らない子どもに「きりきりと身を刺すような痛みや口惜しさ」が身をもって分かる道理はないのです。
 ビッグフィールド大野隊の正留律雄さんと川田裕子さんは「体験原理主義者」とでも呼ぶべき頑固者でした。最後まで、子どもが主役として一切の準備に関わる「生涯教育まちづくり移動フォーラムin広島」を主張し、成功させました。驚くべき我慢強さと体験教育に対する強烈な信念と言うべきでしょう。
 前号でも書きましたが、 自分を鍛えず、他者を大事にしようとしない人間にとって、読書や説諭は物知りや口達者を育てるだけに終ります。子どもの読書の大部分はそんなものです。情報環境を整え、間接体験を豊かにすることが教育であるかの如く勘違いすれば、知識を与えることはできても、共感や共存のできる子どもを育てることはできません。
 本人の体験と連動させない限り、読み聞かせや読書が子どもの「豊かな心」を育てるというのも99パーセントはまやかしの幻想です。人権作文教育などはその最たる事例でしょう。莫大な金と時間と労力をかけて、形ばかりの人権情報教育をする一方で、「いじめ」で何人の子どもが死んだり泣いたりしたことでしょう。教育行政も、学校も愚かとしか言いようがありません。人権教育とは、社会的に不利な条件に置かれた人々のために「働かせる」ことです。それで初めて、自分の権利にも、人の権利にも気付くでしょう。
 原理的に、万巻の書も一つの直接体験を越えることはできないのが人間の本質です。人間は「個体」で生きているからです。誰もあなたに代わって生きることはできないのです。やったことのないことはできないのです。何度でも言いますが、「人の痛いのなら三年でもがまんできる」のです。その意味で東日本大震災以来、昨今はやりの「絆」教育もインチキです。特に、仲間と一緒に辛い困難な体験を乗り越えたことのない子どもに教えている「絆」はほとんど意味のないインチキです。

2 認識と実践の間にはほぼ「無限」の距離があります

 大野の子どもはよく声が出ていました。声を出す練習を反復したに相違ありません。お辞儀も挨拶も、室内への出入りも、茶のサービスも、受け付けも、受け答えも、整列の仕方も「型通り」にできていました。JR西日本の新幹線の「車掌」さんに匹敵するくらいでした。これも反復の賜物でしょう。おみやげにいただいた漬け物も良くできていました。経験者の知恵に従って作ったに相違ありません。
 筆者は、ぶっつけ本番で、お茶のもてなしを担当していた5年生の真希ちゃんと菜津希ちゃんに舞台に上がって、「会場参加型インタビュー・アンケート」法のタイムキーパーをお願いしてみました。二人はためらいなく引き受け、見事に要請に応えてくれました。
 多少は「やだぁ!」、「だって!」、「できない!」、「きつい!」、「急に言われたって!」ぐらいの「ぐずり」は想定していましたが、打ち合せは、「どうすればいいのですか」、「わかりました」で終わりました。
 二人の態度はビッグフィールド大野隊の「体験主義」トレーニングを「象徴」していたと言うべきでしょう。実践の場数を踏んで来ているので、挑戦の精神があり、「安易を振り捨てる冒険心」があり、「なすべきこと」への想像力が働くのです。子どもには社会が必要とする実践的課題を与えて下さい。子どもは、実践の中で何が大事で何が必要かを悟る筈です。自分の無力も知る筈です。認識と実践の間にはほぼ「無限」の距離があるのです。知識だけで実践ができるはずはないのです。

3 書物は第3者の間接的記録、時に「空論」

 もちろん、行動や実践が必要とする知識は教室や読書の中から得られます。知識も書物も、過去の実践者が残した実践の過程を記録したものだからです。しかし、それらは第3者の体験の間接的な記録です。昨今では、体験していない者までがたくさん空虚な本を出版できるようになりました。それゆえ、「空論」と「本物」を見分ける目も必要になります。どう考えても、子どもに「本物」を識別する能力を期待する方が無理というものです。
 したがって、実践の目的と動機を有しない状況での情報の提供は、「物知り」をつくるだけに終るでしょう。どんなに授業の上手な先生でも、どんなに豊かな情報環境でも、知識や情報だけで子どもを変えることはできないのです。文科省の政策や現代の学校教育が最も無知なところを「ビッグフィールド大野隊」は実践をもって批判的に証明してみせたのです。お見事でした!!

国際結婚の社会学
原理主義者と便宜主義者(オポチュニスト)の結婚
-違いを「楽しむ」、違いに「なじむ」-

「馴染む」とは「擦り合わせ」と「馴れ合い」のことです。文化的には、主義、主張、慣習の「角」を取り、妥協点を見出すことです。工学的には、機械の部品等を文字通り擦り合せて、両者の「凹凸」をなくし、「部品」の接続や組み合わせの誤差を最少限にする方法です。実際に、部品と部品を擦り合わせて行くと目に見えない誤差や隙間が相互に擦り減って密着した製品が出来上がることが経験上知られています。
 国際結婚は、製品の製作過程とは違いますが、違いに「なじむ」というところは共通しています。また、機械に「遊び」の部分が残るように、結婚にも「隙間」が残ります。国際結婚の隙間は大きいので、一方で、機械工と同じように「擦り合わせ」をやりながら、他方では、寛容に違いを楽しむ精神が不可欠になります。

1 一神教文化と多神教文化の結婚

 人間を原理主義者と便宜主義者(オポチュニスト)に大別すると、妻は原理主義者で私は便宜主義者でした。オポチュニストには「日和見」というマイナスのイメージもありますが,それも含めて自分は便宜主義者だと思っています。一神教を信じる人々は概ね「教義」を重んじる原理主義者で、日本人のような八百万の神を頂いて、状況次第で神や仏を使い分け、疑問を感じないような多神教文化の人間は便宜主義者と呼んでいいでしょう。その意味で私たちの結婚は、一神教文化と多神教文化の結婚でした。一概には言えませんが、日本人の国際結婚はそういうケースが多くなるような気がします。自然崇拝を含め、日本ほど自己都合で神や仏を使い分ける文化も珍しいからです。

2 原理主義者とは誰か

 原理主義者は、原則を「忘れない」ことが原則です。行動にも態度にも、正義や美学の基準が明確にあります。日本人の私にも、もちろん、行動の基準はあるのですが、私に比べれば、アメリカ人の妻の方が「より明確に」あるといった方が正確かも知れません。それが一神の教義を信じ、お互いの約束を重んじる契約社会のあり方なのでしょう。神との約束が優先され、人との約束は、神との約束が人間世界に降りて来た「系」になります。私の場合は、どちらかというと「人との約束」が「神仏との約束」より優先します。お世話になった恩は、「恩返し」や「恩送り」の義理として自分の行動を縛ります。妻にも現象的に恩返しに似たような行動はありましたが、それはどちらかと言うと「義理」よりも「借り」の感覚に近かったでしょうか。「借り」は返せば契約上は解消します。「義理」は忘れることを許されません。それ故、「義理堅い」は日本人の美得になり、「恩知らず」は最悪の日本人評価になります。
 逆に、原理主義者にとっては、被った恥辱や個人的な被害は「貸し」の感覚に近く、「貸し」を回収しないままに、胸のうちの契約書を簡単に水に流すことは苦手のようです。一方、日本人の私は、恥辱や被害を「巡り逢わせ」が悪かったのだと「便宜的に」考えようとします。それゆえ、だんだん仕方がないと、思うようになり、時間の経過の中で、現実と状況に即して、「水に流して」忘れてしまいたいと思案します。出来事を「運」のせいにして、ただ「忘れてしまえばいい」という態度は、いい加減で、原則がないと言われる所以でしょう。もちろん、私にだって、不幸の原因も、恥辱を与えた嫌な奴のことも分かっているのですが、そういう人々と出会ったことがそもそも「巡り逢わせ」が悪いと考えたいのです。過ぎてしまった「巡り逢わせ」を変えることはできないのです。
 妻に比べれば、私は、大抵のことは、特別に意識もせずに、時間の経過の中で、曖昧に忘れてしまうことが多かったことは事実です。寛容で、あっさりしているとも言えますが、過ぎたことはどうでも良くなって忘れてしまうのですから、「いい加減」だと言われても仕方がないでしょう。

3 「忘れること」は罪!?

 もちろん、日本人の中にも、原理主義的に生きている人はいます。「忘れること」を「罪」だと考える人がいることは百も承知です。しかし、自然災害の事故でも、犯罪でも、戦争でも、原爆ですら、「忘れるべきではない」、「風化させるな」と声高に言っている人をみると、やはり日本人の多くは相対的に忘れっぽいのでしょう。もう、元に戻らない以上、辛い過去や厳しい原理・原則を忘れて生きることは生き易いのです。「忘れたり」、「水に流したり」するのは、私のような日本人のサバイバルの手法なのです。八百万の神様がいる以上、その内の誰かが許してくれるのです。神様の使い分けは私のような日本人の特技です。いつまでも過去を悔やんで生きていたら、胃に穴があいてしまいます。
 忘れることさえできれば、欧米の帝国主義が企んだABCD包囲網も、世界で最初の原爆被害も、無条件降伏の恥辱も水に流して、スキムミルクやフルブライト奨学金の恩を忘れないで、アメリカに学び、アメリカが好きになり、アメリカ人の女性と結婚できるのです。
 原則を重んじ、基準で生きている人にとって、忘れることは「いい加減」に近いとすれば、「過ぎたことですから」というのは、不愉快な曖昧主義者ということになるのでしょう。

4 「忘れること」と「忘れたことにすること」

 自分の経験上、人生の不幸は忘れた方が生き易いことは間違いないようです。過去をご破算にして出直すことは、個人にとっても、日本にとっても良かったのではないでしょうか。基準と原則に縛られ、借りも怒りも恨みも忘れずに生きるのでは、ストレスが大きく、気持ちを入れ替えて前進するのが大変です。
 私は、浮き世に辛いことや思い通りにならぬことがいろいろあるけれど、生きるのに障碍になるものは出来るだけ早く「忘れる」か「無視する」ことにして来ました。ところが、妻は原理を忘れて生きることは不快に思うらしいのです。現象的には、妻も「過去に囚われない」で、前向きに生きることを勧めますが、それが「意識的」であるところが彼女の原則の一つなのです。「忘れてしまうこと」と「過去にとらわれないことを自分に命じて生きる」ことは違うのです。私は、事実「忘れてしまっている」のに、妻は、忘れていないのに「忘れることにしている」からです。
 私は、文化的に異なる二人を馴染ませるために、、原理・原則が日常生活に余り大きな摩擦を生まない限り、妻の基準を受入れるようにしてきました。しかし、「原理の貫徹」とそのことによって生じる「摩擦の回避」のどちらを取るかと言われれば、恐らく十中八九後者を選ぶことになるだろうと思います。
 「まあ、いいじゃないか、ちょっとぐらいずれていても!」が生活態度です。
 したがって、理念にすがって行為を貫徹するよりは、状況にしたがって自分の生き方を変えるわけです。原理的・本質的に己の考えと違っていても、状況に合わせるのは「便宜主義者(オポチュニスト)」なのです。少なくとも私のような日本人は、それほど理念や原理にこだわって生きて来なかったということでしょう。日本の歴史の中に、例外的に存在した特定の宗教活動以外、理念や思想に殉じる「殉教」というのが余りなかったということも歴史の傍証ではないでしょうか?

4 日本人のための「認知的不協和」の理論

 「認知的不協和」の理論は、L.フェスティンガーの研究ですが、筆者のような日本人のための理論です。フェスティンガーは、「やりたくてもやれない」、「やりたくなくてもやらざるを得ない」心理的な葛藤状態を「認知的不協和」と呼びま

した。状況と自分の生き方が対立したと
き、多くの人は「不協和」を解消するため状況の評価や解釈を変えると指摘しました。「状況」を変えることが難しい場合には、自分の考え方の方を変えるのです。

「状況」は変え難く、「自分」は変え易いからです。自分の力で「変えること」が難しい「状況」を、「変えなければならない」と思い続けるのは、大変な苦痛です。この「苦痛」から「解放」されるためには、「変えなくていいんだ」という理由を発明して自分を納得させることが重要です。自分の考えさえ変えることができれば、状況は同じでもいいのです。
 家が歪んだら、原理的には、家の歪みを直すことが基本ですが、我々は障子や雨戸の方を削って当座の間に合わせます。「家」は状況で、「障子や雨戸」は自分です。
 跳んでも、跳んでも目標の葡萄に届かなかったイソップの狐は、「あれは酸っぱ
い葡萄だった」と自分に言い聞かせるほかはなかったのです。「欲しいのに」、「跳んでも、跳んでも届かない」というジレンマを打開するには、葡萄に価値がないことを認めればいいのです。
 日本人は,イソップの狐と同じようにあの戦争に価値はなかったと思い直すことで己の「認知的不協和」を解消したのだと思います。
 余り厳しい原理・原則を自分に課していない日本人はそうした「適応」が迅速にできるのです。そうでなければ、ほぼ一億の総人口が「鬼畜米英」を叫び、好戦的な提灯行列をしていたのに、1-2年後に平和と民主主義を唱える国民になれる筈はないでしょう。我が一族にも犠牲者がいるので、犠牲者にも、その家族にも申し訳のない分析ですが、もし日本が戦争に勝っていたら、世界はどれくらい迷惑したことでしょう。一度、冷静に考えてみてもいいのではないでしょうか。誰にも言ったことはないのですが,恐らく、日本の軍国主義は続き、他国の侵略、併合、弾圧は続き、日本人の優越意識は増長し、日本文化を他国に強要し、人種差別、植民地化・属国化など、すべて現代の国際信義に反する悪行を重ね、旧ソ連以上の一国・帝国主義政策を取ることになったのではないでしょうか?
 先生方も教え子を戦場に送ったことの反省と後悔は立派だったですが、同時に、一夜で平和主義者に変貌した自分を分析する必要はなかったでしょうか?もちろん、私は、自分を含め、便宜主義者を非難しているわけではなく、むしろ弁護しているのです。原理原則に拘らないで、一夜で平和主義者になったことで、日本は、イスラエルとパレスチナのような原理主義戦争から免れているのだと思います。敗戦まで敵であり、原爆まで落したアメリカと手を汲んで、いち早く経済を復興させ、国力も,日本人としての誇りも取り戻し、アジアや世界の国々にそれなりの謝罪をし、援助を惜しまなかったのは日本人が便宜主義者だったからなのです。
 自己否定と自虐的な歴史観に対する批判の多いことは知っていますが、日本人の多くは、がんばっても届かなかった過去を、イソップの狐と同じように「酸っぱい葡萄」だと思うことにしたのだと思います。

145号お知らせ
* 公開「Volovoloの会」-ふるってご参加下さい

テーマ:地域を学び、人々をつなぎ、新しい地域を創る-無縁社会における「地域学」の意義と役割-
合同企画:主催 豊田ほたる街道の会&おごおり熟年集い塾
共催:西市地区生涯学習推進委員会&Volovoloの会
1 日時:
一日目:平成24年1月21日(土)13:30-16:30
二日目:平成24年1月22日(日)9:00-11:30
2 会場:豊田町道の駅 蛍街道西ノ市(下関市豊田町大字中村876-4、電話 083-767-0241、 HP toyota‐hotaru.com)
3 プログラム:前回144号をご参照下さい。
4 問い合せ先
(1)実行委員会 柴田 俊彦
〒750-0422 下関市豊田町楢原39
電話 083-766-1397
e-メール sbtt88@ybb.ne.jp

(2)事務局長  赤田博夫 山口市立鋳銭司小学校気付 
住所 〒747-1221 山口県鋳銭司4010、電話・ファックス083-986-2609
e-メール akada_2101@yamaguchi-ygc.ed.jp

* 第116回「生涯教育まちづくりフォーラムin福岡」

1 日時:1月28日(土曜日)15:00-1700。
2 会場:場所:福岡県立社会教育総合センター(糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511

3 プログラム:
事例発表;(交渉中)
論文発表;生涯現役・介護予防カルタとその手引書(三浦清一郎)

4 新年会:
 フォーラム終了後は福岡県立社会教育総合センターのご厚意で新年会を開催の予定です。奮ってご参加下さい。会費は2千円程度を想定しております。

* 第117回生涯教育まちづくり移動フォーラム」in大分
(「活力・発展・安心」デザイン実践交流会:大分大会)

1 日程:2月25日(土)10:30-26(日)正午まで
2 場所/会場:会場:「梅園の里」
  (大分県国東市安岐町富清2244、TEL0978-64-6300)
3 プログラム:次号で詳細をお知らせいたします。
4 参加費:500円、宿泊費は別
5 問い合せ先:事務局:大分大学高等教育開発センター;中川忠宣(TEL/FAX097-554-6027)または東国東デザイン会議事務局 冨永六男(TEL0978-65-0396,FAX0978-65-0399)

§MESSAGE TO AND FROM§ 
 新年あけましておめでとうございます。読者の皆様にもそれぞれ元気に新しい年をお迎えのことと思います。早いものでもうすぐ亡妻の一周忌です。一人暮らしの家事にも、孤独にも、寂寥にも慣れて、無事に1年を生き抜きました。家族の死も、一人暮らしの衝撃も、何とかかわしましたが、まだ、整理の終わっていない事務作業は山ほどあります。とにかく、これからも元気優先、仕事優先で参ります。各地から数々の身に余るお言葉を頂戴し、我が身の果報を噛み締めております。ありがとうございました。年末、年始は編集後記の通り、冬ごもりの猛勉強で、生涯現役・介護予防カルタの作成や新しい著書の参考書群の読破に没頭しました。いつにも増して、これからの老後や死のあり方を意識せざるを得ませんでした。

宮崎県宮崎市 飛田 洋 様

発つ鳥の跡を濁さず、われもまた、捨つべきを捨て、断つべきを断つ

福岡県岡垣町 神谷 剛 様

 先輩の晩年はお見事としか言いようがありません。「風の便りー準備号」に「がんばれ」とご叱正を頂いてから12年の歳月が流れました。

大分県国東市 石丸義則 様

 2月の国東での大分大会に伺います。「梅園の里」での再会を楽しみにしております。

札幌市 水谷紀子 様

 みんなそれぞれに荷物を背負って老いて行きます。作成中のカルタに自戒を込めて書きました。「行く道は、自分で決めるほかはない、神も仏も代われない、誰も代わりに生きられない」

福岡市 菊川律子 様

 色々ありました。これからも増々色々あるのでしょう。「さりげなく言いし言葉はさりげなく君も聞きつらむ それだけのこと」(啄木)

佐賀市 秋山千潮 様

 3月の勧興フォーラムの案を近々にお送りします。お互い「締め切りの70代」です。気張って行きましょう。

宗像市 岡嵜八重子 様

 新刊「熟年の自分史-人生のラストメッセージを書こう」がもうすぐ世に出ましたら、お届けします。また、ご配慮にお応えしてメルマガの代わりに今年はせめてハードコピーをお届けしたいと思います

大分県日田市 工藤聖二 様

 懐かしい再会を果たし、また感宜大学の皆さんから沢山の励ましを頂きました。今年も元気に書き続けて参ります。お世話頂いた高見様にくれぐれもよろしくお伝え下さい。

埼玉県越谷市 小河原政子 様

 お元気のご様子は古市さんからお聞きしました。社研の日々も遠くなりました。この時期が来ると、俵谷文庫の書籍や、誰もいない建物で一家中が冬ごもりの宿直業務をしていたことを思い出します。

編集後記
私はマグロ、回遊魚

準備万端整えて年末年始は冬ごもり
孫の招きも断って
誰も招かず一人きり
山を眺めて暮らします

無聊大敵、自由の刑
退屈でしょう、死にますよ!

心配ご無用、私はマグロ
四方八方回遊魚
ADHD大人版
勝手に「病気」にしなさんな
Attention-Deficit
Hyperactivity Disorder
何と無礼で、大げさな
注意散漫、エネルギー過剰
言い方変えれば悪くない
やる気満々、興味は尽きず

止まることない回遊魚
止まれば酸素が途絶えます
教室などに閉じ込めず
何でもやらしてごらんなさい
必ず活路が開けます

部屋中広げた参考書
窓中貼ったスローガン
課題山積、宿題ばかり
書き散らかした原稿用紙
散乱しているメモ用紙

新しく買ったストーブと
新しく買ったモーツアルト
電話の子機も脇に置き
2匹の忠犬侍らせて
必ず仕上げて見せまする

10時のおやつは飛騨林檎
3時のおやつは富有柿
気が向きゃ珈琲キリマンジャロ
時には紅茶のアールグレー
贅沢ですね!優雅です!

出雲路のカニが届いて年が暮れ、
夕張のメロン届いて年明ける

受験生もどきの回遊魚
ねじり鉢巻冬ごもり
努力は実る、裏切らない
少し読んでは、少し書き
あっち読んでも少し書き、
こっち読んでも少し書く
少し動いて、少し書く
毎日あちこちちょっとだけ
塵も積もれば山となる
止まればお仕舞い、回遊魚
ADHDマグロです

「風の便り 」(第144号)

発行日:平成23年12月
発行者 三浦清一郎

国際結婚の社会学-偵察読書

1 亡き妻の禁止事項
 
 部屋中に図書館の本を広げています。自分の頭の中を整理するための「偵察読書」です。いよいよ亡き妻の「禁」を破って「国際結婚の社会学-私たちが生きた日本と世界(仮)」を書き始める準備にかかりました。
 自分の人生を社会学的に分析することはもちろん初めての経験です。思い出も感情もあるので客観的に一定の距離を置いて過去を見ることができるか、試されることになります。プライバシーの領域を素材にせざるを得ないことに亡き妻は最後まで反対でした。しかし、日本の国際結婚は増えることはあっても、今後減ることはないでしょう。それゆえ、私は自分の見聞や経験を書き残すことは研究者としてある種の義務だと感じて来ました。
 机上に亡き妻の若き日の写真を飾っています。「調子に乗ってプライバシーに踏み込まないで!」、「自虐的な分析も、一方的な分析にも気を付けて!」、「最後は瑠麗さんに検分してもらいなさい」などの声が聞こえるようです。瑠麗さんは息子の妻で、政治学の若き研究者です。「書く時は最終原稿を瑠麗さんが点検を」というのが生前からの条件でした。

2 何を書くのか

 国際結婚を語ることは異質を語ることであり、異質を語り始めれば差別についても語らねばなりません。また、結婚は国際結婚か、否かに関わらず、生い立ちの環境の異なる二人が共同生活を始めることですから、「相性」、「適応」、「寛容」、「礼節」など自己主張の調整には、個人的な「徳」や「修養」についても語らねばならないでしょう。プライバシーに踏み込む心配があるのはそのためです。国際結婚には必ず言語問題:異文化間コミュニケーションの難しさも付きまといます。
 子育ては時に文化間で子ども観や子育ての目標や方法が違うので夫婦間の争いになります。
 子どもは混血で生まれて来ますから、彼らのアイデンティティは親の国家観とも子ども自身の国家観とも深く関係します。言語の獲得は彼らのアイデンティティの核心を形成します。彼ら自身が「自分は何者であるか」との問いに答えられなければ、彼らのアイデンティティは拡散してしまいます。
 男女共同参画が進んでも、性別のない「人間」にはなれないように、国際化やグルーバル化が進んでも、誰も「地球人」にはなれません。「地球人」はいまだドラえもんのセリフに留まっています。誰も無国籍の「地球人」など認めず、「地球人」のパスポートも存在しません。国家やそれぞれの文化が立ちふさがっているからです。
 それゆえ、好き嫌いの問題は棚上げしてでも、国家と関わり、自らのナショナル・アイデンティティを確立しない限り、人間との交流は不可能であり、差別ともいじめとも孤立とも戦えません。

3 「郷に入っても従えないもの」

「郷に入っては郷に従え」と言いますが、文化の相対性にも「限界」があります。日本の女性も(男性も)イスラム原理主義タリバンのように女性の教育も自由もほとんど認めない文化には同調できないでしょう。「郷に入っても従えないもの」はあるのです。
 結論的に、筆者は、日本人ですからアメリカのことは十分に分からず、国際結婚を通して日本文化を反芻し、日本人を考え、自分たちが生きた時代を考えるということになるのでしょう。
 山崎正和氏の「柔らかい個人主義の誕生」は、この20-30年で「やわらかい」どころか「ガチガチ」の「自己中」個人主義になりました。他人に無関心な「無縁社会」は自己中がもたらした社会です。“一切私に干渉しないで!”という個人情報保護法と“自分の欲求を手当たり次第人権に置き換えてしまう”「なんでも人権主義」がその象徴です。個人の国際結婚が増えたに留まらず、文化や社会の仕組みもそれぞれの状況に応じて国際化やグローバル化という名の国際結婚を遂げたのだと思います。
 土居健郎氏の「甘えの構造」は今や「わがままの構造」と呼ぶべきでしょう。日本文化が変質し、時には崩壊しているのです。日本人が最も得意とした仲間うちの助け合い、庇い合いは、同時に差別の原点でもありました。「内」に温かく、「外」に冷たい日本文化は、文化の国際結婚でどう変わって来たでしょうか。
 「無縁社会」のように、一律に、他者に対して無関心で冷淡な社会が来たということは、「内」と「外」の境界線が崩れ始めたということです。「無縁社会」では、日本文化が特徴とした「内」意識が崩壊しつつあるのかも知れません。ある意味では日本文化に置ける差別意識の根源を破壊する素晴らしいことかも知れません。

4 「内」の崩壊

 日本人は、自分を中心において、その周りに「身内」を置き、さらにその外側に「仲間内」、そして「組み内」、「ムラ内」を置き、最外円に同じ日本人ではないか、という「日本人の内」を置きました。
 もちろん、「内と外」を意識するということは、自分に近い人を大事にし、遠い人には冷たくしてもいいということです。「内と外」意識はその根本において「差別の原理」なのです。
 日本人は無知で無邪気に「外人」という表現を使いますが、「外人」とは、原理的に日本人の外の人という意味です。中世以降、差別支配のために創設された「非人」という概念も、被差別者を「人」に「非ず」として「人の外」に置いたという点で「内と外」の意識は貫徹していたのです。ひどい話です。お伽噺の「赤鬼」と「青鬼」も疑いなく外国人のことでしょう。
 しかし、無縁社会において、「内」の意識が希薄になりつつあるということは、周りとの関わりを巡って、自分だけが突出して、自己都合優先・他者無関心になったということですから、他者がみんな「外人」のようになったのかも知れません。みんなが「外の人」になれば、従来の「外人」に対するこだわりも薄れるでしょうから、ますます国際結婚が増加するわけです。これまでの「外人」が「内の人」になる可能性も出て来たということです。自分に一番親しい人々が外国人になれば、従来の「外人」が「仲間内」になるという日本文化にはあり得なかったことも起きるかも知れません。みんなが自由に自己中心的に振る舞うようになって、地域社会の住民はもはや同じ町内会の「組み内」や「ムラ内」の人ではなく、自分とは関係のない「外の人」になった以上、地域の崩壊は必然であり、「無縁社会」の到来も当然のことです。しかし、不思議なことですが、同時に、外国人を交えた新しい「身内」や「仲間内」もできる可能性が出て来たということです。

5 文化の変容-ライフスタイルの変容-コミュニケーションの変容

 恐らく「察し」の文化も弱体化し、「慎ましさ」、「遠慮」、「控えめ」、「奥床しさ」などの価値も衰退していることでしょう。「建前」と「本音」の落差は相変わらずでしょうか。根回しが消えていない以上、「表と裏」の使い分けも相変わらずでしょうか。
 欧米の児童中心主義の教育思想を無防備に導入した戦後教育はしつけも鍛錬も崩壊の危機にあります。国際化は自国の文化や風土とバランスを取りながら進めないと現在の幼少年教育のような状況を引き起こすのです。社会規範や責任意識を身に付けていない子どもの欲求を受容するということは、教育の自殺に近く、現代教育が生み出す子どもたちの逸脱行動や犯罪行為は教育公害とでも呼ぶべきものです。
 勤勉で礼儀正しかった日本の家庭教育は、自己都合優先の自己中文化が蔓延する中で、哀しいことですが、文科省が主導する「早寝早起き朝ご飯」のスローガンを生みだしました。このような文言が家庭教育復活のスローガンになったということは、日本の家庭がすでに「子どもの生活リズム」の管理も、「朝飯の準備」もできていないということです。家庭教育の多くが崩壊しているということです。にもかかわらず、日本の中央教育行政は「家庭の自主性」を尊重せよと、改正教育基本法に謳いました。これも文化の国際結婚が産み落とした日本型「自己中心主義」の結果です。
 こうした現象だけを取り出して、悪いことはすべて国際化や欧米化が日本文化を破壊したからだという年寄りも居ますが、国際化や欧米化で豊かな日本を選択し、その恩恵を受けて暮らしているのも年寄り世代ではないでしょうか。
 国際結婚の社会学、いよいよ来月号から本格的に書き始めます。

読書の幻想

1 読書のための読書の限界

 自分を鍛えず、他者を大事にしようとしない人間にとって、読書や説諭は物知りや口達者を育てることだけに終るだろうと予感しています。子どもの読書の大部分はそんなものです。
 かつて、多くの日本人は、学校に行っていなくても、1冊の本も読んでいなくても、日本も世界も知らなくても、やさしい人はやさしく、働き者は自分とみんなのために働き、律義者は約束を守り、責任を重んじます。それは実践と体験を通して培われたもので、読書や説諭が育てたものではありません。日本の教育界はいつから、読み聞かせや朝読を過信し、実体験を教えることを止めてしまったのでしょうか。無目的的な読書や情報環境の豊かさが規範意識や共感能力を育てることはできません。もちろん、体力も、我慢する力も育てることはできません。
 実体験を欠く子どもは、自分を知らず、他者を理解せず、自然を知らず、恐らく人生の豊かさも限界も知らないのではないでしょうか。暑さの中の労働を知らなければ、「滴り落ちる汗」は知りようもなく、挫折を知らなければ、「胸がきりきりと痛む口惜しさ」は分からないでしょう。
 情報環境を整え、間接体験を豊かにすることが教育であるかの如く勘違いすれば、共感や共存のできる子どもを育てることはできません。読み聞かせや読書が子どもの「豊かな心」を育てるというのは99パーセント幻想です。原理的に、万巻の書も一つの直接体験を越えることはできないのが人間の本質です。人間は「個体」で生きているからです。誰もあなたに代わって生きることはできないのです。

2 実践から一番遠かった時代

 若い頃から研究者を志したので沢山の書物のお世話になって今日まで来ました。しかし、大学院時代の仲間で作った「マスカット読書会(札幌の駅前通りのビルの地下にマスカットという喫茶店があり、若いウエイトレスが珈琲一杯で粘る私たち貧乏学生に寛容でした。)」のテーマは一貫して「実践」でした。学校で習ったことをネタに生意気なことを言っても、具体的には、世間に出て何もできない自分のことは自覚していました。仲間も同じでした。
 特に、筆者は、ものづくりの学部と違って、口先ばかりの教育学に嫌気がさし、一時本気で水産学部へ転部しようかと悶々としていた時代がありました。文科系の書物を信用しなくなった時代でした。60年安保の大嵐が過ぎ、学生運動の対立も激しくなり、大学は言うこととやることの落差の大きい人々に溢れ、「読書会」の少数の仲間の中にこもっている時代でした。口先の議論ばかりに明け暮れるのが「大学」なのだと分かるのはずっと後の事です。世界には未だ、爆弾テロのような大規模な殺傷事件はなく、啄木の「ココアのひとさじ」に共鳴するところのあった時代でした。
 必修の学校教育の大家の教授に、教育学は「実践的武士道」の足下にも及ばないという趣旨のレポートを出して、「不真面目である」といたく叱られましたが、最後まで教育学は口先の学問であるという主張は譲りませんでした。評価点は最悪でしたが、辛うじて落第は免れました。やがて始まる政治的イデオロギーにまみれた大学紛争の泥仕合を思えば、まだ多少の温情が残っている時代だったのでしょう。口先学問の宿命と思えば当然のことですが、教育学部は政治的イデオロギーの泥にまみれ、筆者は生涯母校と縁を切る決意をし、今も教育学部を母校とは思っていません。
 しかし、切ないことは、書物を信用しないにもかかわらず、読書会の仲間と読書を通じて語ることにしか活路を見い出し得なかった未熟な時代でした。ようやく筆者は一つの溝を飛び越える思いで子どもたち相手の私塾を開いたのです。私塾ではひたすら「礼節」と「言語」を鍛えました。

3 実践→読書→知識→認識→実践

 ジョンロック(*1)は人間の知識は本人の体験を越えることはできないと言いました。彼の経験哲学の結論だと思います。「痛み」や「死」は、人間が知識をもって太刀打ちできるものでないことは明らかだからです。人間の存在の個体性を厳密に考える限りロックの指摘は正しいと思います。
 しかし、読書や歴史学習を通して他者の人生を間接的に辿ることは、本人の目的意識が明確で日々の実践と平行する限り有益だと思います。逆に、目的意識も実践の場ももたない子どもたちには読書は大した実りをもたらさないのです。
 何のために読むか、という目的がはっきりしている場合、他者の体験を書物や映像を通して間接的に知るということは、当然有益です。間接体験が、自身の「体得」には成り得ないとしても、頭脳が「理解する」ことによって「体得」を補完することは大いにあり得るのではないかと思います。
 ルーズベルト大統領に仕えたトルーマン副大統領は当時の衆目の見るところ、政治のキャリアが乏しく、当然政治的体験も豊富ではなかったそうです。それゆえ、ルーズベルト大統領の死去に際して、トルーマンが大統領に就任した時、彼は、ルーズベルト大統領が戦時に見せたような強力な政治的リーダーシップを発揮できまい、というのが大方の予想だったそうです。
 ところがトルーマン大統領は第2次世界大戦の終結から朝鮮動乱に至る混乱の時代を極めて強力な大統領として辣腕を振るいました。膠着した朝鮮戦線で3度目の原子爆弾を使おうとしたアジア戦線の英雄マッカーサー元帥を解任したのもトルーマン大統領でした。
 彼の少年時代の逸話が残っています。彼はミズーリ州インデペンデンス市で少年期を過ごしたそうですが、14歳までにインデペンデンス市立図書館の本を全て読破したそうです。恐らく強烈な目的意識があっての集中的読書だったと思います。彼が何を考えて書物の知識をあさっていたかは分かりませんが、集中的で、広範囲な読書が彼の洞察する力や物事の背景を分析する力を養わなかった筈はないだろうとキングスレイ・ウォード(*2)は言っています。
 ウォードは歴史を読み、歴史上の人物の行為や発想を学ぶことは本人の直接体験とはならないものの、他者の人生を辿ることによって間接的にさまざまな刺激や教訓を得ることになるのであると指摘しています。人類史の長い間、学問と言えば歴史を学ぶことを意味して来たというのも、歴史上の人物・事物を間接的に体験すればそれが人間の認識力、理解力、分析力、洞察力に繋がるという人々の経験の蓄積があったが故であろうと思います。しかし、ロックの指摘通り、間接体験では人智の呼ばない分野もあることは確かではないでしょうか。
 筆者は日本人の最高の認識は「人の痛いのなら3年でも辛抱できる」という言-にあると言い続け、書き続けて来ました。人間が個体で存在する以上、他者に代わって生きることはできません。就中、生老病死は誰も代わることはできません。身体の痛みも代替不可能です。人生の苦しみや悲哀の大部分も他者に代わって追体験することは不可能でしょう。これこそが人間の認識の限界であり、また、救いでもあります。
 不幸や悲惨に満ちた世界で人間が生きて来られたのは、他者の痛みを痛いと感じなくて済んだからです。それゆえ、万巻の読書を積もうが、何年の学問を積もうが、どこかでおのれの直接体験を通して人生の喜怒哀楽について体験的に学ばない限り、他者の喜怒哀楽について共感する能力は育たないのではないでしょうか?
 私はこれまで子どもの成長には核になる人生体験があり、これらが欠ければ子どもの成長にひずみが出ると言い続けて来ました。それが「欠損体験」です。それゆえ、ある部分では筆者はジョン・ロックの生徒です。認識しただけでは実践者にならないことも学校教育や社会教育の現場で多く見て来ました。表題の実践-読書-知識-認識-実践は「右向き」の矢印(→)で循環的につなぐのが一番望ましいと考えていますが皆様のお考えはいかがでしょうか?
 子どもには実践を与えて下さい。その中で何が大事で何が必要かを悟る筈です。行動や実践が必要とする知識は読書の中から得られます。しかし、目的と動機のない読書は「物知り」をつくるだけに終るでしょう。

*1ジョン・ロック(John Locke, 1632年8月29日 – 1704年10月28日)はイギリスの哲学者で医者でもあった。アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。彼の著作の大部分は1687年から1693年の間に刊行されているが、明晰と精密、率直と的確がその特徴とされており、哲学においては、イギリス経験論の父であるだけでなく、政治学、法学においても、自然権論、社会契約の形成に、経済学においても、古典派経済学の形成に多大な影響力を与えた。
*2 キングスレイ・ウォード(Kingsley Ward、1932-)
1932年カナダ生れ。会計事務所勤務の後、製薬関係を中心に企業経営の道に進む。 そのユニークな最初の著書、『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(新潮社、1987)はミリオン・ セラーとなった。姉妹編に『ビジネスマンの父より娘への25通の手紙』、(新潮社、1988)がある。

日本人の「動物実験」!

1 取材の視点

 ある新聞社から電話インタビューが来ました。記者は男性でした。何か筆者の書いたものを読んだということでした。彼は現代の子どもに彼なりの危機感を抱いていました。それにしてもその危機感は具体性を欠き、「生きる力がないようですね」という程度のものでした。以下は、筆者が語ったことでしたが、分かってもらえたでしょうかね。彼は「ものの考え方」よりも「生きる力を鍛えているところはないか」と具体的な学校名や機関に興味があるようでした。なぜ、その学校がそうした鍛錬プログラムを導入したのかという原点が分からずに、彼はどんな記事を書いたのでしょうか。取材の視点こそが問題なのだということに最後まで気付かなかったのではないかと気を揉んでいます。

2 教育界には「貧乏」と「不便」に代わるものがない

 昔は「貧乏」と「不便」が子どもの直接体験を豊かにしました。労働も、我慢も、協力も、役割分担も、したがって日々の規範も、教育が教えたというより、「貧乏」と「不便」が教えたと言って過言ではないでしょう。だからといって、貧乏時代に戻れとは言いませんが、貧乏と不便に代わる教育的配慮がなされないかぎり、「働くこと」や「我慢すること」を育てる現代の子どもの直接体験を補うことは難しい、ということだけは確かです。
 こと実践や体験という視点から見る限り、現代の子どもたちは教育の3原則から遠く離れて育っています。教師も親も自覚が足りませんが、文明の恩恵は諸々の分野で子どもの直接体験の欠損をもたらしているのです。
 現代っ子は情報環境に恵まれ、親切な教師や、子ども思いの親に恵まれ、昔の子どもに比べれば安全で快適に暮らしていることは間違いありませんが、自然一つをとっても彼らの体験はあまりにも貧しくなりました。
 情報環境に恵まれているということは、間接体験の知識環境に恵まれているということです。しかし、人間性が変わらない限り、やったことのないことはできず、教わったことのないことは分からず、練習(体験)が少なければ上手にはならないのです。現代っ子は、間接的に言語や映像を通して様々なことを学んでいますが、直接体験とその反復が全く不足しています。行政の知恵者が「生活科」や「総合的学習」や「キャリア教育」などの概念を学校教育に導入しましたが、発想が中途半端であるため、全ての試みは学校が主導する大掛かりな「ままごと」ごっこに終っているのが実態です。
 現代っ子の体力が平均的にひ弱なのは、筋肉や心肺機能を十分に働かせていないからです。スポーツ少年を除けば、現代っ子の肉体を鍛える体験は極端に不足しています。
 「児童中心主義」の発想や子どもの欲求と子どもの人権を同一視する発想が日本を覆い尽くして、鍛錬の思想は教育界からほぼ「追放」されてしまいました。「よく頑張った」という視点より「可哀想だ」という視点が優勢になり、「全員ここまで頑張れ」というより、「それぞれできる範囲で努力しなさい」という視点が優勢になったということです。子どもの自由意志に任せて幼少年期の鍛錬ができる筈はないのです。
 教育における子どもの自由度が増した結果、我慢ができない、困難に堪えられない耐性の低い子どもが氾濫しています。
 現代の教育は人間が「快楽原則」で動くという単純な事実さえ見落としているのです。しなくてもいいのに誰が苦労して辛いプログラムを選ぶでしょうか?
 苦労している保護者には誠に気の毒なことながら、子どもの不登校やその他諸々の社会的不適応の主たる原因はあなたの子どもに幼少期の鍛錬が不足しているからです。鍛錬が不足すれば、子どもは「楽をして」育ちます。楽をして暮らせば、行動耐性も、欲求不満耐性も育たず、あらゆる些細な不自由や困難が子どもの日常の苦しみに変わるのです。我慢のできる事はすでに苦しいことではなくなるのに、我慢の能力が低いが故にあらゆる不満が苦痛に変わるのです。我慢は能力なのです。我慢の基準の低いことこそが日本の家庭教育の基本問題です。
 また、現代っ子に、規範が身に付いていないというのも、彼らが、ルールや責任の分担を「強制」される教育的環境に置かれた経験や時間が足りないからです。何よりも自分を含めた人間の痛みに触れたり、苦しみや困難を分かち合う実体験が少ないからです。現代幼少年教育は、「貧乏」と「不便」に代わる教育的プログラムを発明して、幼少期に強制的に与える必要があるのです。
 しかし、現在、「自分の時代」が来て、誰よりも自分の主体性が大切になりました。半人前の子どもにすら「自己決定権」を与えています。個性の時代が来て、「みんな違ってみんないい」というような子どもの未熟な現状を肯定する愚かなスローガンが世間を席巻しています。
 子どもの人権と欲求を混同する時代が来て、子どもの賛同が得られなければ教育ができない状況を生み出しました。彼らは「きつい、辛い、面白くない、嫌だ」を連発して、事実上、教育上の「拒否権」を行使できる結果になっています。今や、保護者も学校も、何一つ鍛錬や直接体験を強制することは出来ないでしょう。子どもという発展途上にある霊長類ヒト科の動物が、自然も知らず、我慢も知らず、労働も知らず、共同も知らず、直接体験を通した各種の社会的トレーニングも通らず、人生の核になる体験を欠損した時、どんな人間に育つのか、日本人の「動物実験」が始まっているのです。

「生涯学習」か、「生涯教育」か
-非生産的な議論が続いている―

アメリカ北カロライナ州ウインストンセーラムにあるWakeforest 大学の図書館に坐ったことは前号に書きました。急ぎ足で調べものをした中で相変わらず生涯学習か、生涯教育かの議論をしている参考書を見つけました。書名はThe Oxford Handbook of Lifelong Learningです。編者はManuel Londonで、2011年にOxford Pressから出版されている最新版です。ハンドブックですからいろいろなトピックを網羅しているのですが、その中に標記の議論のまとめが紹介されていました。筆者の結論は、公金を使うものは基本的に生涯教育、個人が自由に学ぶものは生涯学習というように大雑把に両方を使い分ければいいではないか、というものです。生涯学習概念の方が広いので、本書のタイトルは「生涯学習ハンドブック」となったのだと思います。また、この「風の便り」も公金を使っていないし、筆者が思いつくままに人々の学習を論じているので「生涯学習通信」と呼んでいます。
 逆に、従来の社会教育は社会が必要とする教育を判断して公金を投入し、予算化しているわけですから、生涯学習ではなく生涯教育とすべきだと主張して来たのです(参照:未来の必要、学文社2011年)。
 欧米もまた非生産的な議論を延々と続けているのです。今回は上記ハンドブックの第2章を担当したポール・ヘイガー((PaulJ. Hager)の「生涯学習の定義と概念(Concepts and Definitions of Lifelong Learning)」から議論の論拠をかいつまんで紹介しておきます。

1 「生涯教育」説

 生涯学習概念の問題は、学習を強調することによって「教育」の基本を曖昧にしてしまうことです。教育の必要は社会が判断するものであって、「恣意性」を排し、ある意味では本質的に「排他的」であるべきものです。人々が選択する「学習」が全て望ましいというわけではないことは明らかでしょう。迷信や思い込みや、差別や偏見を始め、人々が一度学んでしまったものを「学習解除(unlearning)」する必要があることが何よりの証拠ではないでしょうか。
 それゆえ、教育は社会が提供すべきと判断した組織的で、選択的な学習を促すもので、何を学んでもいいということにはならないのです。
 もちろん、成人教育は、形式に囚われる必要はなく、正規の学校教育以外のnonformal(不定型の)学習でもinformalな学習(個人学習)でもいいのですが、学習の必要を誰が推奨したのかという教育主体を明確にして、責任の所在を明らかにしておくべきです。
 これに対して生涯学習概念は、自動的にすべての責任を学習者に負わせることになります。学習者は「消費者」と同じ取り扱いになり、「市場」任せにならざるを得ません。政治や行政は、人々のインフォーマルな学習に干渉せず、またすべきものでもありませんが、生涯教育が人々の自由で気ままな学習と同一視されれば、公教育として公金を投入する根拠を失うことになるのです。

2「生涯学習」説

 成人の自由な学習に「教育」概念を持ち出せば、人々の学習が既存の制度的な教育システムの中に閉じ込められてしまうことは明らかです。それは「教育の帝国主義」とでも呼ぶべき現象です(Chris Duke)。教育が社会的制御のメカニズムに組み込まれ易いことは過去の歴史で明らかであり、政治の干渉を招き易いことも明らかです。また、生涯学習概念が自由な発想を保障するのに対して生涯教育概念は人々を極めて不平等・不公平な現状維持の教室に閉じ込めてしまう結果になります。その結果、多様で、創造的で、個人的な関心に基づく学習を無視するということが起こるのです。

3 なぜ両論併用ができないのか

 公園やスポーツ施設を作るのは不特定多数の人々の関心や欲求に基づいています。図書館や博物館や美術館は、より生涯学習発想に近い人々の文化的関心や欲求に基づいています。もちろん、誰一人これらの機関の活用を強制はしません。利用したい人が利用すればいいというのが原則です。
 しかし、高齢者の健康教育のプログラムや、差別防止や男女共同参画の推進に関する教育プログラムは公園や美術館とは社会的ニーズのレベルが違います。公園を活用しなくても、美術館に行かなくても、直接社会の停滞に結びつくことはないでしょうが、高齢者の健康教育に失敗すれば、高齢者の活力が損なわれ、国家の財政負担が増すことに直結します。結果を見れば、学ぶも学ばないも自由です、ということにはならないのです。自由に学ぶだけでいいと宣言した瞬間に、人々は「負荷の大きい」学習から遠ざかるでしょう。人間は基本的に楽しいことややりたいことを追求して、快楽原則で動く生き物ですから、特別の動機付けや呼び掛けをしない限り、「必要な学習」でも、自らの「快楽欲求」を満たす条件がなければ動きません。学習の必要や理由が正しくても、負荷が大きければ選択しません。だから、「自由な楽習」ではなくて、「必要な教育」にせざるを得ないのです。
 しかし、「社会的必要」と判断される以外の「楽習」は人々の選択に任せて放っておけばいいのです。箱もの行政の日本は、公園と同じように生涯学習施設を山ほど作っているのですから、公園と同じように、自由に自己負担で使ってもらえばいいのです。公園の楽しみ方を規制する必要がないように、くれぐれも生涯学習施設を窮屈な管理システムでがんじがらめにしないことが大事なのです。
 要するに、両論を併用すればいいのですが、日本ではすでに生涯学習概念が国の政策概念に採用され、公教育としての社会教育の必要を駆逐してしまいました。それゆえ、日本では、当面、意識的に教育政策を変更して、生涯学習から生涯教育に重点の置き方を修正する必要があるのです。

144号お知らせ
* 公開「Volovoloの会」-ふるってご参加下さい

 今回の「Volovoloの会」は山口市の「おごおり熟年集い塾」の重村太次代表(前会長)、「豊田ほたる街道の会」柴田俊彦常任理事(現会長)が相談され、合同企画といたしました。
 現代の地域社会が当面する諸課題の解決には、活動を支える支援組織と他団体との協働が不可欠・有効と考え、地域を限定せず、一般公開の研究会とし、広く山口県内外から志のある方々のご参加を呼び掛けることといたしました。つきましては、「風の便り」の読者の皆様の目の届く範囲で、それぞれの地域、それぞれの活動現場から新たな人材をお誘いの上、ご参加いただければ誠に幸いでございます
テーマ:地域を学び、人々をつなぎ、新しい地域を創る-無縁社会における「地域学」の意義と役割-
合同企画:主催 豊田ほたる街道の会&おごおり熟年集い塾
共催:西市地区生涯学習推進委員会&Volovoloの会
日時:
一日目:平成24年1月21日(土)13:30-16:30
二日目:平成24年1月22日(日)9:00-11:30
会場:豊田町道の駅 蛍街道西ノ市(下関市豊田町大字中村876-4、電話 083-767-0241、 HP toyota‐hotaru.com)

第1部:1月21日(土)、実践事例研究-地域学習は何を目指し、何を生み出したのか?
      司会 生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎
1 郷土史学習-地域課題の診断-地域創成の実践の同時進行(下関市)
楢原ゆうあい会事務局長 柴田俊彦
2 郷土の歴史講座は市民のネットワークを形成できるかー1コイン歴史講座の軌跡と成果(仮)(山口市)
おごおり熟年集い塾代表 重村太次
3 上関郷土史研究会の地域おこしの原理と方法(上関町)
かみのせき郷土史学習にんじゃ隊 事務局長 安田 和幸 
第2部 1月22日(日)18:00-20:00
懇親・交流会
会場: 一の俣温泉 グランドホテル(下関市豊田町大字一ノ俣15、電話 083-768-0321、 HP iichinomata.co.jp)
会費:交渉中
第3部
二日目:平成24年1月21(土)9:00-9:50
基調提案:無縁社会における地域学の意義と役割-新しい「縁」の創造-
月刊生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎

第4部 二日目10:00-11;30
女性現場人のリレートーク:
地域に何を求め、どう関わり、何を生み出そうとするのかー
司会:九州女子大学 大島まな
登壇者:(交渉中)
学童「保教育」の試み     井関元気塾、主任指導員 上野敦子(山口市)
「高齢社会をよくする下関女性の会」の介護予防実践    代表 田中隆子(下関市)
廃校を活用する地域支援ネット「かぜ」   事務局長 田中 時子(岩国市)
ご近所福祉iitokoメイト             主宰 藤本詔子(宇部市)

* 問い合せ先
実行委員会 柴田 俊彦
〒750-0422 下関市豊田町楢原39
電話 083-766-1397
e-メール sbtt88@ybb.ne.jp

事務局長  赤田博夫 山口市立鋳銭司小学校気付 
住所 〒747-1221 山口県鋳銭司4010、電話・ファックス083-986-2609
e-メール akada_2101@yamaguchi-ygc.ed.jp

* 2012年の最初の「生涯教育フォーラムin福岡」は1/28日(土曜日)です。山口の勉強会に続きますが、第31回中国・四国・九州地区の生涯教育実践研究交流会の第1回実行委員会とフォーラムを抱き合わせにして同日に行う予定です。
* 例年通り、大分のフォーラムは2月の最終週末(2/25-26)に行なわれる予定です。

「香典」か、「風の便り」か(更新のご案内-第2回)

 小生志半ばにして倒れたときは、郵送料・印刷料は香典の代わりとお諦め下さい、と前回お願いいたしました。「縁起でもない」、「何を弱気な」とお叱りが届きました。ありがたいお言葉ですが、小生至ってまじめです。香典はいりませんので「風の便り」をご支援下さい。
 「風の便り」は、社会教育の実践を繋ぐ現場報告、各地の研究の集いの分析報告、小生の晩学の証、古希を過ぎた高齢者の老衰への抵抗の証、社会教育で巡り逢った方々相互の「無事の便り」等々多様な実験の思いを秘めております。そして山口、大分、愛媛、広島、長崎など各地に生まれた生涯教育実践研究交流会は続くのか、「継続の力」は果たして世間の伝説に成り得るか、2020年に戦後生まれが75歳になる「高齢者爆発」を日本は乗り切れるのか、等々の観察も実験の内に含まれています。
 小生、一人暮らしを始めて1年、寂寥を友とし、孤独や孤立と戦い、「縁起かつぎ」などもとより捨ててかかっております。「香典代わり」は「弱気」ではなく「覚悟」のつもりです。
 死んでからの香典より、生きてあるうちの「風の便り」です。小生「ぶれ」てはおりません。第2回の更新のごあんないです。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 師走です。あっという間の一年でした。更新のご案内を差し上げたところ各地から胸に沁みるお便りを頂戴し、我が身の果報を噛み締めております。ありがとうございました。年末はいつものことながらご返事が書き切れず断片的なお便りになりますがお許し下さい。時間がますます足りなくなって来ました。我が晩学への思いに殉じて、年末年始は自宅に籠って参考書を読みたいと思います。

東京都 池田和子 様

 いただいた佐藤春夫の詩、心にしみました。
「ひとりにて生まれたれば、ひとりにて生く」を心して実践します。

福岡県築上町 雨宮一正 様

 ご活躍のことお聞きしました。ご同慶のかぎりです。後に続きたいものです。奥様への送付の件も確かに承りました。来年もまたがんばって書きます。

福岡県宗像市 姫野澄子 様

お便りに吹きだしました。どうぞ風変わりな読者をお続け下さい。亡き妻が皆様とブリッジをやりたかったろうと思うことがあります。

長崎市 藤本勝市 様

 ひとり暮らしに慣れ、日々静寂を友とするようになりました。「為すべきを為

さざれば、かならず悔いあり」と壁に書いて貼っております。
これまで関わった皆様に支えられ、人生で一番いい季節を生きていると思うようになりました。

神奈川県葉山町 山口恒子 様

 お便り心にしみました。2012年は「不帰(III)」を出します。最新の自分史作法の著作で論じた「詩歌自分史」にして見たいと考えております。「国際結婚の社会学」にも着手します。

過分の郵送料をありがとうございました。有意義に使わせて頂けるよう勉強に集中します。

山口県下関市  永井丹穂子 様
神奈川県葉山町 山口恒子 様
福岡県宗像市  竹村 功 様
同       賀来 はつ 様
東京都     池田和子 様
大分県日田市  財津敬二郎 様
長崎市     藤本勝市 様

編集後記
もの言えぬ友

 胸の深いところに咳が巣くって風邪が中々抜けません。こうした時、一人暮らしはどことなく心細く、日々を「養生」と「意志」の間を行ったり来たりして過ごしています。もの言えぬ忠犬カイザ―とレックスに助けられています。

起きいでて 腹をすかして 正座して
吾待つ子らの 健気ならずや
吾病むと知るや知らずや
お日様だ 上天気だと
はしゃぐこの子ら

もの言えず 
右と左に寄り添いて吾を支える 
いとしからずや

がんばる詩

がんばれがんばれと励まして
がんばるがんばると自分に言う

がんばることを褒められて
がんばることをしつけられ

がんばることが美しく
がんばった後がさわやかで
がんばり甲斐を見つければ
がんばったことが誇らしく
今日もがんばって生きるのです

がんばれがんばれと自分に言う
がんばれがんばれと犬にさえ言う

がんばったね、と言われたくて
あなたが見てると思いたくて
今日ももう少しがんばります
がんばった日は飯がうまく
がんばった夜はよく眠り
がんばった人生は満足があるだろうと思うのです
今年も一年ありがとうございました
「風の便り」は13年目に入りました

「風の便り 」(第143号)

発行日:平成23年11月
発行者 三浦清一郎

 アメリカへの旅は無事終りました。亡き妻の後始末と長年世話になった方々へのお礼と別れの挨拶を告げました。40年前の母校を訪ね、アパラチア山脈の光り輝く紅葉の海を見ました。テネシー州からメイン州まで山脈の尾根道を走る「蒼い公園道路(Blue Ridge Parkway)」を走りました。今生の見納めと思えば別れがたい風景でした。
 光るすすき
 金色に舞い散る落葉
 精神の風車が周り
 時の女神が踊り
 40年の記憶が巡る
 帰郷は今生の別れ
 最後の10年への旅立ち
 過去は未来の糧となるか
 人生は最後まで試験が続く

アメリカ通信1
 Fight Like a Girl(女の子のように戦え!!)

 アメリカの町の本屋で上記のようなタイトルを大書したピンク色の本を見つけました。筆者の英語の常識でも「変な表現」だと思ったので興味を引かれました。「女の子のように戦う」という言い方は、アメリカの「筋肉文化」の軽蔑的な表現です。取っ組み合いや殴り合いで、喧嘩の出来ない「女々しい」(英語はsissyと言います)男の子を馬鹿にした言い方だったからです。要するに「女の子」の喧嘩は「引っ掻いたり」、「髪の毛を引っぱったり」、「叫んだり」、「泣きわめいたり」するくらいが精々(失礼!最近は違うのかも知れませんね!)で「男の子」のすることではないという意味です。それゆえ、「おまえは女の子のようにしか喧嘩が出来ないのか!」と言われることは「男の子」にとって極めて侮辱的で文化的にマイナスの意味がこもっているのです。
 手に取ってめくってみてタイトルの意味が分かりました。当該の本は乳癌の予防、乳癌と闘うことを推奨する内容の本でした。どこの国でも女性が乳癌の危機におののいていることは同じです。アメリカの女性もそれぞれが孤独で勇敢な戦いを続けているのでしょう。「女は乳癌とこのように戦っているのだ」、「あなたも戦いなさい」というのが、「Fight Like a Girl」のタイトルに込められた意味だと知りました。
 誠に見事な逆転の発想で、乳癌との戦いを推奨する鮮烈なメッセージはもとより、アメリカ流筋肉文化への痛烈な批判も込めたスローガンでもあったことに唸りました。男は「女の子」のように人生の危機に正面から立ち向えるか、と問われていると解釈すれば、本書のタイトルは挑戦のタイトルでもあるのでしょう。アメリカ女性の人生への意欲と姿勢を示す面目躍如たる抜群の発想の逆転、抜群の言語表現センスだと感服いたしました。

アメリカ通信2
日本に来て変質した「生涯学習論」!?

 北九州市の西之原技術監理室長から九女大の大島まな准教授に「生涯学習か、生涯教育か」をめぐる議論の参考資料がないかとご質問があったと聞いていたので資料に当たってみました。幸い北カロライナのウィンストン・セーラムには西南学院大学の姉妹校のWake Forrest大学があります。20年振りでそこの図書館に座りました。
 2日間しかなかったので全ての資料を見たわけではありませんが、答は見つかりました。

1 「生涯学習法1976」の目的は変化に適応する為の「教育の再編成」でした。

 モンデール上院委員(後にカーター政権の副大統領)の提案には次のように書いてありました。この法律の意図は、人生の全時点において国民が変化に適応する為の教育を準備することである。原文は以下の通りです。All of us, regardless of age, encounter a series of demands, and we must shape education in its broadest sense to help us meet these demands.(Richard E. Peterson and associates, Lifelong Learning in America, Jossey-Bass Publishers, 1979, p.294)

上記の下線部は教育の形を変えるという意味です。この法律は既存の高等教育法(Higher Education Act)の修正法として1975年の10月に提出されています。同年の公聴会ではほとんどの証人が賛成しましたが、フォード政権時の国立教育研究所のホッジキンソン所長だけが反対したと記録にあります。理由は当時の教育局や教育研究所の教育責任が曖昧になるというものでした。(同上資料p.294)

2 「教育的支援」を強調せよ

 また、モンデール法の原案を審議した上院の委員会は次の2点を修正したとあります。
 第1は、原案の「Lifetime」を「Lifelong」に変更すること、第2は、教育局の中に屋上屋を重ねて「Office of Lifelong Learning」を作ることはまかりならぬ、ということでした。
 上院委員会の意見は「Lifelong Learningの意味付けにsocial, technological, political and economic な変化に市民が適応することを教育的に支援することであるということを強調せよ、ということでした。下線部の原文は、Role of education assisting citizensです。
 法律の名称に「学習」を使用しても中身の強調点は教育であったということです。
 また、下院の議論では成人・継続教育法が存在するのに新法はどこが違うのかという反対の議論もあったそうです。アメリカの学校の多くはすでに市民に開かれたものになっていました。日本の場合のように、生涯教育(生涯学習)概念を用いて学校を開かせる必要はなかったので、重複法であるという議論は正当であったろうと思います。
 生涯学習論は日本に来て社会教育を浸食し、社会教育が有していた公教育機能を削除し、当時の民主化要求に迎合して「学習」を一人歩きさせたのではなかったでしょうか。

3 生涯学習は生涯プロジェクトであるべき

 最後に、「生涯学習法1976」の成立に尽力したアメリカの教育局(教育省に当たる)のVirginia Smithは、生涯学習は生涯プロジェクトであるべきで、概念や調整機能を意味すべきではない、と指摘しています(同上資料p.300)しかし、日本では彼女が恐れた通りになったのではないでしょうか。
 図書館では次に、オックスフォード大学出版部が出した最新版「The Oxford Handbook of Lifelong Learning, 2011 」を見ました。「教育」か「学習」かの論争は未だに続いていました。不毛な議論を続けることはどこの国の研究者も同じだなと感じましたが、この問題は次号に報告いたします。専門分野の重箱の隅をつつくような議論ですので退屈に思われましたら、どうぞ平にご容赦下さい。

アメリカ通信3
Shut-ins(閉じこもり)の高齢者

 初めて「引き蘢り」または「閉じこもり」の英語を聞きました。Shut-ins というのです。Shut-inはShutout(閉め出す)の反対です。野球では相手に点を与えない「完封」勝ちということですね。Shut-insは別名Homeboundとも言うそうです。こちらはジョン・デンバーの歌に出て来るように「ふるさと方面行き」とか「自宅行き」という意味です。カーナビの「自宅に帰る」と同じ意味です。
 外の用事を終り、または外への興味を失い、思いが自分の家の方ばかりを向いているということです。
 やはりアメリカの高齢者も心身の衰えに伴い、退職後の活動経験の乏しい方々は、ほかのみんなと同じようなペースを保てなくなるので徐々に世間から離れて行くのでしょう。ご近所にもShut-insが相当数いるという話でした。アメリカ在住の義妹は週に一度、自分が通う教会のボランティア組織の一員として、引き蘢りの高齢者を訪ねて話し相手になっているということでした。介護を専門とする担当者は、別に福祉の部門から派遣されているけれど、それだけでは情緒面のケアまでは手が回らないという判断が背景にあるということでした。引き蘢っている本人もその家族もなかなか他人を家の中に入れたがらないという事情はアメリカも日本と共通のようですが、日常の教会活動の歴史が背景にあるということが信用の基盤になっていることは明らかでした。日本の民生委員さんの活動にはそうした文化的背景が存在しないのでご苦労が一層増すのだろうと思いました。プライバシーの尊重については日本以上に厳しいアメリカですが、教会文化が掲げる「汝の隣人を愛せよ」という理念が「個人情報保護法」のような一律的で馬鹿げた法律の跋扈する余地をなくしているのでしょう。町内の緊急時の電話連絡網を作るに際してもいちいち法律を持ち出す愚かな人々の存在を許している以上、日本の高齢者が民生委員さんの助けを得ることはどんなに難しいことでしょうか!
 また、教会活動が万能であるはずはないとしても、日本の仏教(例外はあるのでしょうが・・・)が日常の人々の救済ではほぼ無力に等しいという事実は周りを見れば明らかです。彼我の文化的事情が違うとは言え、日本の宗教人は何をしているのかと考えさせられたことでした。

アメリカ通信4
Play 60(一日60分は外で遊べ)

1 プロスポーツの社会的責任

義弟とテレビの大学対抗アメリカンフットボールの試合を見ていたら、ハーフタイムやコマーシャルの合間に頻繁にPlay 60の文字が出て来ました。あれは、誰がどういう意味を込めているのかと聞いてみたらNFL(全米フットボール協会)が、コンピュータ-・ゲームなどに熱中して外で遊ばなくなった子どもたちを心配してキャンペーンを打っているのだという説明でした。
 子ども達の憧れの的のアメフトのヒーロー達が入れ替わり立ち替わり、“おい、外で遊べよ”と子どもに語りかけるメッセージはさぞ効果も大きいだろうと感心して見ていました。どの時代でも「スター」は文化や教育をリードするモデルの役割を果たして来たのですが、テレビが家庭の中に完全に入り込んだ時代は一層その責任が重い筈です。テレビが承認しているということは、それだけで「世間が承認している」ことと等値されるからです。マスコミの「社会的承認」の機能として広く知られているところです。しかも、テレビ・メディアとテレビ・スターが結合すれば、「選ばれた者」が持つ「地位付与」の機能が増幅され、スターが発信するメッセージはメディアの権威と統合して巨大な説得力を生み出すことになります。NFLはこのことを自覚的に活用して、プロスポーツの社会的責任を果たそうとしていると言って間違いないでしょう。

2 歴史に「if(もし)」はないけれど・・

 野球でもフットボールでも、アメリカのプロスポーツ界がスポーツを通して社会が必要としているメッセージを送ろうとする姿勢は到底日本のスポーツ界の及ぶところではないとかねがね論じて来たところです。今回もNFLは、コマーシャルの時間(NFLの収入減或いは支出増になるであろう時間)を削ってまで、学校や保護者に先んじて子どもの教育的必要に対応しようという姿勢はお見事というしかありませんでした。
 アメリカのプロスポーツでは、試合の前に当代の人気歌手を招待して、それこそ入れ替わり立ち替わりアメリカ国歌やアメリカ讃歌を観客に聞かせ、また一緒に歌います。移民の国はそうしなければならないという事情もあるのでしょうが、プロスポーツ界がその役目を負わなければならないという理由はない筈です。一流の歌手を招いて国歌を歌うというのは、スポーツ・イベントを盛り上げるためだけでない、配慮を感じて来ました。
 歴史に「if(もし)」はないけれど、日本の文科省がもう少し目を世界に向ければ、モデルはあったのです。昨今のAKB48のような、子どもたちに人気のアイドル達を雇って、プロスポーツ界に要請し、あらゆるプロスポーツのセレモニーの一環として国歌を導入していれば、学校の入学式や卒業式で国歌を歌うべきか歌うべきでないかというような不毛なイデオロギー上の争いは早晩消滅していたことでしょう。児童・生徒やその保護者をイデオロギー上の対立に巻き込んだり、教員組合ともめて処罰者を出したり、校長さんの自殺者を出したりすることもなくて済んだかも知れません。スポーツ界や行政が、スポーツのあり方も国を思う気持ちも、文化として国民と一緒に育てて行くものだと理解していれば、自然に国歌を歌う子どもたちを育てることはできた筈だと未だに残念に思います。

3 未知との遭遇

 NFLが心配しているように、アメリカも日本も、子どもの「巣ごもり」現象は似たところがあります。子どもは「自然的存在」なのにほとんど外で遊ばない(遊べない)ようになれば、自分の中の自然的要素をどのように理解する人間が育つのか、壮大な「動物実験」をやっているような気がします。霊長類ヒト科の動物が幼少期に社会的集団の中で自然を素材とした体験活動をしなくなったという社会は人間の歴史にいまだ登場したことがありません。これまで「ヒト科の動物」は社会集団と自然の中の教育と学習を通して「人間」になって来ました。「巣ごもり」をして社会集団にも、自然にも接する機会を喪失し始めた時、子どもに何が起こるのか、人類はまだ知らないのです。遊ばない子ども、遊べない子どもはまさしく人類にとって「未知との遭遇」なのです。

アメリカ通信5
ウオッシュレットとバード・フィーダー
-文化伝搬の不思議-

(1)ウオッシュレット

 アメリカでは義妹夫妻のところで世話になり、何から何まで彼らの助けを得て、亡妻の遺産の処理から大学図書館の調べものまで果たすべきことを全て果たすことができました。今回は彼らの献身的なお世話に報いようと特別のプレゼントを準備して参りました。それが日本文化の生んだウオッシュレットです。
 アトランタの空港の男子トイレにTOTOの小便器があったのでいよいよ日本の衛生機器メーカーもアメリカ南部まで進出して来たかとある種の感慨がありました。40年前、フォード・トラクターのディーラーをしていた義父のところに全く英語の分からないクボタ農機の営業担当が販路の開拓に来た時、筆者もまた日本企業の営業担当になったつもりで胸躍らせて通訳を務めました。恐らく、義父は北キャロライナでも早い方のクボタ農機の代理店だったことでしょう。義父の依頼で大きな横板に英語と日本語でクボタ・ガーデン・トラクター代理店と書いて看板を上げたものでした。小回りの利くクボタのトラクターはアメリカの菜園で人気の商品になったと聞きました。トラクターはアメリカに発する文化だったので、日本製であっても導入に際して心理的な抵抗は全くなかったのでしょう。
 ところがウオッシュレットは話が違いました。アメリカ在住の娘と筆者が二人掛かりでその効用と爽快感を説いたにもかかわらず、義妹夫妻は最後までうさんくさそうに筆者を見つめるだけで最後まで「うん」とは言いませんでした。トイレ文化は、日本製トラクターの導入とは別物のようで、筆者が準備して行った特別プレゼントは不発に終りました。
 日本では長い間手洗いを「ご不浄」と呼んできました。「不浄」とは概念上、清潔ではないところなのです。恐らく何処の家庭でも手洗い用のスリッパは特別で、便所のスリッパを履いて居間に入ることは非常識のそしりを免れないことでしょう。事はすでにトイレの衛生問題ではなく、きれい好きな日本人の文化問題なのです。ホームセンターに並ぶ家庭用品コーナーのトイレ関連グッズの多様さには驚かされますが、これも衛生問題ではなく文化問題なのだと思います。今や、日本の多くの家庭からトイレの衛生問題は消滅しています。むしろ取り散らかした子ども部屋より清潔であると言っても間違いではないかも知れません。しかし、未だに、トイレのスリッパはトイレだけの使用に限定されていることでしょう。
 日本文化が十分に身に付いていない中学生などが学校の便所で「トイレ飯」を喰うという話も知っています。このように事実上、トイレはもはや特別に不衛生なところではないのです。しかし、多くの日本人の感覚には「ご不浄」概念が強く残っているのでトイレのスリッパだけは特別扱いなのだと思われます。「便所掃除」も他の掃除と違って「特別の掃除」になっている筈です。そうしたきれい好き文化の背景の中から生み出されたものがウオッシュレットだったのです。ウオッシュレットはきれい好き日本文化を象徴しているのです。説得しながら我ながら吹き出したのですが、ウオッシュレット文化論は日本人の尻が如何にきれいで、アメリカ人の尻が如何に汚いかを説くはめになりました。義妹夫妻がしらけるのも無理はないですね。最後は、採用すればこの町で「行列のできるトイレ」になるとまで言ったのですが失敗でした。

(2)自分への土産はバードフィーダー

 バードフィーダーとは小鳥にえさをやるえさ台の事です。こちらは逆に欧米の文化的産物のようです。アメリカの住宅街を散歩すると何処のお宅にも洒落たバードフィーダーがあって色とりどりの小鳥が寄って来て餌をついばんでいます。見ているだけでも楽しくなります。筆者のアメリカ時代はいずれも借家でしたが、庭にバードフィーダーを置いて小鳥を招く事はアメリカ生活の楽しみの一つでした。鳥の名前も図鑑を傍らに置いて沢山憶えました。ところが以前日本に持ち帰ったバードフィーダーが老朽化して壊れたので、わが街のお店を探しまわったのですが何処にもありません。恐らく、日本の文化概念に庭で小鳥にえさをやるという楽しみ方が存在しないのでしょう。花鳥風月を楽しむ事は日本の風流と粋を代表する文化精神だと思うのですが、花を作ったり、月見をしたり、風鈴を吊るして風を楽しむことはあっても、鳥を庭に寄せるという事はしないのですね。
 アメリカと日本は時として、お互いにお互いのことを知らないバードフィーダーとウオッシュレットが対話をするようなところがあるのでしょう。異文化間のコミュニケーションはなかなか難しい事なのです。
まずは「論より証拠」だと思い、筆者は、奮発して、赤い屋根の付いた家型の可愛いバードフィーダーを分解して土産にもって帰りました。
 暇ができたら組み立てて餌を入れて庭に置き、友人たちにも披露するつもりです。さて、日本の小鳥は筆者を訪ねて来てくれるでしょうか!?

「脳トレ」の基本は「読み、書き、交流、情報収集」です

 福岡県岡垣町の団塊世代のライフスタイル講座に呼んで頂きました。講義を終ったら「もの忘れ」が多くなったという男性受講者から「脳トレ」の具体的方法についてご質問がありました。
 年をとれば脳の老化は当たり前ですから「もの忘れ」も当たり前ですが、筆者が日常実践している詩歌の音読や朗唱やメル友との交信や「風の便り」の執筆などを紹介するに留めました。説明が足りなかったな、と反省しています。改めて一文を書いてみたという次第です。

(1)「読み、書き、交流、情報収集」

 東北大学の川島隆太先生のご研究以来、脳の活性化法が大部分かって来ました。公文出版からは「痴呆に挑む」という特別養護老人ホームにおける「脳トレ」の実践記録も出ています。「脳トレ」を謳った市販の教材も書店に並ぶようになりました。しかし、日常生活に「読み、書き、交流、情報収集」を日課として組み込んでいらっしゃる方々にとっては、特別のトレーニングは必要ありません。日々、新聞・雑誌・小説などを読み、読んだ事を日記や手紙に書いたり、メール通信の交換をしたりすれば「読み、書き」については十分でしょう。問題は手紙やメールを交換する「交流」の相手がいるかどうか、です。交流とは人間相互のコミュニケーションを意味します。それゆえ、友だちや仲間の存在が非常に重要になります。ところが、高齢期の特徴は過去の人間関係が希薄になり、職場の縁も、地縁も、時に血縁ですら遠くなります。多くの高齢者が近距離に語り合う友もいなくなり、孤立と孤独の中で暮らさなければならないということが起こるのです。交流の相手が居なくなれば、コミュニケーションが取れませんから話す機会も書く機会もなくなるということです。
 高齢者が集団に参加して生涯学習やボランティア活動を続ける事が決定的に大事になります。活動は活動者に「活動の縁」をもたらすからです。「活動の縁」とは、趣味、お稽古事などを通して繋がる「同好の縁」、学習を通して生まれる「学びの縁」、ボランティアや社会貢献を通して結ばれる「志の縁」などがあります。それゆえ、高齢期に活動から遠ざかった人は「出会いの縁」からも遠ざかって、孤立する危険があるのです。

(2)活動が原点

 活動は「目標」と「内容」と「方法」で出来ています。何を達成したいのか、何を目指すのかが目標です。目標の実現のために何をするかが「内容」です。活動を進めるためには、何処で、誰と、いつ、どんな風に、どのくらいお金と時間をかけるのかを決めることが不可欠です。これらを決めて、活動を上手く進めるためには、人に尋ねたり、本を読んだり、インターネットで探したりすることが不可欠です。活動が情報収集や勉強に繋がるのはそのためです。
 活動は人間の生きる力を維持する原点です。就中、労働を離れた高齢者の活力の原点です。結論的に、日々の活動をしている人は「脳トレ」もしているということです。筆者の講演のテーマですが、「お元気だから活動するのではないのです。活動なさっているからお元気を保つことができるのです」。「脳トレ」も、「活力」の維持も全て日常の多彩な活動の中で行なわれているのです。労働を離れ、活動を見つけることができなければ人間の心身は一気に衰え、やがて高齢者は滅ぶのです。医者は「廃用症候群」と呼び、筆者は「負荷の教育」論と唱えています。「安楽な余生」は人間の衰弱を加速するのです。

お知らせとお礼

1 第114回生涯教育移動フォーラムin長崎にご参加の皆様、雨の中を遠路有り難うございました。

 長崎の「草社の会」の皆様の心意気に福岡も大分も佐賀も応えた形になりました。これからは長崎県内を持ち回りにして会場を設定するというお話しでした。1回目の緊張が薄れて2回目以降は難しいものですが、来年の再会を期待しております。

2 第115回生涯教育移動フォーラムin廿日市

 広島の準備は整いました。どうぞ奮ってご参加ください。日時会場は以下の通りです。
日時:平成23年12月10日(土)(13:00-21:00)11日(日)(9:00-12:00)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市「市民大野図書館」、交流会:宮浜リフレクラブ) 
主要プログラムについては前号:142号をご参照下さい。

* 山口の「Volovoloの会」は日程だけが決まっております。1/21-22(土-日)です。新年のスケジュールに入れて頂けると幸いです。
* 2012年の最初の「生涯教育フォーラムin福岡」は1/28(土曜日)です。山口の勉強会に続きますが、第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会の第1回実行委員会とフォーラムを抱き合わせにして同日に行う予定です。
* 例年通り、大分のフォーラムは2月の最終週末(2/25-26)に行なわれる予定ですが、まだ詳細の連絡は届いておりません。

更新の季節がめぐって来ました

 皆様のご支援の賜物で、「風の便り」は、来年2012年には12年目に入ります。元気に書き続けて来たことは、振り返って皆様に蔭に日向に守って頂いたような気がします。インターネットの時代が来ましたが、引き続きわざわざハードコピーを依頼される方々の遠回しの思いやりも察しております。本当にありがとうございました。もちろん、読者は何百人と移り変わりましたが、移り変わることのない読者もいらっしゃることは重々承知しております。重ね重ねありがたくお礼申し上げます。
 筆者も古希を越え、最後の10年を生きると宣言して、新しい一人暮しの日々を生き始めております。「The Active Senior-これからの人生」を書き、「安楽余生やめますか、それとも人間やめますか」を書きました。今年中に「熟年の自分史-人生のラストメッセージを書こう」が出ます。倒れるまでは書き続けますが、途中で倒れることも予想しておかざるを得ません。その時は郵送料も印刷代もお返しできません。恐縮ですが、小生への香典とお諦め下さい。メッセージカードを同封します。今年もお付き合い頂ける方は、ご意見・ご感想などご自由にしたためて2千円を添えてお送り下さい。
 また、メルマガをご希望の方は、その旨を新しいメールアドレスまでお知らせ下さい。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 アメリカから戻りました。若き日の思い出にも40年付き合った彼の地の人々にも今生の別れを告げて参りました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。

山口県長門市 藤田千勢 様

 家出娘の件はあなたの責任ではありません。我慢すること(耐性)を教えなかった現代っ子の教育公害に直面しておられるのです。
 唯一の保護者であるあなたを失えばどんな運命が待っているか彼女も分かっているのです。分かった上で、自分の欲望とあなたのやさしさ(甘さ)を天秤にかけて試しているのです。
 許してやるという判断をなさったとしても、以後は彼女があなたの指示を確実に守る旨の誓約書を書かせて下さい。約束なしでお許しになってはなりません。子どもには、世の中は「おまえの思う通りにはならない」ということを骨身に滲みてわからせることが大事です。不幸な少年期を生きて他人を操作することだけを覚えたのでしょう。彼女はあなたや「児童相談所」と駆け引きをするつもりなのでしょう。私であれば彼女が自分の行動に反省を示すまで「一時保護所」に戻します。「反省」も「約束」も嘘かも知れませんが、形を積み重ねて人間は変わって行くものです。それが「偽善の勧め」です。
 未熟で不幸な娘に「感謝する心」を期待してはなりません。それは人間の最高級の能力です。そんなものが彼女に育っていると思ってはなりません。まずは、「ヒト科の動物」を「人間」に育てる為にはルールと約束を守る社会規範の型を教えるところから始めるしかないのです。
体力も我慢する力もないのに「確かな学力、豊かな心」を求めるのは教育界の絵空事だと申し上げて来た通りです。

長崎県 草社の会の皆様

 大会のご成功おめでとうございました。底力を見ました。日本の社会教育行政は日本が最も教育を必要とした時代に教育を捨てて、市民の自発的学習のみに委ねるという政策転換を行ないました。これからは再度教育重視の再転換を図らない限り、高齢社会を乗り切ることはできません。行政関係者の皆様がこぞってご参加になった第1回大会は極めて重要な意味を持つであろうと期待しています。ありがとうございました。

山口県山口市 上野敦子 様

 報告書を拝見いたしました。大島まな先生から「耐性」研究の話もお聞きしました。上手く進むことを願っています。出来るかぎりのお手伝いをするつもりです。

佐賀県佐賀市 秋山千潮 様

 懐かしいお声を聞きました。私の紹介を名乗って押し掛けた関係者も居たそうでご迷惑でなかったことを祈ります。本人は館長さんの「特別研修」を受けたと大喜びでほくほくでした。
 3月16日は約束通りに参りますが、せっかくですから関先生や鴻上先生とご相談なさって、講座の後、高齢化問題をめぐる勧興フォーラムの開催を企画してはいかがでしょうか?内輪のささやかな会でいいでないですか!ご提案まで。

大分県日田市 財津敬二郎 様

 25周年事業の熱気に打たれました。先生のお元気の秘訣を垣間みた思いがします。小生も熱気に感染して、張り切り過ぎ、いささか喉を痛めました。申し上げたいことが身体の奥から湧いて来る感じでした。何から何までお世話になり誠にありがとうございました。

編集後記
見納めの風景

スタンクリフ通りの朝やけは
毎日散歩の楽しみでした
夜明けの月が白く残り
松や樫や楓が聳え
梢に風が渡ります
風に乗って雁も渡り
日本では見なくなった郷愁の風景です
日射しを受けて一斉に葉が散り
冬支度のリスは芝生に忙しく
家々の庭には魔女や幽霊が並び
窓にはハロウィーン・ランタンが見えます
空は一点の雲もなく
ひわは梢に胸を張り
秋だ、秋だと歌います
亡き妻の後始末は終りました
後三日経てば
私は玄界の海に帰り
あなたはクレモンズの森に留まる
さようならアメリカ
さようなら義妹
不思議な縁に結ばれて40年の歳月を生きたが
もう会うことはないだろう
ようやく寂寥と友となり
ようやく一人に慣れました
日本も菊香のころでしょうか
もうすぐ家郷に帰ります
私を待っている人がいます

 子どもたちがそろい、孫達がそろい、親戚もそろって、10か月遅れの亡き妻の葬儀を終りました。喪主は小生の葬儀の予行演習も兼ねて息子に務めさせました。若い住職と若い息子の息も合ったようで簡素ないい式でした。
 斯くして、小生の本棚から妻の遺骨が消え、妻の写真と犬たちだけの一人暮らしに戻りました。喧噪より寂寥、繁華より静寂、贅沢や洗練より質実剛健・粗衣粗食の生活を選んで暮らしています。学文社から「熟年の自分史-人生のラストメッセージを書こう」の第2次著者校正も上がって来ました。

 年々歳々花相似たり
 歳々年々人同じからず
 されど
 新しく生きんとすれば胸熱く 四季折々の花に逢う
 今日はふたたび帰ることなく 誰も代わりには生きられない
 彼方の果ては茫々なれど   覇気に輝き行かんかな 

「風の便り 」(第142号)

発行日:平成23年10月
発行者 三浦清一郎

「一人暮らし」の孤立-高齢者が滅ぶ時

 この何日か買い物時のレジ以外は誰とも口をきかずに過ごしました。メールだけが外との繋がりです。これが独居の危機ですね。
 静かで自由な勉強の時間と日常の他愛の無い会話の両立は難しい課題ですが、アメリカから戻ったら新しい工夫を考えないと現実生活で自分が孤立します。ご近所は「無縁社会」と化し、馴染みの喫茶店や馴染みの一膳飯屋もパートだらけの「日雇い」になって、人間関係を作る場所がなくなってしまいました。まさか金を払ってシルバー人材の方に「話し相手」をお願いする訳にはいかないと思いますが、その「まさか」が近づいているのです。特に、職を引いた一人暮らしの現代人は完全に孤立したのですね。

1「さびしい日本人」の大量発生

 水資源や森林資源を共有し、屋根の葺き替えや祭りを共同した時代は、防災も、防犯も、人間関係も共有していました。共同体及び共同体文化が支配的であった時代は、退職後も隠居後も人付き合いの縁は慣習や擬似的な制度としてご近所やムラ内・町内会の範囲に存在していました。 共同体には「近所付き合い」という慣習が存在し、住居が近所であるというだけで「相互に助け合うべき」という価値意識も、「仲良くしたい」という感性も健在でした。それゆえ、引退しても歳をとっても、ほとんど誰も孤立することはなかったのです。ご近所であることは同時にご近所の縁に連なることでもあったからです。 
 しかし、日本人の生活は、共同体および共同体文化の衰退と平行して都市化し、人々は多様な価値観と感性にしたがって自由に生きる個人に変身したのです。共同体を離れた個人は、それぞれが思い思いに自分流の人生を生きることができるようになりました。「車社会」が実現して行動の範囲は、共同体の人間の想像を超えて拡大し、気の合う仲間は必ずしもご近所で探す必要はなくなりました。換言すれば、現代人は「自由人」になったのです。「自由人」の人間関係は居住地域に制約される必要がなくなったのです。「ご近所付き合い」が崩壊するのは時間の問題だったのです。自由人は、自分流の人生を主張します。自分流とは、自己欲求優先、自己都合優先の生き方です。
 自分流の人生を主張するようになった以上、当然、己の生き甲斐も他者との絆も自分の力で見つけなければならなくなりました。「自分流」の対語は「自己責任」だからです。

2 [選択制]の落し穴

 日々を生きる自由も自立も、社交の人間関係も、ライフスタイルも「選択制」になったのです。新しい人間関係を選び取ることのできた人はともかく、「選べなかった人」、他者から「選ばれなかった人」は「無縁社会」の中に放り出されます。誰も助けてはくれません。自身の「生き甲斐を見つけようとしなかった人」や、探しても「見つけることのできなかった人」は「生き甲斐喪失人生」の中に放り出されます。誰も世話を焼いてはくれません。
 中でも職場の縁を離れた高齢者は、自分が探さない限り、ご近所の縁はありません。血縁も遠くなりました。子どもも孫も自己都合優先の生き方をするようになり、年寄りをかまっている暇はないからです。「親孝行したくないのに親が生き」は時代を象徴する秀逸の川柳です。
 また、「地域デビュー」という言葉が登場したのもあなたが地域に出て行かない限り、地域はあなたの世話は焼かないということです。高齢者に地域デビューが必要だということは、これからの人間関係はすべからく自分で切り拓く選択的関係であることを意味します。自由とは「選択権」があなたにあるという意味です。「選択権」が重荷になっても「選択しなければならない」のが民主主義の原理です。「選択しなくても」、「選択放棄という選択肢」を選択したことになるのが民主主義の自由です。選挙の「無党派層」の「棄権」行動から、高齢者の「引きこもり」まで、社会とは関わらないという「個人の選択」と解釈されるのが民主主義です。民主主義はあなたに選択権があり、同時にあなたに選択能力があるということを前提として成り立っている仕組みだからです。もちろん、日々の生き方を自分が主体的に「選択する」ということは、かならず自己責任を伴い、願い通りの選択は簡単に実現できることではありません。選択権があっても選択能力を伴わない人も間違いなく存在します。しかし、民主主義にとって自己責任を果たさない人々には、原則として「関知せず」、彼がどう生きようと「知ったことではない」のです。彼の私生活に「関知しないこと」が彼の「プライバシー」を尊重することを意味するからです。「個人情報保護法」という法律はそうした前提の上に成り立っているのです。
 それゆえ、過渡期の日本人の中には思い通りの人間関係に巡り逢うことができず、自由の中で立ち往生する「さびしい日本人」が大量に発生したのです。中でも退職後の高齢者は「さびしい日本人」の筆頭です。「さびしい日本人」とは、共同体を離れ、自由になった個人が、他者との新しい関わり方を見出せず、また、仕事にも、仕事以外の活動にも十分な「やり甲斐」を見出せず、孤立や孤独の不安の中で「生き甲斐」を摸索している状況を指します。自分から進んで「新しい縁」を探さなければ高齢者は孤立するのです。

3 「新しい縁」の不可欠性

 高齢社会はみんなが長生きになる社会でも、長生きをした人々がすべてみんな幸せになれる社会でもありません。高齢化とは、人々の寿命の平均値が伸びるということであり、長生きした結果が幸福であるか、否かは個々人の生き方に保留されています。高齢化が平均値である以上、長生きできる人々の「ばらつき」は必然的に発生します。
 従来の生涯学習の課題は主として社会的課題でした。それらは例えば情報化、国際化、各職域の技術革新など社会的条件の変化に対する「適応学習」(「適応教育」)の問題として脚光を浴びてきました。
 しかし、熟年の心理を襲う最大の発達課題は「ひとりぼっち」になることです。アメリカの心理学者ロバート・ペックはそれを「情緒的貧困化」と呼びました(*1)。それゆえ、熟年期の生涯学習の緊急課題は「社交」の創造なのです。「社交」の創造とは、旧来の血縁、地縁、結社の縁に代わり得る「新しい縁」を探すことを意味します。熟年が遭遇する孤立と孤独の不安が想像を超えて深刻だからです。

4 新しい縁とは何か―交流は活動の副産物

  生涯学習やボランティアの意義は活動と交流をほとんど同時に生み出すことにあります。交流を深化させて行くのは活動に伴う「経験の共有」なのです。日本人が「同じ釜の飯」を喰うと言い習わして来たことです。それゆえ、交流は活動の副産物なのです。活動が生み出す人々の交流は「同じ釜の飯」の縁であり、「活動の縁」です。
 高齢者の社交の創造に「活動」が重要になるのもそのためです。労働にも労働以外の活動にも人々の出会いを他律的、半強制的に創造する機能を内蔵しているからです。人間相互の協力を必要とするあらゆる活動に他律的に交流を要求する機能が含まれています。協力しなければ活動が成り立たず、当該活動が人間の協力・交流を前提にしているということです。
 それゆえ、活動しない高齢者は「職縁」が切れたあと、新しい縁には出会うことは稀になります。

5 「戦友」は見つかるか

 退職後の高齢期の活動は、必然的に、労働以外のものにならざるを得ないので、趣味、お稽古事、学習、社会貢献などに収斂するでしょう。したがって、「新しい縁」とは「同好の縁」であり、「学縁」であり、「志縁」であるということになります。活動内容が楽しくて、易しいほど参加者にかかる負荷は小さく、内容が高度で一定の責任や義務を伴うものほど負荷が大きくなり、「縁の結束」は強くなります。したがって、「同好の縁」は楽しくてもいざという時の頼りにはならないかも知れません。「学習の縁」は中身如何によって人々の結束力が変わって来ることでしょう。みんなが苦労した学習は負荷が大きく、楽しいだけの学習は負荷は小さくなります。ボランティアのように義務と責任を伴って、苦労を共にする「こころざしの縁」は活動の負荷が大きいだけ、「戦友」になり得るのです。「戦友」とは、互いの結束が固く、いざという時、お互いがお互いの頼りになる関係だということです。無縁社会を突破するカギは「志縁」にあると言い続けて来た所以です。

6 活動を怠れば滅ぶ

 活動と社交が熟年期の活力を生み出し、ボケを防ぎ、心身の衰耗を先に延ばすのです。程々の「負荷」をかけて感覚体を働かせることが「生きる力」を保持することに繋がっているからです。「元気だから活動するのではなく、活動しているから元気を保つことができる」と何度も繰り返し述べて来た通りです。
 生理学者ルーが「ほどほどの負荷」の重要性を論じ、近年の医学界が「廃用症候群」に注目しているのも、使わない人間機能は衰退し、やがて消滅してしまうからです。
 かけるべき「負荷」の程度については高齢期になればなるほど個体差が大きくなるので一律の基準を断定的にいうことは極めて危険でしょう。しかし、向老期の個人的実感でいえば、「現有能力の一割前後」が程々の「負荷」の目安になるでしょう。「普段の力よりも、5~10%ほどがんばって努力する」ということが熟年の「生きる力」を維持して行く処方です。がんばり過ぎることは危険だが、ほどほどのがんばりは極めて重要であるということです。
 熟年が己に負荷をかけてがんばり続けるためにこそ仲間が必要であり、「戦友」が必要なのです。社交の創造は高齢社会の活力を維持する重要な処方の一翼です。だからこそ「社交」の促進に教育的配慮が必要であり、プロの参加が必要になるのです。公民館の職員の任命にあたって、現在の行政は、定年の危機;すなわち「労働」から「活動」への移行の失敗、生涯スポーツと生涯学習を安楽に傾けた失敗、「社交」と「交流」の貧困化の反省と研修はほとんどありません。定年後、活動を停止してしまうことが如何に有害であるか、人間関係の輪がどんどん小さくなって行くことがどんなに危険なことか、果たして高齢者行政は分かっているでしょうか?活動と社交によって自己を防衛することを忘れた熟年は無為と孤独に少しずつ喰い殺されて行くのです。人間関係の貧困化が熟年期の人々にもたらす衝撃を全く分かっていない役所の職員をほとんどたらい回しの形で福祉や生涯学習行政に位置付ける愚行にいまだ地方のトップは気付いていないのです。このままでは日本の高齢者は滅びます。2020年、昭和20年の戦後生まれは75歳になり、以後、ベビーブーマーが続きます。男性の健康寿命72歳、女性は76歳です。医療費、介護費の社会負担を考えれば、まさに「高齢者爆発」と呼ぶべき状態が出現します。

6  「縁」を探し、「縁」を創る

 人生は「活動」で出来ている、と喝破したのはスイスの老年学者ポール・トゥ-ルニエでした。人生50年の時代には、生活の糧を稼ぐことがあまりにも大変で、重要であったが故に、我々はややもすると人生は「労働」でできているかのように錯覚しがちでした。もちろん、現在でも平均寿命が短く、経済発展が滞っている国では、実態として人生は「労働」でできていることでしょう。
 しかし、日本の場合には、トゥ-ルニエの指摘を受けてみれば、労働は「社会が要求した」「生産活動」或いは「サービス活動」であり、活動の特別な形態に過ぎないことに気付かされます。何よりも人生80年時代に突入した今、定年後の「活動の空白」は「活力の空白」に直結しています。退職後の残された時間は労働以外の「活動」によって埋めなければならないことは誰の目にも明らかになったのです。ところが「労働」から「活動」へのスムーズな移行は言葉で言うほど簡単ではないことを見落としがちなのです。周りを見渡せば、これ迄の「労働」が日々の「糧」を稼ぐ厳しい義務であった分だけ、退職後の年金暮らしが「無為」となり、「安楽」となりがちです。その故でしょう。労働の終りが活動の停止になってしまう人は数多くいるのです。
 しかし、人間の活力及び心身の機能を開発・維持してきた要因は「労働」という「活動の特別形態」にあったのです。仕事を通して、人は「頭を使い」、「身体を使い」、「気を使って」機能を向上・維持し続けてきたのです。労働から解放されて人々がその持てる機能を使わなくなれば、脳味噌であれ、筋肉であれ、おそらくは内臓であれ、その働きは一気に衰えます。労働の終りが活動の停止になった時、その後の人生にとって如何に危険であるか明らかでしょう。活動の停止は急速な機能の衰退と下降を意味するからです。
 一人になったあともお元気に活動を続ける熟年は、定年後の活動に心身を使い続けることによって自らの活力を維持し、活動を通して絶えず人間関係のネットワークを補充しているのです。「活動」の「やり甲斐」と「社交」が生み出す存在の実感;「居甲斐」が熟年のお元気を支えていると考えてまちがいありません。「社交」こそが心の拠り所として新しい人間関係を開拓して、老後の孤立から人々を守ることになるのです。活動は社交を通して新しい人間関係を生み出し、その仲間が反応しあって弁証法的に次の新しい活動に進化して行くのです。かくして活動と交流は相互に影響しあって熟年の生涯を豊かに保って行くのです。

  
113回フォーラム論文再考:
「女性が主導するしつけと教育の陰」を巡る議論

前回論文で小生が達した結論は概ね次のようになりました。

1 幼少期の教育において、女性は文化や教養や礼節に比べて、体力や耐性を相対的に軽視しています。したがって、「体力指導」の「能力」の問題ではなく、「体力・耐性」要因についての「価値意識」の問題です。

2 しかし、彼女たちに「軽視している」という自覚はないでしょう。筆者が「体力・耐性こそ最重要」とした指導をサボタージュしたという意識もないでしょう。

3 女性の価値意識は男支配の筋肉文化の下で長い時間かかって作り上げられた歴史的感性を原点としており、当然、自分は子どものために最善の選択をしていると感じている筈だからです。

4 もちろん、女性も、「体力・耐性」の重要性を頭では理解していますが、体力の価値よりは文化の価値の方が高いというのは、女性にとっての歴史的な自然であり、男性との感覚のちがいを特に意識することはなかった筈です。

5 しかし、彼女たちの「体力錬成」基準を遥かに超えた筆者の鍛錬プログラムに立ちはだかったのは概ね女性保護者と女性専門職なのです。

6 結論的に、女性は、男性に比べて体力についての「重要度」の認識や「評価基準」が低いと考えざるを得ないのです。

7 筋肉文化の主役の男性は「筋肉」(腕っ節)を競って生きてきました。体力や持久力の重要性は男の身体が分っています。これに対して、女性は、「文化」や「教養」や「礼節」や「美貌」を競って生きてきました。結果的に、女性は「筋肉」の強靭さや「心肺機能」の豊かさの意義を過小評価していると感じざるを得なくなりました。要するに、女性は頭で分っても、身体で分っていないのです。

8 教育上の打開策は二つあります。第1は幼稚園・保育所から小学校まで、幼少年教育における男性指導者の比率を増すことです。第2は鹿児島のヨコミネ氏のように徹底して体力・耐性指導のできる女性指導者を訓練によって作り上げることです。両方とも、日本社会が体力・耐性の重要性を意識し直さなければできません。

9 現状のままでは幼少年の体力・耐性が危ういのです。

議論の焦点

1 「身体で分かっている女もいるのです」という反論が来ました。

 もと陸上部の女性から女を全部ひとからげに扱うなという抗議が来ました。その通りだと思いますが、論文の中でいちいち「女性指導者の多くは」と書けばくどくなるだけなので、「女性は」と総論的に書きました。総論に例外は付きものであることは筆者も重々分かっております。

2 「少年教育を危うくしたのは女性である」と断言すれば、男女共同参画を言う資格がなくなるのでは、というご意見もいただきました。

 「少年教育を危うくしたのは」女性が「自らの価値意識の偏り」を意識しないままに、保・教育現場の主導的位置を占めた事の「副作用」です。「副作用」の危険を指摘しましたが、「副作用」があるから、大元の「クスリ」がだめだということには必ずしもならないと考えます。「副作用」を軽減するように「クスリ」を服用すればいいだけの事ではないでしょうか?男女共同参画の「陰」を指摘する事と男女共同参画思想を否定する事とは全く別の事です。

3 問題を「女性性」とか「母性」とかに還元しないで欲しいという意見もありました。

 「男らしさ」や「女らしさ」を筋肉文化の遺物として否定し、人間らしさだけを抽出したとしても男性ホルモンと女性ホルモンの違いを消すことは出来る筈はなく、「男性性」、「女性性」は残ります。
 体力・耐性の軽視を女性性の為せるわざであると断定はできませんが、どこかで関係していることも確かではないでしょうか?雌のマウスに男性ホルモンを注射すると通常以上に攻撃的で、兇暴になるという実験を聞いたことがあります。

4 所詮は教育に求める両性の「基準」の違いの問題ではないか、というご指摘もいただきました

 「基準論」には2つのアプローチがあると思います。
 第1は、体力・耐性の訓練を体験した機会が男性と女性では、量的・頻度的に大きく異なっているという問題です。「やったことのない事はできないし」、「知らないこともできない」という教育論に帰結します。こちらは「筋肉文化」が規定する「男らしさ」と「女らしさ」の基準の違いが両性間の教育基準の違いとして発現しているという感想です。多くの女性指導者は、自分がやったことのない「相撲」や「竹登り」を教えることは発想しないということです。「体力指導」についての能力上の問題ともなり得るという指摘です。体験がなければ、発想できず、発想できなければ、教えられる筈はないからです。

 第2は、そもそも両性間の筋力・体力の違いが、教育発想の基準に関係しているという視点です。プロのスポーツが男女を分けているのは明らかに両性間の筋力・体力の能力差に注目した結果でしょう。能力の違いが考え方の違い、基準の違いに反映する事は当然なのです。男性と女性では、子どもの体力に対する要求基準が違うのは当然であるという指摘です。

5 全ては男性支配文化:「筋肉文化」が女性に要求した結果が女性の価値観も女性保護者及び女性指導者の体力・耐性に対する評価基準を作っている、という男女共同参画理論の原点に戻る意見もありました。

 われわれの価値意識も感性も所詮は社会化の結果であり、社会化の中身は全て当時の支配的文化の影響を色濃く反映せざるを得ないことは当然です。それゆえ、女性が男性と異なった発想や感性を持つこと自体男性支配文化が女性に求めた結果であるというご指摘です。総論としてはその通りでしょうが、それ故に、男性支配文化を否定して、男女共同参画を進めて来た訳ですから、その過程で女性の「体力・耐性」に関する意識だけがなぜ他の分野に勝って色濃く残ったのかは、総論だけでは説明がつかないと思います。

6 「困難に打ち勝って疲れず」こそ幼少年教育の真髄-倉橋惣三

 議論の途中で「倉橋惣三」論が飛び出しました。標記の主張を掲げ、子どもの全筋肉・運動能力の向上を唱えた方だそうです。筆者も、そうだ、そうだと思ったので、帰宅後、インターネットで調べてみると、彼は、大正に入り、東京女子師範学校附属幼稚園の主事になりました。日本の幼児教育の中心的ポストに就いたということです。彼は形式主義的な保育のあり方を徹底的に批判し、当時の日本に浸透していたフレーベル観を一掃したそうです。
 しかし、彼の理論にも関わらず「子宝の風土」の幼少年教育の現場実践が「困難に打ち勝って疲れず」を目標にした事は、「軍国少年教育」を除いては、これまで一度もなかったのではないかという感想を持ちました。もちろん、ここにもヨコミネ式を始めとして例外がある事は承知の上で総論を書いております。しかし、例外が無視できないほどに沢山あるのならば、日本の子どもがここまでへなへなになることはなかった筈だからです。

無知とケチと愚図は滅ぶ

 地域住民との懇談の機会があって、偶然、お二人の高齢者にお会いしました。お一人は神社にご関係があり、書道を良く為さり、前任地では人々に書を教えていたと誇らかに語られました。もう一人はスポーツをよくされる多趣味な方でいろいろ挑戦し、どれもモノになったという強者でした。懇談の中でそれぞれが語ったところによると、書道をよくされる方は事情があって家族で九州に引っ越して来られ、いまだ日も浅いので知り合いもなく、無聊を持て余しているとのことでした。一方、多趣味万能の方も、退職後いろいろ習い事に手をつけたが、習うばかりでは退屈でこれからをどう生きて行くか思案にくれているということでした。
 筆者はさっそくわが街にある市民の相互教授システムを紹介し、「自分の能力が活かせること」、「多くの市民と出会えること」、「指導の場は事務局が作ってくれること」、「場所も、時間も、回数も指導者自身が自由に選べること」、「ボランティア教授であるが応分の費用弁償が出ること」、「すでに150名になんなんとする市民指導者が年間7万人もの市民学習者の指導をしていること」などなどを熱っぽく語りました。

“ボランティアか!?”

 書道を為さる方の奥様が同席していて眼を輝かせて筆者の説明を聞き、質問をし、ご主人の膝を叩いて、「素晴らしい、こんな街があるとは聞いたことがない。あなたのための仕組みですよ。」と勧められました。しかし、私の説明に反応した奥様の積極姿勢が気に入らなかったか、ご主人の方は「ボランティアか!」と言って腕を組み、「もう少し考えてみる」ということでした。
 私は「募集は偶然今月で締め切りなのです。2年に1回しか募集しませんから、この機会を逃すと2年後にしか巡って来ません。」と申し上げました。決断を急かしたようで、私の一生懸命さが却って悪かったのでしょうか!ご主人は断るタイミングを見つけでもしたかのように「じゃあ、あと2年、待とう」という結論になりました。奥様は誠に残念そうでしたが、ご主人の機嫌の悪さを察したかのように、それ以上は何もおっしゃることなく口を閉ざしました。いろいろ重なったのでしょうが、お見受けするところ、ご主人の方は今ですらすでに大部生気をなくしておられました。このまま無為に過ごせば、加速度的に老いが進行し、2年後に指導者はもう務まらないだろうし、私も推薦者にはならないだろうと思いました。没落する高齢者の「臨界期」です。今手を打たなければ、心身ともにぼろぼろになることは目に見えているのですが、奥様はともかく本人にその自覚はなさそうでした。
「まだ、まちのことを良く知らない」とか「孫の世話もある」とかおっしゃっていましたが、「ボランティア」という言葉が一番引っかかったようでした。前のところでは月謝を取って教えておられたのでしょう。最大の原因はボランティアに対する無知だったと言って間違いではないでしょう。「知らないまちで知らない奴の口車に乗って、ただ働きをさせられてたまるか」と思ったのかも知れません。
 一方の私は、「知らないまちへ来て、高齢者が『無縁社会』を突破するためには、他者のために貢献するしかないのです」、と信じて一生懸命でした。しかも、「あなたを『タダ』で使おうというのではないのです。あなたは他者に貢献できる技量をお持ちではないですか」、とただただ残念でした。「あなたに教えていただいた他者は必ず感謝をもってあなたに報いるのです」、とまで言いました。しかし、せっかくの筆者の好意と熱意と情報の提供を一蹴されて、筆者も鼻じろみました。「女房どのは可哀想だが、『ケチ』と『愚図』は滅びるしかない」と思ったことでした!!

“ボランティアなどやっている暇はない”

 ところで、もう一方の万能選手の方は、興味を持たれたのか、筆者の話を聞いて下さって、住所と連絡先を下さいました。翌日、さっそく事務局に連絡し、会長さんの了解を得た上で、あらためてご依頼の手続きを進めて下さいとお願いしました。この事業は「自薦」を受け付けないので、「推薦状は後日小生が書いて提出します」と申し上げました。わが街の人材バンクは市民に直接指導する市民相互教授シムテムなので、出来るだけトラブルを回避するため、第3者の推薦状が不可欠で、面接もあり、指導者講習を受ける義務もあり、手間ひまをかけて作り上げて来た仕組みなのです。
 ところが、翌日出張から帰って来たら留守電に事務局からのメッセージがありました。「よくよく考えたら自分にボランティアをやる暇などない、と気がついたのでやっぱり止めておきます」と事務局の女性担当者に断ったそうです。「先生、空振りでしたよ!」と「怒り」のこもった伝言でした。
 そう言えば、「謝金」は出るのかと質問がありましたので、謝金は出ません、しかし、費用弁償は出ます、と説明しておきました。ふたたび、彼もまたボランティアという言葉に引っかかったのでしょう。彼もまた「ボランティア・タダ論」の犠牲者だったのかも知れません。
自分が元手をかけて手に入れた技量を「タダで教えてなるものか」というケチな根性が湧いて来たのだと想像してしまいます。他者の指導をすることが熟年期の活力にどれほどの効果をもたらすか、自分の老後にどれほどの実りをもたらすか、恐らく思い巡らしたことはないのでしょう。「退屈で時間を持て余しています」と言ったのは誰だったのか!事務局まで巻き込んで迷惑をかけたかと思うと情けないやら、腹が立つやら不愉快な午後になりました。
 無知とケチの高齢者もまた滅ばなければならないのです。

感想の感想

 二人の友人にこの報告を送りました。腹立ちまぎれに「滅びたい者は勝手に滅びよ!」と結びました。先輩の友人からは、「そうなのです。分っていないのです。」「ケチと愚図は滅んでも仕方がないのです」と同意見の感想がきました。後輩の友人は「怒りが和らいだら、きっとまたお節介を繰り返しますよ、うっふふ。」と返事が来ました。がんばっている高齢者はがんばらない高齢者に厳しく、まだそこに行ったことのない現役世代は高齢者に寛容であるということでしょうか?
 一体全体、日本の高齢者教育は何をやって来たというのでしょうか?

究極の断捨離

1 「自分の時代」の葬儀

 自分の時代の裏側は「自己責任」である、と書き続け、また実践をしています。生まれて来た事は運命的なことで、おのれの意志に関係はありませんが、死は意志的に迎えることができます。安楽余生論や「ぽっくり信仰」の対極に「自死」論があることはすでに前著で論じたところです。3年前に宗像で「死に方講座」を開いたのも最終的に死は自分で始末をつけるところが大きいと考えたからです。ひろ さちや氏のように、人間は生きているだけで「迷惑な存在なのだ」という人もいますが、意志的に生まれて来た訳ではない以上、「生きていることの迷惑」は勘弁してもらうとして、「死に際の迷惑」は出来るだけ残された者にかけないようにしたいと願うのは礼儀であり、人情でもあるでしょう。
 与えられた命を精一杯に生きた後、われわれに出来る事は人生の結末を自分でつけておきたいということになるでしょう。妻の突然死を経験して以来、残された者の心身の負担は並大抵ではないということは骨身に滲みて分かりました。日常の断捨離は端的に言えば究極の「死に支度」です。Simple Lifeは人間の死を想定した時の事前の考え方の一つであり、方針の一つなのです。残された時間の少なさ、衰え行く心身の機能を考えただけでも、優先順位を決めて、社交も、モノも、これまでの慣行や行事も切り離して行くしか方法はないのです。葬儀や墓もその一つです。
 妻を失ったとき、通常の通夜や葬儀は「限りなく嘘に近い」と感じました。自分が通夜や葬儀に出席した時、「悲しんでいない」ことは誰よりも自分が分かっていることです。それゆえ、社交の延長としてお出でになる会葬者のお相手をして喪に服することなどできる訳がないと思いました。われわれ夫婦の友人の何人かからは「勝手なことをするな」と叱られましたが、死者への別れは自分で告げ、自分の喪失感は自分で癒し、自分で埋める以外に方法がないという考えは今も同じです。
 
2 万葉集の中の自然葬

 妻の通夜を一人で行い、妻の葬儀は息子夫婦に託した今、迫り来る自分の死の選択肢の一つが自然葬です。もとより、私の場合、家族を信用しているので、葬儀のあり方は残された者が決めていいのですが、次のような万葉集の歌を見つけて、自然葬もまた土に還るいい方法だと思った次第です。「野ざらし」や「鳥葬」は思うだに辛いことですが、散骨は歌にすると優雅なものです。

たまずさの妹は珠かも あしびきの清き山辺に撒けば散りぬる

たまずさの妹は花かも あしびきのこの山かげに撒けば失せぬる

* 言語学者、白川 静さんの解釈では「葬る(ほふる)」は「放る(ほふる)」だそうです。

3 インターネットの中の「自然葬」

 この度あらためてインターネットの中の「自然葬」を調べ直してみました。3年前の「死に方講座」の時に比べて情報量は圧倒的に増えました。自分と同じように、人々の発想が通常葬儀の欺瞞に気付き、究極の断捨離に向き始めているのではないかという印象を持ちました。以下は自分の興味を引いたものの中から順不同に選び出した「自然葬」情報です。

(1) 「自然葬」とは?

 墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称です。

(2) 自然葬請負業者が登場しています

一例は下記のようなものですが、無数にあります。NPOから浅ましくも商魂逞しいものまで多様です。
ex.1
葬儀 総額17万円 全国対応、年間8000件のご依頼実績。すべて含んだポッキリ価格の小さなお葬式
ex.2
NPO家族葬の会、自然葬(海洋葬・里山葬) 簡素でやさしい家族葬をサポートします。

ex.3
美しき海洋自然葬散骨38000円よりご案内を致します。散骨と粉骨お手元供養品など 全国からお受けいたします。

(3) 葬送の自由をすすめる会

 自然葬は思想運動でもあります。遺灰を海や山に還す自然葬は、標記の会が運動を始めたころは違法と思われていました。標記の会は、葬送のために節度のある方法で行われる限り問題はないと主張し、 1991年に相模灘で第1回自然葬を行いました。「自然葬」という日本語も標記の会の創造であると主張しています。
 これについて、法務省、厚生省(当時)も追認する見解を出し、葬送の自由という基本理念が確立した、という記事がでています。

(4) 自然葬の種類
 散骨・海洋葬・樹木葬などがあります。
現在では、いろいろな団体が主催する簡素葬儀、家族葬儀などの「里山葬」や「バラの樹の下で眠る樹木葬」など葬儀様式の提案もより個別的で個性的であろうとする傾向が見られます。
 業者も「お寺さん」から「NPO」までますます多様化しています。「ペットの散骨」請負業も始まっています。「既存墓地から樹木葬に変更します。専門の国家資格者が、既存墓地から樹木葬・桜葬への改祀を代理します」という広告記事も見つけました。

5 自然葬ビジネスの拡大

 「散骨請負業」、「墓地転換業」、「故人からダイヤモンドを作る」という商売まで登場しています。散骨はもちろん日本全域、船、セスナ、ヘリコプターも利用可能です。遠くはオーストラリヤのグレートバリアリーフまで行くというものまでありました。
やれ!やれ!興ざめでしょうか!?

§MESSAGE TO AND FROM§ 

一夜毎はかなくなりぬ 仲秋の月を惜しみて 夜ぞ更けにけり

 この便りが届く頃にはアメリカのアパラチア山脈の月を仰いでおります。娘の“護衛”付きで40数年前の母校を訪ね、若き日の思い出に今生の別れを告げて参ります。皆様のお便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。

鳥取県大栄町 岩垣博士 様

 かれこれ20年になるでしょうか。元気のしるしに北条の梨が届き、元気の証に新しい本をお送りしました。あなたは校長職から教育長となり、そろそろ引かれる頃でしょうか?私もいくつもの職を変遷しました。これから生老病死が始まります。あと何年「元気の記し」の交換ができるでしょうか!

砂丘の梨は元気の証
新しい本は元気の返事
あれからかれこれ20年
あなたもそろそろご退職
小生は古希を越えました
社会教育は倒産し
無縁社会に為す術もなく
辛うじて志縁で繋いでいます
これからが老いの勝負です
あといくとせ
元気の交換ができるでしょうか
今日の日本海は晴れでしょうか
玄界灘に秋冷の風が渡ります

札幌市 竹川勝雄 様

 「少年の鍛錬」は、やるかやらぬかは別として少なくとも既成の概念。しかし「老年の鍛錬」は言葉すら存在しないですね。人生が80年になって、日本人も高齢社会の新しい概念を発明する必要があると思うようになりました。お便りに発奮し、新しい著作に取りかかります。

長崎市 武次 寛 様

 アメリカへ発ちます。学文社の配慮で新しい原稿の著者校正を持参した旅になりました。お蔭で成田や機中の待ち時間を退屈せずに済みそうです。戻りましたら稲佐山でお目にかかります。アメリカの大学の図書館にも坐ってみようと考えています。果たしてアメリカの生涯学習は、従来の成人教育や青少年教育を日本と同じように全部つぶしてしまったでしょうか?見聞して参ります。

142号お知らせ
1 第114回生涯教育移動フォーラムin長崎

日程: 10月29日(土)
会場: 稲佐山観光ホテル
I事例発表:13:30-16:50
(1) 「交流によるまちづくり~生涯学習が目指すもの」
発表者:ヒラド・ビッグフューチャーズ 事務局 川上 茂次
(2)「TEAM GEAR構想とは
~今のまちにしたのも、これからのまちをつくるのも住民です~」
発表者:TEAM GEAR代表/「衣」担当      松本 由利
(3)飯塚市熟年者学び塾の意味と意義
発表者:飯塚市中央公民館         松尾一機
II論文発表:17:00-18:00
未来の必要-生涯学習から生涯教育へ
生涯学習通信「風の便り」編集長     三浦清一郎
III 情報交換・交流会 18:30-

10月30日(日) 「長崎史跡さるく」(オプション)

2 第115回生涯教育移動フォーラムin廿日市

日時:平成23年12月10日(土)(13:00-21:00)11日(日)(9:00-12:00)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市大野図書館、交流会:大野町4区集会所) 
主要プログラム:
* パネルディスカッション-青少年プログラムの成功と失敗の「なぜ」-(1)なぜ育つ、なぜ育たない、(2)なぜ繋がる、なぜ繋がらない、(3)なぜ続く、なぜ続かない―
パネリスト:正留律雄(廿日市市教育委員会地域連携推進員)
(交渉中) 杉原 潔(広島県子ども会連合会専門員)
      佐伯 陽(府中町立府中緑ケ丘中学校校長)
ほか1名交渉中
コーディネーター:森本精造(NPO法人幼老共生まちづくり支援協会理事長)

* 紙芝居/茶会 (中村由利江、大野茶道クラブの野点) 
               
* 15:15-17:00
会場参加型インタビュー・アンケート:
青少年教育のどこがどう問題なのか?
参加者全員:大人は現代の子どもをどう見ているのか→現代の子どもは一人前になれるか?→一人前の条件は何か?→誰が何をすべきなのか?
インタビューワー:三浦清一郎(生涯学習通信「風の便り」編集長)
* 交流会

第2日目
5 9:00-10:15 シンポジューム:
若者が語る「少年時代」-「やってよかったこと」と「やればよかったこと」及びその理由-
登壇者人選中:ビッグフィールド大野隊OBまたはOG
尾道市瀬戸田町子ども会シニアリーダー、ほか他県の青年を選考中
司会:大島まな(九州女子大学)

6 総括提案:現代の欠損体験 三浦清一郎(生涯学習通信「風の便り」編集長)

* 11月は主要メンバーが愛媛大会支援のため「生涯教育フォーラムin福岡」はお休みにします。
* 山口のVolovoloの会は赤田事務局長と柴田代表で場所と内容を協議中です。日程は1/21-22(土-日)と決まりました。新年のスケジュールに入れて頂けると幸いです。
* 2012年の最初の「生涯教育フォーラムin福岡」は1/28日(土曜日)です。山口の勉強会に続きますが、第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会の第1回実行委員会とフォーラムを抱き合わせにして同日に行う予定です。

編集後記
勉学無事の便り

朝昼晩と飯を喰い
準備片付け、床屋に行って
水を蒔いたら日暮れです
ほんの少しの勉学に
今日も一日暮れました。
朝の散歩も精一杯
昼の勉強も精一杯
読み書き体操ボランティア
日々働けど、励めども

前に進まぬこともある
方位360度
老いは無言で寄せて来る
己れごときがと思う時あり
おれがやらなきゃと思う時もある
痛いところはないのだが
草木が枯れて行くように
命が枯れて行くのです

月見ればなるほど千々に悲しけり
我が身一つの秋とはなれり

今日の散歩道

夏と秋とのせめぎ合い
風はいささか秋めいて
朝焼け雲は七色変化
5時半過ぎには家を出て
青田の畦の露を蹴り
小さな蛙の敬礼は
左右に跳んでささげつつ

朝のラッシュの並木道
御者は老いぼれじじいだが
こっちはミンピン2頭立
シティ・ボーイにならんとて
大きな声でご挨拶
お早うさんです、上天気
今日も元気でがんばろう
川には田んぼの堰が立ち
水は満々ナイアガラ
鴨はすいすい仲好しこよし
ひとりぼっちの白鷺も
どうやら今朝はご機嫌だ
あれに見えるはいつもの婆さん
白い帽子に白いシャツ
育ちが良くてやさしくて
会釈優雅ににっこりと
70過ぎの2頭立
うす化粧さえお見事で
シティ・ボーイに声かけて
お褒めの言葉をもらいます

挨拶できないおじさんは
ラジオ片手にわき目も振らず
ダックスフントのおばさんは
散歩忘れて立ち話
ラジオ体操の面々は
時計台下にたむろして
井戸端会議の真っ最中

来た来たやっぱり今日も来た
6時になると現れる
黒帽黒シャツ黒ズボン
おまけに黒のサングラス
何がそんなに気に入らぬ
右も左も睥睨し
ぶすっとするからブスになり
犬まで気が立ち吠えかかる
オレが言ったらセクハラか
お前たちなら正当防衛
油断大敵火の用心
犬鍋にして喰われるぞ

城山の上に雲かかり
霧の中から陽が昇る
今日も残暑がきびしいぞ
川面のトンボが触れ回る

 息子夫婦の演出で孫と初めて対面式。「育爺」目指してがんばりました。「今は山中、今は浜」、「500マイルを汽車が行く」。電車ごっこのせいでしょう、腰と膝とを痛めました。張り切り「育爺」けがのもと。
ホテルに届いた毎日新聞。一面大きな広告で、人生語録のご紹介。
 著者は笹川良一氏。モーターボート協会で日本全国施して、「B&G」を建てました。東西南北、津々浦々に自分の銅像も建てました。人生語録の真ん中に彼の「お説」がありまして、筆者に水をかけました。
「孫と遊ぶことが楽しいようになっては人生もお仕舞いだ。棺桶の用意をした方がいい」。
 生前銅像は嫌いだが、人生語録は本当でしょう。
 むかしの人は言いました。「孫可愛がるより、犬可愛がれ!」。高齢社会への提案です。孫に耽溺すべからず。盲目の奉仕は愛の毒。孫を滅ぼし、本人を滅ぼし、日本国を滅ぼします。孫がいるからボランティアが出来ない、のではありません。孫がいるからこそボランティアをするのです。「孫可愛がるより、ボランティア!」、「育爺より育自」。ばあさんのことはいざ知らず、じじいは孫の手本です!

「風の便り 」(第141号)

発行日:平成23年9月
発行者 三浦清一郎

「近くの他人」の崩壊~無縁社会を生き抜く方法

 お盆の花火大会の真っただ中で、家族の強い不満と制止を振り切って、入院中の友人をお見舞いした主婦の便りを読みました。海を明るくする恒例・評判の花火大会の真っただ中、家族、親戚、友人たちのおもてなしの賑わいと喧噪の中で、敢えて外部世界への回路を必要とする友人の身の上に思いを馳せることのできる彼女の感性に感服しました。「お見事」であると同時に「志縁」がなければできる事ではないでしょう。
 日本のお盆は「故人が還る」という仏教思想のもとで、生き残った人々が歓を尽くし、懇親を深め、人それぞれに家族や友人たちとの殻にこもります。病人や一人暮らしの高齢者はすでにそうした殻を失っています。ひとりぼっちの人間は、お盆では余計に、故人の記憶とともに燦々たる夏の陽光の下に放り出されます。やがて自らも彼岸へ旅立つ事を予感せざるを得ません。日本のお盆は自然が最もその生命力をあらわにする時期だけに病人や一人暮らしには己の無力を思い知らされるのでしょう。世間は花火大会や家族の再会で浮かれていても、入院者や一人暮らしにとっては、世間の賑わいが一層孤独を深めることでしょう。それが己に与えられた「定め」と思えば、更に堪え難いでしょう。
 伊東静雄が歌ったように「我が定めを知りし後 たれかよくこの烈しき 夏の陽光の下に生きむ」(「八月の石にすがりて」)です。
 家族は遠く、或いは浮き世の多忙に紛れて、見舞いに来ることもできません。晴れ上がった夏空の下で病院暮らしの友人の友人はさぞ深々と孤独だったことでしょう。
 お盆の家族行事を抜け出して友人を見舞う彼女が唯一の外部世界への回路だった筈です。お盆と花火大会の賑わいと家族の懇親に、一時とは言え背を向けて、病院暮らしの友人に新聞を届けに行く「束の間の見舞い」を選択できる人は無縁社会の橋になろうとしているのです。

1 「ご近所同士」と「向こう3軒両隣」感性の消滅

 無縁社会は現代日本の日常語になりました。「ご近所同士」も「向こう3軒両隣」の縁もほぼ消滅しました。「近隣の縁」は、かつて、生活の共通基盤を意味し、「親密さ」や「助け合い」を意味しました。
 しかし、今や、ご近所や組内の概念は、「同じ地区に住んでいる」という「居住地区の共通性」のみを意味するようになりました。ご近所に住んでいてもゴミ出しと回覧板以外、生活の共通基盤は存在しません。近隣の縁は不要になったという事です。
 近隣の縁の消滅は、「おたがい様」という価値観や感性も、「ご近所同士だから」という親密さの前提も消滅させました。
 かつて、居住の縁の背後にあったのは共同体文化です。共同体を支えて来たのは、お互いの幸も不幸も、あるいは成功も失敗も全メンバーに何らかの影響を与えるという「共益の共有」が存在したからです。森林資源も、水資源も、防災も、防犯も、祭りも葬式も共同した方がメンバー相互の利益に適っていたからです。しかし、共同体文化を支えた産業構造は農林漁業の生産システムです。共同体を必要としたのは「農耕条件の共同管理」や「漁業に伴う共同作業」だったからです。
 第2次、第3次産業が日本の稼ぎの大部分をたたき出すようになった現在、農林漁業を背景とした共同体文化が消滅するのは時間の問題でした。農林漁業が主役でなくなると同時に、日本人は村落共同体の「共益」からも、半強制的な「共同」からも解放され、「共同体の成員」から「自由な個人」になったのです。
 高齢者の引き蘢りや孤独死、若者の自己中犯罪の多発は「自由な個人」を支えている自由主義と個人主義の裏側から発生する副作用です。節度なき自由主義は勝手主義に転落し、社会との契約を教えられなかった個人主義は自己中に転落するからです。この時、不適応も、堕落も、犯罪も自由な個人の自己責任であるいうのが「無縁社会」を出現させた思想です。「無縁社会」は「他者と関わる事に失敗した結果」の現象であり、同時に、自己都合を優先し、「他者と関わりたくない」という思いの結果です。「個人情報保護」の思想がその象徴です。

2 崩壊したのは「しきたりと慣習」、「干渉と強制の仕組み」です

 かつて、「遠い親戚より近くの他人」と云われ、「渡る世間に鬼はない」といい、共同体は人々の情けに支えられました。しかし同時に、共同体は、しきたりと慣習、干渉と強制の仕組みでもありました。共同体文化における女性の地位や若者の「権利」と「自由」を考えただけで如何に共同体の束縛が個人に及んでいたか十分想像できる筈です。例えば、男女共同参画の思想の最大の敵は共同体文化であり、その中で主導権を握って来た長老の男たちだったのです。女性の平等を妨げて来たのは、二本足の伝統であり、共同体文化を体現した老人男性であった事は昔も今も明白な事実です。
 その共同体は生活の共通基盤を失ってとうの昔に崩壊し、共同体文化の残骸は慣習や伝統の名目で農林漁業を伝統とする地方にかすかに残るだけになりました。しかし、そのような地域でも「3ちゃん農業」や「兼業農家」の割合が増加し、生活の共通基盤は今や「水資源」の管理ぐらいが残るだけになりました。
 共同体が誇った相互扶助や近隣の縁は、祭りや神楽の行事などにかすかに残っているだけで、やがてその意味の分かる人々も死に絶えることでしょう。

3 女性の解放、若者の解放

 伝統的村落共同体が崩壊した後、人々は慣習やしきたりや義務的な共同作業から解放され、自由になりました。中でも女性と若者が自由を獲得しました。自由になった女性が農家に嫁がないのは、女性を対等に認めない慣習やしきたりに対する女性の意思表示であり、そうした慣習やしきたりを信じて暮らしている男たちへの明白な抗議です。斯くして農家は後継者が育たず、男女共同参画の意義すら分らない男支配の地方文化のもとで、日本の農業そのものが崩壊して行くのです。若者の多くも息の詰まる共同体の「タテ社会」を逃れ、長老支配からの自由を求めて都市に出ました。「変わりたくない男」の頂点は村の長老である事は自明です。
 現代日本人は、自分の自由を縛るもの、個人の生き方を制約するものを拒否したのです。最も縛られていたものが最も自由を求めるので、女性と若者の反逆が一番烈しいのです。
 その結果、女性も若者も、自己都合を優先し、自分の思いどおりに人生を送るようになりました。「自分らしく」生きたいと希求し、「自己」を「実現して」生きることが暮らしの理想になりました。どんなに伝統の衰退を惜しんでも当該の伝統が客寄せやビジネスにならない限り締め込み姿で神輿を担ぐ人々はやがていなくなります。女性は、共同体文化を身に付けた男たちと結婚しようとはしません。共同体文化は「筋肉」が支配した「筋肉文化」であり、男に比べて筋肉の働きの劣る女性を侮辱し続けて来たからです。行政が旗を振る愚かな「婚活」が必要になるのはそのためですが、男女共同参画の理念が分らない行政の男性担当者に「婚活」支援が出来る筈はないのです。

4 「さびしい日本人」の大量発生

 日本人の生活は、共同体および共同体文化の衰退と平行して都市化し、人々は多様な価値観と感性にしたがって自由に生きる個人に変身したのです。共同体を離れた個人は、それぞれが思い思いに自分流の人生を生きることができるようになりました。自分流の人生を主張した以上、当然、己の生き甲斐も他者との絆も自分の力で見つけなければならなくなりました。「自分流」の反対語は「自己責任」です。
自由も自立も、人間関係も日々のライフスタイルも「選択制」になったのです。新しい人間関係を選び取ることのできた人はともかく、「選べなかった人」、他者から「選ばれなかった人」は「無縁社会」の中に放り出されます。自身の「生き甲斐を見つけようとしなかった人」や、探しても「見つけることのできなかった人」は「生き甲斐喪失人生」の中に放り出されます。「定年うつ病」などはまさしく退職者が「生き甲斐」を「喪失」または発見できない事に大いに関係があります。自己都合優先社会とは選択的人間関係を意味し、選択的人生を意味します。日々の生き方を自分が主体的に「選択する」ということは、かならず自己責任を伴い、願い通りの選択は簡単に実現できることではありませんでした。それゆえ、過渡期の日本人の中には自由の中で立ち往生する「さびしい日本人」が大量に発生したのです。「さびしい日本人」とは、共同体を離れ、自由になった個人が、他者との新しい関わり方を見出せず、また、仕事にも仕事以外の活動にも十分な「やり甲斐」を見出せず、孤立や孤独の不安の中で「生き甲斐」を摸索している状況を指します。

5 「渡る世間に鬼はない」から「渡る世間は鬼ばかり」へ

 人気の脚本作家、橋田壽賀子氏は無縁社会の到来も「近くの他人」の崩壊も予測したのでしょうか!?
 「渡る世間は鬼ばかり」はお茶の間の一大ヒットドラマとなりました。恐らくみんな他人事として作中人物がそれぞれの人生で「鬼」と「遭遇」することをおもしろおかしく見ていたのだと思いますが、今になってみれば、年をとったあなたも私も、作中人物と同様に、振り向いてもくれない世間の鬼のなかで孤独に苛まれる日を予感しなければならなかったのです。「近くの他人の崩壊」とは居住地域が共通の人々の間のぬくもりのある人間関係の崩壊であり、あなたの生活上の危機も気持ちの上での孤独も己の才覚と自己責任で切り抜けなければならぬ時代が来たということです。誰もあなたに指示したり、あなたの生活に干渉することはありませんが、その裏側は、親戚と言えど、ご近所と言えど誰もかまってくれず、誰も助けてはくれないということです。「渡る世間に鬼はない」から「渡る世間は鬼ばかり」へと変わったのです。「鬼」とは、もちろん、人間の孤独と孤立を象徴しています。

6 人間欲求のもたらしたもの

 誰も、無縁社会の到来を望んではいなかったと思いますが、伝統的共同体の息苦しさを嫌い、豊さと自由を求めた私たちの生き方の帰結が共同体の崩壊でした。社会を変えて来たものは、我々の欲求でした。“昔は良かった”と伝統的共同体の絆の強さを懐かしみ、無縁社会の現状を嘆いてかつての伝統的共同体に戻そうとする考えもあります。しかしながら、我々自身が望んで変えて来た共同体が元の共同体に戻ることはないでしょう。なぜなら、共同体の崩壊によって、失われたものも多かった一方、得たものも多く、誰も自由や人権や貴重な「得たもの」を捨てて元の共同体に戻ろうとはしないからです。
自由を得た個人は以前の日本人ではなく、新しい日本人です。女性も、家族も、共同体の枠を越えたつながりを持つグループやサークルも、人々の暮らしの価値観もスタイルも変わってしまったのです。
無縁社会とは自由社会の裏側です。自己責任社会の「負」の部分が表面に出た社会の事です。無縁社会は多くの課題を抱えながらも、日本人自身が望んだ結果ですから、すでに後戻りすることはできないのです。

7 他人は「真の他人」となった

「遠い親戚より近くの他人」と言っていた頃は、まだ共同体が存在し、「他人」は「知らない人」ではあったけれど、共同体の成員同士という暗黙の前提が存在しました。共同体は共通の生活基盤の上に成り立っていた運命共同体ですから、共通の利益:「共益」または共通の不幸:災害や天候不順で繋がっていたのです。それゆえ、自分にとって「他人」は身内でなくても、知らない人であってもどこかで共同体の共通の利益を共有する存在だったのです。しかし、共同体は崩壊し、産業構造の変化によって共通の生活基盤も消滅しました。
 今、無縁社会が到来したということは,「他人」は「真の他人」になったということです。「知らない人」だけれどどこかで繋がっているだろう他人と「知らないだけでなく全くつながりのない他人」とでは大違いなのです。
 「共同体の他人」は知らない人でもどこかで繋がっている人であり、「無縁社会の他人」は知らない人で全く繋がってもいない人です。日本人の他人発想は「身内」からの距離で図ります。日本人がこだわる「内と外」の考え方です。「内」の中心には、家族や親戚などの「身内」がいて、その外側に友人、知人、仲間などの「仲間内」がいます。更にその外側に「ムラ内」や「町内」があって、その周りに同郷人や同県人がいます。一番外側が日本人でしょう。
 共同体の人間関係は無数の「内なる人」の円が重なってできていました。一番近いのが「身内」だったでしょう。その外側に「仲間うち」があり,更にその外側に同窓とか同郷とか同職場とか同県の「内」があり、最終的に日本人という最外円がありました。同じ学校、同じふるさと、同じ日本人ということは助け合いの条件に成り得たのです
 それゆえ、日本人が使って来た「外人」とは「日本人の外の人」ですから「真の他人」の意味です。ドラえもんのように「地球人」になることのなかった日本人は最外円の更に外側に「外人」を置いたのです。同和問題のような差別意識も被差別部落の人々を同心円上の「内」なる人間関係に入れることを拒否したという点で「外人」概念に類似しているのです。徳川幕藩体制化で「非人」という概念を発明したということは日本人の中に「外人」を作ったということに匹敵するでしょう。アメリカ社会学の教科書は日本の部落問題を黒人差別の問題に対比して「見えない人種」(Invisible Race)と呼びました。差別は基本的に人種問題であるとしか理解できなかったアメリカ人にとって、日本人が日本人を差別するという事は、自らの人種問題の想定を越えており、「見えない人種」概念を発明する事でようやく納得のいったことだったのでしょう。もちろん、当時の筆者にはそうした解説をする能力はありませんでした。

8 家族以外はすべてが「外」になった

 「遠い親戚より近くの他人」と言った時の他人とは同心円上の人間関係の他人です。家族→友人→知人→ご近所→同窓生→同郷人、最後は「同じ日本人同士じゃないか」というところで落ち着きます。繋がりは外へ行くほど薄くなりますが、全くの「他人」になることはなかったのです。漫画「ドラえもん」は、同心円の人間関係を「同じ人間同士じゃないか」というところまで拡大し、「ぼくは地球人」という名セリフの「名乗り方」を発明したことで大いに日本の子どもの国際化と心理的グローバリゼーションに貢献したのです。
 しかし、無縁社会というのは上記の「同じ近所同士」、「同じ地域同士」,「同じ県民同士」、「同じ日本人同士」という同心円上に広がる他人との関係が崩壊した社会を言います。友人同士も部分的に興味や関心を共有する機能的な部分結合の関係に限定されることが増えて来ました。自分を取り巻く人間関係を論じるにあたって「機能集団」とか「目的集団」というようになったのは、ある特定の「機能」や「目的」に関する限り興味や関心や利益を共有する知り合いという意味が強くなったということです。極論すれば、家族以外の全人格的・全生活面を共有する人間関係は存在しなくなったのです。今では、家族ですら「ホテル家族」のように何かの催しにリビングに集まるだけの機能家族になりつつあるのです。あなたを取り巻く他人のすべてがあなたを取り巻く同心円の「外」に位置するようになったのです。あなたが繋がろうとしない限り誰もあなたに干渉しません。あなたは自由であなたの判断で動けるのですが、「新しい縁」を見つけない限り、あなたはいつも独りぼっちになるのです。

9 「他人」はすべて「外人」-高齢者の孤立と孤独

 一人暮らしになった老人に誰も声をかけてくれません。もちろん、日常生活を他人は助けてくれません。こちらからお願いしない限り友人や知人ですら助けてはくれません。知人もすでにお互いを「知っている」というだけであなたの人生に立ち入ることのない他人なのです。「干渉」は禁物で「個人情報」は法律で保護するようになりました。誰もあなたに干渉しないという事は誰もあなたのお世話はしないという事です。一方で、「個人情報保護法」を決めておいて、だれでも困っている人には手を貸しましょうということはできないのです。行政も政治もこの単純な矛盾を自覚していないのです。他者のプライバシーに触るなと言っておいて、他者の個人生活に踏み込んで手を貸してやって下さいというのは無理というものです。
 他人はもはや同心円上の共通の生活基盤を有する他人ではなく,同心円外の他人:すなわち共通事項のない「外人」なのです。「外人」は「内の人」に対峙する表現ですから、「内」なる人間関係が崩壊すれば他人はすべて「外人」になるのです。日本文化における「内と外」の人間関係の枠は共同体の崩壊と同時に曖昧になりました。ムラ内も町内会も意味が希薄になり、「あいつら」と「オレたち」の境界線も曖昧になりました。その分日本社会は身内びいきは少なくなり、役場の職員のコネ採用も激減し、残る課題は賄賂的採用のみになりました。
 共同体文化を背景とした同族、同郷、同窓、同職場を中核とする派閥の力も大いに減少しました。もちろん、あらゆる分野に党派性は今でも健在ですが、利害や思想の共通性による党派性に変わりつつあって従来の「内なるグループ」とは別種のものです。
 政治家の世襲制が批判され、選挙戦のやり方が変わり「無党派」層が増えたというのもそのためです。

10 タテ社会の崩壊

 一人暮らしになった筆者を助けて下さるのはご近所の知人でも一般社会の他人でもなく,特別の価値や感性を共有する志縁の方々です。志縁はムラや町内会や、同窓会や職場の縁とは関係がありません。志縁は、居住地域の共通性(地縁)とも、既存組織の人間関係(結社の縁)とも基本的に「縁」の成り立ちが異なっています。
 日本社会における従来の縁の大部分は、中根千枝氏の指摘通り、居住地区や職場など生活における「場の共有」と「経験の共有」で成り立っていました。それがタテ社会の原則です。タテ社会の人間関係は日本文化を横断し、縦断し、あらゆる人間関係に及んでいました。当該の「場」に早くから帰属していたものは「古参」で、新しく来たものは「新参・新入り」でした。経験も長いほど価値が高く、先輩と後輩を差別し、年功序列制度で賃金も差別して来ました。経験年数は日本社会の序列を決める重要な要因でした。しかし、「志縁」には、古参も新入りも関係なく、経験年数も意味をなしません。「志縁」が重要な意味を持つようなったということはタテ社会の崩壊が始まったということです。年功序列賃金の制度や体系が崩れ、実力主義や年俸契約制が導入されたのはその象徴的な出来事です。今や、民間企業では若い実力者の指揮下で年長者働くようになりました。公務員のランク別採用基準の途中評価や別枠採用が導入されれば、タテ社会の本丸が崩れます。変化の時代に、二十歳そこそこで行った試験の結果が能力の証明として終生ついて回ると考えることの方が非常識なのです。変化の時代は能力も志も短期間のうちに変化します。経験年数や帰属年数で現代の能力を測れると考える方がどうかしているのです。教師や医師の免許も勉強しないものには更新しないという運転免許証と同じ原理を導入して欲しいものです。タテ社会から実力主義・支援社会への移行は不可欠です。年功序列社会の反語は実力主義社会、無縁社会の反語は「支援社会」なのです。実力主義の基本は実力の有無、志縁社会の基本は志の共通性です。志縁を成り立たせるものは、価値観と感性を共有するか否かです。
 社会教育という商売柄、筆者には産婦人科医から葬儀屋迄、挨拶をする程度の知人なら沢山います。しかし、知人が他人になった以上、志に共通性がない限り、「知り合い」だというだけでは誰も頼りにはならないのです。

11 遠い家族より近くの「志縁」

 今冬、妻を亡くしたあと、筆者も一人暮らしになりました。今のところ元気で自立・自活しています。しかし、筆者の自立も自活も多くの志縁の人間関係に支えられています。その重要な「環」は研究やボランティア活動を通して培った人間関係のネットワークです。筆者のボランティア実践は週2回の英会話指導です。以前は、「子育て論」や「自分史講座」或いは「死に方講座」など社会教育に関連した領域のボランティア指導も手がけたのですが、1年を通して定期的に学習者と接することができ、しかも準備に膨大な時間とエネルギーを要しないのは英語指導だと悟りました。それ以降はもっぱら英語指導が私の「地域社交」の源泉になりました。1クラス15人の定員で2クラスですから30名の方と定期的に顔を合わせ1年を通じて同じ目的に向かって勉強します。年に1-2回は懇親の機会も持ちますので多くの方と知り合いになり、仲好しになりました。しかし、妻が元気な間は、自分の本務や多忙の理由もあって、私の方から学級生とのクラスの外のお付き合いは原則最少限に留めて来ました。ところが妻を亡くして、独りぼっちになってみると学習者の皆さんとの会話と交流が日常唯一残された定期的な社交であり、「大人との対話」であることに気付きました。英語クラスは木曜と金曜の夜を当てているのですが、時に、原稿やその他の宿題に追われていると土曜日から木曜日までスーパーのレジのお姉さん以外、誰とも話していない週もあるのです。講演が途切れ、生涯教育フォーラムは月に一度の集まりですから、社会教育の関係者との接触も希薄になります。しかも、社会教育の仲間は遠く分散し、みんなそれぞれの地域で活動中ですから、通信のほとんどはメールになりました。「話さない人は話せなくなる」、「使わない言語は使えなくなる」という「廃用症候群」の原理を引用するまでもなく時々深い孤独と不安に陥ります。認知症や老衰の予防は「読み、書き、体操、ボランティア」であると唱導して来た自分が真っ先に認知症になったのでは笑うに笑えません。一人暮らしにとって「地域社交」は不可欠の条件になったのです。現役の頃や妻が健在であった頃とは事情が一変したのです。

11 高齢者の地獄の1丁目

 高齢社会の到来によって、シルバー人材のサービスから医療、介護、老健施設まですべては経済的な契約になったのです。老後の暮らしはビジネスに囲まれています。高齢者の世話がビジネス化したということは金の切れ目が縁の切れ目だということです。デイケアセンターの日々も、老健施設の暮らしも機能別に分業化された時間割となり、金に換算され、志縁に関係のない「他人」に囲まれ、愛情や共感を前提としない地獄の1丁目です。
 先月号の「一人暮らしのアンケート」に書きましたが、「学ばない高齢者」は滅びます。「目標を持たない高齢者」は学ぶことも活動することもありません。当然、真っ先に滅びます。「体操をしない高齢者」は加速度的に心身が衰えます。「社交のない高齢者」は志縁に巡り逢うことなく孤立します。「学習も活動も継続しなければ力にはなりません」。「家事のできない男性高齢者は女性に憎まれ、配偶者の死後は途方にくれるでしょう」。すべて自業自得なのですが、ほっといてもいいでしょうかね!?社会教育や福祉の関係者は何をやっているのでしょうか!?

女性が主導するしつけと教育の影-筋肉文化否定の裏側-

1 「体力向上」発表プログラムの不在

 山口県山口市阿知須の「井関元気塾」の上野敦子さんは筆者の最も信頼する熱心で献身的な指導者です。今回も立派な夏休みプログラムの発表会をやって下さいました。
 筆者の「負荷の教育」理論を理解し、その忠実な実践者のお一人です。本人はママさんバレーの選手でもあります。
 過去にも体力向上や耐性形成のプログラムについては何度も協議を重ね、少しずつ実践に取り入れてくださいました。今年は幼児体育で著しい効果を上げた鹿児島県の志布志市にあるヨコミネ式保育園の指導法も見学してもらい、担当の先生に親しく教えて頂いたそうで感激して戻って来たということでした。井関元気塾の発表会は今年で5回目になります。しかし、立派な発表会だったにもかかわらず、今年もまた「体力向上の発表プログラム」はありませんでした。なぜでしょうか?
 最初は、上野さん以下女性指導陣の無理解だと思っていました。しかし、我が怒りが静まるにつけ、それは個人の無理解ではなく、女性の無理解であると思うようになりました。だんだん自分が担当した過去の指導経過の細部を思い出し、それこそが男女共同参画の影なのだと得心するようになったのです。
 筆者の体力・耐性理論を理解して下さったかのように思えたにもかかわらず、結果的にその実践に消極的であり、時にサボタージュしたのはすべて女性指導者が関わっていたことに気付きました。事は女性の感性と価値観の問題であり、女性が主導するしつけと教育の問題であり、筋肉文化を否定する感性と論理の裏側で起こっていた事ではないかと気付いたのです。

2 間違えないで頂きたい

 筆者の嘆きを間違えないで頂きたい。
 筆者は女性が体力・耐性の錬成プログラムを「担当する能力」がないと言っているのではありません。現状では「担当する気」がないと言っているのです。鹿児島のヨコミネ式の錬成プログラムは普通の保育士さんがヨコミネ氏の指導を受入れておやりになっていることは重々承知しています。(現状に至るまでヨコミネ氏が女性を説得するのに大変苦労したということも聞き及んでおります)。それゆえ、女性にも指導能力はあるのです。しかし、多くの女性には指導意志がないのです。
 指導「能力」はあっても、指導する気がなければプログラムは絵に描いた餅です。筆者が口角泡を飛ばして喋って来たことは多くの女性にとって絵に描いた餅だったということです。音楽やお茶や、料理や裁縫や、生け花や俳句学習や、平和学習や読み聞かせなどの文化・教養のプログラム要素と比べて、体力・耐性の「価値」を余り認めていないということです。昔遊びも沢山教えたのですが、やっていることはお手玉やおはじき、せいぜい、ビー玉やベーゴマ止まりです。「泥棒・巡査」や「ヘビ鬼」・「S鬼」、陣取り」や「缶蹴り」は恐らくがさつで、品のない遊びとされているのでしょう。
 そうなると、現代の幼少年教育は家庭でも、保育・教育機関でも圧倒的に女性の関与する比率が高いのですから結果は重大なのです。恐らく、草食系男子が登場したのも、いくら言っても過保護の養育の修正ができないのも、へなへなの子どもが氾濫しているのも女性指導者の責任だと断定して間違いないでしょう。「子どもに寄り添う」とか、「のびのび保育で子どもにやさしい環境を」とか寝言のような教育論の氾濫もようやく納得がいくというものです。

3 筋肉文化の価値観と反筋肉文化の陥穽

 気の遠くなるような長い間、労働と戦争を支配したのは男の「筋肉」です。その時代の文化が「筋肉文化」です。「筋肉文化」とは「筋肉の優れた働き」を「最高位」とする文化で、筆者の命名です。筋肉文化の中で男は支配者であり、女は常に男の要求に応えて来ました。男が男に求めたのは体力や耐性であり、男が女に求めたのは文化や教養や礼節でした。体力も、持久力も女性の特技ではなかったからです。男は腕っ節や耐久力にこだわり、女は文化や教養や礼節を愛したのです。
 それゆえ、女性がしつけや幼少年教育の主役になって以来、女性が幼少年に求めたものもやはり自らを鏡とした文化や教養や礼節になりした。もちろん、女性も基礎体力や行動耐性の重要性を頭では理解しています。しかし、幼少年の心身の鍛錬はもはや第1優先事項ではなく、しつけや教育プログラムの必須・最重要課題ではなくなりました。ようやく筆者にも自分の教育実践を通して女性主導の教育の副作用が見えて来ました。男女共同参画思想は筋肉文化を否定することによって登場し得たのです。したがって、女性が主導した教育の副作用とは、筋肉文化を否定したことの副作用であると言って間違いないでしょう。

*拙著、「変わってしまった女と変わりたくない男」(学文社)をご参照下さい。

4 幼少年期は、「知・徳・体」ではなく、「体・知・徳」です

筆者は幼少年教育は体力・耐性の鍛錬に始まり、徐々に学力や規範や感情値(EQ)に重点を移して行くべきだと考えて来ました。体力と耐性があらゆる学習の基礎を為す条件だからです。すなわち、本人の体力・耐性を前提としなければ教えることも学ぶことも出来ないということです。筆者が幼少年期の「教育の順序性」を強調し、体力→耐性→学力→社会性・道徳性→共感能力・感情値の基本順序を崩してはならないと言い続けて来たのは、底辺が肉体、途中が理解力、頂点が徳性・精神だからです。人間は霊長類ヒト科の動物から出発します。それゆえ、肉体こそが学問や精神の器であり、基礎と土台だからです。それゆえ、学校教育が言う「知・徳・体」の3原則は間違いではありませんが、トレーニングの順序は「体・知・徳」でなければならないのです。それゆえ、最近はやりの「たしかな学力、豊かな心」というスローガンも、教育の順序性を無視した間違いです。「生きる力」の基礎体力と途中の理解力や社会規範の道徳教育を飛び越して子どもの共感能力や感情値を高めることなどできる筈はないからです。
5 常に我が鍛錬理論に消極的であった女性指導者

(1) 霞翠小学校

 思い起こすと色々あります。かつて長崎の霞翠小学校の「生きる力・学ぶ力」の指導をしたことがあります。筆者は理論的に何よりも体力向上プログラムを重視します。学力を上げるために体力と耐性の錬成から始めることを主張します。体力と耐性こそがあらゆる学習の基本であり、「生きる力」を形成する基本だからです。
 霞翠小のプログラムは先生方の一致した協力を得て大成功に終ったのですが、毎日の10分間マラソンや50キロを越える鍛錬遠足はすんなりとは決まりませんでした。他の分野については実に良く理解して下さった女性教師陣の反応が今ひとつ消極的だったことを思い出します。毎日の10分間マラソンを厳しく導入したことも、鍛錬遠足を54キロの島一周のコースにした時も最初に分ってくれたのは若手の男性教員でした。主役の実行者も男性校長と男性教員でした。ためらいを見せた女性教師陣に安心してもらうために、当時唐津や下関まで80-100キロの道を歩き通していた、福岡県古賀市の青柳小学校の高橋校長先生の話を聞きに行ってもらいました。
 
(2) 豊津寺子屋

 また、福岡の旧豊津町で「豊津寺子屋」を導入した時、筆者の説に従って、体力向上プログラムやキャンプ等の野外活動を熱心に推進したのは、決って男性の熟年指導者でした。男性陣がいなかったら、私のプログラム提案が果たして実行委員会で通っただろうかと疑問に思うくらいです。女性指導陣は、お花やお茶や、書道や俳句や、料理やカルタ取りなどの指導に張り切っていましたから、筆者や男性指導陣の強い主張がなかったら、恐らくプログラムは女性指導陣の好みに傾いたであろうことは疑いありません。朗唱の発表も、まさに消防士のように行進し、警察官のように並べと、「軍隊」が嫌いで「平和」が好きな女性の皆さんに気を使っていたことを思い出します。筋肉文化の頂点は「戦」ですから、迅速な整列、一糸乱れぬ行進、あらゆるチームスポーツの戦略など、集団行動に要求される迅速性、持久性、整合性、統率性などの背景は軍隊の訓練に発していることは、男性にとっては自然に理解できることだった筈です。

(3) 八木山小学校

 同じ福岡県の八木山小学校で獅子舞やソーラン踊りに加えて持久力と敏捷性を目指したエアロビックスを導入したとき、指導者には大学のエアロビックス選手権に入賞した現役ばりばりの学生を招きました。しかし、その時、烈しく格好の良いリズムをこなす上級生と同じ演技をしたかった下級生をまだ「むり」だからと判断して止めたのも女性教師陣でした。「むり」の根拠はどこにあったでしょうか!?子どもの好奇心やチャレンジング・スピリットを教育的にどう判断したのでしょうか!?筆者が先生方を一喝して同じ演技をさせるようにと指示しましたが、後で聞くと女性教員は無理して同じようにやらなくてもいいと下級生に言っていたそうです。愚かなことです。下級生はもちろんついて行こうとしましたし、彼らの健気な一生懸命は見るものの胸を打ちました。

(4) 大山保育所

  さらに、筆者の疑問を自覚と確信に変えたのは鳥取県大山町の保育所の事例です。
 鳥取県大山町の保育所には沢山の運動遊具がそろっています。しかし、子どもたちが初めて竹登り、うんてい、タイヤ跳びなどを日常的に経験したのは当時の山田教育長が小学校から男性の佐藤教諭を保育所に特別派遣してからのことでした。「お母さん、見て!見て!」と子どもたちが親に自分のできるようになったことを誇るようになったことは言うまでもありません。
 用心して書かないと女性差別だと言われかねませんが、筆者は断じて女性差別者ではありません。筆者が関わった女性指導者はそれぞれに優秀でした。しかし、彼女たちの感性や価値観は、体力の意義に関しては、男性指導者に比べて相対的に評価が低いのだと思い始めました。男性に比べて女性は、体力や持久力の意義や価値を感覚的に十分評価していないのです。女性の身体が「体力の意義」を分っていないと言ってもいいかもしれません。竹登りも、タイヤ跳びも自分が余りやったことのないことは子どもにも必要ないとどこかで感覚的に判断しているのでしょう。結果的に、女性指導者の下では、幼少年期の基礎体力のトレーニングが疎かになる傾向が強いのです。

(5) 体力向上を目標とした研究校

 文科省の補助を受けて体力向上に取組んだ学校の最終発表の講演講師を務めたことがありました。もちろん、筆者が主張したのは子どもの基礎体力の重要性と筋肉や心肺機能に日常的に適切な「負荷」をかけ続ければ、体力耐性の向上に加えて学力も上がるという方法論でした。霞翠小や豊津寺子屋で確信していた教育論です。
 信じられないことですが、その学校は3年間指導したのに、報告書のデータからは、子どもの体力は向上していませんでした。鍛錬すれば子どもの筋肉も心肺機能も決して裏切ることはありません。学力や思考力のように頭脳に関係する分野と異なり、多少の個人差はありますが、肉体の反応は正直です。身体に重度の障害があって鍛錬が不可能な子どもを除けば、必ず肉体の鍛錬の成果は上がります。学校全体で国の補助金まで貰って3年も体力向上プログラムに取組んで、しかも体力が上がらないというのは、トレーニングが実質的な鍛錬に「なっていない」からです。教務主任は教育事務所から抜擢された「やり手」の女性だったということです。

6 結論

 繰り返しますが、筆者は断固女性を差別するものではありません。しかし、女性は文化や教養や礼節に比べて、幼少期の教育における体力を相対的に軽視しているのではないか、と最初は疑い、今は確信するようになりました。もちろん、彼女たちに「軽視している」という自覚はないでしょう。筆者の指導をサボタージュしたという意識もないでしょう。それが長い間かかって作り上げられた女性の歴史的感性であり、価値観だからです。体力の価値よりは文化の価値の方が高いというのは、女性にとっての歴史的な自然であり、男性との感覚のちがいを特に意識することはなかった筈です。もちろん、女性も、「体力」の重要性は理解しています。専門職であれば尚更当然のことでしょう。だから、ラジオ体操も行進も入れます。エアロビクスも入れます。水泳も消極的ながら指導します。しかし、彼女たちの基準を遥かに超えた筆者の鍛錬プログラムに立ちはだかったのは概ね女性専門職なのです。
 結論的に、女性は、男性に比べて体力についての「重要度」の認識や「評価基準」が低いと考えざるを得ないのです。筋肉文化の主役の男性は「筋肉」を競って生きてきました。体力や持久力の重要性は男の身体が分っています。これに対して、女性は、「文化」や「教養」や「礼節」や「美貌」を競って生きてきました。結果的に、女性は「筋肉」の強靭さや「心肺機能」の豊かさの意味と意義を過小評価していると感じざるを得なくなりました。要するに、女性は頭で分っても、身体で分っていないのです。
 教育上の打開策は二つあります。第1は幼稚園・保育所から小学校まで、幼少年教育における男性指導者の比率を増すことです。第2は鹿児島のヨコミネ氏のように徹底して体力・耐性指導のできる女性指導者を訓練によって作り上げることです。両方とも、日本社会が意識しなければできません。このままでは少年の体力・耐性が危ういのです。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 晩夏は何時も寂しくて、蝉さえ声を張り上げて“惜しい、つくづく惜しい”と啼くのです。皆様のお便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。

福岡県立社会教育総合センター 近藤真紀様

 飯塚フォーラムでは何から何までお世話になりました。論文に対する事前のコメント、事後の感想ともに大いに考えるところとなりました。サン=テグジュペリが「最高の贅沢は人間の繋がり」、と言っていたことは知りませんでした。無縁社会が到来して図らずも誰もが納得させられる箴言ですね。「星の王子様」は旅に出てへんてこりんな人間ばかりに出会った筈です。自分の体面を保つことに汲々とする王、賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋、酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む呑み助、夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家、1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点燈夫、自分の机を離れたこともないという地理学者。最近の政治家や研究者を思わせます。王子に倣って薔薇を育て、迷子の百日紅を世話しています。TVを消したら自尊ばかりの政治家が消え、言い訳ばかりの行政が消え、口先ばかりの研究者が消え、日々が平和になりました。王子が学んだのは「愛」と「献身」。スローガン倒れの日本にもっとも欠けていることでしょう。一体全体社会教育はなにをやっているのでしょうか!?

福岡県朝倉市 太田政子 様
 天晴れですね。ほれぼれしますね。あなたは独り言を社会的発言に変え、愚痴を提案に変える名人です。80才を越えて満点とは!「一人暮らしアンケート」を発案した自分でも時々気が崩れます。心していてさえ中々満点になれません。動悸、息切れ、立ちくらみ、投げやりの思い、諦めの境地、寂しさに喰い殺されそうな逃避癖、上がったり下がったりの目標値、ガチガチの肩、筋肉痛、1時間がやっとの集中力。おっとっとっと愚痴はいけませんね。最後のアメリカへ出発します。アパラチア山脈の峯峯に今生の別れを告げて来ます。お心づくしの葡萄が届きました。一期一会の味がします。

東京都八王子市 瀬沼克彰 様

 ご本をいただきました。健筆ですね。小生は老いとの戦いに入りました。アメリカの図書館に坐ってみます。若い時代の闘志が湧いて来るでしょうか?お礼の気持ちは晩学に込めるつもりです。ありがとうございました。

北九州市 小中倫子 様

 これからアメリカのりんに会いに行きます。がんばれ、りん、泣くな りん、ウエールズの頃を思い出せ。私もアパラチアの頂きでたった一人学んだ自分に会いに行きます。

福岡県宗像市 久保誠一 様
 闘病の貴殿に贈る寄せ書きの心づくしのありがたきかな

広島県廿日市市 川田裕子 様

 過日はお世話になりました。お盆明けのせわしい中に皆様にお会できて意見を交わし、会場の様子も伺い、ようやく思いの一致するプログラムができました。ご推薦の通り、「いろいろトマトのスパゲッティ」は抜群でした。もう一度行きたいですね。正留先生、佐伯校長さん、井上さん、川西さんにもくれぐれもよろしくお伝え下さい。こちらは森本代表、古市教授、社会教育総合センターの近藤主任社会教育主事などに報告済みです。

宮島の丹塗りの宮に秋の海の風吹き初めて忘れがたかり

141号お知らせ
1 第113回生涯教育フォーラムin福岡

日程:9月17日(土)15:00-17:00
場所:福岡県立社会教育総合センター(糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511
事例発表者:交渉中

論文発表:男女共同参画の影-筋肉文化否定の裏側、三浦清一郎(生涯学習通信「風の便り」編集長)

3 第114回生涯教育移動フォーラムin長崎

日程: 10月29日(土)
会場: 稲佐山観光ホテル
時間:13:30-20:30(含む交流会)
事例発表: 飯塚市熟年者学び塾の意味と意義、松尾一機(飯塚市中央公民館)ほか
論文発表:未来の必要-生涯学習から生涯教育へ(三浦清一郎、生涯学習通信「風の便り」編集長)

4 第115回生涯教育移動フォーラムin廿日市

日時:平成23年12月10日(土)(13:00-21:00)11日(日)(9:00-12:00)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市大野図書館、交流会:大野町4区集会所) 

* 11月は主要メンバーが愛媛大会支援のためフォーラムはお休みにします。
* 山口のVolovoloの会は赤田事務局長と柴田代表で場所と内容を協議中です。日程は1/21-22(土-日)と決まりました。新年のスケジュールに入れて頂けると幸いです。
* 2012年の最初の福岡フォーラムは1/28日(土曜日)です。山口の勉強会に続きますが、第31回中四国九州地区の生涯教育実践研究交流会の第1回実行委員会とフォーラムを抱き合わせにして同日に行う予定です。

編集後記 二度目の「尊厳死宣言」

 ふたたび尊厳死宣言書を書きました。前回も同じものを書き、妻に託したのですが、不憫なことに妻の方が先に逝ってしまいました。一人暮らしはどこでどう倒れるか分りません。そこで今回は二人の子どもを含め「勉学無事の便り」をお送りしている4人の方に委託することにしました。書式はインターネット上に例が示されていますのでそれに倣って自筆で書くことが原則でしょう。公正証書にしておくことが勧められていますが、書式作成の時間や分量によって少なからぬ経費が発生します。
 以下は「宣言書」に盛り込むべき条件です。

1 精神が健全な状態にあるときに書いたものであるという本人の説明。2 自分の病気が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には、いたずらに死期を引き延ばすための延命措置は一切断りたいという意思表示。
3 もちろん、この場合、自分の苦痛を和らげる措置は最大限にしてもらいたいこと。そのために、たとえば、麻薬などの副作用で死期が早まったとしても不服はないという意思表示。
4 自分が、数ヶ月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥ったときは、一切の生命維持措置を取り止めて欲しいという意思表示。
5 「尊厳死」宣言の要望を忠実に果たして下さった方々への感謝の言葉
6 一切の責任は自分自身にあることの宣言。
7 宣言書を誰に託すのか、受託者の氏名

あなたに見せたい風景

自分の戦いを戦えばいい

遠いところをありがとう
白薔薇も白カーネーションも深として
静かに窓辺を飾ります
夏の終わりの光りは弱く
海から秋が渡って来ます
黄揚羽は息絶え
赤とんぼが登場しました

農夫は草刈りに余念なく
稲田は緑が波打ちます
いずこから来たか5年前
わが家に根付いた百日紅
凛々しくやさしく美しく
立派な少年に育ちました
風の来るたび敬礼し
真っ赤なぼんぼりいくつも揺れて
しみじみ夏の終わりです

遠いところをありがとう
いささか疲れていたせいでしょう

情にほだされ懐かしさに甘え
我と我が身を憐れんで 
ひと時やさしさに溺れました

しかし、ようやく我に還り
秋を迎えるに大事なのは
為すべきを為すこころざし
あなたのやさしさは有り難いが
必要なのは戦う意志
掃除や3度の飯ではない
いずれ早晩あなたは去り
帰るべきところに帰るでしょう
やさしく肩など揉んでもらっても
明日は一人で生きるのです
寂寥きりきり身を噛んで
心細げに見えるだろうが
どこかで勘違いしてないか
一人暮らしを泣いている訳ではない
戦友が遠いのを泣いているのです
あなたも彼の地に立ち返り
自分の戦いを戦えばいい
それが戦友の証です

「風の便り 」(第140号)

発行日:平成23年8月
発行者 三浦清一郎

「未来の学校」は「地域の学校」

 恒例の飯塚市穂波地区の教育講演会で各学校の指導状況とその結果が教務主任の先生方から保護者の前に公開されました。すでに10年以上も続いた研究会ですが、情報を公開して市民と学校が共有することで着実に進歩を遂げています。それだけでも日本の学校の閉鎖的な現状からすれば特筆すべき事例です。
 学校からの報告の後は教育講演が予定され、筆者は光栄にも研究会が開始された最初から講師を務めて来ました。今回は企画当番校の高田小学校の城谷校長先生から「未来の学校」というテーマが投げかけられました。未来の学校は、穂波地区の研究会が実践している「情報公開」を前提とすることだけは確かですが、「現在」の状況に対比される「未来」の学校のあるべきイメージは何か。日本社会は学校に何を求め、学校はどんな条件を必要としているのかを論じなければなりません。しかし、日本の学校は、「現在」に不満を感じていません。現状に不満のない未来論は、何を論じても空論になることを避けられません。もちろん、筆者が論じる「未来の学校」論も空論にならざるを得ません。政治も行政も、特に権力を仕切っている男たちは、日本に「未来の学校」が必要だとは考えていないからです。

1 自己責任時代の学校
-家庭や地域で発生する子どもの問題は学校の問題ではありませんー

 未来の学校は残念ながら未だその片鱗を見せるに留まっています。しかし世界を探せばいくつかの明確なヒントとモデルがあることは確実です。日本の学校が未来の学校を論じないのは、現状で特に不自由をしていないからです。個々の教員は別として、学校は何も困っていないのです。もちろん、学校を統括すべき教育行政も基本的に困っていることはありません。子どもや家庭・地域には重大な教育問題が山積していますが、現在の分業体制の下では、それらは教育行政や学校が負うべき責任ではありません。家庭やしっかりせよ、地域は連帯と協力を取戻さなければならない、と言っていれば済むのです。自己責任の時代なのです。

2 自己責任時代をもたらしたのは共同体の崩壊です

 伝統的共同体が崩壊した今、日本社会は自由な個人の自己責任体制を原則とするようになりました。自由な個人の前提は、自由な判断、自由な生活、自己都合の優先を原理とし、人間関係もしつけの問題も自給自足と自己責任を原則とします。個人の権利を保障した自由社会のあらゆる組織の特性は自給自足と自己責任です。権利の裏側は義務であり、自由の裏側は責任ですから当然のことです。かくて、個人はもとより、家庭も地域も、問題の解決は自己責任の時代に生きているのです。

3 干渉を嫌えば、誰も世話してはくれません

 孤立してあなたが淋しくなっても、あなたが自分で人間関係を開拓しない限り、人は余計な手助けはしません。うっかりすると配慮は干渉となり、世話はお節介になりかねないからです。あなたの自由を侵害し、あなたの自律的な判断に介入することを恐れるのです。自由人が他者の干渉を嫌えば、誰も世話してはくれません。
 したがって、自分で人間関係を築いて行ける人は問題ありませんが、それができない人、交流に失敗した人は孤立することになります。引き蘢りや孤独死は自己責任社会の「自由の裏側」なのです。
 学校は子どもが当面する問題も、家庭が当面する問題も知っています。広く社会を勉強して視野の広い先生方は地域の問題も知っています。しかし、自己責任社会は己の分を守って他者の領域に介入しないことが原則です。
 それゆえ、問題を診断して、家庭に呼び掛けたり、期待したりしますが、個人の問題解決を学校が自ら引き受けることはしません。日本の学校は、現状の役割分担の枠を越えて、子どもや家庭の教育問題のために「未来の学校」を問うことは稀なのです。子どもに重要な人生上の体験が不足していても、耐性が低くても、時には学力の低迷さえ学校の責任ではありません。先生方は学校の任務は教科教育であり、学習指導(愚かな人々は学習支援と言って子どもの主体性と自己責任を強調します)の一部を家庭に任せ、塾の力を借りることを学校の堕落とも矛盾とも思っていません。愚かな人々は学習支援と言って子どもが主体性と自己責任をもって自ら学習する者だと強調しています。学習しないのはあたかも子どもの責任であるかのように言うのです。
 それゆえ、分らない子どものための居残り学習や補習事業は稀になりました。同和教育には学力保障の問題を解決するための学校に組み込まれた推進員制度があって、特別の教員が割り増しで配置されています。しかし、彼らが時差出勤制をとって放課後の子どもの補習を担当したとはついぞ聞いたことがありません。「学力保障」の理念や声高な議論は飛び交いますが、補習を実行する具体的プログラムは中々聞こえてきません。実際に被差別地域の環境や生活条件が低学力に関係しているというのなら、学校は当該地区の子どもを対象として徹底した補習教育のプログラムを組んで、子ども自身に高度文明社会を生き抜く学力を付けてやることこそが差別を跳ね返す力になる筈です。しかし、ここでも、日々特別プログラムを組んで、具体的な学力保障の教育的プログラムを実践し、かくかくしかじかの効果を上げているというような報告をついぞ聞いたことがありません。

4 養育の社会化

 個人主義・自由主義を原則とする社会では、しつけや養育の問題は家庭や地域が自己責任において判断し、子どもが自由に選択する個人的問題であり、自由裁量・自己責任の問題です。政治が少子化対策の名目で「子ども手当」をばらまくのもそうした発想の延長です。お金をもらっても個人が子どもの養育や発達を必ず保障できるとは限らないことは政治も行政も知っているのですが、人気取りでやっていることですから止めません。幼少年期の保育と教育を統合して、「養育」を社会化し、家族中でも母親の負担を軽減しなければ少子化は止まりません。男女共同参画も進みません。その時学校が「社会的養育機能」の拠点になることは言うまでもありません。未来の学校の重要機能の一つです。

5 問題家族も問題地域も立ち往生しています

 現在、自由裁量・自己責任で最も困惑しているのは、しつけや教育に無関心な家庭であり、そうした家庭の子どもです。もちろん、地域は単なる住宅の寄せ集まりとなりましたから、地域が当面する問題を自己解決する力は全くありません。それが無縁社会の特徴です。共通目的も明確な共通利益もない地域は、自由裁量・自己責任を旗印とする個人主義には全く歯が立たなくなりました。人々は地域の他者の目を気にすることはあっても基本的に地域の干渉は全く許さない環境で暮らすようになっています。子ども会のような地域の教育的な機能を担った組織が全くその役割を発揮できなくなったのは、個人主義は他の干渉を忌避したからです。自由な個人の自由裁量・自己責任の原則に立った暮らしは、事故や急病以外、原理的に地域を必要としなくなったのです。その事故や急病ですらも、普段が普段ですから地域を当てにすることは原則として出来ないのです。

6 教育の必要もプログラムの原理も変わりません

 社会のあらゆる環境条件が変わっても「人間性」は変わらず、したがって「教育の基本」も変わりません。共同体が崩壊して、地域も人間の暮らし方も変わってしまいました。しかし、人間性は変わらず、人生の基本も変わっていません。それゆえ、人間の発達原理も、成長の条件も昔と今で全く違いはありません。やったことのないことはできず、教わっていないことはできないという教育原則は変わらず、繰り返し練習して初めて上達するという鍛錬の条件も昔と同じです。しつけと教育を経て「霊長類ヒト科の動物」は人間になって行くことも何ら変わりません。
 家庭や地域がしつけや教育に無関心であれば、「ヒト科の動物」はまともな人間に育つ筈はないのです。
 誰も干渉せず、誰も手を貸してくれない自由裁量・自己責任の暮らしの中で子どもは放置されて身体だけ大きくなります。幼少期に「早寝、早起き、朝ご飯」が強調されざるを得ない状況は、背後にどんな事情があるにせよ、子どものしつけと教育の崩壊を意味しています。しつけと教育の過程を経ずに身体だけ大きくなった子どもは社会生活も集団生活もできません。
 半人前の子どもに地域も家庭も明らかに困惑しています。学校もその影響を受けます。斯くして集中力・持続力の欠如、規範の不在・集団生活への不適応、日常の礼節や勤勉の「型」の崩壊など子どもの発達支援上の問題の大部分は学校外で発生します。また、一度発生したこれらの教育病理上の症状は回り回って学校の授業や教室の集団生活を破壊しかねませんが、授業崩壊や学校崩壊が現実のものとなるまでは、学校も教師も「家庭よしっかりしてくれ!」、「社会教育は何をしているのか!?」、「これでは学校の本来任務である教科教育が成り立たないではないか!」と言っていれば済むことなのです。この時、問題を理解し、対応策を実行することが可能な家庭だけが子どもを塾に送り、中学校は私立を選択し、スポーツ少年団で規範や耐性の指導を受けるのです。経済的に豊かな地域の学校の子どもの平均点がいいのも、問題行動が少ないのも、当然、「学校の力+塾やスポーツクラブの力」の結果です。もちろん、ここも自由裁量・自己責任の原則ですから、対応策を取らない(取れない)家庭の子どもは教育病理上の症状を抱えたまま身体だけ大きくなるのです。小1プロブレムを解決できなかった学校は、そのまま中1プロブレムを引きずることになるのです。

7 自由裁量・自己責任原則の一時棚上げ

 授業が成り立たなくなり、学級が崩壊するとさすがに被害を受ける子どもの関係者が黙っていないので、その時初めて問題は全体の問題になり、自由裁量・自己責任の原則は一時棚上げになります。初めて学校は今のままでいいのかが問われ始め、現在の学校が批判と分析の対象になるのです。「未来の学校」論はこのようにして登場するのだと思います。

8 現在の学校が捨ててきたものは何か

 学校は世間を代表して「しつけとトレーニング」の責任を負った他者依存システムでした。教師が人々の敬意と尊敬を集めたのはそのためです。家庭は「保護」、世間が「しつけとトレーニング」という「子宝の風土」の役割分業は 個人主義・自己責任社会の到来で崩壊しました。
 学校が「一人前」の訓練を放棄すれば、小一プロブレムから中一プロブレムまで、授業崩壊から学級崩壊まで自己責任社会の「つけ」は最終的に教育を崩壊させ、学校を機能不全に陥れます。「未来の学校」が問われるのはその時です

9 「未来の学校」は「地域の学校」

幼少年教育を立て直そうとするなら「未来の学校」は「地域の学校」にならなければなりません。「地域の学校」とは地域の問題も引き受ける学校という意味です。地域に在る個別家庭が問題に当面しているなら「地域の学校」はそれらも引き受けるということです。
 具体的には次のようなことを引き受けることになります。
* 子どもの成長の「核」となる体験の欠損は、子どもの健全発達の重大阻害要因となります。それゆえ、学校は「欠損体験」は教育的に補完すべきですが、教育的補完ができないのは「プログラム」と「連携」が欠落しているからです
 子どもに起こっている「欠損体験」の関係者の共通理解を促進し、教育の共通目標を確立することが「未来の学校」の第1任務になるでしょう。
*現状は家庭も地域もバラバラです。長期休暇や放課後には子育て支援や社会的条件の格差を是正するため「保教育」、サマースク-ル、補習授業等が不可欠になります。当然、実行のためには学校と社会教育の連携,福祉政策の統合、学校支援ボランティア制度の確立などが前提条件になるでしょう。しかし、男たちが仕切って来た政治や行政では保守・革新の区別なく実行できなかったということが明らかです。
*教育に関わるすべての学校間の連携も不可欠になります。しつけを見直し、青少年の社会規範を打ち立てるためには、幼保から中学校までの共通教育理念の確立と社会規範指導が必要になるでしょう。小中一貫教育の政策も学力だけでなく、どんな子どもを育てるのか子ども像を巡って理念と方法を再吟味する必要があります。
*教育問題を少し離れますが、高齢者の健康を維持し、活力のトレーニングを続けるためには、高齢者が子どもの成長を応援するシステムづくりが有効です。高齢者による青少年教育の支援システムの構築、教育ボランティアの養成と活用のシステム化、そのための予算化とプログラムの創造が不可欠になります。その時、幼老共生のステージは「未来の学校」になる筈です。

10 「地域の学校」は地域の信頼が条件です

 成長も発達もその意味するところは子どもの現状を望ましい方向に変えることです。学校への信頼は子どもを変えることから得ることができます。成長と発達を総合的に統括することが学校の本来の職務だからです。成長と発達を総合的に統括するとは「しつけとトレーニング」の教育権を学校が行使して、所期の目的を達成することです。
 そのために上記の学校間連携が不可欠になるのです。教育成果の大部分は「系統的積上げ」によってもたらされるからです。

「聞き書きボランティア」の募集と養成

 新刊「熟年の自分史-人生のラストメッセージを書こう」を書き上げ学文社に提出して来ました。いろいろ参考書を勉強する中で、最後の結論は、自分史を書くことは「語り草」になることで在る、というところに行き着きました。「読み書き自分史ぼけ防止」という標語にも行き着きました。しかし、問題は書くことは力仕事で一般人にとって決して「簡単ではない」ということです。東京から帰りの車中、「聞き書きボランティア」の募集と養成を考えればいいではないかということに気付きました。以下はその前後の思考の試行です。

1 自分史を書くことは「語り草」になることです

 人生を納得したい人は自分史を書くべきです。お墓を作る代わりに自分史を書くというのは「自分の時代」の新しいライフ・スタイルだと言ってもいいでしょう。
 誰の人生も平坦・平穏ではありません。誰もが様々な自分なりの戦いを戦って今日まで生きたのです。高齢社会の到来によって、人々の老後は自身の衰えや日々の無聊との戦いが長くなりました。人生80年の時代が実現して、人々の「生涯時間」は平均20年にもなりました。自分史は長い老後の戦いの「武器」ともなり「証」ともなります。
 そして幸運にも自分史が読み手を得ることができれば、ささやかといえどもあなたの実在の「歴史的証明」になります。あなたが死ねば、生物学上の実在は消滅します。余り長い時を経ることなく遺族や友人たちの間でもあなたが居たという記憶は薄れることでしょう。しかし、あなたの生きた歴史を作法通りに残すことができれば、その記録はあなたの死後も読み継がれ、未来の読者の記憶に残る可能性が大きくなります。自分史は現代の「語り草」の資料と成り得るのです。かつて人々が来世のために「名を惜しんだ」のは「語り草」になるためです。電子技術や情報機器の発展は個人史の作成技術を誰にでも保証し、長期保存を可能にしました。私たちの個人史もまた数歩「永遠」に近づく機会を与えられる時代が到来しているのです。あなたの人生も適切に記録すれば未来に語り継がれる歴史になり得るのです。それゆえ、あなたの読者を想定し、墓に加えて、あるいは墓の代わりに自分史を書くのです。自分史を書く端的な目的は未来の「語り草」になることです。あなたの死後、あなたの墓参をして下さる方々がおそらくあなたの自分史の潜在的読者であり、未来の読者です。

2 書くことは重労働

しかし、書くことはまさしく重労働です。気負わずに話すように書けばいい、と言われても、中々話すようには書けないし、書いても重複したり、落ちがあったり、筋が通らないことが多いのです。これまでも「下手に書きなさい」、「名文美文を手本にするな」という「ふだん記」運動(*1)や子どもを主たる対象とした「生活綴り方教育運動」や労働運動の一環としての「生活記録運動」などがありましたが、こうした運動が起こったということ自体一般人が「書く」という作業の難しさを浮き彫りにしています。そこで誰もが書き易いように書くべき内容を項目化・様式化した「自分史ノート」が考案され、今では沢山の種類が出回っています(*2)。小林寿美子氏が「物語産業」と呼んだのはビジネス化した自分史文房具の販売や自費出版産業の隆盛です(*3)。しかし、「自分史ノート」に促されて書いても、子どもの夏休みの日記帳のようで、それがあなたの自分史だと思えないことも多いのです。とにかく書くことは簡単ではないのです。
 そこでお勧めしたい書き方は、思い出の断片を一つ一つカードに書いて行くメモ形式の「材料集め」から始めることです。書く材料の集め方は思い出の「連想ゲーム」とでも呼ぶべき方式です。
 筆者は若い頃にこの方法を学び、著述の上でどれくらい助けられたことでしょう。自分が読んだり、学んだりした個別の情報を繋いだり、まとめたりするときの筆者にとっては宝物のような方法です。普通ブレーンストーミング法と呼ばれる課題や情報の収集法と収集した情報を組み合わせる整理の技法と組み合わせて「KJ法」と呼ばれています。集めた情報から自分の考えを紡ぎ出すための発想法です。
 筆者は今でもものを書く時は常にKJ法のお世話になっています。KJ法のKとJは、発明された川喜田二郎先生のローマ字のお名前の頭文字を繋いだ名称です。先生には一度もお目にかかったことはありませんが、筆者にとって、まちがいなく「恩師」のお一人です。

(*1)橋本義夫、『誰もが書ける文章-自分史のすすめ』講談社現代新書、1978
(*2)福山琢磨の創始による「自分史マニュアル・メモリーノート」が発端。「自分史作り方教室」を全国各地で開催。「自分史ノート」の例、ex.1自分史ノート(博善舎)、書き込み式自分史サブノート(詳伝社新書)、生きてきた証を綴る自分史ノート(日本文芸社)
(*3)小林寿美子、前掲書。
(*4)川喜田二郎、 発想法 - 創造性開発のために、中公新書 、1967年

3 「聞き書きボランティア」の不可欠

 筆者は過去に2度自分史講座の担当をしたことがあります。自分史の執筆支援は2度とも継続のご要望が強く、自分に取ってもやり甲斐のあるお手伝いだったのですが、各人の記録したものを「推敲」し、「添削」し、時には「聞き書き」までする支援方法では時間と手間がかかり過ぎてお世話をする方が草臥れてしまうのが大問題でした。当時の私もたまりかねて学生諸君や教職についていた教え子に応援を頼んだりして辛うじてその時のプログラムは無事に為し終えることができました。自分史作成の過程でみなさんが生き生きと過去を語り始め、交流が始まり、宿題をこなしてお元気を取り戻して行く様子が明らかに認められました。自分史は「教育的負荷機能」であり、高齢者の「読み、書き」機能をフル回転させるのに最適なのです。また、執筆のプロセスで苦労を分かち合うことも完成の喜びを共有することも仲間との交流を深めるため大いに有効であることが分かりました。完成披露パーティーは大いにもり上がりました。唯一の欠点が作業時間と支援する側の負担が大きすぎることでした。筆者も疲れ果てて2回で講座の開催を断念しました。
 この挫折経験から、書くことに慣れ親しんできた人以外、散文自分史を完成にまで導き得る指導・支援は、量的・時間的に一人の講師の力では極めて難しいと考えています。
 筆者が経験したようなことが各地で起こったのでしょうか、近年、「聞き書きボランティア」(*)の運動が、自分史を書きたい人にも、それをお手伝いする人にも極めて重要な役割を果たすことが注目され始めました。近年、日本聞き書きボランティア協議会も発足しています。
 この会は、義親を看取った一人の女性の思いから始まったそうです。「協議会」を紹介するインターネットの冒頭には次のように記されていました。

拙い文章だといわれます
ただひたすらに、耳を傾け言葉を拾った、それがすべてだからです
温かい本だといわれます
送った時の笑顔が見たい、それが思いのすべてだからです
現在では、ここから発展して、大都市では「聞き書きボランティア」の養成講座も行われています。似たような試みが広がり、長崎や宮崎でも始まっています。
 語り手は、話すことでご自身の人生を振り返り、自分がしてきたことの意義に気付いたり、「まだ、やれることがある」ことを自覚します。一方、聞き手のボランティアは、単に自分史作成の応援をするに留まらず、クライアントの話の内容から様々なことを学ぶという相互学習の視点も付加されています。聞き書きを通して学習するという理論的背景には、例えば、バイスティック(Biestek, Felix Paul 、1912-1994年 )のケースワーク理論があります。
 筆者は今度3度目の自分史講座に挑戦します。福岡県小郡市の宮原夕起子氏の多大なご支援を頂き実現しました。また、九州女子大の大島まな准教授の応援も頂くことになりました。それでも重労働になることを予想しています。
そこで初めて思い立ったのが宗像市の市民による市民のための生涯学習支援事業:「市民学習ネットワーク事業」における「実験:聞き書きボランティア」の募集と養成です。「聞き書き自分史作成指導ボランティア」を新しく募集し、筆者自身が実際の自分史講座の中で聞き書きと文章構成支援の方法を実習して行きたいと考えています。筆者の自分史支援はKJ法の応用ですのでコツさえ憶えれば誰でも支援が出来る筈です。東京からの車中自分の思いつきにいささか興奮して帰りましたが、事務局や運営委員会の組織的な合意を取り付ける問題もありますので上手くできましたらご喝采
§MESSAGE TO AND FROM§ 

 八月や天神に降る蝉しぐれ

 あっという間に8月が来ました。皆様のお便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。

福岡県宗像市 竹村 功、田原敏美、古野 浩、吉川 尊 様

 いただいた紅白の蘭が玄関を華やかに彩りました。誰にも来ていただかない初盆ですが、私は勉学に集中してダイアンの側におります。

40年前のあなたの写真
銘々膳に飾ります
あなたは若く
覚悟の光りに輝いて
異国の苦労の味も出て
老いた私を見つめます
友人たちが花を手向けてくれました
言葉に窮し、思いに窮し
夕餉の支度にかかります

積乱雲の日曜は
夕べの凪ぎと黄昏れが
近所を静寂につつみます
3個100円の茗荷を買って
庭の紫蘇の葉2枚をちぎり
みじんに刻んで薬味とし
島原そうめん湯で上げて
水でさらして氷を添えて
追い鰹のたれに
おろし生姜
あなたの前に坐ります
夕餉の支度ができました。

山口県 C.F. 様

先月からですが、養父の長年の虐待が発覚して保護された娘を預かりました。この年で孫年齢の、それも今どきの高校生の里子は、どんなに頼まれてもと、ずいぶん躊躇しました。しかし、折りしも東日本大震災で両親を亡くした、150人余りの震災孤児の受け入れを全国里親会では検討しており、地元で、あと僅かな月日で高校の卒業が叶う生徒一人が受け入れられなくては、何の為の役目か、資格か!・・・と、自分を鼓舞し、家族を説得して受諾しました!児童相談所、警察、学校・・・と、公的機関のお堅い頭がチラホラ混じる方々を相手に、彼女が本来在るべき姿の自分を取り戻し、来年3月には自立が出来るように、生活支援しながら、社会への適応能力を高めてやる為に、粉骨努力しております!既に年齢的に人格形成は出来ているでしょうが、理不尽な扱いを受けながらも我慢して耐えて来たこの子に、この世に生きる本当の意味を考えさせ、幸せを感じる心を取り戻させてやりたいと思います!
 涙が出なかった彼女が、時たま涙をこぼすようになりました!ある事で、学校から心無い待遇を受けても我慢している事を知って、私は思わず涙が
あふれました!悲しいとき、悔しいとき、腹が立ったとき、涙は自然に出るものだと教えました!高校生年代の「友情」に大きな違和感を覚え、親との確執を考えさせられる事も・・・。高校生の親を再び体験させてもらって、少々疲れますが、好奇心も湧いて来ています。彼女のお陰です!これからまた、充実した一日が始まります! 今度は、いつ先生にお目にかかれるでしょうか・・・?

 あなたにはこういう「凄み」がおありなのです!ただただ感服!天晴れの一語に尽きます。秋のアメリカへの旅が終わったらお目にかかりたいものです。

福岡県宗像市 田原敏美 様

 男女共同参画の分っていない九州で、男の作ったジャム、ひとしお美味さを味わって頂いております。あなたが作り続けるのであれば来年もお願いします。生き延びてご馳走になります。

神奈川県葉山町 山口恒子 様

 初めてシルバー人材の方に家事を依頼してみました。しばらくはいろいろな方との出会いを摸索してみます。
 自立を捨ててアウトソーシングする目的は、家事負担の軽減が半分、仲好しになるのが後の半分です。日本では従来「遠い親戚より、近くの他人」と言い習わして来ましたが、「無縁社会」の到来で「近くの他人」は完全に崩壊しました。わが私生活では「ボランティアの縁」に加えて、「日常生活支援の縁」を摸索し始めるつもりです。お盆が明けると庭の手入れをお願いしております。どことなく教員時代に新学期の新入生に会う興奮があります。荀子のいう「積土の山を為せば風雨興る」の文言は私も紙に書いて机の正面に張っております。

山口県山口市 上野敦子 様

 手紙で苦言を呈しましたが、地域の協働は気の合う人物だけとの交流を意味しません。男女共同参画の分らない男たちは山ほどいます。若い者を見下すタテ社会の遺物も沢山います。行政の権力を傘に着て、実践の意味を見ようとしない者もそこら中にいます。自分の子どもしか見えない保護者も山ほどいます。奉仕者が特権者に変わる場合も山ほどあります。言うべきことは言い、戦うべきは戦って、困難を切り抜け、子どもを変えて見せるのがあなたの力です。ヨコミネ式の子どもの規範と体力の錬成、あなたの奮闘を見に参ります。

 志縁の情け―志縁の開拓

 一人暮らしは時間に逼迫します。筆者も男女共同参画が持論ですから、料理も、掃除も、洗濯も家事は一通りできますし、自分でやって来ました。しかし、一人で何役もこなすのはどうしても物理的に時間が不足します。研究会の準備をし、論文を書き、毎月の生涯学習通信を編集し、発行し、英語のボランティアを続けながら本の執筆も続けようと思うと時間もエネルギーも枯渇します。そこで家事のアウトソーシングです。初めてシルバー人材の方々に家事をお願いして実験を開始しました。

1 ボランティアの縁

 一人暮らしは人の情けが身に滲みます。海釣りの大好きな学習者から釣果のイカや鯵を頂戴し、料理法も教わり、自分で刺身にしたり、塩焼きにしたりして、ご馳走になりました。お礼を申し上げ、次の「戦果」もよろしくお願いしますなどと軽口も叩けるようになりました。
 また、英語と韓国語を勉強している方が、日韓親善ゴルフの通訳をしたお土産に頂いたと韓国海苔の差し入れがありました。これまでもそうした機会はあった筈ですが、一人暮らしになる前は「余計なお世話」だと控えめに遠慮なさっていたのでしょう。更に何人もの方から、疑いなく、一人暮らしの朝飯の侘しさをご想像になった結果だと思いますが、小分けされたスープ、佃煮、ジュース、などもお中元の贈り物で届きました。男性からも女性からも最近は夕食の差し入れが届き、お便りには食い物、休養,安眠など私の返事の有無にかかわらずこまめに忠告が届きます。

2 遠い子ども、遠い親戚は力になりません

 子ども二人の内、一人はアメリカ、一人は東京ですから年老いたおやじの緊急の場には間に合いません。彼らはそれぞれに親思いで気持ちの上では大いに救われていますが、実際には、彼らもまた家を持ち連れ合いを持ち、子を持って日々奮闘しているのでそうそうおやのことばかり思っていることはないでしょう。いまだ親孝行の概念が健在であり、家制度も存続していた昭和の戦前の歌が「昭和万葉集」(*)に出ておりました。

老いたまう父母を思いて発ち来しがあわれ父母さえ思うときなく(福川徳一、昭和万葉集巻6*1)

 親孝行の価値が残っていた戦前ですら上記の歌の通り子どもはその日の仕事と生活に追われて親を思う余裕はなかったということです。
まして現代においておや、ということでしょう。

(*1)昭和万葉集、歌集。20巻、別巻1、講談社、1979-1980年にかけて刊行された。

3 週間「無事の便り」

 子どもたちとの安否確認のやり取りは週に1回毎日曜日に送る「週間無事の便り」を発明しました。それに着実に子どもたちからの返事が来たとしても、やり取りは3-4日に一度ということになります。親の元気を確認して子どもが自分の生活に没頭すれば、一週間は空白になります。最後の葬式を出すのは子どもたちだとしても1週間の空白があれば、絶対に緊急の場には間に合いません。
 こうした一人暮らしの条件を考えていた折りも折り、友人の友人が足を骨折して緊急入院するという事態が発生しました。私の友人が獅子奮迅の活躍で入院迄のすべてを整えました。その後も遠い地に生活基盤を持っている病人の家族は日常の介護はできません。以後、また、我が友人が日々のお世話をなさっています。我が友人は幸いなことにご病人を尊敬する「志縁の人」だったからです。
 このようなお世話は「近くの他人」では出来ません。また、「近くの他人」がお世話をしてきた「お互い様」の原理は「個人主義」・「自分主義」の自己都合優先の時代のなかで消滅し、介護保険やデイ・サービスとしてビジネス化したのです。
 友人とその友人に発生した突然の骨折事件は、筆者にとって重要な他山の石となりました。

4 勉学「無事の便り」

 友人の友人の突然の事故を教訓に、筆者は信頼する二人の友人に特別にお願いして子どもたちの住所・連絡先をお教えして、緊急時の仲介をお任せしました。
 当然、私の方からは、毎日「勉学無事の便り」をお二人に送ることにしています。始めて見たら自分を律する大事なコミュニケーションになりました。日々の感想や勉学の推移を報告しています。事故も孤独死も世間への迷惑を最少限に留めたいものです。これが「志縁の人間関係」です。ご近所だからと言って、通常の他人にはお願いできません。また、引き受けても下さらないでしょう。無縁社会の反語は志縁社会であるという小論を書いたことがりますが、無縁社会の孤立を救ってくれるのもまた志縁の人間関係なのです。

140号お知らせ
1 第112回生涯教育フォーラムin福岡

日程:8月27日(土)13:30-15:30
場所:福岡県飯塚市穂波公民館(-0948-24-7458. 住所:〒820-0083飯塚市秋松408.)
発表者 嘉麻市生涯学習課中央公民館係長  伊 藤 喜 浩 氏
内 容: 公民館の特性を活用した学校支援の体制づくり
     ~「夏休みときめき学習」を通して~
論文発表: 三浦清一郎(生涯学習通信「風の便り」編集長)
  テーマ 「近くの他人」の崩壊~無縁社会を生き抜く方法

2 第113回生涯教育フォーラムin福岡
日程:9月17日(土)15:00-17:00
内容は交渉中です。

3 第114回生涯教育フォーラムin長崎

日程: 10月29日(土)
会場: 稲佐山観光ホテル

4 生涯教育移動フォーラムin廿日市

日時:平成23年12月10日・13:00-11日・12:00(土-日)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市大野図書館、交流会:大野町4区集会所) 

「一人暮らし」のアンケート-「はい」が半分なかったら滅びます―

壁に標語を張りました。一枚目には「為すべきを為さざれば必ず悔い在り」と書きました。2枚目には「音楽体操日に3回」、「思いついたら即実行」と書きました。3枚目には「感謝を忘れず」と書いています。一人暮らしを律するのは自分です。

1 「読み、書き、交流、情報収集」-勉強していますか?

 人生の基本で、人間に一番大事なのは体力です。年齢に関係なく「生きる力」の基本は体力です。しかし、熟年期の人間行動のあり方を決定するのは頭です。脳生理学や精神医学によれば、精神も心の持ち方も頭が決めます。人生のすべてを判断するのはあなたの頭です。高齢期に不可避的に衰えるのは肉体であって、頭は必ずしも同じようには衰えません。頭を鍛えるには読んで、書いて、見て、話して、新しいことを試しながら、日々の勉強を続けるしかありません。あなたは自分の老後をどう生きたいのか、決めるのはあなたの精神です。勉強のテーマは「何をしたいのか」、「どう生きたいのか」、「どんな風にするのか」等々を考えて決めます。あらゆる人生の問題の解決には必ず勉強が必要です。勉強とは頭を鍛えることです。基本は「読み、書き、交流、情報収集」です。

2 一年の達成目標を決めていますか?

 達成目標を持たなければ計画も努力も必要を感じないでしょう。達成目標がなければ、どこまで進んだかが分りません。個人の生活にもPlan→Do→Check→Actionの評価サイクルは不可欠です。
 年寄りに「安楽」を勧め、「目標」や「事の成否」にこだわらず、のんびりとマイペースで暮らしなさいという助言はナンセンスです。「安楽余生」は人間を滅ぼします。元気だから活動するのではありません。活動するから元気を維持できるのです。活動には、日々の小目標、月々の中目標、半年単位くらいの長期目標が不可欠です。但し、半年以上長期に亘る目標は命が持たないかも知れません。
 がんばっても幸せになるとは限らず、努力しても高齢者は衰えて、いずれ滅びます。だから頑張らなくてもいいのだということにはならないでしょう。頑張らなければ心身は確実に衰え、健康寿命を失って、周りも不幸に巻き込んで早晩滅びます。
 もちろん、目標も活動も自分流でいいのです。

3 身体を意識的に手入れしていますか?

 熟年期は毎日の体操が不可欠です。毎日の散歩でもいいでしょう。内臓のことは分かりませんが、人間は連続した感覚体の総合ですから、体操は全身の老衰予防になり得ます。衰えは関節、筋肉、バランス、柔軟性などから始まります。日々己に一定・適切な負荷をかけ続けなければ、心身の機能は確実に急降下します。意識的な手入れとはまず衰えそうな身体部分の運動を入念にすることから始めます。

4 人と仲良くしていますか?

 老後こそ人脈を生かし、人脈を築かなければなりません。現役時代の人脈のほとんどは退職後に破産します。それゆえ、活動しない人に人脈はできません。老後の新しい縁は「活動の縁」です。「活動の縁」は、「同好の縁」「学縁」、「志の縁」などに別れます。趣味や生涯学習やボランティアなどが熟年期の社交を作るのです。

5 活動は「選択的に」、「マイペースで」、「継続して」やっていますか?

継続するには疲れないことです。継続の条件は、適切な中身の「選択」と適切な活動の「ペース」です。疲れないようにやるのがペースメイキングです。Slow but Steadyは、長年の人生経験から導き出される年寄りの知恵です。続けて行くことで、年寄りでも若者に負けない条件を作れるのです。

6 自分に関わる家事は自分でできますか?

男女共同参画は年齢に関わりなく21世紀の必修事項です。男女共同参画を身に付けていない男性はこれから結婚は出来ません。年寄りは日々の暮らしに行き詰まります。
 夫婦者も「変わってしまった女」の合意を得ることができないから、熟年離婚の危機を招きます。何より女性に対してフェアでありません。一人暮らしの自立とは家事の自立の代名詞と言っても過言ではありません。家事を日頃から自分でできるようにしておくことが自立のトレーニングのスタートです。

編集後記
反省・打ち揚げ・懇親・喪失・引き潮

 梅雨が明け、第111回生涯教育まちづくりフォーラムが無事終って季節は真夏になりました。わが家には一昨年頂いたカサブランカの白い花がたわわに開き、夏の讃歌が聞こえるようです。今回のフォーらむには、山口も、大分も、佐賀も、いつも来て下さる常連さんのお顔が見えず寂しい会になりました。いい論文が書けたつもりだったのに、論文発表の気合いが入らず、あらゆる会合は出席者が作っていることをあらためて痛感させられました。
 フォーラムのあとは第30回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会の反省と打ち揚げを兼ねてささやかな懇親の宴をもちました。狭い店内には他のお客さまがいらっしゃるのでお互いのスピーチもならず、ぎゅうぎゅう詰めで身動きもならず、感情を共有する懇親はできましたが、論理を分かち、人々の思いを知り、次に備えて教訓を得る反省の会にはならなかったと思います。これまで何百回と日本型懇親を重ねて来ましたが、歳を取り、時間と体力のなくなった小生は、先日の会をもって懇親の儀は「打ち止め」とすることにしました。「ひきどき」です。「潮が満ちて来て日々の憂いを流し、潮が引いて行って半日の時間を奪い去る」というのはDan Berrgrenの「水の詩人」の歌詞ですが、わが人生も引き潮に入りました。もはや時間もエネルギーも足りません。
 一方、先輩の友人は人の誘いを断り切れず、「いまだ『断』ができない」とメールを残して炎熱の街へ義理の付き合いに出かけました。友人のぼやきは「他山の石」。義理の社交、情の交流だけに終る懇親は、以後「断」と決めました。

あなたに見せたい風景がある

哀れかな 美しきかな
何百のモンシロの舞い
見し夜明けかな

田の中に水の流れる
豊かにも
静寂彩り夏の夜明けぬ

人は寂寥に添えますか
人は寂寥には添えない
人は人にしか添えない
それも稀にしか添えない
雨降りしきり
雨の静寂は耐えるしかない
孤独な勉学に励むしかない
今夜はハーモニカを吹こう

吉備路

燦々と夏の光りが振りそそぎ
今日は吉備路の一人旅
久々にもらえた仕事です
欅どおりの青葉を揺らし
いと涼しげに風が行き
遅い朝食のレストラン
光りの届かぬ隅に坐り
窓の向こうの街を見る
そうじのおばさんの赤い被り
行き交う日傘の白い胸

あなたのいない寂寥は
私を果敢なげにするのでしょう
みんなの笑みがやさしくて
ウエイトレスの言葉も温かで
思わずほろりとなったりして
レモンティーが胸に沁みるのです
昔はあなたと来ましたね
時の流れが隔てます
あなたは彼岸に笑みて立ち
私を待つような気がします

「風の便り 」(第139号)

発行日:平成23年7月
発行者 三浦清一郎

まちづくりプログラムの原点-コミュニティ自治の崩壊-

コミュニティ自治の形骸化

 長年の友人たちもそれぞれの職業から引退し、過去の経験を生かして様々なコミュニティ活動に関わるようになっています。この度二人の友人が居住地区の役員となり、「コミセン方式」という住民自治を前提としたまちづくり計画を点検する役目の依頼を受けました。お二人は、資料を読み返し、会議に出て、討議を重ねたそうですが、実態が分って来るに連れて、1年交替の役員が疲れ切って、どの角度から見ても「コミセン方式の自治」は機能していないのではないか、という感想に達したようです。感想には彼らが点検した結果から導き出された具体的な質問が付いていました。さすがに元市役所の幹部職員ですから質問が実に的確で当方の分析に大いに役立ちました。以下は筆者の「総論」と「質問を手がかりにした分析」です。

I 「総論」-コミュニティ自治の基本条件

1 あらゆる計画には方向目標と達成目標が不可欠です

 計画には進むべき方向を限定する「方向目標」と一定期間内に何をどこまでするのかを限定する「達成目標」があります。これらの二つがそろって計画になります。
 まちづくりの場合は、「どんなまちをつくりたいのか」、「どんなまちであれば暮らし易いのか」、その「理想像」が方向目標です。そして、「この1年あるいはこの3年で具体的に何をどこまで実現しようとするのか」、それが達成目標です。二つの目標の機能は旅をする時の地図に似ています。カーナビが目的地に向かって、経由地の地図と時間を示すのに似ています。

2 事業計画の目的は「活動内容」と「方法」を決めることです

 地図の目的は行程を決める事です。行程とは時間と経由方法を決める事です。地図がなければ旅が難しくなるように、事業には事業計画が不可欠であり、その中身は事業行程表で示すのが普通です。計画における二つの目標が明確で具体的でないと「活動内容」と「方法」を決めることはできません。
 多くの自治体の言うまちづくり論は二つの目標が明確ではありません。目標が書かれている場合でも、「環境にやさしく、人にやさしく」とか「緑豊かで、文化の香る」とか、その多くは曖昧かつ情緒的な言葉で語られています。
 特に達成目標は全て具体的な場面や状況を想定できるようなものでなければなりません。「こうした場合にはこうなる」、「このような時にはこうする」という具体例が挙げられるようにしておかなければなりません。関係者は目標達成のために行うべき「活動」とその「方法」を想定しなければならないからです。

3 中身と方法はふつう5W1Hで表します

 具体的な目標は、それを実現するための具体的な活動内容と方法に「翻訳する」ことが必要です。活動内容と方法を併せて「事業」とか「プログラム」と呼びます。達成すべき目標が二つ以上ある場合にはそれぞれの事業計画(プログラム)を立てなければなりません。目標Aを実現するためにはだれが、いつ、どこで、なにを、どのようにするかを決めなければなりません。このように中身と方法はふつう5W1Hで表します
 目標B以下も同じです。「事業」には「人・もの・金」が不可欠ですが、まちづくりでは「だれ」がするのか、が中心課題です。そこにお住まいの住民の意志と意識が最も重要だということです。

4 まちづくり・コミュティ形成の目標はより良い暮らしの条件を作ることです

 よりよい暮らしの条件を整えるとは、住民の要望・希望に応えることです。マズローの人間欲求の分析に示されたように、人間の欲求には基本的な欲求から高度な欲求まで順序と段階があります。
 マズローはこれを次のような順序で表し、「基本」から「高度」の順に並べて、人間欲求のハイラーキー(段階性)と呼びました。

マズローの段階説

i「生存」→ii「安全」→iii「帰属・愛情」→iv「承認と尊敬」→v「自己実現」

 上記の人間欲求を日常生活の諸活動に置き換えれば、第1は、地域住民の助け合いによる弱者の保護と安全、第2は、地域が自発的に関わる教育や美化や防犯・防災等全体環境の保全と安心の確保、第3と第4は、地域住民が日常的に参加できる行事、交流、そこで発揮される儀礼や礼節など彼らの団結や連帯意識の向上に繋がる活動です。最後の「自己実現」はかならずしもまちづくりやコミュニティ自治の暮らしとは関係がないので考慮しなくてもいいでしょう。「自己実現」とは己の能力・機能を総動員して願ったように生きるということですから極めて個人的な目標になります。

5 「目標」は診断の「指標」を意味します
 
 目標に照らせば現状の診断基準が決定できます。目標は裏返すと「評価」の基準になるということです。「そのようにしたい」というのが目標で「そのようになっているか」というのが評価です。それゆえ、一つ一つの具体的目標はコミュニティの現状を診断する際の評価基準になります。
 たとえば、社会的に不利な条件に置かれている人々(高齢者、しょうがい者・病弱者、保護が欠けている子ども、単身家族、買い物難民など)に対する具体的な助け合いの配慮はありますか?
 コミュニティの防犯・美化・環境保全に対する意識や活動はどういう状況ですか?
 幼少青年に対する地域の教育や交流に対する配慮や活動はありますか?人々が希望する交流や行事は組まれていますか?それは本当に人々が希望している活動ですか?等々。

6 診断に基づき処方を決めます

 診断は「何が足りないのか」、「何を為すべきか」を明らかにしてくれます。診断結果を具体的な活動プログラムに組んだものが処方です。
 処方は、必要と不足に応じて活動計画に翻訳します。弱者に対する配慮が欠けていて、助け合いの仕組みが必要であれば作らなければなりません。それが事業計画・活動計画です。

7 診断にも処方にも「評価」が不可欠です

評価は通常マネジメント・サイクルの中に組み込まれています。日本語では計画立案-実行-評価-計画修正のプロセスを繰り返すことです。企業が発明した知恵ですが、今ではどの種類の事業にも使われるようになりました。英語ではPlan-Do-Check-Actionの4段階で表されます。

8 肝心の「人」が欠如

 ところが現代のコミュニティは「無縁社会」と呼ばれるように、連帯や協調の仕組みや人間関係が崩壊に近いのでまちづくりに関わってくれる「人」が最も欠如しています。「人」を確保できなければ、どんな計画を立てても実行することはできません。人がいなければ、何も動かないのです。
 もちろん、現代のコミュニティの人々に「能力」はあります。欠如しているのは「関心」と「意志」です。それゆえ、現代のコミュニティ自治には、目標が明確でない形骸化した活動プログラムだけがあって役員が事業消化のために惰性的に動いていることが多いのです。「処方」は実行されなければ処方にならないのですが、現代のコミュニティに実行はできないでしょう。「がんばろう日本!」のスローガンが踊っている震災の被災地でも仮設住宅の孤独死を避けられないということはこれまでの日本型コミュニティ論は破産しているということです。共同体が崩壊すれば、誰も生活の共同、協調、助け合いの事を考えませんから「無縁社会」の条件が整うということです。

9 共同体が崩壊したとき共同体を支えてきた共同体文化も消滅しました

 コミュニティ自治の最大の問題は自治を担うべき「人」の存在です。そうした「人」がいないところでどんなに精緻な計画が練られても動かないのです。
 日本のコミュニティ自治の政策は、従来の「伝統的共同体」の文化や仕組みが一定程度町内会や自治会組織に残っているという「錯覚」の上に企画された案です。ところが共同体が崩壊するということは、共同体文化を拒否して自由な個人が誕生し、自由な個人は今や「自己都合を優先して」、町内会にも自治会にも拘束されたくないと考えるようになったのです。町内会の役員がくじ引きや輪番制の1年交替になるのは「やりたくないこと」を「しぶしぶやっている」からです。仮に、特別熱心な役員が就任しても動員される側の住民はありがた迷惑で反応せず、そうした場合には役員の交替ができなくなってボス化します。かと言って「彼に代わって自分が引き受けよう」という人は共同体崩壊後の無縁社会にはすでに存在しないのです。名誉職型の役員は行政から委託される「お金」の使途を決める権限を持っているので、コミュニティに「新しい風」は吹かなくなります。筆者にも地域の公民館長と有志から提案のあったコミュニティの子育て支援プログラムを当該地区の高齢ボスのわからずやにつぶされた経験があります。共同体が崩壊したとき共同体を支えてきた共同体文化も消滅しました。被災地の仮設住宅で高齢者が孤独死するのは、被災者自身もすでに共同体文化の中で暮らしているのではなく、自由でさびしい無縁社会の文化で暮らしているからです。

10 コミュニティ政策はNPOやボランティアの養成から始めるべきなのです

 日本ではすでに共同体を発想の根拠としたコミュニティ政策は機能しないと考えるべきなのです。
 それではコミュニティ自治は不可能でしょうか?いいえ、コミュティの暮らしに関心を持って動いてくれる人々に任せれば十分可能なのです。それが新しい日本人の組織であるNPOやボランティアなのです。各人が自己都合を優先して自由気ままに生きる無縁社会で生起する問題を全て行政が担当することは不可能になりました。無縁社会はNPOやボランティアに「新しい公共」を任せて「志縁社会」に移行すべき時が来ているのです。行政をスリム化して今後ともコミュニティ自治の政策を進めて行こうとするのであれば、先ず行政は、町内会への委託金政策を止めて、地域の「新しい公共」(公的な機能を代替できる民間活動)を担う志のある人々に条件をつけて、予算を渡し、NPOやボランティアの養成から始めるべきなのです。

II  コミュニティ自治の現場から
   -寄せられた質問-

1 昭和44年国民生活審議会調査部会コミュニティ問題小委員会の報告「コミュニティ生活の場における人間性の回復」が我が国のコミュニティ政策の原点と言われていますが、その後自治省の指導で全国的に進められたコミュニティ政策は成功したのでしょうか?

 全国的な動向について詳細を知っている訳ではありませんが、「コミュニティ政策」と名の付くものは「無縁社会」の到来によってほぼ完全な失敗に終ったことが明らかになったのではないでしょうか。

(1)失敗の理由は、従来の「農村型伝統的共同体」が崩壊した時、共同体文化は町内会や自治会に受け継がれたと錯覚したことに第1の原因があります。大元の共同体が消えれば、そこから波及した共同体文化もやがて消滅します。町内会や自治会に、共同・共生の機能が受け継がれる筈はないのに、町内会・自治会を強化すれば、共同・共生の機能も復活できると錯覚してコミュニティ創造の政策を立てたのだと思います。

(2)また、創造すべきコミュニティは従来の共同体が有した共生や共同とは全く違うべきものである筈なのに、「新しい共生」の概念を示すことができなかったことも失敗の理由の一つだったと思います。

(3)共同体は産業構造の変化によって消滅しました。農林漁業における共同作業の不可欠性が共同体および共同体文化を支えて来たのですが、第2次第3次産業が日本経済の主力になった時、生活場面における共同は不要になり、共同体組織も共同体文化も消滅したからです。

(4)共同体を支えて来た産業基盤が希薄化した以上、当然、町内会は共同体にはなり得ず、市民も「自己都合」を優先して、共同体の拘束や干渉を拒否したのです。共同体文化の消滅は、ムラ組織やしきたりの束縛から逃れて、「自己都合を優先させ、自由に生きたい」と願った日本人の願望の実現でもあったのです。

(5)共同体から解放された個人は自由人となりました。自由人はどのように暮らす事も自由ですが、共同体崩壊後の新しい地域社会では誰も助けてくれません。それゆえ、地域の共同・共生の機能は自由を得た個人が連帯・協力して新しい仕組みを作らない限り、「人間性の回復」も「人間の暮らしに必要な条件」も生み出せる筈はなかったのです。町内会や自治会は居住地域が共通であれば、そこから連帯や共生が生まれるという仮説の上に強化策が取られて来ました。しかし、新しい自由な日本人にとって、お互いの志も考え方も分らないのに、ただ居住地域が同じであるという理由で仲良く共同・共生の暮らしを築くべきだという考え方はほとんど意味をなさなかったのです。自由人は「志縁」によって繋がるのです。自由人は町内会に「人間性の回復」を求めてもいません。町内会型の発想を強化することでコミュニティを生み出すことはできなかったということです。

2 本市では小学校区範域のコミュニティを組織化し、推進しています。町内会と小学校区コミュニティの関係はどのように整理すればいいでしょうか。

(1)コミュニティ概念は通常、人間の直接的コミュニケーションが可能かどうかで分類されて来ました。社会学的には「第1次生活圏」と「第2次生活圏」のちがいです。しかし、車社会が実現した今では厳密な区別は余り意味をなしません。

(2)混乱の原因はコミュニティ政策の中で広域で解決した方が効率的で適しているものと、従来の町内会のような相対的に狭いface-to-faceの人間関係を保つことのできる範域で取組んだ方がいい問題をごっちゃにして政策化した事にあります。防犯とか防災、環境保全や交通体系などは広域で取組んだ方が効率的で地域格差を生まないで済みます。しかし、高齢者・しょうがい者・買い物難民などの支援や子どもの教育・指導・遊びの支援などは第1次生活圏でなければ、住民はお互いの顔を憶える事すらできないでしょう。祭りや生涯教育・学習のプログラムなどはその中間にあり、中身によって広域がいいものと狭い範域がいいものとに分かれます。

(3)町内会規模に適したプログラムは他地区の住民が関心を持つことはないということです。特定地区に適した活動は、広域コミュニティ住民全体の共感を得ることは難しくなるのです。逆に、広域実施に適した事業は、町内会範囲の住民にとって自分から遠い、関係の薄い他人事の行事になるでしょう。

(4)コミュニティ政策は目的と機能によって、或いは問題別に範囲を限定して「自助」、「共助」、「公助」の区分を明確にして進められるべきだったと思います。

(5)問題は町内会範域か小学校区の範域かではなく、この課題は誰にどの範域で解決を依頼するか、という対策の立て方にすべきだったのだと思います。

3 各地区コミュニティは「協働」と称して市から委託される行政サービス業務のため、過重負担に苦しみ、自治会の区長などと兼務するコミュニティ役員はそのほとんどが悲鳴を上げている状態です。このままでは市が協働、共生、自律の3つの基本理念で進めているコミュニティ政策は破綻することになるのではないでしょうか?

(1)日本の「協働」は、役所の省力化と公務員の削減が目的になっているので、「丸投げ」になるか「責任転嫁」になりがちです。協働はNPOやボランティアが力を付け、彼らの活動に潤沢な資金が提供され、第3者による達成度評価と会計監査が厳重に行われる時にのみ成功します。

(2)協働は本来公私に跨がる分野に最も適しています。「私」の部分は民間がやるのですが、「公」の部分は当然行政が担当します。

(3)コミュニティ政策は住民の福祉の向上という点で私的な領域を多く含んでいますが、安全、防災、環境保全、次世代育成などの面で公的な課題も沢山含んでいます。後者は民間に「全面委託すべき領域の課題」ではありません。

(4)公的な課題まで民間に委託するという点で御市は間違っただけでなく、委託事業のフォローと真の「協働」をしなかった点で2重に間違ったと思います。

(5)行政職員は公的事業のプロです。市民は公的な課題を行政や政治に委託するために税金を払っているという原点を忘れれば「協働」は「丸投げ」となり、本末転倒にならざるを得ないのです。行政が主体的にかかわらないコミュニティ政策は初めから破綻要因を含んでいるのです。「公助」のない協働はあり得ないとお考えください。

4 組織・制度上は「コミュニティ・ワーキング会議」、行政施策上の「コミュニティ基本構想」、「本市における市民参画、協働及びコミュニティ活動に関する条例」が設置されました。各地区には「コミュニティ運営協議会」という組織が作られました。すでに5年が経過していますが、計画や活動の進行管理や検証は行われていません。どこに問題があったのでしょうか?

(1)組織的・制度的には極めて正当な進め方だと思います。恐らく、国が設定したマニュアルがあってそれに則って政策を進めたものと思います。しかし、市民の意見を聞き、市民を主人公にしておく事は、生涯学習の場合も、地方自治の場合も民主主義理念の根幹に関わる重要事項になりました。同時に市民の決めた事は市民自身の責任ですから、「皆さんの意見を聞いてご要望の通りにやりました」という弁明が成り立ち、コミュニテイ政策が失敗に終った場合でも、行政を「免罪」することになった事は明らかです。

(2)事業計画に明確な目標、具体的な達成事項のスケジュール表がない事、公金を投入した委託事業の評価・検証を公的なセクターが責任を持って行っていない事、したがって計画の見直しが後手になる事などは行政が想定した「協働」が機能していないということであり、住民自治の明白な限界です。自助、共助だけで「協働」はできないということです。

(3)プランー実行-評価-修正(plan-do-check-action)はプロの常識です。民間に「丸投げ」したコミュニティ政策にはそれがなかったということです。住民自治を隠れ蓑にして市役所が計画立案の作業と責任を回避し、委託費に使われた公金投資の「費用対効果」の検証を怠ったということです。

5 本地区では住民によるワークショップやアンケート調査の要望をまとめて「計画」が作成されています。抽象的・理想的・情緒的な活動目標が多く、時間とエネルギーを投入して見直すだけの価値があるのだろうかと疑問に思います。

見直しの必要は間違いなくあります。但し、以下の諸点にご留意下さい。

(1)住民自治は住民意向と等値されて来ました。そして間接民主主義原理の下では、住民意向は代表者や立候補者の意向と等値されざるをえません。アンケート調査で出た要望が活動案にならざるを得ないのはそのためです。100人の素人が集まって意見を出しても一人の優れた専門家の診断や処方が優れている場合は多いのです。第1次の計画はプロが作るべきだったのです。プロの作成した計画を学習し、検討し、修正し、検証する過程を住民にお願いするべきだったのです。

(2)ご指摘の通り、計画案は漠然としていて抽象的です。いろいろな解釈が可能であり、具体的に掲げられた理想を実現するために何をいつまでにどんな方法で取組むのかが明確でないのです。だから検証のしようもないのです。

(3)見直し作業の行程を医療に例えれば次のようになります。検証(診断)→計画案の修正(処方)→実行(治療)→第2次検証(経過後の再診断)。
御市のコミュニティ政策の住民委託には手抜きがあり、無理があったのです。検証する場合も、第1次検証は本来プロか外部第3者の診断に任せ、その結果を公開して住民に第2次検証、第2次評価をお願いし、次の事業課題を抽出するべきです。「何をすべきだったのか」が分かれば誰にでも検証はできます。それが明確でないから実行も、スクラップアンドビルドもできなかったのだと思います。

(4)検証の外部委託には予算措置は不可欠です。第1次検証は概略でいいのです。その結果を住民に公開すれば沢山の意見が出て来ます。第1次検証作業に時間をかける必要はありません。計画書で住民の意向が分りさえすれば、プロが話を聞けば立ち所に評価のポイントが分かる事です。第2次検証には基本的に茶菓子代以外の予算はいりません。公開して住民に説明して行けば意見は出ます。ただし、診断したプロに説明業務を依頼する場合は予算が必要です。

6 本市では、「まちづくり計画は、地域の課題を『自分たちで行うもの』、『行政で行うもの』、『協働で行うもの』にわけ、その解決に向けた役割分担を明確化し、地域づくりの方向性を示すために「コミュニティ基本構想・基本計画」を定めています。ところがわが地区の計画には、役割分担の記載がありません。見直しを行う場合には、本来の趣旨に沿って実施すべきと思いますがいかがでしょうか?

御市の基本構想は全く正しい発想です。しかし、事実上実行されなかったというところに最大の問題があります。

(1)既存のコミュニティ政策には、「自分たちで行うもの」、「行政で行うもの」、「協働で行うもの」の役割分担の記載が抜け落ちているので混乱が生じ、役員に過剰な負担がかかっているのです。

(2)御地区の計画に上記の区分の記載がないのは計画策定に関わった前任者の重大なミスであり、御地区を担当した行政職員の重大なミスです。

(3)3つの分業区分はコミュニティ自治を目指す政策にとって最も重要な思想です。

139号お知らせ
1 第111回生涯教育フォーラムin福岡

日程:7月16日(土)15:00-17:00
場所:福岡県立社会教育総合センター(福岡県糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511)

*事例発表: 「福岡テンジン大学」の企画、実践、波及効果、 岩永真一(いわながしんいち) 、(福岡テンジン大学学長、NPO法人グリーンバード福岡チーム 事務局長)
*論文発表: 「無縁社会」から「志縁社会」へ―日本におけるコミュニティ政策の停滞と「志縁グループ」育成の不可欠性 三浦清一郎(月刊生涯学習通信「風の便り」発行・編集長)

(*フォーラム終了後に第30回記念大会反省・懇親会を行いますのでお時間の許す方はふるってご参加下さい。)

2 長崎移動フォーラムが実現します

 長崎県の社会教育主事OBを中心とした関係者が生涯教育の活動団体「草社の会」を結成しました。近県の有志で応援しようということで移動フォーラムを企画いたしました。会場は長崎市を一望する山の上の「稲佐山観光ホテル」です。日本三大夜景に数えられる1000万ドルの眺望だそうですからご期待下さい。秋の予定を調整して皆様お誘い合わせの上ぜひご参加下さい。

*日程: 10月29日(土)の午後-夜とだけ決まっております。翌日は希望者を長崎探訪にご案内いただけるそうです。
*会場: 稲佐山観光ホテル(長崎市)
プログラム:「草社の会」と相談しながら企画が進行中ですのでお楽しみに!

3 生涯教育移動フォーラムin廿日市

 前回もご案内いたしましたが12月は広島移動フォーラムです。忘年会シーズンですので前もって日程を調整の上ふるってご参加下さい。6月の山口移動フォーラムには広島から4人の方がご参加いだだきました。次は山口からも行きます!と約束が飛び交っておりました。再度日程をお知らせし、現在検討中ですが大凡のプログラムの予告をしておきます。
日時:平成23年12月10日・13:00-11日・12:00(土-日)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市大野図書館、交流会:大野町4区集会所) 
主要プログラム:
1 パネルディスカッション-子どもの学校外活動の意義・方法・視点 
2 紙芝居/茶会                 
3 三つの課題のワークショップ:「育たない―繋がらない-続かない」から「育てる-繋げる-続け通す」へ
4 交流会
5 インタビュー・アンケート「一人前になれない現代っ子」
6 講演:現代の欠損体験

4 第112回生涯教育フォーラムin飯塚
第112回は会場の都合で日程と場所だけを決めました。詳しい時間帯と内容は追ってお知らせ申し上げます。

日程:8月27日(土)時間未定
場所:福岡県飯塚市穂波公民館(福岡県飯塚市秋松408-0948-24-7458)

健康寿命の尽きる時

 少し前になりますが、医療現場に詳しい友人で読者のお一人がリハビリ病院に知人を見舞った訪問記を寄せて下さいました。「健康寿命が尽きる時」を予言したレポートですので、下敷きにさせて頂いて2020年の「高齢者爆発」を予想してみました。2020年は昭和20年生まれ(1945年生)が75歳になる年です。
 筆者はこれを「社会的津波」と呼んできました。なぜなら、団塊の世代の健康寿命(男性約72歳、女性約76歳)が尽きて、医療費、介護費とも若い世代の負担が一挙に増大し始める時だからです。

1 安楽の「慣性」-「惰性」の自然発生

 友人を再び見舞いました。あれほど家に帰りたがって、しかも、子どもに歓迎されないから家に帰れないと涙ながらに訴えた友人は、ようやく病院内の杖歩行ができるようになったと大喜びでした。これでとりあえず院内は自由にあちこちいけるので電話のある場所も分かったし・・・と。
 お正月はどうしましたか?家に帰ってもすぐに戻らんといけんから帰らなかった、ここもええよっ、皆親切だしぬくいし、食事の心配も気兼ねもないから、風呂では指の先まで洗ってくれるし・・・。おやおや彼女も段々この安楽の世界に慣れてきたなと感じました。丁度話の途中に看護師さんが来て、○○様お熱を測りましょうと会話が中断しました。その後も○○様、敷布を整えましょう等々ホテル以上に補助職員が出入りして至れり尽くせりです。これではここが天国と思い直すのも当然かもしれません。人間の習性、安きに流れるの典型を見た感じでした。リハビリ病院ですら当に「廃用症候群」製造所と化しているのです。やがて来る期限切れの予告で退院を余儀なくされた場合、自立能力と自律心が無くなって一番困るのは彼女の筈ではないでしょうか。
 初めてお見舞いをした時、歩けるのに、どうして入院させるの?・・・一日も早く帰って家の前の広場で自分ひとりで歩く練習がしたい!と涙ながらに話した彼女は何処へ行ったのでしょうか?『ここはええよう、みんな親切で、ようしてくれる、こんなにいいところは無い』。これから先自分の体が思うように動かず、自由にならない辛さが待っているのは明らかだと思うのですが、至れり尽くせりの世話をしてくれる束の間の病院天国に友人は酔いしれていました。
 もう彼女は自立できないだろうと思うと、お見舞いの帰りは、気が重く、足も重くなりました。「支える世代」と「支えられる世代」の双方にとって一番いい方法は何なのでしょう。
 自立能力を奪いかねない現代の『互助制度』の矛盾を感じながら自分の方が打ちのめされてトボトボと帰宅しました。彼女が重症の『廃用症候群』にならないうちに退院できることを願っていますが、友人はすでに気持ちに戦う姿勢を失っているのです。
 自宅に帰ることを若い世代から歓迎されない友人の例のような療養状況を「社会的入院」と呼びます。何処の医療機関もが抱えている問題なのです。自立能力と自律心を失った患者を家族が完全に見放した時には、患者の引き取り手は無くなり、病院にとってもそれこそ大変なのです。それでも本人には年金が入っているので、それを看護部病棟で管理して毎月の雑費や一部負担金をだす例もあるそうです。遠くに住む子供たちが年金まで取り上げないのがせめてもの救いですが、入院または入所している方が死亡した場合、問題は更に悲惨さを増します。子供または血縁の方に不幸を知らせると残ったお金で全て処理をしてください。身の回りのものは捨ててください、それで結構ですと・・返事が来たりします。一度も見舞いに来ない場合もあるそうですから、今の老人病院は本当に「姥捨て山」になったのです。第一次病院で救急、応急処置をして「回復の見込みなし」、「社会復帰は無理」と判断されたら次に救うべき患者のためにすぐにベットを空けなければならないので、当該患者は転院させ、二次病院で2~3ヶ月の療養期限まで入院し、その後は介護保険に切り替わり、高齢者の場合は老健施設へ送られます。そこも駄目になったら特別養護老人ホームへと段々社会から遠い場所に移動し、最後の土壇場で再び老人病院へ移されて、「千の風」になるのです。この間に子どもを始め、どれだけの家族と接触ができるかによってその人の運命は変わってくるのです。
 このように身動きが取れなくなる前に高齢者といえども自立していかなければならないのですが、至れり尽くせりの病院天国では自立は難しいでしょうね。

2 人間存在の不思議-心身の耐性の形成メカニズム

 上記のレポートはお便りを下さった方がご自身の未来を遠望し、筆者の未来も予見し、2020年の高齢者爆発の行方も予告しているのです。衰える高齢者の医療費や介護費を担うのは,現行システムでは若い世代になりますが,2020年、戦後生まれの人々の健康寿命が尽き始める頃に日本の財政は破綻するでしょう。
 現代の養生の核心は「安楽」ではなく、頭も使い、気も使い、身体も使い続けるために、読み、書き、体操、ボランティアを己に課し続けるべきなのだと改めて納得せざるを得ませんでした。少なくともリハビリ病院は現代の生涯健康教育・トレーニングセンターの機能を付加すべきだと思いました。

 安楽な暮らしに一度慣れたらそこから出られなくなります。体力だけでなく、気力や精神の働きが安楽に慣れて堕落し、「負荷」をかけることが辛くなってしまうからです。
 精神にも「慣性」があるのです。仕事や子育てで働いていた時は、日々「頭を使い」、「身体を使い。「気を使って」心身の機能はフル回転でした。定年後或いは子育て完了後はこの「回転」の度合いが著しく落ちたり、時には止まったりするのです。病気や怪我をして安静の生活が続くと心身の機能の回天は完全に停止します。
 筆者の私生活でも、怠け心に任せて長い休憩の後は寝転んだソファーから立ち上がることも机に向う事も億劫になります。差し入れのどら焼きを頬ばって、テレビの映画などに耽溺して、ごろごろと楽をして暮らせば、読む事も、書く事も億劫になります。恐らくそうした暮らしが続けば、「億劫」どころか、読み書きの能力そのものが失われるでしょう。
 高齢者が「勤勉」と「自身のトレーニング」を忘れれば、「慣性の法則」が働き、心身の回転力が落ち、活動の「弾み」がなくなるからです。
 一度止まった自動車が動き出す為には「ローギア」で発進しなければならないように、「慣性の法則」は精神にも働くのでしょう。
 「継続」・「勤勉」・「摂生」・「養生」などが大事なのは、一度ついた「弾み」を維持して、精神の慣性を失ったり,落したりしないためです。高齢者のために書いた我が元気の処方は「読み、書き、体操、ボランティア」です。
 日本の高齢者の多くが福祉にはびこる「安楽余生」論に毒されて老後の処方を誤っています。
 考えてみて下さい。結核の予防には人工的に培養した結核菌を注射するのです。それがBCGです。BCG(結核菌)を注入すれば、本能的に命を防衛しようとする人体に「抗原抗体反応」(侵入する細菌との戦い)が起こるように促し、人体の免疫耐性を高めるのです。要するに人体の防衛機能が働くよう意図的に「負荷」をかけているのです。
 老衰予防の原理も同じです。衰えが始まった高齢者にも適度の「負荷」を与えることは心身の元気(機能の維持)に欠かすことはできないのです。時に,病原菌が健康な人間を作るのです。子育て論の格言に「辛さに耐えて丈夫に育てよ」というのがあります。「辛さ」は心身ともに人間の強度を増すことができ、「安楽」は人間を惰弱に導くのです。人間はつくづく不思議な生き物です。

§MESSAGE TO AND FROM§

 「恐るべき君等の乳房夏来る」(西東三鬼)
 夏が来ました。皆様のお便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。

長崎県長崎市 武次 寛 様

 森本代表から「草社の会」の移動フォーラムの企画案をお聞きしております。何なりとお申し付け下さい。全面的に協力申し上げます。いよいよ皆様の活動ステージが出来上がりつつあることを何よりも喜んでおります。ご健闘を祈ります。

東京都八王子市 瀬沼克彰 様

自治のジレンマ

 貴重なご示唆をいただきありがとうございました。偶然のタイミングなのですが、ある自治体のコミュニティ政策の評価についての質問が来ました。状況をお聞きすると市民にあらゆる選択権を移譲した「生涯学習」概念と同じジレンマが「コミュニティ自治」のまちづくり政策でも起こっていることが分かりました。巻頭に拙文を掲載しました。
 崩壊に瀕していのは「コミュニティ・センター」という拠点施設を各地区に建設し、「協働」の名目で「住み良い地域づくり」の課題を「まちづくり協議会」に委託するといういわゆる「コミセン方式」です。コミュニティ政策を住民自治で遂行しようとする時、行政は公的な課題の遂行責任を地域に負わせることになります。

名ばかりの「協働」

 「協働」に行政が協力しなければ、地域への完全委託や丸投げになり、「協働」は名ばかりの「協働」になります。地区住民は選択権のみを渡されて、行政や専門家からのガイダンスがなくなります。素人集団が実施するプログラムにPlan-Do-Check-Actionのマネジメントサイクルはまず機能しません。住民の本業は行政の下受けではないからです。委託金の名目で費消される税金はコミュニテイの形成に効果的に資することはなく、一部の役員だけが過剰な負担に呻きながら、前年踏襲の行事を繰り返して消化するだけで、新しいコミュニティどころか無縁社会は無縁社会のままに留まります。NPOもボランティアも十分に育っていない日本の風土で従来の町内会や自治会発想で「まちづくり協議会」を組織化しても、1年交替で渋々出て来る受動的な役員に主体的で公共の福祉に繋がる診断-処方-取り組みを期待するのは、自由で気ままな生涯学習者に「現代的課題」の学習を期待するのと同じ過ちを犯していると考えざるを得ないのです。

山口県長門市 藤田千勢 様

集中と選択-そのための思い切った「断・捨・離」

 お便りを頂きながら返事がひと月おくれになりました。老いの身の「断・捨・離」を実践しておりますのでご容赦下さい。一人暮らしのあり方に様々なご助言や激励、お見舞いやご心配を頂きますが、すでに若い時のようにご返事を差し上げる心的エネルギーが衰退しております。時間とエネルギー;何よりも集中力が欠けて来ているのです。朝起きて計画した事が一日の終わりに実行できていない辛さを味わい始めています。
 この「風の便り」やフォーラムの論文のように、「為すべき事」を決めて実行するためには、若い時のやり方をすべて「断・捨・離」しなければなりません。ご無礼を承知で、自分に限界を課す事を実行し始めたつもりです。それでもまだ机に向い、原稿に集中する時間とエネルギーを十分に確保することができていません。庭仕事や家事も徐々にアウトソーシングしています。物理的には楽になる筈ですが、気力が追いついて行きません。次の本の原稿もすでに完成予定が1か月も遅れております。これが「老い」ですね。いずれ「老い」の教科書を書きたいと願っておりますが、健康も、活動も、仕事も、夫婦間の事も、子ども達との関係も、友人知人との交流も、もちろんご近所やコミュニティの交際も、恐らく主題は「集中と選択」:いかに人間関係と生活環境の「断・捨・離」を実行して「体力」と「気力」を自らが設定した生き方に集中するか、ということになると予想しております。

大分県日田市 小野忠士 様

「小見出し」-「短文型」の文体

 138号の文体についてのご提案ありがたく拝読いたしました。似たような感想を福岡の友人からも頂き、すこしずつ文体の改造を試してみようと思います。139号でもご示唆いただいた「小見出し」-「短文型」を多用した書き方にして見ました。また現在執筆中の次の著作に付いても筆者がシンポジュームの司会等で使っているインタビュー・ダイアローグ(小さな質問を多用した対話形式)の方法を文章に応用してみました。成功したか、否かは読者の判断を待たねばなりませんが、ご批判を頂ければ幸いです。

編集後記 何かいけないことを言ったろうか!

 久々に若い母親で満杯の育児講演会に招かれました。いつものように「負荷の教育論」を論じ、子宝の風土の過保護の風土病を論じ、「『君は君のままでいい」筈はないではないか」と論じ、教育方針を決めて、子どもの目指すべきことを高く掲げて教えれば、教育の風が吹く、それが家風であり校風であり時には社風ですらあり得るのだと説きました。
 その時、幼い子が親に憧れるようなら教育もしつけも心配ない、父のようになれ、母のようになれと教えよと説きました。
 講演会にはいつも関係の著書を持参するのですが、その日は子育て関係に加えて「変わってしまった女と変わりたくない男」を1冊だけ持参しました。それを買い求めた若い母親が「お話よく分かりました。離婚の決心がつきました。ありがとうございました。」と言って深々と頭を下げ、あっけにとられている筆者に背を向けて歩き去りました。
 帰宅してDan BerggrenのMountain AirのCDを聴いていたら、「昨日までの人生にドアを閉めて、誰かに属して生きるのではなく、生まれて初めて自分の人生を生きる、もうここへは戻らない」、というMis’ Coleという「家を捨てた妻の歌」がありました。
 若い母も昨日までの人生にドアを閉めたのでしょうか。私は何かいけないことを言ったのでしょうか!?

あなたに見せたい風景がある4

三つ指カイザー

わが家は3びき暮らしです
カイザーとレックスはお見送り
玄関に三つ指で控えます
行って来るぞ
今夜は少し遅くなるぞ。
カイザー、あとは頼んだぞ
レックス、父さんのいうことをよく聞きな
家のなかでしーしーするんじゃないぞ
灯りは中と外と一つずつ点けておくよ
カイザーはへの字
横一文字に口を結び
沈黙と貫禄が支配する
心細いレックスは一歩前
じゃあな
ウーウークー
頼んだぞ
ウーウークー
一歩表に出れば
轟々たる台風の外風
積乱雲に月が映えて
純白の一人きり
今夜の留守番はさびしかろう
わが家は3びき暮らしです

「風の便り 」(第138号)

発行日:平成23年6月
発行者 三浦清一郎

「学習」から「教育」へ 
中国・四国・九州地区生涯教育-生涯学習実践研究交流会30年:741事例の教訓

I 発表事例の大部分は「学習」事例ではなく「教育」事例だった 

1 「学習すべき課題」の優先

 30年の歴史を通して、発表された741の先進事例はほぼ例外なく「教育」を目指しています。換言すれば、大会は「学習すべき課題」を取り上げたのであって、「学習したい課題」を取り上げたのではなかったということです。

2 実行委員の発掘視点

 発表された741事例の大部分が、「学習すべき課題」であった、という事実は、事例の発掘に関わった各県の大会実行委員が、意識的にか、潜在意識的にかは分りませんが、市民の「学習すべき課題」と「学習したい課題」とは別であり、大会には「学習すべき課題」がふさわしいと判断していたことを雄弁に物語っています。
 社会教育や生涯教育の概念が「生涯学習」概念に変更された「臨時教育審議会答申(昭和62年)」以降も、大会実行委員の発掘視点は変わりませんでした。

3 「モデル事業」の停滞

 われわれの大会の歴史の中にも優れた実践モデルは多々あったにもかかわらず、途中からモデルは広がらなくなりました。「生涯学習」を看板とする時代が到来して、教育行政自身が「教育事業」への積極的取り組みを自粛し、学習は市民の選択に任せればいいのだ、という雰囲気が国中に蔓延したからです。

4 「楽習」で「必要課題」の解決はできない

 741事例の中には、「学習」を「楽習」に置き換えたような発想も稀にはありましたが、従来「学習」に余り縁のなかった人々が「楽習」を発見すること自体はめでたいことであるという前提があったと思います。しかし、「楽習」は「学習したい課題」の「必要条件」であっても、「学習すべき課題」の「十分条件」ではなかったことも明らかでした。「楽習」で「必要課題」の解決ができる筈はなかったのです。「楽習」は多くの場合「学習」にほど遠く、学ぶことに付随する「負荷」を忌避した「レジャー」に近い実態であったことは明らかだったのです。

5 社会教育における「教育」機能の軽視

 社会教育を生涯学習振興と等値した結果、学習の主役は市民となり、その選択権は市民に一任されました。社会教育の教育機能は「社会で行なわれる自己教育」のみが異常に強調され、公教育として社会教育行政が責任を持つべき教育プログラムは停止或いは軽視されたということです。

II 生涯学習振興政策の採用と社会教育の凋落

1 「教育診断」と「教育処方」の放棄

 日本の教育政策の核心を生涯教育から生涯学習に舵を切った途端、市民の選択のみを異常に強調する「学習-楽習」が活況を呈し、行政が公教育の一環として位置付けて来た「社会教育」は一気に衰退が始まりました。
 「生涯学習」概念の下で市民は好きなことだけを学び、「必要なこと」を後回しにします。病院は「健康人」に干渉はしませんが、「患者」には診断と処方を与えます。教育界も「教育的に自立している市民」に干渉してはなりませんが、「患者相当者」に教育診断と教育処方をしなくていいか、ということが問われます。教育政策の核心を「生涯教育」概念に戻さない限り社会教育行政が子どもや高齢者に必要な教育処方を講じることは不可能になったのです。

2 生涯学習振興行政とは「学習したいこと」への支援サービス

 結果的に、公的な社会教育課(社会教育係)は「生涯学習課(係)」と名称変更され、教育機能を自己抑制し、仕事の大部分が個人の趣味・お稽古事・実益追求活動の支援に終始するようになりました。事実上、生涯学習課はカルチャーセンター振興課となり、余暇活動推進を公費で進める役割を果たすことになったのです。政治が公金を投入する社会教育行政の意義を認めなくなったことは正しい判断だったのです。

3 「現代的課題」の付け足し

 生涯学習振興策がレジャー活動振興の様相を帯び始めた後も、中央・地方の教育行政は「生涯学習概念」そのものを修正することなく、「現代的課題」などの視点を追加することで公教育としての辻褄を合わせようとお茶を濁して来ました。結果的に、「現代的課題」は社会教育行政が「公教育の視点を無視している訳ではない」という免罪に使われて来たのです。

4 生涯学習概念の採用に伴う義務教育学校の切り離し

 市民に選択権を付与するという生涯学習発想は、社会的に選択権を認められない児童・生徒を擁する義務教育学校を生涯学習システムから切り離す結果を招きました。システム外におかれた義務教育学校は社会教育との連携も地域との連携も極めて難しくなりました。
 学校外教育は保護者の選択に任された結果、子どもに対する地域の教育力は一気に衰退しました。子ども会の消滅傾向はそれを象徴しています。

III 生涯学習格差の異常発生

1 「生涯学習格差」の異常拡大と自己責任論

 この30年政治家は愚かにも日本の未来像を提示する代わりに、現在;ただ今の国民の要求に応えることが政策立案であるかのように考えるようになってきました。生涯学習振興行政は市民の日常の欲求に応えて「楽習」を提供する結果を招いたことでその象徴的政策となりました。
 社会教育行政は未来の国民が真に必要とすることに応えるべきであって、現在の国民の欲求に追随することは間違いだったのです。その代表的考え方が「生涯学習」であったと思います。そして代表的副作用が「生涯学習格差」だったと思います。「学習」を「選択した人」と「選択しなかった人」のギャップは今や巨大です。「適切な選択」をした人とそれができなかった人との格差も重要な問題を生んでいます。「格差」は知識格差、健康格差、情報格差、交流格差、自尊感情や生き甲斐の格差などに広がり、おそらく人生の「幸・不幸」の格差に重大な影響を与えていると想像されます。

2 「社会を支える人々」の研修と養成

 生涯学習プログラムの多くがふれあいや楽しい交流を目的として来ました。社会への「貢献」を想定しないふれあいや交流事業をいくら重ねても「生き甲斐」も「連帯」も生まれなかったことは現代の「無縁社会」の到来が雄弁に証明しています。
 社会教育行政は、自分の楽しみや安逸に溺れた「生涯学習」支援に見切りを付けて「社会に貢献する人々」・「社会を支える活動」に光を当てるべきでした。「安全」や「福祉」や「人権」は「社会を支える人々」が支えているのです。高齢者の社会貢献を推進しない限り、高齢者の多くは「安楽」と「安逸」の果てに耄碌して没落し、国民資産も、若い世代の「稼ぎ」も食いつぶして、世代間の軋轢を生むことになるでしょう。教育の発想がなければ、「社会を支える人々」の研修と養成は到底不可能です。地域社会の「無縁化」を問題にしながら、地域社会を支える人々の教育を怠ったことは生涯学習施策の最大の失敗だったのです。

3 男女共同参画を推進する事業の無視

 30年、741事例の中でも、男女共同参画を推進する事業は、生涯教育・生涯学習にほぼ「無視」され続けて来ました。その結果、教育は保育に関心を示さず、保育は教育を拒絶し続けました。養育の社会化が実現できなければ、少子化に伴う生産人口の減少を止めることはできません。また、子育て中の女性の社会参画を支援することもできません。女性の社会参画を推奨する多くの施策が社会教育行政に存したにもかかわらず、男女共同参画の発表も、保育と教育を統合したプログラムの発表もほとんどありませんでした。世界の男女共同参画指数を比較した日本の位置は94位です。もちろん、行政の「タテ割り」を修正できなかった責任は生涯学習にはありませんが、生涯学習も、社会教育も女性の社会参画や幼少年期の社会教育と保育の統合に無関心でいたことは認めざるを得ないことでしょう。日本社会における「変わりたくない男」の支配は、この30年間、男女共同参画に無関心のまま続いて来たということだと思います。

4 「学習」から「教育」へ

 分析の視点を「生涯学習」から「生涯教育」に変更することによって、学習の選択結果が生み出す「生涯学習格差」の副作用がよく見えるようになり、逆に、自覚的に見ようとしなかった「社会的必要」がよく見えるようになりました。公的な社会教育行政の役割と意義も再認識するに至りました。現代の社会教育は、「学習者の主体性」を重んじながらも、行政や教育の専門機関が果たすべき役割は「学習すべき課題」を繰り返し提供することにあるという結論に至ったのです。

時事教育評論5 日本人の敵は「日本人」か!?

 「ゴキブリが玄関にいるから」110番。「風呂の蛇口が止まらないので」110番。「昔の彼女を捜して欲しいと」110番。110番の4割がこの種の緊急を要しない要請であったと1月10日:「110番の日」に報告がありました(2011.1.10、テレビ西日本)。人権を個人の欲求と等値した結果がこれであり、生涯学習の市民主体論の結果が「自己中」です。
 日本人の敵は「日本人」だというのは石堂淑朗氏の著書名(講談社、1995年)ですが、社会教育行政は「生涯学習」を信奉した結果、「教育」の任務を放棄し、市民にも子どもにも規範教育を失敗し、義務と責任を教えず、自立の提案をしなかったことで国を滅ぼしかねない「日本人」を大量に生産し続けて来たのではないでしょうか。

時事教育評論6 政治家の交替

 顧問をしたことのある町で町長が交替しました。男女共同参画に関する施策は口ばかりの町長の登場で全く停滞しました。県知事も交替しました。財源をどぶに捨てるような、しかも、子どものためにも,高齢者のためにも、女性や子育て中の家族のためにも、何一つ役に立たない知事の思い込みのプログラムが再検討されることになりそうだと聞き及びました。喜ばしいことですが、果たして望ましい軌道修正ができるか否が次の問題です。問題はトップの志と頭だけではなく、彼を支え、煽て続けた官僚たちだからです。つくづく政治家の任期と交替は重要だと痛感させられ、前の政治家を支えた主力官僚を交替させるというアメリカのやり方は実に合理的だと思うところです。
 現代の幼少年プログラムは子どもと高齢者を結び、保育と教育を統合し、学校を地域「保教育」の拠点とし、地域のボランティアに各自の負担なく加勢していただけるようなボランティア・支援システムを整え、子どもを中心に置いたプログラムを構想すべきです。
 子どもを「宝」とする日本文化において、子どもの縁(「子縁」)は老いも若きも、男も女も繋ぐことができます。それゆえ、「無縁社会」を「志縁社会」に転換することができます。子縁を保教育の視点から組織化し、現行の「学童保育」を徹底再編して、学校施設を開放し、高齢者ボランティアの活動ステージを創ることが現代政治の教育-福祉政策が真っ先にやらねばならぬ課題です。

一番短い自分史-自分の「何」を知ってもらいたいのか!?

 文芸春秋社は、「私の死亡記事」と題して有名人に自分の死亡記事を書いてもらい1册にまとめました(*1)。見開き2ページですから一番短い自分史と言っていいでしょう。
まえがきには「人の業績や人生上のエピソードは、つねに同時代のまわりからの評価にさらされ、それを集約した形で死亡記事や人名事典の記述がなされます。それをもって「客観的評価」とされ私たちは余り疑問をいだきません。しかし、本人がどう思っていたかは別問題です。・・・」(pp.1~2)とありました。そこで本人に自分の「死亡記事」を書いてもらったということです。但し、文体は第3者が書いた体裁になっています。
 読んでみると驚きます。「私の死亡記事」は一番短い自分史であるだけでなく、自分史の特性を余すところなく示しています。それは紛うかたなき本人の「自分自身観」(アイデンティティ*2)だからです。文体も表現法もまちまちですが、みんなそれぞれにおのれの人生を肯定し、その過程を誇っています。こんな風に他者に認知してもらいたいのだ、ということがよく分かります。「はにかみ」や「謙遜」もまた自己主張となり、「死亡記事」自体を遊びで書いた人もいましたが、読者の「受け」を狙っていることは明らかなので見苦しいところも多く見受けられました。執筆の依頼を断り、本書に載らなかった人が何人いるだろうかと感想をもちました。
 一番短い自分史でも、或いは短いが故に、一般市民ならずとも、自慢史に転落するのかもしれません。自分史は恐ろしいものですが、自分の一生はこのように記憶されたいということを率直に書く事はある程度まで許されるべきなのかも知れません。

*1文芸春秋編、私の死亡記事、2000年
*2「自分自身観」とは「自己認識」の総体です。「自分とは何か?」という質問を自分に発して、「自分で答えた答」です。これに対してパーソナリティは第3者が見て、判断した個人の特性の総体です。

「学習」から「教育」へ
第30回大会記念インタビュー・ダイアローグ寸評

1 こぼれ落ちる「学習すべき課題」

 九州の登壇者からは、生涯学習が盛んになっても、「学習すべき課題」が学ばれたわけではなく、「学習したい課題」が公民館等を満杯にしているだけだと指摘がありました。記念出版に感想を寄せていただいた東京の研究者からは、現状の「生涯学習」は、「学習」というより「レジャー」に近いとコメントを頂きました。
 住民が主体で何をやってもいいと言うのなら当然「やりたいことだけ」をやることになるのは人間欲求の自然です。問題は「学習したい課題」の学習だけで社会の課題も個人の課題も解けないということです。
 中央の教育行政が「現代的課題」を提起したとしても、概念上「教育」を採用せずに「学習」を選んだ以上、行政担当者も市民も「聞き置く」に留まっているのです。さらに、「現代的課題」の指摘によって、「何が大事か」は「国民に指摘している」という既成事実が作られています。学習上の重要事項が指摘されているにもかかわらず、学習しないのは学習者の側の「自己責任」であるということになります。結果的に、中央の言う「現代的課題」の指摘は、「教育」を放棄した教育行政の「免罪」機能を果たしているのです。

2 「学習」から「教育」へとは、学習概念の過大評価によって「教育」を駆逐するな、と言っているのです

 『「学習」から「教育」へというテーマは2分法であって、「学習」と「教育」の概念を対立的に使用するべきではない』という意見が登壇者からも会場からも出ました。
 九州の登壇者は「学習」と「教育」を対立的に提示しているのではありません。学習と教育は当然併存するものですが、「生涯学習」を国の指針とすれば、「学習」が「教育」を駆逐してしまうと言っているのです。「教育」は「学習」を生み出す事はあっても、逆に「学習」が「教育」をうみだすことはないからです。

3 法律・制度上の「概念」の整理は終っているのではなく、間違っているということです

 会場からは、法律・制度上、「学習」と「教育」の概念の整理は終っているという指摘が出ました。教育基本法その他で「用語」の位置づけが決まっていることは事実です。しかし、九州はその整理の仕方を間違っていると言っているのです。「学習」であれば市民の選択に任せてもいいでしょう。しかし、「教育」を必要とする人々に対する「教育」の内容と方法を市民の選択にだけ任せる訳にはいかないのです。概念整理の問題は何一つ終っていないのです。

4 「教育」概念を重視することが「教化」に転化することを恐れるのなら、「教育」の看板を掲げることはできなくなります

 教育にこだわり過ぎればいずれは「教化」に転化することを恐れると日本生涯教育学会の前会長から発言がありました。だったら、学会の名称を変更して生涯学習振興学会とでもしたらいいのです。「教育」概念を重視することが「教化」に転化することを恐れるのなら、「教育」の看板を掲げることはできなくなります。もちろん、教育には、規範や礼節や言語・習慣のような社会的行動の「型」を教え込む時、「教化」や「感化」の機能も含まれざるを得ません。「文化」は「教化」や「感化」を含み、「しつけ」も当然「教化」も「感化」を含みます。
 自分で考える「学習者」は「教育」・「教化」・「感化」によって育ったのです。

5 少年期からの教育なくして「自立」などあり得ません
 
 さらに、会場から学習の結果、市民が成長して行けば、ふたたび10年後に「教育」を「学習」に戻すことにならないか。いっそ、生涯「自立」実践研究交流会とでも名称を変更したらいかがかという意見も出ました。教育機能抜きに市民が成長するという前提も、青少年期の「自立」訓練抜きに「自立」が達成できるという前提も全く根拠がありません。市民の学習が「学習すべき学習」に自然成長するという保障も全くないのです。
 九州の登壇者は、子どもを見れば教育の重要性は一目瞭然ではないか、と指摘したのです。あらゆる子どもは、「やったことのないこと」は「できず」、「教えられていないこと」は「分からない」ではないかと言っているのです。そしてあらゆる人間は、子どもを通らないで大人になる筈はないのです。それは教育を通らないで、成長や自立が達成できるはずはないということを示唆しています。

6 「学習」概念を「教育」に再変更すれば必ず、教育意志も教育方法も問われます
  
 教育行政の方針や校長のリーダーシップが重要であるのは、「教育」は必ず「教育」主体と客体の関係を社会的に明らかにする必要があるからです。教育する側の意志、指導者の意志が重要であると言う議論をしているのに、民主的にメンバーの意見を聞かなければ事は動かないという意見が出ました。「馬を水際まで連れて行くことはできても、無理やり水を飲ませることはできない」という一般論が出ました。「学習者」に無理やり学習を強いることはできない、という一般論としてはその通りでしょう。
 しかし、「その気のない者」をその気にさせる手だてを講じることこそリーダーの役割です。水を飲みたくない馬に水を飲ませる工夫こそ政策の妙というものです。
 教育は教育を行う者の教育意志と判断こそが最も大事なのです。会場から指摘があったように、学校ならば校長、教育政策であれば教育行政の責任者のリーダーシップは決定的に重要なのです。それを一般職員や市民学習者の自覚の欠如のせいにしてはならないのです。
 社会教育に限らず、公教育における「学習」を「教育」に置き換えれば必ず「指導者」や「責任者」の教育意志も教育方法も問われます。そうした疑問こそが教育を進化させるのです。優れた教育者とそうでない教育者は、その教育意志と教育方法上の判断でその評価が分かれるのです。

7 生涯学習格差の問題に答えていない/自己責任として放置していいのか

 九州の登壇者が指摘した生涯学習格差の問題は議論になりませんでした。これこそが最大の問題ではないでしょうか。市民の選択に任せれば必ず、選択の有無や適否によって学習の格差は生じます。
まして、高齢社会や無縁社会では学習格差の副作用は増幅されます。この一点だけでも日本の教育行政指針は」学習」から「教育」を舵を切らなければ、生涯学習格差の「負の領域」にいる方々に必要な救済方法を提供することは不可能です。生涯学習社会の現状では、学習の結果すべて「あなたの責任です」として放置することになるのです。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 第30回記念大会に続き、『未来の必要-生涯教育立国の条件』(学文社)の出版記念会を兼ねて、長年の友人諸兄姉が筆者のために「未来を語る会」を開催して下さいました。ありがとうございました。一人暮らしの高齢者は世間から少しずつ己を遮断し、残り少ない歳月の中の気力・体力を自己防衛しなければなりません。暮らしの方針はあらゆるものとの関わりを「断・捨・離」の三文字を持って思い切って転換することです。かくして「謝辞」は誌上をお借りして申し上げるに留めます。お許し下さい。

ご厚情に報いるに「晩学」をもって生きる

 段上に立って一望した時、わが人生の季節を支えて下さった懐かしい方々のお顔が見えました。発起人の皆様のご好意で懐かしい方々と一堂に再会することができましたこと、誠に感無量でした。
 記念の写真も頂きました。歳月は流れましたが、それぞれのお顔を拝見するとご一緒した当時の月日が甦ります。
 お一人お一人にお尋ねすることは叶いませんでしたが、その後皆様にはいかがお過ごしだったでしょうか。
 小生の身にも激変が起こり、ほんの数ヶ月前ですが妻のダイアンが心不全のため急逝いたしました。身近な戦友を失い、いささか心細いこともありますが、意気地なく、ふさぎ込んでいたのでは故人に笑われるでしょう。辛うじて一人暮らしのリズムを確立いたしました。
 『初めての 一人を生きる 青嵐』 と子どもたちへの「無事の便り」に書きました。
新緑の風の中で、かろうじて自立・独歩の研究者の春を生き始めております。
 これまで折々に頂戴した皆様のご厚情、ご親切に対し、言葉に尽くせぬ感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。
 この度、日本の教育成策を巡って、福岡及び近県の仲間と共に新しい本を世に問いました。そのご縁で出版記念会にご参加いただいた方も沢山いらっしゃいます。
 まことにありがたく、作業を共にした同志ともども深く御礼申し上げます。
 この数ヶ月
沈丁花は山吹に、
山吹は薔薇に、
薔薇は芍薬へと
わが庭にも季節は移ろいました
もうすぐ紫陽花が色づきます
独りぼっちに慣れたつもりでも
だれとも会話をしない一日があります
時々眠れない夜も来ます
さびしさに喰い殺されそうな夜明けもあり
書物に向うことができません
そんな時には
妻のダイアンが自慢だった北の大窓に坐り
城山から湯川山まで宗像の四つ塚を眺めます
一番列車が通り
朝焼けが犬鳴山を染め
玄界灘の向こうから風が興ります
人生の最期を宗像の美しい自然の中で送れる事をありがたく思います
過ぎし日にはなんども、なんども
「風立ちぬ、いざ、生きめやも」、と思ったことでした
まだまだやりたいことがあり、まだまだやらねばならぬこともあります
生きるためには、老いの衰弱と戦わなければなりません
自分には、日々、読み、書き、体操、ボランティアの義務を課して、守るようにしています
時には、わが日々はまだ終っていない、と叫んで図書館へ行きます
しかし、黄昏の憂鬱、物音が消えてしまう雨の宵など、時々勇気を失うこともあります
そんな時には志の縁に連なる皆さまの言葉を反芻することにします
ただ、いかんせん私も古希を越えました
これからは衰弱と死に向かって
老いの坂道を一気に下り始めます
人間の晩年は衰えとの戦いです
皆様の激励に恥じぬよう
生きる意志を固め
面を上げて
最後まで人間に与えられた運命と全力で戦い続けたいと願っています
いずれどこか旅の途中でお目にかかることもあるでしょう
その時はどうぞ声をかけて下さい
お互いそれぞれの人生の戦場を疾走して生き抜きたいと思っています
それがわが憧れです
勇気を頂き、希望を頂き、思い出を頂きました
誠にありがとうございました
ご厚情に報いるに「晩学」をもって生きることをお約束してお礼の言葉といたします。

過分の郵送料をありがとうございました。

佐賀県佐賀市  紫園来未 様
 
大会、記念出版会と2週連続でお出かけいただき誠にありがとうございました。いよいよエンジン全開で活躍を始められたこと陰ながら大いに喜んでおります。

山口県下関市  田中隆子 様

 社会参画への超人的な意志力に敬服しております。体調の回復が順調に進みますよう祈念し、当方も老いの衰えと戦いながら恥ずかしくないようにがんばって参ります。

島根県雲南市  和田 明 様

 先生!30回記念大会における島根の皆様のお元気とご活躍は御覧になった通りです。先生が蒔かれた種が大きく育ちました。長い歳月助けていただき本当にありがとうございました。
佐賀県伊万里市 西岡信利 様
 
 再会は何よりの励みです。「便り」のバックナンバーをお送りいたしました。鴻上さんも県庁に戻られました。今度は伊万里での移動フォーラムは如何でしょうか。

北九州市  植田武志 様

 憶えていますか、第1回の「実践研究交流会」。あの頃の学生諸君が50の坂を越えました。永渕さんが総括してお礼を述べたようにこの30年、何と沢山の方々に支えていただいたことでしょう!!

福岡県遠賀町 小川志通江 様

 はからずも妻ダイアンの縁でお目にかかることができ、「風の便り」を通して思いをお届けすることができるようになりました。人間の世の不思議を実感しております。

138号お知らせ

 少し早いのですが、時は忘年会シーズンにかかりますので、広島移動フォーラムの日程だけお知らせしておきます。広島では、川田裕子、正留律雄、中村由里江、杉原潔の皆さんが企画立案と受け入れ準備を進めて下さっております。

生涯教育移動フォーラムin廿日市
「なぜ」本気(まじ)で語ろうー「種火」のお持ち帰り

日時:平成23年12月10日・13:00-11日・12:00(土-日)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市大野図書館、交流会:大野町4区集会所)    

編集後記「きょうの一句」

 友人が一冊の句集をくれました。NHKの「ラジオ深夜便」で放送した「きょうの一句」をまとめたものでした。我が身に夜更かしを禁じているので「深夜便」は一度も聞いたことがないのですが、子どもたちの指導で暗誦させた句が多く出て来て懐かしく読みました。本を頂いた日の句は「さびしさの数を束ねてカーネーション」でした。母の日だったのですね。
 山頭火流に季語も形式も無視すれば、オレだって「きょうの一句」と開き直って日記代わりに書いて子どもたちへの「無事の便り」に添付しています。どことなく亡妻記になるのはようやく一人暮らしが落ち着いて来てものごとを味わい始めたということでしょうか。我流の句に我流の歌の解説をつけてみました。歌は啄木に倣って3行書きにして見ました。

わが日々はまだ終らぬと図書館ヘ

(努めれど努めれど
前に進まぬ時ありて 
夜の街見る)

亡き妻の椅子に座りて日は暮るる

(ご自慢の北の大窓
 陽に映えて
 湯川の山は海に没する)

客去りて芍薬ひらくひっそりと

(去年の日に
友のくれたるしゃくやくは
5月の風に胸を張りたり)

なにもかも捨てて五月の風の中

(遺品捨て書籍も捨てて
ようやくに
思い出だけのわが家となりぬ)

今更に何がつらかろ薔薇咲きぬ

(寂寥に食いつぶされる日も在りし
草抜き終わり
腐葉土足しぬ)

未練だが未練に生きる古希の春
(口にして
思わず吾を振り返る
力を抜きて遠き山見る)

薔薇ふぶき紫陽花となり5月逝く

(なぜかくに
時間ばかりが過ぎ行くと
今日一日を花と過ごせり)

五月晴れやりたいことのあまたあり

(食育の便り届けり
昼食に
子持ち樺太シシャモ買いたり)

満月に朧の春の汽車光る

(わが生の証にせむと日々励む
原稿に倦み
窓に坐れり)

初めての一人を生きる青嵐

(ごうごうと吾を試すと
吹きつのる
5月の風に向かいて立てり)