「風の便り 」(第138号)

発行日:平成23年6月
発行者 三浦清一郎

「学習」から「教育」へ 
中国・四国・九州地区生涯教育-生涯学習実践研究交流会30年:741事例の教訓

I 発表事例の大部分は「学習」事例ではなく「教育」事例だった 

1 「学習すべき課題」の優先

 30年の歴史を通して、発表された741の先進事例はほぼ例外なく「教育」を目指しています。換言すれば、大会は「学習すべき課題」を取り上げたのであって、「学習したい課題」を取り上げたのではなかったということです。

2 実行委員の発掘視点

 発表された741事例の大部分が、「学習すべき課題」であった、という事実は、事例の発掘に関わった各県の大会実行委員が、意識的にか、潜在意識的にかは分りませんが、市民の「学習すべき課題」と「学習したい課題」とは別であり、大会には「学習すべき課題」がふさわしいと判断していたことを雄弁に物語っています。
 社会教育や生涯教育の概念が「生涯学習」概念に変更された「臨時教育審議会答申(昭和62年)」以降も、大会実行委員の発掘視点は変わりませんでした。

3 「モデル事業」の停滞

 われわれの大会の歴史の中にも優れた実践モデルは多々あったにもかかわらず、途中からモデルは広がらなくなりました。「生涯学習」を看板とする時代が到来して、教育行政自身が「教育事業」への積極的取り組みを自粛し、学習は市民の選択に任せればいいのだ、という雰囲気が国中に蔓延したからです。

4 「楽習」で「必要課題」の解決はできない

 741事例の中には、「学習」を「楽習」に置き換えたような発想も稀にはありましたが、従来「学習」に余り縁のなかった人々が「楽習」を発見すること自体はめでたいことであるという前提があったと思います。しかし、「楽習」は「学習したい課題」の「必要条件」であっても、「学習すべき課題」の「十分条件」ではなかったことも明らかでした。「楽習」で「必要課題」の解決ができる筈はなかったのです。「楽習」は多くの場合「学習」にほど遠く、学ぶことに付随する「負荷」を忌避した「レジャー」に近い実態であったことは明らかだったのです。

5 社会教育における「教育」機能の軽視

 社会教育を生涯学習振興と等値した結果、学習の主役は市民となり、その選択権は市民に一任されました。社会教育の教育機能は「社会で行なわれる自己教育」のみが異常に強調され、公教育として社会教育行政が責任を持つべき教育プログラムは停止或いは軽視されたということです。

II 生涯学習振興政策の採用と社会教育の凋落

1 「教育診断」と「教育処方」の放棄

 日本の教育政策の核心を生涯教育から生涯学習に舵を切った途端、市民の選択のみを異常に強調する「学習-楽習」が活況を呈し、行政が公教育の一環として位置付けて来た「社会教育」は一気に衰退が始まりました。
 「生涯学習」概念の下で市民は好きなことだけを学び、「必要なこと」を後回しにします。病院は「健康人」に干渉はしませんが、「患者」には診断と処方を与えます。教育界も「教育的に自立している市民」に干渉してはなりませんが、「患者相当者」に教育診断と教育処方をしなくていいか、ということが問われます。教育政策の核心を「生涯教育」概念に戻さない限り社会教育行政が子どもや高齢者に必要な教育処方を講じることは不可能になったのです。

2 生涯学習振興行政とは「学習したいこと」への支援サービス

 結果的に、公的な社会教育課(社会教育係)は「生涯学習課(係)」と名称変更され、教育機能を自己抑制し、仕事の大部分が個人の趣味・お稽古事・実益追求活動の支援に終始するようになりました。事実上、生涯学習課はカルチャーセンター振興課となり、余暇活動推進を公費で進める役割を果たすことになったのです。政治が公金を投入する社会教育行政の意義を認めなくなったことは正しい判断だったのです。

3 「現代的課題」の付け足し

 生涯学習振興策がレジャー活動振興の様相を帯び始めた後も、中央・地方の教育行政は「生涯学習概念」そのものを修正することなく、「現代的課題」などの視点を追加することで公教育としての辻褄を合わせようとお茶を濁して来ました。結果的に、「現代的課題」は社会教育行政が「公教育の視点を無視している訳ではない」という免罪に使われて来たのです。

4 生涯学習概念の採用に伴う義務教育学校の切り離し

 市民に選択権を付与するという生涯学習発想は、社会的に選択権を認められない児童・生徒を擁する義務教育学校を生涯学習システムから切り離す結果を招きました。システム外におかれた義務教育学校は社会教育との連携も地域との連携も極めて難しくなりました。
 学校外教育は保護者の選択に任された結果、子どもに対する地域の教育力は一気に衰退しました。子ども会の消滅傾向はそれを象徴しています。

III 生涯学習格差の異常発生

1 「生涯学習格差」の異常拡大と自己責任論

 この30年政治家は愚かにも日本の未来像を提示する代わりに、現在;ただ今の国民の要求に応えることが政策立案であるかのように考えるようになってきました。生涯学習振興行政は市民の日常の欲求に応えて「楽習」を提供する結果を招いたことでその象徴的政策となりました。
 社会教育行政は未来の国民が真に必要とすることに応えるべきであって、現在の国民の欲求に追随することは間違いだったのです。その代表的考え方が「生涯学習」であったと思います。そして代表的副作用が「生涯学習格差」だったと思います。「学習」を「選択した人」と「選択しなかった人」のギャップは今や巨大です。「適切な選択」をした人とそれができなかった人との格差も重要な問題を生んでいます。「格差」は知識格差、健康格差、情報格差、交流格差、自尊感情や生き甲斐の格差などに広がり、おそらく人生の「幸・不幸」の格差に重大な影響を与えていると想像されます。

2 「社会を支える人々」の研修と養成

 生涯学習プログラムの多くがふれあいや楽しい交流を目的として来ました。社会への「貢献」を想定しないふれあいや交流事業をいくら重ねても「生き甲斐」も「連帯」も生まれなかったことは現代の「無縁社会」の到来が雄弁に証明しています。
 社会教育行政は、自分の楽しみや安逸に溺れた「生涯学習」支援に見切りを付けて「社会に貢献する人々」・「社会を支える活動」に光を当てるべきでした。「安全」や「福祉」や「人権」は「社会を支える人々」が支えているのです。高齢者の社会貢献を推進しない限り、高齢者の多くは「安楽」と「安逸」の果てに耄碌して没落し、国民資産も、若い世代の「稼ぎ」も食いつぶして、世代間の軋轢を生むことになるでしょう。教育の発想がなければ、「社会を支える人々」の研修と養成は到底不可能です。地域社会の「無縁化」を問題にしながら、地域社会を支える人々の教育を怠ったことは生涯学習施策の最大の失敗だったのです。

3 男女共同参画を推進する事業の無視

 30年、741事例の中でも、男女共同参画を推進する事業は、生涯教育・生涯学習にほぼ「無視」され続けて来ました。その結果、教育は保育に関心を示さず、保育は教育を拒絶し続けました。養育の社会化が実現できなければ、少子化に伴う生産人口の減少を止めることはできません。また、子育て中の女性の社会参画を支援することもできません。女性の社会参画を推奨する多くの施策が社会教育行政に存したにもかかわらず、男女共同参画の発表も、保育と教育を統合したプログラムの発表もほとんどありませんでした。世界の男女共同参画指数を比較した日本の位置は94位です。もちろん、行政の「タテ割り」を修正できなかった責任は生涯学習にはありませんが、生涯学習も、社会教育も女性の社会参画や幼少年期の社会教育と保育の統合に無関心でいたことは認めざるを得ないことでしょう。日本社会における「変わりたくない男」の支配は、この30年間、男女共同参画に無関心のまま続いて来たということだと思います。

4 「学習」から「教育」へ

 分析の視点を「生涯学習」から「生涯教育」に変更することによって、学習の選択結果が生み出す「生涯学習格差」の副作用がよく見えるようになり、逆に、自覚的に見ようとしなかった「社会的必要」がよく見えるようになりました。公的な社会教育行政の役割と意義も再認識するに至りました。現代の社会教育は、「学習者の主体性」を重んじながらも、行政や教育の専門機関が果たすべき役割は「学習すべき課題」を繰り返し提供することにあるという結論に至ったのです。

時事教育評論5 日本人の敵は「日本人」か!?

 「ゴキブリが玄関にいるから」110番。「風呂の蛇口が止まらないので」110番。「昔の彼女を捜して欲しいと」110番。110番の4割がこの種の緊急を要しない要請であったと1月10日:「110番の日」に報告がありました(2011.1.10、テレビ西日本)。人権を個人の欲求と等値した結果がこれであり、生涯学習の市民主体論の結果が「自己中」です。
 日本人の敵は「日本人」だというのは石堂淑朗氏の著書名(講談社、1995年)ですが、社会教育行政は「生涯学習」を信奉した結果、「教育」の任務を放棄し、市民にも子どもにも規範教育を失敗し、義務と責任を教えず、自立の提案をしなかったことで国を滅ぼしかねない「日本人」を大量に生産し続けて来たのではないでしょうか。

時事教育評論6 政治家の交替

 顧問をしたことのある町で町長が交替しました。男女共同参画に関する施策は口ばかりの町長の登場で全く停滞しました。県知事も交替しました。財源をどぶに捨てるような、しかも、子どものためにも,高齢者のためにも、女性や子育て中の家族のためにも、何一つ役に立たない知事の思い込みのプログラムが再検討されることになりそうだと聞き及びました。喜ばしいことですが、果たして望ましい軌道修正ができるか否が次の問題です。問題はトップの志と頭だけではなく、彼を支え、煽て続けた官僚たちだからです。つくづく政治家の任期と交替は重要だと痛感させられ、前の政治家を支えた主力官僚を交替させるというアメリカのやり方は実に合理的だと思うところです。
 現代の幼少年プログラムは子どもと高齢者を結び、保育と教育を統合し、学校を地域「保教育」の拠点とし、地域のボランティアに各自の負担なく加勢していただけるようなボランティア・支援システムを整え、子どもを中心に置いたプログラムを構想すべきです。
 子どもを「宝」とする日本文化において、子どもの縁(「子縁」)は老いも若きも、男も女も繋ぐことができます。それゆえ、「無縁社会」を「志縁社会」に転換することができます。子縁を保教育の視点から組織化し、現行の「学童保育」を徹底再編して、学校施設を開放し、高齢者ボランティアの活動ステージを創ることが現代政治の教育-福祉政策が真っ先にやらねばならぬ課題です。

一番短い自分史-自分の「何」を知ってもらいたいのか!?

 文芸春秋社は、「私の死亡記事」と題して有名人に自分の死亡記事を書いてもらい1册にまとめました(*1)。見開き2ページですから一番短い自分史と言っていいでしょう。
まえがきには「人の業績や人生上のエピソードは、つねに同時代のまわりからの評価にさらされ、それを集約した形で死亡記事や人名事典の記述がなされます。それをもって「客観的評価」とされ私たちは余り疑問をいだきません。しかし、本人がどう思っていたかは別問題です。・・・」(pp.1~2)とありました。そこで本人に自分の「死亡記事」を書いてもらったということです。但し、文体は第3者が書いた体裁になっています。
 読んでみると驚きます。「私の死亡記事」は一番短い自分史であるだけでなく、自分史の特性を余すところなく示しています。それは紛うかたなき本人の「自分自身観」(アイデンティティ*2)だからです。文体も表現法もまちまちですが、みんなそれぞれにおのれの人生を肯定し、その過程を誇っています。こんな風に他者に認知してもらいたいのだ、ということがよく分かります。「はにかみ」や「謙遜」もまた自己主張となり、「死亡記事」自体を遊びで書いた人もいましたが、読者の「受け」を狙っていることは明らかなので見苦しいところも多く見受けられました。執筆の依頼を断り、本書に載らなかった人が何人いるだろうかと感想をもちました。
 一番短い自分史でも、或いは短いが故に、一般市民ならずとも、自慢史に転落するのかもしれません。自分史は恐ろしいものですが、自分の一生はこのように記憶されたいということを率直に書く事はある程度まで許されるべきなのかも知れません。

*1文芸春秋編、私の死亡記事、2000年
*2「自分自身観」とは「自己認識」の総体です。「自分とは何か?」という質問を自分に発して、「自分で答えた答」です。これに対してパーソナリティは第3者が見て、判断した個人の特性の総体です。

「学習」から「教育」へ
第30回大会記念インタビュー・ダイアローグ寸評

1 こぼれ落ちる「学習すべき課題」

 九州の登壇者からは、生涯学習が盛んになっても、「学習すべき課題」が学ばれたわけではなく、「学習したい課題」が公民館等を満杯にしているだけだと指摘がありました。記念出版に感想を寄せていただいた東京の研究者からは、現状の「生涯学習」は、「学習」というより「レジャー」に近いとコメントを頂きました。
 住民が主体で何をやってもいいと言うのなら当然「やりたいことだけ」をやることになるのは人間欲求の自然です。問題は「学習したい課題」の学習だけで社会の課題も個人の課題も解けないということです。
 中央の教育行政が「現代的課題」を提起したとしても、概念上「教育」を採用せずに「学習」を選んだ以上、行政担当者も市民も「聞き置く」に留まっているのです。さらに、「現代的課題」の指摘によって、「何が大事か」は「国民に指摘している」という既成事実が作られています。学習上の重要事項が指摘されているにもかかわらず、学習しないのは学習者の側の「自己責任」であるということになります。結果的に、中央の言う「現代的課題」の指摘は、「教育」を放棄した教育行政の「免罪」機能を果たしているのです。

2 「学習」から「教育」へとは、学習概念の過大評価によって「教育」を駆逐するな、と言っているのです

 『「学習」から「教育」へというテーマは2分法であって、「学習」と「教育」の概念を対立的に使用するべきではない』という意見が登壇者からも会場からも出ました。
 九州の登壇者は「学習」と「教育」を対立的に提示しているのではありません。学習と教育は当然併存するものですが、「生涯学習」を国の指針とすれば、「学習」が「教育」を駆逐してしまうと言っているのです。「教育」は「学習」を生み出す事はあっても、逆に「学習」が「教育」をうみだすことはないからです。

3 法律・制度上の「概念」の整理は終っているのではなく、間違っているということです

 会場からは、法律・制度上、「学習」と「教育」の概念の整理は終っているという指摘が出ました。教育基本法その他で「用語」の位置づけが決まっていることは事実です。しかし、九州はその整理の仕方を間違っていると言っているのです。「学習」であれば市民の選択に任せてもいいでしょう。しかし、「教育」を必要とする人々に対する「教育」の内容と方法を市民の選択にだけ任せる訳にはいかないのです。概念整理の問題は何一つ終っていないのです。

4 「教育」概念を重視することが「教化」に転化することを恐れるのなら、「教育」の看板を掲げることはできなくなります

 教育にこだわり過ぎればいずれは「教化」に転化することを恐れると日本生涯教育学会の前会長から発言がありました。だったら、学会の名称を変更して生涯学習振興学会とでもしたらいいのです。「教育」概念を重視することが「教化」に転化することを恐れるのなら、「教育」の看板を掲げることはできなくなります。もちろん、教育には、規範や礼節や言語・習慣のような社会的行動の「型」を教え込む時、「教化」や「感化」の機能も含まれざるを得ません。「文化」は「教化」や「感化」を含み、「しつけ」も当然「教化」も「感化」を含みます。
 自分で考える「学習者」は「教育」・「教化」・「感化」によって育ったのです。

5 少年期からの教育なくして「自立」などあり得ません
 
 さらに、会場から学習の結果、市民が成長して行けば、ふたたび10年後に「教育」を「学習」に戻すことにならないか。いっそ、生涯「自立」実践研究交流会とでも名称を変更したらいかがかという意見も出ました。教育機能抜きに市民が成長するという前提も、青少年期の「自立」訓練抜きに「自立」が達成できるという前提も全く根拠がありません。市民の学習が「学習すべき学習」に自然成長するという保障も全くないのです。
 九州の登壇者は、子どもを見れば教育の重要性は一目瞭然ではないか、と指摘したのです。あらゆる子どもは、「やったことのないこと」は「できず」、「教えられていないこと」は「分からない」ではないかと言っているのです。そしてあらゆる人間は、子どもを通らないで大人になる筈はないのです。それは教育を通らないで、成長や自立が達成できるはずはないということを示唆しています。

6 「学習」概念を「教育」に再変更すれば必ず、教育意志も教育方法も問われます
  
 教育行政の方針や校長のリーダーシップが重要であるのは、「教育」は必ず「教育」主体と客体の関係を社会的に明らかにする必要があるからです。教育する側の意志、指導者の意志が重要であると言う議論をしているのに、民主的にメンバーの意見を聞かなければ事は動かないという意見が出ました。「馬を水際まで連れて行くことはできても、無理やり水を飲ませることはできない」という一般論が出ました。「学習者」に無理やり学習を強いることはできない、という一般論としてはその通りでしょう。
 しかし、「その気のない者」をその気にさせる手だてを講じることこそリーダーの役割です。水を飲みたくない馬に水を飲ませる工夫こそ政策の妙というものです。
 教育は教育を行う者の教育意志と判断こそが最も大事なのです。会場から指摘があったように、学校ならば校長、教育政策であれば教育行政の責任者のリーダーシップは決定的に重要なのです。それを一般職員や市民学習者の自覚の欠如のせいにしてはならないのです。
 社会教育に限らず、公教育における「学習」を「教育」に置き換えれば必ず「指導者」や「責任者」の教育意志も教育方法も問われます。そうした疑問こそが教育を進化させるのです。優れた教育者とそうでない教育者は、その教育意志と教育方法上の判断でその評価が分かれるのです。

7 生涯学習格差の問題に答えていない/自己責任として放置していいのか

 九州の登壇者が指摘した生涯学習格差の問題は議論になりませんでした。これこそが最大の問題ではないでしょうか。市民の選択に任せれば必ず、選択の有無や適否によって学習の格差は生じます。
まして、高齢社会や無縁社会では学習格差の副作用は増幅されます。この一点だけでも日本の教育行政指針は」学習」から「教育」を舵を切らなければ、生涯学習格差の「負の領域」にいる方々に必要な救済方法を提供することは不可能です。生涯学習社会の現状では、学習の結果すべて「あなたの責任です」として放置することになるのです。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 第30回記念大会に続き、『未来の必要-生涯教育立国の条件』(学文社)の出版記念会を兼ねて、長年の友人諸兄姉が筆者のために「未来を語る会」を開催して下さいました。ありがとうございました。一人暮らしの高齢者は世間から少しずつ己を遮断し、残り少ない歳月の中の気力・体力を自己防衛しなければなりません。暮らしの方針はあらゆるものとの関わりを「断・捨・離」の三文字を持って思い切って転換することです。かくして「謝辞」は誌上をお借りして申し上げるに留めます。お許し下さい。

ご厚情に報いるに「晩学」をもって生きる

 段上に立って一望した時、わが人生の季節を支えて下さった懐かしい方々のお顔が見えました。発起人の皆様のご好意で懐かしい方々と一堂に再会することができましたこと、誠に感無量でした。
 記念の写真も頂きました。歳月は流れましたが、それぞれのお顔を拝見するとご一緒した当時の月日が甦ります。
 お一人お一人にお尋ねすることは叶いませんでしたが、その後皆様にはいかがお過ごしだったでしょうか。
 小生の身にも激変が起こり、ほんの数ヶ月前ですが妻のダイアンが心不全のため急逝いたしました。身近な戦友を失い、いささか心細いこともありますが、意気地なく、ふさぎ込んでいたのでは故人に笑われるでしょう。辛うじて一人暮らしのリズムを確立いたしました。
 『初めての 一人を生きる 青嵐』 と子どもたちへの「無事の便り」に書きました。
新緑の風の中で、かろうじて自立・独歩の研究者の春を生き始めております。
 これまで折々に頂戴した皆様のご厚情、ご親切に対し、言葉に尽くせぬ感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。
 この度、日本の教育成策を巡って、福岡及び近県の仲間と共に新しい本を世に問いました。そのご縁で出版記念会にご参加いただいた方も沢山いらっしゃいます。
 まことにありがたく、作業を共にした同志ともども深く御礼申し上げます。
 この数ヶ月
沈丁花は山吹に、
山吹は薔薇に、
薔薇は芍薬へと
わが庭にも季節は移ろいました
もうすぐ紫陽花が色づきます
独りぼっちに慣れたつもりでも
だれとも会話をしない一日があります
時々眠れない夜も来ます
さびしさに喰い殺されそうな夜明けもあり
書物に向うことができません
そんな時には
妻のダイアンが自慢だった北の大窓に坐り
城山から湯川山まで宗像の四つ塚を眺めます
一番列車が通り
朝焼けが犬鳴山を染め
玄界灘の向こうから風が興ります
人生の最期を宗像の美しい自然の中で送れる事をありがたく思います
過ぎし日にはなんども、なんども
「風立ちぬ、いざ、生きめやも」、と思ったことでした
まだまだやりたいことがあり、まだまだやらねばならぬこともあります
生きるためには、老いの衰弱と戦わなければなりません
自分には、日々、読み、書き、体操、ボランティアの義務を課して、守るようにしています
時には、わが日々はまだ終っていない、と叫んで図書館へ行きます
しかし、黄昏の憂鬱、物音が消えてしまう雨の宵など、時々勇気を失うこともあります
そんな時には志の縁に連なる皆さまの言葉を反芻することにします
ただ、いかんせん私も古希を越えました
これからは衰弱と死に向かって
老いの坂道を一気に下り始めます
人間の晩年は衰えとの戦いです
皆様の激励に恥じぬよう
生きる意志を固め
面を上げて
最後まで人間に与えられた運命と全力で戦い続けたいと願っています
いずれどこか旅の途中でお目にかかることもあるでしょう
その時はどうぞ声をかけて下さい
お互いそれぞれの人生の戦場を疾走して生き抜きたいと思っています
それがわが憧れです
勇気を頂き、希望を頂き、思い出を頂きました
誠にありがとうございました
ご厚情に報いるに「晩学」をもって生きることをお約束してお礼の言葉といたします。

過分の郵送料をありがとうございました。

佐賀県佐賀市  紫園来未 様
 
大会、記念出版会と2週連続でお出かけいただき誠にありがとうございました。いよいよエンジン全開で活躍を始められたこと陰ながら大いに喜んでおります。

山口県下関市  田中隆子 様

 社会参画への超人的な意志力に敬服しております。体調の回復が順調に進みますよう祈念し、当方も老いの衰えと戦いながら恥ずかしくないようにがんばって参ります。

島根県雲南市  和田 明 様

 先生!30回記念大会における島根の皆様のお元気とご活躍は御覧になった通りです。先生が蒔かれた種が大きく育ちました。長い歳月助けていただき本当にありがとうございました。
佐賀県伊万里市 西岡信利 様
 
 再会は何よりの励みです。「便り」のバックナンバーをお送りいたしました。鴻上さんも県庁に戻られました。今度は伊万里での移動フォーラムは如何でしょうか。

北九州市  植田武志 様

 憶えていますか、第1回の「実践研究交流会」。あの頃の学生諸君が50の坂を越えました。永渕さんが総括してお礼を述べたようにこの30年、何と沢山の方々に支えていただいたことでしょう!!

福岡県遠賀町 小川志通江 様

 はからずも妻ダイアンの縁でお目にかかることができ、「風の便り」を通して思いをお届けすることができるようになりました。人間の世の不思議を実感しております。

138号お知らせ

 少し早いのですが、時は忘年会シーズンにかかりますので、広島移動フォーラムの日程だけお知らせしておきます。広島では、川田裕子、正留律雄、中村由里江、杉原潔の皆さんが企画立案と受け入れ準備を進めて下さっております。

生涯教育移動フォーラムin廿日市
「なぜ」本気(まじ)で語ろうー「種火」のお持ち帰り

日時:平成23年12月10日・13:00-11日・12:00(土-日)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市大野図書館、交流会:大野町4区集会所)    

編集後記「きょうの一句」

 友人が一冊の句集をくれました。NHKの「ラジオ深夜便」で放送した「きょうの一句」をまとめたものでした。我が身に夜更かしを禁じているので「深夜便」は一度も聞いたことがないのですが、子どもたちの指導で暗誦させた句が多く出て来て懐かしく読みました。本を頂いた日の句は「さびしさの数を束ねてカーネーション」でした。母の日だったのですね。
 山頭火流に季語も形式も無視すれば、オレだって「きょうの一句」と開き直って日記代わりに書いて子どもたちへの「無事の便り」に添付しています。どことなく亡妻記になるのはようやく一人暮らしが落ち着いて来てものごとを味わい始めたということでしょうか。我流の句に我流の歌の解説をつけてみました。歌は啄木に倣って3行書きにして見ました。

わが日々はまだ終らぬと図書館ヘ

(努めれど努めれど
前に進まぬ時ありて 
夜の街見る)

亡き妻の椅子に座りて日は暮るる

(ご自慢の北の大窓
 陽に映えて
 湯川の山は海に没する)

客去りて芍薬ひらくひっそりと

(去年の日に
友のくれたるしゃくやくは
5月の風に胸を張りたり)

なにもかも捨てて五月の風の中

(遺品捨て書籍も捨てて
ようやくに
思い出だけのわが家となりぬ)

今更に何がつらかろ薔薇咲きぬ

(寂寥に食いつぶされる日も在りし
草抜き終わり
腐葉土足しぬ)

未練だが未練に生きる古希の春
(口にして
思わず吾を振り返る
力を抜きて遠き山見る)

薔薇ふぶき紫陽花となり5月逝く

(なぜかくに
時間ばかりが過ぎ行くと
今日一日を花と過ごせり)

五月晴れやりたいことのあまたあり

(食育の便り届けり
昼食に
子持ち樺太シシャモ買いたり)

満月に朧の春の汽車光る

(わが生の証にせむと日々励む
原稿に倦み
窓に坐れり)

初めての一人を生きる青嵐

(ごうごうと吾を試すと
吹きつのる
5月の風に向かいて立てり)