「風の便り」(第123号)

発行日:平成22年3月
発行者 三浦清一郎

「母の世話 人に頼んで ボランティア」

1 解釈の多様性
標記の「母の世話 人に頼んで ボランティア」という川柳は以前古い参考資料の中から見つけたものです。この川柳には多様な解釈があり、人それぞれの反応があるだろうと想像しています。“身内の世話も処理し切れなくて何がボランティアか”、という感想が第1でしょうか?この感想は養育や介護が社会化される以前の伝統的な発想です。家族の問題を社会に押し付けるなという当事者に対する怒りや皮肉が含まれています。
一方、“母を施設に預かってもらった「負い目」を世間に役立つことで解消しようとするのかね”という感想や、逆に、“世間に恩返しをしようというのは偉いね”という感想が出るかも知れません。更には、一層の深読みをして、“母の世話を他者にお願いしてまで、現代人が社会との接触を続けるということは、そうしなければ人間の孤立感や孤独を解消できず、他者との連帯も絆も困難で、自己表現・自分探しの一環なのだ”という解釈も可能でしょう。筆者が論じて来た「共同体の衰退」に起因する「さびしい日本人」論は、最後の解釈に近いものです。
筆者は、日本人のボランティア活動の背景には、本人の自覚の有無にかかわらず、最後の深読みの感想に似た背景があると考えて来ました。結論だけを繰り返せば、共同体の衰退によって自由になった日本人は、自ら進んで他者との連帯や絆を求めない限り、孤立と孤独を回避できないということです。それゆえ、自分が他者に必要とされ、他者の感謝や他者との連帯に導き得る社会貢献を選択せざるを得ないのです。社会貢献は、「人間の砂漠」と呼ばれる現代における数少ない他者との連帯や絆を形成する方法であり、孤独や孤立を免れる自己表現・自分探しなのです。
2 日本型ボランティアの誕生
結果的に、さびしい日本人が辿り着いた連帯の方法論こそが欧米型のボランティア思想に重なりました。ボランティア活動は、もともとキリスト教文化の信仰上の「隣人愛」の発想を原点としています。日本社会では、連帯や絆を求める方法としてボランティア活動が緩やかに定着し始めているのだと考えています。
もちろん、異文化を自分の生き方に採用した背景には、現代の日本人がおかれた複数の事情が存在しています。
第1は、自分の人生は自分で選んで生きたいという願望です。現代人は「自分流」です。自分の価値を貫き、自己の感性に正直に生きることが理想の自分らしさであると考えるようになっているのです。共同体が衰退し,隣近所の付き合いが崩壊し、また隣近所の付き合いに縛られたくないと思えば、自らが選択し、自らが工夫した人間関係を創り出さなければならないのです。「自分らしさ」こそが現代の理想のスローガンになりました。
それゆえ、第2は、自由な日本人の人生は「主体的」でなければなりません。「主体的」とは、自らが納得できる生き甲斐のある日々を生きるという意味です。欧米文化が主唱してきたボランティア思想の第1原理は、「主体性原則」です。「主体性原則」は、自分が選択の主体であるという点で「さびしい日本人」が希求する「自己主張」の基準を満たしました。
第3には、現実問題として、人生の孤立と孤独の回避です。共同体から離れた自由な日本人は,自らの選択によって他者と繋がらない限り、誰もかまってはくれません。「他律性」こそが「孤独な群集」の最大の特性です。したがって、行政事務の下受け的機能として位置付けられた町内会活動のような擬似的共同体活動が、感性や思想を共有する人間の連帯や絆をもたらす可能性はほとんど期待することはできないのです。このことは「他律的」に行政が音頭をとる子ども会から町内会まで、あらゆる近隣活動が崩壊し続けていることが雄弁に証明しています。自らの活力を維持し、連帯に近づくためには「自律的」で、社会に「貢献する」活動の工夫が不可欠なのです。「自律的な社会貢献活動」こそが、最も確実に世間に受け入れられ、他者の感謝を得ることができるのです。「社会貢献」とは人々の「役に立つこと」です。「役に立つ」からこそ拍手と承認を得られるのです。本家本元のボランティア文化の出発点は「隣人愛」ですから、あらゆる社会貢献は原理的に活動の中身が一致するのです。
第4は、「やり甲斐」の自己確認が不可欠になりました。自己確認とは「社会的な承認」を得ることです。人間は自己満足では己を満たすことはできません。日々の充実を実感するためには己の人生の意義を社会的に確認できなければならないのです。隣人愛や社会貢献を原理とするボランティアは他者と世間が認めた意義ある活動です。活動の成果は人々の感謝と賞賛によって確認することができるのです。ボランティアは多くの日本人に耳慣れないカタカナ文化ですが、共同体的人間関係の衰退とほぼ平行して現代の地域社会に浸透し続けているのは社会の承認が得られるからです。「生き甲斐」とは,「居甲斐」と「やり甲斐」の二つが満たされることです。それゆえ、上記の第3および第4の欲求が満たされれば,生き甲斐の条件が整います。第3の欲求は,自分を好意的に受け入れてくれる人間関係の樹立を希求しています。第4は,自分の活動成果の承認を社会に求めているのです。社会的に承認される活動を通して他者との連帯を図ることを可能にするボランティア活動は新しい日本人の生き甲斐追求に合致したのです。
母を介護人の世話に任せてでも、あるいは施設に預けてでも、ある方々はボランティアに出かけなければ自らの精神の健康が保てないのです。換言すれば、ボランティア文化は多くの「さびしい日本人」を救うことができるのです。最近の川柳にも次のようなものがありました。
趣味生かしきずな求めてボランティア(NHK「定年戦略」川柳:京都府 中村長次)

3 「さびしい日本人」から「日本型ボランティア」へ
筆者は、伝統的共同体の衰退が「さびしい日本人」の大量発生に大きく関わっていると考えています。そして「さびしい日本人」が日本型ボランティアの誕生と定着に関わっていると思います。共同体は個人の生活を大いに支配し、その自由を大いに束縛してきましたが、同時に、相互扶助の仕組みの中で個人を守り、人間関係の舞台を提供し、連帯や共感を創り出して来ました。換言すれば、これまで日本人が暮らして来た伝統的共同体は、個人に有無を言わせず共同体の人間関係の中に引き込んでくれたということです。世間とは共同体のことであり、世間との付き合いも、そこで形成される人間関係も、大部分は共同体が設定したものでした。生活上の具体的な仕組みは、共益を前提とした一斉の勤労奉仕作業であり、冠婚葬祭を含む一斉の儀礼行事でした。
しかし、共同体の仕組みを必要とした基幹産業の農林漁業が工業や流通に取って代わられて以来、日本人の日常は生活場面における「共同」を必ずしも必要としなくなりました。個人は徐々に共同体の庇護や共同作業を経なくても日常を生きて行けるようになりました。結果的に、共同体の相互扶助も、共同作業や共同儀礼も、一転、自立しようとする個人に対する事実上の束縛や干渉に転化したのです。ゴミ当番から一斉清掃まで簡便化された現代の共同作業までが忌避されるのは、個人にとっての共同体の慣習が心理的な束縛であり干渉であった一つの証拠ではないでしょうか。
工業や流通の発展は人口の集中をもたらし、生活スタイルを都市化しました。社会学が指摘した通り、都市化は自由化であり、匿名化であり、多様化です。都市化の下で、個人は自由になり、自己選択の権利を得ました。もちろん、これらの特性はいずれも共同体では許されることでも、可能でもありませんでした。都市化の結果、共同体的人間関係を拒否して個人の自立と自由を主張した現代人は、その代償として、自分で居場所を見つけ、自分で人間関係を築かなければならなくなりました。自己選択の権利は自己責任と背中合わせであったことは言うまでもありません。都市化の下では、自立と自由を主張する以上、自分が社会との関わりを見つけない限り、“誰もかまってはくれない”のです。共同体の干渉を拒否するということは、その相互扶助の仕組みも、共同の人間関係も放棄することに通じていました。明治維新以降の急速な産業構造の変革は、急速な都市化をもたらし、急速な共同体の衰退を招きました。それ故、歴史的に自立や自由のトレーニングの経験の浅い日本人は、自己選択にも、孤独にも、孤立にも慣れていませんでした。急速な都市化によって、急に訪れた“誰もかまってはくれない”状況は大量の「さびしい日本人」を生み出すことになるのは必然の結果でした。選択の自由を認めた社会は、選択しない自由も、選択できない無力も合わせて含んでいるからです。共同体を離れた現代人の多くが、当面する孤独や孤立から逃れようと必死の努力をしていることは夙に「孤独な群集」」(*)が喝破したところですが、伝統的共同体の衰退に伴って自由を獲得した筈の日本人も、自らが納得し得る人間関係の開発に失敗すれば「さびしい日本人」に転落することもまた当然でした。欧米のような日常の教会活動も、そこから派生したボランティア文化も持たない日本社会では「さびしい日本人」の大量発生は当然の帰結だったのです。ボランティアが輸入されたカタカナ文化であるにもかかわらず、共同体の喪失に伴う人間関係の空白を埋める新しい縁の創造機能として評価されるようになったのは論理の自然だったのです。日本文化と縁のなかったボランティア文化を社会に根付かせ、新しい日本人の精神生活を支えるきっかけをもたらしたものは「さびしい日本人」ではなかったでしょうか。外来の文物の輸入加工を得意として来た日本人が自らの「さびしさ」を解決する人間の絆を編み出そうとする試みこそカタカナ文化ボランティアの日本化だったのです。「母の世話人に頼んでボランティア」は「さびしい日本人」がおかれた厳しい状況を象徴しているのです。*D.リースマン著、加藤秀俊訳『孤独な群衆』(みすず書房, 1964年)

4 「ゴミ屋敷」に見る自由のコスト-自己主張の代償
戦後の日本人は、戦争から解放され、共同体の干渉からも解放され、国民主権と人権の保障を手に入れました。
現代の最大の特徴は「主体性」の尊重です。個人主義も,個性主義も,自主性も、主体性も,自律も,自立も、自己流も,勝手主義も,時には「自侭」,「わがまま」ですら,みんな「主体性」の別名です。現代は、自分を中心とした生き方を承認し、「主体性」の尊重が幸福の条件であるという考え方が主流になりました。人生を決めるのは「自分」であるという原則が社会を貫徹しています。この流れを総合すれば,「自分主義」と呼ぶことが出来るでしょう。筆者は、この「自分主義」を「自分流」と名付けました。大人はみんな「自分流」を主張するようになったのです。自分流の自覚は自分のために生きることの自覚です。もともと人間は自分に一番関心があるのです。
しかし、中には、明確にこれが「自分」であるという「自己主張」の体系を持たない人もいます。「自分流」が拡散し、定着していない事例です。しかし、「自分」が揺れ動く場合でも、大抵の大人は自分の欲求にこだわり、自己の快・不快を主張します。その意味では,大人は「みんな自分流」であると総括して間違いないでしょう。
それゆえ、自分が気に入らない人生は総じて不幸であり,気に入った人生は総じて満足や幸せを感じることができます。気に入るか,気に入らないか、その判断基準の大元が「自分」です。
したがって,「自分」は、評価の基準であり,判断の基準です。この時の「自分」は、個体性と弾力性を同時に備えているのが普通です。多くの「自分」は、判断の基準になりうる程度に,ほどほどに固定していますが,同時に,環境とぶつかり,経験から学ぶことによって「自分」を変えることができる程度に柔軟で,弾力的です。「自分流」は、自分の意志や欲求に従って,環境に働きかけ、身の回りの条件を変えようとしますが,逆に、環境の壁にぶつかった時は,自分を変え,環境の解釈を変え,その結果、「経験から学んで」,その時々の人生の受けとめ方を変えるのです。
「自分流」は、一方で,自分が思ったように人生に挑戦するかと思えば,他方では,大元の「自分」を変えることによって人生の諸問題を乗り切って行くのです。人生の幸,不幸は、個人を取り巻く条件や環境に大きく左右されますが,同時にそれらをどう受けとめて対処するか,にもかかって来ます。したがって,私たちの人生は,一面では環境の条件次第,他方では、自分の気持の持ち方次第ということになります。
テレビ特集で現代の「ゴミ屋敷」のドキュメントを見ました。打ちのめされ、打ちひしがれ、鬱状況に陥って、希望も気力も失えば、現代の「ゴミ屋敷」のような奇怪な表現方法も生まれ、近隣の鼻つまみに成り果てるのです。自宅にゴミを溜め込む「ゴミ屋敷」の住人の無気力も絶望も、孤立も孤独も競争社会-格差社会がもたらしたひずみであるというテレビの解説がありましたが、的外れな指摘です。無気力も絶望も、孤立も孤独も自由のコストです。近隣の迷惑を顧みずゴミを溜め込むメンタリティは歪んだ自己主張がもたらした闇のような孤独と孤立の代償です。やさしいボランティアの声かけと協力で少しずつ自分を取り戻して行くドキュメントを見れば、ゴミ屋敷の住人に自立の強い意志はなく、近隣の迷惑を顧みるだけの自制心もないのです。彼らに自由を主張する資格はないのです。あらゆる物品の購入に代価が必要なように、精神の自由にもコストは発生します。自己主張にも代償が伴います。自由のコストを負い切れない理由を社会的条件の格差が原因であると言い換えるのはまやかしです。人生の選択にも代償が伴うのは当然なのです。「ゴミ屋敷」についていえば、収拾がつかなくなるまで放置せずに、速やかに法的な措置を講じて、近隣の住民の自由で快適な生活を守ることが先決です。共同体が生きていれば、共同体の共益に反して、個人の自由や自堕落が許される筈はなく、然るに「ゴミ屋敷」も発生する筈はないのです。日本型ボランティアの誕生はますます日本人の自己責任を問うことになって行くことでしょう。そのことを教える教育の責任も、自分の幸不幸を選択する自己責任もますますその意義が重要になって行くのです。

ふたたび「君は君のままでいいか!」?
「金子みすず」文学論についての異論-教育論への適用の誤謬

1 詩人の祈り
118号にある小学校の指導方針を批判して「君は君のままでいいか!」を書きました。筆者の結論は、「みんなちがってみんないい(金子みすず)」を曲解・拡大解釈してはならない、ということでした。「みんなちがってみんないい」を、子どもの現状に適用して、君は「今のままでいい」のだというメッセージを送るのは、教育の自殺としか言いようがない、と断じました。未熟な子どもが「そのままでいい筈はないのです」。成長とは、今「出来ないこと」も、いつか近い将来必ず「出来るように」なるということです。教育の使命は、今「分からない」ことも、やがて「分かるように」しなければならないということです。
その後、本年2月に第5回山口人づくり地域づくり・フォーラムin山口で金子みすず記念館館長の矢崎氏の講演を拝聴する機会を得ました。矢崎氏もまた金子みすずのやさしさを引いて、「君はそこにいるままで満点なのだ」という表現で子どもの現状を受け入れよという主旨の提案をされました。過日の小学校に続き、今回もまた大いに反発を感じました。金子みすずの文学論も、その教育への適用解釈も大いに混乱しているという感想でした。
詩人みすずが歌った「みんなちがって、みんないい」は思想ではなくて彼女自身の「祈り」だったのではないでしょうか?みすずは不幸な結婚の末に彼女自身を受け入れられることも少なく、最後には「詩を書くことすら禁じられ」ました。みすずは現世の人生も、彼女の創り出す詩の世界も回りの人々に受け入れられることはなかったのです。「鯨法会」でも、「大漁」でも彼女は現実の世界の向こう側に身をおいて祈っているのではないでしょうか。

鯨 法会(ほうえ)

鯨法会は春のくれ
海に飛魚 捕れるころ

浜のお寺で鳴る鐘が
ゆれる水面(みなも)をわたるとき

村の漁夫(りょうし)が羽織着て
浜のお寺へいそぐとき

沖で鯨の子がひとり
その鳴る鐘をききながら

死んだ父さま、母さまを
こいし、こいしと泣いてます

海のおもてを鐘の音は
海のどこまで、ひびくやら

捕れた獲物の供養をするのは鯨に限らず日本文化の伝統です。寺の住職に言われたとおり漁師も供養の法会に参列したことでしょう。しかし、詩人みすずは供養の風景の彼方を見ていたのです。彼女のやさしい感受性は、この世で受け入れられることのない子鯨の思いに感情移入して祈らざるを得なかったのです。現実はそうなってはいないけれど、「みんなちがって、みんないい」という世界に「私も生きてみたいなあ」、という祈りです。

2 詩人が生きた現実

詩人みすずは、最後まで、「みんなちがって、みんないい」と言える世界を生きることはありませんでした。最大の悲劇は、恐らく彼女の唯一の救いであった「詩」まで夫によって禁止され、取り上げられたことだったでしょう。「詩」を失うことは、彼女にとって「祈り」を失うことだったに相違ありません。「詩」という「祈りを言葉にする創作の営み」まで禁じられ、恐らくは絶望の果てに、彼女が自らの命を絶っていることは記念館を訪れる者の胸を打つ歴史的事実です。
筆者は、山口大会当日、大会全体の総括評価の担当を仰せつかっておりました。発表された事例の感想を述べたあとに、金子みすずの安易な解釈が教育論を誤った方向に導く恐れがあるという提案をしました。「みんなちがって、みんないい」を引用して、「みんなそれぞれの現状のままで満点なのだ」と断言することはみすずの詩の浅薄な曲解です。彼女は「鈴や小鳥」と同じように「ありのままの自分を受け入れてくれる世界があればどんなにいいだろうか」と祈っているのであって、「今のままの自分でいい」などとは言っていないのです。「大漁」を喜ぶ浜の賑わいの裏側に海の底のイワシの弔いを視ることができるように、鯨の供養をしながらも、鯨を殺さざるを得ない人間世界の裏側で独りぼっちになった子鯨に許しを乞う祈りができるのです。おそらく、詩人みすずは自らの孤独についても祈っていたのだと思います。「みんなちがって、みんないい」は、彼女が体感したあり得ない世界への希求であり、祈りなのです。「現状のままで満点なのだ」というようなことは言っていないのです。詩人みすずの底抜けに明るい、しかし透徹した孤独感を理解することなく、子どもの現状を是認し「君は君のままでいい」というような解釈を導くことは、みすずの文学を論ずる上の誤解です。矢崎講演の解釈を批判する筆者の最終コメントは総括時間の中の3分間ぐらいで触れただけでしたから、「あなたのメッセージは要約の度が過ぎ、抽象的に流れたので、参会者に真意は届いていないよ」、と何人かの方から指摘を受けました。急ぎ過ぎは失敗のもとですね。辛いことでした。

3 「一人」だからこそ「連帯」を希求

もとより筆者も「誰も代わりには生きられない」と主張して来た人間ですから、「あなたに代わり得る存在はない」ということは痛感しています。人間存在の「個体性」こそが筆者の人間論の中核だからです。しかし、存在の個体性とは、生物の実態を観察した結果です。一人ひとりの存在する権利を保障するという法律上の「人権」思想の基盤を為す事実であっても、「人は変わらなくていいんだ」という意味ではありません。
学校教育も、生涯教育も、みんなが頑張って何ものかになろうと努力しているとき、「今のままで満点」という呼びかけはまさに文学の誤った解釈を教育に適用する「毒」以外の何ものでもないのです。未熟な子どもが「そのままでいい筈はない」からです。今「出来ないこと」はいつか近い将来「出来るように」しなければならないのです。今「分からない」ことも、やがて「分かるように」しなければなりません。それが教育の使命、なかんずく学校教育の使命です。

4 再度の挑戦

山口大会の苦い思い出が自分の中でまだ消えていない折りも折り、同県周南市の福祉施設から講演の依頼を頂き、障害者はもちろんその保護者・施設のスタッフ・一般市民に提案する機会を得ました。講演では、従来から筆者が考えて来た「人間とは一人で生きざるを得ない存在」であり、「相互理解は極端に困難」なのだという持論を展開しました。
主催者から頂いたチラシを見たら、筆者の思いとはちがって、主題は「みんなで生きる講演会」、主題を支える副題のスローガンは「みんなちがってみんないい」と書いてありました。おまけにプログラムの最後は、全員の合唱で「世界にひとつだけの花」を歌うことになっていました。筆者も腹をくくって、「独りぼっちだからこそ」「連帯や絆が必要なのだ」と力説し、みんながそれぞれにちがっているとしても、「君は君のままでいい筈はない」と縷々例を挙げて説明しました。われわれ年寄りも、障害を持っているみなさんも今日よりはあす、明日よりは明後日となぜ向上を目指さないのか!人間が生きるということは、最後まで、「今のままでいい筈はない」のだと主張しました。会場からの反応はなく、ホールはしーんと沈黙していました。むきになり過ぎたかな、障害者のみなさんやその保護者の方々に無理なことを申し上げたかなとまたまた不安になる自分を感じていました。
最後の質問は、聴衆のお一人がテレビのコマーシャルを引用して、「あなたはあなたのままでいい」というメッセージは間違いですか、という問いでした。私は、再度腹をくくって質問者にお尋ねしました。「あなたは今のあなたのままでいいとお考えでしょうか?あなたの人生に向上や成長がなくてもいいでしょうか?」
当事者の自助努力や当事者を応援する姿勢や発想を抜きにして、人間の現状を肯定する考えは教育学的に間違いです。特に、子どもの場合には決定的な間違いです、と断言しました。
先日、この施設の施設長さんがご親切に当日のアンケート評価票の結果を送って下さいました。お便りには、当園の歴史的講演会になりました、とありました。心底、ほっとしています。自由記述の評価はほとんどの方が納得して賛成であると言って下さいました。ものの考え方や見方が変わったという感想もありました。向上を目指して、今後の生き方を変えるというお便りもありました。障害者への対応を考え直すというスタッフからのお便りも頂きました。
当日は、私もプログラムの最後に「世界に一つだけの花」をみなさんと一緒に歌いました。自分の花を咲かせるために、「一生懸命に生きればいい」というところだけは声を張り上げて歌いました。

老後の恐怖-一番恐れている「事態」とは何か?

高齢者の集いで何回かお尋ねする機会がありました。加齢の段階で一番の恐怖は何でしょうか?想像するだけでも、死があり、病気があり、災難があり、それも自分のことも家族のことも含めれば老後の恐怖の対象は実に様々です。
そこで思いついて下記のような簡単な調査票を作ってみました。最初に下関の「NPO車椅子レクダンス普及会」理事の永井さんにお願いして小さなパイロット調査をしました。次に、佐賀県唐津市の-唐津市民活動センター「すてっぷ」の講演会の機会を活用して200名近くの方々の本格調査をしました。お尋ねの結果は明らかでした。老後の恐怖の対象はほぼ間違いなく「寝たきり」と「認知症(ぼけ)」に集中するのです。したがって、高齢期の「元気の処方」は如何に寝たきりと認知症を予防するかということに収斂します。処方箋は「読み、書き、体操、ボランティア」です。
恐怖の理由は自分が自分でなくなり、人間が人間の心身の機能を失うということです。拙著『安楽余生やめますか、それとも人間やめますか』の想定は間違っていなかったということです。精神を失い、判断力や意志力を失えば、人間は「ヒト」に戻らざるを得ないのです。誤解されることを恐れますが、命には「あるべき命」と「あるがままの命」の2種類があるのです。「あるべき命」は、生きる目標にこだわり、生きる努力・向上の努力をやめない命です。これに対して「あるがままの命」は、「目標」も「努力」も問うことのできなくなった「生きている」だけの命です。詰まるところみなさんは「あるがままの命」に陥ることを恐怖しているのです。筆者も同じです。自分が考え、自らが理想とする老後を送りたいと希求している以上、心身の自由を失うことは恐怖以外の何ものでもないのです。「寝たきり」と「認知症」は老後の生きる目標も、向上の努力の可能性も完全に打ち砕くことになるのです。
もちろん、老後の養生、精進,自己教育と自己鍛錬の末に「自分」を失うのであれば、それはそれで仕方がありません。人生に仕方のないことはいくらでもあるのです。しかし,「仕方がない」に至るまでにどれだけの努力をしたのか,が問題なのです。高齢期の努力の内容と方法について,己の「判断」と「選択」の意志を持ち続けたか,否かが問われているのです。

2分間アンケート(無記名)
ご自分に関して「老後に一番恐れるもの」は何でしょうか?

生老病死は人間の宿命です。老後は特にいろいろな難儀が重なります。

これまでお尋ねした中では、自分の死に至る前の段階で人々が恐れているものは下記のようなことでした。さて皆様にとって「老後に一番恐れるもの」は何でしょうか?全部が全部恐れるものであることは分かっております。しかし、皆様が現在の日常において、ご自分のことで最も気にかけているものを敢えて一つだけ選ぶとすればどれでしょうか?(   )の中に当てはまるものの番号をお書き下さい。

1 癌、2 独りぼっちの孤独、3 火事、地震、洪水などの災害に巻き込まれること 4 交通事故、5 経済的破綻、6 寝たきりの老衰、7 認知症、 8 生き甲斐がないこと(することがないこと)、9 その他(      )

ご自分の「老後に一番恐れるもの」答:(     )
あなたの年令だけお教え下さい。(       才)
123号§MESSAGE TO AND FROM§

今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

山本洋子様(岡山県笠岡市人権政策課)、ト蔵久子様(鳥取県米子市)、西山香代子様(山口ネットワークエコー)、平野愛子様(山口県連合婦人会)、田中隆子様(下関市ホーモイ)、三瓶晴美様(山口県田布施町 雑学大学)、井口弘子様(福岡県大川市婦人会)、太田政子様(福岡県甘木朝倉女性会議)、小副川ヨシエ様(佐賀市女性の会)、大城節子様(沖縄県連合婦人会)
福岡県みやこ町の「男女共同参画まちづくり委員会」のみなさんと楽しい2年間の社会人ゼミに挑戦しました。私は、1年前に『変わってしまった女と変わりたくない男』(学文社)を上梓しましたが、回りを見渡して女性の社会参画が停滞しているように思いました。女性の能力を活用できない仕組みは、日本国の重大な損失であると思っております。今、為すべきは、女性の社会参画を推進し、少子化を防止し、熟年者の社会的活動のステージを確立することです。しかし、子育ての社会支援システムは、かけ声ばかりでお粗末の極みであり、子どもの発達支援も、女性の社会参画支援も、指導者の確保も出来ていません。にもかかわらず、女性の声も上がらず、女性研究者からの指摘も生温い限りです。民主連立政権は、財源すら定かでない5兆円ものお金を「子ども手当」としてばらまくと言い張ります。多くの親も貰えるものなら貰わにゃ損だというばかりの反応です。何と愚かなことでしょうか!
そうした一方、子育てに国の英知を結集している筈の皇室の「愛子様」ですら不登校問題に苦しんでいることが分かりました。親の慈愛だけに依存した家庭教育の限界に気付かない日本の「風土病」が象徴的に出た事例だと思います。
そんな時、幸い、みやこ町から「男女共同参画まちづくり委員会」の顧問を務める機会を与えられました。共同体が衰退したあとも、田舎の「変わりたくない男」の壁は頑強です。委員会のみなさんには、化石と化した男たちと戦う消耗戦をやめて、しばらく自分たちの勉強に戻りませんか、という意味で男女共同参画ハンドブックの作成を提案してみました。
初めは「いやいや」、途中から「渋々」、真ん中ぐらいで「やむを得ず」、二年目からは形が見え始めて「熱心に」、最後は「いきいき」とゼミが展開したと感じております。
住民のみなさまは何を知りたいだろうかとKJ法の討議を繰り返しました。辿り着いた結論は「自分たちはこんなことを知りたかったのだ」ということでした。図書館に通い、聞き取り調査に出かけ、結果のまとめを発表しました。質疑にも、議論にもすこしずつ慣れました。
担当者を除いて、役場の男たちはこんなものは余計なことだと感じていたことでしょう。決して協力的ではありませんでした。女性委員さんのがんばりを目の当たりにして、女性の社会参画に限らず、自分の人生は、他人や既存のシステムに頼って出来るものではないということを教えてもらいました。時代が変化するのではありません。私たちが時代を変えるのです。楽しい2年間でした。私の任務は一応終わりましたので、これからどうなって行くか、みやこ町の今後を見守りたいと思います。
委員さん方の努力に報いるため、取り敢えず委員会の仕事の価値をお分かりいただけるであろうと感じている女性の皆様に6分冊の成果をお送りいたしました。さて、どんな反応をいただくことになるでしょうか。
*直接お届けする方もいれば、事務局からお送りする方もおられます。万一、届かないようなことがありましたら、ご一報下さい。
*筆者の手元にまだ10セットほど頂いております。組織的にご活用をお考えくださるのであれば、お送りいたします。300円分の切手をお送り下さい。
X市 T. Y. 様

M候補者のリーフレットを確かに頂きました。私には「学童保育」についての政策提言を読みなさい、というご趣旨と理解いたしました。以下は感想です。
選挙戦に関わることですからお名前はすべて匿名といたしました。ご理解下さい。若くして意欲的に政治に挑戦しようとする精神は誠に天晴れと言うべきですが、いかんせん保育問題に関する情報源が偏っていて、貧しいというのが最大の問題です。
1 学童保育は「誰がするか」が問題ではなく,「何をするか」が問題です
学童保育の民営化は駄目だという趣旨ですが、その理由が分かりません。
病院でも,学校給食でも民営で十分できます。問題は「中身」であり,「方法」です。民営にしても政治や行政の指示と監督が「契約」の中できちんと貫徹されていれば何ら問題はありません。ちなみに保育も教育も高齢者の指導参加も学校施設の全面開放も実現している「豊津寺子屋」は豊津の住民による運営です。問題は、「誰がするか」ではなく,「何をするか」なのです。その時、政治の判断は決定的に重要です。豊津の前町長さんに確認してみることをお勧めします。従来の学童保育にそのようなことが出来るでしょうか?
2 子育て支援と男女共同参画時代の最大の課題は、「保教育」の実現です
家族の不安は子どもの健全発達です。子育て支援の目的は、保育と発達支援と女性の社会参画の保障と、高齢者など地域の方々の社会貢献のステージの創造です。現状の子どもは「へなへな」です。解決策は,現状の保育に教育機能を導入して,子どもの発達支援を強化するしかありません。したがって、指導者が不可欠になります。教育活動を展開する施設機能も不可欠です。打開する方法は、高齢指導者の発掘と学校の開放しかないのです。国もようやく自覚して「子ども教室」という保育と子どもの居場所を結合した総合的「保教育構想」を打ち出しました。2年前のことです。しかし、ほとんど実現できておりません。第1の原因は行政の「縦割り」ですが,第2の原因は全国で「学童保育」の指導員が抵抗しているからです。保育にこだわり、教育機能の導入を拒否する現行の「保育」概念や既存の指導者こそが問題の根源なのです。友人の教育長の試算では、現行予算の半分以下で「保教育」は導入できます。有力者や議員を動員して、彼の「保教育構想」に抵抗して来たのは、既得権にこだわり,これまでのやり方を変えたくない学童保育の指導員なのです。全国ほとんど同じです。新しい政治を志す方は既得権にしがみつく抵抗勢力と組んではならないのです。
3 どのような経営形態であろうと「地域の力」を生かすことはできます
M氏の政策提言では、民間委託では「地域の力」は生きないと断定しているようですが,「地域の力」を生かすためには、委託契約に「地域の力」を十分に活用するよう具体的な指示事項を条件として銘記すればいいだけのことです。地域の雇用についても同じです。既得権の上にあぐらをかいて来た従来の「学童保育」より、民間委託の方が契約に基づく明確な評価を貫徹することが可能である事も明らかです。議会の決議に関わった複数の議員さんに判断の理由を確認することも重要なプロセスです。
民間委託に移行することによって「運営リスクの軽減や市民サービスの向上が図れる」と行政当局が言明しているのであれば,それが事実であるか否かを明らかにして市民に公表することこそ新しい政治の使命です。民間委託にした結果,従来に比して「改善」されたことは何か,「改悪」の結果を招いたものは何か,それらを見極めることこそ重要なのです。最初から『「学童保育」民営化に異議あり』というような企業経営をマイナス視点でしか見ない短絡・単眼の発想で政治はできません。このような政策提言をもたらした情報源を再点検することが不可欠であり、若い志ある政治家のために心から惜しむものです。
123号お知らせ
第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会

日時:2010年5月15日(土)10時-16日(日)12時まで
(14日は前夜祭交流)
場所/問い合せ先:福岡県立社会教育総合センター(福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2、-092-947-3511。E-mail:mail@fsgpref.fukuoka.jp)
内容:各県の事例発表28、特別企画:リレーインタビュー「子育て支援」、「社会復帰のカウンセリング」、「市民参画のまちづくり」、「学校と企業の連携」などを予定しています。

第100回記念生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年6月12日(土)13-17時
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
発表者;100回記念特別企画をセンター事務局が構想中です。
終了後センターにおいて交流会を計画しております。
123号編集後記
子どもには世間が必要なのに

守役やご養育係に子どもの「鍛錬」を任せるという発想は、日本の支配階級が「帝王学」の伝授の必要から生み出した子育ての原則です。子どもには親の慈愛が不可欠であると同時に世間による社会生活の予行演習もまた不可欠であるという社会的自覚が存在していたからです。庶民もまたそれに倣って「子やらい」や「ひとなし」と呼ばれる地域における「集団子育て」の形態を発明しました。
子どもを「宝」とする我が国の風土においては、まさしく親の保護と子どもの親依存が決定的に、ある意味では病的に強くなります。子離れも、親離れも難しくなるのは日本文化の「風土病」です。それゆえ、この国の指導者階層は、昔から可愛い我が子を「守役」(世間)に預けて鍛錬することの重要性を自覚していたのです。守役は他人ですから、意識すると否とに関わらず、子どもには「甘え」が許されず、世間を体験させることになるのです。親の慈愛だけで育ち、世間に接していない子どもは必ず依存的で、対人関係の耐性が脆弱になります。親がどれほど自覚的に「鍛錬」を導入して育てたつもりでも「泣く子には勝てない」という古来日本の発想は正しいのです。日本の親は肝心のところで必ず子どもに甘く、その要求を入れる結果になります。子どもは、当然、親のところに帰れば安泰であると思うようになるのです。「一人前」とは世間で生きることであり、世間で生きるということは親の元には逃げ帰らないということを意味します。
天皇家の「愛子様」の不登校問題は戦後日本の教育の失敗と子育て問題の象徴であり、教訓でもあります。戦後教育の風潮に倣って、天皇家もまた守役のトレーニングより親の愛が多くなり過ぎたに相違ありません。親の慈愛が多すぎるということは、子どもが世間に接する機会をそれだけ失うことになります。子どもは親の手で育てることが一番いいという考えは、戦後教育の「迷信」です。子どもには、親に甘えるようには甘えることのできない世間との接触が不可欠であるのに、親の慈愛だけで真っ当な一人前が育つと考えるところに重大な落し穴があります。他者との距離や他人の冷たさに対する耐性が育っていないとき、子どもは世間で生きることができなくなります。解決法はたった一つです。泣こうが喚こうが親から離して、逃げ帰ることを許さぬ、信頼できる守役(他人)に任せて、厳しくて、しかも、親とはちがったやさしさの中で、他の子どもたちと一緒に合宿をさせれば直ります。天皇家であるが故にこそ「愛子様」の不登校を解決できなければ、日本の大問題に発展することを恐れます。

親を処罰の対象にするか!?

執筆の途中で、幼い小学生が年寄りの女性ばかりを狙って、不意を襲って持ち物を奪ったり、突き飛ばしたりして怪我をさせたというニュースを耳にしました。90歳のおばあちゃんが突き飛ばされて怪我をされたということでした。こうした子どもは、獣が獲物を狙うように、意図的で、計画的です。親はしつけを完全に放棄している親で、親になったこと自体が間違いなのです。肉体的に弱い年寄りや女性ばかりを意図的に狙って繰り返される幼い子どもの犯罪は「弱肉強食」のジャングルの原理であって、通常の人間社会では想定していないことです。それゆえ、現行の法律には処罰の規定すらありません。法的に処罰の出来ない幼い子どもはやむを得ず「児童相談所」送りになったということでした。子どもの権利を声高に語り、その人権をもてはやす時代に「児童相談所」もまた何もできないことは明らかです。被害者は不運であったと言われるだけで、今回もその人権は保障されないことになるのでしょう。
幼少年に対して、意図的にしつけを放棄していることは、親の「無知」と「無責任」というだけでは済まないものがあります。しつけや社会化を経ていない人間は、霊長類ヒト科の動物に過ぎません。人間としての基本トレーニングを受けていない「ヒト科の動物」を社会に放し飼いにすることは、犯罪と同等の、親が責任を負うべき反社会的な教育公害です。被害者の老女のみなさんは誰に償いを求めればいいのでしょうか?
霊長類ヒト科の動物として生まれて来る子どもは、しつけと教育によって初めて人間になります。幼いが故に、少年に罪がないとすれば、彼らを育てている親に罪があります。ジャングルの獣のように弱い人間だけを狙って物理的に襲うような子どもを育てている親を「反社会的子育ての罪」で処罰する法律が必要な時代が来ることを恐れます。

「風の便り」(第122号)

発行日:平成22年2月
発行者 三浦清一郎

「集まる」ということ、「結ぶ」ということ
-「日本型ボランティア」連帯の原理-

昨年、妻がくじで引き当てた町内会の「公民館長」を務めて1年が経ちました。わが街では、コミュニティ・センター(以下コミセン)を中心に公民館長部会という組織が作られていて、18の町内会が共同事業を実施する仕組みになっています。筆者は社会教育のプロですが、この一年は、余計なことを言わずにみなさんのおやりになることにひたすら従いました。1年経ってみると、公金を投入したわが街のコミュニティ政策は完全な失敗である事がよく分かります。コミセン方式の政策が目指す住民の連帯も福祉も学習もほぼ完全に形骸化しています。コミセン事業は単発の講演会を含めると10種のプログラムがありましたが、若い住民の多い我が町内会からは、役員を除けば、ソフトボール1チームとふれあい登山に2名が参加したに留まりました。ソフトボールやグラウンドゴルフのような「パンとサーカス」に属する遊び事は住民「同好会」がそれぞれにやるべきことであって、公金を投じた自治会の仕事である筈はありません。回覧板とゴミ処理を残して自治会を解散し、残りの工夫はコミュニティの再生に取組もうというNPOやボランティア団体に期限を切り、サービス内容を指定して有償で委託すべきであるというのが我が結論になりました。しかし、実質的評価システムのないまちづくり事業は、次年度も前年踏襲のプログラムを実施するという結論に落ち着きました。今年も役員のくじ引きが行なわれることになりました。こうして町内会も滅んで行くのです。
部会には、年に2回の公民館長研修があり、年度末は文科省表彰を受けた先進地の佐賀市立勧興公民館の視察研修を行ないました。思うことが沢山ありました。以下はその一つです。

1 「自分流」と「自己責任」

共同体の衰退後、現代の日本人は「共同体の構成員」から「個人」になりました。「個人」の「生き方」は「自分流」が許されるようになりました。「自分らしく」は今や時代の標語になったのです。「自分流」を主張し、「自分らしさ」を標榜する以上、「生き方」の責任は己に帰着します。「自分流」の裏側は「自己責任」になるからです。自由を主張する個人は、原理的に独りぼっちです。それゆえ、個人もまた誰かに繋がり、どこかに帰属しなければ孤立します。孤立も孤独もこの世のさびしさは堪え難いですから誰もが連帯や絆を必要とします。しかし、帰属したい集団が見つからなければ帰属のしようがなく、連帯も絆もあり得ません。その時こそ、自分流が試され、自己責任の意味が問われるのです。自分の居場所は自分で見つけ、帰属集団は自らが創り出すしかないのです。連帯も絆も、ぬくもりもやさしい人々との出会いも自分で見つけ、自分で創り出すことが求められます。それが生き甲斐追求の「自己責任」です。しかし、権利を求め、自己を主張するほど「生き甲斐」の充足は簡単ではありません。生き甲斐には為すべき「やり甲斐」と「居甲斐」が不可欠だからです。「居甲斐」とはあなたを受け入れてくれる好意的な人間関係を意味します。
現代の「自分流」はますます自己主張が前に出過ぎるようになりました。「足るを知る」ことを忘れ、「自己責任」を取り切れない、という事実が現代人の特徴になりました。自由な個人の多くが「さびしい日本人」になったのは当然の帰結でした。人間は自分の人生を自分の意志で生きるために自由を獲得した筈だったのですが、結果は不幸にして、「孤独な群集」(リースマン)が世界中で量産され、「自由からの逃走」(フロム)も世界中で起こりました。共同体衰退後の日本も例外ではありませんでした。この時、社会教育は個々の知識技術を教授するに留まらず、人々の帰属集団づくりを支援すべきだったのですが、生涯学習施策は住民の欲求を満たすことを最優先原則としました。住民サービスを旗印に「パンとサーカス」の提供に走った社会教育は、趣味人や道楽者や見物人を量産する結果に終わりました。戦後教育、特に「生涯学習」概念が紹介された後の社会教育は、学習者の要求を反映させることが教育の民主主義であるという浅薄な勘違いの下に「要求充足原則」に基づいたプログラムの提供を生涯学習振興と等値しました。要は、人々の「やりたいこと」、「望むこと」を提供することを教育サービスと勘違いしたのです。多くのプログラムは住民の希望を尋ねるアンケートの集計結果の下に編成されるようになりました。
人間の向上には、「努力」も「負荷」も必要です。公金を投入する生涯学習の方向を人々の選択に任せれば、負荷を嫌って「易き」に流れることは目に見えていたのです。その結果がプログラムの「パンとサーカス」化でした。社会教育は年を追って弱体化し、人々の帰属集団を創り出す努力や支援はほとんど行なわれませんでした。「さびしい日本人」の大量発生は時間の問題だったのです。
2 人間関係の選択制

伝統的共同体と現代の新しいコミュニティの最大の違いは人間関係の選択制です。無数のグループ・サークルの生々流転をみれば、現代の人間関係は「選んだ人間関係」であり、「選ばれた人間関係」です。友は「類」をもって集まるのです。共同体が崩れ、地縁がほとんど意味をなさなくなった以上、新しい日本人は「志縁」をもって連帯します。共同体による共同や一斉行動などの「付き合い」の強制機能がなくなった以上、「選べなかった人」も「選ばれなかった人」も必然的に孤立します。「さびしい日本人」は、日々の楽しみを求めて「パンとサーカス」を追いかけました。共通の趣味や同一の楽しみ事の参加や見物を通して、一定の交流は生まれますが、軽い付き合いは軽い連帯しか生み出すことはできません。社会教育の趣味・お稽古事・「祭り」に集まる参加者・見物人の多くは「孤独な群集」の変形に過ぎず、「さびしい日本人」が希求した連帯や絆を実現することはできませんでした。多くのプログラムの創造者は、参加者自身ではなく、社会教育や民間カルチャーセンターのごく一部の「プログラム請負人」でした。公民館などに比べれば、いくらか専門的で、高負担のカルチャーセンター・プログラムでさえ、生み出したのは、連帯でも自己実現でもなく、多くの「カルチャー難民」であったことはすでに証明済みのことでした。
「生涯学習」を標榜した頃から、日本の社会教育は「ご馳走を作る人たち」と「ご馳走を食べるだけの招待客」とがほぼ完全に分離したのです。カルチャーセンターの隆盛やイベントを請け負う商業主義がそうした傾向を加速したことも疑いありません。
他者の提供する「パンとサーカス」の安楽に依存し、「ご馳走を食べるだけの招待客」と化した「孤独な群集」は自身の心を支える「生き甲斐」を創り出し、他者との連帯や絆を生み出すことなど出来る筈はなかったのです。中根千枝氏が夙に指摘した通り、「経験の共有」は、「同じ釜の飯」を意味しますから、「パンとサーカス」もまた共有すれば、日本人の交友を確かに促進します。しかし、その場合、「経験」の中身の濃さ即ち人々の努力や負荷の度合いが問われることは言うまでもありません。努力にも負荷にも関係のない祭りの見物人が人生の連帯を果たせる筈はなく、趣味や楽しみ事を共有したところで人生の試練をくぐり抜ける「戦友」になれるわけはないのです。自らが表現者となり実践者となり企画者とならない限り、他者との連帯も絆も形成は困難なのです。
「群衆」または「群集」とは、英語のcroudを意味し、通常、群れ集まった多数の人々を指します。「群集」の特徴は、共通の関心が存するとしても、特定の目的や組織を意識していない集団(広辞苑)です。それに対して「会衆」や「聴衆」とは一定の会合目的を有して集まった人々を意味します。更に「同志」や「会員」の目的意識は一層固いものになります。群集は文字通り人々が群れ集まる非組織的な集団ですが、会衆や聴衆は何らかの共通目的を持って人々が集まる組織的な集団です。「集まる」ことには「集まり方」があり、「出会う」ことには「出会い方」があるのです。集まり方には、参集、参加、参画、結集などの形態が想定されます。出会い方には、地縁や参加の縁(同じ釜の飯の縁)がある一方、志縁や結社の縁があるのです。「志縁」とは同じ気持、同じ目標を持って人生を生きることによって連帯する縁を意味します。「結社の縁」は、共通目標のために団結した組織に所属することから生まれる人間関係のことです。「集まる」だけでも、「出会う」だけでも人が連帯するとは限らず、絆を「結ぶ」ことにならないことは当然です。人間が連帯し、絆を深め、自分が必要とし、自分を必要とする集団に帰属するためには、共通の動機、目標、理想、感性など人間の絆を形成する「結合の要因」が不可欠なのです。それゆえ、共通の志がなく、目的や目標が欠如していれば、向上の理想も苦労を共にする活動の蓄積もあり得ないでしょう。
3 「招待パーティー」と「持ち寄りパーティー」
-「群集」は参画しない-

この度、佐賀市の勧興公民館を再訪して、筆者にとっては三たび事業報告をお聞きすることになりました。文字面のプログラムだけを見ているとどこの公民館にでもあるような事業名が並んでいます。しかし、最大の違いは事業に結集する人々の「集まり方」の違いであり、人と人との「繋がり方」の違いなのです。我がコミセン・プログラムの参加者の参集の目的は、見物と鑑賞と感興のためです。一方、勧興公民館の参加者の多くは自らの参画と向上のための「結集」なのです。喩えが少し具体的過ぎますが,我がコミセンのプログラムをご馳走に例えれば、メニューは基本的に前年踏襲で決定され、繰り返されます。料理人は筆者のように各自治会からくじで選ばれた自治会役員や自治公民館役員が交替で担当します。住民には回覧板が回り、準備のできた「招待パーティー」の案内をします。要するに、参加者のほぼ全員が招待客なのです。これに対して勧興公民館の場合は、地域創生・地域向上という目的を共有した住民有志が自ら楽しみにご馳走を作り,「持ち寄りパーティー」を楽しみます。受益者負担の原則を厳守しているのでパーティーは「ただ飯」にはなりません。彼らは参加者でありながら企画者であり、準備を担当する実践者なのです。実践者の中には、特別支援学級の生徒もいれば、ストリートミュ-ジシャンのような近所で「迷惑者」扱いを受けているものもいます。最初はお客さま気分で見物に来た人々も館長の思いに巻き込まれ、徐々に参画者に変わって行きました。今や学校を含む様々なグループ・サークルが自分たちの企画を持ちよって参加するようになっています。もちろん、多くのボランティアが公民館事業の「臨時スタッフ」になります。
しかし、我がコミセンは市の公金に依存し、企画者と見物人を分離しているため、見物人は最後まで招待客の姿勢を崩さず、ただの「ご馳走」を食べた上に、時に文句や不満まで言います。住民が主役でその参加こそが重要だと言っているので「文句があるなら自分でやれ」とは、市当局も担当者も口が曲がっても言えないのです。それゆえ、住民は汗もかかず、自分の手も汚しません。住民は企画にも、準備にも無関係です。
対照的に、勧興公民館の参加者は受益者負担が原則ですから、それぞれの持ち寄り経費もそれぞれのグループ持ちです。準備に関わらなかった「お客さま」もご馳走が食べたければ自己負担が原則です。その代わり、「屋台」や「出し物」の上がりは応分に「準備者」に分配され、努力に応じて自分たちの「取り分」になります。苦労もそれなりに多いことでしょうが,「取り分」もあり、お客さまの賞賛もあり、他の皆さんの「ご馳走」も頂けるので喜んで協力しているのです。一見人々は、公民館の主催パーティーに手を貸しているように見えますが、本質は自分たちのための「持ち寄りパーティー」なのです。公民館の「パーティー」は、彼ら自身の自己表現の舞台であり、自らの連帯と絆のための活動なのです。
我がコミセン事業の参加者は、自らが主体的に参画していないので、「パーティー」の「ご馳走」を食い散らかして時間が来たら、お仕舞いです。勧興公民館の場合は、参画者のほとんどは後片付けに残らなければなりません。その時こそ、彼らは自己表現や自分探しに成功したか否か、お互いに議論して反芻するのです。人々が、後片付けの中で連帯や絆を実感すれば、「またやろうね」,ということで繰り返しが可能になるのです。自らが参画し,苦労を共にした結果、他人から褒めていただき、感謝の言葉を浴びるので連帯感も、楽しみも倍増します。要するに心理学のいう「社会的承認」が得られるのです。
我がコミセンの関係者は、年1回の文化祭に3、000人が集まったと人数を誇り,年6回、隔月の祭りに700人しか集められない勧興は「まあすごいことですね」と感心していました。しかし、両方の現場に立ち会った自分は、両者の「パーティー・プログラム」の質が天と地ほども違うことを知っています。
前者の住民はごちそうを食べにきているだけですが、後者の住民の多くは自らごちそうを作って持ち寄り、作ることも食べることも、お互いの努力のオーケストレーションを楽しんでいると言えばお分かりいただけるでしょうか?
社会教育の問題は人が集まるか、否かではなく、集まった人々が連帯や絆や生き甲斐を感得し得るか否かなのです。ごちそうを食べるだけの関係でも「同じ釜の飯」ですから、それなりにかすかな共感は生まれますが、見物人から連帯や絆と呼べるような関係は生まれようがありません。「ご馳走」が無料で、食べ易く、努力を伴わないものであれば、我らのコミセンのプログラムにも見物人や参加者はそれ相応に集まりますが、彼らは自らご馳走の準備に取組む主体的な実践者やプログラムの参画者にはならないのです。「職員僅か3人の勧興公民館が職員5名のコミセンの10倍にも当たる事業を年間を通して実行できるのはなぜなのでしょうか」と当方の参加者から質問が出ました。
秋山館長さんのお答えは「この地区ではみなさんが本当によく助けて下さるのですよ」という簡単なものでした。筆者の答は館長さんとは異なります。彼我の違いは「集まり方」の違いです。彼我の違いは、事業の中身と方法が連帯や絆や生き甲斐を創造し得ているか、否かの違いなのです。われわれの事業は「招待方式のパーティー」であり、勧興の事業は「持ち寄り方式のパーティー」です。後者は、パーティーの参加者がパーティーの実行者を兼ねているのです。勧興公民館の凄さは参画者、企画者、実践者を集めて、自ら様々な活動を展開しているところです。これに対して、我がコミセンは、事務局と公民館長部会が前年踏襲のプログラムを町内会役員の労役によって企画した「パーティー」に無責任な見物人が烏合の衆となって集まっているだけなのです。集まりの賑わいだけをみると両者の祭りは似ているように見えるかもしれませんが、事業の中身が天と地ほどに違うというのは「集まり方」の違いなのです。わがコミセンは、人々が「集まり」さえすれば、「集まり方」は関係ないと考えています。これに対して、勧興公民館のみなさんは人々が公民館を応援するために集まって来ているとお考えのようでした。どちらも違います。
館長ご自身は、住民の主体的参画とそれぞれの力のオーケストレーションの素晴らしさを分かっていらっしゃるから、現在の手法を採用なさっているのですが、「招待客」と「持ち寄り参画者」の「集まり方」の違いを意識されていないので、運営原理を言葉にして説明ができなかったということだと思います。
4 見物人と参画者
両者の違いは、公民館運営プログラムの中身の質が違うだけでなく、参加する住民の姿勢が全く違うのです。我がコミセンは大多数が見物人で群集です。逆に、勧興公民館の方は大多数が地域向上の目的を持った参画者を結集し得ているのです。秋山館長がおっしゃるように、応援者はボランティアだと言ってしまえば、それはそれで間違いではないのですが、ボランティアは単なる「助っ人」でも、「奉仕人」でもないのです。新しい日本型ボランティア活動とは、半分は社会貢献を通して他者のために役立ちたいという活動であっても、残りの半分は連帯や絆を求め、時には生き甲斐を求める自分のための活動なのです。勧興公民館の参画者は単なる「助っ人」でも「奉仕者」でもなく日本型ボランティアの新しい活動形態なのです。人々は自分の表現のために、自らの連帯と絆のためにお集りなのです。舞台はたまたま秋山館長という理解者のいる公民館になっていますが、自分たちの活動表現ができ、企画や実践の披露ができるのであれば、どこでもいいのです。
筆者が10年以上も続けて来た英語ボランティアの授業も同じです。半分は自分の社交と絆のためなのです。筆者の周りには似たようなボランティア活動をなさっている友人が何人もいます。勧興公民館に集う参画者の活動は、現象的には、公民館事業の応援をしているように見えますが、多くのボランティアは自分の居場所のため、自己表現のため、連帯と絆を見出すためにやっているのです。舞台をお作りになって、参画者をその気にさせたのは館長さんご自身ですから、感覚的には十分事の真相をご理解になっている事は疑いありません。彼女が説明の言葉に詰まったのは、恐らく共同体が衰退した後に「さびしい日本人」が大量発生したという事実を意識なさったことはないからだと感じました。勧興の周りには、人々が自覚しているか、否かを問わず、すでに新しいタイプの開かれた共同体が成立しているのです。
5 「持ち寄り方式」の可能性
勧興公民館の実践を再分析しながら、われわれが29年にわたって続けて来た「中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会」の運営原理に思い至りました。われわれの大会もまた実践者が手弁当で実施する持ち寄り方式の「大パーティー」だということです。中国・四国・九州の交流会は財政的には無一文ですから、謝金も旅費もありませんが、参加者が自ら手弁当で参集し、自分の料理を披露する「持ち寄り参加型のパーティー」形式を守って来たのです。参加者は自分たちが自ら築いたパーティーだからこそ発表も交流も懇親も満足度が異なるのです。福岡県立社会教育総合センターでの懇親会が深夜まで盛り上がるのは自分たちが作った「料理」を持ち寄って、苦労話を語ることが尽きないからなのです。
公的に主催される社会教育研究大会の多くが、公金を投入した主催者主導型の「招待パーティー方式」の大会です。結果的に、参加のお客さまの多くは企画にも準備にも関わっていません。参加者の大多数は学習に興味はあっても切実な実践課題を持ち寄った参画者ではありません。お金がなくなれば「招待型パーティー方式」が終焉するのはそのためです。
一方、われわれの実践研究交流会の参加者の多くは実践の中から切実な課題を発掘し、その実践結果を持ち寄った身銭を切った学習者です。お金がなくても続いて来たのは、実践の研究者が自らの「実践の苦労」を持ち寄り続けているからです。友は類をもって集まるのです。
「さびしい日本人」から「やさしい日本人」へ

1  歴史的推移

(1) 共同体の衰退

共同体の衰退の引き金は、日本社会の産業構造が大転換したことです。農林漁業を基幹とした産業は工業と流通を中心とした構造に転換しました。日々の暮らしに共同体を必要としたのは農林漁業であって、工業と流通業は共同体を必要としません。それゆえ、日本社会の産業構造の転換と平行して共同体が衰退したのです。共同体は共同作業を通して「共益」を守り、共同体成員の相互扶助を行ない、成員の連帯と絆を守って来ました。
(2) 個人と共同体の衝突

共同体は個人の自由や選択より全体の共益を優先します。共同体共通の利益を守るため構成員にはルールと暮らし方の原理を強制します。それゆえ、個人の恣意的な判断で共同作業や一斉行動を変更したり、拒否することは許されません。共同体は共益を優先し、個人の自由や選択権を後回しにします。それゆえ、産業構造の転換によって共同体に依存しなくても生きて行けるようになった個人は、徐々に自己都合を優先的に主張するようになります。結果的に、現在の地域社会に共同体の暮らし方や慣習が残存している場合には、個人の自由の主張と衝突することになります。個人にとって成員の自由を認めない共同体の慣習は束縛となり、実質的な干渉と化したからです。個人が共同体の慣習を拒否し始めた時、共同体の成員を束ねる力が衰退します。共同体が培って来た共同や連帯が崩れ始めるのです。平行して、共同体が支えていた人間の連帯や絆や教育力が衰退して行きます。
(3) 共同体の衰退はライフスタイルの「都市化」現象として発現します
個人の自由は、工業と流通の拠点が集積して作り出した都市が推進しました。都市型の考え方は原則として個人の能力主義であり、効率主義です。また、都市型の人間関係は、「選択主義」です。都市化は時を経て、農山漁村にも浸透し、最終的には全社会的にライフスタイルの都市化が進行しました。換言すれば、共同体の衰退はライフスタイルの「都市化」として現象したのです。都市化を支える思想的原点は自由と自立です。それゆえ、都市化の中の人々は組織の束縛も、他者からの干渉も嫌いました。一方、自由と自立を主張する以上、個人の生活や行動が行き詰まったとしても誰も世話はしてくれず、心境が独りぼっちになったとしても誰もかまってはくれません。自らの工夫と力で他者との連帯も絆も築いて行ける人は自立と自由を全うできますが、それができなければ、時に、自立は孤立に、自由は孤独に転落します。「さびしい日本人」が大量に発生するのはこの時です。
(4)「さびしい日本人」の摸索

「さびしい日本人」は共同体の衰退によって連帯と絆を失ったことによって大量に生まれました。「さびしさ」から脱出するためには、自分の力で他者と繋がり新しい連帯と絆を見つけなければなりません。なぜなら、一度捨てた共同体に戻ることは不可能であり、さびしいからと言って昔の慣習に戻ったところで一度自己裁量の自由を味わった個人は昔の束縛と干渉に耐えられないからです。結果的に、自分で新しい人間関係を見つけることのできた少数の人々を除いて、孤立と孤独の中に取り残された多数の「孤独な群集」(The Lonely Crowd,David Riesman,1950)が生まれました。「さびしい日本人」が様々な試行錯誤の“実験”の後に辿り着いた一つの結論が輸入された異文化概念の「ボランティア」活動です。「ボランティア」活動の定着と分岐点は阪神大震災であったと多くの方が指摘し、阪神大震災時の救援活動をボランティア元年と呼んでいます。「元年」を機に、活動者の質的にも、量的にも大きな変化が同時に起こりました。福井沖のナホトカ号の重油流出事故にも同じような現象が続きました。日本型ボランティアの誕生と名付けていいと思います。日本型ボランティアについての人々の指摘と観察を収斂させて行くと、そこで起きた変化は、従来の「奉仕活動」が「連帯と絆を求める自分探しの社会参画」に転換したことがよく分かります。転換者は「さびしい日本人」ですから、活動者の人数も彼らの地理的な居住範域も一気に拡大したのです。
(5) 「他者への奉仕」から「自分探しの社会参画」ヘ
-方法論は「社会貢献」です-

従来の日本人がボランティアと呼んできた活動は「施し」や「慈悲」の感性を原点とした「奉仕」の発想でした。従って、「奉仕」は他者のためでした。これに対して、新しいボランティア活動は、「絆と連帯と生き甲斐」を求めての「社会参画」であり、その方法論は多様な「社会貢献」です。両者の違いは、前者が少数の選ばれた篤志家であったのに対し、後者は「孤独な群集」となった多数の「さびしい日本人」の共感者であるという点です。前者の「奉仕範囲」は比較相対的に狭い範域に限られ、「奉仕者」は、社会心理学的に「奉仕」が可能な地位にあった方々が中心でした。これに対し、後者は、活動範域が一気に拡大し、活動者は社会的地位に関わりなく、現代の孤立や孤独を感じざるを得ないあらゆる地域の、あらゆる階層の人々に広がりました。両者の活動は、「人助け」であり、「社会貢献」ですから、現象的には共通項も類似点もありますが、行動の動機と心理的背景は大きく異なります。前者は、人助けを生き方として選んだ「他者への奉仕」であり、後者は絆と連帯と生き甲斐を求める「自分探しの社会参画」です。後者は、「さびしい日本人」が孤立と孤独を回避するために選んだ「社会貢献」の方法だったのです。前者は、行為の崇高さや社会の賞賛にも関わらず、篤志家の階層を越えて日本社会には広がりませんでした。後者は、共同体の衰退が臨界点に達した時点で一気に全社会的に拡大したのです。
結果的に、「さびしい日本人」が選んだ社会貢献の方法は、欧米文化のボランティア活動に類似したものになりました。新しい日本型ボランティアは、宗教的背景は有していませんが、「隣人愛」の原理も、「主体性」の原則も、労働の対価を求めない実践も共通のものになりました。阪神大震災の救援活動は外来語のボランティアが日本文化に定着し始めた曲がり角となったのです。

(6) 「社会貢献」の背景は「さびしさ」と「やさしさ」です

上記の通り、日本人の新しいボランティア活動の心理的背景は「さびしさ」と「やさしさ」です。「さびしい日本人」は人間や社会に対する「やさしさ」を通して他者と繋がろうとしたのです。「やさしさ」の表現法は具体的に多様な「社会貢献」になりました。この方法は成功しました。どの分野の活動であれ「社会貢献」は当然人々に歓迎され、感謝の対象となり、対人関係において「やさしさ」は人間相互を結びつける力を持っているからです。ボランティアの思想は異文化の発想ですが、「主体的な行為」であり、「自らの感性に根ざした行為」であり、隣人愛に発した行為であり、社会的に承認が得られる「歓迎さるべき行為」であり、多くの人々に「感謝される行為」です。共同体を離れ、個人として自立しようとした「さびしい日本人」にとって、他者との連帯や絆を見出す方法としては、自他ともに、最も納得可能で、有効で、賛同を得易い方法だったのです。方法論が「やさしさ」を核とした「社会貢献」である事によって、「さびしい日本人」は他者に出会って連帯や絆を深めたに留まらず、社会的承認を得て生き甲斐を見出し、結果的に「やさしい日本人」になって行ったのです。新しい日本型ボランティア活動が実践する「やさしさ」は、「他者への奉仕」とは異なります。従来の共同体に存在した相互扶助の「やさしさ」とも別種のものです。日本型ボランティア活動は明らかに[[自分のため]]の目的を含んでいるからです。共同体の「やさしさ」は集団のやさしさでした。日本型ボランティア活動の「やさしさ」は、「個別の人間」のやさしい思いが「総合されたやさしさ」です。それゆえ、かつて「集団的にやさしかった日本人」は、共同体を失い都市化の波の中で「人間砂漠」と呼ばれるような殺伐とした「さびしい日本人」になりましたが、ふたたびボランティアによって今度は個人の「やさしさ」を取り戻しつつあるのです。それゆえ、日本人はかつての共同体に存在した集団的「やさしさ」に戻ったわけではありません。「やさしい日本人」は集団的に再生したのではなく、個々の人生に「新生」したのです。
2  「やさしい日本人」の誕生
(1) 日本型ボランティア推奨システムの不在
問題は、政治も行政も従来の共同体概念の呪縛から抜け出すことができず、いまだ社会貢献と自分探しが融合した日本型ボランティア活動の意味と価値を理解してはいないことです。それゆえ、ボランティア活動を奨励し、社会貢献の事績を顕彰する政策やシステムを創り出せていないのです。
これからの地域社会を担うのは、社会貢献を通して他者と関わることを学んだ「さびしい日本人」です。自立した「さびしい日本人」は、自助、共助、公助を組み合わせてお互いを助け合う新しいコミュニティを目指し、他者との連帯と絆を希求しています。社会貢献の方法を採用したことで「さびしい日本人」は、その行為によって、必然的に「やさしい日本人」に移行して行きました。「さびしい日本人」が自由に発想したNPOとボランティア活動は人々を連帯に導いたに留まらず、「やさしい日本人」を組織化することになったのです。
カタカナのボランティア文化を受け入れた日本人は「新しい日本人」です。共同体の崩壊は「さびしい日本人」を大量に発生させ、結果的に、絆や連帯を摸索する「新しい日本人」を生み出さざるを得なかったのです。彼らの摸索と試行錯誤は、今や「やさしい日本人」を新生させつつあるのです。換言すれば、誕生した「新しい日本人」も「やさしい日本人」も、その活動が広がるに連れて、従来の共同体の慣習や発想を一層の衰退に導きます。「地縁」を核とした人間関係は自治会も、子ども会も、婦人会もあらゆる組織が衰退して行きます。新しい日本人は「地縁」で繋がっているのではなく、「志縁」や「活動の縁」で連帯しているからです。行政が展開する疑似共同体構想のコミュティが機能しないのはそのためです。
(2) 新しい日本人
筆者の中の新しい日本人は、市民ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分です。こうした活動はすべて自分が望んでやっている主体的で、「選択的」な活動です。みずからの興味と関心を出発点としています。活動から生まれて来る人間関係は「選択的」人間関係です。活動の責任はすべて自分にあります、誰かに強制されたわけでもなく、諦めて町内会当番の“不運なくじ運”に従っているわけでもありません。それ故、新しい日本人は、基本的に主体的、自発的で、自分が選択した活動に対する責任感も、義務感もあり、活動への義理や受動的かつ消極的な従属感は持ちません。少なくとも活動の出発点においては、みずから「喜んで」選択し、「善かれ」と思って開始したことです。主体的活動とは、選択的活動の意味であり、自発的活動の意味です。共同体では、そのどちらも自由に選ぶことは許されませんでした。自発的選択者は、当然、自分が選んだ活動への熱の入れ方も違います。そうした活動を展開するのが「新しい日本人」です。ただし、「新しい日本人」は過渡期にあります。換言すれば、「新しい日本人」が「従来の日本人」から独立して、別個に存在しているのではありません。ほとんどの場合、両者は、過渡期の日本人の中に同居しています。もちろん筆者の中にも「二重人格者」のように同居しています。ある時は、やむを得ずコミュニティの労役義務の要求に従い、みんなそうするのだから「仕方がない」と諦めています。しかし、別の状況では、「自分の思い通りに生きたい」と主張して生きています。「新しい日本人」と「従来の日本人」の「同居性」こそが日本型ボランティア文化が定着しつつある過渡期の過渡期たる所以です。
新しい日本人はボランティア活動やNPO活動に代表されます。ボランティア活動を通して、「個人的存在」と「社会的存在」の調整をしようとしているのです。「新しい日本人」は、自由に生きたい自立の願望と、絆を深め、やさしい人間関係の中で生きたいという連帯の願望を両立させたいと願っているのです。自立と連帯の両立を求める「新しい日本人」は基本的に既存の組織や共同体とは関係がありません。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られません。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいています。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌います。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおいています。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第で選択が行なわれます。「新しい日本人」は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじます。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視し、生き方は基本的に「自分流」です。
個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するということは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということです。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのです。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まって行きます。
近年のNPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互助け合い発想を引きずっている人々もいます。変化の時代に、様々な活動が錯綜するのは自然なのです。にもかかわらず、ボランティア活動も社会貢献や生涯学習を課題とした「非営利」のNPO団体も、「新しい日本人」を刻々と生み出していることは疑いありません。上述の通り、NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということは強調しても強調し過ぎるということはないでしょう。
(3) 新旧の地域力

ボランティア活動も、NPOも市民個々人の活動を促進しているのであって、居住の縁に基づく共同行動を勧めているのではないのです。自由な市民はそうした一斉行動は受け入れません。多くの自治体のコミュニティ活動は、「みんな一緒にやれば何とかなる」という従来の共同体発想を下敷きにしています。そこから生まれるものは「疑似共同体」以外の何ものでもありません。旧来の地域力は共同体が生み出す、団結力であり、拘束力であり、教育力であり、共同の支援力でした。地方政治や行政は、それらが失われたと嘆き、それらを回復しようとしている政策が多いのです。しかし、現行自治会(町内会)に旧来の地域力を期待しても得られる筈はないのです。自治会も町内会も失われた共同体に代わる「新しいコミュニティ」の形成を看板に掲げていますが、居住の縁に依拠した地域共同体は疑似共同体に終らざるを得ないのです。われわれの居住地域は偶然の選択の積み重ねの縁で出来ています。現代の地縁とはそういうものです。住所も住宅も自分で選んだものですが、居住の縁に基づく人間関係は選んでいないのです。「コミセン」構想による新しいコミュニティの形成は原理的に時代錯誤以外の何ものでもないのです。今や、人間関係の原則は選択制です。グループやサークルの形成過程を見れば気の合った人々が集まっていることは火を見るより明らかであり、気の合わない人々が集まれないこともまた明らかなのです。行政広報の回覧や、家庭ゴミの共同処理ぐらいは仕方のない共同作業として残るとしても、住民はそれ以外の余計なことはしたくないいのです。ソフトボールやゲートボールの大会まで自治会を下請けにしていること自体が間違いなのです。自分のことは自分でやることが市民社会の原則であれば、それらの趣味活動は好きな者同士が実行委員会方式でやればいいのです。残りの市民の生活基盤に関わる行政サービスを自治会や町内会に下受けさせることは間違いです。小さい政府を住民が選ぶのであれば、自由なボランティアやNPOが様々なコミュティサービスを担当することになる筈です。新しい地域力は新しい市民の組織が担うべき時代が来ているのです。
多くの役所が発想するコミュニティ活動が地域自治会を下請けとし、住民を動員した遊びや祭りの一斉プログラムであることを見ても、如何に時代錯誤に満ちているか明らかでしょう。「パンとサーカス」に如何に多くの市民が参集したとしても、彼らは見物人の域を出ることはなく、準備にあたった自治会や自治公民館の役員は労役の提供者であって、彼らの精神が不完全燃焼に終ることは明らかなのです。彼らにとって自治会のほぼ全ての活動は自分が主体的に選んだものではないからです。役所の多くは未だ「古い日本」の「共同体」を発想の基盤としている故に、コミュニティ・ワークを自由なグループ・サークルに委託したり、ボランティアの活躍するステージを創造することができず、ボランティア活動を応援・顕彰するシステムすら作ることができていません。少子高齢化の時代が来たと叫びながら、多くの市民が子育て支援や高齢者支援に活躍する舞台も準備することができないのは当然の結果なのです。役所こそが従来の共同体発想から抜け出すことができず、地方政治や役所で政策立案している人々の多くが伝統的官僚組織に安住した古い日本人であるということなのです。
3 新しい日本人の新しいコミュニティ
現代人は「個人」になりました。個人はどこかに帰属しなければ孤立します。しかし、帰属したい集団が見つからなければ帰属のしようがありません。その時、自分が帰属したい集団は自分で創り出すしかないのです。社会教育はその支援をすべきなのですが、支援はほとんど出来ていませんでした。友は「類」をもって集まります。新しい日本人は「志縁」をもって連帯し、「活動の縁」をもって前進します。現在私たちが住んでいる居住地区はいろいろな偶然が重なった地縁の関係であると指摘しました。当然、人々の志や感性が共通である保障はありません。近隣の人間関係が大事であると言われますが、大事なのは近隣の人間関係ではなく志縁の人間関係です。両者が重なって形成できればそれに越したことはありませんが、通常はそうなりません。偶然が重なってできた「地縁」の関係に過ぎませんから、挨拶ぐらいはするとしても、付き合いたい人もいれば、付き合いたくない人もいることでしょう。自由に生きるようになった日本人は、自分の基準を大事にします。人はそれぞれに自分流に自分らしく生きようとしていますので、自己基準に合わない人とは関わりたくないのです。しつけの出来ていない悪ガキの親とは関わりたくなく、自分勝手で見栄っ張りの年寄りとも付き合いたいとは思いません。生き方の基準や波長が合わなければ仲良くしろということの方に無理があるのです。共同体の時代は共同体が要求する慣習やしきたりの基準を個人に強制することができました。悪ガキにしつけをしないことは許されず、親ができないのであれば、他の共同体メンバーがその子を叱ったのです。親はそうした他者からの干渉に文句を言うことはできませんでした。しかし、現代は違います。「オレの子どもに勝手なまねをするな」と言われれば、それ以上のことは出来なくなりました。学校でさえモンスターペアレンツに怒鳴り込まれれば、子どもの指導ができなくなるのですから、近隣の道徳的・文化的秩序が崩壊するのは当然の現象です。当人が明らかに愚かでも、はた迷惑でも法律に違反しない限り個人の自立と自由が保障されるようになったからです。わがままな年寄りについても、そうした年寄りを放置している家族についても同じです。他者の暮らしぶりに干渉は許されなくなりました。極論すれば、法律の範囲内であれば、後指を指されようと、嫌われようと、たとえばゴミ屋敷のようにゴミを溜め込もうと、個人の自由を錦の御旗として人々は勝手に生きることが許されるようになったのです。こうした人々ともたまたまご近所なのだから仲良く付き合えということの方に無理があるのです。共同体と新しいコミュニティの最大の違いは人間関係の選択制です。共同体の暮らしに個人の選択は原則的に許されませんでした。われわれの地域社会では選択こそが原則になったのです。それゆえ、隣りの人を知らなくてもいいのです。あいさつはともかく組内のひとびととの付き合いもあなたの考える範囲でいいのです。仲のいい友だちが、線路の向こうにいたとしても、となりの町に居たとしても、現代の交流はほぼ可能になりました。
地域の教育力や助け合いを論じる時、多くの論者がご近所の顔も名前も一致しないような状況こそが問題の根源であり、孤立や孤独の問題を解決できないと指摘します。しかし、果たして、そうでしょうか?
筆者は、最大の問題は、日本人のボランティアやNPOや市民活動の経験不足こそが問題の根源であると考えています。社会教育も生涯学習も最大の問題は、国民に「社会貢献」の体験が欠如していることなのです。見ず知らずの人々の中で社会貢献活動を経験していれば、顔を知ろうが知るまいが、名前を知ろうが知るまいが、ご近所の緊急時に対処することなどわけのないことです。近隣の防災も防犯も、高齢者支援も子育て支援も、未知の状況に飛び込んで阪神大震災の救援活動を経験した方々にとっては簡単なことです。政治も行政も、近隣地域社会に「社会貢献」活動の舞台もシステムも作らず、活動の奨励も助成もして来ませんでした。ボランティア活動は「さびしい日本人」自身が試行錯誤の末に自ら発見した連帯の方法です。政治や行政が提案したことではありません。近隣住民は「お上」の指示を待ち、行政に依存することのみを教えられて来たと言っても過言ではないのです。ボランティア活動の経験者が少ないということは、自立の能力も、他者との関わりも、連帯や絆の心理的実感もほとんど体感したことがないことを意味しています。「コミセン方式」だか「新しい公共」だか、スローガンだけが踊って、従来の共同体を下敷きにしている限り、連帯も絆も緊急時の相互扶助も達成することは出来ないのです。政治も行政も自らの仕事の限界を悟り、「訓練された無能力」(ヴェブレン)を自覚し、覚醒した市民の支援を得られるよう、NPOやボランティア活動のシステムを作り、活動者に対する財政的支援体制を整え、「社会貢献者」に対する顕彰のプログラムを作るべきなのです。
孤独死一つを考えてみても、そうしたことに関心のある住民の協力なしに、行政のセイフティー・ネットで救うことができないことはすでに明らかになりました。逆に、社会貢献に関心のない住民は邪魔になりこそすれ、全く頼りにならないことも明らかになりました。自治会も町内会も関心のある人もない人も含んでいるのです。役員の輪番制によって全員に同じような関心を抱けということの方が無理なのです。役員がくじ引きの1年交替にならざるを得ないのはそのためです。
行政はNPOや地域ボランティアに委託契約の条件を銘記して、活動の財政的支援を制度化してお願いすればいいのです。孤独死を防ぐだけでなく、地域の活力を向上させ、志縁に繋がる人々の連帯を深めることは疑いありません。官僚組織は社会の根幹を支える重要なシステムであることは間違いありませんが、お役所仕事のデスクワークで現代の地域を浮揚させることはできません。地域活力の向上も、人々の孤立も孤独も解決することはできません。コミセン方式は古い共同体が掲げた「みんな一緒」の幻想を引きずっています。祭りも、ソフトボール大会も、グランドゴルフも地域住民の交流や連帯を深めると喧伝していますが、公民館長を務めてみれば結果は明らかです。「パンとサーカス」を一諸に楽しんだところで連帯も絆も深まりません。各チーム内の親睦は図れても、チーム間の交流はほとんど顧みられていません。そうしたプログラムが自治会の役目であるわけはないのです。好きでやっている同好の人々が実行委員会を作って自分たちで主体的にやればいいのです。
地域にボランティアやNPOの経験者が増えれば、日常の付き合いがなくても緊急時の対応はできます。人々が望まない地縁の交流を無理強いする必要はなく、くじ引きで選出される自治会役員に手当を支給して役所の下受けをさせたり、ソフトボールやグラウンドゴルフの企画を依頼する必要はないのです。ましてそうした素人がにわか仕立てで企画する「パンとサーカス」のプログラムに公金を投入する必要は全くないのです。コミセン方式は「新しいコミュニティ」の創造という目的に照らしてすでに明らかに破綻しているのです。

122号お知らせ

第98回生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年3月13日(土)15-17時
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
発表者;福岡県立社会教育総合センター副所長 黒田修三ほか
終了後センター食堂において夕食会

第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会

日時:2010年5月15日(土)10時-16日(日)12時
(14日は前夜祭交流)
場所/問い合せ先:福岡県立社会教育総合センター(福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2、
-092-947-3511。E-mail:mail@fsgpref.fukuoka.jp)
内容:各県の事例発表28、特別企画:リレーインタビュー「子育て支援」、「社会復帰のカウンセリング」、「市民参画のまちづくり」、「学校と企業の連携」などを予定しています。
§MESSAGE TO AND FROM§

お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
佐賀市勧興公民館 秋山千潮 様
過日は突然の訪問で失礼いたしました。わがコミュニティの公民館長さんたちは多くを語りませんが、私には実に収穫の多い一日になりました。巻頭に拙文を掲載しましたのでご笑覧ください。これまでの勉強の過程で、私は「さびしい日本人」が己の居場所を探し、他者との連帯・絆を求めて新しいボランティア文化に辿り着いたと確信するようになりました。館長の実践はその傍証になると思っております。私の分析・解釈に誤りがあるようでしたらなにとぞご説明いただきたくお願い申し上げます。次の著作はボランティア文化の「輸入」論を書き始めておりますので是非参考にさせていただきたいと思います。
福岡県岡垣町 神谷 剛 様
お元気なお姿に接し、お便りも頂戴し、喜んでおります。
岡垣町と研修のご縁が出来てこれからもお目にかかる機会が増える事を楽しみにしております。自分が年をとった分、老後を凛々しく生きている方々に一番の興味と関心を抱くようになりました。その逆に、高齢者を単純な弱者と捉え、「保護したり」、「甘やかしたり」、「あやしたり」することに終始している方々に大いに反感を感じております。己の衰弱とともに、人間が「老いる」とは、「意識するとしないとに関わらず、加齢に伴う心身の衰えと戦い続ける過程」であると理解するようになりました。「戦い方」で晩年の在り方が決まります。戦いが不可避であるとすれば,問われているのは,意義ある戦いをできるか,否かになります。高齢社会は「老い方」が問われているのに政治は高齢者を無力視し、「保護の仕方」だけを問題にしているような気がしてなりません。福祉の関係者がこの国の高齢者を間違った方向に導かねばいいがと切に願っております。
福岡市 紫園来未 様
前回フォーラム以来の会話を思い出しております。近年の教育論は「学習」が「実践」に進化する筈であるとどこかで信じている節があります。学校教育が頭でっかちになり、大人の世界が建前の理屈でいっぱいなのも、「分かればやれる」はずだという間違った「教育信仰」の故だと思います。子どもも大人も教室や書物での「学習」が「実践」を導く保障はどこにもありません。理論と実践の間には飛び越えなければならない深い谷があるからです。迷われていたら、ご自身の過去を思い出して、とにかく試行的に「実践」を開始する事です。その中から必ず必要な学習が生まれ、次なる実践に繋がります。何もやらないでものごとを論じてはいけないのです。「実践なくして発言権なし」です。「学びの共同体」などという浮かれた幻想に惑わされてはなりません。共同も、連帯も、絆も、戦友も、人間の生き甲斐はすべて苦楽を共にする実践の中からしか生まれては来ないのです。基本は「実践の共同体」です。実践は必ず学ぶことにつながります。ジョン・デューイが唱えたLearning by Doingは人生の教育論です。
山口市 上野敦子 様
山口大会の運営ご苦労様でした。懐かしい研修同窓生の皆様のご活躍を目の当たりにして心強い限りでした。ご報告を拝見いたしました。進化し続ける井関元気塾に喜んでおります。学校と合同の発表会はあなた方の腕の見せ所です。朗唱はオリンピックのシンクロナイズ・スイミングに匹敵します。「選手」を選べない学童保育の異年齢集団は、どんなチームよりも難しい条件に直面します。素材の選択、腹式呼吸のトレーニング、リズムとスピードの同調、子どもの応援、どれ一つをとっても重要です。最後は朗唱の内容を理解した子どもの感情表現がカギになります。喜んで応援します。至急、指導員チームで発表会素案を作成してみて下さい。赤田先生から山口同窓会は5月の最終週末とご連絡をいただきました。その機会に具体的な詰めをしましょう。ご準備下さい。
過分の郵送料・制作費をいただきありがとうございました。
佐賀市 秋山千潮 様
山口市 西山香代子 様
山口県下松市 三浦清隆 様
福岡県岡垣町 阿形敬之助 様
福岡市 紫園来未 様
鳥取県南部町 岩田 淳 様
東京都八王子市 瀬沼克彰 様

編集後記:「さびしい日本人」の変態

テレビを点けるたびに犯罪のニュースです。若者の犯罪の多くは明らかに規範を教え損なった「教育公害」の結果です。年寄りの方は孤独で自己中心的な日本人の「変態」行動(時期や条件によって様々な発現形態をとること)ではないかと疑っています。ゴミ屋敷のテレビ・レポートを見ましたが、明らかに自由でしかも孤立した「さびしい日本人」のはた迷惑な振る舞い以外のなにものでもないでしょう。孤立も、引き蘢りも、暴走も、自分勝手も、すべて「自由」の裏側です。「さびしい日本人」の自由がどれほど危険なものであるかを実感させます。従来の共同体の中では決して許されなかった事が「自由」や「権利」の名の下に許されるようになったのです。筆者はそれでも個人の自立と自由は進歩の証だと思っていますが、若者の規範教育と老人の社会参画を推進する強力な政策を打たない限り「変態」現象はますます深刻化するものと想像します。暗いニュースが聞こえるたびに、失業に端を発した「格差」だ「格差」だと騒ぐ評論家が登場しますが、「格差」は一昔前の日本にも、その前の日本にもありました。不登校も非行も、フリーターもニートの増加も、筆者には問題の根源は「自由」に対処できない家庭や学校の教育の結果であると思えます。
もちろん、失業問題は大問題だと思いますが、過日、何人かの中小企業の事業主の証言を聴いていたら、多くの失業者は何度採用しても、仕事の選り好みをして我慢が出来ず、直ぐやめてしまう、ということでした。その結果が生活苦というのでは「深刻化する失業問題」というニュースとは理屈が合わないのではないでしょうか?ここにも自由に絶えられない日本人がいるのです。自分の個性だとか適性だの教育界が植え付けた資質幻想を過大に評価するようになった日本人がいるのです。事業主の話の通りだとすれば、取るに足らぬ己にこだわる日本人が、個性や適性を必要としない仕事に耐えられないだけの話なのです。家族を養えない状況を予想すれば、個性だの適性だのくだらぬ自尊心はかなぐり捨てて、自分ならどんな仕事でもやる、と思うのですが、筆者はもはや古いのでしょうか?

「風の便り」(第121号)

発行日:平成22年1月
発行者 三浦清一郎

「さびしい日本人」の大量発生-なぜボランティア文化は日本社会に定着し始めたのか-

1 「みんな一緒に」は不要になったのです -共同体を必要とした産業構造の転換-

日本の伝統的共同体は農山漁村の産業構造が生み出した暮らし方です。農林漁業は、水資源の分配も、共有の森林資源の管理も、時には、収穫も漁も、救難も、屋根葺きも、もろもろの冠婚葬祭すべてに、村人の共同を不可欠としました。ところが工業や流通の出現はこれらの共同事業を分業化し、専門職業化し、共同体総出の作業の必要を徐々に少なくして行ったのです。農林漁業を基幹とする産業構造が、工業や流通を中心にした構造に転換すれば、農林漁業を基盤とした共同体の在り方は衰退せざるを得ないということです。
日本が先進工業国として貿易立国の道を辿ったのと歩調を同じくして、居住環境もライフスタイルも都市化が進行し、個人は自由と自立を主張しました。戦後日本の都市化の歴史は、日本人が個人を確立し、共同体の束縛や干渉を拒否し続ける過程でもありました。農林漁業と異なり、工業も流通も共同体の助けを必要としないばかりか、共同体を共同体足らしめた「共同」や「共有」の慣習を必要としません。それゆえ、「共同」や「共有」を起点とする共同体特有の束縛や干渉が個人の自由と衝突することになったのです。日本人が共同体から自立し、個人の自由を拡大した過程は、日本の地域共同体の衰退の進展と平行して続いたのです。
2 日本人は「共同体の一員」から「個人」になりました
-「自由」の希求と主張-

工業も流通も必要としたのは個々人の知識であり、技術であり、流れ作業のような共同作業ですらも各工場の必要に応じて新たにデザインし直されたものでした。工業・流通業においては、人々は共同体に内在した相互扶助の助けを必要とせず、新しい分業と協業のシステムの中で自分の知識や技術によって生きて行くことができるようになりました。職住の分離は、地縁共同体への依存度を決定的に減少させました。地方文化や地方の慣習の中に残った従来の共同体の約束やしきたりは、今や、束縛と化し、個人の自由と自立への干渉条件と化していったのです。換言すれば、日本人は「共同体の一員」から「個人」に変質して行ったのです。
当然、共同体の衰退は、共同体が特質とした地縁に基づく冠婚葬祭の共同も、安全・安心の相互扶助機能も急速に喪失して行きました。失われたものの中には、共同や協同の背景を為した「地域の教育力」も含まれていました。もはや一斉に行なわれる川さらいも里山の下草刈りも全員に関わる行事ではなくなりました。祭りや寺社の行事も全員の行事ではなくなりました。全員一致の一斉清掃や地域行事への動員は個人の自由なスケジュールに対する束縛に変わったのです。工業化の進展とともに、戦後の日本人は共同体の束縛を拒否し、個人の自由や権利を共同体の必要に優先して位置付けました。「共益」を守る事によって成立していた共同体は、個人の自由と権利を主張する個人が増えた分だけ、その組織力、強制力を失ったのです。当然、共同体を自らのよりどころとしていた人々の精神も信念も衰退します。青年団はとうの昔に消滅し、婦人会の凋落傾向も止まりません。教育の分野では、地縁によって結成された子ども会も役員のなり手がなくて次々と有名無実化しています。それ故、放課後の集団遊びも休暇中の集団での野外活動も子ども会が企画する事はほとんどなくなりました。地域の教育力も壊滅したのです。共同体の干渉や束縛を嫌い,共同体の庇護を離れた日本人は共同体の慣習よりは個人の都合を優先させました。残っているのは行政の下請けの「回覧板」と「ゴミ出し」と年に1~2回の一斉清掃ぐらいのものでしょう。筆者は、組長の他に、自治会の「衛生部長」と[[公民館長]]を経験してみましたが、行政が躍起になって再生しようとしている新しいコミュニティ活動も従来の共同体の慣習を引きずっている限り、自由を求める日本人に支持される筈はないと確信するに至っております。宗像市の自治会組織率も70%台に落ちたと広報に報告が載りました。役員選出が「くじ引き」になるのはそのためです。自治会役員の仕事は、疑似共同体に対する「労役」を意味することを人々が直感的に理解しているからです。生活に不可欠な「共同」や「助け合い」が創り出していた連帯感を、必要のない「ソフトボール」や「グラウンドゴルフ」の交流で補うことなどできる筈はないのです。
共同体が衰退して、日本人は、近隣・日常生活における個人の自由を確立しました。しかし、その反面、相互の助け合いやみんなで一緒にやって来た様々な共同儀式を喪失したのです。都市化の進行と平行して、大量の日本人が自由を獲得しました。しかし、みんなが自立し、自由になった後、そこから先の人間関係も、冠婚葬祭も、時に、個々の家族の危機対処も近隣社会は助けてくれません。個人の危機も孤独もすべて自己責任で行なわざるを得ないことになったのです。共同体の束縛や干渉を拒否して獲得した自由は、その裏側で人々の孤立と孤独、不安と寂寥を発生させたのです。

3 共同体からの「自由」は「孤立」と「孤独」をもたらしました
-誰も世話を焼かず、誰もかまってくれません―

人間とは勝手なもので、自由とは厄介なものです。共同体の慣習が束縛や干渉に思われた時はあれほど鬱陶しかった「みんな一緒」の慣習も、なくなってみると、誰も世話を焼いてくれないという事実だけが残りました。さびしかろうと不安になろうと誰もかまってくれません。一時は、あれほど鬱陶しかった共同体の慣習が懐かしくなるのはそういう時です。「昔は良かったね」「みんなが協力して一緒にやっていたね」という感慨は孤立と孤独と不安と寂寥の象徴なのです。
工業と流通を基幹産業とする構造転換は、個人重視の発想とライフスタイルをもたらし、共同体の束縛を嫌って「個人優先」を価値として選んだのです。しかし、さびしくなったからと言って「相互扶助」と「自由」の二兎を追う事はできません。共同体を拒否したとき、日本人は共同体の有する優しさや相互扶助のシステムを失ったのです。個人の権利を共同体の必要に優先させ、自己都合優先主義を生き方の基本に置いた時、共同体の温かさや優しさのシステムに代わる新しい助け合いの思想は未だ創り出してはいなかったのです。故に、多くの日本人が「自立」したつもりで「孤立」の状況に当面せざるを得なくなりました。現に、自立と自由を全うできない大勢の人々が孤立状況の中で立ち往生しているのです。結果的に、さびしい日本人が大量に誕生したのです。

4 異文化ボランティアへの注目

カタカナのままのボランティア文化は、異国の文化です。しかし、大量に発生した「さびしい日本人」は必死にぬくもりを求めました。ボランティア活動は失った共同体の相互扶助の代替機能を果たし得ることに気付いたのです。ボランティアは、日本に土着の文化ではありません。多くの日本人に未だ耳慣れない異国の文化です。しかし、日本人が「自分流」を主張し、「個」の時代を選択した時から、共同体の相互扶助に代わる新しい「優しさ」の代替機能として活用できることに気がついたのです。従来の慈善や博愛を代表していた「奉仕」の発想は、ボランティア時代に入ってより広範囲の「社会貢献」や「社会参画」の思想に転換して行きました。活動の主体も共同体の一員から市民社会の一員へと変質しました。
新たに日本人が受け入れたボランティアの精神は、伝統的共同体の枠や境界を越えて、阪神大震災に多くの善意を結集させました。その後に起きた、福井沖のナホトカ号重油流出事故の際にもふたたび多くの人々を結集させました。ボランティアの人間関係は、共同体の地縁に基づく結びつきから、「志の縁」や「活動の縁」に転換し、自由と個人主義を基本とした人々の絆を回復しつつあるのです。すでに、「緑のボランティア」があり、難民支援のボランティアがあり、国境なき医師団に象徴される通り、人々の意識は共同体はもとより、国家や地域の枠を越えて人間相互の助け合いを通した交流を可能にしたのです。その時すでに、カタカナのまま輸入された異国のボランティア活動は、日本人に受け入れられ、個人をベースとした欧米型の「隣人愛」の実践に相当する普遍性を持つようになったのです。

5  新しい日本人の誕生

カタカナのボランティア文化を受け入れた日本人は「新しい日本人」です。共同体の崩壊は「さびしい日本人」を大量に発生させ、結果的に、絆や連帯を摸索する「新しい日本人」を生み出し、今や「優しい日本人」を再生させつつあるのです。換言すれば、誕生した「新しい日本人」も「やさしい日本人」も、その活動が広がるに連れて、従来の共同体を一層の衰退に導きます。彼らは地縁で繋がっているのではなく、「志縁」や「活動の縁」で連帯しているからです。
筆者の中の新しい日本人は、市民ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分です。こうした活動はすべて自分が望んでやっている主体的で、「選択的」な活動です。みずからの興味と関心を出発点としています。活動の責任はすべて自分にあります、誰かに強制されたわけでもなく、諦めて町内会当番の“不運なくじ運”に従っているわけでもありません。それ故、新しい日本人は、基本的に主体的、自発的で、自分が選択した活動に対する責任感も、義務感もありますが、活動への義理や、受動的かつ消極的な従属感はありません。少なくても活動の出発点においては、みずから「喜んで」選択し、「善かれ」と思って開始したことです。主体的活動とは、選択的活動の意味であり、自発的活動の意味です。共同体では、そのどちらも自由に選ぶことは許されませんでした。自発的選択者は、当然、自分が選んだ活動への熱の入れ方も違います。そうした活動を展開するのが「新しい日本人」です。ただし、「新しい日本人」の誕生は、「新しい日本人」が「従来の日本人」から独立して、別個に存在しているのではありません。ほとんどの場合、両者は、過渡期の日本人の中に同居しています。もちろん筆者の中にも「二重人格者」のように同居しています。ある時は、やむを得ずコミュニティの労役義務の要求に従い、みんなそうするのだから「仕方がない」と諦めています。しかし、別の状況では、「自分の思い通りに生きたい」と主張して生きています。「新しい日本人」と「従来の日本人」の「同居性」こそがボランティア文化が日本に定着しつつある過渡期の過渡期たる所以です。
新しい日本人はボランティア活動に代表されます。ボランティア活動を通して、「個人的存在」と「社会的存在」の調整をしようとしているのです。「新しい日本人」は、自由に生きたい自立の願望と、絆を深め、やさしい人間関係の中で生きたいという連帯の願望を両立させたいと願っているのです。自立と連帯の両立を求める「新しい日本人」は基本的に既存の組織や共同体とは関係がありません。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られません。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいています。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌います。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおいています。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第で選択が行なわれます。「新しい日本人」は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじます。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視し、生き方は基本的に「自分流」です。
個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するということは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということです。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのです。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まって行きます。
近年のNPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互助け合い発想を引きずっている人々もいます。変化の時代に、様々な活動が錯綜するのは自然なのです。にもかかわらず、ボランティア活動も社会貢献や生涯学習を課題とした「非営利」のNPO団体も、「新しい日本人」を刻々と生み出していることはうたがいありません。NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということがそのことを象徴しているでしょう。
ボランティア活動も、NPOも市民個々人の活動を促進しているのです。多くの自治体のコミュニティ活動は、「みんな一緒にやれば何とかなる」という従来の共同体事業を下敷きにしています。「コミュニティ形成」の看板の下で、共同体の活動を再生しようという行政の試みは時代錯誤以外の何ものでもないのです。
多くの役所が発想するコミュニティ活動が地域自治会を動員した遊びや祭りの一斉プログラムであることを見ても、如何に時代錯誤に満ちているか明らかでしょう。役所の多くは未だ「古い日本」の「共同体」を発想の基盤としている故に、自由なグループ・サークルが活躍するステージを創造することができず、ボランティア活動を応援・顕彰するシステムすら作ることができません。子育て支援も高齢者の活躍の舞台も準備することができないのです。当然、役所で政策立案している人々の多くが伝統的官僚組織に安住した古い日本人であるということなのです。

個性とは何か
「みんな違ってみんないい」の再検討

1  時代のはやりは恐ろしいことです。

仕事始めの教員研修で、「子どもの興味関心に関わらず」、「教えるべきことは教えよ」「やらせるべきことはやらせるべきだ」と主張したら、子どもの個性を抑圧することにならないか、という質問メモが提出されました。「みんな違ってみんないい」ことを前提に子どもの現状を認めてどこが悪いのか、という意見もありました。要は「社会規範」を尊重する以前に子どもの「個性」を尊重すべきではないか、という主張でした。
筆者も、もちろん、教育実践において、こどもがそれぞれに「違っている」ことは知っています。しかし、それぞれが違うということは教育の結論ではなく出発点です。したがって、「みんな違ってみんないい」となるか,否かは子どもの成長過程について社会の評価を待たなければならないということです。それぞれの「違い」が社会の評価基準に叶って「すべて良い」とはならないというのが筆者の意見です。
質疑の核心は、「個性」とは何か、「個性」をどう考慮するかということになります。
「個性」こそ戦後教育がもてはやした指導法の「核」になる概念です。近年一躍時代の寵児となった金子みすゞの「みんな違って、みんないい」や若い世代に流行った「世界にひとつしかない花」に

連なる発想です。教育は「改善」を前提とした「目標行動」であると考える筆者は、「子どもを現状のままに放置してはならない」と提案し続けています。筆者の意見に対して、「君は君のままでいい」と教えてどこが悪いのか、少年野球チームの誰もがイチローになれるわけではないという意見もありました。イチローを目指して挫折するよりいいではないか、と説明が付け加えてありました。
後段の意見に付いては、すでに119号に書きましたので簡単に済ませます。
第1は、学校が子どもの「未熟な今」を是認し、子どもの向上や目標を軽視すれば、教育の使命はそこで終ります。学校の目的は、子どもの現状を改善し,「分からないこと」を「分かるようにし」、「できないこと」を「できるようにすること」だからです。
第2は、誰もがイチローを目指す必要はありませんが、イチローを目指す子に「君は今のままでいい」と言ってはならないということです。確かに目標が高すぎれば、挫折や失敗の確率は高くなりますが、少年の向上は目標に向って努力することの中にあることは疑いないからです。向上や目標の達成を目指さない指導は治療であっても,教育ではないのです。
また、質問者の教員が心配した少年の挫折は、どのくらい努力したあとの挫折であるかによって対処法も評価も変わって来ます。イソップ物語の狐は欲しかった葡萄に向って何回跳んだでしょうか-全力を尽くして何度も、何度も跳んだあとなら「酸っぱい葡萄だ」と思うことで諦めも付くでしょう(それが「認知的不協和」です)。1、2回跳んで挫折するなら、狐(少年)の耐性の方に問題があるのです。耐性を鍛え上げない限り、その子は人生で何をやらせても簡単に挫折して使いものにはならないということです。この種の少年に対しては,指導法の根本を変えなければなりません。この場合、「みんな違ってみんないい」は、子どもに現状肯定と自己満足を促す「毒」に変わるのです。「君は世界にひとつだけの花」だというのも同じです。思春期の重大な悩みは、自分とは何者か、という問いに答えることです。「君は世界にひとつだけの花」であると言ってあげたとしても、理解力・判断力の付き始めている子どもであれば、“自分程度の花”はどこにでもあると思い当たるのです。「悩み」の核心は如何にすれば「世界にひとつだけの花」になれるかということであって、自立もままならない未熟な今の自分が「一つだけの花」だと言ってもらうことではないのです。
第3は、社会生活に不可欠なルールや規範は画一的に教えよ,ということです。教えてもいいし、教えなくてもいいという程度のことであれば、義務教育のカリキュラムから削除すればいいのです。教えるべきことを教えるに際して「個性」のことなど考慮する必要はないのです。さて、本題の「個性」とは何でしょうか?
2 個性とは何か-

(1)「個性」とは「他者との差異」である

個性の一般的定義は、”「個体・個人」に与えられた資質や欲求の特性“ということになります。要は、他者との「差異」の総体です。しかし、「他人と違っている自分」というだけでは教育指導上「個性」を説明したことにならないでしょう。単純な「他者との差異」を「個性」と等値し,両者を混同したところに戦後教育の混乱の原因があります。
まず第1に,「資質上の違い」だけを問題にするなら、個々の後天的な努力をどう評価するのか、が問題になります。少年期の「他者との違い」は、本人ががんばれば直ちに発生し、縮小したり拡大したりするからです。努力しない少年が遅れを取るのは当然の結果なのです。
次に、各人の持つ「資質」と「欲求」が混ぜ合わさって「違い」が生じるとすれば、「個性」とは、「欲求の現れ方」、「自己主張」・「自己表現」の「在り方」ということになります。即ち、個性=「自己主張」・「自己表現」となります。しかし、当然、すべての自己主張や自己表現を個性として尊重せよとは誰も言わないでしょう。馬鹿げた自己主張も,端迷惑な自己表現もあり、社会に害をなす反社会的な主張も多々あることは自明だからです。それゆえ、第2の問題は、すべての個性を肯定的に評価することは出来ない,ということです。子どもの自己本位の欲求や身勝手な思いこみを個性と勘違いしてはならないのです。

(2)「他者との違い」の構成要因

最後に注目すべきは「他者との違い」の構成要因です。「自分」と「他者」を区別する第1の、しかも、最も具体的な要因は、知的能力、身体的能力,判断力、適応力、容貌・しぐさ・表現力などあらゆる種類の「能力」です。第2の要因は、短気,大胆、優しさ、思慮深さ,のんびりなどの性格的・精神的要因です。まさしく,性格
は人それぞれ違うからです。第3は,個人の好みと欲求です。「タデ食う虫も好きずき」で、それぞれに人間の嗜好や相性は異なるのです。
重要なことは,「能力」を「個性」と等値すれば,必ず社会的評価と選別に結びつきます。また、「性格や精神」と「個性」を等値すれば、好ましくない性格の判定やその矯正問題が浮上します。当然、反社会的な欲求や嗜好についても「個性」と等値してすべてを肯定するわけには行かないことは自明でしょう。「みんな違ってみんないい」という情緒的かつ好意的な発想は,楽観的で耳障りはいいですが、現実の教育場面に適用することは決して簡単ではないのです。それゆえ、「他者との違い」を「個性」として全面承認することは、不適切なだけでなく教育的には不可能なのです。

3 「個性」を伸ばすとは-

上記のように「個性」を「他者との差異」と発想すれば、個性を伸ばすということは、「他者との違い」を実現しようとする努力を援助するということになります。論理を突き詰めて行けば,極端な場合,「他者と違った人」は「変わった人」になるのです。幼少期の段階で一般教員が「変わった人」を育てるような“大それたこと”をやってもいいでしょうか-
「個性」は、他者から「自分を際立たせる価値」の別名です。個性の尊重は、その子の能力・性格・好みの価値を尊重するということになります。その「価値」の選別を学校の手に委ねていいですか,ということなのです。現行教育は「価値の尊重」と「差別」を区別できるでしょうか-
それが出来ないから,他者と違っている多くの子どもがいじめられて来たのではないでしょうか- 筆者の結論は,幼少期の教育において個人の種々の特性を「個性」と勘違いしてはならないということです。人間には、いろいろ特性はありますが,それほど際立った個性などというものは、めったにありません。際立った「個性」は押さえても延び,教えなくても自ら花をつけるのです。その「花」には、時に、毒すらあるのです。「個性」とは,個人の「特性」と「生き方」の総合として人生の最後にあらわれる「他者との差異」なのです。

4 幼少年教育に「個性」の概念は不要です

伸ばしてやるべきは各種の能力であり,矯正すべきは他者との共同生活に不適切な性格であり、反社会的な欲求です。学校は、「個性を育てる」ことなど意識しなくていいのです。
先生方は、「個性」の支援を意識せず、子どもを自然のままにしておくと、特性のない人間が育つという心配をしているのではないでしょうか-特性のない人間などそもそもいる筈はないのです。人間は、初めからみんな違うのです。学校が「個性」を認めようと認めまいと、顔立ちや身体的特徴と同じように、能力も,性格も、好みもみんな違うのです。特性は人間の「運命」に似て、事前の選択は困難です。しかし,人生を歩き始めたあとのがんばりは、個人差もさることながら,教育によって大いに異なって来ます。先生方の励ましによって大きく変わるのです。それゆえ、現実は,「みんな違って」いても、「みんないい」とは限りません。事実,子どもの世界にも,反社会的な性格や欲求が存在するからです。子どもに限らず,人間はみんな違うのです。学校が「違い」を大事にしようという時、子どもはみな似ているという人間観を前提に考えていないでしょうか-「個性」とは,自分に与えられた運命的な特性と本人の人生のがんばりとが綾なす総体的な生き方に現れる特性の意味です。学校は,個性豊かに生きた歴史上の人々の人生を教えてやればいいのです。
現代の学校が為すべきことは,目標を提示し、努力を奨励し、学ぶべきことは学べ,やるべきことはやれ,やってはならぬことはやってはならぬという3つの原則を全部の子どもに教えることです。歴史が証明している通り、そうした中から「個性」ある子どもは必ず育って来るのです。学校がやるべきことをやったあとで、万一、「反社会的な個性」が社会に破壊や損害をもたらしたとしても、それは学校の責任ではありません。学校の責任は、本来学校がやるべきことを十分にやっていないことにあるのです。学校は「個性」のことなど考えなくていいのです。教育が矯正にしくじった「個性」は警察や司法と連携して社会全体で対処すべきなのです。
§MESSAGE TO AND FROM§

沢山のお便りありがとうございました。2回目の10年に踏み出しました。メルマガの時代が来たにも関わらず、変わらずに郵送料や制作費を支えていただき誠にありがとうございます。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
広島県北広島町 久川伸介 様

実践報告のお便りありがとうございました。おみごとな実践でした。学校正常化の原則はあなたがおやりになった3つです。第1に公開、第2に断固たる指針の提示、第3は連携です。思春期の子どもが何ものかになりたいと思わない筈はないのです。先生の情熱が伝染するのです。かつては「感化」と呼ばれました。嬉しいお便りに接し大いに励みになりました。当方でも近隣の中学校への協力が始まりそうです。

山口県下関市 田中隆子 様

世間は理論通りに行かないことはお説の通りです。それを理論通りに実行するのが先駆者です。我が論文は先駆者のために書いております。あなたのことも先駆者と思ったからこそ現行の高齢者施策では“駄目だ“と書きました。これからも書きます。
全ての公立小学校のなかに高齢者の教室を作った飯塚市の「熟年者マナビ塾」も、高齢者が毎日の子どもの指導を担当する「豊津寺子屋」も理論通りです。高齢者の社会的貢献を通して老幼の「生きる力」を向上させています。もちろん高齢者本人の認知症も予防しています。
ゲーム性の楽しいプログラムを住民が歓迎したとしても、そうした施策は往々にして「快楽原則」に流され、「パンとサーカス」を追いかけることになります。哀しいことに、わが社会教育の公民館は住民の喜ぶことのみをプログラム化して瀕死の状況に陥っているのです。
読者の皆さんも、世間は理論通りに行かないことは百も承知でしょう。しかし、自民党政権下では理論通りに行かなくても、政権が変われば、理論的に無駄なダム工事は中止することができるのです。また、無駄なダムを理論通りに中止した民主連立政権ができても,子育て支援理論に反する無駄な「子ども手当」を参院選目当てにばらまいていることも、理論通りに行かない世間の一例です。私財を投じておやりになるのであれば、差し出口は慎みますが、補助金もまた税金だからです。

島根県雲南市 和田 明 様

いただいた巻き紙のお便りは大切にとっておきます。ありがとうございました。生涯学習実践研究交流会と「風の便り」が紡いでくれたご縁のお蔭だと思っております。米子移動フォーラムでの再会を楽しみにしております。

佐賀市 小副川よしえ 様

いろいろお心を煩わせましたみやこ町の「男女共同参画ハンドブック」を巡る交流会の件は、小さな町が引き受けてくれました。結果はいずれ何らかの形でご報告申し上げます。

千葉県印西市 鈴木和江 様

東京を離れて30年になります。留守電をお聞きしました。お声が変わっていらっしゃらないのに驚きました。子どもたちもそれぞれ遠くに行きましたね。変わらずに「風の便り」を支えていただきありがとうございます。お便りを励みに2回目の10年に踏み出しました。

高知県香南市 小松義徳 様

ライオンズクラブの活動何よりです。われわれ高齢者を守るのは「活動」です。活動しているからこそ「元気」と「正常」を保つことができます。その活動も,何よりも社会貢献・社会参画が重要です。生涯現役の真の意味は社会貢献を続けるということであり,新しい著書では、それこそが「あるべき命」であると結論付けました。「ヒト」(ホモサピエンス)を人間にし、ひとたび人間になったわれわれをふたたび「ヒト」に戻さないことこそ教育の最大の使命と論じました。社会的活動を離れたこの国の高齢者教育はその根本において発想が間違っております。先生と四万十川キャンプを論じた頃を懐かしく思い出します。
過分の送料料・作成費を頂戴しありがとうございました。
山口県宇部市  赤田博夫 様
島根県掛合町  和田 明 様
福岡県宗像市  岡嵜八重子 様
福岡県みやこ町 山下登代美 様
福岡県太宰府市 大石正人 様
高知県香南市  小松義徳 様
福岡県岡垣町  神谷 剛 様
福岡県宗像市  大島まな 様
広島県府中町  中村由利江 様

大分県日田市  安心院光義 様
福岡県朝倉市  手島 優 様
大分県日田市  財津敬二郎 様
千葉県印西市  鈴木和江 様
福岡県筑後市  江里口 充 様
埼玉県越谷市  小河原政子 様
北海道札幌市  水谷紀子 様
広島県北広島町 久川伸介 様
山口県長門市  藤田千勢 様
中学生の群読と「同調行動」の向上
縁があって長崎県五島市の崎山中学校の特別指導を引き受けています。直接には何もしていないので隔靴掻痒の思いもあるのですが、校長先生に申し入れて、中学生には今回で2度目の講演をしました。また、学校が当方の意図を汲んで下さって公開研究発表会で全中学生による群読発表が実現しました。思春期真っただ中の中学生が「照れ」もせず、観客の前に直立し、学年別男女別に分担して地元の歌人の“詩歌集”から編纂した「ふるさと慕情」を朗々と吟じました。作品に結晶したふるさとへの思いが若人の連帯を強めたということは想像に余りありますが、当日のできばえは、発声・リズムから暗誦に至るまで、ご指導に当たった先生方は勲章に値すると感じました。各学年別、男女別の集団の朗唱は歌の意味や響きを見事に組み合わせ、朗々たる若人の声は共鳴して会場に深い沈黙をもたらしまし、聞き入った自分が身動きできないほど歌に耽溺していました。
発表後、講演の最前列に並んだ中学生の聞く姿勢もたった2回目で著しく改善したように思います。発表会に備えた同調と集中のトレーニング効果が現れ始めたのだと確信しています。小学生の朗唱効果はすでに各地で実証的に体験しておりましたが、中学生の朗唱の集団同調は迫力もリズムも一層見事なものでした。発表会は、群読に加えて、音楽の先生を中心に教師集団が作詞作曲した「崎山讃歌」が斉唱されました。地元のお客さまはさぞご満足だったことでしょう。群読に使われた資料は、崎山地区ご出身の詩人、故田口照子さんの詩歌集「崎山慕情」から抜粋して紹介されました。そのいくつかは次のようなものでした。

白浜のうしほ汲み来て
人寄せの
さかなに作るかたき豆腐を

たれもたれも
崎山女やさしくてよく働きぬ
今もしかあらん

来し方をはるけき道と思えども
ふるさとありぬ
ありがたきかな

発表会の前日はこの地に伝わる伝統行事:「ヘトマト」でした。一部始終を見物しましたが、周りにいらっしゃった誰にお聞きしても民俗学上の由来も、各行事の意味も、奉納先の神社の故事来歴もよく分からないという不思議なお祭りでした。中学校男子生徒は全員、校長先生以下男性教員の多くが「ふんどし一つ」で参加していました。不甲斐なくも自分はオーバーの襟を立てて、ホッカイロを腰に貼って、それでも震えていた次第です。崎山中は文科省指定のコミュニティ・スクールのモデル校です。モデル校のモデル校たる意義は今もって全く分かりませんが、崎山中が地域に支えられ、地域を支えている学校であることだけは痛烈に理解しました。別項のボランティア論に分析した“ふるき良き伝統的共同体”がそのまま残っていたのです。公民館で行なわれた祭りの参加者の懇親交流会にお招きを頂きましたが、“案の定“、100人近くの参加者の中に女性は一人もいませんでした。いずれは「変わってしまった女」に見捨てられて滅んで行く共同体である、と同席した長崎県の指導主事に予言しました。もちろん、ライフスタイルが都市化した他の中学校と違って、崎山中の生徒たちはふるさと崎山の人々に守られて非行も逸脱も起こらないことでしょう。しかし、彼らはやがて自己責任を原則とする日本社会の孤独と孤立に耐え、弱肉強食の国際社会に出て生き抜かなければなりません。目を輝かせて聞き入る中学生に感奮して「自立と挑戦を忘れるな」、「ひとたび故郷を離れればふるさとは守ってくれないと思え」と保護者にも生徒にも強調しました。また、英語の担当教員には母国語をあれだけ見事に操れることを証明したのだから、次の課題は英語の群読に挑戦してみてはどうでしょう、と助言して戻って来ました。
121号お知らせ

第5回人づくり、地域づくりフォーラムin山口
今年度は、2月13日-14日(土-日)の予定です。関心のある方は山口県生涯学習推進センター(〒754-0893山口市秋穂二島1602、電話083-987-1730)までお問い合せ下さい。

第97回生涯学習フォーラムin若松-みらいネット最終報告会&生涯学習フォーラムin若松

会場:北九州市若松区役所3階大会議室
公開プログラム
■11:30~12:00 【論文提案】三浦清一郎、「やさしい日本人」の再生とボランティア文化(仮)
■12:00~13:00    昼食交流会(お弁当:事務局用意)
■13:00~15:30 【第1部】活動最終報告会
― 休憩10分 -
■15:40~16:50 【第2部】個人別感想、フォーラム参加者の紹介・感想
■ 16:50~17:00 【閉講式】
参加希望者は「北九州市若松区役所まちづくり推進課:093-761-5321に問い合せをして見学許可を受けて下さい。
フォーラム終了後簡単な夕食会を若松で企画する予定です。
編集後記・2010年幕開け

上り坂の君と下り坂の私

新春の箱根駅伝のテレビ中継で、往路の山登りで昨年新記録を樹立した東洋大学の柏原選手がインタビューに答えていたのを偶然聞きました。彼は「ライバルは去年の自分です」と言い放ったのです。インタビューは彼の走る前のことでしたから,注目して彼の走りの結果を見守りました。なんと彼は,その宣言通りに今年も同じ往路の山登りで昨年自分が立てた記録を打ち破ってふたたび新記録を更新しました。まことに天晴れなことです。彼は2年生ですから,大学の運動部の「タテ社会」の中でまわりに適応しながら、自己鍛錬に集中し、最終目的のレースに向って自らのコンディションを持続することはよほどの意志力と精神のバランスを必要としたことでしょう。若いのにお見事な調整ぶりに感服しました。柏原選手に見倣って,自分も同じような“啖呵”を切って見たいものですが、上り坂の彼と急坂下りの自分を同列に置いて考えるわけには行かないだろうと思いました。そこで私の新春の抱負は「せめて去年の自分と同じくらい」としてみました。「下り坂」にとっては同じペースを維持するだけでも高望みに過ぎるかも知れません。大リーグのイチロー選手は当然10年連続の200本安打を目指すのでしょうね!

惚けてんのはどっちだ!

妻に命じられて宗像市の高齢者の特定検診を受けました。年令上「介護予防健診」票に記入しなければなりませんでした。質問は,心身の自立度と日々の充実感に集中しています。たとえば、「バスや電車を使って一人で外出しているか」とか「日常の買い物は自分でしているか-」とか,「手すりを使わずに階段を上れるか」とか「15分以上歩いているか」などです。また,充実度については、最近「充実感を感じない」とか「楽しめない」とか,「役立つ人間だと思えない」とか「ものごとが億劫で、わけもなく疲れた感じがする」などの項目が並んでいます。中には,「電話番号を調べて電話をかけるか-」とか「今日が何月何日か分からない時があるか-」などというのもありました。自立して社会的な活動をしていれば、決して失うことのない「日常行動能力」、「やり甲斐」、「居甲斐」の問題です。
定年後の高齢者を社会的活動に招き入れることなく放置していることが如何に危険であるかを象徴している問診票でした。月日がわかならなくなり,電話番号を調べられない人がこのような問診票に正しく応えることができるか,否かも危ういところでしょう。惚けてんのはどっちだと,いうのが正直な感想でした。
医療や福祉の方々はなぜ教育と連携した施策が打てないのでしょうか-なぜ高齢者の社会参画を奨励するプログラムを提案できないのでしょうか。子どもは、基本的に「ヒト」として出発し、社会化と教育によって「人間」となり、時に,不幸にして、極度の老衰の果て、人間としての成果と精神を失うことによってふたたび「ヒト」に返らざるを得ないのです。教育は「ヒト」を「人間」とし、ひとたび「人間」となった「人間」を「ヒト」に戻さないことを最重要の目標としています。「生涯現役論」は、そのための方法論や努力のあり方を意味しています。高齢社会では、医療や介護の在り方だけが問われているのではありません。人々の「老い方」が問われているのです。

政治家の思考停止

編集作業の最終段階で、ハイチの大地震のニュースが飛び込んできました。日本の対応が遅いと批判された岡田外相は現地が何を,どのように必要としているかを確かめる必要があるので対応が遅いわけではないと記者団に答えた、とテレビが報じました。阪神大震災を経験した日本の外務大臣とも思えない感性の鈍さでアホとしか言いようがありません。水もクスリも食料も医療専門家も被災者を発見する警察犬も足りないことは、聞くまでもなく、最初から分かっていることです。
阪神大震災で自衛隊の出動を命じなかった村山首相は結果的に多くの神戸市民や淡路島の住民を見殺しにしました。また、命令が出なかったことを理由に,部下の自衛隊員を待機させたまま出動を命じなかった自衛隊の将官も多くの市民を見殺しにしたのです。すべて感性の鈍さと思考停止がもたらした人災です。自分が、時の首相だったら,あるいは時の自衛隊の将官であったら,と胸が熱くなります。後でどのように罰せられようと,直ちにとるべき措置をとったものをと,今でも思います。近年の日本人の精神の在り方,思考停止は由々しきことだと思います。
何と最後には,小沢幹事長関係者の逮捕のニュースが飛び込んできました。編集後記の今の段階で,民主党幹部の大部分は幹事長の自己説明を求めていません。彼らもまた彼ら自身が「政治と金」の問題で自民党を批判して来たことをきれいさっぱり忘れ,「政党助成金」を国民の税金からもらっていることも思い出せずに、思考停止し,権力の亡者に成り下がったと言わなければなりません。