発行日:平成22年2月
発行者 三浦清一郎
「集まる」ということ、「結ぶ」ということ
-「日本型ボランティア」連帯の原理-
昨年、妻がくじで引き当てた町内会の「公民館長」を務めて1年が経ちました。わが街では、コミュニティ・センター(以下コミセン)を中心に公民館長部会という組織が作られていて、18の町内会が共同事業を実施する仕組みになっています。筆者は社会教育のプロですが、この一年は、余計なことを言わずにみなさんのおやりになることにひたすら従いました。1年経ってみると、公金を投入したわが街のコミュニティ政策は完全な失敗である事がよく分かります。コミセン方式の政策が目指す住民の連帯も福祉も学習もほぼ完全に形骸化しています。コミセン事業は単発の講演会を含めると10種のプログラムがありましたが、若い住民の多い我が町内会からは、役員を除けば、ソフトボール1チームとふれあい登山に2名が参加したに留まりました。ソフトボールやグラウンドゴルフのような「パンとサーカス」に属する遊び事は住民「同好会」がそれぞれにやるべきことであって、公金を投じた自治会の仕事である筈はありません。回覧板とゴミ処理を残して自治会を解散し、残りの工夫はコミュニティの再生に取組もうというNPOやボランティア団体に期限を切り、サービス内容を指定して有償で委託すべきであるというのが我が結論になりました。しかし、実質的評価システムのないまちづくり事業は、次年度も前年踏襲のプログラムを実施するという結論に落ち着きました。今年も役員のくじ引きが行なわれることになりました。こうして町内会も滅んで行くのです。
部会には、年に2回の公民館長研修があり、年度末は文科省表彰を受けた先進地の佐賀市立勧興公民館の視察研修を行ないました。思うことが沢山ありました。以下はその一つです。
1 「自分流」と「自己責任」
共同体の衰退後、現代の日本人は「共同体の構成員」から「個人」になりました。「個人」の「生き方」は「自分流」が許されるようになりました。「自分らしく」は今や時代の標語になったのです。「自分流」を主張し、「自分らしさ」を標榜する以上、「生き方」の責任は己に帰着します。「自分流」の裏側は「自己責任」になるからです。自由を主張する個人は、原理的に独りぼっちです。それゆえ、個人もまた誰かに繋がり、どこかに帰属しなければ孤立します。孤立も孤独もこの世のさびしさは堪え難いですから誰もが連帯や絆を必要とします。しかし、帰属したい集団が見つからなければ帰属のしようがなく、連帯も絆もあり得ません。その時こそ、自分流が試され、自己責任の意味が問われるのです。自分の居場所は自分で見つけ、帰属集団は自らが創り出すしかないのです。連帯も絆も、ぬくもりもやさしい人々との出会いも自分で見つけ、自分で創り出すことが求められます。それが生き甲斐追求の「自己責任」です。しかし、権利を求め、自己を主張するほど「生き甲斐」の充足は簡単ではありません。生き甲斐には為すべき「やり甲斐」と「居甲斐」が不可欠だからです。「居甲斐」とはあなたを受け入れてくれる好意的な人間関係を意味します。
現代の「自分流」はますます自己主張が前に出過ぎるようになりました。「足るを知る」ことを忘れ、「自己責任」を取り切れない、という事実が現代人の特徴になりました。自由な個人の多くが「さびしい日本人」になったのは当然の帰結でした。人間は自分の人生を自分の意志で生きるために自由を獲得した筈だったのですが、結果は不幸にして、「孤独な群集」(リースマン)が世界中で量産され、「自由からの逃走」(フロム)も世界中で起こりました。共同体衰退後の日本も例外ではありませんでした。この時、社会教育は個々の知識技術を教授するに留まらず、人々の帰属集団づくりを支援すべきだったのですが、生涯学習施策は住民の欲求を満たすことを最優先原則としました。住民サービスを旗印に「パンとサーカス」の提供に走った社会教育は、趣味人や道楽者や見物人を量産する結果に終わりました。戦後教育、特に「生涯学習」概念が紹介された後の社会教育は、学習者の要求を反映させることが教育の民主主義であるという浅薄な勘違いの下に「要求充足原則」に基づいたプログラムの提供を生涯学習振興と等値しました。要は、人々の「やりたいこと」、「望むこと」を提供することを教育サービスと勘違いしたのです。多くのプログラムは住民の希望を尋ねるアンケートの集計結果の下に編成されるようになりました。
人間の向上には、「努力」も「負荷」も必要です。公金を投入する生涯学習の方向を人々の選択に任せれば、負荷を嫌って「易き」に流れることは目に見えていたのです。その結果がプログラムの「パンとサーカス」化でした。社会教育は年を追って弱体化し、人々の帰属集団を創り出す努力や支援はほとんど行なわれませんでした。「さびしい日本人」の大量発生は時間の問題だったのです。
2 人間関係の選択制
伝統的共同体と現代の新しいコミュニティの最大の違いは人間関係の選択制です。無数のグループ・サークルの生々流転をみれば、現代の人間関係は「選んだ人間関係」であり、「選ばれた人間関係」です。友は「類」をもって集まるのです。共同体が崩れ、地縁がほとんど意味をなさなくなった以上、新しい日本人は「志縁」をもって連帯します。共同体による共同や一斉行動などの「付き合い」の強制機能がなくなった以上、「選べなかった人」も「選ばれなかった人」も必然的に孤立します。「さびしい日本人」は、日々の楽しみを求めて「パンとサーカス」を追いかけました。共通の趣味や同一の楽しみ事の参加や見物を通して、一定の交流は生まれますが、軽い付き合いは軽い連帯しか生み出すことはできません。社会教育の趣味・お稽古事・「祭り」に集まる参加者・見物人の多くは「孤独な群集」の変形に過ぎず、「さびしい日本人」が希求した連帯や絆を実現することはできませんでした。多くのプログラムの創造者は、参加者自身ではなく、社会教育や民間カルチャーセンターのごく一部の「プログラム請負人」でした。公民館などに比べれば、いくらか専門的で、高負担のカルチャーセンター・プログラムでさえ、生み出したのは、連帯でも自己実現でもなく、多くの「カルチャー難民」であったことはすでに証明済みのことでした。
「生涯学習」を標榜した頃から、日本の社会教育は「ご馳走を作る人たち」と「ご馳走を食べるだけの招待客」とがほぼ完全に分離したのです。カルチャーセンターの隆盛やイベントを請け負う商業主義がそうした傾向を加速したことも疑いありません。
他者の提供する「パンとサーカス」の安楽に依存し、「ご馳走を食べるだけの招待客」と化した「孤独な群集」は自身の心を支える「生き甲斐」を創り出し、他者との連帯や絆を生み出すことなど出来る筈はなかったのです。中根千枝氏が夙に指摘した通り、「経験の共有」は、「同じ釜の飯」を意味しますから、「パンとサーカス」もまた共有すれば、日本人の交友を確かに促進します。しかし、その場合、「経験」の中身の濃さ即ち人々の努力や負荷の度合いが問われることは言うまでもありません。努力にも負荷にも関係のない祭りの見物人が人生の連帯を果たせる筈はなく、趣味や楽しみ事を共有したところで人生の試練をくぐり抜ける「戦友」になれるわけはないのです。自らが表現者となり実践者となり企画者とならない限り、他者との連帯も絆も形成は困難なのです。
「群衆」または「群集」とは、英語のcroudを意味し、通常、群れ集まった多数の人々を指します。「群集」の特徴は、共通の関心が存するとしても、特定の目的や組織を意識していない集団(広辞苑)です。それに対して「会衆」や「聴衆」とは一定の会合目的を有して集まった人々を意味します。更に「同志」や「会員」の目的意識は一層固いものになります。群集は文字通り人々が群れ集まる非組織的な集団ですが、会衆や聴衆は何らかの共通目的を持って人々が集まる組織的な集団です。「集まる」ことには「集まり方」があり、「出会う」ことには「出会い方」があるのです。集まり方には、参集、参加、参画、結集などの形態が想定されます。出会い方には、地縁や参加の縁(同じ釜の飯の縁)がある一方、志縁や結社の縁があるのです。「志縁」とは同じ気持、同じ目標を持って人生を生きることによって連帯する縁を意味します。「結社の縁」は、共通目標のために団結した組織に所属することから生まれる人間関係のことです。「集まる」だけでも、「出会う」だけでも人が連帯するとは限らず、絆を「結ぶ」ことにならないことは当然です。人間が連帯し、絆を深め、自分が必要とし、自分を必要とする集団に帰属するためには、共通の動機、目標、理想、感性など人間の絆を形成する「結合の要因」が不可欠なのです。それゆえ、共通の志がなく、目的や目標が欠如していれば、向上の理想も苦労を共にする活動の蓄積もあり得ないでしょう。
3 「招待パーティー」と「持ち寄りパーティー」
-「群集」は参画しない-
この度、佐賀市の勧興公民館を再訪して、筆者にとっては三たび事業報告をお聞きすることになりました。文字面のプログラムだけを見ているとどこの公民館にでもあるような事業名が並んでいます。しかし、最大の違いは事業に結集する人々の「集まり方」の違いであり、人と人との「繋がり方」の違いなのです。我がコミセン・プログラムの参加者の参集の目的は、見物と鑑賞と感興のためです。一方、勧興公民館の参加者の多くは自らの参画と向上のための「結集」なのです。喩えが少し具体的過ぎますが,我がコミセンのプログラムをご馳走に例えれば、メニューは基本的に前年踏襲で決定され、繰り返されます。料理人は筆者のように各自治会からくじで選ばれた自治会役員や自治公民館役員が交替で担当します。住民には回覧板が回り、準備のできた「招待パーティー」の案内をします。要するに、参加者のほぼ全員が招待客なのです。これに対して勧興公民館の場合は、地域創生・地域向上という目的を共有した住民有志が自ら楽しみにご馳走を作り,「持ち寄りパーティー」を楽しみます。受益者負担の原則を厳守しているのでパーティーは「ただ飯」にはなりません。彼らは参加者でありながら企画者であり、準備を担当する実践者なのです。実践者の中には、特別支援学級の生徒もいれば、ストリートミュ-ジシャンのような近所で「迷惑者」扱いを受けているものもいます。最初はお客さま気分で見物に来た人々も館長の思いに巻き込まれ、徐々に参画者に変わって行きました。今や学校を含む様々なグループ・サークルが自分たちの企画を持ちよって参加するようになっています。もちろん、多くのボランティアが公民館事業の「臨時スタッフ」になります。
しかし、我がコミセンは市の公金に依存し、企画者と見物人を分離しているため、見物人は最後まで招待客の姿勢を崩さず、ただの「ご馳走」を食べた上に、時に文句や不満まで言います。住民が主役でその参加こそが重要だと言っているので「文句があるなら自分でやれ」とは、市当局も担当者も口が曲がっても言えないのです。それゆえ、住民は汗もかかず、自分の手も汚しません。住民は企画にも、準備にも無関係です。
対照的に、勧興公民館の参加者は受益者負担が原則ですから、それぞれの持ち寄り経費もそれぞれのグループ持ちです。準備に関わらなかった「お客さま」もご馳走が食べたければ自己負担が原則です。その代わり、「屋台」や「出し物」の上がりは応分に「準備者」に分配され、努力に応じて自分たちの「取り分」になります。苦労もそれなりに多いことでしょうが,「取り分」もあり、お客さまの賞賛もあり、他の皆さんの「ご馳走」も頂けるので喜んで協力しているのです。一見人々は、公民館の主催パーティーに手を貸しているように見えますが、本質は自分たちのための「持ち寄りパーティー」なのです。公民館の「パーティー」は、彼ら自身の自己表現の舞台であり、自らの連帯と絆のための活動なのです。
我がコミセン事業の参加者は、自らが主体的に参画していないので、「パーティー」の「ご馳走」を食い散らかして時間が来たら、お仕舞いです。勧興公民館の場合は、参画者のほとんどは後片付けに残らなければなりません。その時こそ、彼らは自己表現や自分探しに成功したか否か、お互いに議論して反芻するのです。人々が、後片付けの中で連帯や絆を実感すれば、「またやろうね」,ということで繰り返しが可能になるのです。自らが参画し,苦労を共にした結果、他人から褒めていただき、感謝の言葉を浴びるので連帯感も、楽しみも倍増します。要するに心理学のいう「社会的承認」が得られるのです。
我がコミセンの関係者は、年1回の文化祭に3、000人が集まったと人数を誇り,年6回、隔月の祭りに700人しか集められない勧興は「まあすごいことですね」と感心していました。しかし、両方の現場に立ち会った自分は、両者の「パーティー・プログラム」の質が天と地ほども違うことを知っています。
前者の住民はごちそうを食べにきているだけですが、後者の住民の多くは自らごちそうを作って持ち寄り、作ることも食べることも、お互いの努力のオーケストレーションを楽しんでいると言えばお分かりいただけるでしょうか?
社会教育の問題は人が集まるか、否かではなく、集まった人々が連帯や絆や生き甲斐を感得し得るか否かなのです。ごちそうを食べるだけの関係でも「同じ釜の飯」ですから、それなりにかすかな共感は生まれますが、見物人から連帯や絆と呼べるような関係は生まれようがありません。「ご馳走」が無料で、食べ易く、努力を伴わないものであれば、我らのコミセンのプログラムにも見物人や参加者はそれ相応に集まりますが、彼らは自らご馳走の準備に取組む主体的な実践者やプログラムの参画者にはならないのです。「職員僅か3人の勧興公民館が職員5名のコミセンの10倍にも当たる事業を年間を通して実行できるのはなぜなのでしょうか」と当方の参加者から質問が出ました。
秋山館長さんのお答えは「この地区ではみなさんが本当によく助けて下さるのですよ」という簡単なものでした。筆者の答は館長さんとは異なります。彼我の違いは「集まり方」の違いです。彼我の違いは、事業の中身と方法が連帯や絆や生き甲斐を創造し得ているか、否かの違いなのです。われわれの事業は「招待方式のパーティー」であり、勧興の事業は「持ち寄り方式のパーティー」です。後者は、パーティーの参加者がパーティーの実行者を兼ねているのです。勧興公民館の凄さは参画者、企画者、実践者を集めて、自ら様々な活動を展開しているところです。これに対して、我がコミセンは、事務局と公民館長部会が前年踏襲のプログラムを町内会役員の労役によって企画した「パーティー」に無責任な見物人が烏合の衆となって集まっているだけなのです。集まりの賑わいだけをみると両者の祭りは似ているように見えるかもしれませんが、事業の中身が天と地ほどに違うというのは「集まり方」の違いなのです。わがコミセンは、人々が「集まり」さえすれば、「集まり方」は関係ないと考えています。これに対して、勧興公民館のみなさんは人々が公民館を応援するために集まって来ているとお考えのようでした。どちらも違います。
館長ご自身は、住民の主体的参画とそれぞれの力のオーケストレーションの素晴らしさを分かっていらっしゃるから、現在の手法を採用なさっているのですが、「招待客」と「持ち寄り参画者」の「集まり方」の違いを意識されていないので、運営原理を言葉にして説明ができなかったということだと思います。
4 見物人と参画者
両者の違いは、公民館運営プログラムの中身の質が違うだけでなく、参加する住民の姿勢が全く違うのです。我がコミセンは大多数が見物人で群集です。逆に、勧興公民館の方は大多数が地域向上の目的を持った参画者を結集し得ているのです。秋山館長がおっしゃるように、応援者はボランティアだと言ってしまえば、それはそれで間違いではないのですが、ボランティアは単なる「助っ人」でも、「奉仕人」でもないのです。新しい日本型ボランティア活動とは、半分は社会貢献を通して他者のために役立ちたいという活動であっても、残りの半分は連帯や絆を求め、時には生き甲斐を求める自分のための活動なのです。勧興公民館の参画者は単なる「助っ人」でも「奉仕者」でもなく日本型ボランティアの新しい活動形態なのです。人々は自分の表現のために、自らの連帯と絆のためにお集りなのです。舞台はたまたま秋山館長という理解者のいる公民館になっていますが、自分たちの活動表現ができ、企画や実践の披露ができるのであれば、どこでもいいのです。
筆者が10年以上も続けて来た英語ボランティアの授業も同じです。半分は自分の社交と絆のためなのです。筆者の周りには似たようなボランティア活動をなさっている友人が何人もいます。勧興公民館に集う参画者の活動は、現象的には、公民館事業の応援をしているように見えますが、多くのボランティアは自分の居場所のため、自己表現のため、連帯と絆を見出すためにやっているのです。舞台をお作りになって、参画者をその気にさせたのは館長さんご自身ですから、感覚的には十分事の真相をご理解になっている事は疑いありません。彼女が説明の言葉に詰まったのは、恐らく共同体が衰退した後に「さびしい日本人」が大量発生したという事実を意識なさったことはないからだと感じました。勧興の周りには、人々が自覚しているか、否かを問わず、すでに新しいタイプの開かれた共同体が成立しているのです。
5 「持ち寄り方式」の可能性
勧興公民館の実践を再分析しながら、われわれが29年にわたって続けて来た「中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会」の運営原理に思い至りました。われわれの大会もまた実践者が手弁当で実施する持ち寄り方式の「大パーティー」だということです。中国・四国・九州の交流会は財政的には無一文ですから、謝金も旅費もありませんが、参加者が自ら手弁当で参集し、自分の料理を披露する「持ち寄り参加型のパーティー」形式を守って来たのです。参加者は自分たちが自ら築いたパーティーだからこそ発表も交流も懇親も満足度が異なるのです。福岡県立社会教育総合センターでの懇親会が深夜まで盛り上がるのは自分たちが作った「料理」を持ち寄って、苦労話を語ることが尽きないからなのです。
公的に主催される社会教育研究大会の多くが、公金を投入した主催者主導型の「招待パーティー方式」の大会です。結果的に、参加のお客さまの多くは企画にも準備にも関わっていません。参加者の大多数は学習に興味はあっても切実な実践課題を持ち寄った参画者ではありません。お金がなくなれば「招待型パーティー方式」が終焉するのはそのためです。
一方、われわれの実践研究交流会の参加者の多くは実践の中から切実な課題を発掘し、その実践結果を持ち寄った身銭を切った学習者です。お金がなくても続いて来たのは、実践の研究者が自らの「実践の苦労」を持ち寄り続けているからです。友は類をもって集まるのです。
「さびしい日本人」から「やさしい日本人」へ
1 歴史的推移
(1) 共同体の衰退
共同体の衰退の引き金は、日本社会の産業構造が大転換したことです。農林漁業を基幹とした産業は工業と流通を中心とした構造に転換しました。日々の暮らしに共同体を必要としたのは農林漁業であって、工業と流通業は共同体を必要としません。それゆえ、日本社会の産業構造の転換と平行して共同体が衰退したのです。共同体は共同作業を通して「共益」を守り、共同体成員の相互扶助を行ない、成員の連帯と絆を守って来ました。
(2) 個人と共同体の衝突
共同体は個人の自由や選択より全体の共益を優先します。共同体共通の利益を守るため構成員にはルールと暮らし方の原理を強制します。それゆえ、個人の恣意的な判断で共同作業や一斉行動を変更したり、拒否することは許されません。共同体は共益を優先し、個人の自由や選択権を後回しにします。それゆえ、産業構造の転換によって共同体に依存しなくても生きて行けるようになった個人は、徐々に自己都合を優先的に主張するようになります。結果的に、現在の地域社会に共同体の暮らし方や慣習が残存している場合には、個人の自由の主張と衝突することになります。個人にとって成員の自由を認めない共同体の慣習は束縛となり、実質的な干渉と化したからです。個人が共同体の慣習を拒否し始めた時、共同体の成員を束ねる力が衰退します。共同体が培って来た共同や連帯が崩れ始めるのです。平行して、共同体が支えていた人間の連帯や絆や教育力が衰退して行きます。
(3) 共同体の衰退はライフスタイルの「都市化」現象として発現します
個人の自由は、工業と流通の拠点が集積して作り出した都市が推進しました。都市型の考え方は原則として個人の能力主義であり、効率主義です。また、都市型の人間関係は、「選択主義」です。都市化は時を経て、農山漁村にも浸透し、最終的には全社会的にライフスタイルの都市化が進行しました。換言すれば、共同体の衰退はライフスタイルの「都市化」として現象したのです。都市化を支える思想的原点は自由と自立です。それゆえ、都市化の中の人々は組織の束縛も、他者からの干渉も嫌いました。一方、自由と自立を主張する以上、個人の生活や行動が行き詰まったとしても誰も世話はしてくれず、心境が独りぼっちになったとしても誰もかまってはくれません。自らの工夫と力で他者との連帯も絆も築いて行ける人は自立と自由を全うできますが、それができなければ、時に、自立は孤立に、自由は孤独に転落します。「さびしい日本人」が大量に発生するのはこの時です。
(4)「さびしい日本人」の摸索
「さびしい日本人」は共同体の衰退によって連帯と絆を失ったことによって大量に生まれました。「さびしさ」から脱出するためには、自分の力で他者と繋がり新しい連帯と絆を見つけなければなりません。なぜなら、一度捨てた共同体に戻ることは不可能であり、さびしいからと言って昔の慣習に戻ったところで一度自己裁量の自由を味わった個人は昔の束縛と干渉に耐えられないからです。結果的に、自分で新しい人間関係を見つけることのできた少数の人々を除いて、孤立と孤独の中に取り残された多数の「孤独な群集」(The Lonely Crowd,David Riesman,1950)が生まれました。「さびしい日本人」が様々な試行錯誤の“実験”の後に辿り着いた一つの結論が輸入された異文化概念の「ボランティア」活動です。「ボランティア」活動の定着と分岐点は阪神大震災であったと多くの方が指摘し、阪神大震災時の救援活動をボランティア元年と呼んでいます。「元年」を機に、活動者の質的にも、量的にも大きな変化が同時に起こりました。福井沖のナホトカ号の重油流出事故にも同じような現象が続きました。日本型ボランティアの誕生と名付けていいと思います。日本型ボランティアについての人々の指摘と観察を収斂させて行くと、そこで起きた変化は、従来の「奉仕活動」が「連帯と絆を求める自分探しの社会参画」に転換したことがよく分かります。転換者は「さびしい日本人」ですから、活動者の人数も彼らの地理的な居住範域も一気に拡大したのです。
(5) 「他者への奉仕」から「自分探しの社会参画」ヘ
-方法論は「社会貢献」です-
従来の日本人がボランティアと呼んできた活動は「施し」や「慈悲」の感性を原点とした「奉仕」の発想でした。従って、「奉仕」は他者のためでした。これに対して、新しいボランティア活動は、「絆と連帯と生き甲斐」を求めての「社会参画」であり、その方法論は多様な「社会貢献」です。両者の違いは、前者が少数の選ばれた篤志家であったのに対し、後者は「孤独な群集」となった多数の「さびしい日本人」の共感者であるという点です。前者の「奉仕範囲」は比較相対的に狭い範域に限られ、「奉仕者」は、社会心理学的に「奉仕」が可能な地位にあった方々が中心でした。これに対し、後者は、活動範域が一気に拡大し、活動者は社会的地位に関わりなく、現代の孤立や孤独を感じざるを得ないあらゆる地域の、あらゆる階層の人々に広がりました。両者の活動は、「人助け」であり、「社会貢献」ですから、現象的には共通項も類似点もありますが、行動の動機と心理的背景は大きく異なります。前者は、人助けを生き方として選んだ「他者への奉仕」であり、後者は絆と連帯と生き甲斐を求める「自分探しの社会参画」です。後者は、「さびしい日本人」が孤立と孤独を回避するために選んだ「社会貢献」の方法だったのです。前者は、行為の崇高さや社会の賞賛にも関わらず、篤志家の階層を越えて日本社会には広がりませんでした。後者は、共同体の衰退が臨界点に達した時点で一気に全社会的に拡大したのです。
結果的に、「さびしい日本人」が選んだ社会貢献の方法は、欧米文化のボランティア活動に類似したものになりました。新しい日本型ボランティアは、宗教的背景は有していませんが、「隣人愛」の原理も、「主体性」の原則も、労働の対価を求めない実践も共通のものになりました。阪神大震災の救援活動は外来語のボランティアが日本文化に定着し始めた曲がり角となったのです。
(6) 「社会貢献」の背景は「さびしさ」と「やさしさ」です
上記の通り、日本人の新しいボランティア活動の心理的背景は「さびしさ」と「やさしさ」です。「さびしい日本人」は人間や社会に対する「やさしさ」を通して他者と繋がろうとしたのです。「やさしさ」の表現法は具体的に多様な「社会貢献」になりました。この方法は成功しました。どの分野の活動であれ「社会貢献」は当然人々に歓迎され、感謝の対象となり、対人関係において「やさしさ」は人間相互を結びつける力を持っているからです。ボランティアの思想は異文化の発想ですが、「主体的な行為」であり、「自らの感性に根ざした行為」であり、隣人愛に発した行為であり、社会的に承認が得られる「歓迎さるべき行為」であり、多くの人々に「感謝される行為」です。共同体を離れ、個人として自立しようとした「さびしい日本人」にとって、他者との連帯や絆を見出す方法としては、自他ともに、最も納得可能で、有効で、賛同を得易い方法だったのです。方法論が「やさしさ」を核とした「社会貢献」である事によって、「さびしい日本人」は他者に出会って連帯や絆を深めたに留まらず、社会的承認を得て生き甲斐を見出し、結果的に「やさしい日本人」になって行ったのです。新しい日本型ボランティア活動が実践する「やさしさ」は、「他者への奉仕」とは異なります。従来の共同体に存在した相互扶助の「やさしさ」とも別種のものです。日本型ボランティア活動は明らかに[[自分のため]]の目的を含んでいるからです。共同体の「やさしさ」は集団のやさしさでした。日本型ボランティア活動の「やさしさ」は、「個別の人間」のやさしい思いが「総合されたやさしさ」です。それゆえ、かつて「集団的にやさしかった日本人」は、共同体を失い都市化の波の中で「人間砂漠」と呼ばれるような殺伐とした「さびしい日本人」になりましたが、ふたたびボランティアによって今度は個人の「やさしさ」を取り戻しつつあるのです。それゆえ、日本人はかつての共同体に存在した集団的「やさしさ」に戻ったわけではありません。「やさしい日本人」は集団的に再生したのではなく、個々の人生に「新生」したのです。
2 「やさしい日本人」の誕生
(1) 日本型ボランティア推奨システムの不在
問題は、政治も行政も従来の共同体概念の呪縛から抜け出すことができず、いまだ社会貢献と自分探しが融合した日本型ボランティア活動の意味と価値を理解してはいないことです。それゆえ、ボランティア活動を奨励し、社会貢献の事績を顕彰する政策やシステムを創り出せていないのです。
これからの地域社会を担うのは、社会貢献を通して他者と関わることを学んだ「さびしい日本人」です。自立した「さびしい日本人」は、自助、共助、公助を組み合わせてお互いを助け合う新しいコミュニティを目指し、他者との連帯と絆を希求しています。社会貢献の方法を採用したことで「さびしい日本人」は、その行為によって、必然的に「やさしい日本人」に移行して行きました。「さびしい日本人」が自由に発想したNPOとボランティア活動は人々を連帯に導いたに留まらず、「やさしい日本人」を組織化することになったのです。
カタカナのボランティア文化を受け入れた日本人は「新しい日本人」です。共同体の崩壊は「さびしい日本人」を大量に発生させ、結果的に、絆や連帯を摸索する「新しい日本人」を生み出さざるを得なかったのです。彼らの摸索と試行錯誤は、今や「やさしい日本人」を新生させつつあるのです。換言すれば、誕生した「新しい日本人」も「やさしい日本人」も、その活動が広がるに連れて、従来の共同体の慣習や発想を一層の衰退に導きます。「地縁」を核とした人間関係は自治会も、子ども会も、婦人会もあらゆる組織が衰退して行きます。新しい日本人は「地縁」で繋がっているのではなく、「志縁」や「活動の縁」で連帯しているからです。行政が展開する疑似共同体構想のコミュティが機能しないのはそのためです。
(2) 新しい日本人
筆者の中の新しい日本人は、市民ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分です。こうした活動はすべて自分が望んでやっている主体的で、「選択的」な活動です。みずからの興味と関心を出発点としています。活動から生まれて来る人間関係は「選択的」人間関係です。活動の責任はすべて自分にあります、誰かに強制されたわけでもなく、諦めて町内会当番の“不運なくじ運”に従っているわけでもありません。それ故、新しい日本人は、基本的に主体的、自発的で、自分が選択した活動に対する責任感も、義務感もあり、活動への義理や受動的かつ消極的な従属感は持ちません。少なくとも活動の出発点においては、みずから「喜んで」選択し、「善かれ」と思って開始したことです。主体的活動とは、選択的活動の意味であり、自発的活動の意味です。共同体では、そのどちらも自由に選ぶことは許されませんでした。自発的選択者は、当然、自分が選んだ活動への熱の入れ方も違います。そうした活動を展開するのが「新しい日本人」です。ただし、「新しい日本人」は過渡期にあります。換言すれば、「新しい日本人」が「従来の日本人」から独立して、別個に存在しているのではありません。ほとんどの場合、両者は、過渡期の日本人の中に同居しています。もちろん筆者の中にも「二重人格者」のように同居しています。ある時は、やむを得ずコミュニティの労役義務の要求に従い、みんなそうするのだから「仕方がない」と諦めています。しかし、別の状況では、「自分の思い通りに生きたい」と主張して生きています。「新しい日本人」と「従来の日本人」の「同居性」こそが日本型ボランティア文化が定着しつつある過渡期の過渡期たる所以です。
新しい日本人はボランティア活動やNPO活動に代表されます。ボランティア活動を通して、「個人的存在」と「社会的存在」の調整をしようとしているのです。「新しい日本人」は、自由に生きたい自立の願望と、絆を深め、やさしい人間関係の中で生きたいという連帯の願望を両立させたいと願っているのです。自立と連帯の両立を求める「新しい日本人」は基本的に既存の組織や共同体とは関係がありません。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られません。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいています。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌います。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおいています。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第で選択が行なわれます。「新しい日本人」は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじます。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視し、生き方は基本的に「自分流」です。
個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するということは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということです。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのです。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まって行きます。
近年のNPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互助け合い発想を引きずっている人々もいます。変化の時代に、様々な活動が錯綜するのは自然なのです。にもかかわらず、ボランティア活動も社会貢献や生涯学習を課題とした「非営利」のNPO団体も、「新しい日本人」を刻々と生み出していることは疑いありません。上述の通り、NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということは強調しても強調し過ぎるということはないでしょう。
(3) 新旧の地域力
ボランティア活動も、NPOも市民個々人の活動を促進しているのであって、居住の縁に基づく共同行動を勧めているのではないのです。自由な市民はそうした一斉行動は受け入れません。多くの自治体のコミュニティ活動は、「みんな一緒にやれば何とかなる」という従来の共同体発想を下敷きにしています。そこから生まれるものは「疑似共同体」以外の何ものでもありません。旧来の地域力は共同体が生み出す、団結力であり、拘束力であり、教育力であり、共同の支援力でした。地方政治や行政は、それらが失われたと嘆き、それらを回復しようとしている政策が多いのです。しかし、現行自治会(町内会)に旧来の地域力を期待しても得られる筈はないのです。自治会も町内会も失われた共同体に代わる「新しいコミュニティ」の形成を看板に掲げていますが、居住の縁に依拠した地域共同体は疑似共同体に終らざるを得ないのです。われわれの居住地域は偶然の選択の積み重ねの縁で出来ています。現代の地縁とはそういうものです。住所も住宅も自分で選んだものですが、居住の縁に基づく人間関係は選んでいないのです。「コミセン」構想による新しいコミュニティの形成は原理的に時代錯誤以外の何ものでもないのです。今や、人間関係の原則は選択制です。グループやサークルの形成過程を見れば気の合った人々が集まっていることは火を見るより明らかであり、気の合わない人々が集まれないこともまた明らかなのです。行政広報の回覧や、家庭ゴミの共同処理ぐらいは仕方のない共同作業として残るとしても、住民はそれ以外の余計なことはしたくないいのです。ソフトボールやゲートボールの大会まで自治会を下請けにしていること自体が間違いなのです。自分のことは自分でやることが市民社会の原則であれば、それらの趣味活動は好きな者同士が実行委員会方式でやればいいのです。残りの市民の生活基盤に関わる行政サービスを自治会や町内会に下受けさせることは間違いです。小さい政府を住民が選ぶのであれば、自由なボランティアやNPOが様々なコミュティサービスを担当することになる筈です。新しい地域力は新しい市民の組織が担うべき時代が来ているのです。
多くの役所が発想するコミュニティ活動が地域自治会を下請けとし、住民を動員した遊びや祭りの一斉プログラムであることを見ても、如何に時代錯誤に満ちているか明らかでしょう。「パンとサーカス」に如何に多くの市民が参集したとしても、彼らは見物人の域を出ることはなく、準備にあたった自治会や自治公民館の役員は労役の提供者であって、彼らの精神が不完全燃焼に終ることは明らかなのです。彼らにとって自治会のほぼ全ての活動は自分が主体的に選んだものではないからです。役所の多くは未だ「古い日本」の「共同体」を発想の基盤としている故に、コミュニティ・ワークを自由なグループ・サークルに委託したり、ボランティアの活躍するステージを創造することができず、ボランティア活動を応援・顕彰するシステムすら作ることができていません。少子高齢化の時代が来たと叫びながら、多くの市民が子育て支援や高齢者支援に活躍する舞台も準備することができないのは当然の結果なのです。役所こそが従来の共同体発想から抜け出すことができず、地方政治や役所で政策立案している人々の多くが伝統的官僚組織に安住した古い日本人であるということなのです。
3 新しい日本人の新しいコミュニティ
現代人は「個人」になりました。個人はどこかに帰属しなければ孤立します。しかし、帰属したい集団が見つからなければ帰属のしようがありません。その時、自分が帰属したい集団は自分で創り出すしかないのです。社会教育はその支援をすべきなのですが、支援はほとんど出来ていませんでした。友は「類」をもって集まります。新しい日本人は「志縁」をもって連帯し、「活動の縁」をもって前進します。現在私たちが住んでいる居住地区はいろいろな偶然が重なった地縁の関係であると指摘しました。当然、人々の志や感性が共通である保障はありません。近隣の人間関係が大事であると言われますが、大事なのは近隣の人間関係ではなく志縁の人間関係です。両者が重なって形成できればそれに越したことはありませんが、通常はそうなりません。偶然が重なってできた「地縁」の関係に過ぎませんから、挨拶ぐらいはするとしても、付き合いたい人もいれば、付き合いたくない人もいることでしょう。自由に生きるようになった日本人は、自分の基準を大事にします。人はそれぞれに自分流に自分らしく生きようとしていますので、自己基準に合わない人とは関わりたくないのです。しつけの出来ていない悪ガキの親とは関わりたくなく、自分勝手で見栄っ張りの年寄りとも付き合いたいとは思いません。生き方の基準や波長が合わなければ仲良くしろということの方に無理があるのです。共同体の時代は共同体が要求する慣習やしきたりの基準を個人に強制することができました。悪ガキにしつけをしないことは許されず、親ができないのであれば、他の共同体メンバーがその子を叱ったのです。親はそうした他者からの干渉に文句を言うことはできませんでした。しかし、現代は違います。「オレの子どもに勝手なまねをするな」と言われれば、それ以上のことは出来なくなりました。学校でさえモンスターペアレンツに怒鳴り込まれれば、子どもの指導ができなくなるのですから、近隣の道徳的・文化的秩序が崩壊するのは当然の現象です。当人が明らかに愚かでも、はた迷惑でも法律に違反しない限り個人の自立と自由が保障されるようになったからです。わがままな年寄りについても、そうした年寄りを放置している家族についても同じです。他者の暮らしぶりに干渉は許されなくなりました。極論すれば、法律の範囲内であれば、後指を指されようと、嫌われようと、たとえばゴミ屋敷のようにゴミを溜め込もうと、個人の自由を錦の御旗として人々は勝手に生きることが許されるようになったのです。こうした人々ともたまたまご近所なのだから仲良く付き合えということの方に無理があるのです。共同体と新しいコミュニティの最大の違いは人間関係の選択制です。共同体の暮らしに個人の選択は原則的に許されませんでした。われわれの地域社会では選択こそが原則になったのです。それゆえ、隣りの人を知らなくてもいいのです。あいさつはともかく組内のひとびととの付き合いもあなたの考える範囲でいいのです。仲のいい友だちが、線路の向こうにいたとしても、となりの町に居たとしても、現代の交流はほぼ可能になりました。
地域の教育力や助け合いを論じる時、多くの論者がご近所の顔も名前も一致しないような状況こそが問題の根源であり、孤立や孤独の問題を解決できないと指摘します。しかし、果たして、そうでしょうか?
筆者は、最大の問題は、日本人のボランティアやNPOや市民活動の経験不足こそが問題の根源であると考えています。社会教育も生涯学習も最大の問題は、国民に「社会貢献」の体験が欠如していることなのです。見ず知らずの人々の中で社会貢献活動を経験していれば、顔を知ろうが知るまいが、名前を知ろうが知るまいが、ご近所の緊急時に対処することなどわけのないことです。近隣の防災も防犯も、高齢者支援も子育て支援も、未知の状況に飛び込んで阪神大震災の救援活動を経験した方々にとっては簡単なことです。政治も行政も、近隣地域社会に「社会貢献」活動の舞台もシステムも作らず、活動の奨励も助成もして来ませんでした。ボランティア活動は「さびしい日本人」自身が試行錯誤の末に自ら発見した連帯の方法です。政治や行政が提案したことではありません。近隣住民は「お上」の指示を待ち、行政に依存することのみを教えられて来たと言っても過言ではないのです。ボランティア活動の経験者が少ないということは、自立の能力も、他者との関わりも、連帯や絆の心理的実感もほとんど体感したことがないことを意味しています。「コミセン方式」だか「新しい公共」だか、スローガンだけが踊って、従来の共同体を下敷きにしている限り、連帯も絆も緊急時の相互扶助も達成することは出来ないのです。政治も行政も自らの仕事の限界を悟り、「訓練された無能力」(ヴェブレン)を自覚し、覚醒した市民の支援を得られるよう、NPOやボランティア活動のシステムを作り、活動者に対する財政的支援体制を整え、「社会貢献者」に対する顕彰のプログラムを作るべきなのです。
孤独死一つを考えてみても、そうしたことに関心のある住民の協力なしに、行政のセイフティー・ネットで救うことができないことはすでに明らかになりました。逆に、社会貢献に関心のない住民は邪魔になりこそすれ、全く頼りにならないことも明らかになりました。自治会も町内会も関心のある人もない人も含んでいるのです。役員の輪番制によって全員に同じような関心を抱けということの方が無理なのです。役員がくじ引きの1年交替にならざるを得ないのはそのためです。
行政はNPOや地域ボランティアに委託契約の条件を銘記して、活動の財政的支援を制度化してお願いすればいいのです。孤独死を防ぐだけでなく、地域の活力を向上させ、志縁に繋がる人々の連帯を深めることは疑いありません。官僚組織は社会の根幹を支える重要なシステムであることは間違いありませんが、お役所仕事のデスクワークで現代の地域を浮揚させることはできません。地域活力の向上も、人々の孤立も孤独も解決することはできません。コミセン方式は古い共同体が掲げた「みんな一緒」の幻想を引きずっています。祭りも、ソフトボール大会も、グランドゴルフも地域住民の交流や連帯を深めると喧伝していますが、公民館長を務めてみれば結果は明らかです。「パンとサーカス」を一諸に楽しんだところで連帯も絆も深まりません。各チーム内の親睦は図れても、チーム間の交流はほとんど顧みられていません。そうしたプログラムが自治会の役目であるわけはないのです。好きでやっている同好の人々が実行委員会を作って自分たちで主体的にやればいいのです。
地域にボランティアやNPOの経験者が増えれば、日常の付き合いがなくても緊急時の対応はできます。人々が望まない地縁の交流を無理強いする必要はなく、くじ引きで選出される自治会役員に手当を支給して役所の下受けをさせたり、ソフトボールやグラウンドゴルフの企画を依頼する必要はないのです。ましてそうした素人がにわか仕立てで企画する「パンとサーカス」のプログラムに公金を投入する必要は全くないのです。コミセン方式は「新しいコミュニティ」の創造という目的に照らしてすでに明らかに破綻しているのです。
122号お知らせ
第98回生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年3月13日(土)15-17時
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
発表者;福岡県立社会教育総合センター副所長 黒田修三ほか
終了後センター食堂において夕食会
第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会
日時:2010年5月15日(土)10時-16日(日)12時
(14日は前夜祭交流)
場所/問い合せ先:福岡県立社会教育総合センター(福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2、
-092-947-3511。E-mail:mail@fsgpref.fukuoka.jp)
内容:各県の事例発表28、特別企画:リレーインタビュー「子育て支援」、「社会復帰のカウンセリング」、「市民参画のまちづくり」、「学校と企業の連携」などを予定しています。
§MESSAGE TO AND FROM§
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
佐賀市勧興公民館 秋山千潮 様
過日は突然の訪問で失礼いたしました。わがコミュニティの公民館長さんたちは多くを語りませんが、私には実に収穫の多い一日になりました。巻頭に拙文を掲載しましたのでご笑覧ください。これまでの勉強の過程で、私は「さびしい日本人」が己の居場所を探し、他者との連帯・絆を求めて新しいボランティア文化に辿り着いたと確信するようになりました。館長の実践はその傍証になると思っております。私の分析・解釈に誤りがあるようでしたらなにとぞご説明いただきたくお願い申し上げます。次の著作はボランティア文化の「輸入」論を書き始めておりますので是非参考にさせていただきたいと思います。
福岡県岡垣町 神谷 剛 様
お元気なお姿に接し、お便りも頂戴し、喜んでおります。
岡垣町と研修のご縁が出来てこれからもお目にかかる機会が増える事を楽しみにしております。自分が年をとった分、老後を凛々しく生きている方々に一番の興味と関心を抱くようになりました。その逆に、高齢者を単純な弱者と捉え、「保護したり」、「甘やかしたり」、「あやしたり」することに終始している方々に大いに反感を感じております。己の衰弱とともに、人間が「老いる」とは、「意識するとしないとに関わらず、加齢に伴う心身の衰えと戦い続ける過程」であると理解するようになりました。「戦い方」で晩年の在り方が決まります。戦いが不可避であるとすれば,問われているのは,意義ある戦いをできるか,否かになります。高齢社会は「老い方」が問われているのに政治は高齢者を無力視し、「保護の仕方」だけを問題にしているような気がしてなりません。福祉の関係者がこの国の高齢者を間違った方向に導かねばいいがと切に願っております。
福岡市 紫園来未 様
前回フォーラム以来の会話を思い出しております。近年の教育論は「学習」が「実践」に進化する筈であるとどこかで信じている節があります。学校教育が頭でっかちになり、大人の世界が建前の理屈でいっぱいなのも、「分かればやれる」はずだという間違った「教育信仰」の故だと思います。子どもも大人も教室や書物での「学習」が「実践」を導く保障はどこにもありません。理論と実践の間には飛び越えなければならない深い谷があるからです。迷われていたら、ご自身の過去を思い出して、とにかく試行的に「実践」を開始する事です。その中から必ず必要な学習が生まれ、次なる実践に繋がります。何もやらないでものごとを論じてはいけないのです。「実践なくして発言権なし」です。「学びの共同体」などという浮かれた幻想に惑わされてはなりません。共同も、連帯も、絆も、戦友も、人間の生き甲斐はすべて苦楽を共にする実践の中からしか生まれては来ないのです。基本は「実践の共同体」です。実践は必ず学ぶことにつながります。ジョン・デューイが唱えたLearning by Doingは人生の教育論です。
山口市 上野敦子 様
山口大会の運営ご苦労様でした。懐かしい研修同窓生の皆様のご活躍を目の当たりにして心強い限りでした。ご報告を拝見いたしました。進化し続ける井関元気塾に喜んでおります。学校と合同の発表会はあなた方の腕の見せ所です。朗唱はオリンピックのシンクロナイズ・スイミングに匹敵します。「選手」を選べない学童保育の異年齢集団は、どんなチームよりも難しい条件に直面します。素材の選択、腹式呼吸のトレーニング、リズムとスピードの同調、子どもの応援、どれ一つをとっても重要です。最後は朗唱の内容を理解した子どもの感情表現がカギになります。喜んで応援します。至急、指導員チームで発表会素案を作成してみて下さい。赤田先生から山口同窓会は5月の最終週末とご連絡をいただきました。その機会に具体的な詰めをしましょう。ご準備下さい。
過分の郵送料・制作費をいただきありがとうございました。
佐賀市 秋山千潮 様
山口市 西山香代子 様
山口県下松市 三浦清隆 様
福岡県岡垣町 阿形敬之助 様
福岡市 紫園来未 様
鳥取県南部町 岩田 淳 様
東京都八王子市 瀬沼克彰 様
編集後記:「さびしい日本人」の変態
テレビを点けるたびに犯罪のニュースです。若者の犯罪の多くは明らかに規範を教え損なった「教育公害」の結果です。年寄りの方は孤独で自己中心的な日本人の「変態」行動(時期や条件によって様々な発現形態をとること)ではないかと疑っています。ゴミ屋敷のテレビ・レポートを見ましたが、明らかに自由でしかも孤立した「さびしい日本人」のはた迷惑な振る舞い以外のなにものでもないでしょう。孤立も、引き蘢りも、暴走も、自分勝手も、すべて「自由」の裏側です。「さびしい日本人」の自由がどれほど危険なものであるかを実感させます。従来の共同体の中では決して許されなかった事が「自由」や「権利」の名の下に許されるようになったのです。筆者はそれでも個人の自立と自由は進歩の証だと思っていますが、若者の規範教育と老人の社会参画を推進する強力な政策を打たない限り「変態」現象はますます深刻化するものと想像します。暗いニュースが聞こえるたびに、失業に端を発した「格差」だ「格差」だと騒ぐ評論家が登場しますが、「格差」は一昔前の日本にも、その前の日本にもありました。不登校も非行も、フリーターもニートの増加も、筆者には問題の根源は「自由」に対処できない家庭や学校の教育の結果であると思えます。
もちろん、失業問題は大問題だと思いますが、過日、何人かの中小企業の事業主の証言を聴いていたら、多くの失業者は何度採用しても、仕事の選り好みをして我慢が出来ず、直ぐやめてしまう、ということでした。その結果が生活苦というのでは「深刻化する失業問題」というニュースとは理屈が合わないのではないでしょうか?ここにも自由に絶えられない日本人がいるのです。自分の個性だとか適性だの教育界が植え付けた資質幻想を過大に評価するようになった日本人がいるのです。事業主の話の通りだとすれば、取るに足らぬ己にこだわる日本人が、個性や適性を必要としない仕事に耐えられないだけの話なのです。家族を養えない状況を予想すれば、個性だの適性だのくだらぬ自尊心はかなぐり捨てて、自分ならどんな仕事でもやる、と思うのですが、筆者はもはや古いのでしょうか?