「風の便り」(第121号)

発行日:平成22年1月
発行者 三浦清一郎

「さびしい日本人」の大量発生-なぜボランティア文化は日本社会に定着し始めたのか-

1 「みんな一緒に」は不要になったのです -共同体を必要とした産業構造の転換-

日本の伝統的共同体は農山漁村の産業構造が生み出した暮らし方です。農林漁業は、水資源の分配も、共有の森林資源の管理も、時には、収穫も漁も、救難も、屋根葺きも、もろもろの冠婚葬祭すべてに、村人の共同を不可欠としました。ところが工業や流通の出現はこれらの共同事業を分業化し、専門職業化し、共同体総出の作業の必要を徐々に少なくして行ったのです。農林漁業を基幹とする産業構造が、工業や流通を中心にした構造に転換すれば、農林漁業を基盤とした共同体の在り方は衰退せざるを得ないということです。
日本が先進工業国として貿易立国の道を辿ったのと歩調を同じくして、居住環境もライフスタイルも都市化が進行し、個人は自由と自立を主張しました。戦後日本の都市化の歴史は、日本人が個人を確立し、共同体の束縛や干渉を拒否し続ける過程でもありました。農林漁業と異なり、工業も流通も共同体の助けを必要としないばかりか、共同体を共同体足らしめた「共同」や「共有」の慣習を必要としません。それゆえ、「共同」や「共有」を起点とする共同体特有の束縛や干渉が個人の自由と衝突することになったのです。日本人が共同体から自立し、個人の自由を拡大した過程は、日本の地域共同体の衰退の進展と平行して続いたのです。
2 日本人は「共同体の一員」から「個人」になりました
-「自由」の希求と主張-

工業も流通も必要としたのは個々人の知識であり、技術であり、流れ作業のような共同作業ですらも各工場の必要に応じて新たにデザインし直されたものでした。工業・流通業においては、人々は共同体に内在した相互扶助の助けを必要とせず、新しい分業と協業のシステムの中で自分の知識や技術によって生きて行くことができるようになりました。職住の分離は、地縁共同体への依存度を決定的に減少させました。地方文化や地方の慣習の中に残った従来の共同体の約束やしきたりは、今や、束縛と化し、個人の自由と自立への干渉条件と化していったのです。換言すれば、日本人は「共同体の一員」から「個人」に変質して行ったのです。
当然、共同体の衰退は、共同体が特質とした地縁に基づく冠婚葬祭の共同も、安全・安心の相互扶助機能も急速に喪失して行きました。失われたものの中には、共同や協同の背景を為した「地域の教育力」も含まれていました。もはや一斉に行なわれる川さらいも里山の下草刈りも全員に関わる行事ではなくなりました。祭りや寺社の行事も全員の行事ではなくなりました。全員一致の一斉清掃や地域行事への動員は個人の自由なスケジュールに対する束縛に変わったのです。工業化の進展とともに、戦後の日本人は共同体の束縛を拒否し、個人の自由や権利を共同体の必要に優先して位置付けました。「共益」を守る事によって成立していた共同体は、個人の自由と権利を主張する個人が増えた分だけ、その組織力、強制力を失ったのです。当然、共同体を自らのよりどころとしていた人々の精神も信念も衰退します。青年団はとうの昔に消滅し、婦人会の凋落傾向も止まりません。教育の分野では、地縁によって結成された子ども会も役員のなり手がなくて次々と有名無実化しています。それ故、放課後の集団遊びも休暇中の集団での野外活動も子ども会が企画する事はほとんどなくなりました。地域の教育力も壊滅したのです。共同体の干渉や束縛を嫌い,共同体の庇護を離れた日本人は共同体の慣習よりは個人の都合を優先させました。残っているのは行政の下請けの「回覧板」と「ゴミ出し」と年に1~2回の一斉清掃ぐらいのものでしょう。筆者は、組長の他に、自治会の「衛生部長」と[[公民館長]]を経験してみましたが、行政が躍起になって再生しようとしている新しいコミュニティ活動も従来の共同体の慣習を引きずっている限り、自由を求める日本人に支持される筈はないと確信するに至っております。宗像市の自治会組織率も70%台に落ちたと広報に報告が載りました。役員選出が「くじ引き」になるのはそのためです。自治会役員の仕事は、疑似共同体に対する「労役」を意味することを人々が直感的に理解しているからです。生活に不可欠な「共同」や「助け合い」が創り出していた連帯感を、必要のない「ソフトボール」や「グラウンドゴルフ」の交流で補うことなどできる筈はないのです。
共同体が衰退して、日本人は、近隣・日常生活における個人の自由を確立しました。しかし、その反面、相互の助け合いやみんなで一緒にやって来た様々な共同儀式を喪失したのです。都市化の進行と平行して、大量の日本人が自由を獲得しました。しかし、みんなが自立し、自由になった後、そこから先の人間関係も、冠婚葬祭も、時に、個々の家族の危機対処も近隣社会は助けてくれません。個人の危機も孤独もすべて自己責任で行なわざるを得ないことになったのです。共同体の束縛や干渉を拒否して獲得した自由は、その裏側で人々の孤立と孤独、不安と寂寥を発生させたのです。

3 共同体からの「自由」は「孤立」と「孤独」をもたらしました
-誰も世話を焼かず、誰もかまってくれません―

人間とは勝手なもので、自由とは厄介なものです。共同体の慣習が束縛や干渉に思われた時はあれほど鬱陶しかった「みんな一緒」の慣習も、なくなってみると、誰も世話を焼いてくれないという事実だけが残りました。さびしかろうと不安になろうと誰もかまってくれません。一時は、あれほど鬱陶しかった共同体の慣習が懐かしくなるのはそういう時です。「昔は良かったね」「みんなが協力して一緒にやっていたね」という感慨は孤立と孤独と不安と寂寥の象徴なのです。
工業と流通を基幹産業とする構造転換は、個人重視の発想とライフスタイルをもたらし、共同体の束縛を嫌って「個人優先」を価値として選んだのです。しかし、さびしくなったからと言って「相互扶助」と「自由」の二兎を追う事はできません。共同体を拒否したとき、日本人は共同体の有する優しさや相互扶助のシステムを失ったのです。個人の権利を共同体の必要に優先させ、自己都合優先主義を生き方の基本に置いた時、共同体の温かさや優しさのシステムに代わる新しい助け合いの思想は未だ創り出してはいなかったのです。故に、多くの日本人が「自立」したつもりで「孤立」の状況に当面せざるを得なくなりました。現に、自立と自由を全うできない大勢の人々が孤立状況の中で立ち往生しているのです。結果的に、さびしい日本人が大量に誕生したのです。

4 異文化ボランティアへの注目

カタカナのままのボランティア文化は、異国の文化です。しかし、大量に発生した「さびしい日本人」は必死にぬくもりを求めました。ボランティア活動は失った共同体の相互扶助の代替機能を果たし得ることに気付いたのです。ボランティアは、日本に土着の文化ではありません。多くの日本人に未だ耳慣れない異国の文化です。しかし、日本人が「自分流」を主張し、「個」の時代を選択した時から、共同体の相互扶助に代わる新しい「優しさ」の代替機能として活用できることに気がついたのです。従来の慈善や博愛を代表していた「奉仕」の発想は、ボランティア時代に入ってより広範囲の「社会貢献」や「社会参画」の思想に転換して行きました。活動の主体も共同体の一員から市民社会の一員へと変質しました。
新たに日本人が受け入れたボランティアの精神は、伝統的共同体の枠や境界を越えて、阪神大震災に多くの善意を結集させました。その後に起きた、福井沖のナホトカ号重油流出事故の際にもふたたび多くの人々を結集させました。ボランティアの人間関係は、共同体の地縁に基づく結びつきから、「志の縁」や「活動の縁」に転換し、自由と個人主義を基本とした人々の絆を回復しつつあるのです。すでに、「緑のボランティア」があり、難民支援のボランティアがあり、国境なき医師団に象徴される通り、人々の意識は共同体はもとより、国家や地域の枠を越えて人間相互の助け合いを通した交流を可能にしたのです。その時すでに、カタカナのまま輸入された異国のボランティア活動は、日本人に受け入れられ、個人をベースとした欧米型の「隣人愛」の実践に相当する普遍性を持つようになったのです。

5  新しい日本人の誕生

カタカナのボランティア文化を受け入れた日本人は「新しい日本人」です。共同体の崩壊は「さびしい日本人」を大量に発生させ、結果的に、絆や連帯を摸索する「新しい日本人」を生み出し、今や「優しい日本人」を再生させつつあるのです。換言すれば、誕生した「新しい日本人」も「やさしい日本人」も、その活動が広がるに連れて、従来の共同体を一層の衰退に導きます。彼らは地縁で繋がっているのではなく、「志縁」や「活動の縁」で連帯しているからです。
筆者の中の新しい日本人は、市民ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分です。こうした活動はすべて自分が望んでやっている主体的で、「選択的」な活動です。みずからの興味と関心を出発点としています。活動の責任はすべて自分にあります、誰かに強制されたわけでもなく、諦めて町内会当番の“不運なくじ運”に従っているわけでもありません。それ故、新しい日本人は、基本的に主体的、自発的で、自分が選択した活動に対する責任感も、義務感もありますが、活動への義理や、受動的かつ消極的な従属感はありません。少なくても活動の出発点においては、みずから「喜んで」選択し、「善かれ」と思って開始したことです。主体的活動とは、選択的活動の意味であり、自発的活動の意味です。共同体では、そのどちらも自由に選ぶことは許されませんでした。自発的選択者は、当然、自分が選んだ活動への熱の入れ方も違います。そうした活動を展開するのが「新しい日本人」です。ただし、「新しい日本人」の誕生は、「新しい日本人」が「従来の日本人」から独立して、別個に存在しているのではありません。ほとんどの場合、両者は、過渡期の日本人の中に同居しています。もちろん筆者の中にも「二重人格者」のように同居しています。ある時は、やむを得ずコミュニティの労役義務の要求に従い、みんなそうするのだから「仕方がない」と諦めています。しかし、別の状況では、「自分の思い通りに生きたい」と主張して生きています。「新しい日本人」と「従来の日本人」の「同居性」こそがボランティア文化が日本に定着しつつある過渡期の過渡期たる所以です。
新しい日本人はボランティア活動に代表されます。ボランティア活動を通して、「個人的存在」と「社会的存在」の調整をしようとしているのです。「新しい日本人」は、自由に生きたい自立の願望と、絆を深め、やさしい人間関係の中で生きたいという連帯の願望を両立させたいと願っているのです。自立と連帯の両立を求める「新しい日本人」は基本的に既存の組織や共同体とは関係がありません。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られません。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいています。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌います。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおいています。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第で選択が行なわれます。「新しい日本人」は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじます。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視し、生き方は基本的に「自分流」です。
個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するということは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということです。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのです。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まって行きます。
近年のNPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互助け合い発想を引きずっている人々もいます。変化の時代に、様々な活動が錯綜するのは自然なのです。にもかかわらず、ボランティア活動も社会貢献や生涯学習を課題とした「非営利」のNPO団体も、「新しい日本人」を刻々と生み出していることはうたがいありません。NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということがそのことを象徴しているでしょう。
ボランティア活動も、NPOも市民個々人の活動を促進しているのです。多くの自治体のコミュニティ活動は、「みんな一緒にやれば何とかなる」という従来の共同体事業を下敷きにしています。「コミュニティ形成」の看板の下で、共同体の活動を再生しようという行政の試みは時代錯誤以外の何ものでもないのです。
多くの役所が発想するコミュニティ活動が地域自治会を動員した遊びや祭りの一斉プログラムであることを見ても、如何に時代錯誤に満ちているか明らかでしょう。役所の多くは未だ「古い日本」の「共同体」を発想の基盤としている故に、自由なグループ・サークルが活躍するステージを創造することができず、ボランティア活動を応援・顕彰するシステムすら作ることができません。子育て支援も高齢者の活躍の舞台も準備することができないのです。当然、役所で政策立案している人々の多くが伝統的官僚組織に安住した古い日本人であるということなのです。

個性とは何か
「みんな違ってみんないい」の再検討

1  時代のはやりは恐ろしいことです。

仕事始めの教員研修で、「子どもの興味関心に関わらず」、「教えるべきことは教えよ」「やらせるべきことはやらせるべきだ」と主張したら、子どもの個性を抑圧することにならないか、という質問メモが提出されました。「みんな違ってみんないい」ことを前提に子どもの現状を認めてどこが悪いのか、という意見もありました。要は「社会規範」を尊重する以前に子どもの「個性」を尊重すべきではないか、という主張でした。
筆者も、もちろん、教育実践において、こどもがそれぞれに「違っている」ことは知っています。しかし、それぞれが違うということは教育の結論ではなく出発点です。したがって、「みんな違ってみんないい」となるか,否かは子どもの成長過程について社会の評価を待たなければならないということです。それぞれの「違い」が社会の評価基準に叶って「すべて良い」とはならないというのが筆者の意見です。
質疑の核心は、「個性」とは何か、「個性」をどう考慮するかということになります。
「個性」こそ戦後教育がもてはやした指導法の「核」になる概念です。近年一躍時代の寵児となった金子みすゞの「みんな違って、みんないい」や若い世代に流行った「世界にひとつしかない花」に

連なる発想です。教育は「改善」を前提とした「目標行動」であると考える筆者は、「子どもを現状のままに放置してはならない」と提案し続けています。筆者の意見に対して、「君は君のままでいい」と教えてどこが悪いのか、少年野球チームの誰もがイチローになれるわけではないという意見もありました。イチローを目指して挫折するよりいいではないか、と説明が付け加えてありました。
後段の意見に付いては、すでに119号に書きましたので簡単に済ませます。
第1は、学校が子どもの「未熟な今」を是認し、子どもの向上や目標を軽視すれば、教育の使命はそこで終ります。学校の目的は、子どもの現状を改善し,「分からないこと」を「分かるようにし」、「できないこと」を「できるようにすること」だからです。
第2は、誰もがイチローを目指す必要はありませんが、イチローを目指す子に「君は今のままでいい」と言ってはならないということです。確かに目標が高すぎれば、挫折や失敗の確率は高くなりますが、少年の向上は目標に向って努力することの中にあることは疑いないからです。向上や目標の達成を目指さない指導は治療であっても,教育ではないのです。
また、質問者の教員が心配した少年の挫折は、どのくらい努力したあとの挫折であるかによって対処法も評価も変わって来ます。イソップ物語の狐は欲しかった葡萄に向って何回跳んだでしょうか-全力を尽くして何度も、何度も跳んだあとなら「酸っぱい葡萄だ」と思うことで諦めも付くでしょう(それが「認知的不協和」です)。1、2回跳んで挫折するなら、狐(少年)の耐性の方に問題があるのです。耐性を鍛え上げない限り、その子は人生で何をやらせても簡単に挫折して使いものにはならないということです。この種の少年に対しては,指導法の根本を変えなければなりません。この場合、「みんな違ってみんないい」は、子どもに現状肯定と自己満足を促す「毒」に変わるのです。「君は世界にひとつだけの花」だというのも同じです。思春期の重大な悩みは、自分とは何者か、という問いに答えることです。「君は世界にひとつだけの花」であると言ってあげたとしても、理解力・判断力の付き始めている子どもであれば、“自分程度の花”はどこにでもあると思い当たるのです。「悩み」の核心は如何にすれば「世界にひとつだけの花」になれるかということであって、自立もままならない未熟な今の自分が「一つだけの花」だと言ってもらうことではないのです。
第3は、社会生活に不可欠なルールや規範は画一的に教えよ,ということです。教えてもいいし、教えなくてもいいという程度のことであれば、義務教育のカリキュラムから削除すればいいのです。教えるべきことを教えるに際して「個性」のことなど考慮する必要はないのです。さて、本題の「個性」とは何でしょうか?
2 個性とは何か-

(1)「個性」とは「他者との差異」である

個性の一般的定義は、”「個体・個人」に与えられた資質や欲求の特性“ということになります。要は、他者との「差異」の総体です。しかし、「他人と違っている自分」というだけでは教育指導上「個性」を説明したことにならないでしょう。単純な「他者との差異」を「個性」と等値し,両者を混同したところに戦後教育の混乱の原因があります。
まず第1に,「資質上の違い」だけを問題にするなら、個々の後天的な努力をどう評価するのか、が問題になります。少年期の「他者との違い」は、本人ががんばれば直ちに発生し、縮小したり拡大したりするからです。努力しない少年が遅れを取るのは当然の結果なのです。
次に、各人の持つ「資質」と「欲求」が混ぜ合わさって「違い」が生じるとすれば、「個性」とは、「欲求の現れ方」、「自己主張」・「自己表現」の「在り方」ということになります。即ち、個性=「自己主張」・「自己表現」となります。しかし、当然、すべての自己主張や自己表現を個性として尊重せよとは誰も言わないでしょう。馬鹿げた自己主張も,端迷惑な自己表現もあり、社会に害をなす反社会的な主張も多々あることは自明だからです。それゆえ、第2の問題は、すべての個性を肯定的に評価することは出来ない,ということです。子どもの自己本位の欲求や身勝手な思いこみを個性と勘違いしてはならないのです。

(2)「他者との違い」の構成要因

最後に注目すべきは「他者との違い」の構成要因です。「自分」と「他者」を区別する第1の、しかも、最も具体的な要因は、知的能力、身体的能力,判断力、適応力、容貌・しぐさ・表現力などあらゆる種類の「能力」です。第2の要因は、短気,大胆、優しさ、思慮深さ,のんびりなどの性格的・精神的要因です。まさしく,性格
は人それぞれ違うからです。第3は,個人の好みと欲求です。「タデ食う虫も好きずき」で、それぞれに人間の嗜好や相性は異なるのです。
重要なことは,「能力」を「個性」と等値すれば,必ず社会的評価と選別に結びつきます。また、「性格や精神」と「個性」を等値すれば、好ましくない性格の判定やその矯正問題が浮上します。当然、反社会的な欲求や嗜好についても「個性」と等値してすべてを肯定するわけには行かないことは自明でしょう。「みんな違ってみんないい」という情緒的かつ好意的な発想は,楽観的で耳障りはいいですが、現実の教育場面に適用することは決して簡単ではないのです。それゆえ、「他者との違い」を「個性」として全面承認することは、不適切なだけでなく教育的には不可能なのです。

3 「個性」を伸ばすとは-

上記のように「個性」を「他者との差異」と発想すれば、個性を伸ばすということは、「他者との違い」を実現しようとする努力を援助するということになります。論理を突き詰めて行けば,極端な場合,「他者と違った人」は「変わった人」になるのです。幼少期の段階で一般教員が「変わった人」を育てるような“大それたこと”をやってもいいでしょうか-
「個性」は、他者から「自分を際立たせる価値」の別名です。個性の尊重は、その子の能力・性格・好みの価値を尊重するということになります。その「価値」の選別を学校の手に委ねていいですか,ということなのです。現行教育は「価値の尊重」と「差別」を区別できるでしょうか-
それが出来ないから,他者と違っている多くの子どもがいじめられて来たのではないでしょうか- 筆者の結論は,幼少期の教育において個人の種々の特性を「個性」と勘違いしてはならないということです。人間には、いろいろ特性はありますが,それほど際立った個性などというものは、めったにありません。際立った「個性」は押さえても延び,教えなくても自ら花をつけるのです。その「花」には、時に、毒すらあるのです。「個性」とは,個人の「特性」と「生き方」の総合として人生の最後にあらわれる「他者との差異」なのです。

4 幼少年教育に「個性」の概念は不要です

伸ばしてやるべきは各種の能力であり,矯正すべきは他者との共同生活に不適切な性格であり、反社会的な欲求です。学校は、「個性を育てる」ことなど意識しなくていいのです。
先生方は、「個性」の支援を意識せず、子どもを自然のままにしておくと、特性のない人間が育つという心配をしているのではないでしょうか-特性のない人間などそもそもいる筈はないのです。人間は、初めからみんな違うのです。学校が「個性」を認めようと認めまいと、顔立ちや身体的特徴と同じように、能力も,性格も、好みもみんな違うのです。特性は人間の「運命」に似て、事前の選択は困難です。しかし,人生を歩き始めたあとのがんばりは、個人差もさることながら,教育によって大いに異なって来ます。先生方の励ましによって大きく変わるのです。それゆえ、現実は,「みんな違って」いても、「みんないい」とは限りません。事実,子どもの世界にも,反社会的な性格や欲求が存在するからです。子どもに限らず,人間はみんな違うのです。学校が「違い」を大事にしようという時、子どもはみな似ているという人間観を前提に考えていないでしょうか-「個性」とは,自分に与えられた運命的な特性と本人の人生のがんばりとが綾なす総体的な生き方に現れる特性の意味です。学校は,個性豊かに生きた歴史上の人々の人生を教えてやればいいのです。
現代の学校が為すべきことは,目標を提示し、努力を奨励し、学ぶべきことは学べ,やるべきことはやれ,やってはならぬことはやってはならぬという3つの原則を全部の子どもに教えることです。歴史が証明している通り、そうした中から「個性」ある子どもは必ず育って来るのです。学校がやるべきことをやったあとで、万一、「反社会的な個性」が社会に破壊や損害をもたらしたとしても、それは学校の責任ではありません。学校の責任は、本来学校がやるべきことを十分にやっていないことにあるのです。学校は「個性」のことなど考えなくていいのです。教育が矯正にしくじった「個性」は警察や司法と連携して社会全体で対処すべきなのです。
§MESSAGE TO AND FROM§

沢山のお便りありがとうございました。2回目の10年に踏み出しました。メルマガの時代が来たにも関わらず、変わらずに郵送料や制作費を支えていただき誠にありがとうございます。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
広島県北広島町 久川伸介 様

実践報告のお便りありがとうございました。おみごとな実践でした。学校正常化の原則はあなたがおやりになった3つです。第1に公開、第2に断固たる指針の提示、第3は連携です。思春期の子どもが何ものかになりたいと思わない筈はないのです。先生の情熱が伝染するのです。かつては「感化」と呼ばれました。嬉しいお便りに接し大いに励みになりました。当方でも近隣の中学校への協力が始まりそうです。

山口県下関市 田中隆子 様

世間は理論通りに行かないことはお説の通りです。それを理論通りに実行するのが先駆者です。我が論文は先駆者のために書いております。あなたのことも先駆者と思ったからこそ現行の高齢者施策では“駄目だ“と書きました。これからも書きます。
全ての公立小学校のなかに高齢者の教室を作った飯塚市の「熟年者マナビ塾」も、高齢者が毎日の子どもの指導を担当する「豊津寺子屋」も理論通りです。高齢者の社会的貢献を通して老幼の「生きる力」を向上させています。もちろん高齢者本人の認知症も予防しています。
ゲーム性の楽しいプログラムを住民が歓迎したとしても、そうした施策は往々にして「快楽原則」に流され、「パンとサーカス」を追いかけることになります。哀しいことに、わが社会教育の公民館は住民の喜ぶことのみをプログラム化して瀕死の状況に陥っているのです。
読者の皆さんも、世間は理論通りに行かないことは百も承知でしょう。しかし、自民党政権下では理論通りに行かなくても、政権が変われば、理論的に無駄なダム工事は中止することができるのです。また、無駄なダムを理論通りに中止した民主連立政権ができても,子育て支援理論に反する無駄な「子ども手当」を参院選目当てにばらまいていることも、理論通りに行かない世間の一例です。私財を投じておやりになるのであれば、差し出口は慎みますが、補助金もまた税金だからです。

島根県雲南市 和田 明 様

いただいた巻き紙のお便りは大切にとっておきます。ありがとうございました。生涯学習実践研究交流会と「風の便り」が紡いでくれたご縁のお蔭だと思っております。米子移動フォーラムでの再会を楽しみにしております。

佐賀市 小副川よしえ 様

いろいろお心を煩わせましたみやこ町の「男女共同参画ハンドブック」を巡る交流会の件は、小さな町が引き受けてくれました。結果はいずれ何らかの形でご報告申し上げます。

千葉県印西市 鈴木和江 様

東京を離れて30年になります。留守電をお聞きしました。お声が変わっていらっしゃらないのに驚きました。子どもたちもそれぞれ遠くに行きましたね。変わらずに「風の便り」を支えていただきありがとうございます。お便りを励みに2回目の10年に踏み出しました。

高知県香南市 小松義徳 様

ライオンズクラブの活動何よりです。われわれ高齢者を守るのは「活動」です。活動しているからこそ「元気」と「正常」を保つことができます。その活動も,何よりも社会貢献・社会参画が重要です。生涯現役の真の意味は社会貢献を続けるということであり,新しい著書では、それこそが「あるべき命」であると結論付けました。「ヒト」(ホモサピエンス)を人間にし、ひとたび人間になったわれわれをふたたび「ヒト」に戻さないことこそ教育の最大の使命と論じました。社会的活動を離れたこの国の高齢者教育はその根本において発想が間違っております。先生と四万十川キャンプを論じた頃を懐かしく思い出します。
過分の送料料・作成費を頂戴しありがとうございました。
山口県宇部市  赤田博夫 様
島根県掛合町  和田 明 様
福岡県宗像市  岡嵜八重子 様
福岡県みやこ町 山下登代美 様
福岡県太宰府市 大石正人 様
高知県香南市  小松義徳 様
福岡県岡垣町  神谷 剛 様
福岡県宗像市  大島まな 様
広島県府中町  中村由利江 様

大分県日田市  安心院光義 様
福岡県朝倉市  手島 優 様
大分県日田市  財津敬二郎 様
千葉県印西市  鈴木和江 様
福岡県筑後市  江里口 充 様
埼玉県越谷市  小河原政子 様
北海道札幌市  水谷紀子 様
広島県北広島町 久川伸介 様
山口県長門市  藤田千勢 様
中学生の群読と「同調行動」の向上
縁があって長崎県五島市の崎山中学校の特別指導を引き受けています。直接には何もしていないので隔靴掻痒の思いもあるのですが、校長先生に申し入れて、中学生には今回で2度目の講演をしました。また、学校が当方の意図を汲んで下さって公開研究発表会で全中学生による群読発表が実現しました。思春期真っただ中の中学生が「照れ」もせず、観客の前に直立し、学年別男女別に分担して地元の歌人の“詩歌集”から編纂した「ふるさと慕情」を朗々と吟じました。作品に結晶したふるさとへの思いが若人の連帯を強めたということは想像に余りありますが、当日のできばえは、発声・リズムから暗誦に至るまで、ご指導に当たった先生方は勲章に値すると感じました。各学年別、男女別の集団の朗唱は歌の意味や響きを見事に組み合わせ、朗々たる若人の声は共鳴して会場に深い沈黙をもたらしまし、聞き入った自分が身動きできないほど歌に耽溺していました。
発表後、講演の最前列に並んだ中学生の聞く姿勢もたった2回目で著しく改善したように思います。発表会に備えた同調と集中のトレーニング効果が現れ始めたのだと確信しています。小学生の朗唱効果はすでに各地で実証的に体験しておりましたが、中学生の朗唱の集団同調は迫力もリズムも一層見事なものでした。発表会は、群読に加えて、音楽の先生を中心に教師集団が作詞作曲した「崎山讃歌」が斉唱されました。地元のお客さまはさぞご満足だったことでしょう。群読に使われた資料は、崎山地区ご出身の詩人、故田口照子さんの詩歌集「崎山慕情」から抜粋して紹介されました。そのいくつかは次のようなものでした。

白浜のうしほ汲み来て
人寄せの
さかなに作るかたき豆腐を

たれもたれも
崎山女やさしくてよく働きぬ
今もしかあらん

来し方をはるけき道と思えども
ふるさとありぬ
ありがたきかな

発表会の前日はこの地に伝わる伝統行事:「ヘトマト」でした。一部始終を見物しましたが、周りにいらっしゃった誰にお聞きしても民俗学上の由来も、各行事の意味も、奉納先の神社の故事来歴もよく分からないという不思議なお祭りでした。中学校男子生徒は全員、校長先生以下男性教員の多くが「ふんどし一つ」で参加していました。不甲斐なくも自分はオーバーの襟を立てて、ホッカイロを腰に貼って、それでも震えていた次第です。崎山中は文科省指定のコミュニティ・スクールのモデル校です。モデル校のモデル校たる意義は今もって全く分かりませんが、崎山中が地域に支えられ、地域を支えている学校であることだけは痛烈に理解しました。別項のボランティア論に分析した“ふるき良き伝統的共同体”がそのまま残っていたのです。公民館で行なわれた祭りの参加者の懇親交流会にお招きを頂きましたが、“案の定“、100人近くの参加者の中に女性は一人もいませんでした。いずれは「変わってしまった女」に見捨てられて滅んで行く共同体である、と同席した長崎県の指導主事に予言しました。もちろん、ライフスタイルが都市化した他の中学校と違って、崎山中の生徒たちはふるさと崎山の人々に守られて非行も逸脱も起こらないことでしょう。しかし、彼らはやがて自己責任を原則とする日本社会の孤独と孤立に耐え、弱肉強食の国際社会に出て生き抜かなければなりません。目を輝かせて聞き入る中学生に感奮して「自立と挑戦を忘れるな」、「ひとたび故郷を離れればふるさとは守ってくれないと思え」と保護者にも生徒にも強調しました。また、英語の担当教員には母国語をあれだけ見事に操れることを証明したのだから、次の課題は英語の群読に挑戦してみてはどうでしょう、と助言して戻って来ました。
121号お知らせ

第5回人づくり、地域づくりフォーラムin山口
今年度は、2月13日-14日(土-日)の予定です。関心のある方は山口県生涯学習推進センター(〒754-0893山口市秋穂二島1602、電話083-987-1730)までお問い合せ下さい。

第97回生涯学習フォーラムin若松-みらいネット最終報告会&生涯学習フォーラムin若松

会場:北九州市若松区役所3階大会議室
公開プログラム
■11:30~12:00 【論文提案】三浦清一郎、「やさしい日本人」の再生とボランティア文化(仮)
■12:00~13:00    昼食交流会(お弁当:事務局用意)
■13:00~15:30 【第1部】活動最終報告会
― 休憩10分 -
■15:40~16:50 【第2部】個人別感想、フォーラム参加者の紹介・感想
■ 16:50~17:00 【閉講式】
参加希望者は「北九州市若松区役所まちづくり推進課:093-761-5321に問い合せをして見学許可を受けて下さい。
フォーラム終了後簡単な夕食会を若松で企画する予定です。
編集後記・2010年幕開け

上り坂の君と下り坂の私

新春の箱根駅伝のテレビ中継で、往路の山登りで昨年新記録を樹立した東洋大学の柏原選手がインタビューに答えていたのを偶然聞きました。彼は「ライバルは去年の自分です」と言い放ったのです。インタビューは彼の走る前のことでしたから,注目して彼の走りの結果を見守りました。なんと彼は,その宣言通りに今年も同じ往路の山登りで昨年自分が立てた記録を打ち破ってふたたび新記録を更新しました。まことに天晴れなことです。彼は2年生ですから,大学の運動部の「タテ社会」の中でまわりに適応しながら、自己鍛錬に集中し、最終目的のレースに向って自らのコンディションを持続することはよほどの意志力と精神のバランスを必要としたことでしょう。若いのにお見事な調整ぶりに感服しました。柏原選手に見倣って,自分も同じような“啖呵”を切って見たいものですが、上り坂の彼と急坂下りの自分を同列に置いて考えるわけには行かないだろうと思いました。そこで私の新春の抱負は「せめて去年の自分と同じくらい」としてみました。「下り坂」にとっては同じペースを維持するだけでも高望みに過ぎるかも知れません。大リーグのイチロー選手は当然10年連続の200本安打を目指すのでしょうね!

惚けてんのはどっちだ!

妻に命じられて宗像市の高齢者の特定検診を受けました。年令上「介護予防健診」票に記入しなければなりませんでした。質問は,心身の自立度と日々の充実感に集中しています。たとえば、「バスや電車を使って一人で外出しているか」とか「日常の買い物は自分でしているか-」とか,「手すりを使わずに階段を上れるか」とか「15分以上歩いているか」などです。また,充実度については、最近「充実感を感じない」とか「楽しめない」とか,「役立つ人間だと思えない」とか「ものごとが億劫で、わけもなく疲れた感じがする」などの項目が並んでいます。中には,「電話番号を調べて電話をかけるか-」とか「今日が何月何日か分からない時があるか-」などというのもありました。自立して社会的な活動をしていれば、決して失うことのない「日常行動能力」、「やり甲斐」、「居甲斐」の問題です。
定年後の高齢者を社会的活動に招き入れることなく放置していることが如何に危険であるかを象徴している問診票でした。月日がわかならなくなり,電話番号を調べられない人がこのような問診票に正しく応えることができるか,否かも危ういところでしょう。惚けてんのはどっちだと,いうのが正直な感想でした。
医療や福祉の方々はなぜ教育と連携した施策が打てないのでしょうか-なぜ高齢者の社会参画を奨励するプログラムを提案できないのでしょうか。子どもは、基本的に「ヒト」として出発し、社会化と教育によって「人間」となり、時に,不幸にして、極度の老衰の果て、人間としての成果と精神を失うことによってふたたび「ヒト」に返らざるを得ないのです。教育は「ヒト」を「人間」とし、ひとたび「人間」となった「人間」を「ヒト」に戻さないことを最重要の目標としています。「生涯現役論」は、そのための方法論や努力のあり方を意味しています。高齢社会では、医療や介護の在り方だけが問われているのではありません。人々の「老い方」が問われているのです。

政治家の思考停止

編集作業の最終段階で、ハイチの大地震のニュースが飛び込んできました。日本の対応が遅いと批判された岡田外相は現地が何を,どのように必要としているかを確かめる必要があるので対応が遅いわけではないと記者団に答えた、とテレビが報じました。阪神大震災を経験した日本の外務大臣とも思えない感性の鈍さでアホとしか言いようがありません。水もクスリも食料も医療専門家も被災者を発見する警察犬も足りないことは、聞くまでもなく、最初から分かっていることです。
阪神大震災で自衛隊の出動を命じなかった村山首相は結果的に多くの神戸市民や淡路島の住民を見殺しにしました。また、命令が出なかったことを理由に,部下の自衛隊員を待機させたまま出動を命じなかった自衛隊の将官も多くの市民を見殺しにしたのです。すべて感性の鈍さと思考停止がもたらした人災です。自分が、時の首相だったら,あるいは時の自衛隊の将官であったら,と胸が熱くなります。後でどのように罰せられようと,直ちにとるべき措置をとったものをと,今でも思います。近年の日本人の精神の在り方,思考停止は由々しきことだと思います。
何と最後には,小沢幹事長関係者の逮捕のニュースが飛び込んできました。編集後記の今の段階で,民主党幹部の大部分は幹事長の自己説明を求めていません。彼らもまた彼ら自身が「政治と金」の問題で自民党を批判して来たことをきれいさっぱり忘れ,「政党助成金」を国民の税金からもらっていることも思い出せずに、思考停止し,権力の亡者に成り下がったと言わなければなりません。