「風の便り」(第123号)

発行日:平成22年3月
発行者 三浦清一郎

「母の世話 人に頼んで ボランティア」

1 解釈の多様性
標記の「母の世話 人に頼んで ボランティア」という川柳は以前古い参考資料の中から見つけたものです。この川柳には多様な解釈があり、人それぞれの反応があるだろうと想像しています。“身内の世話も処理し切れなくて何がボランティアか”、という感想が第1でしょうか?この感想は養育や介護が社会化される以前の伝統的な発想です。家族の問題を社会に押し付けるなという当事者に対する怒りや皮肉が含まれています。
一方、“母を施設に預かってもらった「負い目」を世間に役立つことで解消しようとするのかね”という感想や、逆に、“世間に恩返しをしようというのは偉いね”という感想が出るかも知れません。更には、一層の深読みをして、“母の世話を他者にお願いしてまで、現代人が社会との接触を続けるということは、そうしなければ人間の孤立感や孤独を解消できず、他者との連帯も絆も困難で、自己表現・自分探しの一環なのだ”という解釈も可能でしょう。筆者が論じて来た「共同体の衰退」に起因する「さびしい日本人」論は、最後の解釈に近いものです。
筆者は、日本人のボランティア活動の背景には、本人の自覚の有無にかかわらず、最後の深読みの感想に似た背景があると考えて来ました。結論だけを繰り返せば、共同体の衰退によって自由になった日本人は、自ら進んで他者との連帯や絆を求めない限り、孤立と孤独を回避できないということです。それゆえ、自分が他者に必要とされ、他者の感謝や他者との連帯に導き得る社会貢献を選択せざるを得ないのです。社会貢献は、「人間の砂漠」と呼ばれる現代における数少ない他者との連帯や絆を形成する方法であり、孤独や孤立を免れる自己表現・自分探しなのです。
2 日本型ボランティアの誕生
結果的に、さびしい日本人が辿り着いた連帯の方法論こそが欧米型のボランティア思想に重なりました。ボランティア活動は、もともとキリスト教文化の信仰上の「隣人愛」の発想を原点としています。日本社会では、連帯や絆を求める方法としてボランティア活動が緩やかに定着し始めているのだと考えています。
もちろん、異文化を自分の生き方に採用した背景には、現代の日本人がおかれた複数の事情が存在しています。
第1は、自分の人生は自分で選んで生きたいという願望です。現代人は「自分流」です。自分の価値を貫き、自己の感性に正直に生きることが理想の自分らしさであると考えるようになっているのです。共同体が衰退し,隣近所の付き合いが崩壊し、また隣近所の付き合いに縛られたくないと思えば、自らが選択し、自らが工夫した人間関係を創り出さなければならないのです。「自分らしさ」こそが現代の理想のスローガンになりました。
それゆえ、第2は、自由な日本人の人生は「主体的」でなければなりません。「主体的」とは、自らが納得できる生き甲斐のある日々を生きるという意味です。欧米文化が主唱してきたボランティア思想の第1原理は、「主体性原則」です。「主体性原則」は、自分が選択の主体であるという点で「さびしい日本人」が希求する「自己主張」の基準を満たしました。
第3には、現実問題として、人生の孤立と孤独の回避です。共同体から離れた自由な日本人は,自らの選択によって他者と繋がらない限り、誰もかまってはくれません。「他律性」こそが「孤独な群集」の最大の特性です。したがって、行政事務の下受け的機能として位置付けられた町内会活動のような擬似的共同体活動が、感性や思想を共有する人間の連帯や絆をもたらす可能性はほとんど期待することはできないのです。このことは「他律的」に行政が音頭をとる子ども会から町内会まで、あらゆる近隣活動が崩壊し続けていることが雄弁に証明しています。自らの活力を維持し、連帯に近づくためには「自律的」で、社会に「貢献する」活動の工夫が不可欠なのです。「自律的な社会貢献活動」こそが、最も確実に世間に受け入れられ、他者の感謝を得ることができるのです。「社会貢献」とは人々の「役に立つこと」です。「役に立つ」からこそ拍手と承認を得られるのです。本家本元のボランティア文化の出発点は「隣人愛」ですから、あらゆる社会貢献は原理的に活動の中身が一致するのです。
第4は、「やり甲斐」の自己確認が不可欠になりました。自己確認とは「社会的な承認」を得ることです。人間は自己満足では己を満たすことはできません。日々の充実を実感するためには己の人生の意義を社会的に確認できなければならないのです。隣人愛や社会貢献を原理とするボランティアは他者と世間が認めた意義ある活動です。活動の成果は人々の感謝と賞賛によって確認することができるのです。ボランティアは多くの日本人に耳慣れないカタカナ文化ですが、共同体的人間関係の衰退とほぼ平行して現代の地域社会に浸透し続けているのは社会の承認が得られるからです。「生き甲斐」とは,「居甲斐」と「やり甲斐」の二つが満たされることです。それゆえ、上記の第3および第4の欲求が満たされれば,生き甲斐の条件が整います。第3の欲求は,自分を好意的に受け入れてくれる人間関係の樹立を希求しています。第4は,自分の活動成果の承認を社会に求めているのです。社会的に承認される活動を通して他者との連帯を図ることを可能にするボランティア活動は新しい日本人の生き甲斐追求に合致したのです。
母を介護人の世話に任せてでも、あるいは施設に預けてでも、ある方々はボランティアに出かけなければ自らの精神の健康が保てないのです。換言すれば、ボランティア文化は多くの「さびしい日本人」を救うことができるのです。最近の川柳にも次のようなものがありました。
趣味生かしきずな求めてボランティア(NHK「定年戦略」川柳:京都府 中村長次)

3 「さびしい日本人」から「日本型ボランティア」へ
筆者は、伝統的共同体の衰退が「さびしい日本人」の大量発生に大きく関わっていると考えています。そして「さびしい日本人」が日本型ボランティアの誕生と定着に関わっていると思います。共同体は個人の生活を大いに支配し、その自由を大いに束縛してきましたが、同時に、相互扶助の仕組みの中で個人を守り、人間関係の舞台を提供し、連帯や共感を創り出して来ました。換言すれば、これまで日本人が暮らして来た伝統的共同体は、個人に有無を言わせず共同体の人間関係の中に引き込んでくれたということです。世間とは共同体のことであり、世間との付き合いも、そこで形成される人間関係も、大部分は共同体が設定したものでした。生活上の具体的な仕組みは、共益を前提とした一斉の勤労奉仕作業であり、冠婚葬祭を含む一斉の儀礼行事でした。
しかし、共同体の仕組みを必要とした基幹産業の農林漁業が工業や流通に取って代わられて以来、日本人の日常は生活場面における「共同」を必ずしも必要としなくなりました。個人は徐々に共同体の庇護や共同作業を経なくても日常を生きて行けるようになりました。結果的に、共同体の相互扶助も、共同作業や共同儀礼も、一転、自立しようとする個人に対する事実上の束縛や干渉に転化したのです。ゴミ当番から一斉清掃まで簡便化された現代の共同作業までが忌避されるのは、個人にとっての共同体の慣習が心理的な束縛であり干渉であった一つの証拠ではないでしょうか。
工業や流通の発展は人口の集中をもたらし、生活スタイルを都市化しました。社会学が指摘した通り、都市化は自由化であり、匿名化であり、多様化です。都市化の下で、個人は自由になり、自己選択の権利を得ました。もちろん、これらの特性はいずれも共同体では許されることでも、可能でもありませんでした。都市化の結果、共同体的人間関係を拒否して個人の自立と自由を主張した現代人は、その代償として、自分で居場所を見つけ、自分で人間関係を築かなければならなくなりました。自己選択の権利は自己責任と背中合わせであったことは言うまでもありません。都市化の下では、自立と自由を主張する以上、自分が社会との関わりを見つけない限り、“誰もかまってはくれない”のです。共同体の干渉を拒否するということは、その相互扶助の仕組みも、共同の人間関係も放棄することに通じていました。明治維新以降の急速な産業構造の変革は、急速な都市化をもたらし、急速な共同体の衰退を招きました。それ故、歴史的に自立や自由のトレーニングの経験の浅い日本人は、自己選択にも、孤独にも、孤立にも慣れていませんでした。急速な都市化によって、急に訪れた“誰もかまってはくれない”状況は大量の「さびしい日本人」を生み出すことになるのは必然の結果でした。選択の自由を認めた社会は、選択しない自由も、選択できない無力も合わせて含んでいるからです。共同体を離れた現代人の多くが、当面する孤独や孤立から逃れようと必死の努力をしていることは夙に「孤独な群集」」(*)が喝破したところですが、伝統的共同体の衰退に伴って自由を獲得した筈の日本人も、自らが納得し得る人間関係の開発に失敗すれば「さびしい日本人」に転落することもまた当然でした。欧米のような日常の教会活動も、そこから派生したボランティア文化も持たない日本社会では「さびしい日本人」の大量発生は当然の帰結だったのです。ボランティアが輸入されたカタカナ文化であるにもかかわらず、共同体の喪失に伴う人間関係の空白を埋める新しい縁の創造機能として評価されるようになったのは論理の自然だったのです。日本文化と縁のなかったボランティア文化を社会に根付かせ、新しい日本人の精神生活を支えるきっかけをもたらしたものは「さびしい日本人」ではなかったでしょうか。外来の文物の輸入加工を得意として来た日本人が自らの「さびしさ」を解決する人間の絆を編み出そうとする試みこそカタカナ文化ボランティアの日本化だったのです。「母の世話人に頼んでボランティア」は「さびしい日本人」がおかれた厳しい状況を象徴しているのです。*D.リースマン著、加藤秀俊訳『孤独な群衆』(みすず書房, 1964年)

4 「ゴミ屋敷」に見る自由のコスト-自己主張の代償
戦後の日本人は、戦争から解放され、共同体の干渉からも解放され、国民主権と人権の保障を手に入れました。
現代の最大の特徴は「主体性」の尊重です。個人主義も,個性主義も,自主性も、主体性も,自律も,自立も、自己流も,勝手主義も,時には「自侭」,「わがまま」ですら,みんな「主体性」の別名です。現代は、自分を中心とした生き方を承認し、「主体性」の尊重が幸福の条件であるという考え方が主流になりました。人生を決めるのは「自分」であるという原則が社会を貫徹しています。この流れを総合すれば,「自分主義」と呼ぶことが出来るでしょう。筆者は、この「自分主義」を「自分流」と名付けました。大人はみんな「自分流」を主張するようになったのです。自分流の自覚は自分のために生きることの自覚です。もともと人間は自分に一番関心があるのです。
しかし、中には、明確にこれが「自分」であるという「自己主張」の体系を持たない人もいます。「自分流」が拡散し、定着していない事例です。しかし、「自分」が揺れ動く場合でも、大抵の大人は自分の欲求にこだわり、自己の快・不快を主張します。その意味では,大人は「みんな自分流」であると総括して間違いないでしょう。
それゆえ、自分が気に入らない人生は総じて不幸であり,気に入った人生は総じて満足や幸せを感じることができます。気に入るか,気に入らないか、その判断基準の大元が「自分」です。
したがって,「自分」は、評価の基準であり,判断の基準です。この時の「自分」は、個体性と弾力性を同時に備えているのが普通です。多くの「自分」は、判断の基準になりうる程度に,ほどほどに固定していますが,同時に,環境とぶつかり,経験から学ぶことによって「自分」を変えることができる程度に柔軟で,弾力的です。「自分流」は、自分の意志や欲求に従って,環境に働きかけ、身の回りの条件を変えようとしますが,逆に、環境の壁にぶつかった時は,自分を変え,環境の解釈を変え,その結果、「経験から学んで」,その時々の人生の受けとめ方を変えるのです。
「自分流」は、一方で,自分が思ったように人生に挑戦するかと思えば,他方では,大元の「自分」を変えることによって人生の諸問題を乗り切って行くのです。人生の幸,不幸は、個人を取り巻く条件や環境に大きく左右されますが,同時にそれらをどう受けとめて対処するか,にもかかって来ます。したがって,私たちの人生は,一面では環境の条件次第,他方では、自分の気持の持ち方次第ということになります。
テレビ特集で現代の「ゴミ屋敷」のドキュメントを見ました。打ちのめされ、打ちひしがれ、鬱状況に陥って、希望も気力も失えば、現代の「ゴミ屋敷」のような奇怪な表現方法も生まれ、近隣の鼻つまみに成り果てるのです。自宅にゴミを溜め込む「ゴミ屋敷」の住人の無気力も絶望も、孤立も孤独も競争社会-格差社会がもたらしたひずみであるというテレビの解説がありましたが、的外れな指摘です。無気力も絶望も、孤立も孤独も自由のコストです。近隣の迷惑を顧みずゴミを溜め込むメンタリティは歪んだ自己主張がもたらした闇のような孤独と孤立の代償です。やさしいボランティアの声かけと協力で少しずつ自分を取り戻して行くドキュメントを見れば、ゴミ屋敷の住人に自立の強い意志はなく、近隣の迷惑を顧みるだけの自制心もないのです。彼らに自由を主張する資格はないのです。あらゆる物品の購入に代価が必要なように、精神の自由にもコストは発生します。自己主張にも代償が伴います。自由のコストを負い切れない理由を社会的条件の格差が原因であると言い換えるのはまやかしです。人生の選択にも代償が伴うのは当然なのです。「ゴミ屋敷」についていえば、収拾がつかなくなるまで放置せずに、速やかに法的な措置を講じて、近隣の住民の自由で快適な生活を守ることが先決です。共同体が生きていれば、共同体の共益に反して、個人の自由や自堕落が許される筈はなく、然るに「ゴミ屋敷」も発生する筈はないのです。日本型ボランティアの誕生はますます日本人の自己責任を問うことになって行くことでしょう。そのことを教える教育の責任も、自分の幸不幸を選択する自己責任もますますその意義が重要になって行くのです。

ふたたび「君は君のままでいいか!」?
「金子みすず」文学論についての異論-教育論への適用の誤謬

1 詩人の祈り
118号にある小学校の指導方針を批判して「君は君のままでいいか!」を書きました。筆者の結論は、「みんなちがってみんないい(金子みすず)」を曲解・拡大解釈してはならない、ということでした。「みんなちがってみんないい」を、子どもの現状に適用して、君は「今のままでいい」のだというメッセージを送るのは、教育の自殺としか言いようがない、と断じました。未熟な子どもが「そのままでいい筈はないのです」。成長とは、今「出来ないこと」も、いつか近い将来必ず「出来るように」なるということです。教育の使命は、今「分からない」ことも、やがて「分かるように」しなければならないということです。
その後、本年2月に第5回山口人づくり地域づくり・フォーラムin山口で金子みすず記念館館長の矢崎氏の講演を拝聴する機会を得ました。矢崎氏もまた金子みすずのやさしさを引いて、「君はそこにいるままで満点なのだ」という表現で子どもの現状を受け入れよという主旨の提案をされました。過日の小学校に続き、今回もまた大いに反発を感じました。金子みすずの文学論も、その教育への適用解釈も大いに混乱しているという感想でした。
詩人みすずが歌った「みんなちがって、みんないい」は思想ではなくて彼女自身の「祈り」だったのではないでしょうか?みすずは不幸な結婚の末に彼女自身を受け入れられることも少なく、最後には「詩を書くことすら禁じられ」ました。みすずは現世の人生も、彼女の創り出す詩の世界も回りの人々に受け入れられることはなかったのです。「鯨法会」でも、「大漁」でも彼女は現実の世界の向こう側に身をおいて祈っているのではないでしょうか。

鯨 法会(ほうえ)

鯨法会は春のくれ
海に飛魚 捕れるころ

浜のお寺で鳴る鐘が
ゆれる水面(みなも)をわたるとき

村の漁夫(りょうし)が羽織着て
浜のお寺へいそぐとき

沖で鯨の子がひとり
その鳴る鐘をききながら

死んだ父さま、母さまを
こいし、こいしと泣いてます

海のおもてを鐘の音は
海のどこまで、ひびくやら

捕れた獲物の供養をするのは鯨に限らず日本文化の伝統です。寺の住職に言われたとおり漁師も供養の法会に参列したことでしょう。しかし、詩人みすずは供養の風景の彼方を見ていたのです。彼女のやさしい感受性は、この世で受け入れられることのない子鯨の思いに感情移入して祈らざるを得なかったのです。現実はそうなってはいないけれど、「みんなちがって、みんないい」という世界に「私も生きてみたいなあ」、という祈りです。

2 詩人が生きた現実

詩人みすずは、最後まで、「みんなちがって、みんないい」と言える世界を生きることはありませんでした。最大の悲劇は、恐らく彼女の唯一の救いであった「詩」まで夫によって禁止され、取り上げられたことだったでしょう。「詩」を失うことは、彼女にとって「祈り」を失うことだったに相違ありません。「詩」という「祈りを言葉にする創作の営み」まで禁じられ、恐らくは絶望の果てに、彼女が自らの命を絶っていることは記念館を訪れる者の胸を打つ歴史的事実です。
筆者は、山口大会当日、大会全体の総括評価の担当を仰せつかっておりました。発表された事例の感想を述べたあとに、金子みすずの安易な解釈が教育論を誤った方向に導く恐れがあるという提案をしました。「みんなちがって、みんないい」を引用して、「みんなそれぞれの現状のままで満点なのだ」と断言することはみすずの詩の浅薄な曲解です。彼女は「鈴や小鳥」と同じように「ありのままの自分を受け入れてくれる世界があればどんなにいいだろうか」と祈っているのであって、「今のままの自分でいい」などとは言っていないのです。「大漁」を喜ぶ浜の賑わいの裏側に海の底のイワシの弔いを視ることができるように、鯨の供養をしながらも、鯨を殺さざるを得ない人間世界の裏側で独りぼっちになった子鯨に許しを乞う祈りができるのです。おそらく、詩人みすずは自らの孤独についても祈っていたのだと思います。「みんなちがって、みんないい」は、彼女が体感したあり得ない世界への希求であり、祈りなのです。「現状のままで満点なのだ」というようなことは言っていないのです。詩人みすずの底抜けに明るい、しかし透徹した孤独感を理解することなく、子どもの現状を是認し「君は君のままでいい」というような解釈を導くことは、みすずの文学を論ずる上の誤解です。矢崎講演の解釈を批判する筆者の最終コメントは総括時間の中の3分間ぐらいで触れただけでしたから、「あなたのメッセージは要約の度が過ぎ、抽象的に流れたので、参会者に真意は届いていないよ」、と何人かの方から指摘を受けました。急ぎ過ぎは失敗のもとですね。辛いことでした。

3 「一人」だからこそ「連帯」を希求

もとより筆者も「誰も代わりには生きられない」と主張して来た人間ですから、「あなたに代わり得る存在はない」ということは痛感しています。人間存在の「個体性」こそが筆者の人間論の中核だからです。しかし、存在の個体性とは、生物の実態を観察した結果です。一人ひとりの存在する権利を保障するという法律上の「人権」思想の基盤を為す事実であっても、「人は変わらなくていいんだ」という意味ではありません。
学校教育も、生涯教育も、みんなが頑張って何ものかになろうと努力しているとき、「今のままで満点」という呼びかけはまさに文学の誤った解釈を教育に適用する「毒」以外の何ものでもないのです。未熟な子どもが「そのままでいい筈はない」からです。今「出来ないこと」はいつか近い将来「出来るように」しなければならないのです。今「分からない」ことも、やがて「分かるように」しなければなりません。それが教育の使命、なかんずく学校教育の使命です。

4 再度の挑戦

山口大会の苦い思い出が自分の中でまだ消えていない折りも折り、同県周南市の福祉施設から講演の依頼を頂き、障害者はもちろんその保護者・施設のスタッフ・一般市民に提案する機会を得ました。講演では、従来から筆者が考えて来た「人間とは一人で生きざるを得ない存在」であり、「相互理解は極端に困難」なのだという持論を展開しました。
主催者から頂いたチラシを見たら、筆者の思いとはちがって、主題は「みんなで生きる講演会」、主題を支える副題のスローガンは「みんなちがってみんないい」と書いてありました。おまけにプログラムの最後は、全員の合唱で「世界にひとつだけの花」を歌うことになっていました。筆者も腹をくくって、「独りぼっちだからこそ」「連帯や絆が必要なのだ」と力説し、みんながそれぞれにちがっているとしても、「君は君のままでいい筈はない」と縷々例を挙げて説明しました。われわれ年寄りも、障害を持っているみなさんも今日よりはあす、明日よりは明後日となぜ向上を目指さないのか!人間が生きるということは、最後まで、「今のままでいい筈はない」のだと主張しました。会場からの反応はなく、ホールはしーんと沈黙していました。むきになり過ぎたかな、障害者のみなさんやその保護者の方々に無理なことを申し上げたかなとまたまた不安になる自分を感じていました。
最後の質問は、聴衆のお一人がテレビのコマーシャルを引用して、「あなたはあなたのままでいい」というメッセージは間違いですか、という問いでした。私は、再度腹をくくって質問者にお尋ねしました。「あなたは今のあなたのままでいいとお考えでしょうか?あなたの人生に向上や成長がなくてもいいでしょうか?」
当事者の自助努力や当事者を応援する姿勢や発想を抜きにして、人間の現状を肯定する考えは教育学的に間違いです。特に、子どもの場合には決定的な間違いです、と断言しました。
先日、この施設の施設長さんがご親切に当日のアンケート評価票の結果を送って下さいました。お便りには、当園の歴史的講演会になりました、とありました。心底、ほっとしています。自由記述の評価はほとんどの方が納得して賛成であると言って下さいました。ものの考え方や見方が変わったという感想もありました。向上を目指して、今後の生き方を変えるというお便りもありました。障害者への対応を考え直すというスタッフからのお便りも頂きました。
当日は、私もプログラムの最後に「世界に一つだけの花」をみなさんと一緒に歌いました。自分の花を咲かせるために、「一生懸命に生きればいい」というところだけは声を張り上げて歌いました。

老後の恐怖-一番恐れている「事態」とは何か?

高齢者の集いで何回かお尋ねする機会がありました。加齢の段階で一番の恐怖は何でしょうか?想像するだけでも、死があり、病気があり、災難があり、それも自分のことも家族のことも含めれば老後の恐怖の対象は実に様々です。
そこで思いついて下記のような簡単な調査票を作ってみました。最初に下関の「NPO車椅子レクダンス普及会」理事の永井さんにお願いして小さなパイロット調査をしました。次に、佐賀県唐津市の-唐津市民活動センター「すてっぷ」の講演会の機会を活用して200名近くの方々の本格調査をしました。お尋ねの結果は明らかでした。老後の恐怖の対象はほぼ間違いなく「寝たきり」と「認知症(ぼけ)」に集中するのです。したがって、高齢期の「元気の処方」は如何に寝たきりと認知症を予防するかということに収斂します。処方箋は「読み、書き、体操、ボランティア」です。
恐怖の理由は自分が自分でなくなり、人間が人間の心身の機能を失うということです。拙著『安楽余生やめますか、それとも人間やめますか』の想定は間違っていなかったということです。精神を失い、判断力や意志力を失えば、人間は「ヒト」に戻らざるを得ないのです。誤解されることを恐れますが、命には「あるべき命」と「あるがままの命」の2種類があるのです。「あるべき命」は、生きる目標にこだわり、生きる努力・向上の努力をやめない命です。これに対して「あるがままの命」は、「目標」も「努力」も問うことのできなくなった「生きている」だけの命です。詰まるところみなさんは「あるがままの命」に陥ることを恐怖しているのです。筆者も同じです。自分が考え、自らが理想とする老後を送りたいと希求している以上、心身の自由を失うことは恐怖以外の何ものでもないのです。「寝たきり」と「認知症」は老後の生きる目標も、向上の努力の可能性も完全に打ち砕くことになるのです。
もちろん、老後の養生、精進,自己教育と自己鍛錬の末に「自分」を失うのであれば、それはそれで仕方がありません。人生に仕方のないことはいくらでもあるのです。しかし,「仕方がない」に至るまでにどれだけの努力をしたのか,が問題なのです。高齢期の努力の内容と方法について,己の「判断」と「選択」の意志を持ち続けたか,否かが問われているのです。

2分間アンケート(無記名)
ご自分に関して「老後に一番恐れるもの」は何でしょうか?

生老病死は人間の宿命です。老後は特にいろいろな難儀が重なります。

これまでお尋ねした中では、自分の死に至る前の段階で人々が恐れているものは下記のようなことでした。さて皆様にとって「老後に一番恐れるもの」は何でしょうか?全部が全部恐れるものであることは分かっております。しかし、皆様が現在の日常において、ご自分のことで最も気にかけているものを敢えて一つだけ選ぶとすればどれでしょうか?(   )の中に当てはまるものの番号をお書き下さい。

1 癌、2 独りぼっちの孤独、3 火事、地震、洪水などの災害に巻き込まれること 4 交通事故、5 経済的破綻、6 寝たきりの老衰、7 認知症、 8 生き甲斐がないこと(することがないこと)、9 その他(      )

ご自分の「老後に一番恐れるもの」答:(     )
あなたの年令だけお教え下さい。(       才)
123号§MESSAGE TO AND FROM§

今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

山本洋子様(岡山県笠岡市人権政策課)、ト蔵久子様(鳥取県米子市)、西山香代子様(山口ネットワークエコー)、平野愛子様(山口県連合婦人会)、田中隆子様(下関市ホーモイ)、三瓶晴美様(山口県田布施町 雑学大学)、井口弘子様(福岡県大川市婦人会)、太田政子様(福岡県甘木朝倉女性会議)、小副川ヨシエ様(佐賀市女性の会)、大城節子様(沖縄県連合婦人会)
福岡県みやこ町の「男女共同参画まちづくり委員会」のみなさんと楽しい2年間の社会人ゼミに挑戦しました。私は、1年前に『変わってしまった女と変わりたくない男』(学文社)を上梓しましたが、回りを見渡して女性の社会参画が停滞しているように思いました。女性の能力を活用できない仕組みは、日本国の重大な損失であると思っております。今、為すべきは、女性の社会参画を推進し、少子化を防止し、熟年者の社会的活動のステージを確立することです。しかし、子育ての社会支援システムは、かけ声ばかりでお粗末の極みであり、子どもの発達支援も、女性の社会参画支援も、指導者の確保も出来ていません。にもかかわらず、女性の声も上がらず、女性研究者からの指摘も生温い限りです。民主連立政権は、財源すら定かでない5兆円ものお金を「子ども手当」としてばらまくと言い張ります。多くの親も貰えるものなら貰わにゃ損だというばかりの反応です。何と愚かなことでしょうか!
そうした一方、子育てに国の英知を結集している筈の皇室の「愛子様」ですら不登校問題に苦しんでいることが分かりました。親の慈愛だけに依存した家庭教育の限界に気付かない日本の「風土病」が象徴的に出た事例だと思います。
そんな時、幸い、みやこ町から「男女共同参画まちづくり委員会」の顧問を務める機会を与えられました。共同体が衰退したあとも、田舎の「変わりたくない男」の壁は頑強です。委員会のみなさんには、化石と化した男たちと戦う消耗戦をやめて、しばらく自分たちの勉強に戻りませんか、という意味で男女共同参画ハンドブックの作成を提案してみました。
初めは「いやいや」、途中から「渋々」、真ん中ぐらいで「やむを得ず」、二年目からは形が見え始めて「熱心に」、最後は「いきいき」とゼミが展開したと感じております。
住民のみなさまは何を知りたいだろうかとKJ法の討議を繰り返しました。辿り着いた結論は「自分たちはこんなことを知りたかったのだ」ということでした。図書館に通い、聞き取り調査に出かけ、結果のまとめを発表しました。質疑にも、議論にもすこしずつ慣れました。
担当者を除いて、役場の男たちはこんなものは余計なことだと感じていたことでしょう。決して協力的ではありませんでした。女性委員さんのがんばりを目の当たりにして、女性の社会参画に限らず、自分の人生は、他人や既存のシステムに頼って出来るものではないということを教えてもらいました。時代が変化するのではありません。私たちが時代を変えるのです。楽しい2年間でした。私の任務は一応終わりましたので、これからどうなって行くか、みやこ町の今後を見守りたいと思います。
委員さん方の努力に報いるため、取り敢えず委員会の仕事の価値をお分かりいただけるであろうと感じている女性の皆様に6分冊の成果をお送りいたしました。さて、どんな反応をいただくことになるでしょうか。
*直接お届けする方もいれば、事務局からお送りする方もおられます。万一、届かないようなことがありましたら、ご一報下さい。
*筆者の手元にまだ10セットほど頂いております。組織的にご活用をお考えくださるのであれば、お送りいたします。300円分の切手をお送り下さい。
X市 T. Y. 様

M候補者のリーフレットを確かに頂きました。私には「学童保育」についての政策提言を読みなさい、というご趣旨と理解いたしました。以下は感想です。
選挙戦に関わることですからお名前はすべて匿名といたしました。ご理解下さい。若くして意欲的に政治に挑戦しようとする精神は誠に天晴れと言うべきですが、いかんせん保育問題に関する情報源が偏っていて、貧しいというのが最大の問題です。
1 学童保育は「誰がするか」が問題ではなく,「何をするか」が問題です
学童保育の民営化は駄目だという趣旨ですが、その理由が分かりません。
病院でも,学校給食でも民営で十分できます。問題は「中身」であり,「方法」です。民営にしても政治や行政の指示と監督が「契約」の中できちんと貫徹されていれば何ら問題はありません。ちなみに保育も教育も高齢者の指導参加も学校施設の全面開放も実現している「豊津寺子屋」は豊津の住民による運営です。問題は、「誰がするか」ではなく,「何をするか」なのです。その時、政治の判断は決定的に重要です。豊津の前町長さんに確認してみることをお勧めします。従来の学童保育にそのようなことが出来るでしょうか?
2 子育て支援と男女共同参画時代の最大の課題は、「保教育」の実現です
家族の不安は子どもの健全発達です。子育て支援の目的は、保育と発達支援と女性の社会参画の保障と、高齢者など地域の方々の社会貢献のステージの創造です。現状の子どもは「へなへな」です。解決策は,現状の保育に教育機能を導入して,子どもの発達支援を強化するしかありません。したがって、指導者が不可欠になります。教育活動を展開する施設機能も不可欠です。打開する方法は、高齢指導者の発掘と学校の開放しかないのです。国もようやく自覚して「子ども教室」という保育と子どもの居場所を結合した総合的「保教育構想」を打ち出しました。2年前のことです。しかし、ほとんど実現できておりません。第1の原因は行政の「縦割り」ですが,第2の原因は全国で「学童保育」の指導員が抵抗しているからです。保育にこだわり、教育機能の導入を拒否する現行の「保育」概念や既存の指導者こそが問題の根源なのです。友人の教育長の試算では、現行予算の半分以下で「保教育」は導入できます。有力者や議員を動員して、彼の「保教育構想」に抵抗して来たのは、既得権にこだわり,これまでのやり方を変えたくない学童保育の指導員なのです。全国ほとんど同じです。新しい政治を志す方は既得権にしがみつく抵抗勢力と組んではならないのです。
3 どのような経営形態であろうと「地域の力」を生かすことはできます
M氏の政策提言では、民間委託では「地域の力」は生きないと断定しているようですが,「地域の力」を生かすためには、委託契約に「地域の力」を十分に活用するよう具体的な指示事項を条件として銘記すればいいだけのことです。地域の雇用についても同じです。既得権の上にあぐらをかいて来た従来の「学童保育」より、民間委託の方が契約に基づく明確な評価を貫徹することが可能である事も明らかです。議会の決議に関わった複数の議員さんに判断の理由を確認することも重要なプロセスです。
民間委託に移行することによって「運営リスクの軽減や市民サービスの向上が図れる」と行政当局が言明しているのであれば,それが事実であるか否かを明らかにして市民に公表することこそ新しい政治の使命です。民間委託にした結果,従来に比して「改善」されたことは何か,「改悪」の結果を招いたものは何か,それらを見極めることこそ重要なのです。最初から『「学童保育」民営化に異議あり』というような企業経営をマイナス視点でしか見ない短絡・単眼の発想で政治はできません。このような政策提言をもたらした情報源を再点検することが不可欠であり、若い志ある政治家のために心から惜しむものです。
123号お知らせ
第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会

日時:2010年5月15日(土)10時-16日(日)12時まで
(14日は前夜祭交流)
場所/問い合せ先:福岡県立社会教育総合センター(福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2、-092-947-3511。E-mail:mail@fsgpref.fukuoka.jp)
内容:各県の事例発表28、特別企画:リレーインタビュー「子育て支援」、「社会復帰のカウンセリング」、「市民参画のまちづくり」、「学校と企業の連携」などを予定しています。

第100回記念生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年6月12日(土)13-17時
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
発表者;100回記念特別企画をセンター事務局が構想中です。
終了後センターにおいて交流会を計画しております。
123号編集後記
子どもには世間が必要なのに

守役やご養育係に子どもの「鍛錬」を任せるという発想は、日本の支配階級が「帝王学」の伝授の必要から生み出した子育ての原則です。子どもには親の慈愛が不可欠であると同時に世間による社会生活の予行演習もまた不可欠であるという社会的自覚が存在していたからです。庶民もまたそれに倣って「子やらい」や「ひとなし」と呼ばれる地域における「集団子育て」の形態を発明しました。
子どもを「宝」とする我が国の風土においては、まさしく親の保護と子どもの親依存が決定的に、ある意味では病的に強くなります。子離れも、親離れも難しくなるのは日本文化の「風土病」です。それゆえ、この国の指導者階層は、昔から可愛い我が子を「守役」(世間)に預けて鍛錬することの重要性を自覚していたのです。守役は他人ですから、意識すると否とに関わらず、子どもには「甘え」が許されず、世間を体験させることになるのです。親の慈愛だけで育ち、世間に接していない子どもは必ず依存的で、対人関係の耐性が脆弱になります。親がどれほど自覚的に「鍛錬」を導入して育てたつもりでも「泣く子には勝てない」という古来日本の発想は正しいのです。日本の親は肝心のところで必ず子どもに甘く、その要求を入れる結果になります。子どもは、当然、親のところに帰れば安泰であると思うようになるのです。「一人前」とは世間で生きることであり、世間で生きるということは親の元には逃げ帰らないということを意味します。
天皇家の「愛子様」の不登校問題は戦後日本の教育の失敗と子育て問題の象徴であり、教訓でもあります。戦後教育の風潮に倣って、天皇家もまた守役のトレーニングより親の愛が多くなり過ぎたに相違ありません。親の慈愛が多すぎるということは、子どもが世間に接する機会をそれだけ失うことになります。子どもは親の手で育てることが一番いいという考えは、戦後教育の「迷信」です。子どもには、親に甘えるようには甘えることのできない世間との接触が不可欠であるのに、親の慈愛だけで真っ当な一人前が育つと考えるところに重大な落し穴があります。他者との距離や他人の冷たさに対する耐性が育っていないとき、子どもは世間で生きることができなくなります。解決法はたった一つです。泣こうが喚こうが親から離して、逃げ帰ることを許さぬ、信頼できる守役(他人)に任せて、厳しくて、しかも、親とはちがったやさしさの中で、他の子どもたちと一緒に合宿をさせれば直ります。天皇家であるが故にこそ「愛子様」の不登校を解決できなければ、日本の大問題に発展することを恐れます。

親を処罰の対象にするか!?

執筆の途中で、幼い小学生が年寄りの女性ばかりを狙って、不意を襲って持ち物を奪ったり、突き飛ばしたりして怪我をさせたというニュースを耳にしました。90歳のおばあちゃんが突き飛ばされて怪我をされたということでした。こうした子どもは、獣が獲物を狙うように、意図的で、計画的です。親はしつけを完全に放棄している親で、親になったこと自体が間違いなのです。肉体的に弱い年寄りや女性ばかりを意図的に狙って繰り返される幼い子どもの犯罪は「弱肉強食」のジャングルの原理であって、通常の人間社会では想定していないことです。それゆえ、現行の法律には処罰の規定すらありません。法的に処罰の出来ない幼い子どもはやむを得ず「児童相談所」送りになったということでした。子どもの権利を声高に語り、その人権をもてはやす時代に「児童相談所」もまた何もできないことは明らかです。被害者は不運であったと言われるだけで、今回もその人権は保障されないことになるのでしょう。
幼少年に対して、意図的にしつけを放棄していることは、親の「無知」と「無責任」というだけでは済まないものがあります。しつけや社会化を経ていない人間は、霊長類ヒト科の動物に過ぎません。人間としての基本トレーニングを受けていない「ヒト科の動物」を社会に放し飼いにすることは、犯罪と同等の、親が責任を負うべき反社会的な教育公害です。被害者の老女のみなさんは誰に償いを求めればいいのでしょうか?
霊長類ヒト科の動物として生まれて来る子どもは、しつけと教育によって初めて人間になります。幼いが故に、少年に罪がないとすれば、彼らを育てている親に罪があります。ジャングルの獣のように弱い人間だけを狙って物理的に襲うような子どもを育てている親を「反社会的子育ての罪」で処罰する法律が必要な時代が来ることを恐れます。