「風の便り 」(第157号)

発行日:平成25年1月
発行者 三浦清一郎

2013年の新年号をお届けします。衰え行く心身の機能に現場の「負荷」をかけながら書いて参ります。今年1年、どうぞよろしくご鞭撻ください。

「人生」を跳んでいるのです
 
1 技術を教えているのではありません。挑戦を教えているのです。

 自分の背丈よりも高い8段の跳び箱に向かって行く子どもは、跳び箱を跳んでいるのではありません。人生を跳ぼうとしているのです。
 体育の専門家は跳び箱を跳ばそうとして、技術を教えます。小生は「人生」を跳ばしているのです。体育の専門家は、踏み板の使い方や、手をつく場所などを懇切丁寧に教えようとしますが、技術やコツを教えるだけでは、怖がっている子どもは跳べません。彼らに欠けているのは、勇気と挑戦のスピリットだからです。
 ただただ怒鳴って、褒めて、手を叩いて喜んでいるだけの小生の教え方に専門家はご不満と聞こえてきます。しかし、専門家はどこまで子どもたちを跳ばすことが出来るでしょうか!?

2 なぜ「プロ」では出来なかったのか?

 鹿児島県志布志市にあるヨコミネ式の伊崎田保育園を見せていただいた時の矢野園長さんの言葉が蘇ります。「プロを入れたら、音楽も体育もすべてうまく行かなかったのです」。「子どもたちが何をどこまでやれるのか、やりたいのか、私たち自身が見極めようとした時、できるようになったのです」。「子どもたちが向かって行かなければ、何も出来るようにはなりません」。そのためには、指導者が向かって行かなければ、子どもも出来るようにはならないのです。
 伊崎田保育園の指導は、矢野園長さんの「殺気」で持っていると理解しました。彼女はいわゆる教育の経験者ではありません。元々は「給食のおばさん」でした、と言ってお笑いになります。他の指導員と決定的に違ったのはその気迫でした。彼女の指揮の下で、子どもはあらゆる課題に向かって行くのです。1年近く、「井関」の指導をしてみて分かったことは、脱落して行く子どもの親は、「知識・技術」と「挑戦の精神」の違いの一点が分からないのです。おそらくプロも同じで、知識や技術だけを教えようとするのです。多くの保護者が、塾や習い事で知識・技術を身に付ければ、人生の力が付くかのように勘違いしています。それ故、学童の指導員を信用して任せてはいません。「お守り」だけの現状から見れば、無理もないことではあるのですが・・・・。
 学校の職員会議のある日は、一斉下校ですが、かえって子どもの数が少ないのは保護者が塾や習い事に行かせて、保育の欠けがちなところを「自衛」しているからです。
 しかし、跳び箱が跳べても、漢字が書けても、その他の習い事が多少上達しても、それだけで人生の力が付いたことにはなりません。

3 最大の関門は自律と挑戦の精神です

 自律と挑戦の精神は目に見えないので、指導員ですら子どもの変化に気がつかない場合が多いのです。集中力や根性も同じです。
 学校で多少の悪口を言われただけで不登校になったり、試験で多少の失敗をして泣きじゃくったり、現代の子どもには「意気地なし」が沢山います。
 しかし、「人生」を跳ばせることに慣れてくれば、「意気」を体得します。我々指導者は、「その意気だ!」、「行け!」と叫び続けます。
 「井関」で難関に向かって行く気力を学んだ子どもは叱声にめげず、失敗にめげません。泣きながら向かって行くうちに、跳び箱も漢字もどこかでコツをつかみます。何人もの1・2年生がそのようにして、4段を跳び、5段を跳び、6段を跳ぶようになりました。まれに7段を跳ぶ子どももいますが、その子は、特別に優れた資質の持ち主なのでしょう。
 しかし、優れた彼らも、見上げるような8段は跳べません。おそらく、物理的に筋肉や関節その他の運動能力の発達段階を考慮すれば、7段を跳ぶことも大部分の1年生には無理でしょう。
 しかし、小生は8段を跳べと叫びます。2学期の終わり頃から、挑戦しない子どもがいなくなりました。
背の高い5・6年生の二人が8段を跳んで、下級生の憧れのまなざしを浴びて誇らしげでした。
 8段の練習をしばらく続けて、全員が跳び箱に跨ったり、しがみつくようになったら、一気に6段に下げます。すると、それまで6段がどうしても跳べなった子どもの何人かが跳べるようになります。比較の問題なのでしょうが、8段に比べれば6段はずっと低く見えるのでしょう。難しい課題を恐れなくなれば、それ以下の課題には恐怖もためらいもなくなるのだと思います。
 それでも一人一人に練習させ、一人一人を跳ばせている間は、泣き泣きがんばってもなかなか上達しませんでした。

4 「連続跳び」の奇跡-「目標」を会得し、「恐怖」を克服できれば先へ進めます

 ある日、ある時、上級生に後ろから追われて、必死の形相になった1年生を見ました。その時です。跳び箱に「朗唱」や「子ども講談」のような「集団の圧力」や「同調意識」を応用できないかと気づきました。
 それが集団による「連続跳び」です。これまで丁寧にやって来た個人指導とは全く逆のアプローチです。
 ランニングとストレッチで十分身体をほぐした後、学年に関係なく、子どもたちを一列縦隊で並ばせ、まえの子どもの背中を追うように、お互いの距離を詰めて連続して跳び箱に向かわせました。もたもたしていたら次の子どもが上から降ってきます。
 考える余裕も、ためらう暇も、息もつかせぬ「連続跳び」です。左から5段、6段、6段、7段を交互に向きを変えて置き、5段から相互の間隔を詰め、後ろから追いかけるように、連続して跳ばせます。5段を跳んだら一転して、6段を跳び、さらに一転して、次の6段を跳びます。最後は、巨大な7段に向かって行きます。連続3周も回すとさすがの子どもたちも「休め」で、体育館の床に仰向けに寝転がって休みます。
 一人ずつのときは跨がってしまう子や、マットの上に転がって「痛い」だの「打った」だのとぐずぐず言いながら起き上がってくる子どもが多いのですが、「連続跳び」では、次々と後ろから追われるので、気持ちの上でぐずぐずすることが許されません。子どもはそれが分かっています。次の子どもが上から振ってくるからです。
 小生は、「じゃまだ!」、「次が来るぞ!」、「さっさとどけ!」、「速く降りろ!」と怒鳴り続けます。無事に跳んだ子どもも大慌てでマットを駆け下ります。
 誠に不思議なことですが、跳べなかった子どもが後ろから追われるプレッシャーで、ためらいや恐怖を覚える暇もなく、跳び越えて行きます。何度指導しても出来なかった子どもがいとも簡単に跳び、さらに、何人もが一段上のレベルも跳びました。
 「子どもの個性を尊重し」、「一人一人に寄り添った教育」などの論議を一笑に付して来た小生も、跳び箱は個別に指導する個人技だと思っていました。不覚でした。そうではありませんでした。子どもたちの跳び箱は、子ども集団が跳ばせているのです。換言すれば、人生の火事場力が跳ばせているのです。
 勝ち抜き戦にして、跳ぶことに失敗したものを失格させて行くとさらに効果が上がりました。勝ち残ったものが全員の拍手を浴びて鼻をうごめかしている得意顔は至福の風景でした。
 2学期は我々指導者も勘違いして、子どもの花道を跳び箱に設定し、一人一人が片手を上げ、自分の名を大きな声で名乗ってから、跳ばせました。
 それぞれの挑戦に、子どもも保護者の皆さんも大いに張り切って喜んだのですが、連続跳びに比べればレベルは遠く及びません。最後の発表会では、「個人」を見せないで、「集団」を見せるベきだという結論に至りました。ようやく「朗唱」などと同じ結論に達したのです。以後、子どもたちの漢字練習も、カルタ取りも一気に雰囲気が変わりました。彼らもまたどこかで「連帯」の魔法を感じているだと思います。

5 「秀吉」の自覚-集団の自覚と協力こそ個人の力も集団の力も越えさせる

 若き日の「秀吉」が、槍の長短の是非を証明するため、主君「信長」の面前で、二手に分けた足軽の試合をさせられたことがありました。片方のチームは槍の師範が特訓した足軽たちです。それゆえ、個人技は秀吉チームの足軽たちよりレベルは上だったことでしょう。しかし、秀吉は、自分のチームの足軽たちにごちそうを与え、酒を飲ませて、元気づけ、一斉に「声を上げ」、一斉に「前に進み」、一斉に「突き」、一斉に「叩く」集団運動だけを訓練しました。
 秀吉チームが圧勝したことは言うまでもありません。人生のあらゆる課題、あらゆる戦いは、個人戦だと錯覚しがちですが、仲間が団結できれば解決し、勝つことが出来るものも多いのです。仲間が結束すれば、一人では出来ないことが出来るのです。3学期には跳び箱の「連続跳び」をご披露したいと思っております。

生涯現役発想を回転させる仕組み

 福岡県中小企業経営者協会が付設する機関に「福岡県高齢者能力活用センター」があります。設立15年にあたって、小生が記念誌にのせる座談会の司会を仰せつかりました。テーマは「生涯現役」で「輝いて生きる」ということでした。登壇者に高齢者の現状診断を示すことも司会者の役目ということで、従来考えて来たことを整理して小論にまとめてみました。

1 「現役」-「予備役」-「退役」と分ければ筆者は「予備役」

 「現役」の概念については、日本の参考書を読んでみても、なかなか思ったような説明が見つからず困っていました。しかし、英語の辞書を引いてみて答えが見つかりました。軍隊用語としての「現役」概念が最も分かりやすくて明快でした。現役の説明は「現に役割がある」とか、「現在役についている」ということで間違いはないのですが、それでは高齢社会の「マイペース・とびとび現役」は実質的に「常勤現役」ではあり得なくなります。職業上も、「定年後」の「現役」というのは機能の上では可能でも、制度の上では言語矛盾に陥ります。現役の反対語は何でしょうか?引退し、隠居したあとに世の中の活動に参加している状態はなんと呼ぶべきなのか。生涯現役と定年の関係はどうなるのかなど自分自身に説明できない問題が残りました。
 ところが、英語の辞書が示す反対語は明快でした。「現役」の反語は「退役」でした。英語では「ベテラン(退役軍人)」です。中間に「予備役」という概念もありました。「予備役」であれば、現在の自分の状況もうまく説明がつきます。筆者は定職についている訳ではなく、とっくに定年年齢も過ぎましたが、いつでも「現役」に復帰する訓練は続行中です。
 筆者の仕事は、必要に応じて必要な場所で与えられた機能を果たす、ということです。このように活動・任務において、機能の上で、臨機応変を要求される非常勤・半常勤の役目は警察なら「機動隊」、軍隊なら「機動部隊」になります。通常の彼らは筆者と同じように「出動」に備えて自らの訓練を続行しています。一般組織の中では、時に「タスク・フォース(課題別特別対応チーム)」と呼ばれます。「タスク」は「課題、「特別」は「臨時」、「フォ-ス」は「部隊とか力」の意味です。それゆえ、課題が解決できた暁には、「タスク・フォース」は解散します。
 小生は常勤ではないので、軍隊でいうと「予備役」になります。訓練次第で要請があれば、必要に応じて個別の作戦に従った戦線に投じられる戦力です。戦線では、時に他のメンバーと協力してシンポジュームのような「タスク・フォース」の一員になります。訓練が不十分で、しかも必要とされなければ、予備役は予備役にとどまり、現役にはなれません。「タスク・フォース」にも加えてもらえません。現在の小生と同じです。

2 方法論の多様性

 生涯現役は「時間」の概念であり、「機能や役割」の概念であり、「定期」/「不定期」が混在し、「就労」と「ボランティアの社会的サービス」が混合された概念です。
 「生涯を通して」という時は、「時間」を問題にしています。「人生経験を生かして」という時は、「機能」や「役割」が問われます。また、高齢社会における高齢者の現役論は、一部自営業などの例外を除いて、常勤ではあり得ず、「不定期」であり、時に就労、時にボランティアとしての社会サービスを意味します。
登壇者のご意見を聞いていたら、生涯現役の生き方が多様であることがよく分かりました。
 年商40億円を超える企業の社長さんの座右の銘は、「己に定年を課すな」ということでした。「まだまだやりたいことがある」ということが現役の証だと感じました。口癖は「まだ、まだ」、「ゆっくりするな」と言って世界を飛び回っていらっしゃいました。農業で起業をした女性実業家は、「準備が先だ」という人々を、一言で「充電は停電になる」と切って捨てられました。「農業に定年はない」ということは、「自然に定年がない」ということだという趣旨のことを指摘され、我が意を得たりの感がしました。「働いている人」は「健康」です。「健康」は「働くこと」の中にあるのです。これも同感でした。一人で生きられた筈はありません」-「高齢者の人生の後始末は「感謝」の表し方できまります」。定年によって職業生活が許されないのであれば、感謝はボランティアで示すしかないでしょう。これも同感でした。様々な生涯現役の方法があるのです。

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

宮崎県宮崎市 飛田 洋 様
 色々ありましたが、「人生の問題集」を解くとは言い得て妙ですね。振り返ってみれば、小生の感慨も一言で表すとおっしゃる通りになるような気がします。高齢者の最後は「実力テスト」です。それにしても、この度のご栄転はまさに快哉。最後に笑う者は、真に笑う者です。誠に、誠に嬉しいニュースでした。

北九州市 上原浩二 様
「ケヤキボールペン」は傍らのランプに吊り下げて、日々使わせてもらっています。名入りとは豪儀なものです。いよいよ2013年に向かってスタートです。年末年始の冬ごもり、一人暮らしのつれづれにYouTUbeの活用を覚えました。『青葉の笛』を聞いていたら、薩摩の守忠度が歌の師の藤原俊成に託し、死に際まで「えびら」に結んでいたという歌を知りました。『行き暮れて木の下陰を宿とせば、花や今宵の主ならまし』。小生も、今や花が主、春に備えて庭の手入れを始めています。

北九州市 植田武志 様

 3/2(土)の発表会は大島先生の頑張りと「特別研究費」の成果が問われます。新幼稚園長を連れてご検分ください。

沖縄県南城市 高嶺朝勇 様

 拙論の一部といえども、教育行政の責任者にご賛同いただき誠に励みになりました。いっそうの精進、いっそうの研究に心がけ、いつ社会の招集が来たとしても老いた「予備役」として対応できるよう鍛錬を続けたいと思います。うつくしい「久高島」の絵はがき写真ならびに「山村留学事業」のご紹介をありがとうございました。
 しかし、この国の国土の均衡発展を保証し、過疎問題を解決するためには、個別の「山村留学事業」では出来ないと思います。国の施策として、必ず一定期間は、都会の子どもを田舎の学校で学ばせる「セカンドスクール」構想が不可欠であると思います。憲法が保証する居住の自由を侵すことなく、過疎地に移動人口を定期的に流入させ、雇用能力を創出し、定住者を確保するためには、義務教育の構造改革をして、日本の子どもを自然豊かなところで鍛え直すという小学校教育の抜本的改革と転換が必要だと考えております。「子ども手当」の金や高校授業料無償化の予算を当てれば、過疎問題の解決を図り、子どもを過保護な環境から引き離して、「可愛い子には旅」、「子ども宿」、「他人の飯」などの伝統的知恵に学び、親の貧富に関わりない義務教育における公平な教育環境を創造することが出来る筈だと常々政治家やその周りにいる学者の発想の貧困を嘆いております。

山口県田布施町 三瓶晴美 様

 外泊が出来るようになり、お元気に向かっているお便り、なによりの安堵をもって読みました。今だからこそ、井関の子どもたちの生命力をあなたに見ていただきたいとつくづく思います。子どもたちにとってもそうだったでしょうが、この1年は小生にとって戦いでした。壁は、日本中を覆っている「児童中心主義」です。しかし、彼らの成長を願い、諦めずに教え続ける断固たる意志を示せば、子どもの生命力は、怒鳴っても、叱っても、競って伸びようとします。その躍動を見ていただきたいと思います。3月の体育館はまだ寒いのですが、万全を期してお招きできればと念じております。

匿名の読者 様

 行き届いた心配りの品々とお便り誠にありがとうございました。小生もこの1年は、人生の最後を締める準備に当てたいと考えております。いろいろやって来たつもりでも振り返るとまだまだ整理しなければならないことが多いことに気付かされます。カルタには「発つ鳥の後を濁さず,われもまた、捨つべきを捨て、断つべきを断つ」と書きました。お目にかかる機会を楽しみにしております。

過分の印刷・郵送料を頂戴し誠にありがとうございました。

福岡県宗像市 田原敏美 様
〃筑後市  江里口 充 様
宮崎県宮崎市 飛田 洋 様
福岡市 菊川律子 様
福岡県岡垣町 神谷 剛 様
北海道札幌市 水谷紀子 様
沖縄県南城市 高嶺朝勇 様
大分県日田市 財津敬二郎 様
福岡県宗像市 古野 浩 様
〃  〃   大島まな 様
山口県長門市 藤田千勢 様
大分県別府市 藤本律子 様
福岡県小郡市 飯田淳子 様
山口県下関市 永井丹穂子 様
大分県日田市 安心院光義 様
千葉県印西市 鈴木和江 様
北九州市 植田武志 様
山口県田布施町 三瓶晴美 様
福岡県久留米市 鈴木たみ子 様
福岡県飯塚市 森本精造 様
匿名の読者 様

お知らせ
1 第8回人づくり・地域づくりフォーラムin山口

日時:平成25年2月16日(土)-17日(日)
会場:山口県セミナーパーク(山口市秋穂二島1062、-083-987-1730)
事例発表:全国から24事例
記念講演:自分を最大に生かす方法、書道家、武田双雲
パネルディスカッション:「地域の教育力を高めるための典型・ネットワークのあり方」-森本精造、森田和康、左京泰明、司会三浦清一郎

2 「学童保育に教育プログラムを入れると子どもの何が変わるのか?」-山口市「井関元気塾」平成24年度最終発表会

日時:平成25年3月2日(土)10:00-12:00
場所:山口市立井関小学校体育館(防寒準備にご注意!!)
資料代:100円
申し込み:所属・氏名を添えて事前申し込みが必要です。準備の都合上、当日参加はご遠慮下さい。
申込先:〒754-1277 山口市阿知須1639番地
井関小学校内「井関にこにこクラブ」
電話/Fax:0836-65-1570(14:00以降にお願いします。)
定員:会場の都合により先着100名で閉め切らせていただきます。
発表会終了後、指導員を囲んだ「茶話会」を準備します。(参加費:300円)

3 第128回生涯教育まちづくりフォーラムin大分(地域発「活力・発展・安心」デザイン実践研究交流会

1 期  日  平成25年2月23日(土)-24日(日) 15:00~17:00
2 会  場  梅園の里:国東市安岐町富清2244、-0978-64-6300
3 大会テーマ:子どもを育て、子どもが活躍するまちづくり
4 基調報告「教育の恊働とコーディネートシステム」

5 基調提案「国東市の『協育』ネットワークの動向(仮称)」国東市教育委員会

6 実践事例発表:10事例
7 特別講演:三浦清一郎

8  問い合わせ・申し込み先

(1)東国東地域デザイン会議事務局・冨永六男
TEL 0978-65-0396
FAX 0978-65-0399
 住所:〒873-0355 国東市安岐町糸永2323

(2)大分大学高等教育開発センター・中川忠宣
TEL/FAX 097-554-6027
(教育支援課)TEL/554-7641 FAX/554-7445

編集後記 身辺、日々悩ましきこと多し

1 うらやましき事
 座談会で弁当が出た。小生の噛めぬものに沢庵、たこの酢の物、ピーナッツみそ。日本はまだシルバー弁当に気づいていない。

老人が音立てて沢庵を噛み居たり、
うらやましきか
箸止めて聞く

2 あさましき事
 散髪の帰りに寿司屋まで歩いた。久々の外出である。昔は街で知り合いに遭遇する事も多かったが、今や「無用人」に気を留める者はいない。

妙齢の会釈やさしく
胸弾む
あさましきかな影に人あり

3 切なき事
 犬も親子で気性が違う。レックスは自由奔放な若者。カイザーは忠義一徹の頑固者。生きるも一緒、死ぬるも一緒の心意気。「待て」と言わなきゃ便所の中まで付いてくる。

原稿に没頭したり
真夜中に
三つ指のままカイザー控え

4 嬉しき事
 風邪を押して二日続きの講演をこなした。我が家にたどり着いた。一人暮らしは家に灯りがない。手探りでカギを開けて、「今、帰ったぞ」と犬たちに叫ぶ。気がついたら、ドアに差し入れの袋が下がっていて、走り書きの見舞いのメモがあった。やさしさが心にしみる。

帰り来て門扉にやさし
差し入れの
心づくしの文見る夕べ

5 励むべきこと
 目と歯は小生の泣き所。右目は半分盲いて見えず、歯はすべて玉砕。最近は「入れ歯」と言わずに「デンチュア」と言う。宣伝用語は「スマイルデンチュア」。長年世話になっている女性歯科医の勧めで弱った歯を抜いてデンチュアにした。男ぶりが上がったと彼女は言うが、「スマイル」の気休めに違いない。同年だから小生は彼女の廃業が心配である。小生に注文が来る限り、彼女も開業して頑張ると言う。励みにして頑張らねばならない。

同年の歯医者笑いぬ
なれ廃業となるまでは
スマイルデンチュアで客を呼べと

6 心のどけきこと
 私は執筆と土いじりの組み合わせが好きである。書けない時も、草花が呼んでいると思う時も、日がな一日庭にいる。植物は教育以上に結果がすぐ出ない。一生懸命世話した事を忘れた頃に花が咲く。今咲いているのは、ガーデンシクラメン、鳳仙花、金魚草、撫子、春になると山吹、初夏には、あじさい、こでまり、ばらなどが楽しみである。1年中花を切らさないジェラニュームには敬礼して敬意を表している。

晩秋の風の中にて植え替えぬ
霜の朝陽に咲きそろいたり

7 やせ我慢の寝正月
 世の中から一歩引けば、騒音はなく、誘わなければ断られる悲哀はなく、待たなければ待たされる憂いもなく、期待しなければ失望の心配もなく、欲を限定すれば、耐える事も少なく、目標を低くすれば、焦りもない。遅まきながら、この年になって、ようやく、ほんの少し「足るを知る」を理解するか!?

やせがまん、がまんではなく、やせがまん
誘う人来る人もなき寝正月