「風の便り 」(第159号)

発行日:平成25年3月
発行者: 三浦清一郎

 習うより慣れろ

 子どもの言語習得過程を見れば明らかなように、言葉を覚える原則は「習うより慣れろ」です。その他の事にも「習うこと」より「慣れること」が「先」であるという教育学上の原則は様々に適用が可能です。この一年関わって来た山口の学童クラブの経験の中でも、跳び箱や朗唱はまさしく「習うより慣れろ」の原則が生きた場面でした。自分の中の感触が薄れないうちに、3学期の「漢字指導」の小事件を素材として学校教育の「細部拘泥型」、「硬直的」、「非効率的」な指導発想に対する疑問を文章化しておきたいと思いました。

1 役に立たなかった英語

 小生には中学校以来の英語教育(学習)の苦い経験があります。「苦さ」の中身は、「細部にこだわって」、「硬直的」、「非効率的」な勉強の仕方です。結果的に、アメリカの大学の教室に坐ったとき、小生が習った英語はほとんど役に立ちませんでした。「ノイローゼになって送り返されるか」、「慣れて突破するか」、きわどい数ヶ月の苦闘の中で耳が英語に慣れ、口が英語の短文に慣れ、読む事が少しずつ速くなり、辞書で確かめながら英語が書けるようになりました。幸い日本人は一人もキャンパスに存在せず、日本語に逃げることもできない「最善!(最悪)」の状況でした。
 あれから40年以上経ちました。小生は今、この時の苦い経験を生かして英語の指導をしています。原則は、多少の間違いや不正確さはあってもとにかく徹底して反復して「聞く・話す・読む英語」に「慣れる事」を重視しています。換言すれば、「丸ごとの英語」に慣れる事を繰り返す指導法です。
 「ここはinがいいでしょうか、それともatでしょうか?」などと質問する生徒さんには「そんなアホなことはどっちでもいい、細部にこだわらずしゃべり続けなさい」と怒鳴って答えます。大部分の人は、中学3年間、高校3年間、また半分以上の人は、その上に大学2年間英語を勉強します。相変わらずの受験対応型学校教育英語が続いて、まだ日本人は英語がしゃべれません。「読み書きはなんとか」などと弁解する自己欺瞞の人もいますが、日本人の英語の読み、書きも誠にお粗末なものです。
 要するに膨大な時間とエネルギーを注いだ英語教育は「結果」を出していないという事です。

2 漢字学習

 学生時代、学費を稼ぐために子どもの集団家庭教師をした事があります。今の塾のはしりのような事です。その時、小学生が几帳面に漢字をノートに写しているのを見ました。自分も最初はそうした書写によって覚えるよう教えられた事を思い出しました。誠に愚かで、非効率的な学習法です。大学生になって部首索引を改めて見直し、なぜ「へん」と「つくり」を使った教え方をしないのか、と疑問に思っていました。そこで自分が引き受けた子どもたちには徹底して「へん」と「つくり」を教え、漢字の構成原理を「口頭の即答ゲーム」にして毎日繰り返しました。「いとへん」に「ふゆ」は何か、「あめかんむり」に「田んぼ」は何と読むか、という具合です。子どもはあっという間に小学校漢字を越えて、日常の漢字を習得して行きました。
 この1年通った「井関学童クラブ」の子どもも漢字学習は相変わらずの書写でした。一字一字を取り出して、几帳面にノートに写しています。まじめな子どもほど時間がかかります。面白そうにやっている子どもは皆無です。誠に残酷で、非能率的な勉強法です。延々と時間を費やしても、写す事だけに熱中している子どもは、覚える事が手薄になり、練習ノートがいくら増えても漢字はろくに覚えていません。
 学童クラブに来るほとんどの子どもは、漢字の成り立ちについて全く無知でした。勉学の習慣のついていない中高学年生の中には面倒な漢字学習を投げてしまっている者もいました。

3 一字一字の「書き順」への拘泥

 漢字の指導においては「原理」が先か、「慣れること」が先か、正確な事は自分でも分からないところがあります。今回初めて漢字の本格指導に取り組みました。3学期は短く、教材づくりが間に合わなかったので、結果的に「慣れること」を先行させました。暗唱している「長州ファイブ」の物語(幕末に密航した長州の5人の若者の物語)の中の漢字の練習から始めたのです。朗唱と書写を同時に進行させて、漢字はこんなに沢山あるのだという事に「慣れること」から始めたのです。一方、小生は暮れから正月の休みを返上して同時並行的に「へんとつくり」の教材を創りました。
 この間、子どもたちは「書写」に悪戦苦闘していました。この時、「書き順」が「めちゃくちゃ」だが、どうするのか、という声がどこかから上がりました。おそらく、教育熱心な保護者の誰かでしょう。指導員の中にも「書き順」にこだわる者がいました。英文法の細部にこだわる人々と同じ細部拘泥型の指導です。鉛筆なめなめ、文法的に正しい一文が書けたとしても英語が話せないように、一字一字の「書き順」を正しく書けても漢字の森は征服できず、まして文章など書けるようにはならないのです。しかも、「書き順」(*)は、下記注解の通り、「唯一、絶対のもの」ではないのです。

昭和33年に当時の文部省から「筆順指導の手びき」が示された。この「筆順指導の手びき」(文部省編)は教育漢字881字について学習指導上に混乱を来たすことのないよう筆順をできるだけ統一する目的をもって作成された。なお、漢字の筆順は1字につき1つとは限らず、広く用いられる筆順が2つ以上ある漢字もある。「手びき」には、本書に示される筆順は、学習指導上に混乱を来たさないようにとの配慮から定められたものであって、そのことは、ここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない。― 「筆順指導の手びき」(1958年(昭和33年))「1.本書のねらい」より(ウキペディア)

4 「へん」と「つくり」で書き順の原則は教える事ができる

 本格的に漢字指導に取り組み始め、小生は、学生時代に自分が教えた子どもたちを思い出しました。「書写」の「非効率性」を正すためには、徹底して漢字の成り立ちの原理を教えるところに戻ろうと決心しました。
 「書き順」について疑問が出されたときも、指導員の皆さんには、今は「慣らし」の時期だから「書き順」は無視していい、と言いました。「へん」と「つくり」を教え始めれば、「書き順」も自然に覚えるから「だいじょうぶだ」と答えていました。冬休みに教材が完成し、「へん」と「つくり」の「原理」を教え始めました。「書き順」については、ごく大ざっぱに、「横線」は「左から右へ」、「縦線」は「上から下へ」、と教え、「棒」については、「はねる」、「とめる」、「はらう」などの基本原則だけを教えました。それでも「書き順」にこだわる非難の声は収まらなかったのでしょう。とうとうある日、主任指導員が校長室に呼ばれ、学童クラブの指導で「間違った書き順」が「固定しないように」と注意を受けたようです。「ようです」と書いたのは、小生が怒るのを恐れて、学校からの「注意」の詳細を言わないので未だに事の真相はよく分からないということです。保護者か教員の誰かから非難の「文句」が出て、その声が校長室に届き、校長が事態を荒立てないように「問題になっているよ」と主任指導員に告げるということになったという事でしょう。指導員はみんな、小生の指導に「ついて行きます」と言ってはいましたが、主任が校長室へ呼ばれたので不安は増幅されたのでしょう。小生が「いちいち細部の筆順にこだわるな」と力説する打ち合わせの席でも、多くの指導員は下を向いていました。学校の異議申し立ての前に、彼女たちが「揺れる」のもやむを得ぬ事でしょう。指導員用に指導のシナリオもつくったのですが、当然、彼女たちは「へんとつくり」の指導をやりません。「発表会の指導はあなたにやってもらいたい」というのを聞くに至っては怒りが爆発しそうでした。しかし、今回の学童の研究指導の責任者は教え子の准教授ですから井関を放り出すことはできませんでした。

5 保護者も学校も木を見て森を見ない

 「木を見て、森を見ない!」。またまた、英語教育と同じ過ちを繰り返すのか!冬休みを返上して教材をつくったこともあって、報われぬ思いと理解されない怒りが小生を鷲掴みにしました。学校教育の、あるいはその学校教育で育った保護者の「細部拘泥型」、「硬直的」、「非効率的」な指導発想か!と怒りでキリキリと胃が痛みました。
 指導員に対しても「分からないのであれば、勝手にすればいい」とほとんど「投げた思い」になりました。しかし、偶然、編集後記に書いたように、「今お前が建てている家は、明日、自分が住む家だぞ」という英語教材に出会ったのです。英語教材の衝撃で心を入れ替えました。
 「分からず屋がいろいろ言っても手抜きはしない」、「分からないのなら自分でやって分かるように見せる」と決めました。それ以後は、率先し、全力で「へんとつくり」を教えました。子どもは昔の子どもと同じでした。一年生から6年生まで、小生が工夫した「漢字成り立ちクイズ」の「遊び」に食いつき、熱中し、効果は抜群でした。

月はにくづき人間の身体、
月に同じで胴(どう)となり、月に寸なら肘(ひじ)になる、
月に几(つくえ)は肌(はだ)になり、月に市なら肺(はい)になる

 子どもがどんどん難しい漢字を習得して行くので、ようやく指導員も「原理を教える事」の意味を理解したように見えました。彼女たちもまた学校教育の「落し子」ですから、理解に時間がかかるのは仕方のない事だったのでしょう。指導員もまた、漢字ゲームの進行を見聞しながら、子どもと一緒に漢字の成り立ちを理解して行ったのではないかと思います。
 子どもたちは、書き順の原則を覚え、何より「漢字チャンピョン」と名付けた「書き取り」と「読み」の即答ゲームに熱中し、数多くの漢字の「よみ」も「書き方」も空で言えるようになりました。この方法を使えば、1年生でもあと2ヶ月もあれば、小学校の漢字すべてを覚えさせる事ができたでしょう。

やだね、「しかばね(尸)」、死んだら「屍(かばね)」、
毛が来て「尾っぽ」、九来て「尻尾(しっぽ)」、水は「尿(しょんべん)」、比べて「屁(おなら)」

 彼らに取って「あそび」の「たね」となった漢字はもう怖くないのです。英語も、漢字も、跳び箱でさえも、怖くなくなれば上達は早いのです。小生の井関の指導はこの3月をもって終わりました。いつかあの子どもたちは、漢字は「へん」と「つくり」の漢字ゲームで覚えるのだという事を自分の子どもたちに教える日が来るでしょうか?

犬を表す「けものへん」、犬に守られ「狩り」に出る、
「狸」は「里」で、「狐」は瓜で、王様「狂う」、虫は「独り」で生きている

誰が地域の子どもや高齢者を配慮するのか
-地域における教育力の貧困-

1 コミュニティ資源を総動員してなぜ学校だけを応援するのか?

 コミュニティ・スクールの報告を集中的にお聞きしたのは、今度の大分大会で2回目になります。1回目は平成24年度の第119回移動フォーラムin飯塚で春日市の発表を聞いたときでした。今回は大分で玖珠町のコミュニティ・スクールの実践を聞きました。どちらも立派な中身で、立派な発表でした。
 しかし、文科省の初等中等教育局が指導する事業ですから、義務教育学校への関心が中心で、地域に対する配慮が足りない事が問題です。コミュニティ・スクールと言っても、学校が従わざるを得ない「指導要領」の範囲で行う活動ですから、関係者に地域貢献の発想があったとしても、事実上、学校から地域へのサービス還元は困難になります。
 現在、地域の教育力は枯渇していると言われています。家庭の教育力も脆弱であることは「早寝、早起き、朝ご飯」のスローガンが物語っている通りです。人間関係が希薄になった無縁社会の真っただ中にあって、地域資源を総動員して学校だけを応援しようという施策は誠に疑問に思わざるを得ません。生涯学習局が始めたという「学校支援地域本部事業」にしても、「地域」が「学校」を応援するという図式は同じです。文科省は、だれが地域の子どもや高齢者に配慮し、応援することを想定しているのでしょうか?枯渇しているのは、地域や家庭の教育力だけではありません。文科省の政策立案能力が枯渇しているのです。また、地域貢献を主眼としていない施策を、地域のことに気を配るべき社会教育の研究大会で論じることについても同じ疑問を感じざるを得ませんでした。

2 日本型コミュニュティ・スクールの表現矛盾

 すでにアメリカのコミュニティ・スクールの中身については過去に論じたので省略しますが、日本のコミュニティ・スクールはまず言葉の使い方からおかしいと思います。英語表現の場合、「-スクール」という場合は、「-のための」「学校」という意味です。アダルトスクールは「成人のための学校」であり、「イブニングスクール」は「夜間にしか勉強できない人々のため」の「学校」です。それゆえ、アメリカのコミュニュティ・スクールは「コミュニティのため」の「学校」です。それに対して、日本のコミュニティ・スクールは「学校のため」に「コミュニティの資源を活用する」学校です。文科省の用語では「学校運営協議会制度」を取り入れた「学校」を意味した用語です。正確に言えば、「地域のための学校」ではなく、「地域運営学校」という意味です。文科省の説明書では「コミュニティ・スクールは、学校と保護者や地域の皆さんがともに知恵を出し合い、一緒に協働しながら子どもたちの豊かな成長を支えていく『地域とともにある学校づくり』を進める仕組み」となっています。
 これまでの閉鎖的な学校を変えようということですから、大賛成ですが、金と時間と地域資源を、地域の子どもたちを放り出したまま、学校だけに投入するという発想には賛成できません。学校にはフルタイムで、給料をもらっている多勢の教育の専門家がすでに配置されているのです。これに対して地域の教育の世話をする仕組みは益々じり貧で、専門家はほとんどいません。共働きの家庭の子どもを預かる学童保育は「お守り」であって「教育」でも「集団生活指導」でもありません。学童保育には、法律で、放課後の子どもの「健全育成」を謳っていますが、「健全育成」の名に値するプログラムもその指導体制もありません。
 しかも、学校や教育行政は、一方で「コミュニティ・スクール」の普及を唱えながら、放課後の学童クラブの子どもたちが学校施設を利用することすら許していません。地域は学校を応援して下さいといいながら、放課後の地域の子どもには学校施設は使わせないとはどういう了見でしょうか。小生が関わって来た山口の井関小学校に併設された学童クラブが様々な教育プログラムを実践できたのは、ひとえに、放課後の保教育の意義を理解する稀に見る信念のある校長先生に恵まれたからです。
 事実、放課後の学童保育に学校施設を開放している学校は寡聞にして聞くことは稀なのです。学童クラブの子どもたちも、「同じ学校の子ども」だというのに、です。教育行政も、教員たちもどうかしていると思いませんか?また、新設のコミュニティ・スクールでも、「学校運営協議会」の人々は、頼まれた学校のことだけを考えて、放課後の地域の子どもを忘れていると思いませんか?

3 教育を語りながら、地域の子どもや高齢者の教育を忘れている発想の貧困
 
 私が伺う子育て支援の大会には、通常、「地域ぐるみで子どもを育てる」というスローガンが掲げられています。しかし、実態は、地域の子どもにはほとんど地域資源も学校資源も組織化されていません。有志の方々が細々と子ども支援を続けているのが大半です。「地域ぐるみ」は「絵空事」と言わねばなりません。
 学校運営協議会は保護者や地域住民などから構成されています。しかも「協議会」は学校運営の基本方針を承認し、教育活動などについて意見を述べる事ができるのです。当該校の教職員の任用に関して意見を述べることなどの権限も与えられ、学校評議員よりも強い権限を持っているのです。学校運営協議会は各学校に設置され、その指定は学校を管理する教育委員会が行うものとされています。法的根拠は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律です。だから学校開放も当然彼らの判断次第でできるのです。学校だけを重視するあまり、地域の教育を放置しているのは、文科省であり、地方の教育委員会です。共働きの保護者の子どもは放課後を学校施設から閉め出され、小さな空間に閉じ込められて過ごさねばならないのです。図書室や家庭科室など独立して利用が可能が特別教室すら開放されていません。結果的に学校資源の活用を禁じているのは学校の教員や地域から任命された協議会の委員なのです。

4 学校のためのコミュニティ資源か、コミュニティのための学校資源

学校施設をフル活用できれば、私たちが井関で実践したような多様なプログラムを想定できます。多様なプログラムに地域の方々をお招きすれば、地域を繋ぎ、地域の子どもを育て、地域を活性化する手だてになります。日本は「子宝の風土」ですから、子どものためであれば、学校以外の場でも人々は力を貸してくれます。すでにこれまでの地域実践が証明しています。
 以下は、1年前に、一度書いた議論ですが、思い出して下さい。再掲しておきます。
 共同体の崩壊によって地域の教育力が衰退した現在、学校の機能を総合化して、放課後の子どもも、共働き家庭の子どもの世話も学校機能の中に包含することが、子どものためにも、地域活性化のためにも、最も効果的で経済的な方法なのです。子宝の風土では、「無縁社会」をつなぐ第一のカギは「子縁」なのです。
 学校がコミュニティを支える資源であるという視点に立てば、その資源をコミュニティのために活用する仕組みこそが「コミュニティ・スクール」なのです。学校が「子どもの縁」を手がかりにして地域を結べば、他人の難儀に一切留意しない無縁社会にもかすかに「志縁」の糸を張り巡らすことができます。熊本県産山村の「子どもヘルパー事業」はそういう事業であり、福岡県旧豊津町の「豊津寺子屋」もそういう事業でした。飯塚市の「子どもマナビ塾」もその一種です。今回の井関元気塾もその一例に加えていただいていいでしょう。
 しかし、日本のコミュニティ・スクール論は全く逆に等しい発想です。コミュニティはあたかも学校のためにあり、地域資源を学校のためにつまみ食いして活用しようというに過ぎません。今、中央教育行政が為すべきことは、閉鎖的な学校を打破すべく、チャータースクールや公設民営の学校運営を導入して、それぞれに切瑳琢磨させ、教員や地方教育行政を覚醒させることです。彼らは学校教育のプロなのです。
 また、生涯教育を放棄して、今後とも、市民の選択に任せる生涯学習を行政の柱とするのであれば、もはや地域の教育を担当しない中央・地方の生涯学習担当部局は不要であり、文科省行政は学校教育省を分離し、益々重要度を増す科学技術・文化省を再編・再分離すべきでしょう。地域や家庭の教育力の貧困を前に、最も覚醒すべきなのは文科省なのです。

親孝行の落とし穴-「いたわり」の副作用-

1 現代に流行している親孝行

 親不孝者は、昔も今も親不孝者で、基本的に変わりません。しかし、現代の親孝行は昔の親孝行と違って、親を「楽にすること」ではありません。豊かな高度文明社会を実現して、日本の親は、すでに「楽をして暮らしている」からです。
 住友生命は、20歳以上の男女1910人を対象に実施した親孝行に関する調査結果を発表しました。親孝行の原点は「保護」と「いたわり」でした。これも昔と同じです。
 「あなたにとって一番の『親孝行』は何ですか」との質問に対して1位は「心配させない」(19.6%)、2位は「元気でいる」(18.6%)となり、安心してもらうことが何よりの親孝行になっているそうです。
 もちろん、いつの時代も、いたわりややさしい気持ちは大事です。しかし、人生80年時代の「いたわり」にはある種の副作用が伴います。インターネットの「親孝行」に関する項目を覗いて見ると、「いたわり」は親を保護し、親の望むことをかなえることだと思い込んでいる人が多いようです。また、「いたわり方」が分からないと悩んでいる人が多いのも事実です。
 子どものしたい子をさせてやるのが、いい子育てだと思うのと同じように老親のしたい事をさせるのが親孝行だと思うのでしょう。現代の子育て世代は、子どもと親の両方の保護者になっているかのようです。高齢者はひたすら「守らなくてはならない」という「高齢者観」が、若い世代をも、高齢者自身をも誤らせています。
 小生が散見したインターネットに登場する世間の「親孝行」観は、貧しさや戦争の破壊から立ち直って今日の日本を築いた「親世代の頑張りに続け」とは誰も言っていません。「心配をかけるな」とか「誕生日にはありがとう」を言えとか、「結婚式には自分に付けられた名前の由来を聞け」とか、一事が万事「親の機嫌を取って」、「親を労る」ことだけを提案しています。
 現代の高齢者は、もはや子どもの目標にはなり得ないというのでしょうか?「オレを越えて行け」という親父もいなければ、「私のように生きなさい」という母もいないということでしょうか。
 内閣府がやっているままごとのような生涯現役者の紹介を除けば、日本社会には、高齢者の社会貢献を顕彰し、高齢者の「生きる力」を鍛えるプログラムは皆無に等しいのです。世間は、「高齢者はもう頑張らなくていいのだ」というメッセージに満ちているのです。頑張ったところで誰にも褒められない高齢者は、「頑張ること」を止めるのは当然です。「頑張ること」を止めた高齢者が若い世代の目標になる筈がないということもまた当然なのです。軟弱な若者が育つ道理です。

2 保護に偏る「いたわり」は老親を衰弱させる

 親を仕事や役割から解放することがいたわりとは限りません。娘は母を労り、「母さん、それはもうやんなくていい、私がやるから」と言いがちです。息子は、「父ちゃん、それは運ばなくていい、俺が運ぶから」と労ります。もちろん、親思いの優しい心は大切ですが、こうした「いたわり」だけが孝行だと思い込むことは、人生が短く、老衰が早かった時代の親孝行の考え方です。豊かな社会で、人生が80年になった現代では、孝行息子や孝行娘に囲まれて「自分の役割」を失い、己に「負荷」をかけることを忘れた老親は、一気に心身が衰弱します。
 何度も書きましたが、この世の役割を失えば、人々に必要とされない「無用人」(藤沢周平)となり、己の存在意義を実感できなくなります。「必要とされないこと」は、「為すべき事」も「そこに居る甲斐」も失うことに繋がります。何もすることがなければ、当然、「やり甲斐」も失います。高齢者が「居甲斐」を失い、「やり甲斐」を失えば、たちどころに「廃用症候群」の餌食なるのは眼に見えているのです。豊かな社会を実現した現代の親孝行は、「いたわり」の名の下に「親の役割」を子ども達や社会が全部奪い取り、結果的に、親の存在意義も否定してしまうことになる恐れがあるのです。

3 「無用人」を「有用人」にするには物事を頼むことです

 若い世代の子育て支援のテーマで呼ばれる時は、3分の2だけ子育ての話をして、残りの3分の1は、「仕事は親に頼め」、「親を頼れ」、「あなたの助けが必要だと言い続けなさい」と言うようにしています。若い母親たちには、親に元気で長生きをしてもらいたかったら、「母さんが居なかったら私はとても共働きは出来ない」と言い続けなさい、といいます。現代は年寄りを「当て」にすることで年寄りの元気を守るのです。年寄りの役割を奪ってはならないのです。必要とされる「役割」こそが、高齢者の「活動」を保証し、無用人を有用人に変えているのです。「活動」を続けてさえ居れば、自然に心身に「負荷」がかかり、「廃用症候群」を防止することができるのです。

お知らせとごあんない

1 第130回生涯教育まちづくり移動フォーラムin飯塚

日時:平成25年4月20日(土)15:00-17:00(フォーラムに先立って14:00からNPO法人「幼老共生まちづくり支援協会」の総会が行われます。)
場所:飯塚市穂波公民館
 事例発表:上野敦子 山口市「井関にこにこクラブ」主任指導員、大学と恊働した「井関元気塾」の1年(仮)
論文発表:大島まな 九州女子大学准教授 「学童保育に教育プログラムを入れると子どもの何が変わるのか?」:研究の目的と成果(仮) 

2 第32回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会

日時:平成25年5月18(土)-19日(日)、開会は10:15です。(17日の金曜日は、19時から、遠方からの参加者を囲んだ懇親・情報交換会を行いますのでふるってご参加ください。)
場所:福岡県立社会教育総合センター、
  〒811-2402 福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2
  TEL 092-947-3512  FAX 092-947-8029
事例発表:参加各県からの事例発表 28事例
特別報告:健康寿命を延ばす-暮らしの老年学の原理と方法- 生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎

特別企画1:「鍛える」幼稚園・保育園に問う-今なぜ幼児鍛錬なのか?-
司会:九州女子大学准教授 大島まな
島根県出雲市立高浜幼稚園長-浜田満明 
鹿児島県志布志市ヨコミネ式伊崎田保育園長 矢野やす子

特別企画2:高齢研究者に問う-2020年の「高齢者爆発」に伴う社会的危機を回避できるか?-

司会:NPO法人幼老共生まちづくり支援協会理事長 森本精造
桜美林大学名誉教授 瀬沼克彰
月刊生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎

§MESSAGE TO AND FROM§
 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

島根県浜田市 杉浦千枝子 様

 生涯現役カルタと「風の便り」のご紹介ありがとうございました。ご指示のあった方々へお送りしております。こうした応援が老いの身をむち打ちまだ勉強を続けようという意欲につながります。御礼、ご報告まで。

香川県高松市 横溝香代子 様

 お目にかかってお話をしたこともないのに、この長い歳月、変わらずに読み続け、支えていただき誠にありがとうございました。眼が不自由になり、いろいろ心身の衰えを感じておりますが、意志を持って与えられた生を全うしたいと願っております。お便りの機会もなく過ぎて参りましたが、せめて一言紙上で御礼申し上げたいと思った次第です。

北海道札幌市 水谷紀子 様

 西日本は初夏の陽気だというのに、北は吹雪だと天気予報が報じていました。行きで立ち往生したトラックを見て、札幌の冬を思い出しています。毎朝犬たちと歩く川辺の桜並木の蕾が膨らみ始めました。子どもたちは遠くそれぞれの人生と格闘しています。独り暮らしも2年を過ぎました。人生の黄昏は、気持ちの揺れが大きいのですが、人の情に恵まれて70数年を生きられたことに感謝して暮らしています。すでに季節の挨拶状を止めて5年になります。季節外れのご挨拶です。亡き人に見せばや今日の春霞。

編集後記
英語教材の衝撃-われわれは人生の大工なのです
 筆者の月6回のボランティア英会話は社会人の中級を教えています。中級と言ってもメンバーには英検の1級や準1級が数人いるので、時に上級になります。メンバーは交代でレポーター役を務め、自分の好きな教材を選択して、暗唱し、クラスの前で発表します。残りのメンバーは発表された教材を素材として自分の英語でスピーチをします。以下は先日報告された教材です。山口の指導にいささか嫌気がさしていた小生に取って頬を打たれたほどの衝撃でした。

 『あるところに引退間近の大工さんがいたそうです。彼は評判の職人として、思う存分腕を振るって来たので、仕事に心残りはありませんでした。毎週もらっていた賃金はなくなるが、それはそれで慎ましく暮らせば何とかなるだろうと腹をくくり、妻や子や孫に囲まれてのんびりと暮らす日々を夢見ていました。
 そこである日、雇い主の建築業者に引退を願い出ました。雇い主は、一番の職人を失うことになるので引き止めようとしましたが、大工さんの決意は固いと知り、承知して慰留は諦めました。ただ、最後に、「私の個人的な頼みだがあと一軒だけ家を建ててもらえないか」と頼みました。他でもない雇い主の頼みなので、大工さんは喜んで引き受けたそうです。
 ところが、仕事を始めてみると、これまでのようには仕事に打ち込めていない自分に気付きました。引退を決めて、気の抜けた彼は惰性に流され、大工職人として手を抜いた仕事をし、建築資材も十分に吟味しないまま家を完成させました。全力で仕事をして来た彼の職人人生に取って不幸で、残念な終わり方になりました。しかし、ともかく手がけた家は完成しました。
 大工さんの報告を受けて、雇い主は完成した家を検分に来ました。彼は大工さんの努力をねぎらい、やおらポケットから鍵を取り出し、「これはこの家の玄関のカギです。この家は、あなたの長年の献身に報いる私からのささやかな贈り物です」と言ったそうです。
 大工さんはショックで言葉を失いました。自分は何たる仕事の仕方をしたか!「自分の家になると知っていたら、どれほどやり方がちがっただろうか!」
 しかし、もはややり直しはきかないのです。われわれの人生もまた、大工仕事と同じです。毎日、くぎを打ち、床を張り、壁を作って人生の家を建てているのです。その家には「明日のあなた」が住むことになるのです。「自分の家になると知っていたら、どれほど力の入れ方がちがうでしょうか!」
 人生は、明日の家の「Do-It-Yourself」のプロジェクトです。あなたの態度や気の入れ方が「明日の家」を決定するのです。一度つくったらやり直しはできません。それが人生の大工仕事です。
「気を入れて建てなくちゃね!!」』(要約)
 私もこの3月をもって、山口の学童保育の教育プログラムの指導から引退します。引退後にやることをあれこれ構想し、夢見ています。小生の指導方法に対する異議申し立てはこれまでも何回かあった事ですが、3学期は漢字の指導を巡って、経過や結果を見ないうちから、自分のやり方に保護者や学校から疑問が投げかけられ、現場の指導員に注文がつけられたりして、誠に不愉快でした。理論や説明の届かない人々につくづく嫌気がさしていました。研究リーダーの教え子への義務感や職業人としての
責任感だけで辛うじて自分を支え、山口の指導に通っていたと言っていいでしょう。
 3学期の中盤を振り返ってみると、漢字の指導法に文句をつけられて以来、自分も上記の大工さんと同じでした。指導に気持ちが入っていないことが多々ありました。何人かの保護者や学校の反応につくづく嫌気がさし、指導員に対しても「分からないのなら仕方がない!勝手にしたらいい」、とも思いました。
 だから、この英語教材は衝撃でした。井関学童クラブも、実は「お前の家なのだよ」、「お前も『自分の家』を建てていたのだよ」と頬を殴られた感じでした。
 以来、気持ちを入れ替え、発表会前の2週間はほぼ毎日山口に通い、全力で指導に打ち込みました。子どもも私自身も立ち直りました。遅まきながら、山口の学童指導もまた「私が住む明日の家」だったことに気付いたのです。