「風の便り 」(第159号)

発行日:平成25年3月
発行者: 三浦清一郎

 習うより慣れろ

 子どもの言語習得過程を見れば明らかなように、言葉を覚える原則は「習うより慣れろ」です。その他の事にも「習うこと」より「慣れること」が「先」であるという教育学上の原則は様々に適用が可能です。この一年関わって来た山口の学童クラブの経験の中でも、跳び箱や朗唱はまさしく「習うより慣れろ」の原則が生きた場面でした。自分の中の感触が薄れないうちに、3学期の「漢字指導」の小事件を素材として学校教育の「細部拘泥型」、「硬直的」、「非効率的」な指導発想に対する疑問を文章化しておきたいと思いました。

1 役に立たなかった英語

 小生には中学校以来の英語教育(学習)の苦い経験があります。「苦さ」の中身は、「細部にこだわって」、「硬直的」、「非効率的」な勉強の仕方です。結果的に、アメリカの大学の教室に坐ったとき、小生が習った英語はほとんど役に立ちませんでした。「ノイローゼになって送り返されるか」、「慣れて突破するか」、きわどい数ヶ月の苦闘の中で耳が英語に慣れ、口が英語の短文に慣れ、読む事が少しずつ速くなり、辞書で確かめながら英語が書けるようになりました。幸い日本人は一人もキャンパスに存在せず、日本語に逃げることもできない「最善!(最悪)」の状況でした。
 あれから40年以上経ちました。小生は今、この時の苦い経験を生かして英語の指導をしています。原則は、多少の間違いや不正確さはあってもとにかく徹底して反復して「聞く・話す・読む英語」に「慣れる事」を重視しています。換言すれば、「丸ごとの英語」に慣れる事を繰り返す指導法です。
 「ここはinがいいでしょうか、それともatでしょうか?」などと質問する生徒さんには「そんなアホなことはどっちでもいい、細部にこだわらずしゃべり続けなさい」と怒鳴って答えます。大部分の人は、中学3年間、高校3年間、また半分以上の人は、その上に大学2年間英語を勉強します。相変わらずの受験対応型学校教育英語が続いて、まだ日本人は英語がしゃべれません。「読み書きはなんとか」などと弁解する自己欺瞞の人もいますが、日本人の英語の読み、書きも誠にお粗末なものです。
 要するに膨大な時間とエネルギーを注いだ英語教育は「結果」を出していないという事です。

2 漢字学習

 学生時代、学費を稼ぐために子どもの集団家庭教師をした事があります。今の塾のはしりのような事です。その時、小学生が几帳面に漢字をノートに写しているのを見ました。自分も最初はそうした書写によって覚えるよう教えられた事を思い出しました。誠に愚かで、非効率的な学習法です。大学生になって部首索引を改めて見直し、なぜ「へん」と「つくり」を使った教え方をしないのか、と疑問に思っていました。そこで自分が引き受けた子どもたちには徹底して「へん」と「つくり」を教え、漢字の構成原理を「口頭の即答ゲーム」にして毎日繰り返しました。「いとへん」に「ふゆ」は何か、「あめかんむり」に「田んぼ」は何と読むか、という具合です。子どもはあっという間に小学校漢字を越えて、日常の漢字を習得して行きました。
 この1年通った「井関学童クラブ」の子どもも漢字学習は相変わらずの書写でした。一字一字を取り出して、几帳面にノートに写しています。まじめな子どもほど時間がかかります。面白そうにやっている子どもは皆無です。誠に残酷で、非能率的な勉強法です。延々と時間を費やしても、写す事だけに熱中している子どもは、覚える事が手薄になり、練習ノートがいくら増えても漢字はろくに覚えていません。
 学童クラブに来るほとんどの子どもは、漢字の成り立ちについて全く無知でした。勉学の習慣のついていない中高学年生の中には面倒な漢字学習を投げてしまっている者もいました。

3 一字一字の「書き順」への拘泥

 漢字の指導においては「原理」が先か、「慣れること」が先か、正確な事は自分でも分からないところがあります。今回初めて漢字の本格指導に取り組みました。3学期は短く、教材づくりが間に合わなかったので、結果的に「慣れること」を先行させました。暗唱している「長州ファイブ」の物語(幕末に密航した長州の5人の若者の物語)の中の漢字の練習から始めたのです。朗唱と書写を同時に進行させて、漢字はこんなに沢山あるのだという事に「慣れること」から始めたのです。一方、小生は暮れから正月の休みを返上して同時並行的に「へんとつくり」の教材を創りました。
 この間、子どもたちは「書写」に悪戦苦闘していました。この時、「書き順」が「めちゃくちゃ」だが、どうするのか、という声がどこかから上がりました。おそらく、教育熱心な保護者の誰かでしょう。指導員の中にも「書き順」にこだわる者がいました。英文法の細部にこだわる人々と同じ細部拘泥型の指導です。鉛筆なめなめ、文法的に正しい一文が書けたとしても英語が話せないように、一字一字の「書き順」を正しく書けても漢字の森は征服できず、まして文章など書けるようにはならないのです。しかも、「書き順」(*)は、下記注解の通り、「唯一、絶対のもの」ではないのです。

昭和33年に当時の文部省から「筆順指導の手びき」が示された。この「筆順指導の手びき」(文部省編)は教育漢字881字について学習指導上に混乱を来たすことのないよう筆順をできるだけ統一する目的をもって作成された。なお、漢字の筆順は1字につき1つとは限らず、広く用いられる筆順が2つ以上ある漢字もある。「手びき」には、本書に示される筆順は、学習指導上に混乱を来たさないようにとの配慮から定められたものであって、そのことは、ここに取りあげなかった筆順についても、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない。― 「筆順指導の手びき」(1958年(昭和33年))「1.本書のねらい」より(ウキペディア)

4 「へん」と「つくり」で書き順の原則は教える事ができる

 本格的に漢字指導に取り組み始め、小生は、学生時代に自分が教えた子どもたちを思い出しました。「書写」の「非効率性」を正すためには、徹底して漢字の成り立ちの原理を教えるところに戻ろうと決心しました。
 「書き順」について疑問が出されたときも、指導員の皆さんには、今は「慣らし」の時期だから「書き順」は無視していい、と言いました。「へん」と「つくり」を教え始めれば、「書き順」も自然に覚えるから「だいじょうぶだ」と答えていました。冬休みに教材が完成し、「へん」と「つくり」の「原理」を教え始めました。「書き順」については、ごく大ざっぱに、「横線」は「左から右へ」、「縦線」は「上から下へ」、と教え、「棒」については、「はねる」、「とめる」、「はらう」などの基本原則だけを教えました。それでも「書き順」にこだわる非難の声は収まらなかったのでしょう。とうとうある日、主任指導員が校長室に呼ばれ、学童クラブの指導で「間違った書き順」が「固定しないように」と注意を受けたようです。「ようです」と書いたのは、小生が怒るのを恐れて、学校からの「注意」の詳細を言わないので未だに事の真相はよく分からないということです。保護者か教員の誰かから非難の「文句」が出て、その声が校長室に届き、校長が事態を荒立てないように「問題になっているよ」と主任指導員に告げるということになったという事でしょう。指導員はみんな、小生の指導に「ついて行きます」と言ってはいましたが、主任が校長室へ呼ばれたので不安は増幅されたのでしょう。小生が「いちいち細部の筆順にこだわるな」と力説する打ち合わせの席でも、多くの指導員は下を向いていました。学校の異議申し立ての前に、彼女たちが「揺れる」のもやむを得ぬ事でしょう。指導員用に指導のシナリオもつくったのですが、当然、彼女たちは「へんとつくり」の指導をやりません。「発表会の指導はあなたにやってもらいたい」というのを聞くに至っては怒りが爆発しそうでした。しかし、今回の学童の研究指導の責任者は教え子の准教授ですから井関を放り出すことはできませんでした。

5 保護者も学校も木を見て森を見ない

 「木を見て、森を見ない!」。またまた、英語教育と同じ過ちを繰り返すのか!冬休みを返上して教材をつくったこともあって、報われぬ思いと理解されない怒りが小生を鷲掴みにしました。学校教育の、あるいはその学校教育で育った保護者の「細部拘泥型」、「硬直的」、「非効率的」な指導発想か!と怒りでキリキリと胃が痛みました。
 指導員に対しても「分からないのであれば、勝手にすればいい」とほとんど「投げた思い」になりました。しかし、偶然、編集後記に書いたように、「今お前が建てている家は、明日、自分が住む家だぞ」という英語教材に出会ったのです。英語教材の衝撃で心を入れ替えました。
 「分からず屋がいろいろ言っても手抜きはしない」、「分からないのなら自分でやって分かるように見せる」と決めました。それ以後は、率先し、全力で「へんとつくり」を教えました。子どもは昔の子どもと同じでした。一年生から6年生まで、小生が工夫した「漢字成り立ちクイズ」の「遊び」に食いつき、熱中し、効果は抜群でした。

月はにくづき人間の身体、
月に同じで胴(どう)となり、月に寸なら肘(ひじ)になる、
月に几(つくえ)は肌(はだ)になり、月に市なら肺(はい)になる

 子どもがどんどん難しい漢字を習得して行くので、ようやく指導員も「原理を教える事」の意味を理解したように見えました。彼女たちもまた学校教育の「落し子」ですから、理解に時間がかかるのは仕方のない事だったのでしょう。指導員もまた、漢字ゲームの進行を見聞しながら、子どもと一緒に漢字の成り立ちを理解して行ったのではないかと思います。
 子どもたちは、書き順の原則を覚え、何より「漢字チャンピョン」と名付けた「書き取り」と「読み」の即答ゲームに熱中し、数多くの漢字の「よみ」も「書き方」も空で言えるようになりました。この方法を使えば、1年生でもあと2ヶ月もあれば、小学校の漢字すべてを覚えさせる事ができたでしょう。

やだね、「しかばね(尸)」、死んだら「屍(かばね)」、
毛が来て「尾っぽ」、九来て「尻尾(しっぽ)」、水は「尿(しょんべん)」、比べて「屁(おなら)」

 彼らに取って「あそび」の「たね」となった漢字はもう怖くないのです。英語も、漢字も、跳び箱でさえも、怖くなくなれば上達は早いのです。小生の井関の指導はこの3月をもって終わりました。いつかあの子どもたちは、漢字は「へん」と「つくり」の漢字ゲームで覚えるのだという事を自分の子どもたちに教える日が来るでしょうか?

犬を表す「けものへん」、犬に守られ「狩り」に出る、
「狸」は「里」で、「狐」は瓜で、王様「狂う」、虫は「独り」で生きている

誰が地域の子どもや高齢者を配慮するのか
-地域における教育力の貧困-

1 コミュニティ資源を総動員してなぜ学校だけを応援するのか?

 コミュニティ・スクールの報告を集中的にお聞きしたのは、今度の大分大会で2回目になります。1回目は平成24年度の第119回移動フォーラムin飯塚で春日市の発表を聞いたときでした。今回は大分で玖珠町のコミュニティ・スクールの実践を聞きました。どちらも立派な中身で、立派な発表でした。
 しかし、文科省の初等中等教育局が指導する事業ですから、義務教育学校への関心が中心で、地域に対する配慮が足りない事が問題です。コミュニティ・スクールと言っても、学校が従わざるを得ない「指導要領」の範囲で行う活動ですから、関係者に地域貢献の発想があったとしても、事実上、学校から地域へのサービス還元は困難になります。
 現在、地域の教育力は枯渇していると言われています。家庭の教育力も脆弱であることは「早寝、早起き、朝ご飯」のスローガンが物語っている通りです。人間関係が希薄になった無縁社会の真っただ中にあって、地域資源を総動員して学校だけを応援しようという施策は誠に疑問に思わざるを得ません。生涯学習局が始めたという「学校支援地域本部事業」にしても、「地域」が「学校」を応援するという図式は同じです。文科省は、だれが地域の子どもや高齢者に配慮し、応援することを想定しているのでしょうか?枯渇しているのは、地域や家庭の教育力だけではありません。文科省の政策立案能力が枯渇しているのです。また、地域貢献を主眼としていない施策を、地域のことに気を配るべき社会教育の研究大会で論じることについても同じ疑問を感じざるを得ませんでした。

2 日本型コミュニュティ・スクールの表現矛盾

 すでにアメリカのコミュニティ・スクールの中身については過去に論じたので省略しますが、日本のコミュニティ・スクールはまず言葉の使い方からおかしいと思います。英語表現の場合、「-スクール」という場合は、「-のための」「学校」という意味です。アダルトスクールは「成人のための学校」であり、「イブニングスクール」は「夜間にしか勉強できない人々のため」の「学校」です。それゆえ、アメリカのコミュニュティ・スクールは「コミュニティのため」の「学校」です。それに対して、日本のコミュニティ・スクールは「学校のため」に「コミュニティの資源を活用する」学校です。文科省の用語では「学校運営協議会制度」を取り入れた「学校」を意味した用語です。正確に言えば、「地域のための学校」ではなく、「地域運営学校」という意味です。文科省の説明書では「コミュニティ・スクールは、学校と保護者や地域の皆さんがともに知恵を出し合い、一緒に協働しながら子どもたちの豊かな成長を支えていく『地域とともにある学校づくり』を進める仕組み」となっています。
 これまでの閉鎖的な学校を変えようということですから、大賛成ですが、金と時間と地域資源を、地域の子どもたちを放り出したまま、学校だけに投入するという発想には賛成できません。学校にはフルタイムで、給料をもらっている多勢の教育の専門家がすでに配置されているのです。これに対して地域の教育の世話をする仕組みは益々じり貧で、専門家はほとんどいません。共働きの家庭の子どもを預かる学童保育は「お守り」であって「教育」でも「集団生活指導」でもありません。学童保育には、法律で、放課後の子どもの「健全育成」を謳っていますが、「健全育成」の名に値するプログラムもその指導体制もありません。
 しかも、学校や教育行政は、一方で「コミュニティ・スクール」の普及を唱えながら、放課後の学童クラブの子どもたちが学校施設を利用することすら許していません。地域は学校を応援して下さいといいながら、放課後の地域の子どもには学校施設は使わせないとはどういう了見でしょうか。小生が関わって来た山口の井関小学校に併設された学童クラブが様々な教育プログラムを実践できたのは、ひとえに、放課後の保教育の意義を理解する稀に見る信念のある校長先生に恵まれたからです。
 事実、放課後の学童保育に学校施設を開放している学校は寡聞にして聞くことは稀なのです。学童クラブの子どもたちも、「同じ学校の子ども」だというのに、です。教育行政も、教員たちもどうかしていると思いませんか?また、新設のコミュニティ・スクールでも、「学校運営協議会」の人々は、頼まれた学校のことだけを考えて、放課後の地域の子どもを忘れていると思いませんか?

3 教育を語りながら、地域の子どもや高齢者の教育を忘れている発想の貧困
 
 私が伺う子育て支援の大会には、通常、「地域ぐるみで子どもを育てる」というスローガンが掲げられています。しかし、実態は、地域の子どもにはほとんど地域資源も学校資源も組織化されていません。有志の方々が細々と子ども支援を続けているのが大半です。「地域ぐるみ」は「絵空事」と言わねばなりません。
 学校運営協議会は保護者や地域住民などから構成されています。しかも「協議会」は学校運営の基本方針を承認し、教育活動などについて意見を述べる事ができるのです。当該校の教職員の任用に関して意見を述べることなどの権限も与えられ、学校評議員よりも強い権限を持っているのです。学校運営協議会は各学校に設置され、その指定は学校を管理する教育委員会が行うものとされています。法的根拠は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律です。だから学校開放も当然彼らの判断次第でできるのです。学校だけを重視するあまり、地域の教育を放置しているのは、文科省であり、地方の教育委員会です。共働きの保護者の子どもは放課後を学校施設から閉め出され、小さな空間に閉じ込められて過ごさねばならないのです。図書室や家庭科室など独立して利用が可能が特別教室すら開放されていません。結果的に学校資源の活用を禁じているのは学校の教員や地域から任命された協議会の委員なのです。

4 学校のためのコミュニティ資源か、コミュニティのための学校資源

学校施設をフル活用できれば、私たちが井関で実践したような多様なプログラムを想定できます。多様なプログラムに地域の方々をお招きすれば、地域を繋ぎ、地域の子どもを育て、地域を活性化する手だてになります。日本は「子宝の風土」ですから、子どものためであれば、学校以外の場でも人々は力を貸してくれます。すでにこれまでの地域実践が証明しています。
 以下は、1年前に、一度書いた議論ですが、思い出して下さい。再掲しておきます。
 共同体の崩壊によって地域の教育力が衰退した現在、学校の機能を総合化して、放課後の子どもも、共働き家庭の子どもの世話も学校機能の中に包含することが、子どものためにも、地域活性化のためにも、最も効果的で経済的な方法なのです。子宝の風土では、「無縁社会」をつなぐ第一のカギは「子縁」なのです。
 学校がコミュニティを支える資源であるという視点に立てば、その資源をコミュニティのために活用する仕組みこそが「コミュニティ・スクール」なのです。学校が「子どもの縁」を手がかりにして地域を結べば、他人の難儀に一切留意しない無縁社会にもかすかに「志縁」の糸を張り巡らすことができます。熊本県産山村の「子どもヘルパー事業」はそういう事業であり、福岡県旧豊津町の「豊津寺子屋」もそういう事業でした。飯塚市の「子どもマナビ塾」もその一種です。今回の井関元気塾もその一例に加えていただいていいでしょう。
 しかし、日本のコミュニティ・スクール論は全く逆に等しい発想です。コミュニティはあたかも学校のためにあり、地域資源を学校のためにつまみ食いして活用しようというに過ぎません。今、中央教育行政が為すべきことは、閉鎖的な学校を打破すべく、チャータースクールや公設民営の学校運営を導入して、それぞれに切瑳琢磨させ、教員や地方教育行政を覚醒させることです。彼らは学校教育のプロなのです。
 また、生涯教育を放棄して、今後とも、市民の選択に任せる生涯学習を行政の柱とするのであれば、もはや地域の教育を担当しない中央・地方の生涯学習担当部局は不要であり、文科省行政は学校教育省を分離し、益々重要度を増す科学技術・文化省を再編・再分離すべきでしょう。地域や家庭の教育力の貧困を前に、最も覚醒すべきなのは文科省なのです。

親孝行の落とし穴-「いたわり」の副作用-

1 現代に流行している親孝行

 親不孝者は、昔も今も親不孝者で、基本的に変わりません。しかし、現代の親孝行は昔の親孝行と違って、親を「楽にすること」ではありません。豊かな高度文明社会を実現して、日本の親は、すでに「楽をして暮らしている」からです。
 住友生命は、20歳以上の男女1910人を対象に実施した親孝行に関する調査結果を発表しました。親孝行の原点は「保護」と「いたわり」でした。これも昔と同じです。
 「あなたにとって一番の『親孝行』は何ですか」との質問に対して1位は「心配させない」(19.6%)、2位は「元気でいる」(18.6%)となり、安心してもらうことが何よりの親孝行になっているそうです。
 もちろん、いつの時代も、いたわりややさしい気持ちは大事です。しかし、人生80年時代の「いたわり」にはある種の副作用が伴います。インターネットの「親孝行」に関する項目を覗いて見ると、「いたわり」は親を保護し、親の望むことをかなえることだと思い込んでいる人が多いようです。また、「いたわり方」が分からないと悩んでいる人が多いのも事実です。
 子どものしたい子をさせてやるのが、いい子育てだと思うのと同じように老親のしたい事をさせるのが親孝行だと思うのでしょう。現代の子育て世代は、子どもと親の両方の保護者になっているかのようです。高齢者はひたすら「守らなくてはならない」という「高齢者観」が、若い世代をも、高齢者自身をも誤らせています。
 小生が散見したインターネットに登場する世間の「親孝行」観は、貧しさや戦争の破壊から立ち直って今日の日本を築いた「親世代の頑張りに続け」とは誰も言っていません。「心配をかけるな」とか「誕生日にはありがとう」を言えとか、「結婚式には自分に付けられた名前の由来を聞け」とか、一事が万事「親の機嫌を取って」、「親を労る」ことだけを提案しています。
 現代の高齢者は、もはや子どもの目標にはなり得ないというのでしょうか?「オレを越えて行け」という親父もいなければ、「私のように生きなさい」という母もいないということでしょうか。
 内閣府がやっているままごとのような生涯現役者の紹介を除けば、日本社会には、高齢者の社会貢献を顕彰し、高齢者の「生きる力」を鍛えるプログラムは皆無に等しいのです。世間は、「高齢者はもう頑張らなくていいのだ」というメッセージに満ちているのです。頑張ったところで誰にも褒められない高齢者は、「頑張ること」を止めるのは当然です。「頑張ること」を止めた高齢者が若い世代の目標になる筈がないということもまた当然なのです。軟弱な若者が育つ道理です。

2 保護に偏る「いたわり」は老親を衰弱させる

 親を仕事や役割から解放することがいたわりとは限りません。娘は母を労り、「母さん、それはもうやんなくていい、私がやるから」と言いがちです。息子は、「父ちゃん、それは運ばなくていい、俺が運ぶから」と労ります。もちろん、親思いの優しい心は大切ですが、こうした「いたわり」だけが孝行だと思い込むことは、人生が短く、老衰が早かった時代の親孝行の考え方です。豊かな社会で、人生が80年になった現代では、孝行息子や孝行娘に囲まれて「自分の役割」を失い、己に「負荷」をかけることを忘れた老親は、一気に心身が衰弱します。
 何度も書きましたが、この世の役割を失えば、人々に必要とされない「無用人」(藤沢周平)となり、己の存在意義を実感できなくなります。「必要とされないこと」は、「為すべき事」も「そこに居る甲斐」も失うことに繋がります。何もすることがなければ、当然、「やり甲斐」も失います。高齢者が「居甲斐」を失い、「やり甲斐」を失えば、たちどころに「廃用症候群」の餌食なるのは眼に見えているのです。豊かな社会を実現した現代の親孝行は、「いたわり」の名の下に「親の役割」を子ども達や社会が全部奪い取り、結果的に、親の存在意義も否定してしまうことになる恐れがあるのです。

3 「無用人」を「有用人」にするには物事を頼むことです

 若い世代の子育て支援のテーマで呼ばれる時は、3分の2だけ子育ての話をして、残りの3分の1は、「仕事は親に頼め」、「親を頼れ」、「あなたの助けが必要だと言い続けなさい」と言うようにしています。若い母親たちには、親に元気で長生きをしてもらいたかったら、「母さんが居なかったら私はとても共働きは出来ない」と言い続けなさい、といいます。現代は年寄りを「当て」にすることで年寄りの元気を守るのです。年寄りの役割を奪ってはならないのです。必要とされる「役割」こそが、高齢者の「活動」を保証し、無用人を有用人に変えているのです。「活動」を続けてさえ居れば、自然に心身に「負荷」がかかり、「廃用症候群」を防止することができるのです。

お知らせとごあんない

1 第130回生涯教育まちづくり移動フォーラムin飯塚

日時:平成25年4月20日(土)15:00-17:00(フォーラムに先立って14:00からNPO法人「幼老共生まちづくり支援協会」の総会が行われます。)
場所:飯塚市穂波公民館
 事例発表:上野敦子 山口市「井関にこにこクラブ」主任指導員、大学と恊働した「井関元気塾」の1年(仮)
論文発表:大島まな 九州女子大学准教授 「学童保育に教育プログラムを入れると子どもの何が変わるのか?」:研究の目的と成果(仮) 

2 第32回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会

日時:平成25年5月18(土)-19日(日)、開会は10:15です。(17日の金曜日は、19時から、遠方からの参加者を囲んだ懇親・情報交換会を行いますのでふるってご参加ください。)
場所:福岡県立社会教育総合センター、
  〒811-2402 福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2
  TEL 092-947-3512  FAX 092-947-8029
事例発表:参加各県からの事例発表 28事例
特別報告:健康寿命を延ばす-暮らしの老年学の原理と方法- 生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎

特別企画1:「鍛える」幼稚園・保育園に問う-今なぜ幼児鍛錬なのか?-
司会:九州女子大学准教授 大島まな
島根県出雲市立高浜幼稚園長-浜田満明 
鹿児島県志布志市ヨコミネ式伊崎田保育園長 矢野やす子

特別企画2:高齢研究者に問う-2020年の「高齢者爆発」に伴う社会的危機を回避できるか?-

司会:NPO法人幼老共生まちづくり支援協会理事長 森本精造
桜美林大学名誉教授 瀬沼克彰
月刊生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎

§MESSAGE TO AND FROM§
 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

島根県浜田市 杉浦千枝子 様

 生涯現役カルタと「風の便り」のご紹介ありがとうございました。ご指示のあった方々へお送りしております。こうした応援が老いの身をむち打ちまだ勉強を続けようという意欲につながります。御礼、ご報告まで。

香川県高松市 横溝香代子 様

 お目にかかってお話をしたこともないのに、この長い歳月、変わらずに読み続け、支えていただき誠にありがとうございました。眼が不自由になり、いろいろ心身の衰えを感じておりますが、意志を持って与えられた生を全うしたいと願っております。お便りの機会もなく過ぎて参りましたが、せめて一言紙上で御礼申し上げたいと思った次第です。

北海道札幌市 水谷紀子 様

 西日本は初夏の陽気だというのに、北は吹雪だと天気予報が報じていました。行きで立ち往生したトラックを見て、札幌の冬を思い出しています。毎朝犬たちと歩く川辺の桜並木の蕾が膨らみ始めました。子どもたちは遠くそれぞれの人生と格闘しています。独り暮らしも2年を過ぎました。人生の黄昏は、気持ちの揺れが大きいのですが、人の情に恵まれて70数年を生きられたことに感謝して暮らしています。すでに季節の挨拶状を止めて5年になります。季節外れのご挨拶です。亡き人に見せばや今日の春霞。

編集後記
英語教材の衝撃-われわれは人生の大工なのです
 筆者の月6回のボランティア英会話は社会人の中級を教えています。中級と言ってもメンバーには英検の1級や準1級が数人いるので、時に上級になります。メンバーは交代でレポーター役を務め、自分の好きな教材を選択して、暗唱し、クラスの前で発表します。残りのメンバーは発表された教材を素材として自分の英語でスピーチをします。以下は先日報告された教材です。山口の指導にいささか嫌気がさしていた小生に取って頬を打たれたほどの衝撃でした。

 『あるところに引退間近の大工さんがいたそうです。彼は評判の職人として、思う存分腕を振るって来たので、仕事に心残りはありませんでした。毎週もらっていた賃金はなくなるが、それはそれで慎ましく暮らせば何とかなるだろうと腹をくくり、妻や子や孫に囲まれてのんびりと暮らす日々を夢見ていました。
 そこである日、雇い主の建築業者に引退を願い出ました。雇い主は、一番の職人を失うことになるので引き止めようとしましたが、大工さんの決意は固いと知り、承知して慰留は諦めました。ただ、最後に、「私の個人的な頼みだがあと一軒だけ家を建ててもらえないか」と頼みました。他でもない雇い主の頼みなので、大工さんは喜んで引き受けたそうです。
 ところが、仕事を始めてみると、これまでのようには仕事に打ち込めていない自分に気付きました。引退を決めて、気の抜けた彼は惰性に流され、大工職人として手を抜いた仕事をし、建築資材も十分に吟味しないまま家を完成させました。全力で仕事をして来た彼の職人人生に取って不幸で、残念な終わり方になりました。しかし、ともかく手がけた家は完成しました。
 大工さんの報告を受けて、雇い主は完成した家を検分に来ました。彼は大工さんの努力をねぎらい、やおらポケットから鍵を取り出し、「これはこの家の玄関のカギです。この家は、あなたの長年の献身に報いる私からのささやかな贈り物です」と言ったそうです。
 大工さんはショックで言葉を失いました。自分は何たる仕事の仕方をしたか!「自分の家になると知っていたら、どれほどやり方がちがっただろうか!」
 しかし、もはややり直しはきかないのです。われわれの人生もまた、大工仕事と同じです。毎日、くぎを打ち、床を張り、壁を作って人生の家を建てているのです。その家には「明日のあなた」が住むことになるのです。「自分の家になると知っていたら、どれほど力の入れ方がちがうでしょうか!」
 人生は、明日の家の「Do-It-Yourself」のプロジェクトです。あなたの態度や気の入れ方が「明日の家」を決定するのです。一度つくったらやり直しはできません。それが人生の大工仕事です。
「気を入れて建てなくちゃね!!」』(要約)
 私もこの3月をもって、山口の学童保育の教育プログラムの指導から引退します。引退後にやることをあれこれ構想し、夢見ています。小生の指導方法に対する異議申し立てはこれまでも何回かあった事ですが、3学期は漢字の指導を巡って、経過や結果を見ないうちから、自分のやり方に保護者や学校から疑問が投げかけられ、現場の指導員に注文がつけられたりして、誠に不愉快でした。理論や説明の届かない人々につくづく嫌気がさしていました。研究リーダーの教え子への義務感や職業人としての
責任感だけで辛うじて自分を支え、山口の指導に通っていたと言っていいでしょう。
 3学期の中盤を振り返ってみると、漢字の指導法に文句をつけられて以来、自分も上記の大工さんと同じでした。指導に気持ちが入っていないことが多々ありました。何人かの保護者や学校の反応につくづく嫌気がさし、指導員に対しても「分からないのなら仕方がない!勝手にしたらいい」、とも思いました。
 だから、この英語教材は衝撃でした。井関学童クラブも、実は「お前の家なのだよ」、「お前も『自分の家』を建てていたのだよ」と頬を殴られた感じでした。
 以来、気持ちを入れ替え、発表会前の2週間はほぼ毎日山口に通い、全力で指導に打ち込みました。子どもも私自身も立ち直りました。遅まきながら、山口の学童指導もまた「私が住む明日の家」だったことに気付いたのです。

「風の便り 」(第158号)

発行日:平成25年2月
発行者 三浦清一郎

2020年の「高齢者爆発」に伴う社会的危機を回避できるか?

1 「高齢者爆発」

  「高齢者爆発」とは、後期高齢者が一気に増大する現象を象徴した表現です。2020年は昭和20年生まれが75歳となり、以後、団塊の世代が続き、爆発的に「後期高齢者人口」が増大します。団塊の世代が一度に定年を迎えることになった2007年問題を遥かに上回る悲惨な事態が日本社会に頻発することを恐れます。
 人生80年時代の高齢者は、人生50年時代の高齢者に比べれば、「8がけ」程度の実年齢である、とはよく聞くことです。具体的には、現代の60歳は昔の48歳、65歳は昔の52歳、70歳は56歳だというのです。
 しかし、それは前期高齢者までのことでしょう。それまでお元気だったみなさまも、自己鍛錬を怠れば、75歳を過ぎると一気に老衰が加速します。テレビが報じる有名人の訃報も、前期、後期の分かれ目を境に急増します。定年期以上に後期高齢期への突入は日本社会を直撃するのです。まして、定年以降をのんびりと安逸を旨として過ごして来た高齢者は急速に健康寿命が尽きます。厚労省の定義に基づく男性の健康寿命は70歳、女性は73歳です。男女とも、後期高齢期突入前に健康寿命が尽きています。以後、高齢者は、自分のことが自分でできなくなり、介護の世話になり、人並みの暮らしを失います。社会を支えて来た巨大な人口が、社会に支えられる「依存人口」に転落するのです。個人の悲惨もさることながら、若い世代の不幸や日本社会の負担は多くの人が口を閉ざして言及を避けている「高齢者爆発」なのです。

2 「年寄り」が国を滅ぼすー絶望的な赤字サイクル

 日本人の健康寿命が後期高齢期を前にして失われることを思えば、前期高齢者と後期高齢者の「医療費」・「介護費」の国家負担率は比べ物になりません。断然、後期高齢者が国家の財源を食い尽くして行くのです。現行の社会保障制度を前提とすれば、現代の福祉システムは崩壊に瀕し、若い世代の老後を保証する国家財源は絶望的な赤字を積み増して行くことになります。少子化を止められず、生産人口が増えない状況では、年寄りが国家財政を滅ぼすと言って過言ではないのです。

3 「ばかばかしい」気分の蔓延

 これまで赤字国債の安全弁は国民個人の勤勉と節約と高い貯蓄率でした。しかし、今や赤字国債が国民の総資産に追いつこうとしています。赤字を軽減するため、当然、政治は紙幣を増刷し、インフレ政策をとるので、個人の預貯金は一気に目減りすることになります。勤勉も、節約も報われることなく、「ばかばかしい」気分は若い世代に蔓延しています。奨学金は返さない、給食費は払わない、年金もかけない、生活保護ももらえるものはもらっておこうという「投げやり」・「自己中」の気分はテレビを見なくなった小生にも伝わって来ます。
 他方で、子どもに鍛錬や我慢を課さない近年の教育(政策)が失敗しているので、ニートも、フリーターも、パラサイトシングルも減少する気配はありません。
 また、男女共同参画の日常施策を考えることのできない男性政治家や行政のトップは、ほとんど適正な少子化の歯止め策や女性の就労促進のシステムを講じることに失敗しています。結果的に、一向に増える気配のない「生産人口」が「増え続ける高齢・依存人口」を扶養し続けなければならないとしたら、「投げやり」で「ばかばかしくなる」気持ちも分かろうというものです。

4 他力本願-企業頼み

 定年が延長され、企業には65歳までの雇用義務が法的に課されました。高齢者の体力低下や労働リズムを考慮しない一律の定年延長政策は確実に企業効率を低下させることになるでしょう。若者と高齢者が同じペース、同じリズムで労働が出来る筈はなく、日進月歩の技術革新に生涯教育を離れた高齢世代が付いて行ける筈はありません。
 現行の労働法令も労働組合も、能力主義の賃金体系を認めることに激しく抵抗するので、止むを得ず企業は自衛のため、全体の賃金水準を押し下げ、高齢者を雇用し続けることになるでしょう。高齢者を雇用し続けなければならない分、若者の就職はさらに難しくなり、社会不安も増大すると予想されます。政治も行政も、高齢者の社会参画や社会貢献を促進する方策を講じないで、企業頼みの他力本願で逃げようとしているのです。ゲートボールやグラウンドゴルフに自由気侭な生涯学習を加えて、高齢者の志や活力が維持できる筈はなかったのです。

5  法も思想も「一律」発想

 一方、高齢者が労働に従事し、所得を得れば、年金が減らされる仕組みが「生涯現役」の生き方を妨害しています。健康保険制度が「健康に努力している人」を顕彰せず、「病気になった人間」に褒美を出す仕組みであるように、日本の年金制度は、「元気で働き続けて、税金を納めている者」を顕彰せず、その年金を減らしてすべて、「横並び」の無為の高齢者として扱おうとする「一律思考」です。
 したがって、「元気な高齢者」と「元気を失った高齢者」、「意欲のある高齢者」と「意欲を失った高齢者」、「社会に依存する高齢者」と「社会に貢献し続ける高齢者」を、すべて同列に扱います。こうした一律発想を変えない限り、生涯現役論は「絵空事」に終わります。高齢期の人間の生き方は人それぞれに志が違い、終末期の戦い方はそれぞれに覚悟が異なるのです。「頑張る者」を顕彰し、「志高き者」に光を当てないことは、青少年教育も高齢者政策も同じです。運動会まで、手をつないでゴールさせる「横一列」を「平等・公平」な民主主義と勘違いしている戦後日本の「蒙昧」です。

6 高齢者「保護」の偏見

 高齢者は、教育においても、福祉においても、基本的に「保護」の対象としてしか認知されていません。高齢者を保護の対象としてだけ認識するのは、若い世代が「老い、衰えて行く自らの老親」を観察した結果、感情的主観に流された「偏見」だと思います。壮健な時代の両親と老いた両親を比べれば、その感慨も分からないではありませんが、「守られた生き物」は確実に弱体化します。彼らの両親もまた同じ道筋を辿ります。「保護」に偏った高齢者観が、高齢者自身を「保護」に慣れさせ、社会にも回りにも甘えさせ、自身を無能化し、自らの自立を妨げることになるのです。
 高齢者はひたすら「守らなくてはならない」という「保護」の偏見が、若い世代をも高齢者自身をも誤らせています。インターネットに登場する世間の「親孝行」観は、「親世代の頑張りに続け」とは誰もいいません。甘ったるく「心配をかけるな」とか「誕生日にはありがとう」を言えとか、「親を労る」ことだけを教えています。高齢者は、もはや子どもの目標にはなり得ないというのでしょうか?
 内閣府がやっているままごとのような生涯現役者の紹介を除けば、日本社会には、高齢者の社会貢献を顕彰し、高齢者の「生きる力」を鍛えるプログラムは皆無に等しいのです。世間は、「高齢者はもう頑張らなくていいのだ」というメッセージに満ちているのです。頑張ったところで誰にも褒められない高齢者は、「頑張ること」を止めるのは自然です。努力することを止めた高齢者が急速に老衰することは「廃用症候群」の証明しているところです。
 高齢者健康プログラムの幼稚性や幼児化した介護現場の教育プログラムは、高齢者保護の偏った思想がもたらした結果です。プログラムを多様化し、鍛えるプログラムを導入し、選択制とし、高齢者の努力を顕彰するような抜本的な見直しが不可欠だと思います。

7 問題は高齢者の無為と安逸をむさぼるライフスタイル

 高齢社会では、高齢者の増加だけが問題ではありません。「何もしない高齢者」の増加こそが問題なのです。老衰とぼけは彼らの間で急速に進行します。「廃用症候群」も「オーバーローディング法」もいまだ国民の常識にはなっていません。問題は高齢者の無為と安逸をむさぼるライフスタイルです。「廃用症候群」についても「オーバーローディング法」についても、すでに論じたので詳細を避けますが、適切な「負荷」をかけ続けなければ、高齢者の機能は衰退し、気力、能力ともに高齢者は滅ぶということです。

8 「死に方」を論議しなくていいか?

 終末医療が膨大な国家支出の原因になっています。一日280億円という試算もあります。制度的に「安楽死」を認めるか、個々の高齢者が「尊厳死宣言」を書くしか回避の方法はありません。終末医療費に付いては、過日、麻生副総理が不適切発言で注目を浴び、自らの発言を取り消したそうですが、表現は下品でも言わんとしたことは間違っていません。日本人の死に方は、国家財源に依存したところが大きいということを指摘したのです。認知能力を失い、判断能力を失い、決定能力も、実行能力も失って、人間の基本機能を亡くした後も、機械によって生かされ続けるという「死に方」を論議しなくていいか、という問題を提起しているのです。
 小生も、「オレをチューブにつないで生きさせるな」と子どもたちに「尊厳死宣言」を渡していますが、果たして現行制度がそれを認めるかどうかは病院と医者のビジネス感覚次第なのです。

9 「望ましい高齢者」像の不在

 日本社会は、様々に青少年を顕彰するシステムや「望ましい青少年」像を工夫してきましたが、「望ましい高齢者」像については考えたこともありません。高齢者の社会貢献を顕彰する仕組みも発想も貧しい限りです。安逸をむさぼり、無為に暮らしている高齢者も、老いてなお税金を払い、社会貢献をして暮らしている高齢者も政治や世間の処遇は同じです。政治は、せめて現行の「ボランティアただ論」を改め、急ぎ「高齢者社会参加基金(ボランティア基金)」や「高齢者社会貢献顕彰制度」を制度化すべきです。

10 幼老共生のプログラムの不在

 「豊津寺子屋」の実践以来、筆者は、高齢者に共通してできることは孫世代の育成・トレーニングに関わることであると書いてきました。それは決して自分の孫のことではありません。他人の孫のことです。高齢者が孫世代の育成に関わるシステムを構築することこそが「幼老共生」です。もちろん、高齢者には養育・教育に関わる研修や自身のトレーニングが不可欠です。また、現行の学校方式では、いたずらに資格論や技術論に走って何もできないことになることも明らかでしょう。
 高齢者が育って来た条件を孫世代育成に生かすためには、おそらく学童保育や子ども会のような放課後の全国的仕組みが必要になります。孫世代の育成に関わることで、彼ら自身が活力を維持し、人生の経験を子どもたちに伝える機会が生まれるのです。しかし、今、安楽余生の真っただ中にある彼らが本気で社会貢献に踏み出すためには、新しい高齢者像と高齢者の研修と社会参画システムが不可欠なのです。

町内会無惨!!-「無縁社会」の個人主義
-行政の下請けをして来た共同体型自治組織の崩壊-

 たまたまその日は、組み内で家に居たのが筆者一人だったらしく、立ち寄られた組長さんの奥様と立ち話をすることになりました。昼間は留守の家が多く、緊急のお知らせの回覧板が回覧板の役目を果たさないので、自分でポスティングをしているというお話でした。
 「ところであなたは団地の役員をなさったことがありますか?」というお尋ねでした。「はい、運悪く家内がくじを引き当てて公民館長をやりました」。「ご経験がおありなのですね!年度末になって、次の役員を募集しているのですが、どなたもなり手が居ません」。「家にいらっしゃることも多いとお見受けしましたが、何かなさっていただけません?」「とんでもありません。そろそろ自治会を抜けようと考えているところです。」「まあ、どうしてですか?熟年の方が引き受けないと自治会はつぶれてしまうのではないでしょうか?」
 「私が何か新しい提案をしたとして、みなさん協力なさいますか?」「300人も子どもが居て、子ども会一つできない団地に自治能力はないと思います」。「あなたやあなたのご主人様はお引き受けになりますか?」「・・・・」。

1 共同体の崩壊は自由な「無縁社会」を生み出しました

 共同体の崩壊は、「共益優先」が「自己都合優先」に変わったということです。換言すれば、「自己中」社会が「共同体文化」を崩壊させたのです。昔を懐かしんで、「おたがい様」の文化に戻れという人もいますが、一度「自己中」の自由と気ままを味わい、「自己都合の優先」を認められた人々が昔に返る筈はないのです。共同体の崩壊によって、住民は「共益の管理」-「共役の供出」という地域社会の義務から解放されました。「共役」の義務のなくなった地域住民は、しきたりや慣習から解放され、個々バラバラに自己都合を追求する自由で、気ままな日本人になりました。自由で気ままな日本人が作った暮らし方が「無縁社会」です。

2 産業構造の激変→共同体の崩壊

 共同体は産業構造の激変によって消滅したのです。日々の稼ぎの根本は個人や個別企業の「技術」や「営業」であり、地域資源も地域住民の共同もほぼ関係がなくなりました。経済の国際化も地球化(グローバリゼーション)も地域共同体を必要としていません。
 従来の共同体は農林漁業を基幹産業とした住民の「共益」を守る仕組みでした水資源も、森林資源も、海洋資源も地域住民の共同財産であり、それ故に住民総掛かりの共同管理を行なって来ました。「共益」の管理は「共役」によって行ったのです。誰もが地域の役割を担っていたのはそのためです。
 おたがい様も、助け合いも、共同防災も、共同防犯も,資源管理の一斉行動も、一律のしきたりや慣習も「共益」を守る共同体文化の一環です。個人の自己都合・わがまま勝手は「共益-共役優先の原理」の前に許されませんでした。
 個人の都合を言い張るものは、「共益」の「分け前」をもらうことはできませんでした。共同体の個人への制裁が「村八部」であったのも頷けます。個人の「自由」(勝手)は許されなかったのです。

3 地域は個人を拘束できない

 現代では当たり前のことですが、もはや地域の名で個人を拘束することは出来ません。共同体が崩壊し、都市型スタイルの生活で「共益」はほぼ消滅しました。「共益」がなくなれば、「共役」の必要もなくなります。地域住民の義務も、一斉行動も消滅します。一斉行動が崩壊した今、自由人の自己都合を束縛する地域総掛かりや地域総出の事業は何ごとにつけ不可能です。
 回覧板も、地域の一斉清掃も形骸化しました。町内会の組織率は農村部でさえ7割前後になり、都市部では半分を切っているでしょう。その町内会活動の大部分は行政の下受けで、惰性ですから、地域問題の解決にも、地域の教育力にもほとんど役に立ちません。役員はくじ引き交代制で、ひたすら任期の終わる年度末を待ち望んでいます。自己都合以外の余計なことはしたくないのです。「共益」-「共役」が残っているのは、水資源の共同管理が必要な米づくりの農村地域だけになったのです。

4 町内会も自治会も共同体の「落とし子」です

 共同体文化を応用した地域組織が「隣組」や「自治会」ですが、共同体が機能しなくなれば、共同体文化に依拠した地域組織も機能しなくなるのは当然です。町内会も自治会も共同体の「落とし子」だからです。
 今や防災や防犯の共同も分業化され、自治消防団は衰退し、共同防犯は保険業界やSECOMのようにビジネス化したのです。形骸化した防災訓練に住民が出て来ないと役員が嘆く訳です。
 二つの震災の教訓をどのように強調しようとも、地域住民が「自らの自由」を「全体のために」「供出」する時代は終わったのです。それゆえ、災害の後始末が落ち着けば、「仮設住宅」で「孤独死」が再び始まるのです。仮設住宅もまた、「無縁社会」の中にあるからです。「震災の教訓」を持ち出そうと、流行りのスローガンの「絆」を持ち出そうと、住民はみんな自分の身は自分で守るしかないと考えています。小生は、できる範囲の人助けはするつもりですが、自分が苦境に陥った時に、地域住民に助けてもらえるとは思っていません。

5 誰も地域の子どものことは考えません

 社会教育・まちづくりの分野では、「地域ぐるみ」で子どもを育てようと言いますが、「無縁社会」に「地域意識」はほとんど存在していません。学校は学校のことしか考えず、保護者は自分の子どものことしか考えません。誰も地域のことは考えません。
 地域全体の子どもを預かっている教育行政が噛まないかぎり、地域ぐるみの教育力を育てることは不可能に近いのです。しかし、状況の深刻さが分かっていない教育行政や学校は「学校支援地域本部」だけを作って「地域支援本部」の設置は考えも及びません。だから保護者は塾やお稽古ごとで放課後の子どもの自衛に狂奔し、教育費が高騰するのです。
 また、男女共同参画の時代と言いながら、行政の「縦割り」を言い訳にして、学校も教育行政も、学童保育の子どもには見向きもしません。福祉行政もまた「オレたちは教育には関係がない」とばかりに「放課後児童健全育成プログラム(児童福祉法第6条:学童保育)」を、「健全育成プログラム」がないままに放置し、子どもは「準軟禁状態のお守り」に任せています。従って、学童保育の子どもたちの保護者もまた、「お守り」の時間を抜け出させて塾やお稽古ごとに行かせるのです。みんな「誰も助けてはくれない」ことを実感しているのです。

6 無縁社会のルールは「自己責任」

 「無縁社会」とは、自由人が自己都合で生きる社会のことです。「無縁」とは「誰も私に干渉しないで!」という意味ですから、頼まれもしないのに誰も他者に支援することのない社会です。「親切」は「お節介」に、「お節介」は「内政干渉」に転化したのです。「個人情報保護法」はそうした考え方の象徴です。「私にかまわないで!」、「あなたに関係ないでしょう!」という法律です。
 自由になった日本人は「自分本位」の「自分流」で生活し、あらゆることを自己都合優先で選択します。友人も職業も、ライフスタイルも楽しみ事も全て居住地域には関係なく選びます。当然、自己選択の裏側は「自己責任」ですから、時代は人々自身の選択責任を問うことになりました
 もちろん、人々の選択の成否は、格差に繋がり、「選択に失敗した人々」、「選ばれなかった人々」の孤独や孤立に繋がります。格差は、生涯学習格差の総合結果として、情報格差・知識格差、経済格差、健康格差、交流格差、自尊格差などを生み出します。
 しかし、「自由人」が招いた結果は自己責任ですから、誰も干渉せず、誰も助けてはくれません。それゆえ、「自己責任」社会は、「自業自得」社会という意味でもあります。「自分本位」社会が、社会的弱者のための「セイフティ・ネット」論にどことなくよそよそしいのはそのためです。

7 いまだ「志縁」は無力です

 もちろん、「無縁社会」の中には、解決すべき問題や助けを必要とする人々が存在します。その場合でも、地域全体は動きません。そうした問題に関心のある特別な人だけが動きます。通常、「自己中」社会は、構成員が「自己中」ですから、多くの人は自分の暮らしに直接的な関係がない限り,「地域」についての問題意識すらありません。
 地域づくりは「関心のある人」だけが頼りです。人々の「関心の縁」が「志縁」です。それゆえ、現代の地域活動は「関心の縁:志縁」を結節点として「この指とまれ」方式で組織化されなければならないのです。しかし、未だ「志縁」は無力です。政治にも、行政にも、人々の地域貢献・他者貢献・社会貢献を顕彰する仕組みも発想もありません。政治や行政はまだ「町内会」でできる筈だと幻想しているのです。
 それゆえ、「地域の絆」はかけ声だけの「虚言」に終わります。「自己中」社会は「身内」、「仲間内」のことにしか関心のない社会です。「絆」は、関心のある人だけの「絆」、「がんばろう日本」は、関心を持ち続けてがんばる少数の人だけの「がんばろう日本」に終わります。以後、高齢社会が進行するに連れて、「組長」の役割を果たすことのできない人々が急増します。そこから「町内会」は崩れ始め、近隣の「無責任と無惨」が始まります。仮設住宅で孤独死が始まるのはそのためです。地域に苦しんでいる人がいたとしてもそれは彼らの自己責任であり、自分たちとは関係ないというのが「無縁社会」だからです。

8 たこつぼ型の「この指とまれ」

 「無縁社会」の地域活動は 決して全員の賛成が得られることはありません。活動者は孤立して「タコツボ」型にならざるを得ないのです。それゆえ、地域横断的にタコツボをつなぐネットワークが重要になります。「協働」や「連絡会議」や「共同研修会」が不可欠になるのはそのためです。現代の「地域づくり」は「志縁づくり」にならざるを得ないのです。「関心のない人」は、最初の段階では、置いて行くしかないのです。
 「風の便り」は「この指とまれ」方式です。毎月の「生涯教育まちづくりフォーラム」も「この指とまれ」方式です。呼んでいただく講演活動も大部分も、「動員することを止めた」「この指とまれ」方式になりました。社会参画は大事ですが、ここまでが筆者のようなじいさんに出来る限界です。

「生涯現役・介護予防カルタ」
-カルタ取りのルールと進め方-

 カルタ取りの進め方については、12月の第126回生涯教育フォーラムで実験し、1月の佐賀市の勧興公民館の大会で実践し、下関のお披露目の大会で確かめました。また、宗像市の助産院の賀久はつ 様はご自分の患者さんと試してみた際のお便りと感想を下さいました。読み札の文言を理解していただくことがこのカルタの眼目です。それゆえ、通常のいろはカルタのように、絵札の文字だけで取った枚数を競うということでは、ほとんど意味がありません。以下は、これまでの実践から学んだ「ルール」と「進め方」の作法です。ご参考にしていただければ幸いです。

1 ゲームは5-6人1組で行います。少なすぎれば熱気が湧かず、多すぎれば熱気が拡散してしまいます。
2 高齢者のように畳に坐ることが難しくなった方々には、長いテーブルを二つ組み合わせて、メンバーは向かい合って坐ります。
3 誰もが2-3枚は取れるように、1人につき3枚の絵札を自分の前に並べます。残りの札はテーブルの真ん中に、各人から距離が均等になるように広げます。
4 ルールは次の通りです。
(1) 読み手は、ゆっくり、明瞭に読み札を2回読みます。
(2) 取り手は、カルタを押さえて、押さえた手を動かしません。離してしまうと失格になります。万一、次点の方の手が上に乗っても、そのままにして、読み手が2回目を読み終わるのを待ちます。
(3) 読み手が2回目を読み終えたら、最初の取り手は、「最後の句」を復唱します。
「最後の句」は、「字余り」の読み札をあるので、いわゆる「下の句」の「7-7」でも、「下の句の最後の言葉」の「7」だけでも構いません。
(4) それが正しく復唱できた時、初めてカルタはその人のものになります。
(5) 最初の取り手が正しく復唱できなかった時、その取り札は「無効」となります。ただし、次に手を重ねている次点の方がいた場合、復唱の権利は次点の方に移ります。次点の方が正しく「最後の句」を復唱できたら、取り札は次点の方のものになります。
(6) 読み手がすべての札を読み終わった時、取り札を一番多く取った方が優勝です。
5 取り手が、取った札から手を離してしまったり、「最後の句」をよく聞いていなかったりする場合が多いので、ゲームを始める前に練習を2回します。
6 ゲームに参加しない方がいたら、審判役として、解説書を持って、各テーブルに付いていただけるとフェアプレーができます。
7 大人のゲームであっても「小さなご褒美」一つで熱気が倍増します。お試しください。
158号§MESSAGE TO AND FROM§
 佐賀市勧興公民館でのカルタ大会、下関でのお披露目の研修カルタ大会、沢山のみなさまのご協力ありがとうございました。また、この間いただいた沢山のお便りもありがとうございました。カルタの増刷は辛うじて下関大会に間に合いました。カルタをご希望の方は小生までお申し出ください。定価千円、郵送料160円でお届け申し上げます。今回は紙数が足りなくなりましたので、諸々の感想は次号に回します。ご寛容にお許し下さい。

過分の郵送・印刷料をありがとうございました。

佐賀県佐賀市 城野眞澄 様
福岡県太宰府市 大石正人 様
福岡県久留米市 鈴木たみ子 様

お知らせ

1 地域発「活力・発展・安心」デザイン実践研究交流会(第128回生涯教育まちづくり移動フォーラムin大分)

1 期  日  平成24年2月23日(土)-24日(日)15:00~17:00
2 会  場  梅園の里:国東市安岐町富清2244、-0978-64-6300
3 大会テーマ:子どもを育て、子どもが活躍するまちづくり
4 基調報告「教育の恊働とコーディネートシステム」
5 実践事例発表:10事例
6 特別講演:2020年の「高齢者爆発」に伴う社会的危機を回避できるか?

2 「学童保育に教育プログラムを入れると子どもの何が変わるのか?」-山口市「井関元気塾」平成24年度最終発表会(第129回生涯教育まちづくり移動フォーラムin山口)

 最終発表会ですので福岡のフォーラム実行委員会と相談の上、共催の「移動フォーラム」に位置づけました。最後の「茶話会」を「研究交流会」として企画しました。簡単ですが、お昼の軽食も準備致します。「風の便り」の読者のみなさまもふるってご参加ください。
 子どもの成果の発表会に留まらず、茶話会の中で参加者の2分間スピーチや指導員との質疑応答、実行委員の論文発表なども組み合わせたいと考えています。どうぞご期待ください。

I 発表会
日時:平成24年3月2日(土)10:00-12:00
場所:山口市立井関小学校体育館(防寒準備にご注意!!)
資料代:100円
申し込み:所属・氏名を添えて事前申し込みが必要です。準備の都合上、当日参加はご遠慮下さい。
申込先:〒754-1277 山口市阿知須1639番地
井関小学校内「井関にこにこクラブ」
電話/Fax:0836-65-1570(14:00以降にお願いします。)
定員:会場の都合により先着100名で閉め切らせていただきます。
発表会終了後は、移動フォーラムを兼ねた「茶話会」を企画(参加費:300円)します。簡単ですがサンドイッチなどの軽食の準備を致しますのでふるってご参加ください。

II 茶話会(移動フォーラム) 12:30-14:00
  コーディネーター 三浦清一郎
(1) 歓迎の挨拶 主任指導員上野敦子
(2) 参加者の2分間スピーチ
(3) 指導員のリレートーク:「この1年で思ったこと、学んだこと」
(4) 「学童保育に教育プログラムを入れると子どもの何が変わるのか?」:研究の目的と成果 九州女子大学准教授 大島まな
(5) 小論文発表:現代の子ども教育論の誤謬 生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎
(6) その他

場所:井関小学校新館二階-多目的ホール
   
3 NPO生涯教育まちづくり支援協会 平成25年度総会

(1) 日時:平成25年4月20日(土)
(2) 場所:未定
(3) 総会終了後第30回生涯教育まちづくりフォーラムを予定しています。
(4) テーマ、報告者等に付いては追ってお知らせ致します。

編集後記
「個性」と「欲求」を同一視し、「主体性」と「欲求」を等値すれば、子どもに「逃げ」も「選択」も許さざるを得なくなる

1 「逃げ」のK君

 学童クラブのK君が、「とびばこ」と「漢字」の練習が辛いと言って涙をこぼしたと教員が言っていました、と帰り際に指導員から聞きました。その日、K君は「学童」には来ませんでした。これまで他の指導プログラムでも何度かあったことですが、子どもは自分の苦手なものから逃げようとします。「逃げ」の原点は「好き嫌い」です。「なぜ、学校は子どもの背中を押してやらなかったのか」と強い怒りを覚えます。筆者だったら、「一緒に行ってみよう。指導員の先生にちゃんと頼んで上げるからね」と言って、学童クラブまで引きずってでも引率したことでしょう。K君の泣き虫・意気地なしは周りの誰もが知るところだからです。そうした引っ込み思案と逃げ腰な態度を克服するのがこの1年の学童指導の「隠れたカリキュラム」です。
 他の子どもたちがみんなあれほど熱中して跳んでいるのに、漢字も競争で「クイズ」に答えているのに、参加さえすれば、簡単に解決できることなのに、「なぜ、K君を応援して、学童まで連れて来てくれることさえしないのか」。学校は自分以外のプログラムは嫌いなのか、それでも教育者か、と思います。学校教員と付き合うとつくづくやる気を削がれます。
 K君のことを知らないで、その日は跳び箱を7段に上げると宣言しました。みんなが歓声を上げて喜ぶのです。そのような雰囲気の中で、「逃げ」のK君は、ますます孤立して到底発表会には出ることが出来なくなるでしょう。発表会に出られなければ、K君はますますみんなから取り残された感を抱き、孤立するでしょう。そういう子どもの「逃げ」の姿勢を暗に学校が増幅しているとさえ感じました。怒りのあまり、責任者の大島准教授に感情をぶちまけました。彼女から返事が来ました。

2 大学まで続いている

・・・・、もしかしたら、「子どもが嫌がることを何もそこまでしなくても・・・」と思われているのでしょうか。小学校時代から中学・高校と「嫌ならしなくてもいいよ」と負荷から逃げることを許されてきた子ども達が、大学生になって教育・保育実習などの負荷に耐えられず、脱落していく様を何人も見ています。実習が近づいてきただけで、気分が悪くなって休む学生もいます。卒業して社会に出るのはあと1-2年、どうやってこの世を生きていくのでしょうか。(結局そういう学生は、就職が決まらないままにニート・フリーターへ、ときには引き篭もりへと道を辿る子もいます。)子どもの言うことを真に受けるということは、その場しのぎに教育を放棄して、その子の成長の先の不幸を想像できないということでしょうか。

3 人生を「生きる力」を鍛えたいのなら、「個性論」と「主体性論」と浅薄な「人権論」を捨てよ!

 保護者が子どもを庇うのは「子宝」を守っているつもりですから、いつも言う通り、日本の風土では仕方がありません。保護者は我が子への愛に、教育上、盲いているのです。その上、保護者は教育の素人です。だから当方の説明が分からなくてもこれまた仕方がありません。
 しかし、教員や指導員は現に他人の子どもを預かって指導しているのです。「個性」と「欲求」を同一視すれば、子どもの「わがまま」も、「好き嫌い」も、「逃げ」でさえも、「個性」だということになります。指導プログラムを無視して、子どもの気持ちを優先すれば、「主体性」と「欲求」を等値することになります。子どもの欲求を優先すれば、子どもの「逃げ」も優先することになります。あらゆることで子どもの「気まま」と「選択」を許さざるを得なくなるのです。そうした教育姿勢が日本の子どもを駄目にしているのです。この1年、井関元気塾は個々の子どもの事情を聞きませんでした。異学年の発達の違いにもできる限り目をつぶってきました。異年齢集団は社会の原型です。構成員の能力も経験もそれぞれに異なります。だから、子どもは異質集団への同調を学び、異質な構成員との協調を学んだのです。プログラムに参加している子どもは、体力も耐性も社会性も礼節も学び、学力も付いているのです。「学童保育」は、子どもが行こうと行くまいと、保護者が行かせようと行かせまいと強制力はありません。各人の選択です。しかし、ひとたび、学童に参加した子どもについては、プログラムの選択を認めませんでした。「逃げ」も「好き嫌い」も認めませんでした。人生を生きる力を鍛えたいのなら子どもの事情を聞かないことです。世間は彼らの好き嫌いを認めません。人生の諸問題に対する「耐性」を鍛えることが指導者の責務です。子どもの勝手気ままを認めないのは、残酷でも、冷たいのでもありません。ましてや、子どもの人権を侵害している訳でもありません。わがままや逃げを阻止することは、教育の第1歩であり、子どもの人権と何ら関係はありません。われわれは子どもの未来を信じて、体力や耐性を鍛えるプログラムを提示しているのです。自分の前に立ちはだかる指導者によって子どもは強くなって行くのです。
 この1年、筆者は、ほぼ毎週山口まで通いましたが、無駄なことをして来たのではない、と信じたいものです!

*原稿を書き上げた時点で、K君を「学童」まで担任が連れて来てくれるようになったと報告がありました。主任指導員の陰の力が大きかったのだろうと感謝しています。

「風の便り 」(第157号)

発行日:平成25年1月
発行者 三浦清一郎

2013年の新年号をお届けします。衰え行く心身の機能に現場の「負荷」をかけながら書いて参ります。今年1年、どうぞよろしくご鞭撻ください。

「人生」を跳んでいるのです
 
1 技術を教えているのではありません。挑戦を教えているのです。

 自分の背丈よりも高い8段の跳び箱に向かって行く子どもは、跳び箱を跳んでいるのではありません。人生を跳ぼうとしているのです。
 体育の専門家は跳び箱を跳ばそうとして、技術を教えます。小生は「人生」を跳ばしているのです。体育の専門家は、踏み板の使い方や、手をつく場所などを懇切丁寧に教えようとしますが、技術やコツを教えるだけでは、怖がっている子どもは跳べません。彼らに欠けているのは、勇気と挑戦のスピリットだからです。
 ただただ怒鳴って、褒めて、手を叩いて喜んでいるだけの小生の教え方に専門家はご不満と聞こえてきます。しかし、専門家はどこまで子どもたちを跳ばすことが出来るでしょうか!?

2 なぜ「プロ」では出来なかったのか?

 鹿児島県志布志市にあるヨコミネ式の伊崎田保育園を見せていただいた時の矢野園長さんの言葉が蘇ります。「プロを入れたら、音楽も体育もすべてうまく行かなかったのです」。「子どもたちが何をどこまでやれるのか、やりたいのか、私たち自身が見極めようとした時、できるようになったのです」。「子どもたちが向かって行かなければ、何も出来るようにはなりません」。そのためには、指導者が向かって行かなければ、子どもも出来るようにはならないのです。
 伊崎田保育園の指導は、矢野園長さんの「殺気」で持っていると理解しました。彼女はいわゆる教育の経験者ではありません。元々は「給食のおばさん」でした、と言ってお笑いになります。他の指導員と決定的に違ったのはその気迫でした。彼女の指揮の下で、子どもはあらゆる課題に向かって行くのです。1年近く、「井関」の指導をしてみて分かったことは、脱落して行く子どもの親は、「知識・技術」と「挑戦の精神」の違いの一点が分からないのです。おそらくプロも同じで、知識や技術だけを教えようとするのです。多くの保護者が、塾や習い事で知識・技術を身に付ければ、人生の力が付くかのように勘違いしています。それ故、学童の指導員を信用して任せてはいません。「お守り」だけの現状から見れば、無理もないことではあるのですが・・・・。
 学校の職員会議のある日は、一斉下校ですが、かえって子どもの数が少ないのは保護者が塾や習い事に行かせて、保育の欠けがちなところを「自衛」しているからです。
 しかし、跳び箱が跳べても、漢字が書けても、その他の習い事が多少上達しても、それだけで人生の力が付いたことにはなりません。

3 最大の関門は自律と挑戦の精神です

 自律と挑戦の精神は目に見えないので、指導員ですら子どもの変化に気がつかない場合が多いのです。集中力や根性も同じです。
 学校で多少の悪口を言われただけで不登校になったり、試験で多少の失敗をして泣きじゃくったり、現代の子どもには「意気地なし」が沢山います。
 しかし、「人生」を跳ばせることに慣れてくれば、「意気」を体得します。我々指導者は、「その意気だ!」、「行け!」と叫び続けます。
 「井関」で難関に向かって行く気力を学んだ子どもは叱声にめげず、失敗にめげません。泣きながら向かって行くうちに、跳び箱も漢字もどこかでコツをつかみます。何人もの1・2年生がそのようにして、4段を跳び、5段を跳び、6段を跳ぶようになりました。まれに7段を跳ぶ子どももいますが、その子は、特別に優れた資質の持ち主なのでしょう。
 しかし、優れた彼らも、見上げるような8段は跳べません。おそらく、物理的に筋肉や関節その他の運動能力の発達段階を考慮すれば、7段を跳ぶことも大部分の1年生には無理でしょう。
 しかし、小生は8段を跳べと叫びます。2学期の終わり頃から、挑戦しない子どもがいなくなりました。
背の高い5・6年生の二人が8段を跳んで、下級生の憧れのまなざしを浴びて誇らしげでした。
 8段の練習をしばらく続けて、全員が跳び箱に跨ったり、しがみつくようになったら、一気に6段に下げます。すると、それまで6段がどうしても跳べなった子どもの何人かが跳べるようになります。比較の問題なのでしょうが、8段に比べれば6段はずっと低く見えるのでしょう。難しい課題を恐れなくなれば、それ以下の課題には恐怖もためらいもなくなるのだと思います。
 それでも一人一人に練習させ、一人一人を跳ばせている間は、泣き泣きがんばってもなかなか上達しませんでした。

4 「連続跳び」の奇跡-「目標」を会得し、「恐怖」を克服できれば先へ進めます

 ある日、ある時、上級生に後ろから追われて、必死の形相になった1年生を見ました。その時です。跳び箱に「朗唱」や「子ども講談」のような「集団の圧力」や「同調意識」を応用できないかと気づきました。
 それが集団による「連続跳び」です。これまで丁寧にやって来た個人指導とは全く逆のアプローチです。
 ランニングとストレッチで十分身体をほぐした後、学年に関係なく、子どもたちを一列縦隊で並ばせ、まえの子どもの背中を追うように、お互いの距離を詰めて連続して跳び箱に向かわせました。もたもたしていたら次の子どもが上から降ってきます。
 考える余裕も、ためらう暇も、息もつかせぬ「連続跳び」です。左から5段、6段、6段、7段を交互に向きを変えて置き、5段から相互の間隔を詰め、後ろから追いかけるように、連続して跳ばせます。5段を跳んだら一転して、6段を跳び、さらに一転して、次の6段を跳びます。最後は、巨大な7段に向かって行きます。連続3周も回すとさすがの子どもたちも「休め」で、体育館の床に仰向けに寝転がって休みます。
 一人ずつのときは跨がってしまう子や、マットの上に転がって「痛い」だの「打った」だのとぐずぐず言いながら起き上がってくる子どもが多いのですが、「連続跳び」では、次々と後ろから追われるので、気持ちの上でぐずぐずすることが許されません。子どもはそれが分かっています。次の子どもが上から振ってくるからです。
 小生は、「じゃまだ!」、「次が来るぞ!」、「さっさとどけ!」、「速く降りろ!」と怒鳴り続けます。無事に跳んだ子どもも大慌てでマットを駆け下ります。
 誠に不思議なことですが、跳べなかった子どもが後ろから追われるプレッシャーで、ためらいや恐怖を覚える暇もなく、跳び越えて行きます。何度指導しても出来なかった子どもがいとも簡単に跳び、さらに、何人もが一段上のレベルも跳びました。
 「子どもの個性を尊重し」、「一人一人に寄り添った教育」などの論議を一笑に付して来た小生も、跳び箱は個別に指導する個人技だと思っていました。不覚でした。そうではありませんでした。子どもたちの跳び箱は、子ども集団が跳ばせているのです。換言すれば、人生の火事場力が跳ばせているのです。
 勝ち抜き戦にして、跳ぶことに失敗したものを失格させて行くとさらに効果が上がりました。勝ち残ったものが全員の拍手を浴びて鼻をうごめかしている得意顔は至福の風景でした。
 2学期は我々指導者も勘違いして、子どもの花道を跳び箱に設定し、一人一人が片手を上げ、自分の名を大きな声で名乗ってから、跳ばせました。
 それぞれの挑戦に、子どもも保護者の皆さんも大いに張り切って喜んだのですが、連続跳びに比べればレベルは遠く及びません。最後の発表会では、「個人」を見せないで、「集団」を見せるベきだという結論に至りました。ようやく「朗唱」などと同じ結論に達したのです。以後、子どもたちの漢字練習も、カルタ取りも一気に雰囲気が変わりました。彼らもまたどこかで「連帯」の魔法を感じているだと思います。

5 「秀吉」の自覚-集団の自覚と協力こそ個人の力も集団の力も越えさせる

 若き日の「秀吉」が、槍の長短の是非を証明するため、主君「信長」の面前で、二手に分けた足軽の試合をさせられたことがありました。片方のチームは槍の師範が特訓した足軽たちです。それゆえ、個人技は秀吉チームの足軽たちよりレベルは上だったことでしょう。しかし、秀吉は、自分のチームの足軽たちにごちそうを与え、酒を飲ませて、元気づけ、一斉に「声を上げ」、一斉に「前に進み」、一斉に「突き」、一斉に「叩く」集団運動だけを訓練しました。
 秀吉チームが圧勝したことは言うまでもありません。人生のあらゆる課題、あらゆる戦いは、個人戦だと錯覚しがちですが、仲間が団結できれば解決し、勝つことが出来るものも多いのです。仲間が結束すれば、一人では出来ないことが出来るのです。3学期には跳び箱の「連続跳び」をご披露したいと思っております。

生涯現役発想を回転させる仕組み

 福岡県中小企業経営者協会が付設する機関に「福岡県高齢者能力活用センター」があります。設立15年にあたって、小生が記念誌にのせる座談会の司会を仰せつかりました。テーマは「生涯現役」で「輝いて生きる」ということでした。登壇者に高齢者の現状診断を示すことも司会者の役目ということで、従来考えて来たことを整理して小論にまとめてみました。

1 「現役」-「予備役」-「退役」と分ければ筆者は「予備役」

 「現役」の概念については、日本の参考書を読んでみても、なかなか思ったような説明が見つからず困っていました。しかし、英語の辞書を引いてみて答えが見つかりました。軍隊用語としての「現役」概念が最も分かりやすくて明快でした。現役の説明は「現に役割がある」とか、「現在役についている」ということで間違いはないのですが、それでは高齢社会の「マイペース・とびとび現役」は実質的に「常勤現役」ではあり得なくなります。職業上も、「定年後」の「現役」というのは機能の上では可能でも、制度の上では言語矛盾に陥ります。現役の反対語は何でしょうか?引退し、隠居したあとに世の中の活動に参加している状態はなんと呼ぶべきなのか。生涯現役と定年の関係はどうなるのかなど自分自身に説明できない問題が残りました。
 ところが、英語の辞書が示す反対語は明快でした。「現役」の反語は「退役」でした。英語では「ベテラン(退役軍人)」です。中間に「予備役」という概念もありました。「予備役」であれば、現在の自分の状況もうまく説明がつきます。筆者は定職についている訳ではなく、とっくに定年年齢も過ぎましたが、いつでも「現役」に復帰する訓練は続行中です。
 筆者の仕事は、必要に応じて必要な場所で与えられた機能を果たす、ということです。このように活動・任務において、機能の上で、臨機応変を要求される非常勤・半常勤の役目は警察なら「機動隊」、軍隊なら「機動部隊」になります。通常の彼らは筆者と同じように「出動」に備えて自らの訓練を続行しています。一般組織の中では、時に「タスク・フォース(課題別特別対応チーム)」と呼ばれます。「タスク」は「課題、「特別」は「臨時」、「フォ-ス」は「部隊とか力」の意味です。それゆえ、課題が解決できた暁には、「タスク・フォース」は解散します。
 小生は常勤ではないので、軍隊でいうと「予備役」になります。訓練次第で要請があれば、必要に応じて個別の作戦に従った戦線に投じられる戦力です。戦線では、時に他のメンバーと協力してシンポジュームのような「タスク・フォース」の一員になります。訓練が不十分で、しかも必要とされなければ、予備役は予備役にとどまり、現役にはなれません。「タスク・フォース」にも加えてもらえません。現在の小生と同じです。

2 方法論の多様性

 生涯現役は「時間」の概念であり、「機能や役割」の概念であり、「定期」/「不定期」が混在し、「就労」と「ボランティアの社会的サービス」が混合された概念です。
 「生涯を通して」という時は、「時間」を問題にしています。「人生経験を生かして」という時は、「機能」や「役割」が問われます。また、高齢社会における高齢者の現役論は、一部自営業などの例外を除いて、常勤ではあり得ず、「不定期」であり、時に就労、時にボランティアとしての社会サービスを意味します。
登壇者のご意見を聞いていたら、生涯現役の生き方が多様であることがよく分かりました。
 年商40億円を超える企業の社長さんの座右の銘は、「己に定年を課すな」ということでした。「まだまだやりたいことがある」ということが現役の証だと感じました。口癖は「まだ、まだ」、「ゆっくりするな」と言って世界を飛び回っていらっしゃいました。農業で起業をした女性実業家は、「準備が先だ」という人々を、一言で「充電は停電になる」と切って捨てられました。「農業に定年はない」ということは、「自然に定年がない」ということだという趣旨のことを指摘され、我が意を得たりの感がしました。「働いている人」は「健康」です。「健康」は「働くこと」の中にあるのです。これも同感でした。一人で生きられた筈はありません」-「高齢者の人生の後始末は「感謝」の表し方できまります」。定年によって職業生活が許されないのであれば、感謝はボランティアで示すしかないでしょう。これも同感でした。様々な生涯現役の方法があるのです。

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

宮崎県宮崎市 飛田 洋 様
 色々ありましたが、「人生の問題集」を解くとは言い得て妙ですね。振り返ってみれば、小生の感慨も一言で表すとおっしゃる通りになるような気がします。高齢者の最後は「実力テスト」です。それにしても、この度のご栄転はまさに快哉。最後に笑う者は、真に笑う者です。誠に、誠に嬉しいニュースでした。

北九州市 上原浩二 様
「ケヤキボールペン」は傍らのランプに吊り下げて、日々使わせてもらっています。名入りとは豪儀なものです。いよいよ2013年に向かってスタートです。年末年始の冬ごもり、一人暮らしのつれづれにYouTUbeの活用を覚えました。『青葉の笛』を聞いていたら、薩摩の守忠度が歌の師の藤原俊成に託し、死に際まで「えびら」に結んでいたという歌を知りました。『行き暮れて木の下陰を宿とせば、花や今宵の主ならまし』。小生も、今や花が主、春に備えて庭の手入れを始めています。

北九州市 植田武志 様

 3/2(土)の発表会は大島先生の頑張りと「特別研究費」の成果が問われます。新幼稚園長を連れてご検分ください。

沖縄県南城市 高嶺朝勇 様

 拙論の一部といえども、教育行政の責任者にご賛同いただき誠に励みになりました。いっそうの精進、いっそうの研究に心がけ、いつ社会の招集が来たとしても老いた「予備役」として対応できるよう鍛錬を続けたいと思います。うつくしい「久高島」の絵はがき写真ならびに「山村留学事業」のご紹介をありがとうございました。
 しかし、この国の国土の均衡発展を保証し、過疎問題を解決するためには、個別の「山村留学事業」では出来ないと思います。国の施策として、必ず一定期間は、都会の子どもを田舎の学校で学ばせる「セカンドスクール」構想が不可欠であると思います。憲法が保証する居住の自由を侵すことなく、過疎地に移動人口を定期的に流入させ、雇用能力を創出し、定住者を確保するためには、義務教育の構造改革をして、日本の子どもを自然豊かなところで鍛え直すという小学校教育の抜本的改革と転換が必要だと考えております。「子ども手当」の金や高校授業料無償化の予算を当てれば、過疎問題の解決を図り、子どもを過保護な環境から引き離して、「可愛い子には旅」、「子ども宿」、「他人の飯」などの伝統的知恵に学び、親の貧富に関わりない義務教育における公平な教育環境を創造することが出来る筈だと常々政治家やその周りにいる学者の発想の貧困を嘆いております。

山口県田布施町 三瓶晴美 様

 外泊が出来るようになり、お元気に向かっているお便り、なによりの安堵をもって読みました。今だからこそ、井関の子どもたちの生命力をあなたに見ていただきたいとつくづく思います。子どもたちにとってもそうだったでしょうが、この1年は小生にとって戦いでした。壁は、日本中を覆っている「児童中心主義」です。しかし、彼らの成長を願い、諦めずに教え続ける断固たる意志を示せば、子どもの生命力は、怒鳴っても、叱っても、競って伸びようとします。その躍動を見ていただきたいと思います。3月の体育館はまだ寒いのですが、万全を期してお招きできればと念じております。

匿名の読者 様

 行き届いた心配りの品々とお便り誠にありがとうございました。小生もこの1年は、人生の最後を締める準備に当てたいと考えております。いろいろやって来たつもりでも振り返るとまだまだ整理しなければならないことが多いことに気付かされます。カルタには「発つ鳥の後を濁さず,われもまた、捨つべきを捨て、断つべきを断つ」と書きました。お目にかかる機会を楽しみにしております。

過分の印刷・郵送料を頂戴し誠にありがとうございました。

福岡県宗像市 田原敏美 様
〃筑後市  江里口 充 様
宮崎県宮崎市 飛田 洋 様
福岡市 菊川律子 様
福岡県岡垣町 神谷 剛 様
北海道札幌市 水谷紀子 様
沖縄県南城市 高嶺朝勇 様
大分県日田市 財津敬二郎 様
福岡県宗像市 古野 浩 様
〃  〃   大島まな 様
山口県長門市 藤田千勢 様
大分県別府市 藤本律子 様
福岡県小郡市 飯田淳子 様
山口県下関市 永井丹穂子 様
大分県日田市 安心院光義 様
千葉県印西市 鈴木和江 様
北九州市 植田武志 様
山口県田布施町 三瓶晴美 様
福岡県久留米市 鈴木たみ子 様
福岡県飯塚市 森本精造 様
匿名の読者 様

お知らせ
1 第8回人づくり・地域づくりフォーラムin山口

日時:平成25年2月16日(土)-17日(日)
会場:山口県セミナーパーク(山口市秋穂二島1062、-083-987-1730)
事例発表:全国から24事例
記念講演:自分を最大に生かす方法、書道家、武田双雲
パネルディスカッション:「地域の教育力を高めるための典型・ネットワークのあり方」-森本精造、森田和康、左京泰明、司会三浦清一郎

2 「学童保育に教育プログラムを入れると子どもの何が変わるのか?」-山口市「井関元気塾」平成24年度最終発表会

日時:平成25年3月2日(土)10:00-12:00
場所:山口市立井関小学校体育館(防寒準備にご注意!!)
資料代:100円
申し込み:所属・氏名を添えて事前申し込みが必要です。準備の都合上、当日参加はご遠慮下さい。
申込先:〒754-1277 山口市阿知須1639番地
井関小学校内「井関にこにこクラブ」
電話/Fax:0836-65-1570(14:00以降にお願いします。)
定員:会場の都合により先着100名で閉め切らせていただきます。
発表会終了後、指導員を囲んだ「茶話会」を準備します。(参加費:300円)

3 第128回生涯教育まちづくりフォーラムin大分(地域発「活力・発展・安心」デザイン実践研究交流会

1 期  日  平成25年2月23日(土)-24日(日) 15:00~17:00
2 会  場  梅園の里:国東市安岐町富清2244、-0978-64-6300
3 大会テーマ:子どもを育て、子どもが活躍するまちづくり
4 基調報告「教育の恊働とコーディネートシステム」

5 基調提案「国東市の『協育』ネットワークの動向(仮称)」国東市教育委員会

6 実践事例発表:10事例
7 特別講演:三浦清一郎

8  問い合わせ・申し込み先

(1)東国東地域デザイン会議事務局・冨永六男
TEL 0978-65-0396
FAX 0978-65-0399
 住所:〒873-0355 国東市安岐町糸永2323

(2)大分大学高等教育開発センター・中川忠宣
TEL/FAX 097-554-6027
(教育支援課)TEL/554-7641 FAX/554-7445

編集後記 身辺、日々悩ましきこと多し

1 うらやましき事
 座談会で弁当が出た。小生の噛めぬものに沢庵、たこの酢の物、ピーナッツみそ。日本はまだシルバー弁当に気づいていない。

老人が音立てて沢庵を噛み居たり、
うらやましきか
箸止めて聞く

2 あさましき事
 散髪の帰りに寿司屋まで歩いた。久々の外出である。昔は街で知り合いに遭遇する事も多かったが、今や「無用人」に気を留める者はいない。

妙齢の会釈やさしく
胸弾む
あさましきかな影に人あり

3 切なき事
 犬も親子で気性が違う。レックスは自由奔放な若者。カイザーは忠義一徹の頑固者。生きるも一緒、死ぬるも一緒の心意気。「待て」と言わなきゃ便所の中まで付いてくる。

原稿に没頭したり
真夜中に
三つ指のままカイザー控え

4 嬉しき事
 風邪を押して二日続きの講演をこなした。我が家にたどり着いた。一人暮らしは家に灯りがない。手探りでカギを開けて、「今、帰ったぞ」と犬たちに叫ぶ。気がついたら、ドアに差し入れの袋が下がっていて、走り書きの見舞いのメモがあった。やさしさが心にしみる。

帰り来て門扉にやさし
差し入れの
心づくしの文見る夕べ

5 励むべきこと
 目と歯は小生の泣き所。右目は半分盲いて見えず、歯はすべて玉砕。最近は「入れ歯」と言わずに「デンチュア」と言う。宣伝用語は「スマイルデンチュア」。長年世話になっている女性歯科医の勧めで弱った歯を抜いてデンチュアにした。男ぶりが上がったと彼女は言うが、「スマイル」の気休めに違いない。同年だから小生は彼女の廃業が心配である。小生に注文が来る限り、彼女も開業して頑張ると言う。励みにして頑張らねばならない。

同年の歯医者笑いぬ
なれ廃業となるまでは
スマイルデンチュアで客を呼べと

6 心のどけきこと
 私は執筆と土いじりの組み合わせが好きである。書けない時も、草花が呼んでいると思う時も、日がな一日庭にいる。植物は教育以上に結果がすぐ出ない。一生懸命世話した事を忘れた頃に花が咲く。今咲いているのは、ガーデンシクラメン、鳳仙花、金魚草、撫子、春になると山吹、初夏には、あじさい、こでまり、ばらなどが楽しみである。1年中花を切らさないジェラニュームには敬礼して敬意を表している。

晩秋の風の中にて植え替えぬ
霜の朝陽に咲きそろいたり

7 やせ我慢の寝正月
 世の中から一歩引けば、騒音はなく、誘わなければ断られる悲哀はなく、待たなければ待たされる憂いもなく、期待しなければ失望の心配もなく、欲を限定すれば、耐える事も少なく、目標を低くすれば、焦りもない。遅まきながら、この年になって、ようやく、ほんの少し「足るを知る」を理解するか!?

やせがまん、がまんではなく、やせがまん
誘う人来る人もなき寝正月

「風の便り 」(第156号)

発行日:平成24年12月
発行者 三浦清一郎

ごあいさつ
 時代の変化がめまぐるしく季節の逝くのが速いですね。2012年が終わります。この1年「風の便り」にお付き合いいただきありがとうございました。新しい年も、転ばぬよう、病気をしないよう精進を怠らず書き続けたいと願っております。読者の皆様もどうぞお元気で、良いお年をお迎えください。

学校で言葉を発しなかった子どもがついにしゃべりました
-「場面緘黙症」との戦い-

1 個人指導はしない

 入学以来、約8ヶ月、学校でも学童でも、人前で一言も言葉を発しなかった子どもが11月の終わりについにしゃべりました。感激でした。
 学童保育の指導員の皆さんには個別指導・個人指導はしないよう助言してきました。それでも熱心な指導員はなかなか諦めが悪く、ついつい子どもを1対1で指導している光景を見ました。子どもは貝のように固くふたを閉じて耐えています。ついにその子どもについては、個人指導をしてはならないと厳命しました。
 学校でも、学童でも、個人的に指導しようとする試みはすべて失敗していました。時には、何とか一言でもしゃべらせようと、担任と主任指導員が一緒になって、1時間も指導を続けたという報告も受けていました。
 なぜ個人指導が効果を発揮しないのか、正確な理由は分かりません。しかし、個人に「教育的負荷」をかけ続けても、この種の子どもの場合、かえって益々頑にしてしまう結果が続いていました。

2 潜在する可能性

 言葉を発しなくても、その子は学校へも、学童にもやってくるのです。ある意味で「根性」はあるのです。しかし、最初は、朗唱も、身体運動も、何もしたがりませんでした。もちろん、「きびきびした」ところは全くありませんでした。
 しかし、井関での集団指導は、出来ても、出来なくても、やりたかろうと、やりたくなかろうと他の子どもがやっている中に放り込むことを原則としています。もちろん、当初は、「放り込まれても」、どうしていいか分からずに「立ち往生」しているのですが、気がつく限り小生は、集団と同じ事をするように「強制」しました。跳び箱の最初の場面には、主任指導員と二人で、跳ぼうという気のない彼女の手をつかんで、両側からぶら下げて走って行き、低い跳び箱の向こう側へ放り投げました。彼女は半べそをかきながらも泣き声は立てませんでした。それを何度か繰り返しました。まだ1年生ですから、「不登校」になったらどうしよう、と心配が頭をよぎりました。しかし、同時に、一年生のうちにしゃべれるように出来なければ、後々もっと難しくなると考えました。こういう時は指導の分かれ道です。小生の怒鳴り声にもめげないところは、どこかで自分に向き合ってくれる大人がいることを子ども自身が喜んでいるような気配を感じました。何も出来ないのに仲間と同じように、褒美の「飴」を欲しがり、集団遊びの「ヘビ鬼」は楽しそうに走りました。それが彼女の潜在的可能性のしるしでした。

3 集団の中の同調

 跳び箱の向こうに投げ飛ばして、大声で怒鳴り上げた後も、不登校の心配は杞憂に終わり、その子は翌日もやって来たということでした。
 朗唱の指導では、「その子」のことだけを特に意識した訳ではありませんが、「あ、い、う、え、お」から「りゃ、りゅ、りょ」の発声練習まで全員一斉にやらせました。子どもに腹式呼吸を教えるには、発声練習が一番手っ取り速いことはこれまでの経験から分かっていました。
 本人には、他の子どもと同じように「はっきり言え!」、「声を出せ!」、「もっと口を開けろ!」、「聞こえない!」と怒鳴り続けました。もちろん、少しでも改善が見られた時は、ほめ殺しのように褒めます。
 大分叱りましたが、叱ったのは「その子」だけではありません。姿勢の悪い子どもも、声の小さい子どもも、発音のはっきりしない子どもも同じように叱りました。個人の名を上げて叱る時も、常に、「集団に合わせろ」というように集団を基調とし、集団の中で指導したことにご注意ください。これが「同調」の指導です。
 全指導員の間で、こうした指導が徹底してくると、ようやく、「その子」の口が動くようになりました。もちろん、最初、口は動いても、声は出ていません。練習を続けるとやがて不明瞭な音が出るようになりました。指導員の皆さんも小生に倣って「聞こえない!」、「口を開けろ!」、「声をだせ!」と「集団に向かって」叫び続けるようになります。

4 日本語の「風」、社会学の「社会的風土」、心理学の「集団圧力」

 集団指導の第1関門は、全指導員が同じように指導するように徹底することです。学校の指導でも、学童でも、これが一番難しいことです。多くの皆さんは、子どもを指導の中心に置き、「子どもに寄り添うこと」がいいことだと「洗脳」されているからです。それが現代教育の「児童中心主義思想」です。しかし、「寄り添っても」、「子どもの目線に立っても」、「子どもの欲求を受容しても」、教えるべきことを断固教えなければ、子どもは変わりません。筆者は、指導員に向かって、「指導者こそが主役だ」と叫び続けなければなりませんでした。子どもの向上を褒めることと、「させる」、「教える」、「練習させる」という「他動詞3点セット」が指導の原点です。指導者中心思想が浸透するまで1学期かかりました。子どもたちの中で少しずつこれまで「出来なかったこと」が「出来るようになって」、初めて指導員の信頼を得ることが出来ました。
 指導に当たる全員が一致すれば、効果は何倍にもなります。それが日本語のいう「風」です。「家風」と言い、「校風」と言い、井関元気塾には「塾風」が吹くのです。まだまだ「塾風」は微々たるものでしたが、それでも第1回の夏の発表会が終わる頃には、指導員の姿勢がそろったような気がしました。社会学でいう「元気塾」の「社会的風土」が形成されたということです。社会的風土には社会的雰囲気が醸成されます。お迎えにこられた保護者の見学が徐々に増えてくるのもこの頃からでした。塾に塾風が吹くのも、社会的風土に一定の雰囲気が出来るのも同じことを意味しています。井関元気塾の場合、個々の子どもは、指導に従って「みんなそうする」から「自分もそうする」ということです。もちろん、まだまだ個別の「逸脱行動」は起こりますが、指導についてくる集団を指導し続けると「逸脱者」も徐々に集団行動に「同調」を始めます。

5 集団圧力-ピア・プレッシャー

 緘黙症の子どももそのようにして、言葉は発しないながらも、あらゆる面でみんなに合わせ始めました。9月が過ぎ、10月が過ぎ、集団の朗唱で彼女が口を開けるようになりました。か細すぎて聞き取れませんが、声も出すようになったようです。しかし、まだ一人では一語も発しませんので、無理に指導せずに放置し続けました。
 主任指導員が跳び箱を跳ばせるときに、一人一人の子どもに自分の名を大声で言わせてから助走にはいる指導を繰り返しました。彼女も手を挙げるまでになりましたが、まだ声は出せませんでした。そこで小生は、機会あるごとに、同級生や彼女の周りの子どもに、「彼女に『自分の名前』を言ってから跳ぶようみんなからも言ってくれ」と頼みました。それでも当初はほとんど効果がありませんでした。彼女が頑として名前を言わないので、主任指導員の堪忍ぶくろの緒が切れました。「彼女がルールに従わないのなら、仲間の「お前たちにも跳ばせない」と言ったそうです。仲間に囲まれて責められた「その子」は、辛かったことでしょう。ピア・プレッシャー(友達の圧力)は十分伝わった筈ですが、それでも彼女はまだしゃべりませんでした。

6 圧力の臨界点

 11月に入ってついに彼女が声を発しました。集団圧力が「臨界点」を越えたのだと思います。主任指導員の喜びの報告に接し、筆者も教育理論の成功を確信しました。現場に赴き、半信半疑ながら、主任を横において、彼女に子ども講談「長州ファイブ」の一節を朗誦させてみました。筆者の顔を見ることなく、彼女は終始下を向いて、講談に使用する「バチ」を手に固く握りしめてぼそぼそと語りました。 
 良く覚えていないところは筆者が補いましたが、辛うじて最後まで演じ通しました。仲間との共同練習の中で、耳が覚えていたのでしょう。筆者は、「そうだ!」、「その通り!」、「まだ声が小さい」、「もっとゆっくり」などと、思い切って「合いの手」も入れてみましたが、彼女の念仏のような朗唱は止まりませんでした。この子が人前に出て、リーダーを務めるほど出来るようになったら、人々はどれほど驚くことでしょう。思わず主任指導員と握手をして快哉を叫びました。

7 彼女が跳んだ瞬間

 集団の中でつぶやくように言って来た積み重ねが、とうとう彼女の堅い口を開かせたと思います。主任指導員の作戦で、最後の瞬間は、同じ怠け者同士の同級生を最初にさせてみました。たまにしか来ないライバルへの競争意識もあったのでしょう。「まけてたまるか」という必死の意地が彼女の顔に出ていました。他の子どもたちの褒美はフライドポテト1本ずつでしたが、ライバルには特別に2本やりました。緘黙症の彼女がじろっと筆者を見たのを感じました。朗唱を演じ終わって2本のポテトを手に取った時、紅潮した彼女の頬が印象的でした。褒美のポテトが彼女を緘黙症の崖から踏み切らせたとも言えるような瞬間でした。筆者は、心底感動し、褒めまくりました。自分のことで、大声で叫び、手を打って喜び、互いに握手して飛び跳ねている大人たちを彼女は見たことがなかった筈です。筆者が握手を求めると小さな温かい手がおずおずと差し伸べられました。
 その日、その時を境に、彼女の筆者に対するはにかみやシャイな気持ちが吹っ切れたように感じました。側転の練習も二つ並べたマットのうち、小生の見ているマットの側でやりました。縄跳びに至っては、小生が別の子どもを指導しているといつの間にか小生の目の前に来て跳んでいます。意図的に何度か向きを変えて別の子どもを指導してみましたが、その度に小生の前に来て跳んでいました。彼女もまた社会的承認を求めていたのです。小生は、彼女に惚れられているように感じました。その後の経過はすこぶる順調です。朗唱も跳び箱も他の子どもに伍して普通に出来るようになりました。遂に、彼女は自らの場面緘黙症を克服したのです。

風土の中の教育
1 文化と文明

 単純な分類ですが、筆者は、文明とは「もの」の組み合わせであり、技術の組み合わせであり、それらの総合としてのシステムだと思います。これに対して文化は、文明を形成した人々の背景となるものの考え方や感じ方の総体だと考えてきました。したがって、教育論は文化と文明がないまぜになった社会的装置であり、また個人の営みでもあります。しかし、教育は、人々の考え方・感じ方を土台として生み出される「次世代育成法」ですから、その核心は文化や風土が決定しています。それゆえ、教育は文明論だけでは語れないのです。

2 中央教育審議会会長の教育論

 この度、「文明としての教育」(山崎正和、新潮新書)を読みました。山崎先生は中央審議会会長だからです。
 あとがきで、本書は会長の「所信表明」ではない、と書かれていました。また、会長職は「各委員諸氏の合意を祈ることしか出来ない-しない」とも書かれていました。また、「国の政策は何であれ、選挙で選ばれた内閣と国会とそれを援ける官僚が決めるものであって、民間人からなる審議会にそれを左右する資格はありません」とも書かれていました。
 しかし、周知の通り、「日本の審議会」は政策の「隠れ蓑」です。日本の重大政策の大部分は「審議会」で十分「ご検討もいただいたので」実施するというのが常道です。日本の政治・行政は、「審議会」政治であり、「審議会」行政であることは夙に多くの方々が指摘している通りです。それゆえ、「審議会」が本気で「no」と言えば、行政は当該政策を実行できなくなります。それゆえ、審議会には行政にたてつかない「Yes-man」をそろえることが多いのです。審議会会長の舵取りは極めて重要なのです。そうでなければ、会長の本をわざわざ取り寄せて読む理由もないのです。

3 風土論のない教育論

 本書に対して、共感も疑問もいろいろありました。 最大の疑問は現代の教育問題に触れながら「風土論」がないことでした。筆者はあらゆる理論は「出来ないこと」を「出来るようにする」ためにあると思っています。現在「ない」ものを「ある」ようにすると言っても同じです。この原理を一言でいうと「あるべきもの(なくすべきもの)」は「ないもの(あるもの)」である、ということです。政治でも経済でもあらゆるスローガンは「あるべきもの・なくすべきもの」を謳っています。しかし、「飲酒運転撲滅を!」というスローガンは、飲酒運転が撲滅できていないことを物語っています。「差別のない明るい社会」は、未だに「差別」があり、「明るい社会」は来ていないということを主張しています。シルバーシートには、「お年寄りや身体の不自由な人に思いやりを!」という思想が込められていますが、同時に、その思想が事実上死に絶えたので、シルバーシートを制度化せざるを得なかったのです。
 どのスローガンの背景にも、それを支持する人々の固有の風土があり、文化があり、ものの感じ方があります。
 まして教育の核心部分の考え方は風土が決定しているのです。「可愛い子には旅」にしても、「他人の飯」にしても、「可愛い子」を溺愛するあまり、旅に出すことなど出来なかった背景を彷彿とさせます。まして「他人に預けること」は難しいことだったでしょう。日本の教育に関わった先人たちのすごさは、親の甘さを見抜いてこれらのスローガンを言い続けたことです。教育論が保護者に浸透し、実現していれば、目標スローガンにはならないのですが、「抑止力」にはなった筈です。現在の教育スローガンは、「早寝、早起き、朝ご飯」ですから、中央教育審議会会長はどう感じていらっしゃるでしょうか?

4 「子」を「宝」とする風土の教育論
  -「甘やかし」の「風土病」-

 人間の営みはすべてそれぞれの社会の文化の中で行われます。文化とはそれぞれの歴史が培った社会的風土のことです。それゆえ、子育てにも風土があり、教育にも風土があります。
  日本の風土は「子」を「宝」とする風土です。「子宝」の風土です。日本文化において子どもは常に「宝」でありました。「子宝」の風土では、子どもが一番大事です。したがって、教育学的にいえば、子宝の風土とは「宝(子ども)中心主義」の子育てが行われる社会を意味します。そこでは子どもが主役であり、親の役割は宝物を大事に守り、育てることになります。日本の親が「保護者」と呼ばれるのもそのためです。かくして日本の子育ては、子どもに対する親の「奉仕」と「献身」に帰着するのです。それゆえ、日本においては、「保護」の放棄は許すことが出来ない「風土」への挑戦を意味します。子どもの虐待が世間の怒りを呼ぶのも「奉仕と献身」の理想が背景にあるからです。「いじめ」に対する多くの人の怒りは、いじめが「宝」に対する侮辱だからであり、また、いじめた側の保護者が「知らぬ、存ぜぬ」を通すのは、自分の「宝」だけを守ろうとする「子宝の風土のエゴイズム:我が子主義」があるからです。
 保護者による「奉仕と献身」を原理とする「子宝」の風土は「慈しみの風土」であることは間違いありません。しかし、同時に、「甘やかし」や「我が子主義」の風土ともなりかねないことを意味しています。「慈しみの風土」がその抑制を欠いた時、「わがまま」と「勝手」を増殖する風土病の原因となります。「過保護」や「モンスターペアレント」は、日本文化における教育の「風土病」です。

5 何ゆえに戦後日本では保護や放任の過剰が放置されたのか?

 「子宝」の風土は長い歴史の中で培われたものです。したがって、風土病の原因となる過保護傾向も放任傾向も初めからこの風土に内在したはずです。にもかかわらず長い歴史の中で養育や教育の「さじ加減」が保たれてきたのは、「過保護」と「放任」を抑制する教育思想を格言化し、制度化していたからです。日本の先輩教育者は実に賢かったのです。
 過保護が子どもの自立能力を破壊し、放任が「わがままや勝手」を増殖したのは、戦後教育の中で過保護の抑止システムが破壊されたからです。
  過保護と甘やかしを戒めてきた格言やことわざを見れば明らかなように、「抑止システム」として機能してきたものが、鍛錬・修練・修養の思想でした。鍛錬プログラムは、いわば過保護や放任の「ブレーキ」として機能しました。それゆえ、「過保護」と「放任」が蔓延したのは、鍛錬の思想が衰退し、「抑制のシステム」が衰退したからです。「抑制」のシステムを破壊したものは、欧米の心理学者が唱えたこどもの「受容」論です。 
 周知のとおり「受容」の理論はロジャースが唱導した「非指示的カウンセリング」(Non-Directive Counseling)の思想的根拠であり、戦後教育の中で、日本中の心理学者や教育学者がもてはやした考え方です。「子宝」の風土において、「受容」の理論は、教育における「児童中心主義」の思想とあいまって、風土がつくりあげた過保護の「抑制システム」を破壊したのです。
 間違えないでいただきたいのは、「受容」にせよ、「児童中心主義」にせよ、すぐれた教育理論であり、欧米の風土を前提にすれば、間違いではありません。しかし、日本の風土を前提にすれば大きな間違いになります。教育思想は文化風土の産物ですから、風土が異なれば、教育論も異なるのです。一つの教育論が、ある文化風土に有効であっても、別の文化風土には適用できないことは多々あるのです。「受容」の理論も、「児童中心主義」の思想も、思想上の意義は別として、それを適用する風土との「相性」を吟味しなければならないのです。
 すでに何度も繰り返してきましたが、「子宝」の風土は「子ども中心の風土」です。「子どもは宝」であるという時、親は子どもの欲求を第1に考えるのです。それは「受容」の論理と同じことです。
 しかし、風土が子どもの保護や欲求を優先している以上、その風土における教育は子どもの保護や欲求を優先してはならないのです。「辛さに耐えて丈夫に育てよ」という教育発想は、過保護な風土への予防注射です。
 敗戦に伴う戦前教育の懺悔とアメリカの指導による「児童中心主義」と「受容」の理論の怒濤のような流入は、過保護と放任を放置・助長する極めて有害な機能を果たしたことは明らかではないでしょうか。文明論で論じる教育分析は、風土の特性を見逃しているのです。
 子どもの欲求の「受容」が過ぎて、子どもは「きつい」、「面白くない」、「やりたくない」を繰り返すようになります。子どもの欲求にブレーキが効かなくなれば、子どもの「やり放題」になることは論理的必然です。今や、家庭内暴力や少年の非行は日常の現象となり、公共の乗り物でさえ我が物顔の中・高生が人びとを恐れさせるようになりました。少年犯罪の被害者の悲惨をはじめ、少年のしつけが崩壊した社会的被害は甚大なのです。誰も叱らない、誰も教えない。過剰な「受容」の行き着くところは間違いなく教育の崩壊であり、教育公害の発生源です。

6  「理想」と「現実」の背反

 人間の世界では、通常「理想」と「現実」は背反しています。現実がそうでないからこそ、理想のスローガンが生まれるのです。現実に問題があるのであれば、それを解決したいと思うのは人間の自然だからです。逆説的ですが、社会が子どもの遊びを問題にする時は、子ども達は遊んでいないのです。子どもの規範意識や責任感が問題になる時、子どもの社会参加はほとんど存在しないのです。「あるべきこと」は「ないもの」であり、「あるべきでないもの」は「あるもの」なのです。したがって、教育スローガンが目指している理想と現実実態の背反を忘れると問題の対応に重大な齟齬を生じるのです。 
  日本社会が伝統的に引き継いで来た鍛錬の思想は、すべて同じような背景を持っています。「他人の飯を食わせよ」という格言が生まれた背景には、なかなか「他人の飯」を喰わせることが出来なかった事情が潜んでいます。「世間の風に当てよ」も同じであり、「辛さに耐えて丈夫に育てよ」も同様です。「若い時の苦労は買ってでもさせよ」には、過保護が高じてぐうたらになった若者の姿が重なっているのです。しかし、重要なことは、「あるべき鍛錬」、「困難のすすめ」を説き続けることによって、学校の教育力も、地域の教育力も成立していました。鍛錬の思想こそが、「過保護」と「放任」の抑止効果を生み出していたということです。鍛錬の思想は、過保護の歯止めであり、甘やかしのブレーキだったのです。
  翻って、戦後日本の子育てや教育は、総体として「鍛錬」を拒否してきました。筆者の説く鍛錬の思想や実践も、いたるところで、「軍国主義」だの「反動思想」と罵られてきました。学校教育に「鍛錬」を導入しようとすれば、「子どもの主体性」や「人権」のスローガンの壁に突き当ります。結果として、現代の教育は、鍛えるべき能力を鍛えず、教えるべきルールを十分に教えていないのです。「児童中心主義」を信奉した学校は、過保護家庭と同じ道を辿りました。今では、学校や教師が世間に「子どもの主体性」を説教する母体となったのです。
  「過保護」にも「放任」にも歯止めがかからないという原因の原因は教育のプロの「無自覚」にあります。家庭は教育の「素人」ですから、当然、風土の特徴に従い、世間の教育論に振り回されます。風土の特徴とは、「子宝」をひたすら大切に守り、事故や怪我のないように育てることです。風土の欠陥を補うのは専門家の任務であり、学校のような教育システムの関係者が責任を負うべきことですが、児童中心主義や受容の理論では子どもの甘やかしを勧めることはあっても、抑制することにはなりません。
 昔も今も、家庭の過保護と放任に歯止めをかけるのは教育のプロの任務です。過保護を抑止するシステムを機能させるのは世間という第3者の他人です。かつては、「ご養育係」や「守役」と呼ばれて来ました。現代の「ご養育係」は教育行政であり、守役は教師です。それゆえ、少年期の鍛練を放棄し、結果的に、少年の危機を招来した教育行政および学校の責任は重大なのです。
  教育関係者の多くは「半人前」が「一人前」に育っていないことを、当然、知っています。しかしながら、多くの学校や教師は、責任は家庭にあるなどと無責任、的外れなことをいい続けています。それでは何ゆえに学校では子どもの鍛錬ができないのでしょうか?「子どもの主体性」や「子どもの人権」論がかくも異常なまでに世間に「繁殖」したのでしょうか?しかも、多くの善意で、すぐれた人びとまで、鍛錬の重要性を忘れ、少年の無気力と不作法になす術がないのはなぜでしょうか?
 第1の原因は、「宝」を甘やかす「子宝の風土」にあります。第2の原因は、風土の歴史が生み出した知恵を否定した戦後の教育総括にあります。第3の原因こそが戦後教育を失敗させた張本人です。それがアメリカから導入した「児童中心主義思想」と「受容」の論理です。最悪なのは、このアメリカ流教育論を「子どもが一番大事である」と主張する「子宝の風土」と結合したことです。中央教育審議会会長の山崎先生にはこの一点が見えていないのです。

§MESSAGE TO AND FROM§
 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

第2回井関元気塾発表会ご出席のみなさま

 過日は、寒い、忙しい12月の週末に子どもたちの発表会にわざわざお出ましいただきありがとうございました。80点は満点であるとして指導して参りましたが、70点くらいだったでしょうか!
 学童保育に定期的に出席する子どもは約半分、みんなそれぞれにお稽古ごとや塾に忙しい子どもたちです。泣き虫も、いじめっ子もいます。わがままいっぱいの自己中も、各種の障害を持っている子どももいます。それでも集団をまとめて、2学期の短い期間に指導員の皆さんはよくやりました。
 日本語アレルギーがなくなり、子どもの体力と耐性の準備が整いました。いよいよ本格的に学力向上の指導に入ります。理論的には、3学期には学力指導に効果が出る筈だと想定しております。年度末の発表会でどのように保護者の皆さんにご理解いただけるように表現するか、「学力向上」の「提示の方法」が3学期の課題になります。
 次回は、3月2日(土)に行います。継続指導の変化がどのように出るか、ご覧いただけると幸いでございます。

山口県宇部市、赤田博夫・尚子 様

 今回の井関の発表会では、映画の封切り時にお二人からいただいていた「長州ファイブ」の解説書が大いに役立ちました。発表時間を調節するため、シナリオを2度ほど書き直しましたが、原型は長州の5人の先駆者の英国での奮闘ぶり・明治維新での活躍を事細かに叙述したものでした。今回、シナリオにはふりがなを振らず、表現にも手加減を加えませんでした。子どもたちの日本語に対する恐怖心も、人前で発表する事についてのためらいもほぼ吹き飛んだものと想像しております。3学期のプログラムはまだ決めておりませんが、よりパワーアップした舞台表現をお見せしたいものと考えております。

岡山県岡山市 角田みどり 様

 岡山では何から何までお世話になりました。小生にとっては二つの講演とも挑戦でした。「連塾」の皆様の知己を得たのは大きな収穫でした。皆様それぞれにご自分の場所で活躍のこと大いに感ずるところがありました。また、閑谷学校の論語教育や岡山発の学童保育の考え方にも大いに触発されました。何人かの方とは山口大会でお目にかかる約束をしました。再会を楽しみにしております。

過分の印刷・郵送料を頂戴いたしました。御礼申し上げます。

福岡県宗像市 赤岩喜代子 様     北海道札幌市 武川勝雄 様
同      竹村 功 様      福岡県八女市 杉山信行 様
埼玉県越谷市 小河原政子 様     岡山県岡山市 角田みどり 様
福岡県朝倉市 手島 優 様      北九州市 香月利都子 様
山口県防府市 戸田節子 様      長崎県長崎市 武次 寛 様
佐賀県伊万里市 西岡信利 様
新潟県加茂市 山本悦子 様
北九州市 小中輪子 様

156号お知らせ

1 第127回生涯教育まちづくり移動フォーラムin島根

 日時:平成25年1月12日(土)13:00-
 場所: 益田市 市民学習センター 多目的ホール  
〒698-0033 益田市元町11-26   TEL:0856-31-0620
プログラム:
(1)事例発表:浜田満明さん(出雲市立高浜幼稚園長)、柿本和彦さん(NPOおのみち寺子屋)
(2) 基調提案 「少年期の核体験を保証する」(三浦清一郎)
(3)グループワーク  「子どもの体験活動の充実!
~質的・量的な補償とその仕組みづくり(仮)」
(4) 情報交換会 

2 「生涯現役・介護予防いろはカルタ」-完成記念研修会-
日時:平成25年1月26日(土)13:00-15:30
会場:下関社会福祉センター大ホール(山口県下関市貴船町3丁目4-1)
参加費:300円
主なプログラム
1 第1部 「生涯現役・介護予防カルタ」お披露目カルタ大会(40分)
申し込み先着50名様には「生涯現役・介護予防カルタ」を記念品として贈呈いたします。
2 第2部 記念講演:「健康寿命を延ばすために」(60分)(三浦清一郎)
3 第3部 「茶話会」
*申し込み方法:
はがき又はメールにて「再起会」の下記住所まで  
〒750-0041 下関市向洋町1-15-27   永井丹穂子 様宛
mail:

3 第8回人作り・地域づくりフォーラムin山口

日時:平成25年2月16日-17日(土-日)
場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂二島1062、-083-987-1730)
プログラム:事例発表24事例と基調講演、パネルディスカッション

4 第128回生涯教育まちづくり移動フォーラムin 大分
日時:平成25年2月23日-24日(土-日)
場所/プログラム 企画中

編集後記:語りたいことの多かった時代

 教職に就きたかった筆者でしたが、大学紛争の混乱中に米国から帰国し、教職に就くことが出来ず、やむなく臨時採用の役人になりました。思い通りにならぬことはこの世の常で仕方のないことでした。役所が嫌だった訳ではありませんが、私はまだ30代で若く、語りたいことの多かった時代でした。所管大臣に「兼業許可申請」を出して夜学の社会学を担当したのは、誰かに向かってたまらなく語りたい思いが募っていたからです。水道橋にあった共立女子大の夜間教室は都市高速のすぐ横で、窓を開けることが出来ないほどの騒音の中だったと覚えています。役所では、当然、自分一人だけ声上げて語ることの出来ない環境でしたから、教室では、言葉に飢えた者のように語ったものでした。夜学の学生は様々でしたが、良く聴いてくれました。彼女たちもまた学ぶことに飢えていました。九州へ来たあとも何人かの教え子との文通が続いていましたが、物理的距離と時間的距離と人生の距離が離れすぎて、一人ずつ交信が途絶えました。その中に一人だけ、年賀状を送り続けてくれた教え子がいました。筆者が「断」を実行して、年賀状の儀礼を止めた後も送り続けてくれた人でした。返事の代わりに「風の便り」を送りました。彼女とは35年を越える「ふみ」だけの付き合いになりました。過日、「老年学」のご注文があり、メモを添えて送りました。「小生、すでに老い、衰え、あなたと道ですれ違っても気づかないだろうが、『風の便り』を最後まで見届けて下さい」と書きました。すぐに礼状が届き、「すれ違っても気づかないのはお互い様です。これからもよろしくお付き合いください」とありました。若かった時代の名残に、「風の便り」の「死に水」を取って下さる人に巡り会えたのは幸運でした。

「風の便り 」(第155号)

発行日:平成24年11月
発行者 三浦清一郎

現行の教育行政論理への異論・反論I
-教育長協議会基調提案-

 都道府県教育長協議会-社会教育部会の基調提案にお招きいただきました。格式張った理詰めのレジュメを提出しましたが、さざめいている熟練のみなさまのお顔を見た途端、瞬時に「理詰め」ではだめだと理解しました。彼らは県のトップ、有名人に接し慣れています。筆者は既に忘れられた無名の老研究者、会場に緊張感はありませんでした。そこで、現状の行政施策の論理に喧嘩を売るような提案に切り替えました。「人間は霊長類ヒト科の動物として生まれ、しつけと教育によって人間になります。教育行政が無策だから、子どもの多くは未だ人間になってはいません。ひとたび、人間になった我々も年を取って教育を怠れば、やがて人間の機能を失い、ヒト科の動物以下に戻り、人間を止めることになります。生涯学習論で人間は育てられず、高齢者の人間機能を維持することも出来ません。教育行政が無策だから、高齢者の老衰もボケも止められないのです。」と吠えました。皆さんのお耳が立ち、お顔が筆者の方を向きました。
 2度目の座敷に呼ばれるまでは、真の評価は分かりませんが、担当事務局によると教育長諸氏は面白がっていたと感想が届いたので、作戦は成功したという事でしょう。
 提案の材料には、ある県の行政幹部が発信した愚かしい「生涯学習」の振興政策についての通信を事前に読んでいましたので、異論・反論の材料に使わせてもらいました。教育機能をないがしろにして社会の生成のサイクルを維持できる筈はないのです。

1 「人材の育成」などできていない

 異論の第1は、現代版社会教育の「定義」です。文科省幹部と懇談したS県の幹部によると、社会教育とは、「地域社会で、地域の公(おおやけ)、を担う人材を育成していくこと」であるということでした。しかし、現行の社会教育は、「生涯学習」と等値され、「人材の育成」など全くできていません。公教育の一翼を担う「社会教育」は、公金を投入するという一点をもって、国民の「学習すべき課題」を重点的に取り上げるべきであって、人々の「学習したい課題」にのみ振り回されるべきではなかったのです。

2 中身を問わない振興行政

 異論の第2は、中身を問わない振興行政です。生涯学習の振興は、確かに、「学習機会」の拡大、「学習の利便性」の向上には大いに貢献しました。スローガンは、「いつでも、どこでも、誰でも」学ぶことのできる「継続学習」の制度的保障です。「利便性」の向上という点では、コンビニの流通革命、宅配便の輸送革命、インターネットなどの情報革命と同じです。スローガンも、「いつでも、どこでも、誰でも」という点で同じでした。
 しかし、コンビニや宅配便やインターネットが普及しても「利便性」が向上するだけで、消費の「中身」には関係ありません。学習も同じです。利便性が向上しても学習の中身は問えません。この点、教育長諸氏は、公民館や生涯学習センターの現状をお分かりですから分かっていただけたと思います。

3 「楽習」で「必要課題」の解決はできない

 異論の第3は、「楽習」で「必要課題」の解決はできない、と申し上げました。「楽習」は「学習したい課題」の「必要条件」であっても、「学習すべき課題」の「十分条件」ではなかったことも明らかでした。「楽習」で社会の「必要課題」の解決ができる筈はなかったのです。

4 「教育診断」機能も「教育処方」機能も存在しない

 異論の第4は、生涯学習には、「教育診断」機能も「教育処方」機能も存在しないと申し上げました。
 「生涯学習」概念の下で市民は好きなことだけを学び、「負荷の大きい必要なこと」は後回しにします。病院は「健康人」に干渉はしませんが、「患者」には診断と処方を与えます。教育界も「教育的に自立している市民」に干渉してはなりませんが、「患者相当者」に教育診断と教育処方をしなくていいか、ということが問われます。「生涯教育」概念に戻さない限り社会教育行政が子どもや高齢者や教育を必要とする人々に教育処方を講じることは不可能になったのです。現に、子どもはへなへなで、規範は身に付いていず、高齢者の平均寿命と健康寿命の落差は医療や介護の財源を直撃していると申し上げました。

5 「現代的課題」は付け足しである

 第5は、異論というより反論として、生涯学習に付け加えられた「現代的課題」は、教育を忘れた中央教育行政の付け足しであると申し上げました。
 「生涯学習」概念の導入によって、「必要課題」の欠落は誰の目にも明らかです。「生涯学習概念」そのものを修正することなく、「現代的課題」の視点を追加しても、「負荷」の大きい学習課題を、「楽習」にならされた市民が選択する筈はなく、必要課題の学習は全く機能しませんでした。行政は「現代的課題」を追加することによって、自らが放棄した教育機能の免罪としたとしか思えません、言いました。会場がシーンとなりました。不愉快だったのでしょうか!?

6 「学校の子どもは応援する」が、「地域の子どもは応援しない」のか!?

 異論の6は、「学校支援地域本部」事業に付いてです。この事業のメッセージは、「学校の子どもは応援する」が、「地域の子どもは応援しなくていい」ということにならないか、と申し上げました。生涯学習発想は、政治における民主主義の原理と同じものです。それゆえ、社会的に選択権を認められない児童・生徒を擁する義務教育学校等を生涯学習システムから切り離す結果をもたらしました。
 従前は、「生涯教育」体系の中に位置づけられた義務教育学校等は、「生涯学習」概念の導入で「学校外教育」の対象から外れ、関係者の意識において、社会教育との連携も地域との連携も極めて難しくなりました。「地域」への支援を忘れた「学校支援地域本部」などというおざなりの発想を出さざるを得なくなったのはそのためです。

7 未開拓の公教育分野

 異論の7は、井関の実践例を出しました。男女共同参画を推進する事業は、生涯教育の課題であり得ても、生涯学習の課題になることはほとんどありません。学校外の幼少年教育こそ家庭の養育を支援し得る生涯教育に与えられた未開拓の公教育分野だった筈です。保育の現場に教育プログラムを導入できれば、子育て中の女性の社会参画を支援することが可能になり、恐らくは「少子化」を抑制することも可能になります。女性の社会参画を推奨する多くの施策が社会教育行政に存したにもかかわらず、社会教育は幼少年期の教育機会を逸し、「家庭教育支援」などという実質的に支援になり得ぬ座学や講演会に膨大な時間と予算を使って来たのです、と申し上げました。

8 「生涯学習格差」の異常拡大

 異論の最後は、行政が無視している「生涯学習格差」の異常拡大です。この30年、社会教育行政は教育の未来像を提示する代わりに、国民の要求に応えることが政策立案であるかのように考えるようになっていないでしょうか?市民の「要望」に応えるという点で「生涯学習」概念はその典型です。しかも、その「要望」が趣味・お稽古ごとに集中したため、「なぜ公金を投入して趣味や稽古ごとにサービスしなければならないのか」という疑問は当然の結果です。社会教育の「ヒト、モノ、カネ」が激減したのも当然の結果です。
 社会教育行政は未来の国民が真に必要とすることに応えるべきであって、現在の国民の欲求に追随する「生涯学習」を教育政策の柱に据えたことは間違いだったのです。そして「生涯学習」の代表的副作用が「学習」を「選択した人」と「選択しなかった人」の「生涯学習格差」だったと思います。格差は、今や、知識格差・情報アクセスの格差、健康格差、交流格差、自尊感情や生き甲斐の格差などに広がっています。高齢社会は、多くの方々が、既に健康を失い、経済的ゆとりも、身の回りの友人も失っています。自己責任論だけでは生涯学習や生存競争が生み出した「格差」を埋めることはできないのです。これからの社会教育の役割は「病院」の機能に似てくると思います。多くの人々に診断と治療が必要になり、多くの健常者が支援の手を差し伸べない限り、病者・困窮者・孤立者・孤独者等は生きるすべを失うと思います。社会教育・生涯教育無用論は、自己責任社会の支援無用論に重なっているのです。「無縁社会」を招いたのは、ゆとりある人々の自由の主張と自己責任論です。生涯学習は自己責任を原則としますが、現代社会への適応に失敗した人々に対して、「選択を誤り、努力しなかったあなたが悪いのです」と言うだけで済むでしょうか?

現行の教育行政論理への異論・反論II
 「診断」も「処方」も間違っています-「アンビシャス広場」

1 アカウンタビリティの欠落
 
 ある教育関係者の集まりで、偶然遭遇した方でした。「あなたが三浦さんですか」と問われ、「『アンビシャス』に批判的だと聞きましたが、どういうことでしょうか」、と唐突に質問が降ってきました。県庁内の筆者の知人の名前を何人か上げられ、彼らから聞いたのです、といきなり本題に入られましたのでいささかびっくりしました。
 元、当該事業の担当であったとお聞きしたので、当方も率直にお答えすることにしました。「少年教育の事業としては珍しく県独自で巨大な公金を投入しているにも関わらず、現状診断は不十分、処方も間違っています。当然、結果を出しているとは思えないからです」とお答えしました。広報や報告書を拝見しても、「アンビシャスは何を達成しようとしているのか、何を達成したのか」が見えないということです。最終的に、この事業は「公共投資のアカウンタビリティ」(結果の説明責任)を果たしていない、と申し上げました。2、3具体的事例のやり取りもしたのですが、「見方が一面的ですね」、「誠に残念です」というご感想でした。それでは箇条書き的に書いてご説明し、筆者の見方が「一面的かどうか」を読者にご批判いただきたい、というのが本稿の趣旨です。
 アンビシャス事業は、地域の「少年の遊び」を支援する福岡県の壮大な総合的事業です。狭義の地域コミュニティ(第1次生活圏あるいは小学校区)に、子どもの遊び場(「アンビシャス広場」)を作り、子ども集団や遊びを創り出すことを中心課題とする事業です。
 この事業は事業の前提となるべき「診断」も「処方」も間違いであり、しかも、政治主導の事業の「名を売る」ため、県費の補助を受けるのであれば、各地の類似の事業も「アンビシャス運動」の看板を掲げよと主張した点で誠に独善的な事業にならざるを得ませんでした。また、この事業との競合が想定される「放課後子ども教室」の国庫補助金を県が辞退した結果、市町村で国の補助金を活用して、新しい発想で子どもの居場所を作るべく構想していた人々の夢や事業の可能性まで潰してしまう事態を招いたのです。筆者は、たまたま不幸にして、上記の二つの点で、間接的な被害者になったので、「批判」の思いが強くなっていることは否めませんが、筆が走り過ぎぬよう自制して書くことにします。

2 地域における学童期の子どもの自由時間の過ごし方を中心課題としているのに、「子育て支援」や男女共同参画の視点が全く欠如しています。

 法律も整備され、今や男女共同参画の時代です。経済格差の拡大している時代でもあります。女性の労働力なしには社会が成り立たなくなっている時代です。共働きの家庭は増えることはあっても減ることはありません。女性の就労・社会参画は女性の希望であり、少子化時代の国家の必要でもあります。両親が働けば、家庭の養育・保育の機能は欠けがちにならざるを得ません。保育所も学童保育も不可欠になるのはそのためです。しかも、未だに、全員を受け入れることが出来ず、待機児童は多く、学童保育はすし詰めのお守りをしているに過ぎません。「アンビシャス事業」は時代のそうした状況が全く見えていないのです。現在、筆者が関わっている「学童保育」の教室には、全校生徒のほぼ半分が来ています。子どもたちは保護者が迎えに来てくれる5時過ぎまでは地域に帰ることも出来ないのです。もちろん保護者の職業が多様化していますから、地域によっては土曜保育も、日曜保育でさえも実施しています。昔のように全部の少年たちが地域で自由に遊べる時代はとっくの昔に終わっているのです。

2 なぜ「税金で建てた学校」を活用しないのか?

 もちろん筆者の個人的見聞は限られていますが、多くのアンビシャス広場に子どもの姿はまばらです。放課後や週末の少年の遊びの舞台になぜ膨大な公金を投入して「広場」を作る必要があるのか?なぜ、学校を開放して活用しないのか、理解に苦しみます。少子化・空き教室の時代になっているのに、教育行政や校長・教員が学校施設を占有し、地域の活用を阻んでいることは承知していますが、政治主導の本事業がその気になりさえすれば、活動場所として学校を開けさせることぐらい雑作もないことでしょう。知事の要望を入れない校長がいるとは考えられません。現に筆者も小さな町の町長さんと組んで町内すべての小学校を放課後の「寺子屋」活動に活用させてもらった経験があります。安全の面からも、子どもと保護者の利便性の面からも、経費がかからないという点でも、「学校はコミュニティの学校である」という発想を定着させる意味でも、放課後の子どもの活動に学校を利用することは大いに意味があるのです。学校で行われる「遊び場広場」に学童保育の子どもたちが合流すれば、そこには保育の指導員も存在し、地域の小学生全員を対象とした事業が出来るのです。
 上掲の通り、先の教育長協議会にも提案いたしましたが、文科省は、学校の子どもを応援する発想は大事にしても、地域の子どもを応援する発想は大事にしていないのです。地域のボランティアを動員した「学校支援地域本部」事業のお返しに、県独自で「学校を活用した地域支援」事業の発想をしてみてはどうでしょうか。地方の時代だとみんなが言うようになりました。学校を活用して地域の子どもを応援する発想が中央にないのであれば、福岡県が実施すればいいだけの話ではないでしょうか?まさしくアンビシャス事業は辞儀通りの“アンビシャスな”事業であり得た筈なのです。

3 プログラムもなく、恒常的指導者も存在しないーなぜ「生活」を見ないのか?

 アンビシャス事業は、事業の前提となる子どもの現状認識が出来ていません。それゆえ、事業には目指すべき具体的な子ども像が欠落しており、子ども像に沿ったプログラムも指導者も構想されていないのです。現代は、日本が貧しかった時代、子どもが日々の暮らしの家庭労働に参加し、相応の役割や責任を持っていた時代とは違います。
 今や、職住分離は徹底し、大部分の保護者は子どもに働く自分の「後ろ姿」など見せることは出来ません。また、地域は無縁社会であり、人々は自己都合優先で暮らしており、子ども会のような地域の教育力も崩壊に瀕しています。当然地域の子ども集団も自然消滅し、子どもの生活時間は、学校と塾とテレビとゲームで消費されています。現代の子どもは集団を形成することも、自分たちで遊びを創造することも出来なくなっているのです。いくらお金をかけて「ひろば」を作っても、プログラムも指導者も存在しない「ひろば」を生かすことは出来ないのです。「ひろば」があって、見守りの大人がいれば、子ども集団や自発的な遊びが生まれるというのは現代教育の「迷信」です。
 現代の子どもは、労働を知らず、苦労を知らず、仲間との共同を知らず、仲間集団の遊びすら知りません。結果的に、体力も、耐性も、ルールを守る遵法精神も、協力して責任を果たす規範意識も衰えています。彼らに育てるべき資質は、上記のような「一人前の社会人の条件」です。生活を教えなければならないのに、遊びだけに注目し、その遊びですら、プログラムも指導者も置かず放任していれば、教えることは出来ません。多大な公金を投入しながら、アンビシャス事業にはそうした教育上の認識と展望がほとんど全く欠如しているのです。診断も処方もないとはそういう事業状況を意味しています。

4 ボランティアを「ただ」で使い続けて、ボランティア文化を醸成することは出来ない

 事業評価は結果で決まります。事業の評価を美辞麗句と情緒的な言葉で飾っても公金投入の説明責任を果たしたことにはなりません。当該事業は子どもをどう変えたのか?体力や耐性や規範意識は育っているのか?子ども集団は形成されたのか?地域の教育力は復活しているのか?報告書を読んでそれらが分からなければ公金投入の説明責任を果たしたことにはなりません。アンビシャス事業の「バッジ」が校長先生の机の引き出しに眠っていることも見聞していますから、事業の顕彰が不十分であることは明らかです。
 熊本県阿蘇郡の産山村が、子どもの社会貢献をプログラム化したように、現代の子どもには社会貢献の実習やボランティアとしての初期体験が不可欠です。一度、現場に立って指導してみれば、すぐ分かることですが、彼らはへなへなで、その上に「自己中」で、わがままです。少しでも「負荷」の大きい課題には、「きつい」、「やりたくない」、「面白くない」を連発して、「やだ」と言います。過保護、飽食、放任の現代は、たとえ遊びであっても指導者がいなければ子ども集団を組織化することは不可能です。その「有志」の「指導者」を「ボランティアただ論」で、「ただ働き」をさせることは行政の「甘え」であり、「おごり」です。この事業の関係者が、筆者が関わっていた「豊津寺子屋」の見学に御出でになって、「オレたちは一銭ももらっていない」と大見得を切っていらっしゃっいました。そうした方々のはたして何人が今もボランティア活動を続けていらっしゃるでしょうか?「汝の隣人を愛せよ」というキリスト教文化の伝統ある欧米諸国でさえも、ボランティア支援やボランティア基金を法制化しているのは、市民の社会貢献を顕彰せず、「ただ働き」に終わらせたら、持続可能な活動は出来ないということを経験的に学んでいるからです。「ボランティアただ論」に依拠した事業は何処でも人材の確保が「じり貧」に陥っています。伝統的地域共同体の時代は終わりました。お宮を守るような特別な伝統を持つ地域は例外として、「勤労奉仕」の時代も終ったのです。県主導の事業が、子どもの健全育成といえども、地域の方々に奉仕を求めるのは時代に逆行しているのです。県の事業が、ボランティアの貢献に光を当て、その活躍を顕彰し、応分の「費用弁償」の仕組みを作ることが出来れば、高齢者の社会参画も、若者の社会貢献もどんどん広がって行くでしょう。市民の社会参画を「ボランティアただ論」が阻害しているという事実に気づかない点でもアンビシャス事業は「小衆」の登場も、「分衆」の誕生も、NPOの必然性も見えてはいないのです。

「偶然」や「運」に頼れば論理は崩壊する
-見応えのある映画の条件-

1 カードと将棋

 隠遁中に乱観して沢山の映画を見たことは前号に書きました。中にいくつかサスペンス映画と呼ばれるジャンルのものがあり、最後まで見たものもあれば、途中で消したものもあります。途中で消した映画はろくに題名も覚えていませんが、「犯人の追跡」や事件の「謎解き」が「偶然」や「運」に頼ったものが多いということに気づきました。
 人生にも歴史にも偶然や運は確かに存在します。しかし、長い人生や歴史が左右されるほどに沢山の偶然や運は存在しません。偶然や運に頼って日々の問題も、人生の悩み事も解決できる筈はないのです。
 将棋の名人羽生善治は、カードゲームと将棋を比較して次のように言っています。『カードゲームには「運」の要素が強い。プレーヤーは偶然や運をどう活用するかで勝負が決まるが、組み合わせによっては、すばらしい幸運やどうにも成らない不幸な運も巡ってくる。将棋にはそれがない。負けは自分の負けであり、敗因は偶然によるものでも運によるものでもない。「運」で自分に言い訳は出来ない。将棋の魅力は、厳しいけれども、あくまでもフェア・プレーに徹しざるを得ない勝負の特性にある』。
 納得、ですね。
 サスペンス映画に限った事ではないでしょうが、映画の面白さは、99パーセントシナリオの論理性で決まると思います。将棋と同じように、主人公の失敗も成功も、追跡も逃走も、緊張も戦慄も、悲しみや喜びでさえ、偶然や運に頼らない論理の積み重ねによって生み出されるストーリーにあると思いました。

2 偶然を許さない論理

 犯罪の動機を重視した松本清張の小説や理詰めで主人公の人生を分析せざるを得ない法廷ドラマが面白いのは、偶然や運に頼らず、論理から外れる事を許さない物語の展開が厳しくてフェアだからだろうと感じました。
 戦記物の「ウインドトーカーズ」は、サイパン島攻略の日米の激戦を描いた映画でしたが、暗号の解読を恐れたアメリカ軍が、すべての軍事暗号をナバホインディアンの言葉に翻訳して戦術を組み立てて行くというストーリーでした。ウインドトーカーとは文字通り「風と話す人々」ですが、これはナバホ族のことをさしています。映画の冒頭に、日常生活の中で、自然に祈り、風と話している人々の生活が紹介されていました。
 ナバホ族の通信兵は、万一、負傷して日本軍の捕虜になるようであれば、暗号の秘密が知れてしまうので、「捕虜になる前に殺せ」という指示を受けた白人の上官がペアに組まれます。戦略も戦術も非情の「論理」で出来ています。一つでも見落としがあれば、戦いに破れます。ナバホ族の部下と気持ちが通じ合った白人の上官は、自分が彼を殺さなくて済むように、懸命の援護を行い、通信兵を庇って最後は自分が戦死します。紛れもなくそれが戦場の論理的帰結なのでしょう。個人の思いに関わりなく、戦略も戦術も非情です。負傷しながらも、生き残ったナバホの兵は故郷に帰還しました。彼は、高い崖の上でナバホ族の感謝の儀式を行い、風と話します。幼い息子に「自分を殺す任務を担っていた上官」のことを「いい人だった、忘れてはならない」と言って聞かせる場面がラストシーンでした。
 映画が終わって、「太平洋戦争において、ナバホの暗号は一度も解読される事はなかった」という文字が画面に出ました。秘術を尽くして戦うという点で、戦争は将棋に似て厳しくてフェアです。
 日本軍がアイヌ語を暗号に使ったら、アメリカ軍は解読できたでしょうか。しかし、同時に、日本人は、差別し抜いて来たアイヌの人々を軍務の重要機密に携わらせるだけの度量と寛容さを持ち合わせていたでしょうか、などと思いながら見ました。勝利が論理的帰結であるように、敗北もまた論理的帰結なのです。アメリカ映画界はさすがです。見応えのある映画でした。

不登校児の母に答える

1 「他動詞」で子どものしつけが出来ますか?

 教育の3原則の通り、子育ては、生きて行く上で大切な事を、「やらせる」、「教える」、「練習させる」の「他動詞3点セット」です。訓練期間の間は、「子どものいい分に耳を貸してはならない」のです。それゆえ、子どもを「宝」とする風土の保護者にはなかなか出来ないことなのです。古人が、「他人の飯」と言う通りです。
 いつもの通り、持論の少年教育の提案をしたら、ご不満だったのでしょうか。講演終了後に、不登校児の母上とおっしゃる方からご質問がありました。「かわいがって育て、気立てもいい子なのになぜこのようになるのでしょうか」?「不登校は悪い事でしょうか」?
 残酷ですが、小生は、本当のことを言わねばなりません。
 現行のシステムの下では、不登校は「悪いこと」です。「あなたもお困りの筈です」。「お子様は将来、年金から始まって健康保険でも、介護保険でも、事によったら生活保護に至るまで、社会の負担になる可能性が大きいのです」。
 不登校の原因は、「可愛がって育てたからです」。日本の保護者にとって「可愛がる」とは、ほぼ「子どもの言い分を聞く事と重なります」。裏を返せば、「人生の指導をして来なかった」という事です。おそらく、あなたの「いい子」は、「あなたが子どもの言い分を聞いている限り、従順で、反抗しないという事ではないでしょうか」?しかし、家の外の世間は、彼の「言い分」を聞きません。「友達仲間も、学校の仕組みも、彼の思うようにはなりません」。

2 子どもの視点より社会の視点に立てますか?

 言い分の通る我が家と言い分の通らない学校では、彼にかかる「負荷」が違うのです。強くなれない子どもは、常に自らの選択肢で「負荷」の小さい方を選んで来た子どもです。保護者もその選択を容認してきました。強く成れなかった子どもが不登校に陥るのは、学校という世間の「負荷」に耐えられなくなるからです。
 現在日本を覆っている「児童中心主義」は、子ども優先の思想です。「子どもの目線で」とか、「子どもに寄り添う」とかの発想は、子どもは宝であるとする「子宝の風土」の思想に一致します。
 筆者が、提案しているのは、子どもを中心に置かないで、「社会の視点」を優先させ、指導者の意志を優先させる指導です。少年期の教育の根幹は「思い通りにならない人生に耐え得るだけの体力と欲求不満耐性」を育てる事です。
 指導を「学習支援」などと置き換える愚かな教育者がいなくならない限り、また、子どもの欲求を抑制する事を「人権の侵害」と置き換えるような未熟な人権主義者がいなくならない限り、「欲求不満耐性」は育てる事が出来ません。体力や耐性の育成は、「自分の欲求」を抑え、「辛いこと」に耐えさせ、子どもの心身に「負荷」をかけることです。古人は、「辛さに耐えて丈夫に育てよ」といい、「可愛い子には旅」と言ってきました。「いじめ」も、「不登校」も、「引きこもり」も、少年犯罪も子どもたちが自らの未熟な欲求を抑える事が出来ず、思い通りにならない人生の「負荷」に耐えられないから起こっているのです。ニートやフリーターに加えて、いじめや少年非行や若者の犯罪の増加は、現代の家庭教育が生み出し、学校教育が抑制し切れていない「教育公害」です。
 あなたのお子さんは、あなたが老い、衰えた後どのように生計を立て、社会に参加して行くのでしょうか?小生にその答えは出せません。しかし、昔から、「若い時の苦労は買ってでもさせよ」と言います。お子様は、「一刻も早く家を出して」、「殴ろうと蹴ろうと結構ですから、どうぞ一人前にしてやって下さい」とお願いの出来る「他人の監督下におく事」をお勧めいたします。あなたとあなたのご主人にお出来になるでしょうか」?

「半落ち」

 我々は霊長類ヒト科の動物として生まれ、「ヒト」は、特別な事故や病気を除けば、教育(社会化)によって人間となり、年を取ったあとも、教育と学習によってかろうじて人間であり続けることが出来ます。多くの場合、老衰は「廃用症候群」の結果であり、「ボケ」はその典型です。広い意味で、「教育・自己教育」の欠如の結果です。
 
1 人間を止める

「半落ち」は、隠遁の一週間に見た日本映画の題名です。題名から想像して、最初は、刑事物かと思いました。ところが、主題は「認知症」や「骨髄移植」(臓器移植も含むことになるのでしょうが・・・)と人間の生き方の問題でした。刑事や検事や弁護士の職業上の「価値観や感性」のあり方を交えて、観客を最後まで飽きさせずに引きつけるのはシナリオの出来と監督のなみなみならぬ腕の冴えだと感じ入りました。
 しかし、小生の興味は、拡散するストーリーの中の、一点に集中しました。それは認知症の妻の懇願を入れて、彼女を絞殺した現職の警察官の思いと、認知症の父を介護する裁判官の「愛情のあり方」が交錯し、裁判の量刑に反映しているということです。
 筆者は、「植物人間状態」や「重度の認知症」を「人間を止める」と表現してきました。出発点は、何十年も前に、警視庁が麻薬撲滅作戦に使ったポスターの文言です。そこには、「クスリ止めますか、それとも人間止めますか」と書いてありました。当時、麻薬中毒患者は、最終的に「廃人」になると言われていました。「廃人」とは、文字通り「人を廃する」ことです。認識能力を失い、判断能力を失い、その結果人生の決定も実行も出来なくなった人を、ポスターの制作者は、重度の麻薬中毒患者に重ねて「人間を止める」と表現したのです。

2 「耐えている人間」の価値判断

 筆者は、施設における職業的介護者による認知症高齢者の虐待は、対象の患者さんに「人間であることを感じられなくなった」ことから始まる虐待であると論じてきました。患者に「人間」を感じられれば、職業的介護人が虐待することは一気に減少する筈であるとも書きました。要は、「人間とは何か」その「条件」とは何かが問われるということです。
 重度の認知症患者は、上記の通り、認識能力を失い、判断能力を失い、従って決定能力も実行能力も失います。介護者の語りかけも感情もほとんど通じなくなります。介護者は患者から人間的反応を得ることが出来なくなるのです。
  映画の中の裁判では、弁護士の必死の努力にもかかわらず、被告人が自らを罰する意志を通して一切の弁明をしなかったので情状酌量の余地がなくなりました。それでも、被告人の「自首」や逮捕後の一貫して神妙な態度が考慮されて、「執行猶予」がつく筈だと弁護士も、周りの関係者も、見ている筆者も、信じていました。しかし、「執行猶予」は付かず、実刑4年の判決が決定しました。
 判決文を担当した若い裁判官は認知症の父の介護をしていました。既に家の中で暴れたり、徘徊の症状が出ている父の背中には、住所・氏名・電話番号を縫い付け、夜は、父子が並んで隣同士に寝て、息子は自分の手に父の手を紐で結んでいました。まだ若いのに、妻は独り寝を強いられているのです。
 しかし、裁判官自身は昼間は勤務でいないのですから、主たる介護人は日本社会のご多分に漏れず、彼自身ではなく妻であることは言うまでもありません。彼が妻の意見や感想を聞く場面は映画にはありませんでした。監督も恐らくはシナリオライターも、介護する女性の気持ちにまで気の回らない「男」なのでしょう。
 ワンカットのシーンに、日向の庭で、老いた父が背中に住所電話番号を背負って、無心に草むしりをしていました。若い裁判官は無言でその背中を見つめていました。彼が書いた判決文に、この風景や状況が反映されない筈はないであろうと思いました。
 被告人が、いかに妻を愛し、妻を哀れみ、彼らの人生にどんな事情があったにせよ、また、何一つ弁明しない被告人の態度がいかに反省に満ちていても、若い裁判官は「酌量」の余地を認めませんでした。「執行猶予」が付かなかったのは、認知症の父を看取るという苦悩に「俺は耐えている」という若い裁判官の思いのためだと感じました。しかし、「耐えているのはお前だけではない、被告人も同じだ」と、筆者はむしろ被告人の方に肩入れして見ていました。人生における「重度認知症」の評価・解釈の違いが対比された映画でした。3人の裁判官が裁いた裁判でしたが、3人とも男でした。女性の裁判官がいたら判決は違っていただろうか、と思わせる映画でもありました。
 筆者は、万一の場合でも、自らの「認知症の介護」を家族にさせようとは考えていません。有り難いことに施設も整ってきました。介護に備え、貯金も心がけて、日々節約しています。
 自分の身に置き換えると、「人間を止めてしまった父」は、娘や息子にとって辛い存在であることは疑いをもちません。家族の虐待もたびたび書物で読むところです。子どもたちには、「重度の認知症に陥った父を介護するな」ということは、既に何度も小生の日常の通信で送っています。

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

福岡県宗像市 賀久はつ 様

 ご丁寧なお便り痛み入りました。「水子」の取り扱いも所により、大学などの専門機関により大きく異なることがよく分かりました。日々ご自身を厳しく律して暮らしているご様子が彷彿として、我が身に置き換えて姿勢を正しております。

東京都 瀬沼克彰 様

 沢山の公開講座資料をありがとうございました。昨今はすっかり大学との縁が切れました。教え子の質問に答えているうち、いつの間にか開放講座も、姉妹校制度も、契約研究員も昔語りになっているのに気づいて慌てます。昔語りをしないと決めた以上、もはや自分には大学のことを語る資格はない、と自重しています。

島根県浜田市 白砂公民館 様

 西条柿届きました。お心使いありがとうございました。お返しと言っては何ですが、出来立てのカルタをお送りいたします。これを使って熟年期のみなさまが遊んでいただけると、日常の暮らしの姿勢が整うように工夫しております。カルタ取りは一等、二等と小さなご褒美が出せるように工夫した上で試みて下さい。

長崎県長崎市 藤本勝市 様

 再会の機会を得、互いの壮健を確認し、嬉しい限りでした。老年学で強調した通り、「読み書き体操ボランティア」を怠らぬことだけを自らに命じて暮らしております。かつて、助けていただいた大会も来年は32年目を迎えます。また、長崎県はあなたの後輩の皆さんが奮起して、独自の研究会:「草社の会」を組織しました。健康と日程が許す限り応援に出かけたいと願っております。また、どこかでお目にかかる日を楽しみにしております。
 ご都合が許すようでしたら、来年の篠栗でお会いしましょう。

神奈川県葉山町 山口恒子 様

 驚くべきことですが、一人暮らしに慣れました。一人暮らしは会話のない生活です。時々、暗闇に怯えて、家中の電気をつけたりします。人間と話さない分、犬たちや植物と話すようになりました。小春日和のぬくもりの中で、庭に育てた花の美しさが心に滲みて行くのを感じます。
 室内の掃除だけをシルバー人材の方にお願いしておりますが、その他の炊事、洗濯、日常事務はすべて一人でこなしております。「孤食」も苦にならなくなりました。むしろ、レストランへ出かけた時の喧噪の中の孤独の方が身にしみます。同じ理由なのでしょう、すっかり街の雑踏が嫌いになりました。今年は街路樹の黄櫨が見事に色づきました。窓いっぱいの紅葉を楽しんでおります。

過分の印刷・郵送料をありがとうございました。

長崎県長崎市 藤本勝市 様
神奈川県葉山町 山口恒子 様
福岡県宗像市  賀久はつ 様
長崎県佐世保市 左海道久 様

お知らせ

1 「学童保育に教育プログラムを入れると子どもの何が変わるのか?」-山口市「井関元気塾」第2回発表会

日時:平成24年12月8日(土)10:00-12:00
場所:山口市立井関小学校体育館(防寒準備にご注意!!)
資料代:100円
申し込み:所属・氏名を添えて事前申し込みが必要です。準備の都合上、当日参加はご遠慮下さい。
申込先:〒754-1277 山口市阿知須1639番地
井関小学校内「井関にこにこクラブ」
電話/Fax:0836-65-1570(14:00以降にお願いします。)
定員:会場の都合により先着100名で閉め切らせていただきます。

第126回生涯教育まちづくりフォーラム

1 期  日  平成24年12月15日(土) 15:00~17:00
2 会  場  福岡県立社会教育総合センター
    〒811-2402 福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2
    TEL 092-947-3512  FAX 092-947-8029
*【特別企画】生涯現役・介護予防カルタの企画者に聞く!
   『リハビリ・サ-クル「再起会」の日常活動から生まれたカルタ』
    発表者 下関市リハビリ・サークル「再起会」
代 表  永井 丹穂子
 聞き手 NPO法人幼老共生まちづくり支援協会
理事長  森本 精 造
*【生涯現役・介護予防カルタの披露】:カルタ大会~優勝者にカルタ進呈

3 第127回生涯教育まちづくり移動フォーラムin島根
 日時:平成25年1月12日(土)13:00-
 場所:交渉中
(1)事例発表:浜田満明さん(出雲市立高浜幼稚園長)、柿本和彦さん(NPOおのみち寺子屋:交渉中)
(2) 基調提案 「少年期の核体験を保証する」(三浦清一郎)
(3)グループワーク  「子どもの体験活動の充実!
~質的・量的な補償とその仕組みづくり(仮)」
(4) 情報交換会 

編集後記-無常の月日

蕭々と風湧き立ちぬ夜明け前
耐え難ければ名を呼びにけり

 春から夏へ、夏から秋へ、そして花の世話をしているうちに、今年はもう秋から冬へ季節が移ります。日本人は四季の変化を人生の変化に投影し、「無常」という概念を大事にしてきました。みんなそれぞれに新しい目標に向かって変化を求めながら、同時に、現在の健康や人とのつながりの「無常」を恐れて暮らしています。便りの最後には、「お変わりなく、お元気にお過ごしください」と書くのが慣わしになっていますが、「変わらないこと」は不可能ですね。  
 筆者の1年は「井関」に明け、「井関」に暮れようとしています。今にして思えば、心身が衰えないよう、ぼけないようにと、「教え子」の思いやりだったかもしれません。今年のように、定期的、重点的に、しかも1年の長きに渡って子どもを直接指導するのは、大学院時代以来45年ぶりのことです。時代は変わっても、「人間性」は変わりませんね。子どもの成長や変化を我が身のことのように喜んで過ごしました。しかし、それは「無常」ということでもありました。子どもが日々変化・成長する一方、小生は衰え、彼らの輝くような少年時代も刻々と移ろいます。
 日常の「無常」を慈しみ、一人暮らしに慣れたつもりですが、夜半に目覚めて、晩秋の風の音が耐え難く身に滲みる日があります。

「風の便り 」(第154号)

発行日:平成24年10月
発行者 三浦清一郎

論語の真実
「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」

1 子どもたちの証明

 表題は、井関の子どもたちが暗唱している論語の一文です。
 上手になる子どもは課題が大好きです。ほとんど例外がありません。「井関」の指導は、「教育」を「遊び」に翻訳していると書いてきました。子ども同士の競争原理もふんだんに取り入れ、「努力した者」や、「勝った者」にはささやかな「褒美」を出すシステムも遵守してきました。特に、「挑戦者」は指導員全員で褒め上げることを指導の原則としてきました。
 課題の初期段階では、上手にできないので、ためらったり、避けようとする子どもが必ず出ます。指導員の皆さんも新しいことについて「尻込み」することは同じです。筆者の存在は「鬼」の「役目」ですから、容赦なく「挑戦」と「実行」を「強制」します。昔聞いた「破産管財人」の方針を我が方針としています。すなわち「正面の理、側面の情、背面の恐怖」です。また「強制」の論理の背景は、これまで繰り返し書いてきた「教育の3原則」です。すなわち、「やったことのないことはできない」、「教わっていなければ分からない」、「練習しなければ上手にはならない」の3つです。
 子どもも指導員も、激励と賞賛と強制を交えて指導を続けていると段々できるようになります。できるようになってくるとプログラムの面白さが分かって、ためらいや拒否が激減します。指導員の先生方も、自分が子どもを変えている、と実感できるようになります。
 そうなると練習に身が入り、反復を繰り返すので、大人も子どもも、ますます上手になって行きます。指導者がすかさず認めて、褒めて、励ますのはこの時です。子どもへの拍手や仲間の前での賞賛は「社会的承認」と呼ばれて、心理学のいう「エネルギー保健食品」にあたります。子どもはここからプログラムが「好き」に転じ、一気に「楽しみ」に飛躍することもあります。その先は自分で進んでやるようになるのでほとんど指導が要りません。保護者の皆さんが見学してくださると、見る見るうちに技量も上達します。まさしく「これを楽しむ者にしかず」なのです。「書き取りの練習」も「朗唱」も「身体能力」の指導も、競争原理を取り入れ、遊びの要素を絡ませ、子どもが楽しんでやるようにすれば、あっという間に上達するのです。

2 高齢者の真実

 民間放送教育協会に所属する33局の制作者が「年を重ねるとは何か」、「自分は何者か」という問いを投げかけながら、各地の「様々な人生の軌跡」を取材したインタビュー・プログラムが1冊の本になりました(*)。取材対象は長生きして活動している人が多かったのですが、ドキュメントの総括的結論は表題の通り「やりたいことはまだまだある」ということになりました。象徴的ですね。「やりたいことのある人」は、心身の健康に気を使うのです。「やりたいことがいっぱいあるので」、「元気でいたい」、「未だ生きていたい」、「未だ死にたくない」という意味でしょう。
 活動している人はお元気で、未だ人生に目標があるのです。個々人の人生観や好みの問題も関係するでしょうが、「やりたいことのある人」は健康に留意し、生に執着するということです。逆に、無欲な人はPPK(ぴんぴんころり)であっさりと逝ってしまうかというと、そうは問屋が卸しません。生老病死は老いの宿命です。健康に留意しない生き方は、目的地に軟着陸(ソフトランディング)はできません。必ず途中で、クラッシュ(衝突)や墜落など様々な故障が起るからです。それが生活習慣病や不注意による事故です。
 しかも、現代の社会福祉のシステムでは、簡単に死なせてもくれません。人生が到底あなたの思い通りにならない、ということが分かっても、最後はチューブに繋がれて、植物人間になっても生かされ続けるシステムになっているからです。
 生涯を健康で、最後まで活動的で、社会に参画して生きることは天晴れです。最後まで「やりたいことがある」ということは目的も、目標も失っていないということです。だから健康寿命も延びるのです。ここでもまた、健康寿命の原理は、「お元気だから活動するのではありません、活動しているからお元気なのです」ということになります。そして「活動」の継続については、「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」ということなのです。孔子様は、学習の原理はもとより、健康寿命の原理までお見通しであったということなのでしょう。

(*)民間放送教育協会編、やりたいことはまだまだある、PHP、2005年

隠遁実験の結論
-「休めば錆びる(エディソン)」

1 夏バテか、燃え尽き症候群か

 夏が終わって身体の力が抜けてしまいました。身体の何処にもこれと言って異常はないのに、延々と眠りに眠っています。
しばらく通常に仕事は続けましたが、意志の力だけでこなしました。しかし、講演、出版、「風の便り」の原稿執筆、生涯教育まちづくりフォーラム、出版記念食事会、井関の子どもの指導など何一つ物事を楽しんでいないという自覚症状に気づきました。井関の指導で、巻頭小論の通り、論語の言う、「これを楽しむ者にしかず」を実感していた矢先なので、状況は「要注意」であると判断しました。
 この夏は、「老年学」の出版と「井関の学童指導」と「介護予防カルタ」の解説文に加えて通常の論文など少し無理をしました。夏バテかあるいは燃え尽き症候群か、もしかするとその両方が同時にやってきたと感じました。

2 初めての「隠遁」実験

 初めてのことですが、この「眠さ」は、単に精神力で突破する問題ではないと自分でも感じたので思い切った対処法をとることに決めました。
 ちょうど区切りよく、一週間まるまる、講演がなく、ボランティア英語の授業は休み、「風の便り」は書き上げ、かるたは月末まで動かないという時期です。「老年学」の出版も果たし、遠くの子どもたちへも「無事の便り」を送りました。この機会に家にこもって世間を遮断して、本格的に休んでみようと考えました。と、いう訳で、1週間の「隠遁」実験に踏み切ったのです。
 ひたすら眠ることを心がけ、世間のことは何もしないと決めました。いろいろハプニングもあって、なかなか世間は放っておいてはくれないのですが、それでも朝寝、昼寝を含めて一日平均十数時間は眠りました。全く動いていないので食欲はありません。絶食もたまにはいいと、健康指南書に書いてありましたので、腹が空いたときだけ軽く食べるようにしました。果物を買い込み、イスラム教のラマダンに近い生活になりました。
 4日目位から自覚症状が現れ、朝の手のむくみが取れ、犬たちとの散歩のときの身体が軽くなりました。ビデオは借りませんでしたが、夕方から就寝前までは映画チャンネルを探して古い映画を見ました。刺激を受けて、映画評論もしてみたいと思いました。
 仕事中毒人間が休むということは難しいことです。5日目には、人恋しさも限界となり、一日早く世間に復帰することに決め、6日目の土曜日に関係者に復帰のメールを送りました。
 短時日では効果のほどが分かりませんが、「隠遁実験」はいろいろな意味で成功だったと思います。
 第1に、「休めば、錆びる」を痛烈に実感しました。脳細胞から筋肉まで、健康な人間の「安静」は禁物だということが身にしみました。高齢者の「引きこもり」は健康寿命にとって致命的だということです。退屈も人恋しさも大問題でしたが、何よりも「休めば、錆びる」というボケの恐怖に駆り立てられました。思い出せない「人の名前」や買い物に出て「買うべきもの」を「忘れて」きたりすると「おれもいよいよか」と狼狽えて、怯えました。仕事を開始してほっとしております。
 第2に、人間は、「心身一如」ではあるが、同時に「心身は別の存在」ということも実感しました。意志だけでがんばることが病気を引き起こすことになるということを学びました。書き上げたばかりの「老年学」を思い起こし、「がんばること」の大事さも、時に、「意志を捨てること」の重要性も同時に思い至りました。
 第3に、人間は家族や友達がいなければ、生きることが難しいと改めて実感しました。「無縁社会」の「ひとり暮らし」には、戦略的な自己防衛が不可欠であることも自覚しました。煩わしいことを果敢に「断・捨・離」することと、自らに必要な「人・もの・事」は意識的、自覚的、積極的に選択する事の重要性も痛感しました。

3 映画「乱観」

 若い頃の「乱読・集中読書」が効果絶大だったように、年を取ってからの「集中映画鑑賞」も効果大であったような気がします。つまらないので途中で止めた映画もたくさんありますが、直前直後を含めると、以下のような映画を見ました。
『ウインドトーカーズ、バージンクイーン・エリザベス、さゆり、海猿、シティ・ヒート、ポセイドン、A Few Good Men、ラストサムライ、英雄の条件、紀元前1万年、王様と私、無宿、アンダルシアの女神、ワイルドアパッチ、ファイアーウオール、告発の時、マーシャルロー、トレーニング・デイズ、オールドルーキー、沈黙のステルス、ジャッカル、シビルアクション』
 途中で投げ出した映画をいれれば、まさしく映画漬けの一週間でした。乱読ならぬ、乱観でしょうか。PCは封印していたので、この間の感想や意見はポストイットにメモしました。乱観した映画については、「風の便り」の紙上を借りて、すこしずつ、男女共同参画論、人生の美学、シナリオの作法などについて小論をまとめていくつもりです。

「Outlaw」国家との付き合い-経済界の自己責任と他力本願-

1 「Outlaw」国家の横暴は政治の責任か?

 「風の便り」では政治論議はしないことにしていますが、経済界のいい加減さにはさすがに頭に来ることがあります。先に書いた隠遁生活の中の映画の切れ目に、天気予報を探していて、たまたま経団連会長と日本商工会議所会頭のインタビューを見ました。せっかくの休みを不愉快な思いに満たされ、やはりテレビは消しておくものだとしみじみ思いました。
 尖閣諸島を巡る中国の嫌がらせに対して、「民間が営々と築いて来た日中関係を一気に崩壊させるようなことになれば誠に遺憾である」と米倉会長,「しかるべき外交ルートでなんとかしてもらいたい」というのが商工会議所の岡村会頭のコメントでした。
 何ともいい気なものです。経済界の自己責任とすべき問題を政治のせいにして、「なんとかしろ」というのは他力本願と言われても仕方がないでしょう。もうけたい一心で中国に進出したのは、個々の企業であり、中国進出の旗を振ったのは経済界自身の筈です。当然、中国が経済と政治を分離した独裁国家であることも、国際法規を守らない「ならず者国家」であることも承知だった筈でしょう。独裁国家である上に、自己中丸出しの古い帝国主義国家の有り様は国際社会の評判など歯牙にもかけません。「著作権問題」しかり、「餃子事件」しかり、「東シナ海のガス田開発」しかり、テレビを見なくなった小生にも記憶に新しいことばかりです。「天安門事件」の市民弾圧は多くの人の記憶にあることでしょう。遡れば、チベットや新疆ウイグル地区の強行支配、インターネットの表現の自由の抑圧から政治活動の制約まで、何から何まで現在の日本とは国の「あり方」も、国民の生き方も違うのです。

2 もうけ主義の反省はないのか?

 中国という国は、ただただ海洋資源が欲しいという一点で、強欲にも、領土権問題ではあらゆる周辺国家と確執を起こしています。アメリカとフィリッピンの政治的距離が遠くなった途端に、フィリピンやベトナムなど国境が入り組んでいる南沙諸島を実行支配しようとしました(*)。「ならず者」は英語でOutlawです。フィリピンのアキノ大統領は「国際法を守れ」と中国に抗議をしたそうですが、最初から分かってやっている「確信犯」ですから通じる筈はないでしょう。Outlawは文字通り、「法律(law)」の「外(out)」で「生きるもの」という意味です。もうけたい一心でそういう国と付き合ったとして、うまく行かなくなったことの責任は当然当事者にあるのです。経済外的リスクについて、知らなかった訳ではなく、今更、泣き言を言える義理ではないでしょう。それとも、「穏便に済ませよ」ということは、東シナ海のガス田開発を強行している中国に尖閣諸島もくれてやれということでしょうか?
 中国進出に狂奔した経済界や、それを後押しした政治家には、もうけ主義の反省はないのでしょうか?

3 「和して同ぜず」

 自国の人民が日本企業を破壊したり、略奪したりしていても、見て見ぬ振りをしている国家と付き合う以上、多少の損失や危険は覚悟の上と心すべきでしょう。日中経済界の接近を仲介した政治家がいるとすれば、彼らもまた同罪です。日本の生産技術、商品管理、会社経営の組織論を必要としたのは中国だったはずです。アメリカが行きたければ、アメリカに譲り、韓国が進出したければ韓国に譲ってよかったのです。経済活動の自由と独裁政治が矛盾・衝突することを承知の上で進出したはずですし、仮にそこに気がつかなかったというのであれば、準備不十分、覚悟不十分です。「商売相手」の研究もろくにしなかった無知の責任は経済界自身が負うべきことです。わがまま勝手の相手の言いなりになって、出かけて行ったのは安い労働力で一刻も早くもうけようというさもしい魂胆があったからです。結果的に、中国経済の躍進によって、日本のシェアも奪われ、国内の労働市場は空洞化しました。2度目の天安門事件が起これば、政治的に弾圧された想像を絶する数の難民が九州に殺到することでしょう。その時、どう対処するのか。「受け入れるのか」、それとも「実力を持って排除するのか」。外務省や政治家は多少の準備をしているのでしょうか!?
 中国人自身が言っているではないですか。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」です。「潜在的なOutlaw国家」とは、仲良くしても迎合する必要はなかったのです。まして、日本人の生命、安全、財産を危うくするような付き合いをする理由は全くないのです。

(*)南沙( スプラトリー)諸島と呼ばれるサンゴ礁は、中国、ベトナム、マレーシア、台湾、フィリピン などの国境線が複雑に絡み合っている。当然、海洋資源も眠っているということです。

生命、財産、安全の防衛

1 あらゆる組織は「威力防衛」の仕組みが構成員を守っている

 「暴力」という文字は「暴れる」「力」ですから、不吉な感を抱かざるを得ません。暴力教師も、暴力警官も、世間の指弾を受けて、論難され、多くはその職を失います。「暴れる」「力」とは、基本的に「法律外」の「力」のことです。前掲のOutlaw国家中国は、言い換えれば「暴力国家」です。しかし、人々が否定しているのは「暴れる」であって、「力」ではない、ということです。
 暴れることのない中立的な力は、「威力」と言い換えたり、「実力」と置き換えたりしています。もちろん、この「力」は「物理的な力」であることは疑いのない事実です。具体的には、軍隊や警察がその実例です。「力」をもって市民の安全を守ることが生命、財産、安全の防衛だとすれば、公共の安全は「組織的に承認された物理的な力」の装置が守っているのです。同じ「力」でも、国家や社会が承認すると、単なる「物理的力」は、「治安維持力」になります。これが「法律」の承認した「力」の意味です。しかし、独裁国家の「治安維持力」は「市民・人民」を弾圧するので見方によって「暴力」に変じます。
 昨今のアフリカや中近東での独裁国家の終焉は、民衆やそれに同調した軍の蜂起によってもたらされたものですが、あれも疑いなく「暴力」と呼ばれるべきでしょう。クーデターの場合には、「誰か」が治外法権的な「暴力」によって政権を奪取することを意味しています。「法」や「決まり」を無視して発揮される力が「暴力」であるとするならば、民衆蜂起もまた「暴力」であることに違いはありません。世間も、世界も、一定の条件の下で「暴力」の存在は認めているということです。
 「天安門事件」や「シリアの内戦」に見るように、「正義」の「定義」次第で、「治安維持力」と「暴力」の違いは紙一重なのです。自衛隊を「暴力装置」と呼んで物議をかもした政治家がいましたが、これなどは発言者のイデオロギー次第で法律によって承認された「中立的な力」も「暴力」と解釈されることがあるという「例」です。このように、「力」が誰のための「力」で、誰のために使われるかによって、暴力の定義は変わるのです。軍隊や警察のように国家に承認された「治安維持力」も、時に「暴力装置」に変化することも認めなければなりません。「治安維持力」が「暴力」と見なされるか、否かは、国家の性格次第なのです。それゆえ、無政府主義者にとっては、国家こそが「暴力装置」だということになるのです。多くの日本人にとって、北朝鮮や中国の治安維持力は、限りなく「暴力」に近いと感じているのではないでしょうか?
 問題を複雑にしているのは、今や、民間が「組織的な力」を所有し、契約によって人々の安全を守る時代になりました。「警備保障会社」の存在がそれです。アメリカの場合には、民間の警備会社がイラクやアフガニスタンのような外国での「軍事作戦」まで受け持つ場合があるのですから、国家の監督を離れた「組織的な力」と「暴力」とはまさに紙一重なのです。
 筆者の知る限り、軍隊や警察のような「治安維持力」を保持していない社会は存在しません。そのことは、どの社会にも例外なく、市民の生命、財産、安全を脅かす暴力や反社会的な行為が存在していることを意味します。もちろん、筆者が関わっている井関の子どもたちの中にも同じ問題が存在しています。問題は、教育界には「威力防衛」の仕組みがなく、被害者となる子どもの生命、財産、安全を守れなかった、ということです。

2 「いじめ問題」の原点-被害者を守れない教育界-暴力を押さえ込む「拮抗力」の不在

 井関の4年生の男子が1年生男子の腹を蹴り上げ、その行為を叱った指導員を「ばばあ」呼ばわりしたあげく、「うぜえんだよ、お前は」と言ったという報告を受けました。4年生男子の行為は疑いなく「暴力」ですが、現行のルールでは、こうした加害者の子どもの暴力に対抗し得る指導者の側の「拮抗力」の行使は否定されています。指導員は、どんなに激怒しても言葉の上で--責するに留めるしかありません。現在の教育界には、上記のような子どもの暴力を押さえ込むための組織的に承認された「治安維持力」は存在しないのです。結果的に、「いじめっ子」も、「暴力生徒」も、多くは学校の「指導のままごと」の地平に放置されてきたのです。身をすり減らして指導に当たっている先生こそ「いい面の皮」です。当然、多くの被害者もまた指導者から守ってもらえずに、放置される結果になります。だから、自分で自分を守れない人間は潰されます。それがいじめ問題の原点です。
 関係者の誰に聞いても当該4年生男子の数人は保育所の時代から問題児であったと言います。もちろん、学校でも1年のときから問題児であったと聞きました。問題児が問題児のまま4年生になったということは、家庭と学校のしつけが欠落しているということです。このような子どもは日本全国何処にでもいます。このような子どもについて、戦後の教育界は基本的に無力であり、教育効果も上がっていません。この間、問題児は下級生や弱いものいじめをして、「腹を蹴られた1年生」のような被害者が出続けたということは想像に難くありません。戦後の学校教育法第11条が「暴力」に対する「拮抗力」を封じ込め、以後、政治家も、中央行政も見て見ぬ振りをしてきたからです。
 井関の学童では、前回も、一人を3人がいじめたという報告に接し、筆者が厳しく叱りましたが、どんなに厳しく叱っても、言辞による叱責はこの種の子どもには通じません。基本のしつけを欠き、言語的な感受性の鈍い子どもは、言葉の厳しさをあまり感じないのです。言語による叱責は、一時、首を縮めてじっとしていれば、台風のように過ぎてしまうものです。叱責の言葉はもはや身体に滲みて行かないのです。問題児はそのようにして放置され、いじめはそのようにして繰り返されるのです。場面が違えば、また似たようなことを繰り返します。3人が一人をいじめたという中の一人が、上述の通り、今度は1年生の腹を蹴り、指導員に悪態をついたということでした。しかし、筆者はその場にいませんでした。
 こうした子どもたちは、おそらくこの種のことを繰り返し、保育所も学校も学童保育もお手上げのまま今日に至ったということでしょう。被害者を守るためにはこの種の子どもは「力」で押さえこまなければなりません。程度は違いますが、未成年の犯罪者を強制的な力を持って、少年院等の社会的矯正施設に送らなければならないということと原理的には同じことです。

3 「体得」こそ教育の原点

 相次ぐいじめや暴力や悪態の知らせに、筆者は改めて決心し、井関でも、これまでやってきた「青少年野外キャンプ」や「豊津寺子屋」の経験に戻ることにしました。経験とは、「ルールに従わず、他の子どもを著しい危険にさらすような行為を止めない子どもは、物理的に処罰する」ということです。
 残念ながら、筆者のやり方は、現状では「指導者の暴力」と呼ばれますが、小生はこれまでの教育指導を、最終的には「力」をもって事故なく乗り切り、被害者と秩序の両方を守ってきました。
 井関の主任指導員さんには次のようなメッセージを送りました。『指導員の皆さんは規則と決まりに縛られて「物理的な指導力」を発揮できませんが、小生は一介のじいさん指導者ですから、多少のことで世間と揉めたとしても自分で責任を取ればいいことです。幼稚園から学校まで、現在の教育機関は、「いじめ」や子どもの「暴力」に対して実質的に無力です。日常行動においては、かならず「いじめられた側」を守るという原則が指導者に必要です。筆者の指導法について、保護者から文句がでたら、「厳しく対処しなければ、いじめられる子どもを守れない」と説明してください』。
 最近、文科省による全国のいじめの調査が行われ、膨大な数が報告されたということです。当然のことです。原因は、教育機関が「海水浴における『赤い旗』を超えて行く子ども」を物理的に処罰する指導上の「拮抗力」を認めないからです。最大の責任は、荒れた学校の現場に立つこともなく、現場の状況に頬かぶりして学校教育法第11条を放置し続けてきた政治家や文科省にあるのです。『「悪ふざけ」も「いじめのうち」だとお考えください。本来は、校長先生が為すべきことですが、私が現場にいるときは、以後、いじめっ子は遠慮なく叩きます』。
 そのように宣言した折から、筆者の目の前で筒状の紙の棒で同級生の顔を叩いて泣かせた4年生男子がでました。筆者は、ためらいなくその子のほっぺたを思いっきり引っ叩いて、「以後行動を改めない限り必ずこのようにする」と宣言しました。初めて見る光景だったのでしょう。50名の子どもは震え上がって深閑と静まり返っていました。子どもは「鬼」の規律の存在を体得し、井関に秩序が回復しました。悪ガキどもは、以後、「ご指導ありがとうございました」と言って帰宅するようになりましたが、彼らが「猫をかぶっている」としたら、早晩日本国は滅ぶことになるでしょう。

4 「体得」の原点は「個体性」です

 教育にとって一番の困難点は人間の「個体性」です。存在の「個体性」とは「誰も代わりには生きられない」ということです。すなわち、痛みも,悲しみも、喜びも、満足も,誰も他者とは代われない、ということです。存在を分断された人間の個体が喜怒哀楽を共有しあうことはまず不可能です。
 他者の「痛み」は、他者の身になって初めて想像することが可能ですが,問題は「他者の身になる」ことが極端に難しいということです。生来優しい人は稀にいます。そういう人々の「感情移入」の能力は特別の能力です。世界中至る所で人が弾圧されていても、飢え死にしていても私たちは平気で生きているではないですか!人間の個体性を人権学習とか平和学習とか机上の空論で乗り越えることは到底出来ないのです。日本人の知恵はこのことを一言で言い表しました。「人の痛いのなら3年でも辛抱できる」という言-がそれです。悪くいえば,他者の不幸に対する我々の無関心の原点がここにあります。人権学習や平和学習の流行のまっただ中で子どものいじめもまた大流行しているではないですか!極論を言えば、時代や世の中がどんなに不幸に満ちていても人間は無関心でいられるのです。自分が中心で、自分を律することさえ出来れば生きて行けるということです。頭でっかちの教室の学習でいじめられる相手の身になって考えることなどできっこないのです。学校の人間観、戦後教育行政の人間観が誠に浅薄で、甘いのです。言語や知識はある程度まで共有が可能ですが,喜怒哀楽の情や人間の意志を他者と共有することは大変困難です。人生経験の薄い子どもではまず不可能と言って過言ではないでしょう。他者の身になって、それぞれの認識や心理的な距離を縮めるためには少なくとも似たような体験を経る以外に方法がないのです。「我が身つねって人の痛さを知る」です。教育における体験が重要なのはそのためです。また,言語や知識はある程度まで共通化し,客観化することが可能ですが,当人の技能や行動や納得は特定の個体が得心し、会得することになります。特定の個体が会得したものを,言語だけで別の個体に説明することは極めて困難です。技能につきものの「コツ」一つをとっても、言語による共通化や客観化は困難です。「やってみなければわからない」のはそのためです。ここに「体得」の重要性があります。「身にしみた」という後悔も,「腑に落ちた」と納得することも,「身に付いた」という自信も、言語上の理解を超えています。上記の理解は体験を通して心身の機能の全体が得心したということです。「理解」すると言うよりは「体得」すると言った方が正確でしょう。「身体に教える」という言い方や「身をもって知る」という言い方は「体験体得」した、と言い換えていいでしょう。
 筆者が叱った子どもは、「いじめたら」「あいつにやられる」ということを最小限「体得」したのです。現状で筆者は「暴力指導者」の汚名に甘んじなければなりませんが、筆者が井関にいる限り、いじめっ子が下級生や弱い子どもに暴力を振るうことはないと信じています。

国際結婚の社会学-番外編
「数え年」の人間思想

 前号で死産で生まれてきた次女の「水子の葬儀」についての文化問題を書きました。何人かの方から、ご批評をいただきました。その中に、日本人の「数え年」の人間観を教えて下さった方がいました。指摘を受けて得心いたしました。前号の執筆時点では全く知らなかった人間思想でした。

1 「水子」とはだれか?

 読者の感想に接し、改めて「水子」の概念を調べ直してみました。筆者のこれまでの理解とは違った意味も書いてありました。辞書の定義はおよそ次の通りです。
 「水子」とは、「生まれて間もなくの赤ん坊、または流産した胎児(国語辞典、三省堂)」。「水子」は「生まれて間もない赤子(広辞苑)」。一方、インターネットのキーワードで引いてみたら、「自然流産や人工流産(人工妊娠中絶)または、死産した胎児の事」とあり、「親が見ることの出来なかった子ども」から転じた「見ず子」という意味も含まれている(Hatena::Keyword)と説明がありました。
 「水子は本葬式をせず、したがって仏の数に入れない。入れるとかえってよくない。こうしておけば、やがて生まれかわってくるものだと考えられている」( 日本大百科全書小学館)という解説もありました。
 仏教の「水子」の戒名は「すいじ」と読む、とありました。江戸時代から水子の供養はあったということですが、「水子の葬式をするとその子があの世でいじめられる」と信じていたという記述もありました。
 近年の解釈では、妊娠中絶をした胎児はすべて水子で、「見ず子」です。1970年代から、母の辛い気持ちにつけ込むかのように、特定の宗教者が中絶者を意識した「水子の祟り」を世間に言いふらし、各地で寺と墓石業者が組んで大々的に水子供養が始まったという解説もありました(Wikipedia)。インターネット上には、各地の各寺院の「水子供養」の宣伝がたくさん出ていますから、「水子供養」が現代の仏教ビジネスになっていることは疑いないでしょう。
 小生も妻も亡くなった次女もとんだ時代に生き合わせたということのようです。

2 「数え年」とは何か?」

 日本の習慣に「満」と「数え」があることはどなたもご存知でしょう。小生ももちろん知っておりました。しかし、今回、前号の「風の便り」を読んでくださった福岡県中小企業経営者協会の小早川明徳会長から、「数え年」の由来についてご指摘を受けるまで、その正確な意味を考えたこともありませんでした。
 もちろん、「満年齢」は、生まれ落ちてから、現在までの実年齢である事は分かります。しかし、なぜ「数えの年齢」があるのでしょうか?
 「数え年」の慣習については、当然、複数の辞書も引いてみました。三省堂の辞書にも、広辞苑にも、「生まれた年を1歳とする数え方」としか書いてありませんでした。前掲のインターネットでも調べてみました。ここでも、「生まれた年を1歳として基点とする」。「正月がくるごとに1歳を加える」というような説明しかありませんでした。文化概念上の重要問題は、「なぜ1歳を基点とする」のか、ということです。しかし、どこにもに説明はありませんでした。辞書がこの程度の説明ですから、よく意味も分からず私たちが「数え」の年齢を使っていたのは仕方のなかったことかもしれません。少なくとも小生は、「数え年」の由来に関する原理上の説明をこれまで聞いたことがなかったからです。

3 「満」と「数え」の人間観

民間の口伝であるが、と前置きされた小早川氏のご説明は、実に明快でした。しかし、同時に、氏の説明は、中絶問題や人間観の上で、思想的に厳しい原理上の基準を含んでいる事にも気づかされました。小生が漠然と考えてきた「水子」の発想も根本から変わってくると思いました。日本人の「数え年」の習慣は、生まれ落ちてからの人間の一生に「母の胎内で生きた時間」を加えているからだというのが、小早川氏の説明でした。
 まさに「目から鱗」で、人間の年齢に「母の胎内で生きた時間」を加算することで、これまでの疑問のすべてが解けました。妊娠中の十月十日を加えれば、生まれ落ちた時は、0歳ではなく、1歳になります。満1歳の誕生日は、「数え」で2歳になるというわけです。
 「数え年」は、満の年齢に「母の胎内で生きた時間」を加えたものであるという発想は、重大な「人間」観を示唆しています。お寺さんも「数え年」の慣習は知っていた筈ですが、「口伝」も聞いたことはなく、小早川氏のような発想はしたことがなかったのでしょう。「受胎」から既に人間であれば、流産の子も、死産の子も人間として死んだ事になります。それゆえ、多くの寺が考えてきた「水子」の概念もひっくり返ります。「数え年」の概念では、「水子」も自動的に人間になります。それゆえ、「人間として認められない水子の葬儀はしない」というお寺さんの考え方もひっくり返ります。
 「数え年」を認めるのならば、「葬儀をしない」というお寺さんの方が間違っているのです」という小早川論はまさに納得でした。
 かくして、「数え年」の思想は、アメリカの「プロライフ」の思想に重なります。命の「宿り」から、「すでに人間」なのだという考え方は、生命原理主義の思想と呼んでもいいのではないでしょうか。それゆえ、アメリカの「プロライフ」の人々は一貫して「中絶は殺人である」と主張して来たのです。
 しかし、翻って、ほぼ簡単に中絶を認めている日本社会は「満年齢」の原理で突っ走ったということになるでしょう。「満年齢」は、論理上「生まれ落ちる前の胎児」を人間として認めない原理を前提とします。それゆえ、生まれ落ちた赤ちゃんは0歳で、1年後の誕生日で1歳になるということでしょう。かくして、「数え」も「満」も、人間観についての重大な思想上の問題を突きつけているのです。すなわち、「数え年」の原理によれば、親の都合による中絶は「殺人」であり、日本社会はそれを黙認しているという結論に帰着します。また、アメリカで言えば、女性の選択を保証する「プロチョイス」の問題は、「満年齢」の原理を前提にしていると言ってsいいのでしょう。深読みすれば、日本の辞書が「数え年」の思想上の前提を説明していないのは、社会の混乱を避けるために、敢えて説明を回避したということも言い得るのです。「水子」の葬儀に発した筆者の文化論は、「満」と「数え」の思想によって、思いもよらぬ方向に問題を波及させることになったのです。

154号 お知らせ

1 11月の第125回生涯教育まちづくりフォーラムは長崎県平戸の研修と合同する移動フォーラムです。ご参加を希望の方は、森本代表が長崎県以外の参加者を取りまとめておりますので、ご連絡ください。
→Morimoto morimoto@oks.or.jp

2 また、12月のフォーラムは主要メンバーが愛媛大会の応援や井関学童クラブの発表会で多忙なため今のところ予定を立てておりません。その代わり、1月には2つの研究会を予定しております。
(1) 1月12日(土) 第126回生涯教育まちづくりフォーラムin島根(会場、時間、プログラムの詳細はまだ未定です。)
(2) 1月26日(土)「生涯現役・介護予防いろはカルタ」完成披露研修会
-カルタ大会&記念講演-
日時:平成25年1月26日(土)
13:00-15:30
主催:リハビリ・サークル再起会
共催:生涯教育まちづくりフォーラム実行委員会(交渉中)
会場:山口県下関市、下関社会福祉センター大ホール(交渉中)

§MESSAGE TO AND FROM§
 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

若松「うらやまガラッパ」のみなさま

 皆様お元気にご活躍の現場で再会できてうれしいことでした。若松の研修が未だに息長く続いていることに感激しました。思えば、社会教育は、人間世界の不思議な組み合わせを演じ、子どもたちを加えれば、通常の人生ではあり得ない巡り合わせを創り出しますね。無縁社会の中に子どもや高齢者の「志縁」を創り出す機能は、社会への貢献を前提とした活動以外にはあり得ません。政治や教育行政が一刻も早くこのことに気づいてほしいものですが、「それぞれが好きにやればいいのだ」という「生涯学習」を信奉しているかぎり難しいことでしょう。

鳥取県米子市 卜蔵久子 様

 「生涯学習論」だけで現代の課題に対処することはできないという過日のご指摘はまことにそのとおりです。生涯にわたって社会的条件が変化する時代においては、生涯にわたる継続的な適応と革新のための教育が重要になるのは論理的必然です。変化の時代に「教育」を捨てることは自殺行為です。社会教育を「生涯学習」に置き換え、「生涯教育」まで捨て去ったのは、教育行政の最大の失敗でした。不勉強な政治家もまだ気がついていないのです。
 生涯学習概念の「建前」は、学習内容は市民が自由に決めるものであるということです。したがって、適応や自立のための診断や教育処方が必要な市民がいたとしても、社会教育が教育機能を発揮することを事実上封じてしまっているのです。今や、「生涯学習」そのものが凄まじいまでの「格差」を生み出しているのです。「格差」は、知識格差に始まり、情報アクセス能力の格差、健康格差、交流格差、生き甲斐格差、自尊感情の格差と続いているのです。「生涯学習」でいいのだと言うことは、市民の選択なのだから「格差」は是正しなくてもいいのだ、と言うことと同じなのです。

カルタの事前ご注文ありがとうございました。
福岡県飯塚市 本川八重子 様、佐賀市 勧興公民館 様
福岡県小郡市 宮原夕起子 様、新潟県加茂市 山本悦子 様 

 カルタは山口芸大の2年生で伊藤愛奈さんの挿絵も完成し、印刷所へ渡しました。10月下旬に完成予定です。

印刷・郵送料をありがとうございました。
新潟県加茂市 山本悦子 様 
福岡県築上町 雨宮一正 様
お二人の分は2013年の登録第1号としてお受けいたしました。

2013年の「風の便り」更新のご案内

 「風の便り」は1年更新です。2013年1月号から、これまで通り「風の便り」の実物(ハードコピー)をご希望の方は、住所氏名を明記の上、郵送料と印刷費の合計(170円×12ヶ月):年間2,000円を事務局までお送りください。また、「メルマガ」をご希望の方は、その旨をメールでご連絡いただければ、送付名簿に登録します。
 誠にありがたいことですが、現在もなお、各地の現場にお招きいただき教育や養育に関するさまざまな刺激を頂いております。おかげさまで2012年は「風の便り」の記事の分析を掘り下げて「熟年の自分史」(学文社)と「生涯現役・介護予防の老年学」(S&D出版)の2冊を世に問うことができました。これからも精進を続けて、社会に関わって何らかの役割を果たしながら生きて参る所存です。
 しかしながら、季節が流れ、いかんせん筆者も歳をとりました。すでに日本人男性の平均の健康寿命を越えました。「老い」の定義通り、小生もまた「衰弱と死」に向かって降下を続けております。
 特に、この1年、自身の体力、集中力、持続力など「生きる力」の凋落を実感しています。メディアが報じる有名人の訃報の多くが自分の年齢に近くなって参りました。
 「生涯現役・介護予防のいろはカルタ」に書いた通り、「がんばろう、誰かが見てる、がんばれば、最後はあなたがあなたを見てる」の心意気で進むつもりですが、執筆の途中、不幸にして志半ばで倒れるようなことがあった時は、ご寛容にお許しください。
 誠に恐縮ですが、いただいた印刷・郵送料は小生への「香典」として頂戴し、倅に引き継ぎます。万一の場合の失礼は、謹んで事前にお詫び申し上げます。

編集後記:あの人はもういない

 曼珠沙華に励まされ、曼珠沙華に間に合うように「赤い老年学」を出版しました。「赤」は「朱夏」。「老兵は消え去るのみ」を拒否して、力尽きるまで戦う決意を示したつもりです。

赤々と整列したり曼珠沙華
君もこの花を好きたまうらむ

 散歩道でも、移動の途中でも、たくさんの曼珠沙華を見ました。最近、意識的に多くの方が植えて下さっているような気がします。川辺や田んぼの除草作業の人々も雑草の中から曼珠沙華を上手に残して刈ってくださっています。

子も孫も元気でいます曼珠沙華
彼岸に笑みて君立てる見ゆ

 新刊小冊子は、80ページ弱、「生涯現役・介護予防の老年学」と題し、曼珠沙華色の表紙にしました。「老兵」も戦い続ける宣言です。
 今回は思い切って文体を平易に変え、表現を短くし、章立てのページ数を減らし、前回出版の「熟年の自分史」以上に「文体改造」を実行しました。出来上がってみたら、自分の文章でないような気がしますが、「読みやすい」、「早くこういう風に書くべきだった」などと思わぬところでお誉めにあずかりました。執筆にあたっては、100冊以上の参考書を読んで勉強しましたが、前々号に書いた「森進一の教訓」を実践して、筆者の訴えたいことだけを繰り返して強調し、専門的な細部はすべて省略しました。自分が実際に実行し、守っていることだけを書きました。試しに読んでみたいとご希望の方は封筒に千円札を1枚入れてお送りください。次号の「風の便り」に同封してお届けします。

「風の便り 」(第153号)

発行日:平成24年9月
発行者 三浦清一郎

 国際結婚の社会学
この世で息をしなかった子は人間ではない―水子の葬儀

なれとわれ

新妻にして見すべかりし
わがふるさとに
汝を伴ひけふ來れば
十歳を經たり

いまははや 汝が傍らの
  童さび愛しきものに
   わが指さしていふ
なつかしき山と河の名

走り出る吾子に後れて
夏草の道往く なれとわれ
歳月は過ぎてののちに
ただ老の思に似たり

(伊東静雄)

 上記は伊東静雄の詩です。初めて聞いたのはずいぶん昔のことになります。暗い予備校の教室で初老の国語の教師が妙に実感を込めて読み上げ、黒板に書いてくれたものを筆記して憶えました。筆者も新妻をそのまま家族に会わせることはできませんでした。欧州から日本への旅路で、また東京から九州の小さな町に越して来たあと、よく口ずさんだものでした。今は、朝の散歩の時に田んぼの中の夏草の道を行くとき、思い出して口ずさみます。伊東静雄の若い時代は知りませんが、彼もまた親に認められない結婚をしたのかもしれません。「夏草の道行く汝と我」が自分に重なります。国際結婚の妻を日本に連れて帰る時、また、長女を連れて誇らかに父を訪ねた時、関東の田舎の駅からわが家までの夏草の道を鮮明に覚えています。自分の人生に寄り添ってくれた大事な詩です。

1 「水子」は人間ではない

 「死産の子は母に抱かせない」という病院との軋轢を解決したのも束の間、今度は死んだ子の葬儀を巡る文化問題が起りました。
 死んで生まれた子の葬儀を希望した妻の願いをお寺さんが拒絶したのです。理由は、医学的に「死産」の子は「水子」であるということでした。お寺さんによると、この世で息をしなかった子は「水子」と呼ばれ、人間ではない、というのです。「水子」は、水子地蔵などで集合的な供養はするが個別の葬儀はしないという説明でした。
 アメリカ文化には、そのような定義は存在しないのでしょう。次女の死をようやく受け入れて、落ち着いて来た妻の感情が爆発しました。
 妊娠中絶にあまり疑問を抱かぬ日本人はあまり意識しない問題かも知れませんが、「命」の定義は最も微妙な文化問題です。胎児の期間のどこからが人間として認められ、どこまでは認められないか、は現代社会を2分する大問題です。アメリカの「妊娠中絶」を巡る議論は、「プロライフ(命を守れ)」という主張と「プロチョイス(女性の主体的選択を守れ)」という主張に2分されて激しくぶつかっています。
 妊娠中絶は殺人であるとまで断言する
「プロライフ」の人々が、中絶を担当するクリニックを攻撃・破壊するなどこれまでに何件かのテロ事件まで引き起こしています。「命の定義」は、まさに政治や宗教界を分断しているのです。根っこは同じですが、「安楽死」の「是非」を巡っても、「命」の議論は果てがありません。
 「守るべき命」の定義は人間についても、またクジラのような動物も含めて実に難しい文化問題なのです。
 私たちの場合は、妻の見解とお寺さんの伝統的発想の対立でした。
 間に立たされた筆者も辛いところでした。筆者には確固たる「人間の定義」に関する見解がなかったからです。もちろん、今でもまだよく分からず、自分の結論は保留しています。
2 常に「異国で暮らす」妻の側に立つ
 しかし、筆者にとって、明確に分かっていることが一つありました。国際結婚は、遠くから来ているものを守らねば破れるということです。「異国で暮らす」妻への思いやりがなければ、異文化結婚の二人が幸せになれるはずはないのです。
 筆者は、お寺さんの言うことも一理あると思いながらも、妻の側に立って住職と交渉を続けました。国際結婚では、自国の文化で暮らす者が、異文化に適応しながら暮らす者を常に労らなければ共同生活は成り立ちません。言葉から生活習慣に至るまで、異文化適応は至難の業だからです。海外に移住したり、留学したりする日本人が「日本人村」を形成して寄り集まって暮らすのも、異文化適応がどれほど不快で困難であるかの証明になるでしょう。
 筆者も、海を渡って来て日本で暮らしている妻の味方に立たなければならないという姿勢と思想は最後まで崩しませんでした。不幸な形で、娘を失ったあげくに、その供養も思うようにできないというのでは妻の精神が持たないであろうと不安にも思いました。年配の住職は最後まで寺の伝統と仏教界の考え方を盾に譲りませんでしたが、若い息子さんの住職は耳傾けて当方の事情を聞いてくれました。
 小生は、「お寺さんのお考えも、伝統も分かります。」と言い続けました。そして、「今回だけ、例外を作って、妻を助けてやってください」と頼みました。
 交渉は平行線が続いたので、妻の思いを遂げさせるために、最後通告をしました。「先祖以来の付き合いですが、本家の長男としてお寺さんと縁を切って新しい墓を買います」。
激論の中で、被差別部落の死者の戒名を「畜士」などとしたのも「あなたのおっしゃる仏教界の伝統ですか」とまで言いました。年配のご住職には、筆者の暴言が「堪えた」ようでした。「もう話はしたくない」ということでした。
 法要は息子さんの住職がやってくださることで決着がつきました。当日、驚いたことに老住職も法要にお顔を出してくれました。後で聞いたことですが、ここまで言い張る「アメリカ人の母」を一目見たかったということのようでした。死んだ「はな」の戒名は「春光水子」となりました。お寺さんも戒名の文字に託して、「水子」は水子であって「人間ではない」、という仏教界の一線は守ったということでしょう。小生は、妻に、「春の光のような子ども」という意味であると「戒名」の説明はしましたが、お寺さんがこだわった「水子」の「文字」の説明はしませんでした。

3 文物折衷
事実上、あまり差し障りが大きくないのであれば、多少の基準は曲げても、譲り合えば、文化摩擦は、何とかなるのではないでしょうか。
 それぞれの文化の「伝統」や「アイデンティティ」を守れということも、それなりに重要でしょうが、世界のみんなが仲良く暮らせるのなら伝統も独自性も捨てていいのだと思うようになりました。
 日本人は、異文化の文物を取り入れ、折衷する名人です。仏教はインドから中国・朝鮮を経て導入しました。キリスト教は中近東発ヨーロッパ経由で日本に来ました。文字は中国発ですが、仮名は漢字を分解して工夫した日本人の発明です。文明の成果は主として欧米から、議会政治も近代教育制度も欧米から、ビジネスは主としてアメリカから導入しました。食文化も生活習慣もほぼ世界中の文化の折衷です。お盆と初詣は平行して行われ、クリスマスと正月は同居しています。
 「和魂洋才」のスローガンは日本人を戦争に導いて終わりました。日本の生きるべき方向は世界の「文物折衷」ではないでしょうか。日本人こそ「世界の文物は折衷可能である」ということを示して、文化的にいがみ合う世界にお手本を示してはいかがなものでしょうか。
 「奥様のお気が済むなら、一時の法要など簡単なことです」と言い放った若い住職さんは「ビジネスマン」だったのか、偉かったのか、今でも謎ですが、少なくともお父上のような「仏教原理主義者」でなかったことは私たちにとって幸いでした。妻は、昨年亡くなり、葬儀は「はな」の弟が喪主を務めました。法要は、お寺さんの跡を継ぎ、今は熟年となった住職が執り行ってくれました。 
 クリスチャンの妻にとって、異教の墓に入ることは大問題だったのですが、この事件以来、気持ちが固まったようでした。今は、わが先祖伝来の墓に水子の「はな」と一緒に眠っているのです。

なぜ「学童保育」に教育プログラムなのか?
-「保教育」の意義と方法-

1 「学童保育」は、法律で「健全育成」を謳いながら、「育成」のためのプログラムがありません

(1) 学童保育を規定する国の法律は児童福祉法第6条です-子どもの成長環境を保障する

第6条の2第12項(事業)- 「この法律で、放課後児童健全育成事業とは、小学校に就学しているおおむね10歳未満の児童であって、その保護者が労働等により昼間家庭にいないものに、政令で定める基準に従い、授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図る事業をいう。」

(2)  市町村の義務を謳ったものは第21条の28です。

「市町村は、児童の健全な育成に資するため、地域の実情に応じた放課後児童健全育成事業を行うとともに、当該市町村以外の放課後児童健全育成事業を行う者との連携を図る等により、第6条の2第12項に規定する児童の放課後児童健全育成事業の利用の促進に努めなければならない。」

(3) 「適切な遊びおよび生活の場を与えて」、「健全な育成を図る事業」とは何か

 「健全育成」とは、教育学上、「心身の調和的発達を意味し、具体的には子どもが個々の人生および社会生活に必要とする「体力」、「我慢する力」、「学力」、「社

会性」、「感情値」などから形成される「生きる力」:「一人前の条件」を備えることを言います。しかし、上記の能力を開発しようとする意図的な努力が現行の学童保育プログラムに存在しないことは明らかです。

2 子どもの実態

(1) 子どもの日常は「受動的」

 多くの子どもの日常時間はテレビと塾とゲームと学校に使われています。当然でしょうが、共働きの家族では、保育の時間が欠けがちになります。それゆえ、子どもが家族と一緒に過ごす時間はあまり出て来ません。友だちとの外遊びもほとんどありません。
 さらに、現代の子どもには、全身運動が不足し、自然や集団体験も著しく不足しています。それゆえ,子どもの時間消費の特徴は極めて「受動的」です。
 子どもの自主性、主体性、能動性、積極性が大事であるというのであれば、時間の過ごし方が「受動的」になるのは極めて危険です。子どもの自然体験や集団体験が大事であるというのであれば、そうした体験の欠損は致命的です。なぜなら、自主性も、主体性も、能動性も、積極性も、自主的で、主体的で、能動的で、積極的な活動を通してしか「体得」できないからです。あらゆる能力は、基本的にやってみなければ身に付かないことは古今の教育学が証明しているところだからです。

(2) 体力と耐性の欠如

 多くの子どもに耐性がなく、体力は文部科学省の体力テストの積年の累積結果が示している通りです。この二つは人間の生きる力の基礎を成す要素です。「生きる力」を構成するのは、「体力」、「耐性」、「学力」、「社会性」、「感受性・感情値」の五つです。
 現代の子どもが「切れやすく」、「弱い」と言われるのは、体力と耐性が欠如しているということとほぼ同義です。そして、この二つこそは子どもに「負荷」をかけて錬成するしか方法がありません。もちろん、「負荷」をかけることは、子どもの負担になりますから、彼らは「きつい」、「つらい」、「やりたくない」を連発します。健全育成プログラムが試され、指導者が試されるのはこの時です。
 古人は、「つらさに耐えて丈夫に育てよ」といい、「若い時の苦労は買ってでもさせよ」と言いました。「かわいい子には旅をさせよ」とも言いました。
 学童保育に限らず、すべての教育課題の中心は「負荷」と「挑戦」の「適量」・「適切性」にあるのです。しかし、現代は、保護者も指導者も、「子どもの意志に反して」、「負荷をかけること」は「非教育的である」というほぼ正反対の考え方が支配的です。子どもが「つらい」と言えば、トレーニング自体をやめてしまうのが実態です。
 しかし、体力と耐性という基礎能力が欠如していれば、あらゆる訓練・修養は不可能です。専門機関である学校ですら、学業指導も、社会規範も身につけさせることは極めて難しくなります。子ども集団が崩壊し、授業が成り立たず、学級が崩壊するのも多くの子どもにこれら二つの要素が欠如しているからです。指導者や保護者がこの原理を理解しない限り、学童保育の教育プログラムは、何をやろうとしてもうまく行かないでしょう。

3 「健全育成」の基本原理 

(1) 「子ども集団」の形成が鍵です-多くの子どもには放課後の「居場所」も「帰属集団」もありません
 
 多くの子どもに仲間集団がありません。当然、集団活動はしていません。学校は年齢別・横切りですから、異年齢からなる社会生活の「予行演習」が出来ていないということです。異年齢による集団活動は、現代っ子の成長過程で決定的に「欠損」しています。
 人間は、帰属集団が存在し、仲間と一緒であれば、お互いに支え合い、協力し合うことができるので、たいていのことは我慢ができます。
 この時、学童保育は最初から「縦集団」の性格を有しています。それゆえ、学童保育の教育指導は、子ども集団を形成して、集団の中で鍛えることが鍵になります。
 「みんなそうする」から「自分もそうする」というのは、心理学で言う「集団圧力」の結果であり、個人の視点からみると「集団への同調」が起こるのです。思い切り身体を使うことがなければ、体力はつかず、困難な課題に挑戦しなければ耐性は育ちませんが、これを現代の子どもに個人別に課すのは容易ではありません。しかし、集団の中の個人に課すのは相対的に容易なことです。 
 子どもはまだ自分の考えや信念が固まっていないので、大人以上に簡単に同調します。「みんなで渡れば怖くない」の心境は子どももにおいて顕著なのです。学童保育の教育プログラムは、集団的指導が鍵です。子どもがまとまって与えられた課題に挑戦する教育的縦集団を形成できるか、否かが成否を握ります。

(2)  「人生の欠損体験」→やったことのないことはできない

 現代の子どもの問題は「体験の欠損」です。労働も、苦労も、困難も、共同も、仲間との集団行動も多くの子どもが体験していません。だからできないし、「負荷」が大きいので、「我慢しなさい」と言われても、耐えられないのです。世間に出れば、これらの体験は否応なく、子ども上に降ってきます。それゆえ、若い世代は、就労の困難にも、挫折や失敗にも弱いのです。
 学童保育の教育課題は彼らのやったことのないことを体験させることが重要です。教育の原則は、「やったことのないことはできない」、「教わってなければわからない」、「練習しなければ上手にはならない」の3つです。それゆえ、指導は「させる」、「教える」、「練習させる」の3つです。それも「集団的に」「させること」ができれば、個人は必ずついてきます。

4 就労する母の安心-男女共同参画の核心

(1) 家事を含む私事の外部化の必然

 家事を含む私事の外部化は女性の社会進出がもたらした必然です。また、豊かになった日本経済がそれを可能にしました。近代家族においては「教育」が外部委託の「はしり」です。家事のアウトソーシングは、専門分野から始まり、徐々にクリーニングから食材などの一般業務に移行してきました。現代は、掃除から草取りに至るまでほとんど外部委託によって家族生活が成り立っています。
 最近では介護保険制度の導入によって、「介護」のような、家族のプライバシーの領域に属していたことまで外部委託されるようになりました。保育についてもまた、保護者の多くは「共働き」の労働形態に移行し、養育の外部委託が必要となり、また可能となりました。
 原則として「外部委託」は当事者の負担を減らすために実施されます。保育の外部委託も同じ原則ですが、この背景には女性の社会参画・就労という国の基本方針があり、家事一般の外部委託とは事情が異なることは言うまでもありません。

(2)女性のための「養育の社会化」

 「変わりたくない男」が支配する日本の労働形態および家庭においては、「共働き」の家族においても実際の家事や子育て負担は女性の肩にかかっています。憲法の規定はもちろん、男女雇用均等法が施行され、さらには男女共同参画社会基本法が制定されても、法律は私生活における文化まで律することはできません。伝統もしきたりも、簡単には法律には従いません。女性の育児負担が基本的に変わらないのはそのためです。
 「母自身の手による」育児の重要性、「育児の幸福論」はそれぞれに正しいと思いますが、母の社会参画も母自身の選択である限り「正しい」としなければなりません。しかも、今では、男女共同参画は国家が方針とする女性の生き方となったのです。
 この時、育児こそが女性の最大の負担であり、女性の社会参画を阻害する最大の要因であることは、はからずも、深刻な「少子化」現象が証明することになりました。それゆえ、母の就労・社会参画を保障し、併せて「少子化」を止めようとするならば、養育の社会化は不可欠な政策になるのは理の当然なのです。

(3) 母の安心

 母の安心は「子どもの安全」と「健全な発達」の保障です。「子守り」だけでも、学童保育は確かに「子どもの安全」は保障します。しかし、遊びを含めた教育プログラムが存在しない以上「健全な発達」は保障できる筈はなく、「母の安心」は得られません。学童保育が「子守り」の域をでないのは、関係者が養育の社会化は「福祉の課題」であるとしか発想していないからです。学童保育は今や男女共同参画の課題になったのです。「保育に欠ける家庭」を支援するという発想から、「母の安心」を得て、「社会に参画してもらう」という発想に転換したのです。
 現状で、「母の安心」を保証する方法は、保育に教育プログラムを融合する「保教育」の実現です。児童福祉法第6条の起草者はこのことを承知していた筈です。法律の文言を「放課後児童健全育成事業」としたのはそのためです。しかし、「健全育成」を謳いながら、それに該当するプログラムの導入を許されませんでした。このことは政治と厚生官僚の「手抜き」であったと言われても仕方がないでしょう。

(4) 教育を保障する指導者の重要性

 「居場所」や「広場」があれば、子どもの遊びや集団活動が自然発生するというのは現代の「迷信」です。また、プログラムを与えるだけでも子どもの活動は展開せず、現代の子どもの多くは遊ぶことはできません。「母の安心」は指導と指導者への信頼が担保するのです。
 現代っ子はゲーム以外は自分たちで遊ぶこともできません。遊ぶことすらも、現代は指導や「水路付け」が必要になっているのです。教育プログラムは専門家に依頼すれば、机の上ででも作ることはできます。しかし、子どもの生活環境と実態をみれば、「居場所」を準備しただけでは、現代の子どもは自らの集団も作り得ず、自分で遊ぶことすらままなりません。それゆえ、子どもの日常活動を組み立て、方法を工夫し、子どもの安全を確保して、集団の共同や遊びを応援する指導者が不可欠です。
もちろん、子どもの活動を多様なものにしようとすれば、多様な指導者が必要になります。しかし、地方の自治体に指導者を配置する財源は既にありません。高齢者ボランティアと幼少年の活動をつなぐ施策が必要になるのはそのためです。高齢者の社会参画が高齢者自身の活力を維持するのに役立つことも自明ですが、政治や行政に高齢者ボランティアを奨励し、促進する発想はほとんどありません。多くの関係者がいまだボランティアは「ただ」だと考えています。発想を変えない限り、潤沢な指導者の確保は難しいということです。「豊津寺子屋」や飯塚市の「子ども学び塾」は実験的先例になります。

(5) 学校施設の共用化-「安全な居場所」と「最適な活動場所」の確保

 現代の子どもの拠点は学校です。学童保育にせよ、子ども教室にせよ、アンビシャス広場にせよ、学校施設を全面的に活用すれば、プログラムの中身は大きく異なったはずです。
 学校を活用すれば放課後の子どもは移動の必要がありません。休日や日曜日でも通いなれた場所ですから、移動は相対的に安全です。施設も環境も子どものために設計された専門施設です。地方自治体にとっては最も経済的で、保護者にとっては最も安心できる施設が学校です。「母の安心」も子どもが慣れ親しんだ学校施設を使うことによってより保証されることでしょう。
 放課後の「健全育成事業」が全面的に展開されるようになれば、社会教育施設でも、児童福祉施設でも「活動場所」が不十分になることは明らかです。
 学校の開放は学校とコミュニティをつなぐ最短の方法です。学校を子育て支援の拠点にすることは、コミュニティ・スクールへの最短の道でもあります。

井関その4
「知る」を知るとなし、「知らざる」を知らずとなす
-トレーニングから逃げて「快楽原則」を追い求める少年-

1 保護者の無知、指導者のためらい

 井関の発表会の後、保護者から感想が寄せられ、指導員が揺れました。批判する保護者は、日本中にあふれている「子ども中心主義」の育児書の文言を振りかざして迫ります。彼らは公共の場における我が子も含めた現代っ子の実態を検証していないのです。一度でも保護者が指導の現場に立ってみれば、現代っ子の規範やしつけがいかに崩壊しているかを直ちに理解することでしょう。全国で「子ども会」の崩壊が続いているのは、一般保護者が順送りで子ども会役員となり、ひとたび現場にたって、子ども集団の指導に当たった時、子どももその保護者も規範や礼節を理解しないモンスターであることを自覚し始めたからです。みんながもう「こんな子どもや親と一緒になんかやってられない」と考え始めているのです。
 教育の有効性の証明は、短・中・長期にわたって、望ましい方向に子どもを変えることができるか、否かで決まります。
 「井関」の場合は、外部から多少批判されても指導員は成長を遂げている子どもの姿を見て救われます。「できなかったこと」が「できるようになっている」からです。自分の救いは「子ども」であるという便りが筆者のところに届きました。
 しかし、指導者にとって一番の味方は「子ども」ではなく「教育理論」であり、そこから導きだされた子どもの変容結果です。井関で、子どもが味方のように感
じるのはこれまでやって来たことが「子ども」を望ましい方向に変えているからです。子どもを変えたのは「教育理論」です。我々が井関の実践で参考にした鹿児島県志布志市の伊崎田保育園の子どもを育てたのもヨコミネ式の「教育理論」です。
 理論に基づいた訓練が子どもを変えているのです。子どもが進化し、論語百句を暗唱し、跳び箱が跳べて、側転が出来るようになったのは、理論に基づいてトレーニングを進めているからです。指導員が、子どもこそが味方であるかのように感じ、子どもが可愛くなったのは、子どもの変化によって自分たちの努力が報われていると思えるからです。訓練を始める前の子どもは側転が出来ませんでした。跳び箱が跳べませんでした。20分間宿題に集中することができませんでした。指導員の指導についてきませんでした。
 訓練が定着するまでの子どもは「快楽原則」で動きます。「やりたいこと」だけをやろうとし、「やりたくないこと」から逃げようとします。「負荷の大きいこと」には「きつい」と文句を並べ、「自分ができないこと」は「面白くない」と主張します。
 井関の発表会は、全て「教え込んで」、「させた」から出来るようになったのです。子どもの「意思」を尊重し、その「主体性」を重んじ、指導者の他律によって「させること」は「非教育的」で「反教育的」であるというのは現代の迷信です。
 何度も指摘しているように、原則的に、子どもの教育は社会の視点に立ってするのです。子どもの意思も主体性も、社会の視点から見て許容できる範囲で認めることが肝要です。まして、しつけの出来ていない井関のような子ども集団には「自分でさせる」、「協力させる」、「ルールは守らせる」、「指導者を尊敬させる」、「助け合わせる」、「いじめは止めさせる」というように全て「させる」ことによって体得させるのです。「させない限り」出来るようにはなりません。そのプロセスで楽しくさせるのが指導者の腕です。
 「やりたい放題で」、「わがまま勝手の」子どもに今のプログラムが辛いことは「当たり前」です。彼らには体力も耐性もまだ付いていないのです。がまんの出来ない子どもには全てのプログラムが辛いのです。彼らが楽しくのびのびやれるのは、自分が好き勝手にやれて「楽で」「面白い」プログラムだけです。しかし、その過程で「礼節」は崩れ、「いじめ」が起こり、本来「できるはずのこと」は「できるようにならず」、集団は崩壊します。

2 耐性の欠如と「防衛機制」

 欲求不満の状態をやわらけ゛、心の安定を保とうとする働きを「防衛機制」または「適応機制」 と いいます(世界大百科事典)。我慢できる限度が低く、ある特定状況に対する「耐性」が欠如している場合、人間は当該状況から逃避して、一時的に折り合いをつけようとします。
 もちろん、それで問題状況が解決できる訳ではなく、心の状態が解決できる訳でもなく、「耐性(我慢)レベル」が上がる訳でもありません。井関の子どもたちが取る回避行動や逃避行動は自分にとって「不快」な状況から身を守るための防衛(適応)機制にあたります。 我々指導者の役目は、断固としてこれら一つ一つの回避行動をつぶして、達成目標に向かって努力する方向に集団を水路付けすることです。
 具体的に、子どもたちの防衛機制 は次のような形で出てきます。
Ex.1 攻撃機制 (他人やものを傷つけたり、規則を破ったりして、欲求不満を解消しようとする。「切れる」というのがこれに当たります。)
Ex.2 「逃避機制」( 苦しくてつらい現実から一時的に逃れようとする)
Ex.3 「合理化」 ・「正当化」( もっともらしい理由をつけて、自分が正しいと主張する)
Ex.4 「同一化」( 自分にない名声や権威を持ち出して、自分は間違っていないと主張したり、自分を高めようとする)
Ex.5 「代償行動」( 負け惜しみ行動:自分の欲求か゛満たされないとき、それと似通ったものて゛満足を図ろうとする)
Ex.6 「自己抑圧」( 忘却努力:状況が存在しなかったことにするなど困難な欲求や苦痛な体験を心の中に押さえ込み忘れようとする)
Ex.7 「退行行動」・「退行現象」( 幼児や子と゛ものように振る舞い、自分を守ろうとする)

3 唯一の解決策

 人生が思う通りにならないとすれば、唯一の解決策は、人生は「思う通りにならない」と悟ることです。学問上、そのことに最初に気づき、概念化したのがアメリカの心理学者ローゼンツバイクです。彼は、思い通りにならない人生の修羅場を切り抜ける能力を「欲求不満耐性」と名付けました。英語はfrustration tolerance と言います。これは、状況が思い通りにならなくても、不満を爆発させず、感情的に混乱せず、工夫をこらして危機を切り抜けていく能力を言います。換言すれば、上記のような状況から逃避する「防衛機制」に逃げ込まないということです。
 井関が、子どもたちに目指しているのは、「自分の思い通りにならない状況に立ち向かって行く能力の開発です。能力開発の原理は体力向上と同じ原理です。体力向上が身体機能に徐々に「負荷」をかけて筋肉、関節、心肺機能などを鍛えて行くように、耐性の向上も、心身に徐々に「困難という負荷」をかけて、「自分でやる、自分で決める(自主性)」、「やりたくてもやらない(自己抑制)」、「やりたくなくてもやる(義務・責任意識)」、「他者に協力する(協調性・共同性)」、「指導者やルールに従う(規範性)」などを育てて行くのです。
 日本の伝統では、「かわいい子には旅」とか、「つらさに耐えて丈夫に育てよ」とか、「艱難辛苦なんじを玉にす」とか、「若い時の苦労は買ってでもさせよ」などと簡潔に原理を述べています。
 それゆえ、耐性のトレーニングは最初から最後まで「つらい」のです。子どもが文句を言って、防衛機制を働かせるのもまた当然です。しかし、逃げないで踏みとどまり、その過程をなんとかくぐり抜けると、初めは「つらかったこと」が辛くなくなります。やがて難なく我慢のできることは「つらいこと」ではなくなって行くのです。そうなれば、子どもの日常が「楽」になり、」より高度なトレーニングに耐えることができるようになります。1学期耐えて、1年待てば、「できないこと」が「できるようになる」のです。井関の子どもも、整列ができるようになり、朗唱や行進ができるようになり、身体能力も向上し、私語もなくなり、助け合いが始まりました。トレーニングの「つらさ」に耐えて、耐性が育ったからです。
 冒頭の論語に倣って言えば、「耐え得る」を耐えるとなし、「耐え得ざる」を耐え得ざるとなし、「防衛機制」を一つずつ潰す。これぞ指導者の役目であり、「耐性」開発の第1歩なり、です。

153号 お知らせ
1 第124回 移動フォーラムin飯塚

場所:「サンビレッジ茜」(飯塚市山口845-38 、TEL 0948-72-3331.)
日時:10月13日(土)13:30-15:30
事前に見学をご希望の方は上記施設の事務局までご連絡ください。昼食は食堂へ注文することができます。
特別企画:インタビュー・ダイアローグ
トップに聞く
「結果につなげる発想の条件、結果を生み出す実践の原則」(仮)

「収益を上げる」も、「学力を上げる」も、実践の結果を出すという点において原理とプロセスは同じです。それゆえ、企業も学校も、「企画・立案」から「実践」に至るPDCA(Plan-Do-Check-Action)の過程は共通しています。その時、「発想」のポイントは何か、実践の原則は何か、をトップに聞きます。
 組織のトップは、社会に吹き渡る風、組織内の見えない空気をどう読んでいるのでしょうか?

登壇者:企業および教育機関のトップ(交渉中)
司会:三浦清一郎

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

福岡県朝倉市 太田政子 様

 お便りにも、甘木のぶどうにも大いに励まされました。「老年学」を仕上げた後の中だるみに鞭を入れていただいた感じです。相変わらずのご壮健にはただただ驚くばかりです。到底追いつけず、段々小生の目標が遠のいて行くような気がします。ところで、今度の甘木の皆様の研修会にはあなたのご存知の方が伺いますよ。お楽しみに。

沖縄県那覇市 大城節子 様

 会長を降りられて無聊との戦いが始まっているのではないかと想像しています。哲学者が「自由の刑」と呼んだ「社会から切れた時間」は人間の大敵です。高齢者に取っては最大の危機になります。どうぞご用心ください。「風の便り」の郵送・印刷料誠にありがたくお受けいたしました。

東京都 瀬沼克彰 様

 ご著書届きました。お見事の限りです。小生の方は、学文社の在庫が売り切れるまで、出版はお預けということになりました。「ぼけ」と「頽廃」を予防するため、独自の出版社を設立して自衛手段を講じました。幸い各地から講演のお話はいただいているので、社会から切れぬよう、社会への提案を忘れぬよう、老いの身の最後の戦いに挑みます。

福岡県宗像市 竹村 功 様

 過日は懐かしいお二人のご訪問で大いに刺激を受けました。前回の「学童保育」への挑戦から何年が過ぎたでしょうか?あの時の選考は宗像市の「詐欺」に近いやり方でした。次の機会があれば、今度こそ参加させていただいた上で、加勢しますので矢野さんにも再挑戦をお勧めください。大島先生のお手伝いで、山口の「学童保育」の教育実践では、新しい視点や方法も開拓しております。田原議員さんへの激励も込めて、皆さんの世代が社会参画する舞台は「次世代の育成」が最もふさわしいと思います。

山口県田布施町 三瓶晴美 様

 藤田千勢さんのお計らいで再会が果たせました。「生きることと戦う」あなたの気迫の前に老いの身の心身の衰えを恥じ入る思いでした。加齢とともに小生の身も、少しずつ、世間との回路が遮断されつつあります。
「老兵は消え去るのみ」に抵抗を続けるためには、「老兵もまた戦う」ことを世間に示さなければなりません。リハビリ、リフレッシュ、リクリエイトは自分にこそ必要だったのだと痛感しています。今になって、大島先生のお供をして「井関」に通うことは「神様の配剤」であった、と思うようになりました。

 佐賀県佐賀市 関 弘紹 様

 メール通信を拝見いたしました。展開されている論はすべて健康でゆとりのある方々の「自己責任論」だと思います。しかし、高齢社会は、多くの方々が、既に健康を失い、経済的ゆとりも、身の回りの友人も失っています。自己責任論だけでは生涯学習や生存競争が生み出した「格差」を埋めることはできないのです。これからの社会教育の役割は「病院」の機能に似てくると思います。多くの人々に診断と治療が必要になり、多くの健常者が支援の手を差し伸べない限り、孤立者や孤独者は生きるすべを失うと思います。公民館無用論は、支援無用論に重なっているのです。「無縁社会」を招いたのは、ゆとりある人々の自由の主張と自己責任論です。

編集後記
「誰そ彼れ月」の土曜日

 病院で命と戦っているあなたがいるのに、黙々と介護に献身しているあなたもいるのに、10年以上も老いの孤独に生きてきたあなたもいるのに、情けないことですが、雨あがりに月が出た土曜日は「風の便り」の集中が途切れ、己を哀れんで、犬たちを両脇に抱えて映画を見ました。没頭している間は何もかも忘れますが、映画が終わると「なすべきこと」を後回しにした「宴の後」のさびしさ・空しさに襲われます。壁には「為すべきを為さざれば、必ず悔いあり」と書いて貼ってあります。
 世間がはしゃいでいる分、「独り者」の週末は孤独です。集中が途切れる日は、さらに孤独を思い知らされます。英語の生徒さんから夕食の差仕入れが届き、有り難いことではありますが、感謝を忘れて、孤独の傷口に塩をすり込まれる気分です。「情の施し」に背を向けて、素直になりきれず、独り者が世間からはみ出し、社会の異端になって行く過程が想像できるようです。
 「井関」の子どもたちをみて、自己中の現代っ子は一人一人が集団に無縁なのがよく分かります。彼らが大人になったとき、孤独に強く育つのか、それとも「人恋しさ」を知らないモンスターが育つのか、教育の実験をしているようです。
「誰そ彼れ月」が昇りました。どなたか私を誘ってくれませんか!?

「風の便り 」(第152号)

発行日:平成24年8月
発行者 三浦清一郎

「井関」の嘆息
-戦後教育のトラウマ(いまだ克服できない被害者意識)

 山口市井関の学童保育の指導が4か月目に入りました。集団がまとまり、子どもはようやく「締め切り」の意味を理解し、「時間」に反応し、「助け合い」を憶え、「努力すれば拍手や承認によって報われる」という世間の一般原理を学び始めています。彼らの自主性を育てているのはまさしく指導者による「他律」であることを戦後教育は理解していません。
 子どもの主体性や個性だけを優先して「自主性」が育つはずはないのです。表現上、矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、自己制御の能力を未だ獲得していない子どもには「自分でやりなさい」「自分で決めなさい」ということは「他律」で教えるのが基本です。社会の視点に立って、共同生活の「型」を教える:それが和服の型をしつけ糸で止める「しつけ」に当たります。
 外部の参観者が増えて来ると感想や批判の中に戦後教育のトラウマも見えて来ます。戦争がもたらした日本の不幸をすべて戦前の教育のせいにする被害者意識の見方は今も続いているということです。
 戦争や侵略の直接的原因は軍部と政治の暴走であり、弾圧で、教育はその道具に使われたのです。また、間接的には、当時の弱肉強食の侵略的国際情勢の結果であり、それに同調あるいは反発した多くの日本国民の賛同がもたらしたものです。国民自身の戦争責任を棚上げにして、戦前の教育全部を十葉一からげに断罪するのは間違いです。現代の子どもがここまでダメになってもまだそのような見方に留まっているのか、と嘆息せざるを得ない時があります。

1 集団指導は「軍隊教育」か!?

 『びっくりした。よくあれだけ憶えたね!小さい子も大きい子も、子ども達は立派だったね。私たちの子どものころの「軍隊教育」のようだったね。でも暴力的ではなかったですね。感心しました。』
→おばあちゃんいい加減にしてください。集団教育は軍隊教育と同じものではありません。また、世界の軍隊教育が全部「悪」である筈もありません。集団教育の中身と形式は分けてお考えください。あなたがタフで、働き者で、がまん強く育ったのはその頃の教育のお蔭です。現代の日本の教育には江戸時代以来の教育から学ぶべきところが沢山あります。戦後教育のトラウマで自衛隊に入れることに反対者が多いので、止むを得ず新入社員教育では消防学校の鍛錬プログラムに入れるのです。子ども達の朗唱の成果は「軍隊教育」の成果ではありません。江戸時代以来の「素読」と子ども達自身の力を借りた集団指導の賜物です。

2 他律は個性の抑圧で反教育的か!?

 『先生は毅然としていましたね。子どもの機嫌をとっているようじゃ、教えられませんからね。あれでいいんですね。でも、現代の親はいろいろ言うでしょうね。可哀想なところもありますね。』
→親はもちろん、現代の子どももいろいろ言います。「きつい」、「おもしろくない」、「やりたくない」、「やだ」などを連発してさぼります。自分のやりたいことだけをやりたいと主張します。「やかましい!」と一喝すると拗ねてむくれます。親は高圧的で、封建的な指導だと批判します。
 批判は甘受しますが、トレーニングを受けている子どもに可哀想なところなどありません。指導員はみな献身的で、子どもを向上させることで懸命です。現在の井関では、指導者が子どもを圧倒するエネルギ-をもって他律に従わせ、子どもの個々の感情や恣意的な欲求を粉砕しています。集団の指導には「1匹の鬼がいなければならない」と表現しています。「鬼」とは畏怖の対象であり、圧倒的な支配力です。筆者だけが「鬼の役」を果たしています。
 人間関係における非礼もわがままもいじめも断じて見逃さないように努めています。その過程で子ども達の身勝手な言い訳やわがままは一切聞きません。身勝手な欲求は断固抑えこみますが、指導員全員が「庇護の役」を果たしているため、個性を抑圧しているとはまったく考えていません。個性は目標に向う挑戦の過程でこれから徐々ににじみ出て来る筈です。しょうがい児や問題を抱えている子どもも全員一緒に指導します。子ども達の成長を守るためには、「目標を共有する子ども集団」を作り上げることが先決です。そのためには、しつけの出来ていない子どもの「逸脱」を許さないことが不可欠です。子どもの自立や共同を育てる断固たる他律は、教育が教育になるための必然的方法なのです。目標に向って規範を重んじる子ども集団が出来れば、その集団が子どもを育てて行きます。子ども自身が子ども自身を育て始めるのです。自分が自分を教育する自己教育と同じような原理で、高い目標を持った集団が成員の子どもを育てて行くのです。「目標集団」が形成されれば、子どもは集団の目標や雰囲気に「同調」して行くのです。
 指導者がぶれない限り、指導の過程で子どもが個々の特性を表し、与えられた課題を達成して行きます。喜び方も、悔しがり方も、涙に暮れる態度ですらも子どもは個性的です。また、立ち上がって次の段階へ挑戦して行くプロセスこそが子どもの個性の現れだと考えています。
 井関では、他律によって「自分でやれ」と教えます。強制によって「その態度・言葉使いをあらためよ」と教えます。霊長類ヒト科の動物を人間にするためには、鬼の指導者の他律に対する断固たる信念と庇護役の指導員のやさしいこころ配りの両方が基本です。それが社会の視点に立った「型の教育」です。「社会」か「個人」かの2者択一ではなく、「社会」を先に立てた「個人」の教育です。

3 競争は差別か!?

 「成績を張り出すのですか?」(それって差別じゃないんですか?)という嫌みを込めてまた、また教員経験者が言ったと聞きました。子どもの変容を眼前に見ている指導員はもはやこの種の批判に動じなくなりました。成績を張り出すのは「目標」を示し、指導上の「社会的承認」を与えるためです。
 井関はで子ども達に論語は教えていません。しかし、論語カルタでほぼ毎日競争させて来ました。勝負に勝ったものには小さな褒美を出します。子どもの闘争本能に直接働きかけているのです。それゆえ、いろいろ「ハンディ」は工夫するのですが、努力する下級生は上級生に挑戦して勝ちます。
 小さな飴玉一つでも褒美は「努力の証」、「勝ち取ったメダル」に匹敵します。カルタ取りで、私たちが課したたった一つの条件は、「上の句」と「下の句」の全部が正しく言えないと、せっかく取った絵札が自分のものにならないというルールです。だから勝ちたい一心で子どもは覚えるのです。「勝ちたい」という「競争心」が子どもの特性です。この3か月でカルタ遊びに参加した子どもは、1年生まで百句全部言えるようになりました。
 人生は競争です。競争の結果、人生は個人の努力に相応して差別的になります。人の世に、いろいろ不公正も、ちぐはぐもありますが、原則として、努力は報いられると教えたいものです。人生で努力しない子どもはいつかきっと泣きます。
 毎日来ていない子はカルタの経験が当然足りません。勝つことも出来ず、褒美の飴も貰えず悔し涙にくれていますが、とても良いことだと思います。想定した結果がでないのは、「おまえの努力が足りないからだ」ということを教えることもまた重要です。子どもの努力に報いないで「反差別教育」が成り立つはずはありません。出自や性別や容貌のように個人が責任を負えないことで差別することが差別であり、「努力しない者」が「懸命に努力している者」と同じ処遇や特別の処遇を受けることは逆の差別です。
 個性の尊重を一方で謳い、他方で教育結果の平等を求めるのは矛盾です。努力も、資質も違うのに、教育結果は同じであるべきだと主張し、結果の違いを隠そうとするのは偽善です。
 人間の前頭葉連合野に存在する闘争本能を前提とすれば、競争こそが子どもを一気に進化させるエネルギ-発電装置です。スポーツでも芸術でも学術でも、進化の過程で「フェアプレー」を教えるのが世界の常識です。井関はこれからも成績を張り出します。現在は70点以上の合格点をとった者だけを貼り出していますが、やがて全員を貼り出すすことができるようになることが指導者の夢です。

3 大事なことを教え込むことすら出来ない人々がまだ「つめこみ」を批判するのですか?

 少年期の教育において、意味より記憶を先行させることは本当に無意味でしょうか!?
 幼少年教育のキーワードは「適時性」です。特に、記憶はタイミングが全てと言ってもいいくらいです。だから、井関は意味や論理を教えることより記憶を先行させています。伝統的な「素読」の原理です。上質の日本語をすり込むように練習を繰り返しています。カルタ遊びはその舞台装置です。「漢字チャンピョンシップ」のゲームも同じです。一度覚えてしまえば、後々覚えている言葉の意味を教えることははるかに容易になります。それが素読の原理です。戦後教育は、暗誦や素読の素晴らしさを「詰め込み」と言って否定して来ました。誠に愚かなことと言わなければなりません。現代人の語彙の乏しさ、コミュニケーション能力の低さをみれば失った言語能力の大きさが分かります。「適時性」の重要性を忘れ、社会生活の基本すら教えていない人々がまだ「つめこみ」を批判するのですか?大事な時に大事なことを教えていないことの責任は誰が取るのでしょうか?
 世界の天才が生んだ詩歌や叙述を子どもに分からせてから教えるなどということは、教師もその子も天才でない限り、できることではありません。分からないままに教え、分からないままでも覚えてさえいれば、いつかその意味を分かる時がきます。
『まんじゅしゃげ 抱くほど取れど 母恋し』(中村汀女)の情感は子ども自身が親になった時に初めて分かることでしょう。それが「教育的時差」です。

4 不自由と不便が協力と助け合いを生み、放任された自由は自己都合優先と堕落を生む

 のびのび保育の信仰者が管理する子ども集団に行くと疲れがどっと出ます。それは「霊長類ヒト科の動物」の「放牧場」の趣を呈しているからです。喧嘩、騒音、無秩序、非礼の展示場でもあります。放任された自由の必然的結果です。
 どこの国でも、文化でも、自由を優先させることは「自己都合」を優先させることと同じです。「自己都合」を優先させれば、当然、自分が先で、相手は後になります。協力も助け合いも優先順位が落ちます。それゆえ、井関は協力と助け合いを優先させています。好き放題に育って来た子どもには、井関の他律が「不自由」に感じる場面も多いことだと思います。しかし、協力と助け合いを優先し、それが習慣になれば子ども達の共同生活が成り立ち、喧嘩や諍いが激減して行きます。集団の力が伸び、その中で個人の力も伸びて行きます。社会とは元々そうした展望の基に創られた人間組織の筈です。井関は霊長類ヒト科の群れを教育によって子どもの共同生活集団に変えようとしているのです。しょうがいのある子どもに寄り添い、陰に日向に世話を始めた子どもたちがいます。その子どもたちにはいつか教育の金メダルを下げてやりたいと思っています。

5 個別能力優先主義の落し穴
 
 学期中の放課後の子どもには、サッカーをやっている子も、金管のクラブに参加している子もいます。塾やその他の習い事も盛んです。もちろん、午前中は学校です。
 今回、井関の学童では、厳しい集団トレーニングを課したので、理由を構えてその厳しさから逃げる子もいます。親子が「負荷」の小さい「楽な方」を選択するからです。これらの子どもは毎日の「学童」にはやってきません。学校が休みになって午前中が空くとこうした子どもたちは行くところがなく仕方なく「学童」に戻って来ます。夏休みに入って、毎日来ていた子どもと、来ていなかった子どもの「落差」がはっきりして来ました。落差はまず参加意欲に現れ、次に共同生活能力に現れます。
 スポーツや塾で個別能力を育てても、共同生活能力には繋がらないのです。しかし、保護者の中にはあくまでも子どもの「いい分」と「欲求」にこだわり、個別能力を伸ばすことを優先させる方々がおられます。社会規範の習得や共同のトレーニングよりも、宿題やドリルにこだわります。
 秋になったら直ぐ分かることですが、集団生活のルールや共同生活の規範を身に付けた子ども達が学力でも身体能力でも個別能力優先主義の子ども達を簡単に抜きさって行く筈です。
 集団の規範と共同生活の能力を身に付けていない子どもは、何より、他の子ども達と折り合いをつけて仲好く遊ぶことができません。共同生活を学んだ子どもは、仲間や友だちと助け合って、集団の中で幸せになって行きます。弁当の時間も、遊びの時間も、厳しい訓練の時間ですらも楽しくなって行きます。
 このことを現代の保護者にどうお分かり頂くかまだ分かりませんが、結果で証明するしかありません。
 子どもは社会的存在です。社会から切り離して個別の能力を育てても、社会性がなければ、仲間から慕われません。友だちも出来ません。世間に出て孤立し、あっけなく折れます。夏休みに入って、集団のトレーニングに適応できない個別能力優先主義の子ども達の脱落が始まりました。指導員にはさぞ哀しい光景でしょうが、「やる気があろうとなかろうと有無を言わせずさせる」のが「鬼の務め」です。

解説-「生涯現役・介護予防カルタ」

 下関のリハビリサポートグループ「再起会」(永井丹穂子代表)の企画による「生涯現役・介護予防カルタ」の解説書が完成しました。絵の方も8月一杯には完成し、いよいよ印刷に掛かります。また、お披露目を兼ねて来年の1月26日には下関でカルタ大会と講演会も企画されました。併せて、印刷注文の部数を決定するため、カルタの事前注文も受付を開始いたします。メール又ははがきで「風の便り」編集事務局までお申し付け下さい。定価、送料等詳しい情報はカルタの完成を待って再度お知らせいたします。

1 カルタは遊びと教訓の組み合せです
 
 カルタ文化の伝統と文化を支えて来たのは百人一首です。それゆえ、5-7-5-7-7の短歌のリズムは多くの人々に身近に感じてもらえると想定しました。しかも、短歌調は「犬棒カルタ」調のいろはカルタの倍の情報を盛り込むことができます。 
 全国の大部分の新作カルタが「いろはカルタ」調の簡単な短文でできているのに対し、「生涯現役・介護予防カルタ」は百人一首にならった31文字の短歌調を採用しました。最大の理由は生涯現役・介護予防の教材足り得る情報量を確保したいと考えたからです。もちろん、具体的な説明が必要だからと言って、くどくなりすぎれば、誰も遊びには使ってくれません。文言の長短やリズムを調節するさじ加減が難しいところでした。

2 生涯現役・介護予防の基本原理は、「読み、書き、体操、ボランティア」です
 
 体力や健康を失うことは辛いことですが、まだ人生を失ったわけではありません。しかし、頭の働きを失えば、「認識すること」、「考えること」、「判断すること」、「決定すること」などを失います。それは自分を失い、人間の特性を失うことです。自分を失えば、やがて、自身の健康も人生も失います。高齢者が元気に生きるカギは「あたま」にあり、「考え方」にあります。 このカルタが目標とする「生涯現役」の生き方は、「安楽な余生だけを求める生き方」や「何もしようとせず、のんびり暮らしたいという生き方」の対極にあります。
 生涯を現役としていきいきと生きよと命じるのも「あたま」であり、「介護の世話にならずに済むよう、がんばって精進せよ」と命じるのも「あたま」です。
 生涯現役は、社会に参画して文字通り「現に」、「人々の役に立つ」生き方を目指しています。そのためにも、カルタの監修では、生涯の健康を維持し、介護の必要に至らぬよう「頭」を働かせ、老後の活力を維持することに最も重点を置きました。カギになるのは「感謝の思い」、「過去に囚われない前向きの姿勢」、「興味と好奇心と学ぶ姿勢」、「人を喜ばせる行為」、「健康志向」の5つです。
 具体的に為すべきことはたった4つです。「読み、書き、体操、ボランティア」です。たった4つでいいのかとお思いになるかも知れませんが、この4つをあなたの日常に習慣化して行くことは決して簡単ではありません。子どもに「がんばれ」というように、われわれ自身にも日々「がんばろう」と言わなければならないのです。


急がない 一度止まって 気を張って深呼吸して 手すりを持って

(深呼吸が良いのは、階段の昇り降りに限ったことではありません。何か事を始める時には、一度大きく息を吸って、次にお腹から息を吐いて、心身をリラックスして取りかかるのがいいと脳生理学が証明しています。
 階段の昇り降りで,転んだり怪我をしたりすることが多発しています。「階段・段差に気をつけよう」というだけでは、具体的な心構えや動作が分かりません。注意事項は出来るだけ事故の理由を知り、意味を知ることが大切です。階段ですよ,と一度注意を喚起して、深呼吸で気分を和らげ、再び気合いを入れ直して、これまでの自分を過信しないで、かならず手すりを持つようにしてください。思わぬところに事故は隠れている、と皆さんが言っています。)


老年の整理整頓・遺書・遺産、旅立つ前に 謝辞整える

(これは「シンプルライフの勧め」です。辛いことですが高齢期の最後は自分の人生の整理をしなければなりません。遺書や遺産のことはもとより、時には死期を意識した終末医療の際の「尊厳死」宣言を書いておきたいという方もいらっしゃると思います。多くの高齢者はまだ「リビング・ウイル」という表現を知らないかも知れませんが、いわゆる「植物人間」になっても生き続けるか否かはどこかで本人が決めて置かなければならない現代の問題だと思います。)


花を愛で 風に歌って 木を撫でて 一期一会の 縁を忘れず
 
(花鳥風月を愛でるのは日本文化の伝統です。大部分の社会的義務から解放された高齢期は自然を見る目にも余裕ができ、格別な味わいがあります。古人は、「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」、と歌っています。「末期の目」でみる自然の美しさを書き残した人もいます。この世に生を受けたことを感謝し、自分の一生を支えて下さった人々の恩を思いながら人生を終わりたいものです。)


にこやかに 人と交わる 心がけ 明るく元気 いやごと言わず

(「いやごと」というのは不平や文句を意味する長州の方言です。人間関係は相互作用です。笑顔には笑顔が、あいさつにはあいさつが返って来ます。気の持ち方でストレスも退散します。前向きに生きれば自分が元気になり、明るく生きれば人を元気にし、人を喜ばせれば,喜びは自分に返って来ます。)


褒められて 必要とされ 喜ばれ 元気をもらう 人の世話

(定年後や子育てを終わった後は基本的に社会の役割や責任から離れます。しかし、何一つ他者や社会に対して役割も持たず、責任も果たしていないということは「必要とされていない」ことに通じます。ボランティアは他者の役に立つことですから、職業以外で唯一人々の感謝や拍手をいただくことのできる活動です。「必要とされること」は「世の無用人」(藤沢周平)の心の救いになるのです。)


塀越しに お隣様に ご挨拶 木にも花にも こんにちは

(自由社会の裏側は「無縁社会」です。人々は自分の関心事に集中し、自己都合を優先します。こちらからご挨拶をしない限り、相手のご返事は返って来ないでしょう。無縁社会の近所付き合いは難しいことですが、とにかくごあいさつから始めるしか方法はありません。
お出かけの時も意識的にごあいさつや簡単な頼み事をすることがご近所コミュニケーションの第1歩です。)


友だちと 週に一度は よく食べて たくさん話し たくさん笑う

(社会的な活動は社交を生み出します。仲のいい友人たちと過ごすひとときは高齢期の至福の時間です。健康にいいことはもちろんです。認知症の予防にも絶好です。茶飲み友達は生活のオアシスです。茶話会や食事会を工夫して見て下さい。)


誓います 日々の挑戦 終わりまで 我が晩年を ご照覧

(美しい晩年を全うしたいと願うことは衰弱と死に向かって降下する自分自身との戦いです。如何に戦うかで個人の矜持や自尊や人生の美学が問われることになります。子どもに「がんばれ」というようにわれわれ自身も活力を維持するため日々の健康実践をがんばらなければならないのです。)


凛として 逝かむとすれば 凛として 生きる準備を怠らぬこと

(「凛として」生きるという中身は人様々です。31文字の表現限界です。具体的な中身を説明することはできません。しかし、多くの方々が,準備怠りなく、最後まで取り乱すことなく,残る人々に迷惑を及ぼさぬように心がけ、感謝の言葉をもって逝きたいとおっしゃいます。その心がけを抽象的に表現すれば「凛として」ということになるのではないでしょうか。「凛として生きる方法」があるわけではありません。最後まで「がんばって生き抜こうとする気持ち」が凛として生きることにつながるのです。)


ぬかるみも 時雨れるときも 風の日も 乗り越えられた 感謝忘れず

(高齢者はみんな今日までがんばって生き抜いて来たことはまぎれもない事実です。しかし、もちろん、誰一人、一人で生きられた筈はありません。気持ちの安定を保つためには、世の中と繋がり、他者への感謝や思いやりの気持ちをもつことが極めて重要な働きをします。人間の脳は不思議な働きをします。普通、幸せだから感謝するとお考えかも知れません。逆です。感謝するから幸せになるのです。「感謝」は人生を変えるのです。)


留守の日は 戸締まり 火の元 ご近所に 出かけますので お願いします

(お出掛けの時は自戒を込めて留守の安全を確認します。「無縁社会」の近所付き合いは難しいことですが、ご挨拶や防犯のお願い事など意識的にご近所とのコミュニケーションを図ろうと提案しています。まずは、自分の働きかけが相手を動かし、人間関係を創って行きます。)


おかげさま おたがい様です 人の世は
情けは人のためならず 自分のためのボランティア

(ボランティア論は日本の言-「情けは人の為ならず」と同じです。いささか字余りになりましたが、他者に寄せる親切な思いは回り回って「自分」に返ってくるものだという意味を込めました。「あなたにお会いできて良かった」、と言ってもらうことが「居甲斐」を支えてくれます。「私のやったことであなたが喜んでくだされば,それが私の喜びになる」というのも脳生理学の証明するところです。)


忘れよう 過ぎた昔は 戻せないあなたがあなたの明日を創る

(心身の健康を保つためには、過去に囚われず、前を向いて生きることが大切です。ある意味では楽天的に、また別の意味では積極的に未来に向かって自助努力を積み重ねることが不可欠になります。小さくても新しい目標を決めれば,必ず「新しい明日」が来ます。「新しい明日」はあなた次第で創れるのです。)


がんばろう 誰かが見てる がんばれば最後はあなたがあなたを見てる

(動かないから動くことが億劫になり、動くことを止めるから最後は全く動けなくなり、寝たきりになるのです。根本の原因は考え方であり暮らし方です。高齢者の健康寿命は、意識して、がんばって、自身に「負荷」をかけ、あなたの目標に向って、毎日適度の活動を続けることが不可欠です。月に一度や2度の転倒予防教室や介護予防教室で防げる問題ではないのです。高齢者の最後の生き方を決めるのは、「自分のがんばり」や「自身の生きる美学」なのです。)


読めない 書けない 話せない 歩かなければ歩けない 使わなければ 使えない

(医学の言う「廃用症候群」とは「使わなければ使えなくなる」、という意味です。英語では、文字通り、Disuse Syndromeと言います。人間の心身の機能は誠に不思議な性質を持っています。使い過ぎると壊れますが、使わないと身体が不要だと判断して、機能が衰退してしまうのです。ほどほどの「負荷」をかけて使い続けることが重要になります。スポーツ生理学では、「オーバーローディング法」と呼んでいます。「現在、自分ができる程度よりちょっとがんばってみる」という意味です。「適切な負荷」の効用については、若者も、高齢者も同じです。)


発つ鳥の跡を濁さず われもまた捨つべきを捨て 断つべきを断つ

(介護予防や生涯現役を志して生きようとも、いずれ加齢とともに老衰は進みます。生老病死は人間の必然です。しかも、生きとし生けるものの中で、人間だけが「死の必然性」を自覚しています。それゆえ、美しい晩年を全うしたいと願うことは衰弱と死に向かって降下する自分自身との戦いです。如何に戦うかで個人の矜持や自尊や人生の美学が問われることになります。「跡を濁さず」とは「シンプルに」、なるべく「迷惑をかけぬよう」という意味です。)


連絡は メモして メモ見て 念のため も一度復唱 再確認

(社会に参画して生きるためには、社会人に要求される正確さや確実さが大事です。メモを工夫することは読み書きを工夫することに通じています。高齢期はあらゆる面で意識的な慎重さと用心深さが身を守ります。)


それくらい自分でしよう がんばって 時には人の お役に立とう

(世間では生き生きと老後の活動をなさっている方を「お元気だからいろいろ活動なさっている」と言います。しかし、実際は逆です。「いろいろ活動なさっているから、お元気を保っていられるのです」。活動は、頭を使い、身体を使い、気を使います。「廃用症候群」の概念が指摘している通り、人間の機能は使わないと衰えます。適切に使い続けていると衰えにくいのです。高齢者のスタミナ維持には、毎日、ほんの少し「負荷」を掛け続けることが秘訣です。)


使い過ぎれば壊れるけれど 使わなければ衰える 
日々さじ加減 老いのコツ

(「ロコトレ」とは、ストレッチやバランス体操のことです。高齢者の運動器の機能の衰えを防止する健康法の総称です。「曲げて」、「伸ばして」、「縮んで」、「跳んで」、とにかく「動かすために」、「動くこと」が大切です。毎日の運動はもちろん、日々の暮らし方を工夫して日常生活の自立度を低下させないことが目的です。ロコトレは一番具体的で、一番簡単です。ロコトレを日常化し、習慣化することが、高齢者の老衰防止策を実行する最初の一歩になります。ロコトレに限らず、老化の防止策は毎日実行する姿勢が基本です。)


寝たきりは 動かない故 ご用心、ねん挫 骨折 転倒予防

(高齢期では、自分で動くことができなくなることが一番危険です。それゆえ、「転ぶこと」が一番危険です。高齢者が骨折などで寝たきりになるとたちまち使わない筋肉は落ち、関節は固まってしまいます。動かなければ、活動が頓挫し、あらゆる機能が低下します。
 動かなければ、動けなくなります。暮らしの中の自損事故にはくれぐれも注意しましょう。)


なにごとも 習わにゃできない 日々精進練習せねば 上手にならぬ

 (教育の原則は「やったことのないことはできない」、「教わったことのないことは分からない」、「練習しなければ上手にならない」の3つです。
 子どもも高齢者も同じです。新型携帯からコンピュータ-まで、新しい時代の新しい課題にいろいろ挑戦してみましょう。
これまでの人生でいろいろなことに興味や好奇心を持っていらっしゃることが、もちろん、一番望ましいのですが、何か始めて見ると興味や好奇心が湧いて来るというのが人間の脳の働きです。どうぞお試し下さい。)


楽すりゃ 自身の身が錆びるがんばらなけりゃ 心も錆びる

 (生理学者ルーは、「ルーの3原則」と通称される重要な指摘をしています。すなわち、「人間の持つ機能は①使わないと衰え、②使い過ぎると破壊されるが、③ほどほどの負荷をかけて使えば発達を促し、維持することができる」というものです。ちなみに、「休めば錆びる」とは発明王エディソンの名言「Resting is Rusting」です。)

胸を張り 背筋を伸ばし 大股に
足は第2の心臓だから

 (健康カルタはたくさん作られていますが、文言が短いため、「なぜ」とか「どのように」の具体的な説明が不足しています。「父さん体操、1、2、3」だけでは、なぜ運動が大事なのか、どんな運動をするのかは分かりません。毎日の散歩のコツが分かり、「歩くこと」の重要性の意味が分かるように表現してみました。自然に触れ、天地の霊気を受けると人間は快感ホルモンの分泌が活発化して幸せになるそうです。だんだん、脳の仕組みが分かって来ているのです。)


動かにゃすべて衰える 生涯学習人生分ける
頭は老後の司令塔

(高齢者は頭の働きを維持することが最重要課題です。頭が衰えれば、健康を守ることも、自己の鍛錬を命じることもできなくなります。「荘にして学べば、老いて衰えず、老いて学べば、死して朽ちず」(佐藤一斎)です。読み、書き、学習を怠らず、頭の働きを守りましょう。)


脳トレは 友とおしゃべり 食事会、朗唱 カラオケ 「現役カルタ」

(老後の生涯学習は高齢者の「脳トレ」に最適です。「脳トレ」という生涯学習をするのではなく、生涯学習こそ最高の「脳トレ」なのです。また、生涯スポーツは最善の「ロコトレ」なのです。例えれば、「脳トレ」や「ロコトレ」は、1本の「木」に過ぎませんが、生涯学習や生涯スポーツは「森」なのです。生涯学習を促す生涯教育は生涯活力の元だとお考えください。公民館やカルチャーセンターを探検し、自分のお気に入りの活動を始めて下さい。それこそが健康活動の第1歩です。)


老いの日の 友は得難き 宝なり、
互いに支え 互いに尽くす

 (新しい出会いは「活動の縁」です。楽しみ事の「同好の縁」、学びの机を並べる「学習の縁」、ボランティアのように人生の指針を共有する「志の縁」などです。老後の仲間は決定的に大事です。仲間こそが老いの日の社交や社会参加や社会貢献を支え、人生を共にしてくれる戦友です。)


愚痴らない くよくよしない ひがまない
人の振り見て わが振り直す

(老後はあらゆる面で個人差が大きくなり、「満足-不満足」の思いも、「幸-不幸」の感覚の落差も大きくなります。現状に囚われれば、愚痴の一つも出るでしょうが、どうがんばってももはや過去を変えることはできません。愚痴や不満は伝染します。
 前向きに、積極的に、愚痴多き人を寄せ付けず、「反面教師」・「他山の石」として暮らしましょう。)


やる気ない 食べたくもない 出たくない
そんな日もある 土いじり

(そんな日もありますね。人間も自然の一部です。土や山川草木に癒されるのは人間の中の自然性が花鳥風月に反応するからなのでしょう。しばらく花鳥風月に親しみ、自然に接していると天地の霊気を感得して、必ずお元気になりますよ。お日様と散歩がストレス解消の妙薬だそうです。)


待ち合わせ 急がず 慌てず 駆け出さず、
バスも電車も10分前 
(運動器傷害(ロコモーション・シンドローム)が起って来ると「急ぐ」こと、「慌てること」が事故の最大原因になります。高齢者は上げたつもりの足が上がらないから躓くのです。骨折したら高齢者の治療は時間がかかり、動けない日々が続きます。動かなければ,心身の各所に「動かないこと」が原因の「廃用症候群」が起きます。とにかく、高齢者はゆとりを持って「時間前行動」が原則です。「急いだり」,「慌てたり」することが怪我のもとです。)


健康は 自分で作る 生き甲斐は自分が探す
生涯現役 心意気

(生涯学習を「選んだ人」と「選ばなかった人」の間の「生涯学習格差」が拡大しています。「格差」は、頭に出て、身体に出て、気に出ます。それらが「知識格差」、「情報格差」、「健康格差」、「交流格差」、「生きがい格差」、「自尊感情の格差」などです。高齢期に入って、活動しなければ、あらゆる心身の機能が衰えるのは当然の結果なのです。健康は自分で守り、生き甲斐は自分で探すしか方法がないのです。)


振り返る 昔を今に 戻せない
始める事にしめきりはない

(高齢者の血縁、地縁、職場の縁は加齢とともに先細りします。楽しい社交が減って来るのは黄色信号です。人との交流が減って来たなと自覚したら、新しい縁を探しましょう。新しい縁は「活動から生まれる縁」です。「同好の縁」、「学縁」、「志の縁」と書いた通りです。「犬も歩けば棒に当たる」ように、「人が動けば『縁』に出会う」のです。)


好奇心 居甲斐 やり甲斐 生きる甲斐
老いてもやる気 冒険心

(体力や健康を失うことは辛いことですが、まだ人生を失ったわけではありません。しかし、頭の働きを失えば、「認識すること」、「考えること」、「判断すること」、「決定すること」など、自分を失い、人間の特性を失い、やがて、自身の健康も人生も失います。人生への関心や興味や冒険心が高齢者の頭の働きを維持し、活力を支えます。)


笑顔10点 感謝が20 我慢30 元気で90 
人に尽くして満点です 

(生涯現役者の心意気をカルタにするとこんな風になるのかな、と思いました。いかがでしょうか?)


手を打って 腕を回して 足腰伸ばし 
声張り上げて思い出の歌

 (ラジオ体操なども大いに効果はあると思いますが,退屈なのが玉に瑕です。そこで例えば、毎日好きな音楽に合わせて自己流のエアロビを工夫して身体を動かしてみてはいかがでしょうか。舞踊をなさる方々がいつまでも若々しいように、毎日の軽運動の効果は抜群です。体操が主食なら音楽はおかずのようなものです。好きな歌や曲ですから身体が自然に動きます。時には声はり上げて歌に合わせてカラオケのように歌うのもいいでしょう。)


ありがとう 笑顔忘れず 失礼します
また会う日まで お元気で

(高齢期は時間も、健康も制約の多い季節です。多くのことは望めず、先のことは分かりません。それゆえ、一期一会が身に滲みます。出会いはありがたく、交わりは淡くなります。せめて明るく再会を約して前向きに行きましょう。)


さびしさに あなたを待ってる 人がいる あなたに会えてよかった と言ってもらえる身の果報

(「お裾分け」は日本の伝統です。自分が元気になったら、その元気を少しだけ他の人々にも分けましょう。気使いは、やさしさのお裾分け、こころ配りのボランティアです。「あなたに逢えてよかった」と言ってくれる人は何人いるでしょうか?あなたが喜べば、私が幸せになるのです。)


筋肉 関節 心肺機能 気力 活力 希望と意欲 
すべて訓練次第です

(歩かない人は歩けなくなり、読まない人は読めなくなり、話さない人は話せなくなります。おむつを当てれば、段々自分で用がたせなくなることも分かって来ました。中でも、筋肉と心肺機能は一番正直です。 筋肉は鍛えれば強くなり、怠ければ消えてなくなってしまいます。筋トレをやめると、筋肉は萎み、肺活量は低下します。筋肉が衰えると、代謝のペースも下がると言います。同じ食事をしても太るのはそのためだと言われます。
 高齢者に一番危険なのは足腰の筋肉が衰えることです。当然、足腰が弱るとほとんどの活動ができなくなります。活動は、頭も、身体も、気も使いますから、活動ができないということは、全分野にわたって心身の機能が衰えるということです。)


行く道は 神も仏も代われない
誰も代わりに生きられない 

(最後に人生の答を出すのは自分です。自分自身で日々の暮しの心構えや戦略が立てられなければ、老後は加齢とともに急速に衰えるのです。このカルタは,高齢者の日常の活力維持の具体的な方法を提示していますが、精神のあり方に付いては、自分で探し、自分で決めなければなりません。人生の最後をどう生きて、どう死ぬかについて既成の答があるはずはないからです。)


目配りし 好き嫌いなく よく噛んで 
味は薄味食養生

(食育は養生の基本です。医食同源とも言われ、健康の元です。その点和食はすべてにバランスがよく、理想的な食事だそうです。塩分を控えめにして、よく噛んで、楽しく食べましょう。)


身だしなみ 戸締まり 火の元 コンセント 財布 携帯 再確認

(出かけるときの自己確認事項です。一人暮しの方々がみんなそうだ、そうだと言っています。部屋の中に張り出し、駅長さんのように「指さし呼称」をして忘れないように注意しましょう。)


趣味・娯楽 孫の手本にボランティア 
週に一度は人のため

(高齢者の活動を支えるのは「仲間」の存在や日常の社交です。仲間がいて、社会とつながっていれば、活動はどんなことでもいいのです。本人の自覚と姿勢が伴わない限り、体操でも、脳トレでも、部分的に何をやってもだめなのです。高齢者の健康寿命を決めるのは最終的に「暮らしの姿勢」であり、頭なのです。)


日々励む 清潔 簡素 身だしなみ
老いも挑戦 我が心映え

(シンプルライフは老いの必須事項です。一人暮しには特効薬です。身の回りの物から人間関係まで、思いきった「断捨離」をして身軽になりましょう。心に決めて思いきって実践することが大切です。)


目的があなたを磨く 目標があなたを引っぱる 
希望も見える

(高齢者が自分自身の健康・活力を維持するにあたって一番大事なのは老後の「考え方」と「暮らしの姿勢」です。高齢者の日々の暮らしに明確な「目的」と「目標」があれば、「暮らし方」が決まります。近い目標を積上げて、遠い目標に至るという原理は昔から変わりません。今日の目標→今週の目標→今月の目標→今年の目標という具合です。)


背を伸ばし 膝の屈伸 ストレッチ 
元気は日々の手入れから

(身体の手入れは、筋、関節、筋肉から始めます。部分的に強くすることより柔軟性を保つことが大事です。バランスを取ることを心がけ、身体の各部分を軽く揺すって力を抜くことも大事です。
 身体が柔らかくなると、転ばなくなり、転んでも大きな怪我をしなくなります。高齢者の手入れは頻度が大切で、毎日することが肝心です。好きな音楽でも聞きながら楽しくやりましょう。)


過ぎたこと 恨めば怒り 忘れれば 
未来と希望 見えて来る

(長い人生ですから、いろいろ思うようにならぬこともありました。しかし、昔の悔いや怒りを忘れないと前へ進むことができません。忘れることは人間に与えられた贈り物です。過ぎたことは過ぎたこと、今を生き、明日のためにがんばりましょう。今週の目標、今月の目標、目標を立てれば「明日」が見えて来ます。)

森 進一の教訓

1 「喉を聞かせる歌」と「訴える歌」

 天気予報を探してチャンネルを廻していたら、古い「日本の歌」の再放送番組に当たりました。森進一が歌っていましたが声がかすれて歌詞が聞こえませんでした。よくよく聞き耳を立ててみると「女が花で、男が蝶よ」と歌い、「花が散るとき、蝶も死ぬ」、「そんな恋です、二人の恋は」というような文句でした。声はかすれ、発音は曖昧でろくに歌詞が聞こえないところも多いのに、やけに説得力があり、天気予報を探すのを中止して、聞き惚れました。満員の会場も森閑としていました。彼は歌っているのではなくて、訴えているのだと感じました。他の歌手のように「声」や「のど」を聞かせているのではなく、聴衆を説得しようとしているのだと感じました。音楽の授業では落第ではなかろうかと思うような語尾のはっきりしないかすれた歌い方ですが、歌詞が心にしみるのは、彼が伝えたいメッセージだけを取り出して強調し、私たちを説得しているからなのでしょう。彼の歌では「歌詞」が大事で、「歌詞」の中の「ある文言」が大事なのだと感じました。その文言の「訴え方」が、彼の歌い方を際立たせているような気がしました。その日、最後に歌った「襟裳岬」も同じでした。「遠慮はいらないから、暖まって行きなよ」と北国の人に言われた気分でした。
 次の、講演は森 進一のようにやって見たいと思いました。理解してもらうことは二の次にして、伝えるべきメッセージを心情的に訴える工夫をすることが大事だと思いました。
 高齢者問題は社会学的に、心理学的に、経済学的に様々な背景があります。これまで研究したのだから多くの事実を分かってもらいたいことは山々です。しかし、分かってもらったところで、会場を出た途端に忘れてしまうのでは、小生の講演は失敗だということでしょう。研究成果や事実の詳細は声がかすれて聞こえなくてもいいのです。多少、論理的説明を切り捨てて、他の専門家に任せてもいいのです。訴えるべき事は、簡単で、明瞭です。
 高齢社会の問題は、単に「老人が増加することではなく」、「何もしない老人が増加」し、「安楽だけを求める老人」が増加することです。そうした老人が増加すれば、医療と介護で現状の福祉財政は確実に破綻します。それゆえ、「何もしない老人になるな」、「安楽だけを求める気楽な退職人生を送るな」と訴えてみます。

 「生きる力」に老若のちがいはありません」。「子どもに頑張れと言うように、高齢者も「頑張ろう」と言わなければなりません」。「成長に精進が要るように、衰弱の防止にも精進が要るのです」。高齢者もがんばれ、高齢者にも精進が不可欠なのだと叫んでみます。
 学問は客観的に追求しなければならないと思いますが、講演は「何を訴え、どう説得するか」が勝負です。多くの歌手が声を聞かせているのに対し、森 進一は歌の文言を聴かせ、歌に託された人生を聞かせていると思いました。私も学問の成果を伝えるのではなく、そこから導き出される生き方を訴えねばならない、と思いました。

2 訴える講演(後日談)

 比較的大きな講演会に呼んでいただきました。研究成果の事実もこれまで通り申し上げましたが、詳細や論理性は可能な限り省いて、エネルギーと時間の多くを訴えに費やしました。森 進一のようにところどころはかすれ声で、ところどころは証明を省いて、訴え、激励し、応援に徹し、乞い願うように話しました。
 「女が花で、男が蝶よ」と歌う代わりに「若者は切磋し、高齢者は琢磨する」と繰り返しました。「花が散るとき、蝶も死ぬ」と囁く代わりに、「がんばらなければ力つき、努力しなけりゃ老いぼれる」と叫びました。
 よかったのではないでしょうか!「風の便り」にたくさんの申込みがあり、小生の書籍も売り切れました。2回目の実験も同じ結果でした。

§MESSAGE TO AND FROM§

福岡県八女市 横溝彌太郎 さま

 八女文化連盟の講演会で、はからずも奥様にお目にかかることができ、おみやげを頂戴いたしました。御礼申し上げます。野球をなさっておられるとかお元気なご様子が彷彿といたしました。この度の水害黒木はまさに大変だったとの状況を関係者からお聞きしました。お見舞い申し上げます。

長崎県平戸市 川辺淑美 様

 「夏の匂い」受け取りました。あなたもお元気そうで何よりです。かぎりなく美しく、泣きたいほどに懐かしい詩です。私も一度はあの「海峡を見おろす丘」に立ったことがあります。「風の通う道」の「草むらに座した」あなたを思い描いて
います。歳月が流れました。「舞い立つ 浅き夏の匂い」がここまで届きました。いつかお供をして「忘れられし近道」を辿ってみたいと思ったことでした。

北九州市 植田武志 様

 夏のお心遣い有り難うございました。先日、「読書会」のOB、OGが集まってくれました。解散以来すでに20年の歳月が流れました。みんな50に近く人生を振り返る季節に入ったということか、と感じました。来年の8/3に大々的な集まりをするそうです。「子どもや孫を語る会には出たくない」、「昔を懐かしむ会にも出たくない」。「未来を語るというのなら出よう」と幹事役の岡村君に言いました。

152号お知らせ

当面3月までの日程だけお知らせ申し上げます。
  
9月15日(土) 第123回 生涯教育・まちづくりフォーラム 福岡県立社会教育総合センター

10月13日(土) 第124回 移動フォーラムin飯塚:「サンビレッジ茜」

11月17日(土)  第125回 移動フォーラムin長崎・平戸

1月12日(土)~13日  第127回 移動フォーラムin益田/島根

2月16日(土)~17日(日) 第8回 人づくり・地域づくりフォーラムin山口

2月23日(土)~24日(日) 第128回 移動フォーラムin大分

3月16日(土)  第129回 フォーラム  福岡県立社会教育総合センター

編集後記
脳生理学が教える人生の逆転

 いよいよ生涯現役論の最終段階にさしかかり、健康寿命の「暮らし方」は前向きの「考え方」で決まるという結論に辿り着き、最終推敲の参考に脳生理学の解説書を何冊か読みました。当然、「脳」と「身体」は繋がっているという事実が重視され、連結の環は「ホルモン」にあることは知っていました。
 人生は気持ちのあり方が健康を左右するとどの本にも書いてありました。読んでいるうちに、最後は、健康が実現し、活動が実現したとして、その結果「幸せ」になるにはどうすればいいのかという疑問に行き着きます。幸せと健康は別のものであり、成功と幸せも別のものです。健康でなおかつ不幸な人はたくさん居り、成功者の中にも不幸な人が沢山いることはわれわれの知るところです。
 反対に、多少の故障はあっても明るく、幸せに暮らしている方がいらっしゃることも知っています。
 幸・不幸の問題は、健康はもちろん、子どもの成長やお金や出世や活動の成功・失敗にも関係します。全部成功したところで不幸だったらどうしようもないではないですか!多くの人生哲学は自分の健康や家族の無事に感謝して生きなさいというのですが、脳生理学が教える人体の不思議を読んでいるうちに「幸せ」と「感謝」の関係は通常私たちが考えて来たことと逆ではないかと思うようになりました。私は、老年学を勉強する中で、世間の言い方を逆転させて「お元気だから活動するのではありません。活動するからお元気なのです」という結論に辿り着きました。活動が心身の機能を活性化することが分かっているからです。
 今回は脳生理学に学んで人生哲学を逆転するべきだと考えました。感謝が先で健康は後、感謝が先で事の成否は後、ではないかと思うようになりました。したがって、「感謝」が先で「幸せ」が後です。平常から感謝を忘れず、人生をありがたいと思う姿勢が習慣化していると、本人を謙虚にし、他者を先にし、困難に学び、みんなと協力するようになります。そうなれば日常生活の問題は深刻化せず、ストレスも最少限で済み、身体にも良く、気持ちにもいいということです。快感ホルモンの分泌もよくなります。脳生理学はそう言っているのです。
 もちろん、今まで通り、健康や幸せはありがたいことですから、人生の恵みを感謝することの大切さは言うまでもありません。しかし、同時に、日々感謝する気持ちを忘れないことが健康や幸せを呼ぶという脳生理学の指摘により一層注目する必要があると思います。老年学の最終章を飾るのはこの原理です。「人生の根本は、幸せや健康だから感謝するに留まりません。感謝の気持ちで暮らしているから幸せや健康になれるのです」。

「風の便り 」(第151号)

発行日:平成24年7月
発行者 三浦清一郎

生涯現役・介護予防の老年学
-子どもに「がんばれ」と言うように高齢者にも「がんばれ」と言わねばなりませんー

 人生は「連続」しています。「生きる力」に子どもと高齢者の違いはありません。子どもに「がんばれ」といって、年をとったら「がんばらなくていい」ということにはならないのです。少年の場合も高齢者の場合も、「体力」、「耐性」、「学力」、「社会性」、「感受性」など「生きる力」の中身は同じなのに、社会にも高齢者本人にも、基本的な錯角があります。錯覚は「生きる力」に対する「努力の必要性」についての認識のちがいから来ています。
 子どもは成長発達の過程にあるので、「がんばれ」も「勉強しなさい」も自然に聞こえることでしょう。しかし、高齢者は、一応、完成した人間です。また、高齢者は子どもと違って、退化・老衰の過程にあります。老いは「衰え」とほぼ同義ですから多くの助言者が「衰え」だけに目を奪われて、「むりするな」、「がんばらなくていい」などと助言するのです。高齢者に対する多くの助言が、子どもに対する助言と異なるのは、人間の「生きる力」の構造と成り立ちをきちんと理解していないからです。
 子どもには「日々研鑽」を勧めながら、高齢者に「のんびりマイ・ペース」を勧めるのは典型的な間違いです。定年後の生き方指南書の多くも、「悠々自適」がいいと言い、「ストレスの少ない楽しい生活」を勧めます。それゆえ、高齢者が何かを始めても、「成果や勝負を追い求めるな」と言っています。これらの助言の多くは間違いであるばかりか、場合によっては、高齢者を貶めるものです。衰え行く高齢者を哀れんで保護の対象としてのみ見る助言は、高齢者の自覚的な努力を封じてしまいます。すでに高齢なのだから「がんばらなくていい」、「成果や勝負に拘らなくていい」と助言することは、彼らの活動意欲にブレーキをかけることです。「もう、年だ」と思いこめば、段々年寄りになり、「がんばらなくていいんだ」と思えば、段々がんばれなくなります。自己暗示は恐ろしいのです。まして、権威ある研究者から「がんばらなくていい」と言われれば、高齢者の活動を封じることになります。活動を封じれば、彼らの活力は一気に衰退します。「がんばらなくていい」という助言は有害極まりないのです。
 さらに、高齢者は現役時代にがんばったのだから、引退後は「がんばらなくていい」という助言は高齢者を過去の存在に貶めます。この時から、高齢者は心理的に「世の無用人」(藤沢周平)に転落するのです。
 助言者の多くが未だ現役の研究者ですから、助言者自身は壮健で、老い衰えて行く両親などを見て哀れみや不安を感じるということが錯覚の原因だと思います。しかし、高齢者の「生きる力」を研究しようとする者は生涯現役を続けている壮健な高齢者をこそモデルにして発言すべきだと思います。
 人生は連続しています。「生きる力」も連続しています。老いの過程は、当然、若い時代の発達の過程と色々な点で連続しています。人間の生きる力の保持・存続の方法において老いも若きも異なるはずはないのです。
 少年の場合、現に今、発達途上にあるので、「生きる力」を育むためには、相当の努力と精進がいることは誰も疑いません。これに対して熟年の場合は、すでにこれまで「生きて来た実績」があるためその力を維持することに安易で、楽観的になりがちではないでしょうか?衰えを抑制するために 相当の努力と精進がいることは当然なのです。「青雲の志」に精進がいるように、「生涯現役」にも精進は不可欠なのです。

1 個別でしかも細かい助言が多すぎますー「読み、書き、体操、ボランティア」だけでいいのです

 執筆に際して多数の健康増進や病気予防の参考書を読みました。第1の感想はどの本も助言の数が多すぎるということです。しかも、多くの助言は細か過ぎます。
 これは育児書などと共通の傾向で読者に迷いと混乱をもたらします。専門家は自分の分野で知り得た知識を最大限世間に伝達したいとお考えなのでしょうが、情報や知識も食い物と同じで多すぎれば消化不良や下痢を起こします。多過ぎて何を選んでいいか分からなくなるのは情報社会の最大の悩みです。何十もの助言を並べられても一般人は何が一番大事なのかは分からず、何から始めるかについても戸惑うばかりです。
 中には100の助言を並べた本もありますが、どういうつもりなのでしょうか!私たちは「健康学」を学ぶために生きているのではありません。元気に生きて、それぞれの活動を続けたいと思っているだけです。活動が自己実現に繋がればそれ以上望むことはないのです。
 生涯現役・介護予防の原則は「読み、書き、体操、ボランティア」の4つで十分です。4つだけでいいのです。これだけでも実際に日々の暮らしに組み込んで続けて行くのは決して簡単ではありません。継続は力なり、と言いますが、継続には努力が必要で、高齢者のがんばりが不可欠です。「がんばらない健康法」とか「だれでもできる健康法」などという本がありますが、安易にできる健康法などある分けがありません。健康を守るためには子どもに勉強しろというように、高齢者にも勉強して下さいと言わなければならないのです。まして、老後の活力を維持し、健康寿命を保つためには、子どもに自己鍛錬を頑張れと言うように、高齢者にも日々の健康実践をがんばれと言わなければならないのです。高齢者の医療費や介護費が国の財政を食いつぶそうとしている今、熟年期の安楽志向の暮らし方が活力維持の最大の敵なのです。高齢社会の医療費や介護費の高騰は単に「老人の増加」に原因があるのではありません。「何もしない老人」や「安楽だけを追い求める老人」の増加に主たる原因があるのです

2 学ばない人は滅びます

 生き物の基本は健康と体力です。熟年期はますますその重要度が増します。しかし、考えて見て下さい。健康を維持し、体力を鍛える判断や方法は頭が決定します。子どもに対しては保護者や教育者が指示・督励しなければなりませんが、高齢者は自分で判断し、自分で決定するのです。
 人間行動のあり方を決定するのは頭です。日本人は「心にしみる」、「胸を焦がす」とか感情や思いは胸にあるように表現して来ましたが、「心にしみる」のも「胸を焦がす」のも頭の働きです。
 脳生理学や精神医学によれば、精神も心の持ち方も頭の働きだと分っています。人生のすべてを判断するのはあなたの頭です。健康の維持も、活力の向上もあなたの頭があなた自身に養生やトレーニングを指示するのです。指示が間違っていれば、養生やトレーニングに失敗します。それゆえ、学ばない人は自分自身に適切な指示を出すことに失敗しがちです。学ばない人は滅びる、という所以です。
 高齢期に不可避的に衰えるのは肉体であって、頭は必ずしも同じようには衰えません。頭を鍛えるには勉強を続けるしかありません。簡単にいえば「読み書き」を続けるということです。あなたは自分の老後をどう生きたいのか、決めるのはあなたの頭です。「学ぶ」とは「何をしたいのか」、「どう生きたいのか」、「どんな風に暮らすのか」を自分で決めることです。あらゆる人生の問題の解決には必ず「学ぶこと」が必要です。「読み、書き」はその基本です。

3 「読み、書き」の意味

 第1に、筆者の提案する「読み書き」は頭のトレーニングです。「話す」を付け加えても構いませんが、「読み書き」の方がはるかに高度な能力を要求し、「負荷」が大きいのです。それだけ頭の働きを支えるのです。頭が働かなくなれば、人生の計画は全て頓挫します。
「読む」ことさえ続けていれば、健康に関する情報にも、養生に関する情報にも行きあたることでしょう。詩歌の音読などを混ぜれば、それだけで認知症予防です。また、はがきや手紙や日記など「書く」ことさえ止めなければ、人々との交信は続きます。交信は社交の原点でもあります。日々書いていれば、「自分史」なども可能になるでしょう.毎日何かを書いている人からは認知症も退散するでしょう。「日記」や「自分史」を書いている方が認知症になったなどということは聞いたことがありません。情報化時代ですからインターネットのやり取りなども当然読み書きに含まれます。「読み書き」能力を維持することが情報の収集、知識の探求、社交の基本条件です。「ぼけない」原点でもあります。

4 「体操」の効用-健康と頭の若さの秘訣です

 第2の体操は体力・持久力・集中力、食欲、気力、気晴らしの原点です。頭の若さを保つ秘訣でもあります。毎日習慣的に身体を動かすことが大切です。近年のアメリカの研究では「運動」こそが頭を若く保つ方法だと言われています。毎日定期的な運動を欠かさない人の認知症の発生率は運動をしない人の半分だという研究結果も発表されています。やり方は自由です。ただし、頻度は重要です。毎日続けることが大事です。好きなことをするのがポイントです。人間、気に入らないことは長続きしません。
 筆者は好きな音楽のリズムに併せて、朝夕、自己流のエアロビックスを踊り、犬たちと一緒に「早歩きの散歩」を欠かさぬように努めています。動けなることは避けたいものです。認知症も何とか避けたいものです。認識能力を失い、判断能力を失い、子どもや孫の顔も分からなくなるのは、人生の最大の不幸です。

5 「ボランティア」の効用-人と繋がり、生き甲斐に繋がります

 第3に、ボランティアは高齢者の活力と志を社会的に表現できる舞台です。ボランティアの本旨は他者支援、社会貢献の活動ですが、結果は自分に返って来ます。高齢期を充実させる恐らく唯一の生き甲斐や健康の方法でもあります。それゆえ、「自分のためのボランティア」(*)なのです。読み・書き・体操を通して維持している活力を発揮する舞台がボランティアです。もちろん。自営業のように年齢に関わりなく職業に従事できる人は年をとっても是非続けるべきです。職業こそが社会があなたを必要とし、あなたが社会に貢献できる役割だからです。しかし、人生80年時代、多くの職業には定年のきまりがあります。誰でも一定の年齢になれば、後進に道を譲り労働から身を引くことになっています。それゆえ、職業以外で、あなたが他者や社会に貢献し、世の中から必要とされる舞台はボランティアしかないのです。
 労働やボランティアが心身の健康にいいのは、社会との関わりがあなたの若さと活力を保っているからです。職業の継続もボランティアの実践もかならず頭を使い、身体を使い、気を使います。社会参画ですからかならず活動の過程で生涯教育や学習の機会をもたらします。当然、交流も社交も含まれ、言葉を使う機会もふんだんにあることでしょう。
 生涯現役とは、「社会と繋がって、現に今、役割や責任を果たしつつある」という意味です。それゆえ、高齢期の職業の継続やボランティアの実践こそが「生涯現役」の生き方です。
 さらに、ボランティアは他者貢献であり、社会貢献ですから、活動に参加している高齢者は人々の感謝や賞讃の対象になり、かならず「居甲斐」や「やり甲斐」に出会います。
 これらの条件が相俟って健康維持に役立つのです。高齢者のボランティア活動は天晴れというに留まらず、健康維持の上からも満点だと言っていいでしょう。惜しむらくは日本の政治や行政に高齢者のボランティアを重視する姿勢が乏しく、高齢者の日常にボランティアを推奨し、支援し、顕彰する予算や仕組みや舞台がほとんど存在していません。当面は個々人の努力で発掘して行くしかないのです。

(*) 拙著、自分のためのボランティア、学文社、2010年

6 答は自分で探すのですー書物の中に答はありません

 全ての答はあなたご自身の中にあります。書物の中にはありません。もちろん、本書もあなたがお探しの答ではありません。自分で見つけようと思った時に答が見つかり、力が出ます。読み書き体操はその時の武器です。武器が必要なのは、老後は「衰弱」との戦いだからです。人はそれぞれ置かれた条件が違います。老後はますますその違いが際立ちます。「戦い方」は自分で見つけるしかないのです。
 人生は、人に探してもらった答で生きることはできません。結論は自分で出すのです。だからこそ日々の読み書きの習慣が大事なのです。
 ただし、人間は「人の間」で暮らしているのですから、社会と切れたらお仕舞いです。単身生活者の研究をしている方が「人慣れ」するコツは「参加慣れ」すること(*)だと指摘していましたが、納得です。「参加慣れ」とは「活動に参加することに慣れなさい」という意味です。活動があなたを孤立や孤独から守り、活力を維持し、老後の元気を保つのです。もちろん、活動の種類も中身も頻度もやり方もあなたご自身が決めるのです。答は自分で探すのです。

(*)石川由紀、なぜか誰も教えない60歳からの幸せの条件-「家族」にも「蓄え」にも頼らない日常術。情報センター出版局、2004年、p.209

7 「暮らしの姿勢」が問題です
-お元気だから活動するのではありません。活動しているからお元気なのです。

 少年の場合も、高齢者の場合も、あらゆる「発達」や「退化」の問題は、発生現象上、個別・部分的に現れます。足が弱ったとか腰が痛いとか記憶力が衰えたとか、という具合です。しかし、その原因や影響源を辿って行くと、常に日々の生活全体のあり方に関わっています。すなわち、心身のほとんどの故障は、回り回って「暮らしの姿勢」が原因だと言うことです。
 ここで「姿勢」とは「考え方」とその「実践」の両方を意味します。考え方とは、もちろん、「健康志向」の態度や、「人生に対する前向きの発想」を意味します。そして「健康志向」にしても、「前向きの発想」にしても、これらの言葉には、未来の「目標」が含まれ、「やってみたい」、「行ってみたい」、「見てみたい」、「会ってみたい」、「なってみたい」、「もってみたい」など自らの「あこがれ」と「欲求」が連結しています。特に、「前向き」の姿勢と言った場合には、「わくわくする」、「ぞくぞくする」、「がんばるぞ」、「待ち遠しい」、「楽しみにしている」、「いいだろうな」、「ゆめを見ます」などの感情も含まれています。
 また、前向きの「実践」とは、目標実現のための「計画」や「努力」のことです。やって見なければ望みは適いません。「未来志向・前向き」の考えを実現するためには、目標に向って実生活で具体的に動き出すことが不可欠です。どんなに素晴らしい考えも実行に移さなければ「絵に描いた餅」だということです。
 このように未来に対する「前向き」の考え方を持ち、具体的な目的とその実現を目指して、当面の目標に向かって動き出せば、頭も身体も気も使うので、動くことによって心身の機能が活性化します。すなわち、「前向きの考え方」によって日々の実践が鼓舞され、また、実践によって「考え方」がより具体的で鮮明になって行きます。換言すれば、人間は「暮らしの姿勢」如何で心身が元気になったり、活力を失ったりするということです。
 佐藤富雄氏は「口癖理論」と称する自己暗示の方法を提唱して、自分自身に言い聞かせながら前向きの姿勢を維持することを提唱しています。(*)自己暗示とは、フランスのエミール・クエという人物がクエイズムという自己暗示法によって心理療法を行っていたことが起源の一つです。心理学では自己催眠とも言います。自分で、自分を その気にさせる方法と言っていいでしょう。「もう、年だ」と思いこめば、段々年寄りになり、「がんばらなくていいんだ」と思えば、段々がんばれなくなるということです。人間は自分が思っているようになるものなのです。
 筆者自身は受験生のように室内の壁や窓に自分が目標とする成果や日々の心がけを墨書して張り出しています。
 目立つところに張っているので、標語は毎日見ます。時には、声に出して読んだりもします。恐らく佐藤氏の言う「口癖理論」に通じていると思います。「標語」を張り出すことで、自分の暮らし方のリズムや日々の目標を再確認、再々確認できているのです。もちろん、時々、体調などによって生活リズムは脱線しますが、大きく脱線しないのは、「標語効果」であろうと思っています。こうしたやり方は、標語自己暗示法と呼んでいいのかも知れません。

* 佐藤富雄、「定年する脳しない脳」、Nanaブックス、2009年、pp.104~105

8 人間の生活を分けて考えたら健康の答は出ません

 現代の日本は「分業思考」の結果、子どもの教育や高齢者の老衰を総合的・全体的に考えることができなくなっていると常々指摘して来ました。「分業思考」とは部分思考であり、対症思考と言ってもいいでしょう。現象的に現れている問題だけに対応しようとする姿勢です。部分に囚われる原因は、疑いなく、行政のタテ割り分業や学問の分業化・専門分化の弊害だと思います。
 例えば、なぜ保育と教育を統合できないのでしょうか?すぐに統合できない理由があるのなら、なぜ保育に教育プログラムを入れないのでしょうか?発達期の幼少年を指導した経験の在る人なら「お守り」も「しつけ」も同時にやらなければならないことは自明でしょう。現場に立ってみれば、総合的な「保教育」による発達支援の必要は瞬時に分かることですが、日本の行政は分からず、その周りにいる専門家も「分業思考」の故に見えなくなっているか、あるいは敢えて見ようとしていないのです。それが行政や学問の「たこ壷化」と呼ばれる現象です。
 高齢者問題も同じ「たこ壷」にはまっています。なぜ保健指導と生涯教育を同時平行的にやらないのでしょうか、誠に理解に苦しみます。福祉分野のプログラムを拝見していると、人々の暮らし方にほとんど関係のない、単純・単発で、部分的なリハビリ体操、ロコトレ、脳トレなど介護予防のためと称する数多くのプログラムが行なわれています。
 「ロコトレ」は衰えた運動機能だけに注目し、認知症予防は退化する頭の働きだけを取り出して、部分的な対処法が取られます。生活の実態を離れた「ロコトレ」や「脳トレ」ゲームの多くが、単発・単純・お遊びに近い対処法に終わっているのは高齢者の暮らしの全体を考えていないためです。こうした部分プログラムの全部が無駄であるとは言いませんが、部分的なアプローチや対症療法的トレーニングで高齢期の老衰を抑制することはできません。
 高齢者の健康や活力を維持するためには、彼らの生きる姿勢や暮らし方の全部を「未来志向」・「健康志向」に変えなければなりません。急激な老衰の原因は「暮らし方」にあるからです。高齢者の暮らし方を見ないで、高齢者の健康を増進することはできません。人間全体を見ず、対症療法のプログラムを提供しても、高齢者の「暮らし方」は変わりません。お元気だから活動するのではありません。活動しているからお元気なのです。

9 自分のやりたいことを見つけることが健康寿命の処方です

 民間放送教育協会に所属する33局の制作者が「年を重ねるとは何か」、「自分は何者か」という問いを自分自身に投げかけながら、各地の「様々な人生の軌跡」を取材したものが1冊の本になりました(*)。取材対象は長生きして活動している人が多かったのですが、ドキュメントの総括的結論は「やりたいことはまだまだある」ということになりました。象徴的です。「やりたいことがいっぱいあるので」、未だ生きていたい、未だ死にたくないという意味でしょう。
 活動している人はお元気で、お元気な人は未だ人生に目標があるのです。人生観や好みの問題も関係するでしょうが、「やりたいことのある人」は生に執着するということです。逆に、無欲な人はあっさりと逝ってしまうかというと、現代の社会福祉のシステムでは、そうは問屋が卸さないでしょう。お元気を保って「やりたいことはまだまだある」というのは天晴れな生き方なのです。
 ここでもまた、お元気だから活動するのではありません。活動しているからお元気なのです。

(*)民間放送教育協会編、やりたいことはまだまだある、PHP、2005年

10 「生活習慣病」-「暮らしの姿勢」が病気の原因を作っているという意味です

 「暮らしの姿勢」とは、「考え方」と「日常習慣」のことです。それゆえ、「暮らしの姿勢」を変えるとは、「考え方」を変え、「日常習慣」を変えるということです。高齢者の老衰や病気のほとんどは生活習慣が原因かあるいは生活習慣が引き金になって起るというのが医学書や健康指南書の例外無き指摘です。
 中でも、「習慣」とは、食事、運動、睡眠、活動、休息など日常・毎日の行動パターンのことです。行動パターンとは「毎日やっていること」の意味ですから、改善を目指すにせよ、予防を目指すにせよ、「毎日やっていること」を変えるためには、「頻度」と「学習(教育)」が最大の問題です。
 健康の維持に関して、「頻度」と「学習(教育)」の目標は、適度の「運動」、適切な「食事」、適度の「活動」、適度の「休養」、適度の「楽しみ」、孤立しない「社交」などでしょう。決して簡単ではりません。これらが実現できなければ、生活習慣病の原因となる肥満、運動不足、アンバランスな食事、過労、過剰なストレス孤独、引き蘢りなどの健康危機をもたらします。健康増進の目標と対策法は「まいにちやっていること」の「改善」なのです。
 それゆえ、現今の健康プログラムの最大の問題は教育実習が不足し、その「頻度」は致命的に不足しています。結果的に、当人に自覚を促し、意識を変革し、日々の「暮らし方」を「改善」するにはほど遠い、ということです。
 現今のプログラムの多くは個別問題対応型で、当人の「考え方」や日々の「暮らし方」そのものを変えるというところに重点を置いていません。それ故、健康知識つまみ食いの講義だけに終始したり、実習や実践プログラムの場合もトレーニングの頻度が全く足りないのです。年に1-2回とか集中的に2-3日だけとか月に一度程度の介護予防ゲームや遊びで対象者の生活のあり方や考え方を変えることなどできる筈はないのです。もちろん、本人の「介護予防」意識は確立せず、生活習慣の改善が不十分に終わることは明らかです。
 この種の活動は「木を見て森を見ていない」という現象ですが、助長しているのは介護予防等に専門的に関わっている人々の発想が専門分化し過ぎているためです。分業の「タコつぼ」にはまっているのです。佐藤万成氏は研究者でかつ臨床医ですが「人体のインフラは血管」であると指摘しています。その血管を若く保つのに最も大敵なのが上記に上げたような運動不足やそれに伴う肥満、過剰なストレス、過剰な喫煙や塩分の摂取、アンバランスな食事などの生活習慣だと言うのです(*)。このような暮らし方を改善して、生活習慣を変えない限り病気の原因と隣り合わせということになるでしょう。「不適切な生活習慣こそが万病の素」と言って過言ではないのだろうと思います。

(*)佐藤万成、遅老遅死のススメ、日本文芸社、平成16年、p.64

11  ボケればお仕舞い―司令塔は「頭」です

 頭がだめになれば誰でも「自分の人生」を失います。とりわけ、高齢者にとって「ぼけ」は致命傷です。ぼけとは認知症の一般的表現です。2004年から正式に「認知症」になりました。認知症は後天的な脳の障害です。いったん正常に発達した知能が何らかの理由でその働きを失う状態をいいます。

 ボケたら人生を失うというのは、頭が生活の司令塔だからです。頭は自己実現のレフリーであり、生きる力の「作戦中枢」であり、人間という複雑な行動体系を機能させる「統合参謀本部」です。健康維持も、社交の展開も、趣味・教養・ボランティアなどの活動もすべて頭の判断と指示によって可能になります。貝原益軒先生はこのことを江戸時代に実に分かり易く「心は身体の主人であり」、「身体は心の家来である」と説明しています。それゆえ、心を静かにして、身体を動かせば飲食は滞らず、血も気もよく体内を回って病気になることはない、というのです(*1)。
 「生きる力」の開発や維持には暮らしの戦略が肝要であり、プログラムが不可欠であり、情報収集と分析が欠かせません。健康の大敵は「無知」である(*2)、という指摘を読みましたが、まさに有益な情報が簡単に手に入るのに勉強しない高齢者は無知故に自分の健康を損ねている場合が多いのです。
何が大事かを学ぶことも、学んだことを基に健康戦略を立てることも全て「頭」が司ることです。高齢者の健康維持政策は生涯教育政策と一体的に運営されなければならない理由がここにあります。
 まだ「頭」のトレーニングが進んでいない子どもには大人が指示して人生の目的や目標や日々の暮らし方を指導します。しかし、高齢者は独立独歩の人生を歩いて来た成人ですから、自分のことは自分で決めるのが原則です。それゆえ、老衰防止の最大課題は、高齢者の自覚と学習です。頭もまた筋肉や関節と同じように、意識して毎日トレーニングを続けることが大切です。
 外出を止めれば、外へ出ることが億劫になり、ひとに会うことが疲れにつながり、社交が停滞します。読むことを止めれば段々読むことが苦痛になり、書くことを止めたら書けことが億劫になります。話さない人は話せなくなり、声を出さない人は声が出なくなるのです。学ばなければ学べなくなるのです。
 頭の働きが急激に衰えるのは、頭を鍛えない日常の「暮らし方」にあるのです。健康を維持するためにも、充実した人生を送るためにも、頭がボケたら司令塔を失い、人生はお仕舞いになるということを理解することが重要です。だから「読み、書き」なのです。

 
(*1)貝原益軒、松宮光伸訳注、口語養生訓、日本評論社、2000年、p.15
(*2) 佐藤富雄、人生100年時代の生き方健康学、産業能率大学、出版部、p.29-33

世間のルールの適用
-井関にこにこクラブの夏-

 山口県山口市井関の子どもの指導で「新しい課題」は順調にできるようになりつつあります。朗唱も身体運動も、英語でさえ順調です。問題は算数や国語のようなすでに何年も経過している教科が課題です。基礎基本を理解しないまま時間が過ぎてしまった子どもが何人かいます。個別に対応するしか方法がありませんが、学童保育では親の選択で、習い事やスポーツ少年団に抜けてしまう子どもがたくさんいるので、継続指導は極めて難しいのです。
 それゆえ、われわれはアプローチを学校と逆にしています。逆のアプローチとは「世間のルールを適用する」ということです。われわれの指導法に子どもが慣れてくれば、後に個別指導を導入した時、効果が一気に出ると期待しているのですが、未だ確信は持てず、効果は未知数です。

1 遅れは自分で取戻せ

 我々の指導は年齢のちがいを考慮しません。井関の指導は学校教育のルールではなく、世間のルールを採用しています。学年別・年齢別のプログラムや指導方法の区別はしていません。当然、進度の違いも考慮しません。「自分で追いついて来い」ということを原則にしています。それゆえ、下級生は追いつくのに必死です。家で練習をする子も出て来ました。だから、事実、追いつくのです。
 世間には、学年別の取り扱いや年齢別課題は存在せず、上級生と一緒のスピードで歩かない子どもは「遊び」には入れてもらえず、「釣り」には連れて行ってもらえないのです。

2 男女の区別は基本的にしません

 子ども時代だからこそ、意識的に男女の区別はしません。身体運動で多少の差は出ますが、子ども時代に男女差はほとんど意識する必要はありません。家庭で培われた「女の子意識」を粉砕し、「わんぱくでもいい逞しく育って欲しい」という粗野な「男の子意識」をつぶします。これが出来れば、一気に女子の身体能力は向上し、男子の礼節も向上します。身体能力と礼節が「学ぶ構え」を創ります。

3 個別事情を言い訳にさせない

 第3に、これが最も重要な視点ですが、個々の子どもの個別事情は考慮しません。好き嫌いを考慮せず、得手不得手も考慮しません。健康状態を除けば、当日の気分も考慮しません。鍛錬の目的や必要性に付いて、子どもの意見を聞かず、子どもに主張をさせません。プログラムの選択の自由も与えません。通常、世間では与えられる課題は選べないからです。世間とはそういうものだ、と教え、人生もそういうものだと教えます。子どもは気分屋で、わがままですが、世間にわがままは通じず、世間は個別事情を考慮しないと教えます。そうした状況を普通にこなして行くことが無意識の耐性の陶冶に繋がります。子どもは「きつい」筈ですが、「きつさ」を感じさせないのが指導者の腕です。そのためには、日々の子どもの進化を認め、努力を讃えて喜ばし、課題の「負荷」を徐々に上げて行きます。指導者に認められたいと子どもが思うようになれば、一気に練習の効果が現れます。「負荷」を上げて行っても、子どもが挑戦を止めなければ、それもまた指導者の腕というものです。

4 配慮はするが、特別の存在とは認めない

 しょうがい児には、しょうがいの程度に応じて配慮をします。特別扱いをするということです。しかし、何でも自分の言い分が通る特別の存在とは認めません。どんな形であれ、プログラムに参加することを強制します。学校教育におけるしょうがい児は普段から特別の教員も付いて手厚く遇されているので自分は特別な存在であると思いがちです。それがちょっとした気分でわがままに転じます。しかし、世間でわがままや特別意識を出せば、生きることが難しくなるでしょう。以前に比べれば、世間も幾分やさしくなっていますが、それでも世間に「特別支援学級」は存在せず、特別支援教師もいません。それゆえ、我々もしょうがいには配慮するが、特別存在としては認めないということを教えます。先ずはおしめを取ることから教えなければならないと思っています。

国際結婚の社会学
異文化の中の死と愛

 次女が亡くなったのはおよそ35年前のことです。さっきまで母のお腹を元気に蹴っていた子が1時間後に死んで生まれて来るのは誠に辛い体験でした。次女の死は「胎盤剥離」でした。その日は妻の出産予定日で日曜でした。妻にとっては復活祭の日曜日でした。国際結婚の日々を分析しながら死と愛について文化的な対処のしかたの違いを語ろうとすると、このような私的なことから語り始めなければならないことをあらためて自覚しました。亡妻が「国際結婚の社会学」など書くのは止めなさいといったのはこういうことだったのかと脳天気の自分は今ごろになって気付いているのです。

おはな

生まれて来る子は女と決めて
おはなと付けた

生まれて来た子は髪黒々と
今度はなぜか私に似てた

病院の夜明は長廊下
私は人生の暗い穴を覗いた

生まれて来た子は息をしなかった
おはな、おはなと甲斐なく呼んだ
長い廊下が寒かった

復活祭の日曜は金色の朝日輝いて
辛うじて妻だけ取戻した

1 「死産の子は母に抱かせない」

 なぜ病院は異常を訴えて入院を希望した妻を土曜日に返したのだろう。担当医がゴルフに行っていたというのは本当だろうか。なぜ異常を訴える臨月の患者がいるのを知りながら、自分の留守を日本語も英語も話せない外国人の医師に任せたのだろう。なぜ、看護婦長も留守番の医師も帝王切開のような緊急措置を取らなかったのだろう。今でも振り返ると腹が立ち、いろいろ疑問はあるのですが、娘が戻って来るわけではありません。妻と私は泣くだけ泣いてすべてを忘れることにしました。詰問した私に院長が見苦しく震えていたのを憶えています。
 死産であったと告げられた妻は死んだ子を抱いて別れを告げたいと切望しました。しかし、病院は「母親の精神の安定を守るため」それは絶対に出来ないと規則を楯に頑強に突っぱねました。我々と病院の間で長い「押し問答」が続きました。
 もちろん、筆者は当時の日本のすべての病院の産婦人科にそのような規則があったかどうかを調べたわけではありません。また、アメリカの病院の産婦人科に同じような規則があるのかどうかも調べたわけではありません。
 長い時間が過ぎましたが、筆者にとっては、学問のためとは言え、あの日に戻って調べ直す事自体が辛いので、自分の直観で分析する事になります。ただし、埼玉県のこの病院には確かにそういう規則がありました。
 あの時「精神の安定」とか「死者との別れ方」は文化が決めるものだと気付いたのです。
 妻に病院側の規則と考え方を説明すると、案の定、怒り狂いました。自分の生んだ子に別れを告げる事が出来ない、抱くことも出来ないとはどういう事か、というのです。私ももっともだと思い、できるだけ冷静に病院側と交渉しました。
 不幸にも娘は死んで生まれ、その上、娘には会わせてもらえず、別れをつげることも出来ないというのでは、そちらの方が気が狂うと言って妻は泣きました。私は妻の性情を良く知っていましたから、「子別れの式」をした方が妻は落ち着く筈だと確信していました。しかし、病院側は、死産の子を母に抱かせる事は無責任で、母に重大な精神的負荷をかけることになるという説明を繰り返すだけでした。
 婦長では埒が明かないので、当直の事務方の責任者を呼んで、妻の身に何が起こっても、私たちが全ての責任を負うこと、必要なら自分が書面で誓約書を書くことなどを条件に赤ん坊を妻の手にひと時だけでいいから抱かせてやってくれと頼みました。
 院長に連絡が取れないので仕方のないことだったのでしょうが、彼らは後事を恐れて徹頭徹尾官僚主義的でした。「自分たちは日本の母が後々別れの辛さに耐えられない事実を何度も見ているのだ」、と主張し、規則一辺倒の返事しか出来ませんでした。
 私は、「妻は日本の母ではない」。「異なった文化で育った女である」と主張しました。本人が納得できる子どもとの別れをさせなければ、それこそが彼女を精神的に追いつめるのだと説明しました。彼らは全く聴く耳を持ちませんでした。
 そうなると最後の手段です。国際結婚を守るために喧嘩早くなっていた私は、妻の予定日に不在となった当番医の無責任な対応を責め、言葉の通じない外国人の医者を当直に残したことを責め、病院側の数々の不手際を数え上げて、訴訟も辞さないと脅しました。簡単でした。
 赤ん坊は直ぐ妻の手に戻されました。私も抱かせてもらって別れを言いました。
 妻は死んだ子を抱いて何やら話しかけ、何やらつぶやくように歌っていました。その姿は母の原形のようで不信心の筆者にも神々しかったことを覚えています。婦長の心配をよそに1時間ほど抱いた後、妻は涙を拭いて我が子をふたたび婦長の手に委ねました。妻はすっかり落ち着き、あの子は日本人の血が濃いねというようなことを言っていました。以後、何事もなく、妻はこの時の心情はほとんど語らないままあの世に行きました。今ごろ、再会はできたでしょうかね。

2 「一心同体の愛」-「所有の愛」

 「所有の愛」というような表現が適切かどうかは分かりませんが、病院の心配の裏側には、日本の母は赤ちゃんと一心同体とでも呼ぶべき心情的絆が存在するということでしょう。それゆえ、赤ちゃんが亡くなるということは、自分の一部が死ぬということになるのかも知れません。それは日本の母にとって耐えられない喪失感であり、病院はそのことを心配していたのだと思いあたります。一心同体の愛とは赤ちゃんが母に心身ともに帰属しているという心理的な感情があるということです。
 アメリカではほとんど聞くことのない「親子心中」などもそうした「一体感情」がもたらす親の最終選択ではないかとかねがね考えていました。
 親子心中のニュースに触れるたびに、「あれは殺人だと思わない」と妻は私に聞いたものでした。日本人の親の子に対する愛は、よくいえば「一心同体の愛」、悪くいえば「所有の愛」だと思います。「所有している」から一緒に死ねるのだと。
 我が子は別人格で、別の存在だと思えば、「親子心中」は客観的には「殺人」にならざるを得ないと思いますが、私を含めて多くの日本人は親子心中を心情的に殺人だとは思わないでしょう。山本周五郎の「赤ひげ」などを読んでいても、同情の声はあっても非難の声は大きくないことに気付きます。親子、特に母子は心情的に一体であり、不幸のどん底に我が子を残して行くに忍びないということでしょう。
 親子心中が心情的に受入れられる文化では、母子分離は極めて難しいことになる筈です。亡くなった子どもとの別れも難しくなるのでしょう。病院側の心配の原点はそこにあったのではないかと思います。
 日本の子育ての母子関係において、子離れが難しいのも、親離れが問題になるのも心情的に一体化している母と子を分離することが難しいということの現れです。
 妻の切望の故に、筆者はこの問題を巡って病院と言い争いましたが、その当時でも、病院側の日本の母の心理状態に対する心配は当たっているだろうと直感的に思っていました。また、「死んだ子は母に抱かせない」という規則の妥当性も一般論としては何となく分かる気がしました。
 しかし、同時に、アメリカ人は違うと思い、妻の場合は全く病院が心配しているようにはならないという確信がありました。それは人間の個別存在を認めた「個人」の概念の理解の違いであり、母子は別人格の、別存在であるという妻の発想への確信でした。
 アメリカ人の母にも当然、似たような母子一体の愛の感情はあるでしょうが、個人が屹立している文化では、「一体感」は抑制されています。我が子といえども他者であり、その他者を愛するが故に、「一心同体」化したり、愛の故に我が子を所有し、最悪の場合には「親子心中」にまで行くということはほとんど起こり得ないのです。
 亡くなったのは子どもであり、どんなに哀しくても、一緒に死ぬほどに自分と子どもを同一視することはしないのです。個人が個別に存在するという原点は妻の中で崩れていないと確信していました。
 心情的に冷酷に聞こえることを恐れますが、人権論や個人主義の視点に立てば、子どもの死はあくまでも他者の死であり、別の個人の死です。個人を原点とすれば、無理心中は「殺人」になるのです。それゆえ、「母に死産の子を抱かせるかどうかの問題」は人権や個人主義に根ざす視点であり、文化の問題だと思います。
 病院と妻との発想のちがいは、「個人」の概念をどう理解するか、「個の独立性」の問題であると思いました。
 あれから35年、個人概念や人権概念が浸透した現代の日本では、恐らく悲しみの中の若い母にも死産の子を抱かせるようになったのではないかと想像しています。これもまた、筆者が現代の病院を調べたわけではないのですが・・・。

3 「所有の子育て」

 病院側が心配した母子の強烈な一体感は、後々「子育て」の親子関係に連動して行きます。「親子心中」が象徴する「所有の愛」は「所有の子育て」に繋がります。モンスター・ペアレンツから嫁姑問題にまで繋がります。
 男女共同参画を勉強した時、母子一体感情こそが嫁姑の確執を現代に引きずっている元凶であると確信を持ちました。
 もちろん、「嫁」といい、「姑」といい、両者の争いの核心は制度上・慣習上の「家」に起因しています。しかし、見逃してはならない心理的要因があります。それが日本の母の子育てです。子宝の風土における子どもは「宝」であり、「宝」を守ろうとする母子関係は親子密着です。母子密着は母子一体の感情に起因しています。母子一体にせよ、母子密着にせよ、緊密な母子関係は母に独特の子育て心理を植え付けます。それを「所有の子育て」と呼んでみました。
 法の上では、嫁を抑圧する主要原因と考えられて来た「家制度」が改正され、半世紀以上が経ちました。結婚は「両性の合意」によるという考えも人々の間に広く浸透しています。それにもかかわらず「嫁姑」問題は延々と続いているのです。確執の原因は「家制度」の慣習上の残存だけではないということです。また、結婚は「両性の合意」によるという個人を重視した婚姻の制度の確立も両者の確執の解消にはなっていないということです。
 図書館の本棚を見ても、インターネットの「嫁姑問題」の検索をしても、両者の様々な確執とそれに対する助言が並んでいます。中には反感や憎悪を丸出しにした両者の言葉がならんでいます。姑の息子に対する愛情やいらだちが時に異常であるように、妻の夫に対するいらだちも異常に感じます。息子であり夫である男は両者に挟まれて“うろたえ”、“逃げ腰”であるのも特徴的です。
 嫁と姑が感情的・心理的に対立する背景には、「家」の観念の残存に加えて、母による「息子の育て方」があると思います。息子であり夫である男が“逃げ腰”になるのも、息子は母に所有され、夫として明確に妻を選択できないからです。
 もちろん、嫁と姑という二人の個人が対立する背景には、世代間の生き方の違い、価値観の違いも関係があるでしょう。息子に対する母の過大評価ということもあるでしょう。しかし、そうした副次的要因はどの文化にも、どの風土にもある事です。
 それゆえ、筆者は、外国と最も特徴的に異なっている「子宝の風土の子育て」に着目してきました。これまで日本人の養育行動の「特性」に関しては、いろいろな表現で言われて来ました。「過保護の子育て」、「近すぎる母子の距離」、「母子密着の子育て」、「母原病」、「家を前提とした子育て」などが一例です。
 これらの特性に共通で、最も特徴的なことは、母が息子(子ども)を心理的に所有している(と思っている)ことです。嫁姑の対立を調べて行くと、嫁の存在に対する姑の恐怖と被害者意識に辿り着きます。被害者意識の発生理由は、母の側の「息子の所有」意識です。それも「占有的所有」意識です。日本文化において、母が子どもを(特に男の子を)情緒的に所有してしまう養育行動が「所有の子育て」です。この「所有意識」こそ、新しく息子の妻となった「嫁」によって侵害されるという恐れを抱かざるを得ない背景です。

4 「息子はくれてやる」

「子どもを所有する」ということの明確な証拠は出せませんが、乳幼児期の「母子密着」は傍証の一つでしょう。母の「子宝」に対する献身と保護の感情も傍証の一つかも知れません。先の「親子心中」への心情的共感なども傍証の一つでしょう。また、男の子(特に長男)に対する差別的な特別扱いや思い入れも、母の所有感を増幅していると思います。男の子を産んだ誉れが母に帰属することは伝統が認めている感性です。
 上記のような子育て慣習を通して、母が息子を心理的に所有し続けているという仮説が正しいとすれば、姑の嫁に対する被害者意識の説明が出来ます。一言で言えば、嫁の到来によって、母による息子の「占有」が犯されるということです。特に長男については家制度観念との関わりで、母の息子に対する「所有」の感覚が極めて高いのです。「家」に帰属した母はやがて「家の主人」となる息子を家と同一視します。同一視とは、家を見るように息子を見るということです。自分が守って来た「家」も、その家を守ることになるであろう息子も自らの人生の「証」になるのです。母はその証を他所から来た女に勝手にさせるわけには行かないのです。母にとって「家」も、「息子」も自身の一部であり、延長なのです。どんなにいい嫁であっても、よそ者は自分の「家」にも、「息子」にも帰属させないのです。当然、帰属しないものを受け入れるわけには行きません。
 若い世代の「核家族」の選択も、「ばば抜き」の要望も嫁の側からの古い「家」との訣別宣言であったことは言うまでもありませんが、妻の側からの「個人主義」の独立宣言であったと考えればもっと分かり易いのではないでしょうか。
 しかし、姑から独立した筈の新しい母もまた自分の息子を所有し続けるとすれば、母の息子への呪縛は続くのです。嫁姑の問題に、主体的で、断固たる息子が登場する事は極めて少ないのはそのためです。息子は母に所有され、基本的にマザコンです。息子の多くは、妻をかばって母に「妻のやり方に干渉しないで!」とは言えません。多くの母は「子離れ」が出来ず、妻に傾いた息子を恨み、自分と息子との仲を裂いた嫁を憎みます。
 この時、母に所有されて来た息子は情に流されて、母の嘆きには勝てません。母を捨てて妻の側につくことができないのはそのためです。彼は彼で、結婚後ですらも「親離れ」が出来ていないのです。母は息子を所有し、息子は中途半端に、妻と家と母の3者に帰属しているのです。嫁姑の確執が解けないのも当然ということです。どんな参考書を読んでも、嫁姑問題には抜本的な解決策は存在せず、気持ちのもち方が書かれているだけで、気休め程度の参考にしかなりません。当事者の溜飲を下げるために、読みたい所だけを読み、聞きたい所だけを聞くのが関の山です。お互いの悪口はどの本にも、インターネットにも山ほど出ているのでどうぞご参照下さい。両者の争いを緩和するためには母が「家」を捨てるか、息子を別の女に「くれてやる」しかないのです。
 死んだ子を抱いて別れを告げた妻はかねがね言っていました。息子は息子の恋人に熨斗をつけてもらってもらうのだと。そして事実、彼女は言った通りに実行しました。
 アメリカに嫁姑問題がないのは、アメリカの母が息子を所有していないからだと思います。愛していても、「所有」していなければ、他者に譲るのはそれほど難しいことではないでしょう。個人主義にとって他者の人格は独立しています。子どもの人格も独立しています。それゆえ、子どもの選択も独立しています。息子(娘)をよその女(男)に「くれてやること」もそれほど難しいことではなかった筈です。成人した子ども達は今、そうした母をどんな風に思い出すのでしょうか。

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

山口県長門市 林 義高 様

 相変わらずディスクジョッキーがんばっておられることと存じます。井関の発表会に是非お出かけ下さい。放送のネタを差し上げることができると思います。お心遣いありがとうございました。

佐賀県佐賀市 城野真澄 様

 お世話になりました。あなたのエネルギ-に感服しております。次は90分講演にして下さい。2時間講演は身の程知らずである、と翌日に思い知りました。「がんばらなければならないが、がんばり過ぎてはならない」が高齢者のルールであろうと思います。

山口県下関市 田中隆子 様

 男女共同参画に関する批判のメールを興味深く読ませていただきました。筋肉文化が作り上げてきた男の論理とその中で甘えて来た女の論理が綯い交ぜになっていて現状が良く分るような気がします。先日、福岡県遠賀町で男女共同参画の講演をいたしました。参加者の中に「NPO学童保育協会」の理事さんやその支持者の議員さんがいました。学童保育に教育プログラムを入れるべきであるという運動が全国的に広がりつつあるそうです。いよいよ「私事」として、家庭や女性に押し付けられて来た子育てが「社会の養育機能」であるべきだと考えられるようになりつつあります。これが実現すれば、特別の施策を打たなくても男中心の筋肉文化は中核から崩れて行くでしょう。しかし、そうした動きに抵抗しているのは、学童保育の女性指導員だそうですから事は簡単ではないのです。

150号 お知らせ

1 第122回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin井関
 山口の皆さんと協議の結果、山口市井関の「井関元気塾公開発表会」は-8月の移動フォーラムを兼ねることになりました。

日程:平成24年8月18日(土)
10:30-12:30
場所:井関にこにこクラブ(山口市立井関小学校内多目的教室)、〒754-1277 山口市阿知須1639番地、井関小学校内
(1) 朗唱の部
(2) 身体能力・体力向上の部
(3) 読解力向上の部
(4) 自律学習・学力向上の部 

参加申し込み先:事前申し込みが必要です。定員50名
井関にこにこクラブ
電話/ファックス:0836-65-1570(14:00以降にお願いします。)
Mail: 上野敦子 様 ajisusya@c-able.ne.jp
編集後記
暗い夜

 わが居間には天井に3つの照明があり、フロアに3本のランプが立っている。南と北の窓に向って使い分けている机が1つずつある。机にも1つずつランプがある。節電の夏に相済まぬ事ながら、世間から取り残されて心が暗い夜は全部の灯りを灯す。居間は昼のように明るくなるが未だ心は暗い。憂愁舞い降りても語るべき人は遠い。こういう時はサミュエル・ウルマンの詩を大声で朗誦する。

・・年を重ねただけで人は老いない。

理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが、

情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、

こういうものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、

精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう・・

 失望と不安に苛まれるとエネルギーが枯渇する。ウルマンの言葉にも関わらず、年を重ねただけで人は簡単に老いるのではないか、と思ったりする。明日は農夫のように庭の草を刈ろう。しかし、修行僧のような深刻な顔はしまい。深刻な顔は深刻な心を生み、明るい顔は明るい心を生む。自己暗示の心理学はこのような日のためにあるのだ。
 通常の生活で頭は確かに「司令塔」であるが、危機的な状況では霊長類ヒト科の動物に戻ってお日様や自然にふれなければ大地の霊感は取りいれるすべはない。今年の7月はそのような夏を運んできた。

「風の便り 」(第150号)

発行日:平成24年6月
発行者 三浦清一郎

「指導せずに指導し、教えずに教える」教育法
-自分のできないことを子どもにどう教えるか-

 山口市で行った第120回移動フォーラムで筆者と九女大大島まな准教授が井関小学校内に設置された学童保育の指導の現状とその背景を報告しました。交流会が終わったその夜、同室の飯塚市の森本前教育長を聞き手に、問わず語り、寝物語に井関での興奮禁じ得ない体験を喋りまくりました。
 筆者は井関で指導員の皆さんに「教えようとするな」、「指導を忘れろ」、「子ども自身ができるようになる方法を見つけるのだ!」「あなた方は跳び箱も跳べず、とんぼ返りもできない」、「今年の夏は自分の出来ない事を子どもに教えるのだ」と言い続けています。なぜなら、私を始め中年に達した女性指導員にも、そもそも身体能力をやってみせる能力がほとんどないからです。自分のできないことを子どもにどう教えるか、ということは、要は、「指導せずに指導し、教えずに教える」教育法です。
 「それは一言で言うとどんな日本語になるのでしょうかね」、と森本さんから尋ねられ、一瞬絶句しました。筆者が行っている井関での指導法を一言で言えば、どういう教育用語がふさわしいのか、一晩中夢でうなされ、翌朝目覚めてホテルの用箋に「集団的水路付け指導法」と書きました。以下は、その中身です。

1 怯懦を退け、安易を振り捨て自分の限界に挑戦せよ

 齢70を過ぎ、すでに筆者は跳び箱も跳べず、逆立ちもママならず、ブリッジもできません。半日指導しただけで身体の節々が痛み、翌日は草臥れ果てて、半日寝ている始末です。もう小生には、やって見せて教えることはできないのです。これまで筆者は一貫して、率先垂範、師弟同行で指導して来ました。年をとってからも朗唱や英語や教科教育であれば、全てやって見せ、「こんな風にやるのだ」、「こんな風に書き、こんな風に言うのだ」、「私の後をついてやって見なさい」という教え方をしています。
 しかし、今回の身体能力の訓練はそうは行きません。率先垂範の指導原則が老いの身の前に音立てて崩れ落ちたということです。筆者が今、井関の子ども達に語っている(怒鳴っている)のはつづめて言えば「怖がるな」、「逃げるな」、「君ならできる」、「行け!行け!行け!」、「いいぞ、いいぞ!」、「やれ!!やれ!!やれ!!」ということです。気合いを入れて、怯懦を退け、安易を振り捨て自分の限界に挑戦せよ、と叫んでいるのです。子どもは筆者の気を感得して、跳び箱に向かって行きます。それゆえ、個々の身体運動を具体的に指導しているわけではなく、具体的な指導ができるわけもありません。当然、子ども個々人に技術を教えているのでもありません。

2 「達成目標」を与える

 筆者は先ず、子どもに到達すべき目標を示します。「目標」は、やさしいものから難しいものへ、時には逆に難しいものからやさしいものへ難易度を調節しながら、挑戦させ、超えるべき壁の高さを分らせます。
 次に、「君ならできる」、「もうすこしだ」、「そう、それでいい!」と叫んでいます。教育学的に解釈すれば、「君の内在する力を自分で引き出し」、「君ができないと思っていることに挑め」と叱咤激励しているのです。 
 跳び箱でも、マット運動でも、持久走でも、カルタ取りでも子どもが出来そうな目標を設定し、子ども自身に取組ませ、それができたら、少し難易度を上げます。また、時には、子どもの到底できそうもないことを初めに与えて、「とても歯が立たない」と認めさせた上で一気に歯の立つレベルまで落し、「これではどうだ」と成功体験を与えます。「これだったら軽いや」と子どもが食いついたら、少しずつレベルを上げて難しいものに向かわせます。どちらの場合も、与えられた目標を「クリアする」成功体験をもとに子ども自身がより難易度の高い目標に挑戦するよう仕向けて行きます。こうして「目標に向かって子どもを仕向けて行く過程」が「水路付け」です。個々を具体的に、指導していませんが、総合的には間違いなく指導しており、個々には教えていませんが、全体の環境の中では確実に教えているのです。

3 「人を喜ばせること」は「喜び」です

 社会的規範の枠の中で行動するとき、人間にとって自分の存在が人を喜ばせることは喜びです。子どもは単純で明快ですから、他者の喜びがもろに影響します。人を喜ばせることによって自分の存在が明確になり、存在感、達成感、有用感、必要感などに繋がって行きます。
 「母さん、見て見て!」というのは「喜んで」という意味です。
 逆に、自分に対して人が不快感や無関心を表明することは、自分が疎まれることですから、自分の存在を喜ぶことには繋がりません。相手が喜ばないことは、自己の存在の否定的認識に繋がります。大人でもそうですから、自己の行為が、親や指導者に喜んでもらえない時、自己の存在感の希薄な子どもは一層自己を否定的に感じる筈です。人を喜ばせることは喜びであるという前提に立てば、指導者が喜んで見せることは極めて重要な指導法なのです。もちろん、反対に、指導上受入れ難い子どもの特定の態度・行動に対して、叱ったり、怒ったりすることも同じように重要です。
 水路付けの要諦は、「歓迎される態度や行動」と「歓迎されざる態度や行動」を子どもに分からせ、その方向に子どもを導いて行くことです。
 喜びも怒りも明確であれば、子どもはすぐに「進むべき水路」を発見します。ここで「発見します」と書きましたが、事実は指導者によって「発見させられる」のです。筆者の形相や怒鳴り声に近年の教育学で指導を受けて来た若い指導員は大いに批判的であったと聞きましたが、さもありなんと思います。しかし、彼らには自分の背丈ほどの跳び箱を跳ばすことはできないのです。
 指導者が喜べば、子どもは自らの存在感、達成感、有用感、必要感などのために、指導者の喜ぶ方向に自分の行動を修正し、指導者が怒れば、怒りの対象となった態度や行動を自ら修正して行きます。指導しなくても子どもの行動は修正され得るのです。換言すれば、一定の状況の中で、子どもは自分のなすべき役割を見つけて行くのです。ミード(G.H.MEAD)は、このプロセスを特別他者(*1)を喜ばせるための「役割取得」と名付け、子どものしつけや社会化の重要なメカニズムであると説明しています。
 自分がこのように振る舞えば指導者が喜ぶということを子どもに分らせることが指導の第1歩であり、向上への「水路付け」です。それゆえ、指導者はどういう時に喜びを表し、どういう時に不快や怒りを表すか、子どもに明確に分るように行動しなければなりません。具体的に教えることなく教え、指導せずに指導を続ける第1歩です。

(*) 「特別他者」とは、世間・社会など第3者の総体を表す「一般的他者(Generalized Others)」に相対立する概念です。個人的で親しく自分の利害に深く関係する人々を指しています。英語はSignificant Othersと言います。

4 集団を捕まえる

 1年から6年までの異学年の保育集団では、個人指導はほとんどしませんが、その代わり、設定したプログラムへの参加不参加の例外を許さず集団をもって目標に挑戦させます。「集団を捕まえる」とは「全員に同じことをさせる」ということです。もちろん、保育集団の中には、運動の嫌いな子も、苦手な子も、シャイで声のでない子も、人前に立つことが嫌いな子もいます。それでも、あたかも個人の事情など存在しないかのように、指導者は全員に同じことを要求します。出来ても出来なくても同じことをさせます。当然、逆らう子も、ふざける子も、真面目にやろうとしない子も出ます。その時が指導者の勝負時です。上述の通り、集団全体を大声で怒鳴り上げて「歓迎される態度や行動」と「歓迎されざる態度や行動」を子どもに分からせ、その方向に子どもを導いて行きます。個々の子どもの欲求も、子どもの意見も、子どもの主体性も決して認めてはなりません。
 指導者の気迫と賞讃と威嚇によって、全員が指導者の指示通りに動くようになると「集団圧力」(*)が発生します。集団圧力とはみんなが一致して物事に取組む時に生まれる「集団をまとめる力」を言います。具体的には、「みんなそうしている」ので「自分だけがしないわけには行かない」という心理的な「適応」や「負い目」や「強制される」気分です。町内会の一斉清掃に似ています。
 最初は、目標を提示しても当然多くの子どもが怖じ気づき、失敗します。それでも、挑戦しないことは許しません。指導者は目標に向かって行くものを大声で賞讃します。集団に対して「怯懦を退け、安易を振り捨て自分の限界に挑戦せよ」という趣旨のことを大声で叫び続けます。トレーニングの過程で目標はクリアできるように設定していますから、その内かならず誰かができるようになります。必ずしも上級生とは限りません。次からその「誰か」を先生あるいいはモデルにします。指導者は、「だれだれ君、すごい!!」、「だれだれ君のやり方をよく見なさい」、「だれだれ君のやるようにやりなさい」、「だれだれ君に続け」、「ほら、できたろう」と叫べばいいのです。この時最も重要なのは指導者による「承認」と「賞讃」による激励です。学年別、年齢別の学校教育の指導に慣れた現代では、抵抗があるかも知れませんが、跳び箱も、側転も、逆立ちも、ブリッジも学年、年齢に関係なく、保育集団全体を指導します。
上級生と下級生が同じ跳び箱を跳ぶようになります。もちろん、段を高くして行くに連れて、下級生は脱落して行きますが、中には最後まで食いついて行く1年生や2年生がいて驚かされます。「みんなする」から「ぼくもする」のです。朗唱も同じです。時に、下級生の方が集団への適応とプログラムの吸収が早いので驚かされます。これが「同調行動」(*)です。「水路付け」とは、指導者が設定した集団の目標に向かって集団の構成員を同調させることであると言ってもいいでしょう。

(*)普通、「集団圧力」への「同調」というように使います。他のみんなに合わせるという意味です。集団指導の場合は、集団が設定する標準や期待に沿って、構成員が他者と同一ないし類似の行動をとることを意味します。流行なども同調現象の一種であると考えていいでしょう。

5 「機能快」を保障する-「承認」と「賞讃」

 「機能快」とはやっていることが楽しく、快感を感じるという意味です。人間にとってその持てる機能を発揮することは「快感」なのだということを発見したのはドイツの心理学者カールビューラーです。人間の機能は使われることを望んでいるというのです。 
 目標がクリアできるとやっていることが楽しくなります。この時、「興味・関心」と「承認」の関係がひっくり返ります。初めはそれほど興味の持てないことでも、褒められると嬉しくなり、「やっていること」に興味を持つようになります。
「やっていること」が楽しくなると、ますます張り切って集中するので、さらに褒められることになります。勝つことを味合わせ、できる事を拍手を持って承認すれば、子どもの熱中が高まります。
 初めは、中身が面白いのは先生が褒めてくれて、先生も喜んでいるからですが、次に自分が中身に興味を持つとさらに楽しくなり、さらに先生が褒めて下さることになるのです。難易度を上げて、「課題」が克服できるようになれば「やった!」という「快感」はさらに大きくなり、次の目標への挑戦に繋がって行くのです。「機能快」を実感すれば子どもは自分で学び始めます。
 集団の中には、かならずプログラムに合わない子どもがいます。身体を動かすことが好きでない子どもの中には、不幸にして過去の体験の中で身体機能を十分に発揮する機会に恵まれなかった子どもです。朗唱や歌唱のような表現活動についても同じことが言えます。彼はその分野の「機能快」を経験したことがないと言うことです。そうした子どもには「機能快」を味合わせるところから始めます。

6 向上の欲求と闘争本能

 人間にはより良く生きたいという欲求があり、相手より優りたいという闘争本能があります。個人の闘争本能をむき出しにすると「自己中」になる副作用が大きいことが心配ですが、集団間で挑戦させ、競争させると副作用が軽減できます。
 誰もがどこかで脚光を浴び、勝者になることができるよう配慮することも向上の欲求と闘争本能を満足させる指導者の務めです。それゆえ、出来る子どもには彼らの誉れとして、「ハンディ」をつけたり、より「大きな負荷」をかけます。もちろん、どう繕っても最後は「自分との競争」、「自分との戦い」になるので記録会・発表会は不可欠です。
 人間の闘争本能は、「向上の欲求」を生みます。子どもを競わせると、どの子にも仲間より上手になりたいという「向上欲求」が目覚めます。目標をクリアし、出来なかったことは出来るようになりたいのです。友だちより早く、仲間より上手くなりたいのです。しかも、彼らの努力と成果は指導者や世間の拍手によって承認してもらいたいのです。それゆえ、心理学は「社会的承認の欲求」と呼んでいます。通常、子ども達の挑戦は、第3者に認められることが不可欠で、単なる自己満足ではだめなのです。「社会的」に承認するとはそういう意味です。
 子どもに「機能快」を体験させ、併せて社会的承認を与えると彼らの姿勢が一変することが分かります。機能快を保障するには、できる事から始め、出来たことの一つ一つを世間の前で明快に承認してやることです。井関にこにこクラブの指導にとって、発表会が不可欠なのは社会的承認の舞台が必要だということです。
 子どもに向上の欲求があり、闘争本能があり、競争が大好きなのに、しかも、世間に出れば生存競争の修羅があることを知りながら、運動会の徒競走の順位付けを否定するなどこの国の教育界は何と愚かなことを続けて来たことでしょう。
 子どもが跳び箱を跳び切った時、筆者はありったけの声を振り絞って、「この子が一番!」と叫び、一年生では「この子が一番!2年生より先にできた!」と「ほめごろし」のように褒め上げ、握手を求め、「ハイタッチ」を繰り返します。
 その子の破顔一笑、輝く顔をご想像下さい。もちろん、その時も集団を壊さないように細心の注意をします。「あの子に続け」と叫び、「列を崩すな」、「ゆけ!ゆけ!やれ!」と叫びます。モデルを得た集団はモデルを目標にして闘争心に燃えて全速力で突っ走って行きます。「みんなそうする」から「ぼくもそうする」のです。
 障害のある子も自分の能力の範囲で集団の圧力に押されて挑戦します。障害のある子ですら挑戦すれば、障害のない子が挑戦しない理由が消滅し、全員が背水の陣を敷き、目標に向かって行き、ほぼ全員がそれぞれの能力の最大域に達します。井関にこにこクラブは1年-6年を一緒に練習させるので身体運動の場合、常識的には、下級生の能力を超えた挑戦を要求します。当然、最後まで目標をクリアできない子どもも残りますが、彼らにはハードルを下げて成功体験を保障します。しかし、中には最大限の力を発揮して時に上級生を驚かせる下級生もいます。しかし、朗唱などでは上級生に全く引けは取りません。上級生が「友あり遠方より来たる、また楽しからずや」と言えば、一年生が「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と応えます。

7  型から入り、型の美しさを教える

 型は言語の基本であり、礼節の基本であり、人間関係の基本であり、社会生活の基本です。人間行動の型はおよそ基本の形が決っていますから、そこへ子どもを誘導する順序と方法も最初から決っています。それゆえ、型は水路付け指導法の「水路」にあたると言っても間違いではありません。型を教えることは水路付けをすることです。唯一の問題は「型通り」に流れることを避けなければならないという一点です。
集団の指導は礼節の型から教えます。これなら、年をとった筆者にも範を示すことができます。「気を付け」も、「お辞儀」も、「挨拶」の文言もおざなりに型をなぞっただけでは美しい型は身に付きません。武道の修行と同じように型には意味があり、型は美しく教えなければなりません。しかし、型に馴染んでいない子どもは何が美しい型なのかは分かりません。指導者がやって見せ、喜んで見せるしか分からせる方法はないのです。礼節は人々が気持ちよく暮らすための人類の知恵ですから、人が喜んでくれればそれは礼節に適っているということです。指導者が喜んで見せるということはそれが礼節に適っているという証になるのです。
 礼節は基本的に社会的動物にだけ存在します。もちろん、人間が最も複雑な礼節を有し、人間だけが礼節の意味を意識しています。その意味では、整列も、行進も、お辞儀や挨拶も他の動物は意識的に演じることはできません。整列、行進、お辞儀、挨拶など子どもが社会生活の基本の型に従う時、すでにその先のプログラムの指導の半分はできたと思って間違いありません。礼節を重んじない環境で子どもの指導は極めて難しいということです。現代の学校で、授業や学級が崩壊しているのは子どもの欲求と人権を混同し、子どもの個性と勝手気ままを区別することなく野放しにしているからです。現代の教育現場は、家庭から学校まで、子どもにものごとを学ぶ基本の礼節や指導者への尊敬の型を教えそこなったということなのです。

8 「教えずに教える」時の指導者の役割

 第1に、集団を統率するため指導者は尊敬されなければなりません。子どもに尊敬されるためには初めから「尊敬の型」を教えることです。整列、挨拶、お辞儀などから始めます。もちろん、尊敬の型を教えるとはかならずしも実質を意味しません。「尊敬の型」が「実質的尊敬」に変わるかどうかは、指導を始めた後の指導者の資質によります。
 第2に、指導者は子どもの「できるところ」を判断し、「機能快」を動機付けなければなりません。やさしいところから始めても、難しいところから始めてもいいのですが、子どもには「負荷」が必要です。やさしすぎれば「舐めて」しまい、逆に難しすぎれば「投げて」しまいます。ほんの少しだけ努力が必要な課題から与え、徐々に難易度を上げて、「負荷」の高い課題に挑戦させて行きます。努力して勝ち取ったものは賞讃と承認によって「機能快」に転化します。
 第3に、指導者は賞讃と承認を演じ切らねばなりません。「できるところ」から始めれば子どもは「最初からできる」筈です。子どもが課題を達成できたら指導者は子どもの成功を何度でも喜んで見せることが不可欠です。自分の行為によって他者が喜ぶということは自分の喜びになるからです。
 第4に、子どもの努力は大声で褒めます。子どもが分かるように嬉しそうに褒めます。子どもが出来たらあたかも自分が出来たかのように飛び跳ねてみせるのです。
 第5に、具体的な指導が可能な場合には、「挑戦」を鼓舞し、「改善点」を指摘し、「進歩」を賞讃し、「成果」を褒めます。
 第6に、褒め方は「今の誰々君を見たか!」というように他の人々の注意を促して、その子どもにスポットライトを当てて褒めます。
 第7に、子どもの努力や改善の妨げとなることは例外なく叱ります。可能な限り、叱責は「人」ではなく、「行為」を叱ります。

国際結婚の社会学⑥ テーマソングはMoon River

1 「家」の観念への挑戦-国際結婚は冒険と挑戦

 あらゆる結婚は冒険の性格を有し、知らない者同士が一緒に暮らすという賭けの要素を持っていると思います。国際結婚は疑いなく冒険と挑戦ですが、今になって思うと挑戦の対象は「家」制度であり、法的な意味がなくなった後でも残存した「家」の観念だったと思います。
日本の「家」の観念は、本家-分家、長男・跡取り、個人よりも家同士の結婚、その後の嫁-姑関係、先祖代々の墓に至るまで、筆者の頃は未だ強固に残っていました。大げさになりますが、国際結婚は「家」と戦うことを覚悟しない限り全うすることは難しいと思います。少なくとも、私の時代には簡単に行きませんでした。
 言葉のちがい、文化のちがい、生い立ちの背景となった環境のちがいなど国際結婚は挑戦的課題に事欠きません。私たちはその程度のことは自覚していたので、当時流行っていた「ムーンリバー」をテーマソングに選び、「世界に見たいものは山ほどあるから(There’s such a lot of things to see)」「おまえの行く所はどこへでも行くさ(Wherever you’re going, I’m going)」と歌いながらの人生の1歩を踏み出しました。
 国際結婚は、その時の二人の組み合わせ、時代の雰囲気、家族の歴史と状況如何で大いに適応の条件が異なるので、一概に成功するための5W1Hの行動基準を提示することはできません。私たちの場合も、人生の岐路となり、分かれ道での判断は文字通りの挑戦になり、賭けになりました。
 小生がアメリカで出会った後輩の女子学生との結婚を決意し、日本の父に知らせたことは、図らずも日米の両親を東西文化と歴史の葛藤に巻き込みました。特に、敗戦国の、家制度の中にあった私の父は私の結婚によって文化的に辛い立場に立たされました。太平洋戦争の被害者は親族のいたるところにいました。逆に、妻の親族には、日米戦争の直接的な被害者はいませんでした。第2次世界大戦時の兵士は全員ヨーロッパ戦線に行っていました。
 両方の家族が私たちの結婚を巡って、それぞれに揺れました。気持ちよく祝ってもらうことはむりだと判断し、結局、私たちは、私の勤務先の西ヴァージニアと妻の勤務先の北キャロライナの中間のメリーランド州のカンバーランド市で落ち合い、そこの市役所で二人だけの結婚式を挙げました。
 日本の父は、開明的で、話の分る人だからと妻には楽観的な見通しを話していましたが、実際は、父も私たちも「家」の観念との戦いをせざるを得ませんでした。
 小生の結婚の意志を知らせた便りから長い時間を経て、「幸せに暮らせ、自分は息子を一人亡くしたと思うことにした。ただし、ふたたび故国の土を踏むな」という主旨の簡単な便りが届きました。
 学生時代以来、閉鎖的で、退屈な地元を離れ、北海道やアメリカの自由な空気を吸って来た私は当時の関東の田舎の文化を忘れていたのでしょう。最初から決定的な判断ミスで、父の苦境を十分に想像することはできなかったと恐れます。

2 「戦う意志」がなければ国際結婚をしてはならない

 2年目のアメリカは、働く挑戦の機会を与えられ、職探しや面接の試練も潜り抜け、職も得て自分で生計が立てられるようになっていたので、度胸も着いていました。私たちは心情的にムーンリバーに歌われる「夢見る漂流者」だと考えていたので、二人で力を合わせれば何だってできるさと楽観していました。ところが最初の関門で「国に帰って来るな」という厳しい拒絶に合いました。帰国を許さないと言うのは、法律的にできることではありませんが、心情的には一族と縁を切る「勘当」に等しい仕打ちです。日本の反応は予想外でしたが、今思うと、父が反応したのではなく、「家」が反応したのだと思います。私は本家の長男で、跡取りでした。 当時の私は未熟だったので、「家」の掟にまで気が回らず、「何と頑迷固陋な日本か」と「怒り」の方が遥かに大きなものでした。国際結婚を前にして、閉鎖的な地域文化とそのしきたりが正体を現した、と感じました。以後もろもろの困難が続きましたが、「戦う意志」がなければ国際結婚をしてはならないと思いました。国際結婚に限ったことではないでしょうが、人生の重大な岐路は自分で決めて、自分で実行するしかないのです。

3 「家」と戦う戦略は「家」を捨てることです

 「家」の壁に思い至らなかった私は、日本の皆さんに迷惑をかけないようにすれば、支持してくれなくても、黙認くらいはしてくれるだろうと考えていました。しかし、父の便りで当方の日本認識があまりにも甘かったことが判明します。借金を申し込むとか、就職の世話を頼むとか、しばらく家においてくれとか、具体的な面倒を持ち込まなくても、当時の地方文化にとって、国際結婚は、理念的、情緒的、美的に許し難い「悪」だったのです。意識していたかどうかは別として、判断の基準は「家」の観念だった筈です。
 夫を「うちの人」と呼び、妻を「家内」と呼ぶ日本の「家」や「一族」の観念は「内」と「外」を峻別します。これまで書いて来たように「外人」は「外の人」であり、時に、赤鬼・青鬼伝説のように「人間の外」に置かれます。日本の家族観が、社会の最外円に位置するアメリカ人を嫁として受け入れるはずはなかったのです。国際結婚の最大の敵は、恐らく「家」や「一族」の感覚です。なかんずく長男の国際結婚は親族のあらゆる儀式のあり方に重大な影響を与えます。神事でも仏事でも、あらゆる冠婚葬祭の場で「本家」の長男の隣りにアメリカ人の女が座っている図を想像するだけで、親戚中が怖気を振るい、迷惑と恥辱の感情に苛まれたであろうことは家制度が怒っているということです。それゆえ、新憲法下で家制度が崩壊し、観念的にもほぼ消滅している現在では国際結婚に対する文化的障壁は比べ物にならぬくらい小さくなっていると思います。
 あとで薄々分ることですが、故郷では長男で跡を取るべき馬鹿息子の非常識な振る舞いが怨嗟のまととなり、父がその矢面に立たされたようです。明治生まれながらおやじは開明的で、息子には物わかりの良い先達でしたが、自分を取り巻く、文化風土や人間関係の中で、つい20年前まで「敵国」であったアメリカの娘をわが家の長男の嫁に迎えることを「別にいいでないか」と主張することはできなかったのだと思います。父のジレンマは家制度とのジレンマであったに違いないのです。
 短い便りの行間から明らかに父以外の親族が猛反発していることはが読み取れました。我が一族もまた、アメリカ人にあったことも話したこともない方々が圧倒的に多かったことは当時の一般の日本人と同じだったでしょう。私は家を捨てようと決めました。これが最も効果的な戦略でした。

4 アメリカの性悪女-閉鎖社会の身びいき

 これも後で聞くことでしたが、大学院まで行かせて好き放題にさせて来た馬鹿息子が、これほど愚かなことをしでかすのは、アメリカの性悪女にだまされたにちがいないというような陰口も聞かれたということでした。我が一族に、本家の長男で国際結婚を選ぶような不心得者がいるとは思えぬので、悪いのは相手の方だと考えたのでしょう。妻こそいい迷惑でした。
 このような解釈は、典型的な「内向き文化」の「身びいき」です。一族に受入れられぬ恋愛は、身内を庇って、相手を性悪女や性悪男にするというのは、後に私の二人の学生にも起ったことなので日本の家族の認識パターンの常道であることは社会学的に想像できます。それにしても、父が哀れで、自分は「親不孝だな」と思いましたが、怒りは我が一族の田舎者ぶりにぶつけました。小さな町を出たことのないわが継母にいたっては小生が一族に汚名を着せたと受け取ったのでしょうか、怒りと恥とでしばらく実家へ帰ってしまっていたと、これも後で聞いたことでした。
 「いつか志を果たしてこの川を渡る(I’m crossing you in style someday)」というムーンリバーの決意は我が決意になりました。小生は戦闘的になり、「お言葉ながら、かならず国へ帰ります、自分たちのとことは自分たちで始末しますので、みな様にはご迷惑はおかけいたしません」、『故国の土を踏むな』とは法律上もお門違いです」、と苦しんでいたであろう父に書き送りました。「言わずもがな」のことを言ったと反省しています。
 わが妻がアメリカ人であることが気に食わないと言うのなら、こっちから親族を訪問して縁を切るという手紙も出しました。以来日本との文通は途絶えました。出発点から当時の国際結婚は冒険と挑戦だったのです。一族がかっかして熱くなっているところへ帰国するのでは、起こさなくても済むトラブルを起こすことになるだろうと考え、アメリカ勤務で溜めたなけなしの貯金をはたいて、一年をヨーロッパで暮らすことにしました。しかし、それでもまだ、小生は能天気でした。自分たちの結婚が多少の混乱や不満を引き起こしても、後で聞くほどの騒ぎになっているとはつゆ知りませんでした。我々二人は、ドイツのゲーテ協会に登録して、フライブルグのそばの小さな村のの靴屋さんに下宿してドイツ語を学んだり、合間にヒッチハイクを楽しんだり、列車でヨーロッパ各国を旅して回っていました。見るべき世界は無尽蔵で、故郷の親族の思惑などはどうでも良くなっていました。

5 適応と服従-戦いと忍従の使い分け

 日本に帰って初めて、異国の女を自国へ連れ帰って一緒に暮らすということは自分にとっては、「家」との戦いのみならず、自国との戦いなのだとようやく気がつき、覚悟も決まりました。一族の問題は、確かに「家」の問題でしたが、一般日本人との関係は「外人差別」と次号に書く「島国根性」の問題でした。
 帰国後、未だ日本語の全く分らなかった妻を連れて主要な親族を周り、妻の存在が気に入らないと言うのならこっちから縁を切らせていただきますと、感情を抑えて礼儀正しく言って歩きました。
 以後、楽しいこと、嬉しいこと、日本人に助けてもらったことなどいいことも沢山ありましたが、日本における国際結婚の生活の基調は「戦い」でした。買い物から祭り見物まで、匿名の二人になって群集に溶け込むことは難しいことでした。何をするにもどこかから「絡む」奴が出て来て、静かな買い物も街の散歩も難しい日本でした。博物館でも美術館でも子どもや若者がまとわりついて後を追って来ました。礼儀正しく、紳士的なだけでは外国人の妻や混血の子ども達を守ることなど到底できない日本文化でした。国際結婚は自分でも気付かなかったわが内なる性格を引き出しました。アメリカでは喜んで適応し、ある意味では服従し、明るく慣習や文化に馴染みましたが、自国の文化や慣習の一部には大いに反発して自衛するようになって行きました。
 国際結婚の結果、私は喧嘩早い、気短かで、好戦的な人間になったような気がします。事実、役所の窓口でも、学校でも、祭りや町中のショッピングでも、妻や子ども達を巡るたくさんの争いごとに巻き込まれ、小さいながらも攻撃的な喧嘩を一杯してきました。妻はアメリカにいたときの私と日本に帰ってからの私が二重人格者のように表現や振る舞いが違うと言っていましたが、そうだったのでしょう。私はいつも身構えて暮らしていたように思います。
 そんな私を可哀想に思ったのか、言語から立ち居振るまい、納豆から銭湯に至るまで妻の方が日本文化への適応と服従に懸命の努力をしました。アメリカにいる時の主体的な彼女と違って、日本での妻は決して表に立とうとはせず、控えめに立ち居振る舞い、言論を用いず、不満や愚痴を飲み込み、何時もにこにこ笑っていました。私もまた、アメリカにいる時の彼女と日本に暮らす時の彼女の落差に戸惑ったものです。混血の子ども達を守るためには、日本人以上に日本人になることが必要だと考えたに違いないと、今になって思い当たることが多くあります。異文化間コミュニケーションとは適応と服従、戦いと忍従を使い分けることです。国際交流における「表現のダブルスタンダード」や異文化間コミュニケーションにおける戦いと忍従の駆け引きは小規模・原形の形で異文化で暮らす国際結婚家族から発生しているのです。

選択社会の宿命

 第31回生涯教育実践研究交流会の最後は「無縁社会を突破する方法はあるか」というテーマで、人々の自助、共助、公助を組み合わせて、公民館を運営して来られた二人の館長さんに登壇していただくインタビュー・ダイアローグでした。
 筆者の司会は「失敗」でした。館長さん達が工夫された様々な仕掛けが、結果的に、無縁社会に立ち向かう有効な武器になり得るという視点を会場に十分提示できませんでした。また、会場からの質問も「無縁社会」すなわち「選択社会」の宿命を理解しない的外れのものが多く、それらを上手に捌くことができませんでした。

1 自由選択社会の本質

 無縁社会は自由を前提とし、自己責任を前提とし、自己都合を優先し、「私に構わないで」を原則とした「選択社会」です。それゆえ、「私に構わないで」を裏返せば、「あなたにも構わない」からということになるのです。「無縁」は「非干渉」であり、自由選択の裏側は「無関心」です。
 自由社会とは個人の選択が最大限に許される社会のことです。換言すれば、個人の主体性と欲求の実現を最大限に保障しようとする社会です。それゆえ、自由な社会は我々が選び取った社会です。無縁社会が自由社会の裏側であるとすれば、無縁社会もまた我々が選びとった社会なのです。
 自己都合優先の選択権を個人が有する犯すべからざる権利であるとしたのが、一般的な「人権」概念です。個人情報保護法も教育における個性主義も、人権概念を基礎として構築され、個人の主体的な選択が一番大事であると言っているのです。
 このとき社会システムや公民館のような特定の機関が選択肢(メニュー)を提示しても、それを「選択しない」、或いは「選択したくない」とする人がいた場合、選択社会では「選択しない自由」もまた権利であり、人権であるということになります。自ら自己破壊的な選択肢を選ぶ人を止めることはできないということであり、それもまた選択社会では自己責任ということになるのです。
 福祉行政がセイフティ・ネットを張っても、公民館が地域共助のプログラムを実行しても、選択するか、否かは個人が決定します。個人の主体性や個性の発現を「人権」に置き換えた社会では、選択を誤った者や、選択しようとしない頑固者は滅ぶ運命を選択したということになるのです。

2 選択社会の光と影

 社会生活のあらゆる点で自立して自己の人生目標を追求している人々にとって、「選択社会」は素晴らしい社会です。誰にも干渉を受けず、邪魔されることなく、自己実現に邁進できることは人類の理想であったと言ってもいいでしょう。しかし、ひとたび自立の能力を失い、病気になったり、孤立したりした場合、選択社会は自己責任でやりなさい、と迫ります。これ迄好きなように暮らして来て、困ったときだけ「助け下さい」というのは許されない社会です。自由社会では、あなたも他者の干渉を拒否したのですから、他者も同じことをしているのです。自己都合優先の社会では、みんなが自己都合を優先するので、「誰も構ってくれない」、「誰も助けてくれない」冷たい社会にならざるを得ないのです。それゆえ、「選択社会」の裏側を「無縁社会」と呼ぶようになったのです。人間関係における自由とは、礼儀正しい「非干渉」、自分のことに集中する「無関心」、自己責任を規範とする「冷淡」の裏側なのです。

3 自由を主張しておいて、システムに救済を期待することはできません

 会場からは「自立の能力を失った孤立者に対し、公民館はどんな手を打ったのか」、という質問が相次ぎました。お二人の公民館長さんは、「やれることを全部やった上で、なおかつ公民館を選択しない人々を救う手だてはない」と突っぱねるべきだったと思います。逆に、質問者に対しては「公民館にどういう手だてがあるとお考えでしょうか」と問題を投げ返すべきでした。会場の民生委員さんからは自分たちは個別に対応して成功しているという発言がありましたが、数の上から見て成功例は例外中の例外でしょう。現状では公民館にも既存の地域にも個別対応の能力はないと思った方が正確でしょう。それが「無縁社会」だからです。
 自由を最大限に保障した選択社会において、「選択しない人々」を救う方法は存在しないのです。ホームレスの人々に冬の食事とシェルターを提供するプログラムがもてはやされましたが、公民館のような公的施設がそれをすべきかどうかは議論の余地があるところであり、どこ迄やるべきかは大いに議論のあるところでしょう。仮に、救済を必要とする個人が、システムの欠陥によって生み出されたという「格差社会」の責任論の総論的分析が正しいとしてもその救済を公民館の任務として背負わせるのは酷というものです。個人の失敗の大部分は「選択社会」の宿命です。ましてや、「個人情報保護法」のような「私に干渉しないで」という法律を決めておいて、「困ったときはお互いに助け合いましょう」という地域の共助を期待するのは無理というものです。金もない、人もいない公民館に「公民館を選択しない人々」を救う力は存在しないのです。
  自由な選択社会において、「この指とまれ」と指を上げて、その指にとまらない人を救うことはできません。お二人の館長さんはそんな冷たいことはおっしゃいませんでしたが、代わりに司会者の小生が言うべきでした。
 自由選択の原理で社会を運営するようになった以上、原理とシステムを理解しない人々はこぼれ落ちる可能性があるのです。二つの公民館は、地域住民に「自由」を「供出」させ「共助」を創り出すという点で、模範的によくやったのです。現代の生活システムに「共助」が存在しなくなった以上、「無縁社会」を突破するためには、自覚した個人が自らの「自由」を「供出」して「共助」を創り出すか、若者の人権を制約して社会救援活動を義務化するような制度を創り出すしかないのです。
 小生はこの二つを言いたかったのですが、あらゆる発言が噛み合ず、想定した結論に導くことはできませんでした。悔いの残るインタビューでした。

150号 お知らせ

1 第121回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin福岡

日時:6月23日(土)15:00-17:00
場所:福岡県立社会教育総合センター(糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511
事例発表: 「学校全体で取り組む体力向上の実践と成果」 ~パワーアップ5と授業改善~
発表者: 飯塚市立若菜小学校 主幹教諭 江藤 涼子

論文発表:生涯現役研究ノート:「暮らしの姿勢」-後期高齢者の健康寿命の決定要因、三浦清一郎
* フォーラム終了後、第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会の反省・懇親会を宗像市玄海町の神湊スカイホテルで行います。どうぞご参加下さい。

2 井関元気塾公開発表会-子どもの「内在力」を引き出し、「学童保育」を変革する

日程:平成24年8月18日(土)
10:30-12:30
場所:井関にこにこクラブ(山口市立井関小学校内多目的教室)、〒754-1277 山口市阿知須1639番地、井関小学校内
(1) 朗唱の部
(2) 身体能力・体力向上の部
(3) 読解力向上の部
(4) 自律学習・学力向上の部 

事務局:井関にこにこクラブ:0836-65-1570(問い合せ・見学申し込みは14:00以降にお願いします。)

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

読者の皆様

 おかげさまで150号に辿り着きました。読み継いで、様々に支えていただいた読者の皆様ありがとうございました。1年で12号、200号まであと4年と少しあります。先ずはそこを目指します。今後とも変わらぬご支援をいただければ、執筆者の果報これにすぐるものはありません。

福岡県宗像市 田原敏美 様

 手づくり野いちごジャム、抜群の味です。ごちそうさまでした。寄っていただいた日は、山口市の井関の指導に入っていて留守をいたしました。井関では、かつてご懸念なさっていた「学童保育のあり方」に新しい提案をしています。これから年3回の発表会をいたしますが、第1回は8月18日(土)に山口市阿知須、井関小学校多目的ホールと決まりました。開始時刻は10:30の予定です。どうぞお出かけ下さい。

神奈川県葉山町 山口恒子 様

 思い通りに進まぬ井関の学童保育の指導にかまけて、自らの宿題を忘れておりました。お便りで思い出しました。「不帰III」は自分との約束でもありますのでかならず果たします。それにしても高齢者には残された時間が足りないですね。40を過ぎると人生は「引き算」になると言ったのはアメリカの心理学者ノイガルテンですが、私の人生も平均寿命から引くと後6年、父の寿命から引くと後5年になりました。

山口県山口市 井関にこにこクラブ指導員の皆様

  思いがけぬ機会を与えていただき、巻頭小論のように、これまで自分の知らなかったことを言葉にすることができました。子ども達が日を追って変容していることも励みになります。
 この年になってこのような学問の機会に巡り逢い、皆様と一緒に事業を進めることの果報をありがたく思っております。願わくば、保護者の皆さんも、子ども達も1年の終わりに、あの年寄りの指導を受けて良かったと言ってもらえるよう、全力を尽くしたいと思います。

過分の郵送料をありがとうございました。

鳥取県米子市 田中祟詞 様
島根県雲南市 和田 明 様

編集後記  4年間のサバイバル処方

 200号まで後4年。当面の目標には丁度いいと考え、4年間のサバイバル処方を考えました。執筆中の「生涯現役・介護予防の老年学」とも重なるので、自分に当てはめて実践してみることにします。
 第1は、毎日の運動です。運動だけが脳の若返りを可能にするという米国の研究の翻訳書を読んだばかりです。自分の実感にも重なります。毎日、自己流のエアロビックスを踊り、40-50分釣川桜堤公園の川土手を「大股に」、「早いペース」で歩きます。決定的に重要なのは習慣付けの頻度です。雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず毎日1回はかならず歩きます。わが友;カイザ―とレックスがいなければ挫けることでしょう。持つべきものは友です。
 第2は、断捨離です。英語ボランティアは続けますが、趣味人とは付き合わず、気楽な人間を周りに寄せつけず、義理を断ち、無駄を捨て、TVを消し、本質的でないことから離れて暮らします。自分の弱さを思えば周りに流されることが一番危険なことはこれまでの人生で身に滲みています。戦っている人間を周りに置けば、自分も戦いが続けられます。
 第3は、達成可能な近い目標を置きます。1年に一冊は本を書きます。もちろん厚い本は書けないでしょうから、小さな本に限定して書くことにします。

待合室で

年ごとに友は衰え
吾も老い
道は遠く、
歩みはのろく
時に気力失せ、
身一つの不安におののき
夜半に目覚め
老いに隠れて
怯懦に流れ
安易に逃げて
目標を忘れ
冒険を捨てる

待合室の哀しい年寄りの群れを見よ!
生物の必然を思えば
逃げて生きようと
戦って生きようと
平均寿命の死は近く
やがて力つきる
ならばせめて志高く
荒ぶれて行かんかな
本望でないか!
いいでないか!
思い半ばに
荒野に息絶えるとも