「風の便り 」(第153号)

発行日:平成24年9月
発行者 三浦清一郎

 国際結婚の社会学
この世で息をしなかった子は人間ではない―水子の葬儀

なれとわれ

新妻にして見すべかりし
わがふるさとに
汝を伴ひけふ來れば
十歳を經たり

いまははや 汝が傍らの
  童さび愛しきものに
   わが指さしていふ
なつかしき山と河の名

走り出る吾子に後れて
夏草の道往く なれとわれ
歳月は過ぎてののちに
ただ老の思に似たり

(伊東静雄)

 上記は伊東静雄の詩です。初めて聞いたのはずいぶん昔のことになります。暗い予備校の教室で初老の国語の教師が妙に実感を込めて読み上げ、黒板に書いてくれたものを筆記して憶えました。筆者も新妻をそのまま家族に会わせることはできませんでした。欧州から日本への旅路で、また東京から九州の小さな町に越して来たあと、よく口ずさんだものでした。今は、朝の散歩の時に田んぼの中の夏草の道を行くとき、思い出して口ずさみます。伊東静雄の若い時代は知りませんが、彼もまた親に認められない結婚をしたのかもしれません。「夏草の道行く汝と我」が自分に重なります。国際結婚の妻を日本に連れて帰る時、また、長女を連れて誇らかに父を訪ねた時、関東の田舎の駅からわが家までの夏草の道を鮮明に覚えています。自分の人生に寄り添ってくれた大事な詩です。

1 「水子」は人間ではない

 「死産の子は母に抱かせない」という病院との軋轢を解決したのも束の間、今度は死んだ子の葬儀を巡る文化問題が起りました。
 死んで生まれた子の葬儀を希望した妻の願いをお寺さんが拒絶したのです。理由は、医学的に「死産」の子は「水子」であるということでした。お寺さんによると、この世で息をしなかった子は「水子」と呼ばれ、人間ではない、というのです。「水子」は、水子地蔵などで集合的な供養はするが個別の葬儀はしないという説明でした。
 アメリカ文化には、そのような定義は存在しないのでしょう。次女の死をようやく受け入れて、落ち着いて来た妻の感情が爆発しました。
 妊娠中絶にあまり疑問を抱かぬ日本人はあまり意識しない問題かも知れませんが、「命」の定義は最も微妙な文化問題です。胎児の期間のどこからが人間として認められ、どこまでは認められないか、は現代社会を2分する大問題です。アメリカの「妊娠中絶」を巡る議論は、「プロライフ(命を守れ)」という主張と「プロチョイス(女性の主体的選択を守れ)」という主張に2分されて激しくぶつかっています。
 妊娠中絶は殺人であるとまで断言する
「プロライフ」の人々が、中絶を担当するクリニックを攻撃・破壊するなどこれまでに何件かのテロ事件まで引き起こしています。「命の定義」は、まさに政治や宗教界を分断しているのです。根っこは同じですが、「安楽死」の「是非」を巡っても、「命」の議論は果てがありません。
 「守るべき命」の定義は人間についても、またクジラのような動物も含めて実に難しい文化問題なのです。
 私たちの場合は、妻の見解とお寺さんの伝統的発想の対立でした。
 間に立たされた筆者も辛いところでした。筆者には確固たる「人間の定義」に関する見解がなかったからです。もちろん、今でもまだよく分からず、自分の結論は保留しています。
2 常に「異国で暮らす」妻の側に立つ
 しかし、筆者にとって、明確に分かっていることが一つありました。国際結婚は、遠くから来ているものを守らねば破れるということです。「異国で暮らす」妻への思いやりがなければ、異文化結婚の二人が幸せになれるはずはないのです。
 筆者は、お寺さんの言うことも一理あると思いながらも、妻の側に立って住職と交渉を続けました。国際結婚では、自国の文化で暮らす者が、異文化に適応しながら暮らす者を常に労らなければ共同生活は成り立ちません。言葉から生活習慣に至るまで、異文化適応は至難の業だからです。海外に移住したり、留学したりする日本人が「日本人村」を形成して寄り集まって暮らすのも、異文化適応がどれほど不快で困難であるかの証明になるでしょう。
 筆者も、海を渡って来て日本で暮らしている妻の味方に立たなければならないという姿勢と思想は最後まで崩しませんでした。不幸な形で、娘を失ったあげくに、その供養も思うようにできないというのでは妻の精神が持たないであろうと不安にも思いました。年配の住職は最後まで寺の伝統と仏教界の考え方を盾に譲りませんでしたが、若い息子さんの住職は耳傾けて当方の事情を聞いてくれました。
 小生は、「お寺さんのお考えも、伝統も分かります。」と言い続けました。そして、「今回だけ、例外を作って、妻を助けてやってください」と頼みました。
 交渉は平行線が続いたので、妻の思いを遂げさせるために、最後通告をしました。「先祖以来の付き合いですが、本家の長男としてお寺さんと縁を切って新しい墓を買います」。
激論の中で、被差別部落の死者の戒名を「畜士」などとしたのも「あなたのおっしゃる仏教界の伝統ですか」とまで言いました。年配のご住職には、筆者の暴言が「堪えた」ようでした。「もう話はしたくない」ということでした。
 法要は息子さんの住職がやってくださることで決着がつきました。当日、驚いたことに老住職も法要にお顔を出してくれました。後で聞いたことですが、ここまで言い張る「アメリカ人の母」を一目見たかったということのようでした。死んだ「はな」の戒名は「春光水子」となりました。お寺さんも戒名の文字に託して、「水子」は水子であって「人間ではない」、という仏教界の一線は守ったということでしょう。小生は、妻に、「春の光のような子ども」という意味であると「戒名」の説明はしましたが、お寺さんがこだわった「水子」の「文字」の説明はしませんでした。

3 文物折衷
事実上、あまり差し障りが大きくないのであれば、多少の基準は曲げても、譲り合えば、文化摩擦は、何とかなるのではないでしょうか。
 それぞれの文化の「伝統」や「アイデンティティ」を守れということも、それなりに重要でしょうが、世界のみんなが仲良く暮らせるのなら伝統も独自性も捨てていいのだと思うようになりました。
 日本人は、異文化の文物を取り入れ、折衷する名人です。仏教はインドから中国・朝鮮を経て導入しました。キリスト教は中近東発ヨーロッパ経由で日本に来ました。文字は中国発ですが、仮名は漢字を分解して工夫した日本人の発明です。文明の成果は主として欧米から、議会政治も近代教育制度も欧米から、ビジネスは主としてアメリカから導入しました。食文化も生活習慣もほぼ世界中の文化の折衷です。お盆と初詣は平行して行われ、クリスマスと正月は同居しています。
 「和魂洋才」のスローガンは日本人を戦争に導いて終わりました。日本の生きるべき方向は世界の「文物折衷」ではないでしょうか。日本人こそ「世界の文物は折衷可能である」ということを示して、文化的にいがみ合う世界にお手本を示してはいかがなものでしょうか。
 「奥様のお気が済むなら、一時の法要など簡単なことです」と言い放った若い住職さんは「ビジネスマン」だったのか、偉かったのか、今でも謎ですが、少なくともお父上のような「仏教原理主義者」でなかったことは私たちにとって幸いでした。妻は、昨年亡くなり、葬儀は「はな」の弟が喪主を務めました。法要は、お寺さんの跡を継ぎ、今は熟年となった住職が執り行ってくれました。 
 クリスチャンの妻にとって、異教の墓に入ることは大問題だったのですが、この事件以来、気持ちが固まったようでした。今は、わが先祖伝来の墓に水子の「はな」と一緒に眠っているのです。

なぜ「学童保育」に教育プログラムなのか?
-「保教育」の意義と方法-

1 「学童保育」は、法律で「健全育成」を謳いながら、「育成」のためのプログラムがありません

(1) 学童保育を規定する国の法律は児童福祉法第6条です-子どもの成長環境を保障する

第6条の2第12項(事業)- 「この法律で、放課後児童健全育成事業とは、小学校に就学しているおおむね10歳未満の児童であって、その保護者が労働等により昼間家庭にいないものに、政令で定める基準に従い、授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図る事業をいう。」

(2)  市町村の義務を謳ったものは第21条の28です。

「市町村は、児童の健全な育成に資するため、地域の実情に応じた放課後児童健全育成事業を行うとともに、当該市町村以外の放課後児童健全育成事業を行う者との連携を図る等により、第6条の2第12項に規定する児童の放課後児童健全育成事業の利用の促進に努めなければならない。」

(3) 「適切な遊びおよび生活の場を与えて」、「健全な育成を図る事業」とは何か

 「健全育成」とは、教育学上、「心身の調和的発達を意味し、具体的には子どもが個々の人生および社会生活に必要とする「体力」、「我慢する力」、「学力」、「社

会性」、「感情値」などから形成される「生きる力」:「一人前の条件」を備えることを言います。しかし、上記の能力を開発しようとする意図的な努力が現行の学童保育プログラムに存在しないことは明らかです。

2 子どもの実態

(1) 子どもの日常は「受動的」

 多くの子どもの日常時間はテレビと塾とゲームと学校に使われています。当然でしょうが、共働きの家族では、保育の時間が欠けがちになります。それゆえ、子どもが家族と一緒に過ごす時間はあまり出て来ません。友だちとの外遊びもほとんどありません。
 さらに、現代の子どもには、全身運動が不足し、自然や集団体験も著しく不足しています。それゆえ,子どもの時間消費の特徴は極めて「受動的」です。
 子どもの自主性、主体性、能動性、積極性が大事であるというのであれば、時間の過ごし方が「受動的」になるのは極めて危険です。子どもの自然体験や集団体験が大事であるというのであれば、そうした体験の欠損は致命的です。なぜなら、自主性も、主体性も、能動性も、積極性も、自主的で、主体的で、能動的で、積極的な活動を通してしか「体得」できないからです。あらゆる能力は、基本的にやってみなければ身に付かないことは古今の教育学が証明しているところだからです。

(2) 体力と耐性の欠如

 多くの子どもに耐性がなく、体力は文部科学省の体力テストの積年の累積結果が示している通りです。この二つは人間の生きる力の基礎を成す要素です。「生きる力」を構成するのは、「体力」、「耐性」、「学力」、「社会性」、「感受性・感情値」の五つです。
 現代の子どもが「切れやすく」、「弱い」と言われるのは、体力と耐性が欠如しているということとほぼ同義です。そして、この二つこそは子どもに「負荷」をかけて錬成するしか方法がありません。もちろん、「負荷」をかけることは、子どもの負担になりますから、彼らは「きつい」、「つらい」、「やりたくない」を連発します。健全育成プログラムが試され、指導者が試されるのはこの時です。
 古人は、「つらさに耐えて丈夫に育てよ」といい、「若い時の苦労は買ってでもさせよ」と言いました。「かわいい子には旅をさせよ」とも言いました。
 学童保育に限らず、すべての教育課題の中心は「負荷」と「挑戦」の「適量」・「適切性」にあるのです。しかし、現代は、保護者も指導者も、「子どもの意志に反して」、「負荷をかけること」は「非教育的である」というほぼ正反対の考え方が支配的です。子どもが「つらい」と言えば、トレーニング自体をやめてしまうのが実態です。
 しかし、体力と耐性という基礎能力が欠如していれば、あらゆる訓練・修養は不可能です。専門機関である学校ですら、学業指導も、社会規範も身につけさせることは極めて難しくなります。子ども集団が崩壊し、授業が成り立たず、学級が崩壊するのも多くの子どもにこれら二つの要素が欠如しているからです。指導者や保護者がこの原理を理解しない限り、学童保育の教育プログラムは、何をやろうとしてもうまく行かないでしょう。

3 「健全育成」の基本原理 

(1) 「子ども集団」の形成が鍵です-多くの子どもには放課後の「居場所」も「帰属集団」もありません
 
 多くの子どもに仲間集団がありません。当然、集団活動はしていません。学校は年齢別・横切りですから、異年齢からなる社会生活の「予行演習」が出来ていないということです。異年齢による集団活動は、現代っ子の成長過程で決定的に「欠損」しています。
 人間は、帰属集団が存在し、仲間と一緒であれば、お互いに支え合い、協力し合うことができるので、たいていのことは我慢ができます。
 この時、学童保育は最初から「縦集団」の性格を有しています。それゆえ、学童保育の教育指導は、子ども集団を形成して、集団の中で鍛えることが鍵になります。
 「みんなそうする」から「自分もそうする」というのは、心理学で言う「集団圧力」の結果であり、個人の視点からみると「集団への同調」が起こるのです。思い切り身体を使うことがなければ、体力はつかず、困難な課題に挑戦しなければ耐性は育ちませんが、これを現代の子どもに個人別に課すのは容易ではありません。しかし、集団の中の個人に課すのは相対的に容易なことです。 
 子どもはまだ自分の考えや信念が固まっていないので、大人以上に簡単に同調します。「みんなで渡れば怖くない」の心境は子どももにおいて顕著なのです。学童保育の教育プログラムは、集団的指導が鍵です。子どもがまとまって与えられた課題に挑戦する教育的縦集団を形成できるか、否かが成否を握ります。

(2)  「人生の欠損体験」→やったことのないことはできない

 現代の子どもの問題は「体験の欠損」です。労働も、苦労も、困難も、共同も、仲間との集団行動も多くの子どもが体験していません。だからできないし、「負荷」が大きいので、「我慢しなさい」と言われても、耐えられないのです。世間に出れば、これらの体験は否応なく、子ども上に降ってきます。それゆえ、若い世代は、就労の困難にも、挫折や失敗にも弱いのです。
 学童保育の教育課題は彼らのやったことのないことを体験させることが重要です。教育の原則は、「やったことのないことはできない」、「教わってなければわからない」、「練習しなければ上手にはならない」の3つです。それゆえ、指導は「させる」、「教える」、「練習させる」の3つです。それも「集団的に」「させること」ができれば、個人は必ずついてきます。

4 就労する母の安心-男女共同参画の核心

(1) 家事を含む私事の外部化の必然

 家事を含む私事の外部化は女性の社会進出がもたらした必然です。また、豊かになった日本経済がそれを可能にしました。近代家族においては「教育」が外部委託の「はしり」です。家事のアウトソーシングは、専門分野から始まり、徐々にクリーニングから食材などの一般業務に移行してきました。現代は、掃除から草取りに至るまでほとんど外部委託によって家族生活が成り立っています。
 最近では介護保険制度の導入によって、「介護」のような、家族のプライバシーの領域に属していたことまで外部委託されるようになりました。保育についてもまた、保護者の多くは「共働き」の労働形態に移行し、養育の外部委託が必要となり、また可能となりました。
 原則として「外部委託」は当事者の負担を減らすために実施されます。保育の外部委託も同じ原則ですが、この背景には女性の社会参画・就労という国の基本方針があり、家事一般の外部委託とは事情が異なることは言うまでもありません。

(2)女性のための「養育の社会化」

 「変わりたくない男」が支配する日本の労働形態および家庭においては、「共働き」の家族においても実際の家事や子育て負担は女性の肩にかかっています。憲法の規定はもちろん、男女雇用均等法が施行され、さらには男女共同参画社会基本法が制定されても、法律は私生活における文化まで律することはできません。伝統もしきたりも、簡単には法律には従いません。女性の育児負担が基本的に変わらないのはそのためです。
 「母自身の手による」育児の重要性、「育児の幸福論」はそれぞれに正しいと思いますが、母の社会参画も母自身の選択である限り「正しい」としなければなりません。しかも、今では、男女共同参画は国家が方針とする女性の生き方となったのです。
 この時、育児こそが女性の最大の負担であり、女性の社会参画を阻害する最大の要因であることは、はからずも、深刻な「少子化」現象が証明することになりました。それゆえ、母の就労・社会参画を保障し、併せて「少子化」を止めようとするならば、養育の社会化は不可欠な政策になるのは理の当然なのです。

(3) 母の安心

 母の安心は「子どもの安全」と「健全な発達」の保障です。「子守り」だけでも、学童保育は確かに「子どもの安全」は保障します。しかし、遊びを含めた教育プログラムが存在しない以上「健全な発達」は保障できる筈はなく、「母の安心」は得られません。学童保育が「子守り」の域をでないのは、関係者が養育の社会化は「福祉の課題」であるとしか発想していないからです。学童保育は今や男女共同参画の課題になったのです。「保育に欠ける家庭」を支援するという発想から、「母の安心」を得て、「社会に参画してもらう」という発想に転換したのです。
 現状で、「母の安心」を保証する方法は、保育に教育プログラムを融合する「保教育」の実現です。児童福祉法第6条の起草者はこのことを承知していた筈です。法律の文言を「放課後児童健全育成事業」としたのはそのためです。しかし、「健全育成」を謳いながら、それに該当するプログラムの導入を許されませんでした。このことは政治と厚生官僚の「手抜き」であったと言われても仕方がないでしょう。

(4) 教育を保障する指導者の重要性

 「居場所」や「広場」があれば、子どもの遊びや集団活動が自然発生するというのは現代の「迷信」です。また、プログラムを与えるだけでも子どもの活動は展開せず、現代の子どもの多くは遊ぶことはできません。「母の安心」は指導と指導者への信頼が担保するのです。
 現代っ子はゲーム以外は自分たちで遊ぶこともできません。遊ぶことすらも、現代は指導や「水路付け」が必要になっているのです。教育プログラムは専門家に依頼すれば、机の上ででも作ることはできます。しかし、子どもの生活環境と実態をみれば、「居場所」を準備しただけでは、現代の子どもは自らの集団も作り得ず、自分で遊ぶことすらままなりません。それゆえ、子どもの日常活動を組み立て、方法を工夫し、子どもの安全を確保して、集団の共同や遊びを応援する指導者が不可欠です。
もちろん、子どもの活動を多様なものにしようとすれば、多様な指導者が必要になります。しかし、地方の自治体に指導者を配置する財源は既にありません。高齢者ボランティアと幼少年の活動をつなぐ施策が必要になるのはそのためです。高齢者の社会参画が高齢者自身の活力を維持するのに役立つことも自明ですが、政治や行政に高齢者ボランティアを奨励し、促進する発想はほとんどありません。多くの関係者がいまだボランティアは「ただ」だと考えています。発想を変えない限り、潤沢な指導者の確保は難しいということです。「豊津寺子屋」や飯塚市の「子ども学び塾」は実験的先例になります。

(5) 学校施設の共用化-「安全な居場所」と「最適な活動場所」の確保

 現代の子どもの拠点は学校です。学童保育にせよ、子ども教室にせよ、アンビシャス広場にせよ、学校施設を全面的に活用すれば、プログラムの中身は大きく異なったはずです。
 学校を活用すれば放課後の子どもは移動の必要がありません。休日や日曜日でも通いなれた場所ですから、移動は相対的に安全です。施設も環境も子どものために設計された専門施設です。地方自治体にとっては最も経済的で、保護者にとっては最も安心できる施設が学校です。「母の安心」も子どもが慣れ親しんだ学校施設を使うことによってより保証されることでしょう。
 放課後の「健全育成事業」が全面的に展開されるようになれば、社会教育施設でも、児童福祉施設でも「活動場所」が不十分になることは明らかです。
 学校の開放は学校とコミュニティをつなぐ最短の方法です。学校を子育て支援の拠点にすることは、コミュニティ・スクールへの最短の道でもあります。

井関その4
「知る」を知るとなし、「知らざる」を知らずとなす
-トレーニングから逃げて「快楽原則」を追い求める少年-

1 保護者の無知、指導者のためらい

 井関の発表会の後、保護者から感想が寄せられ、指導員が揺れました。批判する保護者は、日本中にあふれている「子ども中心主義」の育児書の文言を振りかざして迫ります。彼らは公共の場における我が子も含めた現代っ子の実態を検証していないのです。一度でも保護者が指導の現場に立ってみれば、現代っ子の規範やしつけがいかに崩壊しているかを直ちに理解することでしょう。全国で「子ども会」の崩壊が続いているのは、一般保護者が順送りで子ども会役員となり、ひとたび現場にたって、子ども集団の指導に当たった時、子どももその保護者も規範や礼節を理解しないモンスターであることを自覚し始めたからです。みんながもう「こんな子どもや親と一緒になんかやってられない」と考え始めているのです。
 教育の有効性の証明は、短・中・長期にわたって、望ましい方向に子どもを変えることができるか、否かで決まります。
 「井関」の場合は、外部から多少批判されても指導員は成長を遂げている子どもの姿を見て救われます。「できなかったこと」が「できるようになっている」からです。自分の救いは「子ども」であるという便りが筆者のところに届きました。
 しかし、指導者にとって一番の味方は「子ども」ではなく「教育理論」であり、そこから導きだされた子どもの変容結果です。井関で、子どもが味方のように感
じるのはこれまでやって来たことが「子ども」を望ましい方向に変えているからです。子どもを変えたのは「教育理論」です。我々が井関の実践で参考にした鹿児島県志布志市の伊崎田保育園の子どもを育てたのもヨコミネ式の「教育理論」です。
 理論に基づいた訓練が子どもを変えているのです。子どもが進化し、論語百句を暗唱し、跳び箱が跳べて、側転が出来るようになったのは、理論に基づいてトレーニングを進めているからです。指導員が、子どもこそが味方であるかのように感じ、子どもが可愛くなったのは、子どもの変化によって自分たちの努力が報われていると思えるからです。訓練を始める前の子どもは側転が出来ませんでした。跳び箱が跳べませんでした。20分間宿題に集中することができませんでした。指導員の指導についてきませんでした。
 訓練が定着するまでの子どもは「快楽原則」で動きます。「やりたいこと」だけをやろうとし、「やりたくないこと」から逃げようとします。「負荷の大きいこと」には「きつい」と文句を並べ、「自分ができないこと」は「面白くない」と主張します。
 井関の発表会は、全て「教え込んで」、「させた」から出来るようになったのです。子どもの「意思」を尊重し、その「主体性」を重んじ、指導者の他律によって「させること」は「非教育的」で「反教育的」であるというのは現代の迷信です。
 何度も指摘しているように、原則的に、子どもの教育は社会の視点に立ってするのです。子どもの意思も主体性も、社会の視点から見て許容できる範囲で認めることが肝要です。まして、しつけの出来ていない井関のような子ども集団には「自分でさせる」、「協力させる」、「ルールは守らせる」、「指導者を尊敬させる」、「助け合わせる」、「いじめは止めさせる」というように全て「させる」ことによって体得させるのです。「させない限り」出来るようにはなりません。そのプロセスで楽しくさせるのが指導者の腕です。
 「やりたい放題で」、「わがまま勝手の」子どもに今のプログラムが辛いことは「当たり前」です。彼らには体力も耐性もまだ付いていないのです。がまんの出来ない子どもには全てのプログラムが辛いのです。彼らが楽しくのびのびやれるのは、自分が好き勝手にやれて「楽で」「面白い」プログラムだけです。しかし、その過程で「礼節」は崩れ、「いじめ」が起こり、本来「できるはずのこと」は「できるようにならず」、集団は崩壊します。

2 耐性の欠如と「防衛機制」

 欲求不満の状態をやわらけ゛、心の安定を保とうとする働きを「防衛機制」または「適応機制」 と いいます(世界大百科事典)。我慢できる限度が低く、ある特定状況に対する「耐性」が欠如している場合、人間は当該状況から逃避して、一時的に折り合いをつけようとします。
 もちろん、それで問題状況が解決できる訳ではなく、心の状態が解決できる訳でもなく、「耐性(我慢)レベル」が上がる訳でもありません。井関の子どもたちが取る回避行動や逃避行動は自分にとって「不快」な状況から身を守るための防衛(適応)機制にあたります。 我々指導者の役目は、断固としてこれら一つ一つの回避行動をつぶして、達成目標に向かって努力する方向に集団を水路付けすることです。
 具体的に、子どもたちの防衛機制 は次のような形で出てきます。
Ex.1 攻撃機制 (他人やものを傷つけたり、規則を破ったりして、欲求不満を解消しようとする。「切れる」というのがこれに当たります。)
Ex.2 「逃避機制」( 苦しくてつらい現実から一時的に逃れようとする)
Ex.3 「合理化」 ・「正当化」( もっともらしい理由をつけて、自分が正しいと主張する)
Ex.4 「同一化」( 自分にない名声や権威を持ち出して、自分は間違っていないと主張したり、自分を高めようとする)
Ex.5 「代償行動」( 負け惜しみ行動:自分の欲求か゛満たされないとき、それと似通ったものて゛満足を図ろうとする)
Ex.6 「自己抑圧」( 忘却努力:状況が存在しなかったことにするなど困難な欲求や苦痛な体験を心の中に押さえ込み忘れようとする)
Ex.7 「退行行動」・「退行現象」( 幼児や子と゛ものように振る舞い、自分を守ろうとする)

3 唯一の解決策

 人生が思う通りにならないとすれば、唯一の解決策は、人生は「思う通りにならない」と悟ることです。学問上、そのことに最初に気づき、概念化したのがアメリカの心理学者ローゼンツバイクです。彼は、思い通りにならない人生の修羅場を切り抜ける能力を「欲求不満耐性」と名付けました。英語はfrustration tolerance と言います。これは、状況が思い通りにならなくても、不満を爆発させず、感情的に混乱せず、工夫をこらして危機を切り抜けていく能力を言います。換言すれば、上記のような状況から逃避する「防衛機制」に逃げ込まないということです。
 井関が、子どもたちに目指しているのは、「自分の思い通りにならない状況に立ち向かって行く能力の開発です。能力開発の原理は体力向上と同じ原理です。体力向上が身体機能に徐々に「負荷」をかけて筋肉、関節、心肺機能などを鍛えて行くように、耐性の向上も、心身に徐々に「困難という負荷」をかけて、「自分でやる、自分で決める(自主性)」、「やりたくてもやらない(自己抑制)」、「やりたくなくてもやる(義務・責任意識)」、「他者に協力する(協調性・共同性)」、「指導者やルールに従う(規範性)」などを育てて行くのです。
 日本の伝統では、「かわいい子には旅」とか、「つらさに耐えて丈夫に育てよ」とか、「艱難辛苦なんじを玉にす」とか、「若い時の苦労は買ってでもさせよ」などと簡潔に原理を述べています。
 それゆえ、耐性のトレーニングは最初から最後まで「つらい」のです。子どもが文句を言って、防衛機制を働かせるのもまた当然です。しかし、逃げないで踏みとどまり、その過程をなんとかくぐり抜けると、初めは「つらかったこと」が辛くなくなります。やがて難なく我慢のできることは「つらいこと」ではなくなって行くのです。そうなれば、子どもの日常が「楽」になり、」より高度なトレーニングに耐えることができるようになります。1学期耐えて、1年待てば、「できないこと」が「できるようになる」のです。井関の子どもも、整列ができるようになり、朗唱や行進ができるようになり、身体能力も向上し、私語もなくなり、助け合いが始まりました。トレーニングの「つらさ」に耐えて、耐性が育ったからです。
 冒頭の論語に倣って言えば、「耐え得る」を耐えるとなし、「耐え得ざる」を耐え得ざるとなし、「防衛機制」を一つずつ潰す。これぞ指導者の役目であり、「耐性」開発の第1歩なり、です。

153号 お知らせ
1 第124回 移動フォーラムin飯塚

場所:「サンビレッジ茜」(飯塚市山口845-38 、TEL 0948-72-3331.)
日時:10月13日(土)13:30-15:30
事前に見学をご希望の方は上記施設の事務局までご連絡ください。昼食は食堂へ注文することができます。
特別企画:インタビュー・ダイアローグ
トップに聞く
「結果につなげる発想の条件、結果を生み出す実践の原則」(仮)

「収益を上げる」も、「学力を上げる」も、実践の結果を出すという点において原理とプロセスは同じです。それゆえ、企業も学校も、「企画・立案」から「実践」に至るPDCA(Plan-Do-Check-Action)の過程は共通しています。その時、「発想」のポイントは何か、実践の原則は何か、をトップに聞きます。
 組織のトップは、社会に吹き渡る風、組織内の見えない空気をどう読んでいるのでしょうか?

登壇者:企業および教育機関のトップ(交渉中)
司会:三浦清一郎

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

福岡県朝倉市 太田政子 様

 お便りにも、甘木のぶどうにも大いに励まされました。「老年学」を仕上げた後の中だるみに鞭を入れていただいた感じです。相変わらずのご壮健にはただただ驚くばかりです。到底追いつけず、段々小生の目標が遠のいて行くような気がします。ところで、今度の甘木の皆様の研修会にはあなたのご存知の方が伺いますよ。お楽しみに。

沖縄県那覇市 大城節子 様

 会長を降りられて無聊との戦いが始まっているのではないかと想像しています。哲学者が「自由の刑」と呼んだ「社会から切れた時間」は人間の大敵です。高齢者に取っては最大の危機になります。どうぞご用心ください。「風の便り」の郵送・印刷料誠にありがたくお受けいたしました。

東京都 瀬沼克彰 様

 ご著書届きました。お見事の限りです。小生の方は、学文社の在庫が売り切れるまで、出版はお預けということになりました。「ぼけ」と「頽廃」を予防するため、独自の出版社を設立して自衛手段を講じました。幸い各地から講演のお話はいただいているので、社会から切れぬよう、社会への提案を忘れぬよう、老いの身の最後の戦いに挑みます。

福岡県宗像市 竹村 功 様

 過日は懐かしいお二人のご訪問で大いに刺激を受けました。前回の「学童保育」への挑戦から何年が過ぎたでしょうか?あの時の選考は宗像市の「詐欺」に近いやり方でした。次の機会があれば、今度こそ参加させていただいた上で、加勢しますので矢野さんにも再挑戦をお勧めください。大島先生のお手伝いで、山口の「学童保育」の教育実践では、新しい視点や方法も開拓しております。田原議員さんへの激励も込めて、皆さんの世代が社会参画する舞台は「次世代の育成」が最もふさわしいと思います。

山口県田布施町 三瓶晴美 様

 藤田千勢さんのお計らいで再会が果たせました。「生きることと戦う」あなたの気迫の前に老いの身の心身の衰えを恥じ入る思いでした。加齢とともに小生の身も、少しずつ、世間との回路が遮断されつつあります。
「老兵は消え去るのみ」に抵抗を続けるためには、「老兵もまた戦う」ことを世間に示さなければなりません。リハビリ、リフレッシュ、リクリエイトは自分にこそ必要だったのだと痛感しています。今になって、大島先生のお供をして「井関」に通うことは「神様の配剤」であった、と思うようになりました。

 佐賀県佐賀市 関 弘紹 様

 メール通信を拝見いたしました。展開されている論はすべて健康でゆとりのある方々の「自己責任論」だと思います。しかし、高齢社会は、多くの方々が、既に健康を失い、経済的ゆとりも、身の回りの友人も失っています。自己責任論だけでは生涯学習や生存競争が生み出した「格差」を埋めることはできないのです。これからの社会教育の役割は「病院」の機能に似てくると思います。多くの人々に診断と治療が必要になり、多くの健常者が支援の手を差し伸べない限り、孤立者や孤独者は生きるすべを失うと思います。公民館無用論は、支援無用論に重なっているのです。「無縁社会」を招いたのは、ゆとりある人々の自由の主張と自己責任論です。

編集後記
「誰そ彼れ月」の土曜日

 病院で命と戦っているあなたがいるのに、黙々と介護に献身しているあなたもいるのに、10年以上も老いの孤独に生きてきたあなたもいるのに、情けないことですが、雨あがりに月が出た土曜日は「風の便り」の集中が途切れ、己を哀れんで、犬たちを両脇に抱えて映画を見ました。没頭している間は何もかも忘れますが、映画が終わると「なすべきこと」を後回しにした「宴の後」のさびしさ・空しさに襲われます。壁には「為すべきを為さざれば、必ず悔いあり」と書いて貼ってあります。
 世間がはしゃいでいる分、「独り者」の週末は孤独です。集中が途切れる日は、さらに孤独を思い知らされます。英語の生徒さんから夕食の差仕入れが届き、有り難いことではありますが、感謝を忘れて、孤独の傷口に塩をすり込まれる気分です。「情の施し」に背を向けて、素直になりきれず、独り者が世間からはみ出し、社会の異端になって行く過程が想像できるようです。
 「井関」の子どもたちをみて、自己中の現代っ子は一人一人が集団に無縁なのがよく分かります。彼らが大人になったとき、孤独に強く育つのか、それとも「人恋しさ」を知らないモンスターが育つのか、教育の実験をしているようです。
「誰そ彼れ月」が昇りました。どなたか私を誘ってくれませんか!?