「風の便り 」(第149号)

発行日:平成24年5月
発行者 三浦清一郎

国際結婚の社会学⑤ 表現のダブルスタンダード

1 日本人を止める

 アメリカで快適に仕事をするためには、一時的に日本人を止める事が重要です。アメリカ生活において「郷に入っては郷に従え」とはそういうことです。とりわけ日本で受けた表現のしつけを捨てなければ、アメリカ人と交わり、楽しく暮らすことは難しいでしょう。「あいまいに相づちを打ったり」、「照れ隠しに笑う」ことは禁物です。英語が分からないのに分かった振りも禁物です。「結構です」などという曖昧語も禁止です。「 知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。 これ知なり」(論語/孔子)に倣って言えば「好きを好きとなし、好かざるを好かざるとなす。これアメリカ流礼節なり」ということです。
 賛成にも反対にもイエス、ノーをはっきり言って、その理由を端的に説明できることが肝要です。自己紹介も遠慮やへりくだりを止めて、自分が一生懸命やって来たことを熱っぽく語ることが好感を呼びます。「控えめ」が美しい日本に対し、「率直であること」、「外交的であること(Outgoingness)」が人付き合いの条件になるアメリカです。意見を言わなければ「意見がない」と解釈され、発言しなければ「発言すべきものがない」と思われかねないアメリカです。同僚との会話もポンポンとピンポンのように明るく弾んでやり返すことが肝要で、事は語学力の問題以上に愛嬌や機転(ウイット)の問題です。多くの日本人には適応のための意識的自己トレーニングが必要になるでしょう。「無駄口は慎め」、と教えられて来た日本人が日々の軽い会話のキャッチボールを楽しめないのは想像に余りあります。しかし、最長3-4分の「カクテル・パーティー」での「立ち話型」のコミュニケーション文化に慣れない限りアメリカ生活をエンジョイすることは難しいだろうと思います。
 日本からの留学生や研究者がアメリカの同僚と議論も交わさず、隣近所のアメリカ市民と交流もせず、ひたすら図書館にこもるのは、多くの場合、「真面目」なのではなく「逃避」です。逃避の主要原因はアメリカ流コミュニケーションが出来ないということだったでしょう。
 アメリカの学生達は講義の途中でもためらわず私の話を中断し、質問を投げかけ、意見を言います。よくぞ聞いてくれたとばかりに「いいところを突いている」とか「面白い見方だ」などとコメントを入れて、喜んで応えなければ「いい先生」「フレンドリーな先生」「学識ある先生」にはなれません。質問も意見も学生達が「真面目に聞いています」、「予習もして来ました」というアピールの一種なのです。教師の側もそれに呼応して「質問できるのは考えているからだ」、「意見が言えることは意見があるからだ」と認めてやるのがキャッチボールです。もちろん、教室でのディスカッションに参加することは評価の対象になります。「通夜」のような日本の教室とは大違いなのです。

2 サバイバル条件としての直接表現能力

 上記のように筆者が体験したアメリカでの学生生活や教員としての体験は「直接表現の文化」の洗礼でした。直接表現を学ばない限り、アメリカでの生活は不幸を招きます。直接表現能力はアメリカ生活のサバイバル能力なのです。
 直接表現の文化は、文字通り表現の直接性を尊びます。率直な表現、正確な表現、論理的で華麗な表現が歓迎されます。この文化においては、個人の自己主張・自己表現は、ほとんど大部分「正当」であり、表現は原則的に「善」であると受け取られます。自己を主張し、議論を戦わすことは基本的に「善」なのです。それゆえ、人々はためらわずに意見をいい、率直に要望を主張します。質問する学生は概ね優秀であり、教授に論理的な議論挑む学生も大いに評価されます。男女の区別は基本的にありません。「主張」することが「推奨されている」以上、主張しないことは「主張すべきものを持たない」という意味になります。男も女も何にでも「自分の意見」を持つことを期待されています。
 「分からないこと」は分からないと言い、「欲しいもの」は欲しいと言い、「反対のもの」には率直に反対します。「表現」の意欲や形式が「文化」によって制約されることはほとんどないのです。人々は、当然、自分を豊かに表現することにも、自分を明確に主張することにも工夫を凝らします。日本の文化が「分かってもらうこと」に高い価値を置くのと対照的に、アメリカではアピールし、「分からせること」が重要なのです。それゆえ、人々は論理と言い回しを工夫し、ディベートやスピーチの技術を磨き、自分の思いをどう伝えるかという「プレゼンテーション(提案・発表)」に心を砕くのです。

3 「放たれし女のごとく、わが妻の振舞ふ日なり」

 久々に妻を伴ってアメリカに帰ると、彼女の言葉や振る舞いが自信をもって生き生きと輝きます。「放たれし女のごとく、わが妻の振舞ふ日なり、ダリヤを見入る」(啄木)のように彼女に見入ったものでした。知らない土地で新たに生活を始めるに際し、妻は鼻歌でも歌うように銀行口座を開くのでも、車を買うのでも、アパートを探すのでも、学校への転入手続きでも、あれよあれよという間にやってのけ、誠に頼もしいかぎりでした。
 彼女も日本では「郷に従い」、表現を自己抑制していたことがよく分かります。日本を捨ててアメリカで暮らすようになった我が娘にも似たような現象が見られます。男性に比べて文化の抑圧度の高い女性は特にそうなのでしょう。日本で自己抑制していた表現や思いがアメリカの直接表現文化に接することによって自由に解き放たれるのだと思います。当然、私も仕事を始める前には妻に倣って、アメリカ流表現の態度に「ギアチェンジ」します。一時的に日本人を止めるとはこのギアチェンジのことです。「ここはアメリカである」とおまじないのように唱えて、日々の挨拶、褒め言葉、意見表明、交渉ごとまで、日本にいる時は恐らく決してしないことや言わないことを実行します。
 私は帰国後のことを考えて子ども達を毎土曜日に開講される日本人補習学校に入れていましたが、せっかく日本人を止めてアメリカを楽しんでいる子どもたちにとって週1回の「日本人同窓会」は余計なことだと感じていました。アメリカにいる間は基本的に日本人との付き合いも断ちました。
 一方、たまに出る日本人との懇親の席で、配偶者がアメリカに馴染めず、途中で帰国したり、ご自分も全く楽しんでいない日本人に数多く会いました。彼らが日本人会を頼りに群れて「日本人をやっている」限り、アメリカ文化は「難行・苦行」の原因になります。アメリカ流の表現に馴染んで克服しない限り、アメリカでの勉学も仕事も花を咲かす機会はやって来ないでしょう。どの国と付き合うかにもよりますが、国際化というのは表現や価値判断においてある程度日本の文化とその国の文化と二重の「基準」を使い分けることが必要になるのです。特に、アメリカ文化は直接表現の文化ですから、間接表現のしつけを受けて来た日本人はそのしつけ自体を一時棚上げにしないとアメリカ生活を楽しむことは難しいのです。特に、人々とのコミュニケーションにおいて、一時的にせよ、日本人を止めなければならないほどにアメリカ流と日本流のダブルスタンダードを使い分けなければならないのです。かねがね心配していることですが、「借りて来たネコ」のような人々をたくさん見て来ました。どの国が相手であるにせよ、日本人が日本流で行う外交交渉は大丈夫でしょうかね。

4 「遠慮」の塊と「察し」の鈍

 日本の文化は直接的表現を「悪」とし、言外の「察し」を要求すると書いて来ました。それゆえ、日本の表現文化は相手の察する能力を前提とする「間接表現」の文化です。全部言わなくても分かってもらえることを理想とします。それゆえ、直接指摘したり、敢えて全部を言うのは「無粋」で「くどい」ということになるのです。そのため、「控えめ」や「遠慮」のように、慎ましさと奥床しさを美徳とする表現の作法が形成されたのです。
 相手の察する能力を前提とする間接表現は相手の感受性を勘案してこちらの言い方を工夫しなければなりません。文化のトレーニングがまだ及んでいない子どもには「噛んで含めるように」言いますが、同じ文化で育った友だち同士は全部を言わなくても「阿吽の呼吸」で分かり合えるのです。ローマ人の言-に「徳は中道を歩む」とありますが、間接表現文化の基準も中道を行くのです。
 文化が「察し」を要求するとき、行き過ぎたトレーニングを受けた者は必要最低限以上のことは何も言えなくなり、ろくなトレーニングを受けなかった者は「察し」の能力が磨かれません。前者は育ちのいい多くの日本女性が代表で、後者は「察し」を必要としない文化に育った外国人が代表です。要するに、間接表現の文化には、「遠慮の塊」と「察しの鈍」の両極端が生まれるのです。
 表現の使い分けは「間接表現文化」が当面する一つの宿命です。子どもやしつけの行き届いていない若者に言う時には、言うべきことを言わなければ、何も進まず、何も決めることができません。アメリカ人などに対しても同じでしょう。相手によって表現の作法を使い分けることができなければ、少なくとも日本人の教師や先に引用した「奉行」の職は務まらないのです。

5 間接表現文化のトレーニング

 「察し」の鈍い学生には「1から10まで説明しなければ分からんのか!」、「いちいち全部を言わせるな」、「気を利かし、気をまわし、気働きをせよ」、「みんなの動きを見ろ」、「空気を読め」などと言って叱ります。彼らには「全部を言わないトレーニング」が必要なのです。
 一方、「控えめ」の基準や「遠慮」の作法に囚われて身動きのできない生徒もいます。先に紹介した平松与五郎と多美夫妻が典型的な例です(前号藤沢周平作、三屋清左衛門残日録 参照)が、彼らは文化のしつけが効き過ぎて表現上の不器用者になってしまったと考えることができます。そうした種類の学生にはこちらから近寄って声をかけ、相手の気持ちを楽にしてやることが必要になります。「何か分からないことがあるか」、「意見があるのかな」、「遠慮をしないで言ってみたら」、「よし、珈琲でも飲みながら聞こう」などと言って発言を促します。間接表現文化はほどほどに表現し、ほどほどに分かってもらうという「中道」を行くのです。
 恋する人に自らの思いを短い歌に託し、句に託すという表現文化は、象徴や暗喩を駆使し、「言いながらも全部は言っていない」という表現の「中道」を芸術にまで高めたということでしょう。

6 発言の自己抑制

 かつて男女共同参画を論じた際に書いたことがあるのですが、日本の女性が社会的かつ文化的に自らの発言を封じられる状況は2種類あると考えられます。第1の状況は、抑制というよりは「弾圧」です。男性及び男性支配のシステムが女性の発言を抑制したり禁じたりする場合です。そもそも女性を「発言の場」に参加させなかったり、或いは直接的に「女は引っ込んでろ」、「女はだまってろ」と女性の発言を封じる場合がそれです。
 これに対して第2の状況は、女性自身が自らの発言を自己抑制してしまう場合です。後者は女性自身が日本文化の期待に応えて「控えめな女性」、「奥ゆかしい女性」、「遠慮がちな女性」を演じる時です。社会生活の表舞台に立つことの少なかった日本女性は男性に増して自己主張を控えざるを得なかったことは想像に難くありません。
 しかし、文化は、立ち居振る舞いの空気であり、作法ですから、女性を縛ると同時に男性も縛ります。抑制の利いていない直接的表現は性別に関係なく、「美しくない」ものとして文化が禁止しているのです。日本人がアメリカ文化に適応することが難しいのはそのためです。それゆえ、間接表現文化で育った者と直接表現文化で育った者が結婚し、一緒に暮らすことは最初は戸惑いが多いでしょう。しかし、双方に学ぶ気持ちさえあればギアチェンジをし、表現のダブルスタンダードを使い分けながら好き合った個人が歩み寄ることは十分可能なのです。

「誰がするか」ではなく,「何をするか」です
-学童保育の再点検-

 筆者は研究者ですから基本的に設計図を描く建築士の役割を負っています。もちろん、耐震構造ならぬ子どもの「成績構造」や「自立構造」を実証的に調べた上での設計図です。
 次の課題は施工業者の選定です。これまで筆者が関わった中にも成功例、失敗例取り混ぜていくつかあります。建築業界と同じく施行業者が手抜きをすれば設計図が正しくても期待通りの建物は建ちません。教育もまた、設計者-施工業者あわせて「何を」、「どのように」するかが問われているのです。今回は山口市阿知須の「井関にこにこクラブ」に施工を依頼しました。

1 「民」の力はまだ試されていない

 2年前、ある地域の町内会に当たる「まちづくり協議会(以下「まち協」という)」が行政の委託事業で学童保育を担当することになりました。筆者のところに会の幹部から指導の依頼が来ました。いよいよ子育て支援事業も「民」の時代が来たと大いに意を強くしました。筆者の住む宗像市ではこの種の公共の福祉に関わる事業を民営で行なうことはなじまないという反対論が巻き起こり数年前に賛否を論じる選挙戦がありました。結局、「民」が学童保育を引き受けることになったのですが中身と方法が大問題です。選挙の争点にまでなったのに、宗像市の場合は大山鳴動ネズミ一匹の喩え通り、監督責任者の教育長や行政担当者に「発達支援」の発想がないので、相も変わらず放課後の子ども集団を「閉じ込めお守り」を修正することなく、民間に丸投げしただけに終わりました。「民」の力はまだ試されていないのです。
 結論を言えば、学童保育は「誰がするか」ではなく,「何をするか」、「どんな風にするか」、その結果「どのような子どもの変化が見られるか」です。当然、「まち協」の場合も同じです。単なる「丸投げ」で終わるのか、それとも「まち協」の創造性が発揮されるのか、問われているのはプログラムの筈です。
 周知の通り、病院でも,学校でも、学校給食でも、もちろん学童保育も民営で十分できます。アメリカでは刑務所でさえ民営になっている所があります。
 今や世界の関心を集めているギリシャは、失業救済も兼ねて国民の5人に1人を公務員にし、結果的に国家の財政が破綻しました。「民」を信用しない結果と言ってもいいでしょう。民の失敗は一つの企業やNPO組織の破綻で済みますが、官が破綻すれば時に国家が破綻するのです。日本もいい加減に公営信仰をやめる時代が来ているのです。公共の福祉に関するものは、「公立・公営」でなければならないというのは公共の福祉に関する事業が始まった当時の「伝説」に過ぎません。そうした「伝説」によって、日本社会の「公」は行政が独占を続けて来たということはかつてNPO論で説明した通りです。
 日本の公立学校なども現行の優れた塾に厳しい注文をつけ、行政が結果責任を監督するという前提で任せてみれば、一気に改善を図れるところが多々ある筈です。この国に「チャーター・スクール」が始まらないのも思考停止の公営信仰が続いているからです。すでにこの国の学力は塾を抜きにして考えることができないことは誰でも分かることでしょう。塾や私学に任せれば日本が変わるという発想も公然と主張されるようになったのです(*)。

(*)濤川英太、中萬憲明、中萬隆信、塾が日本を変える、ヒューマン、1996年

2 学童保育は「誰がするか」が問題ではなく,「何をするか」が問題です

 運営も経営も、問題の核心は「中身」であり,「方法」です。運営を民に任せたとしても、公共の原理に照らして、政治や行政の指示と監督の下に「契約」の中できちんと果たすべき任務が貫徹されていれば何ら問題はないのです。問題は、「誰がするか」ではなく,「何をするか」なのです。その時、政治の判断は決定的に重要です。指導・監督を受け持つ行政の意識改革も決定的に重要です。
 筆者は、これまでの経験を総動員して、導入すべきプログラムの展望と期待される効果と方法論を「まち協」の会長に説明しました。しかし、結局、依頼して下さった方々は「まち協」の中の指導権争いに破れ、「仕事の負荷」を恐れた指導員の賛同も得られることなく、新しい試みは拒否されてせっかくの機会は幻に終わりました。
 しかし、今年度は過去から続けて来た山口研修の成果が生きて、同じ中身を山口の井関にこにこクラブが実践してくれることになりました。諦めずに励んでいれば、「捨てる神あれば拾う神あり」ということでしょう。

3 子育て支援と男女共同参画時代の最大の課題は、「保教育」の実現です

 家族の不安は子どもがきちんと「一人前」に向かって育つことです。学童保育の法律上の趣旨も「放課後児童健全育成(児童福祉法第6条の2*1)」ですから、筆者の目的と同じ「健全発達」の筈です。しかし、現在行なわれている学童保育で子どもの発達や成長を促す「プログラム」が存在しません。何度も論じて来た通り、「教育力」の主要部分は「プログラム」の適否です。そのプログラムがないのに子どもの健全育成が達成できる筈はないのです。数人の指導員が異年齢の子どもを狭い空間に詰め込んで安全の管理だけをもっぱらとする方法にどうして成長を助け、発達を促すことができるでしょうか!
 学校と家庭の教育が不十分なため、現代の子どもは「へなへな」です。子ども集団が自由にかつ躍動的に遊んでいた時代も終わりました。それゆえ、学童保育が為すべきことは、現状の保育に集団の遊びや教育の機能を導入して,子どもの発達支援を強化するしかありません。教育機能とは上記の法律が言う「健全育成」プログラムのことです。現状の学童保育は「お守り」をしているだけで、「健全育成」プログラムの指導はしていません。「健全育成」プログラムを導入しようとすれば、指導者が不可欠になります。教育活動を展開する施設機能も不可欠です。上記の法律が保育の場所を「児童厚生施設等」と表現していますが、それは行政の縦割りで福祉が保育を担当しているからです。分野横断的に考えれば、放課後の子どもの活動に最も適している施設は「学校」に決まっているのです。
 また、「お守り」をすればいいという発想に留まっている現状の学童保育に指導者を増員する考えは全くありません。学童保育の指導員のほとんども「健全育成」プログラムを展開することなど考えたこともないでしょう。
 指導者不足の現状を打開する方法は、「豊津寺子屋」が示したように地域のボランティア指導者の発掘と活用しかありません。放課後の保育を希望する者はますます増加傾向にあります。法律の言う10歳前後までの対象を越えて上級生も参加するようになるのも働く家族の不安を考えれば当然の事でしょう。国もようやく自覚して「放課後子ども教室」という保育と子どもの発達支援を結合した総合的「保教育構想」を打ち出しました。5年前、平成19年実施のことです。しかし、どこの地域の実情をお聞きしても学童保育に代替できるような「放課後子ども教室」は実現できておりません。第1の原因は行政の「縦割り」ですが,第2の原因は全国で「学童保育」の指導員が抵抗しているからです。「井関にこにこクラブ」は例外中の例外です。保育を教育から分離する分業にこだわる行政や、教育機能の導入を拒否する現行の指導者こそが問題の根源なのです。友人の教育長の試算では、地域の人的資源を活用すれば、現行予算の半分程度で「保教育」は導入できます。有力者や議員を動員して「保教育構想」に抵抗して来たのは、既得権にこだわり,これまでのやり方を変えたくない行政や学童保育の指導員なのです。事情は全国ほとんど同じです。

*1 児童福祉法第6条の2
 『この法律で、放課後児童健全育成事業とは、小学校に就学しているおおむね十歳未満の児童であって、その保護者が労働等により昼間家庭にいないものに、政令で定める基準に従い、授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図る事業をいう』。

4 勝負の1年

 学童保育の最大の強みは、「地域の力」を生かせることです。すでに福岡県みやこ町の「豊津寺子屋」や飯塚市の「熟年者マナビ塾」の事業が証明したように、指導に当たる熟年者は必ず子どもから力を貰ってお元気になります。「設計」と「施工」が正しければ、子どもは各種の「健全育成プログラム」に参加して一気に「生きる力」を向上させます。定期的な発表会を実施できれば、発達の過程を保護者の皆さんにお見せすることも十分可能になります。
 今回の「井関にこにこクラブ」の実証研究では、子どもの「成績」も上げて見せます、と保護者の皆さんに宣言しました。いわゆる、「教育マニフェスト」です。指導員の皆さんの意欲的な協力体制に鑑みて、もし約束したことが実現しなかったら当方の設計図に欠陥があるということになります。勝負の1年が始まりました。
 「地域の子どもは地域で育てよう」が全国のスローガンになりましたが、具体的な方法論もプログラムも欠如しているのにそんな手品ができる筈はありません。無縁社会化している地域に、教育の「設計図」も「施工者」も特定しないまま、「遊び場ひろば」を作っても、「地域ぐるみの子育て」を叫んでも現状では何一つ生み出せない虚しいスローガンです。そうした現状を打開するためにも、ヨコミネ式保育がやって見せたように、「井関にこにこクラブ」をもって現行の保育行政の「種撒く人」にしたいのです。

未来の学校-コミュニティ・スクールの分かれ道
 -学校のためのコミュニティ資源か、コミュニティのための学校資源か-

 この度の飯塚移動フォーラムでは、飯塚市が取組んでいる中高一貫の学校システムと公民館を抱き合わせる“いわゆる”コミュニティ・スクールの建築構想が進展中ということもあって、九州の最先端を行く春日市のコミュニティ・スクールへの意欲的な取り組みの発表をお聞きした。また、8月には春日市でコミュティ・スクールの未来を論じる全国集会も開かれるとのことでした。コミュニティ・スクールをもって、現在の教育の閉塞状況を打開し、子どもの生きる力を育てようということだと思いますが、果たして、コミュニティ・スクールは「新しい学校」の切り札になりうるでしょうか?
 コミュニティ・スクールは3世代住宅を建てるのと似たような発想が基本です。若夫婦と子どもの居住空間と老夫婦の居住空間を、資金や土地の最大有効利用を図りながら、それぞれの独立と自由を保障しながら、全員が快適に暮らせるシステムを創る事です。コミュニティ・スクールは「学校のための学校施設」と「コミュニティのための多目的施設」を資金や土地の有効利用を図って複合的に活用する方法です。かつて、宗像市で九州産業大学の建築学の弘永教授が試算して下さった結果は、単独で公民館を建設する費用を100とすると複合化した場合には100分の18で出来るという計算でした。社会教育委員会は未来を見据えて新しい小学校は住民が多目的に使うことのできる多目的な「コミュニティ・スクール」にすべきであるという学社連携の「答申」を出しましたが、当時の教育長と学校教育課長が握りつぶしました。もし、彼らが自分のところの3世代住宅を構想した場合でも同じような判断をしたでしょうか。
 飯塚市の場合も、これから公民館を学校と隣り合わせて創るということですが、なぜ施設機能を共有し、設計上の相互乗り入れ方式の多目的な複合施設にしないのでしょうか。恐らく、行政にとって税金は所詮「他人の金」なのです。建築コストを下げる最大要因は土地を共用し、設計上の「柱」を共用することだそうです。100の建設コストが18にまで縮小できるのはそうした工夫をしたデザインだからです。
 筆者の持論は、現行のコミュニティ・スク-ルのあり方に水をぶっかけることになりそうですが、学問上の議論はあくまでも論理的でなければならない、という視点で以下の小論を整理してみました。

1 英語標記の一般論

 あくまでも一般論ですが、英語は前の単語が後の単語を修飾します。Town History は「まちの歴史」で、Historic Townは「歴史のあるまち」になります。同様に、Language Schoolは「語学学校」であり、逆にSchool Languageは「学校用語」という意味でしょう。それゆえ、コミュニティ・スクールはコミュニティのための学校という意味であり、学校のためのコミュニティではありません。文科省も春日市も用語の使い方が逆転しているのです。アメリカにはコミュニティ・スクールに倣って、コミュニティ・カレッジという言い方もあり、「自宅の在るコミュニティから通学の可能な短期大学」という意味です。カレッジ・コミュニティと言ったら「大学町」とか「大学関係者の世界」という意味になるでしょう。
 コミュニティ・カレッジは、当然、当該コミュニティ在住者の子どものために便宜を図った高等教育機関という意味で1960年代から70年代にかけて全米各州において爆発的に発達した教育システムです。コミュニティ在住者の授業料を減免し、単位の移行制で4年制大学と繋ぎ、アメリカの高い高等教育進学率を支えたシステムです。
 これに対して、日本のコミュニティ・スクールの考え方は、コミュニティを学校のために活用しようという発想ですから、言語表記上の通常ルールに全く逆転しています。 日本のコミュニティ・スクール論は、学校のためにコミュニティ資源を如何に使うかという発想が主になっています。

2 総合的発想・総合的プロジェクトの欠如
-タテ割り分業・専門分化がもたらした発想の限界-

 学校は地域の文化センターである、という昔の発想は、まだ私たちの暮らしが細かく分業化される前の発想でした。この時代、学校は教育から集会まで、避難場所から村人の精神的寄り所まで様々の目的に活用され、学校は教育施設であると同時にコミュニティの施設でもあったのです。ラグビーのスローガンのように、学校は地域のために、地域は学校のために存在していたのです。しかし、人々の暮らしが分化し、それに伴って行政が分業化していくと、学校は「学校のためだけの学校」になって行きました。アメリカのコミュニティ・スクール運動もまた「学校のためだけの学校」という発想に対抗する考え方として生み出されて来たのです。アメリカ人達は、「学校のための学校」を次のように表現しています。現在の学校は、「地域のために存在するのではなく、学校自身のために存在する(Not for people, but for school itself)」(T.タルボット*1)のです。
 その原因は、学校は「公共のもの」であるという論理を大義とし、分業化された管理権の下に学校施設が教育行政と教師によって独占的に運営されるようになったからです。事情は我が国においても全く同じです。

*1Walter D. Talbot, ”Foundation of All Education”, Community Education Journal,vol.1,September 1973,p.5

3 学校はコミュニティの暮らしのための資源になり得るのです

 共同体の崩壊によって地域の教育力が衰退した現在、学校の機能を総合化して、放課後の子どもも、共働き家庭の子どもの世話も学校機能の中に包含することが最も効果的で経済的な方法なのです。「無縁社会」をつなぐ第一のカギは「子縁」です。この時学校は「子育て支援施設」となります。東日本大震災の大多数の避難所は学校になりました。この時学校は「避難施設・防災施設」でもあるのです。
 学校がコミュニティを支える資源であるという視点に立てば、その資源をコミュニティのために活用する仕組みこそが「コミュニティ・スクール」なのです。学校が「子どもの縁」を手がかりにして地域を結べば、他人の難儀に一切留意しない無縁社会にもかすかに「志縁」の糸を張り巡らすことができます。熊本県産山村の「子どもヘルパー事業」はそういう事業であり、福岡県旧豊津町の「豊津寺子屋」もそういう事業でした。飯塚市の「子どもマナビ塾」もその一種です。
 日本のコミュニティ・スクール論は全く逆に等しい発想で、コミュニティはあたかも学校のためにあり、地域資源を学校のために活用しようというものです。春日市のコミュニティ・スクールは現行の制約条件の中ではがんばった試みですが、所詮、指導要領が指示する枠の中でコミュニティの資源を活用することに終始し、コミュニティのために学校施設や機能を活用することは不可能に近いのです。学校はコミュニティの暮らしのための資源でもある、という視点がなければコミュニティのための学校ができるはずはなく、したがって看板に掲げたコミュニティ・スクールは本来の目的を裏切っているのです。

4 学校は人口調整機能を発揮できるのです

 学校がコミュニティの資源であることを忘れて、統廃合で消してしまえば、集落を支える可能性の火が消え、人々の連帯の火が消えます。「限界集落」は学校を消したところから始まっていることは全国の現象を見れば火を見るより明らかです。学校が存在しない地域に子育て世代が暮らせる筈はありません。学校をつぶすことは若い世代は来なくていいと宣言するに等しいのです。
 昭和51年当時の国土庁は国土の均衡発展が崩れることを懸念して、教育学者の知恵を総動員して「セカンドスクール」構想を発表しました。セカンドスクールは、セカンドハウスをもじった和製英語です。都会の学校の児童生徒を田舎の学校に長期滞在させ、人口の都市集中の弊害を緩和し、定時の交流人口を拡大し、雇用を創出し、併せて子ども達に新しい生活体験や自然体験の機会を与えようとした発想です。もちろん、「セカンドスクール」は教育問題の解決よりは、交流人口を調整して過疎地再生の切り札として考えられたことは言うまでもありません。すなわち、学校はコミュニティを維持する資源であるという発想が根底にあるのです。
 都会の子が田舎で暮らすことが過疎地にどのような効果をもたらすかは、すでに数々の山村留学制度が証明しました。学校をコミュニティのための存在であると発想できない教育行政の下では、「山村留学制度」がコミュニティ再生の起爆剤になることも、都会っ子の生きる力の再生の契機になることの実験的研究すら行うことはできませんでした。学校を現在の閉鎖的制度に放置したまま、文科省は少年自然の家のような自らの権力の管理下に置ける施設のみを拡充して来たのです。この数十年間、学校教育に対して強制力を持たない野外教育施設がどれくらい社会的効果を発揮したでしょうか?おそらく、その費用対効果の研究すら無いのではないでしょうか?これらの野外教育施設に投じられた資金と人材を「セカンドスクール」や「山村留学制度」に投資していたら、どのような結果が得られたか研究上の発想も存在しないのだと思います。

5 学校は緊急時の「防災施設」でもあります

 頻繁に見聞する通り、台風でも地震でも学校は常に避難施設であり、防災施設です。しかし、現在、学校はたまたま避難施設や防災施設になっているだけで、最初から目的的に避難や防災を意図して作られたり使われたりしているわけではありません。教育行政や学校自身に自分たちは教育施設であると同時に避難施設や防災施設でもあるという意識は存在しないからです。それゆえ、コンクリートの塀をまわしたりするのです。石原都知事がコンクリートの塀を生け垣に代えるように指示し、地震の時などどこからでも学校に逃げ込んで避難できるようにしたという報道を見ましたが、都知事はコミュニティの安全のための資源として学校を発想しているのです。都知事がもう一歩進めて、全ての学校は、防災施設、子育て支援施設、高齢者の居場所施設として、建築デザインから現状を考え直せと指示を出していたら、彼は日本の教育史に残る人物になったことでしょう。学校はコミュニティのための資源という考え方こそが「コミュニティ・スクール」の原点です。

6 ランチルームは一人暮らしの高齢者の昼食カフェテリア

筆者がアメリカで見聞したプログラムには、学校のカフェテリア(ランチルーム)に高齢者が昼食にやって来て、生徒がお世話をしている事例がありました。日本の教育行政はタテ割分業ですから、こうした発想は先ず分からないでしょうが、コミュニティのための学校という発想さえあれば、福祉行政が冷たい弁当など届ける代わりに年寄りを学校に招き、生徒に接遇を教え、高齢者を地域で孤立させない政策が可能になるのです。飯塚市の前教育長が「熟年者マナビ塾」を小学校に組み入れたのは、誠に卓見でしたが、学校を地域資源と見る発想がない限り、教育行政と福祉行政が連携して、学校を活用して高齢者と子どもを繋ごうとする発想は発展しないのです。神戸市の宮崎市長が主張した「学校公園構想」はアメリカのコミュニティ・スクールを参考にした事例ですが、運動場が公園を兼ねていれば、高齢者は散歩に来て、子どもと接することができます。また、学校の図書室がコミュニュティ・ライブラリーを兼ねていればそこでひとときを過ごすことも出来るのです。それが神戸市須磨区の高倉台小学校です。しかし、この構想は文科省が当時認めていた学校デザインや補助規定の中でしか承認しなかったため、小さな図書室が看板だけコミュニティ・ライブラリーになっただけでした。宮崎構想にも公民館建設と学校建設を抱き合わせる発想が欠けていたため、せっかくの「学校公園構想」もその趣旨はほとんど生きませんでした。学校は学校のための学校だという考えを当時の行政は一歩も出ることができなったということです。

7 学校をコミュニティの資源であると発想したら、専門の資源管理者が必要になります。

 アメリカのコミュニティ・スクールには「学校駐在社会教育主事」とでも呼ぶべき、“Community School Education Directors”が配置されていました。教員に学校資源をコミュニティのために活用する発想や力量を期待できない以上、当然の配慮だと思います。ここから制度上の学社連携がスタートします。
 福岡県の須恵町が学校に社会教育委員を配置したのも同様の発想だと理解しております。中島町長さんは、学校施設を最初からコミュニティ施設として発想してデザインすれば公民館はいらないというお考えでした。その通りです。学校をコミュニティから分離し、閉鎖的にした元凶は文科省の発想であり、校長や教員達に税金で建設したコミュニティ施設を自分たちだけの占有施設だと錯覚させた元凶は学校施設の目的外使用の禁止という近視眼的な法律なのです。

8 アメリカの発想に学ぶー学社連携の第1歩は教育資源の共用

アメリカのコミュニティ・スクールは、文字通り「コミュニティのための学校」です。これに対して日本のコミュニティ・スクールのアクセントは「学校のためのコミュニティ資源の活用」にあります。
大部分のアメリカの地方教育長は選挙で選ばれ、教育税は目的税です。学校を支えているのは基本的に地域社会ですから、税金で建てた学校が「コミュニティのための学校」になるのはある意味で当然なのです。
最も分かり易い「地域の学校」のあり方は、まず学校の教育資源を地域と共同利用する方法を開発することです。経済的にも施設の共同利用こそが最も合理的なのです。日本の市町村立学校も、法律的にみても設置者はそれぞれの市町村であることに間違いありませんから、施設備品は建物「地域の学校」に帰属するのです(*1)。日本の義務教育学校は、予算の大部分を国が助成しているので、国の教育行政を始めとする行政のタテ割り分業がアメリカ型のコミュニティ・スクールの構想を妨げているのです。学校がコミュニティの資源であるという発想に立てば、上記のように防災も、過疎の歯止めも、高齢者福祉や子育て支援も学校を活用して政策が展開できるのです。
コミュニティのために学校を活用するという発想が欠如すれば、学校は自校の子どもにすら放課後の学校施設は使わせません。旧豊津町の畑中町長は学童保育に学校を使用することをあくまでも拒む教育長と校長に最終的に命令に近い強制力を発動せざるを得なかったのです。現在筆者は、山口市阿知須の井関小学校の学童クラブの指導に関わっていますが、菅校長先生は必要な学校施設はどうぞお使い下さいとおっしゃる希有の学校人ですが、彼女が例外中の例外であることは教育関係者ならご存知のことでしょう。
学社でも学福でも異なった分野の連携の基本原理は、両分野の教育資源を効果的に組み合わせることから始まります。教育資源の最も分かり易い例は、施設・設備等の物理的資源です。近年、地域の社会体育の思想が普及して、体育館や運動場を地域開放している学校は非常に増えてきています。しかし、「地域の学校」を前提とした複合化・共用化という視点から見れば、日本の学校は到底コミュニティの学校には成り得ていません。恐らく、関係者に学校をコミュニティの資源として発想する視点が存在しないのだと思います。

9 幻に終わった宗像コミュニティ・スクールの実験

昭和58年、第2回九州地区生涯教育実践研究交流会において、当時の宗像市の第9番目の小学校建設を素材として、弘永氏(九州産業大学、建築学)と三浦が連名で発表した「学校教育施設の複合・共用化の方法についての実験的考察」(*2)はまさしくアメリカのコミュティ・スクール発想を参考にしています。弘永、三浦共に宗像市の社会教育委員でした。私たちは宗像市の幹部を同行して先の神戸市立高倉台小学校を視察しました。「複合・共用化」の小学校は視察の反省の上に構想された幻のコミュニティ・スクールです。
「幻の」というのは当時の教育長と学校教育課長が社会教育委員会答申を握りつぶしたからです。
学校と社会教育施設の「複合化及び共用化が必要かつ望ましい理由」は以下の7点です。現在であれば、当然、学童保育のような行政分業上は福祉行政に属する活動もコミュニティを基盤にしているので学校施設を活用すべきだと考えますが、当時はそこ迄の発想は明確にはなっていませんでした。(原文のままを掲載。法令等が現在と異なる。)

(1)学校を地域の学校として理解し、子どもたちと同時に地域住民が活用することによって、学校をコミュニティ形成の場の一つとして考える。
(2)地域住民による学校施設利用については、いわゆる学校開放思想としてその奨励が図られ、学校教育法85条、社会教育法44条、スポーツ振興法13条等によって法的にも国が方針を示している。
(3)今日の経済状勢を鑑み、地域住民の専用の社会教育施設を日常生活圏内に早急かつもれなく確保していくことは、極めて困難である。
(4)学校教育施設に社会教育施設を複合・共用化することによって、用地取得財源を著しく節約することができる。
(5)複合・共用化施設は、学校教育施設と社会教育施設を同時に設計、建築および施工することにより、設計、建築および施工上の諸経費の節約が可能になる。
(6)新増築の小学校に複合・共用施設を配置することは、最終的には小学校ごとに住民が利用できる施設を提供することが可能になる。
(7)住民の利用を前提として学校教育施設を複合・共用化する場合、社会教育面からの配慮が学校教育施設に付加されることによって、学校教育施設自体も整備・充実が可能になる。」

この研究論文から2年後の第4回大会で弘永氏は、深田氏との連名で「学社連携構想に基づくコミュニティ・スクールの建築計画」というテーマでも研究発表を行っています(*3)。その中で、学校教育・社会教育共用化についての背景を段階的にまとめ、「運動場を児童に対して遊び場として自由に開放する」段階から「地域の団体や個人に社会教育、あるいは社会教育的事業サービスを学校の施設を利用して行う」段階までを具体化しています。「施設共用化」について、教育施設の開放といった視点に留まらず、共用化、共同利用といった立場からとらえることの必要性です。特記すべきは「コスト」でした。当時の地価や建築コストを勘案した上で、学校に公民館を抱き合わせにした場合、弘永教授の設計図案によれば、独立・単独で公民館を建設した場合のコストを100とした場合、学校との複合施設では100分の18でできるということでした。行政は何と税金の効率的投資に無関心なのでしょう!

10 アメリカで見た施設共用

アメリカで筆者が見た事例は「比較生涯教育」(全日本社会教育連合会、昭和63年)で紹介しています。前述した学校カフェテリアの昼食提供機能の高齢者への開放、学校運動場の公園化、学校プールの温水化と市民および幼児教育機関への開放、放課後の特別教室の成人教育への開放、学校図書館とコミュニティ図書館との併用建設などがそれです。筆者は学校を活用したアメリカ史」のコースと「初心者ピアノ教室」を観察上受講してみましたが、プログラムはコミュニティ・スクール・エデュケーション・ディレクターが企画・管理していました。学校駐在公民館主事(社会教育主事)というところでしょう。ピアノ教師は街の音楽家、歴史の先生は高校の教員でした。

11 学校のための地域

一方、日本の地域は学校に対して門戸を閉ざしたことは一度もありません。学校は常に「子ども宿」(*4)の延長であり、地域の文化センターであり、子どもの縁を通して形成された地域のよりどころでした。学校のためであれば地域は腕まくりをして馳せ参じて来たのです。近年、文科省が提起した「子どもの居場所」事業も、「学校支援地域本部」事業も地域の人々は暖かい応援の手を差し伸べました。地域が学校に寄せる思いの強さの結果だったと思います。筆者が成功させた長崎県壱岐市の霞翠小学校の実践も飯塚市の八木山小学校の実践もこちらの発想で行ったプログラムです。学校が頭を下げさえすれば、学校が地域の資源を活用するのは日本の風土では簡単なことなのです。
それゆえ、学校と地域との協働または社会教育との連携は、学校教育施設の開放から始めるのは学校の地域に対する「友好の意」を表す象徴的で論理的なアプローチなのです。もちろん、学校教育施設と社会教育施設の複合・共用化を進める上での大前提として「学校教育の機能が損なわれたり、その活動の障碍になったりすることがあってはならない」ことは法律上の前提です。それゆえ、コミュニティ・スクールは、第1に、開放ゾーン、非開放ゾーンの区別の明確化、第2に、非開放ゾーンと開放ゾーンの物理的遮断、第3に、駐車場や開放ゾーンへの一般市民のアプローチ方法の区分け、第4に、開放ゾーンを活用するための専用付属施設・設備の設置(会議室、更衣室、シャワー、出入り口、便所、台所、倉庫、その他)など様々な工夫を行うことが大切です。

(*1)学校施設の目的外使用の禁止(学校施設確保政令) 学校教育法第2条(学校の設置者)、学校教育法第137条(学校施設の社会教育への利用)等を参照。
(*2)弘永直廉、三浦清一郎、「学校教育施設の複合・共用化の方法についての実験的考察」、昭和58年、第2回大会発表資料、上記の論文は社会教育委員の会議の答申の骨子を為したものでした。
(*3)弘永直廉・深田由美、「学社連携構想に基づくコミュニティ・スクールの建築計画」、昭和60年、第4回大会発表資料
(*4)柳田國男は江戸期から近代日本の地域社会が子どもを保護者から離して合宿形式で養育・訓練した「子やらい」の場所を「子ども宿」や「若衆宿」と呼ばれていたと報告しています。また、子どもの民族学-一人前に育てる、大藤ゆき著、草土文化、1982年を参照。
 

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

H.S さまへ 哀歌3首

寂寥と苦痛に堪えて横たわる
我が身一つの夜ぞ更けにける

青嵐の緑を揺すり山へ駈け
霧雨けむる遠い夜の汽車

巡り逢いて有り難きかな分かり合い
我が晩年に花を添えたり

遥かな友へ

皆さんが集まると聞きました
お前も来ないかと誘っていただきました
むかしは、ことある度に「遥かな友へ」を歌いました
私は今でも時々静かな夜更けに歌います
振り返ると何もかも美しく
いい時代でした
お目にかかると壊れそうな儚い時代でした
人生は不帰です
昔には帰れそうもありません
だから私は出かけないことにしました
みんな元気でお互いの健康を祝したら
「遥かな友へ」を歌って下さい
きっと九州まで聞こえます
ごきげんよう

福岡県太宰府市 樋田京子 様

 予告通りのお見事なカムバックですね。読者になっていただいて光栄です。ご期待に添うことは至難ですが、燃え尽きる直前のロウソクのように輝いてがんばりたいものです。過分の印刷・郵送料をありがとうございました。

149号お知らせ

1 第120回生涯教育まちづくり移動フォーラムin山口(山口県生涯学習研修生:「Volovoloの会」と共催)
 山口の仲間のご好意で公開の移動フォーラムにしていただきました。インフォーマルな心温まる会です。会場は一見の価値ある「菜香亭」、宿泊は快適・低価格のホテルです。各地のみな様におかれましても湯田温泉探訪を兼ねて、奮ってご参加下さい。大歓迎です。
日程:6月2日(土)13:00-3日(日)11:50まで
会場:菜香亭(山口市天花、TEL:083-934-3312)
宿泊及び懇親会:セントコア山口(山口市湯田、TEL:083-922-0811)
プログラム
(1) 各参加者の実践発表(各10分程度)
(2) ミニ講義 大島まな 「日常生活の中で育む体力・耐性―30年前からの宿題」
(3) ミニ講義 三浦清一郎 「子どもの内在力を引き出す原理と方法」
連絡先/事務局 赤田博夫(宇部市立鵜ノ島小学校校長:TEL0836-31-0808または090-9065-6220)

2 第121回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin福岡

日時:6月23日(土)15:00-17:00
場所:福岡県立社会教育総合センター(糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511)
事例発表:福岡県飯塚市立若菜小学校「パワーアップ・ファイブ」の実践(交渉中)
論文発表:「暮らしの姿勢」-健康寿命の決定要因(仮)

編集後記

 食い合わせが悪かったのか数日間体調不良で苦しみました。気分が悪いのに加えて、スタミナがなく、取組んだことが長続きしません。体力は動物の能力で、気力や耐性は人間の能力です。病気というのは気力や耐性だけではどうにもならず、動物的能力の体力が先だということでしょう。原稿を投げ打って手料理に集中し、すき焼き、鰈の煮付け、肉じゃが、カレーライスと作りました。ようやく復調、たまった洗濯を終わり、草を抜き、包丁類を研ぎ、ベッドの敷布を変えました。6月23日(土)のフォーラムでは「健康寿命の要因は『暮らしの姿勢』」を発表します。

あの日のように

神様の居る五月晴れ
白いパラソル立てました
5月の庭を飾ります
新緑の紅葉がそよぎ
レモンがそよぎ
百日紅がそよぎ
天に向かって
林檎はたくさんの腕を伸ばし
紅白の芍薬が揺れ
黄色い薔薇が揺れ
ナデシコは鉢から溢れんばかりの深紅です
小学校に少年野球の歓声がひびき
蝶が舞い、蜂の羽音が飛び交い
犬たちは夏だ、夏だと跳びはね
下の田んぼにトラクターが入り
田植えの準備が始まれば
いつも通りに
ゴールデンウイークが終わります
私はアールグレイの紅茶を注ぎ
あの日と何も変わりませんが
今日はあなたの椅子に教え子が座っています

不帰

あなたと住んで30年
川辺の若木は花を付け
花吹雪を舞わせ、
花筏を浮かべ
城山が若葉に覆われ、
稲田に水が入り
初夏の風が渡る頃
どことなく鬱蒼たる並木の面影を宿し、
子ども達があなたの孫の手を引いて歩む日が来ます
私は老いてとぼとぼと後を行くだけだが
結局はこれでよかったのだと思える時
過去と未来の間を白い特急、青い特急が行き交い
帰らぬ四季が甦り
つくづくあなたにも見せたかったと思うのです

「風の便り 」(第148号)

発行日:平成24年4月
発行者 三浦清一郎

子どもの「内在力」を引き出す
4度目の「体力・耐性」の実践的研究

 この度九州女子大学の大島まな准教授から、「体力・耐性」が学力の基礎を成し、最終的に「生きる力」の基礎を成すという従来の筆者の主張を具体的なデータによって裏付けてみたいという研究協力のご依頼がありました。当然、学校を第1候補として、各地のご協力候補者を打診して参りました。ご親切に協力を申し出てくださった教育長さんもいらっしゃったのですが、結論的に、現状の学校には私たちの訓練計画を実行していただく意志も能力もないと見切りを付けざるを得ませんでした。
 最終的にこれまで最も積極的かつ協力的に当方の意図するプログラムを展開して下さった山口市阿知須に所在する「井関にこにこクラブ」(井関学童クラブ)と共同研究のスクラムを組むことになりました。
 そのため、具体的な計画に先立って、井関にこにこクラブの担当者と大島-三浦のグループで、鹿児島県志布志市にあるヨコミネ式の保育園と学童保育の実態を見学させてもらいました。幸い、日程も合致して、横峯吉文氏の講義も拝聴しました。以下はこれまで筆者が積上げて来た研究の総括とこの度の見学結果の感想です。

研究の総括と発想の経緯

 筆者に取っても、大島先生にとっても「体力・耐性」論の原点は約30年前3か年にわたって連続実施した福岡県筑前大島での少年のための野外教育キャンプにあります。この研究は松田財団の研究奨励賞を受け、『現代教育の忘れ物』として1987年に学文社から初版の報告書を出版しています。大学院時代の大島先生も執筆者の一員でした。以後、筆者は長崎県の霞翠小学校、福岡県豊津町の「豊津寺子屋」、福岡県飯塚市の八木山小学校の実践に関わり、大島先生も観察者として終始練習の過程や発表会を見聞し、資料を保管してくれました。どのプログラムも応用した方法や内容は変えましたが、体力と耐性のトレーニングが個人を成長させ、集団の連帯や責任意識を形成する鍵になるという発想は一貫して変わりませんでした。「井関にこにこクラブ」を応援して来た背景もそうした発想の延長上にあります。
 筆者の人生もいよいよ終わりに近づき、今回の出版が果たせれば、これまでの実践研究の総括となり、少年教育論の集大成になるような予感があります。

I  自己体験の総括と研究・観察結果の結論
  -体力と耐性が「生きる力」の2大要素-
 
 研究も実践も体力とがまんの結果であるというのが人生70年を生きた自己体験の総括です。これら二つの要素を欠けば、学術書を読み続ける根気は続かず、論文を書き続ける集中力は持ちません。
 芸術家などのことは分かりませんが、実務家については、これまで出会った人間の観察結果の結論も同じところに行き着きます。体力と耐性のない人々はものごとを為し遂げていません。困難を凌ぎ、展望のはっきりしない途中経過に堪えて、長い時間に亘って目的や目標を追い続けることができないからだと思います。体力と耐性の欠けた人々の多くは、語ることが多く、実行が少なく、約束を果たさず、時間や期限を守りません。体力と耐性なくして「学力」は元より、人生の事は成らないというのが結論です。

II  筆者の子ども観

 子ども観は青少年教育論の土台を成します。筆者の教育観を形成している子ども観を要約すれば以下のようになります。

1 成果に対しても、プロセスに対しても、社会的承認を不可欠としている

-成果や向上に繋がらない姿勢や実践は叱り、繋がる実践はひたすら褒めることが原則です。

2 子どもには「出来るようになりたいこと」がある

-「あの人のようになりたい」という憧れは「同一視」の学び方です。同一視の対象は家族の中にも、友だちや先輩の中にも、もちろん先生の中にもいます。

3 実践の向上は「機能快」を生む

-遊びに象徴されるように、何事であろうと進歩や進化は心身に喜びをもたらします。ドイツの心理学者カール・ビューラーはその喜びを「機能快」と名付けました。
4 「生きる力」は闘争本能・競争本能が原点

-人間には闘争本能があります。それゆえ、子どもには集団間・集団内で挑戦させ、競争させることが指導の原点になります。誰もがどこかで脚光を浴び、勝者になることができるよう配慮することが指導者の務めです。最後は自分との競争になるので記録会・発表会は不可欠です。

5 方法論上の「自由」と「抑制」-「楽しさ」と「厳しさ」の組み合わせが重要

 -放置すれば人間(子ども)の欲求は野放しになり、収拾がつかなくなります。教育もしつけもフロイドの「快楽原則」を満足させることと同時にその制御を教えることが原則です。

III 筆者の教育観

 筆者の教育観は子ども観と重複しないところだけを取り出して書くと以下のようになります。

1 教育の3原則

やったことのないことはできない
教えなければ分からない
練習しなければ上手にはならない

それゆえ、「させる」、「教える」、「練習を忘れない」が指導の基本になります。この3つを子どもが喜んでやるように仕向けるのが指導者の腕ということになります。

2 教育力の中核は意識的または無意識的に行なわれる人間(子ども)に対するプログラムの適否と量の総体である

*1 がまんする力は「がまんする環境」の中でつくられます。それゆえ、「がまんする環境」をプログラム化すれば、がまんする力を育てることができます。プログラムとは基本的に第3者がつくるものです。

*2 自主性・自律性は「自分でやらざるを得ない環境」の中でつくられます。それゆえ、「自分でやらざるを得ない環境」をプログラム化すれば自主性・自律性を育てることができます。一見矛盾して聞こえるでしょうが、自主性・自律性は、自主・自律を要求する他律のプログラムの中で育てることができるのです。

*3 それゆえ、「教育力がない」とは基本的に日常生活の中に子どもの発達を促すプログラムがないということと同意味です。

IV 聞きしにまさるヨコミネ式保教育の素晴らしさ 

 「論より証拠」とはヨコミネ式保教育のためにある言-だと思いました。読者の皆様にも是非一度見学をお勧めいたします。本稿の表題の通り、ヨコミネ式保教育は子どもに内在する能力をいかんなく引き出し、われわれの前に見事に紹介してくれました。躍動する子ども達の身体能力を見ただけでその凄さは並大抵のものではありません。個人の体得能力に速い、遅いの違いはあっても、どの子も同じようにできるようになっていることは子ども集団の力を実に巧みに活用し、子どもの競争心・向上心を活用していると拝見しました。

 私たちは二日連続して「伊崎田保育園」の生活実態を見せていただき、矢野やす子園長さんのご厚意で子ども達の演技も見せていただきました。矢野園長は教育分野のご出身ではありません。それゆえ、園の運営の説明に教育用語はほとんど使われませんでしたが、為さっていることは実に教育原理に適った見事な指導でした。また、二日目の後半に運良く主催者横峯氏の教育論を拝聴することもできました。子育ての現状分析も子ども観も教育方法論も基本的に筆者が考えて来たことと共通していましたが、彼が為し遂げた幼児期の身体能力や音楽能力の開発実践は私には思いもよらぬことでした。事実がどんな理論よりも強いことは彼が育てている子ども達を見れば一目瞭然です。教育者としての彼の天分は実に優れたものでした。
 Educate(教育)とは「引き出す」という意味だということは、教育学の常識ですが、これまで説かれた何百の教育論に比較して、横峯氏ほど普通の幼児からあれだけの「能力」を引き出した人はいなかったでしょう。学ぶ構え、身体能力、自律性、音楽能力どれをとってもまさに脱帽です。
 「教育技術の法則化運動(TOSS)」(向山洋一)や「子どもが育つ魔法の言葉」(ドロシー・ノルト)など従来の教育界でも様々な優れた試みが行なわれましたが、明快に全ての子どもをできるようにすることで子どもの「内在力」を証明し、保育園のありのままの日常を公開し得たのは横峯氏をもって最初だろうと思います。また、横峯氏は学童保育も重視し、驚くべきことに中学生までも受入れ、親の事情によっては「お泊り保育」まで実施しています。彼の説く保教育論からは男女共同参画の言葉は全く聞かれませんでしたが、「保育」と「教育」を融合させ、子どもの自律性を育て、「学習する環境」を保障し、働く女性を実質上、最も有効に支援しているのも横峯氏の実践であると思いました。
 教育学が教育科学であることを主張するのであれば、研究者も、文科省も、厚生労働省の保育担当も横峯氏の教育実践と競って、それぞれの理論を実践し、子どもに内在する能力をきちんと引き出して世間に公開して見せる義務があると思います。それができないのであれば、謙虚に彼の方法論を学ぶべきだと思います。
 横峯氏になぜ幼児期の身体能力のトレーニングに着目したのかを質問してみました。きっかけは「保育師の指導の下で子ども達がつまらなそうにラジオ体操をしていたのを見たからだ」ということでした。子どもの挑戦する精神、競い合う闘争心、お互いから学び合う真摯な憧れ、興味や関心を追求する探究心、認められたいと願う強い向上心などが横峯氏の教育プログラムの根底を成す着眼でした。これらの子ども観は横峯氏の「独創」ではなく、昔から各国の教育学や心理学で言われて来た教育論ですが、それらを幼児の教育実践に結びつけて具体的にやってみせたということこそ指導者としての彼の最大の天分であり、独創と言うべきでしょう。横峯氏は保育所のトレーニングを経た学童期の小学生以上の子どもには、彼らの自主性・自律性を重視し、学習プログラムを準備するだけで何も教えていませんでした。彼らは黙々と決められたプログラムに取組んでいるだけで、身体訓練も、集団行動もさせていないということでした。大島准教授がその理由を質問したところ、身体能力の訓練や集団教育の効果は幼児期こそが重要で、学童期を余り重視していないというお考えでした。運動神経系の発達は6歳までがピークであるという発想で、「一度一人で自転車に乗れるようになれば、しばらく乗らなくても忘れないものだ!」という説明でした。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ (Robert Fulghum,河出文庫) 」というアメリカのベストセラーと似たような発想です。しかし、私たちは、世間と折り合って生きなければならない人生は明らかに自転車に乗ったり、静かに自習をしたりすることより「複雑」な体験や知恵を必要とする筈だと考えています。それゆえ、「井関にこにこクラブ」が取組むべきプログラムは、体力・耐性、自主性・自律性はもちろんですが、「仲間と一緒に挑戦する幸福な少年期」の創造になると思います。学童期の集団活動や集団内の協調や連帯こそヨコミネ式に付け加えるべき発想だと感じて帰って来たところです。

V 「生きる力」=「一人前」の「理想型」

 学校教育の言う知・徳・体こそが人間発達の3大要素であり、その調和的発達の結果こそが「生きる力」の「理想型」です。
 古今東西、社会はあらゆる教育機関・教育者に「一人前」の育成を期待しています。知・徳・体の調和的発達とは、換言すれば「一人前」の資質の「理想型」を意味します。「気は優しくて力持ち」も「文武両道」も調和的発達が理想とする原形です。学校は「学力」向上を任務とするという学校教育の特質に鑑みて三大要素の順序を逆に記述しています。社会生活に適応して行く順序性を考えれば、知・徳・体ではなく、体・徳・知こそが幼少年期の発達の順序性です。体力を基礎、耐性を土台として、その上に学力や社会性を鍛えて行く順序はこれまでの筆者の研究の通りです。体力や耐性を飛ばし、途中の目標を抜き出して「確かな学力、豊かな心」だけを育てるなどということはできないのです。

VI  体力重視は動物的機能の重視と同じ意味です

 人間は「霊長類ヒト科の動物」が教育としつけによって人間となりました。人間の「生きる力」の構成原理は老若男女に適用できることもこれまでの研究の通りです。乳幼児を見れば明らかなように、原理的に、体力・耐性が先で、教育やしつけは後です。
 頭脳が機能停止しても死とは呼ばず、肉体が機能停止した時、初めて死と呼ばれます。体力重視は動物的機能の重視と同じ意味です。
 しかし、高齢者を見れば明らかなように、肉体の衰弱を予防し、死を予防する指令は頭脳から出されるところに調和的発達における精神や理性の重大な意義があります。

VII 研究計画立案上の仮説

大島先生と立てた研究上の仮説は以下の通りです。よって「井関にこにこクラブ」のプログラムはこれらの仮説を踏まえて立案することになります。

1 仮説1 

 現代の子どもは総じて過保護に育っているので、教育プログラムによって体力と耐性を向上させることは可能である。

2 仮説2

 体力と耐性は「生きる力」の根幹を成す資質であり、両者の向上は児童に「内在する力」を引き出し、学力その他個々の日常行動に望ましい影響をもたらす。
3 仮説3

 
体力及び耐性の向上が児童の日常行動に与える望ましい影響は、人間的資質の初期形成期ほど大きく、発展途上にある幼少年期ほど明確に観察・実証が可能である。

4 仮説4

 想定されるプログラムは学校教育課程・指導過程の中で例外なく、最も総合的かつ実践的に実行・観察が可能である。日常的に反復される学童保育は次善の選択肢である。

国際結婚の社会学④
I Love Youが言えません

1 日本の文化は間接表現の文化(*1)です

「間接表現」とは、間接的にものを言うということです。「関接的に」とは、時に、「遠回し」に言うことであり、「ぼかして」言うことであり、「全部を言わない」ことであり、最終的には相手の気付くのを待って、「何も言わない」ことでもあります。要するに、間接的に言うとは、直接的な表現を押さえるということであり、表現や主張を控えるということになります。もちろん、「表現を控える」ということは自分の言いたいことも言わない、ということも含んでいます。
 間接表現の原点は「秘すれば花」に象徴されています。「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」(*2)は世阿弥の名言です。ものごとは秘められているからこそその魅力がにじみ出るという指摘です。才ある人のゆかしさも、美しき人の美しさも、恋文の切なさもそれぞれの主張を程々に抑えているところにある、というのです。かくして日本の芸術は「陰影」を礼賛し、抑制を賞賛し、言外の言を読み取る「察し」を前提にして来たのです。「秘すれば花」は「察し」を要求するのです。その背景には、文化の称揚する「謙譲」の美徳があります。才が才を誇り、美しさが美しさを主張し、恋文が節度を失った時には、それぞれの価値や資格を失うことになるとすれば、多くの日本人は言うべきこともいわずに飲み込んで生きたことでしょう。言語による直接的コミュニケーションが疎くなる傾向が強いのです。しかし、恋愛から外務省の外交交渉まで当方が主張すべきことを主張しなければお互い分かりようはないのです。

*1 三浦清一郎、「日本型コミュニケーションのジレンマ」、日本の自画像(大中幸子編著)、全日本社会教育連合会pp.159~184

*2 世阿弥 「風姿花伝」、岩波文庫 昭和33

2 「梅咲くころ」

 ケーブルテレビは古い番組を再放送・再々放送して経費を浮かすので、巧まずして昔見逃した番組を見ることができます。
 先日は偶然、何度目かの「三屋清左衛門残日録」(藤沢周平)の再放送にあたりました。私が見たのは「梅咲くころ」という物語でしたが、後で原文に当たってみたら脚本家が新しい話を2つ挿入していることが分かりました。話は清左衛門が江戸詰めの側用人のころ、男にだまされて生きる気力を失って自殺を図ったひとりの奥女中を辛抱強く励ます中で、彼女の心を梅の一枝を贈ることで救ったという回想に始まります。そして一転、歳月を経て、この度、ふるさとに戻った彼女をふたたび結婚詐欺もどきの不祥事から救ったという物語です。主役は表題通り梅の花です。
 脚本家が挿入したのは、二組の夫婦間の男女のコミュニケーション問題でした。
一組は、清左衛門の仲立ちで再婚した男女。もう一組は清左衛門自身と亡き妻の間の感情のやり取りのことです。私が気を引かれたのは挿入された方の話でした。日本人の国際結婚のコミュニケーション問題に重なるからです。 
 一組目の夫婦は、再婚者同士でした。男は藩でも名だたる剣士で先に妻を亡くした平松与五郎、女は酒乱の夫の虐待に堪えかねて離縁し、実家に帰っていた上士の娘で多美といいます。清左衛門には、偶然、多美の母と若い頃に小さな旅の事件を共有したというほのかな思い出があり、多美の再婚話に肩入れしたという別の独立した物語が存在し、今回挿入された小さな物語の伏線になっています。
 奥女中の苦境を救った物語のテーマが「梅咲くころ」となっていたので、脚本家は二組の夫婦の物語にも梅の枝をからませた筋立てにしています。梅にまつわる3つの挿話を絡ませてテレビドラマの動きを盛り上げようとしたのだと思いますが、珍しく原作以上の面白さになっていました。優れた原作に手を入れれば、通常は読者をがっかりさせるのが落ちですが、挿入した物語が原作を引き立てているということは、脚本家の腕が素晴らしいということでしょう。

2 コミュニケーションのできない再婚同士

 多美は男に恐怖を抱くようにまでなった虐げられた女性ですが、清左衛門の語る亡き母の思い出や剣士平松に寄せる並々ならぬ評価とやさしい説得にほだされて再婚を決意しました。一方、妻を亡くした平松は尊敬する清左衛門の勧めであり、大いに乗り気だった一方、多美の実家に比べればはるかに家禄の低い平侍で、彼らが生きた時代の「つりあい」の問題を気にしていました。
 しかし、再婚に熱心だったのは「出戻り」の娘を抱え込まざるを得ない多美の実家の方でした。与五郎と多美は清左衛門の幼なじみで、現役の町奉行の佐伯熊太の仲人で無事に結婚したのです。挿入された話は結婚後の後日談です。
 
剣の稽古や論語の会で一緒になる平松がどことなく元気のないことに気付いた清左衛門は、嫁の里枝に頼んで平松夫妻の様子を見に行ってくれるよう頼みます。戻って来た里枝の報告では、平松夫婦はお互いに遠慮し合って距離を置き、日々の夫婦間のコミュニケーションもうまくいっていないようだということでした。「おふたりは一緒の布団に寝ることもないようです。女の私には分かります」ということでした。
 そう言えば、江戸藩邸詰めの頃は、自分も亡き妻の便りに返事一つ書いたことはなかったな、と回想する清左衛門でした。

3 I Love Youが言えません

 清左衛門が奥女中の松枝の結婚詐欺もどきの事件の解決に追われていた最中、与五郎と多美夫婦は小さな破局に達し、多美は家を飛び出し、清左衛門のところに飛び込んできました。慰めたり、励ましたりする嫁の里枝の前で、多美はきちんとした理由も言えぬまま「もうあの方とはやって行けません」とさめざめと泣き続けるばかりでした。
 折りも折り、風呂から上がった里枝の夫の又四郎は「今日も風呂がぬるかったぞ」と里枝に文句をいい、里枝は「わざとぬるめにしているのです」と口答えをし、「ぬるいくらいがお身体には丁度いいのです」と負けずに言い返しました。
 筆者もドラマのこの間の会話を全て正確に憶えているわけではありませんが、二人の隔てのない仲睦まじいやり取りに接した多美ははたと自分の不満はこうした何気ない夫婦間のコミュニケーションすらないということだと気付き、「あの方はなにもおっしゃらないのです」と里枝の前に泣き伏すのでした。突然の号泣にあっけにとられている夫妻の前で、「黙ってご飯を食べるだけで何もおっしゃいません」。「みそ汁も前の奥様が作られた味が忘れられないのです」。とにかく「何もおっしゃってくださらないのです」と泣き口説き、「もうあの家へは帰りません」と言うのです。
 一方、突然の妻の家出に途方にくれた与五郎は仲人の町奉行佐伯熊太にどうしたものかと苦境を訴えます。事情を察した熊太は「おまえはそのくらいのことも分からんのか」とばかり、床の間に生けてあった梅の一枝をとって「これをもって迎えに行け!」「待て、待て、黙って渡すんでないぞ!」「好きだ!と言って渡すんだぞ」と念を押します。呆然として聞いている与五郎にはまだ状況が飲み込めていないと察した熊太は、「よい、よい、わしが多美さんだと思って言って見よ!」「ちゃんとわしの方を見よ!」、「好きじゃ」と言うんだぞ」と命じ、身をよじって苦しむ与五郎に梅の一枝を渡す予行演習をさせるのでした。与五郎はどことなく若い時代の小生に似ていました。

4 「分かって欲しい」という思いと「抑制しなさい」という文化の掟

 表現は人間個々人が行うものである以上、個性であり、それぞれの主張を含まざるを得ません。ところが「謙譲の美徳」を基調とする「控えめで」「慎ましい」文化は、そうした個性や主張をも「言わぬが花」だと言っているのです。個性が個性であるためには表現されなければなりません。同じように、主張が主張となるためには主張されなければなりません。ところが表現を抑制することが美しいという文化に立てば、個性と主張もまた抑制されなければなりません。
 与五郎と多美はこの文化のジレンマの中で苦しんだ不器用者ということになるでしょう。誰もが思い思いの人生を生きたいと願っていることを前提にすれば、みんなが理解と表現を求めていることになります。ところが日本文化は、この表現欲求に抑制のブレーキをかけ、「察して分かれ」とだけしか言わないのです。結果的に、「主張」と「表現」の間に緊張関係が生み出されます。簡単にいえば、「主張」はしていいが、「直接的には」するな、というルールがそれです。このルールを守ったためにまだ若い不器用な二人のコミュニケーションが途絶えることになったのです。奉行が差し出した「梅の一枝」は言語的コミュニケーションを仲介する名脇役というところでしょう。

5 練習せずに上手になる筈はないのです

 読者のお察しの通り、三屋家に取って返した与五郎は、門に入るのさえためらい、あげくの果てに、期待に胸膨らませて出て来た多美に梅の一枝を渡すどころか、「ご迷惑おかけした清左衛門殿にお詫び申し上げねばならぬ」「里枝殿にも誠に申し訳ない」などとあらぬことを支離滅裂に口走り、ふたたび多美を絶望の渕に突き落とすのでした。場数を踏んでいない与五郎に素直にI love youが言える筈はないのです。I love youもまた練習なしには上手に言えるようにはならないのです。二人とも自分の気持ちを素直に言葉にして相手に伝えることができず、なぜ分かってくれないのかと身悶えしているだけなのです。
 現在の筆者は町奉行の佐伯熊太ぐらいの芸当はできるようになりました。しかし、結婚当初は、亊あるごとに妻が口にするI love youは言えませんでした。外出時に手を繋いだり、腕を組んだりしたがる妻に、狼狽えたり、邪険にしたりしたものでした。済まないことをしたと思います。誕生日や結婚記念日ごとに花を持って帰れるようになったのもずっとあとの事でした。「愚妻」に近い表現を謙譲のつもりで言って、妻を大いに悲しませたことも憶えています。直接表現の文化の国から来た妻には愛情の薄い、無粋で、物足りなく、不作の亭主と思ったことでしょう。後に、汚名挽回がなったかどうか、今となっては彼岸の彼女に尋ねる術もありません。

6 「直接表現の文化」のアメリカ

 表現の抑制を掟とする日本の文化と対照的に、筆者が体験したアメリカ型の表現は「直接表現の文化」です。夫婦にとってI love youは愛し合っていることを前提とした「あいさつ」です。敵意をもっていないことを証明する「こんにちは」の延長線上にあります。挨拶ですからそれを言わない夫婦はおかしいのです。妻の困惑や苛立ちが今になって分かります。
 直接表現の文化は、文字通り表現の直接性を尊びます。率直な表現、正確な表現、論理的で華麗な表現が歓迎されます。この文化においては、個人の自己主張・自己表現は、ほとんど大部分「正当」であり、表現は原則的に「善」であると受け取られます。自己を主張し、議論を戦わすことは基本的に「善」なのです。それゆえ、人々はためらわずに意見をいい、率直に要望を主張します。男女の区別は基本的にありません。「主張」することが「はしたないこと」ではない以上、男も女も「欲しいもの」は欲しいと言い、「反対のもの」には率直に反対します。
 後に「戦友」になった妻の議論の頼もしさも、最初は要らざる「ことあげ」と感じて、感情的な喧嘩になったりしました。お互いの文化の特性が分かって喧嘩をしなくなるまでにはかなりの時間を要したように思います。
 アメリカ人の妻にとって「表現」の意欲や形式が「文化」によって制約されることはないのです。「気を利かして察してくれよ」と当方は思い、「必要なことははっきり言いなさい」と先方は思っていたのです。妻は、当然、自分を豊かに表現することにも、自分を明確に主張することにも工夫を凝らします。それを亭主にも要求します。小生の日常は英語から身だしなみまで絶えず妻のチェックに会い、あからさまに診断・評価され、プライドが傷つくことも多々ありました。時に、余りの酷評に不満を言うと「私の他に誰が言ってくれますか」と返す刀で一刀両断でした。日本の文化が「分かってもらうこと」に高い価値を置くのと対照的に、アメリカでは「わからせること」が重要なのです。それゆえ、人々は論理と言い回しを工夫し、ディベートやスピーチの技術を磨き、自分の思いをどう伝えるかという「プレゼンテーション(提案・発表)」に心を砕くのです。妻が私以外の日本人に直接表現を控えるようになったのは、間接表現文化の掟を会得したからでしょう。日本人よりも日本人らしいアメリカ人というよそ様の妻への評価は亭主の秘めたる誇りでした。彼女もまた早い時点で「言わぬが花」を学んだのです。

7 双方が「慎ましさ」と「控えめ」を守ったら言葉が出なくなります

 与五郎や私がI love you を声に出して言えなかったのは、あからさまに言うことは慎ましさを失うことだと教えられていたからです。日本人は、他者の「察し」の能力に期待し、言いたいこともぼかし、主張すべきことも遠回しにしか言わない間接表現の文化の中に暮らしているのです。日本の文化は「慎ましさ」を礼賛し、「控えめ」を推奨しています。黙っていても「察し」をつけて、分かってもらえることが、理想的なコミュニケーションです。「秘すれば花」は「言わぬが花」となり、「能ある鷹は爪を隠す」というのが「望ましい人」の行動原理になります。これらは自己主張は美しくないという戒めです。言動の「節度」の重要性を説いています。いずれも日本人の言動を規定している「文化の掟」です。文化の「掟」ということは長い歴史の選択に耐えてきた言動の「心理的規範」であり、美的「基準」なのです。この「基準」は普通のしつけを受けた日本人を拘束し、文明が進化しても、暮らしの仕組みが変わっても、江戸時代はもとより現代も一朝一夕に変わるものではありません。
 要するに、日本では、主張の抑制も、表現の抑制も「美しいこと」であり、謙譲は「美徳」であり、遠慮がちや控えめであることは「奥ゆかしい」ことなのですい、自己を主張し、己を誇り、才を表すことは日本的美の基準に反し,当然、「おしゃべり」は美しくないのです。こうした原理を裏側から読めば、多くの日本人は率直に意見を言うことを禁じられているばかりか、思いを表現することすらも文化の原則に反する「悪」なのです。

老いの身のひとりを生きる

「居甲斐」と「やり甲斐」-なければ滅ぶ

 佐賀市の勧興公民館で行なった移動フォーラム・シンポジュームは、標記のテーマの「新しさ」の故に各地から多くの人々が参集し、それなりの目的を果たしました。高齢社会はいよいよ取り残された「独り身」の人々の「暮らし方」を取り出して論じなければならないところまで来たということです。
 日々の家事を始め、生活事務を自律的に処理できない人は滅び、また、それが出来たとしても「居甲斐」と「やり甲斐」を見出せる「活動」を持たない人もやがて滅ぶ、ということが垣間見えた登壇者の発言でした。皆さんに共通していたのは「活動者」だということでした。まさに期せずして「ボランティア」は「他者への社会貢献」と同時に「自分のため」の活動なのだと再確認をしました。
 九共大古市教授の軽妙な司会で、登壇の高齢で、配偶者に先立たれた独身者は、老衰や孤独との戦いを訥々と思い思いに語りました。事前の打ち合せで活発に話し、大いに盛り上がった話題についての発言がほとんどなかったのは、登壇者自身が「もう、さっき、言ったでない!」と思われた節があり、古市先生が頭を抱えたのもユーモラスでした。「くどい話はダメよ」と自らに言い聞かせている高齢者は、「打ち合せ」と「本番」を同一視したのかもしれません。皆さん二度目の繰り返し発言と遠慮して自制された節がありました。公開の場で高齢者の発言を引き出す司会の難しさを感じさせました。
 家の中に話し相手のいなくなった筆者は日々犬に話しかけて暮らしておりますが、福岡の大石正人さんは電子レンジに話しかけているそうです。レンジの終了音が「チーン」となると「ちょっと待ってね」と声をかけながら暮らしているという下りには、「そうだ、そうだ」と息ができないほどに笑いました。
 また、会場から子どもや孫と同居するようになって感じる「人のなかでの孤独」こそが、ひとりぼっちの孤独以上にやり切れない孤独なのだという指摘があり、一同高齢者の「居場所」の条件の複雑さに思い至りました。一緒に暮らしたところで日々は息子夫婦や孫のペースで進行し、「置き去り」にされる高齢者の心理的適応の問題は、同居の故により深刻になるだろうと想像力を働かせればまさしくその通りです。

1 「必修家事」の不消化

一人くらしが当面する最初の課題は家事と生活事務が残された者に全面的にかかって来るということです。電話も手紙も、「支払い事務」も「受け取り事務」も全て一人でさばかなければなりません。郵便局も銀行も、ゴミ出しも、分別収集当番も、回覧板も一斉清掃も、時には、組長やまち内の役割分担も全て一人でこなさなければなりません。特に、男が残された場合には家事が問題です。男女共同参画を理解・実践していない限り、一日3度の飯に始まり、後片付けや炊事、洗濯、乾燥、整理整頓、買い物など家事は未経験の領域であることが多い筈です。しかも、毎日のことですから熟練を要します。
 日本の高齢者教育は男の料理教室などを必修にすべきですが、選択制の生涯学習では「その時」が来るまでは、大半の男はやろうとはしないでしょうね。
 「家事手伝い」を傭うとか、常に外食で、常にクリーニング屋を使うという「家事のアウトソーシング」ができれば話は別ですが、これにはお金がかかります。お金があれば家事がビジネス化された現代を一人で生き抜くことはできますが、金もない、家事もできないというのでは最悪です。一人暮しの「必修家事」に対応できなければ、家はごみ屋敷となり、生活リズムは崩壊し、本人の没落は時間の問題です。

2 時間意識の切迫→ストレスの堆積

上記の通り、一人暮しの第1条件は、炊事、洗濯、掃除など日常を快適に保つための家事一般の能力が備わっているということです。しかし、第2の問題は「時間」です。「時間」の問題とは、「物理的時間」と「心理的時間」の2種類があります。
 筆者は、男女共同参画を信条として暮らしていましたので、普段から家事には習熟していました。しかし、日々の生活と仕事を両立させるためには、如何せん時間が足りなくなりました。「間に合わない」というのが「物理的問題」で、「どうしようという焦り」が「心理的問題」です。時間意識の切迫は心身にストレスを堆積させ、意欲・気力の減退を招きます。
 老後の活動量を落さず、生涯現役を全うしようとすれば、一人暮らしの身にも「ワークライフ・バランス」の問題は発生するのです。
 生活処理能力の点では自分でできる事も、暮らしのスケジュールや生活リズムの中で、時間的締め切りに間に合わなければ、「無力感」と「切迫感」に苛まれます。「無力感」とは「意欲や気力」が減退することであり、「切迫感」とは焦ったり、腹を立てたり、情緒的安定を失い、ストレスが増すことです。筆者は、数ヶ月、自分なりに試行錯誤を続けた後、自分一人の能力と時間のやり繰りだけでは「時間効率」の点で限界があり、ストレスが溜まり、日常の「快適性」が大幅にダウンすることを認めざるをえませんでした。要するに、「ワークライフ・バランス」が崩壊するという危機に直面しました。換言すれば、日々の仕事は停滞し、溜まって行く埃と汚れた食器類と洗濯物の間に埋れて、苛立ち、暮らしの意欲や気力に大いにマイナス作用を及ぼすのです。

3 食事・睡眠・健康管理

 第3の問題は健康管理です。一人暮らしの身は寝込んだら生活の全てが滞ります。怪我はもちろんのこと、「風邪」ひとつ引くことも禁物です。友人諸氏からは「飯はちゃんと食っているか」とか、「休養は取っているか」とか、便りの度に助言があります。料理ができないだろうと思ったのでしょう。やさしい差し入れもあちこちから頂きました。活動を通して人々と繋がっていたことのありがたさをあらためて再確認しました。しかし、健康管理の核心は、「健康でいたい」という「意志」と「意欲」の問題です。せっかく頂いた差し入れも「食う気にならない」とか「眠りが浅い」とか、「体操や運動も億劫」というように、己の生活リズムが崩れれば効果はありません。一人暮らしには、己を律する「意志」や「意欲」の問題が立ちはだかるのです。
 せっかく生み出した余裕の時間を自堕落にテレビを見て過ごしたり、食育の論文を書きながら「茶漬け」ばかりを食っているという矛盾は「一緒に飯を食ったり、話をしたりする「誰かがいない」というところに行き着きます。「ご飯屋」のようなおかずを組み合わせてバランスよく食べることのできるレストランも登場しているのですが、ひとりぼっちで飯を喰うくらいなら犬と一緒に食べたほうがましだと思って外食を控えることはたびたびあります。筆者にとって、「外食」が惨めなのは、「くいもの」の問題ではなく、「対話の相手がいない」ということだったと思います。
せっかくの余暇を「無為」に過ごして、時間を持て余すのは家の中に会話がないということだったと思います。
 それゆえ、健康管理の面で最も助けられたのは2匹のミニチュア・ピンシャーがいたことでした。犬たちとの毎朝の散歩がなければ、運動もせず、したがって腹も減らず、飯も食わず、気持ちの上で癒されず、きっとどこかの時点で健康を損ねていたような気がします。ひとりぼっちの暮らしに生き物は宝です。

4 二三日誰ともしゃべらない→社交の激減→失語症-認知症の恐怖

筆者の職業にも関係するのですが、読み、書きの機会は十分あります。しかし、妻の没後は対話の機会が途絶えました。原稿に集中していると二三日誰ともしゃべらないという日があります。言葉が出なくなった経験はありませんが、もしかしたら言葉を失うという恐怖はあります。
 家の中に話す相手が居ないということは、食欲が湧かないというような具体的な問題に留まらず、人間的な情や情に基づくコミュニケーションが枯渇して行くのではないかという恐怖に駆られます。しばらく休んでいた詩歌の音読を再開したのは失語症の恐怖と戦うためです。
 教え子が誘ってくれる会食や英会話指導のボランティアや生涯教育の研究会は大人の人間と語る唯一の脱出路ですが、これも毎日ということにはなりません。対話のない日々、人間の声を聞かない日々に耐えることは一人暮しの条件です。

5 孤独感と孤立感

 人の性格にもよると思いますが、孤独感は一人暮しの大敵です。実質はひとりぼっちでも、やることがあって仲間との通信が頻繁に行なわれている間は、孤独感は襲って来ません。問題は連休や盆暮れ正月、年度末、年度始めなどです。仲間も友人も、それぞれの家族や帰属組織の中に閉じ籠って他の人間のことなど気にかけません。遠い子どもとの数分の電話もスカイプも終わった後は、ひとりぼっちの高齢者にとって「宴の後」よりもっと悪い静寂の深淵が広がります。孤独感は徐々に孤立感に変質し、誰かにかまってもらおうなどと思っていなくても、誰もかまってくれはしないと感じることは辛いことです。
 「人恋しい」という寂しがりやの孤独感は「誰も自分のことなど思い出しもしない」という孤立感に変質するのです。世間が連休・休暇中の時は、世間に背を向けて自分の世界の計画に没頭することが自己防衛の方法の一つだと分かって来ました。課題があり、仕事があり、やりたいことがあることは人間の最大の救いだと実感しています。その意味でも「晩学」は我が救いになっています。

6 事故、急病、孤独死の迷惑を防ぐ「無事の便り」

 一人暮しを始めて直ぐ「無事の便り」を工夫して発送し始めました。高齢者の事故や突然死の迷惑を最少限に留めて外部世界に及ぼさない配慮です。子どもには毎週、友人には毎日送っています。無事に生きているということだけの簡単な知らせです。週間無事の便りは60号、日々の便りは当然365日を越えました。
 散歩の途中で思いがけず転んだことをきっかけに緊急連絡先を書き出して玄関に貼りました。室内で突然死した時のために合鍵も複数の友人に託しました。
 「無事の便り」にはそれぞれの反応があるので、巧まずして声のない対話になっています。インターネットの利便性は情報化時代の高齢者に対する最大の贈り物だと思います。その意味でもかつて公明党が政策化した「地域振興券」は、「コンピュータ-技能習得券」や「健康体操受講券」などに翻訳して高齢者に支給すればいいのです。

人間の中の孤独

 会場から子どもや孫と同居するようになって感じる「人の中での孤独」こそがやり切れない孤独なのだという鋭い指摘がありました。高齢者の「居場所」の条件の複雑さに思い至りました。高齢世代と若い世代では暮らしのペースが異なり、興味も、関心も異なります。細かいことを言えば食事の味付けも、食い物の種類も異なります。昔の年寄りと違って現代の高齢者の多くは主体的です。老いてもそう易々と子には従いません。
 子どもや孫と暮らすことが希望だとアンケート調査には出て来ますが、親も子も、お互いの現状認識が甘いのです。一緒に暮らしたところで日々は息子夫婦や孫のペースで進行し、やがて親の労働力が枯れ、暮らしの中で「置き去り」にされたり、「お荷物」だと思われるようになれば、高齢者の心理的適応の問題は、同居の故により深刻になるだろうと想像しました。それでも登壇の皆さんはおおむね楽観的でした。平均寿命から言えば、数年のうちに来る「死」に対する具体的な準備については余り語られませんでした。終末医療や遺言や葬儀や自分史は残された第2部の課題ということなのでしょう。

7 「生き甲斐」の必須事項は二つです-「居甲斐」と「やり甲斐」

 近隣は「無縁社会」です。隣近所と挨拶は交わしますが、誰もかまってはくれません。みなそれぞれに自己都合を優先しているので、一人暮しの年寄りを気づかう者はいません。現代人は他者を気づかう時間やエネルギ-がないのではありません。「自己中」ですから、自分の為の時間とエネルギーにしか関心がないのです。
 「居甲斐」とは、他者から受ける好意的感情の総体です。
無縁社会の唯一の例外的縁は志縁です。典型的な例は、自分が多少のお世話をしている方々です。象徴的には、「あなたに逢えてよかったと思って下さる方々」であり、あなたから見て、「この人に会えてよかったと思える人々」です。そうした人々のみがあなたに多少の感謝の念や愛隣の情を示してくれます。それが「居甲斐」の感情です。他者の好意を感じて、「ここにいて良かった」と思える心境を意味しています。筆者が「読み、書き、体操、ボランティア」と唱えてきた最後の「ボランティア」は、人々の感謝と愛情と尊敬を受けることを可能にする数少ない具体的な方法だからです。なぜなら、「他者への貢献」だけが職業から引退した高齢者にとって唯一「志縁」に繋がり、社会参画を可能にする道だからです。
 他方、「やり甲斐」を構成するのは、活動の機能快と成果と成果に対する社会的承認です。定年や子育ての完了によって、社会があなたを必要とする活動の舞台を失ったとき、多くの人は「やり甲斐」を失い、人生の希望と意欲を失うのだと予感しています。
 現役時代は労働の中に「やり甲斐」を見つけることができました。頂く給料や賃金が、あなたを社会が必要としている証でした。辛いことがあったとしても、日々の労働は成果や機能快や満足感を生み出していました。しかし、定年や引退はそれらの過程を根こそぎ失うのです。活動が「やり甲斐」の基であり、中でもボランティアは高齢者に唯一可能な「居甲斐」と「やり甲斐」の両方を含んだ生き甲斐の鍵なのです。

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

新潟県加茂市 山本悦子 様

 稀に他の読者も感想を下さいますが、それぞれに忙しく、日々の営みに比べれば、「風の便り」の優先順位は低いのです。毎月のはがきはあなた様だけです。いつも励みにしています。年をとると時々やる気を失います。自信も希望も失います。
 やさしい便りは気持ちのビタミン。時には執筆カルシューム。一度お礼を申し上げたく、紙上にご返事を書きました。こちらこそありがとうございます。

福岡県筑後市 江里口 充 様

 その後経過はいかがでしょうか。各地から似たような事故の報告が届くようになりました。年をとってからの怪我は治癒に時間がかかります。ご無理のないようくれぐれもご自愛下さい。各地で社会教育がなくなるような現象が続く一方、生涯学習を生涯教育に改める動きも出始めました。しばらくこの国の試行錯誤が続くことでしょう。今更ながら筑後市が社会教育課を守り通したことの卓見に敬意を表します。この度は、過分の郵送・印刷費をありがとうございました。

北海道札幌市 竹川勝雄 様

 有言実行ですね。平の有盛伝を拝読いたしました。次のプロジェクトはなんでしょうか。熟年の自転車は止まると倒れます。熟年は「タコが自らの足を食いながら生きる」ように、自らの活動を食いながら生きるしかないと思うようになりました。止まれば倒れとすれば、自らを多動の回遊魚マグロにたとえ、ひたすら泳ぎ続けることにしています。がんばりましょう。

K.M 様

 親の介護は重い課題ですね。親孝行や恩返しを「課題」だと思いたくないお気持ちはよく分かりますが、介護保険のできたわけを考えると、介護は日本の親子の「課題」とならざるを得ないのです。新しい法律の在宅介護の出張制度も読めば読むほど「課題」の解決のための制度です。あなたは「恩返し」でいいのです。今のところ日本文化の解釈は人それぞれですから。
 私は子ども達に「恩返し」をさせたくないのです。高齢者問題を研究する中で、たくさんの親子関係を見聞しました。たくさんの妻達の「重荷」も読みました。兄弟姉妹が親の介護をたらい回しする争いも読みました。介護は男性よりも女性が分担させられるケースが断然多いからです。
 「重荷」の原点は、親の「甘え」にあります。その甘えを増長させているのが、子どもの「親孝行」と「恩返し」という日本文化が要求する世間体にあると思うようになったのです。我が地域では「敬老会」の通知にも文句が来るようになりました。施設介護は「姥捨てやま」だと思う方々の世間体を恐れる気持ちが抗議の核心にあります。
 施設で暮らす生老病死の季節が「悲しい」・「寂しい」と思う年寄りが多いことは分かっています。しかし、高齢化の中で、子どもに「重荷」を背負わせる順送りは誰かが断ち切らなければならないのです。私はその誰かになりたいのです。人間も獣に倣って社会という森の奥の人知れぬ死に場所に帰って行く時代が来たと思います。

山口県山口市 上野敦子 様

 メールの開通何よりのことです。「井関にこにこクラブ」と大島研究チームとの共同研究はくれぐれもよろしくお願い申し上げます。プログラムの実施にあたっては、子ども達を急がせないで、急ぐ」ことが秘訣です。スピードは「負荷」の第1条件ですから・・.
 ヨコミネ式がそうしたように子どもの遊びの中から子どもの発達を支援できる工夫を見つけて下さい。当面、急ぐのは「井関エアロビ」の選曲と振り付けです。どうしてもうまく行かなかったらご一報下さい。老骨が駆けつけます。

148号お知らせ

1 第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会

日時:5月19-20日(土-日)
前夜祭:18日(金)の19時-

 前回チラシを同封した通りです
。過去3年間の参加者には4月中旬に詳細を記したご案内のリーフレットを発送いたしました。ご参加ご希望の方は福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)までお問い合わせ下さい。

2 平成24年度前期「Volovoloの会」(山口県生涯学習研修・親睦会)

日程:6月2日(土)-3日(日)の予定です。
主たる報告は巻頭小論に記した、「井関にこにこクラブ」における九州女子大学研究グループの『体力と耐性の向上が児童の日常行動に及ぼす望ましい影響の総合的・実践的・実証的研究』になる予定です。

3 第120回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin福岡

 日程だけ決まりました。6月23日(土)15時より、福岡県立社会教育総合センターで行います。

編集後記 
今日も元気で帰ったぞ!

遠出の仕事を戻ったら
エンジン音で分かります
家は祭りの始まりで
Daddy is Home!と怒鳴ります
今日も元気で帰ったぞ!
わんわん、BowWow、祭りです
鍵開けるのももどかしく
コート脱ぐのももどかしく
床にべったり尻餅ついて
2匹を両腕に抱えます
カイザ―、You are My Boy!
レックス、You Too, My Boy!
寂しかったろ!My Boys!
留守番偉いぞ!My Boys!
今夜はどこへも行かないぞ
あしたもどこへも行かないぞ
しばらく背中をさすったら
ようやく落ち着く2匹です
遠い昔になりました
子ども達にもやりました
70過ぎてようやくに
照れずに妻にも大きな声で
今日も元気で帰ったぞ
一人で待つのはさびしかろ
写真のあなたは微笑んで

がんばりなさいというのです

夕闇の門辺に咲きて
沈丁花
みな待ちわぶるわが家路かな

彩小紋

朝の花屋に飛び込んで
店一番の「彩小紋」
輝くように放射して
腕一杯の青い花
鉢を抱えて帰ります
そこのけ、そこのけ、お花が通る
前も見えない大鉢で
心づくしのもてなしは
自分の気持ちを一新し
猛勉強を始めます
ふだんは質素に暮らしても
やっときゃやろもん衝動買い
豪儀なもんです「彩小紋」
部屋中青く光ります
花の命が乗り移り
自分も何やらシャンとして
明日のお客を待ってます

彩小紋青く霞みて 春よ春
遠き昔に還るすべなし