「風の便り 」(第149号)

発行日:平成24年5月
発行者 三浦清一郎

国際結婚の社会学⑤ 表現のダブルスタンダード

1 日本人を止める

 アメリカで快適に仕事をするためには、一時的に日本人を止める事が重要です。アメリカ生活において「郷に入っては郷に従え」とはそういうことです。とりわけ日本で受けた表現のしつけを捨てなければ、アメリカ人と交わり、楽しく暮らすことは難しいでしょう。「あいまいに相づちを打ったり」、「照れ隠しに笑う」ことは禁物です。英語が分からないのに分かった振りも禁物です。「結構です」などという曖昧語も禁止です。「 知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。 これ知なり」(論語/孔子)に倣って言えば「好きを好きとなし、好かざるを好かざるとなす。これアメリカ流礼節なり」ということです。
 賛成にも反対にもイエス、ノーをはっきり言って、その理由を端的に説明できることが肝要です。自己紹介も遠慮やへりくだりを止めて、自分が一生懸命やって来たことを熱っぽく語ることが好感を呼びます。「控えめ」が美しい日本に対し、「率直であること」、「外交的であること(Outgoingness)」が人付き合いの条件になるアメリカです。意見を言わなければ「意見がない」と解釈され、発言しなければ「発言すべきものがない」と思われかねないアメリカです。同僚との会話もポンポンとピンポンのように明るく弾んでやり返すことが肝要で、事は語学力の問題以上に愛嬌や機転(ウイット)の問題です。多くの日本人には適応のための意識的自己トレーニングが必要になるでしょう。「無駄口は慎め」、と教えられて来た日本人が日々の軽い会話のキャッチボールを楽しめないのは想像に余りあります。しかし、最長3-4分の「カクテル・パーティー」での「立ち話型」のコミュニケーション文化に慣れない限りアメリカ生活をエンジョイすることは難しいだろうと思います。
 日本からの留学生や研究者がアメリカの同僚と議論も交わさず、隣近所のアメリカ市民と交流もせず、ひたすら図書館にこもるのは、多くの場合、「真面目」なのではなく「逃避」です。逃避の主要原因はアメリカ流コミュニケーションが出来ないということだったでしょう。
 アメリカの学生達は講義の途中でもためらわず私の話を中断し、質問を投げかけ、意見を言います。よくぞ聞いてくれたとばかりに「いいところを突いている」とか「面白い見方だ」などとコメントを入れて、喜んで応えなければ「いい先生」「フレンドリーな先生」「学識ある先生」にはなれません。質問も意見も学生達が「真面目に聞いています」、「予習もして来ました」というアピールの一種なのです。教師の側もそれに呼応して「質問できるのは考えているからだ」、「意見が言えることは意見があるからだ」と認めてやるのがキャッチボールです。もちろん、教室でのディスカッションに参加することは評価の対象になります。「通夜」のような日本の教室とは大違いなのです。

2 サバイバル条件としての直接表現能力

 上記のように筆者が体験したアメリカでの学生生活や教員としての体験は「直接表現の文化」の洗礼でした。直接表現を学ばない限り、アメリカでの生活は不幸を招きます。直接表現能力はアメリカ生活のサバイバル能力なのです。
 直接表現の文化は、文字通り表現の直接性を尊びます。率直な表現、正確な表現、論理的で華麗な表現が歓迎されます。この文化においては、個人の自己主張・自己表現は、ほとんど大部分「正当」であり、表現は原則的に「善」であると受け取られます。自己を主張し、議論を戦わすことは基本的に「善」なのです。それゆえ、人々はためらわずに意見をいい、率直に要望を主張します。質問する学生は概ね優秀であり、教授に論理的な議論挑む学生も大いに評価されます。男女の区別は基本的にありません。「主張」することが「推奨されている」以上、主張しないことは「主張すべきものを持たない」という意味になります。男も女も何にでも「自分の意見」を持つことを期待されています。
 「分からないこと」は分からないと言い、「欲しいもの」は欲しいと言い、「反対のもの」には率直に反対します。「表現」の意欲や形式が「文化」によって制約されることはほとんどないのです。人々は、当然、自分を豊かに表現することにも、自分を明確に主張することにも工夫を凝らします。日本の文化が「分かってもらうこと」に高い価値を置くのと対照的に、アメリカではアピールし、「分からせること」が重要なのです。それゆえ、人々は論理と言い回しを工夫し、ディベートやスピーチの技術を磨き、自分の思いをどう伝えるかという「プレゼンテーション(提案・発表)」に心を砕くのです。

3 「放たれし女のごとく、わが妻の振舞ふ日なり」

 久々に妻を伴ってアメリカに帰ると、彼女の言葉や振る舞いが自信をもって生き生きと輝きます。「放たれし女のごとく、わが妻の振舞ふ日なり、ダリヤを見入る」(啄木)のように彼女に見入ったものでした。知らない土地で新たに生活を始めるに際し、妻は鼻歌でも歌うように銀行口座を開くのでも、車を買うのでも、アパートを探すのでも、学校への転入手続きでも、あれよあれよという間にやってのけ、誠に頼もしいかぎりでした。
 彼女も日本では「郷に従い」、表現を自己抑制していたことがよく分かります。日本を捨ててアメリカで暮らすようになった我が娘にも似たような現象が見られます。男性に比べて文化の抑圧度の高い女性は特にそうなのでしょう。日本で自己抑制していた表現や思いがアメリカの直接表現文化に接することによって自由に解き放たれるのだと思います。当然、私も仕事を始める前には妻に倣って、アメリカ流表現の態度に「ギアチェンジ」します。一時的に日本人を止めるとはこのギアチェンジのことです。「ここはアメリカである」とおまじないのように唱えて、日々の挨拶、褒め言葉、意見表明、交渉ごとまで、日本にいる時は恐らく決してしないことや言わないことを実行します。
 私は帰国後のことを考えて子ども達を毎土曜日に開講される日本人補習学校に入れていましたが、せっかく日本人を止めてアメリカを楽しんでいる子どもたちにとって週1回の「日本人同窓会」は余計なことだと感じていました。アメリカにいる間は基本的に日本人との付き合いも断ちました。
 一方、たまに出る日本人との懇親の席で、配偶者がアメリカに馴染めず、途中で帰国したり、ご自分も全く楽しんでいない日本人に数多く会いました。彼らが日本人会を頼りに群れて「日本人をやっている」限り、アメリカ文化は「難行・苦行」の原因になります。アメリカ流の表現に馴染んで克服しない限り、アメリカでの勉学も仕事も花を咲かす機会はやって来ないでしょう。どの国と付き合うかにもよりますが、国際化というのは表現や価値判断においてある程度日本の文化とその国の文化と二重の「基準」を使い分けることが必要になるのです。特に、アメリカ文化は直接表現の文化ですから、間接表現のしつけを受けて来た日本人はそのしつけ自体を一時棚上げにしないとアメリカ生活を楽しむことは難しいのです。特に、人々とのコミュニケーションにおいて、一時的にせよ、日本人を止めなければならないほどにアメリカ流と日本流のダブルスタンダードを使い分けなければならないのです。かねがね心配していることですが、「借りて来たネコ」のような人々をたくさん見て来ました。どの国が相手であるにせよ、日本人が日本流で行う外交交渉は大丈夫でしょうかね。

4 「遠慮」の塊と「察し」の鈍

 日本の文化は直接的表現を「悪」とし、言外の「察し」を要求すると書いて来ました。それゆえ、日本の表現文化は相手の察する能力を前提とする「間接表現」の文化です。全部言わなくても分かってもらえることを理想とします。それゆえ、直接指摘したり、敢えて全部を言うのは「無粋」で「くどい」ということになるのです。そのため、「控えめ」や「遠慮」のように、慎ましさと奥床しさを美徳とする表現の作法が形成されたのです。
 相手の察する能力を前提とする間接表現は相手の感受性を勘案してこちらの言い方を工夫しなければなりません。文化のトレーニングがまだ及んでいない子どもには「噛んで含めるように」言いますが、同じ文化で育った友だち同士は全部を言わなくても「阿吽の呼吸」で分かり合えるのです。ローマ人の言-に「徳は中道を歩む」とありますが、間接表現文化の基準も中道を行くのです。
 文化が「察し」を要求するとき、行き過ぎたトレーニングを受けた者は必要最低限以上のことは何も言えなくなり、ろくなトレーニングを受けなかった者は「察し」の能力が磨かれません。前者は育ちのいい多くの日本女性が代表で、後者は「察し」を必要としない文化に育った外国人が代表です。要するに、間接表現の文化には、「遠慮の塊」と「察しの鈍」の両極端が生まれるのです。
 表現の使い分けは「間接表現文化」が当面する一つの宿命です。子どもやしつけの行き届いていない若者に言う時には、言うべきことを言わなければ、何も進まず、何も決めることができません。アメリカ人などに対しても同じでしょう。相手によって表現の作法を使い分けることができなければ、少なくとも日本人の教師や先に引用した「奉行」の職は務まらないのです。

5 間接表現文化のトレーニング

 「察し」の鈍い学生には「1から10まで説明しなければ分からんのか!」、「いちいち全部を言わせるな」、「気を利かし、気をまわし、気働きをせよ」、「みんなの動きを見ろ」、「空気を読め」などと言って叱ります。彼らには「全部を言わないトレーニング」が必要なのです。
 一方、「控えめ」の基準や「遠慮」の作法に囚われて身動きのできない生徒もいます。先に紹介した平松与五郎と多美夫妻が典型的な例です(前号藤沢周平作、三屋清左衛門残日録 参照)が、彼らは文化のしつけが効き過ぎて表現上の不器用者になってしまったと考えることができます。そうした種類の学生にはこちらから近寄って声をかけ、相手の気持ちを楽にしてやることが必要になります。「何か分からないことがあるか」、「意見があるのかな」、「遠慮をしないで言ってみたら」、「よし、珈琲でも飲みながら聞こう」などと言って発言を促します。間接表現文化はほどほどに表現し、ほどほどに分かってもらうという「中道」を行くのです。
 恋する人に自らの思いを短い歌に託し、句に託すという表現文化は、象徴や暗喩を駆使し、「言いながらも全部は言っていない」という表現の「中道」を芸術にまで高めたということでしょう。

6 発言の自己抑制

 かつて男女共同参画を論じた際に書いたことがあるのですが、日本の女性が社会的かつ文化的に自らの発言を封じられる状況は2種類あると考えられます。第1の状況は、抑制というよりは「弾圧」です。男性及び男性支配のシステムが女性の発言を抑制したり禁じたりする場合です。そもそも女性を「発言の場」に参加させなかったり、或いは直接的に「女は引っ込んでろ」、「女はだまってろ」と女性の発言を封じる場合がそれです。
 これに対して第2の状況は、女性自身が自らの発言を自己抑制してしまう場合です。後者は女性自身が日本文化の期待に応えて「控えめな女性」、「奥ゆかしい女性」、「遠慮がちな女性」を演じる時です。社会生活の表舞台に立つことの少なかった日本女性は男性に増して自己主張を控えざるを得なかったことは想像に難くありません。
 しかし、文化は、立ち居振る舞いの空気であり、作法ですから、女性を縛ると同時に男性も縛ります。抑制の利いていない直接的表現は性別に関係なく、「美しくない」ものとして文化が禁止しているのです。日本人がアメリカ文化に適応することが難しいのはそのためです。それゆえ、間接表現文化で育った者と直接表現文化で育った者が結婚し、一緒に暮らすことは最初は戸惑いが多いでしょう。しかし、双方に学ぶ気持ちさえあればギアチェンジをし、表現のダブルスタンダードを使い分けながら好き合った個人が歩み寄ることは十分可能なのです。

「誰がするか」ではなく,「何をするか」です
-学童保育の再点検-

 筆者は研究者ですから基本的に設計図を描く建築士の役割を負っています。もちろん、耐震構造ならぬ子どもの「成績構造」や「自立構造」を実証的に調べた上での設計図です。
 次の課題は施工業者の選定です。これまで筆者が関わった中にも成功例、失敗例取り混ぜていくつかあります。建築業界と同じく施行業者が手抜きをすれば設計図が正しくても期待通りの建物は建ちません。教育もまた、設計者-施工業者あわせて「何を」、「どのように」するかが問われているのです。今回は山口市阿知須の「井関にこにこクラブ」に施工を依頼しました。

1 「民」の力はまだ試されていない

 2年前、ある地域の町内会に当たる「まちづくり協議会(以下「まち協」という)」が行政の委託事業で学童保育を担当することになりました。筆者のところに会の幹部から指導の依頼が来ました。いよいよ子育て支援事業も「民」の時代が来たと大いに意を強くしました。筆者の住む宗像市ではこの種の公共の福祉に関わる事業を民営で行なうことはなじまないという反対論が巻き起こり数年前に賛否を論じる選挙戦がありました。結局、「民」が学童保育を引き受けることになったのですが中身と方法が大問題です。選挙の争点にまでなったのに、宗像市の場合は大山鳴動ネズミ一匹の喩え通り、監督責任者の教育長や行政担当者に「発達支援」の発想がないので、相も変わらず放課後の子ども集団を「閉じ込めお守り」を修正することなく、民間に丸投げしただけに終わりました。「民」の力はまだ試されていないのです。
 結論を言えば、学童保育は「誰がするか」ではなく,「何をするか」、「どんな風にするか」、その結果「どのような子どもの変化が見られるか」です。当然、「まち協」の場合も同じです。単なる「丸投げ」で終わるのか、それとも「まち協」の創造性が発揮されるのか、問われているのはプログラムの筈です。
 周知の通り、病院でも,学校でも、学校給食でも、もちろん学童保育も民営で十分できます。アメリカでは刑務所でさえ民営になっている所があります。
 今や世界の関心を集めているギリシャは、失業救済も兼ねて国民の5人に1人を公務員にし、結果的に国家の財政が破綻しました。「民」を信用しない結果と言ってもいいでしょう。民の失敗は一つの企業やNPO組織の破綻で済みますが、官が破綻すれば時に国家が破綻するのです。日本もいい加減に公営信仰をやめる時代が来ているのです。公共の福祉に関するものは、「公立・公営」でなければならないというのは公共の福祉に関する事業が始まった当時の「伝説」に過ぎません。そうした「伝説」によって、日本社会の「公」は行政が独占を続けて来たということはかつてNPO論で説明した通りです。
 日本の公立学校なども現行の優れた塾に厳しい注文をつけ、行政が結果責任を監督するという前提で任せてみれば、一気に改善を図れるところが多々ある筈です。この国に「チャーター・スクール」が始まらないのも思考停止の公営信仰が続いているからです。すでにこの国の学力は塾を抜きにして考えることができないことは誰でも分かることでしょう。塾や私学に任せれば日本が変わるという発想も公然と主張されるようになったのです(*)。

(*)濤川英太、中萬憲明、中萬隆信、塾が日本を変える、ヒューマン、1996年

2 学童保育は「誰がするか」が問題ではなく,「何をするか」が問題です

 運営も経営も、問題の核心は「中身」であり,「方法」です。運営を民に任せたとしても、公共の原理に照らして、政治や行政の指示と監督の下に「契約」の中できちんと果たすべき任務が貫徹されていれば何ら問題はないのです。問題は、「誰がするか」ではなく,「何をするか」なのです。その時、政治の判断は決定的に重要です。指導・監督を受け持つ行政の意識改革も決定的に重要です。
 筆者は、これまでの経験を総動員して、導入すべきプログラムの展望と期待される効果と方法論を「まち協」の会長に説明しました。しかし、結局、依頼して下さった方々は「まち協」の中の指導権争いに破れ、「仕事の負荷」を恐れた指導員の賛同も得られることなく、新しい試みは拒否されてせっかくの機会は幻に終わりました。
 しかし、今年度は過去から続けて来た山口研修の成果が生きて、同じ中身を山口の井関にこにこクラブが実践してくれることになりました。諦めずに励んでいれば、「捨てる神あれば拾う神あり」ということでしょう。

3 子育て支援と男女共同参画時代の最大の課題は、「保教育」の実現です

 家族の不安は子どもがきちんと「一人前」に向かって育つことです。学童保育の法律上の趣旨も「放課後児童健全育成(児童福祉法第6条の2*1)」ですから、筆者の目的と同じ「健全発達」の筈です。しかし、現在行なわれている学童保育で子どもの発達や成長を促す「プログラム」が存在しません。何度も論じて来た通り、「教育力」の主要部分は「プログラム」の適否です。そのプログラムがないのに子どもの健全育成が達成できる筈はないのです。数人の指導員が異年齢の子どもを狭い空間に詰め込んで安全の管理だけをもっぱらとする方法にどうして成長を助け、発達を促すことができるでしょうか!
 学校と家庭の教育が不十分なため、現代の子どもは「へなへな」です。子ども集団が自由にかつ躍動的に遊んでいた時代も終わりました。それゆえ、学童保育が為すべきことは、現状の保育に集団の遊びや教育の機能を導入して,子どもの発達支援を強化するしかありません。教育機能とは上記の法律が言う「健全育成」プログラムのことです。現状の学童保育は「お守り」をしているだけで、「健全育成」プログラムの指導はしていません。「健全育成」プログラムを導入しようとすれば、指導者が不可欠になります。教育活動を展開する施設機能も不可欠です。上記の法律が保育の場所を「児童厚生施設等」と表現していますが、それは行政の縦割りで福祉が保育を担当しているからです。分野横断的に考えれば、放課後の子どもの活動に最も適している施設は「学校」に決まっているのです。
 また、「お守り」をすればいいという発想に留まっている現状の学童保育に指導者を増員する考えは全くありません。学童保育の指導員のほとんども「健全育成」プログラムを展開することなど考えたこともないでしょう。
 指導者不足の現状を打開する方法は、「豊津寺子屋」が示したように地域のボランティア指導者の発掘と活用しかありません。放課後の保育を希望する者はますます増加傾向にあります。法律の言う10歳前後までの対象を越えて上級生も参加するようになるのも働く家族の不安を考えれば当然の事でしょう。国もようやく自覚して「放課後子ども教室」という保育と子どもの発達支援を結合した総合的「保教育構想」を打ち出しました。5年前、平成19年実施のことです。しかし、どこの地域の実情をお聞きしても学童保育に代替できるような「放課後子ども教室」は実現できておりません。第1の原因は行政の「縦割り」ですが,第2の原因は全国で「学童保育」の指導員が抵抗しているからです。「井関にこにこクラブ」は例外中の例外です。保育を教育から分離する分業にこだわる行政や、教育機能の導入を拒否する現行の指導者こそが問題の根源なのです。友人の教育長の試算では、地域の人的資源を活用すれば、現行予算の半分程度で「保教育」は導入できます。有力者や議員を動員して「保教育構想」に抵抗して来たのは、既得権にこだわり,これまでのやり方を変えたくない行政や学童保育の指導員なのです。事情は全国ほとんど同じです。

*1 児童福祉法第6条の2
 『この法律で、放課後児童健全育成事業とは、小学校に就学しているおおむね十歳未満の児童であって、その保護者が労働等により昼間家庭にいないものに、政令で定める基準に従い、授業の終了後に児童厚生施設等の施設を利用して適切な遊び及び生活の場を与えて、その健全な育成を図る事業をいう』。

4 勝負の1年

 学童保育の最大の強みは、「地域の力」を生かせることです。すでに福岡県みやこ町の「豊津寺子屋」や飯塚市の「熟年者マナビ塾」の事業が証明したように、指導に当たる熟年者は必ず子どもから力を貰ってお元気になります。「設計」と「施工」が正しければ、子どもは各種の「健全育成プログラム」に参加して一気に「生きる力」を向上させます。定期的な発表会を実施できれば、発達の過程を保護者の皆さんにお見せすることも十分可能になります。
 今回の「井関にこにこクラブ」の実証研究では、子どもの「成績」も上げて見せます、と保護者の皆さんに宣言しました。いわゆる、「教育マニフェスト」です。指導員の皆さんの意欲的な協力体制に鑑みて、もし約束したことが実現しなかったら当方の設計図に欠陥があるということになります。勝負の1年が始まりました。
 「地域の子どもは地域で育てよう」が全国のスローガンになりましたが、具体的な方法論もプログラムも欠如しているのにそんな手品ができる筈はありません。無縁社会化している地域に、教育の「設計図」も「施工者」も特定しないまま、「遊び場ひろば」を作っても、「地域ぐるみの子育て」を叫んでも現状では何一つ生み出せない虚しいスローガンです。そうした現状を打開するためにも、ヨコミネ式保育がやって見せたように、「井関にこにこクラブ」をもって現行の保育行政の「種撒く人」にしたいのです。

未来の学校-コミュニティ・スクールの分かれ道
 -学校のためのコミュニティ資源か、コミュニティのための学校資源か-

 この度の飯塚移動フォーラムでは、飯塚市が取組んでいる中高一貫の学校システムと公民館を抱き合わせる“いわゆる”コミュニティ・スクールの建築構想が進展中ということもあって、九州の最先端を行く春日市のコミュニティ・スクールへの意欲的な取り組みの発表をお聞きした。また、8月には春日市でコミュティ・スクールの未来を論じる全国集会も開かれるとのことでした。コミュニティ・スクールをもって、現在の教育の閉塞状況を打開し、子どもの生きる力を育てようということだと思いますが、果たして、コミュニティ・スクールは「新しい学校」の切り札になりうるでしょうか?
 コミュニティ・スクールは3世代住宅を建てるのと似たような発想が基本です。若夫婦と子どもの居住空間と老夫婦の居住空間を、資金や土地の最大有効利用を図りながら、それぞれの独立と自由を保障しながら、全員が快適に暮らせるシステムを創る事です。コミュニティ・スクールは「学校のための学校施設」と「コミュニティのための多目的施設」を資金や土地の有効利用を図って複合的に活用する方法です。かつて、宗像市で九州産業大学の建築学の弘永教授が試算して下さった結果は、単独で公民館を建設する費用を100とすると複合化した場合には100分の18で出来るという計算でした。社会教育委員会は未来を見据えて新しい小学校は住民が多目的に使うことのできる多目的な「コミュニティ・スクール」にすべきであるという学社連携の「答申」を出しましたが、当時の教育長と学校教育課長が握りつぶしました。もし、彼らが自分のところの3世代住宅を構想した場合でも同じような判断をしたでしょうか。
 飯塚市の場合も、これから公民館を学校と隣り合わせて創るということですが、なぜ施設機能を共有し、設計上の相互乗り入れ方式の多目的な複合施設にしないのでしょうか。恐らく、行政にとって税金は所詮「他人の金」なのです。建築コストを下げる最大要因は土地を共用し、設計上の「柱」を共用することだそうです。100の建設コストが18にまで縮小できるのはそうした工夫をしたデザインだからです。
 筆者の持論は、現行のコミュニティ・スク-ルのあり方に水をぶっかけることになりそうですが、学問上の議論はあくまでも論理的でなければならない、という視点で以下の小論を整理してみました。

1 英語標記の一般論

 あくまでも一般論ですが、英語は前の単語が後の単語を修飾します。Town History は「まちの歴史」で、Historic Townは「歴史のあるまち」になります。同様に、Language Schoolは「語学学校」であり、逆にSchool Languageは「学校用語」という意味でしょう。それゆえ、コミュニティ・スクールはコミュニティのための学校という意味であり、学校のためのコミュニティではありません。文科省も春日市も用語の使い方が逆転しているのです。アメリカにはコミュニティ・スクールに倣って、コミュニティ・カレッジという言い方もあり、「自宅の在るコミュニティから通学の可能な短期大学」という意味です。カレッジ・コミュニティと言ったら「大学町」とか「大学関係者の世界」という意味になるでしょう。
 コミュニティ・カレッジは、当然、当該コミュニティ在住者の子どものために便宜を図った高等教育機関という意味で1960年代から70年代にかけて全米各州において爆発的に発達した教育システムです。コミュニティ在住者の授業料を減免し、単位の移行制で4年制大学と繋ぎ、アメリカの高い高等教育進学率を支えたシステムです。
 これに対して、日本のコミュニティ・スクールの考え方は、コミュニティを学校のために活用しようという発想ですから、言語表記上の通常ルールに全く逆転しています。 日本のコミュニティ・スクール論は、学校のためにコミュニティ資源を如何に使うかという発想が主になっています。

2 総合的発想・総合的プロジェクトの欠如
-タテ割り分業・専門分化がもたらした発想の限界-

 学校は地域の文化センターである、という昔の発想は、まだ私たちの暮らしが細かく分業化される前の発想でした。この時代、学校は教育から集会まで、避難場所から村人の精神的寄り所まで様々の目的に活用され、学校は教育施設であると同時にコミュニティの施設でもあったのです。ラグビーのスローガンのように、学校は地域のために、地域は学校のために存在していたのです。しかし、人々の暮らしが分化し、それに伴って行政が分業化していくと、学校は「学校のためだけの学校」になって行きました。アメリカのコミュニティ・スクール運動もまた「学校のためだけの学校」という発想に対抗する考え方として生み出されて来たのです。アメリカ人達は、「学校のための学校」を次のように表現しています。現在の学校は、「地域のために存在するのではなく、学校自身のために存在する(Not for people, but for school itself)」(T.タルボット*1)のです。
 その原因は、学校は「公共のもの」であるという論理を大義とし、分業化された管理権の下に学校施設が教育行政と教師によって独占的に運営されるようになったからです。事情は我が国においても全く同じです。

*1Walter D. Talbot, ”Foundation of All Education”, Community Education Journal,vol.1,September 1973,p.5

3 学校はコミュニティの暮らしのための資源になり得るのです

 共同体の崩壊によって地域の教育力が衰退した現在、学校の機能を総合化して、放課後の子どもも、共働き家庭の子どもの世話も学校機能の中に包含することが最も効果的で経済的な方法なのです。「無縁社会」をつなぐ第一のカギは「子縁」です。この時学校は「子育て支援施設」となります。東日本大震災の大多数の避難所は学校になりました。この時学校は「避難施設・防災施設」でもあるのです。
 学校がコミュニティを支える資源であるという視点に立てば、その資源をコミュニティのために活用する仕組みこそが「コミュニティ・スクール」なのです。学校が「子どもの縁」を手がかりにして地域を結べば、他人の難儀に一切留意しない無縁社会にもかすかに「志縁」の糸を張り巡らすことができます。熊本県産山村の「子どもヘルパー事業」はそういう事業であり、福岡県旧豊津町の「豊津寺子屋」もそういう事業でした。飯塚市の「子どもマナビ塾」もその一種です。
 日本のコミュニティ・スクール論は全く逆に等しい発想で、コミュニティはあたかも学校のためにあり、地域資源を学校のために活用しようというものです。春日市のコミュニティ・スクールは現行の制約条件の中ではがんばった試みですが、所詮、指導要領が指示する枠の中でコミュニティの資源を活用することに終始し、コミュニティのために学校施設や機能を活用することは不可能に近いのです。学校はコミュニティの暮らしのための資源でもある、という視点がなければコミュニティのための学校ができるはずはなく、したがって看板に掲げたコミュニティ・スクールは本来の目的を裏切っているのです。

4 学校は人口調整機能を発揮できるのです

 学校がコミュニティの資源であることを忘れて、統廃合で消してしまえば、集落を支える可能性の火が消え、人々の連帯の火が消えます。「限界集落」は学校を消したところから始まっていることは全国の現象を見れば火を見るより明らかです。学校が存在しない地域に子育て世代が暮らせる筈はありません。学校をつぶすことは若い世代は来なくていいと宣言するに等しいのです。
 昭和51年当時の国土庁は国土の均衡発展が崩れることを懸念して、教育学者の知恵を総動員して「セカンドスクール」構想を発表しました。セカンドスクールは、セカンドハウスをもじった和製英語です。都会の学校の児童生徒を田舎の学校に長期滞在させ、人口の都市集中の弊害を緩和し、定時の交流人口を拡大し、雇用を創出し、併せて子ども達に新しい生活体験や自然体験の機会を与えようとした発想です。もちろん、「セカンドスクール」は教育問題の解決よりは、交流人口を調整して過疎地再生の切り札として考えられたことは言うまでもありません。すなわち、学校はコミュニティを維持する資源であるという発想が根底にあるのです。
 都会の子が田舎で暮らすことが過疎地にどのような効果をもたらすかは、すでに数々の山村留学制度が証明しました。学校をコミュニティのための存在であると発想できない教育行政の下では、「山村留学制度」がコミュニティ再生の起爆剤になることも、都会っ子の生きる力の再生の契機になることの実験的研究すら行うことはできませんでした。学校を現在の閉鎖的制度に放置したまま、文科省は少年自然の家のような自らの権力の管理下に置ける施設のみを拡充して来たのです。この数十年間、学校教育に対して強制力を持たない野外教育施設がどれくらい社会的効果を発揮したでしょうか?おそらく、その費用対効果の研究すら無いのではないでしょうか?これらの野外教育施設に投じられた資金と人材を「セカンドスクール」や「山村留学制度」に投資していたら、どのような結果が得られたか研究上の発想も存在しないのだと思います。

5 学校は緊急時の「防災施設」でもあります

 頻繁に見聞する通り、台風でも地震でも学校は常に避難施設であり、防災施設です。しかし、現在、学校はたまたま避難施設や防災施設になっているだけで、最初から目的的に避難や防災を意図して作られたり使われたりしているわけではありません。教育行政や学校自身に自分たちは教育施設であると同時に避難施設や防災施設でもあるという意識は存在しないからです。それゆえ、コンクリートの塀をまわしたりするのです。石原都知事がコンクリートの塀を生け垣に代えるように指示し、地震の時などどこからでも学校に逃げ込んで避難できるようにしたという報道を見ましたが、都知事はコミュニティの安全のための資源として学校を発想しているのです。都知事がもう一歩進めて、全ての学校は、防災施設、子育て支援施設、高齢者の居場所施設として、建築デザインから現状を考え直せと指示を出していたら、彼は日本の教育史に残る人物になったことでしょう。学校はコミュニティのための資源という考え方こそが「コミュニティ・スクール」の原点です。

6 ランチルームは一人暮らしの高齢者の昼食カフェテリア

筆者がアメリカで見聞したプログラムには、学校のカフェテリア(ランチルーム)に高齢者が昼食にやって来て、生徒がお世話をしている事例がありました。日本の教育行政はタテ割分業ですから、こうした発想は先ず分からないでしょうが、コミュニティのための学校という発想さえあれば、福祉行政が冷たい弁当など届ける代わりに年寄りを学校に招き、生徒に接遇を教え、高齢者を地域で孤立させない政策が可能になるのです。飯塚市の前教育長が「熟年者マナビ塾」を小学校に組み入れたのは、誠に卓見でしたが、学校を地域資源と見る発想がない限り、教育行政と福祉行政が連携して、学校を活用して高齢者と子どもを繋ごうとする発想は発展しないのです。神戸市の宮崎市長が主張した「学校公園構想」はアメリカのコミュニティ・スクールを参考にした事例ですが、運動場が公園を兼ねていれば、高齢者は散歩に来て、子どもと接することができます。また、学校の図書室がコミュニュティ・ライブラリーを兼ねていればそこでひとときを過ごすことも出来るのです。それが神戸市須磨区の高倉台小学校です。しかし、この構想は文科省が当時認めていた学校デザインや補助規定の中でしか承認しなかったため、小さな図書室が看板だけコミュニティ・ライブラリーになっただけでした。宮崎構想にも公民館建設と学校建設を抱き合わせる発想が欠けていたため、せっかくの「学校公園構想」もその趣旨はほとんど生きませんでした。学校は学校のための学校だという考えを当時の行政は一歩も出ることができなったということです。

7 学校をコミュニティの資源であると発想したら、専門の資源管理者が必要になります。

 アメリカのコミュニティ・スクールには「学校駐在社会教育主事」とでも呼ぶべき、“Community School Education Directors”が配置されていました。教員に学校資源をコミュニティのために活用する発想や力量を期待できない以上、当然の配慮だと思います。ここから制度上の学社連携がスタートします。
 福岡県の須恵町が学校に社会教育委員を配置したのも同様の発想だと理解しております。中島町長さんは、学校施設を最初からコミュニティ施設として発想してデザインすれば公民館はいらないというお考えでした。その通りです。学校をコミュニティから分離し、閉鎖的にした元凶は文科省の発想であり、校長や教員達に税金で建設したコミュニティ施設を自分たちだけの占有施設だと錯覚させた元凶は学校施設の目的外使用の禁止という近視眼的な法律なのです。

8 アメリカの発想に学ぶー学社連携の第1歩は教育資源の共用

アメリカのコミュニティ・スクールは、文字通り「コミュニティのための学校」です。これに対して日本のコミュニティ・スクールのアクセントは「学校のためのコミュニティ資源の活用」にあります。
大部分のアメリカの地方教育長は選挙で選ばれ、教育税は目的税です。学校を支えているのは基本的に地域社会ですから、税金で建てた学校が「コミュニティのための学校」になるのはある意味で当然なのです。
最も分かり易い「地域の学校」のあり方は、まず学校の教育資源を地域と共同利用する方法を開発することです。経済的にも施設の共同利用こそが最も合理的なのです。日本の市町村立学校も、法律的にみても設置者はそれぞれの市町村であることに間違いありませんから、施設備品は建物「地域の学校」に帰属するのです(*1)。日本の義務教育学校は、予算の大部分を国が助成しているので、国の教育行政を始めとする行政のタテ割り分業がアメリカ型のコミュニティ・スクールの構想を妨げているのです。学校がコミュニティの資源であるという発想に立てば、上記のように防災も、過疎の歯止めも、高齢者福祉や子育て支援も学校を活用して政策が展開できるのです。
コミュニティのために学校を活用するという発想が欠如すれば、学校は自校の子どもにすら放課後の学校施設は使わせません。旧豊津町の畑中町長は学童保育に学校を使用することをあくまでも拒む教育長と校長に最終的に命令に近い強制力を発動せざるを得なかったのです。現在筆者は、山口市阿知須の井関小学校の学童クラブの指導に関わっていますが、菅校長先生は必要な学校施設はどうぞお使い下さいとおっしゃる希有の学校人ですが、彼女が例外中の例外であることは教育関係者ならご存知のことでしょう。
学社でも学福でも異なった分野の連携の基本原理は、両分野の教育資源を効果的に組み合わせることから始まります。教育資源の最も分かり易い例は、施設・設備等の物理的資源です。近年、地域の社会体育の思想が普及して、体育館や運動場を地域開放している学校は非常に増えてきています。しかし、「地域の学校」を前提とした複合化・共用化という視点から見れば、日本の学校は到底コミュニティの学校には成り得ていません。恐らく、関係者に学校をコミュニティの資源として発想する視点が存在しないのだと思います。

9 幻に終わった宗像コミュニティ・スクールの実験

昭和58年、第2回九州地区生涯教育実践研究交流会において、当時の宗像市の第9番目の小学校建設を素材として、弘永氏(九州産業大学、建築学)と三浦が連名で発表した「学校教育施設の複合・共用化の方法についての実験的考察」(*2)はまさしくアメリカのコミュティ・スクール発想を参考にしています。弘永、三浦共に宗像市の社会教育委員でした。私たちは宗像市の幹部を同行して先の神戸市立高倉台小学校を視察しました。「複合・共用化」の小学校は視察の反省の上に構想された幻のコミュニティ・スクールです。
「幻の」というのは当時の教育長と学校教育課長が社会教育委員会答申を握りつぶしたからです。
学校と社会教育施設の「複合化及び共用化が必要かつ望ましい理由」は以下の7点です。現在であれば、当然、学童保育のような行政分業上は福祉行政に属する活動もコミュニティを基盤にしているので学校施設を活用すべきだと考えますが、当時はそこ迄の発想は明確にはなっていませんでした。(原文のままを掲載。法令等が現在と異なる。)

(1)学校を地域の学校として理解し、子どもたちと同時に地域住民が活用することによって、学校をコミュニティ形成の場の一つとして考える。
(2)地域住民による学校施設利用については、いわゆる学校開放思想としてその奨励が図られ、学校教育法85条、社会教育法44条、スポーツ振興法13条等によって法的にも国が方針を示している。
(3)今日の経済状勢を鑑み、地域住民の専用の社会教育施設を日常生活圏内に早急かつもれなく確保していくことは、極めて困難である。
(4)学校教育施設に社会教育施設を複合・共用化することによって、用地取得財源を著しく節約することができる。
(5)複合・共用化施設は、学校教育施設と社会教育施設を同時に設計、建築および施工することにより、設計、建築および施工上の諸経費の節約が可能になる。
(6)新増築の小学校に複合・共用施設を配置することは、最終的には小学校ごとに住民が利用できる施設を提供することが可能になる。
(7)住民の利用を前提として学校教育施設を複合・共用化する場合、社会教育面からの配慮が学校教育施設に付加されることによって、学校教育施設自体も整備・充実が可能になる。」

この研究論文から2年後の第4回大会で弘永氏は、深田氏との連名で「学社連携構想に基づくコミュニティ・スクールの建築計画」というテーマでも研究発表を行っています(*3)。その中で、学校教育・社会教育共用化についての背景を段階的にまとめ、「運動場を児童に対して遊び場として自由に開放する」段階から「地域の団体や個人に社会教育、あるいは社会教育的事業サービスを学校の施設を利用して行う」段階までを具体化しています。「施設共用化」について、教育施設の開放といった視点に留まらず、共用化、共同利用といった立場からとらえることの必要性です。特記すべきは「コスト」でした。当時の地価や建築コストを勘案した上で、学校に公民館を抱き合わせにした場合、弘永教授の設計図案によれば、独立・単独で公民館を建設した場合のコストを100とした場合、学校との複合施設では100分の18でできるということでした。行政は何と税金の効率的投資に無関心なのでしょう!

10 アメリカで見た施設共用

アメリカで筆者が見た事例は「比較生涯教育」(全日本社会教育連合会、昭和63年)で紹介しています。前述した学校カフェテリアの昼食提供機能の高齢者への開放、学校運動場の公園化、学校プールの温水化と市民および幼児教育機関への開放、放課後の特別教室の成人教育への開放、学校図書館とコミュニティ図書館との併用建設などがそれです。筆者は学校を活用したアメリカ史」のコースと「初心者ピアノ教室」を観察上受講してみましたが、プログラムはコミュニティ・スクール・エデュケーション・ディレクターが企画・管理していました。学校駐在公民館主事(社会教育主事)というところでしょう。ピアノ教師は街の音楽家、歴史の先生は高校の教員でした。

11 学校のための地域

一方、日本の地域は学校に対して門戸を閉ざしたことは一度もありません。学校は常に「子ども宿」(*4)の延長であり、地域の文化センターであり、子どもの縁を通して形成された地域のよりどころでした。学校のためであれば地域は腕まくりをして馳せ参じて来たのです。近年、文科省が提起した「子どもの居場所」事業も、「学校支援地域本部」事業も地域の人々は暖かい応援の手を差し伸べました。地域が学校に寄せる思いの強さの結果だったと思います。筆者が成功させた長崎県壱岐市の霞翠小学校の実践も飯塚市の八木山小学校の実践もこちらの発想で行ったプログラムです。学校が頭を下げさえすれば、学校が地域の資源を活用するのは日本の風土では簡単なことなのです。
それゆえ、学校と地域との協働または社会教育との連携は、学校教育施設の開放から始めるのは学校の地域に対する「友好の意」を表す象徴的で論理的なアプローチなのです。もちろん、学校教育施設と社会教育施設の複合・共用化を進める上での大前提として「学校教育の機能が損なわれたり、その活動の障碍になったりすることがあってはならない」ことは法律上の前提です。それゆえ、コミュニティ・スクールは、第1に、開放ゾーン、非開放ゾーンの区別の明確化、第2に、非開放ゾーンと開放ゾーンの物理的遮断、第3に、駐車場や開放ゾーンへの一般市民のアプローチ方法の区分け、第4に、開放ゾーンを活用するための専用付属施設・設備の設置(会議室、更衣室、シャワー、出入り口、便所、台所、倉庫、その他)など様々な工夫を行うことが大切です。

(*1)学校施設の目的外使用の禁止(学校施設確保政令) 学校教育法第2条(学校の設置者)、学校教育法第137条(学校施設の社会教育への利用)等を参照。
(*2)弘永直廉、三浦清一郎、「学校教育施設の複合・共用化の方法についての実験的考察」、昭和58年、第2回大会発表資料、上記の論文は社会教育委員の会議の答申の骨子を為したものでした。
(*3)弘永直廉・深田由美、「学社連携構想に基づくコミュニティ・スクールの建築計画」、昭和60年、第4回大会発表資料
(*4)柳田國男は江戸期から近代日本の地域社会が子どもを保護者から離して合宿形式で養育・訓練した「子やらい」の場所を「子ども宿」や「若衆宿」と呼ばれていたと報告しています。また、子どもの民族学-一人前に育てる、大藤ゆき著、草土文化、1982年を参照。
 

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

H.S さまへ 哀歌3首

寂寥と苦痛に堪えて横たわる
我が身一つの夜ぞ更けにける

青嵐の緑を揺すり山へ駈け
霧雨けむる遠い夜の汽車

巡り逢いて有り難きかな分かり合い
我が晩年に花を添えたり

遥かな友へ

皆さんが集まると聞きました
お前も来ないかと誘っていただきました
むかしは、ことある度に「遥かな友へ」を歌いました
私は今でも時々静かな夜更けに歌います
振り返ると何もかも美しく
いい時代でした
お目にかかると壊れそうな儚い時代でした
人生は不帰です
昔には帰れそうもありません
だから私は出かけないことにしました
みんな元気でお互いの健康を祝したら
「遥かな友へ」を歌って下さい
きっと九州まで聞こえます
ごきげんよう

福岡県太宰府市 樋田京子 様

 予告通りのお見事なカムバックですね。読者になっていただいて光栄です。ご期待に添うことは至難ですが、燃え尽きる直前のロウソクのように輝いてがんばりたいものです。過分の印刷・郵送料をありがとうございました。

149号お知らせ

1 第120回生涯教育まちづくり移動フォーラムin山口(山口県生涯学習研修生:「Volovoloの会」と共催)
 山口の仲間のご好意で公開の移動フォーラムにしていただきました。インフォーマルな心温まる会です。会場は一見の価値ある「菜香亭」、宿泊は快適・低価格のホテルです。各地のみな様におかれましても湯田温泉探訪を兼ねて、奮ってご参加下さい。大歓迎です。
日程:6月2日(土)13:00-3日(日)11:50まで
会場:菜香亭(山口市天花、TEL:083-934-3312)
宿泊及び懇親会:セントコア山口(山口市湯田、TEL:083-922-0811)
プログラム
(1) 各参加者の実践発表(各10分程度)
(2) ミニ講義 大島まな 「日常生活の中で育む体力・耐性―30年前からの宿題」
(3) ミニ講義 三浦清一郎 「子どもの内在力を引き出す原理と方法」
連絡先/事務局 赤田博夫(宇部市立鵜ノ島小学校校長:TEL0836-31-0808または090-9065-6220)

2 第121回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin福岡

日時:6月23日(土)15:00-17:00
場所:福岡県立社会教育総合センター(糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511)
事例発表:福岡県飯塚市立若菜小学校「パワーアップ・ファイブ」の実践(交渉中)
論文発表:「暮らしの姿勢」-健康寿命の決定要因(仮)

編集後記

 食い合わせが悪かったのか数日間体調不良で苦しみました。気分が悪いのに加えて、スタミナがなく、取組んだことが長続きしません。体力は動物の能力で、気力や耐性は人間の能力です。病気というのは気力や耐性だけではどうにもならず、動物的能力の体力が先だということでしょう。原稿を投げ打って手料理に集中し、すき焼き、鰈の煮付け、肉じゃが、カレーライスと作りました。ようやく復調、たまった洗濯を終わり、草を抜き、包丁類を研ぎ、ベッドの敷布を変えました。6月23日(土)のフォーラムでは「健康寿命の要因は『暮らしの姿勢』」を発表します。

あの日のように

神様の居る五月晴れ
白いパラソル立てました
5月の庭を飾ります
新緑の紅葉がそよぎ
レモンがそよぎ
百日紅がそよぎ
天に向かって
林檎はたくさんの腕を伸ばし
紅白の芍薬が揺れ
黄色い薔薇が揺れ
ナデシコは鉢から溢れんばかりの深紅です
小学校に少年野球の歓声がひびき
蝶が舞い、蜂の羽音が飛び交い
犬たちは夏だ、夏だと跳びはね
下の田んぼにトラクターが入り
田植えの準備が始まれば
いつも通りに
ゴールデンウイークが終わります
私はアールグレイの紅茶を注ぎ
あの日と何も変わりませんが
今日はあなたの椅子に教え子が座っています

不帰

あなたと住んで30年
川辺の若木は花を付け
花吹雪を舞わせ、
花筏を浮かべ
城山が若葉に覆われ、
稲田に水が入り
初夏の風が渡る頃
どことなく鬱蒼たる並木の面影を宿し、
子ども達があなたの孫の手を引いて歩む日が来ます
私は老いてとぼとぼと後を行くだけだが
結局はこれでよかったのだと思える時
過去と未来の間を白い特急、青い特急が行き交い
帰らぬ四季が甦り
つくづくあなたにも見せたかったと思うのです