「風の便り 」(第148号)

発行日:平成24年4月
発行者 三浦清一郎

子どもの「内在力」を引き出す
4度目の「体力・耐性」の実践的研究

 この度九州女子大学の大島まな准教授から、「体力・耐性」が学力の基礎を成し、最終的に「生きる力」の基礎を成すという従来の筆者の主張を具体的なデータによって裏付けてみたいという研究協力のご依頼がありました。当然、学校を第1候補として、各地のご協力候補者を打診して参りました。ご親切に協力を申し出てくださった教育長さんもいらっしゃったのですが、結論的に、現状の学校には私たちの訓練計画を実行していただく意志も能力もないと見切りを付けざるを得ませんでした。
 最終的にこれまで最も積極的かつ協力的に当方の意図するプログラムを展開して下さった山口市阿知須に所在する「井関にこにこクラブ」(井関学童クラブ)と共同研究のスクラムを組むことになりました。
 そのため、具体的な計画に先立って、井関にこにこクラブの担当者と大島-三浦のグループで、鹿児島県志布志市にあるヨコミネ式の保育園と学童保育の実態を見学させてもらいました。幸い、日程も合致して、横峯吉文氏の講義も拝聴しました。以下はこれまで筆者が積上げて来た研究の総括とこの度の見学結果の感想です。

研究の総括と発想の経緯

 筆者に取っても、大島先生にとっても「体力・耐性」論の原点は約30年前3か年にわたって連続実施した福岡県筑前大島での少年のための野外教育キャンプにあります。この研究は松田財団の研究奨励賞を受け、『現代教育の忘れ物』として1987年に学文社から初版の報告書を出版しています。大学院時代の大島先生も執筆者の一員でした。以後、筆者は長崎県の霞翠小学校、福岡県豊津町の「豊津寺子屋」、福岡県飯塚市の八木山小学校の実践に関わり、大島先生も観察者として終始練習の過程や発表会を見聞し、資料を保管してくれました。どのプログラムも応用した方法や内容は変えましたが、体力と耐性のトレーニングが個人を成長させ、集団の連帯や責任意識を形成する鍵になるという発想は一貫して変わりませんでした。「井関にこにこクラブ」を応援して来た背景もそうした発想の延長上にあります。
 筆者の人生もいよいよ終わりに近づき、今回の出版が果たせれば、これまでの実践研究の総括となり、少年教育論の集大成になるような予感があります。

I  自己体験の総括と研究・観察結果の結論
  -体力と耐性が「生きる力」の2大要素-
 
 研究も実践も体力とがまんの結果であるというのが人生70年を生きた自己体験の総括です。これら二つの要素を欠けば、学術書を読み続ける根気は続かず、論文を書き続ける集中力は持ちません。
 芸術家などのことは分かりませんが、実務家については、これまで出会った人間の観察結果の結論も同じところに行き着きます。体力と耐性のない人々はものごとを為し遂げていません。困難を凌ぎ、展望のはっきりしない途中経過に堪えて、長い時間に亘って目的や目標を追い続けることができないからだと思います。体力と耐性の欠けた人々の多くは、語ることが多く、実行が少なく、約束を果たさず、時間や期限を守りません。体力と耐性なくして「学力」は元より、人生の事は成らないというのが結論です。

II  筆者の子ども観

 子ども観は青少年教育論の土台を成します。筆者の教育観を形成している子ども観を要約すれば以下のようになります。

1 成果に対しても、プロセスに対しても、社会的承認を不可欠としている

-成果や向上に繋がらない姿勢や実践は叱り、繋がる実践はひたすら褒めることが原則です。

2 子どもには「出来るようになりたいこと」がある

-「あの人のようになりたい」という憧れは「同一視」の学び方です。同一視の対象は家族の中にも、友だちや先輩の中にも、もちろん先生の中にもいます。

3 実践の向上は「機能快」を生む

-遊びに象徴されるように、何事であろうと進歩や進化は心身に喜びをもたらします。ドイツの心理学者カール・ビューラーはその喜びを「機能快」と名付けました。
4 「生きる力」は闘争本能・競争本能が原点

-人間には闘争本能があります。それゆえ、子どもには集団間・集団内で挑戦させ、競争させることが指導の原点になります。誰もがどこかで脚光を浴び、勝者になることができるよう配慮することが指導者の務めです。最後は自分との競争になるので記録会・発表会は不可欠です。

5 方法論上の「自由」と「抑制」-「楽しさ」と「厳しさ」の組み合わせが重要

 -放置すれば人間(子ども)の欲求は野放しになり、収拾がつかなくなります。教育もしつけもフロイドの「快楽原則」を満足させることと同時にその制御を教えることが原則です。

III 筆者の教育観

 筆者の教育観は子ども観と重複しないところだけを取り出して書くと以下のようになります。

1 教育の3原則

やったことのないことはできない
教えなければ分からない
練習しなければ上手にはならない

それゆえ、「させる」、「教える」、「練習を忘れない」が指導の基本になります。この3つを子どもが喜んでやるように仕向けるのが指導者の腕ということになります。

2 教育力の中核は意識的または無意識的に行なわれる人間(子ども)に対するプログラムの適否と量の総体である

*1 がまんする力は「がまんする環境」の中でつくられます。それゆえ、「がまんする環境」をプログラム化すれば、がまんする力を育てることができます。プログラムとは基本的に第3者がつくるものです。

*2 自主性・自律性は「自分でやらざるを得ない環境」の中でつくられます。それゆえ、「自分でやらざるを得ない環境」をプログラム化すれば自主性・自律性を育てることができます。一見矛盾して聞こえるでしょうが、自主性・自律性は、自主・自律を要求する他律のプログラムの中で育てることができるのです。

*3 それゆえ、「教育力がない」とは基本的に日常生活の中に子どもの発達を促すプログラムがないということと同意味です。

IV 聞きしにまさるヨコミネ式保教育の素晴らしさ 

 「論より証拠」とはヨコミネ式保教育のためにある言-だと思いました。読者の皆様にも是非一度見学をお勧めいたします。本稿の表題の通り、ヨコミネ式保教育は子どもに内在する能力をいかんなく引き出し、われわれの前に見事に紹介してくれました。躍動する子ども達の身体能力を見ただけでその凄さは並大抵のものではありません。個人の体得能力に速い、遅いの違いはあっても、どの子も同じようにできるようになっていることは子ども集団の力を実に巧みに活用し、子どもの競争心・向上心を活用していると拝見しました。

 私たちは二日連続して「伊崎田保育園」の生活実態を見せていただき、矢野やす子園長さんのご厚意で子ども達の演技も見せていただきました。矢野園長は教育分野のご出身ではありません。それゆえ、園の運営の説明に教育用語はほとんど使われませんでしたが、為さっていることは実に教育原理に適った見事な指導でした。また、二日目の後半に運良く主催者横峯氏の教育論を拝聴することもできました。子育ての現状分析も子ども観も教育方法論も基本的に筆者が考えて来たことと共通していましたが、彼が為し遂げた幼児期の身体能力や音楽能力の開発実践は私には思いもよらぬことでした。事実がどんな理論よりも強いことは彼が育てている子ども達を見れば一目瞭然です。教育者としての彼の天分は実に優れたものでした。
 Educate(教育)とは「引き出す」という意味だということは、教育学の常識ですが、これまで説かれた何百の教育論に比較して、横峯氏ほど普通の幼児からあれだけの「能力」を引き出した人はいなかったでしょう。学ぶ構え、身体能力、自律性、音楽能力どれをとってもまさに脱帽です。
 「教育技術の法則化運動(TOSS)」(向山洋一)や「子どもが育つ魔法の言葉」(ドロシー・ノルト)など従来の教育界でも様々な優れた試みが行なわれましたが、明快に全ての子どもをできるようにすることで子どもの「内在力」を証明し、保育園のありのままの日常を公開し得たのは横峯氏をもって最初だろうと思います。また、横峯氏は学童保育も重視し、驚くべきことに中学生までも受入れ、親の事情によっては「お泊り保育」まで実施しています。彼の説く保教育論からは男女共同参画の言葉は全く聞かれませんでしたが、「保育」と「教育」を融合させ、子どもの自律性を育て、「学習する環境」を保障し、働く女性を実質上、最も有効に支援しているのも横峯氏の実践であると思いました。
 教育学が教育科学であることを主張するのであれば、研究者も、文科省も、厚生労働省の保育担当も横峯氏の教育実践と競って、それぞれの理論を実践し、子どもに内在する能力をきちんと引き出して世間に公開して見せる義務があると思います。それができないのであれば、謙虚に彼の方法論を学ぶべきだと思います。
 横峯氏になぜ幼児期の身体能力のトレーニングに着目したのかを質問してみました。きっかけは「保育師の指導の下で子ども達がつまらなそうにラジオ体操をしていたのを見たからだ」ということでした。子どもの挑戦する精神、競い合う闘争心、お互いから学び合う真摯な憧れ、興味や関心を追求する探究心、認められたいと願う強い向上心などが横峯氏の教育プログラムの根底を成す着眼でした。これらの子ども観は横峯氏の「独創」ではなく、昔から各国の教育学や心理学で言われて来た教育論ですが、それらを幼児の教育実践に結びつけて具体的にやってみせたということこそ指導者としての彼の最大の天分であり、独創と言うべきでしょう。横峯氏は保育所のトレーニングを経た学童期の小学生以上の子どもには、彼らの自主性・自律性を重視し、学習プログラムを準備するだけで何も教えていませんでした。彼らは黙々と決められたプログラムに取組んでいるだけで、身体訓練も、集団行動もさせていないということでした。大島准教授がその理由を質問したところ、身体能力の訓練や集団教育の効果は幼児期こそが重要で、学童期を余り重視していないというお考えでした。運動神経系の発達は6歳までがピークであるという発想で、「一度一人で自転車に乗れるようになれば、しばらく乗らなくても忘れないものだ!」という説明でした。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ (Robert Fulghum,河出文庫) 」というアメリカのベストセラーと似たような発想です。しかし、私たちは、世間と折り合って生きなければならない人生は明らかに自転車に乗ったり、静かに自習をしたりすることより「複雑」な体験や知恵を必要とする筈だと考えています。それゆえ、「井関にこにこクラブ」が取組むべきプログラムは、体力・耐性、自主性・自律性はもちろんですが、「仲間と一緒に挑戦する幸福な少年期」の創造になると思います。学童期の集団活動や集団内の協調や連帯こそヨコミネ式に付け加えるべき発想だと感じて帰って来たところです。

V 「生きる力」=「一人前」の「理想型」

 学校教育の言う知・徳・体こそが人間発達の3大要素であり、その調和的発達の結果こそが「生きる力」の「理想型」です。
 古今東西、社会はあらゆる教育機関・教育者に「一人前」の育成を期待しています。知・徳・体の調和的発達とは、換言すれば「一人前」の資質の「理想型」を意味します。「気は優しくて力持ち」も「文武両道」も調和的発達が理想とする原形です。学校は「学力」向上を任務とするという学校教育の特質に鑑みて三大要素の順序を逆に記述しています。社会生活に適応して行く順序性を考えれば、知・徳・体ではなく、体・徳・知こそが幼少年期の発達の順序性です。体力を基礎、耐性を土台として、その上に学力や社会性を鍛えて行く順序はこれまでの筆者の研究の通りです。体力や耐性を飛ばし、途中の目標を抜き出して「確かな学力、豊かな心」だけを育てるなどということはできないのです。

VI  体力重視は動物的機能の重視と同じ意味です

 人間は「霊長類ヒト科の動物」が教育としつけによって人間となりました。人間の「生きる力」の構成原理は老若男女に適用できることもこれまでの研究の通りです。乳幼児を見れば明らかなように、原理的に、体力・耐性が先で、教育やしつけは後です。
 頭脳が機能停止しても死とは呼ばず、肉体が機能停止した時、初めて死と呼ばれます。体力重視は動物的機能の重視と同じ意味です。
 しかし、高齢者を見れば明らかなように、肉体の衰弱を予防し、死を予防する指令は頭脳から出されるところに調和的発達における精神や理性の重大な意義があります。

VII 研究計画立案上の仮説

大島先生と立てた研究上の仮説は以下の通りです。よって「井関にこにこクラブ」のプログラムはこれらの仮説を踏まえて立案することになります。

1 仮説1 

 現代の子どもは総じて過保護に育っているので、教育プログラムによって体力と耐性を向上させることは可能である。

2 仮説2

 体力と耐性は「生きる力」の根幹を成す資質であり、両者の向上は児童に「内在する力」を引き出し、学力その他個々の日常行動に望ましい影響をもたらす。
3 仮説3

 
体力及び耐性の向上が児童の日常行動に与える望ましい影響は、人間的資質の初期形成期ほど大きく、発展途上にある幼少年期ほど明確に観察・実証が可能である。

4 仮説4

 想定されるプログラムは学校教育課程・指導過程の中で例外なく、最も総合的かつ実践的に実行・観察が可能である。日常的に反復される学童保育は次善の選択肢である。

国際結婚の社会学④
I Love Youが言えません

1 日本の文化は間接表現の文化(*1)です

「間接表現」とは、間接的にものを言うということです。「関接的に」とは、時に、「遠回し」に言うことであり、「ぼかして」言うことであり、「全部を言わない」ことであり、最終的には相手の気付くのを待って、「何も言わない」ことでもあります。要するに、間接的に言うとは、直接的な表現を押さえるということであり、表現や主張を控えるということになります。もちろん、「表現を控える」ということは自分の言いたいことも言わない、ということも含んでいます。
 間接表現の原点は「秘すれば花」に象徴されています。「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」(*2)は世阿弥の名言です。ものごとは秘められているからこそその魅力がにじみ出るという指摘です。才ある人のゆかしさも、美しき人の美しさも、恋文の切なさもそれぞれの主張を程々に抑えているところにある、というのです。かくして日本の芸術は「陰影」を礼賛し、抑制を賞賛し、言外の言を読み取る「察し」を前提にして来たのです。「秘すれば花」は「察し」を要求するのです。その背景には、文化の称揚する「謙譲」の美徳があります。才が才を誇り、美しさが美しさを主張し、恋文が節度を失った時には、それぞれの価値や資格を失うことになるとすれば、多くの日本人は言うべきこともいわずに飲み込んで生きたことでしょう。言語による直接的コミュニケーションが疎くなる傾向が強いのです。しかし、恋愛から外務省の外交交渉まで当方が主張すべきことを主張しなければお互い分かりようはないのです。

*1 三浦清一郎、「日本型コミュニケーションのジレンマ」、日本の自画像(大中幸子編著)、全日本社会教育連合会pp.159~184

*2 世阿弥 「風姿花伝」、岩波文庫 昭和33

2 「梅咲くころ」

 ケーブルテレビは古い番組を再放送・再々放送して経費を浮かすので、巧まずして昔見逃した番組を見ることができます。
 先日は偶然、何度目かの「三屋清左衛門残日録」(藤沢周平)の再放送にあたりました。私が見たのは「梅咲くころ」という物語でしたが、後で原文に当たってみたら脚本家が新しい話を2つ挿入していることが分かりました。話は清左衛門が江戸詰めの側用人のころ、男にだまされて生きる気力を失って自殺を図ったひとりの奥女中を辛抱強く励ます中で、彼女の心を梅の一枝を贈ることで救ったという回想に始まります。そして一転、歳月を経て、この度、ふるさとに戻った彼女をふたたび結婚詐欺もどきの不祥事から救ったという物語です。主役は表題通り梅の花です。
 脚本家が挿入したのは、二組の夫婦間の男女のコミュニケーション問題でした。
一組は、清左衛門の仲立ちで再婚した男女。もう一組は清左衛門自身と亡き妻の間の感情のやり取りのことです。私が気を引かれたのは挿入された方の話でした。日本人の国際結婚のコミュニケーション問題に重なるからです。 
 一組目の夫婦は、再婚者同士でした。男は藩でも名だたる剣士で先に妻を亡くした平松与五郎、女は酒乱の夫の虐待に堪えかねて離縁し、実家に帰っていた上士の娘で多美といいます。清左衛門には、偶然、多美の母と若い頃に小さな旅の事件を共有したというほのかな思い出があり、多美の再婚話に肩入れしたという別の独立した物語が存在し、今回挿入された小さな物語の伏線になっています。
 奥女中の苦境を救った物語のテーマが「梅咲くころ」となっていたので、脚本家は二組の夫婦の物語にも梅の枝をからませた筋立てにしています。梅にまつわる3つの挿話を絡ませてテレビドラマの動きを盛り上げようとしたのだと思いますが、珍しく原作以上の面白さになっていました。優れた原作に手を入れれば、通常は読者をがっかりさせるのが落ちですが、挿入した物語が原作を引き立てているということは、脚本家の腕が素晴らしいということでしょう。

2 コミュニケーションのできない再婚同士

 多美は男に恐怖を抱くようにまでなった虐げられた女性ですが、清左衛門の語る亡き母の思い出や剣士平松に寄せる並々ならぬ評価とやさしい説得にほだされて再婚を決意しました。一方、妻を亡くした平松は尊敬する清左衛門の勧めであり、大いに乗り気だった一方、多美の実家に比べればはるかに家禄の低い平侍で、彼らが生きた時代の「つりあい」の問題を気にしていました。
 しかし、再婚に熱心だったのは「出戻り」の娘を抱え込まざるを得ない多美の実家の方でした。与五郎と多美は清左衛門の幼なじみで、現役の町奉行の佐伯熊太の仲人で無事に結婚したのです。挿入された話は結婚後の後日談です。
 
剣の稽古や論語の会で一緒になる平松がどことなく元気のないことに気付いた清左衛門は、嫁の里枝に頼んで平松夫妻の様子を見に行ってくれるよう頼みます。戻って来た里枝の報告では、平松夫婦はお互いに遠慮し合って距離を置き、日々の夫婦間のコミュニケーションもうまくいっていないようだということでした。「おふたりは一緒の布団に寝ることもないようです。女の私には分かります」ということでした。
 そう言えば、江戸藩邸詰めの頃は、自分も亡き妻の便りに返事一つ書いたことはなかったな、と回想する清左衛門でした。

3 I Love Youが言えません

 清左衛門が奥女中の松枝の結婚詐欺もどきの事件の解決に追われていた最中、与五郎と多美夫婦は小さな破局に達し、多美は家を飛び出し、清左衛門のところに飛び込んできました。慰めたり、励ましたりする嫁の里枝の前で、多美はきちんとした理由も言えぬまま「もうあの方とはやって行けません」とさめざめと泣き続けるばかりでした。
 折りも折り、風呂から上がった里枝の夫の又四郎は「今日も風呂がぬるかったぞ」と里枝に文句をいい、里枝は「わざとぬるめにしているのです」と口答えをし、「ぬるいくらいがお身体には丁度いいのです」と負けずに言い返しました。
 筆者もドラマのこの間の会話を全て正確に憶えているわけではありませんが、二人の隔てのない仲睦まじいやり取りに接した多美ははたと自分の不満はこうした何気ない夫婦間のコミュニケーションすらないということだと気付き、「あの方はなにもおっしゃらないのです」と里枝の前に泣き伏すのでした。突然の号泣にあっけにとられている夫妻の前で、「黙ってご飯を食べるだけで何もおっしゃいません」。「みそ汁も前の奥様が作られた味が忘れられないのです」。とにかく「何もおっしゃってくださらないのです」と泣き口説き、「もうあの家へは帰りません」と言うのです。
 一方、突然の妻の家出に途方にくれた与五郎は仲人の町奉行佐伯熊太にどうしたものかと苦境を訴えます。事情を察した熊太は「おまえはそのくらいのことも分からんのか」とばかり、床の間に生けてあった梅の一枝をとって「これをもって迎えに行け!」「待て、待て、黙って渡すんでないぞ!」「好きだ!と言って渡すんだぞ」と念を押します。呆然として聞いている与五郎にはまだ状況が飲み込めていないと察した熊太は、「よい、よい、わしが多美さんだと思って言って見よ!」「ちゃんとわしの方を見よ!」、「好きじゃ」と言うんだぞ」と命じ、身をよじって苦しむ与五郎に梅の一枝を渡す予行演習をさせるのでした。与五郎はどことなく若い時代の小生に似ていました。

4 「分かって欲しい」という思いと「抑制しなさい」という文化の掟

 表現は人間個々人が行うものである以上、個性であり、それぞれの主張を含まざるを得ません。ところが「謙譲の美徳」を基調とする「控えめで」「慎ましい」文化は、そうした個性や主張をも「言わぬが花」だと言っているのです。個性が個性であるためには表現されなければなりません。同じように、主張が主張となるためには主張されなければなりません。ところが表現を抑制することが美しいという文化に立てば、個性と主張もまた抑制されなければなりません。
 与五郎と多美はこの文化のジレンマの中で苦しんだ不器用者ということになるでしょう。誰もが思い思いの人生を生きたいと願っていることを前提にすれば、みんなが理解と表現を求めていることになります。ところが日本文化は、この表現欲求に抑制のブレーキをかけ、「察して分かれ」とだけしか言わないのです。結果的に、「主張」と「表現」の間に緊張関係が生み出されます。簡単にいえば、「主張」はしていいが、「直接的には」するな、というルールがそれです。このルールを守ったためにまだ若い不器用な二人のコミュニケーションが途絶えることになったのです。奉行が差し出した「梅の一枝」は言語的コミュニケーションを仲介する名脇役というところでしょう。

5 練習せずに上手になる筈はないのです

 読者のお察しの通り、三屋家に取って返した与五郎は、門に入るのさえためらい、あげくの果てに、期待に胸膨らませて出て来た多美に梅の一枝を渡すどころか、「ご迷惑おかけした清左衛門殿にお詫び申し上げねばならぬ」「里枝殿にも誠に申し訳ない」などとあらぬことを支離滅裂に口走り、ふたたび多美を絶望の渕に突き落とすのでした。場数を踏んでいない与五郎に素直にI love youが言える筈はないのです。I love youもまた練習なしには上手に言えるようにはならないのです。二人とも自分の気持ちを素直に言葉にして相手に伝えることができず、なぜ分かってくれないのかと身悶えしているだけなのです。
 現在の筆者は町奉行の佐伯熊太ぐらいの芸当はできるようになりました。しかし、結婚当初は、亊あるごとに妻が口にするI love youは言えませんでした。外出時に手を繋いだり、腕を組んだりしたがる妻に、狼狽えたり、邪険にしたりしたものでした。済まないことをしたと思います。誕生日や結婚記念日ごとに花を持って帰れるようになったのもずっとあとの事でした。「愚妻」に近い表現を謙譲のつもりで言って、妻を大いに悲しませたことも憶えています。直接表現の文化の国から来た妻には愛情の薄い、無粋で、物足りなく、不作の亭主と思ったことでしょう。後に、汚名挽回がなったかどうか、今となっては彼岸の彼女に尋ねる術もありません。

6 「直接表現の文化」のアメリカ

 表現の抑制を掟とする日本の文化と対照的に、筆者が体験したアメリカ型の表現は「直接表現の文化」です。夫婦にとってI love youは愛し合っていることを前提とした「あいさつ」です。敵意をもっていないことを証明する「こんにちは」の延長線上にあります。挨拶ですからそれを言わない夫婦はおかしいのです。妻の困惑や苛立ちが今になって分かります。
 直接表現の文化は、文字通り表現の直接性を尊びます。率直な表現、正確な表現、論理的で華麗な表現が歓迎されます。この文化においては、個人の自己主張・自己表現は、ほとんど大部分「正当」であり、表現は原則的に「善」であると受け取られます。自己を主張し、議論を戦わすことは基本的に「善」なのです。それゆえ、人々はためらわずに意見をいい、率直に要望を主張します。男女の区別は基本的にありません。「主張」することが「はしたないこと」ではない以上、男も女も「欲しいもの」は欲しいと言い、「反対のもの」には率直に反対します。
 後に「戦友」になった妻の議論の頼もしさも、最初は要らざる「ことあげ」と感じて、感情的な喧嘩になったりしました。お互いの文化の特性が分かって喧嘩をしなくなるまでにはかなりの時間を要したように思います。
 アメリカ人の妻にとって「表現」の意欲や形式が「文化」によって制約されることはないのです。「気を利かして察してくれよ」と当方は思い、「必要なことははっきり言いなさい」と先方は思っていたのです。妻は、当然、自分を豊かに表現することにも、自分を明確に主張することにも工夫を凝らします。それを亭主にも要求します。小生の日常は英語から身だしなみまで絶えず妻のチェックに会い、あからさまに診断・評価され、プライドが傷つくことも多々ありました。時に、余りの酷評に不満を言うと「私の他に誰が言ってくれますか」と返す刀で一刀両断でした。日本の文化が「分かってもらうこと」に高い価値を置くのと対照的に、アメリカでは「わからせること」が重要なのです。それゆえ、人々は論理と言い回しを工夫し、ディベートやスピーチの技術を磨き、自分の思いをどう伝えるかという「プレゼンテーション(提案・発表)」に心を砕くのです。妻が私以外の日本人に直接表現を控えるようになったのは、間接表現文化の掟を会得したからでしょう。日本人よりも日本人らしいアメリカ人というよそ様の妻への評価は亭主の秘めたる誇りでした。彼女もまた早い時点で「言わぬが花」を学んだのです。

7 双方が「慎ましさ」と「控えめ」を守ったら言葉が出なくなります

 与五郎や私がI love you を声に出して言えなかったのは、あからさまに言うことは慎ましさを失うことだと教えられていたからです。日本人は、他者の「察し」の能力に期待し、言いたいこともぼかし、主張すべきことも遠回しにしか言わない間接表現の文化の中に暮らしているのです。日本の文化は「慎ましさ」を礼賛し、「控えめ」を推奨しています。黙っていても「察し」をつけて、分かってもらえることが、理想的なコミュニケーションです。「秘すれば花」は「言わぬが花」となり、「能ある鷹は爪を隠す」というのが「望ましい人」の行動原理になります。これらは自己主張は美しくないという戒めです。言動の「節度」の重要性を説いています。いずれも日本人の言動を規定している「文化の掟」です。文化の「掟」ということは長い歴史の選択に耐えてきた言動の「心理的規範」であり、美的「基準」なのです。この「基準」は普通のしつけを受けた日本人を拘束し、文明が進化しても、暮らしの仕組みが変わっても、江戸時代はもとより現代も一朝一夕に変わるものではありません。
 要するに、日本では、主張の抑制も、表現の抑制も「美しいこと」であり、謙譲は「美徳」であり、遠慮がちや控えめであることは「奥ゆかしい」ことなのですい、自己を主張し、己を誇り、才を表すことは日本的美の基準に反し,当然、「おしゃべり」は美しくないのです。こうした原理を裏側から読めば、多くの日本人は率直に意見を言うことを禁じられているばかりか、思いを表現することすらも文化の原則に反する「悪」なのです。

老いの身のひとりを生きる

「居甲斐」と「やり甲斐」-なければ滅ぶ

 佐賀市の勧興公民館で行なった移動フォーラム・シンポジュームは、標記のテーマの「新しさ」の故に各地から多くの人々が参集し、それなりの目的を果たしました。高齢社会はいよいよ取り残された「独り身」の人々の「暮らし方」を取り出して論じなければならないところまで来たということです。
 日々の家事を始め、生活事務を自律的に処理できない人は滅び、また、それが出来たとしても「居甲斐」と「やり甲斐」を見出せる「活動」を持たない人もやがて滅ぶ、ということが垣間見えた登壇者の発言でした。皆さんに共通していたのは「活動者」だということでした。まさに期せずして「ボランティア」は「他者への社会貢献」と同時に「自分のため」の活動なのだと再確認をしました。
 九共大古市教授の軽妙な司会で、登壇の高齢で、配偶者に先立たれた独身者は、老衰や孤独との戦いを訥々と思い思いに語りました。事前の打ち合せで活発に話し、大いに盛り上がった話題についての発言がほとんどなかったのは、登壇者自身が「もう、さっき、言ったでない!」と思われた節があり、古市先生が頭を抱えたのもユーモラスでした。「くどい話はダメよ」と自らに言い聞かせている高齢者は、「打ち合せ」と「本番」を同一視したのかもしれません。皆さん二度目の繰り返し発言と遠慮して自制された節がありました。公開の場で高齢者の発言を引き出す司会の難しさを感じさせました。
 家の中に話し相手のいなくなった筆者は日々犬に話しかけて暮らしておりますが、福岡の大石正人さんは電子レンジに話しかけているそうです。レンジの終了音が「チーン」となると「ちょっと待ってね」と声をかけながら暮らしているという下りには、「そうだ、そうだ」と息ができないほどに笑いました。
 また、会場から子どもや孫と同居するようになって感じる「人のなかでの孤独」こそが、ひとりぼっちの孤独以上にやり切れない孤独なのだという指摘があり、一同高齢者の「居場所」の条件の複雑さに思い至りました。一緒に暮らしたところで日々は息子夫婦や孫のペースで進行し、「置き去り」にされる高齢者の心理的適応の問題は、同居の故により深刻になるだろうと想像力を働かせればまさしくその通りです。

1 「必修家事」の不消化

一人くらしが当面する最初の課題は家事と生活事務が残された者に全面的にかかって来るということです。電話も手紙も、「支払い事務」も「受け取り事務」も全て一人でさばかなければなりません。郵便局も銀行も、ゴミ出しも、分別収集当番も、回覧板も一斉清掃も、時には、組長やまち内の役割分担も全て一人でこなさなければなりません。特に、男が残された場合には家事が問題です。男女共同参画を理解・実践していない限り、一日3度の飯に始まり、後片付けや炊事、洗濯、乾燥、整理整頓、買い物など家事は未経験の領域であることが多い筈です。しかも、毎日のことですから熟練を要します。
 日本の高齢者教育は男の料理教室などを必修にすべきですが、選択制の生涯学習では「その時」が来るまでは、大半の男はやろうとはしないでしょうね。
 「家事手伝い」を傭うとか、常に外食で、常にクリーニング屋を使うという「家事のアウトソーシング」ができれば話は別ですが、これにはお金がかかります。お金があれば家事がビジネス化された現代を一人で生き抜くことはできますが、金もない、家事もできないというのでは最悪です。一人暮しの「必修家事」に対応できなければ、家はごみ屋敷となり、生活リズムは崩壊し、本人の没落は時間の問題です。

2 時間意識の切迫→ストレスの堆積

上記の通り、一人暮しの第1条件は、炊事、洗濯、掃除など日常を快適に保つための家事一般の能力が備わっているということです。しかし、第2の問題は「時間」です。「時間」の問題とは、「物理的時間」と「心理的時間」の2種類があります。
 筆者は、男女共同参画を信条として暮らしていましたので、普段から家事には習熟していました。しかし、日々の生活と仕事を両立させるためには、如何せん時間が足りなくなりました。「間に合わない」というのが「物理的問題」で、「どうしようという焦り」が「心理的問題」です。時間意識の切迫は心身にストレスを堆積させ、意欲・気力の減退を招きます。
 老後の活動量を落さず、生涯現役を全うしようとすれば、一人暮らしの身にも「ワークライフ・バランス」の問題は発生するのです。
 生活処理能力の点では自分でできる事も、暮らしのスケジュールや生活リズムの中で、時間的締め切りに間に合わなければ、「無力感」と「切迫感」に苛まれます。「無力感」とは「意欲や気力」が減退することであり、「切迫感」とは焦ったり、腹を立てたり、情緒的安定を失い、ストレスが増すことです。筆者は、数ヶ月、自分なりに試行錯誤を続けた後、自分一人の能力と時間のやり繰りだけでは「時間効率」の点で限界があり、ストレスが溜まり、日常の「快適性」が大幅にダウンすることを認めざるをえませんでした。要するに、「ワークライフ・バランス」が崩壊するという危機に直面しました。換言すれば、日々の仕事は停滞し、溜まって行く埃と汚れた食器類と洗濯物の間に埋れて、苛立ち、暮らしの意欲や気力に大いにマイナス作用を及ぼすのです。

3 食事・睡眠・健康管理

 第3の問題は健康管理です。一人暮らしの身は寝込んだら生活の全てが滞ります。怪我はもちろんのこと、「風邪」ひとつ引くことも禁物です。友人諸氏からは「飯はちゃんと食っているか」とか、「休養は取っているか」とか、便りの度に助言があります。料理ができないだろうと思ったのでしょう。やさしい差し入れもあちこちから頂きました。活動を通して人々と繋がっていたことのありがたさをあらためて再確認しました。しかし、健康管理の核心は、「健康でいたい」という「意志」と「意欲」の問題です。せっかく頂いた差し入れも「食う気にならない」とか「眠りが浅い」とか、「体操や運動も億劫」というように、己の生活リズムが崩れれば効果はありません。一人暮らしには、己を律する「意志」や「意欲」の問題が立ちはだかるのです。
 せっかく生み出した余裕の時間を自堕落にテレビを見て過ごしたり、食育の論文を書きながら「茶漬け」ばかりを食っているという矛盾は「一緒に飯を食ったり、話をしたりする「誰かがいない」というところに行き着きます。「ご飯屋」のようなおかずを組み合わせてバランスよく食べることのできるレストランも登場しているのですが、ひとりぼっちで飯を喰うくらいなら犬と一緒に食べたほうがましだと思って外食を控えることはたびたびあります。筆者にとって、「外食」が惨めなのは、「くいもの」の問題ではなく、「対話の相手がいない」ということだったと思います。
せっかくの余暇を「無為」に過ごして、時間を持て余すのは家の中に会話がないということだったと思います。
 それゆえ、健康管理の面で最も助けられたのは2匹のミニチュア・ピンシャーがいたことでした。犬たちとの毎朝の散歩がなければ、運動もせず、したがって腹も減らず、飯も食わず、気持ちの上で癒されず、きっとどこかの時点で健康を損ねていたような気がします。ひとりぼっちの暮らしに生き物は宝です。

4 二三日誰ともしゃべらない→社交の激減→失語症-認知症の恐怖

筆者の職業にも関係するのですが、読み、書きの機会は十分あります。しかし、妻の没後は対話の機会が途絶えました。原稿に集中していると二三日誰ともしゃべらないという日があります。言葉が出なくなった経験はありませんが、もしかしたら言葉を失うという恐怖はあります。
 家の中に話す相手が居ないということは、食欲が湧かないというような具体的な問題に留まらず、人間的な情や情に基づくコミュニケーションが枯渇して行くのではないかという恐怖に駆られます。しばらく休んでいた詩歌の音読を再開したのは失語症の恐怖と戦うためです。
 教え子が誘ってくれる会食や英会話指導のボランティアや生涯教育の研究会は大人の人間と語る唯一の脱出路ですが、これも毎日ということにはなりません。対話のない日々、人間の声を聞かない日々に耐えることは一人暮しの条件です。

5 孤独感と孤立感

 人の性格にもよると思いますが、孤独感は一人暮しの大敵です。実質はひとりぼっちでも、やることがあって仲間との通信が頻繁に行なわれている間は、孤独感は襲って来ません。問題は連休や盆暮れ正月、年度末、年度始めなどです。仲間も友人も、それぞれの家族や帰属組織の中に閉じ籠って他の人間のことなど気にかけません。遠い子どもとの数分の電話もスカイプも終わった後は、ひとりぼっちの高齢者にとって「宴の後」よりもっと悪い静寂の深淵が広がります。孤独感は徐々に孤立感に変質し、誰かにかまってもらおうなどと思っていなくても、誰もかまってくれはしないと感じることは辛いことです。
 「人恋しい」という寂しがりやの孤独感は「誰も自分のことなど思い出しもしない」という孤立感に変質するのです。世間が連休・休暇中の時は、世間に背を向けて自分の世界の計画に没頭することが自己防衛の方法の一つだと分かって来ました。課題があり、仕事があり、やりたいことがあることは人間の最大の救いだと実感しています。その意味でも「晩学」は我が救いになっています。

6 事故、急病、孤独死の迷惑を防ぐ「無事の便り」

 一人暮しを始めて直ぐ「無事の便り」を工夫して発送し始めました。高齢者の事故や突然死の迷惑を最少限に留めて外部世界に及ぼさない配慮です。子どもには毎週、友人には毎日送っています。無事に生きているということだけの簡単な知らせです。週間無事の便りは60号、日々の便りは当然365日を越えました。
 散歩の途中で思いがけず転んだことをきっかけに緊急連絡先を書き出して玄関に貼りました。室内で突然死した時のために合鍵も複数の友人に託しました。
 「無事の便り」にはそれぞれの反応があるので、巧まずして声のない対話になっています。インターネットの利便性は情報化時代の高齢者に対する最大の贈り物だと思います。その意味でもかつて公明党が政策化した「地域振興券」は、「コンピュータ-技能習得券」や「健康体操受講券」などに翻訳して高齢者に支給すればいいのです。

人間の中の孤独

 会場から子どもや孫と同居するようになって感じる「人の中での孤独」こそがやり切れない孤独なのだという鋭い指摘がありました。高齢者の「居場所」の条件の複雑さに思い至りました。高齢世代と若い世代では暮らしのペースが異なり、興味も、関心も異なります。細かいことを言えば食事の味付けも、食い物の種類も異なります。昔の年寄りと違って現代の高齢者の多くは主体的です。老いてもそう易々と子には従いません。
 子どもや孫と暮らすことが希望だとアンケート調査には出て来ますが、親も子も、お互いの現状認識が甘いのです。一緒に暮らしたところで日々は息子夫婦や孫のペースで進行し、やがて親の労働力が枯れ、暮らしの中で「置き去り」にされたり、「お荷物」だと思われるようになれば、高齢者の心理的適応の問題は、同居の故により深刻になるだろうと想像しました。それでも登壇の皆さんはおおむね楽観的でした。平均寿命から言えば、数年のうちに来る「死」に対する具体的な準備については余り語られませんでした。終末医療や遺言や葬儀や自分史は残された第2部の課題ということなのでしょう。

7 「生き甲斐」の必須事項は二つです-「居甲斐」と「やり甲斐」

 近隣は「無縁社会」です。隣近所と挨拶は交わしますが、誰もかまってはくれません。みなそれぞれに自己都合を優先しているので、一人暮しの年寄りを気づかう者はいません。現代人は他者を気づかう時間やエネルギ-がないのではありません。「自己中」ですから、自分の為の時間とエネルギーにしか関心がないのです。
 「居甲斐」とは、他者から受ける好意的感情の総体です。
無縁社会の唯一の例外的縁は志縁です。典型的な例は、自分が多少のお世話をしている方々です。象徴的には、「あなたに逢えてよかったと思って下さる方々」であり、あなたから見て、「この人に会えてよかったと思える人々」です。そうした人々のみがあなたに多少の感謝の念や愛隣の情を示してくれます。それが「居甲斐」の感情です。他者の好意を感じて、「ここにいて良かった」と思える心境を意味しています。筆者が「読み、書き、体操、ボランティア」と唱えてきた最後の「ボランティア」は、人々の感謝と愛情と尊敬を受けることを可能にする数少ない具体的な方法だからです。なぜなら、「他者への貢献」だけが職業から引退した高齢者にとって唯一「志縁」に繋がり、社会参画を可能にする道だからです。
 他方、「やり甲斐」を構成するのは、活動の機能快と成果と成果に対する社会的承認です。定年や子育ての完了によって、社会があなたを必要とする活動の舞台を失ったとき、多くの人は「やり甲斐」を失い、人生の希望と意欲を失うのだと予感しています。
 現役時代は労働の中に「やり甲斐」を見つけることができました。頂く給料や賃金が、あなたを社会が必要としている証でした。辛いことがあったとしても、日々の労働は成果や機能快や満足感を生み出していました。しかし、定年や引退はそれらの過程を根こそぎ失うのです。活動が「やり甲斐」の基であり、中でもボランティアは高齢者に唯一可能な「居甲斐」と「やり甲斐」の両方を含んだ生き甲斐の鍵なのです。

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

新潟県加茂市 山本悦子 様

 稀に他の読者も感想を下さいますが、それぞれに忙しく、日々の営みに比べれば、「風の便り」の優先順位は低いのです。毎月のはがきはあなた様だけです。いつも励みにしています。年をとると時々やる気を失います。自信も希望も失います。
 やさしい便りは気持ちのビタミン。時には執筆カルシューム。一度お礼を申し上げたく、紙上にご返事を書きました。こちらこそありがとうございます。

福岡県筑後市 江里口 充 様

 その後経過はいかがでしょうか。各地から似たような事故の報告が届くようになりました。年をとってからの怪我は治癒に時間がかかります。ご無理のないようくれぐれもご自愛下さい。各地で社会教育がなくなるような現象が続く一方、生涯学習を生涯教育に改める動きも出始めました。しばらくこの国の試行錯誤が続くことでしょう。今更ながら筑後市が社会教育課を守り通したことの卓見に敬意を表します。この度は、過分の郵送・印刷費をありがとうございました。

北海道札幌市 竹川勝雄 様

 有言実行ですね。平の有盛伝を拝読いたしました。次のプロジェクトはなんでしょうか。熟年の自転車は止まると倒れます。熟年は「タコが自らの足を食いながら生きる」ように、自らの活動を食いながら生きるしかないと思うようになりました。止まれば倒れとすれば、自らを多動の回遊魚マグロにたとえ、ひたすら泳ぎ続けることにしています。がんばりましょう。

K.M 様

 親の介護は重い課題ですね。親孝行や恩返しを「課題」だと思いたくないお気持ちはよく分かりますが、介護保険のできたわけを考えると、介護は日本の親子の「課題」とならざるを得ないのです。新しい法律の在宅介護の出張制度も読めば読むほど「課題」の解決のための制度です。あなたは「恩返し」でいいのです。今のところ日本文化の解釈は人それぞれですから。
 私は子ども達に「恩返し」をさせたくないのです。高齢者問題を研究する中で、たくさんの親子関係を見聞しました。たくさんの妻達の「重荷」も読みました。兄弟姉妹が親の介護をたらい回しする争いも読みました。介護は男性よりも女性が分担させられるケースが断然多いからです。
 「重荷」の原点は、親の「甘え」にあります。その甘えを増長させているのが、子どもの「親孝行」と「恩返し」という日本文化が要求する世間体にあると思うようになったのです。我が地域では「敬老会」の通知にも文句が来るようになりました。施設介護は「姥捨てやま」だと思う方々の世間体を恐れる気持ちが抗議の核心にあります。
 施設で暮らす生老病死の季節が「悲しい」・「寂しい」と思う年寄りが多いことは分かっています。しかし、高齢化の中で、子どもに「重荷」を背負わせる順送りは誰かが断ち切らなければならないのです。私はその誰かになりたいのです。人間も獣に倣って社会という森の奥の人知れぬ死に場所に帰って行く時代が来たと思います。

山口県山口市 上野敦子 様

 メールの開通何よりのことです。「井関にこにこクラブ」と大島研究チームとの共同研究はくれぐれもよろしくお願い申し上げます。プログラムの実施にあたっては、子ども達を急がせないで、急ぐ」ことが秘訣です。スピードは「負荷」の第1条件ですから・・.
 ヨコミネ式がそうしたように子どもの遊びの中から子どもの発達を支援できる工夫を見つけて下さい。当面、急ぐのは「井関エアロビ」の選曲と振り付けです。どうしてもうまく行かなかったらご一報下さい。老骨が駆けつけます。

148号お知らせ

1 第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会

日時:5月19-20日(土-日)
前夜祭:18日(金)の19時-

 前回チラシを同封した通りです
。過去3年間の参加者には4月中旬に詳細を記したご案内のリーフレットを発送いたしました。ご参加ご希望の方は福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)までお問い合わせ下さい。

2 平成24年度前期「Volovoloの会」(山口県生涯学習研修・親睦会)

日程:6月2日(土)-3日(日)の予定です。
主たる報告は巻頭小論に記した、「井関にこにこクラブ」における九州女子大学研究グループの『体力と耐性の向上が児童の日常行動に及ぼす望ましい影響の総合的・実践的・実証的研究』になる予定です。

3 第120回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin福岡

 日程だけ決まりました。6月23日(土)15時より、福岡県立社会教育総合センターで行います。

編集後記 
今日も元気で帰ったぞ!

遠出の仕事を戻ったら
エンジン音で分かります
家は祭りの始まりで
Daddy is Home!と怒鳴ります
今日も元気で帰ったぞ!
わんわん、BowWow、祭りです
鍵開けるのももどかしく
コート脱ぐのももどかしく
床にべったり尻餅ついて
2匹を両腕に抱えます
カイザ―、You are My Boy!
レックス、You Too, My Boy!
寂しかったろ!My Boys!
留守番偉いぞ!My Boys!
今夜はどこへも行かないぞ
あしたもどこへも行かないぞ
しばらく背中をさすったら
ようやく落ち着く2匹です
遠い昔になりました
子ども達にもやりました
70過ぎてようやくに
照れずに妻にも大きな声で
今日も元気で帰ったぞ
一人で待つのはさびしかろ
写真のあなたは微笑んで

がんばりなさいというのです

夕闇の門辺に咲きて
沈丁花
みな待ちわぶるわが家路かな

彩小紋

朝の花屋に飛び込んで
店一番の「彩小紋」
輝くように放射して
腕一杯の青い花
鉢を抱えて帰ります
そこのけ、そこのけ、お花が通る
前も見えない大鉢で
心づくしのもてなしは
自分の気持ちを一新し
猛勉強を始めます
ふだんは質素に暮らしても
やっときゃやろもん衝動買い
豪儀なもんです「彩小紋」
部屋中青く光ります
花の命が乗り移り
自分も何やらシャンとして
明日のお客を待ってます

彩小紋青く霞みて 春よ春
遠き昔に還るすべなし