「風の便り 」(第147号)

発行日:平成24年3月
発行者 三浦清一郎

 国際結婚の社会学③
日本人の「手品」-「客分」の制度化
「よそもの」は当然「仲間」ではありません。「彼ら」は「我々」ではなく、「外人」は「日本人」ではなく、「あいの子」も「ハーフ」も「純粋日本人」ではありません。しかし、「客分」にすることによってすべてが変わります。「客」は「特別なよそ者」で「身内」ではありませんが、時に「身内」と同等か或いはそれ以上の特別待遇を与えることができるのです。

1「養女」や「客分」の論理

 時代劇を見ていると、惚れ合った男女が身分のちがいのために結婚できない悲劇が随所に出て来ます。この時、物わかりのいい知恵者がいれば、身分ちがいを解消する方法に「養女(養子)」というトリックがあることに気付きます。惚れ合っても身分制社会の身分違いの男女の結婚は厳禁です。そこで考案されたのが「養女(養子)の論理です。男(女)と同一身分またはそれ以上の身分に在る第3者に二人のうちのどちらかを「養女(養子)」にしてもらって身分の釣り合いを創り出すのです。「養女」の論理は、身分差別の制度を変えないで、同一身分(或いは相手以上の身分)を創り出す日本人の手品です。見方によってはずる賢い、人間の平等という観点から見れば、本質的には何の解決にもならぬその場しのぎのやり方です。しかし、別の見方をすれば、「身分制度」そのものを変えることなど到底出来なかった時代の柔軟で賢い日本人の知恵であったと言って過言ではないでしょう。

2 「お傭い外国人」は「客分」処遇の知恵

 日本人の応用力は、外国人を差別しながら、被差別意識を緩和する「客分」の制度でいかんなく発揮されました。「お傭い外国人」は、「養女の論理」の延長です。
 彼らには、明治政府が雇い入れることにより、「客分」(養女)の身分を与え、臨時の日本人待遇を与えたのです。当時の常識の何十倍もの給料を払って、特別待遇をし、日本人の技術者を育成し、その後は外国人に頼らなくてもいい状況を創り出したという近代日本の知恵です。「お傭い外国人」は、現代の客員教授ですから今でも応用が出来るのです。文科省はなぜ明治の知恵を忘れて、英語の喋れない日本人英語教員に英語を教えさせているのでしょうか!?おそらくこちらの答は流入する外国人教員の数の問題なのでしょう。外国人看護師の問題も似たようなものです。
 看護師が不足していることも、将来ますます不足することも明らかなのに、現状は外国人看護師に難しい日本語試験を課して故意に入国をブロックしています。漢字圏出身者でない人々に医学用語を多く含んだ日本語試験を受けなさいということの非常識は故意にやっているとしか思えません。看護師協会やその意を受けた政府の審議会の役人や学者が、日本語試験を関門にして合格者が出ないようにしているのは、そもそも外国人看護師を日本人看護師と同等に認めたくないという既得権者および一般日本人の思惑が働いているからでしょう。
 ここでもお傭い外国人「看護師」としてどんどん採用し、数年の間日本人の助手につけて、現場実習を積めばあっという間に日本語のコミュニケーション能力などは向上するのです。元々が母国の専門家ですから、現場体験を積めば、日本人看護師と同じように仕事をするようになることは時間の問題です。事の本質は、日本人が自国に外国人を入れたがらないという問題です。良くいえば文化論の好き嫌いの問題であり、悪くいえば「よそもの」差別の問題なのです。

3 「学歴」もまた社会の「流動性」を増すための客分資格でした

 「学歴」もまた「客分」概念の応用です。時代劇の「養女」の仕組みを明治以降の「学歴」と置き換えてみると分かる筈です。明治以降の「学歴社会」は、東京大学(一流大学)卒という「特別枠」を与えて、当時の「出自」の身分のちがいをご破算にして、時代の「エリート客分」に取り立てたのだと思います。この場合、「客」とは平民や被差別人のように、社会の主流から常に排除され続けた側の人間を意味します。しかし、主流からはじき出された人々も、「学歴」を取得することによって、時代の「客分」になることができました。「客」の処遇は時に「士族」や「華族」を越えて「特別待遇」を受けることができます。「客」の処遇は一時的で、「客」はいつかは元の場所へ「帰る人」だから大元の身分制度は変えなくて済むのです。

4 学校の怠慢 
 「学歴」を通行手形にして、人材を登用し、身分制度が残存する中で、社会の流動化を進めた手法の凄いところは、学歴と「客分」の資格を同等に置き、有効期限は本人限り、「客」と同じ「時限」のものであるという論理です。「客」がいつかは帰るように、学歴の保持者も一代限りで終わります。帝国大学や陸・海軍大学はそのような濾過装置として活用され、合格者は村を挙げて応援することになったのです
 身分社会の差別が色濃く残る中で、差別しながら差別しないという見事な応用力と言わなければなりません。現代は「たてまえ」における差別は解消されました。「人権」概念も確立され、明確に法に謳われました。人権週間も設定されました。しかし、「差別のない明るい社会」というスローガンが存在するということは、スローガンの中身はいまだ実現していないということです。
 社会的に不利な条件の中で成長する子ども達が、実態における差別を跳ね返して生きるためには、今でも、明治時代が発明した学歴社会の原理を応用することができます。「学歴」は、時代が必要とする具体的な証明書です。親は周りを見て、感覚的にそのことを知っています。だから受験戦争が加熱し、「塾通い」で教育費が高騰し、「学歴社会」が加熱するのです。誰でも、東大を出れば、出自に関わりなく何とかなるという前例を知っているからです。日本社会では、「学歴」という「武器」を与えることによって、子どもが家族の歴史の制約を越えて生き抜くことができることを明治以降証明して来たのです。なぜ、学校や教育委員会は、子どもの「学力保障」などと、口先だけのことを言うだけで、特別に配分する「加配」教員とか「同和教育推進教員」などを配置しながら、徹底した「補償教育」として学力補填授業をやらないのでしょうか?上記の教員達を時差出勤制にして放課後の補習事業を徹底すれば、子どもの学力は疑いなく上がるのです。教育行政や学校の怠慢としか言いようがありません。

5 文化は分類する
 筆者が接した限りの言語には必ず「われわれ」があって、その対極に「かれら」があります。おそらくどの文化にも彼我を区別する共通の「集団意識」が存在するということでしょう。その集団意識こそが「敵」と「味方」を分け、「内」と「外」を分け、「身内」と「よそ者」を分け、「主」と「客」を分けて来たのだと思います。文化は必ず自分たちの「同類」と「異質」を分類するのです。
 それゆえ、国際結婚が嫌われるのは、もともと存在する文化の分類基準において異なっているもの同士が「一緒になること」によって、関係者の既存の「分類基準」や「集団意識」を混乱させることだと思います。このことはことなった「宗教間の結婚」を考えればよりはっきりするでしょう。
 「敵」と「味方」が一緒になっても、「身内」と「よそ者」が一緒になっても、敵を許せない人やよそ者を受入れない人の間に、必ず大きな波紋が起ります。「神様」の違う者同士の結婚は、「神々の戦い」にまで発展しかねないのです。封建時代の「身分違い」の結婚も同じです。身分制が壊れては、今の身分に安住している人々が困るのです。身分によって守られている人々にとって、身分とは「既得権」だからです。
 前号に、「外人」とは内なる人間関係を形成する円の「外の人」を言うと書きました。外人は身内や仲間内の円の中に入れてもらえないから外人なのであって、外人は「外の人」であると同時に、「人の外」でもある、とも書きました。桃太郎他のお伽噺や民話の中でたまたま顔かたちの異なった欧米系の外国人は、人ならぬ「赤鬼」や「青鬼」にされたのは当然のことだったのです。
 わが妻はその「外人」であり、子どもたちは混血の「あいのこ」であり、国籍は日本人でも「純粋の日本人」ではありませんでした。民族間の歴史的交流を考えれば、日本人の中にさえ、「純粋な日本人」がいるとは考えにくいのですが、集団意識における日本人とは、顔かたちの見かけが似ていて、両親、祖父母が日本人で、日本語を話し、日本の慣習に同化していれば、日本人として認知されるということでしょう。それゆえ、戸籍制度を撤廃してしまえば、在日アジア人の多くはあっという間に日本人になってしまうことでしょう。
 もちろん、どの文化も「自分たち」と「自分たち以外」を区別します。日本だけが例外ではありません。ただし、日本の問題は、彼我の「区別」が度を超えて極端だということです。国際化やグローバリゼーションのスローガンがお題目に終わるのはそのせいだと思います。日本人は国際化などしたくはないのです。国際結婚の問題の核心はそこに行き着くのです。

6 分類は学問の始まり

 分類は「論理学」の方法です。あらゆる学問はふつう分類から始めます。分類とは事物の「共通の属性」を有するものを集めるところから始めます。植物学や動物学が種や科や目に分けて行くのも同じ手法です。
 分類は事物の区別であり、学問上、観察結果の最初の処理作業ですが、区別と差別の境界は区別をする人間の頭の構造次第で実に曖昧できわどい境界です。「内」の人間を贔屓し、「外」の人間に冷たいのは日本人の常識だからです。
 人間の世界では「同じような性質のものが含まれる範囲」を範疇と言います。「よそもの」は「仲間」の範疇に入らない人々です。「彼ら」は「我々の範疇」に入らない人々です。もちろん、「外人」は「日本人の範疇」には入りません。ドイツ語や英語では「カテゴリー」と言います。アリストテレスが分類概念の創設者だそうですが、後にいろいろな哲学者が分類に挑戦しています。ドイツ哲学のカントは分類基準を「量」と「質」と「関係」と「様態」に分けました。「様態」というのは、普段使わないわかりにくい言葉ですが、可能性とか現実性とか必然性を意味しています。

7 「客分」とは「違った者」を同類に準じて処遇する方法

 「養女」も「客」も実態としての差別を一時「棚上げ」にする方法です。臨時・例外的な特別待遇も「客」の身分に留めることによって身内の「不公平感」や「やっかみ」を回避することができたのです。わが妻も同じ意味で世間一般にとっては最後まで小生の「客」であり、日本の「客」でした。
 文化が許容しない相手を仲間として迎え入れたくない場合には、「客分」にしておけばいいのです。 それゆえ、どの文化も「客」の概念を発明したのだと思います。「客」は臨時の訪問者であり「客」は誰かの招きによって一時的・時限的に縁の内側に入れてもらうことになります。「客」扱いをすることによって帰属集団の「範疇」を変えることができるのです。
 言語学者が言うには、商売上の「客」も一時的に「身内」の「客」になるという意味だそうです。だから、「お客さま」は「神様」で、「お客さま」には丁寧語を使い、列車に乗っただけでJRの客となり、「傘の忘れ物」から、「お気を付けてお帰り下さい」まで、身内に言うように言うのだそうです。なっとくです!
 既存の人間関係の輪に属さない「よそ者」も誰かの「客」になることによって一時的に「輪」の中に入れてもらうことができるのです。もちろん、誰の「客」になるかによって「輪」の中の待遇が異なることはいうまでもありません。
 特に、「内と外」を厳しく区別する日本人の「同類意識」は「客」の概念を多用して、「外の人」にも特別待遇を与える方法を生み出しました。
「やくざ」の客分から、政府の「お傭い外国人」まで文化的には全て同格の「客分」です。
 妻は私の妻であることによって日本人の「客」となり、私を親切にしてくれる人々によって親切にされました。しかも、私は「男」であり、教職に在ったので、人々は並々ならず親切でした。同じ国際結婚でも日本人女性と外国人男性の組み合わせの場合は、世間の処遇はもっともっと厳しかったことでしょう。多くの日本人は知らないことですが、外国人の日本人妻の子どもは日本人になれない時代が長く続いたのです。国際結婚について日本人女性が書いた分析が日本人についても日本文化についてもより厳しく、より多くの怒りを含んでいるのはそういう事情を反映しているのだと思います。国際化はもちろん男女共同参画においても、日本は「発展途上国」の名にも値しない、世界の「後進国」であることは疑いのない事実だからです。

8 子どもも「客分」

 外国人を一時の「客」として処遇することは、子どもたちについても同じでした。私にやさしい人々は私の子どもたちに対しても特別にやさしくして下さいました。
 しかし、未熟な子ども同士の世界では「客」の概念も「客」を遇する礼節もまだ文化的に確立されていないので事態は深刻でした。教師が事情を分かって我が子ども達を日本人と認知するか、あるいはクラスの「客」にしてくれていればまだしも、教師が混血の子を「外人」であると思っていれば一般の子どもたちが「自分たちと同じではない」「異質の子」である思うことも当然だったでしょう。
 日本人の「同類(異質)意識」は、基本的に見かけや言語の共通性ですから、同じ日本人の帰国子女ですら外国訛りのアクセントで日本語を話すといじめの対象になったのです。こうした事件の主たる原因は異文化の仲介をすべき教員が愚かで世界を知らない田舎者だったからでしょう。
 「帰国子女」に対するいじめで明らかなように、見かけが違う混血の子に対して、単純・単細胞の子ども達が差別の手加減をするはずはありませんでした。「外人!外人!」とはやし立てることは最初から分かっていたことでした。おまけに、娘の目は青みがかったみどり色でしたから、立ち所に「ミドリめんたま」と囃されるようになったのです。日本で混血の子どもを育てるということは、最初から世間との戦いであり、当人にとっては正当防衛の戦いでもありました。

9 日本の国際化とは「客分」を増やす、という意味です

 文科省にいた時代も、国立大学にいた時代も、私立大学の運営に関わった時代も、「留学生」を日本人と同じように遇することが「国際化」であると論じましたが、ほとんど通じませんでした。留学生は「外人」ですから、最初から最後まで「仲間うち」に入れてもらうことはなく、「客身分」でしかなかったのです。日本の大学の多くは、組織上「国際交流課」ではなく、「留学生課」を作り、留学生を日本人学生から隔離する「留学生寮」を作り、全てのイベントに「留学生フェア」のような「留学生」という冠をつけ、日本人とは違うということを強調しました。担当者がどれくらい意識していたかは定かではありませんが、善意の上では留学生を「客」として特別扱いし、悪意の上では日本人と同格とは決して認めないという区別(差別)を徹底したのです。
 恐らく、日本で初めて留学生を日本人学生と隔てなく受入れた大学は立命館が大分県別府市に設立したAPU(アジア太平洋大学)だったと思いますが、日本全体としての留学生隔離政策は今も国際化の名の下に続いているのです。
 自分が留学生として暮らしたアメリカの大学の遇し方やフルブライト交換教授として過ごしたアメリカの同僚との交流を思うと彼我の何たる違いかとため息の出る思いです。どこかの「青年会議所」が調査したところ、日本に来た留学生は、日本を嫌いになって帰る人が多かったという結果が出たと聞いたことがありますが、「輪の中に入れてもらえなかった人間」の寂しさはさもありなん、と思います。
 妻は日本語にも、日本文化にも堪能でした。しかし、妻の嘆きは、長い日本での結婚生活を経ても日本人の中に入れてもらえず、常に「客」として遇され、「客」に留まらざるを得ないということでした。彼女が亡くなる数年前に、ようやく日本人の友だちが出来たと述懐したことがありましたが、それは彼女が20年近くも教えた同世代の英語グループの仲間でした。

「新しい時代」とは何か、「古い時代」とは何だったのか?

山口大会で司会の自分に与えられた任務は「「新しい時代の構築を目指した生涯学習のあり方」についての討論でした。それゆえ、想定される提案の切り口は次のようなことを含む筈だとして登壇者に質問を送りました。
「新しい時代」に対比される「古い時代・これまでの時代」はどんな時代だったのでしょうか?また、「新しい時代」の「構築」という時、どのような「条件」や「仕組み」を構築すればいいのでしょうか?それは「なぜ」でしょうか?その時、生涯学習はどのような機能を果たし、何をすべきなのでしょうか?人々に任せた生涯学習」だけでいいのでしょうか?社会的な課題を前提とした生涯教育のあり方は問題にしなくていいのでしょうか?2020年には戦後生まれが75歳の後期高齢者となります。過疎はますます深刻化し、国土の均衡発展は崩れ、限界集落の発生も止まっておりません。少子化が続き、生産人口が増える傾向は全く見えません。子育支援は不十分で男女共同参画も極めて不十分です。したがって、女性の就労や社会参画による労働力の向上を期待することも難しいと思われます。この時、生涯学習の振興は、何をどのように変え、どのような意味と意義をもたらすのでしょうか?
筆者の最大の不満は、「新しい時代」の定義も「古い時代」の分析もなく討議が進んだことでした。改めて「新しい時代」とは何かを問うたのが以下の小論です。

I  「新しい時代」とは何か?

 「新しい時代」とはあらゆる生活分野で変化が連鎖して発生する時代です。それゆえ、技術革新も国際化も、無境界化も分衆化も共同体の崩壊も、自動化、機械化も新しい時代の特徴です。機械の助けを借りれば、もはや男だけにできて、女には出来ないことはなくなりました。それゆえ、男女共同参画も新しい時代の大きな特徴です。また、情報化が直接的人間の接触を著しく減少させ、孤立や孤独感を増大させているのも新しい時代の人間関係の特徴です。新しい時代の子どもはもはや「不便」を知りません。昔の「貧乏」も、したがって、家族内で子どもが果たして来た「労働」も「がまん」も知りません。格差に伴う貧困感や不公平感は存在しますが、“昔のような”貧乏は存在しないのです。新しい時代とは変化の時代です。変化の中身とそれがもたらす適応の必要を論じないで生涯教育を論じることなど出来るはずはないのです。生涯教育とは、人の生涯に渡って発生する変化への適応を契機として生み出された考え方だからです。

II 「先ず己の旗を立てて、この指止まれ」と呼び掛けよ
  -「地域づくり」は「志縁づくり」-

山口大会の1か月前、豊田ほたる街道の会、おごおり熟年集い塾、山口Volovoloの会が共同主催した下関市豊田で行なわれた研究会は山口大会の「鼎談」より遥かに先を読んだ現代の地域づくりの分析だったと思います。テーマは「地域を学び、人々をつなぎ、新しい地域を創る」でした。ここには「新しい時代」の特性を「共同体の崩壊」と読み取り、新しい地域づくりは、地域再生の必要に気付いた人間が先ず己の「旗を立てて」、「この指止まれ」と志縁の人々を結集するしかないという方法原理が提起されました。

1 従来の伝統的共同体を前提とした地域づくりはできなくなりました

(1) 共同体そのものが産業構造の激変によって消滅したのです

(2) 従来の共同体は農林漁業を基幹産業とした住民の「共益」を守る仕組みでした

(3) 水資源も、森林資源も、海洋資源も地域住民の共同財産であり、それ故に住民総掛かりの共同管理を行なって来ました。

(4) おたがい様も、助け合いも、防災も、防犯も,資源管理の一斉行動も、一律のしきたりや慣習も「共益」を守る共同体文化の一環です。個人の自己都合・わがまま勝手は「共益優先の原理」の前に許されませんでした。

(5) 共同体文化を応用した地域組織が「隣組」や「自治会」ですが、共同体が機能しなくなれば、共同体文化に依拠した地域組織も機能しなくなるのは当然です。

(6) 今や防災や防犯の協働も分業化され、消防団は壊滅に近く,防犯は保険業界やSECOMのようにビジネス化したのです。

(7) 「地域ぐるみ」で子どもを育てようと言いますが、「無縁社会」に「地域意識」はほとんど存在していません。地域全体の子どもを預かっている学校が噛まないかぎり、もはやそうしたことは不可能に近いのです。

2 産業構造の変化が共同体文化を崩壊させました
  -現代日本の稼ぎ手は第2次、第3次の先端産業です-

(1) 稼ぎの根本は個人や個別企業の「技術」や「営業」であり、地域資源も地域住民の共同もほぼ関係がなくなりました。経済の国際化も地球化(グローバリゼーション)も地域共同体を必要としていません。

(2) 「共益の管理」から解放された地域住民は、しきたりや慣習から解放され、個々バラバラに自己都合を追求する自由な日本人になりました。

(3) 共同体の崩壊は、「共益優先」が「自己都合優先」に変わったということです。換言すれば、「自己中」社会が「共同体文化」を崩壊させたのです。昔を懐かしんで、「おたがい様」の文化に戻れという人もいますが、一度「自己中」の自由と気ままを味わい、「自己都合の優先」を認められた人々が昔に返る筈はないのです。

(4) 自由になった日本人は「自分主義」の「自分流」で生活し、あらゆることを自己都合優先で選択します。友人も職業も、ライフスタイルも楽しみ事も全て居住地域には関係なく選びます。当然、自己選択の裏側は「自己責任」ですから、時代は人々自身の選択責任を問うことになりました

(5) もちろん、人々の選択の成否は、格差に繋がり、「選ばれなかった人々」の孤独や孤立に繋がります。格差は、生涯学習格差の総合結果として、情報格差・知識格差、経済格差、健康格差、交流格差、自尊格差などを生み出します。

(6) しかし、「自由人」が招いた結果は自己責任ですから、誰も干渉せず、誰も助けてはくれません。「自己責任」社会は、自業自得」社会という意味でもあります。「自分主義」社会が「セイフティ・ネット」論にどことなくよそよそしいのはそのためです。

(7) 「無縁社会」とは、自由人が自己都合で生きる社会のことです。「無縁」とは「誰も私に干渉しないで!」という意味ですから、頼まれもしないのに誰も他者に支援することのない社会です。「親切」は「お節介」に、「お節介」は「内政干渉」に転化したのです

(8) 「個人情報保護法」はそうした考え方の象徴です。「私にかまわないで!」、「あなたに関係ないでしょう!」という法律です。

3 現代の地域づくりは「無縁社会」の中で行ないますー関心のない人は置いて行くしかないのです

(1) 共同体が崩壊し、一斉行動が崩壊した今、自由人の自己都合を束縛する地域総掛かりや地域総出の事業は何ごとにつけ不可能です。回覧板も、地域の一斉清掃も形骸化しました。町内会の組織率は農村部でさえ7割前後になり、都市部では半分を切っているでしょう。その町内会活動の大部分は行政の下受けで、惰性ですから、地域問題の解決にも、地域の教育力にもほとんど役に立ちません。役員はくじ引き交代制で、ひたすら任期の終わる年度末を待ち望んでいます。自己都合以外の余計なことはしたくないのです。

(2) もちろん、「無縁社会」の中には、解決すべき問題や助けを必要とする人々が存在します。その場合でも、地域全体は動きません。そうした問題に関心のある特別な人だけが動きます。通常、「自己中」社会は、構成員が「自己中」ですから、多くの人は自分の暮らしに直接的な関係がない限り,「地域」についての問題意識すらありません。

(3) 地域づくりは「関心のある人」だけが頼りです。人々の「関心の縁」が「志縁」です。それゆえ、現代の地域活動は「関心の縁:志縁」を結節点として「この指とまれ」方式で組織化されなければならないのです。

(4) 「地域の絆」はかけ声だけの「虚言」に終わります。自己中社会は「身内」、「仲間内」のことにしか関心のない社会です。

(5) 「絆」は、関心のある人だけの「絆」、「がんばろう日本」は、関心を持ち続けてがんばる人だけの「がんばろう日本」に終わります。仮設住宅で孤独死が始まるのはそのためです。

(6) 政治や、行政は、「個人情報保護法」を策定しておいて、「地域は仲好くみんなで助け合おう」ということは不可能だ、ということに気付いていないのです。

(7) 「この指」にとまろうとしない人々に無理矢理関心を持たせることは困難です。それゆえ、「地域ぐるみ」構想は、通常、時間とエネルギーの無駄になります。地域活動に限りませんが、無縁社会の活動は小さく始めるしか方法がないのです。

(8) 唯一、人々の「関心」を喚起し、その「増幅」に力を持ち得るのはメディアですが、メディアが喚起する関心は基本的に流行り廃りの速い、底の浅いものです。

(9) 注意すべきことは、関心を持たない人々は、極めて冷淡です。地域活動が自分たちの自己都合を脅かしそうだと感じたら、予算を「部分的なことに使うな」というようなことを言い出して反対者に廻ることでしょう。

(10) コミセンや公民館の地域プログラムが遊びや稽古事や安楽な実益型行事になるのは、これらは予算消化の前提が全員参加型で、「負荷」が小さいからです。苦しんでいる人がいたとしてもそれは彼らの自己責任であり、地域とは関係ないというのが「無縁社会」です。

(11) 全員の賛成が得られることのない「無縁社会」の地域活動は「タコツボ」型にならざるを得ないのです。それゆえ、地域横断的にタコツボをつなぐネットワークが重要になります。「協働」や「連絡会議」や「共同研修会」が不可欠になるのはそのためです。

(12) 現代の「地域づくり」は「志縁づくり」にならざるを得ないのです。「関心のない人」は、最初の段階では、置いて行くしかないのです。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

佐賀県佐賀市 小副川ヨシエ 様

 お便り拝受いたしました。災難でしたね。お見舞い申し上げます。これまでの常識からいうと奇妙に聞こえるかも知れませんが、高齢者には身体も頭も「安静」が一番危険なのです。中でも骨折は最大の敵です。使わない頭には認知症、使わない身体には運動器症候群といってわれわれの世代は全ての機能が低下します。予防法はたった一つです。毎日出来る範囲の運動を続ける事です。佐賀シンポジュームでは楽曲に合わせた小生の「タコ踊り体操」をご披露してもいいなと思っています。介護予防カルタ風にいうと『音楽体操、日に3回、回して回って足上げて、突いて、捻って、大きく振って』となります。タコ踊りのおかげで日々すこぶる快調です。

東京都 瀬沼克彰 様 

 ご本を頂戴いたしました。健筆に感服いたしております。小生は学生の教育や実践を生き甲斐とし、研究や執筆については、晩年に目覚めたカタツムリですが、ようやく自分の役割が「書くこと」にもあったと自覚することができました。後からゆるゆる追いかけますのでよろしくご指導下さい。

沖縄県南城市 高嶺朝勇 様

 初めてお送りしたにもかかわらず、過分のご批評を頂き、大いに勉学の励みになりました。ありがとうございました。

長崎市 武次 寛 様

 南島原の第2回大会のこと福岡の友人諸氏からお聞きしました。走りますね、長崎は!この種の研究事業は昔の飯炊きと同じです。初め「ちょろちょろ中ぱっぱ」で行きましょう。それでも中央政治や中央官庁の感度が余りにも鈍い時は、日本の進路も政策も全く変わらないことがあります。その時は「終わりを決めてさっと引きましょう」。過日は、過分の印刷・郵送料をありがとうございました。

過分の印刷郵送料をありがとうございました。

沖縄県南城市 高嶺朝勇 様
長崎県長崎市 武次 寛 様
佐賀県佐賀市 小副川 ヨシエ 様

147号お知らせ

1 第119回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin飯塚

日時:4月21日(土)15:00-17:00(14時からはNPO幼老共生まちづくり支援協会の一周年記念総会を企画しております。)
会場:福岡県飯塚市 穂波公民館(-0948-24-7458. 住所:〒820-0083飯塚市秋松408.)
事例発表:春日市におけるコミュニティ・スクール構想の展開とその成果(仮)福岡県春日市教育委員会 指導主幹 太郎良光男 
論文発表:アメリカにおけるコミュニティ・スクールの実践とその思想 三浦清一郎

2  NPO幼老共生まちづくり支援協会一周年記念総会
会場:上記フォーラムと同じ場所です。
時間:14:00-14:50

 昨年1月22日(土)、標記のNPOは、前飯塚市教育長森本精造氏を初代理事長として79名の創設メンバーのご出席を得て船出しました。「新しい公共」の大義のとおり少子高齢社会を乗り切る「幼老共生」のステージを創造できるか、否かが問われた1年でした。顧問として側から拝見していて、一番の鍵は行政に「協働」姿勢があるか、ないかによって、NPOの力が発揮できるか出来ないかが決まるということだと思います。
 この1年、各地の移動フォーラムなどを通して、市民団体の活動を見て来ましたが、日本の行政は誠に自分本位で、発想の能力も乏しいくせに、「偉そうな挨拶」ばかりを繰り返し、市民の力を馬鹿にしていると思います。すぐれた活動の「芽」も、実践もすでに行政施策の中よりは民間の有志の活動の中にありました。広島フォーラムでも、山口の豊田フォーラムでも、長崎フォーラムでも、大分フォーラムでも市民グループは質的に行政より遥かに優れた活動を展開していました。山口での全国大会の30を越える事例発表を全部聞けたわけではありませんが、やはり優れたまちづくりの実践は民間の中にありました。旅費をもらって、謝金を受け取って山口まで来て、施設機能の説明などしている行政職員を見ると呆れるのを通り越して、税金の無駄使いに憤りを感じます。
 本NPOも「生涯教育まちづくりフォーラム」の主催を始め、飯塚市の「e-マナビリンピック」構想と銘打って子どもの体力向上特別プログラムを展開して来ましたが、これらの構想が社会を少しでも変える力になり得るか否かは、2年目以降、行政や学校が市民の力を施策や教育活動の中に組み込んで行けるかどうかにかかっていると感じています。もはや、任意の「選択した者」だけが行なう生涯学習では日本の現状は打開できません。学校や学童保育や行政が主導する高齢者教育の現場に市民の発想と力を入れる時期が到来しています。豊田フォーラムの出席者から、「行政は遅すぎ」、「行政は市民活動の邪魔をするな」、「行政は何も分かっていず、何もやっていない」という声が出ていましたが、誠にその通りだと思います。
 それゆえ、筆者の総括は次のようになります。
 本NPOにとって、今年も行政や学校本体との「協働」が成立しなければ、「新しい公共」としての具体的な成果を生み出せず、学校も変わらず、高齢者も変わらず、地域社会も変わらず、なによりも行政を変えることも出来ないでしょう。社会を変えることができなければ、世間の承認が得られず、手応えを失い、「機能快」を失い、活動の意味が薄れ、やがて本NPOも、他のNPOと同じように失速するであろうと危惧しております。
 会員のみな様、またNPO活動にご興味のある方はどうぞ「総会」からご参加下さい。

3 第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会
(今年から大会名称が「生涯学習」から「生涯教育」に変わりました。)

日時:5月19-20日(土-日)
前夜祭:18日(金)の19時-
 今回の「風の便り」に特別チラシを同封いたしました。また、過去3年間の参加者には4月中旬に詳細を記したご案内のリーフレットを発送いたします。ご参加ご希望の方は福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)までお問い合わせ下さい。

編集後記「庭の冬薔薇」
 大分大会の後始末をしていたらポケットからメモが出て来ました。「梅園の里」の壁に張ってあった地域の方の短歌を写し取ったものでした。お名前をメモし忘れたのはまことに残念で失礼なことでした。
 我が晩年もかくありたいと思って書き写して来たものです。もちろんご本人は晩年を歌ったのではなく、庭の薔薇を写生しただけかも知れませんが、私には自分に頂いた歌のように思えました。

崩れ行く、仕舞いの時も
鮮やかに紅深し
庭の冬薔薇

 年度末の狂想曲が終わって「やらねばならぬこと」は全てやり終えました。忙しいとは「心を亡くす」と書くことがよく分かります。教え子にも「集中と選択」だよ、と書き送りました。ようやく自分を取戻し、普段の執筆ペースに戻りました。目的があり、目標が定まった日々のあることがどんなにありがたいか、身に滲みます。「介護予防カルタ」の老年学の解説を書きながら、日本の高齢者の最大の問題は、引退後に、日々の目標と姿勢を見失う「暮らしの姿勢病」だとしみじみ思うようになりました。元気の向こうに「やりたいこと」があり、がんばる目標があることが高齢者を支えているのです。

今日もまたがんばりますと
便りする
朝の目覚めのありがたきかな

息子夫婦の招待で孫に二度目の再会を果たしました。8か月が過ぎて「桃」もすっかり人間らしくなり、一緒に湯に浸かりました。幼い者の成長に死んだ者を懐かしく思い出します。

久々に桃と旅出の
椎葉川
彼岸に笑みて妻立てる見ゆ