「風の便り 」(第142号)

発行日:平成23年10月
発行者 三浦清一郎

「一人暮らし」の孤立-高齢者が滅ぶ時

 この何日か買い物時のレジ以外は誰とも口をきかずに過ごしました。メールだけが外との繋がりです。これが独居の危機ですね。
 静かで自由な勉強の時間と日常の他愛の無い会話の両立は難しい課題ですが、アメリカから戻ったら新しい工夫を考えないと現実生活で自分が孤立します。ご近所は「無縁社会」と化し、馴染みの喫茶店や馴染みの一膳飯屋もパートだらけの「日雇い」になって、人間関係を作る場所がなくなってしまいました。まさか金を払ってシルバー人材の方に「話し相手」をお願いする訳にはいかないと思いますが、その「まさか」が近づいているのです。特に、職を引いた一人暮らしの現代人は完全に孤立したのですね。

1「さびしい日本人」の大量発生

 水資源や森林資源を共有し、屋根の葺き替えや祭りを共同した時代は、防災も、防犯も、人間関係も共有していました。共同体及び共同体文化が支配的であった時代は、退職後も隠居後も人付き合いの縁は慣習や擬似的な制度としてご近所やムラ内・町内会の範囲に存在していました。 共同体には「近所付き合い」という慣習が存在し、住居が近所であるというだけで「相互に助け合うべき」という価値意識も、「仲良くしたい」という感性も健在でした。それゆえ、引退しても歳をとっても、ほとんど誰も孤立することはなかったのです。ご近所であることは同時にご近所の縁に連なることでもあったからです。 
 しかし、日本人の生活は、共同体および共同体文化の衰退と平行して都市化し、人々は多様な価値観と感性にしたがって自由に生きる個人に変身したのです。共同体を離れた個人は、それぞれが思い思いに自分流の人生を生きることができるようになりました。「車社会」が実現して行動の範囲は、共同体の人間の想像を超えて拡大し、気の合う仲間は必ずしもご近所で探す必要はなくなりました。換言すれば、現代人は「自由人」になったのです。「自由人」の人間関係は居住地域に制約される必要がなくなったのです。「ご近所付き合い」が崩壊するのは時間の問題だったのです。自由人は、自分流の人生を主張します。自分流とは、自己欲求優先、自己都合優先の生き方です。
 自分流の人生を主張するようになった以上、当然、己の生き甲斐も他者との絆も自分の力で見つけなければならなくなりました。「自分流」の対語は「自己責任」だからです。

2 [選択制]の落し穴

 日々を生きる自由も自立も、社交の人間関係も、ライフスタイルも「選択制」になったのです。新しい人間関係を選び取ることのできた人はともかく、「選べなかった人」、他者から「選ばれなかった人」は「無縁社会」の中に放り出されます。誰も助けてはくれません。自身の「生き甲斐を見つけようとしなかった人」や、探しても「見つけることのできなかった人」は「生き甲斐喪失人生」の中に放り出されます。誰も世話を焼いてはくれません。
 中でも職場の縁を離れた高齢者は、自分が探さない限り、ご近所の縁はありません。血縁も遠くなりました。子どもも孫も自己都合優先の生き方をするようになり、年寄りをかまっている暇はないからです。「親孝行したくないのに親が生き」は時代を象徴する秀逸の川柳です。
 また、「地域デビュー」という言葉が登場したのもあなたが地域に出て行かない限り、地域はあなたの世話は焼かないということです。高齢者に地域デビューが必要だということは、これからの人間関係はすべからく自分で切り拓く選択的関係であることを意味します。自由とは「選択権」があなたにあるという意味です。「選択権」が重荷になっても「選択しなければならない」のが民主主義の原理です。「選択しなくても」、「選択放棄という選択肢」を選択したことになるのが民主主義の自由です。選挙の「無党派層」の「棄権」行動から、高齢者の「引きこもり」まで、社会とは関わらないという「個人の選択」と解釈されるのが民主主義です。民主主義はあなたに選択権があり、同時にあなたに選択能力があるということを前提として成り立っている仕組みだからです。もちろん、日々の生き方を自分が主体的に「選択する」ということは、かならず自己責任を伴い、願い通りの選択は簡単に実現できることではありません。選択権があっても選択能力を伴わない人も間違いなく存在します。しかし、民主主義にとって自己責任を果たさない人々には、原則として「関知せず」、彼がどう生きようと「知ったことではない」のです。彼の私生活に「関知しないこと」が彼の「プライバシー」を尊重することを意味するからです。「個人情報保護法」という法律はそうした前提の上に成り立っているのです。
 それゆえ、過渡期の日本人の中には思い通りの人間関係に巡り逢うことができず、自由の中で立ち往生する「さびしい日本人」が大量に発生したのです。中でも退職後の高齢者は「さびしい日本人」の筆頭です。「さびしい日本人」とは、共同体を離れ、自由になった個人が、他者との新しい関わり方を見出せず、また、仕事にも、仕事以外の活動にも十分な「やり甲斐」を見出せず、孤立や孤独の不安の中で「生き甲斐」を摸索している状況を指します。自分から進んで「新しい縁」を探さなければ高齢者は孤立するのです。

3 「新しい縁」の不可欠性

 高齢社会はみんなが長生きになる社会でも、長生きをした人々がすべてみんな幸せになれる社会でもありません。高齢化とは、人々の寿命の平均値が伸びるということであり、長生きした結果が幸福であるか、否かは個々人の生き方に保留されています。高齢化が平均値である以上、長生きできる人々の「ばらつき」は必然的に発生します。
 従来の生涯学習の課題は主として社会的課題でした。それらは例えば情報化、国際化、各職域の技術革新など社会的条件の変化に対する「適応学習」(「適応教育」)の問題として脚光を浴びてきました。
 しかし、熟年の心理を襲う最大の発達課題は「ひとりぼっち」になることです。アメリカの心理学者ロバート・ペックはそれを「情緒的貧困化」と呼びました(*1)。それゆえ、熟年期の生涯学習の緊急課題は「社交」の創造なのです。「社交」の創造とは、旧来の血縁、地縁、結社の縁に代わり得る「新しい縁」を探すことを意味します。熟年が遭遇する孤立と孤独の不安が想像を超えて深刻だからです。

4 新しい縁とは何か―交流は活動の副産物

  生涯学習やボランティアの意義は活動と交流をほとんど同時に生み出すことにあります。交流を深化させて行くのは活動に伴う「経験の共有」なのです。日本人が「同じ釜の飯」を喰うと言い習わして来たことです。それゆえ、交流は活動の副産物なのです。活動が生み出す人々の交流は「同じ釜の飯」の縁であり、「活動の縁」です。
 高齢者の社交の創造に「活動」が重要になるのもそのためです。労働にも労働以外の活動にも人々の出会いを他律的、半強制的に創造する機能を内蔵しているからです。人間相互の協力を必要とするあらゆる活動に他律的に交流を要求する機能が含まれています。協力しなければ活動が成り立たず、当該活動が人間の協力・交流を前提にしているということです。
 それゆえ、活動しない高齢者は「職縁」が切れたあと、新しい縁には出会うことは稀になります。

5 「戦友」は見つかるか

 退職後の高齢期の活動は、必然的に、労働以外のものにならざるを得ないので、趣味、お稽古事、学習、社会貢献などに収斂するでしょう。したがって、「新しい縁」とは「同好の縁」であり、「学縁」であり、「志縁」であるということになります。活動内容が楽しくて、易しいほど参加者にかかる負荷は小さく、内容が高度で一定の責任や義務を伴うものほど負荷が大きくなり、「縁の結束」は強くなります。したがって、「同好の縁」は楽しくてもいざという時の頼りにはならないかも知れません。「学習の縁」は中身如何によって人々の結束力が変わって来ることでしょう。みんなが苦労した学習は負荷が大きく、楽しいだけの学習は負荷は小さくなります。ボランティアのように義務と責任を伴って、苦労を共にする「こころざしの縁」は活動の負荷が大きいだけ、「戦友」になり得るのです。「戦友」とは、互いの結束が固く、いざという時、お互いがお互いの頼りになる関係だということです。無縁社会を突破するカギは「志縁」にあると言い続けて来た所以です。

6 活動を怠れば滅ぶ

 活動と社交が熟年期の活力を生み出し、ボケを防ぎ、心身の衰耗を先に延ばすのです。程々の「負荷」をかけて感覚体を働かせることが「生きる力」を保持することに繋がっているからです。「元気だから活動するのではなく、活動しているから元気を保つことができる」と何度も繰り返し述べて来た通りです。
 生理学者ルーが「ほどほどの負荷」の重要性を論じ、近年の医学界が「廃用症候群」に注目しているのも、使わない人間機能は衰退し、やがて消滅してしまうからです。
 かけるべき「負荷」の程度については高齢期になればなるほど個体差が大きくなるので一律の基準を断定的にいうことは極めて危険でしょう。しかし、向老期の個人的実感でいえば、「現有能力の一割前後」が程々の「負荷」の目安になるでしょう。「普段の力よりも、5~10%ほどがんばって努力する」ということが熟年の「生きる力」を維持して行く処方です。がんばり過ぎることは危険だが、ほどほどのがんばりは極めて重要であるということです。
 熟年が己に負荷をかけてがんばり続けるためにこそ仲間が必要であり、「戦友」が必要なのです。社交の創造は高齢社会の活力を維持する重要な処方の一翼です。だからこそ「社交」の促進に教育的配慮が必要であり、プロの参加が必要になるのです。公民館の職員の任命にあたって、現在の行政は、定年の危機;すなわち「労働」から「活動」への移行の失敗、生涯スポーツと生涯学習を安楽に傾けた失敗、「社交」と「交流」の貧困化の反省と研修はほとんどありません。定年後、活動を停止してしまうことが如何に有害であるか、人間関係の輪がどんどん小さくなって行くことがどんなに危険なことか、果たして高齢者行政は分かっているでしょうか?活動と社交によって自己を防衛することを忘れた熟年は無為と孤独に少しずつ喰い殺されて行くのです。人間関係の貧困化が熟年期の人々にもたらす衝撃を全く分かっていない役所の職員をほとんどたらい回しの形で福祉や生涯学習行政に位置付ける愚行にいまだ地方のトップは気付いていないのです。このままでは日本の高齢者は滅びます。2020年、昭和20年の戦後生まれは75歳になり、以後、ベビーブーマーが続きます。男性の健康寿命72歳、女性は76歳です。医療費、介護費の社会負担を考えれば、まさに「高齢者爆発」と呼ぶべき状態が出現します。

6  「縁」を探し、「縁」を創る

 人生は「活動」で出来ている、と喝破したのはスイスの老年学者ポール・トゥ-ルニエでした。人生50年の時代には、生活の糧を稼ぐことがあまりにも大変で、重要であったが故に、我々はややもすると人生は「労働」でできているかのように錯覚しがちでした。もちろん、現在でも平均寿命が短く、経済発展が滞っている国では、実態として人生は「労働」でできていることでしょう。
 しかし、日本の場合には、トゥ-ルニエの指摘を受けてみれば、労働は「社会が要求した」「生産活動」或いは「サービス活動」であり、活動の特別な形態に過ぎないことに気付かされます。何よりも人生80年時代に突入した今、定年後の「活動の空白」は「活力の空白」に直結しています。退職後の残された時間は労働以外の「活動」によって埋めなければならないことは誰の目にも明らかになったのです。ところが「労働」から「活動」へのスムーズな移行は言葉で言うほど簡単ではないことを見落としがちなのです。周りを見渡せば、これ迄の「労働」が日々の「糧」を稼ぐ厳しい義務であった分だけ、退職後の年金暮らしが「無為」となり、「安楽」となりがちです。その故でしょう。労働の終りが活動の停止になってしまう人は数多くいるのです。
 しかし、人間の活力及び心身の機能を開発・維持してきた要因は「労働」という「活動の特別形態」にあったのです。仕事を通して、人は「頭を使い」、「身体を使い」、「気を使って」機能を向上・維持し続けてきたのです。労働から解放されて人々がその持てる機能を使わなくなれば、脳味噌であれ、筋肉であれ、おそらくは内臓であれ、その働きは一気に衰えます。労働の終りが活動の停止になった時、その後の人生にとって如何に危険であるか明らかでしょう。活動の停止は急速な機能の衰退と下降を意味するからです。
 一人になったあともお元気に活動を続ける熟年は、定年後の活動に心身を使い続けることによって自らの活力を維持し、活動を通して絶えず人間関係のネットワークを補充しているのです。「活動」の「やり甲斐」と「社交」が生み出す存在の実感;「居甲斐」が熟年のお元気を支えていると考えてまちがいありません。「社交」こそが心の拠り所として新しい人間関係を開拓して、老後の孤立から人々を守ることになるのです。活動は社交を通して新しい人間関係を生み出し、その仲間が反応しあって弁証法的に次の新しい活動に進化して行くのです。かくして活動と交流は相互に影響しあって熟年の生涯を豊かに保って行くのです。

  
113回フォーラム論文再考:
「女性が主導するしつけと教育の陰」を巡る議論

前回論文で小生が達した結論は概ね次のようになりました。

1 幼少期の教育において、女性は文化や教養や礼節に比べて、体力や耐性を相対的に軽視しています。したがって、「体力指導」の「能力」の問題ではなく、「体力・耐性」要因についての「価値意識」の問題です。

2 しかし、彼女たちに「軽視している」という自覚はないでしょう。筆者が「体力・耐性こそ最重要」とした指導をサボタージュしたという意識もないでしょう。

3 女性の価値意識は男支配の筋肉文化の下で長い時間かかって作り上げられた歴史的感性を原点としており、当然、自分は子どものために最善の選択をしていると感じている筈だからです。

4 もちろん、女性も、「体力・耐性」の重要性を頭では理解していますが、体力の価値よりは文化の価値の方が高いというのは、女性にとっての歴史的な自然であり、男性との感覚のちがいを特に意識することはなかった筈です。

5 しかし、彼女たちの「体力錬成」基準を遥かに超えた筆者の鍛錬プログラムに立ちはだかったのは概ね女性保護者と女性専門職なのです。

6 結論的に、女性は、男性に比べて体力についての「重要度」の認識や「評価基準」が低いと考えざるを得ないのです。

7 筋肉文化の主役の男性は「筋肉」(腕っ節)を競って生きてきました。体力や持久力の重要性は男の身体が分っています。これに対して、女性は、「文化」や「教養」や「礼節」や「美貌」を競って生きてきました。結果的に、女性は「筋肉」の強靭さや「心肺機能」の豊かさの意義を過小評価していると感じざるを得なくなりました。要するに、女性は頭で分っても、身体で分っていないのです。

8 教育上の打開策は二つあります。第1は幼稚園・保育所から小学校まで、幼少年教育における男性指導者の比率を増すことです。第2は鹿児島のヨコミネ氏のように徹底して体力・耐性指導のできる女性指導者を訓練によって作り上げることです。両方とも、日本社会が体力・耐性の重要性を意識し直さなければできません。

9 現状のままでは幼少年の体力・耐性が危ういのです。

議論の焦点

1 「身体で分かっている女もいるのです」という反論が来ました。

 もと陸上部の女性から女を全部ひとからげに扱うなという抗議が来ました。その通りだと思いますが、論文の中でいちいち「女性指導者の多くは」と書けばくどくなるだけなので、「女性は」と総論的に書きました。総論に例外は付きものであることは筆者も重々分かっております。

2 「少年教育を危うくしたのは女性である」と断言すれば、男女共同参画を言う資格がなくなるのでは、というご意見もいただきました。

 「少年教育を危うくしたのは」女性が「自らの価値意識の偏り」を意識しないままに、保・教育現場の主導的位置を占めた事の「副作用」です。「副作用」の危険を指摘しましたが、「副作用」があるから、大元の「クスリ」がだめだということには必ずしもならないと考えます。「副作用」を軽減するように「クスリ」を服用すればいいだけの事ではないでしょうか?男女共同参画の「陰」を指摘する事と男女共同参画思想を否定する事とは全く別の事です。

3 問題を「女性性」とか「母性」とかに還元しないで欲しいという意見もありました。

 「男らしさ」や「女らしさ」を筋肉文化の遺物として否定し、人間らしさだけを抽出したとしても男性ホルモンと女性ホルモンの違いを消すことは出来る筈はなく、「男性性」、「女性性」は残ります。
 体力・耐性の軽視を女性性の為せるわざであると断定はできませんが、どこかで関係していることも確かではないでしょうか?雌のマウスに男性ホルモンを注射すると通常以上に攻撃的で、兇暴になるという実験を聞いたことがあります。

4 所詮は教育に求める両性の「基準」の違いの問題ではないか、というご指摘もいただきました

 「基準論」には2つのアプローチがあると思います。
 第1は、体力・耐性の訓練を体験した機会が男性と女性では、量的・頻度的に大きく異なっているという問題です。「やったことのない事はできないし」、「知らないこともできない」という教育論に帰結します。こちらは「筋肉文化」が規定する「男らしさ」と「女らしさ」の基準の違いが両性間の教育基準の違いとして発現しているという感想です。多くの女性指導者は、自分がやったことのない「相撲」や「竹登り」を教えることは発想しないということです。「体力指導」についての能力上の問題ともなり得るという指摘です。体験がなければ、発想できず、発想できなければ、教えられる筈はないからです。

 第2は、そもそも両性間の筋力・体力の違いが、教育発想の基準に関係しているという視点です。プロのスポーツが男女を分けているのは明らかに両性間の筋力・体力の能力差に注目した結果でしょう。能力の違いが考え方の違い、基準の違いに反映する事は当然なのです。男性と女性では、子どもの体力に対する要求基準が違うのは当然であるという指摘です。

5 全ては男性支配文化:「筋肉文化」が女性に要求した結果が女性の価値観も女性保護者及び女性指導者の体力・耐性に対する評価基準を作っている、という男女共同参画理論の原点に戻る意見もありました。

 われわれの価値意識も感性も所詮は社会化の結果であり、社会化の中身は全て当時の支配的文化の影響を色濃く反映せざるを得ないことは当然です。それゆえ、女性が男性と異なった発想や感性を持つこと自体男性支配文化が女性に求めた結果であるというご指摘です。総論としてはその通りでしょうが、それ故に、男性支配文化を否定して、男女共同参画を進めて来た訳ですから、その過程で女性の「体力・耐性」に関する意識だけがなぜ他の分野に勝って色濃く残ったのかは、総論だけでは説明がつかないと思います。

6 「困難に打ち勝って疲れず」こそ幼少年教育の真髄-倉橋惣三

 議論の途中で「倉橋惣三」論が飛び出しました。標記の主張を掲げ、子どもの全筋肉・運動能力の向上を唱えた方だそうです。筆者も、そうだ、そうだと思ったので、帰宅後、インターネットで調べてみると、彼は、大正に入り、東京女子師範学校附属幼稚園の主事になりました。日本の幼児教育の中心的ポストに就いたということです。彼は形式主義的な保育のあり方を徹底的に批判し、当時の日本に浸透していたフレーベル観を一掃したそうです。
 しかし、彼の理論にも関わらず「子宝の風土」の幼少年教育の現場実践が「困難に打ち勝って疲れず」を目標にした事は、「軍国少年教育」を除いては、これまで一度もなかったのではないかという感想を持ちました。もちろん、ここにもヨコミネ式を始めとして例外がある事は承知の上で総論を書いております。しかし、例外が無視できないほどに沢山あるのならば、日本の子どもがここまでへなへなになることはなかった筈だからです。

無知とケチと愚図は滅ぶ

 地域住民との懇談の機会があって、偶然、お二人の高齢者にお会いしました。お一人は神社にご関係があり、書道を良く為さり、前任地では人々に書を教えていたと誇らかに語られました。もう一人はスポーツをよくされる多趣味な方でいろいろ挑戦し、どれもモノになったという強者でした。懇談の中でそれぞれが語ったところによると、書道をよくされる方は事情があって家族で九州に引っ越して来られ、いまだ日も浅いので知り合いもなく、無聊を持て余しているとのことでした。一方、多趣味万能の方も、退職後いろいろ習い事に手をつけたが、習うばかりでは退屈でこれからをどう生きて行くか思案にくれているということでした。
 筆者はさっそくわが街にある市民の相互教授システムを紹介し、「自分の能力が活かせること」、「多くの市民と出会えること」、「指導の場は事務局が作ってくれること」、「場所も、時間も、回数も指導者自身が自由に選べること」、「ボランティア教授であるが応分の費用弁償が出ること」、「すでに150名になんなんとする市民指導者が年間7万人もの市民学習者の指導をしていること」などなどを熱っぽく語りました。

“ボランティアか!?”

 書道を為さる方の奥様が同席していて眼を輝かせて筆者の説明を聞き、質問をし、ご主人の膝を叩いて、「素晴らしい、こんな街があるとは聞いたことがない。あなたのための仕組みですよ。」と勧められました。しかし、私の説明に反応した奥様の積極姿勢が気に入らなかったか、ご主人の方は「ボランティアか!」と言って腕を組み、「もう少し考えてみる」ということでした。
 私は「募集は偶然今月で締め切りなのです。2年に1回しか募集しませんから、この機会を逃すと2年後にしか巡って来ません。」と申し上げました。決断を急かしたようで、私の一生懸命さが却って悪かったのでしょうか!ご主人は断るタイミングを見つけでもしたかのように「じゃあ、あと2年、待とう」という結論になりました。奥様は誠に残念そうでしたが、ご主人の機嫌の悪さを察したかのように、それ以上は何もおっしゃることなく口を閉ざしました。いろいろ重なったのでしょうが、お見受けするところ、ご主人の方は今ですらすでに大部生気をなくしておられました。このまま無為に過ごせば、加速度的に老いが進行し、2年後に指導者はもう務まらないだろうし、私も推薦者にはならないだろうと思いました。没落する高齢者の「臨界期」です。今手を打たなければ、心身ともにぼろぼろになることは目に見えているのですが、奥様はともかく本人にその自覚はなさそうでした。
「まだ、まちのことを良く知らない」とか「孫の世話もある」とかおっしゃっていましたが、「ボランティア」という言葉が一番引っかかったようでした。前のところでは月謝を取って教えておられたのでしょう。最大の原因はボランティアに対する無知だったと言って間違いではないでしょう。「知らないまちで知らない奴の口車に乗って、ただ働きをさせられてたまるか」と思ったのかも知れません。
 一方の私は、「知らないまちへ来て、高齢者が『無縁社会』を突破するためには、他者のために貢献するしかないのです」、と信じて一生懸命でした。しかも、「あなたを『タダ』で使おうというのではないのです。あなたは他者に貢献できる技量をお持ちではないですか」、とただただ残念でした。「あなたに教えていただいた他者は必ず感謝をもってあなたに報いるのです」、とまで言いました。しかし、せっかくの筆者の好意と熱意と情報の提供を一蹴されて、筆者も鼻じろみました。「女房どのは可哀想だが、『ケチ』と『愚図』は滅びるしかない」と思ったことでした!!

“ボランティアなどやっている暇はない”

 ところで、もう一方の万能選手の方は、興味を持たれたのか、筆者の話を聞いて下さって、住所と連絡先を下さいました。翌日、さっそく事務局に連絡し、会長さんの了解を得た上で、あらためてご依頼の手続きを進めて下さいとお願いしました。この事業は「自薦」を受け付けないので、「推薦状は後日小生が書いて提出します」と申し上げました。わが街の人材バンクは市民に直接指導する市民相互教授シムテムなので、出来るだけトラブルを回避するため、第3者の推薦状が不可欠で、面接もあり、指導者講習を受ける義務もあり、手間ひまをかけて作り上げて来た仕組みなのです。
 ところが、翌日出張から帰って来たら留守電に事務局からのメッセージがありました。「よくよく考えたら自分にボランティアをやる暇などない、と気がついたのでやっぱり止めておきます」と事務局の女性担当者に断ったそうです。「先生、空振りでしたよ!」と「怒り」のこもった伝言でした。
 そう言えば、「謝金」は出るのかと質問がありましたので、謝金は出ません、しかし、費用弁償は出ます、と説明しておきました。ふたたび、彼もまたボランティアという言葉に引っかかったのでしょう。彼もまた「ボランティア・タダ論」の犠牲者だったのかも知れません。
自分が元手をかけて手に入れた技量を「タダで教えてなるものか」というケチな根性が湧いて来たのだと想像してしまいます。他者の指導をすることが熟年期の活力にどれほどの効果をもたらすか、自分の老後にどれほどの実りをもたらすか、恐らく思い巡らしたことはないのでしょう。「退屈で時間を持て余しています」と言ったのは誰だったのか!事務局まで巻き込んで迷惑をかけたかと思うと情けないやら、腹が立つやら不愉快な午後になりました。
 無知とケチの高齢者もまた滅ばなければならないのです。

感想の感想

 二人の友人にこの報告を送りました。腹立ちまぎれに「滅びたい者は勝手に滅びよ!」と結びました。先輩の友人からは、「そうなのです。分っていないのです。」「ケチと愚図は滅んでも仕方がないのです」と同意見の感想がきました。後輩の友人は「怒りが和らいだら、きっとまたお節介を繰り返しますよ、うっふふ。」と返事が来ました。がんばっている高齢者はがんばらない高齢者に厳しく、まだそこに行ったことのない現役世代は高齢者に寛容であるということでしょうか?
 一体全体、日本の高齢者教育は何をやって来たというのでしょうか?

究極の断捨離

1 「自分の時代」の葬儀

 自分の時代の裏側は「自己責任」である、と書き続け、また実践をしています。生まれて来た事は運命的なことで、おのれの意志に関係はありませんが、死は意志的に迎えることができます。安楽余生論や「ぽっくり信仰」の対極に「自死」論があることはすでに前著で論じたところです。3年前に宗像で「死に方講座」を開いたのも最終的に死は自分で始末をつけるところが大きいと考えたからです。ひろ さちや氏のように、人間は生きているだけで「迷惑な存在なのだ」という人もいますが、意志的に生まれて来た訳ではない以上、「生きていることの迷惑」は勘弁してもらうとして、「死に際の迷惑」は出来るだけ残された者にかけないようにしたいと願うのは礼儀であり、人情でもあるでしょう。
 与えられた命を精一杯に生きた後、われわれに出来る事は人生の結末を自分でつけておきたいということになるでしょう。妻の突然死を経験して以来、残された者の心身の負担は並大抵ではないということは骨身に滲みて分かりました。日常の断捨離は端的に言えば究極の「死に支度」です。Simple Lifeは人間の死を想定した時の事前の考え方の一つであり、方針の一つなのです。残された時間の少なさ、衰え行く心身の機能を考えただけでも、優先順位を決めて、社交も、モノも、これまでの慣行や行事も切り離して行くしか方法はないのです。葬儀や墓もその一つです。
 妻を失ったとき、通常の通夜や葬儀は「限りなく嘘に近い」と感じました。自分が通夜や葬儀に出席した時、「悲しんでいない」ことは誰よりも自分が分かっていることです。それゆえ、社交の延長としてお出でになる会葬者のお相手をして喪に服することなどできる訳がないと思いました。われわれ夫婦の友人の何人かからは「勝手なことをするな」と叱られましたが、死者への別れは自分で告げ、自分の喪失感は自分で癒し、自分で埋める以外に方法がないという考えは今も同じです。
 
2 万葉集の中の自然葬

 妻の通夜を一人で行い、妻の葬儀は息子夫婦に託した今、迫り来る自分の死の選択肢の一つが自然葬です。もとより、私の場合、家族を信用しているので、葬儀のあり方は残された者が決めていいのですが、次のような万葉集の歌を見つけて、自然葬もまた土に還るいい方法だと思った次第です。「野ざらし」や「鳥葬」は思うだに辛いことですが、散骨は歌にすると優雅なものです。

たまずさの妹は珠かも あしびきの清き山辺に撒けば散りぬる

たまずさの妹は花かも あしびきのこの山かげに撒けば失せぬる

* 言語学者、白川 静さんの解釈では「葬る(ほふる)」は「放る(ほふる)」だそうです。

3 インターネットの中の「自然葬」

 この度あらためてインターネットの中の「自然葬」を調べ直してみました。3年前の「死に方講座」の時に比べて情報量は圧倒的に増えました。自分と同じように、人々の発想が通常葬儀の欺瞞に気付き、究極の断捨離に向き始めているのではないかという印象を持ちました。以下は自分の興味を引いたものの中から順不同に選び出した「自然葬」情報です。

(1) 「自然葬」とは?

 墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送の方法の総称です。

(2) 自然葬請負業者が登場しています

一例は下記のようなものですが、無数にあります。NPOから浅ましくも商魂逞しいものまで多様です。
ex.1
葬儀 総額17万円 全国対応、年間8000件のご依頼実績。すべて含んだポッキリ価格の小さなお葬式
ex.2
NPO家族葬の会、自然葬(海洋葬・里山葬) 簡素でやさしい家族葬をサポートします。

ex.3
美しき海洋自然葬散骨38000円よりご案内を致します。散骨と粉骨お手元供養品など 全国からお受けいたします。

(3) 葬送の自由をすすめる会

 自然葬は思想運動でもあります。遺灰を海や山に還す自然葬は、標記の会が運動を始めたころは違法と思われていました。標記の会は、葬送のために節度のある方法で行われる限り問題はないと主張し、 1991年に相模灘で第1回自然葬を行いました。「自然葬」という日本語も標記の会の創造であると主張しています。
 これについて、法務省、厚生省(当時)も追認する見解を出し、葬送の自由という基本理念が確立した、という記事がでています。

(4) 自然葬の種類
 散骨・海洋葬・樹木葬などがあります。
現在では、いろいろな団体が主催する簡素葬儀、家族葬儀などの「里山葬」や「バラの樹の下で眠る樹木葬」など葬儀様式の提案もより個別的で個性的であろうとする傾向が見られます。
 業者も「お寺さん」から「NPO」までますます多様化しています。「ペットの散骨」請負業も始まっています。「既存墓地から樹木葬に変更します。専門の国家資格者が、既存墓地から樹木葬・桜葬への改祀を代理します」という広告記事も見つけました。

5 自然葬ビジネスの拡大

 「散骨請負業」、「墓地転換業」、「故人からダイヤモンドを作る」という商売まで登場しています。散骨はもちろん日本全域、船、セスナ、ヘリコプターも利用可能です。遠くはオーストラリヤのグレートバリアリーフまで行くというものまでありました。
やれ!やれ!興ざめでしょうか!?

§MESSAGE TO AND FROM§ 

一夜毎はかなくなりぬ 仲秋の月を惜しみて 夜ぞ更けにけり

 この便りが届く頃にはアメリカのアパラチア山脈の月を仰いでおります。娘の“護衛”付きで40数年前の母校を訪ね、若き日の思い出に今生の別れを告げて参ります。皆様のお便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。

鳥取県大栄町 岩垣博士 様

 かれこれ20年になるでしょうか。元気のしるしに北条の梨が届き、元気の証に新しい本をお送りしました。あなたは校長職から教育長となり、そろそろ引かれる頃でしょうか?私もいくつもの職を変遷しました。これから生老病死が始まります。あと何年「元気の記し」の交換ができるでしょうか!

砂丘の梨は元気の証
新しい本は元気の返事
あれからかれこれ20年
あなたもそろそろご退職
小生は古希を越えました
社会教育は倒産し
無縁社会に為す術もなく
辛うじて志縁で繋いでいます
これからが老いの勝負です
あといくとせ
元気の交換ができるでしょうか
今日の日本海は晴れでしょうか
玄界灘に秋冷の風が渡ります

札幌市 竹川勝雄 様

 「少年の鍛錬」は、やるかやらぬかは別として少なくとも既成の概念。しかし「老年の鍛錬」は言葉すら存在しないですね。人生が80年になって、日本人も高齢社会の新しい概念を発明する必要があると思うようになりました。お便りに発奮し、新しい著作に取りかかります。

長崎市 武次 寛 様

 アメリカへ発ちます。学文社の配慮で新しい原稿の著者校正を持参した旅になりました。お蔭で成田や機中の待ち時間を退屈せずに済みそうです。戻りましたら稲佐山でお目にかかります。アメリカの大学の図書館にも坐ってみようと考えています。果たしてアメリカの生涯学習は、従来の成人教育や青少年教育を日本と同じように全部つぶしてしまったでしょうか?見聞して参ります。

142号お知らせ
1 第114回生涯教育移動フォーラムin長崎

日程: 10月29日(土)
会場: 稲佐山観光ホテル
I事例発表:13:30-16:50
(1) 「交流によるまちづくり~生涯学習が目指すもの」
発表者:ヒラド・ビッグフューチャーズ 事務局 川上 茂次
(2)「TEAM GEAR構想とは
~今のまちにしたのも、これからのまちをつくるのも住民です~」
発表者:TEAM GEAR代表/「衣」担当      松本 由利
(3)飯塚市熟年者学び塾の意味と意義
発表者:飯塚市中央公民館         松尾一機
II論文発表:17:00-18:00
未来の必要-生涯学習から生涯教育へ
生涯学習通信「風の便り」編集長     三浦清一郎
III 情報交換・交流会 18:30-

10月30日(日) 「長崎史跡さるく」(オプション)

2 第115回生涯教育移動フォーラムin廿日市

日時:平成23年12月10日(土)(13:00-21:00)11日(日)(9:00-12:00)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市大野図書館、交流会:大野町4区集会所) 
主要プログラム:
* パネルディスカッション-青少年プログラムの成功と失敗の「なぜ」-(1)なぜ育つ、なぜ育たない、(2)なぜ繋がる、なぜ繋がらない、(3)なぜ続く、なぜ続かない―
パネリスト:正留律雄(廿日市市教育委員会地域連携推進員)
(交渉中) 杉原 潔(広島県子ども会連合会専門員)
      佐伯 陽(府中町立府中緑ケ丘中学校校長)
ほか1名交渉中
コーディネーター:森本精造(NPO法人幼老共生まちづくり支援協会理事長)

* 紙芝居/茶会 (中村由利江、大野茶道クラブの野点) 
               
* 15:15-17:00
会場参加型インタビュー・アンケート:
青少年教育のどこがどう問題なのか?
参加者全員:大人は現代の子どもをどう見ているのか→現代の子どもは一人前になれるか?→一人前の条件は何か?→誰が何をすべきなのか?
インタビューワー:三浦清一郎(生涯学習通信「風の便り」編集長)
* 交流会

第2日目
5 9:00-10:15 シンポジューム:
若者が語る「少年時代」-「やってよかったこと」と「やればよかったこと」及びその理由-
登壇者人選中:ビッグフィールド大野隊OBまたはOG
尾道市瀬戸田町子ども会シニアリーダー、ほか他県の青年を選考中
司会:大島まな(九州女子大学)

6 総括提案:現代の欠損体験 三浦清一郎(生涯学習通信「風の便り」編集長)

* 11月は主要メンバーが愛媛大会支援のため「生涯教育フォーラムin福岡」はお休みにします。
* 山口のVolovoloの会は赤田事務局長と柴田代表で場所と内容を協議中です。日程は1/21-22(土-日)と決まりました。新年のスケジュールに入れて頂けると幸いです。
* 2012年の最初の「生涯教育フォーラムin福岡」は1/28日(土曜日)です。山口の勉強会に続きますが、第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会の第1回実行委員会とフォーラムを抱き合わせにして同日に行う予定です。

編集後記
勉学無事の便り

朝昼晩と飯を喰い
準備片付け、床屋に行って
水を蒔いたら日暮れです
ほんの少しの勉学に
今日も一日暮れました。
朝の散歩も精一杯
昼の勉強も精一杯
読み書き体操ボランティア
日々働けど、励めども

前に進まぬこともある
方位360度
老いは無言で寄せて来る
己れごときがと思う時あり
おれがやらなきゃと思う時もある
痛いところはないのだが
草木が枯れて行くように
命が枯れて行くのです

月見ればなるほど千々に悲しけり
我が身一つの秋とはなれり

今日の散歩道

夏と秋とのせめぎ合い
風はいささか秋めいて
朝焼け雲は七色変化
5時半過ぎには家を出て
青田の畦の露を蹴り
小さな蛙の敬礼は
左右に跳んでささげつつ

朝のラッシュの並木道
御者は老いぼれじじいだが
こっちはミンピン2頭立
シティ・ボーイにならんとて
大きな声でご挨拶
お早うさんです、上天気
今日も元気でがんばろう
川には田んぼの堰が立ち
水は満々ナイアガラ
鴨はすいすい仲好しこよし
ひとりぼっちの白鷺も
どうやら今朝はご機嫌だ
あれに見えるはいつもの婆さん
白い帽子に白いシャツ
育ちが良くてやさしくて
会釈優雅ににっこりと
70過ぎの2頭立
うす化粧さえお見事で
シティ・ボーイに声かけて
お褒めの言葉をもらいます

挨拶できないおじさんは
ラジオ片手にわき目も振らず
ダックスフントのおばさんは
散歩忘れて立ち話
ラジオ体操の面々は
時計台下にたむろして
井戸端会議の真っ最中

来た来たやっぱり今日も来た
6時になると現れる
黒帽黒シャツ黒ズボン
おまけに黒のサングラス
何がそんなに気に入らぬ
右も左も睥睨し
ぶすっとするからブスになり
犬まで気が立ち吠えかかる
オレが言ったらセクハラか
お前たちなら正当防衛
油断大敵火の用心
犬鍋にして喰われるぞ

城山の上に雲かかり
霧の中から陽が昇る
今日も残暑がきびしいぞ
川面のトンボが触れ回る

 息子夫婦の演出で孫と初めて対面式。「育爺」目指してがんばりました。「今は山中、今は浜」、「500マイルを汽車が行く」。電車ごっこのせいでしょう、腰と膝とを痛めました。張り切り「育爺」けがのもと。
ホテルに届いた毎日新聞。一面大きな広告で、人生語録のご紹介。
 著者は笹川良一氏。モーターボート協会で日本全国施して、「B&G」を建てました。東西南北、津々浦々に自分の銅像も建てました。人生語録の真ん中に彼の「お説」がありまして、筆者に水をかけました。
「孫と遊ぶことが楽しいようになっては人生もお仕舞いだ。棺桶の用意をした方がいい」。
 生前銅像は嫌いだが、人生語録は本当でしょう。
 むかしの人は言いました。「孫可愛がるより、犬可愛がれ!」。高齢社会への提案です。孫に耽溺すべからず。盲目の奉仕は愛の毒。孫を滅ぼし、本人を滅ぼし、日本国を滅ぼします。孫がいるからボランティアが出来ない、のではありません。孫がいるからこそボランティアをするのです。「孫可愛がるより、ボランティア!」、「育爺より育自」。ばあさんのことはいざ知らず、じじいは孫の手本です!