「風の便り 」(第141号)

発行日:平成23年9月
発行者 三浦清一郎

「近くの他人」の崩壊~無縁社会を生き抜く方法

 お盆の花火大会の真っただ中で、家族の強い不満と制止を振り切って、入院中の友人をお見舞いした主婦の便りを読みました。海を明るくする恒例・評判の花火大会の真っただ中、家族、親戚、友人たちのおもてなしの賑わいと喧噪の中で、敢えて外部世界への回路を必要とする友人の身の上に思いを馳せることのできる彼女の感性に感服しました。「お見事」であると同時に「志縁」がなければできる事ではないでしょう。
 日本のお盆は「故人が還る」という仏教思想のもとで、生き残った人々が歓を尽くし、懇親を深め、人それぞれに家族や友人たちとの殻にこもります。病人や一人暮らしの高齢者はすでにそうした殻を失っています。ひとりぼっちの人間は、お盆では余計に、故人の記憶とともに燦々たる夏の陽光の下に放り出されます。やがて自らも彼岸へ旅立つ事を予感せざるを得ません。日本のお盆は自然が最もその生命力をあらわにする時期だけに病人や一人暮らしには己の無力を思い知らされるのでしょう。世間は花火大会や家族の再会で浮かれていても、入院者や一人暮らしにとっては、世間の賑わいが一層孤独を深めることでしょう。それが己に与えられた「定め」と思えば、更に堪え難いでしょう。
 伊東静雄が歌ったように「我が定めを知りし後 たれかよくこの烈しき 夏の陽光の下に生きむ」(「八月の石にすがりて」)です。
 家族は遠く、或いは浮き世の多忙に紛れて、見舞いに来ることもできません。晴れ上がった夏空の下で病院暮らしの友人の友人はさぞ深々と孤独だったことでしょう。
 お盆の家族行事を抜け出して友人を見舞う彼女が唯一の外部世界への回路だった筈です。お盆と花火大会の賑わいと家族の懇親に、一時とは言え背を向けて、病院暮らしの友人に新聞を届けに行く「束の間の見舞い」を選択できる人は無縁社会の橋になろうとしているのです。

1 「ご近所同士」と「向こう3軒両隣」感性の消滅

 無縁社会は現代日本の日常語になりました。「ご近所同士」も「向こう3軒両隣」の縁もほぼ消滅しました。「近隣の縁」は、かつて、生活の共通基盤を意味し、「親密さ」や「助け合い」を意味しました。
 しかし、今や、ご近所や組内の概念は、「同じ地区に住んでいる」という「居住地区の共通性」のみを意味するようになりました。ご近所に住んでいてもゴミ出しと回覧板以外、生活の共通基盤は存在しません。近隣の縁は不要になったという事です。
 近隣の縁の消滅は、「おたがい様」という価値観や感性も、「ご近所同士だから」という親密さの前提も消滅させました。
 かつて、居住の縁の背後にあったのは共同体文化です。共同体を支えて来たのは、お互いの幸も不幸も、あるいは成功も失敗も全メンバーに何らかの影響を与えるという「共益の共有」が存在したからです。森林資源も、水資源も、防災も、防犯も、祭りも葬式も共同した方がメンバー相互の利益に適っていたからです。しかし、共同体文化を支えた産業構造は農林漁業の生産システムです。共同体を必要としたのは「農耕条件の共同管理」や「漁業に伴う共同作業」だったからです。
 第2次、第3次産業が日本の稼ぎの大部分をたたき出すようになった現在、農林漁業を背景とした共同体文化が消滅するのは時間の問題でした。農林漁業が主役でなくなると同時に、日本人は村落共同体の「共益」からも、半強制的な「共同」からも解放され、「共同体の成員」から「自由な個人」になったのです。
 高齢者の引き蘢りや孤独死、若者の自己中犯罪の多発は「自由な個人」を支えている自由主義と個人主義の裏側から発生する副作用です。節度なき自由主義は勝手主義に転落し、社会との契約を教えられなかった個人主義は自己中に転落するからです。この時、不適応も、堕落も、犯罪も自由な個人の自己責任であるいうのが「無縁社会」を出現させた思想です。「無縁社会」は「他者と関わる事に失敗した結果」の現象であり、同時に、自己都合を優先し、「他者と関わりたくない」という思いの結果です。「個人情報保護」の思想がその象徴です。

2 崩壊したのは「しきたりと慣習」、「干渉と強制の仕組み」です

 かつて、「遠い親戚より近くの他人」と云われ、「渡る世間に鬼はない」といい、共同体は人々の情けに支えられました。しかし同時に、共同体は、しきたりと慣習、干渉と強制の仕組みでもありました。共同体文化における女性の地位や若者の「権利」と「自由」を考えただけで如何に共同体の束縛が個人に及んでいたか十分想像できる筈です。例えば、男女共同参画の思想の最大の敵は共同体文化であり、その中で主導権を握って来た長老の男たちだったのです。女性の平等を妨げて来たのは、二本足の伝統であり、共同体文化を体現した老人男性であった事は昔も今も明白な事実です。
 その共同体は生活の共通基盤を失ってとうの昔に崩壊し、共同体文化の残骸は慣習や伝統の名目で農林漁業を伝統とする地方にかすかに残るだけになりました。しかし、そのような地域でも「3ちゃん農業」や「兼業農家」の割合が増加し、生活の共通基盤は今や「水資源」の管理ぐらいが残るだけになりました。
 共同体が誇った相互扶助や近隣の縁は、祭りや神楽の行事などにかすかに残っているだけで、やがてその意味の分かる人々も死に絶えることでしょう。

3 女性の解放、若者の解放

 伝統的村落共同体が崩壊した後、人々は慣習やしきたりや義務的な共同作業から解放され、自由になりました。中でも女性と若者が自由を獲得しました。自由になった女性が農家に嫁がないのは、女性を対等に認めない慣習やしきたりに対する女性の意思表示であり、そうした慣習やしきたりを信じて暮らしている男たちへの明白な抗議です。斯くして農家は後継者が育たず、男女共同参画の意義すら分らない男支配の地方文化のもとで、日本の農業そのものが崩壊して行くのです。若者の多くも息の詰まる共同体の「タテ社会」を逃れ、長老支配からの自由を求めて都市に出ました。「変わりたくない男」の頂点は村の長老である事は自明です。
 現代日本人は、自分の自由を縛るもの、個人の生き方を制約するものを拒否したのです。最も縛られていたものが最も自由を求めるので、女性と若者の反逆が一番烈しいのです。
 その結果、女性も若者も、自己都合を優先し、自分の思いどおりに人生を送るようになりました。「自分らしく」生きたいと希求し、「自己」を「実現して」生きることが暮らしの理想になりました。どんなに伝統の衰退を惜しんでも当該の伝統が客寄せやビジネスにならない限り締め込み姿で神輿を担ぐ人々はやがていなくなります。女性は、共同体文化を身に付けた男たちと結婚しようとはしません。共同体文化は「筋肉」が支配した「筋肉文化」であり、男に比べて筋肉の働きの劣る女性を侮辱し続けて来たからです。行政が旗を振る愚かな「婚活」が必要になるのはそのためですが、男女共同参画の理念が分らない行政の男性担当者に「婚活」支援が出来る筈はないのです。

4 「さびしい日本人」の大量発生

 日本人の生活は、共同体および共同体文化の衰退と平行して都市化し、人々は多様な価値観と感性にしたがって自由に生きる個人に変身したのです。共同体を離れた個人は、それぞれが思い思いに自分流の人生を生きることができるようになりました。自分流の人生を主張した以上、当然、己の生き甲斐も他者との絆も自分の力で見つけなければならなくなりました。「自分流」の反対語は「自己責任」です。
自由も自立も、人間関係も日々のライフスタイルも「選択制」になったのです。新しい人間関係を選び取ることのできた人はともかく、「選べなかった人」、他者から「選ばれなかった人」は「無縁社会」の中に放り出されます。自身の「生き甲斐を見つけようとしなかった人」や、探しても「見つけることのできなかった人」は「生き甲斐喪失人生」の中に放り出されます。「定年うつ病」などはまさしく退職者が「生き甲斐」を「喪失」または発見できない事に大いに関係があります。自己都合優先社会とは選択的人間関係を意味し、選択的人生を意味します。日々の生き方を自分が主体的に「選択する」ということは、かならず自己責任を伴い、願い通りの選択は簡単に実現できることではありませんでした。それゆえ、過渡期の日本人の中には自由の中で立ち往生する「さびしい日本人」が大量に発生したのです。「さびしい日本人」とは、共同体を離れ、自由になった個人が、他者との新しい関わり方を見出せず、また、仕事にも仕事以外の活動にも十分な「やり甲斐」を見出せず、孤立や孤独の不安の中で「生き甲斐」を摸索している状況を指します。

5 「渡る世間に鬼はない」から「渡る世間は鬼ばかり」へ

 人気の脚本作家、橋田壽賀子氏は無縁社会の到来も「近くの他人」の崩壊も予測したのでしょうか!?
 「渡る世間は鬼ばかり」はお茶の間の一大ヒットドラマとなりました。恐らくみんな他人事として作中人物がそれぞれの人生で「鬼」と「遭遇」することをおもしろおかしく見ていたのだと思いますが、今になってみれば、年をとったあなたも私も、作中人物と同様に、振り向いてもくれない世間の鬼のなかで孤独に苛まれる日を予感しなければならなかったのです。「近くの他人の崩壊」とは居住地域が共通の人々の間のぬくもりのある人間関係の崩壊であり、あなたの生活上の危機も気持ちの上での孤独も己の才覚と自己責任で切り抜けなければならぬ時代が来たということです。誰もあなたに指示したり、あなたの生活に干渉することはありませんが、その裏側は、親戚と言えど、ご近所と言えど誰もかまってくれず、誰も助けてはくれないということです。「渡る世間に鬼はない」から「渡る世間は鬼ばかり」へと変わったのです。「鬼」とは、もちろん、人間の孤独と孤立を象徴しています。

6 人間欲求のもたらしたもの

 誰も、無縁社会の到来を望んではいなかったと思いますが、伝統的共同体の息苦しさを嫌い、豊さと自由を求めた私たちの生き方の帰結が共同体の崩壊でした。社会を変えて来たものは、我々の欲求でした。“昔は良かった”と伝統的共同体の絆の強さを懐かしみ、無縁社会の現状を嘆いてかつての伝統的共同体に戻そうとする考えもあります。しかしながら、我々自身が望んで変えて来た共同体が元の共同体に戻ることはないでしょう。なぜなら、共同体の崩壊によって、失われたものも多かった一方、得たものも多く、誰も自由や人権や貴重な「得たもの」を捨てて元の共同体に戻ろうとはしないからです。
自由を得た個人は以前の日本人ではなく、新しい日本人です。女性も、家族も、共同体の枠を越えたつながりを持つグループやサークルも、人々の暮らしの価値観もスタイルも変わってしまったのです。
無縁社会とは自由社会の裏側です。自己責任社会の「負」の部分が表面に出た社会の事です。無縁社会は多くの課題を抱えながらも、日本人自身が望んだ結果ですから、すでに後戻りすることはできないのです。

7 他人は「真の他人」となった

「遠い親戚より近くの他人」と言っていた頃は、まだ共同体が存在し、「他人」は「知らない人」ではあったけれど、共同体の成員同士という暗黙の前提が存在しました。共同体は共通の生活基盤の上に成り立っていた運命共同体ですから、共通の利益:「共益」または共通の不幸:災害や天候不順で繋がっていたのです。それゆえ、自分にとって「他人」は身内でなくても、知らない人であってもどこかで共同体の共通の利益を共有する存在だったのです。しかし、共同体は崩壊し、産業構造の変化によって共通の生活基盤も消滅しました。
 今、無縁社会が到来したということは,「他人」は「真の他人」になったということです。「知らない人」だけれどどこかで繋がっているだろう他人と「知らないだけでなく全くつながりのない他人」とでは大違いなのです。
 「共同体の他人」は知らない人でもどこかで繋がっている人であり、「無縁社会の他人」は知らない人で全く繋がってもいない人です。日本人の他人発想は「身内」からの距離で図ります。日本人がこだわる「内と外」の考え方です。「内」の中心には、家族や親戚などの「身内」がいて、その外側に友人、知人、仲間などの「仲間内」がいます。更にその外側に「ムラ内」や「町内」があって、その周りに同郷人や同県人がいます。一番外側が日本人でしょう。
 共同体の人間関係は無数の「内なる人」の円が重なってできていました。一番近いのが「身内」だったでしょう。その外側に「仲間うち」があり,更にその外側に同窓とか同郷とか同職場とか同県の「内」があり、最終的に日本人という最外円がありました。同じ学校、同じふるさと、同じ日本人ということは助け合いの条件に成り得たのです
 それゆえ、日本人が使って来た「外人」とは「日本人の外の人」ですから「真の他人」の意味です。ドラえもんのように「地球人」になることのなかった日本人は最外円の更に外側に「外人」を置いたのです。同和問題のような差別意識も被差別部落の人々を同心円上の「内」なる人間関係に入れることを拒否したという点で「外人」概念に類似しているのです。徳川幕藩体制化で「非人」という概念を発明したということは日本人の中に「外人」を作ったということに匹敵するでしょう。アメリカ社会学の教科書は日本の部落問題を黒人差別の問題に対比して「見えない人種」(Invisible Race)と呼びました。差別は基本的に人種問題であるとしか理解できなかったアメリカ人にとって、日本人が日本人を差別するという事は、自らの人種問題の想定を越えており、「見えない人種」概念を発明する事でようやく納得のいったことだったのでしょう。もちろん、当時の筆者にはそうした解説をする能力はありませんでした。

8 家族以外はすべてが「外」になった

 「遠い親戚より近くの他人」と言った時の他人とは同心円上の人間関係の他人です。家族→友人→知人→ご近所→同窓生→同郷人、最後は「同じ日本人同士じゃないか」というところで落ち着きます。繋がりは外へ行くほど薄くなりますが、全くの「他人」になることはなかったのです。漫画「ドラえもん」は、同心円の人間関係を「同じ人間同士じゃないか」というところまで拡大し、「ぼくは地球人」という名セリフの「名乗り方」を発明したことで大いに日本の子どもの国際化と心理的グローバリゼーションに貢献したのです。
 しかし、無縁社会というのは上記の「同じ近所同士」、「同じ地域同士」,「同じ県民同士」、「同じ日本人同士」という同心円上に広がる他人との関係が崩壊した社会を言います。友人同士も部分的に興味や関心を共有する機能的な部分結合の関係に限定されることが増えて来ました。自分を取り巻く人間関係を論じるにあたって「機能集団」とか「目的集団」というようになったのは、ある特定の「機能」や「目的」に関する限り興味や関心や利益を共有する知り合いという意味が強くなったということです。極論すれば、家族以外の全人格的・全生活面を共有する人間関係は存在しなくなったのです。今では、家族ですら「ホテル家族」のように何かの催しにリビングに集まるだけの機能家族になりつつあるのです。あなたを取り巻く他人のすべてがあなたを取り巻く同心円の「外」に位置するようになったのです。あなたが繋がろうとしない限り誰もあなたに干渉しません。あなたは自由であなたの判断で動けるのですが、「新しい縁」を見つけない限り、あなたはいつも独りぼっちになるのです。

9 「他人」はすべて「外人」-高齢者の孤立と孤独

 一人暮らしになった老人に誰も声をかけてくれません。もちろん、日常生活を他人は助けてくれません。こちらからお願いしない限り友人や知人ですら助けてはくれません。知人もすでにお互いを「知っている」というだけであなたの人生に立ち入ることのない他人なのです。「干渉」は禁物で「個人情報」は法律で保護するようになりました。誰もあなたに干渉しないという事は誰もあなたのお世話はしないという事です。一方で、「個人情報保護法」を決めておいて、だれでも困っている人には手を貸しましょうということはできないのです。行政も政治もこの単純な矛盾を自覚していないのです。他者のプライバシーに触るなと言っておいて、他者の個人生活に踏み込んで手を貸してやって下さいというのは無理というものです。
 他人はもはや同心円上の共通の生活基盤を有する他人ではなく,同心円外の他人:すなわち共通事項のない「外人」なのです。「外人」は「内の人」に対峙する表現ですから、「内」なる人間関係が崩壊すれば他人はすべて「外人」になるのです。日本文化における「内と外」の人間関係の枠は共同体の崩壊と同時に曖昧になりました。ムラ内も町内会も意味が希薄になり、「あいつら」と「オレたち」の境界線も曖昧になりました。その分日本社会は身内びいきは少なくなり、役場の職員のコネ採用も激減し、残る課題は賄賂的採用のみになりました。
 共同体文化を背景とした同族、同郷、同窓、同職場を中核とする派閥の力も大いに減少しました。もちろん、あらゆる分野に党派性は今でも健在ですが、利害や思想の共通性による党派性に変わりつつあって従来の「内なるグループ」とは別種のものです。
 政治家の世襲制が批判され、選挙戦のやり方が変わり「無党派」層が増えたというのもそのためです。

10 タテ社会の崩壊

 一人暮らしになった筆者を助けて下さるのはご近所の知人でも一般社会の他人でもなく,特別の価値や感性を共有する志縁の方々です。志縁はムラや町内会や、同窓会や職場の縁とは関係がありません。志縁は、居住地域の共通性(地縁)とも、既存組織の人間関係(結社の縁)とも基本的に「縁」の成り立ちが異なっています。
 日本社会における従来の縁の大部分は、中根千枝氏の指摘通り、居住地区や職場など生活における「場の共有」と「経験の共有」で成り立っていました。それがタテ社会の原則です。タテ社会の人間関係は日本文化を横断し、縦断し、あらゆる人間関係に及んでいました。当該の「場」に早くから帰属していたものは「古参」で、新しく来たものは「新参・新入り」でした。経験も長いほど価値が高く、先輩と後輩を差別し、年功序列制度で賃金も差別して来ました。経験年数は日本社会の序列を決める重要な要因でした。しかし、「志縁」には、古参も新入りも関係なく、経験年数も意味をなしません。「志縁」が重要な意味を持つようなったということはタテ社会の崩壊が始まったということです。年功序列賃金の制度や体系が崩れ、実力主義や年俸契約制が導入されたのはその象徴的な出来事です。今や、民間企業では若い実力者の指揮下で年長者働くようになりました。公務員のランク別採用基準の途中評価や別枠採用が導入されれば、タテ社会の本丸が崩れます。変化の時代に、二十歳そこそこで行った試験の結果が能力の証明として終生ついて回ると考えることの方が非常識なのです。変化の時代は能力も志も短期間のうちに変化します。経験年数や帰属年数で現代の能力を測れると考える方がどうかしているのです。教師や医師の免許も勉強しないものには更新しないという運転免許証と同じ原理を導入して欲しいものです。タテ社会から実力主義・支援社会への移行は不可欠です。年功序列社会の反語は実力主義社会、無縁社会の反語は「支援社会」なのです。実力主義の基本は実力の有無、志縁社会の基本は志の共通性です。志縁を成り立たせるものは、価値観と感性を共有するか否かです。
 社会教育という商売柄、筆者には産婦人科医から葬儀屋迄、挨拶をする程度の知人なら沢山います。しかし、知人が他人になった以上、志に共通性がない限り、「知り合い」だというだけでは誰も頼りにはならないのです。

11 遠い家族より近くの「志縁」

 今冬、妻を亡くしたあと、筆者も一人暮らしになりました。今のところ元気で自立・自活しています。しかし、筆者の自立も自活も多くの志縁の人間関係に支えられています。その重要な「環」は研究やボランティア活動を通して培った人間関係のネットワークです。筆者のボランティア実践は週2回の英会話指導です。以前は、「子育て論」や「自分史講座」或いは「死に方講座」など社会教育に関連した領域のボランティア指導も手がけたのですが、1年を通して定期的に学習者と接することができ、しかも準備に膨大な時間とエネルギーを要しないのは英語指導だと悟りました。それ以降はもっぱら英語指導が私の「地域社交」の源泉になりました。1クラス15人の定員で2クラスですから30名の方と定期的に顔を合わせ1年を通じて同じ目的に向かって勉強します。年に1-2回は懇親の機会も持ちますので多くの方と知り合いになり、仲好しになりました。しかし、妻が元気な間は、自分の本務や多忙の理由もあって、私の方から学級生とのクラスの外のお付き合いは原則最少限に留めて来ました。ところが妻を亡くして、独りぼっちになってみると学習者の皆さんとの会話と交流が日常唯一残された定期的な社交であり、「大人との対話」であることに気付きました。英語クラスは木曜と金曜の夜を当てているのですが、時に、原稿やその他の宿題に追われていると土曜日から木曜日までスーパーのレジのお姉さん以外、誰とも話していない週もあるのです。講演が途切れ、生涯教育フォーラムは月に一度の集まりですから、社会教育の関係者との接触も希薄になります。しかも、社会教育の仲間は遠く分散し、みんなそれぞれの地域で活動中ですから、通信のほとんどはメールになりました。「話さない人は話せなくなる」、「使わない言語は使えなくなる」という「廃用症候群」の原理を引用するまでもなく時々深い孤独と不安に陥ります。認知症や老衰の予防は「読み、書き、体操、ボランティア」であると唱導して来た自分が真っ先に認知症になったのでは笑うに笑えません。一人暮らしにとって「地域社交」は不可欠の条件になったのです。現役の頃や妻が健在であった頃とは事情が一変したのです。

11 高齢者の地獄の1丁目

 高齢社会の到来によって、シルバー人材のサービスから医療、介護、老健施設まですべては経済的な契約になったのです。老後の暮らしはビジネスに囲まれています。高齢者の世話がビジネス化したということは金の切れ目が縁の切れ目だということです。デイケアセンターの日々も、老健施設の暮らしも機能別に分業化された時間割となり、金に換算され、志縁に関係のない「他人」に囲まれ、愛情や共感を前提としない地獄の1丁目です。
 先月号の「一人暮らしのアンケート」に書きましたが、「学ばない高齢者」は滅びます。「目標を持たない高齢者」は学ぶことも活動することもありません。当然、真っ先に滅びます。「体操をしない高齢者」は加速度的に心身が衰えます。「社交のない高齢者」は志縁に巡り逢うことなく孤立します。「学習も活動も継続しなければ力にはなりません」。「家事のできない男性高齢者は女性に憎まれ、配偶者の死後は途方にくれるでしょう」。すべて自業自得なのですが、ほっといてもいいでしょうかね!?社会教育や福祉の関係者は何をやっているのでしょうか!?

女性が主導するしつけと教育の影-筋肉文化否定の裏側-

1 「体力向上」発表プログラムの不在

 山口県山口市阿知須の「井関元気塾」の上野敦子さんは筆者の最も信頼する熱心で献身的な指導者です。今回も立派な夏休みプログラムの発表会をやって下さいました。
 筆者の「負荷の教育」理論を理解し、その忠実な実践者のお一人です。本人はママさんバレーの選手でもあります。
 過去にも体力向上や耐性形成のプログラムについては何度も協議を重ね、少しずつ実践に取り入れてくださいました。今年は幼児体育で著しい効果を上げた鹿児島県の志布志市にあるヨコミネ式保育園の指導法も見学してもらい、担当の先生に親しく教えて頂いたそうで感激して戻って来たということでした。井関元気塾の発表会は今年で5回目になります。しかし、立派な発表会だったにもかかわらず、今年もまた「体力向上の発表プログラム」はありませんでした。なぜでしょうか?
 最初は、上野さん以下女性指導陣の無理解だと思っていました。しかし、我が怒りが静まるにつけ、それは個人の無理解ではなく、女性の無理解であると思うようになりました。だんだん自分が担当した過去の指導経過の細部を思い出し、それこそが男女共同参画の影なのだと得心するようになったのです。
 筆者の体力・耐性理論を理解して下さったかのように思えたにもかかわらず、結果的にその実践に消極的であり、時にサボタージュしたのはすべて女性指導者が関わっていたことに気付きました。事は女性の感性と価値観の問題であり、女性が主導するしつけと教育の問題であり、筋肉文化を否定する感性と論理の裏側で起こっていた事ではないかと気付いたのです。

2 間違えないで頂きたい

 筆者の嘆きを間違えないで頂きたい。
 筆者は女性が体力・耐性の錬成プログラムを「担当する能力」がないと言っているのではありません。現状では「担当する気」がないと言っているのです。鹿児島のヨコミネ式の錬成プログラムは普通の保育士さんがヨコミネ氏の指導を受入れておやりになっていることは重々承知しています。(現状に至るまでヨコミネ氏が女性を説得するのに大変苦労したということも聞き及んでおります)。それゆえ、女性にも指導能力はあるのです。しかし、多くの女性には指導意志がないのです。
 指導「能力」はあっても、指導する気がなければプログラムは絵に描いた餅です。筆者が口角泡を飛ばして喋って来たことは多くの女性にとって絵に描いた餅だったということです。音楽やお茶や、料理や裁縫や、生け花や俳句学習や、平和学習や読み聞かせなどの文化・教養のプログラム要素と比べて、体力・耐性の「価値」を余り認めていないということです。昔遊びも沢山教えたのですが、やっていることはお手玉やおはじき、せいぜい、ビー玉やベーゴマ止まりです。「泥棒・巡査」や「ヘビ鬼」・「S鬼」、陣取り」や「缶蹴り」は恐らくがさつで、品のない遊びとされているのでしょう。
 そうなると、現代の幼少年教育は家庭でも、保育・教育機関でも圧倒的に女性の関与する比率が高いのですから結果は重大なのです。恐らく、草食系男子が登場したのも、いくら言っても過保護の養育の修正ができないのも、へなへなの子どもが氾濫しているのも女性指導者の責任だと断定して間違いないでしょう。「子どもに寄り添う」とか、「のびのび保育で子どもにやさしい環境を」とか寝言のような教育論の氾濫もようやく納得がいくというものです。

3 筋肉文化の価値観と反筋肉文化の陥穽

 気の遠くなるような長い間、労働と戦争を支配したのは男の「筋肉」です。その時代の文化が「筋肉文化」です。「筋肉文化」とは「筋肉の優れた働き」を「最高位」とする文化で、筆者の命名です。筋肉文化の中で男は支配者であり、女は常に男の要求に応えて来ました。男が男に求めたのは体力や耐性であり、男が女に求めたのは文化や教養や礼節でした。体力も、持久力も女性の特技ではなかったからです。男は腕っ節や耐久力にこだわり、女は文化や教養や礼節を愛したのです。
 それゆえ、女性がしつけや幼少年教育の主役になって以来、女性が幼少年に求めたものもやはり自らを鏡とした文化や教養や礼節になりした。もちろん、女性も基礎体力や行動耐性の重要性を頭では理解しています。しかし、幼少年の心身の鍛錬はもはや第1優先事項ではなく、しつけや教育プログラムの必須・最重要課題ではなくなりました。ようやく筆者にも自分の教育実践を通して女性主導の教育の副作用が見えて来ました。男女共同参画思想は筋肉文化を否定することによって登場し得たのです。したがって、女性が主導した教育の副作用とは、筋肉文化を否定したことの副作用であると言って間違いないでしょう。

*拙著、「変わってしまった女と変わりたくない男」(学文社)をご参照下さい。

4 幼少年期は、「知・徳・体」ではなく、「体・知・徳」です

筆者は幼少年教育は体力・耐性の鍛錬に始まり、徐々に学力や規範や感情値(EQ)に重点を移して行くべきだと考えて来ました。体力と耐性があらゆる学習の基礎を為す条件だからです。すなわち、本人の体力・耐性を前提としなければ教えることも学ぶことも出来ないということです。筆者が幼少年期の「教育の順序性」を強調し、体力→耐性→学力→社会性・道徳性→共感能力・感情値の基本順序を崩してはならないと言い続けて来たのは、底辺が肉体、途中が理解力、頂点が徳性・精神だからです。人間は霊長類ヒト科の動物から出発します。それゆえ、肉体こそが学問や精神の器であり、基礎と土台だからです。それゆえ、学校教育が言う「知・徳・体」の3原則は間違いではありませんが、トレーニングの順序は「体・知・徳」でなければならないのです。それゆえ、最近はやりの「たしかな学力、豊かな心」というスローガンも、教育の順序性を無視した間違いです。「生きる力」の基礎体力と途中の理解力や社会規範の道徳教育を飛び越して子どもの共感能力や感情値を高めることなどできる筈はないからです。
5 常に我が鍛錬理論に消極的であった女性指導者

(1) 霞翠小学校

 思い起こすと色々あります。かつて長崎の霞翠小学校の「生きる力・学ぶ力」の指導をしたことがあります。筆者は理論的に何よりも体力向上プログラムを重視します。学力を上げるために体力と耐性の錬成から始めることを主張します。体力と耐性こそがあらゆる学習の基本であり、「生きる力」を形成する基本だからです。
 霞翠小のプログラムは先生方の一致した協力を得て大成功に終ったのですが、毎日の10分間マラソンや50キロを越える鍛錬遠足はすんなりとは決まりませんでした。他の分野については実に良く理解して下さった女性教師陣の反応が今ひとつ消極的だったことを思い出します。毎日の10分間マラソンを厳しく導入したことも、鍛錬遠足を54キロの島一周のコースにした時も最初に分ってくれたのは若手の男性教員でした。主役の実行者も男性校長と男性教員でした。ためらいを見せた女性教師陣に安心してもらうために、当時唐津や下関まで80-100キロの道を歩き通していた、福岡県古賀市の青柳小学校の高橋校長先生の話を聞きに行ってもらいました。
 
(2) 豊津寺子屋

 また、福岡の旧豊津町で「豊津寺子屋」を導入した時、筆者の説に従って、体力向上プログラムやキャンプ等の野外活動を熱心に推進したのは、決って男性の熟年指導者でした。男性陣がいなかったら、私のプログラム提案が果たして実行委員会で通っただろうかと疑問に思うくらいです。女性指導陣は、お花やお茶や、書道や俳句や、料理やカルタ取りなどの指導に張り切っていましたから、筆者や男性指導陣の強い主張がなかったら、恐らくプログラムは女性指導陣の好みに傾いたであろうことは疑いありません。朗唱の発表も、まさに消防士のように行進し、警察官のように並べと、「軍隊」が嫌いで「平和」が好きな女性の皆さんに気を使っていたことを思い出します。筋肉文化の頂点は「戦」ですから、迅速な整列、一糸乱れぬ行進、あらゆるチームスポーツの戦略など、集団行動に要求される迅速性、持久性、整合性、統率性などの背景は軍隊の訓練に発していることは、男性にとっては自然に理解できることだった筈です。

(3) 八木山小学校

 同じ福岡県の八木山小学校で獅子舞やソーラン踊りに加えて持久力と敏捷性を目指したエアロビックスを導入したとき、指導者には大学のエアロビックス選手権に入賞した現役ばりばりの学生を招きました。しかし、その時、烈しく格好の良いリズムをこなす上級生と同じ演技をしたかった下級生をまだ「むり」だからと判断して止めたのも女性教師陣でした。「むり」の根拠はどこにあったでしょうか!?子どもの好奇心やチャレンジング・スピリットを教育的にどう判断したのでしょうか!?筆者が先生方を一喝して同じ演技をさせるようにと指示しましたが、後で聞くと女性教員は無理して同じようにやらなくてもいいと下級生に言っていたそうです。愚かなことです。下級生はもちろんついて行こうとしましたし、彼らの健気な一生懸命は見るものの胸を打ちました。

(4) 大山保育所

  さらに、筆者の疑問を自覚と確信に変えたのは鳥取県大山町の保育所の事例です。
 鳥取県大山町の保育所には沢山の運動遊具がそろっています。しかし、子どもたちが初めて竹登り、うんてい、タイヤ跳びなどを日常的に経験したのは当時の山田教育長が小学校から男性の佐藤教諭を保育所に特別派遣してからのことでした。「お母さん、見て!見て!」と子どもたちが親に自分のできるようになったことを誇るようになったことは言うまでもありません。
 用心して書かないと女性差別だと言われかねませんが、筆者は断じて女性差別者ではありません。筆者が関わった女性指導者はそれぞれに優秀でした。しかし、彼女たちの感性や価値観は、体力の意義に関しては、男性指導者に比べて相対的に評価が低いのだと思い始めました。男性に比べて女性は、体力や持久力の意義や価値を感覚的に十分評価していないのです。女性の身体が「体力の意義」を分っていないと言ってもいいかもしれません。竹登りも、タイヤ跳びも自分が余りやったことのないことは子どもにも必要ないとどこかで感覚的に判断しているのでしょう。結果的に、女性指導者の下では、幼少年期の基礎体力のトレーニングが疎かになる傾向が強いのです。

(5) 体力向上を目標とした研究校

 文科省の補助を受けて体力向上に取組んだ学校の最終発表の講演講師を務めたことがありました。もちろん、筆者が主張したのは子どもの基礎体力の重要性と筋肉や心肺機能に日常的に適切な「負荷」をかけ続ければ、体力耐性の向上に加えて学力も上がるという方法論でした。霞翠小や豊津寺子屋で確信していた教育論です。
 信じられないことですが、その学校は3年間指導したのに、報告書のデータからは、子どもの体力は向上していませんでした。鍛錬すれば子どもの筋肉も心肺機能も決して裏切ることはありません。学力や思考力のように頭脳に関係する分野と異なり、多少の個人差はありますが、肉体の反応は正直です。身体に重度の障害があって鍛錬が不可能な子どもを除けば、必ず肉体の鍛錬の成果は上がります。学校全体で国の補助金まで貰って3年も体力向上プログラムに取組んで、しかも体力が上がらないというのは、トレーニングが実質的な鍛錬に「なっていない」からです。教務主任は教育事務所から抜擢された「やり手」の女性だったということです。

6 結論

 繰り返しますが、筆者は断固女性を差別するものではありません。しかし、女性は文化や教養や礼節に比べて、幼少期の教育における体力を相対的に軽視しているのではないか、と最初は疑い、今は確信するようになりました。もちろん、彼女たちに「軽視している」という自覚はないでしょう。筆者の指導をサボタージュしたという意識もないでしょう。それが長い間かかって作り上げられた女性の歴史的感性であり、価値観だからです。体力の価値よりは文化の価値の方が高いというのは、女性にとっての歴史的な自然であり、男性との感覚のちがいを特に意識することはなかった筈です。もちろん、女性も、「体力」の重要性は理解しています。専門職であれば尚更当然のことでしょう。だから、ラジオ体操も行進も入れます。エアロビクスも入れます。水泳も消極的ながら指導します。しかし、彼女たちの基準を遥かに超えた筆者の鍛錬プログラムに立ちはだかったのは概ね女性専門職なのです。
 結論的に、女性は、男性に比べて体力についての「重要度」の認識や「評価基準」が低いと考えざるを得ないのです。筋肉文化の主役の男性は「筋肉」を競って生きてきました。体力や持久力の重要性は男の身体が分っています。これに対して、女性は、「文化」や「教養」や「礼節」や「美貌」を競って生きてきました。結果的に、女性は「筋肉」の強靭さや「心肺機能」の豊かさの意味と意義を過小評価していると感じざるを得なくなりました。要するに、女性は頭で分っても、身体で分っていないのです。
 教育上の打開策は二つあります。第1は幼稚園・保育所から小学校まで、幼少年教育における男性指導者の比率を増すことです。第2は鹿児島のヨコミネ氏のように徹底して体力・耐性指導のできる女性指導者を訓練によって作り上げることです。両方とも、日本社会が意識しなければできません。このままでは少年の体力・耐性が危ういのです。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 晩夏は何時も寂しくて、蝉さえ声を張り上げて“惜しい、つくづく惜しい”と啼くのです。皆様のお便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。

福岡県立社会教育総合センター 近藤真紀様

 飯塚フォーラムでは何から何までお世話になりました。論文に対する事前のコメント、事後の感想ともに大いに考えるところとなりました。サン=テグジュペリが「最高の贅沢は人間の繋がり」、と言っていたことは知りませんでした。無縁社会が到来して図らずも誰もが納得させられる箴言ですね。「星の王子様」は旅に出てへんてこりんな人間ばかりに出会った筈です。自分の体面を保つことに汲々とする王、賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋、酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む呑み助、夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家、1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点燈夫、自分の机を離れたこともないという地理学者。最近の政治家や研究者を思わせます。王子に倣って薔薇を育て、迷子の百日紅を世話しています。TVを消したら自尊ばかりの政治家が消え、言い訳ばかりの行政が消え、口先ばかりの研究者が消え、日々が平和になりました。王子が学んだのは「愛」と「献身」。スローガン倒れの日本にもっとも欠けていることでしょう。一体全体社会教育はなにをやっているのでしょうか!?

福岡県朝倉市 太田政子 様
 天晴れですね。ほれぼれしますね。あなたは独り言を社会的発言に変え、愚痴を提案に変える名人です。80才を越えて満点とは!「一人暮らしアンケート」を発案した自分でも時々気が崩れます。心していてさえ中々満点になれません。動悸、息切れ、立ちくらみ、投げやりの思い、諦めの境地、寂しさに喰い殺されそうな逃避癖、上がったり下がったりの目標値、ガチガチの肩、筋肉痛、1時間がやっとの集中力。おっとっとっと愚痴はいけませんね。最後のアメリカへ出発します。アパラチア山脈の峯峯に今生の別れを告げて来ます。お心づくしの葡萄が届きました。一期一会の味がします。

東京都八王子市 瀬沼克彰 様

 ご本をいただきました。健筆ですね。小生は老いとの戦いに入りました。アメリカの図書館に坐ってみます。若い時代の闘志が湧いて来るでしょうか?お礼の気持ちは晩学に込めるつもりです。ありがとうございました。

北九州市 小中倫子 様

 これからアメリカのりんに会いに行きます。がんばれ、りん、泣くな りん、ウエールズの頃を思い出せ。私もアパラチアの頂きでたった一人学んだ自分に会いに行きます。

福岡県宗像市 久保誠一 様
 闘病の貴殿に贈る寄せ書きの心づくしのありがたきかな

広島県廿日市市 川田裕子 様

 過日はお世話になりました。お盆明けのせわしい中に皆様にお会できて意見を交わし、会場の様子も伺い、ようやく思いの一致するプログラムができました。ご推薦の通り、「いろいろトマトのスパゲッティ」は抜群でした。もう一度行きたいですね。正留先生、佐伯校長さん、井上さん、川西さんにもくれぐれもよろしくお伝え下さい。こちらは森本代表、古市教授、社会教育総合センターの近藤主任社会教育主事などに報告済みです。

宮島の丹塗りの宮に秋の海の風吹き初めて忘れがたかり

141号お知らせ
1 第113回生涯教育フォーラムin福岡

日程:9月17日(土)15:00-17:00
場所:福岡県立社会教育総合センター(糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511
事例発表者:交渉中

論文発表:男女共同参画の影-筋肉文化否定の裏側、三浦清一郎(生涯学習通信「風の便り」編集長)

3 第114回生涯教育移動フォーラムin長崎

日程: 10月29日(土)
会場: 稲佐山観光ホテル
時間:13:30-20:30(含む交流会)
事例発表: 飯塚市熟年者学び塾の意味と意義、松尾一機(飯塚市中央公民館)ほか
論文発表:未来の必要-生涯学習から生涯教育へ(三浦清一郎、生涯学習通信「風の便り」編集長)

4 第115回生涯教育移動フォーラムin廿日市

日時:平成23年12月10日(土)(13:00-21:00)11日(日)(9:00-12:00)
会場:(発表・協議:広島県廿日市市大野図書館、交流会:大野町4区集会所) 

* 11月は主要メンバーが愛媛大会支援のためフォーラムはお休みにします。
* 山口のVolovoloの会は赤田事務局長と柴田代表で場所と内容を協議中です。日程は1/21-22(土-日)と決まりました。新年のスケジュールに入れて頂けると幸いです。
* 2012年の最初の福岡フォーラムは1/28日(土曜日)です。山口の勉強会に続きますが、第31回中四国九州地区の生涯教育実践研究交流会の第1回実行委員会とフォーラムを抱き合わせにして同日に行う予定です。

編集後記 二度目の「尊厳死宣言」

 ふたたび尊厳死宣言書を書きました。前回も同じものを書き、妻に託したのですが、不憫なことに妻の方が先に逝ってしまいました。一人暮らしはどこでどう倒れるか分りません。そこで今回は二人の子どもを含め「勉学無事の便り」をお送りしている4人の方に委託することにしました。書式はインターネット上に例が示されていますのでそれに倣って自筆で書くことが原則でしょう。公正証書にしておくことが勧められていますが、書式作成の時間や分量によって少なからぬ経費が発生します。
 以下は「宣言書」に盛り込むべき条件です。

1 精神が健全な状態にあるときに書いたものであるという本人の説明。2 自分の病気が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には、いたずらに死期を引き延ばすための延命措置は一切断りたいという意思表示。
3 もちろん、この場合、自分の苦痛を和らげる措置は最大限にしてもらいたいこと。そのために、たとえば、麻薬などの副作用で死期が早まったとしても不服はないという意思表示。
4 自分が、数ヶ月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥ったときは、一切の生命維持措置を取り止めて欲しいという意思表示。
5 「尊厳死」宣言の要望を忠実に果たして下さった方々への感謝の言葉
6 一切の責任は自分自身にあることの宣言。
7 宣言書を誰に託すのか、受託者の氏名

あなたに見せたい風景

自分の戦いを戦えばいい

遠いところをありがとう
白薔薇も白カーネーションも深として
静かに窓辺を飾ります
夏の終わりの光りは弱く
海から秋が渡って来ます
黄揚羽は息絶え
赤とんぼが登場しました

農夫は草刈りに余念なく
稲田は緑が波打ちます
いずこから来たか5年前
わが家に根付いた百日紅
凛々しくやさしく美しく
立派な少年に育ちました
風の来るたび敬礼し
真っ赤なぼんぼりいくつも揺れて
しみじみ夏の終わりです

遠いところをありがとう
いささか疲れていたせいでしょう

情にほだされ懐かしさに甘え
我と我が身を憐れんで 
ひと時やさしさに溺れました

しかし、ようやく我に還り
秋を迎えるに大事なのは
為すべきを為すこころざし
あなたのやさしさは有り難いが
必要なのは戦う意志
掃除や3度の飯ではない
いずれ早晩あなたは去り
帰るべきところに帰るでしょう
やさしく肩など揉んでもらっても
明日は一人で生きるのです
寂寥きりきり身を噛んで
心細げに見えるだろうが
どこかで勘違いしてないか
一人暮らしを泣いている訳ではない
戦友が遠いのを泣いているのです
あなたも彼の地に立ち返り
自分の戦いを戦えばいい
それが戦友の証です