「風の便り 」(第137号)

中国・四国・九州地区
生涯学習実践研究交流会30周年記念特別号

発行日:平成23年5月
発行者 三浦清一郎

中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会30周年記念出版執筆者座談会

生涯教育立国の条件

(本稿は記念出版「未来の必要-生涯教育立国の条件」の執筆者を中心に行った座談会の記録です。ボリュームの関係で書籍本体から省略せざるを得ませんでしたので生涯学習通信「風の便り」誌上を借りてここに公開するものです。)

座談会開催当時の参加者の所属、職名は以下の通りです。

執筆者・座談会参加者一覧

赤田 博夫(山口市立鋳銭司小学校 校長)
大島 まな(九州女子短期大学 準教授)
黒田修三(福岡県立社会教育総合センター 副所長)
鴻上哲也(伊万里市立立花小学校 教頭)
関 弘紹(佐賀県教育委員会 主幹)
永渕美法(九州共立大学 准教授)
古市勝也(九州共立大学 教授)
正平辰男(純真女子短期大学 特任教授)
益田 茂(福岡県立社会教育総合センター 主任社会教育主事)
三浦清一郎(生涯学習通信「風の便り」編集長、社会教育・社会システム研究者)
森本精造(NPO法人幼老共生まちづくり支援協会 理事長)
弓削暢彦(福岡県立社会教育総合センター 社会教育主事)

何が、なぜ問題だったのかー「未来の必要」は何か

司会(古市):
座談会の目的は、過去の社会教育実践を分析して、日本社会の「未来の必要」を導き出そうということです。討議の視点は二つあります。第1は、三浦編集代表が提起した「生涯学習」概念を巡る問題、第2は、われわれの大会が過去30年にわたって蓄積してきた「生涯教育-生涯学習実践研究」が示唆しているものは何かです。討議を始めるにあたって、三浦さんから改めて問題提起をお願いします。

三浦:記念出版の序文と第1章に整理しましたので説明を省いて、問題点だけを箇条書きで整理します。第1は、社会教育の衰退は「生涯学習概念」の登場によって、「教育」発想が「学習」発想に置き換えられたことが原因だということです。自分自身もつい5年前まで「生涯学習概念」を信奉していたので恥じ入るばかりですが、生涯学習が言われ始めて以来、社会教育(生涯教育)施策は社会の「必要課題」を放置する結果を招いたということです。
第2に政策上の失策だと判断した事柄を順不同に列挙すると次のようになります。
* 社会教育を生涯学習と等値した結果、公的な社会教育の大部分が個人の趣味・お稽古事・実益追求活動の支援に終始しました。そのような現象が明らかになった後も、教育行政は「生涯学習概念」そのものを修正することなく、「現代的課題」などを追加することでお茶を濁してきました。
* 義務教育学校は生涯学習概念の導入以来、生涯教育体系の外に置かれることになり、社会教育との連携も地域との連携もほとんど全くできませんでした。「学習」を基軸とした概念が支配的になって、教育行政は学社連携を前提とした社会教育の条件整備も、方針提示も皆無に近かったと思います。
* 地域の生活課題が複合化しているのに、行政のタテ割りは一向に改善されず、子どもの保育と教育は分裂し、高齢者の生涯学習活動と健康維持活動はほとんど連動していません。
* 地域の共同体が崩壊し、少子・高齢社会が到来したにもかかわらず、ボランティア=奉仕=「ただ」論に固執し、高齢者の活躍の舞台づくりも、幅広いボランティアの養成にも失敗しています。
* 全国にも、われわれの大会の歴史の中にも、優れた実践モデルは多々あったにもかかわらず、広がらず、普及しませんでした。なぜでしょうか?

I 教育行政発想を「学習」から「教育」へ

古市:確かに「生涯学習」の概念は、国民が学習行動の結果成熟していくということを前提にしてきました。私も生涯学習の結果、レベルの高い国民が育って行くはずだと大まかにとらえていました。
教育行政も確かに、社会教育の観点から「必要課題」、「現代的課題」、「地域課題」、「生活課題」というような社会的な課題解決施策の取り組みをするのだと言ってはきました。しかし現状は、果たして「社会的課題」への取り組みは充分だったでしょうか。三浦提案は教育診断も教育処方の提示も極めて貧しかったという指摘です。

永渕:ある本で読んだのですが、人の死に関して、たとえば運動不足や喫煙の習慣が原因であると分かっていたとしても、原因と結果の間に長い時間経過がある場合は、犯罪にはなりません。逆に、原因の結果への影響が短時間の時は、死亡原因の責任が問われるのです。
三浦提案の通り、教育処方を守らない高齢者は老衰が速く進み、うつ病になるかもしれませんが、原因から結果が出るまでの時間的経過が長いために「原因責任」を問われてこなかったのだと思います。「生涯学習概念」の下では社会的必要に関する教育処方は出せなかったのですが、「原因」が「結果」に至るまでの時間の関係性によって「学習」概念の「是非」についての評価も責任も問うことはなかったということだと思うのです。
それゆえ、教育処方と医療処方の最大の違いは、「患者または患者相当者」の命に影響が出る時間が長いか、短いかの違いだと思います。教育処方は通常長期戦ですが、医療処方は相対的に短期戦です。三浦提案はもっともだと思うのですが、世間に聞き入れられない最大の理由は、原因が結果に至るまでの「時間的長さ」であると思います。医療の処方のように、それを守らなければ患者の病気は重くなり、やがて死ぬだろうという切迫性に欠けているのだと思います。
健康処方でも、教育処方でも、処方を守らなかった一定量の人たちの犠牲が出るというクリティカル・ポイント(臨界点)を越えない限り受け入れられないと思います。

三浦:個人が提示された教育処方を採用するか否かについては、まさしくご指摘の通りだと思います。しかし、私が論じているのは、個人の選択行為ではなく、公金を使って教育行政が行なう社会教育施策の決定のことです。社会教育行政は税金によって給料をもらっている「専門領域」の公務員がやっていることです。彼らのサービス対象は「個人の要求」ではなくて、「社会の必要」であるべきだということが指摘の基本的趣旨です。しかし、実際には、生涯学習推進の看板の下に行なわれた社会教育は、個人の要望に応えることに終始し、社会の必要に応えることにはなっていないと言っているのです。そのような結果をもたらした最大の原因が、「市民が好きなことを好きなようにやればいい」という「生涯学習概念」であったと言っているのです。「生涯学習概念」は政治や行政の「不作為」を論理的に承認する結果をもたらしたのではないでしょうか。

大島:三浦提案の再確認ですけど、社会教育行政は個人が選択する学習を推進することより、社会的必要課題に対応する教育プログラムに公的資金を投入せよということですか?

三浦:個人の必要と社会の必要を厳密に線引きできないということはあるでしょうが、大まかにはご指摘の通りです。財政難の現在では公金支出の社会的意義と公金投資の「費用対効果」を一層厳密に問うべきだということです。

大島:くどいようですが、個人が選択するものでも、それが社会的課題に結びついていれば公金投入の意味があるということですね。

三浦:もちろんです。そもそも社会教育が成人学習者の選択に干渉することは間違いです。しかし、公的社会教育が提供する選択肢は社会的課題を重視すべきだと言っているのです。ボランティア指導者の養成事業などはあなたのご指摘に当てはまるものでしょう。

永渕:もう一つ確認させてもらうなら、最初、生涯学習の考え方を普及させるにあたって、出だしとしては間違っていなかったかもしれない。趣味・お稽古事といったところから生涯学習を動機付け、水路付けしたことは間違っていなかったかもしれないけれど、それが強くなりすぎたが故に、社会的課題が放置されざるを得なかったという理解でいいのでしょうか。

三浦:自分も間違ったので、「後悔先に立たず」ですが、私はその出発点こそ間違っていたのではないかと考えるようになりました。最大の理由は社会教育行政の「不作為」を承認する結果になったからです。
当時から「3割社会教育」と陰口を叩かれていた社会教育行政が、なぜ個人の「パンとサーカス」の「楽しみ事」に公的な支援をしなくてはならなかったのか。学習の主体は国民だという「民主主義」の発想と、社会教育行政が果たすべき役割は別ものであったという自覚に欠けていたと反省しています。「国民主権」は民主主義の政治原理ですが、その政治原理を教育原理と等値して、しかも、行政主導型の日本の社会教育施策に取り入れたことこそ間違いの始まりだったと思います。松下圭一氏の「社会教育の終焉」は社会教育行政不要論を説きましたが、結果的に、「生涯学習概念」はその後押しをしたのです。その後の生涯学習推進行政は一部リピーター学習者の行政依存を生み、生涯教育の視点に立った教育処方はほとんど全く提示できなくなったのです。司会者が指摘したように現代社会のあるべき課題は遅ればせながら提起されましたが、「学習は皆さんの選択です」という前提の下で「現代的課題を宿題としてやっておいた方がいいですよ」といったところで誰がやりますか?生涯学習は「快楽原則」に流されてみんな自分の思いのままに「好きで」「楽なこと」だけをやったのです。

古市:「ある程度効果」という問題もあるのではないでしょうか?たとえば個人の趣味・お稽古事の類いの学習活動でもやらないよりはやった方が、個人の元気にも、医療費の削減にも「ある程度」は効果を得た部分もあるわけで、全部否定することは難しいのではないでしょうか。ようやく最近、個人の学習成果の活用や「新しい公共」への貢献ということが盛んに言われるようになりました。とりあえず生涯学習で育った学習者が次なるステップで、社会に向けて、公的な課題に向けて活動を展開するように持っていくことが求められているのではないでしょうか。学習者の拡大と平行して、学習成果の検証や方向付けをしていくことが大事な時代になったということではないでしょうか。

三浦:私が一番心配しているのは、そういうことを言いながらすでに20年以上もの歳月がむだに費やされたということです。現に、社会教育は、人員も施設も予算も、すべて削減されてきています。それは、高度な政治判断です。財政難・不景気のせいばかりではありません。社会教育は世の中の必要なことをやれていないからだと思います。近年「知の循環型社会」というようなことが言われ始めましたが、学習成果をどのように「循環」させるかの方策と予算を提示しない限り空論に終ることになるでしょう。

鴻上:三浦提案のいう「患者相当者」というところに注目したのですが、「患者相当者」に対して必要な手立てや必要な支援を社会教育が行うことができれば、間違いなく社会教育の評価につながってきただろうと思います。私も、「患者相当者」が社会にたくさんいると思っています。しかし、患者相当者は自身に自覚がないため、その存在は潜在化していてなかなか見えない。あるいは見えたとしても、その人に社会教育を受けさせるということが困難であるということがあります。
具体的に言いますと、今、私は学校に身を置いていますが、学校の中に特別支援教育というのがあります。最近は、特別支援学級に在籍していなくても、普通学級で学習をすることが事実上困難な子どもがたくさんいます。しかし、本人にもその家族にも問題の自覚はありません。それゆえ、潜在化しています。事実は「患者相当」の広範性発達障害やADHDという、専門的な教育が必要な子であるということがようやく分かってきて、学校でもその手立てが取られるようになりつつあります。社会教育においても、三浦提案の「患者相当者」は潜在化して相当数存在すると思います。彼らに教育の必要性を自覚してもらって、必要なプログラムに参加していただくようなシステムが社会教育に一番求められているのではないかと思います。

三浦:その通りだと思います。私は、現代日本社会の子どもの多くが「患者相当者」だと思っています。高齢者も同じです。以前、公明党の提案で「地域振興券」という事実上の「買い物券」が配られたことがありましたが、あれと同じ発想で、「患者相当者」に対する「生涯教育・健康教育・地域活動・生涯スポーツ」の振興券というようなものを配ることができるシステムを作ってはどうかと考えています。もちろん、この場合は、好きな「学習」ではなく、必要な「教育」を受けていただくことになります。たとえば70歳を過ぎて、身体活動のプログラムへの参加を促す健康教育・地域活動振興券みたいなものが配られるというところまで最終的には行くと、私は思っています。
なぜ社会教育が評価を受けないのかというと、それは社会に対する貢献度が絶対的に低いからだと思わざるを得ないのです。

古市:なるほど分かりました。そうなると、小学生にとって6-7泊ぐらいの合宿なら教育効果があると分かっているわけですから、1学年に1回は全員に青年の家のような施設の宿泊研修を利用させるというような方法も可能になりますね。これまでの青年の家や少年自然の家は選択権を利用者任せにしたということで「生涯学習格差」が発生したという現状分析もできます。全員が平等に体験できるように教育の一環として義務化していくことも大事でかつ可能であるということですね。

大島:患者相当者の診断基準をどう考えたらいいでしょうか?医学だったらいろんな基準があるし診断の方法もありますが、社会教育においては誰が「患者相当者」なのかを判断することがとても難しいと思います。鴻上さんのご指摘の通り、特殊学級の子は一定の診断基準で判定されていますが、普通学級の子で、事実上「患者相当者」をどのように判断するのでしょうか?
また、実は、日本の子どもはほとんど、ある意味で患者相当者ではないかと思うわけです。だから、最初に現状診断する時にどういう視点を持って診断するか、近年の社会教育には診断基準や物差しが存在しなかったということでしょうか。

三浦:ご指摘の通りです。厳密な判断基準を提示することは難しいと思います。しかし、私の関心は、「診断の科学性」を問う以上に、教育処方に基づいたプログラムを提供する方にあります。受講するか否かは「振興券」のような誘導策でお誘いするしか方法はないと考えています。しかし、「生涯学習概念」では、「患者相当者」の主体性にまかせて放置するわけですから、教育診断と処方に基づいてきちんとトレーニングを受けるという考え方も仕組みもそもそも原理的に可能ではないのです。

大島:現在、多くの人々が子どもの状況を嘆いています。しかし、生涯学習の原則に立つ限り、社会も家庭も問題に対処する効果的なプログラムは実行し得なかったですね。

森本:振り返ってみて思うのですが、今までたくさんの事業をやってきました。その事業もその時には「社会の必要」をテーマに掲げ、プログラムを組み、参加を募り、学習者はそれぞれの立場で選択して参加してもらったと思っています。
しかし評価は、参加者数評価の域を出ず、その人たちが研修から戻ってどうしたかという、事業の「費用対効果」的な評価をやっていなかったというのが現実ではなかったでしょうか。

大島:現状診断があってプログラム化したわけですから、その最初の診断がいかに改善されて、「患者相当者」が「健康体」に戻ったかということを検証していく視点を社会教育が持っていなかったということだろうと思います。三浦提案を受けて実施した山口や北九州でのまちづくり研修は、診断も処方も「社会的必要」を評価基準としていたので参加者に課題を課したということだと思い当たります。

森本:私たちがやってきた社会教育行政の事業もその時々の国民的課題をテーマにしてきましたが、結果として課題の分析が不十分で、「患者相当者」的な人を集めてやったとしても、それをどう評価し検証していくのかという、一連の教育実践の「診断」と「処方」が明確ではなく、やはり生涯学習は自由でいいんだという考え方に引きずられてきていました。「教育」としての評価がなかったということです。
第31回目の大会から会の名称を「生涯学習」から「生涯教育」に、また福岡で続けてきた「生涯学習フォーラム」を「生涯教育まちづくりフォーラム」に変えていきたいと考えたのはそのためです。社会教育に専門的に関わってきた経験から、やはり気ままな学習よりは問題解決型の教育の方が大事だと思わざるを得ません。しかし、そのことを地域の人や患者相当者たちにどう伝えて行けばいいのかは課題です。
「生涯学習」ではうまくいかなくて、やはり「生涯教育」ですよということは、よほど噛み砕いて上手に説明しないと理解してもらえないのではないかと感じています。

三浦:論理的に区別していただきたいのですが、私は「生涯学習概念」の全部をダメだと言っているのではないのです。社会教育行政は社会的必要に応えることを最優先して「生涯教育」を選択すべきであると言っているのです。
個人がそれぞれご自分で選択してやる学習活動を生涯学習と呼ぶことは一向に構わないし、医療との比較でいえば、健康な人が自分の健康管理を自由に企画しておやりになることと同じです。医療機関が健康人に干渉しないように、社会教育行政も一般人の学習に干渉する理由はないのです。しかし、近未来の日本社会に重大な影響をもたらすことが分かっている「へなへなの子ども」や「急激に老衰する退職者」や「社会的な不適応に陥った人々」に対して、「皆さんのお考えで自由に進めて下さい」という生涯学習の原理を適用して放置することはできないと言っているのです。

森本:今度、NPOを立ち上げましたが、その看板を「生涯学習」から「生涯教育」に切り替えるにあたっては、「学習」から「教育」への転換の意味をはっきりさせて伝えていかなければならないと責任を感じています。昭和46年、日本に生涯教育の概念が入ってきて、それが昭和60年前後、今度は生涯学習に切り替わっていきます。その時社会教育関係者は諸手をあげて喜びました。すぐに、社会教育を生涯学習に置き換えた経緯があります。今、公民館等の社会教育施設はほとんど満杯です。しかしその利用実態を調べてみれば一握りのリピーターが満杯にしているのです。満杯になっているものだから関係職員は安心しているのです。生涯学習という概念で社会教育を置き換えた時、学習者は確かに増えました。公民館はフル稼働しています。何となく社会教育関係者は、よくやっている、いいじゃないかと思ってしまったのだと思います。しかし、実態はまちづくりにも、その他の社会的課題の解決にも役立っていないのです。その辺りをもう少し丁寧に伝えないといけないと思っています。今回私たちが提起しようとしている「未来への必要」では、そのことが非常に重要な意味合いを持つと感じています。

関 :生涯学習が住民・学習者を主役にしたことで「学習」が盛んになったことは確かだと思います。だから社会教育行政の関係者は、「学習」の中身を吟味せずに学習者自身が主役になるのだと勘違いしたのだと思います。私もその一人でした。公民館や社会教育プログラムの参加者が増えて、やっぱり生涯学習の時代がきたのだと思いました。「生涯学習概念」は諸刃の剣です。今になって担当の私が言われていることは、県民や市民が主体的に学習しているのにどうして行政が余計なことをする必要があるのだ、ということです。
すでに社会教育がやろうとする教育処方まで否定されるようになったのです。行政の上層部は、なぜ県民の方々の学習権に行政が介入するのだ、公金投入の必要もないし、社会教育の職員もいらないではないか、市民の自由にしていただいていいではないかと言われます。

黒田:最近、市町村などの現場で社会教育行政がどのような方針や計画で進められているのか見えづらくなったという気がします。原因は二つあると思います。第1は、従来の補助金行政が消滅して社会教育のソフト事業のモデルが提示されなくなり、市町村では施策や事業の基軸をどこに置くのか、なかなか見出せなくなってきたのではと考えています。第2は、私も含めて生涯学習の登場により社会教育が主たる対象とした団体や集団の育成という組織的な学習が、ほぼ完全に個人が選択する学習支援に切り替えられた時、「個人学習支援に終始する社会教育」で社会教育行政は本来の任務を果たすことをできるか否かを十分に咀嚼できなかったということです。

三浦:客観的にはその通りだと思いますが、「生涯学習概念」に振り回されたのは個々の社会教育職員の責任ではないですよ。十分な吟味をしなかったのは、生涯学習を推進した国の教育行政や私を含めた専門研究者の責任です。

永渕:最近、ホームレスの人たちに保護的に対処していたアプローチを、ホームレスの方たち自身に起業の精神を持たせるようなアプローチに変えた実験事例のニュースを見ました。社会教育も継続的に、社会で生きる実践家を育てる方針に転換すべきではないでしょうか?知識の享受だけでなく自立や社会的活動に参加できる実践力を育てるのが社会教育にとって必要なのかなと思いました。要は、自分たちで課題解決の処方を考えて、自分たちで実践できる人たちを、数は少なくても地道に育てていくというのが、社会教育に課されていることではないかと思います。
さらに言えば、一昔前は、子ども会、青年団、婦人会、老人会など、地域で学習し、地域に貢献するグループがありましたから、リーダーを養成すれば、そのグループに戻り、手腕を発揮できました。もともと、それらの団体は、地縁によって成立している団体ですから、伝統的コミュニティが崩壊すると同時になくなるのは必然だったのですが・・・。今は、リーダーを養成しても、リーダーシップを発揮するグループそのものがないのです。ですから、現代は新しいグループを創りだすステップを組み込むことさえ、社会教育の課題になる気がします。

森本:県と市町村の社会教育行政では任務にかなり違いがあると思います。県の社会教育事業は、各種のリーダー養成事業あるいは地域の必要に対応する各種モデル事業の提供などが不可欠です。一方、市町村の社会教育行政は、とにかく地域のために「動ける人」を住民に“見えるように”育てていかなければ「役割」と「機能」を認知してもらえないと思います。
社会教育の意義は、特定の学習者だけを支援するだけでは見えないのです。公金を使う理由の説明がつくような事業でないと意味がないと思うのです。

Ⅱ 課題解決型実践者・活動者の育成

永渕:ご意見の通りだと思いますが、一番大事なのは実践力がつくかということだと思います。実践的な手法を身に付けた人たちを育てることができれば、次の実践はその人たちが広げて行くのではないでしょうか。問題は現在の社会教育に、実践力のあるリーダーを育てるという視点がないことだと思います。モデル事業もそうしたリーダーの活躍のステージとして発想してはいかがでしょうか?

森本:問題の根本は市町村の職員の専門性です。それがなければ、いくら県が要請しても市町村は動かないのです。自分たちの活動の場を作りきれないのです。あなたの言う「実践力」も机上の空論になるのです。
補助金行政華やかな頃は、曲がりなりにも社会教育事業は、補助金の根拠となる必要課題をベースにした事業でした。しかし、行政は「生涯学習概念」に依拠して住民の要求に応えることが事業だと考えるようになったのです。住民要求に対応して、みんなが喜んでくれれば「それでいい」という社会教育行政に変質したのです。
そういう社会教育行政の雰囲気の中で、市町村職員は3年か4年に1回は替っていきます。専門職員であるべき社会教育主事も同じ部署に長く置いておけるような状況ではありません。市町村担当職員の力量が一番問題だというのはそういう意味です。

永渕:だからこそ県行政の役割が一層重要になるのではないでしょうか。県行政の指導で現場で使えるプログラムを企画立案して、それを市町村に帰って実施し、そこで躓いたらふたたび県行政に持ちかえって再検討して修正して再度挑戦できるようにする。その過程で市町村職員の力量を育てるということをやる。行政職員の「On the Job Training」です。市町村で、先輩の手法を後輩に伝える時間もない今、新しいシステムを作らなければ、いつも素人に近い職員だけで、手探りでやることになってしまうのではないでしょうか。コンサルティング会社があるように、県行政あるいは社会教育総合センターの中にコンサルティングの専門家集団を常備しておけば、コンサルティングをしながら市町村の職員を育てるようなことがやれるのではないでしょうか。
ちなみに、船井総合研究所の川原氏は、「どんなに優秀な社員が集まっている会社に、優れた戦略があったとしても、戦略を実行・定着させるためのプロセスにまで踏み込んだコンサルティングをしなければ強い企業にならない」と指摘しています。社会教育のコンサルティングもそうあってほしいと思います。

三浦:それが実現したら凄いですね。
しかし、「生涯学習概念」を信奉している限り、そういうことはできないと言っているのです。コンサルテーションには何のために何をするかという明確な目的意識が不可欠です。しかし、生涯学習というのは原理的にみんながそれぞれ好きなことを好きなようにやればいいんだということを思想とする考え方だから共通の目的を掲げようとしないのです。関さんが上から「住民の学習に任せておけばいいではないか」と言われると指摘したように、生涯学習は住民が自主的に選択して学習することが「建て前」ですから、行政は余計なことをするなということになるのです。

古市:学習者が成熟して主体的、自主的に成長して社会的な必要課題にも取り組むだろうという、おぼろな期待というか、夢を持っていたような気がします。しかし、現状では今皆さんから出たように、決してそうはならず、逆にいろいろな課題が出てきたと思います。ただ、今日のことで一つだけ確認しておきます。生涯学習がこれまでどんな役割を果たしてきたかという点では、25周年でわれわれがとらえた、学習者の拡大や生涯の学びの促進など、ある程度の成果はあります。何にもしていないのではなく、自主的学習を促進したり、医療費を減らして貢献したりなど、いろいろな効果があったと思います。
ただ、今見えてきた新しい課題は、生涯学習の原理に則って、学習者の要求を聞くだけでいいか、ということだと思います。地域づくりや他者への支援など社会的貢献のプログラムを提示しなくてよかったのか。後者が抜け落ちたために社会教育は評価を受けられない状況を招いたのではないかという気がします。
社会教育法の中では、「指導監督はしてはならない」という原則があります。
社会教育は課題意識を持って学習者を「指導」するということにためらいもあったのではないでしょうか?行政の無境界化が進行した現在、かつて社会教育が提起した必要課題を重点的に取りあげ、予算を計上したのは、教育外の行政部局であったという繰り返しがあったような気がします。

三浦:私は、法律上は当然、「指導監督はしてはならない」でいいと思います。だから、個人が自由に行なう生涯学習支援に公金を出さなければいいのです。関さんのご経験の通り、行政を指揮する側に、社会が必要とする教育課題は何かという自覚がないまま、「生涯学習概念」を鵜呑みにすれば、「余計なことはするな」、「住民に任せておけばいい」、という発想になるのだと思うのです。

古市:そうすると、社会の必要課題に対応するにあたって今の社会教育法でいいのか。平成2年にできたいわゆる「生涯学習振興法」のままでいいのか、改正された教育基本法の中に生涯学習の理念が盛り込まれ、あのような規定の仕方でいいのか。もっと公的機関の積極的な関わりを明確にしなくていいのかなどの問題が出てくるのではないでしょうか?先ほど永渕さんが言われた実践者の育成についても日本の社会教育は、全く手がけなかったわけでも、実践モデルがないわけでもありません。しかし、優れた実践やモデルは繰り返し登場したにもかかわらず、広がらず、定着しなかったということは事実だと思います。公民館等への政策提言も、モデル事業推進のための予算措置や人的配置など中央行政の明確な姿勢が打ち出されればもっと違ってくると思います。学校教育に対して社会教育は予算も人的配置もけた違いに少なすぎます。わが国はもっと社会教育の強化を図ると日本の教育全体が変わると思います。

三浦:だからこそ「生涯学習振興券」のような例を挙げたのです。社会教育は、要するに、非権力行政ですから、あなたはこれを学びなさいという「指導監督」はすべきではありません。また、教育処方は医学のように、科学的な診断や処方に基づいた厳密な指示は出せないのです。
しかし、高齢者の活力維持に健康体操や各種のボランティア活動が役立つことは明らかであり、高齢者の社会参画が地域の問題解決に役立つということも理論的に分かっているはずです。分かっていても、生涯学習の発想では、皆さんがお決めになることです、と言って、実践者の養成が手薄になり、活動のステージも用意せず、モデル実践の推奨もしないということになるのです。

森本:迂闊なことでしたが、社会的効果の問題は、お金があるときはよく見えなかったと思います。財政難になって初めてお金の使い方が厳密に問われ始めました。気がついたら、子どもたちがいろいろな事件を起こすようになっていました。当然、学校教育や青少年団体は今のままの形でいいのかが問われるようになります。生涯学習の成果は成果として認めながら、それだけでいいのか、残してきたものや落としてきたものがあるのではないかということを明確に再診断すべき時がきたと思います。

正平:厳しい言い方をすれば、生涯学習の概念は、われわれが進めてきた社会教育に停滞と混乱をもたらした以外に何もないというふうに立論して議論を始めたらはっきりするのではないかと思います。古市さんが言われたように、社会教育の実践の中には、生活の中の厳しい課題に着手して、確かに有効な手立てと成果をあげてきた事例もあります。あるのはあるけれど、いくら質のいいものであっても、モデル事業にとどまって量を伴わなければ効果は見えないのです。いくら理論と成果に裏打ちされた実践であっても、素晴らしいことは確かであっても、お薬の「試供品」で根本的な治療はできないのです。われわれが今までやってきたものは「試供品」のようなモデル事業ではなかったかと思うのです。中でも私が最も後悔しているのは、先ほど永渕さんが言われた、必要だと判断したプログラムを示し、ノウハウを提示し、人々に実践を促して期待した効果が見えた分はあるけれど、では、そうした実践を継続的に担う地域の人々を育てていくということを一貫して社会教育はやってきたのかどうか。地域の人々に訴え、志や企画力や実行力を高めていくような仕事を、社会教育行政も、われわれもやってこなかったのではないでしょうか。

森本:かつては、青年団とか婦人会とか子ども会のリーダー養成講座などはやはり意味があったと思います。彼らは地元に帰っていろいろな活動をリードしました。時代の流れかもしれないけれど、それがあっという間に消えていってしまったということがありますね。

正平:永渕さんが期待したような地域の実践者は育っていないのです。今度の平成の大合併で経験したように、それぞれの地域の潜在的指導者たちは何かを起こすだけの力を蓄えていかなかったと思います。行政の大変革に戸惑い、立ちすくんで、新しい歩みを始めるにはあまりにも貧弱な力しかもっていなかったということが明らかになったのではないでしょうか。

古市:生涯教育が日本の教育行政の指針になりつつあった時、「国は俺たちを一生教育するつもりか、」というようなご意見が出ましたね。そして、それに対して「臨時教育審議会」は、「生涯教育」を「生涯学習」に切り替えて使い始めました。「生涯学習」概念を採用したということは、学習の主体は学習者であるという宣言でした。
それゆえ、今後生涯学習を再度逆転して生涯教育に切り替えるとすれば、私はやはり、法的な整備が必要になると思います。教育基本法の中に生涯に亘る学習が大事であるという理念が入ったことはまず第一歩ではないでしょうか。しかし、いわゆる「生涯学習振興法」など生涯学習をどう扱うかという法的整備はこれからです。

三浦:「学習」概念を「教育」概念に代える法律の改正ができれば、必要施策の実行は当然強力になりますが、現状では時間がかかり過ぎて難しいでしょうね。
私は、当面は個人学習は「生涯学習概念」で、社会教育を含む教育行政は「生涯教育概念」でというように2本立てで行くしかないだろうと思います。それゆえ、「生涯学習」概念だけを教育基本法でうたったことは大きな間違いであったと思っています。

森本:生涯学習を採用したあとは、やはり教育の発想がいろいろなところで抜け落ちていったと感じます。たとえば社会規範などは、教育の発想を入れないと教えることはできません。教えなかったら規範意識は育たないですよね。

正平:規範に限らず、体験も、コミュニケーション能力も、体力ですら教育抜きに育てることはできないでしょう。

三浦:学習を優先することの危機は、「選んだ人」と「選ばなかった人」の格差を放置することになることだと思います。

Ⅲ 「生涯学習格差」の発生

正平:教育の名で、時に、強制が必要となる理由は、「適時性」の問題があるということです。教室で私語をしてはいかんというのは、小学校3年生までの達成課題です。授業中に先生のお話は集中して聞きましょうという意志と態度を形成しておかないといけないわけです。
20歳になった学生たちを相手に私語を静止して授業を成立させるのは私には難儀なことです。

三浦:教育の概念を捨ててしまうと、子どもに限らず、どの時点で何を教えるかという、目標と方法が設定できなくなります。「生涯学習概念」の最大の問題はそこだと思います。また、25周年の時も「副作用」の自覚はありましたが、学習を国民に任せた時の最大の問題は「生涯学習格差」の発生だと思います。やる人とやらない人の差が拡大して、社会問題が発生した時、「やらなかったあなたが悪い、あなたの自己責任です」、では済まないと思います。

鴻上:学校が子どもたちに学習すべき課題を十分に達成させていない理由の一つは「教育する」ことに対する「ためらい」だと私は思います。具体的な態度や能力を身につけさせようと思っても、多くの教員は手立てや内容についてのイメージが沸かないのです。正平さんが指摘された授業への集中と学習態度の持続はまさしく教育課題なのですが、教育意志が希薄であれば教えることはできません。森本さんのいう規範意識も同じです。生命への畏敬の念を教えることや自律的・自発的実践者を育てるということについても同じです。教育課程、カリキュラムで指示されているものについては教えることができるのですが・・・・。

森本:教えなければ分からないのに教えていないということだと思います。

三浦:価値や生き方を学校が教えるべきではないという雰囲気が支配しているということでしょうか?

鴻上:共同生活の規範や最小限の礼節などは、社会教育がいろいろ蓄積してきた成果があります。学校の中にも総合的な学習などに取り入れられています。しかし、その社会教育が教育をしなくなったわけですから、学校教育への影響は大きいと思います。社会教育は世間で行なわれる教育ですから、それが消滅するということは、社会的な教育意志が稀薄になるということだったのではないでしょうか?

三浦:なるほどね。松下圭一氏の言う市民に任せればいいのだという「社会教育の終焉」論の副作用が明確になったということですね。

鴻上:松下圭一さんのお名前が出ましたけれど、やはり松下圭一ショックというのは、地方自治体の首長たちに対しての影響力が大きかったような気がします。行政主導で、市民の学習権を保障するというのはおごりであるという感覚で、社会教育から撤退したのです。今回のような議論を重ねて、首長たちが、やっぱり社会教育は大事なんだよということを再認識していただくような働きかけが必要ではないでしょうか。
今では生涯学習が総合行政化され、社会で行なわれる教育の意義や独自性が軽視され、行政職員に対する指導も全く不十分です。

古市:生涯学習施策は一般行政化しています。ですから、教育行政は生涯学習へのこだわりを捨てて、社会教育の看板の下で再度社会が必要とする教育を担うんだということに切り替えてはどうでしょうか?もちろん、その時は社会教育法をもう一度きちんと確認して、地域の「社会的課題」の解決を目的とした施策のあり方や展開方策を再検討することが大事だと思います。

黒田:社会で教育を行なうという根本的な考え方はすでに社会教育関係の職員には通じにくくなっているのではないでしょうか。当センターで職員研修をやっても、そもそも社会教育とは何のためにやるのかという基本的な議論になるとなかなか興味を示してくれないようです。具体的な支援技術や方法論についてはよく聞いてくれるけれど、肝心要の、なぜ、何のためにやるのかということになるととたんに関心が薄れるようです。地域住民や地域社会が今どんなふうになっているのか、おそらく、社会教育行政の一番大切なところは診断にかかわる部分ですね。その部分が抜けているのです。ここを徹底的にやる必要があると思います。社会教育の現場では、「社会教育か生涯学習か」という議論は、それほど興っていないと感じています。社会教育実践の中で、もう一度社会教育行政が診断をきちんとやって、目的を明らかにして行けば、まだ社会教育が生き残る芽はあるのかなというような気はしています。

三浦:それゆえにこそ今回「学習」から「教育」へと提起しているのです。市民の選択的学習に任せれば、「格差」はますます広がり、誰も止められません。
要は、社会教育法の規定のように、学校外の社会でも教育をするという行政姿勢が必要になるのではないでしょうか。問題は職員研修のあり方ではなく、中央や県の教育行政の哲学や教育姿勢が問われているのだと思います。

大島:それは社会教育に戻せばいいという単純な発想ではないですね。社会の必要課題を考えてみると、子どものことにしても高齢者のことにしても複合的な課題がほとんどですよね。教育行政とか社会教育だけでは扱えない課題が人々の生活課題です。
生涯教育も生涯学習も教育行政のとらえ方はタテ割りで狭かったですね。課題を解決するためには、たとえば子育て支援でも福祉や労働などいろんな部局と教育行政とが一緒に当たった方が機能的なのに、法的にも行政施策の上でもタテ割り行政を抜け出せないままに、生涯学習、生涯学習とだけ言ってきました。他部局との連携も、課題の優先順位もできていなかったと思います。
唯一の希望は「必要課題」に関心を持って下さる市民が少しは育っているということではないでしょうか?自分たちでいろいろやってみて、社会的なテーマを見つけて、ボランティアやNPOという形で成長してきている人々との協働に可能性があると思います。市民はタテ割りで動いてはいません。世の中全体では、生涯学習の多くは「パンとサーカス」に帰結したかもしれないけれど、一方では社会貢献の意識を持った少数の人たちも育ってきたので、そういう民間のグループをいかに支援し、彼らといかに協働していくかというのが大切なのだろうと思います。

古市:私も賛成です。学習者の拡大という点では、生涯学習はある程度の効果はあったけれど、ご指摘のようにその限界も明らかになりました。行政的にもようやく学習成果の活用という視点が出てきました。しかし、学習者が主体的にまちづくりの行動を起こすにはほど遠い状況です。そうなると、今までの生涯学習ではなくて「教育概念」が必要なのだということをもう一度確認しなければならないと思います。行政機構は今後まだまだ変わっていくような気がします。今や「まちづくり」というキーワードは首長部局がもっていますから、地域の「社会的課題」を解決するための連携ネットワークをどう作るのかという視点が必要になってくると思います。

森本:本稿の中川論文が提起しているエリア・コーディネート機能というのはまさにそこを指摘しているのだと思います。現在、各地各様のまちづくり推進協議会ができていますが、まちづくりの発想から「学校」が意外と抜け落ちていますね。原因は、これまでの生涯学習が学校を対象外に置いて特別扱いしてきたことにあると思います。学校を抜きにしたまちづくりの発想は大きな弊害をもたらしたと思います。

Ⅳ 「生涯教育」体系の中の学校の位置づけ

三浦:いよいよ各論に入りますね。森本さんの指摘はまさにその通りだと思います。生涯学習の方から見ると学校抜きで展開してきたのですが、社会教育の側から見れば学校は一貫して参加を拒否してきたと思います。「生涯教育概念」を守っていたら、学校は間違いなくその体系の中に位置付けられたと思います。
子どもたちが当面する問題の、おそらく9割ぐらいは学校の外で発生しているのに、学校は学校の外の問題に対処する体制に全くなっていないのです。旧穂波町の「子どもマナビ塾」とか飯塚市の「熟年者マナビ塾」とか、あるいは旧豊津町の学童保育と校外教育を統合した「豊津寺子屋」の最大の意味は、学校外のシステムが学校の問題に陰ながら対処し得たということにあると思います。
学校教育を支援する意味でも、学校外で発生している子どもの問題は、地域の力を借りて、地域と学校が組んで取り組めるような「学社連携」のプログラムこそが不可欠になっているのだと思います。

正平:日本の産業構造で、第1次産業が1955(昭和30)年に4割を超していたのが今は5%ぐらいになっています。かつて、第1次産業が大きな比重をもっていた時代に行われていたことは、親と子が共に働く共働です。一緒に田畑で仕事をするプロセスで親から子に伝えられてきたものは、質・量ともに大変大きなものだったはずです。それが、完全にと言ってもいいくらいに消滅した時、一体、学校教育はどういうことになるのか。それに代わるものを準備しなくていいのか。それを丹念に検証して手立てを施してこなかった長年にわたるつけが、今集中して表れていると私は思っています。

森本:教育長をさせていただいた経験から言えば、学校教育はそういう社会的条件の変化をほとんど考えていないですね。また、そうしたことに時間とエネルギーを使う余裕もなくなっています。他方、社会教育の分野では、学校の内部事情がよく分からないから正平分析のような全体像は見えていないのです。教育行政は、建て前では学校と社会教育が協力して一緒にやらなければと言いますが、例外的なモデルプログラムがあるだけで、一般化するのは難しいですね。

正平:ただ、福岡県の場合は、20年くらい前に森本さんが本庁で手掛けられた高齢者の人材派遣事業、それを出発点にして通学合宿や「いきいきスクール」事業、さらに子育てグループの支援事業が始まりました。地域の力を学校にという観点、あるいは地域の人の力を「学校を核にして育てよう」という観点、これは「学社連携」の思想として、ずっと貫かれていたと私は思います。

森本:たまたま2、3日前の新聞に飯塚市の小学校の学力が全国平均を上回ったと出ていたのですが、「子どもマナビ塾」や「熟年者マナビ塾」の存在が貢献したという評価は表に出てきません。社会教育が学校や学校外でやったことが、子どもの成績や日常の「生きる力」に本当に影響しているのかどうかは一度も検証していないのです。評価をしてこなかったからものが言えないというところが寂しいですね。

関 :校外活動の教育的評価が欠けているのは学校も同じですよ。塾も、通学合宿も評価の対象にはなっていません。逆に、「(塾なんかに)行きよるから授業中に眠くなるとたい」、という叱責が象徴しているように、学校は自己中心的にしかものを見ていません。子どもたちの学力が上がったとしても、指導法が改善したからとか、宿題の出し方が良くなったからとか、校長のマネジメントが良くなったからということで、「見えない学力」の意義は全然顧みられていません。子どもの成績こそ総合的に見なければいけないのに、学校は自分たちのやっていることだけしか見えないのです。

大島:学校は、現状診断が適切にできていないということですよね。だから、社会が感じる必要課題と学校が感じる必要課題は違うということになり、対処法も自ずと違ってきます。学校外での対処は自分たちには関係ないと思っているのだと思います。

三浦:「学社連携」問題の本質は学校ではなく、学校教育行政ですよ。森本教育長の施策はその証明です。文科省行政が抜本的な「学社連携」改革をやったら、学校はあっという間に変わるのです。政治や行政の姿勢が変われば、学校は変わらざるを得ないのです。

古市:法的な制度化・施策化が必要なのですね。それを提言する時期はきているような気がします。

益田:実態は、学校に対する期待が大きすぎるのではないでしょうか?
家庭や地域の教育力の低下が指摘される中で、学校に対する期待だけがどんどん大きくなっているのも事実だと思います。先ほどから皆さんが論じた学校教育の目標が、日本の場合は心や人格まで育てなくてはいけないというところまできています。何もかも学校に押しつけているから、学校は、何もかも背負わなくてはならなくなっているのです。

大島:学校への過剰期待と過剰要求こそ問題であるということでしょうか。

益田:現状はそうです。学校の先生は子どもたちの日常の生活指導に追われ、勤務時間外も多くの先生が遅くまで学校にいます。先生方の多くが子どもに関するあらゆることを知っておかねばならないと必死で思っているのです。私も学校現場にいるときはそう思っていました。子どもが外で何か問題を起こしたら、私たち学校の先生が一番に行くのだと。親に話し、地域に話し、問題解決するのは私たち教師の責任だと思っていました。そのように教えられてきたと思います。教師はそうあるべきだと。

森本:それも確かだと言えます。また一方で教職員は外部と関わることを回避してきたというところもあるのではないでしょうか。

益田:森本前教育長は学校と社会教育の分業をある線で明確に仕切りました。そうした配慮を前提にすれば、状況は変わると思います。
子どもの発達や成長を総合的に考えたら、学校は外部のすべての要求と期待に応える必要があるのかどうかと、私は社会教育総合センターにきて強く思い始めました。学校が負うべき責任は、子どもの学力と基本的な社会規範だと強く感じるようになりました。現在、学校に期待されているそれ以外の役割は他に任せて、学校はスリム化するべきではないでしょうか。だからこそ、社会教育との連携が重要になるのだと思います。
社会教育が引き受けるものを明確に提示しない限り、「学社連携」は学校の先生方に理解してはもらえません。先生方は夜遅くまで残ってがんばっているのに、これ以上地域と連携しろとまで言うのかと思うでしょう。
だから、逆に、学校の先生方に理解してもらえるアウトソーシングの代替案を提示できれば、抜本的なシステム改革を提案するチャンスは十分にあると思います。

古市:学校への期待があまりにも集中してきているというのは、皆さん感じていると思います。解決案の一つは今出たように、学校機能の一部を外部化したらいいのではないか、ということがあります。外部化できるところは外部化して、先生方が教育に集中できるような体制を作るということは必要でないかと私自身も感じています。

正平:外部化というときに、それを進めていく型や想定される効果を示さないといけないですね。外部化の原理原則が大事だと思います。

大島:学校に責任感があって情熱があって長い時間をかけても、必ずしも子どもたちがよくなるというわけではないですよね。外部化も同じではないでしょうか。私は飯塚市の八木山小学校や壱岐市の霞翠小学校のように、短期間に子どもたちが劇的に変わった事例を見てきました。同じ時間の中でも、やり方次第で子どもたちは濃密な体験ができるのだということが分かります。学校教育も、外部化する事業もそこのところをどう作り出していくのかという視点と戦略が大切だと思います。

正平:私が実際にやってみて、これはよかったなと思う外部化体験の例がひとつあります。それは一人の熱意ある学級担任の決断から始まった取り組みですが、かつて庄内小学校では、修学旅行に行く前に、子どもたちにバスの中で歌う歌集の作成作業やその他の事前学習の時間が確保できず、止むにやまれず修学旅行準備のため、学級丸ごと一週間生活体験学校で合宿させたのです。
テーマは、「6年生の長崎修学旅行を成功させる」としました。歌集を作るだけでも、選曲して、印刷して、切って、綴じてと、ものすごく時間がかかるわけです。それを1週間の合宿でずっとやったわけです。学級担任には、決してお泊りいただかないように、様子を見ていただく分はいいですが、5時以降は全部生活体験学校でやりますから、といって徹底的に1週間を事前準備に当てたあとで修学旅行に行きました。修学旅行は大成功でした。1週間もまくら投げした後に、旅館に行ってまくら投げをするような子はいませんからね。今、振り返っても貴重な取り組みだったと思います。私の大学で、他人と寝泊まりした経験のある学生は修学旅行以外何もないというのが実態です。他人と寝泊まりするのは修学旅行が初めてだという多数の子どもを預かって引率すれば問題が起こるのは当然です。修学旅行の目的を達成するために必要な集団行動の様式も規律もまるで身についていないような子どもを、修学旅行に連れて行くわけですから、学校の教員が疲れ果てるのも当然です。外部化とか連携という時の内容と方法は具体的な課題について一つ一つ子どもにどんな体験が必要かという視点で方法と中身を検証していかなければならないと思います。

大島:連携効果の検証ができて初めて、必要であれば地域の力を活用したり、少年自然の家などの長期の宿泊体験プログラムを活用したり、社会教育との連携が可能になるということですね。
先ほどの森本さんのご指摘は、学校教育はもとより社会教育も連携の効果測定や機能証明は手薄であったということですね。

V 教育機能を外部化する際の前提条件

黒田:外部化には本体と委託先とのバランスの問題があるのではないでしょうか。いくつかの公民館の指定管理状況を見たのですが、すごく頑張っていて驚きました。中には、教育行政が直営でやっていた時より中身が充実しているところがありました。そこでは、指定管理を受けた職員たちが、横の連携を取りながら一緒に学習会をやるなど、切磋琢磨しながら頑張っていました。しかし、それに反比例するかのように、教育行政本体の力が落ちてきているのではないかと感じました。人員は削減され、公民館との協力や連携はだんだんと弱くなってきていました。外部化することの、本当の難しさを感じました。どの部分をなぜ外部化するのか、外部化効果はどう評価するのかなど全体のシステムをきちんと考えないと危険だと感じました。

三浦:企業は、アウトソーシングという言葉だけを単独で使いませんね。必ず、「戦略的」アウトソーシングというように使いますね。だから、どんな目標があって、プラスの部分はどのように企業に戻ってくるのか。要するに、委託するところの方が専門的なスキルが高い、委託することによって経費が節減できる、委託することによって自分の本来の業務に専念できる、そういう明確な「戦略」がなくてアウトソーシングするということはあり得ないのです。しかし、「生涯学習発想」に依拠して社会教育を考えたのでは戦略性など立つわけがないのです。

森本:飯塚市でも図書館を指定管理にしています。職員は変わりませんが、トップだけが何人か変わりました。それでも、以前よりはサービスが良くなっています。だから評判も悪くないのです。ただ、結果を聞きながら多くの人が喜んで来るような図書館を作ればいいのかという課題はもっています。公民館の場合はどうでしょうか?お客さんがたくさん来るだけでいいのでしょうか?社会教育施設の場合、アウトソーシングをして何をするか、が問題です。地域の課題解決に役立つかなどの視点は捨てられないと思います。利用率だけを高めていくことが戦略になっても意味があるだろうかと思いました。

三浦:産業構造が変わり地域が変わり家庭が変わり、結果的に子どもが変わり、多くの高齢者は行き場さえ失っています。社会的条件も、私たちの暮らしのスタイルも変わっているのに、そこから発生する問題にアウトソーシングで対応できますか、という問いを発しないで外部委託はできないと思います。今議論している戦略性とは、学校や社会教育が掲げる目的を効果的かつ迅速かつ経済的に解決できるか否かを検証せよという意味だと思います。

関 :自分が見聞している行政は、お金の削減のことばかりが関心事で、事業の成果や地域がどう変わったかという視点は持っていません。私の知っているところでも、公民館が一つ、指定管理から市の直営に戻されました。お金が安いというだけで外部委託したものだから公民館として機能しなくなったということです。私の地域でも、いくつかの公民館については館長が地域と結びついて活動の企画をしているので非常に活発なのですが、残りは人集めの講座や貸し館機能を中心にやっているので、公民館機能の地域間格差がますます大きくなっています。

森本:だからこそ、社会教育課や生涯学習課の職員の力量が問われていくと思います。福岡県立社会教育総合センターで、今後どのような講座がもたれていくのか、県行政は何をするのかなど人材育成が鍵になることは間違いないと思います。大島-赤田論文が提起したのは問題解決力を育てるということだと読みましたがいかがでしょうか。

鴻上:市民の信託を受けた存在としての地方自治をめざしていくという原点に立って考えると、市民に対してどのようなスタンスで向かっていかなければならないのかが自ずと決まってくると思います。
従来の行政依存体質は明らかに限界に来ています。市民自身の問題解決能力が問われる時代が来ていると思いますが、誰がそれを育てるのでしょうか。
社会教育の機能を復活させる意義はそこにあるのではないでしょうか。
先ほどは学校に対する過剰期待の指摘がありましたが、一方で保護者が学校を軽視していることも事実です。
教師たちがよかれと思ってやったことが評価されず、疲労感に打ちのめされ、多忙感だけが残ってしまう実態もあります。
学校に対する地域の信頼感を高めていくためには、教師の力量を高めることが基本だとは思いますが、社会教育とのそれこそ戦略的連携が可能になれば、地域や保護者の見方も変わって来るはずです。校長のマネジメントについても、特色ある学校づくりについても、地域や保護者の協力を得るという点でも、社会教育と互恵的な連携が組めれば、両者にとって望ましい状況を作り出すことができるのではないでしょうか。

古市:問題は連携や外部化をどう制度化するかになりますね。個別の成功事例もモデルシステムもありますが、それらを連携や外部化の視点から制度化するところまではまだいっていません。森本さんが試みられた飯塚市のように、学校の中に公民館を併設するなどして社会教育と一体となって運営する仕組みなどが制度化されれば、学校はまちづくりの大きな拠点になり得ると思います。

Ⅵ タテ割り分業の壁-教育事業の連携と協働と評価

大島:後半は司会が交替します。前半では主として「生涯学習概念」の功罪について論じました。後半は各論に踏み込んで「未来が必要とする実践」の中身と方法について論じていただきたいと思います。すでに基本方向は前半の討議の中で確認されました。
その第1は、社会教育は「社会の必要」を正確に「診断」し、効果的な「処方」を提起しなければ役割を果たしたことにはならないという指摘がありました。
第2に、「診断と処方」を実施するにあたって「タテ割り行政の壁」があるという指摘がありました。
第3に、社会教育行政は人々の生涯学習を指導・監督しないと決めている以上、何らかの具体的な誘導施策が有効ではないかという提案もありました。
第4に、「社会の必要」に対応せよと言いながら、社会教育事業は評価と検証を行なっていないという反省も出されました。
第5に、青少年の育成一つをとってもこれまでの行政施策に明確なビジョンと実践の意思がなかったという批判も出ました。
第6に、社会教育の視点からも、学校教育の視点からも「未来の学校」の議論が抜け落ちているという指摘が出ました。

 後半はますます自由に、KJ法を行うようなつもりで、いろいろな視点で意見や構想を出して頂きたいと思います。

鴻上:三浦論文が指摘したように、学童保育で話題に上がった、福祉行政と教育行政の分業の弊害についてですが、学校からの相談や情報提供が子どもの保護に活用されていないケースをよく聞きます。児童虐待とかネグレクトの情報はいち早く学校の耳に入ります。当然、学校は民生委員や家庭教育相談員に連絡します。そして、「実際に傷跡とかあざとかありますのでくれぐれもよろしくお願いします」と連絡するのですが、多くは「教育指導」も「保護の処置」も取られないで止まってしまいます。
学校側として問題があることが分かっているのに何もできない無力感を感じます。教育機能を福祉行政の中に生かすことができれば、そうした保護者は先に論じられた「患者相当者」ですから、集中的に教育相談や、家庭教育のトレーニングをするといったことができるのではないでしょうか。

大島:「患者相当者」とおっしゃいましたが、虐待やネグレクトも医療のいう「予防」と「治療」の2段階があるだろうというお考えですね。

三浦:永渕さんが指摘したように原因から結果に至る「時間」感覚が医療とはだいぶ違うけれども、「教育的予防」と「教育的治療」という段階の区別は成り立つと思います。たとえばですが、子どもの「欠損体験」の自覚は予防につながり、その教育的補完は治療に相当すると思います。

森本:児童相談所は県立県営の機関ですが、何もないときに個々の家庭に介入することはできません。裏を返せば、「予防」は学校ができる事なのです。学校は保護者の最も近いところにいるのですから、やろうと思えば親と話ができます。しかし、今のお話のように、学校は報告と情報提供だけして事が終わったような気になっているのです。問題が多発して来たのでこれからは学校の中に専門的に対応できる人を配置していく必要があると思います。「未来の学校」には社会教育主事のような、地域問題に対処する専門性のある人を学校に配置し、学校の先生たちの手が届かないところの隙間を埋めるようにしていくシステムが問われているのではないでしょうか?しかし、専門分化は「たこつぼ」化や「縄張り」化が怖いですね。必ず任せっきりになってしまうのですよ。

黒田:スクール・ソーシャルワーカーをモデル的に配置された校長先生にお聞きしたのですが、一番大切にしているのはケース会議だといわれました。ケース会議で配置されているソーシャルワーカー、スクール・カウンセラー、学級担任それ以外に多くの教職員に入ってもらう。そのケース会議は非常に役に立っているというお話でした。学校の組織的対応を事前に規定しておけば森本さんのご心配も少しは対処できるのではないでしょうか?

三浦:新たな予算を伴う話は実現までの時間がかかり過ぎますよ。
問題の核心は学校の意識と意志ではないでしょうか?企業のいう「プロジェクト別委員会」を作れれば現状でもある程度の対応はできるはずです。学校が提起して、担当機関間の連携とか協力が可能になれば、「児童問題特別委員会」をつくり、児童委員や民生委員や相談所の職員や学校の先生がメンバーになる事はできるはずです。しかし、学校は作ろうとは思ってないし、教育行政には予想される虐待問題に対処して学校を動かすシステムもないのではないでしょうか。
「未来の学校」は、学校外で起こりうる問題に対処する意志をもつか否か、が問われるのです。意志のないところに連携も協働もあり得ないと思います。古市論文、中川論文が分析していますが、島根県雲南市では学校に「地域教育コーディネーター」を配置して「協働対応システム」の効果を上げていると指摘しています。複合的課題には組織を挙げて対処するぞ、という教育行政の意志を明確にする必要があるのではないでしょうか。

大島:学校が話題になりましたが、複合的な事業は、目的に応じて領域を超えたプロジェクトチームが組めるかどうかが重要だということだと思います。予防に当たるのは、「学校」か福祉システムか」という議論になりがちですが、「社会の必要」に対する視点・発想・姿勢こそが第一関門だということですね。

森本:その通りですが、まず学校は何ができるかという発想が欲しいですね。

三浦:学校以上に、政策決定を下すトップに総合的なアプローチをしようとする姿勢がないとどの機関も動きが取れないと思います。

鴻上:黒田さんの紹介した事例は校長先生が広く社会を経験した社会教育のご出身だったということが重要な気がします。おそらく上部機関も校長先生の動きを承認・奨励しているのだと思います。

大島:それにしても学校は校長先生次第ですよね。校長先生だから地域にも、家庭にも話ができてそこからプロジェクトが動いていく。

森本:重要なのは、人とシステムの両方が問題解決のために動くということだと思います。

Ⅶ 鍛錬教育の欠落

永渕:学校が「治療」にどの程度参加すべきか、という問題も重要だと思いますが、学校本来の仕事で最も欠けているのは子どもの基本的トレーニングができていないということではないでしょうか。

三浦:鹿児島のヨコミネ式幼児教育を見学に行ったのでしたね。

永渕:百聞は一見に如かず、です。幼児期の鍛錬の成果はすごいですよ。

正平:生活体験学校に関わって以来の持論ですが、近年の子どもにもっとも欠けているのは、勤労体験と困難に耐えるということですよ。学校は多様なカリキュラムを組むことができますが、自分のためはもとより、人のために働くことを教えて来ただろうかと思います。

大島:生活体験学校に来る子どもを見るとそれがわかるということですね。

正平:それこそ百聞は一見に如かず、ですよ。教えなければ、子どもは何もできない「烏合の衆」です。

森本:飯塚市は「2分の1成人式」を小学校に導入しました。10歳までが勝負だと判断したから「10歳までの子育て講座」も開講しました。三浦さんのいう「させる、教える、練習させる」という教育の3原則を学校と家庭の両方で同時進行させなければトレーニングはできませんね。

大島:学校は今でも手いっぱいですから、それこそ社会教育の出番ではないのですか。

森本:学校と組まない限り今の社会教育で少年の「鍛錬プログラム」は無理でしょう。

三浦:「生活体験学校」だったらできるのですが、これも学校と組まない限り「選択制」になりますから、「来る子」と「来ない子」に分かれて全体のレベルアップにはならないと思います。

永渕:古市さんが言ったように、学校に予算を付けて必修にすればできるのではないでしょうか。

大島:正平さんが「鬼」の役を引き受けていたから、「生活体験学校」の厳しいプログラムが成立していたので、「鬼」のいない現代の学校に必修の「鍛錬」プログラムが成立するでしょうか。

三浦:幼児期から始めればできると思います。私が調べた限りでは、ヨコミネ式には必ずしも「鬼」はいないですよ。「できないこと」が「できるようになる」というカール・ビューラーの「機能快」に着目して、先生方の「承認」と「賞賛」を組み合わせているのだと思います。規範の「枠」が成立していれば、必ずしも「鬼」は必要ではないのです。日本人が重んじた「家風」などという発想がそれです。

赤田:昔自分たちが鍛錬を受けたようにはできなくても学校と保護者が合意すれば、今の学校でもかなりのことができると思います。それこそ「校風」を創るということです。

永渕:福岡県古賀市の青柳小学校や長崎県壱岐市の霞翠小学校などの実践は現代の小学校でも「できる」ということを証明していると思います。

三浦:「できる」とは思いますが、時間とエネルギーを最少限にするためには、森本さんのいう「10歳までの子育て」を幼小連携、保小連携で進めることだと思います。その時初めて、生活体験学校やヨコミネ式のようなモデルも生きると思います。

正平:子どもの言うことに振り回されて、その欲求に応えてやることが教育だ、などという考え方の下では何を言っても実行は難しいですね。たとえ、地味でも、一握りの子どもであっても勤労、困難、集団、共同を核とした「生活体験学校」のプログラムを通った子どもは世間に出しても大丈夫だということを証明したいものです。

大島:課題は「児童中心主義」の教育思想ですね。私も宿題をするつもりで学生時代の教科書を読み返してみましたが、子どもの主体性、子どもの自主性が教育論の中心を成していました。問題は指導者が何を選んでどう指導するか、になりますね。先生方が子どもの「自主性」と「鍛錬」を両立させてお考えになるかどうか、が分かれ道になると思います。

三浦:戦後教育を支えて来た「児童中心」の理念を批判し、一部は否定することになりますから、幼少年期に「鍛錬」プログラムを導入するという提案は最も難しい未来の教育課題だと思います。

Ⅷ 総合化プロジェクトの重要性

永渕:基本のトレーニングが不足しているから子どもが総じて弱く、不適応の問題の頻発につながっていると理解しています。その時、先ほどからのお話はすでに現状の家庭教育の問題は、専門家といえども「個人的対応」では限界があるという事ではないでしょうか?黒田論文が取り上げた佐賀県の谷口氏が実践しているスチューデント・サポート・フェイス(以下SSF)のように、総合的なチームサポートが不可欠な時代になっていると思います。SSFの特性は、相談対応者がクライアントの来訪を待たないで、こちらから出かけて行く「アウトリーチ」方式、さまざまな分野の専門家を組み合わせた「チーム対応方式」で成果を積み上げて来ました。心理学から法律や生活保護まで複合的な専門プロジェクトでなければ、機能しないことを知っているわけです。
1つの学校でそうしたチームを持つことは不可能ではないでしょうか。だから、地域にSSFのような対応組織が1つでもあれば、先生方もずいぶん連携して楽になり、効果もあるのではないでしょうか?
なぜそうしたアプローチがとれないのでしょうか。

三浦:黒田さんが未来に提案しているのはまさにその点です。SSFの谷口さんがやろうとしていることは、複合問題に対応するには複合的プロジェクトをつくることしかないということです。企業だったら専門家を糾合して「問題解決プロジェクト」をつくるでしょう。学校が閉鎖組織の典型ですが、教育とか福祉とか分業化された自己完結型の行政もまた閉鎖組織なのだと思います。閉鎖組織には外部機関との連携や協力の意識が発生せず、協働の発想が湧かないのです。

大島:複合的問題を協力して解決しようという発想がなければ、つなぐことも、補うことも、機能のネットワークをつくることもできないということだと思いますが、閉鎖組織の典型とまで言われた「未来の学校」はどうすればいいのでしょうか。

森本:残念ですがSSFのような方式を歓迎するような発想は学校にはないでしょうね。鴻上さんの報告にあったように、既存の組織に依存して報告するところにとどまるのです。

関 :教育長とか教育委員会とか校長先生のシステムを動かす人々のマネジメント力がつくづく大事だと思います。先ほどから言われているSSFは不登校対応でも引きこもり対応でも事実すごい成果を上げています。しかし、行政にいる多くの人にとって、彼らは「うさんくさい人たち」であって、「おいしいとこだけを持っていく人たち」と思われているので関係者のSSFに対する評価も非常に低いのです。実績と成果を目の当たりにした個々の先生方の評価は高いのですが、行政が認知しませんから、永渕さんのいう組織的力が発揮できないのです。トップの評価判断や指導力が浸透していないのです。
(*2010年11月、SSFの活動が評価され、総理大臣表彰を受けました。)

Ⅸ 評価をシステム化していない行政

三浦:原理的には簡単な問題ですよね。通常の教育相談事業やカウンセリングと比較して、クライアントの社会への「復帰率」とか、問題の「解決率」を見れば相談効果も「費用対効果」も歴然としています。それを認めようとしない行政の仕組みこそが問題なのです。

森本:上層部が広く目配りして、評価してやらないといけない問題なのですが、必ずしも評価できていませんね。

大島:実績も効果も上げているのに、正当に評価されていないということは、評価結

果の伝え方に問題があるということでは
ないのでしょうか。

関 :一例ですが、SSFの対象の子どもたちは夜中に起きているのです。注目に値する仕事だと思うのですが、SSFは彼らに各種のサイトを見てもらい、青少年に被害や悪影響を及ぼすようなものを全部調査してもらって警察や役所に報告しました。
効果は抜群でした。非常にいい取り組みだったのですが、予算がなくなりプログラムは中断してしまいました。
SSFの成果がメディアに紹介されると、行政の受けとめ方は「俺たちもやったはずなのに」という風になってしまうのです。
「やったか、どうか」ではなくて、「効果を上げたか、どうか」の問題であるはずなのに、子どもの側に立った評価や効果測定の視点が存在しないのです。

森本:申し訳ありません。行政が外野の「手柄」を認めたがらないという話ですね。(笑い)

大島:大会30年の歴史を見ても、いいモデルがあるのに広がらないとか、優れた実践が先例をつくったのだからもっと活用すればと思うのですが、実際には広がりもなく、活用もされていませんね。

永渕:トップの勉強不足や意欲が足りないということはないのでしょうか。

関:間違いなくあると思います。

三浦:飯塚市がある程度変わったのは、森本前教育長が評価や効果測定の視点を示して診断や処方の実施を指示されたからですよ。企業だったら、効果が上がると分かったらトップの指示で必ず実行するでしょう。予算も人間も増やしますよね。迅速な対応措置がとれなければ株主総会をクリアできないでしょう。株主総会に当たるものは議会のはずですが、そこに評価がなかったら前に進みませんね。
外部評価の論理が行政や学校には働かないのです。当時の市長が「株式会社飯塚市」を作るとおっしゃったスローガンは効果測定を徹底するという意味だと思ったのですがね。企業と行政の違いでしょうか。

大島:やってもやらなくても明確な評価がなく、どういうことをやっても給料とか組織の存続には関係がないという仕組みの宿命でしょうか。

黒田:公共の仕事というのは自分の力量の範囲内で考えてしまうので、診断は自分たちでします。外部に任せるとしても、処方の部分だけを任せます。本当の意味での協働の仕組みを開拓していく気持ちは私自身も含めて、反省の念を込めてですが、少ないなあと思います。自分たちの能力の範囲内でしか事業のレベルは決められません。自分たちの能力の範囲内で決めたことの一部だけを委託するというやり方に限界があるのだと思います。

X 家庭の危機と「育児と教育」機能の社会化

正平:問題が発生するたびに、対処する人を配置していくという解決法は嘘っぽい気がしますね。まずは現状の仕組みの中で最善の努力をするという発想がないのではないでしょうか。学校カウンセラーも、ソーシャルワーカーも、その方たちの仕事を作ってあげているという意味では意義があると思いますが、多くの問題の根底にあるものは「相談の必要性」などではなく、問題の根源に対応することです。相談で問題の解決ができるのか、相談の教育効果は高いのか、その「立証」が問われているのです。
鴻上さんが紹介した事例とは違うのですが、親が子どもを放棄して逃げ出していたことがありました。自分たちだけでは生活できないような小学生が何日も自分たちだけで暮らしていたのです。家に行った担任は腰が抜けるほどびっくりしました。直ちに社会福祉協議会に連絡をとり、家庭サービスのヘルパーと民生委員に行ってもらって家の中を片づけてご飯が食べられるように家の中を整えました。子どもが何かおかしいということに担任が気づいたこと、そして機敏に動いた担任教師が窮地におちいった子どもを救った事例です。
別の事例でも、置き去りにされた子どもたちをとりあえず生活体験学校に連れてきて、定型外臨時の3泊4日の通学合宿を実施し、福祉事務所に連絡をして対処しました。生活体験学校が存在したことも幸運でしたが、生活体験学校の歴史の中で、予想だにしなかった「番外の通学合宿」でした。
事件が起きてから福祉施設に行くまでの間、子どもの暮らしはどのようにすれば守れるのか。地域にはその仕組みと手立てがないのです。子どものための施設はたくさんありますが、そこで暮らせる居住性のある施設はまずないでしょう。そういう意味では生活体験学校は通学合宿だけをする施設ではないのです。

大島:鴻上さんからは事件が起こることが分かっているのに対処できない、正平さんからは事件が起こった時に対応する仕組みや条件が整っていないというご指摘がありました。
根本は子どもをちゃんと育てていくにはどうしたらいいのかということでしょう。家庭教育の問題を抜きにすることはできないと思います。

正平:事件対処も、子育て支援も、システムの問題もさることながら、親に影響力のある人を見つけてきて、その人を介して働きかけるというやり方でないと何も動きません。

大島:ご提案は、ある意味、家庭だけの力では対応できないということですね。現代の育児は、「子育ての社会化」というところに行き着くと思います。先ほどの生活体験学校の例も、親ができないことを社会がカバーしたということだったと思います。総論的には、子育て支援・母親支援のシステムを地域にどう創るかという問題につながって来ると思うのですが・・・。

三浦:その通りだと思います。生活体験学校の事件をお聞きしてますます地域の教育と福祉の事業は一緒にならざるを得ないと思います。森本さんが旧穂波町でなさった「子どもマナビ塾」、私が旧豊津町で企画した「豊津寺子屋」も、地域の人材を活用しました。自分の子どもが世話になっている以上、親は地域の人々と向き合わざるを得ないのです。しかも、保育と教育を同時並行的に提供して子どもを鍛えようとする発想は、いつでも教育と福祉を統合する思想的根拠になり得るのです。だから、「子育ての社会化」というのは「保教育」原理で支援の仕組みを統合しなければならないのです。幼児期からの養育を社会化して保護者が安心して働ける「保教育」の環境を整えれば、皆さんが安心して子どもを産めるようになり「少子化」も防止できます。「女性の社会参画」も進みます。「生産人口の減少」を補うこともできるのです。

永渕:どちらも企業で言えばいわゆるベンチャー事業で、結果は十分成功したのですが、行政の仕組みには反映しなかったですね。森本さんはどうお考えになるか分かりませんが、そういう意味で行政には連携・協力の発想が希薄なだけでなく、「ベンチャー」の思想もないと思います。あれだけ成果を上げているSSFの相談事業を評価しないのも「ベンチャー発想の欠如」の故だと思います。

XI まちづくりのシステムをどう作るか

森本:協働の仕組みの作り方に工夫が必要な
  のかなと思います。
最近、飯塚市の高田小学校はコミュニティ・スクールの委託を受けているのですが、地域の自治会長がコミュニティ・スクールの運営協議会のメンバーに入って下さったそうです。自治会長が常に学校に来てくださり、「俺たちは学校のために何したらいいのか」と言ってくれるそうです。
自治会長自身が支援を申し出ているということは、それだけでもうこれまでとは違う仕組みですよね。
「未来の学校」を発想していく上で学校を地域の中心に置く事は極めて大事だと思います。今、コミュニティ・スクールは全国で629校と言われています。福岡県春日市の発表では地域と組めば学校の先生は結果的に楽になると言っています。最初1~2年は担当係が忙しいが、その後ものすごく楽になるそうです。

三浦:高田小はコミュニティスクール・プロジェクトを受けることで、「まちづくり」を意識しているでしょうか。

森本:「まちづくり」をめざしたからかどうかはわかりませんが、高田小学校が中心になって地域づくりが進んでいることは間違いないと思います。

大島:学校が地域づくりの中心になり得るとしても、地域の課題に応えるためにはますます社会教育との連携が重要になるということではないでしょうか。

森本:私の言いたいことはまさしくそういうことです。高田地区というのはもともと協力的な地域です。しかし、「学社連携」が大事であると言ったとしても、学校が動かなければ地域も動けないわけです。だから学校が地域づくりのキーパーソンになるということなのです。社会教育は果たしてそのことを意識しているでしょうか。

大島:「学校支援地域本部」事業が典型ですが、地域の人が学校のために一生懸命やるという仕組みは各地にできつつありますが、逆に、学校が地域のために何かできるようになるのでしょうか。地域の人が学校のために動けば、先生方が楽になり、それが地域づくりにつながるだろうということは総論として分かりますが、今まで議論になってきたような具体的な子どもの課題、地域課題に組織的に取り組めるようになるでしょうか。

森本:学校が仕掛けて地域が学校のために動いてくれることはできると思います。しかし、学校が地域のために動くというのは難しいですね。難しいけれども、裏を返せば、それこそが「未来の学校」の課題だと言えないでしょうか。社会教育との連携を実現して、地域課題に取り組む仕組みを作らなければならないということです。今のところ学校の方は全く意識していないでしょう。地域の人もそこまでは期待していないかも知れません。しかし、民間の力を活用する「新しい公共」という発想も、地方では学校が中心になる仕組みが有効なのです。学校経営はもとより「学社連携」の方向を考え直す時期に来ているのです。現在、学校の動きとは、管理職が会議に出席する程度でまだまだ具体的連携は難しい状況です。

永渕:経済同友会から出された「合校」(*1)の発想が有効になるのではないでしょうか。益田さんが指摘したように学校の役割を学力育成に特化してそれ以外の教育課題は社会教育とか地域で対処していくという考え方だと思います。コミュニティ・スクールの発想とも多くの点で重なっているのではないでしょうか。
「学社連携」の戦略は「合校」構想に集約されると思います。社会教育の出番も福祉行政との連携も「合校委員会」(仮)で提案できるのではないですか。それができればSSFみたいな民間の組織とも新しい提携ができるようになると思うのですが・・・。

(*)「合校」については、記念誌森本論文の(*1)を参照

益田:いつかそういう未来が来るかも知れませんが、現状で一気にできる事ではないですね。

正平:学校が地域にできることの第1は、三浦さんがいつも言われるように、あの広大な敷地と広大な校舎、たくさんの教室など学校の物理的教育資源をいかに地域に使ってもらうか、ということですよ。地域との良好な関係はそこから始まると思います。
神戸市の学校公園構想が日本で初めて本格的な学校の地域開放を行った事例だと思いますが、その小学校を見せて頂きました。また、京都駅の近くの陶化(とうか)小学校では小学校の教室を校区の社会福祉協議会の会議に使っていました。学校資源の地域開放こそが学校が地域のためにあるということの証明になるのですよ。

三浦:学校は「ハード」の教育資源を占有していますから、その開放は間違いなく学校の地域貢献の第1歩ですね。飯塚市の「子どもマナビ塾」や「高齢者マナビ塾」は、ハードの資源に加えて教育機能も開放したわけですからさらにすごいことだと注目しています。

森本:学校が地域を変えることができるか否かは、成果次第ですね。三浦さんが前に関わられた壱岐の霞翠小学校の場合も、学校の努力の成果が出て、子どもたちの変化に触発された地域や保護者が動くんですね。

永渕:それは頑張らない学校は地域を変えら
  れない、と言っていいのでしょうか。

森本:一般論で言えばそうなります。学校が子どもを変えない限り地域は動きません。どんなことでもいいのです。学力でも体力でも地域の皆さんに見えるものを変えていくことを管理職が仕掛けて結果を出せば、風が吹くのです。そうすれば学校に何かあったときに地域が味方になってくれるのです。自治会長も「誰が言いよるとな」、「何があるとな」と言ってくれるのです。そういう風が吹き出したら、誰も何も言えないですよ。その時初めて学校は子どもを中心とした地域づくりに絡んでいくことができるのです。

三浦:学校が鍵になるのに、学校はもとより社会教育も必ずしも意識していないというところが難しいところですね。

永渕:ますます教育行政のリーダーシップが重要になるということでしょうか。

三浦:その通りだと思います。

大島:高田小学校地区も、壱岐の旧勝本町も昔ながらの雰囲気と制度がまだ残っているところですよね。都市化が進んですでに共同体が崩壊しているところはどうすればいいのでしょうか。「未来の学校」の条件も異なると思いますが・・。

三浦:そういう地域こそNPOやボランティアと組んで永渕さんが指摘した「合校」構想が有効になるのではないでしょうか。それは現在の自治会や町内会制度に乗っかることとは全く違うことだと思います。
新しい協力集団を発掘するということは一校長の判断でできることではありません。教育長や首長からの提案や指示が決定的に重要になります。「未来の学校」の「進化論」でいえば、高田小学校の事例は「共同体時代」の学校づくりで、学校の中に「子どもマナビ塾」や「熟年者マナビ塾」を同居させたまちづくりは「共同体衰退後」の方法だと思います。両者を同列に論じることはできないのではないでしょうか。

森本:認めたくないのですが、地域が崩壊している、あるいは崩壊しつつある現実は確かですね。
子ども会を始め地域組織が機能しなくなっている以上、全体としてはやはり市民の有志を集めて、新しい組織を作ってやっていく形になるのだと思います。その時、学校を核とした「学社連携」が最も有効であると考えるようになったのです。

大島:学校も行政も地域共同体が衰退傾向にあることが分かっていても、学校も社会教育も既存の組織や仕組みに依存して何とか効果を上げようとしているということだと思います。高田小学校はたまたま共同体型の条件が残っていたということで、同じ手法は他の地区には使えないですね。学校と地域の関係を新しく作り出すために意図的に何か仕掛けるということとは全然違いますね。

正平:モデル事業を論じるにしても、「未来の必要」を提起するにしても、どこにでも当てはまるような理論としくみを発想しないとだめですね。

XII 「子どもの縁」を活用したまちづくり

森本:小学校をベースにして学校を地域に関わらせ、そこから新しいコミュニティの関係を作っていくことが絶対重要だと思っています。「子どもの縁」は強いですよ。子どもたちをベースにして学校と地域が協力して新しい組織づくりを行うことが大事です。小学校の後はそれぞれの進路も考え方も多様化してしまうので、地域と学校が一緒にというのは難しくなるのです。

大島:有志が集まるというのは、何か共通のテーマがあって集まるのですよね。より多くの人が意義を感じて力を結集できるのが「子どものために」というテーマでしょうか・・・。

森本:そういうことです。受益者負担でも旧穂波町の「子どもマナビ塾」が成立し、学校が施設を開放し、子どもの安全に一役買うとまで宣言したのは、目標が「子どものため」だったからだと思います。

三浦:「豊津寺子屋」も同じ背景があったと思います。「子宝の風土」にとって、「子どものため」というスローガンは誰にも異議を唱えさせない文化的価値に支えられているのだと思います。学校はなぜその価値や感情を逆手に取って地域に出ないのでしょうね。

森本:子どもをベースにして新しい組織を作っていく視点は非常に重要だと思います。だから高齢者の活動・活躍の出番を用意するための事業でも、やり方の原点は「高齢者のため」ではなく、「子どものため」ですよ。「子どものため」を看板にして、地域の中に子ども支援・子育て支援の機会をどれだけ作れるかが勝負です。子どもと地域を結ぶにも、子どもと高齢者をつなぐにも学校ははずせないと言いたいのです。

大島:子どもたちのためだったらということで人々が立ち上がる。

森本:子どもの出番があるような祭りは人が集まるのです。

三浦:「子どものため」を掲げて、「学校がやるんだったら」皆さんが賛成します。長い伝統の中でこの国の学校には求心力があるのですよ。

大島:学校はなぜそのことが十分に分かっていないのでしょうか。学校がやるんだったら・・・という人々の期待が・・・。

森本:そこに問題があるのです。教師がやるかどうかは別として、学校の看板を使えば、全員に参加させることができるのです。学校が噛んで、子どもがそれぞれの出番と役割のある活動をシステム化できれば、周りも、親も寄って来ます。もはや共同体が衰退した現在、地域の子ども会では難しいのです。

大島:学校は地域と協働して「子どもの出番」のあるシステムを作りなさいというご指摘ですね。

三浦:発想はその通りだと思います。しかし、学校の閉鎖的な現状を考え、学校に社会教育と組んで、地域との積極的な関わりを持ちなさいと中央教育行政が言ったことはないでしょう。それゆえ、ほとんどの学校は今まで通りでいいと思っているのですよ。中央行政に「学校の地域貢献」や「学社連携」の発想が欠如しているかぎり、森本教育長をもってしても学校の地域貢献を推進することは難しかったということです。

大島:そうなるとどこから手をつけたらいいのでしょうか?もちろん、皆さんの診断の通り、現状の子ども会は衰退の一途をたどると思います。子ども支援の活動には発達支援や鍛錬の思想が欠如しているだけでなく、子育て支援の発想も欠落しています。親の助けにはならず、子どもの変化も見られないでしょう。子ども会に限らず、子育て支援の発想を持たない「子ども支援事業」は、現在の保護者が当面している教育の必要から隔絶していると思います。子どもの必要と親のニーズに応えるのは何なのでしょうか。

三浦:学校や保育所以外で、親が一番必要不可欠としているのは学童保育です。だから、森本提案のように学校が動かないとすれば、政治が決断して行政のタテ割りを排し、学童保育の中に教育プログラムを入れることが第1歩です。それができれば、高齢者はもちろん地域の人たちの出番ができる。それが「放課後子ども教室」の発想だったはずです。しかし、学校が正式に噛んだ旧穂波町の「子どもマナビ塾」でさえ、放課後の教育と学童保育を統一できませんでした。
大会発表事例の中でかろうじてそれができたのは山口市阿知須の「井関元気塾」だけです。この30年で一例しかないのです。

大島:政治家は子育て支援や保育の充実が大事だと言いながら、現実の施策に視点が及んでいないですよね。実は、学童保育や保育の充実が優先的な社会的ニーズだと思ってない人がたくさんいます。男女共同参画が話題になると「女が家にいないと子どもはきちんと育たない」と言われる方が必ずいます。だからこれ以上保育を充実させたらますます「家にいる女性」が減るので困る、というのですね。思想の壁が施策の壁になっています。
幼保一元化の話が出ていますがどうな
  るでしょうか。

三浦:幼保だけが一元化しても学童保育に教育発想は入らないでしょうね。しかし、まずは幼保一元化ができれば「保育」の活動と「教育」の活動を融合できるのです。

大島:山口市の井関小学校の学童保育があれだけ子どもたちを変えて、校長先生もその成果を認めていながら、看板が「学童保育」なので子どもの全員が対象とはならない。他の学童保育にも広がらない。放課後子ども教室は実行できていない・・・。

関 :行政のあり方を変えないで、保育のシステムだけを改善するには限界があるのです。国や県の考え方を変えないと「保教育」というのは無理だと思います。

大島:「豊津寺子屋」は学童保育をも取り込んでいますね。

三浦:1~6年まで希望者全員を対象とし、補助金をもらっていないので制度上は学童保育ではありません。しかし、実質的な「学童保教育」ですよ。

関 :行政的には保教育の思想で再編成・統合ができれば行政経費も安くなるのです。私も依頼を受けて、知っている限りの情報を提供しました。しかし、トップもトップに近い人々も最後は下手に学童保育はいじりたくないと判断するのです。

三浦:看板は学童保育でいいんですよ。教育発想を入れて、高齢者の協力が得られるようにやり方さえ変えれば高齢者の居場所も、社会貢献も実現するのです。だから仕組みを柔軟に運用できればある程度の対応はできるのです。

大島:他の子どものことを考えても、全児童対象がいいですね。高齢者を活かしていく舞台にも成り得ます。
最近では学習の成果を社会に還元するということが課題になりました。「知の循環型社会」とか言っていますが、知の学びっ放しの状況で超高齢社会を乗り切ることはできないのではないでしょうか。

鴻上:その「学びっ放しの学習」ですら低下していますよ。内閣府の生涯学習の調査で「学習希望率」が低下しているのです。「生涯学習」を希望している人は、昭和63年度に50代で75%くらい、20年後の平成20年度には70代の人たちは50%で同世代の希望率が25ポイントも低下しています。「知の循環」の意気も上がらないのではないでしょうか。

大島:生涯学習の鮮度が落ちたと考えないといけないのでしょうか。ひょっとするとすでに自分で趣味の活動とかされている人が増えて、行政等が行なう既存の講座・教室には参加したいとは思わないのかも知れませんね。

XIII 社会参画の動機づけの不可欠性-「評価」と「予算化」

永渕:モチベーションというか学習の動機づけを強化する施策が必要ではないでしょうか。高齢者にとっても「褒美」のようなものが必要だと思います。運動して医療費の削減に貢献した人には何かメリットがあるような仕組みが必要だと思います。学習の成果を生かしてボランティアをしたり、年をとっても労働に関わったりしている人は「扶養される側」でなくなります。徳島の「葉っぱビジネス」で「やり甲斐」や「活力」を取り戻している高齢者を見れば、高齢者を社会的に評価・承認するプログラムは重要だと思います。

三浦:まさにその通りだと思います。その意味でボランティアに対する「費用弁償」は「弁償」にとどまらない、「貢献」に対する社会の感謝と承認の意味を持つのだと思います。

永渕:そういうことは教育行政が発想する生涯教育の中だけではやれないのではないでしょうか。従来の教育発想の範囲内で、地域全体に貢献できるプログラムは発想できるでしょうか。

森本:学校と社会教育が組めればいろいろできますよ。学習の部門と学習成果の還元部門とに分けて考えれば一気に広がります。
どのような形でも市民の地域貢献活動には、「褒美」とか「費用弁償」は大事だと思います。「奉仕」の伝統の中で、高齢者にも本音と建て前の問題があります。高齢者の人たちは「お金はもういらない」と言うけれど、お金を出すと「いや」とは言いません。ボランティア奉仕論の美辞麗句に縛られているのです。

三浦:職員一人分の給料が5百万円として、1回の費用弁償を5百円とすれば延べ1万人、千円とすれば5千人の地域ボランティアの費用弁償が可能になりますよ。

大島:ボランティアの費用弁償問題は行政の中で議論されているのでしょうか?

森本:意識は極めて希薄だと思います。

正平:生活体験学校を作って10年ぐらいの間、お金を受け取らないボランティアの方々のお金をすべて預かり、通帳管理し、子どもの食事などで特別なことを行うための費用として活用した時代があります。子どもから徴収したお金を補てんしたり、ボランティアの忘年会等を行う時の費用の一部にも利用しました。「費用弁償」を全くしない時には、お金が欲しいと思っている人は来なくなってしまう。

鴻上:SSFのように実績を上げているNPOやCSOの成果に対する評価を行政がしっかりやるべきだという指摘がありましたが、政治や行政が民間の実績をきちんと評価して、彼らの活動を支援するプログラムを予算化できれば、市民県民の見方がずいぶん変わってくると思われます。学習成果の社会還元についても事情は同じだと思います。評価と予算化をしないで「知の循環型社会」をめざすというのは無理ではないでしょうか。

大島:「知を循環させる」という提案をした行政こそ市民を代表する目をもって公金使用の社会的承認や評価を表に出すべきだと思いますね。

関 :NPOが育たないのも、そこから提案された優れた事業が社会的に広がって行かないのも、評価と予算化の視点が欠如しているからだと思います。

大島:評価システムができれば、官民を問わず、淘汰によって、残る事業と残らない事業が出て来るということですね。

関 :そういう認識は残念ですがないですね。

森本:行政はうまく行かない場合を想定するとなかなか一歩を踏み出すことができないのです。少なくとも今まで通りなら、効率は上がらなくても失敗はないということです。

大島:頑張っている所をどう支援するのか、どう育てるかということと成果をどういうふうに見てやるか、それらをどううまく活用するかということに関する「評価委員会」はできないものですかね。

森本:近年、政府が言い出した「新しい公共」という考え方は行政が担当しているさまざまな公的業務をNPOとか企業に「アウトソーシング」していくことだと思います。NPO等を作っておくことは必ず生きますよ。NPOなら行政と対等に話をすることができます。

正平:行政のスリム化で「アウトソーシング」は進むと思いますが、いろいろな委託事業をどのような仕組みでどういう観点で評価するか、これからはますます重要な問題になりますね。
 若い人々の活躍を「うさんくさい」と切って捨てるような、理由も、評価主体も分からない恣意的な評価が支配するようだったら何にもならないですよ。

三浦:鍵は「情報公開」だと思います。正平さんのご提案を受ければ「評価・情報公開委員会」を作ることだと思います。委託事業は契約内容を公開すべきだと思います。教育分野で言えば、カウンセリングでも、学校開放事業でも、学童保育に教育プログラムを入れた場合でも、最初に事業の目的があって、その目標を実現するために何をどう教えるか・育てるか、を公開して市民の評価を受けることが重要だと思います。

大島:学校は情報公開の結果反応にかなり敏感ですね。

森本:学校が現状を1つ1つ公表し始めたら学校は間違いなく変わります。

三浦:益田論文が言及している飯塚市の研究会で「教育マニフェスト」を出すという意見が出ました。教育マニフェストはまさに社会との契約、宣言文の情報公開です。時間を追ってその中身を審査していけば学校に限らず、生涯教育事業は必ず進化すると思います。

大島:社会的条件が変われば、対応する社会的事業も変わるべきですから、評価のシステムを通して入れ換えて行くということですね。

関 :そこですね。行政は何のために「市民協働」を打ち出したのか、「何ができて」、「何ができていない」のか。評価抜きで数だけそろえようとするので、結果が残っていないのです。

黒田:委託者は行政ですよね。ところが委託して、従来の担当者が現場実践から離れると「委託の意味」も「委託の中身」もわからなくなるというジレンマがあるのではないでしょうか。たとえば、図書館の指定管理が進んでいますが、一方では、図書館のことを肌でわかる行政職員が激減していく、だから数字でしか評価ができなくなるという危険性をはらんでいるのではないでしょうか。

三浦:そういう時は「相撲協会」の不祥事処理と同じように、外部評価委員会を作ればいいのではないですか。なぜ行政は分からないままに、自分たちだけでやろうとするのでしょうか。外部にはそれぞれの分野で評価をできる人がいます。もちろん、その方々を永続的に使ってはいけないと思いますが、特別委員会として、この問題はこの委員だけ、あの問題はあの委員だけとし、その仕切りは公務員がして、評価は情報公開するという仕組みが大事だと思います。

森本:外部の人を入れて審査して、指定管理者でやっていこうとするときに、うまく行かなかったり、つぶれたりしたらどうするのかという話になります。反対するためにいろんな意見が出ます。外部評価を受け入れないことも起こります。その時は「次にまた、評価をして変えればいいじゃないか」とは行政の担当者として非常に言いにくい。今となって考えれば、ご指摘の通りだと思いますが、その時は、「先が見えない行政」なのかと批判されることに対する自己擁護の気持ちがあった気がします。

三浦:事業の改廃については、行政部門の責任者が言っているのではなく、外部委員の見解と評価ですから、十分言えることだと思います。相撲協会は外部委員の提言を聞くことで立ち直ると思います。しかし、外部委員を無視すればつぶれると思います。

大島:評価の中に第三者の視点を入れていくことですね。

三浦:スポーツにならうということです。プレーヤーと審判は分けるべきなのです。

森本:システムのポイントは「予算」です。外部審査を受けて、学校に予算を付けることができ、地域の高齢者を活用することを条件にすれば状況は一変しますよ。

赤田:学校は予算をもらえばすぐにでもできます。現在、学習支援ボランティアで地域の高齢者の活用を行っています。私の小学校は6学年1クラスずつで、1学期モデルケースとして3学年に導入してみました。2学期以降他の学年でも算数と国語の授業に入って頂いています。今のところ無償のボランティアで行ってもらっています。
弓削:結果はいかがですか?

赤田:大成功ですね。
1学期から登録していただいているので、夏休みにボランティア高齢者と教職員の意見交流を行い、2学期以降どのようなプログラムを作っていくのかということで打合会を行いました。
授業は明らかに充実しました。こんな形でいいのであれば「学社連携」は十分可能です。お金さえあればもっと人集めができて、高齢者の活躍のステージを作れます。

大島:先ほどからでている「褒美」の問題はいかがでしょうか。

赤田:お金は大事です。「学社連携」の予算があったらもっともっとやれますよ。

弓削:赤田校長先生の姿勢が大事だと感じました。自分が中学校にいた時は、学校と地域のつながりが見えませんでした。地域から要求されれば、学校が全力で対応しなければならないという感じでした。部活動でも生徒指導でも学校は手一杯で、限界でした。学校をもう少し地域に開放して、地域と一緒にやって行く取り組みが必要だったのではないかと今になって思います。

赤田:今の小学校のカリキュラムの決まりでは、4時には子どもを帰さないといけません。昔のように放課後に遅れた子を居残りさせて個別に勉強を教えるということが不可能になっています。人数の少ない学校でもやはり学力差は歴然とあります。だから、学習支援ボランティアにちょっと背中を押してもらうだけで子どもは変わるのです。学力は山口市の中心部と比較しても遜色ないまでに上がりました。
学校で地域の人と関わるので、「豊津寺子屋」の子どものように、地域に出かけたときにあいさつができるようになってきました。学校と地域の一体的経営-学社連携は今後ますます重要になっていくと思います。

大島:結びの結論が出ました。ご協力ありがとうございました。

お詫び
第110回生涯教育移動フォーラムin山口は会場、日時、宿泊所全て変更になりました。

変更後は以下の通りです
研修会場:
6月11日(土) 1:30 ~山口市湯田温泉5-1-1
カリエンテ山口(山口県婦人教育文化会館) 
(TEL:083-922-2792)
6月12日(日)  9:00 ~山口市天花1-2-7
山口菜香亭(TEL:083-934-3312)

宿泊場所:山口市湯田温泉 セントコア山口
(TEL:083-922-0811 FAX:083-922-8735)

山口県外からご参加のお客さまには変更により誠にご迷惑をおかけいたしますが、必ず事前に事務局の赤田博夫校長先生(山口市立鋳銭司小学校)(090-9065-6220)へご一報ください。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。
 
 埼玉県越谷市 小河原政子 さま

 学生時代の寮生活はベッドとベッドがくっつきそうな5人部屋でした。もの入れはベッドの下の収納スペースだけでした。寄り添って生きる以外生きようのない術を学んだ時代でした。今は逆に離れて生きることを学んでいます。
 年寄りのなすべきことは「断、捨、離」であるべしという先輩の口癖に共感し、以来年賀状を止め、あらゆる同窓会、冠婚葬祭の出席を止め、家財を捨てに捨てています。井上陽水の歌の通り、「友だちが出来た時も余り深い仲にならぬよう」心がけています。
 今、自分史に関する著書をまとめているのですが、自分史は納得できない人生を何とか納得しようとする人間のやるせないあがきのように思えて来ました。「自分死」という言葉も見つけました。男性の平均寿命から想定して最後の10年の戦いに入りました。

佐賀県多久市 林口 彰 様、田島恭子 様

 ご厚情に感謝申し上げます。長いご無沙汰の時間が流れました。お元気にご活躍のご様子何よりとご挨拶状を拝見いたしました。その後、「孔子の里ジュニアガイド」事業はどのように発展したでしょうか?学習の成果を世に問い、本人に問うことこそ教育の課題であることを証明してくれた事業でした。われわれは生涯学習の看板の下で「学ぶべき学習」と「学びたい学習」の相克の自己矛盾を感じながら「教育活動」をして来たのでした。
 果たして今後、日本の教育は生涯学習から生涯教育へ舵を切れるでしょうか?支えていただいた大会の30周年記念出版を通して、社会が必要とする教育こそが社会教育の基本課題であるという原点にようやく自分の論理を戻すことができたような気がしています。

島根県益田市 大畑伸幸 様

 ご栄転おめでとうございます。いよいよ小なりと言えども頂点にお立ちになりました。
綺羅星セブンの時代に宣言していたことを実現するチャンスですね。ただし、この世の中、作用には必ず反作用が伴いますので重々ご用心下さい。かと言って、余りご用心に過ぎますとふと気がついた時には、すでに爺さんになっていて、実践の意欲も気力も実力すらも消え失せますのでくれぐれもご用心下さい。そうした例を沢山見て来ました。あなたの場合、大車輪のできるうちが実行の時です。楽しみです。

東京都 瀬沼克彰 様

 「高齢者の生き甲斐就労の機会創出に関する調査研究事業」の報告書をありがとうございました。NPO「幼老共生」の皆さんにもご披露いたします。ますますのご活躍をお祈りし、九州も負けないように頑張って参ります。

編集後記  「時間観」

 若い時代の時間は「足し算」。「もういくつ寝るとお正月」、「6年になったら修学旅行」、「来年は結婚」、「秋には長子誕生」などのように若者はその日を待ち焦がれます。
 中年期を過ぎると「引き算」。年齢に応じて「時間観」が変わると言ったのはアメリカの心理学者ノイガルテンです。
 中年期を過ぎると「子どもたちが巣立つまで2年しかない」、「定年まであと3年」、「今年はもう古希」というように時間に追われ、時間を惜しみ、人生に残された時間を数え始めます。「今年の実行」を来年にしようか、と逡巡する先輩に「あなたに来年はありません」と申し上げたのも「時間観」は刻々と変わるからです。体調が思わしくなくなれば「今年の実行」も「来年の実行」もなくなるでしょう。高齢者の行動には今日か明日しかないのです。高名な「千曲川旅情の歌」で藤村は、「昨日またかくてありけり、今日もまたかくてありなむ、この命なにをあくせく明日をのみ思い煩らう」と歌いましたが、若菜集は藤村22歳の時の出版です。彼には疑いなく「明日」や「来年」が実在したのです。幸か不幸か、古希に達した筆者に「悠々自適」はありません。井上陽水が「今日を駆け回るも、立ち尽くすも、蒼い空の下」と歌っていますが、私は時間に追われて「駆け回る」しかありません。また、彼は「思うがまま」は「暮らすこと」、「思いのほか」は「生きること」と歌っています。「悠々自適」は「思うがまま」、「思うがまま」は「暮らすだけ」です。なんとか私は「暮らし」を越えて「思いのほか」に生きたいのです。

あなたに見せたい風景2

ゴールデンウイーク

一面のすみれ
可愛く賑やかで
川のみぎわを埋めた菜の花
明るく華やいで
もう白いぼんぼりに変わったたんぽぽ
寂しそうです
薄くれないの八重桜が風に舞います
軽々と泳ぐ鴨の群れ
何を話しているのでしょう
水の中でつくねんと山を見る白鷺
意志の固いひとりぼっちですね
白い列車が風になって消えて行きます
みなさんお出かけです
田んぼの畦は草刈りで忙しく
ひばりが音頭をとっています
春ですね
切ないですね

「風の便り 」(第136号)

発行日:平成23年4月
発行者 三浦清一郎

「体力」とは何か、「体調不良」とは何か
-分析の細分化と診断のタコつぼ化-

 お知らせに載せたように来る5月7日(土)からNPO法人「幼老共生まちづくり支援協会(以下「幼老共生」と略す)」がいよいよ子どもの体力向上の試みに着手します。筆者は子どもの体力にも、高齢者の体力にも大いに興味があります。それゆえ、この事業の展開を注意深く見守っています。
 しかし、問題は、専門家の間でも「体力」や「体調」の概念が全くはっきりしないのです。

1 「体力」とは何か

 体力は「攻める体力」と「守る体力」に二分されるという点では大方の研究者の見解が一致しています。「攻める体力」とは別名「行動体力」と呼ばれ、「守る体力」は「防衛体力」と呼ばれます。ここから先が混乱するのですが、「行動体力」は更に二分されます。第1分野は、タイミング、バランス、柔軟性など身体行動の調整を司る「サイバネティックス系」の体力と言います。第2分野は、筋力、スピード、パワー、持久力などを司る「エネルギー系」の体力と言います(*1)
 更に厄介なのは人間行動が必要とするエネルギーの「量」によって「行動体力」を3段階に分類します。初めの2段階分類は「働きのちがい」による分類ですが、次の3段階分類は、「運動量のちがい」あるいは「エネルギーの消費速度のちがい」による分類です。「行動体力」の3段階分類とは以下の3つです。

(1)「非乳酸性能力」(ハイパワー)
(2)「乳酸性能力」(ミドルパワー)
(3)「有酸素性能力」(ローパワー)

 他方、「守る体力」=「防衛体力」の方は「働きのちがい」によって3種類に分けられます。
第1は、細菌等の侵入に備える「免疫」
第2は、温度の変化に対応する「恒常性」維持機能
第3は機械的な衝撃に耐える「強靱性」
です。(*2)
当然、幼児期・少年期は体力育成の準備過程であり、熟年期は衰える体力の維持・存続過程ですから、多量のエネルギーを一時に必要とする激しい運動は危険だということになります。もう一つ重要なことは、人間の身体的発達は「神経系」の発達が先行し、筋肉や関節のようないわゆる身体部分はあとになるということです。
 専門書は何も言っていないのですが、子どもの場合、「神経系」の仕組みが身体部分より先に出来るということは、恐らく高齢者の場合には、身体より先に「神経系」の衰えが始まるのではないかと推定しています。
 筆者も古希を過ぎましたから神経系の衰退状況を自覚させられています。日々バランスを失ったり、物を落したり、目測を誤ったりすることが頻発するようになり、それは神経系の衰えが原因ではないかと想像しています。思ったように身体が動かないという「ロコモーションシンドローム」も恐らくは衰えが始まった神経系に身体の筋肉や関節が力やスピードの調整が出来ない事が原因だろうと推定できます。
 上記の分類用語を使って言い変えると運動の調整を司る「サイバネティックス系体力」の方が、発達も衰退も先で、筋力やスピードを司る「エネルギ-系の体力」はあとになるということです。幼児期も熟年期も「サイバネティックス系」の調整能力の向上・保存がより重要な意味を持つということになります。特に、幼児期は神経系が司る調整力が発達する時期ですから、タイミング、バランス、柔軟性などの基になる能力を構成する「走る」、「跳ぶ」、「投げる」などの基本技能を遊びの中で体得することが重要になります。高齢者は逆に「走る」、「跳ぶ」、「投げる」などの基本技能を失わないよう日常繰り返して練習を続けておくことが大切になります。
 子どもの外遊びや手先の器用さが子どもの能力の向上に密接にかかわっているのは、神経系の発達が知識や技能の向上に直結しているからだと推定できます。
 現代の子どもが、豊かさと利便性を背景にして、「歩かない」、「働かない」、「遊ばない」というように肉体的に「楽」をしているのは神経系の発達を大いに妨げ、遅らせていると考えて間違いないでしょう。現代の教育は子どもの日常に「集団の外遊びのカリキュラム」を組み込んで補完すべきなのですが、学校も教育行政も未だに子どもを取り巻く環境の激変に対処すべき教育処方の発想には到達していません。特に、学習指導要領と狭い学力観に囚われた多くの学校は子どもの体力向上カリキュラムの重要性に無自覚です。今回のNPO「幼老共生」の「e-マナビリンピック」事業が注目さるべき所以です。但し、上記NPOも単に体力を測定・診断するに留めず、「外遊びをした子ども」や「意識的・目的的に体力錬成に取組んだ子ども」と「そうでない子ども」の比較を行ない、両者の体力差の発生原因にまで迫ることができると問題の所在は更に明確になるだろうと思います。

(*1)谷本満枝、体力、運動能力、技能とは、高木・荒木編著,幼児期の運動遊び、不昧堂出版、1999,p.56
(*2)田畑泉、中高年者の体力・体組成の特性、田島・武藤・佐野編 中高年のスポーツ医学、南江堂、1997,p.11

2 「体調」とは何か

 保健室登校の子どもは相変わらず「体調」が悪いと言って授業から逃避します。一体「体調」が悪いとはどのような症状を言うのでしょうか。  
 「体調」はふつう4つの視点から分析されます。健康の視点と言い換えてもいいのかも知れません。過日、自分自身の体調不良で、本論に当てはまる状況に遭遇したので改めて整理してみました。
 筆者の日常は起き抜けの原稿執筆、次に軽い朝食、そして散歩と続きます。毎朝の散歩は2匹の犬を連れて3キロほど川べりや公園の森を歩きます。帰ったら軽いテンポの音楽に乗って「タコ踊り」のような自作自演の体操をします。以前はまじめにラジオ体操をしていたのですが、物足りないのと面白くないので「音楽付きタコおどり体操」に変えました。運動量がちがい、工夫の余地があり、踊ることの面白みが加わるので大いに気に入っています。犬たちまでだっこして踊ってくれとせがむようになりました。
 ところが先日散歩から戻った時に、玄関で立ちくらみがしました。用心して横になり、朝の2度寝をしました。立ちくらみは収まったものの、終日、仕事はほとんど出来ませんでした。さしたる明確な理由もないのに、身体が重く、気持ちに前向きな姿勢を失い、投げやりになり、不安や寂寥感に苦しみました。
 こういう状況に陥った時の筆者の治療法は「じたばた」動くことです。とにかく、何でもいいから目の前の掃除・洗濯、料理、散歩、事務手続き、友人への便りなど手当り次第に働くことです。「動けば」「何かが変わる」と信じてこれまでは大体うまくいっていました。
 ところが今回は何をやっても気分は晴れません。思い切って映画館にでも出かけてみれば結果は違ったかも知れませんが、そこまでの気力と積極性もありませんでした。症状はやや「重傷」でした。ついていないことに、退職者の悲哀で、その日は終日、一本の電話もなく、手紙もなく、メールさえありませんでした。いわゆる「無用人」の孤独に襲われたということです。悪いことに体調不良と世間から見捨てられたような孤立感が重なる憂鬱な日になったのです。

 専門書によると「体調不良」の症状には通常4種類あります。

i 「自律神経異常の症状」
 第1は、「自律神経異常の症状」と呼ばれます。「手のひらの汗」、「動悸」、頭痛」、「吐き気」、「耳鳴り」、「立ちくらみ」、「頻尿」などの症状が現れます。散歩から戻った時の「立ちくらみ」は第1症状に近かったのでしょう。

Ii 「生体リズム異常の症状」 
 第2は、「生体リズム異常の症状」です。「寝付きが悪い」、「途中で何回も目が覚める」、「一日中続く眠気」などが症状です。この時の筆者の状況は、前の晩に「途中で何回も目が覚め」ました。手洗いに行ったあとの「寝付きもよくありません」でした。「立ちくらみ」だけでなく生体リズム異常の症状もあったということです。
 
Iii 「脳機能低下障害」
 第3は、「脳機能低下障害」です。この場合の症状は「集中力の低下」、「イライラ」、「意欲の低下」、「健忘」などです。
 筆者は昼寝のあと、いつものようにリチャード・クレーダーマンのピアノに合わせてタコ踊りの体操で汗をかき、自らを叱咤して辛うじて机に向ったのですが、「集中力が低く」、書いたり、調べたりする「意欲が湧いて来ません」でした。「書けるテーマ」から始めよう、とかすでに書いたものを推敲しておこうなどと工夫はしたのですが、全く進みませんでした。

iv「エネルギー生産性低下」
 第4は、「エネルギー生産性低下」と呼ばれている現象です。こちらの症状は「持久力の低下」、「強い疲労感」などが特徴です。勉強や読書が辛くて「じたばたして」他の代替的活動に逃げようなどという発想そのものが「意欲が乏しい」ことの証拠になるでしょうが、その日は掃除、洗濯、草取りなどの家事に手をつけることもしませんでした。要するに、当日の自分は4つの体調不良の視点すべてに当てはまって機能しなかったということなのです。何もしたくないので、ソファーにひっくり返って犬たちを抱いてTV映画を6時間ぐらい見ました。その合間に冷蔵庫の残り物をかき集めて茶漬けで飯を済ませました。
 TVの見過ぎで疲れ果てていざ寝ようとした時の気分は徒労感・罪悪感・無力感に加えて寂寥や孤独や焦燥感が入り混じって最悪でした。

3 部分分析の危険性

 翌日、起床時の気分も相変わらず不調でした。そこで先輩のメル友に終日、メールのやり取りをしていただくよう特別にお願いしました。交信は、当方から思いつくままに愚痴や怒りや感想を書き送り、返事を下さいとお願いするのです。その都度、先輩は「きちんと飯を食え」、とか、「TVや草取りは時間の浪費ではなく、気分転換と休養だと思え」、とか、「人間は思い通りにはなりません」とか、「焦ったところで書けないものは書けない」とか、「愚痴が面白い」とか、「怒りに同感!」とか、約束通り、当方の通信に「関係のある返事」も「関係のない返事」もいただきました。専門書で調べた上記の体調不良の診断基準はその時のメールの中身として当方がお送りしたものでした。
 終日、10回くらいのメール通信を交わしたあと、いつの間にか筆者の4つの体調不良サインすべてが氷塊したかのように治りました。この間もちろん他の方々からのメールもやっと到着し、英語のボランティアに関する電話もいただき、講演の依頼も来ました。「無用人」は「有用人」に変身して一気に憂鬱が吹っ飛びました。「今泣いたカラスがもう笑った」ように、気分爽快で前日の状況が嘘のようです。
 そこで問題が発生します。
 仮に、筆者が上記の専門的知識に惑わされて病院などに出かけていたら、立ちくらみに関する検査、不眠症の検査、意欲・やる気の消滅に関する鬱や燃え尽き症候群の検査などが行なわれるのではないでしょうか?しかし、立ち直ったのはメル友との交信のお蔭であることは間違いないのです。「体調不良」と言っても「仕事を放り出して気晴らしをすればなおり」、「山歩きや水泳で身体を動かせば」治るものも多いのです。
 学問上の研究結果として上記の4つの「体調不良」の判断基準・視点は正しいと思いますが、現実に応用するには誠に難しい問題なのです。人間の症状を分解し、部分分析をしても総合的な存在としての人間に当てはまるとは限らないのです。この一文を書くについては「生体リズム」という新しい概念を習うことになったのですが、これもまた様々な説があるようで到底整理しきれませんでした。下記は参考文献の一例です。

*三池輝久、生体リズムと不登校、学会出版センター、1999年
**甲賀正聡、生体リズムで心と体の健康づくり、芽ばえ社、2001年
***若村智子編著、生体リズムと健康、丸善 、2008年

教育時事評論7「経験則」依存の危険性-「社会的津波」が来ます!

1 「経験則」依存の危険性

 先月は突然、未曾有の東北関東大震災が発生し、家にいる間中テレビを点けっぱなしにして刻々の各局の報道を見比べて暮らしました。
 過去の経験にこだわれば被害は拡大すると心配しましたが、案の定、気象庁、政府関係者東京電力、テレビ局を始め各地の多くの住民の方々に最悪の判断ミスが起こったと思います。過去の状況を知っていればいるほど、その知識が新しい状況への対処法を制約します。失敗体験も、成功体験も「経験則」には有効性も危険性もともに含まれています。
 今になって、想定外の大きさとか、想定外の速さなどと異口同音の感想が出て来ていますが、地震国日本の専門家の油断と言わざるを得ません。
 過去に「そうであった」から、今回も「その延長上に起こるであろう」と予測するのが、経験則を基準として判断するということです。経験則を基準とした時の「有効性」は、過去の事象を参考にして予測が可能になるということです。逆に、その「危険性」は新しい「学習」に対する過去の経験の「干渉」が起こることです。経験の「干渉」とは、具体的には、人々が過去に囚われて「昔考えたようにしか考えられず、昔やったようにしかやれない」ということです。換言すれば、昔経験したことが基準となり、したがって、昔考えたことの延長線上でしか考えられず、昔やったことの延長線上でしか対処できないという現象が起こるということです。
  テレビに出て来た30代くらいの男性は、「親の世代は津波が起こったとしても、ここは高台だし、ここは明治の大津波の到達点より大分奥だから、大きな地震だとしてもここまで波は来ないであろうと言っていた」と証言していました。この人が語った親の世代の判断こそが「経験則」に頼った「学習の干渉」です。当日全てのテレビ局は過去のどの地震よりもエネルギーの大きい地震であると叫んでいました。しかし、問題はメディアが伝える地震の「大きさ」の理解の仕方・受け取り方にあります。証言者が語っているように、明らかに昔を多少なりとも知っている人々は経験に則って過去の最悪事態を基準としたのでしょう。過去最悪の場合でも、「あの程度だったのだから」、「その時の基準線から距離もあり、高台にあるわが家までは来ないであろう」という思考法が経験則に依拠した思考法です。要するに経験則の危険性は過去の単純な延長線上でしか問題を判断できないということです。過去の津波の経験者や昔のことを聞いて知っていた人は、経験則に囚われて、今回の津波の状況を想定し、被害状況を甘く見たということです。宮古市の田老地区の高さ世界一の10mの防波堤も過去の最悪津波を基準にして設計されたものであるということでした。
 筆者がテレビを見ていた限りでは、テレビは繰り返し「高いところへ避難してください」と勧告していました。しかし、災害予防に素人のアナウンサーの勧告は、冷静で、切迫感と説得力に欠けていました。パニックを引き起こさないよう「冷静さを保ちなさい」ということが放送の方針であったかも知れません。アナウンサーの傍らに控えた専門家も、「直ちに!です」、「何も取りに戻ってはいけません!」、「車も家も放棄して直ぐに高台に登りなさい」と「絶叫」してはいませんでした。専門家が「絶叫し」、若い女性アナウンサーが「泣いて懇願していれば」、助かった人が何百人か何千人かは増えたのではないでしょうか!?
 今回のような未経験の大惨事において、専門家は、過去の知識や経験は全く役に立たないという経験則に依存した思考法の危険性を強調する事を忘れたと思います。人的被害が拡大したのはテレビやラジオの退避勧告に切迫性、緊急性、説得力が不足したことも一因だったと思います。情報を伝える側の彼らもまた惨状を予想し得なかったため「泣き叫び、絶叫するような退避勧告」は行なわなかったのです。今回の結果を少しでも想定できたならば、冷静に高台に退避せよと繰り返すだけに終る筈はなかったのです。もちろん、メディアの警告にも関わらず、過去の津波被害を知っている住民の多くがテレビやラジオの忠告を言葉通りに受け取らず、過去の惨事を基準として、まさか「ここまでは来ないだろう」とか「未だ来ないだろう」とか、結果的に状況を甘く見たということも犠牲を大きくした要因であったろうと思います。

2 「社会的津波」が来ます!

 津波に限らず、全く新しい事態に昔の経験則だけで立ち向かうことは危険であり、困難だということです。
 その意味では少子化も国際化も高齢化も社会的条件変化の大津波であると言って間違いはないでしょう。自然災害の津波に対比して、社会的津波の多くは、われわれの生活現場に到達する時間の振幅が大きく、発生から結果が出るまでの時間的距離が長いので実感が薄いかも知れませんが、その「破壊力」はまさしく「時間周期の長い」社会的津波と考えるべきでしょう。
 2020年には、昭和20年生まれの方々が75歳に達します。高齢化の衝撃(老衰人口の増加と社会的負担)は「爆発的」になるでしょう。それゆえ、少子化に伴う生産人口の縮小の影響も「爆発的」になります。「高齢化」も「少子化」も早晩社会福祉の防潮堤を破壊する大津波になるということです。
 人々が長時間労働の弊害を理解できず、男が男女共同参画を実践できず、政治や行政が養育の社会化の緊急性を理解しなかった時、男たちの無知は社会的津波を引き起こしてやがて甚大な被害をもたらすことになります。また、青少年教育の抜本的な転換を図れなければ、ニートやフリーターや引き蘢りなど青少年の社会的な不適応の解消ができず、個人にも家族にも大きな社会的不幸の波が増幅して押し寄せることになると思います。耐性が低く、労働を厭い、自ら稼ぐことのない彼らはやがて無年金世代に転落し、我が国の福祉システムは崩壊の危機に瀕することでしょう。
 筆者は社会的な大津波が来るぞ、と大声で叫んでいるのですが、こちらは「災害」が襲って来る時間的周期が長いため、「切迫感」は伝わらず下手をすれば筆者自身が「狼が来るぞ」と叫び続けた“狼少年”になってしまいそうです。
 しかし、少子高齢化も男女共同参画の遅延も青少年教育における鍛錬の欠如も必ず社会的な大津波になって襲って来て、日本社会に大打撃を与えることになります。過去の経験則は役に立たないのです。
 とりあえずは、大至急、学校教育における青少年の鍛錬を確立し、社会教育における高齢者の社会参画とボランティア教育を立て直し、保育と教育を統合した働く女性のための「保教育」のシステムを全国に確立しなければならないのです。
それらは「社会的津波」に対する防波堤なのです。

自分史の「承認機能」

 自分史は日記と違って必ずどこかで「読者」を想定しています。読者を前提としない歴史は通常存在しないからです。自分史の場合、「読者」は単なる「読み手」ではなく、自分の人生の「承認」に関わる存在になるのです。それが自分史の「承認機能」です。
 承認機能には「自己承認」と「他者承認」(「社会的承認」)の2種類があります。人は自分史に様々なものを求めますが、書くことによって自分の人生を納得し、読者の承認よって、その納得と満足を更に一層強固なものにしようとするのです。人は人生の納得を求めて自分史を書くと言っても過言ではないのです。

1 自己承認

 自己承認とは自分が納得し、満足することを言います。自己承認の評価者・採点者は自分です。自分が自分の基準に従って自己を評価することです。自己承認とは「自己採点」に合格することです。
 自己承認は「自分が理想とする自己像」が採点基準になります。
 単純に言えば、今の自分は期待する自分に近いか、今の自分に満足しているか、ということです。自己採点をして見て、「合格・満足」という結果が出れば自己承認しているということです。自尊感情とか自己肯定とも言われます。自分史を書いてみると分りますが、当然、「書きたいこと」しか書きません。このとき「書きたいこと」とは「自分が納得したいこと」と同じ意味です。それゆえ、自分史とは自分の人生を納得するために書くものでもあるのです。それが自分史の自己承認機能です。
 余り単純化すると、心理学者に叱られますが、劣等感の強い人や、情緒不安定な人は自己を承認することが難しい場合があります。反対に過大な自己評価をする場合もあります。私の人生は全て失敗だったというような極端な「自信喪失」や、反対に何から何まで自分が頑張ってうまく行ったという「うぬぼれ」がこれに当たります。
 また、精神に異常を来して、思い込みが強くなり過ぎたりすると、勝手に「幻想の他者」を造り出して、自分を認めなかったり、逆に、一人合点の自己評価をすることもあると言われています。それは心の病気なのですが、本人は、他者に承認してもらいたいという欲求が高じて、実際には、自己承認の問題であったりするのです。自己承認と他者承認が交錯する錯誤が起こったりするのです。
 とにかく自己承認は人間が生きる上で必要不可欠な条件になります。自分の現状に自分自身が納得していないと欲求不満は溜まる一方だからです。他人が認めてくれなくても自分の日々に納得し、自分に自信があれば生きられるからです。
 それゆえ、 自分にあまり多くを望まないことは欲求不満に対する自己防衛になります。多くを望めば、失望する可能性もまた多くなります。
 日本文化が説く「足るを知る」ことや「謙虚」・「控えめ」を守って多くを望まないことは自分に満足して生きる大事な方法なのです。自尊感情や自己承認なくして安定した健全な精神を保つことは難しいのです。日本文化が、総じて欲望の抑制を強調し、自己表現においても控えめ、遠慮、謙譲などの姿勢を奥床しいと評価したのは、多くを望まなければ少ない不満で済むという原理を知っていたからなのでしょう。自己承認や自己満足の意思表示は日本文化の美的基準に照らして歓迎されるところではなかったので、あまり表立って論じられたことはなかったのです。
 それでも長い人生の最期になれば、人は来し方を振り返り、総括し、どこかで自分を承認したいと望むようです。医師が人間は年をとると「饒舌」になると指摘した本を読んだことがあります。「饒舌」とは自己承認の別名と言っていいでしょう。日本人の表現に「建前」と「本音」の甚だしい落差が生まれるのも、日本文化が自己承認をはっきりと表に出すことを禁じているからでしょう。しかし、今や、「自分の時代」が来て、それぞれが自己を主張して自由に生きられる時代になりました。結果的に、「取るに足らない自分」は「かけがいのない自分」に変わりました。自分史が生まれたのはそのためであり、自己承認が難しくなったのもそのためです。「取るに足らぬ自分」であれば、自分史を書く理由も生ぜず、「取るに足らぬ自分」の一生を納得することもさほど難しいことではなかった筈だからです。
 自分史を書くことは、人々が意識して「かけがいのない自分」を承認するための作業となったのです。いい思い出、懐かしい人々、楽しかったことなどを記憶の中で濾過して行くのが自分の幸福を守る方法だからです。自分史は「あるがままの人生の記録」ではなく、「自分が納得し、自分に生きる勇気を与える記録」の性格を強く持っています。本質的に自分史は人生の最終段階で自分を守るための防衛機能に近い承認機能を発揮するのです。その第1が自己納得・自己承認の機能です。但し、書くときの作法が重要なのは日本文化の表現抑制原則や間接表現文法を守らないと「自慢史」に転落し、読者を失うことになるからです。読者を失えば他者に承認してもらう機会と機能を失います。人間は他者承認と自己承認の微妙なバランスの上に生きているのです。

2 他者承認

 他者承認とは自分以外の人から評価を貰い、褒めてもらうことです。心理学では「社会的承認」といいます。人間が生きる勇気を持つための重要な機能です。他者承認には通常2種類あります。
 第1は「他者が他者の視点で見つけてくれる自分」です。
 第2は「自分が他者に承認してもらいたい自分像」に他者が同意することによって承認してもらうことです。
 前者は文字通り、他者が他者の視点で発見し、承認してくれる自分ですが、後者はデール・カーネギーが「重要人物たらんとする欲求」と呼んだものです(*)。もちろん、この場合、当人の願望と事実は必ずしも一致しません。自分は「重要な存在」であると思っても、他者の評価は異なる場合が多いのです。それゆえ、後者は自他の採点基準が一致することが条件です。どちらの他者承認も評価は相手が決めることであり、あなたがじたばたしても通常相手の評価は変わりません。それゆえ、自分の関与は相対的に薄くなります。他者はあなたが予想もしなかった評価をすることになるかも知れません。
 自分が想定している自分は「自分自身観」といいます。「自分とは誰か」という問いに対して「あなた自身が答えた答の総体」です。これに対して「他者が評価するあなた」とは「パーソナリティ」と呼ばれます。それゆえ、「自分自身観」と「パーソナリティ」は通常、中々一致しないのです。「自分が見る自分」と「人が見る自分」では違うということです
 「重要人物たらんとする欲求」になると食い違いはさらに大きくなります。思い通りの自分を認めて貰いたいという気持ちが強くても、決めるのは相手です。それゆえ、あなたと相手との関係が重要になり、時に相手に振り回されます。「重要人物たらんとする欲求」には他者承認と自己承認の両方が関わるのです。自分が自分の美点だと思うことを自分だけが認めて、他者に認めてもらえない時、人間はその「落差」に傷つきます。「落差」が大きければ自信を喪失して落ち込みます。それゆえ、発想を逆転させて、相手が認めてもらいたいと思っていることを褒めて・認めてあげることが「人を動かす」原理であるとカーネギーは見抜いたのです。
 中々他者は自分が思っているほどには自分を評価してくれません。それゆえ、私たちは自己を欺瞞をして、他者も自分の価値を分ってくれている筈だと思いこみます。それを「うぬぼれ」と言います。自分史が「自慢史」になるのはそういう時です。
 他者が承認してくれることは自分にとってとても嬉しいことですが、自分が思っている自分を他者が同意してくれることは更に嬉しいことなのです。人間の究極の願いは自己評価と他者評価が一致することなのです。或いは究極の不幸は両者が全く一致しないことなのです。
 前者は他者が認知してくれる自分の価値ですが、後者は自分が他者に認知して貰いたい自分の価値です。両方とも「褒めてもらう」ことで満たされるのですが、中身は大きく異なります。
 もちろん、自分史は、自己承認にも、他者承認にも、両方に関わります。しかし、他者承認こそが真の「承認」の原点です。自分史が「読者」を必要とするのはそのためです。
*人を動かす,デール・カーネギー,創元社,1999
人間の持つ最も根強い衝動は,「重要人物たらんとする欲求」です。それゆえ、相手が自分を「重要な人物」であると思えるように正しく相手の欲求を満たしてやることができれば,その人の心を手中に収めることができるとしました。

136号お知らせ
第110回生涯教育移動フォーラムin山口

1 日  時  平成23年6月11日(土)13:00~6月12日(日)11:50
2 会  場  山口市湯田「かんぽの宿」
3 プログラム

第1部 基調提案
 i NPO法人「幼老共生」創始:子どもの体力アップ支援事業
「e-マナビリンピック」の思想と方法
             理事長 森本精造
実行委員長 大庭公正(飯塚東小学校長)

(1) なぜ今子どもの体力なのか?
(2) 高齢者の社会参画をどう作るか?

ii 中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会30周年記念出版座談会:生涯教育立国論が問うたものは何か
九州女子大准教授 大島まな

iii 消滅する人生-人はなぜ「自分史」を書くのか
生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎

iv 特別高座:永田昭善氏口演デビュー(仮題)「落語の世界へようこそ」

 第2部 リレートーク『 (仮題)我々ができる被災地救援の方策とは』

 第3部 参加者全員による22年度下半期の活動報告

*お願い:山口以外からご参加の皆様は「かんぽの宿」(083-922-5226)まで事前予約をお願い申し上げます。また、参加状況把握のため、事務局の赤田博夫校長先生(090-9065-6220)へもご一報いただけると幸いです。

NPO法人「幼老共生まちづくり支援協会」第1回子どもの体力アップ支援事業
「e-マナビリンピック」の第1回実施計画が決まりました!

「NPO幼老共生」では、今後会員はもとより、その他本事業に関心のある方のご参加、ご支援をお願いしていきます。また、本事業に対するご意見やご提案などございましたら書面にてお寄せ下さい。問い合せ先は下記の通りです。ご参加、見学を歓迎いたします。

1 実施日時
5月7日(土) 8時受付、9時-12時(新体力テスト)
2 測定内容
中身は文科省が設定している8種目の体力テストです

① 50m走 
② たち幅跳び
③ 反復横跳び 
④ ボール投げ 
⑤ 20mシャトルラン 
⑥ 握力 
⑦ 上体起こし 
⑧ 長座体前屈

3 会場
飯塚市立椋本小学校(〒820-0077福岡県飯塚市椋本16-2、TEL:0948-24-4752)
4 対象/参加費
対象は小学生、参加費は100円です。
5 申し込み
当日8時受付開始です。
6 測定結果は、『個人別記録認定証』と福岡県立スポーツ科学情報センターが発行する『個人別体力・運動能力評価表』として参加者に当日お渡しします。
7 問い合せは、NPO法人「幼老共生まちづくり支援協会」理事長 森本 精造 
〒820-0704 飯塚市阿恵315-2   
携帯  090-2583-4901
メールアドレス   morimoto@oks.or.jp
8 第2回目は 8月6日(土)を予定しています。

§MESSAGE TO AND FROM§ 

 春が来て樹々や花々が息を吹き返しました。勉強の合間に草取りをしているのか、草取りの合間に勉強をしているのか分らぬような日常が続いています。東北・関東の被災地にも同じように春が来て、同じように草木が芽を出しているのだろうと想像しています。被災地の方々にとって「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」というのはさぞお辛いことと拝察しております。冬を越した芍薬が赤い芽を伸ばしました。妻が急逝し、わが家も森閑として「人同じからず」となり、懸命に「一人を慎む」べく戦っております。詩集「あなたに見せたい風景がある」を編み始めました。

福岡県甘木市 太田政子 様

 お便りありがとうございました。留守電も、お便りも身に滲みました。ご返事が泣き言にならぬよう時間を置きました。相変わらず、学文社の好意に報いるべく原稿に向かっております。衰え行く心身の機能に対しては、「読み、書き、体操、ボランティア」の戦略を持って立ち向かっています。書けないときもあり、書きたくないときもあり、時々逃げ場がなくなり閉口しておりますが、弱者のための学問の世話にならぬよう、「見る前に跳べ」、「考える前に動け」とつぶやいて暮らしています。男の平均寿命から言えば、最後の10年になると思いますが、熟年の教科書がないことに気付きました。次は「自分史作法」を書き、その次の執筆は「熟年の教科書-最後の十年の教育処方」にしたいと思います。来年の花に逢えるかどうかも定かでないのに、もう少し寿命はあるだろうと捕らぬ狸の皮算用をしています。5月の30周年記念大会にはお出かけいただけるでしょうか?

沖縄県うるま市 平 正盛 様

 伊計島のガイドブックが届きました。あと10年若く、目の不自由がなければ飛んで行きたいところです。美しい海、興味あふれる歴史、島興しのご成功を祈ります。ありがとうございました。

大分県日田市 安心院光義 様

 いつもお便りを頂戴し励まされております。老人は社会と関わる機会がなければ、数日も誰とも話をしない時があるのです、などと講演で喋っておりましたが、まさにそのことが自分の身に起こりました。
 3月の終わりから4月の初めは、卒業、入学、転勤など世間は最も忙しい時期ですが、その喧噪をよそに、わが家には5日間誰も来ず、電話もなく、僅かなメールだけが外界と繋がる日々を経験しました。日本語を忘れるのではないかと思ったほどでした。共同体が早晩消滅すると書いて来ましたが、現状の福祉や高齢者教育の有様では高齢者の多くが早晩社会と絶縁して言葉を忘れるのではないでしょうか。

福岡県宗像市 久保誠一 様

 この便りが出る頃にはご退院でありますように!生物の晩年は生老病死との戦いです。戦いを続けるか否かは自分との戦いですが、時々気が滅入って気合いが入らなくなります。ようやく4月の英会話教室が始まり、皆様とお会いでき、私も息を吹き返しました。
 一人暮らしというものは、飯を余分に炊いて冷凍し、差し入れや頂き物で茶漬けを食っていると外に出ることもなくなります。あなたに続いて英語は「ぼけ防止」とおっしゃる方が増えて来ましたが、私にとっても活力の源になりつつあります。社交と生涯学習が決定的に重要な時期に入ったということだと思います。今年こそはキング牧師のI have a dreamの演説文を諳んじて見たいと思います。一日も早いお帰りを一同お待ち申し上げております。

山口市 上野敦子 様

 しょうた君が我が教育論を証明してくれることを念じています。あなたのような読者を得て「風の便り」は幸せでした。目がますます不自由になり、書くことが辛いのですが、実践のために読んで下さる人がいる限り書き続けようと改めて思いました。いつの日かしょうた君に会いに行きますのでよろしくお伝え下さい。

長崎県香焼町 武次 寛 様

 長崎県における社会教育主事のOB会結成の知らせを永渕先生が福岡県実行委員会に報告してくれました。一同喜んでおります。市民の気ままな生涯学習だけで「社会の必要」に応える施策を打つことはできません。大会30年を記念する出版の中で、ようやく私も自分の間違いを正すことができました。
 福岡県の筑後市や長崎県の大村市は最後まで「社会教育」の旗を降ろすことはなかったとお聞きしてますます我が身の不明を恥じております。応援します。どうぞがんばってください。

編集後記
あなたに見せたい風景がある1

独りぼっちの鳩が啼く
春爛漫の光りの中で
独りぼっちの鳩が啼く
お隣の梶栗さん家の屋根に来て
日課のように鳩が啼く
私の机を見おろして
ジヨーポッポ
ジヨーポッポ
鳩が啼く
ひとりだひとりだとひとりごと
もみじがそよぎ
山吹揺れて
さみしいさみしいとひとりごと
ジヨーポッポ
ジヨーポッポ
鳩が啼く
梶栗さん家はお留守だよ
私も一人留守番で
さみしいさみしいと独り言

Skype:グローバル時代のテレビ電話
-「生物学的実在」と「歴史的実在」-

 便利な時代になったものです。スカイプを使えば、アメリカにいる娘の家族と無料のテレビ電話ができます。筆者の留学時代は国際電話が高額であったため、3年間外国にいた間に一度も父に電話することさえありませんでした。手紙は書きましたが切手代も馬鹿にならぬ額でした。奨学金をいただいて家を出、日本を出る以上、「志を得ざれば、ふたたび此の地を踏まず(野口英世)」の心境に近い思いがありました。当人もキャンパスの中のたった一人の日本人として、頼りない肩に日本を背負った気でいたのです。
 しかし、今や外国は日常の延長線上になりました。それが国際化-グローバリゼーションということなのでしょう。
 今では、実物とめったに逢うことのない外国在住の孫でもTV電話を通して日本の祖父もその実在に触れることができます。しかし、私はスカイプのような饒舌な現代のテクノロジーを通してありふれたどうでもいい日常の出来事の話をすることが苦手で言葉が続かなくなってしまいます。「スカイプは億劫なのだ」と言う私を娘は叱って、苦手であろうとなかろうと日常の祖父の姿を孫たちに見せておくことは遠く離れた祖父の役割だといいます。しかし、私は違うような気がしています。娘は「生物学的実在」としての祖父と未来の孫たちが接する「歴史的実在」としての祖父を混同しているように思います。TV電話を通して見た祖父はどう気取ってもありふれた異国の老いぼれ爺さんです。溌剌と意気に燃えて仕事をしている姿ならともかく、老爺との会話のイメージなどは孫の成長とともに立ち所に消え失せてしまうでしょう。しかし、両親が語って聞かせる祖父の物語や祖父自身が書き残したものを、後に孫たち自身が日本語に習熟して読むようになれば、彼らはそこで「歴史的実在」としての祖父に逢うことになるのです。
 まして急逝した妻の存在は、ほとんど生活を共にしたことのない幼い孫たちの記憶に残る筈はありません。それゆえ、私は最近「あなたに見せたい風景がある」という詩集を編み始めました。祖父が亡き祖母に何を見せたかったのか、何を聞かせたかったのか、孫たちがやがて日本語に習熟してくればそのイメージや想像力の中に祖母の「歴史的実在」の姿が浮かんで来ることを信じています。「生物学的実在」は束の間の人生として土に帰って消滅しますが、「歴史的実在」は孫たちの人生に記憶されて生き続けるのです。孫たちが語ればその子どもたちにも語り継がれるのです。娘にはおまえを育てた父の思い出を語れ、それこそが孫と祖父の出会いであると言いました。
 人々が意識しているか否かは別として、自分史はそれぞれの人生の「生物学的実在」が消滅した後でも、人々の生きた証が「歴史的実在」として後の世に残って行くことを夢見て書かれるようになったのだと思うようになりました。尊敬する渡辺通弘氏はそれを人間の「永遠志向」(*)であると喝破したのです。

(*)渡辺通弘、永遠志向、創世記、昭和57年

「風の便り 」(第135号)

発行日:平成23年3月
発行者 三浦清一郎

なぜ自分史なのか
-個人史の意味と特性-

1 垣間見える個人史の目的と動機

 なぜ自分史なのか。その目的と動機は自分史のタイトルや参考書のタイトルの中に垣間みることができます。もとより自分史は全体史に対する個人史の意味ですから個別の人生の記録であることは疑いありません。それでも、なぜ一般人が個別の人生の記録を書くようになったのかという点では目的も動機も人それぞれ多様です。「足跡」とか「航路」とか「道標」とか「歩み」とかと記されたテーマは、基本的に人生の総合的記録に重点が置かれています。また「おとうちゃんとわたし」、「母と娘の記」、「夫婦舟のせや一代記」など特定の人物とのことを書いたものは、配偶者でも、子どもでも、友人でも、職場の縁に繋がる者でも「この人が忘れられない」(*1)という趣旨で、人生の出会いが主題となっているのでしょう。同じように「事件」が主題になっているもの、「時代」が主題になっているものなど素材は多種多様ですが、参考書はそれらを括って、多角的に個人史の意味と特性を分析しています。
 例えば野中・荻須の両氏の著書はタイトルの中に、自分史とは「『生きる』を楽しむ」ものであると表現しています(*2)。また、「ストーリーの社会学」という観点から、自分史を論じた小林多寿子氏は、自分史は他者を意識して「物語られる『人生』」であると結論しています。
 自伝とか日記の類いではなく時代史全体の構成要因である個人の歴史を「自分史」という概念で表現したのは「ある昭和史」を書いた色川大吉氏です(*3)。
 上記小林氏は、彼女のいうところの各人の「物語られた人生」は 福山琢麿氏の「自分史ノート」や「自分史図書館」によって自費出版を勧める「物語産業」の様相を帯び、自分史の普及に大きな影響を及ぼしたと指摘しています(*4)。また、「自分史の書き方」の著者内海晴彦氏は、自分史とは「現在の自分と向き合うために書くものです」と喝破し(*5)、その点では上記の「生きるを楽しむ」ための自分史や小林氏の言う「自分探しの自分史」という視点とも重なります。更に、形式上の厳密な意味では自分史ではありませんが、永 六輔氏が語る「昭和歌謡の自分史」には、「生きる歌があれば、死ぬ歌もある」(p.206)とか、「みんな自分の歌をもっている」(p.220)とか、「しょせん歌、されど歌」(p.76)とか自分史に重なる多くの指摘が出て来ます。自分史もまた、しょせん個人史、されど個人史ですが、それぞれに生きた記録、死の覚悟など「みんな自分史をもっている」のであり「生きるための自分史があれば、死ぬための自分史もある」のです。面白かった逸話は、老健施設に慰問に行った三波春夫さんが、それぞれに自分の歌を歌い出す入所の人々に合わせて歌い興じ、とうとう最後まで自分の持ち歌を歌わなかった、という永さんの見聞録でした。「みんな人それぞれに自分だけの歌がある」(p.236)ということは、みんなそれぞれに自分の物語をもち、自分史をもっているということなのでしょう。三波さんはそれを尊重したということなのです。さすが一流の歌い手さんです。(*6)
 変わり種は辺見 庸氏の「自分自身への審問」でした。この書はインタビュー形式を借りた自作原稿です。自問自答の形で書かれた自己の生に対する分析の試みであると裏表紙に記されていました(*7)。
さらに、小池民男氏の「時の墓碑銘(エピタフ)」は新聞に連載された氏が尊敬する人物への弔辞のようなものでした。小池氏の弔辞は墓に刻むことができるほどに短いので「墓碑銘」とされたのでしょう。「幾時代かがありまして、茶色い戦争ありました(中原中也、p.8)」、「身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司、p.29)」、「この小さなノートを残さねばならない(渡辺一夫、p.56)」、「権力は腐敗する、弱さもまた腐敗する(Eホッファー、p.143)」などのタイトルはどこかの自分史にもあるのではないか、と思わせる感銘深い参考書でした(*8)。
 「教科書が教えない歴史有名人の晩年と死」(*9)も第三者による伝記の一種ですが、晩年の逸話の多くは、他者が個人の最後の歴史をどう見るかという点で、深く自分史作法、個人史の留意点に通じていると思いました。

(*1)竹村健一、この人が忘れられない、太陽企画出版、1999年、本書はもちろん自分史ではないが、人を語ることによって交友を誇り、発想から生き方まで自分を語ろうとしている点で自分史に共通している。
(*2)野中博史、荻須 勲、4400万人のための自分史講座;「生きる」を楽しむ、メディア・ポート、2006年
(*3)色川大吉、ある昭和史-自分史の試み、中央公論社、1975年
(*4)小林多寿子、物語られる「人生」-自分史を書くということ、学陽書房、1997年、 pp.58-65
(*5)内海靖彦、自分史の書き方、柏書房、2000年、p.2
(*6)永 六輔、聞き手=矢崎泰久、上を向いて歩こう 昭和歌謡の自分史、飛鳥新社、2006年
(*7)辺見 庸、自分自身への審問、毎日新聞社、2006年、裏表紙
(*8)小池民男、時の墓碑銘(エピタフ)、朝日新聞社、2006年
(*9)新人物往来社編、教科書が教えない歴史有名人の晩年と死、新人物往来社、2007年

2 「永遠」に近づくための個人史
-なぜ自分にこだわり、その歴史にこだわるのか-

(1)共同体の崩壊と自分の時代の到来

 共同体の人間関係は血縁と地縁と共同組織の縁によって形成されて来ました。当然、農地の耕作から収穫の祭りまで共同作業が密接であった分、人々の結束は固く、人間関係はウエットな温かいものでした。しかし、同時に、共同体は、集団に対する個人の自由な振る舞いに制約を課しました。共同体は共同体の共益の維持を優先し、それに必要な義務や義理を設定し、個人の言動に一定の監視と干渉機能を有していたのです。生活の基本は一斉行動で「みんな一緒の時代」でした。共同体の崩壊は個人を「みんな一緒」の制約から解き放ち、「自分で決めていい時代」をもたらしたのです。
 日本の企業や役所のような組織体も、当然、共同体文化の影響下にありました。飲み会も、冠婚葬祭の世話も、スポーツ大会も、旅行も「みんな一緒」でした。時には社員の家族までが一緒だったのです。それらは「会社共同体」と呼ばれ、ウエットな人間関係を特徴とした組織共同体です。しかし、これらの組織においても個人の主体性と自由を希求する日本人を制止することはできませんでした。職住が分離した組織において、共同体的「相互扶助」機能を維持しながら、あわせて個人の「自由」を追い求めるという「二兎を追う」事は不可能だったからです。

(2) 自分の時代の到来

 現代の最大の特徴は「主体性」の尊重です。個人主義も、個性主義も、自主性も、主体性も、自律も、自立も、自己流も、勝手主義も、時には「自侭」、「わがまま」ですら、みんな「主体性」の別名です。現代は、自分を中心とした生き方を承認し、「主体性」の尊重が幸福の条件であるという考え方が主流になりました。人生を決めるのは「自分」であるという原則が社会を貫徹しています。この流れを総合すれば、「自分主義」と呼ぶことが出来るでしょう。筆者は、この「自分主義」を「自分流」と名付けました。大人はみんな「自分流」を主張するようになったのです。日本人は欲求充足のカギが「自分」にあることに気付いたのです。満足の中心は己の「感性」であることに目覚めたのです。1984年に藤岡和賀夫氏は「さよなら、大衆」(*1)を書き、1985年には博報堂生活総合研究所が「『分衆』の誕生」(*2)を出版しました。前者は「小衆」の概念を提出し、後者は「分衆」という言葉を流行らせました。どちらの書物も大衆の時代は終わったと分析したのです。「大衆の時代」とは「みんな一緒」の時代であり、「画一的」な時代であり、「人並み」の時代であり、物質的消費の豊かさを求めた時代でした。過去の「貧しさ」から脱出しようとしてみんなが懸命に働いた時代でした。しかし、豊かな時代が実現して、耐久消費財が行き渡り始めた頃から、事情は一変します。藤岡氏は「感性の時代」が来た(p.27)と言い、博報堂の研究所は「差異化の時代」が来た(p.43)と指摘しました。振り返って、筆者は「自分の時代」、「自分流の人生」が始まったのだと総括しています。多くの人が「物の豊かさ」から「心の豊かさ」へと言い始めました。

(*1)藤岡和賀夫、「さよなら、大衆」、PHP、1984年
(*2)博報堂生活総合研究所、「分衆」の誕生、日本経済新聞社、1985年

3 歴史になることは「永遠」になることである
 -歴史性こそ最大特性-

 自分史は様々な側面を有しています。それらは個人の生きた記録であり、一人ひとりの人生の評価と総括であり、残るものたちに書き残すメッセージであり、時に遺書でもあるでしょう。それゆえ、メッセージには謝辞や惜別の思いが含まれることになります。そして最後に、自分史はそれぞれが生きた時代を反映せざるを得ないので、個別かつ個人が見た時代の証言にもなります。
 しかし、筆者は自分史の最大特性は個人が残そうとしている証言の「歴史性」にあると考えています。人はなぜ歴史にこだわり、未来に自分の歴史を残そうとするのでしょうか?こうした問いにもっとも率直に、またもっとも哲学的に答えた著書が渡辺通弘氏の「永遠志向」だと思います(*1)。
 渡辺氏は、動物と人間との決定的な差は、「人間だけが死の必然性を感知しているという事実にある」、と指摘しています(p.89)。同時に、人間は生存志向のため生きんがためにあがくことを運命づけられているため死の必然性を甘受することもできないと指摘しています(p.91)。結果的に、人間は死の必然性を受け入れる代わりに歴史の中で「永遠」に生き続けたいという「歴史的実在」(p.503)を目指すのだというのです。歴史に刻まれた証言が個人の存在を記憶し続けることを保障できれば生理学上の個人は消滅しても、個人は歴史の中で永遠に生き続けることができるというのです。そのような人間の願望こそが渡辺氏が言う「永遠志向」です。
 そして社会を構成する個人が歴史的実在となるためには、社会の歴史化が不可欠であり、社会の歴史はやがて細分化され、地方の歴史化となり、やがては家族の歴史化に至ると言うのです。「歴史化」の形態・方法は墳墓や記念碑、記録など色々あるでしょうが、要は人々に記憶され、後日人々が検証することを保証することにあります。簡単に言えば、自分史は個人の一生を歴史化する営みであり、「歴史的実在」として後世に記憶される工夫の延長線上にあります。

(*1)渡辺通弘、永遠志向、創世記、1982年

4 「実在」と「歴史的実在」
   -消滅への恐怖-

  近づく死を意識し始めた高齢者が自分史に限らず、何か己の人生に関わるものを残したいと思うのは、存在の消滅に対する不安の故だと思われます。人間はその歴史の知恵で死が必然であることは知っています。いつか死ぬであろうことは周りを見れば分かっていることであり、特に、高齢者にとって死は間近に迫った時間の問題であります。しかし、これらのことが分かっていても、どこかで人間は己の消滅を諦め切れていず、自分の死だけは覚悟の外にあるのです。死は生きることの終了であり、命の消滅は「実在」の終わりです。やがては己が生きたという事実すらもが消滅し、誰からも忘れられます。それが「歴史的実在」の消滅です。生きた事実が忘れられることが「歴史的実在」の消滅です。それこそが人間がもっとも恐れていることではないでしょうか。壮大なピラミッドからささやかな墳墓に至るまで人間が墓を作って来たのは死者を記憶するためであり、自分が死者となった時に記憶されるためではなかったでしょうか。渡辺氏の言葉を借りれば、墳墓によって「歴史的実在」の事実が記憶されるということです。この観察が間違っていなければ、自分史を「紙の墓標」として福山琢磨が墓に対比した観念を広めたのもまさしく頷けるのです。
 生き方は色々あっても、命は生きるために生まれて来たのであり、死は記憶されるために死ぬのです。歴史上の多くの人々が死に方にこだわり、死に場所を選んだのも彼の一生とその死を記憶されるためなのです。「犬死に」は、意義のない誰にも記憶されることのない死を意味しています。命が終わり、死が来ると言うことは生きる目的を喪失するということですが、個人の生と死が人々の思いの中に記憶され続けるとすれば、人間の心情において、死は必ずしも無に帰することにはならないのです。「永遠志向」とは、本人が意識すると否とに関わらず、生まれて来たことにこだわり、生きたことを愛し、ここにおのれが生きたという「歴史的実在」の証明が死によって中断されることを恐れるのです。生者必滅の自然現象は止むを得ぬこととしても、生きた事実さえが消滅し、誰からも忘れられることこそ、人間が望んだ「生の意味」にとって最も耐えがたいことだからではないでしょうか。

5  生存本能は「生存志向」

 渡辺氏は、生物を哲学的に分析すればその行き着くところは「生存志向」であるとしています。生命体を自然科学がどんなに詳細に研究したところで、「命あるもの」と「命なきもの」の違いは「生きようとする性質」を持っているか否かだと指摘しています。
 かつて世間中の避難を浴びて日本社会から葬り去られた戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏は家庭内暴力などで荒れに荒れて死にたいと喚く若者を海に放り込んだことがあるそうです。若者は死ぬどころか懸命にもがいて生きようとします。当然でしょう。
 また、人参が嫌いだと言って食うことを拒否した少年に人参以外の食べ物を許さなかった結果、空腹の末に塩ゆでにしただけの人参をむさぼり食ったという話も読んだことがあります。こちらもまた当然のことでしょう。人間に限らず命あるものは生きるためにこの世にあるからです。渡辺氏も同じ観察をしています。「人生における究極的な目的としての生を否定する者がいたなら、私はその人に深い水の中に飛び込むことを提案する」・・・「私は生そのものを人生の究極的目的とすることを否定する者の議論は、彼らがもがこうとせずに穏やかに水の底に沈むことにより、その論拠の正しさを証明しない限り信用しないだろう。」(*1)生きるためには死なない努力をするように人間以下あらゆる生物は造られているのです。生きることの目的は「生きること」なのです。何らかの理由で、結果的に自殺する人がいますが、その彼らも死ぬまでは生物の必然として懸命にもがき続けるに相違ないのです。自殺行為は人間の観念や感情が肉体の自己保存本能:「生存志向」に優先した時に起きます。多くは自らを取り巻く人生の事象に追い込まれた結果、感情や精神が生の断念を決定します。覚悟の上の場合もあれば、感情や精神に異常を来たした結果起きることもあるでしょう。それゆえ、自殺とは、生きていることが死ぬことより苦しいと信じた人間の確信や錯覚や幻想に基づいた行為です。筆者は若いころから自殺肯定論者であり、時と場合によってはおのれの信ずるところによる自死もあり得ると常に考えて来た一人ですが、それでも死の瞬間は生きるためにもがき苦しむことは間違いないと確信しています。自殺は人間の観念が己の肉体の「生存志向」を裏切る行為だからです。切腹をして果てた往事の侍たちも、腹を切り裂いた時は、どんなに覚悟していようと自身の命の生きようとする反抗に驚いたのではなかろうかと想像します。痛みや恐怖は命が生きなければならぬと叫んでいるメッセージのはずです。

(*1)渡辺通弘、前掲書、p.45

6 死後の「歴史的実在」の証明

 歴史上、人間は様々な工夫をしておのれの「歴史的実在」を証明しようとしてきました。しかし、貧し過ぎた時代には、墓ですら作ることはできませんでした。その時、死の必然を自覚した人間は例えば血脈の残ることに、自分の生きた証が残ることを重ねて考えました。子どもは血のつながった「歴史的実在」の証明に成り得たのです。また「家名」の存続に歴史の継承を見ようとした時代もありました。こうした心情は、婿養子を取る結婚や財産の継承や家系図のような工夫の中にはっきり見て取ることができます。子孫の繁栄を祈ったり、日常の暮らしの中で、孫やひ孫を可愛がったりするのも、彼らがおのれの血脈に連なるものだからなのでしょう。
 しかし、「歴史的実在」を観察する冷徹な目にはそれらもまた自分の生きた証が長く記憶されるか否かとは関係のないことを知っています。孫を溺愛したと言われる歌人斎藤茂吉は「私が死んだなら、小さい孫どもはさぞ嘆くだろうなどと思うのは、ほしいままな自己的想像に過ぎない。孫どもはこういう老翁の死などには悲嘆すること無く、蜜柑一つ奪われたよりも感じないのである。そこですくすくと育って行く。この老翁には毫末の心配もいらぬのである」。この文章を引用した財前又衛門は「茂吉はあくまで一流の歌人であった。創作者に不可欠な自己の客観化と、自己を突き放す冷徹さを忘れなかった」と論評しています(*1)。茂吉の指摘の通り、血脈に連なる子孫もそれぞれに彼氏や彼女ができれば立ち所にじいさんやばあさんのことなど忘れ果てることは茂吉ならずとも知っていることなのです。仏壇を飾ろうと先祖の墓に詣でようとそれが自分と血脈との連続性を保証しないことは分っている人には分っているのです。荒れ果てた墓も、無縁墓地と化した墓もこの世に溢れていることも承知しているのです。血脈を頼って永遠になることなどできる筈は無いのです。

(*1)財前又衛門、斎藤茂吉、歴史有名人の晩年と死、新人物往来社、2007、pp.253-254

弱者のための学問の氾濫

1 弱者はさらに弱者となる

 医学は病人のための学問です。健康人と比較すれば病者は身体的な弱者ですから、換言すれば、医学は弱者のための学問である、と言っても間違いではないでしょう。辛うじて予防医学が健康人を対象としていますが、これだとて予防の出発点は病気ですから発想の原点は病人です。スポーツ生理学などが想定する健康人がより強くより健康になるという発想は予防医学には稀でしょう。要は、健康人が病人に転落しないようにという観点からの学問に留まっています。同じように、精神や心の病いを対象とした精神医学やカウンセリングもまた健康人を叱咤激励し、鍛錬と修行を勧める教育論と対比すれば、弱者のための学問と言えるでしょう。要するに、現代は弱者のための学問が社会に氾濫し、多くの人がその影響を受けて、「困難と戦う者」を見る目が「弱者」を見る目になっているのではないでしょうか?青少年教育から高齢者教育に至るまで様々な適応指導は保護を前提とすることが多く、弱者支援の立場に立った発想と診断と処方になっています。小生は去る1月末に妻が急逝し、一か月の喪に服した後、前号「風の便り(134号)」で宣言した通り、思いを決して世間に復帰し、一人暮らしの日常を確立しました。後始末や年度末で殺到するいろいろな実務が捌けず日々締め切りに追われ、髪振り乱して奮闘しています。そのため友人知人からの折角のお誘いやご招待をお断りせざるを得ない状況です。多忙を理由に、お詫びとお礼をしたためて丁重にお断りを申し上げると必ずと言っていいくらい「頑張る必要は無いのです」という趣旨の慰めと労りとカウンセリングの類いのお便りをいただくことになります。ようやく最近になって自覚したのですが、妻を失った筆者は、筆者を知る友人知人にさえ社会的弱者としてしか認知されていないということに気付きました。弱者のための学問が蔓延り、弱者のための学問にさらされることにより弱者はより一層弱い方に誘導されています。

2 なぜ「がんばれ」と言わないのか

 私が日々悪戦苦闘していることは事実ですが、それを知った多くの方が「無理してはいけません」、「急に状況から抜け出そうとしてはいけません」、「焦ってはだめです」、「ゆっくり時間をかけてください」、「泣きなさい、いくら泣いてもいいんです」などとお便りを下さいます。家族を失った「喪失感は誰にも埋められない」という方もいました。なぜ状況に負けずに「がんばれ」と言わないのでしょう。
 私は絶えず「仕事を下さい」、「仕事の中で平常心を取り戻しているのです」と書き続けているのです。にもかかわらず、「無理して仕事することはいけません」という助言もいただきました。「今、必要なのは強い意志ではなく喪失感を喪失感と感じ、悲しみを悲しみと感じ嘆き悲しむ時間、ではないでしょうか」という方もいました。
 「気合いを入れ直して前へ進め」と正面から言ったのは筆者の気性を知り尽くしているアメリカにいる娘だけでした。皆様のご親切とやさしさが分からないわけではありませんが、ご助言の多くは見当違いです。労りと慰めだけのお便りをいただくたびに「必要なのは戦いであり」、「オレはそれほど柔ではなく」、「喪失感も必ず埋めて見せる」と思っています。
 今度の大震災でも恐らく被災者の心のケアなどという名目で多くの弱者対策が行なわれることでしょう。その情緒的で・口先だけの弱者対策こそが弱者を再生産していることに気付く必要があるのです。震災から三日間は現地の状況を逐一知りたいと終日テレビを点けていましたが、その後、泣き言やお涙ちょうだいの感想や解説をテレビが流すようになったのにうんざりしてスイッチを切りました。その一方で、イギリスの新聞が「頑張れ!日本、負けるな!日本」という意見広告を載せたのは、真っ当な判断でした。日本は自分を憐れんで落ち込んでいるゆとりなど無いのです。「今がんばらなくて、いつがんばるんだ!」と叫んだおじさんがいましたが、彼が正しいのです。テレビのインタビューを受けた若者が「遠くにいて何もできない自分が情けない、せめて募金ぐらいはする。被災地の皆さん頑張ってください」と言っていたのは健全な教育効果だと涙が出ました。警察官や消防署員や自衛隊員やその他沢山の方々が職務を放棄すること無く殉職している一方、風評に怯えて関東から脱出する人々が増えたと聞き憤慨に耐えません。
 被災地の方ならともかく東京辺りから逃げ出して来た者は追い返すことこそ必要で、飯など作ってやる必要はないのです。息子夫婦には「現在地に留まって仕事を続けなさい。死ぬ時はそこで死になさい」とメールを送りました。辛い状況に陥った者を弱者扱いすればするほど、彼ら自身が自らを弱者にしてゆくのです。そして弱者が日本を滅ぼすのです。
 今の私に必要なのは「哀しみに浸っている時間」などでは断じてありません。よく働き、よく食べ、よく眠り、よく戦い、何よりも前に向かって進もうとする強い意志と艱難に耐え得る我慢強さです。
 かつて大学経営の中で「差別者」と罵られ、「犯罪者もどき」の攻撃を受け、「大学の民主化の敵」の如く呼ばわれた時でさえ、わが精神は正常でした。家族の死が乗り越えられなくて、どうしてこれからの老衰の日々を乗り越えられるでしょうか。前を向いて希望を探さない限り、大震災の被災者はこれからの人生をどうして生きて行けるでしょうか。

3 普通人を強くする心の様相

 日本が頑張らなくてどうして被災地を復興させることができるでしょうか。日本よ、泣いてもいいんだ、悲しみに浸っていていいんだなどと言ってはならないのです。口先だけの慰めも無用です。少なくとも筆者にとって、不幸から立直るために必要なのは「弱者の学問」ではなく、サミュエル・ウルマンが「青春の条件」として指摘した様々な心の様相です。ウルマンはそれらを優れた想像力、逞しい(たくましい)しき意志、炎ゆる(もゆる)情熱、怯懦(きょうだ)を却ける(しりぞける)勇猛心(ゆうもうしん)、安易(あんい)を振り捨てる冒険心であると言っています。要は、「気合いを入れ直して前へ進む手段を講じること」なのです。

4 氾濫する「症候群」の病名

拙著「The Active Senior-これからの人生」にも書きましたが、現代の学問の多くが、病名を発明することで同時に病気を発明し、弱者を拡大再生産しているのです。いちいち解説はしませんが、氾濫する「症候群」名を見て下さい。

(1)  清潔症候群と呼ばれる「自己体臭恐怖」、「醜形恐怖」
(2)  「アダルト・チルドレン」
(3)  「大酒家突然死症候群」
(4)  「高層ビル症候群」
(5)  「燃え尽き症候群」
(6)  「過食症」/「拒食症」で知られる「摂食障害」
(7)  「生き甲斐喪失症候群」
(8)  「空の巣症候群」
(9)  「過剰適応症候群」
(10)  「ピーターパン症候群」
(11)  「出勤拒否症」、「登校拒否」、「学生無気力症」
(12)  「広場恐怖症」
(13)  「休日拒否症」
(14)  「主人在宅ストレス症候群」
(15)  「疲れた症候群」
(16)  「子育て困難症候群」
(17)  「仮面うつ病」、「微笑うつ病」
(18)  「不定愁訴」
(19)  「不安障害」、「恐怖性障害」、「強迫性障害」、「心気障害」
(20)  「薬物、ギャンブル、アルコール、ニコチン」など様々な事物に対する依存症特に定年時におこる依存症
(21)  若年者/定年者の「引きこもり」・「閉じこもり」
(22) 心的外傷後ストレス障害:PTSD(Post -traumatic stress disorder)

 最近の流行は「燃え尽き症候群」と最後の「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」 です。今回の震災でも再び知った風な解説が氾濫することでしょう。
 「燃え尽き症候群」(Burnout Syndrome)は、心理学者によると極度のストレスがかかる職種や、一定の期間に過度の緊張とストレスの下に置かれた場合に発生します。主たる原因は、会社の倒産、残務整理、リストラ、家族の不慮の死と過労などに多いと言われています。「朝に起きられない」、「会社または職場に行きたくない」、「アルコールの量が増える」、「イライラが募る」などの症状が出て、何もしたくなくなるのです。一方、PTSD(Post-traumatic stress disorder)は「心的外傷後ストレス障害」と呼ばれます。何か脅威的なあるいは破局的な出来事を経験した後、長く続く心身の病的反応で、その出来事の再体験(そのことをありありと思い出すフラッシュバックや苦痛を伴う悪夢)が特徴的です。通常はショッキングな出来事を体験しても時間の経過とともに心身の反応は落ち着き記憶は薄れて行きますが、あまりにもショックが大きすぎる時や個人のストレスに対する過敏性が強い時、子どものように自我が未発達な段階では、大きな障害を残すことがあります。ここで「子どものように自我が未発達」というところが重要です。要するに、耐性が低いということです。
 またまた難しい解説用語が続きますが、耐性の低い人間が辛い思い:恐い思いをすると類似した出来事に対する強い心理的苦痛と回避行動を取るようになります。ほんの少しの類似現象でも興奮反応を示したりします。眠れなくなったり、集中ができなくなったり、臆病で過度の警戒心でびくびくしたりします。こうした反応を「覚醒亢進(こうしん)症状」と呼びます。また、事件の苦痛や恐怖を思い出したくないので誰でも自己防衛的に忘れたいと思います。そこから、病的な忘却症状に陥ったりします。前後の記憶を想い出すことを回避したり、完全に忘れたりします。また、こうした状況は当然、幸福感の喪失、感情鈍麻、物事に対する興味・関心の減退、建設的な未来像の喪失、身体性障害、身体運動性障害なども引き起こします。説明を始めると切りがありませんが、要は事件の後遺症に悩まされるということです。

5 「事件」が原因か、「耐性の低さ」が原因か

 しかし、「事件」が原因なのか、「本人の耐性の低さ」が原因なのかは常に曖昧です。「燃え尽き症候群」も、「心的外傷後ストレス障害」も、専門家は常に「事件」を「原因」・「犯人」であるとしていますが、筆者は従来から、半分以上の原因は本人の耐性の欠如にあると主張して来ました。当然のことですが、同じ事件を同じように通っても、打ちのめされて立ち上がれなくなる人と奮起して新しい人生に向かって行く人に分かれるからです。恐らく「分かれ道」は「事件の衝撃度」だけではなく、本人の耐性のレベルにあるのです。
 小生にとって妻の急逝はショックであり、ピンチでありますが、それで以後の人生に踏み出せなくなるほど耐性は低くないということです。“世間よオレを馬鹿にするな!”。日本も大震災から必ず立ち上がります。がんばれ日本、がんばれ清一郎。弱者の学問にだまされるな!と言いたいと思います。

135号お知らせ

1 5月に第30回大会をひかえておりますので、4月の生涯教育フォーラムはお休みです。

2 5月21-22日(土-日)は中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会です。20日(金)の19時からが前夜祭です。過去3年間の参加者には4月上旬にご案内のリーフレットを発送します。新しくご参加の意志のある方は福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)までお問い合わせ下さい。

3 山口県Volovoloの会のみな様 今年の日程が決まりました。6月10-11日(土-日)です。会のもち方、内容等は事務局で鋭意検討中です。

4 特別お知らせ

「e-マナビリンピック」構想
―「NPO幼老共生」が子どもの体力向上特別プログラムを開始します―

(1) NPO幼老共生」初年度活動の始動
 事業名は、「e-マナビリンピック」とする予定です。周知の通り、子どもの体力低下が長期化しています。まずは一番教育効果の見え易いところから取組むことにしました。「小学生を対象とし、運動・スポーツへの動機付け、習慣化を図るきっかけを与え、運動に対する興味・関心を高め、体力の向上を目的とした事業を仕組み、学校教育への支援の一環とする」ことが目的です。

(2) 中身
 小学生が、新体力テスト・スポコン広場・遊びの要素を採り入れたスキルコンテスト等を実施し、自己の記録を把握し、今後の運動・スポーツへの動機付け、習慣化を図り、運動への興味・関心を高めて行きます。

(3) 想定される効果
 効果測定は年4回程度を考えています。NPO会員の活動ステージを常設化し、市民が教育行政や学校と恊働する「新しい公共」の場を創造して行きたいとも考えています。
測定結果は、全県/全国と比較できるようになります。また日常、身体トレーニングに取組む子どもとそうでない子どもの達成度を比べることもできるようになります。現代教育に「体力づくりの処方」を提示することができるようになることを期待しています。

(4) 「NPO幼老共生」では、本事業に関心のある方のご参加、ご支援をお願いしています。本事業に対するご意見やご提案などございましたらご遠慮なくお寄せ下さい。問い合せ先は以下の通りです。
NPO幼老共生まちづくり支援協会理事長 森本 精造 
  
§MESSAGE TO AND FROM§ 遥かな友へ

 東北関東大震災のことお見舞い申し上げます。頑張れ日本、負けるな日本人と念じております。
 また小生の妻の急逝につきましては、お電話・お便り、お見舞い、心にしみる数々のお言葉をいただきありがとうございました。やがて2か月目の命日を迎えます。家は半分も片付かず、後始末の事務処理も山積しておりますが、一人暮らしの日常を立て直しました。改めて覚悟を決め、掲げた目標に向って頑張っています。

声かけて愛でる人なきわが庭に 春風の来て花ひらきたり

「緊張」、「気合い」、「再確認」を合い言葉に今後ともがんばります。どうぞよろしくお見守り下さい。

佐賀県佐賀市 小副川よしえ 様

 激励身に滲みました。応援に恥じぬよう精進するつもりです。佐賀の同志の皆様のお心遣い本当にありがとうございました。古希を越えたこれからこそが真の勝負所と心得ております。毎日、体操で身体を絞り、書を読み、原稿に向かい、講演に全力を尽くして暮らすことを心がけます。5月の30周年記念大会でお目にかかりたく存じます。皆様もそれぞれに御身大切にお過ごし下さい。

福岡県みやこ町男女共同参画まちづくり委員会の皆様

 仲哀トンネルの桜がもうすぐ咲きますね。過日は岡垣町との交流会にご
尽力いただきありがとうございました。みな様の勉強会の講師の件確かに承りました。「孤舟」となりましたこの身へのご温情であることは重々承知しております。この後もよく学んでひたすら書き続けます。

島根県雲南市 和田 明 様

 和田先生、中・四国・九州地区の生涯学習実践研究交流会が遂に30年を迎えます。先生のご尽力を得て初めて島根に正式に参加いただいた日をよく覚えております。その分、我々も老いましたが、社会への参画と貢献を忘れず、健康に留意して生涯現役を目標としています。お便り・ご厚情を励みとし、5月の再会を楽しみに待ちます。

東京都 瀬沼克彰 様

 内閣府出版の「いきいき人生」が届きました。ありがとうございました。自分の周りにも該当する方々は相当数おられますが、慌ただしい中での今年の推薦は遠慮しておきます。来年もあなたが座長で関わられるようであれば推薦申し上げるつもりです。「未来の必要-生涯教育立国論」は著者校正が上がって来たところです。5月の30回大会で世に問いますのでお時間がございましたらどうぞお出かけ下さい。4月上旬には、ご案内のリーフレットをお届けできると思います。

東京都 三原多津夫 様

 「律儀」や「健気」が余り使われなくなって久しい時が流れたような気がします。今回の30周年記念出版は我が身にこれら二つの言葉を課した仕事でした。ところが第1回の著者校正をいただいて仰天いたしました。
 「律儀」も「健気」もあなたのための言葉であったと思い知りました。あなたはどれだけの時間とエネルギーを使って下さったのでしょうか!九州の執筆者一同感激して校正作業に没頭してくれたものと確信しております。他者の原稿を読み、専門分野の表現法に新しい提案をするということは、言うは易く行うは難し、の典型的作業だったと思います。
 ご労苦に報いるためにも、九州からの発信を誰かがどこかで真摯に受けとめてくれることを祈っております。本当にお世話になりました。ありがとうございました。

編集後記
2槽式の洗濯機

 日曜日は私の家事の日です。一人暮らしのリズムが少しずつでき上がって来ました。食器を洗いながら洗濯機を回し、掃除機をかけながら、乾燥機を回します。飯を炊きながら執筆をし、その合間にゴミの分別を行ない、頭を切り替えるために分別ゴミを集積場に持って行きます。家事の腕前を自慢したように聞こえたか、あるいは、日常の「当たり前のこと」を「特別のこと」のように言うなということか、家庭をもち、仕事もしている女性の教え子から冷ややかに「女は毎日そうしているのです」と軽く突っぱねられ、密かに傷つきました。男が言うとどうしても「特別報告」のようになるのでしょう。以後家事のことはできるだけ言わないことにしました。「変わってしまった女」は真底怒っているのです。
 「男女共同参画ノート」に書きましたが、家事は簡単なことです。昔の子どもはやっていたわけですから、子どもでも教えればできます。しかし、切れ目のない毎日の繰り返しなのです。
 家事はファミリー・サービス(奉仕)です。それゆえ、家事の分担が男女どちらか一方に偏れば、片方は「奉仕する側」となり、他方は「奉仕を受ける側」になるのです。妻が自分のことに熱中している最中に突然“飯はまだか?”などと言われて頭に来るのも分かろうというものです。「妻に定年はないのか!」という叫びも分ろうというものです。恐らく、男性の側は長年家の外で言うに言われぬ苦労をして家族を養って来たという自負があり、「奉仕される側」に坐る事は当然だと思っているのかも知れません。しかし、外部労働における男性の労苦の歴史が事実であったとしても、定年はその事実の終わりなのです。ここからは新しい歴史が始まるのです。まして、共稼ぎで過ごして来たご夫婦の場合は、男が家事を分担しない理由は最初から存在しないのです。
 知人の男性は退職後、妻の家事労働の負担を意識し始め少しずつやさしい気持ちになっていました。彼は未だ心情においても、実践においても到底男女共同参画の心境にはほど遠いのですが、小生が陰に陽に九州の男たちを「男女共同参画の田舎者」と罵けるので多少は意識し始めたのかもしれません。
 ある日、未だに2槽式の洗濯機を使い続けている妻の大変さに気付き、真摯に思いやって全自動の洗濯機に変えたらと提案したそうです。ところが妻はにべもなく「あなたがひとりで洗濯するようになったらどうぞ変えてください」という趣旨の返事をしたそうで男は密かに深く傷つきました。
 何気ない日常の会話のひと時でしたが、日々の実践を伴わない「施し」の労りが無惨に拒絶された瞬間を想像して感無量でした。筆者も、共同であるべき作業をひと事のように手伝いましょうかとか、大変ですねとか、実践を伴わぬ口先だけの思いやりや労りが大嫌いで、常々“やってから言え”と怒鳴り返して来ました。
 それゆえ、今回の話も妻の側に感情移入して聞きました。共同は手伝いではなく言葉の真の意味で協働でなければならないのです。妻には男の提案が日常の家事の分担をしない亭主の「口先親切」に聞こえたのだろうと思います。一方、男はおのれの労りややさしさが通じなかったばかりか、冷ややかに拒絶されたことを実感して「オレが何か悪いことでも言ったか」と妻の反応を誠に理不尽なものとして傷ついたのでしょう。(そうです。妻には、洗濯一つしたことのない亭主の親切ごかしが今更何を言うかと反発したのでしょう。)
 「もういい」、「何も言わん」というのが男の感想でした。男も女もようやく男女共同参画の入り口に辿り着いたばかりなのです。双方共に思い直して、くじけずにこうした問答を繰り返しながら彼らも進化して行くのでしょう。

「風の便り 」(第134号)

発行日:平成23年2月
発行者 三浦清一郎

「生涯学習格差」の異常発生と自己責任論
1 選択の自由と選択結果の学習格差

 従来から、社会教育は「3割社会教育」と陰口を叩かれて来ました。必要な教育でも3割の人々にしか届いていないという意味です。国民の学習権から見ても、社会教育に「強制力」は存在しないからです。それゆえ、逆立ちしても、社会教育の「集客力」はパチンコ屋さんには敵わなかったのです。しかしながら、従来の社会教育行政や社会教育活動には専門家集団が関わっていて、学習における「個人の要求」と「社会の必要」のバランスを取るように常に心がけて来ました。特に、公金を投入する社会教育政策においては、時代が何を必要としているか、個人に不可欠な適応・学習課題は何かが「最重要課題」として問われ続けてきました。然るに、「個人の要求」と「社会の必要」のバランスの課題を軽視し、時に、無視するに至った元凶こそが社会教育の生涯学習への転換でした。
 生涯学習は市民の選択権をほぼ無条件に保障し、「学習」するか否かの選択も、何を学習するかの判断もすべて市民に委任しました。このことは中身の選択に留まらず、学習が必要か否かの判断も市民に委ねたということです。医療に対比していえば、健康人も病人も区別なく、日常の健康管理や養生を本人の判断に委ねたということです。
 生涯学習の普及・浸透に連れて、人々の学習は教育行政や専門家の関与すべき問題ではないという社会的雰囲気が醸成されました。社会的条件の変化が著しい時代において、市民の「学習必要」を放置したということは直ちに重大な副作用をもたらしました。「学習を選択した者」と「しなかった者」、「適切な学習内容を選んだ者」と「選べなかった者」の違いは歴然とした人生の質の格差を生み出したのです。それが「生涯学習格差」です。まず、知識格差が発生し、情報格差も、健康格差も、交流格差も、生き甲斐格差も発生しました。一概には言えませんが、「生涯学習格差」の多くは個人の幸・不幸の格差になったと想像することは自然ではないでしょうか?
 間断なき変化の時代に、必要なガイダンスを受けることなく、必要な適応に失敗すれば個人の人生にも、社会の福祉システムにも重大な支障が生じます。生涯学習の前提は、学習者は「成熟した市民」であるということだった筈ですが、その前提は希望的観測に過ぎませんでした。教育上の「勧奨」または「干渉」を排して、市民の自由な学習に任せれば、活気ある生涯学習社会が実現するという期待は幻想でした。学習者が学習の成果を社会に還元して、生涯(学習)ボランティアになるだろうという期待も幻想でした。自由な学習の代償として必然的・不可避的に発生したのが「生涯学習格差」だったのです。すでに、市民の間の「生涯学習格差」は巨大であり、日々拡大しつつあります。特に、教育診断の必要な「患者相当者」において教育処方が不在であるということは本人にとっても社会にとっても重大な不幸を意味していることに気付かざるを得ないのです。

2 生涯学習の自己責任論
-政治・行政の不作為に対する免罪の論理-

 生涯学習の選択結果として発生する「格差」の責任を個人に帰してもいいでしょうか。自己責任は個人に選択を委任することの裏側で発生します。「生涯学習の主役は皆さんです」、と言って学習権を市民に渡したということは、建前上、政治にも行政にも学習の失敗の責任は発生しません。
 個人の選択の結果として「生涯学習格差」が発生したとしても、自己責任が原則である以上、国も地方自治体も政策の責任を感じることはありません。突き詰めれば、「あなた方が自分の好きなようにやった結果です」と言えば、制度的な結果責任論は発生しないのです。しかし、個人が適切な生涯学習の適応行動を選択しなかった(できなかった)からと言って、政治や行政は市民の自己責任を問うことができるでしょうか?国民は自らの必要課題に対処する専門的な助言や施策のために税金を払って来たのではないでしょうか。
 これが医療制度や、病院の問題であれば、仮に病気の原因が患者本人の生活習慣に原因があったとしても、患者に責任があると突き放すことは、決してあり得ることではないでしょう。生活習慣病の大部分はもちろん原理的に本人の自己責任です。だからといって病気の悪化が予想される「患者」に対して、あなたの責任ですから自分で何とかしなさいと言って放置する医師がいる筈はないのです。ひとたび、患者となった病人を放置することは医療の思想でも姿勢でもないことは言うまでもありません。
 しかし、国の教育行政も、その指示に従った地方の社会教育行政も、ごく少数の例外を除いて、未だに生涯学習概念に修正を加える事なく「患者相当者」を放置したままです。高齢化への対応も、幼少期の学校外教育も、子育て支援における発達支援も、「学習者」本人や「家庭」に任せて、「教育処方」や「教育的補完」の必要をほとんど無視し続けています。保護者の多くが共働きになった現状でも、日本の政治は、福祉と教育のタテ割り行政の修正を行なわず、結果的に保育機能と教育機能の統合も全く進んでいません。結果的に保育はいわゆる「お守り」をするだけに留まり、幼少期の発達支援を想定した教育プログラムはほとんど存在しないのです。行政からも、学校からも、「家庭よしっかりせよ」というメッセージばかりが発せられています。共働きの家庭が増えれば、保護者が留守がちになるのは当然であり、家庭の養育・教育機能が低下するであろうことは中学生でも想定できることでしょう。国は、一方で、男女共同参画を現代の最重要課題と設定し、女性の就労や社会参画を奨励しながら、他方で、家庭の教育機能の低下を教育的に補完しようとしないのは如何なる判断に基づくのでしょうか?政治や行政の「生涯学習格差」、幼少期の「発達支援格差」などについての現状診断と処方は愚かの一語に尽きると言わざるを得ないのです。

必要とされない孤独、邪魔にされる絶望(NO.2)
-高齢者の不覚と甘えの構造-

 133号の続きです。再び友人を見舞われた読者から第2便のお便りを頂き、日本の現実にやり切れない気持ちになりました。前号は、年老いた親が子どもから邪魔にされてリハビリ病院に滞在せざるを得ない絶望を垣間みたお便りでしたが、今回は、健康を回復した高齢者が自宅に帰れないことで、子どもたちへのお怒りのお便りでした。お怒りはシステムにも向けられています。「老健施設を覗けば大家族と核家族の狭間にいた年代のおばあさん達がたむろしています。子供たちも介護保険があるのだから使わねば損とばかりにケアマネ-ジャーの訪問の時は仮病を使わせて介護度の調整をして施設に送り込む。施設は施設で空ベットを作ればたちまち経営に響くので計算をして入所者の循環をスムーズにする。入所費は出来高払いでなく今は確か定額なのでベットが埋まっていればそれで経営に支障はきたさない、体の具合が変化すれば母体になる老人病院に転院させ再度受け入れをして又スタートラインから・・・この循環です。家族も入れておけば安心と見舞いも遠のき、亡くなっても、預けてある年金で処理してください、遺品は捨ててくださいという哀しいケースも出てくるのです」。
 高齢社会を誰も「長寿社会」と呼ばなくなった意味がよく分かります。長生きは個人にとっても、社会にとってもむしろ不幸の場合があるのですね。
 お怒りはごもっともですが、前から、書き続けて来たように、背景には、自己都合を優先する「自分の時代」の到来と高齢社会の分析が不十分な高齢者自身の不覚と甘えがあります。ご賛同はいただけないと思いますが、後10年もすれば必ず私が申し上げたようになりますのでどうぞ記憶しておいて下さい。

1 若い世代にとって高齢者は安寧の危険要因

 病気が完治した高齢者が退院後も家族に歓迎されず、家に戻れず、転々と施設暮らしをすることに、「何たる子どもたち!」というお怒りのお便りを拝見しました。我が身の近未来と重ね合わせて、感想と意見は複雑にならざるを得ませんでした。
 私が近年の著書に書いて来た通り、誰もが自己都合を優先する自由な「自分流」の人生が日本社会に到来しているのです。共同体の崩壊と核家族の登場はその走りでした。「自分流」の人生を生きようとする若い世代の生活にとって年寄りは邪魔で、障害物になったのです。
 ご指摘のように、高齢者は全般的に若い世代とは価値観が異なり、食べ物の好みが違い、見たいテレビも生活の感覚やスピード感も違います。しかも放っておくと火事や事故や老衰が心配です。もしかすると同居する高齢者の存在は、若い世代の日常の安寧と幸福な生活を破壊する危険要因かもしれないのです。ご存知のように孫の世代には高齢者を「汚い」、「臭い」などと罵る子どもも育っているのです。子どもの背後に親の感性が透けて見えるのではないでしょうか。
 また、高齢者自身の方も日本人は大家族から解放されて未だ一世代しか経っていないので自律の覚悟と自立の修行が足りないのです。突き放した言い方になりますが、高齢者の多くは、高齢社会の現実認識が不十分で、いまだ家族への甘えを断ち切れず、愚痴が多く、子どもから離れて暮らす孤独の覚悟ができていないのです。子宝の風土で、親は全力で子どもを育てて来ました。しかし、それは親自身の生き甲斐でもあったのです。「生き甲斐」であったことを忘れて、どこかで「育ててやった恩を忘れたか」と思っていることはないでしょうか。

2 「自分流」はみんな「自己中」

 自由で「自分流」の時代は、結果的に、子どもの世代も親の世代も「自己中」です。寂しがる老親を受け入れようとしない子どもたちへのお怒りは分かりますが、高齢者が自立的に生きようとしない限り、新しいタイプの「姥捨て」がこれから日本中で起こるのです。残酷な言い方になりますが、このままでは、人生の最期を愚痴にまみれて哀しく暮らす高齢者が増えることになります。
 高齢者に対するアンケート調査の結果を見ると、異口同音に子どもの側で、畳の上で死にたいというのが一番の希望です。それこそ国が推進している在宅介護政策の根拠です。国家にとっては家族の労働力に頼って福祉の「半分」を肩代わりしてもらった方が「安上がり」なのです。しかし、子どもの世代にとって高齢者の介護は大きな「負担」になるのです。特に、男女共同参画の実行ができていない日本社会では、介護の多くが女性の負担になるのです。老いた親の介護のために働き盛りの女性管理職が退職せざるを得ないのはそのためです。
 それでもきちんと日本流に子どもを育てて来た方のお子さんは、昔ながらの「親孝行」概念に従って親を引き取って手厚い介護をするでしょう。しかし、すでに両者の価値観もライフスタイルも大きく違ってしまっている以上、同居の親孝行介護が双方の幸せにつながるかどうかは分からないのです。世代間のライフスタイルの違いがほぼ存在しなかった江戸時代の三屋清左衛門ですら、息子や息子の嫁に気兼ねしながら、最後は自分の力で生涯学習や生涯スポーツや社会貢献の中に自分の生き方を見出して行くのです。「三屋清左衛門残日録」の作者藤沢周平は精神の自立した高齢者が子どもの世話になって生きなければならない「幸せ」と「不幸」をない交ぜにして描いたのだと思います。「自分流」とは「自己都合優先を原理とする生き方」です。それは言葉を飾らずに言えばみんな「自己中」だと言うことなのです。

3 高齢者は子どもと離れて暮らせるか
 
 私が亡妻に渡した遺書と尊厳死宣言の文章には、「延命治療」も「自宅介護」もするなと書きました。最近のニュースを思い起こして下さい。行き詰まった夫が妻を殺し、妻が夫を傷つけ、息子が親を殺しています。「自分流」の人生を選択した高齢社会がある種の地獄を見ているのです。
 辛くて冷たいようですが、「老いた親は子どもを離れて生きる」ことが新しい時代の高齢者の覚悟であり、国家の政策であるべきだと思っております。「できすぎ君」(ドラえもんに出て来る秀才少年です)のような孝行息子に囲まれて幸せそうに暮らしている老親の例外的な風景だけを見て、高齢者の生き方を決めるわけには行かないのです。幸せそうな三世代同居家族の陰で己を犠牲にした女性が泣いている場合も多いのです。
 あなたは「招かれざる客」となって子どもに引き取られる老後をお望みでしょうか!これまでの生き方を拝見する限りお望みではないでしょう。高齢者の最後は子どもと離れて暮らすべきなのです。問題の核心は高齢化だけが一気に加速し、高齢者自身に孤独を生きる文化的覚悟ができていないことです。覚悟の不在が愚痴や不満になって現れているのです。
 他者に迷惑や厄介をかけざるを得ないのは人間の最後の定めではありますが、できれば迷惑は最少限にしたいものです。介護を職とする人々が入所者に対して「ものの言い方は丁重でも、心がこもっていない」と、お友達がご不満を漏らしたということですが、そうした批判は高齢者自身の甘えと贅沢というものです。礼節が保たれている限り、必ずどの職業でも「こころ」は守られています。礼節は形ですが、仁でもあります。仁は人間に対する「やさしさ」から発しています。それゆえ、礼節ある限り仁あり、仁ある限り心もあります。次はお友達にそう言ってあげて下さい。

4人の自分-見えない自分が見えて来る自分史の不思議-

1 4人の自分

 心理学では有名な話ですが、自分には「4人の自分」がいると言われています。英語では、第1が“Open Self”,第2が“Hidden Self”、第3が“Blind Self”、第4が“Unknown Self”です。これらはジョゼフ・ルフト(Joseph Luft)とハリー・インハム(Harry Ingham)の共同研究による提案です。
 第1の自分の訳は「公開されている自分」、第2は「隠している自分」、第3は「自覚していない自分」、第4は「誰も知らない自分」となるでしょう。第1と第2は「自分が知っている自分」です。第3の自分は、自分は気づかないけれど、「他人は知っているかも知れない自分」です。第4の自分は「自分も他人も誰も知らない自分」です。
 普通の自分史は第1の自分;「公開されている自分」が書くのですが、問題は自分が知っていて、故意に「隠している自分」;第2の自分の取り扱いです。
 他人や家族に知られたくないから、或いは自分自身も思い出したくないので、意識して隠して来たことですから、普通は誰にも言わずに「あの世」まで持って行くのが原則です。この世にはままあることですが、アメリカのベストセラー小説「マディソン郡の橋」のように、残された家族に「実は昔あるところに好きな人がいた」などと死後に真実を告げることもあります。まさしく隠されたパーソナル・ヒストリーというところでしょうが、この種の告白は、正直であっても、意志薄弱で、やさしさの足りない野暮というものでしょう。しかし、借金とか隠し子とかいずれ明らかになって第三者を巻き込んだ問題がある場合は 後に残る人々に迷惑がかかる場合も起こり得ます。こちらは自分史の前に片をつけておくことが鉄則です。人生の終わりに近くなってこの種の問題に「けり」を付けて、書くか書かないかは人によって実に難しい判断になります。自分史作法の原則は、「知ってもらいたい自分」を書くということ以上に、残された人々を不快・不幸にしないということです。

2 自分史の一番難しい問題-自分が知らなくて他人が知っている自分

 自分史に限りませんが、日常生活においても第3の自分は一番扱いが難しい問題です。まぎれもない自分がそこにいるのですが、自分には自覚症状も、意識もなく、「他人だけが知っている自分」がいるというのは気持ちの悪いものです。しかし、事実です。例えば「しぐさ」や「くせ」が分かりやすい例でしょう。「無くて七癖」というように、本人に格別の自覚はありません。しかし、他人の注目するところとなります。あいさつ、応対、手紙の返事、長電話等々枚挙にいとまがありません。
 体調なども同じです。長時間原稿などを書いていると、俯きの姿勢で胃の中の食い物が異臭を発するときがあります。亡妻はよく“あなた臭いますよ”、と忠告してくれました。ありがたいことではありますが、不愉快な助言にむっとしていると“私の外に誰が言ってくれますか”、と第2弾が飛んで来ます。あなたの書く自分史も他人の目になって自分を振り返る必要があるのです。方法論としては、「人の振り見てわが振り直せ」です。他者があなたに向って発した言葉を客観的に入れておくと、一人よがりの自己中解釈を防ぐことができます。
 要は、他者の言動を基準として我が身を分析することが問われているのです。ちなみに、自分が判断する自分の総体は「自分自身観」と言います。逆に、他者が判断するあなたの総体を「パーソナリティ」と言います(*)。
 自分史は自分の思う通りに書いていいのですが、他人には別の見方もあると自覚しておいた方が、抑制と分別が効いていて、後に読まれる方々にとって読み易いものになる筈です。自分史が自慢史にならぬための防御の一策でもあります。

(*)判断のフィルターとしての「自分自身観」
 成人は過去の経験に基づき、判断や発想の基準となる「自分」というものができ上がっています。この「自分」は判断や発想の主体になります。心理学的には「アイデンティティ」と呼ばれます。アイデンティティは通常「自己同一性」と訳されていますが,「自己と同一の性格を持つもの」と言われても何のことか分からないでしょう。私は自己流ですが,「パーソナリティ(人格)」との区別も含めて「自分自身観」と訳しています(*)。パーソナリティは第三者が見て、判断した自分,「自分自身観」は自分が自分を見て,判断した自分です。
「自分自身観」でも分かりにくいのですが,「自分とは何か?」という質問を自分に発して、「自分で答えた答の全部」ということも出来ます。要するに,人生について,世の中について,美しいものについて,醜いものについて,そして自分について,自分がどう考えているかを答えた答の総体です。

時事教育評論6若者の就職難の教育学的分析
「和橋」に比べれば柔なもんだ!

1 菅総理はなぜ「雇用」と言わなくなったのか。

 雇用、雇用と言いながら、実態は中小企業を含めれば、求人数が就職希望者数を上回っているというデータが報道され始めました。つい先頃まで菅総理大臣の最優先課題は1に雇用、2に雇用ということでしたが、雇用の連

乎が止まったのはその事実を知ったからではないでしょうか?
 要は、若者たちが選り好みをしているということなのです。問題の背景の一つを作って来たのは近年の教育界です。

2 労働の平準化-均質性と没個性化

 人々が求める「やり甲斐」は「成果が上がること」、「能力を発揮できること」、「活動に意義を感じること」、「人々から認めてもらえること」などの総合的結果です。それゆえ、誰がやっても同じことであれば「やり甲斐」が遠のくのは当たり前のことです。対人的な仕事や高度なトレーニングを必要とする専門職業を除けば、恐らく現代の大部分の労働は没個性的なものになったのです。加藤秀俊氏はやり甲斐の根拠を分析して「誰にでもできる仕事ではなく、自分にしかできない仕事だ、と思うから職業生活には張り合いがある」のだと指摘しています。「その職業が、誰にでもできるようなものになってしまったときに、ひとはそれにくだらないという形容詞をつける」。「そして、現代社会はくだらない仕事に満ちあふれている」(*1)と指摘しています。加藤氏の指摘通り、労働の「平準化」はくだらない仕事を社会に溢れさせたということになるでしょう。労働におけるやり甲斐の喪失は当然の帰結だったのです。

(*1)加藤秀俊、生きがいの周辺、文芸春秋、1970年、p.242

3 教育における「個性」の過大評価

 個性の一般的定義は、“「個体・個人」に与えられた資質や欲求の特性”ということになります。要は、他者との「差異」の総体です。しかし、「他人と違っている自分」というだけでは教育指導上の「個性」を説明したことにならないでしょう。単純な「他者との差異」を「個性」と等値し,両者を混同したところに近年の教育の混乱の原因があります。近年の教育は個人の感性や欲求を強調し、個性と混同する過ちを犯したのです。
 まず第1に,「資質上の違い」だけを問題にするなら、個々の後天的な努力をどう評価するのか、が問題になります。少年期の「他者との違い」は、本人ががんばれば直ちに発生し、その成果は縮小したり拡大したりするからです。努力しない少年が遅れを取るのは当然の結果です。
 第2に戦後教育の個性論は、感性や欲求を個性と混同しました。各人の持つ「資質」と「欲求」が混ぜ合わさって「違い」が生じるとすれば、「個性」とは、「欲求の現れ方」、「自己主張」・「自己表現」の「在り方」ということになります。即ち、個性=「自己主張」・「自己表現」となります。しかし、当然、すべての自己主張や自己表現を個性として尊重せよとは誰も言わないでしょう。馬鹿げた自己主張も,端迷惑な自己表現もあり、社会に害をなす反社会的な主張も多々あることは自明だからです。
 それゆえ、第3の問題は、すべての個性を肯定的に評価することは出来ない,ということです。子どもの自己中心的な欲求や身勝手な思いこみを個性と勘違いしてはならないのです。
第4に注目すべきは「他者との違い」の構成要因です。
「自分」と「他者」を区別する最も具体的な要因は、知的能力、身体的能力,判断力、適応力、容貌・しぐさ・表現力などあらゆる種類の「能力」です。次の要因は、短気,大胆、優しさ、思慮深さ,のんびりなどの性格的・精神的要因です。まさしく,性格は人それぞれ違うからです。最後の要因は,個人の好みと欲求です。「タデ食う虫も好きずき」で、それぞれに人間の嗜好や相性は異なるのです。
 重要なことは,「能力」を「個性」と等値すれば,必ず社会的評価と選別に結びつきます。また、「性格や精神」と「個性」を等値すれば、好ましくない性格の判定やその矯正問題が浮上します。当然、「欲求」と「個性」を等値することも出来ません。反社会的な欲求や嗜好を肯定するわけには行かないことは自明でしょう。「みんな違ってみんないい」という情緒的かつ好意的な発想は,楽観的で耳障りは良いですが、現実の教育場面に適用することは決して簡単ではないのです。それゆえ、「他者との違い」を「個性」として全面承認することは、不適切なだけでなく教育的には不可能なのです。子どもの「感性」や「欲求」を「個性」と等値することは問題外です。
 要するに、人間には、いろいろ特性はありますが,それほど際立った個性などというものは、めったにあるものではないのです。際立った「個性」は押さえても延び,教えなくても自ら花をつけるのです。その「花」には、時に、毒すらあるのです。「個性」とは,個人の「特性」と「生き方」の総合として人生の最後にあらわれる「他者との差異」なのです。「個性」とは,自分に与えられた運命的な特性と本人の人生のがんばりとが綾なす総体的な生き方に現れる特性の意味です。しかし、近年の学校が重視した個性教育は思わぬところで副作用を生みました。

(4) 労働のやり甲斐を失わせた適性論

 近年の教育では、個性の重視が叫ばれ、多くの場合、個性は「欲求と感性」に置き換えられました。他方、上記の通り、「利便性」追求の結果、多くの労働のプロセスが単純化され、没個性化しました。
 個性を重視しながら、個性を喪失した仕事を続けなければならない現代の労働は何たる矛盾を含んでいることでしょうか!多くの人のやり甲斐の探求は悲惨な結果を招くことになりました。自分の欲求や感性にあった仕事だけがやり甲斐に繋がるという仮説に立てば、誰もができる仕事はやり甲斐には繋がらないということになります。しかし、現代の労働の多くは、すでに誰にでもできる労働に分業化され、単純化され、標準化されているのです。「自分でなければならない」という労働に巡り逢うことは至難のわざなのです。  
 近年、特に、多くの若者が仕事に就いても長続きしないと言われます。原因の多くは彼らの「個性重視」の結果であり、自身の好き嫌いを過大評価した結果です。景気が悪くなると、失業率が社会問題の前面に躍り出ますが、現代の失業は、現実に、仕事があっても仕事が続かないことによる現象だという、事業主の証言をテレビで見ました。十分なトレーニングも受けていず、それだけの能力も備わっていないのに「自分に合った仕事」を探し続ける若者群の存在は、現代の教育病理的な現象です。若者たちの多くが仕事を選り好みすることが失業現象の一因であるとする事業主の証言は一理ある分析と言えるでしょう。
 「個性」を「感性」に等値し、好き嫌いの問題とごっちゃにしたのは教育です。子どもの感性の過剰評価・過大評価を蒔き散らしたのも教育です。なかんずく、学校教育であり、その影響を受けた家庭教育です。考えるまでもなく大学を出ていようといまいと、多くの平均的な若者のやることなど誰にでもできることなのです。
 若者の多くは己の能力や努力も顧みることなく、「ないものねだり」をすることになったのです。高望みの「ないものねだり」を満足させる方法はありません。平準化された労働で高望みする個人のやり甲斐要求に応えることはほぼ不可能になったのです。

4 「和橋」に見倣え
 
未だ数は少ないのですが「和橋」と呼ばれる外国で活躍する日本人がいます。「和橋」とは英語で“Overseas Japanese”と呼ばれます。華僑と違って、「和橋」は 「僑」ではなく、「橋」( bridge)を書きます。日本をそして日本人を世界の人々と「和」でつなぎたいという思いを込めているそうです。 それゆえ、 和橋とは活動理念であり、必ずしも特定のグループを意味していません。もちろん、彼らも「華僑」の結束と力強さを見倣うと共に、民族を超えた仲間を募り、世界で生きる日本人を目指そうとしているのです。明日の就職を心配している本人や親御さんには気の毒ですが、就職難で追いつめられれば、柔な現代の若者も思い切って世界に飛び出して行くことでしょう。政府は税金で職を創るような姑息なことをせずに、若者をグローバリゼーションの波の中に放り出せばいいのです。食うためには彼らもまた自分の戦いを戦わなくてはならないのです。小沢征爾氏も小田実氏も我々の世代は皆そうして世界に出て行ったのです。忘れないでいただきたい。現在、就職希望件数より求人数の方が多いのです。大学・短大の進学率が50パーセントを超えた今、採用基準は学歴ではありません。己のやる気と能力です。企業にも当然選ぶ権利はあるのです。当世の親も子どもも「和橋」に比べれば柔なものなのです!

134号お知らせ

1 第108回「生涯教育まちづくり移動フォーラム」in大分(「活力・発展・安心」デザイン実践交流会:大分大会)

(1)プログラム:まちづくり・子育て支援等を中心としたリレートーク、実践発表など福岡と大分のコラボレーションです。
* コミュニティ・スクールの実践(飯塚市立高田小学校)
* 特別講演:「主体性」と「学習」を優先した現代教育の忘れもの
―教育における「不作為」と鍛錬の空白-(三浦清一郎)
(2)日程:平成23年2月26日(土)10:30から27日(日)12:00まで
(3)会場:「梅園の里」:大分県国東市安岐町富清2244(TEL0978-64-6300)
(4)参加費:500円、宿泊・食費別
(5)問い合せ先:事務局:大分大学高等教育開発センター;中川忠宣(TEL/FAX097-554-6027)または東国東デザイン会議事務局 冨永六男(TEL0978-65-0396,FAX0978-65-0399)

2 「NPO幼老共生まちづくり支援協会」が成立

 去る1月22日(土)、標記のNPOは、飯塚市前教育長森本精造氏を初代理事長として79名の創設メンバーのご出席を得て船出しました。「新しい公共」の大義のとおり行政との協働が出来るか、少子高齢社会を乗り切る「幼老共生」のステージを創造できるか、が問われています。協会の主催事業として、従来から続けて来た「生涯学習フォーラム」を主催することになりますが、巻頭小論で論じたとおり、「生涯学習概念」の副作用は大きく、日本の社会教育は「社会の必要」を軽視した結果、一気に凋落の傾向を辿っています。それゆえ、これまでの「生涯学習フォーラム」は看板を「生涯教育フォーラム」に架け替え、日本社会の「教育必要」を主題とした研究会として再出発いたします。
 しかし、一方、本「風の便り」は、年間契約購読制の原則を守り、あくまでも自覚的・選択的「生涯学習者」を読者に想定していますので「月刊生涯学習通信」のままで参ります。

3 第30回記念 中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会は平成23年5月21日(土)-22日(日)です。前日20日(金)の午後7時からが前夜祭です。

§MESSAGE TO AND FROM§ 遥かな人へ

北海道札幌市 水谷紀子 様

 やさしいお便りに札幌時代が甦りました。北海道に限らないのですが、老いて旅が遠くなりました。あなたが日本語を教えてくださっていた頃が夢のようです。温情身に滲みております。あなたもどうぞ戦いをお止めにならぬように。応援しております。

千葉県印西市 鈴木和江 様

 この国の男女共同参画の遅々たる歩みに愛想を尽かせたのでしょうか、お世話になった娘はアメリカに定住いたしました。ニューヨーク州の田舎の大学で生き生きと暮らしております。いろいろ評価の指標はあるのでしょうが、日本の女性の社会への参画率は世界94位とのことです。
 今年は、中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会が30年の節目を迎えます。これまでの発表は総計741事例になりました。私は5月の大会で総括報告を担当する予定なので既存発表の事例を調べ直してみたら、社会教育も、生涯学習も男女共同参画を推進しようとするプログラムは皆無に近く、実に冷たい分野であることが分かりました。我が娘が国を捨てた決断に納得しております。

北海道札幌市 竹川勝雄 様

 夕暮れ時の北海道銀行東京支店を思い出しております。あの頃のご縁でわれわれがこうして老いの戦いの日々を交流していることを人生の不思議と思わざるを得ません。その後博士号は生きていますか。英語の勉強は続けておられますか?私は「むなかた市民学習ネットワーク事業」で、毎週の英語ボランティア講師として指導を続けることで、老若男女の生徒さんに支えられ、今を孤立せずに暮らしています。NHKの「無縁社会特集」を見ていたら、「自分に自立を課した人々が自立の観念に縛られ、他者に助けを求めることができないので孤立するのです」という趣旨の解説がありました。愚かな分析です。自由で、自己中となった日本人は「他者のために働こうとしないから孤立するのです」。「自分のためのボランティア」は間違っていません。あなたの地域活動が廻り始めましたらぜひお聞かせ下さい。

沖縄県那覇市 大城節子 様

 30周年記念大会の出版原稿を2月14日に学文社へ提出いたしました。5月には世に出ます。先生に支えていただいて始めた大会に30年の歳月が流れました。術後は養生が大事と聞いております。くれぐれもお身体をご自愛下さい。

広島県廿日市市 川田裕子 様

 12月の「廿日市移動フォーラム」の件、日程を押さえました。再会を楽しみにしております。山口の赤田校長、飯塚市の森本前教育長、九女大の大島まな先生などにお知らせいたしました。

東京都 近藤真司 様

 がんばれ編集長!ようやく書評らしい書評が載りました。時が来れば解決する問題も多いのが人生。聖書の言うとおり「なにごとにも成る時というものがある」のでしょう。応援しています。

神奈川県葉山町 山口恒子 様

 新天地の暮らしはいかがでしょうか。新しい友は必ず公民館やボランティア・グループの中にいるはずです。社会教育は凋落の一途を辿っておりますが、市民が没落しているわけではありません。振り返っても詮無いことですが、“てんとう虫”の時事英語を一度担当したかったものです。御地で同志を見つけることができましたらお話をお聞きしたいものです。

過分の印刷・郵送料を頂戴しありがとうございました

沖縄県うるま市 比嘉弘之 様
(ご友人の分確かに承りました。)
北海道札幌市 水谷紀子 様
東京都    池田和子 様
山口県 長門市 藤田千勢 様

編集後記
一人を生きる、新しく生きる

1 134号とともに世間に復帰します

 去る2011年1月25日夕刻、妻のダイアンが「心不全」のため急逝いたしました。前号「風の便り」133号の完成の日でした。国際結婚と異文化間コミュニケーションを共に戦って来た「戦友」を失い寂しい限りです。この間遺品の整理とあと片づけの掃除をしながら一か月間世間との交わりを絶って喪に服しました。友人・知人の皆様には失礼とは存じましたが、喧噪を避け、己の正気を守るため、妻の喪を秘して誰にも明かしませんでした。しかし、籠っていることは故人の望むところではありませんので、134号の発行を機に再び世間に復帰します。生活は一変しましたが、新しく一人を生き抜くことを宣言し、「風の便り」もこれまで通り書き続けることをご報告申し上げます。
 事後の処理事項が山ほどあるのですが、一日一つに限定して処理しております。生前彼女がお世話になった方々には別途お礼と報告の私信を差し上げました。
 古希を迎え、独りぼっちの暮らしになって、今度は自分の老衰と孤独死を心配する番が廻って来ました。世間にはもとより子どもたちにも大きな迷惑をかけぬようアメリカの娘夫婦と東京の息子夫婦を相手に日々の無事を知らせるために「風の便り」に加えて、「週間:無事の便り」を創刊し、第2号まで送ったところです。
 遺骨はわが家に安置し、しばらく一緒に生活をします。次は私の番ですので、練習を兼ねて故人の意志を尊重した葬儀をするよう息子に喪主を申し付けました。クリスチャンを仏教徒の墓に葬るのは不自然ではありますが、すでに亡くなった娘がひとりそこに眠っているので、故人も一緒に入ると生前から言っておりました。国を捨て、文化も半ば捨て、家族を遠く離れ、異国の異教徒の墓に眠ることになるのは誠に不憫ですが、やがて私も参りますので許してもらうことにします。
 本人から許可が出なかったので、これまで書かなかったのですが、どこかで、我々が戦ってきた日々を学問的に分析する「国際結婚の社会学」を書いておきたいと考えています。最近、国際結婚に破れた日本の家族が、相手家族の了承も無く、“勝手に子どもを連れ帰る”ということが国際問題になりつつあります。他者の親権を認めない日本人の無知と日本文化の現状が国際化の流れにほど遠いことを伺わせます。
 遺骨と暮らし、幻聴と問答をしながら、辛くなると単純労働の掃除と整理に没頭するよう努めております。ゴミ袋を出すたびに胸のつかえも一緒に出したような気がしています。

妻逝きて
花が咲いたと告げる人なく
小鳥が来たと告げる術なし

誰もいぬ野のあげひばり
たからかに
物憂い春を歌う見事さ

繊月に
春は名のみのたそがれを
如何に耐えむと庭清めたり

2 老病孤舟あり

 老いて一人になり「老病弧舟あり」と歌ったのは杜甫です。天才詩人が遂にあこがれの洞庭湖に至り、岳陽楼に登って心境を詠んだ詩の一文です。私もまさしく老いて人生の海に漂う小さな舟の如く、目も歯も血圧も病みがちの状況になりました。それでもなんとか自立と自律を貫徹し、新しき日々を生き始める所存です。
 前々の著書に書きました通り、私にとって美しき晩年とは「戦う晩年」です。「戦う晩年」とは社会に参画してがんばり続ける晩年です。がんばりを支えるのは人間の精神であり、われわれの意志です。言い方は難しいのですが、衰弱して己を失うまでは、「あるべき命」を生きようと全力を尽くし、老衰の果てに己を失ったあとは「あるがままの命」を他者に委ねて生きることは出来ないでしょうか?それを決めるのもまた精神の働きなのでしょう。
 子ども時代から青年期にかけて私たちは「生きる力」の基礎を形成し、その力は人生の経験を通してさまざまに加工して来ました。加工の方法も、結果も「自分流」であったことは言うまでもありません。「生きる力」は、「体力」に始まり、辛さに耐える「耐性」と混じり合って、人生の行動耐性と欲求不満耐性を形成します。この二つの上に、職業生活・社会生活のための学力や規範を積上げました。「生きる力」の最終条件は精神力、意志力、感情値:EQなどと表現される人間性ですが、もちろん、人間性の向上に終わりはなく、完成もありません。小生が論じて来た「生きる力」がこれから試されると考えております。個人に何が起ころうと世間は関係なく流れ、世界の時間も止まることはありません。それゆえ、自分もまた進んで世間に参画し、世界の時間の中で生きて行こうと思います。大言壮語に関わらず途中で挫折をするようでしたらどうぞご遠慮なくお笑い下さい。

新しく生きむとすれば
胸熱く
四季折々の花に逢う
今日はふたたび帰ることなく
誰も代わりには生きられない
彼方の果ては茫々なれど
覇気に輝き行かんかな

「風の便り 」(第133号)

発行日:平成23年1月
発行者 三浦清一郎

教育行政の「不作為」と学校外教育機能の空白

1 教育行政の不作為

今や、学校への過剰期待、その結果としての学校の肥大化、従来の地縁をもとにした伝統的地域共同体の衰退、地域教育力の崩壊は様々な社会病理の状況をもたらしました。中でも、核家族化が進行した結果、孤立した家庭の養育機能や教育力の低下は、日本の子どもの諸問題を拡大再生産しつつあります。それを象徴する近年のスローガンが「早寝、早起き、朝ご飯」であり、「モンスターペアレント」の登場です。二つの現象は、多くの家庭におけるしつけ感覚と教育常識の崩壊を象徴しています。
一日の始まりの朝ご飯を食べさせないで学校に子どもを送り出すということは、その他の基本的生活習慣やしつけの崩壊を明快に裏付ける雄弁な証言です。「早寝-早起き」に象徴される子どもの生活リズムを指導できないということは、もはや多くの家庭は子どもの成長にとって非教育的或いは時に反教育的環境と化したということです。「早寝、早起き、朝ご飯」が文科省主導の教育運動になったり、県の指導目標になっている現状を恥ずかしいと思わないことが恥ずかしいのです。なぜ生活リズムを取り戻す為の特別・集中的な手を打とうとしないのか、教育行政の感覚を疑います。日本伝統の「子ども宿」の慣習まで逆戻りをしなくても、学校を使えば、「オリエンテーション合宿」や「通学合宿」や「サマーキャンプ」や集中的な「勉強合宿」などの方法はいくらでもあるのです。しかし、小学校の低学年の期間に徹底した生活指導や適応指導を行なったという事例を聞いたことがありません。逆に、愚かな中央行政の指導を盲信して、「早寝、早起き、朝ご飯」の歌など歌って家庭に呼びかけている県がありますが、バカバカしさを通り越して無責任・不作為の極みと言わねばなりません。「おそ寝、おそ起き、朝ご飯抜き」は日本の多くの家庭が「選択」したことであり、登校する子どもを車で送るのはその結果なのです。義務教育の間に基本的生活習慣や生活リズムを確立できなければ、社会規範を教えることなどできる筈はありません。教育行政や学校がいくら口を酸っぱくして言っても、「早寝、早起き、朝ご飯」の指導ができない家庭環境において、基本的生活習慣のしつけや礼節や規範の内面化は極めて厳しいのは当然です。行政も学校も事態の深刻さは十分すぎるほど知っているのです。「家庭でなんとかしてもらいたい」と教員達は20年くらいは言い続けて来ているのです。
学校も教育行政も、そうした家庭環境で、学習の構えはもとより、体力、耐性、協調、協力など集団で生きる力の基本を為す「核体験」の蓄積は望むべくもないことも知っています。知っていて、しつけと基本的生活習慣の確立は「家庭の責任です」と言い続けて来たのです。現在、教育行政や学校が言い続けている「家庭の自己責任」論は、介護が自己責任であった時代、「お宅のおばあちゃんはお宅で責任をもってお世話して下さい」と言い続けて来た福祉行政の「言い草」と同じです。核家族化や老老介護の「悲惨」が国民を「食いつぶし」,高齢者を悲劇に追いやった事実が明らかになって初めて、ようやく介護保険制度が導入されて介護の社会化が行なわれました。現代の多くの家庭に、もはや「介護の自己責任論」が適用できなくなったように、多くの家庭に「教育の自己責任論」を適用できなくなっているのです。
財源のない「ばらまきの子ども手当」の何分の一かを当てれば、軽々と学校による少年期の集団訓練や共同生活のオリエンテーションは可能になります。介護に家族を支える社会化のセイフティ・ネットが必要であったように、現代の少年教育にも類似の「養育の社会化」というセイフティ・ネットが必要になっているのです。現代の家庭の「養育力・教育力」はそこまで凋落しているのです。
体力も耐性も基本的生活習慣も礼節や規範の内面化もできていない子どもに通常の授業は成立しません。先生方は学校という環境に適応できていない子どもに指導はできないのです。学級崩壊も、授業崩壊も小1プロブレムもそうした子どもが引き起こし、本人の学力はもとより、他の子どもの勉学の障害になるのです。小学生を私立学校に送れる家庭には義務教育の悲惨を回避する「選択権」がありますが、田舎に済む家族や普通の経済状態以下の家庭は私立学校を選択することはできません。
それゆえ、問題の解決には義務教育を立て直すほかに道はないのです。3年生を過ぎれば、子どもの習熟度に大きな差が発生します。遅れた子どもはどのような教育的補完の配慮を受けているでしょうか!?学校が終った後の学童保育は教育的補完を考えて来たでしょうか?労働基準法はフレックスタイム制を認めています。日本のどこかに先生方の時差出勤制を採用して「遅進児」の教育的補完に取組んでいる学校があるでしょうか?日本の政治家は「保育を必要とする家庭」ほど「教育的補完を必要とする家庭」になりがちであるという事実を考えた末に、学校外の教育と保育の分業のシステムを存続させているのでしょうか。政治や行政の不作為を理解できないのは筆者だけなのでしょうか!

2 学校外教育の立て直し

産業構造の激変と生活スタイルの都市化が進行して地域共同体が衰退・崩壊したということは、地縁によって形成されていた集団が崩壊したということです。近隣のおじさん、おばさんの教育機能も、地縁の遊び集団も、社会教育関係団体の子ども会までが崩壊しつつあるということです。
共同体の崩壊は、地縁に基づく共同行動の衰退に重なるので、子どもは第1次生活圏で「みんなで共同」、「みんな一緒」の集団体験を欠損し、社会参加体験を欠損し、勤労体験を欠損し、地域の大人との多面的な接触体験を欠損しています。
今や、子どもにとって一番大事なものは、自分たちの欲求の実現となりました。学校を始め子どもの指導に当たっている方々は、子どもたちは一様に自分の気に入らないことに対しては、「きつい」、「面白くない」、「やりたくない」、「やだ」を連発すると言います。その彼らが突然、学校が求める規範に服従できず、カリキュラムが要求する集団スケジュールや共同行動に不適応を起こしたとしても何ら不思議なことではないのです。すでに事態は、子どもに限らず、子どもたちの保護者でさえ、「みんな一緒」の共同行動から解放され、自己都合優先の生活スタイルを確立し、それぞれに自由な私生活をエンジョイしています。それゆえ、保護者もまた子どもの共同行動や集団生活の規範を教えられなくなっている可能性が高いのです。もちろん、保護者は地域や学校のために生きているのではなく、自分のために自己都合優先の原則で生きています。メディアに登場する虐待や育児放棄のニュースの数が増加している現象から推測すれば、「子宝の風土」が風化して、もしかすると子どものために生きようとしない保護者が時代の表舞台に登場し始めているのかも知れません。すでに日本社会には自由な「自分の時代」が来ているのです。
そのような時代の条件に無自覚のまま、近年の社会教育は形式的な子育て支援・家庭教育支援の努力を続けて来ました。結果は周知の通り、何度研修会を繰り返しても、相談会を重ねてきても、「来てもらいたい人は来てくれないですね」というぼやきを繰り返すだけに終りました。義務教育と違って社会教育には教育の強制力はなく、生涯学習の建前の下で市民の選択に任せて来た以上、しつけや教育に無関心な人々に届く筈はなかったのです。この時、義務教育学校と組み合わせた社会教育事業だけが幾分かの成功を納めました。学校と組めば社会教育は住民の信用を得ることができるのです。それが学校と社会教育が協力して実施した通学合宿やサマーキャンプの工夫です。学校と社会教育の協力を私たちは「学社連携」と呼んできました。
学校の教育問題の大部分は家庭と地域を発生源としています。しかし、学校のジレンマは、学校外を発生源とする諸問題が学校に集中したとしても、個別の家庭や地域の「みんな」が支えるという考え方が不可能になりました。地域はバラバラで無関心であり、PTAや保護者会も自己都合優先で自由に振る舞う個々の会員や家庭を束ねる力はもはや希薄になりました。地縁集団からも、PTAからも自由になった個々の家庭は、学校に要望と文句を言う以外為す術がなくなったのです。その典型がモンスターペアレントなのです。
誰も正式に評価の対象としませんが、現代の地域で唯一辛うじてルールへの服従や言動の規律や規範を子どもに強制しているのは、チャンピョンスポーツのクラブ指導者か「塾」の指導者です。それゆえ、「公立学校は今の社会で機能し続けるのか」と問うているのも塾です(*1)。
公立学校には存在しないスポーツクラブや塾の指導規範や指導方式が、陰ながら日本の子どもの協調や学ぶ姿勢を保っているという事実もまた認めざるを得ないのです。
地域集団も、家族も、家庭教育も孤立し、弱体化し、結果的に学校もまたそれが位置する地域との関係が稀薄になって、ますます閉鎖傾向を深めることになっているのです。果たして、これからの学校は社会教育と組んで地域の教育力の再編成の方向に動くでしょうか。また、「生涯学習」の理念の影響下で自分の好きなことしかやらなくなった市民を、社会教育は子どもや地域の共通問題の解決のために機能するシステムに作り替えることができるでしょうか?生涯学習は市民の選択に任せればいいのだと言い続けて来た社会教育行政の理屈は不作為を正当化する詭弁を含んでいます。これからの社会教育行政は、公金を投入する対象を選択し、自らの「教育課題」を再診断して学校外の問題に立ち向かう施策を打ち出せるようになるでしょうか?それとも「生涯学習」理念の陰に隠れて「不作為」を続けることになるのでしょうか?2011年の学校を取り巻く問題はそうしたことを問われているのです。

(*1)濤川栄太、中萬憲明、中萬隆信、塾が日本を変える、1996年,ヒューマン、pp.32~36

時事教育評論5  政治「先物」詐欺-公約不履行と投票行動の詐取-

1 司会者が示した周到な準備モデル

過日一休みしようと思ったとき、偶然妻がテレビ朝日の報道ステーションをつけました。司会の古館さんが張り切って今夜は菅総理をお招きすることができましたと叫んだので見ることにしました。司会者にとっては一国の首相をお招きできたということは名誉なことでしょうから、古館さんはよく勉強し、彼をサポートするスタッフも入念な資料を準備してインタビューに臨みました。教師や指導者にとってとても大事な準備姿勢のモデルを示したと感心して拝見しました。
インタビューは多岐に亘りましたが、筆者が注目したのは民主党および菅総理大臣が国民に約束したことをどのように説明するかという一点でした。
まずは財源問題。総理の説明では、消費税5パーセントの総収入は7兆円で、高齢者の福祉に関する費用だけでも17兆円だという説明でした。それゆえ、選択肢は高齢者の介護その他の負担を増してもらうか、給付を減らすか、国民全体で負担をするために消費税を上げるかということにならざるを得ないということでした。これに対して古館さんは、民主党のマニフェストや菅総理の演説から引いて、公務員の削減や給与引き下げ率は約束と全く違うこと、衆参両院の定数削減も約束したことは何一つ実現していないことを突き、「無駄をなくす」筈の事業仕分けも中途半端に終りそうではないかと資料を示して批判しました。
総理の弁明は、上記の約束の実行には「いろいろ調整の難しいことがあるのでまず検討を始めている」とのことでした。しかし、筆者は、民主党がマニフェストで公開の約束をし、選挙運動を通して、自公政権がやれなかった上記の難問を実行すると説明・宣言したが故に政権交替を支持したのです。民主党になれば、長年の官僚支配や税金の無駄使いや多すぎる議員定数も減らすことができ、新しい風が吹くであろうと希望を託して一票を投じた身としては全く納得しかねる菅氏の説明でした。前政権ができなかった課題は利害が対立する課題であり「難しいことは最初から分かっているのだから、国民に約束する以上はもっと実行可能性を詰めてから言え」とテレビに向って怒鳴りました。古館さんもイライラが募ったことでしょうが、多少顔が引きつった程度で、一国の総理に対して辛うじて礼節を保ちました。
次にTPP(環太平洋自由貿易協定)についても、「平成の開国」などと抽象的文言を振り回して言を左右にする総理に対して古館さんは、日本と競争関係にある他国が相互の関税を撤廃して自由貿易を開始すれば、日本はライバル産業国との輸出競争力を完全に失うことになり、現在の日本国の主要な「稼ぎ」の大部分を失い、国民生活の水準は急落すると指摘し、農業を守るのか、それとも農家を守るのか方針をはっきりさせた上で、当面の対策を講じるべきであると迫りました。ここでもまた「いろいろ難しい条件があるので検討をさせている」という答弁で菅氏は逃げました。TPPは関係国の間でもうすぐ締結されるのですから、「検討をさせている暇などあるのでしょうか」と古館さんは言いました。

2 総理大臣が示した不誠実な言動モデル

近年「先物投資」や「未公開株」の販売で、「必ず値上がりする」と鳴り物入りの説明会まで行なって多くの人々から金を巻き上げた悪徳商法の責任者が次々と逮捕されていますが、菅総理の言っていることは「必ずやる」と言ってやらない「先物投資政治」だったということです。疑いなく民主党は筆者の一票をだまし取ったのであり、勉強家の古館さんの質問をのらくらとはぐらかす態度は、「投票詐取」、「政治詐欺」と呼ぶべき憎むべき不誠実さです。中学生以上の学力があれば、菅氏が古館さんの質問に答えようとせず、はぐらかそうとしていることは十分に分かる筈です。一国の総理大臣が子どもたちに対して何たる教育モデルを提示しているのでしょうか!彼は不誠実な言動のモデルをテレビを通して全国の青少年に曝しているのです!!
意見がそれぞれに異なることは当然のことですから、違ってもいいのです。しかし、彼は質問に正面から答えず、批判をはぐらかし、出来ない事の理由を言わず、約束を守れないことの詫びを言わず、言動の全てが不誠実です。先に愚かな約束をばらまいて、お詫びのしるしに辞めざるを得なかった鳩山前首相と比べて人としての姿勢において劣るのです。「有言実行内閣」などという空文句が聞いて呆れます。その言動が誠実さを感じさせない総理大臣を国のリーダーに頂いて、日々その詭弁を聞かざるを得ないことは誠に情けなく、彼を政治詐欺で逮捕する法律のないことは誠に残念なことです。
菅氏はいつぞや「政権支持率が1パーセントになっても総理大臣は辞めない」と言ったとか。彼は「えらくなりたかった」だけで、市民のための運動に情熱を注いできたのではなかったのです。彼が尊敬して師と仰いだという市川房枝さんは草葉の陰でさぞお嘆きのことだと思います。

読者のお便りに触発されて
必要とされない孤独、邪魔にされる絶望
-高齢者の居場所と浪費の構造-

読者からお便りを頂き、日本の現実にやり切れない気持ちになりました。年老いた親が子どもから邪魔にされる絶望を垣間みたお便りでしたが、同時に福祉を建前に高齢者をだしにして浪費を作り出す構造が厳然と存在することも併せて痛感させられました。自己都合の権利だけを推し進めた人権時代の結末を見る思いです。

お便りは次のように始まります。「友人を病院に見舞い、話を聞いているうちにだんだん帰りづらくなりました。知人は11月の始めに風邪をこじらせ肺炎になって緊急入院、高齢なのでやや手遅れの感がありましたが一月余りの加療でようやく完治したそうです。彼女は健康な時から足が弱い方だったのですが、しばらく臥せっていたのでたちまち足腰が衰え、そのままリハビリ病院へ転院して現在に至っています。」読者はそのリハビリ病院にお見舞いしたのだそうです。
「話を聞くうちに彼女の立場はリハビリではなく年末年始はしばらく家に帰って来ないでということだということだとしょんぼりするのです。『歩かせてもらえば歩けるのだけど歩くことは病院からまだ許可が出ないので車椅子での移動に制限され、それも病院の人手が足りないので食事時のみ』・・後はベッドの上でじっとしているだけなので辛いというのです。」
便りの主は、「歩けるなら歩けば良いし、家でこまごましたことを少しずつするのが一番よいリハビリになるのだから退院を申し出たら?」と促したそうです。
ここからは年寄りの愚痴かも知れませんが、「息子夫婦が肺炎で入院した時にすぐに次の受け皿を手配したので、この病院に転院できたのだから3月までは此処にいないと息子夫婦の機嫌が悪い」のだと涙を流したそうです。「兎に角一日でも早く退院して帰宅するのが今後の為にも一番いいのだけどね。このままここにいたら本当に歩けなくなってしまいますよ」と言ったそうです。しかし、彼女は、「結局、年寄りにはどうにもならないのよ、此処におれるだけおるんよ、しかたなかっ!」と諦め顔で答えたそうです。
先輩の涙を見た読者の哀しみと怒りが若い世代の「自分流の生き方」に向けられるのは当然ですが、それもまた日本人の選択の結果なのです。
「今時の若い子供たちは何を考えているのでしょう。親を邪魔者扱いにして、それも自分達が、自由診療の制度に則って費用全額の負担をかぶって親を入院させているならばまだしも、既に必要なリハビリが完了したあともリハビリ治療の名目を利用して、別の病院へ移し、健康保険の世話になって一割負担で親を2ヶ月も3ヶ月も預けっぱなしにするなんて!医療費、介護費が暴騰しているのはこのようなけしからん若者がいるからです。」お怒りは誠にごもっともです。しかし、これもまた日本の福祉制度が選択したことなのです。
子どもの自由と欲求を放任し、彼らが生きたいように生きることが「善」であるとしたのは親世代の選択です。読者ご自身がお気付きのように若い世代は自分の生き甲斐を追求し、才能を伸ばしながら仕事をすることが「自己実現」であると信じています。その時、年老いて半病人になった親が障害になり、邪魔になるのです。介護保険は老老介護の悲惨が「引き金」になって生まれた介護の社会化の制度ですが、現代の「姥捨て山」の側面も確かにあるのです。「親孝行したくないのに親が生き」は若者の心情の断片を切り取った秀逸な川柳です。日本の親世代は準備と覚悟が不十分でした。読者がご指摘の通り、親世代もまた自己都合を優先し、思い通りに安楽な余生を追求したのです。まさに現在、好き放題に生きた不養生の付けが出始めているのです。病気とまでは行きませんが、体の自由が効かなくなり、心理的に前向きに生きることは何事も面倒くさくなった年寄りは山ほどいます。
いっそ、開き直って、若い者の機嫌を取らずとも、リハビリ病院のようなところへ入ってさえ居ればお金もさして要らず生活はできるのです。あなたがおっしゃったように、3ヵ月後には又新しい病院友だち(リハ友とでも呼びましょうか)と仲良しになって安楽に暮らすことができるのです。日本国民の老後は人権が保障され、セイフティ・ネットもあるのだからと・・・。
あなたがおっしゃったように、本人はもちろん、病院も、施設も、そして若者達も全てが高齢世代の「廃用症候群」の発生・増殖に加担しているところがあるのです。しかし、安楽の果てであろうと、自立の戦いの果てであろうと現代人の最後は悲惨ですよ。手の足りない病院のきまりとスケジュールに支配され、最終的に必要とされなくなった孤独、若い世代の邪魔にならざるを得ない絶望と向き合って最後の日々を送らねばなりません。時々の「見舞い」があったとしても、優しさは「束の間のこと」です。
平均寿命からいうとどちらが先になるかは分かりませんが、もし順番が来たら、あなたのお見舞いに参る所存ですが、それも「束の間」、現代に生きる我々には孤独と絶望に耐える覚悟が必要なのです。

133号お知らせ
1 平成22年度北九州市「若松みらいネット」公開発表会
日程:平成23年2月11日(建国記念日)
会場:北九州市若松区役所3F
時間帯
11:30-12:00 「日本文化の文法-ボランティア募集の方法と間接表現文化」(仮)三浦清一郎
(昼食が必要な方は各自でお弁当をご準備ください。)
13:00-15:30 公開発表会
15:40- 若松みらいネット事業3年間の総括 三浦清一郎、大島まな

2 第108回生涯教育まちづくり移動フォーラムin大分(「活力・発展・安心」デザイン実践交流会:大分大会)

プログラム:まちづくり・子育て支援等を中心としたリレートーク、実践発表など福岡と大分のコラボレーションです。
* コミュニティ・スクールの実践(飯塚市立高田小学校)
* 特別講演:教育における「不作為」と鍛錬の空白(仮)(三浦清一郎)
日程:平成23年2月26日(土)10:30-27日(日)12:00
会場:「梅園の里」、大分県国東市安岐町富清2244(TEL0978-64-6300)
参加費:500円、宿泊・食費別
問い合せ先:事務局:大分大学高等教育開発センター、中川忠宣(TEL/FAX097-554-6027)または東国東デザイン会議事務局、 冨永六男(TEL0978-65-0396,FAX0978-65-0399)

§MESSAGE TO AND FROM§
2011年が明けました。本年もよろしくお願い申し上げます。このたびも登録の更新に当たっていろいろ応援のメッセージをいただきありがとうございました。3人の方のご感想に便乗させていただき、暮れから新年にかけて感じたことをご披露申し上げます。

過分の郵送料・印刷費を頂戴しありがとうございました。

佐賀県佐賀市  城野眞澄 様
広島県北広島町 久川伸介 様
宮崎県宮崎市  飛田 洋 様
佐賀県佐賀市  小副川ヨシエ様
長崎県長崎市  藤本勝一 様
山口県下関市  永井丹穂子様
埼玉県越谷町  小河原政子 様
福岡県宗像市  岡嵜八重子 様
福岡県県岡垣町 神谷 剛 様
福岡県朝倉市  太田政子 様
福岡県筑後市  江里口 充 様
福岡県太宰府市 大石正人 様
大分県日田市  財津敬二郎 様
千葉県県印西市 鈴木和江 様

我々の世代には「元気」をもって何をするのか、が問われているのだと思います

下関市 永井丹穂子 様
新年に活動を再開して多くの方々の2011年にかける抱負をお聞きする機会がありました。
多くの熟年世代は水泳や散歩やダンスやラジオ体操など運動に心がけ健康を保ちたいというお話でした。小さなことにくよくよしないで好きなこと、長年の願いであった旅のこと、続けてきた趣味の活動を一層進めたいというお話も沢山ありました。どなたのお話も最後は元気に暮らしたいというところに落ち着きます。当面はそれでいいのでしょうが、「物足りない抱負」であると感じざるを得ないのは、あなた様を始め先輩世代の数少ない例外的な活動を拝見したからだと思います。
昨年あなたの活動を垣間みて、日本の熟年者施策には「元気」をもって何をするのか、という問いも含めるべきであると痛切に思っています。現代の熟年層は相対的に鍛え抜かれた世代です。にもかかわらず現行の「保護的な福祉」と「安楽余生」を目的とした「生涯学習」政策のために一気に惰弱・惰眠の民となりつつあります。日本の高齢者政策の主眼は保護と福祉におかれていて、自立を忘れています。政治もメディアも高齢者に社会のために働けとは言わず、あなたのように社会のための活動を為さっている人に光を当てる気配は希薄です。当の高齢者自身も自らを保護と福祉の対象とお考えになっていて、「保護」が足りない、という声ばかりが聞こえて来るような気がします。高齢者自身に社会の仕組みを支える貢献者であり続けようという意識は極めて希薄であるように思います。
理論的には、生理学の視点からも、心理学の視点からも、「元気」と「生き甲斐」の源泉は社会的活動と社会的承認であることは間違いありません。にもかかわらず、現代の福祉政策と教育政策が目指しているのは「健康」と「安楽」に留まっていると思います。健康論は「元気」だけを目的化して、その元気をもって何をするのかを問いません。高齢者福祉論の限界ですね。我が「生涯現役」論が往々にして「生涯健康」論や「生涯活動」論に置き換えられるのはそのためであると感じています。人生80年時代の高齢者が昔の「隠居」のような発想しかできなければ、高齢化の進展とともに地域も国も一気に活力を失うことになるでしょう。保護されることに慣れ過ぎれば、甘えた高齢者の要求が国を滅ぼすことになりかねないのです。

熟年層の社会貢献活動に「光」を当てることが先だと思います

北九州市 西之原鉄也 様

「還暦祭」のご報告を興味深く拝見いたしました。自発的な参加者が少なかったのは、「還暦祭」が「光」を発していず、熟年世代に社会貢献の「志」が欠けているためだと思います。
かつて山口県阿知須町(現在の山口市阿知須)に定例の「熟年式」という催しがありました。現在はどのように為さっているか分かりません。筆者は無謀だったかも知れませんが、「熟年式」とは人生の最期の季節をどう生きるかという「志」を問うべき式だと提案し、時の町長さんと大いに意気統合したことがあります。上記の永井氏宛のメッセージにも書きましたが、社会貢献の「志」を問わない「安楽」や「余生」を目的とした「老後論」が横行する現状では、あなたの意を汲んだ人々がお集りにならないのは止むを得ない結果であると思います。政治に国家の行く末を示す「志」が見られない昨今、高齢者だけに志を問えというのは無理であることは重々承知しておりますが、地方の行政も工夫次第で「光をどこに当てあるか」を決定することは出来ると考えています。
政治や行政が社会や他者のために活動し続ける高齢者を顕彰し、「光」を当てない限り、「還暦祭」も「敬老会」も意味を持つ筈はないのです。あなたが始められた「若松みらいネット」のまちづくり企画に参画した高齢者が顕彰されるようなシステムが定着すれば、必ず人々の間に志が生まれ、人々が「光」の下に集まるようになると思います。政治や行政は「公」を担当する機能ですから、その「光」を創造するお役目があるのです。政治は「リーダーシップ」を果たすことはもちろん、そのリーダーシップをもって何を果たそうとするのか、「志」の創造が問われるのだと思います。大阪府の橋本知事や宮崎県の東国原知事は、「現状変革の志」を示して、少なくとも何かの「希望」を創り出しました。民主党による政権交替も同じ作用を果たしたと思いますが、交替後の現政権の結果は無惨な詐欺行為に終っていると別項で論評していますのでご笑覧下さい。志を問わないのであれば、公金を投じる還暦祝いや長寿を寿ぐ敬老会など無用なことだと思います。しかし、そうした催しに人々が参集するようになるためには、そこに集まる方々は単なる「長生き」や「趣味人」ではなく、「社会を支えている大事な人」であるという共通認識ができていることが前提だと思います。天皇陛下が催す「園遊会」が出席者にとって名誉であり、そこへの出席が人々の間である種のあこがれとなりうるのは優れた「貢献者」をねぎらう集いであるからだと思っております。

規範が先です。規範の基は欲求を自己コントロールする耐性です。

広島県北広島町 久川伸介 様

ご報告を胸熱くして読みました。ご指摘の通りです。学力の向上も、学校風土の改善も、規範が先です。規範の基は己の欲求を自己コントロールする耐性です。学校間連携の取組みにおいて「規範の旗」を下ろさなかったのは最善かつ最も困難な選択だったと思います。お見事でした。規範を守ることさえできれば子どもは大抵のトレーニングに耐え、潜在力は必ず花開きます。彼らにとって「できなかったこと」を「できるようにすること」は喜びであり、「機能快」(ビューラー)だからです。お便りにあった子どもの激変が先生にとってどれほど嬉しかったことか、遠くにいる私も胸熱くなる思いで拝読いたしました。今年は廿日市の川田さん、正留さん、子ども会の武内さんなどと「広島移動フォーラム」を計画しています。ぜひ、先生の実践をお聞きしたいものです。冒頭小論の通り、規範の問題も、体力耐性も、学校の問題である以上に教育行政なかんずく中央教育行政の問題なのです。

編集後記
王様の耳はロバの耳 -「床屋」になりたい!
子どもの頃に聞いたミダス王についてのイソップ物語を覚えておられることでしょう。 王様はロバの耳をしていて、それをひた隠しにしていましたが、 床屋だけは本当のことを知っておりました。しかし、固く口止めされていたので誰にも言うことができませんでした。事実を知ってしまった床屋は、 いつまでも黙っている事が苦しくて、苦しくて、とうとう野原の井戸の奥に向かって「王様の耳はロバの耳だ!」と思い切り叫んでしまいました。彼はそれですっきりしたのですが 、やがて井戸の回りに葦が群生し、風のそよぐたびに「王様の耳はロバの耳だ」と聞こえるようになりました。

1 本当のことは人を傷付けます

中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会30周年の記念出版の編集の山場を迎えています。実行委員・執筆者の原稿が出そろい始めました。書名は「未来の必要-生涯教育立国の条件」になる予定です。未来に必要なことは何か、を問うわけですから、温故知新で過去の優れた実践を掘り起こし、現状の問題点・制度上の欠陥を指摘し、それらを着実に修正することができていない今の政治や行政や現状の我々自身の研究を自己否定して何が未来の日本に必要な教育なのかを論じようとしています。筆者は編集長として、必要だと判断したところに「追加」・「補筆」・「修正」を施します。ところが具体的な分析・診断・処方の内容が明らかになると、論文自体が身近な顔の見える人々の仕事や現状を批判している結果になっていることに気付きます。

学校の閉鎖性を批判すると知り合いの校長先生を思い出すのでしょう。「ここまで言っていいのでしょうか?」という感想が出ます。「早寝・早起き・朝ご飯」が家庭教育のスローガンになっているということは、その程度のことすら指導できない現在の家庭の教育力の崩壊を象徴している、と書くと、このスローガンは文科省や福岡県の運動ですからあまり過激な批判はどうでしょうか、と言う消極論がでます。習熟度別学習の観点から遅れている子どもに、現行の労働法の範囲で教員はなぜフレックスタイム制(時差出勤制)を導入して補習をやらないのかと発言すると教員組合を思い出すのでしょう、気まずい沈黙になります。保育と教育のタテ割りをなぜ修正できないのか?保育を必要とする家庭の子どもがより一層の教育的配慮を必要とするのは論理の必然ではないか、と言うと現実にタテ割り行政の中で仕事をしている人々の怒りを買うことにならないか、ということになります。要は政治も行政も日本の未来に具体的な教育指針を出して来なかったからだ、と言うと現職の公務員は「ひるみ」ます。

2 国中の葦をそよがせたい

妻からは、「おまえはATS装置の付いていない暴走車」であると注意されていたにもかかわらず、「そんなことに気を使って知り合いの不興を買うことが心配ならそもそも『未来の必要』などという本を書くことが間違っているのです」と、思わず叫んでしまいました。
「王様の耳はロバの耳」です。
学校が当面する問題の大部分は学校の外の家庭や地域で発生します。多くの家庭でしつけも教育も崩壊し続けているのです。地域の子ども会は次々に消えています。学校が閉鎖的な体質を改めて地域と協力しなければ、地域の教育力など創れる筈はないのです。子どもはゲームばかりやっていて体力も耐性もへなへなです。集団生活の体験が不足しているので、規範が身に付いていない子どもは山ほどいます。それなのに「鍛錬」のプログラムはどこにあるのでしょうか。学力格差を問題にしながら教員は補習教育のシステムすら作ることができていません。学童保育は僅かな指導員が狭い空間に子どもを閉じ込めて管理しているのが現実です。手が足りない上に、愚かな行政が保育は教育と関係がないと思いこんでいるので教育的プログラムはほとんど存在していません。
野原の真ん中に穴を掘ってこれらのことを大声で叫べばやがて国中に葦が生えて風にそよぎ、世の中にさわさわと伝えてくれるのであれば、私も床屋になりたいものだと思うのです。

「風の便り 」(第132号)

発行日:平成22年12月
発行者 三浦清一郎 

「無縁社会」の反語は「志縁社会」-自由な個人と共同体文化-

1 離れたいけれど離れられない

 伝統的共同体が衰退し、日本人の大部分は共同体の「成員」から「個人」になりました。今や個人は共同体の指示にもしきたりにも従う義務はなく、共同体の干渉や束縛から自由になりました。しかし、「自由」とは思いのほか「不自由」であることに気付かざるを得ませんでした。自由な個人は、自らのよって立つ価値を確立し、自分のライフスタイルは自分で決めなければなりません。個人の権利や自立に目覚めたものの、自分の思った通り自立的に生きるためには「自律の」実力が必要です。結果は全て自己責任です。また、うっかり自由に振る舞い始めれば、世間から自分勝手で、協調的でないと批判を浴びることもあります。共同体の束縛やしきたりからは自由になったものの、共同体を離れたあと他者とうまくつながれない人々が多いのはそのためです。それゆえ、多くの人々は共同体の干渉や束縛から離れた後も、共同体的人間関係から完全に離れるわけには行かないのです。共同体は衰退しても、共同体の感性も、共同体的人間関係も未だ私たちの日常に広く存在しているからです。伝統的共同体崩壊後の生活実態と残存する共同体文化の間に「タイムラッグ」が生じているのです。それゆえ、あらゆるところに新旧両タイプの日本人が同時存在しているのです。
 自治会も、子ども会も、PTAも、婦人会も、多くの職場の人間関係も、「みんな一緒」の共同体文化を広く反映しています。共同体文化が残存している以上、そこに「どっぷり浸かった」人はもちろん、「離れようとしている」人も、「すでに背を向けている」人も、摩擦や衝突を避けて世間で生きるためには、義理でもいやいやでも、ある程度は旧来の文化と付き合って行かなければならないのです。
離れたいけれど離れられないというのが現状です。

2 自由は「わがまま」、自立は「生意気」

 主体性に目覚め、自由を主張し、自立を自覚した人々にとって、共同体文化の価値や慣習はあくまでも義理と慣行上の付き合いです。共同体文化の価値感や慣行が完全消滅していない以上、文化を敵に回した消耗戦はやりたくないのです。主体性を「わがまま」、自由の主張を「生意気」と非難されないために多少の妥協は仕方がないのです。協力はしたくないが敢えてエネルギーを消耗する反対行動も起こさないのです。したがって、多くの人々の姿勢は積極的「不協力・不服従」ではなく、消極的で省エネの「非協力・無関心」になりがちです。多くの町内会において新年度の自治会役員や子ども会役員の選出がくじ引きになったのはそのためです。これらの人々は「顔役」にはなりたくなく、また「顔役」の支配を受けたくもないのです。これらの方々は共同体的人間関係の中で暮らしていながらも共同体になじめない人々です。かといって、自立して自分でボランティア的な人間関係に飛び込んで行くこともまだ出来ません。主体的・自律的に生きるためには、強力な自立の意志と実力が必要だからです。

3 「無縁社会」の反語は「志縁社会」です
 
共同体文化を残している近隣コミュニティには、個人の自立を支援する空気も、そうした個人に賛同する風土も形成されていません。自由な個人は自分で友だちや仲間を見つけることができなければ立ち所に孤立します。都市部に「無縁社会」が発生するのはそのためです。共同体が消滅し、ほぼ完全に自由になった個人が他者と繋がることができずに漂わざるを得ないのが「無縁」ということです。「無縁社会」に対する文字通りの反語は「有縁」の社会でしょうが、共同体が衰退したあとの「縁」とは何で繋がる縁でしょうか?筆者は、それこそが「志の縁」を結節点とする「支援社会」であると主張して来ました。換言すれば、自由な個人は自由意志を持って、自分と波長の合う「志」の似通った仲間を探すほか他者と繋がり、自分の居場所を探す方法はないのです。現代の社会教育はそのような個人を糾合してコミュニティを支える集団を育てる任務を負っている筈でした。生涯学習の「学びを共にした縁」も、伝統的共同体が消滅した後の「空白」は新しい活動集団で埋めることができると期待されました。生涯学習は生涯ボランティアに発展するという錯覚の楽観論を教育界が唱えたのはそのためです。
 しかし、生涯学習の選択権を個人の市民に依拠した結果、市民は目先の楽で楽しい「パンとサーカス」のプログラムに走りました。社会教育は「教育の大義」を失い、凋落しました。もちろん、生涯学習が生涯ボランティアにつながるという「楽観論」は「勘違い」に終りました。
 日本社会における個人を起点とする人間関係は未成熟です。共同体の庇護を受けている限り、個人の自己責任は生じませんが、共同体を離れれば全てが自己責任です。自分が人生を決定し、自分がその責任を引き受ける個人主義は外来思想として日本に受け入れられて以来,未だ歴史が浅く日本社会において未だ十分な「時の試練」を受けていないのです。それ故,自由な活動者を含めて多くの日本人に様々な戸惑いがあるのです。自由な個人の行動を受け入れる側にも心理的風土,制度的仕組みの上で、さまざまな拒否要因・未成熟要因が存在します。それゆえ、共同体にもなじめず,さりとて志縁を求めてグループやサークルに飛び込むことのできない人々は、進むことも退くことも出来ず「さびしい日本人」のまま無縁社会の真っただ中に立ち尽くしているのです。
 中でも、ボランティアは個人の自由意志から出発して新しい人間関係を築こうとする現代日本の実験なのです。この実験において日本人は自立した個人として自分の選択と判断を基に社会に関わり始めているのです。ボランティアは適切な訳語が作られなかったほどに日本にとっては異国の概念でした。当然、異国の外来文化の匂いが強く,その歴史はまだまだ浅いものです。それ故、現在、日本のボランティアを支えているのは、個人の自立を摸索する、総じて活力のある人々です。換言すれば、個人の自立と活力がボランティアの条件になっているのです。これらの積極的な人々をもっとも落胆させるものが受け入れ風土の未成熟なのです。伝統的共同体文化が残存しているところは往々にしてボランティアに対しても自立した個人に対しても冷ややかで、ボランティアの導入を妨げる心理とシステムが存在します。理由は明確です。自立した活力のある個人は既存の集団に無条件で同意することはありません。主体的なボランティアは共同体的集団の論理と心理に簡単に同調もしません。活力のある個人ボランティアが登場することは、時として、活力のない集団や職場にとっては自動的に「批判的な存在」となる場合が多くなるのは当然のことでしょう。ボランティアの導入によって、自分たちの仕事ぶりや職場の人間関係の実情が第3者の目に歴然と曝されてしまうという不安や恐れが潜在しているのです。自由は「わがまま」、自立は「生意気」という反感と批判こそがボランティア受け入れ風土の未成熟のしるしなのです。

時事教育評論4 三つのいじめ
1 文科省の手引き

 群馬県桐生市で子どもの自殺があり、続けて千葉県で、更に札幌市でも子どもの自殺がありました。桐生の子どもは混血の故にいじめられたところがあるようで、わが家の事情とも重なり、娘や息子が戦った日々を思い出しました。
 相次ぐ子どもの自殺事件を受けて、文科省は<子どもの自殺>発生時の対応の手引きをまとめました。(1)遺族の気持ちに寄り添うこと(2)子供たちの心のケア(3)日常活動の早期の平常化(4)自殺の後追い防止の4点でした。特に、校長には学校に不都合なことでも事実と向き合う姿勢を求め、正確な情報発信を促しています。換言すれば、如何にこれまでの学校が事実をかくそうとする傾向があったかを文科省が指摘したということでしょう。今回もまた、いじめはあったと思われるが。「自殺との直接的因果関係」は認められないということになるのでしょう。結局死んだ子どももその親も報われないということになります。文科省の認識に欠如しているのは四つの視点です。第一は人間世界に「いじめ」は常に存在するという事実を軽視していることです。第二は、子どもは天使でも、無邪気な生き物でもなく、自らの欲求や性癖をコントロールする社会性の発達が未熟な成長途上にある自己中心的な「半人前」であるということです。それゆえ、強力な「指導」が不可欠であるということです。第三に追いつめられれば、子どもも大人も自殺するという事実の重さに配慮が足りません。被害者の「人権」こそ優先されるべきなのです。第四は、教育行政と学校は「いじめ」は「悪」で、「反人間的」で、「卑怯者のやることだ」という教育界の社会的風土の形成に失敗しているという事実認識が欠如しているのです。

2 いじめは人間性の一部です

 もしかすると読者には認め難いことかも知れませんが、いじめは人間性の一部です。人間は人間である前に霊長類ヒト科の動物です。縄張りを争い、弱肉強食で生きてきた生物のDNAを身体のどこかに引き継いでいます。しかも、人間だけが、前頭葉に心理学・生理学の言う「殺傷本能:Killing Instinct」を有する動物です。他の動物と違って、生きるための「食」の獲得にとどまらず、人間自身をも、多の動物をも自らの娯楽や欲望のために殺します。しつけや教育や法や処罰によって社会はこうした人間本能を押さえ込もうとしてきたのです。
 猛獣でも意図的に同類を殺害することはないと言われているのに、人間は何と多くの殺人を重ねてきたことでしょうか!いじめも、暴力も、殺人ですら人間世界からなくすことはできないのです。
 それゆえ、余り遠くない近年まで、国によっては、凶悪犯罪者の前頭葉摘出手術(ロボトミーと呼ばれます)が行なわれて来ました。前述のKilling Instinctを除去するロボトミーを行なうと凶暴な人間の言動が穏やかになることが知られています。しかし、前頭葉の働きは創造性や感性を司る器官ですから、人間を人間らしくする根源機能でもあります。それゆえ、ロボトミー(前頭葉を摘出する手術)は、人間性に反するものとして現在は国際的に禁止されています。かつてアメリカのアカデミー映画賞を受賞したジャック・ニコルソン主演の「カッコウの巣の上で」はロボトミーの残虐性を訴えた作品でした。
 かくして人間は、社会がよほどしつけや規範によって抑制しない限り、人間の殺傷本能が身勝手で残虐な行動に駆り立てることになるのです。
 今や家庭のしつけは崩壊の危機に瀕し、子どもの耐性、社会性は著しく低下しました。また、学校は、道徳や伝統的な価値や生き方の美学を「型」として教えることを止めてしまいました。子どもに「共生」や「人権」の思想を理念的に教えることができると錯覚しています。おとな社会でも出来ないことをどうして教室が子どもに教えることができるでしょうか!現代の学校にいじめは「卑怯」だという感性はないでしょう。いじめたら「タダでは済まない」という雰囲気も、処罰の実践も存在しないでしょう。男女共同参画の思想が浸透して、みんなで一人を「いじめ」ることは「男らしくない」とか「女の腐った」ものだと言うことはタブーになりました。いじめは通常陰湿で外に分からないように行なわれるので担任が気づくことは稀であり、仮に、教師が気付いたとしても、いじめの存在は担任や学校の恥になるので、学校には気付きたくないという心情が働くでしょう。保護者が訴えても、時に本人が訴えても余り真剣に取り合わないのはそういうことが関係していると思います。また、暴力的ないじめや集団的な嘲笑の事実が明らかになったとしても、加害者に対する処罰はほとんど行なわれることはありません。加害者の人権論が説かれれば、処罰は説諭や叱責の範囲を越えることはないのです。筆者の子ども時代にも、もちろん、いじめっ子はいましたが、男女を問わずぶん殴られて、「2度とするな」と誓わせられました。残りの子どもはそういう子どもを「他山の石」として育って来たのです。正常な教育環境には他者に対する「いじめ」や「暴力」行為を見逃さず、タダでは済ませないという大人社会の空気があったのです。そういう時代ですら「いじめ」はあったということに注目するべきでしょう。今や、いじめっ子がこっぴどく「叱られる」ことも、先生の前で「誓わせられる」ことも、「懲りる」こともなくなったのです。我が校には「いじめ」は存在しないなどということを想定すること自体、教員の現状判断も、人間観も、半人前の子どもの観察力も誠に危ういのです。人権教育をしているからとか、子どもの個性と人間性は素晴らしいのだというような学校の子ども観こそが学校や教師の無知の証です。いじめは人間社会に何時も存在します。おとな社会にも、教員社会にも存在します。したがって、その被害者も存在します。大部分の子どもはかつてのわが家の子どもたちのように戦って切り抜けてきたのです。
 

3 スポーツに見倣え!

 野球には審判がいて、相撲には行司がいます。争い事には裁判官が付きます。通常、人間世界のトラブルには客観性と公正を担保するため第3者の判定員が付きます。公務員の内部問題と学校のいじめだけはいつも例外で、内部の人間が調査をし、内部の人間だけで問題状況と因果関係を判定します。野球や相撲に例えれば、当事者であるプレイヤーが審判を兼ねるようなものです。
 日本相撲協会もようやく己がやっていることの自己矛盾に気がつき、外部の第3者の意見を取り入れる仕組みを受け入れました。相撲に行司役がいて、相撲協会に行司役がいないということはおかしいということに気がついたのでしょう。
 どのような業務でも、内部調査と判断だけでは、当然、客観性と公正を担保する事はできません。民主党が鳴り物入りで始めた「事業仕分け」も自公政権の政策や事業を判定していた時には、第3者の審判の位置を辛うじて保ち得て、国民の喝采を浴びました。しかし、ご覧の通り、民主政権の予算編成に判定の対象が移って来るとこんどは政権内のプレイヤー同士の審判になるので内部の言い争いが始まりました。「事業仕分け」はこれで終わりだという声も出始めました。冗談ではありません!「事業仕分け」は始まったばかりなのです。原口前総務大臣にいたっては「長い間議論して決めた事の意義が分からないようでは仕分け人を仕分けしろ」などと暴言まで吐きました。選手が審判に辞めろと言っているのと同じです。
 民主党の事業仕分けは、いまだプレイヤーが審判を兼ねている矛盾に気付いていないのです。当事者がいくら意義を感じている事でも第3者には別の意味が生じるのは世の常です。そこを受け入れなければ評価の客観性と公正は担保できません。党内でどれほど長く議論して来ようと、第3者が見て「だめ」だというものは素直に再考してみるべきなのです。  
 これまでの学校のいじめ問題処理はプレイヤーが調査・判断する典型です。今度の群馬県桐生市の小学生自殺事件は、保護者が何度も学校に我が子がいじめられているので善処して欲しいと申し込んでいました。親はどこかで「混血」の我が子がこの国の「みんな同じ」文化に受け入れられるかどうかを心配していたのでしょう。
 「よそ者」差別、「外人」差別はこの国の国民的性癖です。「内」をひいきして、「外」に冷たいのは日本文化の特性です。アメリカに暮らしてみると、実に新鮮ですが、私はアメリカ人のルームメイトと寝起きを共にし、アメリカ人の同僚と公平・対等に処遇されました。 
 これに対して、日本は留学生を留学生会館に「隔離」して、日本人学生と起居を別にする国です。帰国子女も言葉のアクセントがどこか「違う」というだけで「外の人」にしてしまう「内だけで固まる」文化があるからです。個性を教育の価値として標榜しながら、自分と違う人間を嫌うという社会的病理があるのです。 桐生市の事件では、インドネシア人の母を持った子どもは同級生の冷たい仕打ちに耐えました。さらに彼女は、日本文化が「よそ者」を差別するという特性を理解できない教員達に囲まれて過ごしました。日々の心細さはいかばかりだったかと想像して誠に同情を禁じ得ないものがあります。
 事件後、学校も、教育委員会も「いじめ」はあったと渋々認めました。しかし、「いじめ」と小学生の自殺に直接の因果関係があったとは思えないと結論を出しました。またまた、プレイヤーが外部第3者の調査も受け入れずに、勝手な審判結果を保護者にも、世間にも提出しているのです。恐縮な言い方ですが、そうした結論の出し方は学校のまやかしであるばかりか、日本文化のまやかしでもあるのです。恐らく、多くの日本人が「留学生会館のどこがわるいの」と尋ねるのでしょう!?

自分史作法 -自制と節度の美学-
 
 来年度はある自治体で自分史の講座をもつことになりそうです。嬉しいことです。すこしずつ準備を始めようとメモを整理し始めました。今回は日本文化に照らした作法の問題を取り上げてみました。

1 「秘すれば花」

  日本の文化は「慎ましさ」を礼賛し、「控えめ」を推奨しています。「能ある鷹は爪を隠す」というのが「望ましい人」の行動原理を代表しています。才を誇ってはならないということです。似たようなものに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」があり、「下がるほどその名は上がる藤の花」があります。功績を上げた人、美しき人は「謙虚」だからこそその美徳が一層輝くのだ、という意味です。
  要するに、日本では、自己を抑制することは「美しいこと」であり、謙譲は「美徳」であり、遠慮がちや控えめは「奥ゆかしい」ことなのです。こうした原理を裏側から読めば、臆面もなく自己主張をし、己を誇り、才を主張することは美しくないばかりか、文化の原則に反する「悪」なのです。
  日本文化の物差しに従えば、ストレートにものを言うことは、往々にして美しくなく、「がさつ」であり、「非礼」なのです。すなわち、「悪」なのです。たとえ言わんとすることが「正しいこと」でも、「本当のこと」でも、あるいは「当然のことでも」直接に主張したり、指摘することは多くの人の眉をひそめさせることが多いのです。日本人は「そこまで言わなくてもいい」と感じるのでしょう。直接的な主張はどこか「はしたない」思いがつきまとうのです。主張して当然のことについても多くの人が自己主張を控えるのはこのためです。会議や交渉ごとで「声の大きい」方が勝つのも周りが遠慮するからですが、「声の大きい」人々が嫌われるのも同じ原理が働くからです。どのような主張であれ、「自己主張」は「図々しくて」「はしたない」という日本文化の物差しが言動を左右しているのです。
  このように間接的表現文化の特徴は表現の「抑制」というところにあります。したがって、ブレーキの利いている表現はおおむね「善」であり、逆に、自由で、率直で、正直な表現はおおむね「悪」と判断されます。「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」(*1)は世阿弥の名言です。日本文化における「抑制」の要求はひとり言語的な表現に留まらず、様々な領域の具体的な行為・行動にまで及びます。自分史も当然文化の抑制の対象です。(*1)世阿弥 「風姿花伝」、岩波文庫 昭和33

2 「謝辞」と「別れ」と「伝言」の作法

人生は自分の人生ですが、自分史は自分だけの歴史では終りません。人生を振り返ったとき、自分史の主人公はまぎれもなく「自分」なのですが、それでも「オレががんばった」、「私が切り抜けた」と自分一人で生きてきたかのような過去への感慨をお持ちの方はまだ「自分史」を書かない方がいいと思います。「おかげさま」が身に滲みて来ないと自分史は「自慢史」や「自嘲史」になり、日本文化の文法を裏切ることになるからです。
 自分史もまた読者を必要とします。その多くは「未来の読者」です。
 稀には、絶対に家族にも家族以外の第3者の眼には触れさせない、自分の日記のようなものであり、読者は自分自身のみである、というような方もいらっしゃいますが、そう言う方は出版は為さらないことでしょう。お書きになったものは、生前に処分しておかないと「自己愛(ナルシスト)」の方は何を書いても結局は自慢史になるだろうと思います。日本文化の中で生きて来た以上、くれぐれも自慢史や自嘲史を死後に残さぬよう心がけたいものです。
 自分史を書いてみると一見平穏だったと思う人生にも実に様々な岐路があり、いろいろな方が立ち会って下さったことに気付きます。自分だけががんばって生きて来られた筈はないのです。
 また、年をとって振り返ると、あっという間に過ぎ去った人生は短いようで実に多くの事実の積み重ねであることを思い知らされます。忘れ難かった事件を書いてみると、その背景に無数の「中ぐらいの事件」が積み重なり、更にその向こうに、普段は思い出すこともない「小さな事件」が折り重なっています。どの事件にも必ず他者が関係しています。
 平凡な感想ですが、平和な時代の一生にも何といろいろなことがあったものだと感慨が湧いて来ます。高村光太郎の「秋の祈り」の一節に「我が一生の道程を胸迫って思い、憤然として祈る、祈ることばを知らず・・」とあります。
 長い人生を振り返れば、時々、このような思いが湧いて来るのです。

3 「事件史」から始めよう

 書き方にはいろいろなアプローチがありますが、自分史は文字通り「歴史」ですから、まず「事件史」から書き始めてはいかがでしょうか。自分史の参考書を読むと「子ども時代」から始めよ、とか「ふるさと」の紹介から始めよという助言が多いのですが、筆者は「事件史」から始めるべきだと思います。どこから書き始めるべきかというルールはありませんが、書けるところから始めることが原則です。「書けること」とは「覚えていること」であり、「忘れ難いこと」です。
 あなたの人生の無数の事実の中から、「忘れ難い事件」、「鮮明な記憶のある事柄」を選んで書き始めるのです。「あなたのそして私の人生の方向を決定した「岐路の選択」も当然大事件の一つです。
 事件史は、「事実の積み上げ」と「事実に関するあなたの感想」で構成されます。事件史の原則は歴史の背景と条件を正確に書くことから始まります。それゆえ、事実の積み上げとは新聞の事件記事のように、まず記録を残そうと選んだできごとの「5W1H」を書くことです。WもHも英語の頭文字で、「いつ:WHEN」、「どこで:WHERE」、「だれが:WHO」、「何を:WHAT」、「なぜ:WHY」「どのように:HOW」やったのかということです。5W1Hの原則に従って記録してみると、「あの時にはこういうこともあった、「あの場所ではあの人にも会って、助けていただいた」、「あの時はそう思ったのだが、時間をおいてみると別の理由も無意識の中にあったのだ」などと気付くのです。それが「事件の連鎖」です。
 「事実の連鎖」とは記憶の連鎖です。一つの事件の背景と条件が明らかになると、「連想ゲーム」のように「中位の事件」も、それに連なる「小事件」も記憶の中で繋がって来ます。「連想ゲーム」を引き起こす鍵が5W1Hです。
 事件の5W1Hが出そろったら、次は「事実に関するあなたの感想」をメモして行きます。「感想」の最初は「嬉しかった」、ありがたかった」、「失敗だった」などというあなたの気持ちの断片でいいのです。「断片の感想」が書けたら、その次に「なぜそのように感じたのか」を考えてみればいいのです。「事実に関するあなたの感想」もまた「連想ゲーム」の要領でいいのです。「過去のできごと」の感想を積み重ねて、あなたの人生感や評価を紡ぎ出して行くのです。もちろん、過去の事件はいいことばかりではありません。辛いこと、苦しかったこと、思い出すのも嫌なこと、忘れていたかったことまで思い出させられます。
 過去のことはすでに取りかえしはつきませんが、それでも悲しくなり、腹が立ち、ああも出来た筈だ、こうも出来た筈だと後悔や恨みも反芻しなければなりません。辛すぎる思い出が蘇って来ると恐れる人は自分史を書いてはいけないのかも知れません。それでも書くことや語ることは、人間に様々な効果をもたらします。それらは思い出の浄化であり、その時は飲み込んだ怒りの告発であり、時には事実や心情の告白であり、忘れていた記憶の甦りであり、密かな誇りの回復であり、感謝の言葉であり、未来への伝言であり願いであり、時にはお詫びであるかも知れません。自分史には実にいろいろな働きがあるのです。

4 4種類の記録

 自分の体験では書いてみて良かったと思うことの方が多かったというのが実感ですが、自分史には通常4種類の記録があります。第1は「書きたいこと」、第2は「書きたくないこと」、第3は「書かねばならないこと」、第4が「書いてはならないこと」です。それゆえ、自分史の作法とは上記4つについてのあなたの自制と節度を意味します。
 最も陥り易い罠は自分史が自慢史や自嘲史になることです。それゆえ、「書きたいこと」だからと言って何でも書いていいということにはならないのです。次の問題は「思い出したくない過去」についてです。書きたくないことは当然書かなくていいのですが、自分の中にくすぶって、釈然としない気分が続くとき、吐き出してしまうとすっきりすることがあるものです。誰も過去を変えることはできませんが、過去の整理をして「できごと」の解釈を変えることはできます。書いてみて自分なりの整理が出来ることで人は「浄化」されることがあります。カウンセリングで問題を他者に話してみたら気持ちが楽になるという状況と似た機能です。書いてみて、自分も読み返したくはなく、親しい人々にも読ませたくはないと思ったら自分史から消せばいいのです。
 第3の問題は、特別書きたい気持ちはなくても残された人のために書いておかなければならない問題があるときです。通常、この種のできごとは微妙でかつ重要です。書きたくないのはそのためであり、書いておかねばならないのもそのためです。過去にわだかまりやしこりを残さないためにも、あなたの見た事実や感じ方を出来るだけ冷静かつ客観的に記録することが大事です。
 第4の問題は、残された人を傷つけたり、未来に争いや災いの種を残すようなことはどんなに書きたくても書いてはなりません。 このように自分史には自制と節度の作法が不可欠なのです。家族でも友人でも、もちろんあなたとは無関係の第3者に対しても謙虚さと自己抑制こそが想定する読者への礼儀です。それゆえ、自分一人で人生を生き抜いてきたと思う人は、自制や節度のブレーキが効きませんので、書かない方がいいでしょう。
 自分史には様々な事実や心情が含まれますが、どの事件も、どの思いもあなたお一人だけが関わったということはまずあり得ないでしょう。どなたも真空の社会で生きて来た筈はありません。人間は人の間で生きて来ざるを得なかった筈なのです。もしもあなたが一人の力で生きてきたと思うのであれば自分史を残すことも余り意味はないでしょう、読者はあなたお一人だということになるからです。高齢者が書く自分史の3大要素は「謝辞」と「別れ」と「未来へのメッセージ」です。どの事件にも、どの思いにも謝辞があれば、未来の読者との「橋」は繋がります。年を取って書くお礼の言葉はその大部分が「別れ」の挨拶を兼ねています。いろいろな別れがあることは分かりますが、さわやかに別れるのが大人の分別というものでしょう。さわやかな別れが言えないことも当然あると思いますが、自身の心情を吐露したつもりでも。泣き言や、恨み言は愚痴や未練に聞こえます。「気が済まない」というお気持ちが分からないわけではありません。一言言っておけば「気が済んで」胸のつかえが下りるという浄化作用のあることも分かりますが、日本人の「美学」の基準に適わないのです。控えめで抑制が利いていて、読むものの「察し」を促すところで止めておくしかないのです。その種の事件は我慢して書かないことが分別というものです。人間は誰も他者の代わりには生きられません。どんなにあなたに近い人でもあなたに代わって哀しみを悲しみ、痛みを耐えることはできません。痛みも苦悩も個体で存在する人間には代替不可能なのです。“人の痛いのなら三年でも辛抱できる”のです。確かに“おぼしきこと言わぬは腹ふくるるわざなり(兼好法師)”ではありますが、未来のどこかであなたの自分史はあなたの知らない人が読むかもしれないのです。
 前に書いたように自分史は「紙の墓標」でもあり、「タイムカプセル」でもあるのです。

132号お知らせ
第107回「生涯教育まちづくり移動フォーラム」in飯塚」

 フォーラムに先立って13:30-15:00はNPO「幼老共生まちづくり支援協会」の成立総会を行ないます。関心のある方はご自由にご参加下さい。
 
日程:平成23年1月22日(土)
研究発表:テーマと発表者               
1 「未来の学校」  益田 茂(福岡県立社会教育総合センター)
2 「市民による市民のための生涯学習システム
-生涯学習社会と言いながらなぜ市民の知識と技術を生かさないのか-弓削暢彦(福岡県立社会教育総合センター)、野見山和久(同左)
コーディネーター:三浦清一郎
場所:飯塚市穂波公民館(-0948-24-7458. 住所:
〒820-0083飯塚市秋松408.)

平成22年度北九州市「若松未来ネット」公開発表会
日程:平成23年2月11日(建国記念日)
会場:北九州市若松区役所3F
時間帯
13:00-15:30 公開発表会
15:40- 若松未来ネット事業3年間の総括

第108回生涯教育まちづくり移動フォーラム」in大分
(「活力・発展・安心」デザイン実践交流会:大分大会)

プログラム:まちづくり・子育て支援等を中心とした特別講演、リレートーク、実践発表など福岡と大分のコラボレーションです。
日程:平成23年2月26日(土)10:30から27日(日)12:00まで
会場:「梅園の里」:大分県国東市安岐町富清2244(TEL0978-64-6300)
参加費:500円、宿泊・食費別
問い合せ先:事務局:大分大学高等教育開発センター;中川忠宣(TEL/FAX097-554-6027)または東国東デザイン会議事務局 冨永六男(TEL0978-65-0396,FAX0978-65-0399)

§MESSAGE TO AND FROM§ 
購読更新の方々へ

 いろいろ応援のメッセージをいただきありがとうございました。今回は132号をお送りし、いよいよ来年は12年目に入ります。
高齢社会の活力維持の提言で常々「お元気だから活動するのではなく、活動を続けるからお元気なのです」と主張して来ました。
 今回の更新のお便りを読み返し、「元気だから『風の便り』を書けたのではなく」、ご支援を頂いて、「『風の便り』を書き続けて来たので元気を保つことができた」ということをあらためて認識しています。2011年も現場を離れることなく、教育と社会システムのあり方に付いて分析を続けます。

過分の郵送料・印刷費を頂戴しありがとうございました。

福岡県宗像市  牧原房代 様
大分県日田市  安心院光義 様
佐賀県多久市  横尾俊彦 様
〃 上     中川正博 様
〃上      林口 彰 様
〃上      田島恭子 様
福岡県八女市  杉山信行 様
福岡県朝倉市  手島 優 様
香川県高松市  横溝香代子様
神奈川県葉山町 山口恒子 様
福岡県宗像市  竹村 功 様
山口県周南市  大寺和美 様
東京都     菊川律子 様
福岡県太宰府市 大石正人 様
福岡県宗像市  田原敏美 様
〃上      赤岩喜代子様
北九州市    小中倫子 様
福岡県宗像市  大島まな 様

福岡県宗像市 久保誠一 様

 一日も早いご回復、そして英語クラスへの復帰をお待ちしております。季節の変わり目ですので重々ご自愛の上ご養生ください。

大分県日田市 安心院光義 様 財津敬次郎 様

 毎回の生涯学習フォーラムを支えていただき、感謝に堪えません。お陰をもちまして100回を越えることができました。福岡県内にも近県にも少しずつ参加者が広がって来ました。2月の最終週末は大分大会です。どうぞお誘い合わせの上ご参加下さい。

福岡県宗像市 賀久はつ 様

 この度はお仕事の蓄積が認められ叙勲の栄に浴し誠におめでとうございました。古人は「年を重ねるだけで人は老いない、理想を失う時はじめて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時精神はしぼむ」といいました。お手本に倣って頑張ります。

山口県長門市 藤田千勢 様

 私も眼の不自由をぼやいて暮らしておりましたが、人生には思いがけないことが起こるものですね。ひたすら前を向いてお進みになるお便りに接し、さすがと感服しております。山口大会では再会がかなうでしょうか?お互いSlow, but steady、で参りましょう。

広島県廿日市市 川田裕子 様

 来年の広島移動フォーラムの件お決めいただいて山口フォーラムを実行した甲斐がありました。広島の皆様のご参加を得て、討議も交流も実り多いものになりました。小学生から大学生まで、若い世代を堅実にお育てになっていることに一同感服いたしました。帰りの列車をご一緒した大分大学の谷村さんは大分大会にもご参加いただけるとのことでした。大分の皆さんも広島が育てた未来の女性リーダーであることはご存知ないでしょうね!

島根県雲南市 和田 明 様

 日本海の贈り物有り難うございました。お元気にお過ごしのご様子安心しました。先生が最初の島根県の実行委員をお引き受けいただいてから長い歳月が流れました。来年はなんと第30会の大会になります。近県の皆さんと30周年記念論文集の編纂に没頭しております。資料を振り返っている中で、掛合町の「多根尋常小学校;めだか学級」の事例が出て参りました。学校開放の先駆けでしたが、日本の学校は未だ地域にその門戸を開きません。「子どもの縁」と「学校」を核として地域を再生して行く方法しか残されていないのではないか、という結論に近づきつつあります。

 132号編集後記
裏切らないトレーニング、裏切る欲望

 幼少年にとっても高齢者にとっても筋肉のトレーニングは必ず結果が出ます。筋肉トレーニングは決して裏切りません。筋肉ほど分かり易くはありませんが、頭脳のトレーニングも必ず結果が出ます。脳トレの成果は大川市の特養ホームの研究が証明しているところです(*)。精神のトレーニングの結果証明は難しいことですが、これは「風の便り」を書き続けた自分自身が実感しているところです。基本的にトレーニングは結果を裏切りません。そのトレーニングを裏切るのが人間の欲望です。
 この度飯塚市の内野小学校の永水正博校長先生から学校キャンプの報告書を頂きました。子どもたちを「お客さま」にする1泊2日の「接待キャンプ」を3泊4日のトレーニングキャンプに変えたそうです。当然、この柔な時代、反対論も多かったそうですが、校長の固い意志が突破口を開きました。子どもは明らかな変化を見せました。結果を前にして反対論も影を潜めました。特に、幼少年期のトレーニングは決して教育意図を裏切りません。裏切るのは関係者の「欲望」です。「楽をしたい」という子どもの欲望も、「波風を起こしたくない」という行政の欲望も、「仕事を増やしたくない」という教員の後ろ向きの欲望も、「子どもにきつい思いをさせたくない」という親の欲望も時に結果を無に帰します。校長先生お見事でした。

*福岡県大川市の特別養護老人ホーム「永寿園」では、「学習療法」と名づけられた方法で、痴呆性高齢者に毎日10~20分の計算 と音読指導を始めてから、高齢者の中に言語の回復を含む大きな変化が見られたと報告しています。痴呆に挑む 、川島 隆太/ 山崎 律美、公文出版、2004年

「風の便り 」(第131号)

発行日:平成22年11月
発行者 三浦清一郎

ボランティア「ただ論」の壁-ボランティア受け入れ風土の未成熟-

飯塚市で「幼老共生まちづくり支援協会」と飯塚市教育委員会の共催で、初の「熟年指導者のための教育実践講座」(全6回)の内の第1回研修会が行われました。筆者は、高齢者の社会的位置付けは、藤沢周平のいう「世の無用人」であるというところから説明を始めました。
退職までは給料があり、賃金があり、そうした報酬は社会が「あなたを必要とした証拠」でした。「現役労働者」が自分の存在意義を疑うことが稀なのは、労働に対する報酬によって自らの社会的貢献を確認できるからです。ところが退職後、高齢者は時間のゆとりがあり、最低限の年金もあるので「タダで使われるボランティア」の「草狩り場」になりました。上記の論理をひっくり返せば、「現役」は報酬を得ることで「有用人」となり、高齢者は「タダで使われる」ことによって「無用人」であることを再確認させられるのです。
社会経済学の見地に立つまでもなくボランティアの客観的な力は「労働力」です。もちろん、ボランティアですからその「労働力」は、労働の「経済的対価」を伴わず労働とは認知されません。労働力を提供しても「経済的対価」を受け取らない原理を欧米では、ボランティアの「無償性」と呼んできました。日本では従来の「奉仕」概念と輸入された「無償性の原則」が結合して、ボランティアは「タダ」であるということになっています。長い間日本の行政や福祉団体は善意の協力者に呼び掛け、時に「奉仕」、時に「無償性」の大義名分のもとに「タダ」でその労働力を活用して来ました。結果的に「奉仕」は時間的・経済的・社会的に労働力の提供が可能である特定階層の人々に限定された時代が長く続きました。「ちょいボラ」、「ボランティア物好き論」、「ボランティアええかっこし論」のような揶揄が生まれたのもボランティアが日本人の全階層に浸透していなかった時代の文化的視野狭窄です。
しかし、阪神淡路大震災を契機に日本のボランテイアが大きく変わりました。規模も、参加者の特性も、活動分野も、支援の対象も一気に拡大し、多様化しました。政府は大震災の1月17日を「ボランティアと防災の日」に定めました。しかし、ボランティア「タダ」論は基本的に変わっていません。「さわやか福祉財団」はボランティアへの「給費」が課税の対象になったことを不服として「流山裁判」を起こしましたが、2004年に敗訴しています。すでにアメリカの国内法は、労働力の提供に対して経済的対価を支払うこととは別の論理で,ボランティアによる労働力の提供に対して「費用(経費)の弁償」を支払うことを定めました。
ボランティア「タダ論」は、現存する「労働力」を無視して、人々を「奉仕の観念」に閉じ込めるボランティア受け入れ風土の未成熟の証ではないでしょうか?ボランティア「タダ論」は「優しくあろうとする日本人」の実践の前に立ちふさがる「壁」になっているのです。

1 時代遅れの「無償」論

「ボランティアタダ論」とは、従来の研究者や行政が主張して来た「ボランティアは無償であるべきだ」という「無償性」の原則の別名です。実践者も“オレたちは一銭の金ももらっていない”と見栄を切ってみせる、時代遅れの観念論です。結果的に、日本のボランティアは余裕のある篤志家に限定された時期が長く続きました。欧米も同様ですが,一般人が長期・継続的なボランティアに関わるためには、社会参画できる条件が不可欠なのです。事実,未だに、ボランティアの底辺が拡大し、広く社会に浸透することはありませんでした。
古いボランティア論は「無償性」の原則を巡って活動者を狭い「奉仕」の条件の中に閉じ込めて来たのです。無償で長期の奉仕活動が出来るのはごく限られた社会階層の方々に限られたからです。多くの研究者が繰り返し強調するように、ボランティアの語源はラテン語の自由意志を意味し、ボランティアの「主体性」原則はそこから始まります。自由意志に基づく人々の社会的貢献の行為は労働と区別され、活動に対する経済的「対価」を受取りません。それが「無償性」の原則です。
日本に輸入されたボランティア論はほぼ欧米のボランティア論の翻訳でしたから、キリスト教信仰における「隣人愛」を原点としたということは筆者が繰り返し説明して来た通りです。信仰活動も隣人愛も、当然、労働の対価は受け取りませんから、ボランティアは「無償」を原則とするところから出発したのです。欧米以外の社会でも、欧米にならって、自由意志で社会貢献活動に関わるボランティアは、当然、「労働の対価」は求めません。
ところがボランティア活動が長期化・高度化して来た時、欧米でも「労働の対価」とは何かという問題が問われ始めました。通常言うところの「労働の対価」とは、経済的対価の意味ですから、賃金や給与等の「報酬」を指す事は言うまでもありません。それゆえ、「労働の対価」を受け取らないとは、賃金や給与等の「報酬」を受け取らないという意味です。
この時、更に問題となるのは、経済学や税務の発想では、「報酬」を得る際の「所得」と「必要経費」は別のものと考えるということです。税制において、報酬を「所得」と所得を得るための「必要経費」に分ける考え方です。欧米のボランティアを巡って必要経費を支払うことは「無償性」の原則に反しないという考えが登場したのです。「「所得」と「必要経費」を分離する考え方に立てば、一方で、ボランティアの「無償性」の原則を守りながら、他方で、活動に要した費用の「弁償」を行なうことに論理的な矛盾は起こりません。かくして、欧米は多くのボランティア活動に必要経費の補助を認めるようになりました。ボランティについても「労働力」の「経済的対価」と「対価を得るために必要となる経費」を分けて考えるようになったということです。ボランティアを普及させる意味でも、人々が責任を持って長期継続的な活動を行なうためにも、有効で論理的な措置でした。
ところが日本では、政治も行政も、古い研究者の多くも未だにボランティアを「奉仕」概念の延長として理解し、欧米型ボランティアが出発した時代の解説を鵜呑みにして来ました。「奉仕」とは字義通り、相手を「奉って」「仕える」という意味ですから必要経費ですら頂くわけには行かないということでしょう。もちろん、欧米型ボランティアは信仰実践としての「隣人愛」の表現ですから、労働との一線を字義通り厳しく引いて「必要経費」すらも受け取らないという信仰者もいる筈です。しかし、筆者は、1980年代以降の欧米のボランティアを見聞して、彼らのいう「無償性」の原則が、一切の「労働の対価」を受け取ってはならないという意味から、社会貢献活動に必要な「費用の弁償」は受けるべきであるというように転換したと理解しています。信仰実践と関わりのない日本型ボランティアはますます社会貢献に対する社会の側の条件整備が不可欠であると思うようになりました。
25年以上続いている福岡県宗像市の市民教授システムである「市民学習ネットワーク」事業はアメリカの自由大学構想の日本版ですが、ボランティア講師への「費用弁償」を続けて来ました。福岡県旧豊津町の子育て支援事業:「豊津寺子屋」の実践も、もうすぐ10年になりますが、ボランティア指導者には「費用弁償」を差しあげて来ました。近隣の人材活用事業は次々と形骸化して行きましたが、両事業とも長い間揺らがずにボランティアの貢献が続いたのは「費用弁償」効果であったと確信しています。
賃金や給料という「労働の対価」が、「社会の必要」や「本人の貢献」の証明機能を果たしたように、ボランティアに対する「費用弁償」の支給は「社会の感謝」や「社会の賛同」を象徴するメッセージを伝える役割を果たして来たに違いありません。日々の社会貢献が何年もに亘って崩れることなく継続できたのもそのメッセージの存在があったからだと思います。しかし、日本社会の「タダ」論は根強く、行政における費用弁償費の「予算化」はどこでも根強い抵抗にあってきたのです。抵抗の背景には、継続的なボランティア活動の体験を持たない多くの市民の無知があります。また、市民の「労力」を安く使える方がいいという政治や行政の”さもしい“発想もあったことでしょう。ボランティアは「タダ」だという発想は、古い「奉仕」思想を引きずり、欧米型ボランティアが発明した「無償性」の原則を教条的に振りかざすことで、ボランティアの能力や貢献の意味を貶めてきたということが事実に近いだろうと考えています。
どの解説書にもボランティアが如何に素晴らしいかが書いてあります。しかし、日本のボランティア活動が「いい事づくめ」の掛け声ばかりで広がらないのは、人びとに「タダ働き」をさせ、政治や行政がボランティアの能力や労働力機能を下請け・奉仕のように使い捨てにして来たからではないでしょうか。人々の社会貢献活動を口先で賞賛しながら、制度的には、活動を支援する「費用弁償」の制度は過去も現在も誠にお粗末の限りです。ボランティア活動の費用弁償の制度化に失敗し、ボランティア活動を「ただ働き」と同列に貶めた研究者や福祉関係者の責任は重いのです。

2 「タダ」論の論理矛盾

「タダ」論の根拠は「奉仕」は見返りを受け取らないから奉仕足りうるのだという発想です。また、参考資料には金を受取らない「タダ」のサービスだから「自由が保証される」という説明もありました。しかし、この論理は実態と矛盾しています。
論理上、ボランティアは「見返り」を期待しないといいながら、例えば「V切符(ボランティア切符)」の制度があります(*1)。「V切符」とは、一定時間のボランティアをすれば、いつか自分も、同じ時間のボランティアサービスを受けることができる、という仕組みです。このようにボランティアの交換制度は「見返り」を前提とした「サービス」の交換制度です。流行りの「エコマネー/地域通貨」の仕組みも自己のサービスに対する他者からの「見返り」を原点としている点で同じ論理に立つものです。
金を受取らない「タダ」のサービスだから「自由が保証される」という論理には人間観の「甘さ」があるのです。「タダ」は自由にも繋がるでしょうが、無責任にも繋がりかねないからです。「無償ですが、気楽に参加して下さい」というたぐいの活動が責任をもって長期・継続的に実行できるはずはないのです。日本では「ただより高いものはない」と言ってきましたが、時に鼻持ちのならないボランティアが出たのもサービスが「タダ」だったからではなかったでしょうか?恩を着せられたり、活動がいい加減になったりした時、サービスを受ける側の身になって考えてみれば、「タダ」が「高くつく」ことはすぐに分かることです。人間に関するこの種の甘い発想こそ我が国のボランティア活動を停滞させてきた主要原因の一つなのです。「自由」は時に「無責任」、「気侭」の同意語です。また、「金をともなわないから精神的な喜びも大きい」という解説も読みましたが、「ただ働き」が「苦痛」に繋がる可能性は大いにあっても、「ただ働き」が「精神的喜び」に繋がる確たる保証はありません。まして、役所の職員など同じ分野で活動をともにする有給のスタッフの姿勢がいい加減であれば、馬鹿馬鹿しくて「ただ働き」などやっていられるわけはないのです。
少年のボランティア教育を考える時、ボランティア「タダ論」の弊害はさらに明らかです。少年自身に財力はなく、教育システムの中に位置付けられていない限り、保護者に応援を頼むことも出来ません。ボランティアは少年たちのポケットマネーの範囲でやりなさい、ということであれば、彼らの活動のレベル・範囲はたかが知れているのです。
日本の労働関係法は、ボランティアをまったく認知していないために、ボランティアに支払われる実費負担金や些少の謝礼金について、すべてこれを労働の対償(労働基準法11条)あるいはサービスの対価(報酬)として扱う構成になっています。それゆえ、時に、国税局はボランティアの「費用弁償」にまで税金をかけようとすることがあります。さわやか福祉財団の堀田 力氏は、アメリカのボランティア振興の法律の主旨に則って、労働に対する報酬(サラリーや賃金と呼ばれる労働の対価)と、ボランティア活動(それ自体は労働の対価を受け取らない無償の行為)に対する費用弁償費(スタイペンド)を客観的に区別するべきであるとして裁判を起こしました。いわゆる「流山裁判」です。2004年に判決が出て堀田氏は敗訴しました。日本には、ボランティアの振興を目的とした「費用弁償」に関する法律がないので、現行法に照らせば裁判は「負ける」ことになるのです。しかし、たとえば、アメリカには「国内ボランティア振興法」(The Domestic Volunteer Service Act)(*)があり、州政府が活動者に交通費や事務所経費などを支援するのは当然の配慮である、としています。日本でも、「海外青年協力隊」や、日本青年奉仕協会(JYVA)の「ボランティア365」のプログラムにおいて、活動に参加する若者に対して、食費や住居費を支給しているのも同じ発想です。ボランティアは社会を支える実質的「労働機能」でもあるのですから、社会が長期継続的な活動を支援することを認めないというのは誠に時代遅れの発想なのです。
お金を受け取ったボランティアは、通常、「有償ボランティア」と呼ばれますが、上述の通り「費用弁償」と「労働の対価」を区別する発想に立てば、活動の経費を受け取っても「無償性」の原則に反しません。それゆえ、労働の対価を受取った時初めて「有償」と呼ぶべきでしょう。ボランティアが労働でない以上、「有償ボランティア」という概念そのものが自家撞着の論理矛盾を孕んでいるのです。万一、「有償」という概念が「労働の対価」を受け取るということを意味するのであれば、そもそもその活動はボランティアではあり得ないのです。日本社会には社会貢献活動における「労働の対価」と「費用弁償」を区別する論理の整理が急務なのです。
最近になって、ボランティアに対する注目度が上がってようやく行政の後押しも始まっています。財団等の補助金も多様に準備されるようになりました。近年の研究者の発想も実践者の発想も大きく変わり始めました。ボランティアが見つかったら「有償か無償かを確認しなさい」と助言する本も出て来ました(*3)。ボランティア支援立法に向けてさわやか福祉財団の「ボランティア認知法」の提言努力も続いています(*4)。喜ばしいことです。まだ日本型ボランティアは少数派ですが、少子高齢化が行き詰まれば、ボランティアが提供する労働力機能の重要性が高まり、活動が一気に発展・拡大する予感がします。

(*1)  総合学習に役立つボランティア-ボランティア入門、こどもくらぶ編、偕成社、2000、p.27
(*2)Web、財団法人さわやか福祉財団2004年ニュース、2004年11月17日、控訴棄却-流山裁判控訴審、
さわやか福祉財団は、労働に対する報酬(労働の対価)と、ボランティア活動(それ自体は対価を受け取らない無償の行為)に対する給費(スタイペンド)を客観的にも区別できるようにするため、給費額を最低賃金以下にするよう指導してきたそうです。これは、アメリカのボランティア振興法に定めるスタイペンドを参考にしたものです。
(*3)小野博明編著、ボランティア・デビューのすすめ、旬報社、2004年、p.48
(*4)Web,JanJan ,「ボランティア認知法」の提言,大和修2004/10/14,ボランティア活動へのスタイペンド(謝礼金)を法律で明確に定めることを柱とする「ボランティア認知法」の立法運動が、さわやか福祉財団を先頭に動きだしました。

時事教育評論3 認識者と行動者

1 「人の痛いのなら3年でも辛抱できる」

認識と実践の間には実に大きな「落差」があります。「畳の上の水練」、「口では大阪の城も建つ」は「落差」を表す典型的格言です。簡単にいえば、「言う」と「する」では大違いということであり,「分かる」と「やれる」は別ものであるという意味です。人間の社会は、「やってみなければ分からない」ことで一杯です。更に、痛みや哀しみについては、本人の個体が感じるものの大部分は他人には分かりません。痛みや哀しみの感覚を共有できないという事実を、日本人は「人の痛いのなら3年でも辛抱できる」という卓越した「個体性認識論」のことわざで表現しています。こちらは、極言すれば,「自分が痛くなければ何が起ころうとどうということはない」という意味です。拉致事件も,飢えも、戦争も、殺人事件も、原爆も、差別も、いじめも他人に起こったことは「対岸の火事」に過ぎないということです。筆者自身ももとより威張れた状況ではありませんが,周りを見ればその通りでしょう。個体で存在する人間はなかなか相手の身になって当事者意識に立つことはできないのです。
今回、裁判員裁判で初の「死刑判決」が出ました。当然のことですが,メディアが騒ぎ立てたわりにはもたもたした感じでした。前回は、検察の求刑は死刑でしたが、裁判員裁判の結果は「無期懲役」となりました。加害者は、自分が勝手に惚れて、相手の女性が言うことを聞かないというので付きまとったあげくに祖母まで巻き込んで刃物で何回も刺し殺すという残虐極まりない犯罪でした。読者も記憶に新しいことでしょう。「無期」の判決が出た時、傍聴席の家族が「いやだ、いやだ、信じられない」と叫んだと報道にあったそうですが、ここにも認識者と行動者の落差があります。犯人は反省の手紙を書き、謝罪を繰り返したそうですが、それが「畳の上の水練」です。子どもが親や教師をよろこばせるために書いた人権作文の類いです。
教育学が「直接体験」の重要性を繰り返し説くのは、多くの子どもたちが人権作文に一丁前の建前を書きながら「いじめ」は止まっていないことを知っているからです。
「いじめっ子」は叩きのめしてやるくらいの罰を与えない限り「いじめられる側の痛み」を想像できないのです。被害者でない裁判員は被害者またはその家族の立場に立つことができないのであのような結果が出るのです。認識者は「殺してやりたい」と思っても実際に行動に移すことはありません。「火をつけてやりたい」と思っても実際に火をつけることはありません。これに対して行動者は考えたことを実行に移すのです。犯罪者の場合は通常「確信犯」と呼ばれます。確信犯の行動は執拗で、計画性があり、思ったことを思ったように実行します。逆上して、思わず犯した犯罪ではありません。考える時間が十分にあった上での犯罪です。上記二つの事件の犯人は両者とも行動者の犯罪です。今回も、報道を聞いていると、判決に至るまでに、犯罪を裁くことに苦しんで涙を何回も流したという一人の裁判員の感想がさももっともらしく流されました。メディアも愚かなことです。今回の強盗・殺人事件は「依頼殺人」だそうです。犯人は「死んでから首を切ってください」という被害者の懇願にも関わらず、電動のこぎりで「生きたまま首を切った」そうです。裁判員は認識者ですが、この際自分の親や子が、この行動者によって被害者にされた場合を想像してみて下さい。また、あなた自身が懇願する人間の生首を「依頼された身」で生きたまま切れるかどうか、犯人がおかれた状況に身を置いて想像してみればいいのです。人生経験が未熟で、想像力や精神力の貧しい人々の認識は行動者の状況を感得し,判断することができないのです。

2 反省だけならサルでもできる

畳の上で水泳の講義をしたり、反対に、講義を聞いただけで泳げるようになるかのような錯覚は想像力の貧しさから生まれます。子どもが人権作文に書く人権論の建前を実行できないのも彼らの現実認識が未熟で社会的能力が貧しいからです。
犯罪は行動者の行動の結果です。逮捕された犯人が処罰を恐れて、認識者に立ち戻って、反省の手紙や後悔の涙を示すことはあるでしょう。これに対して裁判員は最初から認識者として接しているのです。認識者の裁判員は、己の行為に愕然として認識者に立ち戻ったか、あるいは反省する振りをして認識者を演じる犯人の改悛の言動に軽々とだまされて、減刑したり、苦しんだりするのです。被害者の家族は被害の凄まじさの故に簡単に認識者には戻れませんから「いやだ!いやだ!」と叫ぶのです。あなた方の娘や親があのような刺し殺され方で人生を終らざるを得なくてもあなたは「無期懲役」にしますか、と叫んでいるのです。
認識者の反省が全て意味がないとは言いませんが,“反省だけならサルでもできる”とかつて笑いとばした通りのことが起こっているのです。両事件は「死刑」の是非を問うているものではありません。最高刑に値するか否かを問うているのです。
両事件はともに確信犯の犯行であり、現行の法律に照らして、犯人の最高刑は当然のことです。前の事件は認識者でしかあり得なかった裁判員が情に流された結果「無期」となり、今回の事件は辛うじて被害を受けた行動者の立場に踏みとどまったが故に「死刑」となったのです。70年生きてきて、察するに、日本は「認識者」の国です。いじめから犯罪まで、大抵の過ちは泣いて謝れば、いつか水に流して許してもらえるのです。被害者の「浮かばれない国」なのです。政治家のいう「有言実行」が聞いて呆れます。くれぐれも被害者にならないようにお互い気を付けましょう!!

未来の学校-学社連携の理論と実践-

筑豊地区の公民館職員研修会で頂いたタイトルは学社連携でした。学社連携を論理的に詰めて行くと「未来の学校」論に辿り着きます。以下は講演に先立って筆者がまとめた講演の要旨です。

1 学校と地域の「恊働」は「無縁社会」でこそ不可欠となります。

学校の問題の大部分は地域で発生します。原因は3つあります。以下の3点です。
第1は、家庭における規範教育の衰退
第2は、子どもの体力と耐性の著しい低下
第3は、地域共同体の衰退-地域の教育力の崩壊、です。

規範が教えられていなければ、学校の授業も集団活動も成立が難しくなり、ルールは機能しなくなります。
子どもの体力と耐性が低下すれば仮に規範を教えたとしても規範の実行が難しく、ルールは意味を失い、授業が授業にならなくなります。
学校で教わったことを家庭や地域で反復・練習する機会がなければ、知識も態度も感性も子どもの身に付くことは期待できません。
現在、家庭の教育力も、地域の教育力も崩壊し、学校単独では自身の課題に対処する能力を発揮できません。しかし、学校は地域と協力する能力と経験を未だ持ち得ていません。ここでいう教育力とは教育意図を明確に持ったプログラムのことを言います。だから、家庭にも、地域にも、「教育力がない」ということは「明確な教育意図を持ったプログラム」が存在しないということです。それゆえ、教育力を回復するためには家庭にも、地域にも「明確な教育意図を持ったプログラム」を創り出すということです。

2 究極の「学社連携」はコミュニティ・スクールです。

教育力を失った家庭と地域の学校への期待はますます高まり、学校の対応能力を越えます。すでに越えています。問題の多くが学校外で発生しているのに、学校だけで対応することはできる筈がありません。
可能な解決策は学校が当面する問題を家庭も地域も共有して「明確な教育意図を持った共通のプログラム」を創り出すことです。それが学社連携です。換言すれば、学社連携とは、学校教育と社会教育の協力関係を創り出すことです。その第1歩は学校が必要としている教育プログラムを地域の有志が実行することです。しかし、現状で学校は地域の協力を望んでいません。地域も学校に協力的ではありません。学校は閉鎖的で信頼を勝ち得ていないからです。学校が学校の問題を地域と協力して解決できるようになるにはまず学校が地域の方を向かなければなりません。「学校が地域の方を向く」とは「地域のために働くプログラム」を実行するということです。筆者が見聞したものには、一人暮らしの高齢者を学校の「ランチルーム」(カフェテリア)へお招きして、生徒が介助しながら一緒に温かい昼食を食べるというプログラムがありました。中高の水泳部の生徒が学校の開放プールで子どもや市民の世話をするプログラムもありました。コミュニティ・スクールの特別教室は放課後市民に開放されていました。私はその開放夜間高校講座でアメリカ史の勉強をしたことがあります。学校図書館とコミュニティ・ライブラリーも兼用のところがありました。一階が市民のための図書館で、2階は学校図書館でした。学校の授業が終了すると仕切りには電動シャッターが降りて一般教室とは物理的に遮断される造りになっていました。それがアメリカでいう「コミュニティ・スクール」です。文科省の言っているコミュニティ・スクールとは違います。日本のコミュニティ・スクールは学校運営に地域の意見を入れるというところにアクセントがおかれているだけで、地域の役に立つプログラムをほとんど有してはいないからです。

3 「学社連携」の第1条件は地域の協力的「有志」を発掘することです

研修会で私に与えれたテーマは「地域みんなで支える学校」を作ろうということでした。しかし、未来の学校は「みんなで支える学校」にはならないでしょう。地域共同体が崩壊したということは「みんな一緒」の生活スタイルが崩壊したということです。市民はそれぞれに自由な私生活をエンジョイすることを優先し、地域や学校のために生きているのではありません。すでに日本社会には自由な「自分の時代」が来ているのです。
共同体が崩壊したということはみんながバラバラになったということです。学校に問題が生じたとしても、地域の「みんな」が支えるという考え方は不可能です。それゆえ、「学社連携」の第1条件は地域の協力的「有志」を発掘することから始めなければならないのです。「無縁社会」の反対語は「志縁社会」です。「志」を共有する方々と連携するしか方法はないのです。「みんな一緒」にこだわれば、何も進みません。

4 学校と地域が「ウイン-ウイン」の関係を作れなければ学社連携はあり得ません。

学校と地域が「恊働」するためには双方に利点がなければ協力関係は生まれ難いことは自明のことです。整理して申し上げれば次の4点です。
第1は、社会教育と連携することで子どもが変わり、先生方の仕事が楽になることです。

第2は、学校と連携することで社会教育が子どもを対象とした地域の教育力を立て直すきっかけを得られることです。例えば学校の資源を活用した夏休みの子どもプログラムは実行できるでしょうか。「学童保育」は「学童保教育」になるでしょうか。

第3は、具体的な連携と恊働のプログラムを実施して、成果を上げ、学校や公民館に対する地域の信頼と協力を取り戻すことです。「信頼」とは外部の評価委員会が「よくやっている」と判断することです。

第4は、学校に協力する地域の個人が十分な社会的承認と評価を得られることです。日本社会は「社会に貢献する人」を顕彰するシステムを必要としています。「社会を支える人」の人権も、「社会に支えられている人」の人権も同じ法律上の権利ですが、前者が存在しなければ、後者は存在のしようがないからです。

5 外部の協力を好まない「学校の閉鎖性」

未来の学校を論じる上で最も障碍になる条件は「学校の閉鎖性」です。現状の学校の大部分は地域の協力も外部の学校運営への参画も望んでいません。その最大の原因は学校運営を地域に開いて、学社連携を進めるべきであるという行政上の基本方針が存在しないからです。「学校の閉鎖性」は長い時間をかけて形成されました。
主たる理由は以下の2点です。

第1は、「学校支援地域本部」事業が実施されるまで文教行政が学社連携の具体策を学校に説いたことはありません。現代の学校は、学習指導要領の対応を見ても、「いじめ問題」の対応を見ても極めて組織防衛型の官僚システムに似ています。上を見て仕事をしているということです。それゆえ、学社連携は文科省初等中等教育局の通達一本で学校は地域に開くということです。たったそれだけのこともやって来なかったということです。中央行政に学社連携の思想と方針がないということに尽きます。
第2は、外部評価にさらされたことのない学校は「外部の協力」を「干渉」や「監視」と受け取る教員集団の「孤立化」と開放を拒む「閉鎖性」を生み続けて来ました。教員集団の組織防衛と学校を特権化した結果です。

福岡県の旧穂波町の「子どもマナビ塾」や飯塚市の「熟年者マナビ塾」は学校を開放して、放課後の子どもや高齢者のプログラムを学校の中に創り出しました。まさに例外中の例外の事業です。背景には森本精造前教育長の基本方針と強力な指導力があったということです。歴史に「もし」はありませんが、文科省が森本前教育長と似たような方針を打ち出していれば、「マナビ塾」に限らず、サマースクールから子育て支援事業まで、全国で、学校と地域、学校と社会教育の恊働による沢山の類似事業ができた筈なのです。

6 「学社連携」の対象とする学校と公民館が上記のことを十分に理解した時初めて学社連携が可能になります。連携の進め方は次のような順序と内容になります。

第1ステップは、学校が納得するようであれば、地域の教育力を活用する「学社連携推進会議」を編成して、定例化します。
第2ステップは、学校が当面する児童生徒の教育状況を学社連携推進会議で診断し、指導方法の共通理解を図ります。
第3ステップは、推進会議の診断と処方を、学校と地域が協力して学社連携事業のプログラムをつくり、実行します。

連携プログラムの具体例は次のようなものが想定できます。

i校外活動を組織化し、地域指導者を活用する。

ii長期休暇中に学社が連携して実施する体験プログラムを創設する・・林間学校、臨海学校、学校キャンプなどへの地域指導者の全面導入
iii地域行事プログラムを工夫して特別支援学級や不登校児の校外活動を活性化する(佐賀市立勧興公民館)
iv 学校支援ボランティアの組織化と高齢者の活躍のステージを創造する(「飯塚市熟年者マナビ塾」)
v学童保育への教育プログラムの導入と地域指導者の活用(豊津寺子屋、山口市井関元気塾)
viキャリア教育における専門職業退職者の活用

131号お知らせ

第106回生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年12月18日(土)
15:00~17:00
研究発表:テーマと発表者
1 「勧興公民館-まちの駅」のコミュニティ形成機能と住民参画の志縁づくり 関 弘紹(佐賀県教育委員会)
2 テーマ未定 永渕美法(九州共立大学)
3 通学合宿で自立と自律を~飯塚市庄内生活体験学校が示したもの 正平辰男 (純真短期大学)
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)

第107回「生涯教育まちづくり移動フォーラム」in飯塚(仮)

フォーラムに先立って13:30-15:00はNPO「幼老共生まちづくり支援協会」設立総会を行ないます。関心のある方はご自由にご参加下さい。
また、点線下線部は設立総会への報告を経てこれまでの「生涯学習フォーラム」を「生涯教育まちづくりフォーラム」と名称を変更する予定です。詳しい理由は明年5月に出版する30周年記念誌で論じます。変更の要点は「国民の恣意的な選択に基づく」生涯学習では変化の時代への適応も地域の再生も困難であると判断し、社会教育を専門とするものは己の全能を傾けて国家・社会・市民が必要とする「あるべき生涯教育」を語るべきであるという考え方に立ったということです。

日程:平成23年1月22日(土)
研究発表:テーマと発表者
1 「未来の学校」  益田 茂(福岡県立社会教育総合センター)
2 「市民による市民のための生涯学習システム-生涯学習社会と言いながらなぜ市民の知識
と技術を生かさないのか-弓削暢彦、野見山和久(福岡県立社会教育総合センター)
場所:飯塚市穂波公民館(-0948-24-7458. 住所:
〒820-0083飯塚市秋松408.)

§MESSAGE TO AND FROM§
遥かな読者へ

昔のことになります。大規模生涯学習施設:宗像ユリックスが建設された頃、2,000席を越える大ホールを満杯にすることは至難のわざであろうという思いと、市民の自立的生涯学習振興の実験をやろうという二つの目的で、最少定員2,000人の「むなかた自由大学」の創設に関わりました。企画はできましたが、月1,000円、年間12,000円の会費を前払いで頂くという方式は、行政主導型社会教育の行政依存中毒症状が体中に廻った当時の人々に中々受け入れていただけませんでした。もし定員に達しなかったら実行委員はお詫びの記しに頭を丸めて会費は返金するということを実行委員会で決めました。中核実行委員の眼の色が変わり、「おれを男にしてくれ」という時代がかりの口上を繰り返して宗像市の近郊を飛び回りました。開会式当日、会員登録は2,066人に達し、頭を丸めることは免れました。
自由大学の1年が無事終了して、出席簿を点検しました。約400人の方が会費をお払いになったにもかかわらず、講演会には一度もご出席ではありませんでした。お金だけ出して中核実行委員を「男にして下さった」方々です。実行委員もよく頑張りましたが、陰で支えて下さった方々あっての「自由大学」の船出でした。以来「自由大学」は会員集めに苦労しなかったことは言うまでもありません。
私の「風の便り」にもそういう方々がいてくださいます。中でも遠くからお金だけ送って下さって一切沈黙を守って下さっている方々がいます。年の暮れにせめて一言お礼が申し上げたいと思いました。長い間見守っていただき本当にありがとうございました。来年も精進してがんばります。

福岡県筑後市 江里口 充 様

今回の「少年のゆめ」発表会では、難しいテーマを頂きました。講演で提案したゆめの話には続きがあります。
私が夢だと思ったものは父の夢だったり、自分が信じた夢が勉強の途中で取るにたらない「夢想」であることが分かったり、進化したり、夢破れたり、到達すべきところへ到達できなかったり、人生は実にさまざまでした。あの天才エジソンは、発明の夢に到達した時、成功とは99パーセントの汗と1パーセントの能力だと喝破しました。
少年たちの夢もさまざまな変遷を辿ります。何を隠そう、中年期に夢だと信じて猪突猛進した夢に破れた私は60歳を過ぎて再び、老いの日の研究を世に問うという夢に巡り逢いました。おそらく夢は最後まで追いかかけることができるものなのです!!
子どもたちには言っても分かって貰えなかったと思います。今回図らずもあなたが「風の便り」を製本して大事にして下さっていることを知りました。講演を聴いてくださった何人かの大人も老いの心意気を感じて下さったのでしょうか、著書を買って下さいました。「捨てる神あれば拾う神あり」、です。

東京都八王子市 瀬沼克彰 様

ご著書拝受いたしました。ありがとうございました。生涯学習-生涯教育の研究者こそ生涯に亘った研究を続けるべきだと考えるようになっています。特に、高齢社会の諸問題の多くは、定年前の現役教授陣には未経験の領域だと思います。図書館の棚に並んだ高齢者に関する書籍の多くが参考にならない(しつれい!!)のは「まだそこヘ行ったことのない人」が想像で書いているからだと思います。もちろん、我々も80歳の方の境遇にはまだほど遠いのですが、研究を続けて行けばおいおい分かるようになるだろうと期待しております。お互い精進・養生を続けて生涯研究を競い合って参りましょう。

愛媛県松山市 上田和子 様

再会が果たせて嬉しいことでした。和田さんにも辛うじて束の間の一期一会ができました。分散会でも興味ある事例に遭遇し、収穫の多い愛媛大会でした。大会の成否の要は実行委員会事務局の力量だということを思い知らされた大会でした。プログラムも摂遇も進化の跡の著しい大会でした。われわれも来年は30周年を向かえます。気を引き締めて準備にかかる所存です。今度は福岡でお目にかかることができるといいですね。

編集後記
詩歌のシャワー
白内障手術の入院を機に自作の録音教材を聞くようになりました。謹聴するわけではありませんが、一日平均2回ぐらいはシャワーを浴びるように聞きます。
自作録音の最初は、宗像市の図書館の朗読資料が極端に貧しいこと、県立図書館の音読資料づくり(「音訳」)の馬鹿げたルールを聞いて大いに反発したのがきっかけでした。
私の朗唱も、音読も自分が判断した通りに感情を込めます。抑制も強調も、抑揚も間の取り方も作品に感情を移入して自分の感じ方を基本とします。
確かに私が感じたことと聞き手の感情のあり方とは異なると思いますが、あらゆる表現はそういうものだと開き直っています。むかし「絶叫短歌会」(*)という活動を聞いたことがありますが、彼らこそ自らの表現を「絶叫」したいほどに「短歌」の中の自分の主張や情感を直裁に表現しようとした人々でした。私は世阿弥のいう「秘すれば花」の信奉者なのでまず絶叫することはありませんが、感情が朗読に反映することを意図的に抹殺しようと思ったことはありません。表現の強調も節度もまた感情表現のあり方だからです。
当然、わが朗読資料も自己流に偏った資料になっている筈ですが、ご希望があって先に作った朗読資料を友人に試聴していただきました。感覚的波長があったのでしょうね、友人が喜んで毎日聞いていますと言って下さったのが大いに励みになりました。
退院して3ヶ月がすぎ、枕辺に置いた録音資料は毎日聞いているのでほぼ完全に暗誦してしまいました。優れた作品も日々のご馳走と同じで、さすがに毎日では名作でも飽きが来ます。
先日、本棚の資料を探してふたたび好きな詩歌を選び出しました。八木山小学校の子どもたちが暗誦した「父よ、母よ、ふるさとよ」全32首を録音し、高村光太郎の「秋の祈り」・「樹下の二人」、白秋の「からまつ」・「片恋」、三好達治の「いしの上」、伊藤整の「雪明かりの女」・「蕗になる」、萩原朔太郎の「帰郷」・「漂泊者の歌」などを新たに加えました。昼寝や夜の就寝前に詩歌のシャワーを浴びています。いつの間にか眠ってしまうので、最後まで聞き通すことはめったにありませんが、突然詩歌の文言が思い浮かんで口に出ることがあります。無意識に頭のどこかが聞いているのかも知れません。
不安と願望の間で悶々として詩歌を漁っていた若い頃を思い出し懐かしさでいっぱいです。詩歌のシャワーは、入院時の「怪我の功名」です。「怪我の功名」は、更に転じてあるボランティアグループのための朗唱を実演することになりました。人生は面白いですね。

(*)「絶叫コンサート」とも呼ばれる。早大短歌会の福島泰樹が代表的一人。

「風の便り 」(第130号)

発行日:平成22年10月
発行者 三浦清一郎

人生の証-墓の代わりの自分史
1 高齢社会と自分の時代-はかない人間存在-永遠への夢?
人間は「永遠」になりたい動物であると主張したのは渡辺通弘氏でした(*1)。不老長寿のクスリを探し求めた王侯貴族のあがきから、ピラミッドのような巨大建造物を作って永遠になろうとしたエジプトの王のように、人類史ははかない自分の人生を長く人々の記憶に残したいと考えた人々の証拠に満ちています。永遠志向ははかない人間存在の逆説的な夢なのでしょう。 選ばれた王侯貴族や現代の偉人のように、社会が本人の生きた証を残してくれない場合、個人もまたそれぞれの財力と能力に応じて生きた証をこの世に残そうとしました。その代表が「墓」だったと思います。石の墓標を建立して、時の腐食に耐え、己もその家族も「固有の歴史」になろうとしたのです。墓の次は歴史の記録だったと思います。日記から史書に至るまであらゆる書き物・記録は人生の証言であり、社会の承認の記録なのです。史書に必ず時の権力者のバイアスがかかり、都合のいいことだけが書かれ、都合の悪いことは省かれたのは、歴史はそれを残そうとした人(人々)のための史書であるということです。有り体に言えばあらゆる歴史は歴史を作った人のための歴史であり、歴史を作った人のための人生の証なのです。自分史もこの宿命を逃れることはできません。むしろ自分史の目的こそが最も直接的に人生の証を残したいと言う願望の現れなのです。自分史はまさに墓の代わりなのです。それゆえ、「紙の墓標」と呼ぶ人もいます。 今でこそ自分史は自分史という呼び名になりましたが、回想も、自伝も、体験記も、エッセイも、過去への手紙も、未来へのメッセージも、家族への遺言も友への伝言も自分史に「進化」する前の特殊形態です。人は己の生きた証をさまざまな記録の形にして工夫して来たのです。
(*1)渡辺通弘、永遠志向、創世記、1982年

2 二つの背景  -なぜ自分史は注目されたのか―
自分史が脚光を浴びるようになったのは日本社会がこれまで経験した事のない二つの変化が理由です。第1が高齢社会の到来、第2は「自分の時代」の実現です。 高齢社会は人口学的には、平均寿命の伸長と人口構造の変化を意味しますが、心理的には、死や衰弱に対面しながら長い時間を生きる時代が到来したことを意味します。換言すれば、生老病死はもとより、やり甲斐や生き甲斐の喪失、孤立や孤独の危機を切り抜けて生きる長い老後の時代こそが高齢社会の最大特徴なのです。 一方、「自分の時代」は、個性の時代、主体性の時代の別名です。筆者は「自分流」の時代と呼んできました。それゆえ、「自分の時代」は「自分が一番大事な時代」という意味です。すでに日本文化の謙譲の美徳も、「能ある鷹は爪を隠す」控えめの奥ゆかしさも自分の時代の前に消滅しています。「取るに足りない自分」が「かけがいのない自分」に変わったのです。変化をもたらしたものは、経済発展と民主主義と人権思想と個性主義の4つです。豊な社会が実現して、初めて人々は「生存」と「安全」の不安から解放され、民主主義と人権思想と個性主義によって人々は自分自身の主人になることができました。それが「主体性」の時代です。主体性とは人生の目標や生き方を自分で選択し、実践するという意味ですから、人生は「自己責任」にもなったのです。 程度はさまざまですが、人々の自分へのこだわりはかつての王侯貴族のようになったということです。自分流の時代が来たのです。自分史は自分流の時代の「紙の墓標」であり、少し大げさにいえば「紙のピラミッド」であり、意識するか否かは別として人々の永遠志向の一つのシンボルなのです。自分の時代は自分史の流れを一気に加速したのです。

3 「自分」へのこだわり
現在私たちは高齢社会の真っただ中にいます。しかも、現代は,高齢者に限らず、自分流の人生の真っただ中でもあります。「個性」がもてはやされ、時に、「個性」は「個体」と等値され、また時には「個人の欲求」や「個人の感情」と同等に扱われています。賛否はともかく人は皆「世界にひとつだけの花」で、「みんな違ってみんないい」という風潮が日本社会を覆っています。今や「人権」という言葉は人間の普遍的な自由や法の下の平等という考え方をはみ出して「個人の好き嫌い」の自由にまで及んでいます。 それゆえ、人権概念と自分へのこだわりが結合すると、自分主義:自分流への執着を生みます。自分流とは、翻訳すれば「オレの生き方に干渉せず、私のやりたいことをじゃましないで!」という考え方です。本稿は「個性」を論じる目的ではないので、個性論の詳細は省きますが、今や「個性」は手軽なものになったことだけは間違いありません。個性主義と自分主義を融合すると、みんなそれぞれに自分の欲求を主張して、感性・感情の赴くままに生きることが個性と等値され、「自分らしく」生きることであると主張するのです。高齢社会は「自分の時代」、「自分流の時代」と融合したのです。自分史はそうした時代の生きた証となったのです。

自分史を書こう-記憶の「断片」を集めよう
1 思い出の「断片」を集める
記録を残すか、思い出を書くか、自分史はどこから始めてもいいのです。参考書は「年表」を作ってはどうか、とか「課題を決めて書き始めてはどうか」とか、「年代を追った体験記」から始めてはなどなどさまざまな提案をしてくれていますが、書くことを仕事にしたことのない人は、まず心に残っていることの「断片」から始めることをお勧めします。記憶の「断片」とは、通常人生の一番強烈な思い出の「感想」であり、「事実の破片」です。

2 「断片」の集め方-テーマは最後に決めます
「断片」は“あの時は嬉しかったなあ!”、とか、逆に、“よく病気にならないで切り抜けられたものだ!”という「感慨」からはじまります。それゆえ、テーマから始めないようにしましょう。テーマを決めるとテーマに制約され、思い出す断片がテーマの範囲を超えて出て来なくなります。人生は繋がっており、思い出は時間や空間を飛び越えて出て来るものなのです。小学校の思い出を書きながら30年後の同級生との再会も思い出すのです。寄せ集めた思い出をもう一度読み返してみるとテーマが自然に出て来る場合もあれば、また、アレコレ迷ってうまく決められない場合は他の人に読んでもらって付けてもらってもいいのです。 くれぐれもテーマは最後に決めましょう。

3 「断片」に説明をつけよう
最初に思い出した感慨にまつわる「あの時」の説明を書きます。それは「子どもの卒業」であったかも知れません。あるいは「会社の倒産」であったかも知れません。家族の死であるかも知れません。「あの時」あなたの人生には何が起こったのでしょうか?嬉しかったにせよ、辛かったにせよ、その時の「事件」の最も衝撃的な思い出を取り出して記録を書き始めて下さい。この時思い出すことのメモは連続して書かないで、カルタのように1枚のカードに一つだけ書くようにして下さい。後でカードを使って思い出の全体像を作る時に1枚のカードに一つだけの思い出だけが書いてあると組み合わせや配列の工夫が自由で簡単になるからです。

4 歴史の初めは「時間」の説明です
思い出す最初の手がかりは出来事が起こった時間です。自分史は歴史ですから、手がかりは「時間」から掘り起こします。時間を思い出すと、同じ頃に起こった事柄が少しずつ出て来て出来事の説明に役立ちます。思い出の断片はどこからでもいいのですが、時代や時間を思い出すことが連想の糸をたぐり寄せる近道です。例えば、その時、子どもさんは中学生だったでしょうか、それとも高校生だったでしょうか?あなたがどこに住んでいた時のことでしょうか? 「会社の倒産」の場合も同じように時期と時代背景を思い出して記録します。あなたの周りの世の中にはどんなことが起こっていたでしょうか?あなたのご父母はおいくつになっていたでしょうか?出来事の時間を思い出すと同時代、同じ頃の別の出来事も思い出すものです。方法の原理は「連想ゲーム」ですから、出来事の断片に関係ないことでも思い出したことはメモを書いておいて下さい。連想ゲームは英語の「いつ」:whenから始めます。

5 次は「場所」の確認です
時間の次は、出来事の中身を書く前にあなたが居た場所を確認して下さい。その時あなたはどこに居たのでしょうか?どんな場所だったでしょうか?なぜそこに居たのでしょうか?誰とそこに居たのでしょうか?このように出来事の「場所」を巡ってあなたの記憶はだんだん出来事の中身に近づいて行きます。英語の「どこで」:whereです。

6 いよいよ中身のメモに入ります
時間と場所に関することを思い出したら、あなたの「感慨」がどこからきたのか、出来事の核心を思い出して下さい。なぜあなたはその時特別に嬉しかったのでしょうか?逆に、なぜ悲しかったり、怒こったりしたのでしょうか?今でも忘れていない感情の中心には何かあなたに起きた出来事がある筈です。時間と場所のメモを見ているとその頃のことをすこしずつ思い出します。思い出したくないことまで思い出すかも知れません。人生には忘れていたいことも沢山ある筈です。 自分史は自分に正直にという人も居ますが、余り無理をすることはありません。思い出したくないことは、忘れるように努め、書きたくないことは書かなくてもいいのです。それは世界中の歴史書に共通のことです。あらゆる歴史は書き手や書き手の背後にいる人々に都合よく書かれているのです。政治学や歴史学を学んだ者の常識です。古事記や日本書紀のような歴史書を読む時、二つを比較して、どちらに何が書かれていないかを見て歴史の実相をより正確に把握しようとする人もいます。「省略」は史書の大事な手法なのです。 おそらく、想定される自分史の読者はあなたに近い人々でしょう。自分史が事実上あなたの遺書になったり、お墓の代わりの「紙の墓標」になった時、他者の立場に思い至らない“ばか正直な”記述は大いに“はた迷惑”なのです。自分史には「作法」があり、書くことの「節度」が不可欠なのです。それゆえ、ある程度出来事の中身を思い出したら自分の感慨だけでなく、そのとき周りの人は何を言ったのか、どのように反応したのかを思い出してメモして下さい。第三者の反応を入れると「思い込み」や「一人合点」が修正され、「独りよがり」にブレーキがかかります。出来事の「中身」と「理由」が出そろったら、メモ書きをカルタのように並べて関係のあるものを小さなグループにまとめて下さい。まとめ方は時間の順序別(時系列別といいます)でも、場所を中心にしても、あるいはあなたの感慨を説明する形でも特別なまとめ方があるわけではありません。うまくまとまらない場合は、思い出を箇条書きにするだけでもいいのです。出来事の中身は英語で「なに」:whatです。

7 なぜ「そのこと」を覚えていたのでしょうか?
思い出の裏側にはいつも「なぜ」という疑問が潜んでいます。あなたにとってなぜそのことが思い出になったのでしょうか。子どもの卒業がそれほど嬉しい記憶として残っているのは、皆さんにどんなことがあったのでしょうか?なぜ真っ先に思い出すほどに嬉しいことなのでしょうか?嬉しいことにも、悲しいことにも、辛いことにも、出来事の背景には必ず「なぜ」が潜んでいます。少しでも思い出す事件の理由と原因が書ければ自分史は順調に先に進みます。自分史はもちろん出来事の中身が中心ですが、出来事の背景にある動機や理由こそが自分史を書く原動力です。それが「なぜ」:whyです。

8 あなた以外の登場人物が自分史の厚みを増します
自分史の記録が、「中身」と「時間」と「場所」と「理由」を説明で来たら80パーセントは完成です。ただし、人生は自分だけで生きてきたわけではないので、あなたを取り巻く人々を登場させると自分史に厚みが出ます。ここからが「自分史作法」の根幹です。あなたの思い出の出来事を巡ってあなたの周りにはどなたがいらっしゃったでしょうか?家族や友人や時にはあなたに敵対する方がいたかもしれませんね。その方々があなたに「言ったこと」、「してくれたこと」を覚えていたら書き留めて下さい。 あなたを助けてくれた人がいます。あなたを傷つけた人もいます。離れて行った人も、無関心を装った人もいるでしょう。その方々をどう描くかであなたの「品格」が決まるのです。謝意も別れも弾劾も恨み節もまずは思うように書いてみてください。しかし、書いた後は何度も読み直して、礼儀に反していないか、不愉快に思う人はいないか、怒りや不満は泣き言や愚痴になっていないか、あなたの気に入らない第三者にもそれなりの理由があったのではないか等々を点検することが必要です。お礼の言葉ひとつでもある人に言って別の人に言わないのはなぜでしょうか?自分史は「読み手」の手の中に残ることを意識すれば、基本的な作法を守ることは極めて重要なのです。自分史作法はあなたの周りにいた人への礼儀であり、あなた自身の「品格」の証明なのです。作法は英語の「だれ」:whoを巡って考慮しなければならないのです。

9 あなたはどのように対処したのか
最後に、あなたはその時ご自分の人生にどう対処したのでしょうか?対処の記録は行動の記録で、反応の記録です。「嬉しかったこと」や「辛かったこと」に対して、誰かに何か言ったり、出かけたり、買い物をしたり、便りを書いたり、電話をかけたり、何か特別のことをしたでしょうか?あなたの行動はあなたの感情や感慨に連動しています。思い出したら小さなことでもいいですからメモしておいて下さい。人生は出来事の連続であり、体験の積み重ねです。おそらくどんな出来事でも、あなたが取った反応や態度や行動には意味があり、それらの積み重ねが今日のあなたを作り上げているのです。対処の方法を英語では「どのように」:howといいます。

10 5W1H-歴史記録の6要素
歴史記録を構成する条件は上記に説明した「時間」から「対処法」まで、通常5W1Hで表される6要素であるといわれます。事件を報道する新聞記事の構成と同じです。自分史も歴史記録や新聞記事と同じように原則的に5W1Hの客観的事実を含んでいます。5W1Hで言う5つのWとは「いつ(when)」、「どこで(where)」、「何(what)」が、「誰が関係して(who)」、「なぜ(why)」起こったのかという意味です。一つのHは「どのように(how)」起こったのかを意味します。 すでにあなたが書き留めたメモにはこれらの5つのWと1つのHが入っているということです。次に必要になるのは「並べ方」と「組み合わせ方」です。 もちろん自分史は人生の感想と解釈を述べるものですから、客観的記録にこだわる必要はありません。6要素のどれかが膨らんで、別のどれかが省略されてもいいのですが、まずは原則通りに記録してみると自分がすくい上げたいもの、捨ててしまっていいものが見えて来ます。自分史もまた時間と紙数の制約の中で作り上げるあなたの作品だからです。冒頭に提案した通り全体のタイトルも、出来事ごとにまとめた文章のテーマも最後に決めた方がより全体を代表するバランスのとれたものになる筈です。

人間の欲求と日本外交1 マズローの欲求段階説
アメリカの心理学者マズローは人間の欲求を5段階に分類し、欲求の満足には「順序性」があると主張しました。 マズローはこれを「人間欲求のハイラーキー」と名付けました。下の図がマズローの欲求の段階説:「ハイラーキーの図」です。 マズローの言う「順序性」とは、一番下の「生存の欲求」が満たされていず、食い物もなく、生きるか死ぬかの危険な状況に置かれた人間に一番上の「自己実現」とか、上から2番目の「社会的承認」とか人々の「尊敬」を受けたいという欲求は起こりようがないのだという意味です。 それゆえ、マズローは一番下の欲求から順々に高次の欲求を充足して行くことが人間の発達の原則であり、社会の進歩の順序であると説明しています。人間も社会も「衣食足りて礼節を知る」ということを欲求段階説で説明したということです。 人間の幸福は欲求の充足であり、生涯を通してより高い次元の欲求を実現し、自分の可能性を目指すからこそ生涯にわたる学習や教育が必要になるのであるということになります。個人の立場から論じた重要な「生涯学習-生涯教育」の必然論と言っていいでしょう。 マズローの功績は「学習」も「教育」も欲求の段階に対応しなければ成立せず、効果は上がらないということを理論的に説明し得たことだと思います。したがって、人々を生きる不安から解放し、「生存の欲求」や「安全の欲求」を満たすことが先決で、次の段階の学習の条件になると指摘しました。下位の欲求を満たすための努力から開始することが原則だということになります。 また、人間の最高位の幸福は自らの可能性を十分に開花させる「自己実現」にあるとしたことで、生涯学習-生涯教育が人生の最終目標になるという主張に繋がったのです。

2 生存と安全の中国依存  対中外交のアキレス腱
今回の尖閣諸島を巡る中国との摩擦は日本外交における教育論を提起しています。外交もまたマズローの欲求の段階説に密接に関係しているのです。 日本国民の誇りや独立心を逆なでした民主党内閣の対応は、一番下の「生存の欲求」と下から2番目の「安全の欲求」を守るためにやったことです。戦後一貫して、アメリカに追随して来たのも同じ理由からです。しかし、アメリカに対しては、戦勝国に対する諦めもあり、アメリカ自身にフェアプレイの精神があり、自由主義という共通の思想的連帯がありましたから「追随」しても日本が侮辱されたとは多くの人が感じなかっただけのことです。 他方、「下品で」「ならず者のような」中国に対しては何たる対応かと最初は多くの日本人が怒り心頭に発したと思います。しかし、一呼吸おいてみたら、日本の企業は中国にたくさんの工場を持ち、中国との貿易で日本人の豊かな生活(「生存」と「安全」)を支えていることに気付かざるを得なかったのです。また、平和国家日本の「軍事力」では到底急速に軍備を増強している「ならず者国家」には対抗する力がなく、石垣島の漁船の「安全」を守り切る実力も覚悟もありません。多くの日本人はその事実を思い出し、今回の事件によって新たに「豊かな日本の存立基盤」に関する再教育を受けているのです。観光ツアーのキャンセルもレア・アースの輸出差し止めも日本の生存と安全に関わるぞと中国側が脅して来たことは強烈な「学習」でした。 日本国の法に則って逮捕した中国漁船の船長は、形ばかりの「言い訳」と「格好」を付けて、後は一方的に「ゆずる」しかなかったのはそのためです。換言すれば、「逮捕」は「間違いだった」のです。 民主党内閣は総理大臣以下口ばかりの八方美人ですから、国民に本当のことは言えなかったのです。「衝突ビデオ」を公開できないのは、日本人が「学習」を忘れて感情的になることを恐れてのことでしょう。 しかし、その後の成り行きを見守っていると、他の政党も似たようなものでしたね!国会のやり取りを聞きましたが、日本企業及び日本人の「生存」と「安全」のために「ならず者」の言いなりになるか、それとも多少は「生存」と「安全」を犠牲にしてでも中国と対峙するかを、国会は日本人には問いませんでした。日本人の答は決まっていると考えたからでしょう。豊かさに慣れ切った日本人には、国の誇りや独立よりは波風の立たぬ「生存」と「安全」の方が大事であり、自分の商売の障りにならぬよう事を荒立てずに納める事が「大人の分別」なのです。勇ましいことを言っているのは日本の「中国依存」を知らない人々だけだと言ったら叱られるでしょうか?

3 ノルウエーの自主・独立
これに対してノルウエーは言いたいことを言い、やりたいことをやりたいようにやりました。ノルウエーは、中国から遠く、漁業交渉以外、国民の「生存」も「安全」も中国に依存していないので遠慮は無用なのです。 それゆえ、誰に気兼ねもなく自らの主体性と評価基準で判断しました。「平和賞」は一党独裁の「ならず者国家」の現政権が「犯罪者」と呼ぶ者に授賞したのです。日本を除いた世界の主要国が拍手喝采したことは言うまでもありません。慌てふためいた「ならず者国家」がCNN他の国際テレビのニュースを文字通りブラックアウトして情報統制をしたことも世界の前に明らかになりました。その後、中国はノルウエーとの漁業交渉を打ち切ったとCNNが報じました。ならず者国家の面目躍如たるところです。 平和賞の選考委員会は、中国人はもとより人間の未来のために本当のことを言ったのです。日本政府は授賞者にも、ノルウエーにもオープンに拍手を送れませんでした。「ならず者国家」を刺激するとならず者の制裁が日本国民の「生存」と「安全」を脅かす結果になるからです。それゆえ、政府の「沈黙」は日本国民のためにやったことなのです。思わず中国を批判した民主党の枝野前幹事長は執行部の圧力で「沈黙」させられました。

4 対中外交のアキレス腱
マズローの教訓は明快です。ならず者との「喧嘩」や「争い」が嫌なら、ならず者に日本国の「生存」や「安全」を依存するような国の運営を止めることです。日本人が一党独裁の「チャイナ・リスク」を知らなかった訳ではないでしょう。チャイナ・リスクを承知の上で、日本人は「中国で儲ける」ことを選んだのです。日本人は未来を見通す学習能力に欠け、撤退の決断力に欠けているのです。それこそが対中外交のアキレス腱です。 事態は現行の多くの子どものいじめに似ています。学級担任のアメリカや、学校に当たる国際社会が「悪ガキ」中国をコントロールできず、いじめっ子は今後ますます頭に乗って日本をいじめ続けるようになるでしょう。その時、いじめられっぱなしに甘んじていじめっ子のご機嫌を取り続けるか、それとも本気で中国に大きく距離を置いた新しい日本のあり方を考えるか次の世代は難しい「生きる姿勢」の自己教育を迫られます。 日本は中国のお蔭で現在の「衣食が足りて」います。しかし、「衣食」(「生存」と「安全」)を中国に依存したことで、誇りも礼節も守れなくなっているのです。「衣食足りて礼節を守れず」という新しいことわざが生まれたのです。マズローの欲求段階説でいえば、大多数の日本人にとって当面中国に依存した「生存」と「安全」が最も大事なのです。民主党は国民の本音を忖度(推察)して、事を荒立てないことが「大人の態度」であり、「金持ち喧嘩せず」の処世訓であると判断したのです。政治は国民のレベルを超えることはないというのが政治学の常識です。 石垣漁民には誠に気の毒なことですが、日本人の学習能力は到底石垣漁民の安全とか自尊心とかを論じる段階には至っていないのです。くれぐれも気を付けて尖閣諸島周辺の漁にお出かけ下さい。 また、誇りを持って生きて行きたい日本人はテレビや新聞を見ないことをお勧めします。侍のいなくなった商人国家は見事に戦後復興を遂げて豊かになりましたが、残念ながら世界の尊敬を得ることはできないのです。中国では日本車や日本企業への破壊行為も始まりました。辛いところですね。

「志縁社会」の形成-「井関元気塾」のまちづくり力-
主任指導員 上野敦子 様
1 現場の記録は正直ですね
鋳銭司小の赤田校長先生に託された平成22年度の「井関夏休み元気塾」の指導日誌を受け取りました。日々の指導と子どもの反応を克明に綴られた記録とあなたの感想を実に面白く拝見いたしました。 警察から派遣された警察官の何とも情けない指導に対する子どもたちの反応とあなたの感想が重なっていて思わず吹き出しました。「二度と来ないで」といわれる講師も珍しいことでしょう。思わずそういう評価が出たら大変だと我が身に引き換えて考えました。 子どもたちの正直な感想も含めて警察署に提出した度胸は見上げたものです。その結果、お侘びのしるしに白バイ隊を派遣して下さったのだと思います。分かって下さる人は分かって下さるのです。警察や検察の常識が疑われている昨今ですから、警察トップも“たかが子どもの元気塾”と侮らなかったことは褒めてあげて下さい。

2 「元気塾」はまちづくりです
あなた方の「元気塾」が挑戦しているのはまちの教育資源を総動員したまちづくりなのです。言い方を変えれば、「元気塾」を起点として人々の交流と協力を創り出して新しいコミュにティを形成しているのです。阿知須の田舎でもすでに都市化の波に飲み込まれ、「共同体」は崩壊し、現代の「無縁社会」が到来しています。無縁社会とは人と人のつながりが切れた社会を言います。その分だけ私たちは人から干渉や支配を受けずに暮らすことができるのですが、ひとたび危機に陥った時は誰も構ってくれず、誰も助けてくれない冷たい社会です。高齢者が孤立し、子育て中の親が社会から隔絶してしまうのもそのためです。現代の日本人はそれぞれの自由を追求して自由人になることには成功したのですが、その自由人こそが結果的に孤立と孤独のコミュニティを作ってしまったようです。誰にも干渉されないということは誰にも構ってもらえないということであり、誰のお世話もしないということだからです。 最近行方不明の年寄りが沢山出てメディアを賑わせました。自殺者も相変わらずのようです。すべての原因は現代の孤独と孤立に繋がっています。かつての共同体に代わり得るあたらしい連帯をもたらすコミュニティは成立していないのです。

3 目標は「志縁社会」です
「井関元気塾」は「子縁」(子どもに関わる縁)をカギとして「無縁社会」を突破する方法を証明しているのです。「無縁社会」の反対は志を同じくする人々が連帯する「志縁社会」です。まさしく、元気塾の皆さんの活動こそが「志縁」の活動を創り出しているのです。 日本人は戦後急速に伝統的村落共同体の成員から自由な個人へ移行しました。最大の理由は戦後日本社会の産業構造が、共同体を不可欠とする農林漁業から共同体を必要としない工業、情報、サービス、金融などが中心となったからです。 共同体の成員は集団の「共益」のために一致して「労役」を提供し、成員の相互扶助の慣習を守って来ました。その当時の「共益」とは里山の管理であったり、水資源の管理であったり、共同の祭りや共同の防犯、共同の防災などがありました。時には、屋根の葺き替えや家族の冠婚葬祭のお世話も村の人がしてくれました。しかし、共同体的な暮らしは不要になりました。そのためこれまで共同体が培って来た価値観や慣習は、それぞれの自由と自己都合を優先し始めた個人に対する干渉や束縛に転化してしまいました。日本人は共同体文化を拒否するようになったのです。 日本人の生活は、共同体および共同体文化の衰退と平行して都市化し、人々は多様な価値観と感性にしたがって自由に生きる個人に変身したのです。共同体を離れた個人は、それぞれが思い思いに自分流の人生を生きることができるようになりました。自分流の人生を主張した以上、当然、己の生き甲斐も他者との絆も自分の力で見つけなければならなくなりました。人間関係も日々のライフスタイルも「選択制」になったのです。新しい人間関係を選び取ることのできた人はともかく、「選べなかった人」、他者から「選ばれなかった人」は「無縁社会」の中に放り出されます。自身の「生き甲斐を見つけようとしなかった人」や、探しても「見つけることのできなかった人」は「生き甲斐喪失人生」の中に放り出されます。自由も自立も、選択的人間関係を意味し、選択的人生を意味します。日々の生き方を自分が主体的に「選択する」ということは、かならず自己責任を伴い、願い通りの選択は簡単に実現できることではありませんでした。それゆえ、過渡期の日本人の中には自由の中で立ち往生する「さびしい日本人」が大量に発生したのです。 元気塾の皆さんは「さびしい日本人」に真っ向から挑戦状を突きつけているのです。更生保護婦人会の皆様、大工の棟梁のみなさんのにこやかな指導写真がとても印象的でした。お寺にこれほど地域の子どもが寺に集うことはかつてなかったのではないでしょうか。住職の「説教」にも自ずと力が入っているご様子が見て取れました。地域には沢山の能力が眠っています。退職者の中にも多くの可能性が残っています。元気塾のプログラムはそれらを引き出し、子どもと指導者の間に「ウインーウイン」の関係を創り出しているのです。日誌に記された毎日のレポートから子どもの生き生きとした活動が垣間見えると同時に、添付されたどの写真にもいいお顔の指導者が写っています。多くの学校が校外の活動に無関心で、閉鎖的である現状にもかかわらず、元気塾の成果を率直に認めて応援して下さる校長先生は本当に偉いですね。外部の方々の指導効果を認めない唯我独尊の教員が沢山いる中で「元気塾」の皆さんはいい巡り合わせを頂いているのです。赤田校長先生も自分の学校に元気塾と同じような活動が欲しいでしょうね! 現行の政治も、福祉行政も全く分かっていませんが、皆さんが証明しているように、子育て支援に地域の力を借りた「保教育」を導入できれば、新しいコミュニティを開拓し、無縁社会への挑戦が可能になるのです。

4 来年の課題は「体力」と「耐性」
体力のない子どもたちがあの猛夏に耐えて全ての活動を事故なく無事に終わることができたのはどこかで神様が応援してくれているのでしょう。たびたび申し上げている通り、来年は定期的な体力向上プログラムを導入し、子どもに耐えることを教えて下さい。体力と耐性は、生きる力の「基礎工事」と「土台」です。家の建築に例えれば、学力は「柱」、徳性と規範意識は「壁」です。思いやりや感性は「屋根」に当たります。柱も壁も屋根も全て土台と基礎の上に乗っているのです。 きらめき財団用の報告書の内容は完璧でした。ただし、財団に報告書を提出する際には、子どもと地域の先生方の交流の実態と雰囲気を伝えるため、私が拝見した「指導日誌」を送り返しますので、参考資料として添付してご提出下さい。いわゆる「役人」には通じなくても、企業を経験した「査定人」重村さんはどれほどお喜びになるか想像するだに楽しみです。

130号§MESSAGE TO AND FROM§  
猛夏を生き抜いた昨年の菊が見事に濃紫の花を付けました。窓辺においてその美しさに見とれ、けなげさに励まされております。 早いもので一年が過ぎました。平成22年度第1回の購読更新のご案内を載せました。皆様のお便りありがとうございました。山口市の上野敦子さんへのご返事は原稿にしてみました。それぞれに思う存分各地の秋をお楽しみ下さい。 東京都学文社 三原多津夫 様 この度はお蔭をもちまして『自分のためのボランティア』を世に出していただきました。新刊を読み返しながら、校正を通したあなたとの問答がどれほど役に立っているかとあらためて思います。本当にありがとうございました。現在、中国・四国・九州地区の生涯学習実践研究交流会の事務局の仲間と大会の過去30年を振り返って、「未来の必要」の分析を始めております。なんとかお眼鏡に適い、世に問うに足るものをまとめたいと衆智を集めて作業に励んでおります。どうぞこの地の実践につきましても変わらぬご指導をお願い申し上げたくお礼の便りといたします。

平成23年の更新のご案内(第1回)
「風の便り」は1年更新です。平成23年1月号から、これまで通り「風の便り」の実物(ハードコピー)をご希望の方は郵送料と印刷費の合計(170円×12ヶ月):年間2,000円を事務局までお送りください。ありがたいことに現在もなお、各地の現場を御紹介いただき教育や養育に関するさまざまな刺激を頂いております。おかげさまで平成22年は「風の便り」の記事の分析を掘り下げて『安楽余生やめますか、それとも人間やめますか』と『自分のためのボランティア』(いずれも学文社)の2冊を世に問うことができました。これからも精進を続けて、社会に関わって何らかの役割を果たしながら生きる生涯現役を続ける所存です。 しかしながら、季節が流れ、いかんせん筆者も歳をとりました。テレビが報じる有名人の訃報の多くが自分の年齢に近くなって参りました。途中不幸にして、志半ばで倒れるようなことがあった時には、誠に恐縮ですが、印刷料・郵送料はお返しできません。謹んで事前にお許しをお願いしておきます。

お知らせ第104回生涯学習フォーラムin福岡
日時:平成22年10月30日(土)15:00~17:00研究発表:テーマと発表者1 社会の必要課題に対処する実践型人材育成研修の論理と方法 赤田 博夫(山口市立鋳銭司小学校)  大島 まな(九州女子短期大学)2 学校を中核にした地域全体の教育力向上方策に関する一考察 古市勝也(九州共立大学)3 市民による市民のための生涯学習システム  三浦清一郎場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
第105回移動フォーラムin山口
1 主催   山口県生涯学習VOLOVOLOの会
2 日時   平成22年11月20日(土)13:00 ~平成22年11月21日(日)11:50 まで
3 場所   山口県セミナーパーク
4 内容  
(1) 11月20日(土)13:00~17:00(18:00~第2部)
① 13:00 開会行事 代表あいさつ(日程説明等:事務局)
② 13:10 自己紹介及び近況報告
③ 14:50~15:05 休憩
④ 15:10 講義-「自由の刑」と退職者の未来計画- 三浦 清一郎 
⑤ 16:10~16:25  休憩
⑥ 16:30  質疑応答および近況報告→(17:00 ~ 18:00 懇親会準備)
⑦ 18:00 ~ 20:00 懇親交流会 
(2) 11月21日(日) 9:00 ~ 11:50
Ⅰ 特別インタビュー 9:00 ~ 10:00    「周南再生塾、創設の思想と方法」     
(インタビューイ)山口県周南市長 島 津 幸 男   
(インタビュア)生涯学習・社会システム研究者 三浦 清一郎      
Ⅱ リレー提案と共同討議 10:15 ~ 11:45(コーディネーター:三浦 清一郎 ) 
① 市民学習集団の組織化の効果と意義-たぶせ雑学大学の14年-       たぶせ雑学大学主宰 三 瓶 晴 美 
② 放課後「子どもマナビ塾」の教育性、経済性、創造性前飯塚市教育長 森 本 精 造 
③ 「財源補助」の評価視点と補助効果の点検法  山口県きらめき財団 主幹 重 村 太 次 
事務局・連絡先:鋳銭司小学校の赤田博夫校長です。

編集後記 空虚に対す
わが家の庭の昼下がりはさやかに風が吹き紅葉がそよぎ、生き残りの蝶が舞い秋晴れの空の下向いの学校の子どもたちは昼休みなのでしょう潮騒のようにさんざめいていますとなりの農夫はエンジン全開次から次へと稲を刈り家族は勇んで籾を運びます一年がかりで世話をしてきた紫の小菊が猛夏に耐えてそろいの花をつけ遅咲きの日々草と並んで窓辺を飾りましたいつものことですが午睡の後は珈琲を手に椅子にもたれて城山を見ますくつろいでいると見て取ると犬たちはわが膝に飛び乗って眠ります新刊「自分のためのボランティア」ができ上がって来ました30周年記念誌の一つの補筆が一段落し「風の便り」の原稿には少し間がありますがんばりの後のくつろぎには平穏と満足がある筈なのにこの憂鬱はどこからくるのでしょうか胸の中に穴があいたように生きることが空虚になりなにもかもが意味を失い時々立ち上がることさえ億劫になるのはどうしたことでしょうか疲れでしょうか老いでしょうか群れを離れた孤独でしょうかあるいは「燃え尽き症候群」でしょうか稲刈りの終った田んぼを前に秋の真ん中にいるせいでしょうかそれともこれこそが無常の風の為せるわざでしょうか

「風の便り 」(第129号)

発行日:平成22年9月
発行者 三浦清一郎

自由と気ままの代償?生涯学習概念の破綻

1 病院の指示に従わない患者がいたとしたら

もちろん、健康な市民は日常の健康管理法を、自分の判断で自由に選んで暮らしています。しかし、ひとたび「患者」となった場合には、病院や医師の指示に従って治療に専念するのが社会の通念です。
この時、病院や医師の診断や処方に従わず、自分の思い込みで診断?処方?治療を主張する患者がいたとすれば、社会や病院はその気ままや自分勝手な思い込みを見過ごすでしょうか?患者が病院の指示に従わなくていいという感覚や原理が市民に浸透してしまえば、医療はその目的と成果の大半を失うことになるでしょう。
生涯教育も同じです。市民がすべて患者ではないという事情は、病院の場合と同じですが、仮に、日常の暮らし方に教育診断と処方が必要な「患者相当者」がいるとした場合、その「患者相当者」は「教育診断」にも「教育処方」にも従わなくていいのだ、という感覚や原理が蔓延してしまえば、「患者相当者」の「学習」は自らの意志で、自らがやりたいように決めていいということになります。現に、「生涯学習」概念のもとで、「患者相当者」は教育診断をほぼ完全に無視するようになりました。生涯教育を生涯学習と言い代えることによって、社会教育は公金を投入した目的と成果の大半を失うことになったのです。

2 教育における「患者相当者」の自由と気ままを放置した生涯学習

教育は医学やその他の自然科学ほど論理性や実証性の厳密な学問ではありませんが、それにしても「患者相当者」が専門家の診断や処方に従わなくていいという原理をオープンに認めれば、そもそもの生涯教育の目的を根本から失うことになるのです。現行の社会教育はすでにその使命と目的の大半を失いました。
日本社会が「生涯教育」概念を「生涯学習」概念に代えたということは、教育における市民の自由と気ままを放置したということです。「患者相当者」に限って言えば、原理的に、彼らに対する専門的診断と処方を自己診断と自己処方に置き換えて放置しているということに匹敵するのです。
現に今、日本は高齢社会に当面し、団塊の世代が続々と退職しています。医療費も介護費も高騰を続けています。高齢者が活力を失えば、当然、高齢社会も活力を失います。高齢者の老衰を防止し、彼らの社会的活力を支える強力な教育政策を打つことは誰が考えても普通の「処方」ではないでしょうか。しかし、社会教育は適切な「処方」政策は取れませんでした。学習の主体は学習者自身であり、学習内容は市民が自由に決めるものであるという生涯学習概念の「建前」が立ちはだかって来たからです。
生涯教育を生涯学習と言い代えて学習者の選択権を過信したことは高齢社会の重大な間違いでした。同じことは学校外の青少年教育にも当てはまります。幼少期の基本訓練を子どもと家庭の選択に全面委任したことは「社会教育の自殺」に近い政策でした。今では、「改正教育基本法」にまで家庭教育の自主性を保証し、家庭による「教育期待」を述べるに留まっています。何と無謀な判断でしょうか!医療はもとより、どの職業分野の資格付与も、専門教育・研修も、受けるべき教育内容の診断と決定を学習者の自由意志に任せることはありません。「生涯学習」概念に限って、高齢者や幼少年にとって人生の重要事であっても、学習の必要の有無についても、その中身と方法についても、学習者の自由と市民の選択に任せたのです。無謀を通り越して愚かなことと言わねばなりません。

3 「生涯学習格差」の異常発生

従来から、社会教育は「3割社会教育」と陰口を叩かれて来ました。社会教育に「強制力」は存在しないからです。それゆえ、逆立ちしても、社会教育はパチンコ屋さんには敵わなかったのです。しかしながら、従来の社会教育には専門家集団がいて、学習における「個人の要求」と「社会の必要」のバランスを取るように常に心がけて来ました。特に、公金を投入する社会教育政策においては、時代が何を必要としているか、個人に不可欠な適応・学習課題は何かが問われ続けました。「個人の必要」と「社会の必要」のバランスの課題を無視するに至った元凶こそが生涯学習概念への転換でした。
生涯学習は市民の選択権をほぼ無条件に保証し、「学習」するか否かの選択も、何を学習するかの判断もすべて市民に選択を委任しました。間断なく変化の続く時代にあって、学習を選択したものとしなかったもの、適切な内容を選んだものと選べなかったものの違いは歴然とした人生の質の格差を生み出します。それが生涯学習格差です。まず、知識格差が発生し、情報格差も、健康格差も、交流格差も、生き甲斐格差も発生しました。一概には言えませんが、「生涯学習格差」の多くは幸・不幸の格差になったと想像することは自然ではないでしょうか?生涯学習における自由と気ままの代償が生涯学習格差として発生することは必然・不可避だったのです。

4 本音と建前の分裂

自己責任は国民に選択を委任することの裏側です。「生涯学習格差」が発生したとしても、自己責任が原則である以上、国も地方自治体も政策の責任を感じることはありません。突き詰めれば、「あなた方が自分の好きなようにやった結果です」と言えば、制度的な結果責任論は発生しないのです。病院であれば、患者に責任があるとは、決して言うべきことではないでしょう。病気の悪化が予想される「患者」に対して、助言も処方も与えずに、あなたの責任ですという医師はいないでしょう。患者を放置する姿勢は病院の姿勢でないことは言うまでもありません。
研究者として恥ずべきことですが、生涯学習の自由と気ままがもたらす害悪を筆者も気付かずに見逃して来ました。国も、国の指示に従った地方自治体の社会教育行政も、今日まで生涯学習概念を放置して来ました。高齢化への対応も、少子化・子育て支援の教育方法も国民自身が決めることであるとして、結果的に効果的な対応は全くできていないのが現状です。政策も方針も示されない中で、適切な適応行動や学習を選択しなかったからと言って、政治や行政は国民-市民の自己責任を問うことができるでしょうか?国民はそうした専門的な助言や施策のために税金を払って来たのではないでしょうか。
それでも途中から自由気ままな生涯学習の危険に気付いた行政は、「現代的課題」という処方を提出しました。しかし、生涯学習概念は手つかずにそのままに放置されたのです。
一方で、生涯学習行政は、「皆さんの思うように自由にやって下さい」というメッセージを発しながら、他方で、「今日の“現代的課題”はこれです」と教育上の診断と処方を提示したとして、この種の処方は人々に採用されるでしょうか?「何をやってもいい」という自由な選択を保証された「患者相当者」の誰が「負荷の大きい学習」を選んだでしょうか!市民の意識が「楽」な方に流れれば、負荷の大きい「建前」を選択する人はいなくなります。病院が患者の「治療管理」を徹底するのは患者が自由気ままに流れて養生を怠らないようにするためです。
生涯学習の自由概念は、プログラムを提供する社会教育の職員の側にも、市民が望まないのであれば、無理をしてまでやる必要はないであろうという本音と建前の分裂を引き起こしました。社会教育職員の「専門性」の放棄が起こったのは自然でした。自治体の首長も社会教育部門に専門職を配置する必要を感じなくなりました。市民の要求をプログラム化すればいいだけですから、診断と処方の専門性は不要になったのです。
生涯学習概念の採用に伴うメッセージは、「自由に遊んできなさい。但し、現代的課題の宿題も忘れるな」と子どもにいうのと同じなのです。宿題を付け足したところで、宿題をする義務はありませんと言うのと同じなのです。
生涯学習概念は、その出発点において、「現代的課題」を選択しない自由も保障しているからです。生涯学習に看板を掛けかえた社会教育は、「負荷」の大きいプログラムはもちろん、市民の望まないことは一切できなくなったのです。頻発する青少年の不適応問題にも、体力や耐性の低下にも、各種体験の欠損にも、効果的な対応をすることはできませんでした。高齢者の場合、住民の要求に委ねた生涯学習の結果はさらに深刻でした。住民が望んだ平均値のプログラムは「パンとサーカス」に代表される「安楽余生」のライフスタイルに代表されました。生き甲斐の喪失、定年後のうつ病、アルコール依存症、孤立と引き蘢りなどは退職後の健全な活動の欠如に起因しています。生涯学習システムは、原理的に、高齢者の意志や欲求に反して教育課題を提示する積極性を欠いていたのです。
自由と気ままの代償は、膨大な医療費と介護費、多発する高齢者の不適応問題、活力を失う社会などの現象を引き起こしています。しつけを忘れ、大事なことを教えない子どもの状況も悲惨です。根本原因は、教育の民主主義を掲げた耳障りのいい生涯学習の自由と気ままにあったのです。

「保護責任者遺棄致死」裁判員裁判の教育問題

1 30歳の分別

子どものしつけは崩壊し、教えるべきことは教えず、教えてはならぬことを教えています。

今回の事件に巻き込まれた女性には30歳の分別が欠如しています。そうした娘を見る親にも自己責任や「恥」の分別が欠如しています。恐らくきちんとした幼少年期のしつけをしていなかったのでしょう。被告人のみを責める態度には、我が子に教えるべきことを教えてこなかったことが推測できます。
30歳の人生は自己の選択です。麻薬を使うのも、男と遊ぶのも自己の選択です。
今回の芸能人の「保護責任者遺棄致死」の裁判は、30歳の分別が問われた教育問題でもありました。筆者が亡くなった女性の親だったら裁判の証人には立たず、お騒がせして申し訳ない、公正な裁判をお願いします、と言うに留めるでしょう。
なぜなら、世間に恥を曝したのは分別を欠いた娘自身であり、そうした娘を育ててしまった親として恥じ入るばかりですから・・・。確かに被告人が救急車を呼んでくれたら助かったかもしれませんが、すでに亡くなった娘は帰りません。口惜しいですが、泣き言を言わずに我慢します。あの無責任で自己中のうぬぼれを遊び相手に選んだのはほかならぬわが娘ですから・・。 しかし、証言台に立った親の言動を見聞する限り、幼少期に我が子の「しつけ」に失敗したという自覚があったとは見えませんでした。子どもはどこかで幼少期の教育を引きずるものです。また、大人になった子どもと親との成人期のコミュニケーションの中で人生の生き方や指針が話題になっていたとも見えませんでした。結果的に、娘にもたらされた不幸だけを公的な場で嘆いたり、恨んだりするに留まったのはそのためです。
我が娘の分別を問うことのない親の姿勢は、世間に跋扈する過保護な親たちに子育ての試練を伝えることにはならないでしょう。一人前の条件も、30歳の分別も、自分の始末は自分で付けることであり、自分がもたらした不始末や不幸の原因を他人のせいにしないことです。反対に、この家族は、娘の不始末をすべて他者のせいにして、情緒的哀しみに溺れ、他者の落ち度や怠慢を責めるだけという無責任で恥知らずな「広めてはならぬ態度」を世間に発信しているのです。
娘は帰らず、あれだけの騒ぎになって悲しく、口惜しいことは察しますが、ここまで世間を騒がせた以上、裁判員裁判の場こそががまんのしどころです。日本人は「恥の文化」に生きているという評価が聞いて呆れます。戦後教育は「権利」が先で、「義務」は後だという風潮に流されました。しつけが崩壊したということは、義務と自己責任を教えて来なかったということです。その付けが今回の裁判で露呈したのです。娘が自分で選んで、自分で招いた不始末の不幸は口惜しいことですが、仕方がないのです。だからこそせめて娘の不始末のお詫びは親御さんに立派に言ってもらいたかったものです。騒がせて申し訳ない、我が娘の不始末を恥じ入るばかりだとおっしゃれば、まだ死に絶えていない日本人の美学が真っ当に反応したことでしょう。裁判員も人の子です。被告人には「求刑」より重い罪を主張したことになったかもしれません。
残念なことですが、少なくともメディアの報道には、親御さんのそうした言動の報告はありませんでした。
成人した子どもの事件は親の責任ではありませんが、親子である以上、泣き言に終始する親もまた「反教育的」なのです。30歳にもなった我が子の分別の欠如と不始末を忘れて、不幸はすべて相手のせいで、自己責任はないかのような風潮をばらまく結果になっているのです。

2 裁判員裁判とは何か

今回の裁判は、求刑も軽過ぎ、判決も軽過ぎます。裁判員裁判の意味が本当に分かっているのかと思いました。行為の罪を法律に則って客観的に裁くだけならなぜ裁判員裁判を導入したのでしょうか?裁判官の法律上の見解が民間裁判員の判断より重要度が高いのなら裁判員制度など導入する必要はないのです。裁判員裁判は社会の通念を処罰に反映し、世間に対する教育機能を果たすべきものなのです。
本来、民間裁判員の導入の趣旨は、被告人の行為だけを見ずに、被告人本人の振るまいや態度を見て判断すべきであるということではなかったでしょうか。被害者やその家族が裁判の証言に立つということも、犯罪の行為だけを客観的に見るだけに留めず、被害者の事情や心情も判決に組み入れるということであったと思います。
「罪を憎んで、人を憎まず」というのはプロの裁判官に要求される資質です。しかし、それだけでは市民感情に遠く、教育的でもないということが裁判員裁判導入のきっかけだった筈です。
裁判の終了後に、「被告の行為だけを見て、世間の騒ぎからは自由な判断をしました」とインタビューに答える複数の市民裁判員が紹介されましたが、そんなことが素人に出来るわけはなく、裁判員裁判の趣旨に則れば、すべきことでもないでしょう。市民裁判員の判で押したような模範陳述は、裁判所の教育が行き届いたということでしょうが、愚かなことです。素人の市民に被告人に対する人間的な評価を離れて、行為のみを判定できるのであれば、裁判に民間人を入れることなど余計なことです。裁判員裁判を導入したのは、市民の一般感覚を取り入れて、裁判結果を社会の通念から隔絶したものにしないという目的があった筈です。したがって、裁判員は、行為も被告人も両方を見るべきなのです。客観的に行為に課される法律上の罪だけを見るのであれば、今まで通りプロの裁判官だけでやればいいのです。
「致死」の罪は今回問われないことになりましたが、救急車を呼んでいればどうなったか?一方の医師が90%の確率で助かると言い、他方の医師が30-40%の確率だが助かると証言したということです。法律の解釈上、被告人に有利な低い方に合わせるということがこれまでの判例であったのかも知れません。しかし、その判断はこれまでのことです。二人の医師の救命確率を平均すれば最低でも60%の割合で助かる可能性はあったではないか、と素人は考えます。助かる可能性を残しながら、病人を放置して結果的に亡くなったとすれば「致死」に当たることは当然だというのが世間の感覚ではないでしょうか。今回の裁判員裁判の隠れた意義は「助かる可能性のある病人の側にいたとして、あなたは決して病人を放置してはならない!」というメッセージを世間に発信することです。それゆえ、今回の騒ぎは世間の耳目を集めた教育事象でもあるのです。今回のような判決が確定すれば、「助かる可能性の低い病人は、故意に助けなかった場合でも『致死』の責任は問われない」ということを世間に教えているのです。
「被告人に反省の色が見られず、自己中心的な態度に終始したことは情状酌量の余地はない」、と判決で断言しながら、被告人の「罪」だけしか見ていない裁判は裁判員裁判を導入した教育的意味を理解していないのです。自分勝手で、無責任で、嘘が多いと認定された被告人の罪は、「法律上の罪」に加えて社会に発する「倫理上の罪」が重いのです。裁判所は法律に外れないかぎり、市民裁判員に余計な教育はするなと申し上げたいものです。万が一将来、筆者に裁判員となる機会が廻って来たとしても、現状の裁判官支配が続くのであれば断固「辞退」したいものです。

問題の核心は「孤独」と「孤立」です

1 「自由」がもたらした「孤立」と「孤独」

自由と自己都合だけをを押し進めて行くと他者との衝突や対立は避けられなくなります。「自由」は一つ間違えると「孤立」と「孤独」をもたらすのです。「さびしい日本人」が生まれたのはそのためです。筆者が言う「さびしい日本人」とは、共同体を離れ、自由になった個人が、他者との新しい関わり方を見出せず、また、仕事にも仕事以外の活動にも十分な「やり甲斐」を見出せず、孤立や孤独の不安
の中で「生き甲斐」を摸索している状況を指します。「さびしい日本人」が孤立と孤独をのがれ、生き甲斐を摸索するためには何らかの方法で他者のために生きることをはじめなければなりません。新著「自分のためのボランティア」はその方法の一例を論じたものですが、果たして日本人はそれぞれの解決策を見出すことはできるでしょうか!

2 高齢社会
-衰弱と死に向かい合って生きる長い時間-

メディアが盛んに「無縁社会」と言い始めました。敬老の日が近づき、行方不明の高齢者が増えて来たら、「関係を拒絶する家族」という言い方も始まりました。個人の要求を突き詰めて行くと家族も崩壊するのです。その象徴が高齢者の所在不明です。家族以外の第3者が「遺書」の履行を引き受けたり、老後や葬儀のことを受託するビジネスやNPOの活動も始まりました。背景には葬儀の多様化や死ぬことに対する様々な態度の分化があります。過日は、自分で食事のできなくなった重病患者に「管を通して栄養を補給する」看護を止めて、「平穏死」を唱導する医師のレポートが放映されました。高齢社会は平均の生涯時間が20年になりました。老衰の時間も、死を意識して生きる時間も人生50年時代とは比べものにならぬほど長くなったのです。孤独と孤立の時間が途方もなく長くなる危険性があるのです。
孤独の反語、消滅の反対は永遠です。人間はそれぞれに限りある無常の人生を生きなければならない分、「永遠」になりたいという願望を持つのだいうのが渡辺通弘が理解した「永遠志向」(*1)です。集合墓地に葬られる方の人生の遺言や形見が電子情報となって保存される時代が来たのです。本人の死後に、家族や第3者の誰かが検索して、死者を偲ぶことがあるか否か、は分かりませんが、本人が望めば半永久的に人生の記録-軌跡が保存されるのです。「あなたがそこにいた」という事実は歴史上の偉人たちと同じように電子情報保存装置の中で「永遠」になりうるのです。渡辺氏が指摘した通り、多くの人々は永遠を志向し、歴史になることにあこがれ、自分の生きた証を残したいのです。それだけ孤独」は辛く、「消滅」の予感は堪え難いのです。

3 人生の宿題

人の死に方は人生の秘事です。当然、一定の決まりはなくていいのですが、一人で生きてきた訳ではないので「自己決定」にも他者を配慮する条件が必要です。宗像で実施した「人生をどう終りたいとお考えですか:死に方講座」では参加者に次のような自分との問答をしていただきました。もちろん、自分でも答を書いてみました。その結果、遺書も、尊厳死宣言も書き、今は自分史を書き始めました。

(1) 「自分の死」について考えをお持ちですか?
(2) 他者に「自分の死」をどう伝えますか、伝えるとしてその準備をしていますか?
(3) 「延命治療」を望みますか?
(4) 最後の看病はどなたですか?
(5) どこで死にたいですか?思いどおりになりそうですか?
(6) 自分の所有物の分配・相続は法律と家族に任せますか?
(7) 葬儀のやり方にご希望はありますか?
(8) 「納骨」、「散骨」など墓に関する準備はできていますか?
(9) 死後に残したいメッセージはありますか?誰に、どんなメッセージを残しますか?
(10) 死後の様々なことについて遺言状は書きますか?

4 「寂しさ」からの脱出法

「さびしい日本人」が「さびしさ」から脱出するためには、自分の力で他者と繋がり、新しい生き甲斐と絆を見つけなければなりません。なぜなら、一度捨てた共同体に戻ることは不可能であり、さびしいからと言って昔の慣習に戻ったところで自由な個人は己を縛る束縛と干渉には耐えられないからです。すでに、自由である事を味わった若い世代や女性が共同体文化が残存する“田舎”に住めないのはそのためです。
しかし、人間とは勝手なもので、自由とは厄介なものです。共同体の慣習が束縛や干渉に思われた時は、あれほど鬱陶しかった「みんな一緒」の慣習も、なくなってみると、誰も世話を焼いてくれないという事実だけが残りました。さびしかろうと不安になろうと誰もかまってくれません。鬱陶しかった共同体の慣習が懐かしくなるのはそういう時です。「昔は良かったね」「みんなが協力して一緒にやっていたね」という感慨は時に郷愁であり、時に孤立と孤独、不安と寂寥に対する心情の吐露と言って間違いでないでしょう。
工業と流通を基幹産業とする構造転換は、個人重視の発想とライフスタイルをもたらしました。人々は、共同体の束縛を嫌って「個人優先」を価値として選んだのです。さびしくなったからと言って「相互扶助」と「自由」の二兎を追う事はできません。共同体を拒否したとき、日本人は共同体の有する優しさや相互扶助のシステムを捨てたのです。個人の権利をみんなの共益に優先させ、自己都合優先を生き方の基本に置いた時、自由と孤立を同時に味わうことになることは必然の成り行きでした。新興団地に象徴された新しい居住地区は、「同じ地域に住んでいる」という事実だけが共通で、従来の共同体が有した温かさや優しさのシステムに代わる新しい助け合いの思想は未だに創り出していないのです。自らが主体的に動いて他者と繋がらない限り、誰も世話を焼かず、誰もかまってくれないのです。現に、近隣の交流はなくなり、自立と自由を全うできない大勢の人々が孤立状況の中で立ち往生しています。多くの日本人が「自立」したつもりで「孤立」状況に当面せざるを得なくなりました。近年では結婚のための男女の出会いを行政が予算を使って応援するところまで来ました。「婚活」支援と呼ばれています。「婚活」の「婚」は結婚の婚です。「活」は活動の活です。要は、若者が結婚するための活動を、就活(就職活動)と同じく省略した言い方です。「コンパ」もできない大学生と言われて20年以上が経ちますから、異性と話のできない若者が出るのも当然の現象なのでしょう。現代は、自分が動く能力を発揮しない限り、誰も世話を焼かず、誰もかまってくれません。「自由」がもたらした「孤立」の中で若者も立ち往生しているということなのです。自由とは時に何とも不自由なものなのです。

(*1) 渡辺通弘、永遠志向 ― 大いなる未来への目覚め、-創世記 、1982年

129号お知らせ
第103回生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年10月2日(土)15時-17時(今回は土曜日です。社教センター事業の関係で前回出席者にお知らせした日時とは異なっておりますのでご注意下さい。)
研究発表:テーマと発表者
1 学校を中核にした地域全体の教育力向上方策に関する一考察
―連携から有償「外部委託方式」による地域教育総合経営への試行―
古市勝也(九州共立大学)

2 社会的不適応問題の支援システムと方法  黒田修三(福岡県立社会教育総合センター副所長)
3 生涯学習理念の点検と実践の検証(仮)
-考え方に間違いがなくても実践しなければ人間の願いは実現できない―   三浦清一郎

場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)

第104回生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年10月30日(土)15:00~17:00

研究発表:テーマと発表者
1 テーマ未定 発表者は大島まな(九州女子短大准教授)および赤田博夫(山口市立鋳銭司小学校校長)のお二人に交渉中です。

2 市民による市民のための生涯学習システム 三浦清一郎

場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)

第105回移動フォーラムinやまぐち

1 主催   山口県生涯学習VOLOVOLOの会
2 日時   平成22年11月20日(土)13:00 ~平成22年11月21日(日)11:50 まで
3 場所   山口県セミナーパーク
4 内容
(1) 11月20日(土)13:00~17:00(18:00~第2部)
① 13:00 開会行事 代表あいさつ
(日程説明等:事務局)
② 13:10 自己紹介及び近況報告
③ 14:50~15:05 休憩
④ 15:10 講義-「自由の刑」と退職者の未来計画-
生涯学習・社会システム研究者 三浦 清一郎 先生
⑤ 16:10~16:25 休憩
⑥ 16:30 質疑応答および近況報告
(17:00 ~ 18:00 懇親会準備)
⑦ 18:00 ~ 20:00 懇親交流会

(2) 11月21日(日) 9:00 ~ 11:50
Ⅰ 特別インタビュー 9:00 ~ 10:00
「周南再生塾、創設の思想と方法」
(インタビューイ)山口県周南市長 島 津 幸 男
(インタビュア)生涯学習・社会システム研究者 三浦 清一郎

Ⅱ リレー提案と共同討議 10:15 ~ 11:45
(コーディネーター:三浦 清一郎 )
① 市民学習集団の組織化の効果と意義-たぶせ雑学大学の14年-
たぶせ雑学大学主宰 三 瓶 晴 美

② 放課後「子どもマナビ塾」の教育性、経済性、創造性
前飯塚市教育長 森 本 精 造

③ 「財源補助」の評価視点と補助効果の点検法
山口県きらめき財団 主幹 重 村 太 次

§MESSAGE TO AND FROM§
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。今回も白内障の手術後の経過が思わしくなく、書くことに難儀をしておりますが、老化は致し方のないことと覚悟をして精進しております。あらためてお見舞いを頂いたみなさまに厚くお礼申し上げます。

福岡県みやこ町 山下登代美 様

過日はみなさまおそろいで「井関元気塾」の発表会にお出かけいただき、その上、主催者の上野敦子さんに励ましのお便りまで頂いたそうで重ね重ね有り難うございました。往時の「豊津寺子屋」には未だ内容・方法ともに及びませんが、自治体の後ろ盾がないまま学童保育に教育プログラムを入れたという点で関係者の発想と努力は今後の日本の子育て支援や男女共同参画の進め方のモデルを示す試みであると評価しております。菅総理は女性の力を社会に生かすと総論ばかりに終始していますが、どう活かすのか、そのために女性が当面している「後顧の憂い」をどう解決するのか具体的な方法論が欠如しているのです。今こそ実践から学んだ女性自身が発言する時なのだと思います。

東京都八王子市 瀬沼克彰 様

この度は厚労省:健康・生きがい財団の事業をご案内いただき誠にありがとうございました。さっそく福岡の同志と相談の上試行計画を立案いたしました。
高齢者の社会貢献こそ高齢者自身の活力も社会の活力も共に生かす道であると主張して参りましたので張り切って参加させていただきます。なにとぞよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。

福岡県宗像市 田原敏美、日隈一憲 様

過日の講演会では若い方々、懐かしい方々両方にお逢いできありがたいことでした。特に、まちづくりに奔走した昔の仲間の壮健ぶりはこの国の高齢者の処遇がつくづく間違っていると思いました。みなさまは議員さんです。せめて宗像市だけでも、まずは学童保育を「学童保教育」に転換して下さい。そして壮健な高齢者を子どもの教育と鍛錬の指導者として招聘するのです。子どもも高齢者もますます元気になり、医療費は減少し、学校教育の「見えない学力」は向上し、幼少年期の不適応問題も減少し、女性は「後顧の憂い」なく社会に参画することができるようになります。保証します。

佐賀県佐賀市 関 弘紹 様

30周年記念出版にご参加いただけるとのこと森本氏からお聞きしました。嬉しく思います。長い間大会を支えていただいたあなたのご参加を得て出版の中身が厚くなります。現在、社会教育は政治的に誠に不遇ですが、この変化の時代に社会人の教育が不要である筈がありません。不要なのは今現在行なわれているプログラムであって、未来の必要に則ったプログラムは個人にとっても国家にとっても不可欠です。あなたがどんな課題を選び出されるか楽しみにお待ちしております。

編集後記 計画立案の3条件

1 3条件とは何か?

3条件とは、①「優先順位を決める」、②「時間軸を想定する」、③「目標実現への貢献率」を考慮することです。

退職後、ようやく精神が落ち着き、個人で仕事ができるようになったことの最大の利点は優先順位と時間軸と目標への貢献率を自分自身で決めることが出来るようになったことです。組織の中にいた時は、自分にとって分かり切ったことでも、その判断を貫徹できないことが多く、常に不満でストレスになりました。やがて70歳に突入し、最後の10年をどう生きるか、生き方の計画立案を思案しなければなりません。カギは上記の3点です。 民主党代表選の政治ニュースを聞いていて疑問に思うことは上記の3点がはっきりしていないことです。優先するべきものは何か、なぜか、いつまでにどうするのかという3条件相互の関連も論理的な説明になっていません。時間軸は優先項目を選ぶそれぞれの立場で、「短・中・長期」の構想に分かれることがあって当然ですが、そこを明確にしないと優先順位と貢献率の関係を明確にすることはできません。前号でも書きましたが、子ども手当は第2子以下に支給した方が少子化防止に有効なのは当然でしょう。また、保育所や学童保育を制度的に拡充し、「保教育」の充実を図った方がそれだけ経済や雇用に効果的であることは、経済や雇用の専門家でなくても分かることでしょう。
子ども手当のお金が貯蓄に廻ってしまえば、経済需要を高めることにも、雇用創出に役立つ度合いも低いことでしょう。高校の無償化政策も直接的な経済や雇用に影響は少ないのではないでしょうか?高速道路の無料化の波及効果についてはよく分かりませんが、環境に悪い影響をもたらすことは疑いないでしょう。どう考えてもこうした政策が雇用や経済浮揚に資する投資効率性は低いのです。農家の所得保障政策も、徹底した自由貿易を実現しない限り、新しい雇用を創造したり、日本の産業構造を変えることにはつながらないでしょう。3つの条件が曖昧のままの政策は「ばらまき」であるという批判はそこから来るのです。

2 最後の10年

政治のことはさておき、年寄りの当面の問題はこれからの人生をどのように生きるかです。
長期的な目標は最後まで意志と感情を失わずに人間としての意識を持って生き抜くことです。期間はまず10年を想定しました。為すべきことの優先順位は、「緊急性」と「関心の度合い」によって決めます。第1順位は、無事古希を迎えることのできた感謝の思いを人生を付き合ってくれた家族や友人に自分史の形でのこすこと、更に欲張って自分史の執筆経験を活かして一般向けの「自分史の書き方-自分史作法」をまとめたいものです。
第2順位は、教育の現場を頂ける間は、講演や講義を続けながら、最後まで研究の仕事を続けることです。研究対象は関心の順に選びたいと思っています。まず来年は30周年記念誌、次は「最後の10年-死と向かい合って生きる時間」、それができたら「市民学習ネットワーク事業の総括」です。この間も出来る限り「風の便り」を書き続けたいと思っています。そこから先は運次第でしょう。日々の戦略は変わりません。従来から提案してきた通り「読み、書き、体操、ボランティア」です。今の自分にとっては研究や教育の仕事を続けることこそが目標実現に最も効率性の高い暮らし方なのです。

「風の便り 」(第128号)

発行日:平成22年8月
発行者 三浦清一郎

健康寿命の教育的方法-元気の構造と処方

1  平均寿命と健康寿命
日本は平均寿命も健康寿命も世界一ですが、両者の「差」は大きな問題です。女性は約12年、男性は7年のギャップがあります。平均寿命が世界一であるということは医療の成功を意味するでしょう。しかし、平均寿命と健康寿命のギャップがこれほど大きいということは高齢者に対する日本の健康教育政策が失敗しているということを意味してはいないでしょうか!?単純化していえば、平均寿命とは「生きている」という事実を意味し、健康寿命(*)とは「心身ともに自立して生活できる」ということを意味しています。前者に比べて後者が遥かに短いのは「自立」を目標とした福祉政策や教育政策の失敗の結果なのです。高齢者を対象とした各種活動のメニューが不十分であれば、高齢者の衰弱が加速され、社会参画の機会は失われ、交流ややり甲斐の機会を失います。それゆえ、高齢者の自立にとって、日々の鍛錬や社会との関わり・活動のやり甲斐などが極めて重要であることを知らしめる生涯教育・生涯スポーツ振興策は高齢者の「生きる力」を決定的に左右するのです。高齢社会では、高齢期の生涯教育・生涯学習の適否が、疑いなく健康寿命を維持する条件に関わっているのです。事、高齢者については、生涯教育・生涯学習に付いても,彼らのボランティア活動の促進に付いても,政策上の補助金を出して奨励するくらいのことをしなければ、この国の高齢者の平均寿命と健康寿命の大きなギャップを埋めることは出来ないのです。人生50年時代の「余生」の考え方を引きずった「隠居」や「安楽余生」の発想が健康寿命にとっては最も大きな障碍になります。問題の核心は、心身に「負荷」をかけない生活であり、精神的な生き甲斐や老後の人生の社会参画を結果的にないがしろにしている事です。近年、福祉分野がとった施策の多くは「保護」と「安楽」を中心に置いた点で大いなる間違いでした。健康寿命は「楽して生きる」方法では手に入りにくい目標なのです。心身の自立は、特に老衰が加速する高齢期においては、老衰抑止のための一定のトレーニングを必要とすることは当然だからです。もちろん、政策当局は高齢者に対する尊敬や敬意の象徴として退職後の「パンとサーカス」を手厚く保障しようとしたのでしょう。伝統的な「親孝行文化」が影響しているであろうことも関係者の言動を見聞すれば想像のつくところです。しかし、現実は人生80年時代に当面しているのです。高齢者が自立的に「生きる力」を存続できなければ、後続世代も共倒れになる時代なのです。「親孝行文化」も当然変化しました。介護保険の導入も、「親孝行したくないのに親が生き」という川柳もその変化を象徴しています。人生50年時代の価値観も、余生隠居論の方法も現代には通用しないのです。

2 健康寿命維持の原理論
医学が「廃用症候群」に注意を喚起しているのは、使わない心身の機能は衰退するからです。フランスの生理学者ルーが「ほどほどの負荷」をかけるOverloading Methodを提案したのも、「負荷」のない生活は心身の機能を停滞させるからです。特に、高齢期は使い続けている場合でも、加齢とともに心身の機能の衰弱が加速するのですから、使わなくなればますます衰弱が加速するということになります。因みに、英語の辞書を引いてみたら「廃用症候群」はDisuse Syndromeとありました。「使わなければ使えなくなる」という意味ですから英語の方がわかり易い表現になっています。 したがって、衰弱を抑止し、機能を維持し、自立的生活を営み続けるためには、人間の機能を使い続けるということが医学的にも教育学的にも原理になります。特に、高齢期は、意識的・自覚的・計画的な「衰弱抑止訓練」、「心身の機能の活用計画」、「自立のための意識改革」などが不可欠になります。それゆえ、健康寿命の促進のためには、高齢者の楽しみごとや生活保障を手厚くする以上の危機意識を持って高齢者の生涯教育・自己鍛錬の奨励に資金を投入すべきなのです。  高齢期の「安楽」な余生を保障することを高齢社会対策の中核に置いた日本の社会教育も生涯学習の振興策も状況の診断を誤り,解決に逆行した重大な錯覚に陥っているのです。老人福祉法(1963)の第3条は「老人は、その希望と能力とに応じ、適切な仕事に従事する機会その他、社会的活動に参加する機会を与えられるものとする」と謳っています(この時代は「高齢者」の用語が普及せず、まだ「老人」と言っています)。1963年当時の法の制定者の認識は極めて正確です。しかし、法が謳った精神と処方は現在どうでしょうか。豊かになった日本は、福祉も教育も、高齢者が「社会的活動に参加できる多種多様な機会」を、「どの程度」、居住地域に準備する作業をしたでしょうか。身の回りを見渡して高齢者が活躍するステージはあるでしょうか。 今年は、筆者にも敬老の日の昼食会の案内が来ましたが、そうした年に一度の敬老行事で事を済ませて来た発想にこそ問題の根源があるのです。そもそも高齢者は保護や労りの対象でしかなく、退職後の老い先短い余生を楽に暮らさせてやりたいという発想が出発点なのでしょう。しかし、健康寿命を維持できなければ、彼らが老衰する終末にはさらなる悲惨が待ち受けている事は自明なのです。女性で平均12年、男性で平均7年、自立を失い、社会や第三者に依存して生きなければならない晩年の無念と悲哀はそこへ行ったことのないものには恐らく理解を越えていることでしょう。 人生80年代の核心は「健康寿命」なのです。現代日本の社会教育には健康寿命を維持する意識的な生涯教育や高齢者の社会参画を推進する事業プログラムが決定的に不足しているのです。
(*)心身ともに自立して暮らすことができる期間のことをいいます。日本人の健康寿命は男性72.3歳、女性77.7歳で、世界第1位です。

3 「飯塚市熟年者マナビ塾」の証明
飯塚市の公民館と福岡県の社会教育総合センター(以下社教センターという)が協力して「飯塚市熟年者マナビ塾」(以下「マナビ塾」という)の塾生の「活力向上」についての調査を実施しました。結果的に、「マナビ塾」で学んでいる高齢者の方々の生活に大きな+の変化が現れていることが判明しました。以下は、社教センターの益田茂氏が分析したマナビ塾」高齢者が示した生活条件の変化の数々です。これらは全て高齢者の健康ややり甲斐につながっていると想定されます。マナビ塾」の活動が活力を生んでいるように「豊津寺子屋」(発表年)も「むなかた市民学習ネットワーク」(発表年)も同じことを証明しています。活動する高齢者は「お元気」だということです。高齢者の活力の原点は「活動」です。「活動」が心身の機能を動員し、使い続ける心身の機能が活力を維持し続けることにつながります。活動するからお元気が保たれるのであって、お元気だから活動するのではないのです。「マナビ塾生」に対する質問は以下の6問でした。
1 「マナビ塾を通して、あなたの日常に「新しいこと」が始まりましたか。
2  「マナビ塾」活動を通して、これまで「できなかったこと」が「できるようになった」という自覚はありますか
3  「マナビ塾」活動に参加してから、ご自分の元気や活力が向上したと思いますか。
4  「マナビ塾」活動に参加して、あなたの人間関係は広がりましたか。
5  「マナビ塾」活動に参加して、楽しいと思うことは何でしょうか。
6  「マナビ塾」活動に参加して以来、体調不良で「連続して二日以上」病院にお世話になったことはありますか。
「マナビ塾」での活動効果は著しいものでした。自由記述を除く集計結果は下図の通りです。

高齢者をお元気にしたのは「マナビ塾」の活動です。参加者はマナビ塾を契機に日常生活に新しいことを開始しています。出来なかったことができるようなったということは、「マナビ塾」「活動」が「不可能」を「可能」にしたということです。当然社交や交流の輪も広がりました。結果的に活力と健康を維持することに成功したのです。「活動」が「元気」を支えるという原理は間違っていないのです。

4 健康寿命の条件
健康を支えているのは活動であることが分かりました。それではどんな活動が必要になるのでしょうか?どんな活動を始めればいいのでしょうか?私たちが活動に求めることは、人生に求めることと共通しています。したがって、活動を支える条件は人生を支える条件と同じなのです。多くを望めばすべてを手に入れる事は簡単ではないでしょう。また、難しい事を望めば,多くの努力が不可欠であり、その実現には多くの障碍が立ちふさがる事でしょう。逆もまた真なりです。少ししか望まない人はほんの少しの事に満足できるということです。「満たされること」が生き甲斐の条件であるとすれば,生き甲斐は欲求の関数ということが出来るのです。筆者はこれまで生き甲斐の条件を「やり甲斐」と「居甲斐」に分けて考えて来ました。この場合、生き甲斐はそのまま「活動」と置き換えても文脈上大きなちがいはありません。活動こそが人間相互のつながりも、成果の喜びも生み出すものだからです。「やり甲斐」は達成感や機能快のよろこびです。「居甲斐」は人間関係から生まれるよろこびです。達成感は計画した事が成就する事;成功のよろこびです。一方の機能快は本来有する潜在力を機能させることで感じる快感のことを意味しています。人は自己の身体機能や思考能力を最大限に引き出せた時に快感を覚えると指摘したのはドイツの心理学者、カール・ビューラーだそうです。多様な趣味が人々の機能快を満たして,やり甲斐を支えている背景がここにあるでしょう 「居甲斐」とは変な日本語ですが,「ここに居るよろこび」を意味したつもりです。自分の存在が「嬉しい」ということを自己確認させてくれる人間関係を指しています。筆者は次のように説明して来ました。「あなたがいてよかった」と思える人は居ますか?この方々があなたが「愛する人々」です。反対に,あなたがいてよかった」と言って下さる人は居ますか?この方々があなたの「心の支え」です。二つあわせて「ここに居るよろこび」;「居甲斐」です。孤独の問題はこの「居甲斐」に深く関わっているのです(*1)。飯塚市「マナビ塾」の皆さんは活動の中にやり甲斐と居甲斐を見つけたのです

(*1)拙著、The Active Senior, 学文社、平成18年、p.68

5「居甲斐」と「やり甲斐」の危機
(1) 居甲斐の危機
「居甲斐」の危機は、一言で言えば、加齢に伴う人間関係の貧困化です。長生きして、生き残れば生き残るほど、自分に先立つ人は多くなります。職場を離れれば、職縁の仲間を失い、子どもが独立すれば子どもとの距離が遠くなり、親を失えば、血縁の絆は一気に弱まります。伝統的共同体が消失した現代の日本にとって、もはや、「地縁」はほとんど頼りになりません。それゆえ、加齢に伴う人間関係の貧困化を放置すれば、あなたを取り巻く好意的な人間群は確実に消滅します。「生涯現役」を志すものは、意識的、計画的に、従来の「縁」に代わる「新しい縁」を探し続けなければならないのです。 「新しい縁」とは「活動」によって培う縁のことです。高齢期の新しい縁の代表例は、生涯学習を共にした「学縁」、ボランティア活動のように志を同じくすることによって結ばれた縁;「志縁」、趣味・同好の仲好しが形成する「同好の縁」などです。「新しい縁」の形成に共通しているのは、活動です。活動は、必ず参加者の時間と行動を共通化します。それゆえ、活動の縁は、経験の共有によって培われる縁であり、「同じ釜の飯を食った」ことの縁です。労働が終了したあとの高齢期に、活動を離れれば、新しい縁と出会う機会を失うということです。
(2)「やり甲斐」の危機
「やり甲斐」の危機は、定年による労働からの解放、子どもが自立する子育て義務の完了の時点で発生します。職業上の労働も家族生活における子育ても、「社会的に必要とされた」活動という点で共通しています。活動は義務的です。手抜きは許されません。 職業上の労働の中でも、家事労働においても、私たちは、頭を使い、身体を使い、気を使い心身の機能はフル回転していました。課題を成功裡にクリアした時の拍手や、達成感や、機能快はもちろん、手応えのある成果が「やり甲斐」の原点だった筈です。給料も賃金も社会が自分を「必要」としたことの証明でした。家族の無事と幸福と感謝は、家事や育児のエネルギーの原点でした。 それゆえ、定年は、社会から要請され、自分を必要とした労働の終了です。子育ても同じです。定年は、第1部の人生のやり甲斐の対象をほとんどすべて喪失するのです。世間や仲間の拍手も、仕事の達成感、能力を発揮できた時の機能快も失います。もちろん、もはや労働の成果とは縁がなくなります。 平均寿命が80年を越えた人生は食うための労働と、自分らしく・よりよく生きるための活動に分かれます。定年や子どもの巣立ちが労働と活動を分けるのです。それゆえ、定年後に、あるいは子どもの巣立ち後に、「労働」から「活動」へスムーズに移行できなかった人は、頭を使うことも、身体を使うことも、気を使うことも一気に激減します。使わない機能が一気に衰え、消滅を辿ることは、「廃用症候群」の理論で証明されたところです。もちろん、衰えるのは心身の機能だけではありません。人生の成果も、達成感も、機能快も失うのです。危機への対処策はたった一つしかありません。「活動」に参加することです。気に入った活動がない場合には、自ら自分のやりたい活動を「発明」するしかないのです。「マナビ塾」はこの発明に当たる   6  総合的対処策    健康寿命を維持する結論を言えば、居甲斐とやり甲斐を失わずに活動を継続することに尽きます。活動には自分一個のための活動と家族のための活動、社会を対象とした活動があります。 社会的活動にも色々ありますが、もちろん、ここでは社会に寄与する活動を前提としています。すなわち、高齢期に入っても社会に対して何らかの役割や責任を果たし続けることが社会に寄与する活動です。それが「生涯現役」です。「現役」とは、「現」に「今」「役割」を果たしているという意味です。それゆえ、生涯現役の構成要素は、「生涯健康」と「生涯活動」と「社会貢献」です。前の二つは健康寿命と同じ意味です。さいごの社会貢献が加わると健康寿命は生涯現役に昇華します。「昇華」するとは物質が固体から液体の段階を経ずに一気に気体に変化する変化を意味しますが、元気で生きるに留まらず、社会を支えて生きるという人生の価値の次元が異なる変化であると筆者は考えています。「生涯健康」と「生涯活動」と「社会貢献」は、三つとも日ごろの精進なしには実現できないことです。具体的・総合的対処策を処方化すれば、「読み、書き、体操、ボランティア」の4つであると提案し続けて来ました。「読み、書き、体操」の三つは健康と活動を継続するためのカギです。ボランティアは当然社会貢献活動のカギです。「マナビ塾」は上記の条件をクリアしているのです。 それゆえ、生涯現役論は、「安楽余生論」に真っ向から対立します。精進の処方を実行に移すためには、意志が必要で、負荷が必要で、絶えざる人間交流が不可欠です。高齢者の「生きる力」は、気力と実行力が支えるのです。生涯現役を実行すれば、上記に分析した居甲斐の要素もやり甲斐の要素も保障できます。高齢期は、友を失い、仕事を失うだけでもさびしいのです。加えて、心身の老いは、老いそのものがさびしいのです。「生きる力」を保持する対処策を実行せずに、老いの試練に耐えられる筈はないのです。 自分流の時代、「生涯現役論」の中身はそれぞれの工夫次第で、もちろん、いいのです。但し、社会に関わり、活動を続けることこそが、唯一「衰弱と死」に向かって降下する人間の精神を守る戦い方であり、処方です。 社会は「マナビ塾」に類する活動を奨励し、促進の条件を整備し、貢献の成果を広く顕彰することが不可欠なのです。
NPO「幼老共生」(幼老共生まちづくり支援協会)スタート!
高齢社会対策のキー概念
NPO「幼老共生」が出発いたしました。最後の検討の結果、前号でお知らせしていた名称が上記のように変更になりました。これからの日本社会の問題は「幼老共生」がキー概念になるであろうという判断です。すなわち、日本社会が当面する問題は、子どもと高齢者に集中的に現れるであろうという関係者の認識が一致しました。中でも高齢者の元気と子どもの成長を同時に保障するためには「幼」の日常を「「老」が指導・監督する「共生のシステム」が欠かせないという認識を基本としています。日本社会が長年にわたって幼少年期の「保育」と教育」を分離して来た行政の愚行に気付けば、「保教育」の概念を一般化し、保育所にも、学童保育にも高齢者による教育指導を一気に導入することが出来ます。高齢者が子どもと接し、子どもの成長を支援するシステムが実現すれば、高齢世代はまさしく「日本昔話」の通り、祖父母が次々世代を育てる社会的任務と居場所を同時に確保することができるのです。 退職後あるいは子育ての終了後、現代の高齢者の多くは、社会から必要とされない年金暮らしの「世の無用人」となります。高齢者に子どもの見守りと指導を依頼するシステムが出来れば、高齢者は一転子育て支援になくてはならない「有用な人」に転化します。高齢者自身は日本昔話の背景を為すように、次々世代子を育成・指導する日々の居場所とやり甲斐を見出すことができます。また、福岡県の旧豊津町や飯塚市のモデル事業が実証したように高齢者の子育て支援活動は彼らの活力と健康の維持に重大なプラスの影響をもたらします。結果的に、自治体の医療費を軽減し、介護費は先に延ばすことにつながることは疑いありません。また、指導に当たる高齢者の研修方法さえ間違わなければ、彼らは人生の貴重な体験を生かしてたぐいまれな教育効果をもたらし、現行の子育て支援の内容と方法の足りないところを補います。ボランティアとしての「費用弁償」費を準備したとしても現行の財源の貧しさを補うことになるのは当然です「幼老共生」は高齢社会の中心問題を解決する基本処方の思想なのです。 すでに県に対する認証の手続き文書の提出は森本理事長の手で完了しています。本年12月頃には正式な認証となり、来年1月に設立記念フォーラムを実施する予定です。

§MESSAGE TO AND FROM§  
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。今回は白内障の手術から無事に生還いたしました。沢山のお見舞いを頂きありがとうございました。再出発し当面の目標に向って邁進します。お礼の言葉が足りませんが、皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
お見舞い有り難うございました
無事手術から帰還いたしました。十分な視力が戻らず辛い日々を送っておりますが、時間の経過でいい方向に向かうだろうという人々の励ましでようやく今月の「風の便り」を書き上げました。入院に際しまして沢山の方からお見舞いを頂戴しました。ボランティアの英語クラスのみなさんからまでお心遣いをいただき、やはり新著タイトル「自分のためのボランティア」の想定は間違いではなかったと感慨ひとしおでした。学文社に提出した原稿の校正作業も退院を待ったかのように届きました。入院・手術の時期は偶然以外の何ものでもありませんが、個人的には男性の平均寿命を目標にした最後の10年が始まると感じております。宗像での「死に方講座」の実施と平行して自分の遺書も書いて妻に渡しました。「短歌自分史」の方法を提案し、部分的に古希を迎える時期に重ねて実験を始めました。最後の10年は自分の死を意識して生きる10年になります。人生80年時代は退職から死までの間に病気や老衰や孤独への恐怖がますます大きくなりますが、健康寿命の維持に教育は何をできるのか。その間自分は何をしようとするのか。次の著作は「健康寿命への挑戦-最後の10年」の書名で問題の分析をしてみたいと決めました。お礼に代えて退院のご挨拶まで。

山口県Volovoloの会のみなさま
大寺和美さんのお骨折りで11月の山口移動フォーラムには周南市の島津幸男市長さんがご登壇下さることになりました。事務局の赤田校長にも報告し、準備を開始いたします。当日はお友達をお誘いの上ご参加いただけると幸いです。福岡からは飯塚市の森本精造前教育長の快諾もいただきました。ご期待下さい。

福岡県宗像市 山口恒子 様
いよいよお引っ越しですね。長い間いろいろとありがとうございました。あなたは私が大学改革の意気に燃えていた時も、失意のうちに人間を憎むようになった時も変わらずに助けて頂きました。悪夢の10年から解き放たれ、ようやく自分の居場所とやるべきことを見つけましたが、今度はあなたが遠くへ行かれます。年をとったあとの友との別れは再会を期すべくもないでしょう。 入院中病院で暗誦した李白の詩は今の自分の思いに重なります。お別れのはなむけに贈ります。
友人を送る    李白
青山北郭に横たわり   白水東城を巡る  此の地ひとたび別れを為さば  孤蓬(風に散ってしまう草)万里を征かむ  浮雲は遊子の意(浮き雲は旅に出るあなたの思いでしょうか)  落日は故人の情(夕日は送り出す私の気持ちです)  手をふるってここより去れば  蕭々として班馬嘶く

128号お知らせ
第102回生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年8月29日(日)14時30分-17時(今回も土曜日ではなく、日曜日です。お間違いなく。)場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
事例研究:「女子商マルシェ」体験教育プログラムの効果と衝撃-「模擬体験」授業から「実体験」授業へ(仮題)-益田 茂(福岡県立社会教育総合センター主任社会教育主事)論文発表:健康寿命の教育的方法-元気の構造と処方(仮題)(三浦清一郎)
第10x回移動フォーラムinやまぐち
主要内容と日程が決まりました。ご予定に入れていただけると幸いです。
主催:山口県生涯学習推進センター地域コーディネーター養成講座研修生同窓会日程:平成22年11月20日-21日(土-日)場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂)
編集後記入院十話 他人の入院の話などお読みになりたくはないでしょうが、筆者にとっては学生時代の盲腸の手術以来初めての長期入院で、経験は新鮮でした。感想は出来るだけ生涯学習に引き付けてまとめたつもりです。ご退屈でしたら平にご容赦下さい。
1 虫のようには生きられない
どこから入ったか消灯後の3階の中庭にコオロギが啼き始めました。前日が立秋でした。今啼かなければ、啼く時を逸するとでもいうように懸命に啼いていました。八木重吉の詩を思い出しました。
「虫」
虫がないている今ないておかなければもうだめだというふうにないているしぜんと涙をさそわれる
病院というところは俗事を忘れて「生きる」という生物の原点を思わせるのかも知れません。虫はなくことに集中できるが、私が虫だとして、今やっておかなければならないことは何か、と問われたらきっと答えられないでしょう。すでに妻に渡した遺書の中身を思い出して吟味しました。虫のように簡潔を旨としたいと思いながらも、人間には大切なものが沢山あり、虫のようにひたむきに一つのことのみを選ぶことはできないということを思い知っています。

2 必死に生きる
一日だけ小さな女の子が入院して来ました。“こわいよう!こわいよう!”と悲鳴に近い泣き声が聞こえました。気兼ねした家族も看護師さんたちも為す術がありませんでした。甘えて「だだ」をこねるわがままな子どもには怒りを禁じ得ない自分ですが、彼女の泣き声をうるさいとは思いませんでした。わがままでも甘えでもだだをこねているのでもなく、本当に恐かったのです。ひたむきで一生懸命で生きることの恐怖がむき出しで何もしてやれない無力の自分が哀れでした。八木重吉の虫の詩に通じるところがありました。いつの間にか忘れていましたが、子どもの頃は何もかも振り捨てて一つのことに集中して生きることが出来たのですね。

3 社交とコミュニケーションの条件
自分の商売柄、入院中にはだれとでも話をしてみようと勇んで来たのですが、実際は予想以上に難しく、職業生活の日常のようにはいきませんでした。「手術後しわまでよく見える」とか、「10年続けて来た蜂蜜が若さの秘訣だ」とか、「ルース大使は広島まで来てなぜ何もしゃべらないのか、あのばかが」とか話題は四方八方に散乱して双方向の対話・会話に加わることができないのです。 大学の寮生活のような雰囲気を期待して4人部屋を希望したのですが、高齢者の「前向きの会話」を持続することは決して簡単ではないことを思い知らされました。学生の頃は馬術や演劇や文学など何時も仲間と共通の話題がありましたが、病院の共通課題は眼病だけですから無理もないということなのでしょう。同じ活動を共にする「経験の共有」が先で、「コミュニケーションは後」というのがコミュニケーション促進の鉄則であるということをあらためて思い知らされました。退職後の人々のコミュニケーション不足が大問題であることは周知の事実ですが、社会的活動に参加しない高齢者のコミュニケーションを促進することはまず不可能に近い難事であるということを悟らざるを得ませんでした。自分が社交やコミュニケーションに困っていないのは社会教育が準備してくれる多様な活動のお蔭であることを再検証した思いです。
4 相性の条件
あいさつ以外ほとんど人としゃべらなくなって入院5日目、新しい発見がありました。人間同士「波長」が合うと感じる時の重要な判断材料は「声」であるらしいということです。上記の通り病室でも食堂でもロビーでさえも会話を続けられない自分にがっかりしていましたが、手術が終って眼帯をして視力を失い、手探りに近い状況で病院内を歩かざるを得なかったとき、たまたま食堂で食事をしようとした際、「この席よろしいでしょうか」と声がして私の前に一人の女性患者さんが坐りました。私は月並みの儀礼とあいさつの返事をしました。彼女も月並みのあいさつを返したのですが、その「声」を聞いた途端、この人とは話が通じると直観しました。初対面ですから確たる根拠はある筈もありませんが、ぼんやりお顔が見えてその声音やリズムや気を感じたとしか言いようがありません。直観は間違っていませんでした。食後も彼女と話が弾み、翌日は彼女が私を探してくれてふたたび話が弾みました。考えてみたらたわいのない病気のこと、痛みのこと、お互いの仕事のこと、人生でがまんしなければならないこと、庭の草花のこと、窓の外の入道雲のことなどを話しました。
20年前私はアメリカ、北カロライナ州立大学ローリー校の客員享受でした。孤独な研究生活に追い込まれていたのですが、その時も「声」に救われたことがありました。以下はその時の「声の出会い」の詩です。

「朝の並木で」
朝の並木ですれ違うあなたは黒人で私はオリエンタル朝のキャンパスのあいさつは頷く笑顔が素敵なことだ何百人にもであったが嫌な奴の多い世の中だグッドモーニングの声もいい広野に鐘が鳴るようだ昔二人は仲間だった密林の川で泳いだか、極北の海を旅したかとにかく二人は同志だった異国の秋は木の葉の雨だままならぬことも多いけれど分っていることさ この世のことだ!
日々の活動に共有する経験がなくても「波長の合う」人とは話ができるものだと上記3の結論を一部修正する事実を体験しました。「前世でお会いした」とか、「百年の知己のように」とか、「意気投合」とか、「ひとめぼれ」とかは確かにわれわれの人生に存在するのですね。

5 世論の作られ方
携帯電話の時代です。個室の公衆電話室が準備されていましたが、利用したのは私だけだったでしょうか!コモンスペースのところかまわず大声でしゃべりまくる携帯は現代の病院の最悪の現象の一つだと思いました。レストランなどと違って「やかましい」とも言えず、規則が決められていない以上ナースステーションにも文句は言えません。“ここには冷蔵庫もないのよ!テレビもないのよ!信じられる!(ロビーにはないが、廊下の奥の食堂にはあるのだ!)、今時ラジオなんかもって来ないわよね!なんとかしてよ!退屈で死にそうだわ”と続きます。長期入院の準備不足で時間を持て余した患者が知人に不満をぶちまけ、その同調者が彼女の周りに集まってそうだ!そうだ!と話が盛り上がります。この国の世論はこんなふうにできあがるのでしょう。しかし、自分の商売柄「民主主義は下らん」、とは口が曲がっても言えないのです。
6 おしどり夫婦か、従属の関係か!
となりのベッドの方は私より一日早い入院でした。到着の際に奥様が見舞いに来られていたので通り一遍のご挨拶をするに留めました。食堂で皆さんと一緒の食事もされることもなく、食事のお盆を病室に運んでいました。以来奥様は毎朝お出でになり、面会時間の制限ぎりぎりまで傍らに付き添っておられます。ほとんど二人は話をされず、奥様は刺繍をしたり、ご主人は寝転んで雑誌を読んだりしています。長年連れ添ったご夫婦というものは言語を交わさなくても側にいるだけでコミュニケーションは十分なのだと妙な感心の仕方をしていました。絶えずおしゃべりを続けている私たち夫婦とは流儀がちがうのでしょう。一日早く退院されて行きましたが、二人の様子は終始変わりませんでした。結果的に、最後まで、私は話しかける機会を逸しました。一方、私と妻とのコミュニケーションは一日2回の定時電話報告です。看護の状況、メニューの説明、医者の言葉、病院の流れ作業、脳トレの状況、FM放送で聞いたことなどなどを逐一説明します。その中でお隣りのご夫婦のことも上記のように報告しました。妻は吹き出して「なぞでもかけているの!」とひと言、「退屈でしょうに!可哀想な奥さん!」と言いました。「変わりたくない男」と「変われない女」だと言うのでしょう。見方は色々あるものです。私はもちろんやせ我慢をして、猛暑の中を見舞いになど来ることはないと妻を止めておりました。妻は手術の日と退院の最終日にだけ来てくれました。当分、病院百景、われわれのおしゃべりの材料に不足はないでしょう。

7  「正しい朗読」-自家製録音-脳トレ

一週間以上の入院は初めてのことなので退屈とどう向き合うかは最大の課題だと想定し、詩吟や講談や朗読資料を事前に探したのですが、宗像のミュージックショップでは見つかりませんでした。店長の話ではその種のCDやテープは一度も売ったことがないとのことでした。図書館で視覚障害者のための録音資料の有無も調べたのですが、貸し出し期間が短い上に、資料数も少なく自分の気に入ったものがありませんでした。更には目の悪くないあなたが何の用だ、と言わんばかりの応対にいささか腹を立てて止めにしました。日本の図書館は誠に不勉強で、長期入院とか遠距離の運転とかを想定したことがないのでしょう。サービス精神が欠如しているのです。アメリカでは車の運転者のために「クラッカーバレル」というチェーン・レストランですらもが様々な朗読資料を貸し出し、どこのチェーン店で返してもいいというシステムがあります。 運転中のテレビ視聴はもってのほかですが、朗読を聞くのはラジオを聞くのと同じですからこちらの方が遥かに安全です。今回の経験は山口県長門市の図書館運営協議会の委員長をされている林 義高さんに話そうと思ったことでした。 慌ただしく過ごしているうちにとうとう入院一週間前になりました。仲間の会合で私が話した図書館の朗読資料のことが話題になり、福岡県の図書館の本の読み方やストーリーテリングには厳しいルールが課されると聞きました。音読とか朗読とか言わずに「音訳」というのだということも後で聞きました。句読点に従うとか、一定の間をとるとか大まかな原則があることは理解できますが、読み手の感情が入ってはならないとか、「正しい読み方」は一つであるという言い方には大いに反発を感じました。まして聴覚資料は朗読ではなく、「音訳」であるべきだという考え方も馬鹿げていると思いました。私の商売に照らしていえば、「正しい講義」の仕方が一つであるはずはないからです。一体誰がその「正しさ」の基準を決めるのでしょうか?書くことに「文体」があるように、読み方に読み手の口調やリズムや調子が反映されるのは当然のことです。話に「話法」があり、朗読にもそれぞれの「芸」があってしかるべきでしょう。世阿弥が喝破した通り「型より入りて、然る後に型より出る」ことは教育の極意です。「型通り」だけが大手を振って世の中を席巻するようでは個性も芸も不要になります。私が漏らした感想に対して、下関の永井丹穂子さんからわが自家製朗読を聞いてみたいというメールをいただいたのを引き金に「泥縄式」に、猛然と朗読資料の手づくり自家作成に取りかかりました。唐詩撰のなかから李白や杜甫の名詩の数々、現代名詩選から藤村から萩原朔太郎、中原中也、立原道造、井上靖まで近代詩の数々、啄木の歌100首、藤沢周平の短編から「玄鳥」、「三月の鮠」、「夢ぞ見し」の3編を選んで朗読し、自分で録音資料を作成しました。
かくして、患者相互のコミュニケーションが思い通りに進まず、妻の見舞いを断ったやせ我慢の時間は出来るだけ暗誦の脳トレに励みました。詩はほとんど全部を暗誦しました。暗誦した中原中也の「冬の長門峡」の最後は「やがても蜜柑のような夕日欄干にこぼれたり、ああそのような日もありき、寒い、寒い日なりき」と終ります。私も人生の69年目で病院の窓から純白にそびえ立つ積乱雲を焦がれるように見ていました。「純白の積乱雲窓外にそびえ立ち、吾は病院にありき。ああそのような日もありき、暑い暑い日なりき」、とノートに書きました。

8 分業によって欠如するのは「親身さ」です
病院は快適でした。看護も医療も実に正確でてきぱきと行なわれました。初めは何の不満もありませんでした。看護も医療も初めに予告された通り決まった時間に決められたことが確実に行なわれました。多くの入院患者がいるので大勢の看護師さんが交替で勤務していました。誰が来ても同じ質の、同じレベルの看護が行なわれました。補助者が担当する目の検査も同じように見事に計画的に行なわれました。医師の診察も流れ作業のごとく決められた時間に行なわれました。現代の労働は「平準化」、「マニュアル化」が原則なのです。退院の直前の6日目くらいになって気付いたことがあります。欠如しているのは「親身さ」であると・・。 分業は正確で、効率的で、均質を保つことはできますが、分業に関わる人々が全体を見ることはできません。誰一人私の全体を見る人はいないのです。接客は「マニュアル通り」です。どの看護師も、担当の医師もそれぞれに自分の義務をきちんと果たしているのですが、患者に寄り添うことはできていないのです。人が機能によって生き始め、分業によって職業が成り立つとき、人間が失った者は「親身さ」であるということに気付いたのです。最終日に、仮眼鏡の処方を作ってもらったのですが、若い検査技師が眼鏡視力の調整をしてくれました。書くことが商売で、コンピュータ-を毎日使う、とか本も一般人よりは沢山読むから近くを見る眼鏡が重要であることを種々説明しました。 しかし、二人の検査技師はどこまで親身に聞いてくれたでしょうか!?「手術後は仮の眼鏡で、視力は次の2-3ヶ月で大きく変わるので正確さは余り意味がない」という主旨の説明を繰り返しました。最後には病院が契約している眼鏡屋があるのでそこへ行きなさいということでした。彼らは効率的で、与えられた仕事はきちんと果たすのですが、「親身さ」に欠けているのです。親身さが欠ければ相手の立場に立つことは難しくなります。検査の間中彼らは本気で私のことを心配してくれてはいないということを痛いほどに感じました。「親身さ」は、マニュアル化した効率的分業の中には存在しないのです。 退院の前の日から付き合いの長い街の眼鏡屋さんに事情をお話しして連絡しておいたので、彼は待っていてくれました。彼は、私の職業も日々の暮らしぶりもよく知っているので、誠に親身になって、遠くを見る眼鏡も、近くを見る眼鏡も、あれこれいろいろレンズを入れ替えて試しながら、私に一番いいのはこれだろうという眼鏡の度数を選んでくれました。しかし、彼が測定してくれた通りの眼鏡は作れませんでした。病院が作成した処方があるかぎり処方通りの眼鏡を作らなければなりません、ということでした。 しかし、近いところは見えにくいでしょうね、という感想でした。彼の再検査では、若い検査技師が作成した処方の度数では私の生活には合わないだろうということでした。事実、「風の便り」の文字も半分霞んでしか見えないのです。私は、若い検査技師が流れ作業の中で私の話を聞き流して1-2度レンズを代えただけで、処方した結果ですから無視してあなたの思うように作っていただきたいと頼みましたが彼は静かに首を振るだけでした。あと2-3ヶ月は毎日、親身さの欠如した流れ作業のやっつけ仕事を思い出して腹を立てながらコンピューターを打つことになるのでしょう。
9 政治家の頭
食堂で子ども手当が話題になっていました。「くれるというものは貰っておかなくちゃ」、「そうよねー!」「娘も二人目を生んでおけばよかったのよ」、「あら、お宅も一人っ子ですか」、「でもお金もちにまで配ることはないと思うけど!」というように続く。民主党は「扶養控除」の代わりだから所得による差別化はするべきではないと言う。しかし、「扶養控除」が富裕層に有利であるというのであれば、そこにこそ所得制限をかければいいだけのことであろう。少子化を止めようとするのであれば、二人目以上の子どもにだけ少し手厚い子ども手当を付ければ出産の動機づけになることは上記の会話から明らかであろう。自分たちの楽しみや職業が優先で子どもはいらないという人は子ども手当に誘われて出産・育児に方針転換をしようとは思わないであろう。 自分流の時代の少子化対策の最大の困難は、「育児」のみに縛られる人生は送りたくないと若い母、若い夫婦が考えるようになったことです。古い世代も、「変わりたくない男」たちも「育児」より大事なことがあるか、と叫ぶのですが、「育児」に匹敵する「やりたいこと」は現に沢山あるのです。 それゆえ、答は「養育の社会化」しかないのです。不可欠なのは世間があっと驚く規模とないようの「養育支援」のシステムを創る事です。その時、保育所と学童保育に熟年者による教育プログラムを導入して「幼老共生」を実現することが子どもの元気と女性の元気と熟年者の元気を同時に保障する方法です。こうした答は折角国民が政権を与えた民主党の政治家の頭でもむりなのでしょうかね!?上記に報告したNPO幼老共生の方向は決して間違っていないのです。

10 最後の10年
高齢社会とは退職や子育て後の生涯時間がますます長くなる社会をいいます。平均の生涯時間は20年、女性の場合は30年近くになります。生涯時間が長いということは、換言すれば「衰弱する過程」の長い社会であり、「老いや死を意識して生きる時間」が長期化する社会を意味します。 筆者も来年早々に70歳代に踏み込みます。男の平均寿命を考えれば、最後の10年にさしかかるということです。病院のベッドに寝ていると己の終末についてもいろいろ考えさせられます。今回の白内障に限らず、生老病死が集約してこの10年に出て来ることでしょう。人生の総括をしなければなりません。遺書は一応書き上げ妻に渡しました。葬式の仕方も遺言に含めました。倒れた時の「風の便り」の読者へのごあいさつは教え子に託しました。残された課題は死に向って如何に生きるかということになるでしょう。子どもや孫に語り継ぐべきことはないか、友人や仲間に伝えて置かなければならないことはないか。じたばたしても詮無いことですが、それなりに波乱の多かった人生、心残りがないわけではありません。自分がそう思うのであれば、他の方々も同じように、最後の10年はそうした振り返りの10年の特性が強く出るだろうと予想します。近隣の市町の知り合いの社会教育担当者に頼んで、高齢者学級の分科会に懸案の「短歌(俳句)自分史」を加えてもらい、総括の支援と指導に着手しようと決心した次第です。