「風の便り 」(第130号)

発行日:平成22年10月
発行者 三浦清一郎

人生の証-墓の代わりの自分史
1 高齢社会と自分の時代-はかない人間存在-永遠への夢?
人間は「永遠」になりたい動物であると主張したのは渡辺通弘氏でした(*1)。不老長寿のクスリを探し求めた王侯貴族のあがきから、ピラミッドのような巨大建造物を作って永遠になろうとしたエジプトの王のように、人類史ははかない自分の人生を長く人々の記憶に残したいと考えた人々の証拠に満ちています。永遠志向ははかない人間存在の逆説的な夢なのでしょう。 選ばれた王侯貴族や現代の偉人のように、社会が本人の生きた証を残してくれない場合、個人もまたそれぞれの財力と能力に応じて生きた証をこの世に残そうとしました。その代表が「墓」だったと思います。石の墓標を建立して、時の腐食に耐え、己もその家族も「固有の歴史」になろうとしたのです。墓の次は歴史の記録だったと思います。日記から史書に至るまであらゆる書き物・記録は人生の証言であり、社会の承認の記録なのです。史書に必ず時の権力者のバイアスがかかり、都合のいいことだけが書かれ、都合の悪いことは省かれたのは、歴史はそれを残そうとした人(人々)のための史書であるということです。有り体に言えばあらゆる歴史は歴史を作った人のための歴史であり、歴史を作った人のための人生の証なのです。自分史もこの宿命を逃れることはできません。むしろ自分史の目的こそが最も直接的に人生の証を残したいと言う願望の現れなのです。自分史はまさに墓の代わりなのです。それゆえ、「紙の墓標」と呼ぶ人もいます。 今でこそ自分史は自分史という呼び名になりましたが、回想も、自伝も、体験記も、エッセイも、過去への手紙も、未来へのメッセージも、家族への遺言も友への伝言も自分史に「進化」する前の特殊形態です。人は己の生きた証をさまざまな記録の形にして工夫して来たのです。
(*1)渡辺通弘、永遠志向、創世記、1982年

2 二つの背景  -なぜ自分史は注目されたのか―
自分史が脚光を浴びるようになったのは日本社会がこれまで経験した事のない二つの変化が理由です。第1が高齢社会の到来、第2は「自分の時代」の実現です。 高齢社会は人口学的には、平均寿命の伸長と人口構造の変化を意味しますが、心理的には、死や衰弱に対面しながら長い時間を生きる時代が到来したことを意味します。換言すれば、生老病死はもとより、やり甲斐や生き甲斐の喪失、孤立や孤独の危機を切り抜けて生きる長い老後の時代こそが高齢社会の最大特徴なのです。 一方、「自分の時代」は、個性の時代、主体性の時代の別名です。筆者は「自分流」の時代と呼んできました。それゆえ、「自分の時代」は「自分が一番大事な時代」という意味です。すでに日本文化の謙譲の美徳も、「能ある鷹は爪を隠す」控えめの奥ゆかしさも自分の時代の前に消滅しています。「取るに足りない自分」が「かけがいのない自分」に変わったのです。変化をもたらしたものは、経済発展と民主主義と人権思想と個性主義の4つです。豊な社会が実現して、初めて人々は「生存」と「安全」の不安から解放され、民主主義と人権思想と個性主義によって人々は自分自身の主人になることができました。それが「主体性」の時代です。主体性とは人生の目標や生き方を自分で選択し、実践するという意味ですから、人生は「自己責任」にもなったのです。 程度はさまざまですが、人々の自分へのこだわりはかつての王侯貴族のようになったということです。自分流の時代が来たのです。自分史は自分流の時代の「紙の墓標」であり、少し大げさにいえば「紙のピラミッド」であり、意識するか否かは別として人々の永遠志向の一つのシンボルなのです。自分の時代は自分史の流れを一気に加速したのです。

3 「自分」へのこだわり
現在私たちは高齢社会の真っただ中にいます。しかも、現代は,高齢者に限らず、自分流の人生の真っただ中でもあります。「個性」がもてはやされ、時に、「個性」は「個体」と等値され、また時には「個人の欲求」や「個人の感情」と同等に扱われています。賛否はともかく人は皆「世界にひとつだけの花」で、「みんな違ってみんないい」という風潮が日本社会を覆っています。今や「人権」という言葉は人間の普遍的な自由や法の下の平等という考え方をはみ出して「個人の好き嫌い」の自由にまで及んでいます。 それゆえ、人権概念と自分へのこだわりが結合すると、自分主義:自分流への執着を生みます。自分流とは、翻訳すれば「オレの生き方に干渉せず、私のやりたいことをじゃましないで!」という考え方です。本稿は「個性」を論じる目的ではないので、個性論の詳細は省きますが、今や「個性」は手軽なものになったことだけは間違いありません。個性主義と自分主義を融合すると、みんなそれぞれに自分の欲求を主張して、感性・感情の赴くままに生きることが個性と等値され、「自分らしく」生きることであると主張するのです。高齢社会は「自分の時代」、「自分流の時代」と融合したのです。自分史はそうした時代の生きた証となったのです。

自分史を書こう-記憶の「断片」を集めよう
1 思い出の「断片」を集める
記録を残すか、思い出を書くか、自分史はどこから始めてもいいのです。参考書は「年表」を作ってはどうか、とか「課題を決めて書き始めてはどうか」とか、「年代を追った体験記」から始めてはなどなどさまざまな提案をしてくれていますが、書くことを仕事にしたことのない人は、まず心に残っていることの「断片」から始めることをお勧めします。記憶の「断片」とは、通常人生の一番強烈な思い出の「感想」であり、「事実の破片」です。

2 「断片」の集め方-テーマは最後に決めます
「断片」は“あの時は嬉しかったなあ!”、とか、逆に、“よく病気にならないで切り抜けられたものだ!”という「感慨」からはじまります。それゆえ、テーマから始めないようにしましょう。テーマを決めるとテーマに制約され、思い出す断片がテーマの範囲を超えて出て来なくなります。人生は繋がっており、思い出は時間や空間を飛び越えて出て来るものなのです。小学校の思い出を書きながら30年後の同級生との再会も思い出すのです。寄せ集めた思い出をもう一度読み返してみるとテーマが自然に出て来る場合もあれば、また、アレコレ迷ってうまく決められない場合は他の人に読んでもらって付けてもらってもいいのです。 くれぐれもテーマは最後に決めましょう。

3 「断片」に説明をつけよう
最初に思い出した感慨にまつわる「あの時」の説明を書きます。それは「子どもの卒業」であったかも知れません。あるいは「会社の倒産」であったかも知れません。家族の死であるかも知れません。「あの時」あなたの人生には何が起こったのでしょうか?嬉しかったにせよ、辛かったにせよ、その時の「事件」の最も衝撃的な思い出を取り出して記録を書き始めて下さい。この時思い出すことのメモは連続して書かないで、カルタのように1枚のカードに一つだけ書くようにして下さい。後でカードを使って思い出の全体像を作る時に1枚のカードに一つだけの思い出だけが書いてあると組み合わせや配列の工夫が自由で簡単になるからです。

4 歴史の初めは「時間」の説明です
思い出す最初の手がかりは出来事が起こった時間です。自分史は歴史ですから、手がかりは「時間」から掘り起こします。時間を思い出すと、同じ頃に起こった事柄が少しずつ出て来て出来事の説明に役立ちます。思い出の断片はどこからでもいいのですが、時代や時間を思い出すことが連想の糸をたぐり寄せる近道です。例えば、その時、子どもさんは中学生だったでしょうか、それとも高校生だったでしょうか?あなたがどこに住んでいた時のことでしょうか? 「会社の倒産」の場合も同じように時期と時代背景を思い出して記録します。あなたの周りの世の中にはどんなことが起こっていたでしょうか?あなたのご父母はおいくつになっていたでしょうか?出来事の時間を思い出すと同時代、同じ頃の別の出来事も思い出すものです。方法の原理は「連想ゲーム」ですから、出来事の断片に関係ないことでも思い出したことはメモを書いておいて下さい。連想ゲームは英語の「いつ」:whenから始めます。

5 次は「場所」の確認です
時間の次は、出来事の中身を書く前にあなたが居た場所を確認して下さい。その時あなたはどこに居たのでしょうか?どんな場所だったでしょうか?なぜそこに居たのでしょうか?誰とそこに居たのでしょうか?このように出来事の「場所」を巡ってあなたの記憶はだんだん出来事の中身に近づいて行きます。英語の「どこで」:whereです。

6 いよいよ中身のメモに入ります
時間と場所に関することを思い出したら、あなたの「感慨」がどこからきたのか、出来事の核心を思い出して下さい。なぜあなたはその時特別に嬉しかったのでしょうか?逆に、なぜ悲しかったり、怒こったりしたのでしょうか?今でも忘れていない感情の中心には何かあなたに起きた出来事がある筈です。時間と場所のメモを見ているとその頃のことをすこしずつ思い出します。思い出したくないことまで思い出すかも知れません。人生には忘れていたいことも沢山ある筈です。 自分史は自分に正直にという人も居ますが、余り無理をすることはありません。思い出したくないことは、忘れるように努め、書きたくないことは書かなくてもいいのです。それは世界中の歴史書に共通のことです。あらゆる歴史は書き手や書き手の背後にいる人々に都合よく書かれているのです。政治学や歴史学を学んだ者の常識です。古事記や日本書紀のような歴史書を読む時、二つを比較して、どちらに何が書かれていないかを見て歴史の実相をより正確に把握しようとする人もいます。「省略」は史書の大事な手法なのです。 おそらく、想定される自分史の読者はあなたに近い人々でしょう。自分史が事実上あなたの遺書になったり、お墓の代わりの「紙の墓標」になった時、他者の立場に思い至らない“ばか正直な”記述は大いに“はた迷惑”なのです。自分史には「作法」があり、書くことの「節度」が不可欠なのです。それゆえ、ある程度出来事の中身を思い出したら自分の感慨だけでなく、そのとき周りの人は何を言ったのか、どのように反応したのかを思い出してメモして下さい。第三者の反応を入れると「思い込み」や「一人合点」が修正され、「独りよがり」にブレーキがかかります。出来事の「中身」と「理由」が出そろったら、メモ書きをカルタのように並べて関係のあるものを小さなグループにまとめて下さい。まとめ方は時間の順序別(時系列別といいます)でも、場所を中心にしても、あるいはあなたの感慨を説明する形でも特別なまとめ方があるわけではありません。うまくまとまらない場合は、思い出を箇条書きにするだけでもいいのです。出来事の中身は英語で「なに」:whatです。

7 なぜ「そのこと」を覚えていたのでしょうか?
思い出の裏側にはいつも「なぜ」という疑問が潜んでいます。あなたにとってなぜそのことが思い出になったのでしょうか。子どもの卒業がそれほど嬉しい記憶として残っているのは、皆さんにどんなことがあったのでしょうか?なぜ真っ先に思い出すほどに嬉しいことなのでしょうか?嬉しいことにも、悲しいことにも、辛いことにも、出来事の背景には必ず「なぜ」が潜んでいます。少しでも思い出す事件の理由と原因が書ければ自分史は順調に先に進みます。自分史はもちろん出来事の中身が中心ですが、出来事の背景にある動機や理由こそが自分史を書く原動力です。それが「なぜ」:whyです。

8 あなた以外の登場人物が自分史の厚みを増します
自分史の記録が、「中身」と「時間」と「場所」と「理由」を説明で来たら80パーセントは完成です。ただし、人生は自分だけで生きてきたわけではないので、あなたを取り巻く人々を登場させると自分史に厚みが出ます。ここからが「自分史作法」の根幹です。あなたの思い出の出来事を巡ってあなたの周りにはどなたがいらっしゃったでしょうか?家族や友人や時にはあなたに敵対する方がいたかもしれませんね。その方々があなたに「言ったこと」、「してくれたこと」を覚えていたら書き留めて下さい。 あなたを助けてくれた人がいます。あなたを傷つけた人もいます。離れて行った人も、無関心を装った人もいるでしょう。その方々をどう描くかであなたの「品格」が決まるのです。謝意も別れも弾劾も恨み節もまずは思うように書いてみてください。しかし、書いた後は何度も読み直して、礼儀に反していないか、不愉快に思う人はいないか、怒りや不満は泣き言や愚痴になっていないか、あなたの気に入らない第三者にもそれなりの理由があったのではないか等々を点検することが必要です。お礼の言葉ひとつでもある人に言って別の人に言わないのはなぜでしょうか?自分史は「読み手」の手の中に残ることを意識すれば、基本的な作法を守ることは極めて重要なのです。自分史作法はあなたの周りにいた人への礼儀であり、あなた自身の「品格」の証明なのです。作法は英語の「だれ」:whoを巡って考慮しなければならないのです。

9 あなたはどのように対処したのか
最後に、あなたはその時ご自分の人生にどう対処したのでしょうか?対処の記録は行動の記録で、反応の記録です。「嬉しかったこと」や「辛かったこと」に対して、誰かに何か言ったり、出かけたり、買い物をしたり、便りを書いたり、電話をかけたり、何か特別のことをしたでしょうか?あなたの行動はあなたの感情や感慨に連動しています。思い出したら小さなことでもいいですからメモしておいて下さい。人生は出来事の連続であり、体験の積み重ねです。おそらくどんな出来事でも、あなたが取った反応や態度や行動には意味があり、それらの積み重ねが今日のあなたを作り上げているのです。対処の方法を英語では「どのように」:howといいます。

10 5W1H-歴史記録の6要素
歴史記録を構成する条件は上記に説明した「時間」から「対処法」まで、通常5W1Hで表される6要素であるといわれます。事件を報道する新聞記事の構成と同じです。自分史も歴史記録や新聞記事と同じように原則的に5W1Hの客観的事実を含んでいます。5W1Hで言う5つのWとは「いつ(when)」、「どこで(where)」、「何(what)」が、「誰が関係して(who)」、「なぜ(why)」起こったのかという意味です。一つのHは「どのように(how)」起こったのかを意味します。 すでにあなたが書き留めたメモにはこれらの5つのWと1つのHが入っているということです。次に必要になるのは「並べ方」と「組み合わせ方」です。 もちろん自分史は人生の感想と解釈を述べるものですから、客観的記録にこだわる必要はありません。6要素のどれかが膨らんで、別のどれかが省略されてもいいのですが、まずは原則通りに記録してみると自分がすくい上げたいもの、捨ててしまっていいものが見えて来ます。自分史もまた時間と紙数の制約の中で作り上げるあなたの作品だからです。冒頭に提案した通り全体のタイトルも、出来事ごとにまとめた文章のテーマも最後に決めた方がより全体を代表するバランスのとれたものになる筈です。

人間の欲求と日本外交1 マズローの欲求段階説
アメリカの心理学者マズローは人間の欲求を5段階に分類し、欲求の満足には「順序性」があると主張しました。 マズローはこれを「人間欲求のハイラーキー」と名付けました。下の図がマズローの欲求の段階説:「ハイラーキーの図」です。 マズローの言う「順序性」とは、一番下の「生存の欲求」が満たされていず、食い物もなく、生きるか死ぬかの危険な状況に置かれた人間に一番上の「自己実現」とか、上から2番目の「社会的承認」とか人々の「尊敬」を受けたいという欲求は起こりようがないのだという意味です。 それゆえ、マズローは一番下の欲求から順々に高次の欲求を充足して行くことが人間の発達の原則であり、社会の進歩の順序であると説明しています。人間も社会も「衣食足りて礼節を知る」ということを欲求段階説で説明したということです。 人間の幸福は欲求の充足であり、生涯を通してより高い次元の欲求を実現し、自分の可能性を目指すからこそ生涯にわたる学習や教育が必要になるのであるということになります。個人の立場から論じた重要な「生涯学習-生涯教育」の必然論と言っていいでしょう。 マズローの功績は「学習」も「教育」も欲求の段階に対応しなければ成立せず、効果は上がらないということを理論的に説明し得たことだと思います。したがって、人々を生きる不安から解放し、「生存の欲求」や「安全の欲求」を満たすことが先決で、次の段階の学習の条件になると指摘しました。下位の欲求を満たすための努力から開始することが原則だということになります。 また、人間の最高位の幸福は自らの可能性を十分に開花させる「自己実現」にあるとしたことで、生涯学習-生涯教育が人生の最終目標になるという主張に繋がったのです。

2 生存と安全の中国依存  対中外交のアキレス腱
今回の尖閣諸島を巡る中国との摩擦は日本外交における教育論を提起しています。外交もまたマズローの欲求の段階説に密接に関係しているのです。 日本国民の誇りや独立心を逆なでした民主党内閣の対応は、一番下の「生存の欲求」と下から2番目の「安全の欲求」を守るためにやったことです。戦後一貫して、アメリカに追随して来たのも同じ理由からです。しかし、アメリカに対しては、戦勝国に対する諦めもあり、アメリカ自身にフェアプレイの精神があり、自由主義という共通の思想的連帯がありましたから「追随」しても日本が侮辱されたとは多くの人が感じなかっただけのことです。 他方、「下品で」「ならず者のような」中国に対しては何たる対応かと最初は多くの日本人が怒り心頭に発したと思います。しかし、一呼吸おいてみたら、日本の企業は中国にたくさんの工場を持ち、中国との貿易で日本人の豊かな生活(「生存」と「安全」)を支えていることに気付かざるを得なかったのです。また、平和国家日本の「軍事力」では到底急速に軍備を増強している「ならず者国家」には対抗する力がなく、石垣島の漁船の「安全」を守り切る実力も覚悟もありません。多くの日本人はその事実を思い出し、今回の事件によって新たに「豊かな日本の存立基盤」に関する再教育を受けているのです。観光ツアーのキャンセルもレア・アースの輸出差し止めも日本の生存と安全に関わるぞと中国側が脅して来たことは強烈な「学習」でした。 日本国の法に則って逮捕した中国漁船の船長は、形ばかりの「言い訳」と「格好」を付けて、後は一方的に「ゆずる」しかなかったのはそのためです。換言すれば、「逮捕」は「間違いだった」のです。 民主党内閣は総理大臣以下口ばかりの八方美人ですから、国民に本当のことは言えなかったのです。「衝突ビデオ」を公開できないのは、日本人が「学習」を忘れて感情的になることを恐れてのことでしょう。 しかし、その後の成り行きを見守っていると、他の政党も似たようなものでしたね!国会のやり取りを聞きましたが、日本企業及び日本人の「生存」と「安全」のために「ならず者」の言いなりになるか、それとも多少は「生存」と「安全」を犠牲にしてでも中国と対峙するかを、国会は日本人には問いませんでした。日本人の答は決まっていると考えたからでしょう。豊かさに慣れ切った日本人には、国の誇りや独立よりは波風の立たぬ「生存」と「安全」の方が大事であり、自分の商売の障りにならぬよう事を荒立てずに納める事が「大人の分別」なのです。勇ましいことを言っているのは日本の「中国依存」を知らない人々だけだと言ったら叱られるでしょうか?

3 ノルウエーの自主・独立
これに対してノルウエーは言いたいことを言い、やりたいことをやりたいようにやりました。ノルウエーは、中国から遠く、漁業交渉以外、国民の「生存」も「安全」も中国に依存していないので遠慮は無用なのです。 それゆえ、誰に気兼ねもなく自らの主体性と評価基準で判断しました。「平和賞」は一党独裁の「ならず者国家」の現政権が「犯罪者」と呼ぶ者に授賞したのです。日本を除いた世界の主要国が拍手喝采したことは言うまでもありません。慌てふためいた「ならず者国家」がCNN他の国際テレビのニュースを文字通りブラックアウトして情報統制をしたことも世界の前に明らかになりました。その後、中国はノルウエーとの漁業交渉を打ち切ったとCNNが報じました。ならず者国家の面目躍如たるところです。 平和賞の選考委員会は、中国人はもとより人間の未来のために本当のことを言ったのです。日本政府は授賞者にも、ノルウエーにもオープンに拍手を送れませんでした。「ならず者国家」を刺激するとならず者の制裁が日本国民の「生存」と「安全」を脅かす結果になるからです。それゆえ、政府の「沈黙」は日本国民のためにやったことなのです。思わず中国を批判した民主党の枝野前幹事長は執行部の圧力で「沈黙」させられました。

4 対中外交のアキレス腱
マズローの教訓は明快です。ならず者との「喧嘩」や「争い」が嫌なら、ならず者に日本国の「生存」や「安全」を依存するような国の運営を止めることです。日本人が一党独裁の「チャイナ・リスク」を知らなかった訳ではないでしょう。チャイナ・リスクを承知の上で、日本人は「中国で儲ける」ことを選んだのです。日本人は未来を見通す学習能力に欠け、撤退の決断力に欠けているのです。それこそが対中外交のアキレス腱です。 事態は現行の多くの子どものいじめに似ています。学級担任のアメリカや、学校に当たる国際社会が「悪ガキ」中国をコントロールできず、いじめっ子は今後ますます頭に乗って日本をいじめ続けるようになるでしょう。その時、いじめられっぱなしに甘んじていじめっ子のご機嫌を取り続けるか、それとも本気で中国に大きく距離を置いた新しい日本のあり方を考えるか次の世代は難しい「生きる姿勢」の自己教育を迫られます。 日本は中国のお蔭で現在の「衣食が足りて」います。しかし、「衣食」(「生存」と「安全」)を中国に依存したことで、誇りも礼節も守れなくなっているのです。「衣食足りて礼節を守れず」という新しいことわざが生まれたのです。マズローの欲求段階説でいえば、大多数の日本人にとって当面中国に依存した「生存」と「安全」が最も大事なのです。民主党は国民の本音を忖度(推察)して、事を荒立てないことが「大人の態度」であり、「金持ち喧嘩せず」の処世訓であると判断したのです。政治は国民のレベルを超えることはないというのが政治学の常識です。 石垣漁民には誠に気の毒なことですが、日本人の学習能力は到底石垣漁民の安全とか自尊心とかを論じる段階には至っていないのです。くれぐれも気を付けて尖閣諸島周辺の漁にお出かけ下さい。 また、誇りを持って生きて行きたい日本人はテレビや新聞を見ないことをお勧めします。侍のいなくなった商人国家は見事に戦後復興を遂げて豊かになりましたが、残念ながら世界の尊敬を得ることはできないのです。中国では日本車や日本企業への破壊行為も始まりました。辛いところですね。

「志縁社会」の形成-「井関元気塾」のまちづくり力-
主任指導員 上野敦子 様
1 現場の記録は正直ですね
鋳銭司小の赤田校長先生に託された平成22年度の「井関夏休み元気塾」の指導日誌を受け取りました。日々の指導と子どもの反応を克明に綴られた記録とあなたの感想を実に面白く拝見いたしました。 警察から派遣された警察官の何とも情けない指導に対する子どもたちの反応とあなたの感想が重なっていて思わず吹き出しました。「二度と来ないで」といわれる講師も珍しいことでしょう。思わずそういう評価が出たら大変だと我が身に引き換えて考えました。 子どもたちの正直な感想も含めて警察署に提出した度胸は見上げたものです。その結果、お侘びのしるしに白バイ隊を派遣して下さったのだと思います。分かって下さる人は分かって下さるのです。警察や検察の常識が疑われている昨今ですから、警察トップも“たかが子どもの元気塾”と侮らなかったことは褒めてあげて下さい。

2 「元気塾」はまちづくりです
あなた方の「元気塾」が挑戦しているのはまちの教育資源を総動員したまちづくりなのです。言い方を変えれば、「元気塾」を起点として人々の交流と協力を創り出して新しいコミュにティを形成しているのです。阿知須の田舎でもすでに都市化の波に飲み込まれ、「共同体」は崩壊し、現代の「無縁社会」が到来しています。無縁社会とは人と人のつながりが切れた社会を言います。その分だけ私たちは人から干渉や支配を受けずに暮らすことができるのですが、ひとたび危機に陥った時は誰も構ってくれず、誰も助けてくれない冷たい社会です。高齢者が孤立し、子育て中の親が社会から隔絶してしまうのもそのためです。現代の日本人はそれぞれの自由を追求して自由人になることには成功したのですが、その自由人こそが結果的に孤立と孤独のコミュニティを作ってしまったようです。誰にも干渉されないということは誰にも構ってもらえないということであり、誰のお世話もしないということだからです。 最近行方不明の年寄りが沢山出てメディアを賑わせました。自殺者も相変わらずのようです。すべての原因は現代の孤独と孤立に繋がっています。かつての共同体に代わり得るあたらしい連帯をもたらすコミュニティは成立していないのです。

3 目標は「志縁社会」です
「井関元気塾」は「子縁」(子どもに関わる縁)をカギとして「無縁社会」を突破する方法を証明しているのです。「無縁社会」の反対は志を同じくする人々が連帯する「志縁社会」です。まさしく、元気塾の皆さんの活動こそが「志縁」の活動を創り出しているのです。 日本人は戦後急速に伝統的村落共同体の成員から自由な個人へ移行しました。最大の理由は戦後日本社会の産業構造が、共同体を不可欠とする農林漁業から共同体を必要としない工業、情報、サービス、金融などが中心となったからです。 共同体の成員は集団の「共益」のために一致して「労役」を提供し、成員の相互扶助の慣習を守って来ました。その当時の「共益」とは里山の管理であったり、水資源の管理であったり、共同の祭りや共同の防犯、共同の防災などがありました。時には、屋根の葺き替えや家族の冠婚葬祭のお世話も村の人がしてくれました。しかし、共同体的な暮らしは不要になりました。そのためこれまで共同体が培って来た価値観や慣習は、それぞれの自由と自己都合を優先し始めた個人に対する干渉や束縛に転化してしまいました。日本人は共同体文化を拒否するようになったのです。 日本人の生活は、共同体および共同体文化の衰退と平行して都市化し、人々は多様な価値観と感性にしたがって自由に生きる個人に変身したのです。共同体を離れた個人は、それぞれが思い思いに自分流の人生を生きることができるようになりました。自分流の人生を主張した以上、当然、己の生き甲斐も他者との絆も自分の力で見つけなければならなくなりました。人間関係も日々のライフスタイルも「選択制」になったのです。新しい人間関係を選び取ることのできた人はともかく、「選べなかった人」、他者から「選ばれなかった人」は「無縁社会」の中に放り出されます。自身の「生き甲斐を見つけようとしなかった人」や、探しても「見つけることのできなかった人」は「生き甲斐喪失人生」の中に放り出されます。自由も自立も、選択的人間関係を意味し、選択的人生を意味します。日々の生き方を自分が主体的に「選択する」ということは、かならず自己責任を伴い、願い通りの選択は簡単に実現できることではありませんでした。それゆえ、過渡期の日本人の中には自由の中で立ち往生する「さびしい日本人」が大量に発生したのです。 元気塾の皆さんは「さびしい日本人」に真っ向から挑戦状を突きつけているのです。更生保護婦人会の皆様、大工の棟梁のみなさんのにこやかな指導写真がとても印象的でした。お寺にこれほど地域の子どもが寺に集うことはかつてなかったのではないでしょうか。住職の「説教」にも自ずと力が入っているご様子が見て取れました。地域には沢山の能力が眠っています。退職者の中にも多くの可能性が残っています。元気塾のプログラムはそれらを引き出し、子どもと指導者の間に「ウインーウイン」の関係を創り出しているのです。日誌に記された毎日のレポートから子どもの生き生きとした活動が垣間見えると同時に、添付されたどの写真にもいいお顔の指導者が写っています。多くの学校が校外の活動に無関心で、閉鎖的である現状にもかかわらず、元気塾の成果を率直に認めて応援して下さる校長先生は本当に偉いですね。外部の方々の指導効果を認めない唯我独尊の教員が沢山いる中で「元気塾」の皆さんはいい巡り合わせを頂いているのです。赤田校長先生も自分の学校に元気塾と同じような活動が欲しいでしょうね! 現行の政治も、福祉行政も全く分かっていませんが、皆さんが証明しているように、子育て支援に地域の力を借りた「保教育」を導入できれば、新しいコミュニティを開拓し、無縁社会への挑戦が可能になるのです。

4 来年の課題は「体力」と「耐性」
体力のない子どもたちがあの猛夏に耐えて全ての活動を事故なく無事に終わることができたのはどこかで神様が応援してくれているのでしょう。たびたび申し上げている通り、来年は定期的な体力向上プログラムを導入し、子どもに耐えることを教えて下さい。体力と耐性は、生きる力の「基礎工事」と「土台」です。家の建築に例えれば、学力は「柱」、徳性と規範意識は「壁」です。思いやりや感性は「屋根」に当たります。柱も壁も屋根も全て土台と基礎の上に乗っているのです。 きらめき財団用の報告書の内容は完璧でした。ただし、財団に報告書を提出する際には、子どもと地域の先生方の交流の実態と雰囲気を伝えるため、私が拝見した「指導日誌」を送り返しますので、参考資料として添付してご提出下さい。いわゆる「役人」には通じなくても、企業を経験した「査定人」重村さんはどれほどお喜びになるか想像するだに楽しみです。

130号§MESSAGE TO AND FROM§  
猛夏を生き抜いた昨年の菊が見事に濃紫の花を付けました。窓辺においてその美しさに見とれ、けなげさに励まされております。 早いもので一年が過ぎました。平成22年度第1回の購読更新のご案内を載せました。皆様のお便りありがとうございました。山口市の上野敦子さんへのご返事は原稿にしてみました。それぞれに思う存分各地の秋をお楽しみ下さい。 東京都学文社 三原多津夫 様 この度はお蔭をもちまして『自分のためのボランティア』を世に出していただきました。新刊を読み返しながら、校正を通したあなたとの問答がどれほど役に立っているかとあらためて思います。本当にありがとうございました。現在、中国・四国・九州地区の生涯学習実践研究交流会の事務局の仲間と大会の過去30年を振り返って、「未来の必要」の分析を始めております。なんとかお眼鏡に適い、世に問うに足るものをまとめたいと衆智を集めて作業に励んでおります。どうぞこの地の実践につきましても変わらぬご指導をお願い申し上げたくお礼の便りといたします。

平成23年の更新のご案内(第1回)
「風の便り」は1年更新です。平成23年1月号から、これまで通り「風の便り」の実物(ハードコピー)をご希望の方は郵送料と印刷費の合計(170円×12ヶ月):年間2,000円を事務局までお送りください。ありがたいことに現在もなお、各地の現場を御紹介いただき教育や養育に関するさまざまな刺激を頂いております。おかげさまで平成22年は「風の便り」の記事の分析を掘り下げて『安楽余生やめますか、それとも人間やめますか』と『自分のためのボランティア』(いずれも学文社)の2冊を世に問うことができました。これからも精進を続けて、社会に関わって何らかの役割を果たしながら生きる生涯現役を続ける所存です。 しかしながら、季節が流れ、いかんせん筆者も歳をとりました。テレビが報じる有名人の訃報の多くが自分の年齢に近くなって参りました。途中不幸にして、志半ばで倒れるようなことがあった時には、誠に恐縮ですが、印刷料・郵送料はお返しできません。謹んで事前にお許しをお願いしておきます。

お知らせ第104回生涯学習フォーラムin福岡
日時:平成22年10月30日(土)15:00~17:00研究発表:テーマと発表者1 社会の必要課題に対処する実践型人材育成研修の論理と方法 赤田 博夫(山口市立鋳銭司小学校)  大島 まな(九州女子短期大学)2 学校を中核にした地域全体の教育力向上方策に関する一考察 古市勝也(九州共立大学)3 市民による市民のための生涯学習システム  三浦清一郎場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
第105回移動フォーラムin山口
1 主催   山口県生涯学習VOLOVOLOの会
2 日時   平成22年11月20日(土)13:00 ~平成22年11月21日(日)11:50 まで
3 場所   山口県セミナーパーク
4 内容  
(1) 11月20日(土)13:00~17:00(18:00~第2部)
① 13:00 開会行事 代表あいさつ(日程説明等:事務局)
② 13:10 自己紹介及び近況報告
③ 14:50~15:05 休憩
④ 15:10 講義-「自由の刑」と退職者の未来計画- 三浦 清一郎 
⑤ 16:10~16:25  休憩
⑥ 16:30  質疑応答および近況報告→(17:00 ~ 18:00 懇親会準備)
⑦ 18:00 ~ 20:00 懇親交流会 
(2) 11月21日(日) 9:00 ~ 11:50
Ⅰ 特別インタビュー 9:00 ~ 10:00    「周南再生塾、創設の思想と方法」     
(インタビューイ)山口県周南市長 島 津 幸 男   
(インタビュア)生涯学習・社会システム研究者 三浦 清一郎      
Ⅱ リレー提案と共同討議 10:15 ~ 11:45(コーディネーター:三浦 清一郎 ) 
① 市民学習集団の組織化の効果と意義-たぶせ雑学大学の14年-       たぶせ雑学大学主宰 三 瓶 晴 美 
② 放課後「子どもマナビ塾」の教育性、経済性、創造性前飯塚市教育長 森 本 精 造 
③ 「財源補助」の評価視点と補助効果の点検法  山口県きらめき財団 主幹 重 村 太 次 
事務局・連絡先:鋳銭司小学校の赤田博夫校長です。

編集後記 空虚に対す
わが家の庭の昼下がりはさやかに風が吹き紅葉がそよぎ、生き残りの蝶が舞い秋晴れの空の下向いの学校の子どもたちは昼休みなのでしょう潮騒のようにさんざめいていますとなりの農夫はエンジン全開次から次へと稲を刈り家族は勇んで籾を運びます一年がかりで世話をしてきた紫の小菊が猛夏に耐えてそろいの花をつけ遅咲きの日々草と並んで窓辺を飾りましたいつものことですが午睡の後は珈琲を手に椅子にもたれて城山を見ますくつろいでいると見て取ると犬たちはわが膝に飛び乗って眠ります新刊「自分のためのボランティア」ができ上がって来ました30周年記念誌の一つの補筆が一段落し「風の便り」の原稿には少し間がありますがんばりの後のくつろぎには平穏と満足がある筈なのにこの憂鬱はどこからくるのでしょうか胸の中に穴があいたように生きることが空虚になりなにもかもが意味を失い時々立ち上がることさえ億劫になるのはどうしたことでしょうか疲れでしょうか老いでしょうか群れを離れた孤独でしょうかあるいは「燃え尽き症候群」でしょうか稲刈りの終った田んぼを前に秋の真ん中にいるせいでしょうかそれともこれこそが無常の風の為せるわざでしょうか