「風の便り 」(第128号)

発行日:平成22年8月
発行者 三浦清一郎

健康寿命の教育的方法-元気の構造と処方

1  平均寿命と健康寿命
日本は平均寿命も健康寿命も世界一ですが、両者の「差」は大きな問題です。女性は約12年、男性は7年のギャップがあります。平均寿命が世界一であるということは医療の成功を意味するでしょう。しかし、平均寿命と健康寿命のギャップがこれほど大きいということは高齢者に対する日本の健康教育政策が失敗しているということを意味してはいないでしょうか!?単純化していえば、平均寿命とは「生きている」という事実を意味し、健康寿命(*)とは「心身ともに自立して生活できる」ということを意味しています。前者に比べて後者が遥かに短いのは「自立」を目標とした福祉政策や教育政策の失敗の結果なのです。高齢者を対象とした各種活動のメニューが不十分であれば、高齢者の衰弱が加速され、社会参画の機会は失われ、交流ややり甲斐の機会を失います。それゆえ、高齢者の自立にとって、日々の鍛錬や社会との関わり・活動のやり甲斐などが極めて重要であることを知らしめる生涯教育・生涯スポーツ振興策は高齢者の「生きる力」を決定的に左右するのです。高齢社会では、高齢期の生涯教育・生涯学習の適否が、疑いなく健康寿命を維持する条件に関わっているのです。事、高齢者については、生涯教育・生涯学習に付いても,彼らのボランティア活動の促進に付いても,政策上の補助金を出して奨励するくらいのことをしなければ、この国の高齢者の平均寿命と健康寿命の大きなギャップを埋めることは出来ないのです。人生50年時代の「余生」の考え方を引きずった「隠居」や「安楽余生」の発想が健康寿命にとっては最も大きな障碍になります。問題の核心は、心身に「負荷」をかけない生活であり、精神的な生き甲斐や老後の人生の社会参画を結果的にないがしろにしている事です。近年、福祉分野がとった施策の多くは「保護」と「安楽」を中心に置いた点で大いなる間違いでした。健康寿命は「楽して生きる」方法では手に入りにくい目標なのです。心身の自立は、特に老衰が加速する高齢期においては、老衰抑止のための一定のトレーニングを必要とすることは当然だからです。もちろん、政策当局は高齢者に対する尊敬や敬意の象徴として退職後の「パンとサーカス」を手厚く保障しようとしたのでしょう。伝統的な「親孝行文化」が影響しているであろうことも関係者の言動を見聞すれば想像のつくところです。しかし、現実は人生80年時代に当面しているのです。高齢者が自立的に「生きる力」を存続できなければ、後続世代も共倒れになる時代なのです。「親孝行文化」も当然変化しました。介護保険の導入も、「親孝行したくないのに親が生き」という川柳もその変化を象徴しています。人生50年時代の価値観も、余生隠居論の方法も現代には通用しないのです。

2 健康寿命維持の原理論
医学が「廃用症候群」に注意を喚起しているのは、使わない心身の機能は衰退するからです。フランスの生理学者ルーが「ほどほどの負荷」をかけるOverloading Methodを提案したのも、「負荷」のない生活は心身の機能を停滞させるからです。特に、高齢期は使い続けている場合でも、加齢とともに心身の機能の衰弱が加速するのですから、使わなくなればますます衰弱が加速するということになります。因みに、英語の辞書を引いてみたら「廃用症候群」はDisuse Syndromeとありました。「使わなければ使えなくなる」という意味ですから英語の方がわかり易い表現になっています。 したがって、衰弱を抑止し、機能を維持し、自立的生活を営み続けるためには、人間の機能を使い続けるということが医学的にも教育学的にも原理になります。特に、高齢期は、意識的・自覚的・計画的な「衰弱抑止訓練」、「心身の機能の活用計画」、「自立のための意識改革」などが不可欠になります。それゆえ、健康寿命の促進のためには、高齢者の楽しみごとや生活保障を手厚くする以上の危機意識を持って高齢者の生涯教育・自己鍛錬の奨励に資金を投入すべきなのです。  高齢期の「安楽」な余生を保障することを高齢社会対策の中核に置いた日本の社会教育も生涯学習の振興策も状況の診断を誤り,解決に逆行した重大な錯覚に陥っているのです。老人福祉法(1963)の第3条は「老人は、その希望と能力とに応じ、適切な仕事に従事する機会その他、社会的活動に参加する機会を与えられるものとする」と謳っています(この時代は「高齢者」の用語が普及せず、まだ「老人」と言っています)。1963年当時の法の制定者の認識は極めて正確です。しかし、法が謳った精神と処方は現在どうでしょうか。豊かになった日本は、福祉も教育も、高齢者が「社会的活動に参加できる多種多様な機会」を、「どの程度」、居住地域に準備する作業をしたでしょうか。身の回りを見渡して高齢者が活躍するステージはあるでしょうか。 今年は、筆者にも敬老の日の昼食会の案内が来ましたが、そうした年に一度の敬老行事で事を済ませて来た発想にこそ問題の根源があるのです。そもそも高齢者は保護や労りの対象でしかなく、退職後の老い先短い余生を楽に暮らさせてやりたいという発想が出発点なのでしょう。しかし、健康寿命を維持できなければ、彼らが老衰する終末にはさらなる悲惨が待ち受けている事は自明なのです。女性で平均12年、男性で平均7年、自立を失い、社会や第三者に依存して生きなければならない晩年の無念と悲哀はそこへ行ったことのないものには恐らく理解を越えていることでしょう。 人生80年代の核心は「健康寿命」なのです。現代日本の社会教育には健康寿命を維持する意識的な生涯教育や高齢者の社会参画を推進する事業プログラムが決定的に不足しているのです。
(*)心身ともに自立して暮らすことができる期間のことをいいます。日本人の健康寿命は男性72.3歳、女性77.7歳で、世界第1位です。

3 「飯塚市熟年者マナビ塾」の証明
飯塚市の公民館と福岡県の社会教育総合センター(以下社教センターという)が協力して「飯塚市熟年者マナビ塾」(以下「マナビ塾」という)の塾生の「活力向上」についての調査を実施しました。結果的に、「マナビ塾」で学んでいる高齢者の方々の生活に大きな+の変化が現れていることが判明しました。以下は、社教センターの益田茂氏が分析したマナビ塾」高齢者が示した生活条件の変化の数々です。これらは全て高齢者の健康ややり甲斐につながっていると想定されます。マナビ塾」の活動が活力を生んでいるように「豊津寺子屋」(発表年)も「むなかた市民学習ネットワーク」(発表年)も同じことを証明しています。活動する高齢者は「お元気」だということです。高齢者の活力の原点は「活動」です。「活動」が心身の機能を動員し、使い続ける心身の機能が活力を維持し続けることにつながります。活動するからお元気が保たれるのであって、お元気だから活動するのではないのです。「マナビ塾生」に対する質問は以下の6問でした。
1 「マナビ塾を通して、あなたの日常に「新しいこと」が始まりましたか。
2  「マナビ塾」活動を通して、これまで「できなかったこと」が「できるようになった」という自覚はありますか
3  「マナビ塾」活動に参加してから、ご自分の元気や活力が向上したと思いますか。
4  「マナビ塾」活動に参加して、あなたの人間関係は広がりましたか。
5  「マナビ塾」活動に参加して、楽しいと思うことは何でしょうか。
6  「マナビ塾」活動に参加して以来、体調不良で「連続して二日以上」病院にお世話になったことはありますか。
「マナビ塾」での活動効果は著しいものでした。自由記述を除く集計結果は下図の通りです。

高齢者をお元気にしたのは「マナビ塾」の活動です。参加者はマナビ塾を契機に日常生活に新しいことを開始しています。出来なかったことができるようなったということは、「マナビ塾」「活動」が「不可能」を「可能」にしたということです。当然社交や交流の輪も広がりました。結果的に活力と健康を維持することに成功したのです。「活動」が「元気」を支えるという原理は間違っていないのです。

4 健康寿命の条件
健康を支えているのは活動であることが分かりました。それではどんな活動が必要になるのでしょうか?どんな活動を始めればいいのでしょうか?私たちが活動に求めることは、人生に求めることと共通しています。したがって、活動を支える条件は人生を支える条件と同じなのです。多くを望めばすべてを手に入れる事は簡単ではないでしょう。また、難しい事を望めば,多くの努力が不可欠であり、その実現には多くの障碍が立ちふさがる事でしょう。逆もまた真なりです。少ししか望まない人はほんの少しの事に満足できるということです。「満たされること」が生き甲斐の条件であるとすれば,生き甲斐は欲求の関数ということが出来るのです。筆者はこれまで生き甲斐の条件を「やり甲斐」と「居甲斐」に分けて考えて来ました。この場合、生き甲斐はそのまま「活動」と置き換えても文脈上大きなちがいはありません。活動こそが人間相互のつながりも、成果の喜びも生み出すものだからです。「やり甲斐」は達成感や機能快のよろこびです。「居甲斐」は人間関係から生まれるよろこびです。達成感は計画した事が成就する事;成功のよろこびです。一方の機能快は本来有する潜在力を機能させることで感じる快感のことを意味しています。人は自己の身体機能や思考能力を最大限に引き出せた時に快感を覚えると指摘したのはドイツの心理学者、カール・ビューラーだそうです。多様な趣味が人々の機能快を満たして,やり甲斐を支えている背景がここにあるでしょう 「居甲斐」とは変な日本語ですが,「ここに居るよろこび」を意味したつもりです。自分の存在が「嬉しい」ということを自己確認させてくれる人間関係を指しています。筆者は次のように説明して来ました。「あなたがいてよかった」と思える人は居ますか?この方々があなたが「愛する人々」です。反対に,あなたがいてよかった」と言って下さる人は居ますか?この方々があなたの「心の支え」です。二つあわせて「ここに居るよろこび」;「居甲斐」です。孤独の問題はこの「居甲斐」に深く関わっているのです(*1)。飯塚市「マナビ塾」の皆さんは活動の中にやり甲斐と居甲斐を見つけたのです

(*1)拙著、The Active Senior, 学文社、平成18年、p.68

5「居甲斐」と「やり甲斐」の危機
(1) 居甲斐の危機
「居甲斐」の危機は、一言で言えば、加齢に伴う人間関係の貧困化です。長生きして、生き残れば生き残るほど、自分に先立つ人は多くなります。職場を離れれば、職縁の仲間を失い、子どもが独立すれば子どもとの距離が遠くなり、親を失えば、血縁の絆は一気に弱まります。伝統的共同体が消失した現代の日本にとって、もはや、「地縁」はほとんど頼りになりません。それゆえ、加齢に伴う人間関係の貧困化を放置すれば、あなたを取り巻く好意的な人間群は確実に消滅します。「生涯現役」を志すものは、意識的、計画的に、従来の「縁」に代わる「新しい縁」を探し続けなければならないのです。 「新しい縁」とは「活動」によって培う縁のことです。高齢期の新しい縁の代表例は、生涯学習を共にした「学縁」、ボランティア活動のように志を同じくすることによって結ばれた縁;「志縁」、趣味・同好の仲好しが形成する「同好の縁」などです。「新しい縁」の形成に共通しているのは、活動です。活動は、必ず参加者の時間と行動を共通化します。それゆえ、活動の縁は、経験の共有によって培われる縁であり、「同じ釜の飯を食った」ことの縁です。労働が終了したあとの高齢期に、活動を離れれば、新しい縁と出会う機会を失うということです。
(2)「やり甲斐」の危機
「やり甲斐」の危機は、定年による労働からの解放、子どもが自立する子育て義務の完了の時点で発生します。職業上の労働も家族生活における子育ても、「社会的に必要とされた」活動という点で共通しています。活動は義務的です。手抜きは許されません。 職業上の労働の中でも、家事労働においても、私たちは、頭を使い、身体を使い、気を使い心身の機能はフル回転していました。課題を成功裡にクリアした時の拍手や、達成感や、機能快はもちろん、手応えのある成果が「やり甲斐」の原点だった筈です。給料も賃金も社会が自分を「必要」としたことの証明でした。家族の無事と幸福と感謝は、家事や育児のエネルギーの原点でした。 それゆえ、定年は、社会から要請され、自分を必要とした労働の終了です。子育ても同じです。定年は、第1部の人生のやり甲斐の対象をほとんどすべて喪失するのです。世間や仲間の拍手も、仕事の達成感、能力を発揮できた時の機能快も失います。もちろん、もはや労働の成果とは縁がなくなります。 平均寿命が80年を越えた人生は食うための労働と、自分らしく・よりよく生きるための活動に分かれます。定年や子どもの巣立ちが労働と活動を分けるのです。それゆえ、定年後に、あるいは子どもの巣立ち後に、「労働」から「活動」へスムーズに移行できなかった人は、頭を使うことも、身体を使うことも、気を使うことも一気に激減します。使わない機能が一気に衰え、消滅を辿ることは、「廃用症候群」の理論で証明されたところです。もちろん、衰えるのは心身の機能だけではありません。人生の成果も、達成感も、機能快も失うのです。危機への対処策はたった一つしかありません。「活動」に参加することです。気に入った活動がない場合には、自ら自分のやりたい活動を「発明」するしかないのです。「マナビ塾」はこの発明に当たる   6  総合的対処策    健康寿命を維持する結論を言えば、居甲斐とやり甲斐を失わずに活動を継続することに尽きます。活動には自分一個のための活動と家族のための活動、社会を対象とした活動があります。 社会的活動にも色々ありますが、もちろん、ここでは社会に寄与する活動を前提としています。すなわち、高齢期に入っても社会に対して何らかの役割や責任を果たし続けることが社会に寄与する活動です。それが「生涯現役」です。「現役」とは、「現」に「今」「役割」を果たしているという意味です。それゆえ、生涯現役の構成要素は、「生涯健康」と「生涯活動」と「社会貢献」です。前の二つは健康寿命と同じ意味です。さいごの社会貢献が加わると健康寿命は生涯現役に昇華します。「昇華」するとは物質が固体から液体の段階を経ずに一気に気体に変化する変化を意味しますが、元気で生きるに留まらず、社会を支えて生きるという人生の価値の次元が異なる変化であると筆者は考えています。「生涯健康」と「生涯活動」と「社会貢献」は、三つとも日ごろの精進なしには実現できないことです。具体的・総合的対処策を処方化すれば、「読み、書き、体操、ボランティア」の4つであると提案し続けて来ました。「読み、書き、体操」の三つは健康と活動を継続するためのカギです。ボランティアは当然社会貢献活動のカギです。「マナビ塾」は上記の条件をクリアしているのです。 それゆえ、生涯現役論は、「安楽余生論」に真っ向から対立します。精進の処方を実行に移すためには、意志が必要で、負荷が必要で、絶えざる人間交流が不可欠です。高齢者の「生きる力」は、気力と実行力が支えるのです。生涯現役を実行すれば、上記に分析した居甲斐の要素もやり甲斐の要素も保障できます。高齢期は、友を失い、仕事を失うだけでもさびしいのです。加えて、心身の老いは、老いそのものがさびしいのです。「生きる力」を保持する対処策を実行せずに、老いの試練に耐えられる筈はないのです。 自分流の時代、「生涯現役論」の中身はそれぞれの工夫次第で、もちろん、いいのです。但し、社会に関わり、活動を続けることこそが、唯一「衰弱と死」に向かって降下する人間の精神を守る戦い方であり、処方です。 社会は「マナビ塾」に類する活動を奨励し、促進の条件を整備し、貢献の成果を広く顕彰することが不可欠なのです。
NPO「幼老共生」(幼老共生まちづくり支援協会)スタート!
高齢社会対策のキー概念
NPO「幼老共生」が出発いたしました。最後の検討の結果、前号でお知らせしていた名称が上記のように変更になりました。これからの日本社会の問題は「幼老共生」がキー概念になるであろうという判断です。すなわち、日本社会が当面する問題は、子どもと高齢者に集中的に現れるであろうという関係者の認識が一致しました。中でも高齢者の元気と子どもの成長を同時に保障するためには「幼」の日常を「「老」が指導・監督する「共生のシステム」が欠かせないという認識を基本としています。日本社会が長年にわたって幼少年期の「保育」と教育」を分離して来た行政の愚行に気付けば、「保教育」の概念を一般化し、保育所にも、学童保育にも高齢者による教育指導を一気に導入することが出来ます。高齢者が子どもと接し、子どもの成長を支援するシステムが実現すれば、高齢世代はまさしく「日本昔話」の通り、祖父母が次々世代を育てる社会的任務と居場所を同時に確保することができるのです。 退職後あるいは子育ての終了後、現代の高齢者の多くは、社会から必要とされない年金暮らしの「世の無用人」となります。高齢者に子どもの見守りと指導を依頼するシステムが出来れば、高齢者は一転子育て支援になくてはならない「有用な人」に転化します。高齢者自身は日本昔話の背景を為すように、次々世代子を育成・指導する日々の居場所とやり甲斐を見出すことができます。また、福岡県の旧豊津町や飯塚市のモデル事業が実証したように高齢者の子育て支援活動は彼らの活力と健康の維持に重大なプラスの影響をもたらします。結果的に、自治体の医療費を軽減し、介護費は先に延ばすことにつながることは疑いありません。また、指導に当たる高齢者の研修方法さえ間違わなければ、彼らは人生の貴重な体験を生かしてたぐいまれな教育効果をもたらし、現行の子育て支援の内容と方法の足りないところを補います。ボランティアとしての「費用弁償」費を準備したとしても現行の財源の貧しさを補うことになるのは当然です「幼老共生」は高齢社会の中心問題を解決する基本処方の思想なのです。 すでに県に対する認証の手続き文書の提出は森本理事長の手で完了しています。本年12月頃には正式な認証となり、来年1月に設立記念フォーラムを実施する予定です。

§MESSAGE TO AND FROM§  
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。今回は白内障の手術から無事に生還いたしました。沢山のお見舞いを頂きありがとうございました。再出発し当面の目標に向って邁進します。お礼の言葉が足りませんが、皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
お見舞い有り難うございました
無事手術から帰還いたしました。十分な視力が戻らず辛い日々を送っておりますが、時間の経過でいい方向に向かうだろうという人々の励ましでようやく今月の「風の便り」を書き上げました。入院に際しまして沢山の方からお見舞いを頂戴しました。ボランティアの英語クラスのみなさんからまでお心遣いをいただき、やはり新著タイトル「自分のためのボランティア」の想定は間違いではなかったと感慨ひとしおでした。学文社に提出した原稿の校正作業も退院を待ったかのように届きました。入院・手術の時期は偶然以外の何ものでもありませんが、個人的には男性の平均寿命を目標にした最後の10年が始まると感じております。宗像での「死に方講座」の実施と平行して自分の遺書も書いて妻に渡しました。「短歌自分史」の方法を提案し、部分的に古希を迎える時期に重ねて実験を始めました。最後の10年は自分の死を意識して生きる10年になります。人生80年時代は退職から死までの間に病気や老衰や孤独への恐怖がますます大きくなりますが、健康寿命の維持に教育は何をできるのか。その間自分は何をしようとするのか。次の著作は「健康寿命への挑戦-最後の10年」の書名で問題の分析をしてみたいと決めました。お礼に代えて退院のご挨拶まで。

山口県Volovoloの会のみなさま
大寺和美さんのお骨折りで11月の山口移動フォーラムには周南市の島津幸男市長さんがご登壇下さることになりました。事務局の赤田校長にも報告し、準備を開始いたします。当日はお友達をお誘いの上ご参加いただけると幸いです。福岡からは飯塚市の森本精造前教育長の快諾もいただきました。ご期待下さい。

福岡県宗像市 山口恒子 様
いよいよお引っ越しですね。長い間いろいろとありがとうございました。あなたは私が大学改革の意気に燃えていた時も、失意のうちに人間を憎むようになった時も変わらずに助けて頂きました。悪夢の10年から解き放たれ、ようやく自分の居場所とやるべきことを見つけましたが、今度はあなたが遠くへ行かれます。年をとったあとの友との別れは再会を期すべくもないでしょう。 入院中病院で暗誦した李白の詩は今の自分の思いに重なります。お別れのはなむけに贈ります。
友人を送る    李白
青山北郭に横たわり   白水東城を巡る  此の地ひとたび別れを為さば  孤蓬(風に散ってしまう草)万里を征かむ  浮雲は遊子の意(浮き雲は旅に出るあなたの思いでしょうか)  落日は故人の情(夕日は送り出す私の気持ちです)  手をふるってここより去れば  蕭々として班馬嘶く

128号お知らせ
第102回生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年8月29日(日)14時30分-17時(今回も土曜日ではなく、日曜日です。お間違いなく。)場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
事例研究:「女子商マルシェ」体験教育プログラムの効果と衝撃-「模擬体験」授業から「実体験」授業へ(仮題)-益田 茂(福岡県立社会教育総合センター主任社会教育主事)論文発表:健康寿命の教育的方法-元気の構造と処方(仮題)(三浦清一郎)
第10x回移動フォーラムinやまぐち
主要内容と日程が決まりました。ご予定に入れていただけると幸いです。
主催:山口県生涯学習推進センター地域コーディネーター養成講座研修生同窓会日程:平成22年11月20日-21日(土-日)場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂)
編集後記入院十話 他人の入院の話などお読みになりたくはないでしょうが、筆者にとっては学生時代の盲腸の手術以来初めての長期入院で、経験は新鮮でした。感想は出来るだけ生涯学習に引き付けてまとめたつもりです。ご退屈でしたら平にご容赦下さい。
1 虫のようには生きられない
どこから入ったか消灯後の3階の中庭にコオロギが啼き始めました。前日が立秋でした。今啼かなければ、啼く時を逸するとでもいうように懸命に啼いていました。八木重吉の詩を思い出しました。
「虫」
虫がないている今ないておかなければもうだめだというふうにないているしぜんと涙をさそわれる
病院というところは俗事を忘れて「生きる」という生物の原点を思わせるのかも知れません。虫はなくことに集中できるが、私が虫だとして、今やっておかなければならないことは何か、と問われたらきっと答えられないでしょう。すでに妻に渡した遺書の中身を思い出して吟味しました。虫のように簡潔を旨としたいと思いながらも、人間には大切なものが沢山あり、虫のようにひたむきに一つのことのみを選ぶことはできないということを思い知っています。

2 必死に生きる
一日だけ小さな女の子が入院して来ました。“こわいよう!こわいよう!”と悲鳴に近い泣き声が聞こえました。気兼ねした家族も看護師さんたちも為す術がありませんでした。甘えて「だだ」をこねるわがままな子どもには怒りを禁じ得ない自分ですが、彼女の泣き声をうるさいとは思いませんでした。わがままでも甘えでもだだをこねているのでもなく、本当に恐かったのです。ひたむきで一生懸命で生きることの恐怖がむき出しで何もしてやれない無力の自分が哀れでした。八木重吉の虫の詩に通じるところがありました。いつの間にか忘れていましたが、子どもの頃は何もかも振り捨てて一つのことに集中して生きることが出来たのですね。

3 社交とコミュニケーションの条件
自分の商売柄、入院中にはだれとでも話をしてみようと勇んで来たのですが、実際は予想以上に難しく、職業生活の日常のようにはいきませんでした。「手術後しわまでよく見える」とか、「10年続けて来た蜂蜜が若さの秘訣だ」とか、「ルース大使は広島まで来てなぜ何もしゃべらないのか、あのばかが」とか話題は四方八方に散乱して双方向の対話・会話に加わることができないのです。 大学の寮生活のような雰囲気を期待して4人部屋を希望したのですが、高齢者の「前向きの会話」を持続することは決して簡単ではないことを思い知らされました。学生の頃は馬術や演劇や文学など何時も仲間と共通の話題がありましたが、病院の共通課題は眼病だけですから無理もないということなのでしょう。同じ活動を共にする「経験の共有」が先で、「コミュニケーションは後」というのがコミュニケーション促進の鉄則であるということをあらためて思い知らされました。退職後の人々のコミュニケーション不足が大問題であることは周知の事実ですが、社会的活動に参加しない高齢者のコミュニケーションを促進することはまず不可能に近い難事であるということを悟らざるを得ませんでした。自分が社交やコミュニケーションに困っていないのは社会教育が準備してくれる多様な活動のお蔭であることを再検証した思いです。
4 相性の条件
あいさつ以外ほとんど人としゃべらなくなって入院5日目、新しい発見がありました。人間同士「波長」が合うと感じる時の重要な判断材料は「声」であるらしいということです。上記の通り病室でも食堂でもロビーでさえも会話を続けられない自分にがっかりしていましたが、手術が終って眼帯をして視力を失い、手探りに近い状況で病院内を歩かざるを得なかったとき、たまたま食堂で食事をしようとした際、「この席よろしいでしょうか」と声がして私の前に一人の女性患者さんが坐りました。私は月並みの儀礼とあいさつの返事をしました。彼女も月並みのあいさつを返したのですが、その「声」を聞いた途端、この人とは話が通じると直観しました。初対面ですから確たる根拠はある筈もありませんが、ぼんやりお顔が見えてその声音やリズムや気を感じたとしか言いようがありません。直観は間違っていませんでした。食後も彼女と話が弾み、翌日は彼女が私を探してくれてふたたび話が弾みました。考えてみたらたわいのない病気のこと、痛みのこと、お互いの仕事のこと、人生でがまんしなければならないこと、庭の草花のこと、窓の外の入道雲のことなどを話しました。
20年前私はアメリカ、北カロライナ州立大学ローリー校の客員享受でした。孤独な研究生活に追い込まれていたのですが、その時も「声」に救われたことがありました。以下はその時の「声の出会い」の詩です。

「朝の並木で」
朝の並木ですれ違うあなたは黒人で私はオリエンタル朝のキャンパスのあいさつは頷く笑顔が素敵なことだ何百人にもであったが嫌な奴の多い世の中だグッドモーニングの声もいい広野に鐘が鳴るようだ昔二人は仲間だった密林の川で泳いだか、極北の海を旅したかとにかく二人は同志だった異国の秋は木の葉の雨だままならぬことも多いけれど分っていることさ この世のことだ!
日々の活動に共有する経験がなくても「波長の合う」人とは話ができるものだと上記3の結論を一部修正する事実を体験しました。「前世でお会いした」とか、「百年の知己のように」とか、「意気投合」とか、「ひとめぼれ」とかは確かにわれわれの人生に存在するのですね。

5 世論の作られ方
携帯電話の時代です。個室の公衆電話室が準備されていましたが、利用したのは私だけだったでしょうか!コモンスペースのところかまわず大声でしゃべりまくる携帯は現代の病院の最悪の現象の一つだと思いました。レストランなどと違って「やかましい」とも言えず、規則が決められていない以上ナースステーションにも文句は言えません。“ここには冷蔵庫もないのよ!テレビもないのよ!信じられる!(ロビーにはないが、廊下の奥の食堂にはあるのだ!)、今時ラジオなんかもって来ないわよね!なんとかしてよ!退屈で死にそうだわ”と続きます。長期入院の準備不足で時間を持て余した患者が知人に不満をぶちまけ、その同調者が彼女の周りに集まってそうだ!そうだ!と話が盛り上がります。この国の世論はこんなふうにできあがるのでしょう。しかし、自分の商売柄「民主主義は下らん」、とは口が曲がっても言えないのです。
6 おしどり夫婦か、従属の関係か!
となりのベッドの方は私より一日早い入院でした。到着の際に奥様が見舞いに来られていたので通り一遍のご挨拶をするに留めました。食堂で皆さんと一緒の食事もされることもなく、食事のお盆を病室に運んでいました。以来奥様は毎朝お出でになり、面会時間の制限ぎりぎりまで傍らに付き添っておられます。ほとんど二人は話をされず、奥様は刺繍をしたり、ご主人は寝転んで雑誌を読んだりしています。長年連れ添ったご夫婦というものは言語を交わさなくても側にいるだけでコミュニケーションは十分なのだと妙な感心の仕方をしていました。絶えずおしゃべりを続けている私たち夫婦とは流儀がちがうのでしょう。一日早く退院されて行きましたが、二人の様子は終始変わりませんでした。結果的に、最後まで、私は話しかける機会を逸しました。一方、私と妻とのコミュニケーションは一日2回の定時電話報告です。看護の状況、メニューの説明、医者の言葉、病院の流れ作業、脳トレの状況、FM放送で聞いたことなどなどを逐一説明します。その中でお隣りのご夫婦のことも上記のように報告しました。妻は吹き出して「なぞでもかけているの!」とひと言、「退屈でしょうに!可哀想な奥さん!」と言いました。「変わりたくない男」と「変われない女」だと言うのでしょう。見方は色々あるものです。私はもちろんやせ我慢をして、猛暑の中を見舞いになど来ることはないと妻を止めておりました。妻は手術の日と退院の最終日にだけ来てくれました。当分、病院百景、われわれのおしゃべりの材料に不足はないでしょう。

7  「正しい朗読」-自家製録音-脳トレ

一週間以上の入院は初めてのことなので退屈とどう向き合うかは最大の課題だと想定し、詩吟や講談や朗読資料を事前に探したのですが、宗像のミュージックショップでは見つかりませんでした。店長の話ではその種のCDやテープは一度も売ったことがないとのことでした。図書館で視覚障害者のための録音資料の有無も調べたのですが、貸し出し期間が短い上に、資料数も少なく自分の気に入ったものがありませんでした。更には目の悪くないあなたが何の用だ、と言わんばかりの応対にいささか腹を立てて止めにしました。日本の図書館は誠に不勉強で、長期入院とか遠距離の運転とかを想定したことがないのでしょう。サービス精神が欠如しているのです。アメリカでは車の運転者のために「クラッカーバレル」というチェーン・レストランですらもが様々な朗読資料を貸し出し、どこのチェーン店で返してもいいというシステムがあります。 運転中のテレビ視聴はもってのほかですが、朗読を聞くのはラジオを聞くのと同じですからこちらの方が遥かに安全です。今回の経験は山口県長門市の図書館運営協議会の委員長をされている林 義高さんに話そうと思ったことでした。 慌ただしく過ごしているうちにとうとう入院一週間前になりました。仲間の会合で私が話した図書館の朗読資料のことが話題になり、福岡県の図書館の本の読み方やストーリーテリングには厳しいルールが課されると聞きました。音読とか朗読とか言わずに「音訳」というのだということも後で聞きました。句読点に従うとか、一定の間をとるとか大まかな原則があることは理解できますが、読み手の感情が入ってはならないとか、「正しい読み方」は一つであるという言い方には大いに反発を感じました。まして聴覚資料は朗読ではなく、「音訳」であるべきだという考え方も馬鹿げていると思いました。私の商売に照らしていえば、「正しい講義」の仕方が一つであるはずはないからです。一体誰がその「正しさ」の基準を決めるのでしょうか?書くことに「文体」があるように、読み方に読み手の口調やリズムや調子が反映されるのは当然のことです。話に「話法」があり、朗読にもそれぞれの「芸」があってしかるべきでしょう。世阿弥が喝破した通り「型より入りて、然る後に型より出る」ことは教育の極意です。「型通り」だけが大手を振って世の中を席巻するようでは個性も芸も不要になります。私が漏らした感想に対して、下関の永井丹穂子さんからわが自家製朗読を聞いてみたいというメールをいただいたのを引き金に「泥縄式」に、猛然と朗読資料の手づくり自家作成に取りかかりました。唐詩撰のなかから李白や杜甫の名詩の数々、現代名詩選から藤村から萩原朔太郎、中原中也、立原道造、井上靖まで近代詩の数々、啄木の歌100首、藤沢周平の短編から「玄鳥」、「三月の鮠」、「夢ぞ見し」の3編を選んで朗読し、自分で録音資料を作成しました。
かくして、患者相互のコミュニケーションが思い通りに進まず、妻の見舞いを断ったやせ我慢の時間は出来るだけ暗誦の脳トレに励みました。詩はほとんど全部を暗誦しました。暗誦した中原中也の「冬の長門峡」の最後は「やがても蜜柑のような夕日欄干にこぼれたり、ああそのような日もありき、寒い、寒い日なりき」と終ります。私も人生の69年目で病院の窓から純白にそびえ立つ積乱雲を焦がれるように見ていました。「純白の積乱雲窓外にそびえ立ち、吾は病院にありき。ああそのような日もありき、暑い暑い日なりき」、とノートに書きました。

8 分業によって欠如するのは「親身さ」です
病院は快適でした。看護も医療も実に正確でてきぱきと行なわれました。初めは何の不満もありませんでした。看護も医療も初めに予告された通り決まった時間に決められたことが確実に行なわれました。多くの入院患者がいるので大勢の看護師さんが交替で勤務していました。誰が来ても同じ質の、同じレベルの看護が行なわれました。補助者が担当する目の検査も同じように見事に計画的に行なわれました。医師の診察も流れ作業のごとく決められた時間に行なわれました。現代の労働は「平準化」、「マニュアル化」が原則なのです。退院の直前の6日目くらいになって気付いたことがあります。欠如しているのは「親身さ」であると・・。 分業は正確で、効率的で、均質を保つことはできますが、分業に関わる人々が全体を見ることはできません。誰一人私の全体を見る人はいないのです。接客は「マニュアル通り」です。どの看護師も、担当の医師もそれぞれに自分の義務をきちんと果たしているのですが、患者に寄り添うことはできていないのです。人が機能によって生き始め、分業によって職業が成り立つとき、人間が失った者は「親身さ」であるということに気付いたのです。最終日に、仮眼鏡の処方を作ってもらったのですが、若い検査技師が眼鏡視力の調整をしてくれました。書くことが商売で、コンピュータ-を毎日使う、とか本も一般人よりは沢山読むから近くを見る眼鏡が重要であることを種々説明しました。 しかし、二人の検査技師はどこまで親身に聞いてくれたでしょうか!?「手術後は仮の眼鏡で、視力は次の2-3ヶ月で大きく変わるので正確さは余り意味がない」という主旨の説明を繰り返しました。最後には病院が契約している眼鏡屋があるのでそこへ行きなさいということでした。彼らは効率的で、与えられた仕事はきちんと果たすのですが、「親身さ」に欠けているのです。親身さが欠ければ相手の立場に立つことは難しくなります。検査の間中彼らは本気で私のことを心配してくれてはいないということを痛いほどに感じました。「親身さ」は、マニュアル化した効率的分業の中には存在しないのです。 退院の前の日から付き合いの長い街の眼鏡屋さんに事情をお話しして連絡しておいたので、彼は待っていてくれました。彼は、私の職業も日々の暮らしぶりもよく知っているので、誠に親身になって、遠くを見る眼鏡も、近くを見る眼鏡も、あれこれいろいろレンズを入れ替えて試しながら、私に一番いいのはこれだろうという眼鏡の度数を選んでくれました。しかし、彼が測定してくれた通りの眼鏡は作れませんでした。病院が作成した処方があるかぎり処方通りの眼鏡を作らなければなりません、ということでした。 しかし、近いところは見えにくいでしょうね、という感想でした。彼の再検査では、若い検査技師が作成した処方の度数では私の生活には合わないだろうということでした。事実、「風の便り」の文字も半分霞んでしか見えないのです。私は、若い検査技師が流れ作業の中で私の話を聞き流して1-2度レンズを代えただけで、処方した結果ですから無視してあなたの思うように作っていただきたいと頼みましたが彼は静かに首を振るだけでした。あと2-3ヶ月は毎日、親身さの欠如した流れ作業のやっつけ仕事を思い出して腹を立てながらコンピューターを打つことになるのでしょう。
9 政治家の頭
食堂で子ども手当が話題になっていました。「くれるというものは貰っておかなくちゃ」、「そうよねー!」「娘も二人目を生んでおけばよかったのよ」、「あら、お宅も一人っ子ですか」、「でもお金もちにまで配ることはないと思うけど!」というように続く。民主党は「扶養控除」の代わりだから所得による差別化はするべきではないと言う。しかし、「扶養控除」が富裕層に有利であるというのであれば、そこにこそ所得制限をかければいいだけのことであろう。少子化を止めようとするのであれば、二人目以上の子どもにだけ少し手厚い子ども手当を付ければ出産の動機づけになることは上記の会話から明らかであろう。自分たちの楽しみや職業が優先で子どもはいらないという人は子ども手当に誘われて出産・育児に方針転換をしようとは思わないであろう。 自分流の時代の少子化対策の最大の困難は、「育児」のみに縛られる人生は送りたくないと若い母、若い夫婦が考えるようになったことです。古い世代も、「変わりたくない男」たちも「育児」より大事なことがあるか、と叫ぶのですが、「育児」に匹敵する「やりたいこと」は現に沢山あるのです。 それゆえ、答は「養育の社会化」しかないのです。不可欠なのは世間があっと驚く規模とないようの「養育支援」のシステムを創る事です。その時、保育所と学童保育に熟年者による教育プログラムを導入して「幼老共生」を実現することが子どもの元気と女性の元気と熟年者の元気を同時に保障する方法です。こうした答は折角国民が政権を与えた民主党の政治家の頭でもむりなのでしょうかね!?上記に報告したNPO幼老共生の方向は決して間違っていないのです。

10 最後の10年
高齢社会とは退職や子育て後の生涯時間がますます長くなる社会をいいます。平均の生涯時間は20年、女性の場合は30年近くになります。生涯時間が長いということは、換言すれば「衰弱する過程」の長い社会であり、「老いや死を意識して生きる時間」が長期化する社会を意味します。 筆者も来年早々に70歳代に踏み込みます。男の平均寿命を考えれば、最後の10年にさしかかるということです。病院のベッドに寝ていると己の終末についてもいろいろ考えさせられます。今回の白内障に限らず、生老病死が集約してこの10年に出て来ることでしょう。人生の総括をしなければなりません。遺書は一応書き上げ妻に渡しました。葬式の仕方も遺言に含めました。倒れた時の「風の便り」の読者へのごあいさつは教え子に託しました。残された課題は死に向って如何に生きるかということになるでしょう。子どもや孫に語り継ぐべきことはないか、友人や仲間に伝えて置かなければならないことはないか。じたばたしても詮無いことですが、それなりに波乱の多かった人生、心残りがないわけではありません。自分がそう思うのであれば、他の方々も同じように、最後の10年はそうした振り返りの10年の特性が強く出るだろうと予想します。近隣の市町の知り合いの社会教育担当者に頼んで、高齢者学級の分科会に懸案の「短歌(俳句)自分史」を加えてもらい、総括の支援と指導に着手しようと決心した次第です。