「風の便り 」(第127号)

発行日:平成22年7月
発行者 三浦清一郎

没落の分岐点
週間点検チェックリスト
* 数字はそのまま評価点です。
* 1週間を基準とした高齢者の生活で5つのチェック項目の合計点を評価してみて下さい。10点は没落の分岐点です。万一、10点を下回っていたら急速に老化が進みます。ご注意下さい!!

I 生活の自律・自立度

4・・日常の家事はなにごとも自分できます。半分以上は自分でしています。
3・・やろうと思えば、日常の家事は大体自分でできます。半分まではいかないが自分でするようにしています。
2・・あまりできないが、自分でするように務めている過程にあります。
1・・ほとんどできません。自分でするように心がけなければならないと思っているところです。
-1・・ほとんどできません。今のところ自分でしようとは思っていません。

II 読み書きそろばん話し合い

4・・毎日会話し、読み書きを続けています。
3・・週の半分くらいは会話や読み書きを意識して実行しています。
2・・そういう機会を探しているが中々実行できていません。
1・・ほとんどやっていません。実行する機会も意識して探してはいません。
-1・・読むことも話すことも書くことも嫌いです。

III 肉体の維持・鍛錬を意識した体操を励行していますか?

4・・毎日身体を動かし、体操もして筋肉、筋、間接などが固定しないよう心がけています。
3・・週の半分ぐらいは意識的に身体を動かし、体操もしています。
2・・日常の家事以外運動は週1回程度です
1・・意識的に運動はしていません。

IV 社交と活動(労働)への参加

4・・定期的に仲間に会い、定例的な活動も行っています。
3・・時々は仲間に会い、気が向けば各種の活動にも参加します。
2・・たまにしか外に出ることはありません。行き来している仲間も決まっていません。
1・・特別のことがある場合以外は社交にも活動にも参加することはありません。
-1・・活動も社交も好きではなく、人付きいはしていません。

V 目標はあるか、目的に向かって生きているか

4・・1ヶ月先、半年先、1年先など近未来の目標があり、目的を持って生きています。
3・・目的を持って生きていますが、当面の具体的な目標はありません。
2・・その時々の興味と関心に対応して生きていますが、明確な目標はありません。
1・・目標とか目的とか意識したことはありません。

I 生涯現役の構成要因

生涯現役の処方は「読み書き、体操、ボランティア」です。どの一つを怠っても「現役」は貫徹できません。「現役」とは「現に今」、社会的な「役割・役目」を果たしているという意味ですから最後のボランティアは最も重要です。年をとってもお元気を保っているのは「生涯健康」、熟年が趣味の活動に楽しみを見出しているのは「生涯活動」、社会を支えるボランティアのような活動に参加していることこそ生涯現役です。それゆえ、生涯健康と生涯活動は生涯現役の前提条件です。
「読み書き」は頭脳のトレーニング、「体操」は肉体の維持・鍛錬、「ボランティア」は社会貢献・社会参画がもたらす総合的な居甲斐とやり甲斐の創造過程を意味します。生涯現役もまた人生の「生き甲斐」を切望するという点で他のあらゆる人生と原理的に変わるところはありません。ここで「総合的」とは頭脳も肉体も精神も感情も人間の諸器官を総動員した活動を前提としています。したがって、「読み書き」と「体操」はボランティアを通して社会に参画する日のための日常の「準備運動」になることをイメージしています。また、居甲斐とは「あなたを取り巻く好意的な人間関係」の中の交流や社交を意味します。居甲斐とは「ここに居る甲斐」、すなわち皆さんにお逢いできてよかったという実感のある人々とのお付き合いを意味しています。一方、「やり甲斐」は日々の活動が原点です。活動の楽しさ、自分の能力を発揮することの快感:「機能快」、活動成果の確認などが「やり甲斐」を構成する要因です。

II 生涯現役の処方-点検の視点

上記の処方は本人の自律と自立を前提としています。自分のことは自分で決め、決めたことは基本的に自分で実行するということが自律であり、自立です。評価法は4点満点です。
4点は「良くできている」、3点は「まあできている方だ」、2点は「どちらかというとできていない」、1点は「全くできていない」です。-1点は「やる気がない」場合です。平均3点以上は合格、2点以下は不合格です。平均点が2点以下の場合、加齢とともに一気に心身の機能の衰えが加速することになります。重々お気をつけ下さい。

1 生活の自律・自立度

炊事も洗濯も掃除も身の回りのできることは全て自分でする態度を保っているでしょうか?生活の自立は構想力と実践力の総合です。自律的生活には人間能力のすべてが総動員され、共同生活においては段取りと思いやりが基本です。(男女共同参画の視点から男性には特に重要な視点です。)

2 読み書きそろばん話し合い

読み書きとは古人が重んじた「読み書きそろばん」に「会話」を加えた脳の働きを重視するという意味です。もちろん、人間の言語活動の全体を代表して使っているので、日常の会話、他者とのコミュニケーションを含んでいます。簡単にいえば、高齢者の絶えざる「脳トレ」です。
「生きる力」の基礎は「体力」、土台は「耐性(がまんする力)」ですが、高齢者に体力と耐性のトレーニングを命じるのは本人の頭(精神)です。高齢者の頭が耄碌し精神力が衰退すれば自己トレーニングの重要性の自覚と実践への意志力を失います。それゆえ、高齢者にとって、最も重要なのは意識と意志力です。生きる力の基礎(体力)と土台(耐性)は高齢者の意志が守るのです。読み書きは頭脳のトレーニングですが、頭を鍛えるのは意志と精神力を維持するためです。
会話は毎日していますか。新聞、雑誌、小説その他毎日何かを読む習慣を持ち続けていますか?日記。はがき、手紙、俳句、詩歌その他何かを書き続けるということを意識して実行していますか?脳のトレーニングの研究では、対話や音読が脳の基幹部分の「前頭葉連合野」にとって効果的であることが証明されています。

3 肉体の維持・鍛錬を意識した体操を励行していますか?

子どもの頃に習ったラジオ体操が一つの基本です。体全体をほぐす、血行を良くする、バランスを試す、柔軟性を保つことなどを意識して個々の筋肉を動かし、関節を動かし、筋を延ばし、跳んだり、曲げたり、かがんだり、伸びたり身体のあらゆる部分を動かすように運動して下さい。スポーツや労働はもちろん身体を動かし、内蔵や心肺機能を鍛えることも重要です。その際、基本の体操は馴らし運動であり、準備運動です。日常の怪我や事故を防ぐためにも念入りに繰り返し行なう準備・整理運動が大切です。使わない機能は使えなくなります(廃用症候群)。ほどほどの「負荷」をかけて使い続けることが大切です(生理学者ルーの3原則)。

4 「自分のためのボランティア」
「やり甲斐」の追求-活動の創造・活動への参加

高齢者にとって一番大事なのは日常における活動の摸索-「やり甲斐」の追求です。活動は体力から精神力まで人々の諸機能を総動員します。廃用症候群の原理に照らしても、「使わない機能は衰える」ということですから、活動している人はお元気を保つことができるのです。高齢者の方々は元気だから活動しているのではありません。活動しているからお元気を保っているのです。
高齢者に推奨されるべきは生涯現役です。生涯現役だけが「やり甲斐」を保障してくれます。活動の究極は他者支援・社会貢献です。具体的な方法は他者支援を内容としますが、基本は「自分のため」です。唯一、他者支援の活動のみが世間の賛同と賞賛と感謝を集めることができます。自分の居場所と必要とされて生きるステージが保障されます。やり甲斐とは人々に必要とされて生きることです。週1回、月1回のボランティア活動から始めましょう。活動は活動者の目標を創り出します。また、一度目標ができると、今度はその目標が新しい活動や人間関係を創り出します。活動と目標は相互に影響し合いながら、人々の生活を豊かにして行くのです。

5 「居甲斐」の探求-社交の創造・グループサークルへの参加

居甲斐とは「ここに居てよかった」、「みなさんに会えてよかった」という実感を得られる幸福な状況を意味しています。それゆえ、居甲斐を決定するのはあなたを取り巻く好意的な人間関係の総体です。好意的な人間関係とは「あなたに逢えてよかった」と言って下さる人々、またはあなたから見て「この方々に逢えてよかった」と思える人々の両方を意味します。そうした方々との交流や共感的な関係があなたを取り巻く好意的な人間関係です。通常、社交はそうした人間関係の中で行なわれます。自分が気に入らない人と付き合うことも時にはありますが、継続的な人間関係にはならないでしょう。特に、自由な高齢者にとって、社交の人間関係は「選択」が原則だからです。

生涯教育立国論-未来の必要

過去の軌道を延長するだけで未来の必要は見えません。未来の必要は過去を飛躍させ、未来の目標を想定する中から生まれて来ます。優れた過去の実践事例も必ず現実の制約条件の中にあり、政策の必要・十分条件を妨げた所与の環境の中で生み出されました。
現状と妥協せずあるべき事業やシステムを論じない限り、未来の必要に応える政策は生まれて来ません。生涯教育なしに変化の時代の成長も進歩もあり得ません。生涯教育立国とはなかんずく国民の資質の向上を意味します。生涯教育がもたらす施策の総体が未来の社会のあり方を決定します。
1 技術革新を支えるのは生涯教育です。変化への適応、変化の創造こそが生涯教育の目標です。
2 生涯学習を国民の主体性にまかせて国民の資質の向上はあり得ません。人々の欲求の平均値が「パンとサーカス」に集中するのはあらゆる娯楽の宿命です。テレビも雑誌も生涯学習もこの宿命を逃れることはできません。
3 生涯学習から生涯教育への概念の転換は不可避の課題です。
4 平均寿命ばかりが伸びて、健康寿命が伸び悩んでいるのは高齢者教育の停滞が原因です。子どもがへなへななのは学校教育はもとより地域の鍛錬教育の停滞が原因です。幼保一元化はもとより保教育プログラムの導入が不可欠です。

1 生涯学習概念に見切りを付ける!

政権交替を含め、時代があらゆる面で変化しています。変化は必ずわれわれに新しい状況への適応を要求します。生涯学習もあるいは社会教育も今までの仕組みややり方を全面的に評価し直す時期が来ているのだと思います。
近年の政治は明らかに,社会教育も生涯学習も評価していません。故に,予算が削減され,人員が削減され,公民館を始め社会教育・生涯学習関係の施設も確実に指定管理制度によって行政の直営から外れています。この傾向は今後ますます強まって行くと予想されます。生涯学習概念の登場によって,社会教育は国民が選択する学習と等値され、教育者を主役にする生涯教育の概念は否定されました。国民の向上を志向する教育政策論は「生涯学習」の中身と方法は国民主体決定すべきものであるという教育民主主義の「ゲンリ主義」の前に沈黙を余儀なくされました。中身の決定は主役の主体性の問題であるということが「ゲンリ主義」の中心原理だからです。「主役」が中身を論じない以上、政界も、行政も、学会すら国民にあるべき学習の中身を示唆、提案、指示、勧告はためらわれたのです。「生涯学習」の旗を掲げた以上、決定の主役である国民に「あるべき学習」を「説教」することは、主体性への干渉であり、越権であり、烏滸がましいことだからです。行政システムにおいても,社会教育課の看板はほとんど全て「生涯学習課」に書き換えられ、業務内容は国民が選択する「学習」の環境整備と振興ということになりました。
国民が選択した「学習」は国民の平均値を越えることはなく、「パンとサーカス」に傾いたことは、視聴率と広告収入に依存するテレビ番組と同じ運命をたどったのです。それでも文部科学行政は生涯学習が陥った深刻な状況に抜本的な対応を怠りました。教育基本法は国民が選択する生涯学習を認知したに留まらず、生涯教育が時代の変化に対応するために登場した原点を忘れて、「人間一生勉強が大切じゃ」というありきたりの「べき論」を方に盛り込んだだけに終わりました。社会教育法も軽微な部分修正に終始して根幹はそのままに放置されました。少子高齢化を始め、時代の緊急課題が噴出する中で,そうした課題に対処すべき、社会教育法に代わる新しい生涯教育を推進する法律も制定されませんでした。また、臨教審時代に別途制定された生涯学習振興法はほとんど全く現実に寄与していません。そのことは、現在、誰一人この法律の存在を論じないことからも明らかでしょう。教育基本法の改正における生涯学習の捉え方は,生涯にわたる“国民の修養”と等値され、技術革新に伴う社会的適応の必然性の視点を完全に欠落しました。生涯学習の必要は国民に修養のためではなく、間断なく発生する社会的条件の変化の連鎖が生み出したものであることを忘れているのです。もっとも重要な教育の基本法においてすら、国民のあるべき生涯学習を立国の条件として認知しなければ、その推進の仕組みや実践の推奨が政治課題、行政課題になる筈はないのです。生涯学習は国民の欲求を取って、社会の必要を軽んじました。生涯教育の機能は、生涯学習を国民の欲求の前に放任した立法関係者の不勉強の結果、明らかに政策論議の過程で過小評価されているのです。

2  国民主体と国民放任の混同

更に,基本法の改正は家庭教育に関しても重大な状況判断のミスを犯しました。「早寝早起き朝ご飯」のスローガンに象徴される家庭の教育機能の衰退に直面しているにも関わらず,状況を補完すべき社会教育のあるべき指針も,学校の閉鎖性や学校外の子どもに対する非協力性にも触れることなく、関係分野の連携の「在り方」も謳われる事はありませんでした。驚くべきことに,一方で、家庭の教育機能の重要性を喚起しながら,現状に目をつぶって、過保護の親を過信し、「家庭の自主性」を尊重するという文言が条文に挿入されました。国民の主体性を尊重するということと現状の国民を放置することとが混同されたのです。事、生涯学習に関する限り、教育基本法の改正は,時代の分析と立国の条件を忘れ果て、本質を外した誠にお粗末な条文になったのです。

3  「生涯学習格差」の深刻化

一方、登場した生涯学習の思想と実践は,第1に教育行政の努力、第2に時代が求めた変化の連鎖現象が相俟って、広く国民の間に浸透しました。現象的には,市民が学習の主体となり,学習者の両的拡大、学習課題の範囲の拡大が顕著にみられました。生涯学習はようやく多くの国民の常識の域に達し,日常の実践的課題となりました。しかし,生涯学習概念の導入以来、2つの重大な問題が発生し、進行しました。第1は,学習が「易き」に流れた事であり,第2は「生涯学習格差」が拡大し続けた事です。社会生活上の指針や法律上の規制を課さない限り,人間の行為が易きに流れることは欲求の実現を求める人間性の自然です。生涯学習の選択主体が国民になった時点から,学習の機会と選択の仕組みは教育行政の任務とされながら,学習内容と方法の選択は国民に任されました。その結果,人々の学習は、「社会の必要」から離れ,「個人の要求」を重視したものに傾きました。
社会教育行政が辛うじて保って来た「要求課題」と「必要課題」のバランスは崩壊し,内容・方法の決定にあたって、教育に関わる専門家の参画は一気に低下し、国民の興味・関心は、楽で、楽しい「パンとサーカス」を追い求めるプログラムに集中しました。少子高齢化が進行し,日本国家の財政難が明らかになった今日、“人々の娯楽や稽古事をなぜ公金を使って提供するのか”という政治・財政分野の批判的意見は誠に正鵠を射ているのです。公金の投資が社会的課題の解決に寄与しないのであれば,予算・人員の削減は理の当然の結果だったのです。日本社会がその特徴としてきた「行政主導型」の社会教育・生涯学習の推進施策が失速するのも当然の結果なのです。
もちろん、学習の選択主体となった市民は「選択を拒否する主体」ともなりました。その結果、生涯学習や生涯スポーツを「選んだ人」と「選ばなかった人」との間に巨大な人生の格差が生まれつつあります。変化が連鎖的に続く時代状況は、必ず変化に対する適応の「成否」が問われる時代になります。故に,「生涯学習」の成果が、個人の生活に重大な影響を及ぼすことになるのです。高齢社会において,健康に関する学習や実践を怠れば「健康格差」が生じ,情報化の時代において、情報機器が使えなければ「情報格差」が発生し,人生80年時代において、活動を停止した高齢者には「交流格差」や「やり甲斐」の格差が発生する事でしょう。社会的条件の変化が生涯にわたって連鎖し続ける時代背景を想定すれば,生涯学習によって学んだ事の格差は、社会的課題についても,発達課題についても、個人の適応の成否を分け、人生の明暗を分けることになるのです。「生涯学習格差」の深刻化 が放置されれば,あらゆる分野で社会問題を引き起こす要因に転化することを恐れます。技術革新が続き国際化や情報化が“待ったなし”の条件下で,国民の生涯学習に遅れを取った社会は、産業でも貿易でも立国の条件に遅れを取ることになります。さらに、子育て支援の施策に失敗すれば,未来を支えるべき生産人口は減少の一途を辿ります。高齢者の自立と生涯現役を続ける活力と思想の涵養に失敗すれば,社会は活力を失い,財政負担は次世代の堪え難いものになることは火を見るより明らかです。日本の生涯学習振興行政はこれらの全てに失敗したのです。

3  評価視点の偏向

政治も行政も「パンとサーカス」に走った生涯学習の「負」の結果には正当な評価を下しました。しかし、変化に適応し,立国の条件を形成する生涯教育の「貢献」の重要性を見落としたのです。少子高齢化が引き起こす問題を解決するためにも,国際化,情報化の変化に適応して行くためにも、国民の「適切な学習」が不可欠です。それゆえ、国民の適切な生涯学習の継続こそが立国の条件になり得るのです。教育基本法の改正にも,社会教育法の改正にも,立国の条件となり得る生涯学習振興の適切な指針は盛り込まれませんでした。誰も語ることのない生涯学習振興法も、市民が果たすべき「適切な学習」の中身と方法は問うことはありませんでした。「生涯学習の振興」が立国の条件を形成し,現行行政分野のほとんど全てに関わるという事実にも関わらず,当時の,文部省と通産省のみが参加した「生涯学習の振興」のための法律にどれほどの意味があるのか,その後の政治も,行政も問い返すことはありませんでした。勉強の足りない政治家はもとより,担当官庁やその周りにいる学者達は一体何をしていたのでしょうか。現行行政の縄張りや省益に振り回され,あるべき「仕組み」も,為すべき目標も示されませんでした。生涯学習機能の評価に偏向や怠慢があったと言われても仕方がないのです。

4  指針なき「適切な学習」

民主主義の原則を教育に適用し、生涯学習の選択主体は国民であると突き放した時、各分野の専門家の支援なくして、市民は「適切な学習」に戻ることができるでしょうか。法や政策に示される指針を欠如したまま、生涯学習にふたたび「社会の必要」の視点を導入することは可能でしょうか。生涯学習に「社会の視点」を導入するという事は、現行の国民主体の学習に、諸分野の専門家が発想するあるべき生涯教育の視点を付加することを意味します。
教育基本法や社会教育法など諸法律の改正は、生涯学習の意義と方向を示し,実践の仕組みと指針を提示し,市民に「適切な学習」を推奨することが任務だった筈なのです。確かに、文部科学省も「現代的課題」とか「新しい公共」という視点から、あるべき「適切な学習」を摸索しました。それでも根本において、学習の選択を国民に委ね、滔々たる「要求対応原則」の流れの中では、惨めな失敗に終ることは当初から明らかだったのです。現行の生涯学習が政治の信頼を失ったのも,結果的に、生涯学習推進体制が衰退したのも、政治や行政自身がその真の重要性を理解せず,法も施策もあるべき方向と指針の提示を行なわず、日本の生涯学習が「適切な学習」の選択に失敗したからなのです。

127号お知らせ

第102回生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年8月29日(日)14時30分-17時(今回も土曜日ではなく、日曜日です。お間違いなく。)
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)

事例研究:「女子商マルシェ」体験教育プログラムの効果と衝撃-「模擬体験」授業から「実体験」授業へ(仮題)-益田 茂(福岡県立社会教育総合センター主任社会教育主事)
論文発表:健康寿命の教育的方法-元気の構造と処方(仮題)(三浦清一郎)

第10x回移動フォーラムinやまぐち

主要内容と日程が決まりました。ご予定に入れていただけると幸いです。

主催:山口県生涯学習推進センター地域コーディネーター養成講座研修生同窓会
日程:平成22年11月20日-21日(土-日)
場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂)
内容原案:登壇者は全て交渉中です。
初日11月20日(土)
15:00-16:00 特別インタビュー:山口県周南市長 島津幸男、会員制市民学習システム「周南再生塾」創設の思想と方法(聞き手:三浦清一郎)
16:00-16:30 質疑/休憩
16:30-17:15 政策提案1 「自由の刑」と退職者の未来計画、三浦清一郎
18:00-懇親交流会
第2日11月21日(日)、9:00-11:30
政策提案2:リレー提案と共同討議「未来の必要」;コーディネーター三浦清一郎
1 市民学習集団の組織化の効果と意義-たぶせ雑学大学の14年、三瓶晴美(山口県田布施雑学大学)
2 放課後「子どもマナビ塾」の教育性、経済性、創造性 森本精造 飯塚市前教育長
3 「未定」古市勝也(九州共立大学)
4 「財源補助」の評価視点と補助効果の点検法 重村太次(山口県きらめき財団)

「NPO生涯教育・まちづくり支援協会」の設立について

「生涯学習フォーラムinふくおか」の実行委員を中核として標記のNPOを設立することにしました。
1 理事長に森本精造前飯塚市教育長、副理事長には古市勝也九共大教授、飯塚市で活躍中の窪山邦彦氏、大島まな九女短大准教授の3名をお願いしております。
2 「看板」には、「生涯学習」概念の限界性を考慮して「生涯教育」とし、まちづくりの教育的機能の重要性を意識した支援活動を強調する名称を採用しました。
3 活動内容は新しい未来の実験に挑戦すべく様々な構想を摸索して行きます。今後の「生涯学習フォーラム」はそうした実験的実践の後ろ盾となる研究会であるべきだと考えております。
4 それゆえ、従来の「生涯学習フォーラム」は「生涯教育・まちづくりフォーラム」と名称を変更し、主催は標記のNPOにする予定です。
5 設立総会は平成22年8月1日、15:00-、場所は飯塚市穂波公民館の予定です。

主旨にご賛同いただける場合にはどうぞ上記の時間・場所にお運びいただき仲間に加わっていただきたくご案内申し上げます。

§MESSAGE TO AND FROM§

お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。今回は白内障の手術の直前なので一行書き短文のお便りを多くいたしました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

福岡県宗像市 牧原房江 様

ここにお一人分かって下さった方がいた!ありがとうございました。

高知県 小松義徳 様

100回記念フォーラムを終えて、原稿を出版社に出して、気が抜けています。「気が抜けること」こそまさに「老い」そのものの正体なのでしょう。戦わねばなりませんが、手術が終る迄は目が不自由です。短いメッセージを重ねて「弱気の虫」、「泣き虫」と戦っています。

山口県周南市 大寺和美 様

雨の「回天基地」は忘れないことでしょう。再生塾の件ありがとうございました。会費制の勉強会は福岡フォーラムの重要なヒントになりました。

山口県 田中隆子 様、西山香代子 様

田中様、今回はさっそく「レフリー」配置のご配慮をいただき感謝申し上げます。ありがとうございました。
西山様、対談が流れたのは残念でしたが、ものごとが成るには「時」が必要です。論客は全国にあまた居る筈です。諦めずに新しいプログラムを考えてまたやりましょう。

長崎県佐世保市 左海 道久 様

いただいた感想は何よりの励みになります。過分の郵送料もありがとうございました。

鳥取県米子市 卜蔵久子 様

初めから終わりまであらゆることにお気遣いいただき感激しております。特に、7/10の朝の聴講者はあなたが広報をなさって下さったとお聞きして陰のお力を実感しました。

山口県長門市 林 義高 様

実践に勉強にとにかく颯爽たるものですね!後期高齢者になって自分もあなたのようでありたいと切に思います。
小生いよいよ目の手術に入ります。しばらく執筆も読書も中断ですが、久々に詩吟や講談や朗読のCDを買い求めて聴くことにします。戻りましてご披露の出来る日を楽しみにしています。

山口県下松市 三浦清隆 様

ご病気からの回復、お元気を取り戻しつつあることを実感しております。過日の篠栗町へのご質問は現代日本社会の普遍的な問いになるでしょう。フォーラムへの継続的ご出席がお元気を支えることになるであろうと期待しています。夏のお気遣いを頂きありがとうございました。

編集後記
老いるとは

8月の上旬に白内障の手術を受けることにしました。執筆を生業としながら日常の読み書きが不自由となり、老いを実感せざるを得なくなっています。かつて自分が書いたものを反芻するように読み返しています。
人間が「老いる」とは、「意識するとしないとに関わらず、加齢に伴う心身の衰えと戦い続ける過程」をいいます。「戦い方」で晩年の在り方が決まります。戦いが不可避であるとすれば,問われているのは,意義ある戦いをできるか,否かになります。
老後の養生、精進,自己教育と自己鍛錬の末に「自分」を失うのであれば、それはそれで仕方がありません。人生に仕方のないことはいくらでもあるのです。しかし,「仕方がない」に至るまでにどれだけの努力をしたのか,が問題なのです。高齢期の努力の内容と方法について,己の「判断」と「選択」の意志を持ち続けたか,否かが問われているのです。
高齢期の生き方を変えることは高齢者の人生を変えるに留まりません。若い世代の人生をも変えることになるのです。
若い世代は、どんな風に老いて行く両親を見たいでしょうか。両親が自立して,生き生きと生きれば,家族に活気が満ち、社会の活力が向上し,医療費を抑制することが可能となり,介護費は少なくとも先送りすることができます。
人生50年であった時代の「余生」と人生80年時代の「老後」とでは全く状況が違うのです。第一、余生とは“あまった時間”を意味しています。生涯時間が20年に達した時代の「余生」の概念は,高齢期のスタートにおいて、そもそも生き方を「積極的」に発想する姿勢に欠けています。「隠居」,「遁世」、「閑雅」などの暮らしの「美学」は人生50年時代の産物です。趣味とお稽古事に明け暮れる高齢者の生涯学習も安楽余生論の伝統です。目の手術が終ったらふたたび現役に復帰して読者の皆様に論戦を挑む日を楽しみに病院という当面の我が“戦場”に行って参ります。

様々の事果たしたり
一杯の
ココアの前に安堵する朝

さんざめく研修生の真ん中で
母に抱かれし
赤子安らか

来る年も切に逢いたいと願いたり
小鳥のごとき
合歓の花ぞも

あばれ梅雨上がりて
森のあちこちに
ニイニイゼミの啼き初めにけり