「風の便り 」(第145号)

発行日:平成24年1月
発行者 三浦清一郎

詩論の試論-「言語・表現教育」批判-

1「型より入りて 型より出よ」

 上記の小見出しは世阿弥の名言です。初めは先生が教えてくれる通りの「型」を素直に習い、やがてその「型」に習熟したら、工夫を加えて「自分流の型」を創出しなさいという意味です。いろいろ理屈をこねずに、まずは過去の経験知の「型」に精通しなさいということが第1の教訓です。第2の教訓は教えられたことに精通したからと言ってその「型」だけに執着せず、自分なりに工夫せよ、ということです。能を創始した達人の世阿弥の教育論です。
 筆者は幼稚園・保育所はもとより、主流の学校教育においても、幼少年期の教育は、言語教育からしつけに至るまで、受け継がれて来た「型」から入り徐々に本人の理解や思考や試行を導いて行くべきであると考えています。

2 「型」教育の基本内容-現代の欠損体験

 「型」で教えるべき基本内容は「礼節」、「労働」、「がまん」、「言語」です。現代の幼少年期のしつけや教育に欠損しているのもこれら4つの体験です。義務教育学校の基本任務は「欠損体験」を補完して個人差を最少にするよう努めることです。

(1) 礼節

 まず、「礼節」は人間関係の「型」です。自分を取り巻く人々への挨拶から家の内外での立ち居振る舞いに至るまで、礼節なしに集団生活は成り立ちません。オ・ア・シ・ス運動も小さな親切運動もそのささやかな一例です。

(2) 労働

 お手伝いや応分の「労働」は共同生活を成り立たせる基本の「型」です。日々の暮らしでは、誰かが食事の支度を整え、誰かが汚れた皿も衣類も洗わねばなりません。子どもをあたかも「客」の如く遇して、労働や共同を教えないことは、将来の共同生活・集団生活に鑑みてあり得ないのです。

(3) 耐性

「がまん」や「忍耐」を教えることは「この世はおまえの思ったようにはならない」ということを教えることが目的です。「がまんすること」は他者に対する礼儀のもとであると同時に、将来の自分を守る基本の能力です。人間の欲望は無限で、人間を取り巻く資源は有限です。それゆえ、人生は思い通りにはなりません。
 幼少期から人生の「有限」性と「ままならぬ」浮き世に慣れておかない限り、子どもに困難に対する「免疫」はできません。思い通りにならない幼少期の不満や挫折や失敗に堪えられなければ、先行き子どもの困難は増すばかりになります。自分が置かれた状況に我慢さえできれば、小さな困難は困難でなくなるのです。

(4) 言語・表現教育

 最後に、「言語」はあらゆる文化のコミュニケーションの「型」です。言語表現は「文型」と言われるように単語や短い文章を組み合わせて成り立っています。もちろん、私たちは言語なしにあらゆる思想も感情も他者に伝えることはできず、自分でものを考えることも出来ません。言語を使う能力は様々な動物の能力の中で人間に特有の能力なのです。イルカやチンパンジーも相互のコミュニケーションを行なうということが知られて来ましたが、彼らもまだ言語と呼べるようなコミュニケーションの型は持つに至ってはいないのです。言語教育は、「ヒト」をより確かな人間にするための重要な教育なのです。然るに、現代っ子の多くが、「単語人間」などと呼ばれるのは、思考や感情の伝達がきちんとできないということです。若い世代が言語による表現能力を十分に身に付けていないということは社会や国家の発展にとって由々しきことなのです。
 日常の家庭生活の中で保護者から学ぶことのできる言語には通常一定の限界があります。「日常性」という限界です。そのためいつの時代も、どこの国でも、言葉の教育は教育の専門機関たる学校の役目なのです。

3 表現教育は文型モデル教育

 日本では、戦後の学校教育が表現の「文型」を丸ごと教えることを「詰め込み教育」と呼んで否定し、表現モデルを体得させることに失敗して来ました。
 どう考えても、子どもの論理や理解力を超えた言語表現を教えるためには「文型」を丸暗記させなければなりません。表現教育は優れた文型モデルを丸暗記することである、と言っても過言ではありません。分からせてから教えるということは、分かりようのない子どもにとって順序が逆なのです。十分な意味を理解させずに「丸暗記」させることは、「詰め込み」であると批判することは、子どもに意味を理解させることができる、という前提に立っています。しかし、その前提は間違っていないでしょうか。どうして人生を知らない発展途上の子どもに、世界の天才である芭蕉や杜甫の言語表現が理解できるでしょうか。理解が先であると言ってしまったら、未熟な子どもに芭蕉も杜甫も教えられるはずはないのです。彼らにできる事は覚えることだけです。

4 教育の適時性

 幼少期の表現教育は基本的に「憶えさせる」ことを中心とした暗誦・記憶教育です。しかも、重要なことは、子ども時代だけがスポンジのように言語表現の型を頭脳が吸収できるのです。子ども時代に覚えさせておかなければ、読者の皆さんの年齢になってからでは学んでも中々覚えられないのです。言語表現に限ったことではないでしょうが、教育には「適時性」という「タイミング」の問題があります。それを逃すと、「臨界期」と言って習得が困難になるのです。人間社会から何らかの理由で遠ざけられた子どもがふたたび正常な人間として成長できるか、否かも幼少年期のどこかに発達上の「臨界期」があると考えられています。「狼に育てられた子」の「カマーラ」は16歳まで生きましたが、結局、通常の発達を遂げることができませんでした。彼女の場合もオオカミの巣穴で大事な発達上の「臨界期」が過ぎてしまったのではないでしょうか。 
 言語表現教育における「詰込み」批判は、さも子どもの側の視点に立ったかのような「錯覚」を日本人に与え続けました。しかし、詰め込むべき時に、きちんと詰め込んでもらえなかった子どもの不幸に思いを致したことがあるでしょうか?詰込み教育として批判した教師たちは自分たちがどれほど子どもの表現能力を奪う結果になったかという事実に気付いているでしょうか。子どもの頭脳が吸収できる適切な時期に言語の型を丸ごと教えて来なかった戦後教育のゆえに、日本は一貫して子どもの言葉の教育に失敗し、子どもの表現能力を奪って来たのです。現代の青少年の稚拙で未熟な表現は、基本的に学校が負うべき責任なのです。

5 言語習得法の特性

 言語は文法も使い方も分からないままに覚えることが最大の特徴です。そのプロセスは幼児の言語習得過程を見れば一目瞭然です。どの国の言葉の習得も「反復練習・丸ごと記憶」が基本です。
 なぜそれぞれの事物に一定の名前がついているかは、子どもが後になって理解すべきものです。なぜ、それぞれの状況を説明するのに一定の表現が使われるのかも、後から分かって来ることです。言語は「型」が先行し、なぜそういう言い方をするかは後で勉強するのです。言語は、覚えてから意味が分かり、使ってから使い方の原理が分かるようになるのです。言語こそ理屈抜きに「型」から学ぶべき学習法の典型と言っていいでしょう。
 幼児を見ていれば明らかなように、言葉の習得は、彼らの理解を超えた無条件の「反復」と「練習」の賜物です。子どもは決められた通りにネコをネコと呼び、犬を犬と呼びます。犬は日本語で「わんわん」と吠え、英語では「bow・wow」と吠えます。もちろん、日本語は日本語流に教え、英語は英語流に教えます。子どもが分かろうと分かるまいと型通りに教えるから「型」なのです。子どもがやりたかろうとやりたくなかろうと文化や教育の名の下に、社会は半強制的に子どもに言語の反復と練習を要求します。言語学習は文字通り「型」の学習なのです。
 日本人は和服の型を崩さないための「しつけ糸」になぞらえて「型の教育」を「しつけ」と呼びました。言語教育こそが子どもの自侭や自由を認めない「しつけ」の典型なのです。原則として「学ぶは真似ぶ」なのです。しかし、戦後教育は、子どもに「覚えさせること」より、子どもが「分かること」を重視し、「型」を反復して「学ばせる」前に「意味付け」や「理解」や「納得」を教えようとしました。時間とエネルギーを浪費する何と愚かなことだったでしょう。
 一方で、「型の強調と半強制」は、考えることを許さない非教育的・反教育的な「詰め込み」法として忌避されたのです。「理解させたつもり」の「つもり教育」に膨大な時間と労力を費やし、しかも多くの子どもが理解も使用能力も身につけなかったことは、現代っ子の貧弱なコミュニケーション能力を見れば一目瞭然でしょう。戦後の日本は言語教育の根本を間違えたのです。一歩踏み込んで言えば、「詰め込み」法だけが子どもの言語・表現能力を豊かにする最も簡単で効果的な方法であることを忘れたのです。

6 表現の「体得」-暗誦と朗唱

 暗誦も朗唱もすぐれた文型を選んで「丸暗記」することです。文字通り、すぐれた言語表現を「型通り」に体得することです。もちろん、上記の通り、戦後教育では「型」から入ることは極めて不評でしたから、子どもの理解や同意を得ずに「詰め込む」ことはしませんでした。「詰込み教育」は戦前の教育を酷評する理由の典型でした。そのうちでも一番評判の悪かったものの一つが暗誦と朗唱ではなかったでしょうか。
 筆者は幸運にも両方を大事にする先生方に出会い、暗誦と朗唱を褒めてくれる保護者のもとで育ちました。言語の機能は意味や文法や論理だけに代表されるものではありません。詩歌が典型ですが、言語にはリズムがあり、音韻があり、意味や論理を伝えるだけでなく、感情や情緒を伝える機能があります。
 言語の機能が、意味と文法と論理だけであれば暗誦や朗唱をしなくても、何とか基本の文型はものにできるでしょうが、人間のコミュニケーションは意味と論理だけでできているものではありません。
 伝えるべき意志の強弱、思いの明暗、感情のひだや裏表、情緒の深浅などを抜きにしたコミュニケーションでは多くの場合、人間相互のコミュニケーションは成立しません。
 まして、文学や詩歌のセンスは丸ごと覚え、丸ごと味わって見なければ分かるようにはならないでしょう。古今東西、感情表現に関する優れた文型は山ほどあり、子どもにとっては、汲んでも尽きない泉のような豊な恵みなのです。

7 人間の知性

 人間の「知性」はふつう「理性」と「想像性」に分けられます。理性は論理性と置き換えても間違いではないでしょう。理性も論理性も自然や現実を分類したり、論理を組み合わせたり、事象の性質を分析したりする能力を指します。しかし、人間の知性は、同時に、自然や現実にはないものを想像したり、夢見たり、あこがれたりすることができます。それが想像性です。想像するとは自然や現実のままではあり得ないことを創り出すということです。それゆえ、想像性は論理や現実を越えます。人間の知性は、自然や現実のあり方を関係づける働きと自然や現実にはない関係を創り出す働きの両方を備えているということです。
 大きく分けて、前者はふつう科学と呼ばれ、後者は芸術と呼ばれます。芸術と言っても本論の興味は言語表現の習得にあるので、音楽や絵画・彫刻などを論じるつもりも資格もありません。ただ、子どもに言葉を教える時には、論理性に基づく事実の科学的(客観的)認識と想像性に基づく事物の芸術的認識の二つが同時に存在するということを考えることが重要ではないかと考えています。科学も芸術も共に同じ「認識」という言葉を使いましたが、科学的認識は主として理性に則り、芸術的認識は主として想像性に則っているということです。もちろん、両者は二つが合わさって人間の「知性」を形成するものですから、理性と想像性はどこかで交錯するところもあると想像しています。「鳥のように飛べたらなあ!」、という想像上のあこがれが飛行機の発明に繋がったと考えることは決して不自然ではないでしょう。
 使い古された事例ですが、「氷が溶ければ」「水になり」、同時に、「春にもなる」のです。「氷が溶ける」のは「温度」の問題ですから、科学的には、温度が上がった結果、氷が「水になる」ということは論理的にその時点で完結するでしょう。
 しかし、「春になる」という理解の方は「もうすぐあの人に逢える」に繋がるのかも知れません。斯くして「根雪も溶けりゃ」「もうすぐ春だで」「畑も待ってるよ」(「かあさんのうた」)という歌の文句になるのです。
 このような表現が優れた詩的表現であるか、どうかは別として雪国の人々が待望する春を「根雪の氷解」と連結するか、「コブシ咲くあの丘」(「北国の春」)と連結するかは詩を書く側の選択になります。春の到来を何をもって証明するかは科学ですが、どのような言語をもって感情や思いを表現するかが詩歌(言語の芸術的表現)です。藤村は氷雪の溶けた早春の信濃を「千曲川柳かすみて、春浅く水流れたり」と表現し、蕪村は「歩む歩むもの思う春の行方かな」と詠みました。「藤村の春」も「蕪村の春」も感じるものであって、科学をもって「両者の春」を分析しても恐らくは詰まらぬものになるでしょう。西脇順三郎は詩歌の想像とは、「新しい関係を発見することであり」、詩歌の快感もまた「新しい関係を発見する」ことから来ると要約しています(*1-p11)。彼の言う「発見する」とは、もちろん想像力を駆使して「創作する」ことを意味しています(*1-p.15)。
 千曲川の春は藤村によって発見され、憂愁の春は蕪村によって新しい見方が語られたと言っていいのかもしれません。

(*1) 西脇順三郎、詩学、筑摩書房、1969年

8 感情表現とは何か

 人間の感情も情緒も感じるものであって理解するだけのものではありません。感情や情緒を表現した詩歌は一つの意識ですが、その意識は言語表現を伴って、人間に快感を与えなければ優れた文学にはなりません。ある種の言語表現によってどうして快感は起きるのでしょうか?人間はある言葉の組み合わせによってどうして感情が動くのでしょうか?
 ところで感情や情緒を表現した詩歌は人に何事か感じさせるものといいますが、何を感じさせるのでしょうか?西脇の言う「新しい関係」とは何を創り出すのでしょうか?西脇は、詩歌は「自然や現実を超越して想像する」と言い、「自然や現実の通常の関係を断ち切って二つのかけ離れたものを連結する」とも言っています(*1-p.19)。筆者の想像による自然や現実の描写が、西脇の言う「自然や現実を超越する」ということになるかどうかは分かりませんが、詠み手に訴えることができれば、詩歌になるのです。
 また、「書き手」の想像力が自然や現実から乖離して、実人生と全く関係がなくなった時、シュールリアリズム:「超現実主義」が生まれるのでしょう。超現実主義的に想像した結果が、人々の感情を揺れ動かし、感動を呼べば、それもまた「新しい関係」を創造したのであると認めなければならないでしょう。

9 詩歌表現は事物の見方を提示します

 私の印象深い表現をいくつか思いつくままに列挙してみると次のようなものがあります。
 俳句の形式を崩した自由律俳句は俳句の中に新しい表現の関係を創り出した山頭火のような俳人を生みました。
 「分け入っても 分け入っても 青い山」は、日本のいたるところに事実として存在しました。旅人は何百年もその風景を見て来た筈です。しかし、山頭火がそこだけを切り取って提示するまでは誰もこの風景を詩歌にすることはできなかったのです。今、私たちは山頭火のおかげで、あらゆる山道に詩情を感じることができるのです。それが優れた言葉であり、芸術的な表現なのです。まさしく、自然は芸術を模倣し(オスカー・ワイルド)、山頭火の詩心によってありふれた自然の森の道は、分け入っても分け入っても尽きない「時の山、人生の山、寂寥の山、芸術探求の山」として我々の前にその姿を現したのです。
 何年か前の「芭蕉忌」の優秀句は「帰省子を風になるまで見送りぬ」でした。この一句によって小生の「風」に対する感情に新しい視点が加わりました。母は切ない、帰省子も切ない、一条の「風」が切なく、別れが限りなく切ないのです。
 我が亡き父も大学に帰る私が遠い道の角を曲がるまで店先にたって見送ってくれたものでした。最後に振り返ってもまだ立っていてくれました。時が過ぎてもまだその立ち姿が目に浮かびます。
 中原中也は「帰郷」の中で、「草があどけないいやいやをし」、「おまえは何をしにきたのか、と吹き来る風が私に言う」と歌いました。草や風と話のできた詩人なのでしょう。風は過ぎ去り、吹き過ぎて二度と戻らず、まさに、人生の一瞬と重なるのです。別れが切ない、生きていることが切ない、と思わせ、また新しい季節が巡ってくれば、「風立ちぬ、いざ、生きめやも」とも思わせるのです。「風の魔法」ですが、大元は「言葉の魔法」なのです。

10 芸術的表現は意欲や感情を喚起し、新しい視点を創出し、未知の思いに気付かせます

 言葉をつないだ想像力が、西脇の言う「新しい関係」を提示した時、私たちは「無限」や「永遠」、時に「哀愁」や「悲哀」、また時に「未知」や「神秘」、更には時に「希望」や「ゆめ」、「苦悩」や「絶望」など人生に起こりうる事件の感情をより深く感じます。それが詩的表現であり、詩的体験です。
 これらの文型がもたらす情感は「感じる」ものであって、「理解する」だけのものではありません。それゆえ、論理によって分からせることは極めて困難であり、多くの場合、不可能なことです。
 詩歌の表現は、丸ごと覚えていて、人生の実体験がそうした文言と交差して、出会う時を待つしかありません。言語の芸術性を会得・鑑賞する特定の方法はないのです。それゆえ、子どもの実体験が欠けていれば、いくら表現上の言葉を習っても、言葉の詩情と出会うことは難しくなります。逆に、いろいろな体験があったとしても、子どもの側が、先人が創り出した言語表現を丸ごと覚えていなければ、本人の体験によって、感情や想像力が掻き立てられることもないでしょう。
 現代日本の幼少年教育は、体験が不足している上に、言葉を丸ごと覚えさせる教育もしていません。子どもたちの感情や情緒が枯渇して行くのは当然のことなのです。

9 言語表現における「教育的時差」

 筆者は幸運でした。我が先生方は音読や暗誦を奨励しました。父もそうでした。後になって分かることですが、人生の体験を積んで行くプロセスで、少年期に覚えた詩歌の文言が人生の見方を教えてくれるのです。「時に感じては花にも涙をそそぎ・・」(春望、杜甫)は、その「時」が来るまでは分からないものです。子どもの頃に習い覚えた言語表現の意味は、時を経て、自分が覚えていた表現にマッチする情景や事実に出会って初めて自分なりに「腑に落ちる」のです。多くの場合、「習い覚える時」と習い覚えた表現の意味を「感じる時」の間には人生の時間の落差があるのです。それが言語教育における「教育的時差」です。習った時と分かる時は往々にして違うのです。

10 春秋の月、人生の出会い

 筆者が明確に意識した月は異国の月でした。心細く、切ない望郷の月でした。李白の「静夜思」は筆者に月の見方を教えてくれたように思います。漢文の時間に覚えなさいと言われたから覚えたのですが、習った時には「文字通り」の意味しか分かりません。しかし、後に、仕事をするようになって多くの異国の月を見ました。故郷を離れて見る月は、どの国の月も「頭を垂れて故郷を思う」風情でした。「静夜思」は学校の授業の暗誦詩です。試験に出るから必死で覚えただけでしたが、今では「頭をあげて山月をのぞみ」と口に出ます。
 百人一首の中の「月見れば千々にものこそ悲しけれ 我が身一つの秋にはあらねど(大江千里、古今集)」も月や秋の見方を習った一つです。みんなに平等に来る秋だけれど、自分には何故にかくも切ないのか、という心境は「我が身が為すべきことに追いつかない時」、「頑張っても、頑張ってもがんばり足りない時」にいつも思います。
 また、春のことは萩原朔太郎が解説する蕪村の句に習いました。
遅き日のつもりて遠き昔かな
春の暮れ家路に遠き人ばかり
 萩原朔太郎は次のように言っています。
 『こうした春の日の光りの下で、人間の心に湧いて来るこの不思議な悩み、憧れ、寂しさ、捉えようもない孤独感は何だろうか。蕪村はこの悲哀を感ずることで、何人よりも深刻であり、他の全ての俳人等より、ずっと感じ易い詩人であった(*2)』
 また、小学校で習った「朧月夜」は曲も見事ですが、作詞が特に見事だと思います。信濃の人、高野辰之は2番の歌詞に「蛙のなく音(ね)も鐘の音(おと)も、さながら霞みて朧月夜」と歌いました。「音」の語感を使い分け、風景も長閑に霞んで夢の世界に浮遊するようです。この歌を知らなければ「朧月夜」の無限や平安を知らないで生きたことでしょう。ここでもまさに自然は芸術を模倣するのです。
 人恋しさについては、啄木や百人一首の藤原敦忠に習ったような気がします。
「別れ来て 年を重ねて 年ごとに 恋しくなれる君にしあるかな」(啄木)
「逢ひみての 後の心にくらぶれば 昔はものを おもわざりけり( 権中納言敦忠)」。
 人生の事件に遭うたびに「思い」の「深さ」が変わって来ることはあるものです。古希を過ぎて若かった日々を振り返ってみると、まさに「昔はものを思わざりけり」でした。
 そして時間のことは、萩原朔太郎自身が、「漂白者の歌」の中で、人生の漂白を「過去より来たりて未来を過ぎ久遠の郷愁を追い行くもの」と歌っています(*3)70年を生きてまさに夢のようです。これからも久遠の郷愁を追って行くのでしょう。

(*2)萩原朔太郎、郷愁の詩人与謝蕪村、新潮社、昭和26年、p.22-23
(*3)萩原朔太郎、「漂白者の歌」、伊藤信吉編、現代名詩選(中)、p.45

「体験原理主義」の有効性
-第115回生涯教育まちづくりフォーラムin広島-

 第115回生涯教育まちづくりフォーラムin広島 は、初めての試みにも関わらず旧大野町のビッグフィールド大野隊の子どもたちとその見守り隊の活躍で手応えのある「学び」をもたらすことに成功しました。山口のVolovoloの会からはたくさんの皆様の応援をいただきました。お礼申し上げます。
 成功の手応えとは、参加者の多くが「その気になった」ということです。それらは筆者及び関係者に届いた感想やお礼の便りが証明していると思います。
 大会はもちろん終始、手づくりにこだわり、子どもたちの実質的な「運営参加」にこだわりました。企画者の川田、正留の両氏からご相談を受けた段階で、筆者には現代の子どもを事実上の運営に巻き込むのは無理だと感じ、率直にそう申し上げました。子どもの「人権」や「個性」や「主体性」を子どもの「欲求」と等値し、さももっともらしく教育的言辞をもって「子どもの目線」に立つことを要求する現代教育においては、大人が想定する真っ当な鍛錬はできないだろうと想像したからです。「鍛錬」とは、社会の目線に立つことであり、大人の想定が問われることです。それゆえ、「鍛錬」の前に「子どもの欲求を尊重する思想」が立ちはだかっている以上、子どもたちにがまんを強いて、困難を突破させようとする指導はほぼ困難だからです。
 しかし、心配は杞憂に終わりました。この間、ビッグフィールド大野隊の規範と行動力を鍛錬して来られた正留、川田の両氏の「理屈」は「実行」によって証明されました。現代の教育論に毒された学校関係者が噛んでいなかったことが幸いしたとも思えます。両氏の発想は、「体験原理主義」とでも呼ぶべき「実践一途」の頑固さですが、子どもたちに対するトレーニングはその有効性を見事に証明したと思います。余程、指導力のある、しかも、強権的な校長を擁しない限り、学校でもあそこまで子どもに大人の事業の運営に参画させ、請け負わせることは難しいでしょう。
 まして、現代の過保護な保護者が見守る中の地域活動がどれくらい難しいか想像に難くありません。見守り隊の保護者の皆さんの度量と覚悟もまたお見事という外はありませんでした。子どもの実力を現場で発揮させ得たことで、保護者はもとより我々外部からの参加者をも納得させたことは、ビッグフィールド大野隊における「体験原理主義」の勝利だったと思います。

1 情報で子どもは変えられない!

 現代は情報環境の時代です。溢れるばかりの情報が子どもを取り巻いています。しかし、人間が肉体で存する以上、言語や映像や疑似環境が人間自身に教えられることには限界があります。とりわけ、幼少年教育には直接体験が不可欠です。熟年世代が今日を築いて来ましたが、熟年世代を鍛えた基本は、「貧乏」と「不便」がもたらした直接体験の積み重ねです。情報や読書や説教ではありません。
 幼保機関や小学校は読書や授業の一部を捨てて、「体験教育」に戻るべきです。労働の汗も、鍛錬の汗も知らない子どもに「したたる汗」の読書をさせたところで言葉を覚えるに過ぎないのです。失敗も挫折も知らない子どもに「きりきりと身を刺すような痛みや口惜しさ」が身をもって分かる道理はないのです。
 ビッグフィールド大野隊の正留律雄さんと川田裕子さんは「体験原理主義者」とでも呼ぶべき頑固者でした。最後まで、子どもが主役として一切の準備に関わる「生涯教育まちづくり移動フォーラムin広島」を主張し、成功させました。驚くべき我慢強さと体験教育に対する強烈な信念と言うべきでしょう。
 前号でも書きましたが、 自分を鍛えず、他者を大事にしようとしない人間にとって、読書や説諭は物知りや口達者を育てるだけに終ります。子どもの読書の大部分はそんなものです。情報環境を整え、間接体験を豊かにすることが教育であるかの如く勘違いすれば、知識を与えることはできても、共感や共存のできる子どもを育てることはできません。
 本人の体験と連動させない限り、読み聞かせや読書が子どもの「豊かな心」を育てるというのも99パーセントはまやかしの幻想です。人権作文教育などはその最たる事例でしょう。莫大な金と時間と労力をかけて、形ばかりの人権情報教育をする一方で、「いじめ」で何人の子どもが死んだり泣いたりしたことでしょう。教育行政も、学校も愚かとしか言いようがありません。人権教育とは、社会的に不利な条件に置かれた人々のために「働かせる」ことです。それで初めて、自分の権利にも、人の権利にも気付くでしょう。
 原理的に、万巻の書も一つの直接体験を越えることはできないのが人間の本質です。人間は「個体」で生きているからです。誰もあなたに代わって生きることはできないのです。やったことのないことはできないのです。何度でも言いますが、「人の痛いのなら三年でもがまんできる」のです。その意味で東日本大震災以来、昨今はやりの「絆」教育もインチキです。特に、仲間と一緒に辛い困難な体験を乗り越えたことのない子どもに教えている「絆」はほとんど意味のないインチキです。

2 認識と実践の間にはほぼ「無限」の距離があります

 大野の子どもはよく声が出ていました。声を出す練習を反復したに相違ありません。お辞儀も挨拶も、室内への出入りも、茶のサービスも、受け付けも、受け答えも、整列の仕方も「型通り」にできていました。JR西日本の新幹線の「車掌」さんに匹敵するくらいでした。これも反復の賜物でしょう。おみやげにいただいた漬け物も良くできていました。経験者の知恵に従って作ったに相違ありません。
 筆者は、ぶっつけ本番で、お茶のもてなしを担当していた5年生の真希ちゃんと菜津希ちゃんに舞台に上がって、「会場参加型インタビュー・アンケート」法のタイムキーパーをお願いしてみました。二人はためらいなく引き受け、見事に要請に応えてくれました。
 多少は「やだぁ!」、「だって!」、「できない!」、「きつい!」、「急に言われたって!」ぐらいの「ぐずり」は想定していましたが、打ち合せは、「どうすればいいのですか」、「わかりました」で終わりました。
 二人の態度はビッグフィールド大野隊の「体験主義」トレーニングを「象徴」していたと言うべきでしょう。実践の場数を踏んで来ているので、挑戦の精神があり、「安易を振り捨てる冒険心」があり、「なすべきこと」への想像力が働くのです。子どもには社会が必要とする実践的課題を与えて下さい。子どもは、実践の中で何が大事で何が必要かを悟る筈です。自分の無力も知る筈です。認識と実践の間にはほぼ「無限」の距離があるのです。知識だけで実践ができるはずはないのです。

3 書物は第3者の間接的記録、時に「空論」

 もちろん、行動や実践が必要とする知識は教室や読書の中から得られます。知識も書物も、過去の実践者が残した実践の過程を記録したものだからです。しかし、それらは第3者の体験の間接的な記録です。昨今では、体験していない者までがたくさん空虚な本を出版できるようになりました。それゆえ、「空論」と「本物」を見分ける目も必要になります。どう考えても、子どもに「本物」を識別する能力を期待する方が無理というものです。
 したがって、実践の目的と動機を有しない状況での情報の提供は、「物知り」をつくるだけに終るでしょう。どんなに授業の上手な先生でも、どんなに豊かな情報環境でも、知識や情報だけで子どもを変えることはできないのです。文科省の政策や現代の学校教育が最も無知なところを「ビッグフィールド大野隊」は実践をもって批判的に証明してみせたのです。お見事でした!!

国際結婚の社会学
原理主義者と便宜主義者(オポチュニスト)の結婚
-違いを「楽しむ」、違いに「なじむ」-

「馴染む」とは「擦り合わせ」と「馴れ合い」のことです。文化的には、主義、主張、慣習の「角」を取り、妥協点を見出すことです。工学的には、機械の部品等を文字通り擦り合せて、両者の「凹凸」をなくし、「部品」の接続や組み合わせの誤差を最少限にする方法です。実際に、部品と部品を擦り合わせて行くと目に見えない誤差や隙間が相互に擦り減って密着した製品が出来上がることが経験上知られています。
 国際結婚は、製品の製作過程とは違いますが、違いに「なじむ」というところは共通しています。また、機械に「遊び」の部分が残るように、結婚にも「隙間」が残ります。国際結婚の隙間は大きいので、一方で、機械工と同じように「擦り合わせ」をやりながら、他方では、寛容に違いを楽しむ精神が不可欠になります。

1 一神教文化と多神教文化の結婚

 人間を原理主義者と便宜主義者(オポチュニスト)に大別すると、妻は原理主義者で私は便宜主義者でした。オポチュニストには「日和見」というマイナスのイメージもありますが,それも含めて自分は便宜主義者だと思っています。一神教を信じる人々は概ね「教義」を重んじる原理主義者で、日本人のような八百万の神を頂いて、状況次第で神や仏を使い分け、疑問を感じないような多神教文化の人間は便宜主義者と呼んでいいでしょう。その意味で私たちの結婚は、一神教文化と多神教文化の結婚でした。一概には言えませんが、日本人の国際結婚はそういうケースが多くなるような気がします。自然崇拝を含め、日本ほど自己都合で神や仏を使い分ける文化も珍しいからです。

2 原理主義者とは誰か

 原理主義者は、原則を「忘れない」ことが原則です。行動にも態度にも、正義や美学の基準が明確にあります。日本人の私にも、もちろん、行動の基準はあるのですが、私に比べれば、アメリカ人の妻の方が「より明確に」あるといった方が正確かも知れません。それが一神の教義を信じ、お互いの約束を重んじる契約社会のあり方なのでしょう。神との約束が優先され、人との約束は、神との約束が人間世界に降りて来た「系」になります。私の場合は、どちらかというと「人との約束」が「神仏との約束」より優先します。お世話になった恩は、「恩返し」や「恩送り」の義理として自分の行動を縛ります。妻にも現象的に恩返しに似たような行動はありましたが、それはどちらかと言うと「義理」よりも「借り」の感覚に近かったでしょうか。「借り」は返せば契約上は解消します。「義理」は忘れることを許されません。それ故、「義理堅い」は日本人の美得になり、「恩知らず」は最悪の日本人評価になります。
 逆に、原理主義者にとっては、被った恥辱や個人的な被害は「貸し」の感覚に近く、「貸し」を回収しないままに、胸のうちの契約書を簡単に水に流すことは苦手のようです。一方、日本人の私は、恥辱や被害を「巡り逢わせ」が悪かったのだと「便宜的に」考えようとします。それゆえ、だんだん仕方がないと、思うようになり、時間の経過の中で、現実と状況に即して、「水に流して」忘れてしまいたいと思案します。出来事を「運」のせいにして、ただ「忘れてしまえばいい」という態度は、いい加減で、原則がないと言われる所以でしょう。もちろん、私にだって、不幸の原因も、恥辱を与えた嫌な奴のことも分かっているのですが、そういう人々と出会ったことがそもそも「巡り逢わせ」が悪いと考えたいのです。過ぎてしまった「巡り逢わせ」を変えることはできないのです。
 妻に比べれば、私は、大抵のことは、特別に意識もせずに、時間の経過の中で、曖昧に忘れてしまうことが多かったことは事実です。寛容で、あっさりしているとも言えますが、過ぎたことはどうでも良くなって忘れてしまうのですから、「いい加減」だと言われても仕方がないでしょう。

3 「忘れること」は罪!?

 もちろん、日本人の中にも、原理主義的に生きている人はいます。「忘れること」を「罪」だと考える人がいることは百も承知です。しかし、自然災害の事故でも、犯罪でも、戦争でも、原爆ですら、「忘れるべきではない」、「風化させるな」と声高に言っている人をみると、やはり日本人の多くは相対的に忘れっぽいのでしょう。もう、元に戻らない以上、辛い過去や厳しい原理・原則を忘れて生きることは生き易いのです。「忘れたり」、「水に流したり」するのは、私のような日本人のサバイバルの手法なのです。八百万の神様がいる以上、その内の誰かが許してくれるのです。神様の使い分けは私のような日本人の特技です。いつまでも過去を悔やんで生きていたら、胃に穴があいてしまいます。
 忘れることさえできれば、欧米の帝国主義が企んだABCD包囲網も、世界で最初の原爆被害も、無条件降伏の恥辱も水に流して、スキムミルクやフルブライト奨学金の恩を忘れないで、アメリカに学び、アメリカが好きになり、アメリカ人の女性と結婚できるのです。
 原則を重んじ、基準で生きている人にとって、忘れることは「いい加減」に近いとすれば、「過ぎたことですから」というのは、不愉快な曖昧主義者ということになるのでしょう。

4 「忘れること」と「忘れたことにすること」

 自分の経験上、人生の不幸は忘れた方が生き易いことは間違いないようです。過去をご破算にして出直すことは、個人にとっても、日本にとっても良かったのではないでしょうか。基準と原則に縛られ、借りも怒りも恨みも忘れずに生きるのでは、ストレスが大きく、気持ちを入れ替えて前進するのが大変です。
 私は、浮き世に辛いことや思い通りにならぬことがいろいろあるけれど、生きるのに障碍になるものは出来るだけ早く「忘れる」か「無視する」ことにして来ました。ところが、妻は原理を忘れて生きることは不快に思うらしいのです。現象的には、妻も「過去に囚われない」で、前向きに生きることを勧めますが、それが「意識的」であるところが彼女の原則の一つなのです。「忘れてしまうこと」と「過去にとらわれないことを自分に命じて生きる」ことは違うのです。私は、事実「忘れてしまっている」のに、妻は、忘れていないのに「忘れることにしている」からです。
 私は、文化的に異なる二人を馴染ませるために、、原理・原則が日常生活に余り大きな摩擦を生まない限り、妻の基準を受入れるようにしてきました。しかし、「原理の貫徹」とそのことによって生じる「摩擦の回避」のどちらを取るかと言われれば、恐らく十中八九後者を選ぶことになるだろうと思います。
 「まあ、いいじゃないか、ちょっとぐらいずれていても!」が生活態度です。
 したがって、理念にすがって行為を貫徹するよりは、状況にしたがって自分の生き方を変えるわけです。原理的・本質的に己の考えと違っていても、状況に合わせるのは「便宜主義者(オポチュニスト)」なのです。少なくとも私のような日本人は、それほど理念や原理にこだわって生きて来なかったということでしょう。日本の歴史の中に、例外的に存在した特定の宗教活動以外、理念や思想に殉じる「殉教」というのが余りなかったということも歴史の傍証ではないでしょうか?

4 日本人のための「認知的不協和」の理論

 「認知的不協和」の理論は、L.フェスティンガーの研究ですが、筆者のような日本人のための理論です。フェスティンガーは、「やりたくてもやれない」、「やりたくなくてもやらざるを得ない」心理的な葛藤状態を「認知的不協和」と呼びま

した。状況と自分の生き方が対立したと
き、多くの人は「不協和」を解消するため状況の評価や解釈を変えると指摘しました。「状況」を変えることが難しい場合には、自分の考え方の方を変えるのです。

「状況」は変え難く、「自分」は変え易いからです。自分の力で「変えること」が難しい「状況」を、「変えなければならない」と思い続けるのは、大変な苦痛です。この「苦痛」から「解放」されるためには、「変えなくていいんだ」という理由を発明して自分を納得させることが重要です。自分の考えさえ変えることができれば、状況は同じでもいいのです。
 家が歪んだら、原理的には、家の歪みを直すことが基本ですが、我々は障子や雨戸の方を削って当座の間に合わせます。「家」は状況で、「障子や雨戸」は自分です。
 跳んでも、跳んでも目標の葡萄に届かなかったイソップの狐は、「あれは酸っぱ
い葡萄だった」と自分に言い聞かせるほかはなかったのです。「欲しいのに」、「跳んでも、跳んでも届かない」というジレンマを打開するには、葡萄に価値がないことを認めればいいのです。
 日本人は,イソップの狐と同じようにあの戦争に価値はなかったと思い直すことで己の「認知的不協和」を解消したのだと思います。
 余り厳しい原理・原則を自分に課していない日本人はそうした「適応」が迅速にできるのです。そうでなければ、ほぼ一億の総人口が「鬼畜米英」を叫び、好戦的な提灯行列をしていたのに、1-2年後に平和と民主主義を唱える国民になれる筈はないでしょう。我が一族にも犠牲者がいるので、犠牲者にも、その家族にも申し訳のない分析ですが、もし日本が戦争に勝っていたら、世界はどれくらい迷惑したことでしょう。一度、冷静に考えてみてもいいのではないでしょうか。誰にも言ったことはないのですが,恐らく、日本の軍国主義は続き、他国の侵略、併合、弾圧は続き、日本人の優越意識は増長し、日本文化を他国に強要し、人種差別、植民地化・属国化など、すべて現代の国際信義に反する悪行を重ね、旧ソ連以上の一国・帝国主義政策を取ることになったのではないでしょうか?
 先生方も教え子を戦場に送ったことの反省と後悔は立派だったですが、同時に、一夜で平和主義者に変貌した自分を分析する必要はなかったでしょうか?もちろん、私は、自分を含め、便宜主義者を非難しているわけではなく、むしろ弁護しているのです。原理原則に拘らないで、一夜で平和主義者になったことで、日本は、イスラエルとパレスチナのような原理主義戦争から免れているのだと思います。敗戦まで敵であり、原爆まで落したアメリカと手を汲んで、いち早く経済を復興させ、国力も,日本人としての誇りも取り戻し、アジアや世界の国々にそれなりの謝罪をし、援助を惜しまなかったのは日本人が便宜主義者だったからなのです。
 自己否定と自虐的な歴史観に対する批判の多いことは知っていますが、日本人の多くは、がんばっても届かなかった過去を、イソップの狐と同じように「酸っぱい葡萄」だと思うことにしたのだと思います。

145号お知らせ
* 公開「Volovoloの会」-ふるってご参加下さい

テーマ:地域を学び、人々をつなぎ、新しい地域を創る-無縁社会における「地域学」の意義と役割-
合同企画:主催 豊田ほたる街道の会&おごおり熟年集い塾
共催:西市地区生涯学習推進委員会&Volovoloの会
1 日時:
一日目:平成24年1月21日(土)13:30-16:30
二日目:平成24年1月22日(日)9:00-11:30
2 会場:豊田町道の駅 蛍街道西ノ市(下関市豊田町大字中村876-4、電話 083-767-0241、 HP toyota‐hotaru.com)
3 プログラム:前回144号をご参照下さい。
4 問い合せ先
(1)実行委員会 柴田 俊彦
〒750-0422 下関市豊田町楢原39
電話 083-766-1397
e-メール sbtt88@ybb.ne.jp

(2)事務局長  赤田博夫 山口市立鋳銭司小学校気付 
住所 〒747-1221 山口県鋳銭司4010、電話・ファックス083-986-2609
e-メール akada_2101@yamaguchi-ygc.ed.jp

* 第116回「生涯教育まちづくりフォーラムin福岡」

1 日時:1月28日(土曜日)15:00-1700。
2 会場:場所:福岡県立社会教育総合センター(糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511

3 プログラム:
事例発表;(交渉中)
論文発表;生涯現役・介護予防カルタとその手引書(三浦清一郎)

4 新年会:
 フォーラム終了後は福岡県立社会教育総合センターのご厚意で新年会を開催の予定です。奮ってご参加下さい。会費は2千円程度を想定しております。

* 第117回生涯教育まちづくり移動フォーラム」in大分
(「活力・発展・安心」デザイン実践交流会:大分大会)

1 日程:2月25日(土)10:30-26(日)正午まで
2 場所/会場:会場:「梅園の里」
  (大分県国東市安岐町富清2244、TEL0978-64-6300)
3 プログラム:次号で詳細をお知らせいたします。
4 参加費:500円、宿泊費は別
5 問い合せ先:事務局:大分大学高等教育開発センター;中川忠宣(TEL/FAX097-554-6027)または東国東デザイン会議事務局 冨永六男(TEL0978-65-0396,FAX0978-65-0399)

§MESSAGE TO AND FROM§ 
 新年あけましておめでとうございます。読者の皆様にもそれぞれ元気に新しい年をお迎えのことと思います。早いものでもうすぐ亡妻の一周忌です。一人暮らしの家事にも、孤独にも、寂寥にも慣れて、無事に1年を生き抜きました。家族の死も、一人暮らしの衝撃も、何とかかわしましたが、まだ、整理の終わっていない事務作業は山ほどあります。とにかく、これからも元気優先、仕事優先で参ります。各地から数々の身に余るお言葉を頂戴し、我が身の果報を噛み締めております。ありがとうございました。年末、年始は編集後記の通り、冬ごもりの猛勉強で、生涯現役・介護予防カルタの作成や新しい著書の参考書群の読破に没頭しました。いつにも増して、これからの老後や死のあり方を意識せざるを得ませんでした。

宮崎県宮崎市 飛田 洋 様

発つ鳥の跡を濁さず、われもまた、捨つべきを捨て、断つべきを断つ

福岡県岡垣町 神谷 剛 様

 先輩の晩年はお見事としか言いようがありません。「風の便りー準備号」に「がんばれ」とご叱正を頂いてから12年の歳月が流れました。

大分県国東市 石丸義則 様

 2月の国東での大分大会に伺います。「梅園の里」での再会を楽しみにしております。

札幌市 水谷紀子 様

 みんなそれぞれに荷物を背負って老いて行きます。作成中のカルタに自戒を込めて書きました。「行く道は、自分で決めるほかはない、神も仏も代われない、誰も代わりに生きられない」

福岡市 菊川律子 様

 色々ありました。これからも増々色々あるのでしょう。「さりげなく言いし言葉はさりげなく君も聞きつらむ それだけのこと」(啄木)

佐賀市 秋山千潮 様

 3月の勧興フォーラムの案を近々にお送りします。お互い「締め切りの70代」です。気張って行きましょう。

宗像市 岡嵜八重子 様

 新刊「熟年の自分史-人生のラストメッセージを書こう」がもうすぐ世に出ましたら、お届けします。また、ご配慮にお応えしてメルマガの代わりに今年はせめてハードコピーをお届けしたいと思います

大分県日田市 工藤聖二 様

 懐かしい再会を果たし、また感宜大学の皆さんから沢山の励ましを頂きました。今年も元気に書き続けて参ります。お世話頂いた高見様にくれぐれもよろしくお伝え下さい。

埼玉県越谷市 小河原政子 様

 お元気のご様子は古市さんからお聞きしました。社研の日々も遠くなりました。この時期が来ると、俵谷文庫の書籍や、誰もいない建物で一家中が冬ごもりの宿直業務をしていたことを思い出します。

編集後記
私はマグロ、回遊魚

準備万端整えて年末年始は冬ごもり
孫の招きも断って
誰も招かず一人きり
山を眺めて暮らします

無聊大敵、自由の刑
退屈でしょう、死にますよ!

心配ご無用、私はマグロ
四方八方回遊魚
ADHD大人版
勝手に「病気」にしなさんな
Attention-Deficit
Hyperactivity Disorder
何と無礼で、大げさな
注意散漫、エネルギー過剰
言い方変えれば悪くない
やる気満々、興味は尽きず

止まることない回遊魚
止まれば酸素が途絶えます
教室などに閉じ込めず
何でもやらしてごらんなさい
必ず活路が開けます

部屋中広げた参考書
窓中貼ったスローガン
課題山積、宿題ばかり
書き散らかした原稿用紙
散乱しているメモ用紙

新しく買ったストーブと
新しく買ったモーツアルト
電話の子機も脇に置き
2匹の忠犬侍らせて
必ず仕上げて見せまする

10時のおやつは飛騨林檎
3時のおやつは富有柿
気が向きゃ珈琲キリマンジャロ
時には紅茶のアールグレー
贅沢ですね!優雅です!

出雲路のカニが届いて年が暮れ、
夕張のメロン届いて年明ける

受験生もどきの回遊魚
ねじり鉢巻冬ごもり
努力は実る、裏切らない
少し読んでは、少し書き
あっち読んでも少し書き、
こっち読んでも少し書く
少し動いて、少し書く
毎日あちこちちょっとだけ
塵も積もれば山となる
止まればお仕舞い、回遊魚
ADHDマグロです