「風の便り 」(第129号)

発行日:平成22年9月
発行者 三浦清一郎

自由と気ままの代償?生涯学習概念の破綻

1 病院の指示に従わない患者がいたとしたら

もちろん、健康な市民は日常の健康管理法を、自分の判断で自由に選んで暮らしています。しかし、ひとたび「患者」となった場合には、病院や医師の指示に従って治療に専念するのが社会の通念です。
この時、病院や医師の診断や処方に従わず、自分の思い込みで診断?処方?治療を主張する患者がいたとすれば、社会や病院はその気ままや自分勝手な思い込みを見過ごすでしょうか?患者が病院の指示に従わなくていいという感覚や原理が市民に浸透してしまえば、医療はその目的と成果の大半を失うことになるでしょう。
生涯教育も同じです。市民がすべて患者ではないという事情は、病院の場合と同じですが、仮に、日常の暮らし方に教育診断と処方が必要な「患者相当者」がいるとした場合、その「患者相当者」は「教育診断」にも「教育処方」にも従わなくていいのだ、という感覚や原理が蔓延してしまえば、「患者相当者」の「学習」は自らの意志で、自らがやりたいように決めていいということになります。現に、「生涯学習」概念のもとで、「患者相当者」は教育診断をほぼ完全に無視するようになりました。生涯教育を生涯学習と言い代えることによって、社会教育は公金を投入した目的と成果の大半を失うことになったのです。

2 教育における「患者相当者」の自由と気ままを放置した生涯学習

教育は医学やその他の自然科学ほど論理性や実証性の厳密な学問ではありませんが、それにしても「患者相当者」が専門家の診断や処方に従わなくていいという原理をオープンに認めれば、そもそもの生涯教育の目的を根本から失うことになるのです。現行の社会教育はすでにその使命と目的の大半を失いました。
日本社会が「生涯教育」概念を「生涯学習」概念に代えたということは、教育における市民の自由と気ままを放置したということです。「患者相当者」に限って言えば、原理的に、彼らに対する専門的診断と処方を自己診断と自己処方に置き換えて放置しているということに匹敵するのです。
現に今、日本は高齢社会に当面し、団塊の世代が続々と退職しています。医療費も介護費も高騰を続けています。高齢者が活力を失えば、当然、高齢社会も活力を失います。高齢者の老衰を防止し、彼らの社会的活力を支える強力な教育政策を打つことは誰が考えても普通の「処方」ではないでしょうか。しかし、社会教育は適切な「処方」政策は取れませんでした。学習の主体は学習者自身であり、学習内容は市民が自由に決めるものであるという生涯学習概念の「建前」が立ちはだかって来たからです。
生涯教育を生涯学習と言い代えて学習者の選択権を過信したことは高齢社会の重大な間違いでした。同じことは学校外の青少年教育にも当てはまります。幼少期の基本訓練を子どもと家庭の選択に全面委任したことは「社会教育の自殺」に近い政策でした。今では、「改正教育基本法」にまで家庭教育の自主性を保証し、家庭による「教育期待」を述べるに留まっています。何と無謀な判断でしょうか!医療はもとより、どの職業分野の資格付与も、専門教育・研修も、受けるべき教育内容の診断と決定を学習者の自由意志に任せることはありません。「生涯学習」概念に限って、高齢者や幼少年にとって人生の重要事であっても、学習の必要の有無についても、その中身と方法についても、学習者の自由と市民の選択に任せたのです。無謀を通り越して愚かなことと言わねばなりません。

3 「生涯学習格差」の異常発生

従来から、社会教育は「3割社会教育」と陰口を叩かれて来ました。社会教育に「強制力」は存在しないからです。それゆえ、逆立ちしても、社会教育はパチンコ屋さんには敵わなかったのです。しかしながら、従来の社会教育には専門家集団がいて、学習における「個人の要求」と「社会の必要」のバランスを取るように常に心がけて来ました。特に、公金を投入する社会教育政策においては、時代が何を必要としているか、個人に不可欠な適応・学習課題は何かが問われ続けました。「個人の必要」と「社会の必要」のバランスの課題を無視するに至った元凶こそが生涯学習概念への転換でした。
生涯学習は市民の選択権をほぼ無条件に保証し、「学習」するか否かの選択も、何を学習するかの判断もすべて市民に選択を委任しました。間断なく変化の続く時代にあって、学習を選択したものとしなかったもの、適切な内容を選んだものと選べなかったものの違いは歴然とした人生の質の格差を生み出します。それが生涯学習格差です。まず、知識格差が発生し、情報格差も、健康格差も、交流格差も、生き甲斐格差も発生しました。一概には言えませんが、「生涯学習格差」の多くは幸・不幸の格差になったと想像することは自然ではないでしょうか?生涯学習における自由と気ままの代償が生涯学習格差として発生することは必然・不可避だったのです。

4 本音と建前の分裂

自己責任は国民に選択を委任することの裏側です。「生涯学習格差」が発生したとしても、自己責任が原則である以上、国も地方自治体も政策の責任を感じることはありません。突き詰めれば、「あなた方が自分の好きなようにやった結果です」と言えば、制度的な結果責任論は発生しないのです。病院であれば、患者に責任があるとは、決して言うべきことではないでしょう。病気の悪化が予想される「患者」に対して、助言も処方も与えずに、あなたの責任ですという医師はいないでしょう。患者を放置する姿勢は病院の姿勢でないことは言うまでもありません。
研究者として恥ずべきことですが、生涯学習の自由と気ままがもたらす害悪を筆者も気付かずに見逃して来ました。国も、国の指示に従った地方自治体の社会教育行政も、今日まで生涯学習概念を放置して来ました。高齢化への対応も、少子化・子育て支援の教育方法も国民自身が決めることであるとして、結果的に効果的な対応は全くできていないのが現状です。政策も方針も示されない中で、適切な適応行動や学習を選択しなかったからと言って、政治や行政は国民-市民の自己責任を問うことができるでしょうか?国民はそうした専門的な助言や施策のために税金を払って来たのではないでしょうか。
それでも途中から自由気ままな生涯学習の危険に気付いた行政は、「現代的課題」という処方を提出しました。しかし、生涯学習概念は手つかずにそのままに放置されたのです。
一方で、生涯学習行政は、「皆さんの思うように自由にやって下さい」というメッセージを発しながら、他方で、「今日の“現代的課題”はこれです」と教育上の診断と処方を提示したとして、この種の処方は人々に採用されるでしょうか?「何をやってもいい」という自由な選択を保証された「患者相当者」の誰が「負荷の大きい学習」を選んだでしょうか!市民の意識が「楽」な方に流れれば、負荷の大きい「建前」を選択する人はいなくなります。病院が患者の「治療管理」を徹底するのは患者が自由気ままに流れて養生を怠らないようにするためです。
生涯学習の自由概念は、プログラムを提供する社会教育の職員の側にも、市民が望まないのであれば、無理をしてまでやる必要はないであろうという本音と建前の分裂を引き起こしました。社会教育職員の「専門性」の放棄が起こったのは自然でした。自治体の首長も社会教育部門に専門職を配置する必要を感じなくなりました。市民の要求をプログラム化すればいいだけですから、診断と処方の専門性は不要になったのです。
生涯学習概念の採用に伴うメッセージは、「自由に遊んできなさい。但し、現代的課題の宿題も忘れるな」と子どもにいうのと同じなのです。宿題を付け足したところで、宿題をする義務はありませんと言うのと同じなのです。
生涯学習概念は、その出発点において、「現代的課題」を選択しない自由も保障しているからです。生涯学習に看板を掛けかえた社会教育は、「負荷」の大きいプログラムはもちろん、市民の望まないことは一切できなくなったのです。頻発する青少年の不適応問題にも、体力や耐性の低下にも、各種体験の欠損にも、効果的な対応をすることはできませんでした。高齢者の場合、住民の要求に委ねた生涯学習の結果はさらに深刻でした。住民が望んだ平均値のプログラムは「パンとサーカス」に代表される「安楽余生」のライフスタイルに代表されました。生き甲斐の喪失、定年後のうつ病、アルコール依存症、孤立と引き蘢りなどは退職後の健全な活動の欠如に起因しています。生涯学習システムは、原理的に、高齢者の意志や欲求に反して教育課題を提示する積極性を欠いていたのです。
自由と気ままの代償は、膨大な医療費と介護費、多発する高齢者の不適応問題、活力を失う社会などの現象を引き起こしています。しつけを忘れ、大事なことを教えない子どもの状況も悲惨です。根本原因は、教育の民主主義を掲げた耳障りのいい生涯学習の自由と気ままにあったのです。

「保護責任者遺棄致死」裁判員裁判の教育問題

1 30歳の分別

子どものしつけは崩壊し、教えるべきことは教えず、教えてはならぬことを教えています。

今回の事件に巻き込まれた女性には30歳の分別が欠如しています。そうした娘を見る親にも自己責任や「恥」の分別が欠如しています。恐らくきちんとした幼少年期のしつけをしていなかったのでしょう。被告人のみを責める態度には、我が子に教えるべきことを教えてこなかったことが推測できます。
30歳の人生は自己の選択です。麻薬を使うのも、男と遊ぶのも自己の選択です。
今回の芸能人の「保護責任者遺棄致死」の裁判は、30歳の分別が問われた教育問題でもありました。筆者が亡くなった女性の親だったら裁判の証人には立たず、お騒がせして申し訳ない、公正な裁判をお願いします、と言うに留めるでしょう。
なぜなら、世間に恥を曝したのは分別を欠いた娘自身であり、そうした娘を育ててしまった親として恥じ入るばかりですから・・・。確かに被告人が救急車を呼んでくれたら助かったかもしれませんが、すでに亡くなった娘は帰りません。口惜しいですが、泣き言を言わずに我慢します。あの無責任で自己中のうぬぼれを遊び相手に選んだのはほかならぬわが娘ですから・・。 しかし、証言台に立った親の言動を見聞する限り、幼少期に我が子の「しつけ」に失敗したという自覚があったとは見えませんでした。子どもはどこかで幼少期の教育を引きずるものです。また、大人になった子どもと親との成人期のコミュニケーションの中で人生の生き方や指針が話題になっていたとも見えませんでした。結果的に、娘にもたらされた不幸だけを公的な場で嘆いたり、恨んだりするに留まったのはそのためです。
我が娘の分別を問うことのない親の姿勢は、世間に跋扈する過保護な親たちに子育ての試練を伝えることにはならないでしょう。一人前の条件も、30歳の分別も、自分の始末は自分で付けることであり、自分がもたらした不始末や不幸の原因を他人のせいにしないことです。反対に、この家族は、娘の不始末をすべて他者のせいにして、情緒的哀しみに溺れ、他者の落ち度や怠慢を責めるだけという無責任で恥知らずな「広めてはならぬ態度」を世間に発信しているのです。
娘は帰らず、あれだけの騒ぎになって悲しく、口惜しいことは察しますが、ここまで世間を騒がせた以上、裁判員裁判の場こそががまんのしどころです。日本人は「恥の文化」に生きているという評価が聞いて呆れます。戦後教育は「権利」が先で、「義務」は後だという風潮に流されました。しつけが崩壊したということは、義務と自己責任を教えて来なかったということです。その付けが今回の裁判で露呈したのです。娘が自分で選んで、自分で招いた不始末の不幸は口惜しいことですが、仕方がないのです。だからこそせめて娘の不始末のお詫びは親御さんに立派に言ってもらいたかったものです。騒がせて申し訳ない、我が娘の不始末を恥じ入るばかりだとおっしゃれば、まだ死に絶えていない日本人の美学が真っ当に反応したことでしょう。裁判員も人の子です。被告人には「求刑」より重い罪を主張したことになったかもしれません。
残念なことですが、少なくともメディアの報道には、親御さんのそうした言動の報告はありませんでした。
成人した子どもの事件は親の責任ではありませんが、親子である以上、泣き言に終始する親もまた「反教育的」なのです。30歳にもなった我が子の分別の欠如と不始末を忘れて、不幸はすべて相手のせいで、自己責任はないかのような風潮をばらまく結果になっているのです。

2 裁判員裁判とは何か

今回の裁判は、求刑も軽過ぎ、判決も軽過ぎます。裁判員裁判の意味が本当に分かっているのかと思いました。行為の罪を法律に則って客観的に裁くだけならなぜ裁判員裁判を導入したのでしょうか?裁判官の法律上の見解が民間裁判員の判断より重要度が高いのなら裁判員制度など導入する必要はないのです。裁判員裁判は社会の通念を処罰に反映し、世間に対する教育機能を果たすべきものなのです。
本来、民間裁判員の導入の趣旨は、被告人の行為だけを見ずに、被告人本人の振るまいや態度を見て判断すべきであるということではなかったでしょうか。被害者やその家族が裁判の証言に立つということも、犯罪の行為だけを客観的に見るだけに留めず、被害者の事情や心情も判決に組み入れるということであったと思います。
「罪を憎んで、人を憎まず」というのはプロの裁判官に要求される資質です。しかし、それだけでは市民感情に遠く、教育的でもないということが裁判員裁判導入のきっかけだった筈です。
裁判の終了後に、「被告の行為だけを見て、世間の騒ぎからは自由な判断をしました」とインタビューに答える複数の市民裁判員が紹介されましたが、そんなことが素人に出来るわけはなく、裁判員裁判の趣旨に則れば、すべきことでもないでしょう。市民裁判員の判で押したような模範陳述は、裁判所の教育が行き届いたということでしょうが、愚かなことです。素人の市民に被告人に対する人間的な評価を離れて、行為のみを判定できるのであれば、裁判に民間人を入れることなど余計なことです。裁判員裁判を導入したのは、市民の一般感覚を取り入れて、裁判結果を社会の通念から隔絶したものにしないという目的があった筈です。したがって、裁判員は、行為も被告人も両方を見るべきなのです。客観的に行為に課される法律上の罪だけを見るのであれば、今まで通りプロの裁判官だけでやればいいのです。
「致死」の罪は今回問われないことになりましたが、救急車を呼んでいればどうなったか?一方の医師が90%の確率で助かると言い、他方の医師が30-40%の確率だが助かると証言したということです。法律の解釈上、被告人に有利な低い方に合わせるということがこれまでの判例であったのかも知れません。しかし、その判断はこれまでのことです。二人の医師の救命確率を平均すれば最低でも60%の割合で助かる可能性はあったではないか、と素人は考えます。助かる可能性を残しながら、病人を放置して結果的に亡くなったとすれば「致死」に当たることは当然だというのが世間の感覚ではないでしょうか。今回の裁判員裁判の隠れた意義は「助かる可能性のある病人の側にいたとして、あなたは決して病人を放置してはならない!」というメッセージを世間に発信することです。それゆえ、今回の騒ぎは世間の耳目を集めた教育事象でもあるのです。今回のような判決が確定すれば、「助かる可能性の低い病人は、故意に助けなかった場合でも『致死』の責任は問われない」ということを世間に教えているのです。
「被告人に反省の色が見られず、自己中心的な態度に終始したことは情状酌量の余地はない」、と判決で断言しながら、被告人の「罪」だけしか見ていない裁判は裁判員裁判を導入した教育的意味を理解していないのです。自分勝手で、無責任で、嘘が多いと認定された被告人の罪は、「法律上の罪」に加えて社会に発する「倫理上の罪」が重いのです。裁判所は法律に外れないかぎり、市民裁判員に余計な教育はするなと申し上げたいものです。万が一将来、筆者に裁判員となる機会が廻って来たとしても、現状の裁判官支配が続くのであれば断固「辞退」したいものです。

問題の核心は「孤独」と「孤立」です

1 「自由」がもたらした「孤立」と「孤独」

自由と自己都合だけをを押し進めて行くと他者との衝突や対立は避けられなくなります。「自由」は一つ間違えると「孤立」と「孤独」をもたらすのです。「さびしい日本人」が生まれたのはそのためです。筆者が言う「さびしい日本人」とは、共同体を離れ、自由になった個人が、他者との新しい関わり方を見出せず、また、仕事にも仕事以外の活動にも十分な「やり甲斐」を見出せず、孤立や孤独の不安
の中で「生き甲斐」を摸索している状況を指します。「さびしい日本人」が孤立と孤独をのがれ、生き甲斐を摸索するためには何らかの方法で他者のために生きることをはじめなければなりません。新著「自分のためのボランティア」はその方法の一例を論じたものですが、果たして日本人はそれぞれの解決策を見出すことはできるでしょうか!

2 高齢社会
-衰弱と死に向かい合って生きる長い時間-

メディアが盛んに「無縁社会」と言い始めました。敬老の日が近づき、行方不明の高齢者が増えて来たら、「関係を拒絶する家族」という言い方も始まりました。個人の要求を突き詰めて行くと家族も崩壊するのです。その象徴が高齢者の所在不明です。家族以外の第3者が「遺書」の履行を引き受けたり、老後や葬儀のことを受託するビジネスやNPOの活動も始まりました。背景には葬儀の多様化や死ぬことに対する様々な態度の分化があります。過日は、自分で食事のできなくなった重病患者に「管を通して栄養を補給する」看護を止めて、「平穏死」を唱導する医師のレポートが放映されました。高齢社会は平均の生涯時間が20年になりました。老衰の時間も、死を意識して生きる時間も人生50年時代とは比べものにならぬほど長くなったのです。孤独と孤立の時間が途方もなく長くなる危険性があるのです。
孤独の反語、消滅の反対は永遠です。人間はそれぞれに限りある無常の人生を生きなければならない分、「永遠」になりたいという願望を持つのだいうのが渡辺通弘が理解した「永遠志向」(*1)です。集合墓地に葬られる方の人生の遺言や形見が電子情報となって保存される時代が来たのです。本人の死後に、家族や第3者の誰かが検索して、死者を偲ぶことがあるか否か、は分かりませんが、本人が望めば半永久的に人生の記録-軌跡が保存されるのです。「あなたがそこにいた」という事実は歴史上の偉人たちと同じように電子情報保存装置の中で「永遠」になりうるのです。渡辺氏が指摘した通り、多くの人々は永遠を志向し、歴史になることにあこがれ、自分の生きた証を残したいのです。それだけ孤独」は辛く、「消滅」の予感は堪え難いのです。

3 人生の宿題

人の死に方は人生の秘事です。当然、一定の決まりはなくていいのですが、一人で生きてきた訳ではないので「自己決定」にも他者を配慮する条件が必要です。宗像で実施した「人生をどう終りたいとお考えですか:死に方講座」では参加者に次のような自分との問答をしていただきました。もちろん、自分でも答を書いてみました。その結果、遺書も、尊厳死宣言も書き、今は自分史を書き始めました。

(1) 「自分の死」について考えをお持ちですか?
(2) 他者に「自分の死」をどう伝えますか、伝えるとしてその準備をしていますか?
(3) 「延命治療」を望みますか?
(4) 最後の看病はどなたですか?
(5) どこで死にたいですか?思いどおりになりそうですか?
(6) 自分の所有物の分配・相続は法律と家族に任せますか?
(7) 葬儀のやり方にご希望はありますか?
(8) 「納骨」、「散骨」など墓に関する準備はできていますか?
(9) 死後に残したいメッセージはありますか?誰に、どんなメッセージを残しますか?
(10) 死後の様々なことについて遺言状は書きますか?

4 「寂しさ」からの脱出法

「さびしい日本人」が「さびしさ」から脱出するためには、自分の力で他者と繋がり、新しい生き甲斐と絆を見つけなければなりません。なぜなら、一度捨てた共同体に戻ることは不可能であり、さびしいからと言って昔の慣習に戻ったところで自由な個人は己を縛る束縛と干渉には耐えられないからです。すでに、自由である事を味わった若い世代や女性が共同体文化が残存する“田舎”に住めないのはそのためです。
しかし、人間とは勝手なもので、自由とは厄介なものです。共同体の慣習が束縛や干渉に思われた時は、あれほど鬱陶しかった「みんな一緒」の慣習も、なくなってみると、誰も世話を焼いてくれないという事実だけが残りました。さびしかろうと不安になろうと誰もかまってくれません。鬱陶しかった共同体の慣習が懐かしくなるのはそういう時です。「昔は良かったね」「みんなが協力して一緒にやっていたね」という感慨は時に郷愁であり、時に孤立と孤独、不安と寂寥に対する心情の吐露と言って間違いでないでしょう。
工業と流通を基幹産業とする構造転換は、個人重視の発想とライフスタイルをもたらしました。人々は、共同体の束縛を嫌って「個人優先」を価値として選んだのです。さびしくなったからと言って「相互扶助」と「自由」の二兎を追う事はできません。共同体を拒否したとき、日本人は共同体の有する優しさや相互扶助のシステムを捨てたのです。個人の権利をみんなの共益に優先させ、自己都合優先を生き方の基本に置いた時、自由と孤立を同時に味わうことになることは必然の成り行きでした。新興団地に象徴された新しい居住地区は、「同じ地域に住んでいる」という事実だけが共通で、従来の共同体が有した温かさや優しさのシステムに代わる新しい助け合いの思想は未だに創り出していないのです。自らが主体的に動いて他者と繋がらない限り、誰も世話を焼かず、誰もかまってくれないのです。現に、近隣の交流はなくなり、自立と自由を全うできない大勢の人々が孤立状況の中で立ち往生しています。多くの日本人が「自立」したつもりで「孤立」状況に当面せざるを得なくなりました。近年では結婚のための男女の出会いを行政が予算を使って応援するところまで来ました。「婚活」支援と呼ばれています。「婚活」の「婚」は結婚の婚です。「活」は活動の活です。要は、若者が結婚するための活動を、就活(就職活動)と同じく省略した言い方です。「コンパ」もできない大学生と言われて20年以上が経ちますから、異性と話のできない若者が出るのも当然の現象なのでしょう。現代は、自分が動く能力を発揮しない限り、誰も世話を焼かず、誰もかまってくれません。「自由」がもたらした「孤立」の中で若者も立ち往生しているということなのです。自由とは時に何とも不自由なものなのです。

(*1) 渡辺通弘、永遠志向 ― 大いなる未来への目覚め、-創世記 、1982年

129号お知らせ
第103回生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年10月2日(土)15時-17時(今回は土曜日です。社教センター事業の関係で前回出席者にお知らせした日時とは異なっておりますのでご注意下さい。)
研究発表:テーマと発表者
1 学校を中核にした地域全体の教育力向上方策に関する一考察
―連携から有償「外部委託方式」による地域教育総合経営への試行―
古市勝也(九州共立大学)

2 社会的不適応問題の支援システムと方法  黒田修三(福岡県立社会教育総合センター副所長)
3 生涯学習理念の点検と実践の検証(仮)
-考え方に間違いがなくても実践しなければ人間の願いは実現できない―   三浦清一郎

場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)

第104回生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年10月30日(土)15:00~17:00

研究発表:テーマと発表者
1 テーマ未定 発表者は大島まな(九州女子短大准教授)および赤田博夫(山口市立鋳銭司小学校校長)のお二人に交渉中です。

2 市民による市民のための生涯学習システム 三浦清一郎

場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)

第105回移動フォーラムinやまぐち

1 主催   山口県生涯学習VOLOVOLOの会
2 日時   平成22年11月20日(土)13:00 ~平成22年11月21日(日)11:50 まで
3 場所   山口県セミナーパーク
4 内容
(1) 11月20日(土)13:00~17:00(18:00~第2部)
① 13:00 開会行事 代表あいさつ
(日程説明等:事務局)
② 13:10 自己紹介及び近況報告
③ 14:50~15:05 休憩
④ 15:10 講義-「自由の刑」と退職者の未来計画-
生涯学習・社会システム研究者 三浦 清一郎 先生
⑤ 16:10~16:25 休憩
⑥ 16:30 質疑応答および近況報告
(17:00 ~ 18:00 懇親会準備)
⑦ 18:00 ~ 20:00 懇親交流会

(2) 11月21日(日) 9:00 ~ 11:50
Ⅰ 特別インタビュー 9:00 ~ 10:00
「周南再生塾、創設の思想と方法」
(インタビューイ)山口県周南市長 島 津 幸 男
(インタビュア)生涯学習・社会システム研究者 三浦 清一郎

Ⅱ リレー提案と共同討議 10:15 ~ 11:45
(コーディネーター:三浦 清一郎 )
① 市民学習集団の組織化の効果と意義-たぶせ雑学大学の14年-
たぶせ雑学大学主宰 三 瓶 晴 美

② 放課後「子どもマナビ塾」の教育性、経済性、創造性
前飯塚市教育長 森 本 精 造

③ 「財源補助」の評価視点と補助効果の点検法
山口県きらめき財団 主幹 重 村 太 次

§MESSAGE TO AND FROM§
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。今回も白内障の手術後の経過が思わしくなく、書くことに難儀をしておりますが、老化は致し方のないことと覚悟をして精進しております。あらためてお見舞いを頂いたみなさまに厚くお礼申し上げます。

福岡県みやこ町 山下登代美 様

過日はみなさまおそろいで「井関元気塾」の発表会にお出かけいただき、その上、主催者の上野敦子さんに励ましのお便りまで頂いたそうで重ね重ね有り難うございました。往時の「豊津寺子屋」には未だ内容・方法ともに及びませんが、自治体の後ろ盾がないまま学童保育に教育プログラムを入れたという点で関係者の発想と努力は今後の日本の子育て支援や男女共同参画の進め方のモデルを示す試みであると評価しております。菅総理は女性の力を社会に生かすと総論ばかりに終始していますが、どう活かすのか、そのために女性が当面している「後顧の憂い」をどう解決するのか具体的な方法論が欠如しているのです。今こそ実践から学んだ女性自身が発言する時なのだと思います。

東京都八王子市 瀬沼克彰 様

この度は厚労省:健康・生きがい財団の事業をご案内いただき誠にありがとうございました。さっそく福岡の同志と相談の上試行計画を立案いたしました。
高齢者の社会貢献こそ高齢者自身の活力も社会の活力も共に生かす道であると主張して参りましたので張り切って参加させていただきます。なにとぞよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。

福岡県宗像市 田原敏美、日隈一憲 様

過日の講演会では若い方々、懐かしい方々両方にお逢いできありがたいことでした。特に、まちづくりに奔走した昔の仲間の壮健ぶりはこの国の高齢者の処遇がつくづく間違っていると思いました。みなさまは議員さんです。せめて宗像市だけでも、まずは学童保育を「学童保教育」に転換して下さい。そして壮健な高齢者を子どもの教育と鍛錬の指導者として招聘するのです。子どもも高齢者もますます元気になり、医療費は減少し、学校教育の「見えない学力」は向上し、幼少年期の不適応問題も減少し、女性は「後顧の憂い」なく社会に参画することができるようになります。保証します。

佐賀県佐賀市 関 弘紹 様

30周年記念出版にご参加いただけるとのこと森本氏からお聞きしました。嬉しく思います。長い間大会を支えていただいたあなたのご参加を得て出版の中身が厚くなります。現在、社会教育は政治的に誠に不遇ですが、この変化の時代に社会人の教育が不要である筈がありません。不要なのは今現在行なわれているプログラムであって、未来の必要に則ったプログラムは個人にとっても国家にとっても不可欠です。あなたがどんな課題を選び出されるか楽しみにお待ちしております。

編集後記 計画立案の3条件

1 3条件とは何か?

3条件とは、①「優先順位を決める」、②「時間軸を想定する」、③「目標実現への貢献率」を考慮することです。

退職後、ようやく精神が落ち着き、個人で仕事ができるようになったことの最大の利点は優先順位と時間軸と目標への貢献率を自分自身で決めることが出来るようになったことです。組織の中にいた時は、自分にとって分かり切ったことでも、その判断を貫徹できないことが多く、常に不満でストレスになりました。やがて70歳に突入し、最後の10年をどう生きるか、生き方の計画立案を思案しなければなりません。カギは上記の3点です。 民主党代表選の政治ニュースを聞いていて疑問に思うことは上記の3点がはっきりしていないことです。優先するべきものは何か、なぜか、いつまでにどうするのかという3条件相互の関連も論理的な説明になっていません。時間軸は優先項目を選ぶそれぞれの立場で、「短・中・長期」の構想に分かれることがあって当然ですが、そこを明確にしないと優先順位と貢献率の関係を明確にすることはできません。前号でも書きましたが、子ども手当は第2子以下に支給した方が少子化防止に有効なのは当然でしょう。また、保育所や学童保育を制度的に拡充し、「保教育」の充実を図った方がそれだけ経済や雇用に効果的であることは、経済や雇用の専門家でなくても分かることでしょう。
子ども手当のお金が貯蓄に廻ってしまえば、経済需要を高めることにも、雇用創出に役立つ度合いも低いことでしょう。高校の無償化政策も直接的な経済や雇用に影響は少ないのではないでしょうか?高速道路の無料化の波及効果についてはよく分かりませんが、環境に悪い影響をもたらすことは疑いないでしょう。どう考えてもこうした政策が雇用や経済浮揚に資する投資効率性は低いのです。農家の所得保障政策も、徹底した自由貿易を実現しない限り、新しい雇用を創造したり、日本の産業構造を変えることにはつながらないでしょう。3つの条件が曖昧のままの政策は「ばらまき」であるという批判はそこから来るのです。

2 最後の10年

政治のことはさておき、年寄りの当面の問題はこれからの人生をどのように生きるかです。
長期的な目標は最後まで意志と感情を失わずに人間としての意識を持って生き抜くことです。期間はまず10年を想定しました。為すべきことの優先順位は、「緊急性」と「関心の度合い」によって決めます。第1順位は、無事古希を迎えることのできた感謝の思いを人生を付き合ってくれた家族や友人に自分史の形でのこすこと、更に欲張って自分史の執筆経験を活かして一般向けの「自分史の書き方-自分史作法」をまとめたいものです。
第2順位は、教育の現場を頂ける間は、講演や講義を続けながら、最後まで研究の仕事を続けることです。研究対象は関心の順に選びたいと思っています。まず来年は30周年記念誌、次は「最後の10年-死と向かい合って生きる時間」、それができたら「市民学習ネットワーク事業の総括」です。この間も出来る限り「風の便り」を書き続けたいと思っています。そこから先は運次第でしょう。日々の戦略は変わりません。従来から提案してきた通り「読み、書き、体操、ボランティア」です。今の自分にとっては研究や教育の仕事を続けることこそが目標実現に最も効率性の高い暮らし方なのです。

「風の便り 」(第128号)

発行日:平成22年8月
発行者 三浦清一郎

健康寿命の教育的方法-元気の構造と処方

1  平均寿命と健康寿命
日本は平均寿命も健康寿命も世界一ですが、両者の「差」は大きな問題です。女性は約12年、男性は7年のギャップがあります。平均寿命が世界一であるということは医療の成功を意味するでしょう。しかし、平均寿命と健康寿命のギャップがこれほど大きいということは高齢者に対する日本の健康教育政策が失敗しているということを意味してはいないでしょうか!?単純化していえば、平均寿命とは「生きている」という事実を意味し、健康寿命(*)とは「心身ともに自立して生活できる」ということを意味しています。前者に比べて後者が遥かに短いのは「自立」を目標とした福祉政策や教育政策の失敗の結果なのです。高齢者を対象とした各種活動のメニューが不十分であれば、高齢者の衰弱が加速され、社会参画の機会は失われ、交流ややり甲斐の機会を失います。それゆえ、高齢者の自立にとって、日々の鍛錬や社会との関わり・活動のやり甲斐などが極めて重要であることを知らしめる生涯教育・生涯スポーツ振興策は高齢者の「生きる力」を決定的に左右するのです。高齢社会では、高齢期の生涯教育・生涯学習の適否が、疑いなく健康寿命を維持する条件に関わっているのです。事、高齢者については、生涯教育・生涯学習に付いても,彼らのボランティア活動の促進に付いても,政策上の補助金を出して奨励するくらいのことをしなければ、この国の高齢者の平均寿命と健康寿命の大きなギャップを埋めることは出来ないのです。人生50年時代の「余生」の考え方を引きずった「隠居」や「安楽余生」の発想が健康寿命にとっては最も大きな障碍になります。問題の核心は、心身に「負荷」をかけない生活であり、精神的な生き甲斐や老後の人生の社会参画を結果的にないがしろにしている事です。近年、福祉分野がとった施策の多くは「保護」と「安楽」を中心に置いた点で大いなる間違いでした。健康寿命は「楽して生きる」方法では手に入りにくい目標なのです。心身の自立は、特に老衰が加速する高齢期においては、老衰抑止のための一定のトレーニングを必要とすることは当然だからです。もちろん、政策当局は高齢者に対する尊敬や敬意の象徴として退職後の「パンとサーカス」を手厚く保障しようとしたのでしょう。伝統的な「親孝行文化」が影響しているであろうことも関係者の言動を見聞すれば想像のつくところです。しかし、現実は人生80年時代に当面しているのです。高齢者が自立的に「生きる力」を存続できなければ、後続世代も共倒れになる時代なのです。「親孝行文化」も当然変化しました。介護保険の導入も、「親孝行したくないのに親が生き」という川柳もその変化を象徴しています。人生50年時代の価値観も、余生隠居論の方法も現代には通用しないのです。

2 健康寿命維持の原理論
医学が「廃用症候群」に注意を喚起しているのは、使わない心身の機能は衰退するからです。フランスの生理学者ルーが「ほどほどの負荷」をかけるOverloading Methodを提案したのも、「負荷」のない生活は心身の機能を停滞させるからです。特に、高齢期は使い続けている場合でも、加齢とともに心身の機能の衰弱が加速するのですから、使わなくなればますます衰弱が加速するということになります。因みに、英語の辞書を引いてみたら「廃用症候群」はDisuse Syndromeとありました。「使わなければ使えなくなる」という意味ですから英語の方がわかり易い表現になっています。 したがって、衰弱を抑止し、機能を維持し、自立的生活を営み続けるためには、人間の機能を使い続けるということが医学的にも教育学的にも原理になります。特に、高齢期は、意識的・自覚的・計画的な「衰弱抑止訓練」、「心身の機能の活用計画」、「自立のための意識改革」などが不可欠になります。それゆえ、健康寿命の促進のためには、高齢者の楽しみごとや生活保障を手厚くする以上の危機意識を持って高齢者の生涯教育・自己鍛錬の奨励に資金を投入すべきなのです。  高齢期の「安楽」な余生を保障することを高齢社会対策の中核に置いた日本の社会教育も生涯学習の振興策も状況の診断を誤り,解決に逆行した重大な錯覚に陥っているのです。老人福祉法(1963)の第3条は「老人は、その希望と能力とに応じ、適切な仕事に従事する機会その他、社会的活動に参加する機会を与えられるものとする」と謳っています(この時代は「高齢者」の用語が普及せず、まだ「老人」と言っています)。1963年当時の法の制定者の認識は極めて正確です。しかし、法が謳った精神と処方は現在どうでしょうか。豊かになった日本は、福祉も教育も、高齢者が「社会的活動に参加できる多種多様な機会」を、「どの程度」、居住地域に準備する作業をしたでしょうか。身の回りを見渡して高齢者が活躍するステージはあるでしょうか。 今年は、筆者にも敬老の日の昼食会の案内が来ましたが、そうした年に一度の敬老行事で事を済ませて来た発想にこそ問題の根源があるのです。そもそも高齢者は保護や労りの対象でしかなく、退職後の老い先短い余生を楽に暮らさせてやりたいという発想が出発点なのでしょう。しかし、健康寿命を維持できなければ、彼らが老衰する終末にはさらなる悲惨が待ち受けている事は自明なのです。女性で平均12年、男性で平均7年、自立を失い、社会や第三者に依存して生きなければならない晩年の無念と悲哀はそこへ行ったことのないものには恐らく理解を越えていることでしょう。 人生80年代の核心は「健康寿命」なのです。現代日本の社会教育には健康寿命を維持する意識的な生涯教育や高齢者の社会参画を推進する事業プログラムが決定的に不足しているのです。
(*)心身ともに自立して暮らすことができる期間のことをいいます。日本人の健康寿命は男性72.3歳、女性77.7歳で、世界第1位です。

3 「飯塚市熟年者マナビ塾」の証明
飯塚市の公民館と福岡県の社会教育総合センター(以下社教センターという)が協力して「飯塚市熟年者マナビ塾」(以下「マナビ塾」という)の塾生の「活力向上」についての調査を実施しました。結果的に、「マナビ塾」で学んでいる高齢者の方々の生活に大きな+の変化が現れていることが判明しました。以下は、社教センターの益田茂氏が分析したマナビ塾」高齢者が示した生活条件の変化の数々です。これらは全て高齢者の健康ややり甲斐につながっていると想定されます。マナビ塾」の活動が活力を生んでいるように「豊津寺子屋」(発表年)も「むなかた市民学習ネットワーク」(発表年)も同じことを証明しています。活動する高齢者は「お元気」だということです。高齢者の活力の原点は「活動」です。「活動」が心身の機能を動員し、使い続ける心身の機能が活力を維持し続けることにつながります。活動するからお元気が保たれるのであって、お元気だから活動するのではないのです。「マナビ塾生」に対する質問は以下の6問でした。
1 「マナビ塾を通して、あなたの日常に「新しいこと」が始まりましたか。
2  「マナビ塾」活動を通して、これまで「できなかったこと」が「できるようになった」という自覚はありますか
3  「マナビ塾」活動に参加してから、ご自分の元気や活力が向上したと思いますか。
4  「マナビ塾」活動に参加して、あなたの人間関係は広がりましたか。
5  「マナビ塾」活動に参加して、楽しいと思うことは何でしょうか。
6  「マナビ塾」活動に参加して以来、体調不良で「連続して二日以上」病院にお世話になったことはありますか。
「マナビ塾」での活動効果は著しいものでした。自由記述を除く集計結果は下図の通りです。

高齢者をお元気にしたのは「マナビ塾」の活動です。参加者はマナビ塾を契機に日常生活に新しいことを開始しています。出来なかったことができるようなったということは、「マナビ塾」「活動」が「不可能」を「可能」にしたということです。当然社交や交流の輪も広がりました。結果的に活力と健康を維持することに成功したのです。「活動」が「元気」を支えるという原理は間違っていないのです。

4 健康寿命の条件
健康を支えているのは活動であることが分かりました。それではどんな活動が必要になるのでしょうか?どんな活動を始めればいいのでしょうか?私たちが活動に求めることは、人生に求めることと共通しています。したがって、活動を支える条件は人生を支える条件と同じなのです。多くを望めばすべてを手に入れる事は簡単ではないでしょう。また、難しい事を望めば,多くの努力が不可欠であり、その実現には多くの障碍が立ちふさがる事でしょう。逆もまた真なりです。少ししか望まない人はほんの少しの事に満足できるということです。「満たされること」が生き甲斐の条件であるとすれば,生き甲斐は欲求の関数ということが出来るのです。筆者はこれまで生き甲斐の条件を「やり甲斐」と「居甲斐」に分けて考えて来ました。この場合、生き甲斐はそのまま「活動」と置き換えても文脈上大きなちがいはありません。活動こそが人間相互のつながりも、成果の喜びも生み出すものだからです。「やり甲斐」は達成感や機能快のよろこびです。「居甲斐」は人間関係から生まれるよろこびです。達成感は計画した事が成就する事;成功のよろこびです。一方の機能快は本来有する潜在力を機能させることで感じる快感のことを意味しています。人は自己の身体機能や思考能力を最大限に引き出せた時に快感を覚えると指摘したのはドイツの心理学者、カール・ビューラーだそうです。多様な趣味が人々の機能快を満たして,やり甲斐を支えている背景がここにあるでしょう 「居甲斐」とは変な日本語ですが,「ここに居るよろこび」を意味したつもりです。自分の存在が「嬉しい」ということを自己確認させてくれる人間関係を指しています。筆者は次のように説明して来ました。「あなたがいてよかった」と思える人は居ますか?この方々があなたが「愛する人々」です。反対に,あなたがいてよかった」と言って下さる人は居ますか?この方々があなたの「心の支え」です。二つあわせて「ここに居るよろこび」;「居甲斐」です。孤独の問題はこの「居甲斐」に深く関わっているのです(*1)。飯塚市「マナビ塾」の皆さんは活動の中にやり甲斐と居甲斐を見つけたのです

(*1)拙著、The Active Senior, 学文社、平成18年、p.68

5「居甲斐」と「やり甲斐」の危機
(1) 居甲斐の危機
「居甲斐」の危機は、一言で言えば、加齢に伴う人間関係の貧困化です。長生きして、生き残れば生き残るほど、自分に先立つ人は多くなります。職場を離れれば、職縁の仲間を失い、子どもが独立すれば子どもとの距離が遠くなり、親を失えば、血縁の絆は一気に弱まります。伝統的共同体が消失した現代の日本にとって、もはや、「地縁」はほとんど頼りになりません。それゆえ、加齢に伴う人間関係の貧困化を放置すれば、あなたを取り巻く好意的な人間群は確実に消滅します。「生涯現役」を志すものは、意識的、計画的に、従来の「縁」に代わる「新しい縁」を探し続けなければならないのです。 「新しい縁」とは「活動」によって培う縁のことです。高齢期の新しい縁の代表例は、生涯学習を共にした「学縁」、ボランティア活動のように志を同じくすることによって結ばれた縁;「志縁」、趣味・同好の仲好しが形成する「同好の縁」などです。「新しい縁」の形成に共通しているのは、活動です。活動は、必ず参加者の時間と行動を共通化します。それゆえ、活動の縁は、経験の共有によって培われる縁であり、「同じ釜の飯を食った」ことの縁です。労働が終了したあとの高齢期に、活動を離れれば、新しい縁と出会う機会を失うということです。
(2)「やり甲斐」の危機
「やり甲斐」の危機は、定年による労働からの解放、子どもが自立する子育て義務の完了の時点で発生します。職業上の労働も家族生活における子育ても、「社会的に必要とされた」活動という点で共通しています。活動は義務的です。手抜きは許されません。 職業上の労働の中でも、家事労働においても、私たちは、頭を使い、身体を使い、気を使い心身の機能はフル回転していました。課題を成功裡にクリアした時の拍手や、達成感や、機能快はもちろん、手応えのある成果が「やり甲斐」の原点だった筈です。給料も賃金も社会が自分を「必要」としたことの証明でした。家族の無事と幸福と感謝は、家事や育児のエネルギーの原点でした。 それゆえ、定年は、社会から要請され、自分を必要とした労働の終了です。子育ても同じです。定年は、第1部の人生のやり甲斐の対象をほとんどすべて喪失するのです。世間や仲間の拍手も、仕事の達成感、能力を発揮できた時の機能快も失います。もちろん、もはや労働の成果とは縁がなくなります。 平均寿命が80年を越えた人生は食うための労働と、自分らしく・よりよく生きるための活動に分かれます。定年や子どもの巣立ちが労働と活動を分けるのです。それゆえ、定年後に、あるいは子どもの巣立ち後に、「労働」から「活動」へスムーズに移行できなかった人は、頭を使うことも、身体を使うことも、気を使うことも一気に激減します。使わない機能が一気に衰え、消滅を辿ることは、「廃用症候群」の理論で証明されたところです。もちろん、衰えるのは心身の機能だけではありません。人生の成果も、達成感も、機能快も失うのです。危機への対処策はたった一つしかありません。「活動」に参加することです。気に入った活動がない場合には、自ら自分のやりたい活動を「発明」するしかないのです。「マナビ塾」はこの発明に当たる   6  総合的対処策    健康寿命を維持する結論を言えば、居甲斐とやり甲斐を失わずに活動を継続することに尽きます。活動には自分一個のための活動と家族のための活動、社会を対象とした活動があります。 社会的活動にも色々ありますが、もちろん、ここでは社会に寄与する活動を前提としています。すなわち、高齢期に入っても社会に対して何らかの役割や責任を果たし続けることが社会に寄与する活動です。それが「生涯現役」です。「現役」とは、「現」に「今」「役割」を果たしているという意味です。それゆえ、生涯現役の構成要素は、「生涯健康」と「生涯活動」と「社会貢献」です。前の二つは健康寿命と同じ意味です。さいごの社会貢献が加わると健康寿命は生涯現役に昇華します。「昇華」するとは物質が固体から液体の段階を経ずに一気に気体に変化する変化を意味しますが、元気で生きるに留まらず、社会を支えて生きるという人生の価値の次元が異なる変化であると筆者は考えています。「生涯健康」と「生涯活動」と「社会貢献」は、三つとも日ごろの精進なしには実現できないことです。具体的・総合的対処策を処方化すれば、「読み、書き、体操、ボランティア」の4つであると提案し続けて来ました。「読み、書き、体操」の三つは健康と活動を継続するためのカギです。ボランティアは当然社会貢献活動のカギです。「マナビ塾」は上記の条件をクリアしているのです。 それゆえ、生涯現役論は、「安楽余生論」に真っ向から対立します。精進の処方を実行に移すためには、意志が必要で、負荷が必要で、絶えざる人間交流が不可欠です。高齢者の「生きる力」は、気力と実行力が支えるのです。生涯現役を実行すれば、上記に分析した居甲斐の要素もやり甲斐の要素も保障できます。高齢期は、友を失い、仕事を失うだけでもさびしいのです。加えて、心身の老いは、老いそのものがさびしいのです。「生きる力」を保持する対処策を実行せずに、老いの試練に耐えられる筈はないのです。 自分流の時代、「生涯現役論」の中身はそれぞれの工夫次第で、もちろん、いいのです。但し、社会に関わり、活動を続けることこそが、唯一「衰弱と死」に向かって降下する人間の精神を守る戦い方であり、処方です。 社会は「マナビ塾」に類する活動を奨励し、促進の条件を整備し、貢献の成果を広く顕彰することが不可欠なのです。
NPO「幼老共生」(幼老共生まちづくり支援協会)スタート!
高齢社会対策のキー概念
NPO「幼老共生」が出発いたしました。最後の検討の結果、前号でお知らせしていた名称が上記のように変更になりました。これからの日本社会の問題は「幼老共生」がキー概念になるであろうという判断です。すなわち、日本社会が当面する問題は、子どもと高齢者に集中的に現れるであろうという関係者の認識が一致しました。中でも高齢者の元気と子どもの成長を同時に保障するためには「幼」の日常を「「老」が指導・監督する「共生のシステム」が欠かせないという認識を基本としています。日本社会が長年にわたって幼少年期の「保育」と教育」を分離して来た行政の愚行に気付けば、「保教育」の概念を一般化し、保育所にも、学童保育にも高齢者による教育指導を一気に導入することが出来ます。高齢者が子どもと接し、子どもの成長を支援するシステムが実現すれば、高齢世代はまさしく「日本昔話」の通り、祖父母が次々世代を育てる社会的任務と居場所を同時に確保することができるのです。 退職後あるいは子育ての終了後、現代の高齢者の多くは、社会から必要とされない年金暮らしの「世の無用人」となります。高齢者に子どもの見守りと指導を依頼するシステムが出来れば、高齢者は一転子育て支援になくてはならない「有用な人」に転化します。高齢者自身は日本昔話の背景を為すように、次々世代子を育成・指導する日々の居場所とやり甲斐を見出すことができます。また、福岡県の旧豊津町や飯塚市のモデル事業が実証したように高齢者の子育て支援活動は彼らの活力と健康の維持に重大なプラスの影響をもたらします。結果的に、自治体の医療費を軽減し、介護費は先に延ばすことにつながることは疑いありません。また、指導に当たる高齢者の研修方法さえ間違わなければ、彼らは人生の貴重な体験を生かしてたぐいまれな教育効果をもたらし、現行の子育て支援の内容と方法の足りないところを補います。ボランティアとしての「費用弁償」費を準備したとしても現行の財源の貧しさを補うことになるのは当然です「幼老共生」は高齢社会の中心問題を解決する基本処方の思想なのです。 すでに県に対する認証の手続き文書の提出は森本理事長の手で完了しています。本年12月頃には正式な認証となり、来年1月に設立記念フォーラムを実施する予定です。

§MESSAGE TO AND FROM§  
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。今回は白内障の手術から無事に生還いたしました。沢山のお見舞いを頂きありがとうございました。再出発し当面の目標に向って邁進します。お礼の言葉が足りませんが、皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
お見舞い有り難うございました
無事手術から帰還いたしました。十分な視力が戻らず辛い日々を送っておりますが、時間の経過でいい方向に向かうだろうという人々の励ましでようやく今月の「風の便り」を書き上げました。入院に際しまして沢山の方からお見舞いを頂戴しました。ボランティアの英語クラスのみなさんからまでお心遣いをいただき、やはり新著タイトル「自分のためのボランティア」の想定は間違いではなかったと感慨ひとしおでした。学文社に提出した原稿の校正作業も退院を待ったかのように届きました。入院・手術の時期は偶然以外の何ものでもありませんが、個人的には男性の平均寿命を目標にした最後の10年が始まると感じております。宗像での「死に方講座」の実施と平行して自分の遺書も書いて妻に渡しました。「短歌自分史」の方法を提案し、部分的に古希を迎える時期に重ねて実験を始めました。最後の10年は自分の死を意識して生きる10年になります。人生80年時代は退職から死までの間に病気や老衰や孤独への恐怖がますます大きくなりますが、健康寿命の維持に教育は何をできるのか。その間自分は何をしようとするのか。次の著作は「健康寿命への挑戦-最後の10年」の書名で問題の分析をしてみたいと決めました。お礼に代えて退院のご挨拶まで。

山口県Volovoloの会のみなさま
大寺和美さんのお骨折りで11月の山口移動フォーラムには周南市の島津幸男市長さんがご登壇下さることになりました。事務局の赤田校長にも報告し、準備を開始いたします。当日はお友達をお誘いの上ご参加いただけると幸いです。福岡からは飯塚市の森本精造前教育長の快諾もいただきました。ご期待下さい。

福岡県宗像市 山口恒子 様
いよいよお引っ越しですね。長い間いろいろとありがとうございました。あなたは私が大学改革の意気に燃えていた時も、失意のうちに人間を憎むようになった時も変わらずに助けて頂きました。悪夢の10年から解き放たれ、ようやく自分の居場所とやるべきことを見つけましたが、今度はあなたが遠くへ行かれます。年をとったあとの友との別れは再会を期すべくもないでしょう。 入院中病院で暗誦した李白の詩は今の自分の思いに重なります。お別れのはなむけに贈ります。
友人を送る    李白
青山北郭に横たわり   白水東城を巡る  此の地ひとたび別れを為さば  孤蓬(風に散ってしまう草)万里を征かむ  浮雲は遊子の意(浮き雲は旅に出るあなたの思いでしょうか)  落日は故人の情(夕日は送り出す私の気持ちです)  手をふるってここより去れば  蕭々として班馬嘶く

128号お知らせ
第102回生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年8月29日(日)14時30分-17時(今回も土曜日ではなく、日曜日です。お間違いなく。)場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
事例研究:「女子商マルシェ」体験教育プログラムの効果と衝撃-「模擬体験」授業から「実体験」授業へ(仮題)-益田 茂(福岡県立社会教育総合センター主任社会教育主事)論文発表:健康寿命の教育的方法-元気の構造と処方(仮題)(三浦清一郎)
第10x回移動フォーラムinやまぐち
主要内容と日程が決まりました。ご予定に入れていただけると幸いです。
主催:山口県生涯学習推進センター地域コーディネーター養成講座研修生同窓会日程:平成22年11月20日-21日(土-日)場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂)
編集後記入院十話 他人の入院の話などお読みになりたくはないでしょうが、筆者にとっては学生時代の盲腸の手術以来初めての長期入院で、経験は新鮮でした。感想は出来るだけ生涯学習に引き付けてまとめたつもりです。ご退屈でしたら平にご容赦下さい。
1 虫のようには生きられない
どこから入ったか消灯後の3階の中庭にコオロギが啼き始めました。前日が立秋でした。今啼かなければ、啼く時を逸するとでもいうように懸命に啼いていました。八木重吉の詩を思い出しました。
「虫」
虫がないている今ないておかなければもうだめだというふうにないているしぜんと涙をさそわれる
病院というところは俗事を忘れて「生きる」という生物の原点を思わせるのかも知れません。虫はなくことに集中できるが、私が虫だとして、今やっておかなければならないことは何か、と問われたらきっと答えられないでしょう。すでに妻に渡した遺書の中身を思い出して吟味しました。虫のように簡潔を旨としたいと思いながらも、人間には大切なものが沢山あり、虫のようにひたむきに一つのことのみを選ぶことはできないということを思い知っています。

2 必死に生きる
一日だけ小さな女の子が入院して来ました。“こわいよう!こわいよう!”と悲鳴に近い泣き声が聞こえました。気兼ねした家族も看護師さんたちも為す術がありませんでした。甘えて「だだ」をこねるわがままな子どもには怒りを禁じ得ない自分ですが、彼女の泣き声をうるさいとは思いませんでした。わがままでも甘えでもだだをこねているのでもなく、本当に恐かったのです。ひたむきで一生懸命で生きることの恐怖がむき出しで何もしてやれない無力の自分が哀れでした。八木重吉の虫の詩に通じるところがありました。いつの間にか忘れていましたが、子どもの頃は何もかも振り捨てて一つのことに集中して生きることが出来たのですね。

3 社交とコミュニケーションの条件
自分の商売柄、入院中にはだれとでも話をしてみようと勇んで来たのですが、実際は予想以上に難しく、職業生活の日常のようにはいきませんでした。「手術後しわまでよく見える」とか、「10年続けて来た蜂蜜が若さの秘訣だ」とか、「ルース大使は広島まで来てなぜ何もしゃべらないのか、あのばかが」とか話題は四方八方に散乱して双方向の対話・会話に加わることができないのです。 大学の寮生活のような雰囲気を期待して4人部屋を希望したのですが、高齢者の「前向きの会話」を持続することは決して簡単ではないことを思い知らされました。学生の頃は馬術や演劇や文学など何時も仲間と共通の話題がありましたが、病院の共通課題は眼病だけですから無理もないということなのでしょう。同じ活動を共にする「経験の共有」が先で、「コミュニケーションは後」というのがコミュニケーション促進の鉄則であるということをあらためて思い知らされました。退職後の人々のコミュニケーション不足が大問題であることは周知の事実ですが、社会的活動に参加しない高齢者のコミュニケーションを促進することはまず不可能に近い難事であるということを悟らざるを得ませんでした。自分が社交やコミュニケーションに困っていないのは社会教育が準備してくれる多様な活動のお蔭であることを再検証した思いです。
4 相性の条件
あいさつ以外ほとんど人としゃべらなくなって入院5日目、新しい発見がありました。人間同士「波長」が合うと感じる時の重要な判断材料は「声」であるらしいということです。上記の通り病室でも食堂でもロビーでさえも会話を続けられない自分にがっかりしていましたが、手術が終って眼帯をして視力を失い、手探りに近い状況で病院内を歩かざるを得なかったとき、たまたま食堂で食事をしようとした際、「この席よろしいでしょうか」と声がして私の前に一人の女性患者さんが坐りました。私は月並みの儀礼とあいさつの返事をしました。彼女も月並みのあいさつを返したのですが、その「声」を聞いた途端、この人とは話が通じると直観しました。初対面ですから確たる根拠はある筈もありませんが、ぼんやりお顔が見えてその声音やリズムや気を感じたとしか言いようがありません。直観は間違っていませんでした。食後も彼女と話が弾み、翌日は彼女が私を探してくれてふたたび話が弾みました。考えてみたらたわいのない病気のこと、痛みのこと、お互いの仕事のこと、人生でがまんしなければならないこと、庭の草花のこと、窓の外の入道雲のことなどを話しました。
20年前私はアメリカ、北カロライナ州立大学ローリー校の客員享受でした。孤独な研究生活に追い込まれていたのですが、その時も「声」に救われたことがありました。以下はその時の「声の出会い」の詩です。

「朝の並木で」
朝の並木ですれ違うあなたは黒人で私はオリエンタル朝のキャンパスのあいさつは頷く笑顔が素敵なことだ何百人にもであったが嫌な奴の多い世の中だグッドモーニングの声もいい広野に鐘が鳴るようだ昔二人は仲間だった密林の川で泳いだか、極北の海を旅したかとにかく二人は同志だった異国の秋は木の葉の雨だままならぬことも多いけれど分っていることさ この世のことだ!
日々の活動に共有する経験がなくても「波長の合う」人とは話ができるものだと上記3の結論を一部修正する事実を体験しました。「前世でお会いした」とか、「百年の知己のように」とか、「意気投合」とか、「ひとめぼれ」とかは確かにわれわれの人生に存在するのですね。

5 世論の作られ方
携帯電話の時代です。個室の公衆電話室が準備されていましたが、利用したのは私だけだったでしょうか!コモンスペースのところかまわず大声でしゃべりまくる携帯は現代の病院の最悪の現象の一つだと思いました。レストランなどと違って「やかましい」とも言えず、規則が決められていない以上ナースステーションにも文句は言えません。“ここには冷蔵庫もないのよ!テレビもないのよ!信じられる!(ロビーにはないが、廊下の奥の食堂にはあるのだ!)、今時ラジオなんかもって来ないわよね!なんとかしてよ!退屈で死にそうだわ”と続きます。長期入院の準備不足で時間を持て余した患者が知人に不満をぶちまけ、その同調者が彼女の周りに集まってそうだ!そうだ!と話が盛り上がります。この国の世論はこんなふうにできあがるのでしょう。しかし、自分の商売柄「民主主義は下らん」、とは口が曲がっても言えないのです。
6 おしどり夫婦か、従属の関係か!
となりのベッドの方は私より一日早い入院でした。到着の際に奥様が見舞いに来られていたので通り一遍のご挨拶をするに留めました。食堂で皆さんと一緒の食事もされることもなく、食事のお盆を病室に運んでいました。以来奥様は毎朝お出でになり、面会時間の制限ぎりぎりまで傍らに付き添っておられます。ほとんど二人は話をされず、奥様は刺繍をしたり、ご主人は寝転んで雑誌を読んだりしています。長年連れ添ったご夫婦というものは言語を交わさなくても側にいるだけでコミュニケーションは十分なのだと妙な感心の仕方をしていました。絶えずおしゃべりを続けている私たち夫婦とは流儀がちがうのでしょう。一日早く退院されて行きましたが、二人の様子は終始変わりませんでした。結果的に、最後まで、私は話しかける機会を逸しました。一方、私と妻とのコミュニケーションは一日2回の定時電話報告です。看護の状況、メニューの説明、医者の言葉、病院の流れ作業、脳トレの状況、FM放送で聞いたことなどなどを逐一説明します。その中でお隣りのご夫婦のことも上記のように報告しました。妻は吹き出して「なぞでもかけているの!」とひと言、「退屈でしょうに!可哀想な奥さん!」と言いました。「変わりたくない男」と「変われない女」だと言うのでしょう。見方は色々あるものです。私はもちろんやせ我慢をして、猛暑の中を見舞いになど来ることはないと妻を止めておりました。妻は手術の日と退院の最終日にだけ来てくれました。当分、病院百景、われわれのおしゃべりの材料に不足はないでしょう。

7  「正しい朗読」-自家製録音-脳トレ

一週間以上の入院は初めてのことなので退屈とどう向き合うかは最大の課題だと想定し、詩吟や講談や朗読資料を事前に探したのですが、宗像のミュージックショップでは見つかりませんでした。店長の話ではその種のCDやテープは一度も売ったことがないとのことでした。図書館で視覚障害者のための録音資料の有無も調べたのですが、貸し出し期間が短い上に、資料数も少なく自分の気に入ったものがありませんでした。更には目の悪くないあなたが何の用だ、と言わんばかりの応対にいささか腹を立てて止めにしました。日本の図書館は誠に不勉強で、長期入院とか遠距離の運転とかを想定したことがないのでしょう。サービス精神が欠如しているのです。アメリカでは車の運転者のために「クラッカーバレル」というチェーン・レストランですらもが様々な朗読資料を貸し出し、どこのチェーン店で返してもいいというシステムがあります。 運転中のテレビ視聴はもってのほかですが、朗読を聞くのはラジオを聞くのと同じですからこちらの方が遥かに安全です。今回の経験は山口県長門市の図書館運営協議会の委員長をされている林 義高さんに話そうと思ったことでした。 慌ただしく過ごしているうちにとうとう入院一週間前になりました。仲間の会合で私が話した図書館の朗読資料のことが話題になり、福岡県の図書館の本の読み方やストーリーテリングには厳しいルールが課されると聞きました。音読とか朗読とか言わずに「音訳」というのだということも後で聞きました。句読点に従うとか、一定の間をとるとか大まかな原則があることは理解できますが、読み手の感情が入ってはならないとか、「正しい読み方」は一つであるという言い方には大いに反発を感じました。まして聴覚資料は朗読ではなく、「音訳」であるべきだという考え方も馬鹿げていると思いました。私の商売に照らしていえば、「正しい講義」の仕方が一つであるはずはないからです。一体誰がその「正しさ」の基準を決めるのでしょうか?書くことに「文体」があるように、読み方に読み手の口調やリズムや調子が反映されるのは当然のことです。話に「話法」があり、朗読にもそれぞれの「芸」があってしかるべきでしょう。世阿弥が喝破した通り「型より入りて、然る後に型より出る」ことは教育の極意です。「型通り」だけが大手を振って世の中を席巻するようでは個性も芸も不要になります。私が漏らした感想に対して、下関の永井丹穂子さんからわが自家製朗読を聞いてみたいというメールをいただいたのを引き金に「泥縄式」に、猛然と朗読資料の手づくり自家作成に取りかかりました。唐詩撰のなかから李白や杜甫の名詩の数々、現代名詩選から藤村から萩原朔太郎、中原中也、立原道造、井上靖まで近代詩の数々、啄木の歌100首、藤沢周平の短編から「玄鳥」、「三月の鮠」、「夢ぞ見し」の3編を選んで朗読し、自分で録音資料を作成しました。
かくして、患者相互のコミュニケーションが思い通りに進まず、妻の見舞いを断ったやせ我慢の時間は出来るだけ暗誦の脳トレに励みました。詩はほとんど全部を暗誦しました。暗誦した中原中也の「冬の長門峡」の最後は「やがても蜜柑のような夕日欄干にこぼれたり、ああそのような日もありき、寒い、寒い日なりき」と終ります。私も人生の69年目で病院の窓から純白にそびえ立つ積乱雲を焦がれるように見ていました。「純白の積乱雲窓外にそびえ立ち、吾は病院にありき。ああそのような日もありき、暑い暑い日なりき」、とノートに書きました。

8 分業によって欠如するのは「親身さ」です
病院は快適でした。看護も医療も実に正確でてきぱきと行なわれました。初めは何の不満もありませんでした。看護も医療も初めに予告された通り決まった時間に決められたことが確実に行なわれました。多くの入院患者がいるので大勢の看護師さんが交替で勤務していました。誰が来ても同じ質の、同じレベルの看護が行なわれました。補助者が担当する目の検査も同じように見事に計画的に行なわれました。医師の診察も流れ作業のごとく決められた時間に行なわれました。現代の労働は「平準化」、「マニュアル化」が原則なのです。退院の直前の6日目くらいになって気付いたことがあります。欠如しているのは「親身さ」であると・・。 分業は正確で、効率的で、均質を保つことはできますが、分業に関わる人々が全体を見ることはできません。誰一人私の全体を見る人はいないのです。接客は「マニュアル通り」です。どの看護師も、担当の医師もそれぞれに自分の義務をきちんと果たしているのですが、患者に寄り添うことはできていないのです。人が機能によって生き始め、分業によって職業が成り立つとき、人間が失った者は「親身さ」であるということに気付いたのです。最終日に、仮眼鏡の処方を作ってもらったのですが、若い検査技師が眼鏡視力の調整をしてくれました。書くことが商売で、コンピュータ-を毎日使う、とか本も一般人よりは沢山読むから近くを見る眼鏡が重要であることを種々説明しました。 しかし、二人の検査技師はどこまで親身に聞いてくれたでしょうか!?「手術後は仮の眼鏡で、視力は次の2-3ヶ月で大きく変わるので正確さは余り意味がない」という主旨の説明を繰り返しました。最後には病院が契約している眼鏡屋があるのでそこへ行きなさいということでした。彼らは効率的で、与えられた仕事はきちんと果たすのですが、「親身さ」に欠けているのです。親身さが欠ければ相手の立場に立つことは難しくなります。検査の間中彼らは本気で私のことを心配してくれてはいないということを痛いほどに感じました。「親身さ」は、マニュアル化した効率的分業の中には存在しないのです。 退院の前の日から付き合いの長い街の眼鏡屋さんに事情をお話しして連絡しておいたので、彼は待っていてくれました。彼は、私の職業も日々の暮らしぶりもよく知っているので、誠に親身になって、遠くを見る眼鏡も、近くを見る眼鏡も、あれこれいろいろレンズを入れ替えて試しながら、私に一番いいのはこれだろうという眼鏡の度数を選んでくれました。しかし、彼が測定してくれた通りの眼鏡は作れませんでした。病院が作成した処方があるかぎり処方通りの眼鏡を作らなければなりません、ということでした。 しかし、近いところは見えにくいでしょうね、という感想でした。彼の再検査では、若い検査技師が作成した処方の度数では私の生活には合わないだろうということでした。事実、「風の便り」の文字も半分霞んでしか見えないのです。私は、若い検査技師が流れ作業の中で私の話を聞き流して1-2度レンズを代えただけで、処方した結果ですから無視してあなたの思うように作っていただきたいと頼みましたが彼は静かに首を振るだけでした。あと2-3ヶ月は毎日、親身さの欠如した流れ作業のやっつけ仕事を思い出して腹を立てながらコンピューターを打つことになるのでしょう。
9 政治家の頭
食堂で子ども手当が話題になっていました。「くれるというものは貰っておかなくちゃ」、「そうよねー!」「娘も二人目を生んでおけばよかったのよ」、「あら、お宅も一人っ子ですか」、「でもお金もちにまで配ることはないと思うけど!」というように続く。民主党は「扶養控除」の代わりだから所得による差別化はするべきではないと言う。しかし、「扶養控除」が富裕層に有利であるというのであれば、そこにこそ所得制限をかければいいだけのことであろう。少子化を止めようとするのであれば、二人目以上の子どもにだけ少し手厚い子ども手当を付ければ出産の動機づけになることは上記の会話から明らかであろう。自分たちの楽しみや職業が優先で子どもはいらないという人は子ども手当に誘われて出産・育児に方針転換をしようとは思わないであろう。 自分流の時代の少子化対策の最大の困難は、「育児」のみに縛られる人生は送りたくないと若い母、若い夫婦が考えるようになったことです。古い世代も、「変わりたくない男」たちも「育児」より大事なことがあるか、と叫ぶのですが、「育児」に匹敵する「やりたいこと」は現に沢山あるのです。 それゆえ、答は「養育の社会化」しかないのです。不可欠なのは世間があっと驚く規模とないようの「養育支援」のシステムを創る事です。その時、保育所と学童保育に熟年者による教育プログラムを導入して「幼老共生」を実現することが子どもの元気と女性の元気と熟年者の元気を同時に保障する方法です。こうした答は折角国民が政権を与えた民主党の政治家の頭でもむりなのでしょうかね!?上記に報告したNPO幼老共生の方向は決して間違っていないのです。

10 最後の10年
高齢社会とは退職や子育て後の生涯時間がますます長くなる社会をいいます。平均の生涯時間は20年、女性の場合は30年近くになります。生涯時間が長いということは、換言すれば「衰弱する過程」の長い社会であり、「老いや死を意識して生きる時間」が長期化する社会を意味します。 筆者も来年早々に70歳代に踏み込みます。男の平均寿命を考えれば、最後の10年にさしかかるということです。病院のベッドに寝ていると己の終末についてもいろいろ考えさせられます。今回の白内障に限らず、生老病死が集約してこの10年に出て来ることでしょう。人生の総括をしなければなりません。遺書は一応書き上げ妻に渡しました。葬式の仕方も遺言に含めました。倒れた時の「風の便り」の読者へのごあいさつは教え子に託しました。残された課題は死に向って如何に生きるかということになるでしょう。子どもや孫に語り継ぐべきことはないか、友人や仲間に伝えて置かなければならないことはないか。じたばたしても詮無いことですが、それなりに波乱の多かった人生、心残りがないわけではありません。自分がそう思うのであれば、他の方々も同じように、最後の10年はそうした振り返りの10年の特性が強く出るだろうと予想します。近隣の市町の知り合いの社会教育担当者に頼んで、高齢者学級の分科会に懸案の「短歌(俳句)自分史」を加えてもらい、総括の支援と指導に着手しようと決心した次第です。

「風の便り 」(第127号)

発行日:平成22年7月
発行者 三浦清一郎

没落の分岐点
週間点検チェックリスト
* 数字はそのまま評価点です。
* 1週間を基準とした高齢者の生活で5つのチェック項目の合計点を評価してみて下さい。10点は没落の分岐点です。万一、10点を下回っていたら急速に老化が進みます。ご注意下さい!!

I 生活の自律・自立度

4・・日常の家事はなにごとも自分できます。半分以上は自分でしています。
3・・やろうと思えば、日常の家事は大体自分でできます。半分まではいかないが自分でするようにしています。
2・・あまりできないが、自分でするように務めている過程にあります。
1・・ほとんどできません。自分でするように心がけなければならないと思っているところです。
-1・・ほとんどできません。今のところ自分でしようとは思っていません。

II 読み書きそろばん話し合い

4・・毎日会話し、読み書きを続けています。
3・・週の半分くらいは会話や読み書きを意識して実行しています。
2・・そういう機会を探しているが中々実行できていません。
1・・ほとんどやっていません。実行する機会も意識して探してはいません。
-1・・読むことも話すことも書くことも嫌いです。

III 肉体の維持・鍛錬を意識した体操を励行していますか?

4・・毎日身体を動かし、体操もして筋肉、筋、間接などが固定しないよう心がけています。
3・・週の半分ぐらいは意識的に身体を動かし、体操もしています。
2・・日常の家事以外運動は週1回程度です
1・・意識的に運動はしていません。

IV 社交と活動(労働)への参加

4・・定期的に仲間に会い、定例的な活動も行っています。
3・・時々は仲間に会い、気が向けば各種の活動にも参加します。
2・・たまにしか外に出ることはありません。行き来している仲間も決まっていません。
1・・特別のことがある場合以外は社交にも活動にも参加することはありません。
-1・・活動も社交も好きではなく、人付きいはしていません。

V 目標はあるか、目的に向かって生きているか

4・・1ヶ月先、半年先、1年先など近未来の目標があり、目的を持って生きています。
3・・目的を持って生きていますが、当面の具体的な目標はありません。
2・・その時々の興味と関心に対応して生きていますが、明確な目標はありません。
1・・目標とか目的とか意識したことはありません。

I 生涯現役の構成要因

生涯現役の処方は「読み書き、体操、ボランティア」です。どの一つを怠っても「現役」は貫徹できません。「現役」とは「現に今」、社会的な「役割・役目」を果たしているという意味ですから最後のボランティアは最も重要です。年をとってもお元気を保っているのは「生涯健康」、熟年が趣味の活動に楽しみを見出しているのは「生涯活動」、社会を支えるボランティアのような活動に参加していることこそ生涯現役です。それゆえ、生涯健康と生涯活動は生涯現役の前提条件です。
「読み書き」は頭脳のトレーニング、「体操」は肉体の維持・鍛錬、「ボランティア」は社会貢献・社会参画がもたらす総合的な居甲斐とやり甲斐の創造過程を意味します。生涯現役もまた人生の「生き甲斐」を切望するという点で他のあらゆる人生と原理的に変わるところはありません。ここで「総合的」とは頭脳も肉体も精神も感情も人間の諸器官を総動員した活動を前提としています。したがって、「読み書き」と「体操」はボランティアを通して社会に参画する日のための日常の「準備運動」になることをイメージしています。また、居甲斐とは「あなたを取り巻く好意的な人間関係」の中の交流や社交を意味します。居甲斐とは「ここに居る甲斐」、すなわち皆さんにお逢いできてよかったという実感のある人々とのお付き合いを意味しています。一方、「やり甲斐」は日々の活動が原点です。活動の楽しさ、自分の能力を発揮することの快感:「機能快」、活動成果の確認などが「やり甲斐」を構成する要因です。

II 生涯現役の処方-点検の視点

上記の処方は本人の自律と自立を前提としています。自分のことは自分で決め、決めたことは基本的に自分で実行するということが自律であり、自立です。評価法は4点満点です。
4点は「良くできている」、3点は「まあできている方だ」、2点は「どちらかというとできていない」、1点は「全くできていない」です。-1点は「やる気がない」場合です。平均3点以上は合格、2点以下は不合格です。平均点が2点以下の場合、加齢とともに一気に心身の機能の衰えが加速することになります。重々お気をつけ下さい。

1 生活の自律・自立度

炊事も洗濯も掃除も身の回りのできることは全て自分でする態度を保っているでしょうか?生活の自立は構想力と実践力の総合です。自律的生活には人間能力のすべてが総動員され、共同生活においては段取りと思いやりが基本です。(男女共同参画の視点から男性には特に重要な視点です。)

2 読み書きそろばん話し合い

読み書きとは古人が重んじた「読み書きそろばん」に「会話」を加えた脳の働きを重視するという意味です。もちろん、人間の言語活動の全体を代表して使っているので、日常の会話、他者とのコミュニケーションを含んでいます。簡単にいえば、高齢者の絶えざる「脳トレ」です。
「生きる力」の基礎は「体力」、土台は「耐性(がまんする力)」ですが、高齢者に体力と耐性のトレーニングを命じるのは本人の頭(精神)です。高齢者の頭が耄碌し精神力が衰退すれば自己トレーニングの重要性の自覚と実践への意志力を失います。それゆえ、高齢者にとって、最も重要なのは意識と意志力です。生きる力の基礎(体力)と土台(耐性)は高齢者の意志が守るのです。読み書きは頭脳のトレーニングですが、頭を鍛えるのは意志と精神力を維持するためです。
会話は毎日していますか。新聞、雑誌、小説その他毎日何かを読む習慣を持ち続けていますか?日記。はがき、手紙、俳句、詩歌その他何かを書き続けるということを意識して実行していますか?脳のトレーニングの研究では、対話や音読が脳の基幹部分の「前頭葉連合野」にとって効果的であることが証明されています。

3 肉体の維持・鍛錬を意識した体操を励行していますか?

子どもの頃に習ったラジオ体操が一つの基本です。体全体をほぐす、血行を良くする、バランスを試す、柔軟性を保つことなどを意識して個々の筋肉を動かし、関節を動かし、筋を延ばし、跳んだり、曲げたり、かがんだり、伸びたり身体のあらゆる部分を動かすように運動して下さい。スポーツや労働はもちろん身体を動かし、内蔵や心肺機能を鍛えることも重要です。その際、基本の体操は馴らし運動であり、準備運動です。日常の怪我や事故を防ぐためにも念入りに繰り返し行なう準備・整理運動が大切です。使わない機能は使えなくなります(廃用症候群)。ほどほどの「負荷」をかけて使い続けることが大切です(生理学者ルーの3原則)。

4 「自分のためのボランティア」
「やり甲斐」の追求-活動の創造・活動への参加

高齢者にとって一番大事なのは日常における活動の摸索-「やり甲斐」の追求です。活動は体力から精神力まで人々の諸機能を総動員します。廃用症候群の原理に照らしても、「使わない機能は衰える」ということですから、活動している人はお元気を保つことができるのです。高齢者の方々は元気だから活動しているのではありません。活動しているからお元気を保っているのです。
高齢者に推奨されるべきは生涯現役です。生涯現役だけが「やり甲斐」を保障してくれます。活動の究極は他者支援・社会貢献です。具体的な方法は他者支援を内容としますが、基本は「自分のため」です。唯一、他者支援の活動のみが世間の賛同と賞賛と感謝を集めることができます。自分の居場所と必要とされて生きるステージが保障されます。やり甲斐とは人々に必要とされて生きることです。週1回、月1回のボランティア活動から始めましょう。活動は活動者の目標を創り出します。また、一度目標ができると、今度はその目標が新しい活動や人間関係を創り出します。活動と目標は相互に影響し合いながら、人々の生活を豊かにして行くのです。

5 「居甲斐」の探求-社交の創造・グループサークルへの参加

居甲斐とは「ここに居てよかった」、「みなさんに会えてよかった」という実感を得られる幸福な状況を意味しています。それゆえ、居甲斐を決定するのはあなたを取り巻く好意的な人間関係の総体です。好意的な人間関係とは「あなたに逢えてよかった」と言って下さる人々、またはあなたから見て「この方々に逢えてよかった」と思える人々の両方を意味します。そうした方々との交流や共感的な関係があなたを取り巻く好意的な人間関係です。通常、社交はそうした人間関係の中で行なわれます。自分が気に入らない人と付き合うことも時にはありますが、継続的な人間関係にはならないでしょう。特に、自由な高齢者にとって、社交の人間関係は「選択」が原則だからです。

生涯教育立国論-未来の必要

過去の軌道を延長するだけで未来の必要は見えません。未来の必要は過去を飛躍させ、未来の目標を想定する中から生まれて来ます。優れた過去の実践事例も必ず現実の制約条件の中にあり、政策の必要・十分条件を妨げた所与の環境の中で生み出されました。
現状と妥協せずあるべき事業やシステムを論じない限り、未来の必要に応える政策は生まれて来ません。生涯教育なしに変化の時代の成長も進歩もあり得ません。生涯教育立国とはなかんずく国民の資質の向上を意味します。生涯教育がもたらす施策の総体が未来の社会のあり方を決定します。
1 技術革新を支えるのは生涯教育です。変化への適応、変化の創造こそが生涯教育の目標です。
2 生涯学習を国民の主体性にまかせて国民の資質の向上はあり得ません。人々の欲求の平均値が「パンとサーカス」に集中するのはあらゆる娯楽の宿命です。テレビも雑誌も生涯学習もこの宿命を逃れることはできません。
3 生涯学習から生涯教育への概念の転換は不可避の課題です。
4 平均寿命ばかりが伸びて、健康寿命が伸び悩んでいるのは高齢者教育の停滞が原因です。子どもがへなへななのは学校教育はもとより地域の鍛錬教育の停滞が原因です。幼保一元化はもとより保教育プログラムの導入が不可欠です。

1 生涯学習概念に見切りを付ける!

政権交替を含め、時代があらゆる面で変化しています。変化は必ずわれわれに新しい状況への適応を要求します。生涯学習もあるいは社会教育も今までの仕組みややり方を全面的に評価し直す時期が来ているのだと思います。
近年の政治は明らかに,社会教育も生涯学習も評価していません。故に,予算が削減され,人員が削減され,公民館を始め社会教育・生涯学習関係の施設も確実に指定管理制度によって行政の直営から外れています。この傾向は今後ますます強まって行くと予想されます。生涯学習概念の登場によって,社会教育は国民が選択する学習と等値され、教育者を主役にする生涯教育の概念は否定されました。国民の向上を志向する教育政策論は「生涯学習」の中身と方法は国民主体決定すべきものであるという教育民主主義の「ゲンリ主義」の前に沈黙を余儀なくされました。中身の決定は主役の主体性の問題であるということが「ゲンリ主義」の中心原理だからです。「主役」が中身を論じない以上、政界も、行政も、学会すら国民にあるべき学習の中身を示唆、提案、指示、勧告はためらわれたのです。「生涯学習」の旗を掲げた以上、決定の主役である国民に「あるべき学習」を「説教」することは、主体性への干渉であり、越権であり、烏滸がましいことだからです。行政システムにおいても,社会教育課の看板はほとんど全て「生涯学習課」に書き換えられ、業務内容は国民が選択する「学習」の環境整備と振興ということになりました。
国民が選択した「学習」は国民の平均値を越えることはなく、「パンとサーカス」に傾いたことは、視聴率と広告収入に依存するテレビ番組と同じ運命をたどったのです。それでも文部科学行政は生涯学習が陥った深刻な状況に抜本的な対応を怠りました。教育基本法は国民が選択する生涯学習を認知したに留まらず、生涯教育が時代の変化に対応するために登場した原点を忘れて、「人間一生勉強が大切じゃ」というありきたりの「べき論」を方に盛り込んだだけに終わりました。社会教育法も軽微な部分修正に終始して根幹はそのままに放置されました。少子高齢化を始め、時代の緊急課題が噴出する中で,そうした課題に対処すべき、社会教育法に代わる新しい生涯教育を推進する法律も制定されませんでした。また、臨教審時代に別途制定された生涯学習振興法はほとんど全く現実に寄与していません。そのことは、現在、誰一人この法律の存在を論じないことからも明らかでしょう。教育基本法の改正における生涯学習の捉え方は,生涯にわたる“国民の修養”と等値され、技術革新に伴う社会的適応の必然性の視点を完全に欠落しました。生涯学習の必要は国民に修養のためではなく、間断なく発生する社会的条件の変化の連鎖が生み出したものであることを忘れているのです。もっとも重要な教育の基本法においてすら、国民のあるべき生涯学習を立国の条件として認知しなければ、その推進の仕組みや実践の推奨が政治課題、行政課題になる筈はないのです。生涯学習は国民の欲求を取って、社会の必要を軽んじました。生涯教育の機能は、生涯学習を国民の欲求の前に放任した立法関係者の不勉強の結果、明らかに政策論議の過程で過小評価されているのです。

2  国民主体と国民放任の混同

更に,基本法の改正は家庭教育に関しても重大な状況判断のミスを犯しました。「早寝早起き朝ご飯」のスローガンに象徴される家庭の教育機能の衰退に直面しているにも関わらず,状況を補完すべき社会教育のあるべき指針も,学校の閉鎖性や学校外の子どもに対する非協力性にも触れることなく、関係分野の連携の「在り方」も謳われる事はありませんでした。驚くべきことに,一方で、家庭の教育機能の重要性を喚起しながら,現状に目をつぶって、過保護の親を過信し、「家庭の自主性」を尊重するという文言が条文に挿入されました。国民の主体性を尊重するということと現状の国民を放置することとが混同されたのです。事、生涯学習に関する限り、教育基本法の改正は,時代の分析と立国の条件を忘れ果て、本質を外した誠にお粗末な条文になったのです。

3  「生涯学習格差」の深刻化

一方、登場した生涯学習の思想と実践は,第1に教育行政の努力、第2に時代が求めた変化の連鎖現象が相俟って、広く国民の間に浸透しました。現象的には,市民が学習の主体となり,学習者の両的拡大、学習課題の範囲の拡大が顕著にみられました。生涯学習はようやく多くの国民の常識の域に達し,日常の実践的課題となりました。しかし,生涯学習概念の導入以来、2つの重大な問題が発生し、進行しました。第1は,学習が「易き」に流れた事であり,第2は「生涯学習格差」が拡大し続けた事です。社会生活上の指針や法律上の規制を課さない限り,人間の行為が易きに流れることは欲求の実現を求める人間性の自然です。生涯学習の選択主体が国民になった時点から,学習の機会と選択の仕組みは教育行政の任務とされながら,学習内容と方法の選択は国民に任されました。その結果,人々の学習は、「社会の必要」から離れ,「個人の要求」を重視したものに傾きました。
社会教育行政が辛うじて保って来た「要求課題」と「必要課題」のバランスは崩壊し,内容・方法の決定にあたって、教育に関わる専門家の参画は一気に低下し、国民の興味・関心は、楽で、楽しい「パンとサーカス」を追い求めるプログラムに集中しました。少子高齢化が進行し,日本国家の財政難が明らかになった今日、“人々の娯楽や稽古事をなぜ公金を使って提供するのか”という政治・財政分野の批判的意見は誠に正鵠を射ているのです。公金の投資が社会的課題の解決に寄与しないのであれば,予算・人員の削減は理の当然の結果だったのです。日本社会がその特徴としてきた「行政主導型」の社会教育・生涯学習の推進施策が失速するのも当然の結果なのです。
もちろん、学習の選択主体となった市民は「選択を拒否する主体」ともなりました。その結果、生涯学習や生涯スポーツを「選んだ人」と「選ばなかった人」との間に巨大な人生の格差が生まれつつあります。変化が連鎖的に続く時代状況は、必ず変化に対する適応の「成否」が問われる時代になります。故に,「生涯学習」の成果が、個人の生活に重大な影響を及ぼすことになるのです。高齢社会において,健康に関する学習や実践を怠れば「健康格差」が生じ,情報化の時代において、情報機器が使えなければ「情報格差」が発生し,人生80年時代において、活動を停止した高齢者には「交流格差」や「やり甲斐」の格差が発生する事でしょう。社会的条件の変化が生涯にわたって連鎖し続ける時代背景を想定すれば,生涯学習によって学んだ事の格差は、社会的課題についても,発達課題についても、個人の適応の成否を分け、人生の明暗を分けることになるのです。「生涯学習格差」の深刻化 が放置されれば,あらゆる分野で社会問題を引き起こす要因に転化することを恐れます。技術革新が続き国際化や情報化が“待ったなし”の条件下で,国民の生涯学習に遅れを取った社会は、産業でも貿易でも立国の条件に遅れを取ることになります。さらに、子育て支援の施策に失敗すれば,未来を支えるべき生産人口は減少の一途を辿ります。高齢者の自立と生涯現役を続ける活力と思想の涵養に失敗すれば,社会は活力を失い,財政負担は次世代の堪え難いものになることは火を見るより明らかです。日本の生涯学習振興行政はこれらの全てに失敗したのです。

3  評価視点の偏向

政治も行政も「パンとサーカス」に走った生涯学習の「負」の結果には正当な評価を下しました。しかし、変化に適応し,立国の条件を形成する生涯教育の「貢献」の重要性を見落としたのです。少子高齢化が引き起こす問題を解決するためにも,国際化,情報化の変化に適応して行くためにも、国民の「適切な学習」が不可欠です。それゆえ、国民の適切な生涯学習の継続こそが立国の条件になり得るのです。教育基本法の改正にも,社会教育法の改正にも,立国の条件となり得る生涯学習振興の適切な指針は盛り込まれませんでした。誰も語ることのない生涯学習振興法も、市民が果たすべき「適切な学習」の中身と方法は問うことはありませんでした。「生涯学習の振興」が立国の条件を形成し,現行行政分野のほとんど全てに関わるという事実にも関わらず,当時の,文部省と通産省のみが参加した「生涯学習の振興」のための法律にどれほどの意味があるのか,その後の政治も,行政も問い返すことはありませんでした。勉強の足りない政治家はもとより,担当官庁やその周りにいる学者達は一体何をしていたのでしょうか。現行行政の縄張りや省益に振り回され,あるべき「仕組み」も,為すべき目標も示されませんでした。生涯学習機能の評価に偏向や怠慢があったと言われても仕方がないのです。

4  指針なき「適切な学習」

民主主義の原則を教育に適用し、生涯学習の選択主体は国民であると突き放した時、各分野の専門家の支援なくして、市民は「適切な学習」に戻ることができるでしょうか。法や政策に示される指針を欠如したまま、生涯学習にふたたび「社会の必要」の視点を導入することは可能でしょうか。生涯学習に「社会の視点」を導入するという事は、現行の国民主体の学習に、諸分野の専門家が発想するあるべき生涯教育の視点を付加することを意味します。
教育基本法や社会教育法など諸法律の改正は、生涯学習の意義と方向を示し,実践の仕組みと指針を提示し,市民に「適切な学習」を推奨することが任務だった筈なのです。確かに、文部科学省も「現代的課題」とか「新しい公共」という視点から、あるべき「適切な学習」を摸索しました。それでも根本において、学習の選択を国民に委ね、滔々たる「要求対応原則」の流れの中では、惨めな失敗に終ることは当初から明らかだったのです。現行の生涯学習が政治の信頼を失ったのも,結果的に、生涯学習推進体制が衰退したのも、政治や行政自身がその真の重要性を理解せず,法も施策もあるべき方向と指針の提示を行なわず、日本の生涯学習が「適切な学習」の選択に失敗したからなのです。

127号お知らせ

第102回生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年8月29日(日)14時30分-17時(今回も土曜日ではなく、日曜日です。お間違いなく。)
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)

事例研究:「女子商マルシェ」体験教育プログラムの効果と衝撃-「模擬体験」授業から「実体験」授業へ(仮題)-益田 茂(福岡県立社会教育総合センター主任社会教育主事)
論文発表:健康寿命の教育的方法-元気の構造と処方(仮題)(三浦清一郎)

第10x回移動フォーラムinやまぐち

主要内容と日程が決まりました。ご予定に入れていただけると幸いです。

主催:山口県生涯学習推進センター地域コーディネーター養成講座研修生同窓会
日程:平成22年11月20日-21日(土-日)
場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂)
内容原案:登壇者は全て交渉中です。
初日11月20日(土)
15:00-16:00 特別インタビュー:山口県周南市長 島津幸男、会員制市民学習システム「周南再生塾」創設の思想と方法(聞き手:三浦清一郎)
16:00-16:30 質疑/休憩
16:30-17:15 政策提案1 「自由の刑」と退職者の未来計画、三浦清一郎
18:00-懇親交流会
第2日11月21日(日)、9:00-11:30
政策提案2:リレー提案と共同討議「未来の必要」;コーディネーター三浦清一郎
1 市民学習集団の組織化の効果と意義-たぶせ雑学大学の14年、三瓶晴美(山口県田布施雑学大学)
2 放課後「子どもマナビ塾」の教育性、経済性、創造性 森本精造 飯塚市前教育長
3 「未定」古市勝也(九州共立大学)
4 「財源補助」の評価視点と補助効果の点検法 重村太次(山口県きらめき財団)

「NPO生涯教育・まちづくり支援協会」の設立について

「生涯学習フォーラムinふくおか」の実行委員を中核として標記のNPOを設立することにしました。
1 理事長に森本精造前飯塚市教育長、副理事長には古市勝也九共大教授、飯塚市で活躍中の窪山邦彦氏、大島まな九女短大准教授の3名をお願いしております。
2 「看板」には、「生涯学習」概念の限界性を考慮して「生涯教育」とし、まちづくりの教育的機能の重要性を意識した支援活動を強調する名称を採用しました。
3 活動内容は新しい未来の実験に挑戦すべく様々な構想を摸索して行きます。今後の「生涯学習フォーラム」はそうした実験的実践の後ろ盾となる研究会であるべきだと考えております。
4 それゆえ、従来の「生涯学習フォーラム」は「生涯教育・まちづくりフォーラム」と名称を変更し、主催は標記のNPOにする予定です。
5 設立総会は平成22年8月1日、15:00-、場所は飯塚市穂波公民館の予定です。

主旨にご賛同いただける場合にはどうぞ上記の時間・場所にお運びいただき仲間に加わっていただきたくご案内申し上げます。

§MESSAGE TO AND FROM§

お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。今回は白内障の手術の直前なので一行書き短文のお便りを多くいたしました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

福岡県宗像市 牧原房江 様

ここにお一人分かって下さった方がいた!ありがとうございました。

高知県 小松義徳 様

100回記念フォーラムを終えて、原稿を出版社に出して、気が抜けています。「気が抜けること」こそまさに「老い」そのものの正体なのでしょう。戦わねばなりませんが、手術が終る迄は目が不自由です。短いメッセージを重ねて「弱気の虫」、「泣き虫」と戦っています。

山口県周南市 大寺和美 様

雨の「回天基地」は忘れないことでしょう。再生塾の件ありがとうございました。会費制の勉強会は福岡フォーラムの重要なヒントになりました。

山口県 田中隆子 様、西山香代子 様

田中様、今回はさっそく「レフリー」配置のご配慮をいただき感謝申し上げます。ありがとうございました。
西山様、対談が流れたのは残念でしたが、ものごとが成るには「時」が必要です。論客は全国にあまた居る筈です。諦めずに新しいプログラムを考えてまたやりましょう。

長崎県佐世保市 左海 道久 様

いただいた感想は何よりの励みになります。過分の郵送料もありがとうございました。

鳥取県米子市 卜蔵久子 様

初めから終わりまであらゆることにお気遣いいただき感激しております。特に、7/10の朝の聴講者はあなたが広報をなさって下さったとお聞きして陰のお力を実感しました。

山口県長門市 林 義高 様

実践に勉強にとにかく颯爽たるものですね!後期高齢者になって自分もあなたのようでありたいと切に思います。
小生いよいよ目の手術に入ります。しばらく執筆も読書も中断ですが、久々に詩吟や講談や朗読のCDを買い求めて聴くことにします。戻りましてご披露の出来る日を楽しみにしています。

山口県下松市 三浦清隆 様

ご病気からの回復、お元気を取り戻しつつあることを実感しております。過日の篠栗町へのご質問は現代日本社会の普遍的な問いになるでしょう。フォーラムへの継続的ご出席がお元気を支えることになるであろうと期待しています。夏のお気遣いを頂きありがとうございました。

編集後記
老いるとは

8月の上旬に白内障の手術を受けることにしました。執筆を生業としながら日常の読み書きが不自由となり、老いを実感せざるを得なくなっています。かつて自分が書いたものを反芻するように読み返しています。
人間が「老いる」とは、「意識するとしないとに関わらず、加齢に伴う心身の衰えと戦い続ける過程」をいいます。「戦い方」で晩年の在り方が決まります。戦いが不可避であるとすれば,問われているのは,意義ある戦いをできるか,否かになります。
老後の養生、精進,自己教育と自己鍛錬の末に「自分」を失うのであれば、それはそれで仕方がありません。人生に仕方のないことはいくらでもあるのです。しかし,「仕方がない」に至るまでにどれだけの努力をしたのか,が問題なのです。高齢期の努力の内容と方法について,己の「判断」と「選択」の意志を持ち続けたか,否かが問われているのです。
高齢期の生き方を変えることは高齢者の人生を変えるに留まりません。若い世代の人生をも変えることになるのです。
若い世代は、どんな風に老いて行く両親を見たいでしょうか。両親が自立して,生き生きと生きれば,家族に活気が満ち、社会の活力が向上し,医療費を抑制することが可能となり,介護費は少なくとも先送りすることができます。
人生50年であった時代の「余生」と人生80年時代の「老後」とでは全く状況が違うのです。第一、余生とは“あまった時間”を意味しています。生涯時間が20年に達した時代の「余生」の概念は,高齢期のスタートにおいて、そもそも生き方を「積極的」に発想する姿勢に欠けています。「隠居」,「遁世」、「閑雅」などの暮らしの「美学」は人生50年時代の産物です。趣味とお稽古事に明け暮れる高齢者の生涯学習も安楽余生論の伝統です。目の手術が終ったらふたたび現役に復帰して読者の皆様に論戦を挑む日を楽しみに病院という当面の我が“戦場”に行って参ります。

様々の事果たしたり
一杯の
ココアの前に安堵する朝

さんざめく研修生の真ん中で
母に抱かれし
赤子安らか

来る年も切に逢いたいと願いたり
小鳥のごとき
合歓の花ぞも

あばれ梅雨上がりて
森のあちこちに
ニイニイゼミの啼き初めにけり

「風の便り 」(第126号)

発行日:平成22年6月
発行者 三浦清一郎

学習者は認識者、実践者は探求者-「生涯学習」と「ボランティア活動」は別物です―
6月半ばから北九州市若松区のまちづくり実践研修が始まりました。下旬からは山口県生涯学習推進センターが主催する子育て支援/学校支援の実践研修が始まります。座学で実践者を育てることはできないと繰り返し主張して来ましたが、現行の教育関係者はなかなか理解してくれません。「分かれば態度は変わる筈だ」という信仰に近い教育観が学校を中心にこの国を蝕んでいます。それゆえ、「理解」が「先」で「実践」は必然的にその後に来るかのような錯覚の下に多くの教育研修会が行なわれています。子どもについても大事なことを教えないで自分で気づくのを待つことこそ教育であるという勘違いの下に「学びの共同体」などという教育論が蔓延っています。大半の学問は実際の生活から生まれたのです。それゆえ、実生活に応用することが原則です。また、理論は先人がすでに検証してくれたものが体系化されたものです。学問は人生の試行錯誤を救済し、「分かる迄の時間」を短縮してくれるのです。 教育の原則は明瞭です。やってみなければできるようにはなりません。教えなければやり方は分かりません。練習が向上のカギを握っています。社会教育の研修もボランティアの養成講座も根本から考え直すべき時期に来ているのです。

(1) 分かっただけでは実践者にはなれません
学習者は認識者です。これに対して、実践者は探求者です。認識者の特性はものごとを正確に理解することに重点を置くことです。探求者は活動の目標を実現することに重点を置きます。両者の最大の相違点は行為に要するエネルギーの質と量の違いです。「畳の上の水練」では泳げないし、「口では大阪の城も建つ」と言い習わして来たのは、行為に要するエネルギーの質と量の違いを無視した机上論を揶揄することわざです。通常、学習者と実践者の間には簡単には越え難い「溝」があり、理論と行動のギャップがあります。知行合一とか言行の一致を尊ぶ「陽明学」のような学問が登場したのも、通常、言行は一致し難いものだからなのでしょう。 近年の生涯学習や社会教育行政に関する答申などを読むと、教育行政は、「生涯学習」と「ボランティア活動」を同一線上にある類似の活動であるかのような勘違いをして来た節があります。しかし、「生涯学習」の「知」とボランティアの「行」が簡単に合一して繋がる筈はないのです。基本的に学習者は認識者に留まり、実践に踏み出す気力やエネルギーや動機は学習者に求められるものとは雲泥の違いがあるからです。 「勘違い」の端的な一例は、知識と行動を同一線上に置いて、「生涯学習」を推し進めて行けば、やがて「ボランティア活動」に到達するかのように語っているところです。“勘違い”を正当化して来た論理は人々の学んだ成果は実生活に反映されるはずであるという「学習成果の(社会)還元」論と呼ばれて来ました。「還元論」には「還元されることになるであろう」という楽観論と「還元されるべきである」という「べき」論が混在しています。従来の社会教育や生涯学習は、人間についても、学習についても好意的で、楽観的で、実践の視点を欠落した頭でっかちなものだったのです。 しかし、教育に厳しく結果を問う時代が到来しました。特に、住民主体の生涯学習を公金で支援することについて政治の風当たりは強くなりました。住民が生涯学習に求めたものは、基本的に社会還元とは関係のない「パンとサーカス」だったからです。行政主導型で公金を投入している社会教育や生涯学習プログラムの学習者に対しては、公金を投入した学習の成果を社会に還元すべきであるという財政難時代の教育投資論とも言うべき発想が社会教育行政の前面に出始めました。行政主導型の生涯学習振興策や社会教育にも「費用対効果」の発想が浸透してきたのです。住民の「学習権」などということを主張しても、反対に、住民の「学習成果の還元義務」を主張する人々は希有でしたから当然のことでしょう。従来の社会教育に対する率直な批判者は市民を「税金で遊ばせるな」とまで批判するようになりました。事実、調べれば一目瞭然ですが、生涯学習プログラムは住民の要求を充足する原理に立ったのです。その結果、趣味・お稽古ごとから実益カリキュラムの学習に至るまで生涯学習プログラムは圧倒的に「パンとサーカス」に傾きました。社会教育施設は住民を税金で遊ばせるたぐいのプログラムを提供して来たということです。「事業仕分け」の論理にのせれば、一発で「廃止」の決定がでることでしょう。

(2) 学習と実践の溝
教育の一般論として、学習成果の応用は当然起こり得ます。「応用」の原則とは、獲得した「知識」が当事者の「行動」や「態度」を一定程度変え得るという意味です。しかし、「応用」の原則は応用者の選択に任されるもので、認識者がそのまま実践者に移行する保障は全くありません。すべての応用や実践は、本人の知識の種類により、意欲のレベルにより、応用すべき実践の分野により、実践の難易度の違いによりすべて違ってくるのです。 一方、長年にわたって行政主導型の社会教育を展開して来た日本のプログラムは、通常現場では「承り学習」と呼ばれました。多くの学習者は、プログラム講師のお話を「承って」聞くだけの消極的な認識者に留まったのです。長い時間をかけて形成された学習者の側の受動的な「おんぶにだっこ」の行政依存志向が一朝一夕に変わる筈はありませんでした。学習者の反発を恐れた行政担当者の及び腰は、受講者に「学習成果の還元」を強く説くことも、還元のステージを作る工夫もしませんでした。実践現場においては、生涯学習における費用対効果の発想は、言わば「馬耳東風」の結果となったのです。 行政主導型の社会教育の学習者は「楽な」学習に慣れ切っています。学習のために「身銭」を切ったこともめったにありません。それぞれの「認識」を行動のエネルギーに転換する筈はないのです。認識者が実践者となるためには、従来の社会教育や生涯学習プログラムとは全く異なったアプローチが必要だったのです。 異なったアプローチとは、第1に学習の目的を「実践」に変更すること、第2に参加者を実践に誘う強力な「動機付け」を行なうこと、第3に現実の実践を促すための「実習プログラム」を確実に導入することを意味します。 「承り学習」の認識者が、他者への「貢献行動」を実践するためには、学習目的を「認識」から「実践」に転換し、プログラムの提供視点を「実際にやってみること」を重視したものにしなければなりません。当然、参加者に対する実践への強力な動機付けなしに行動は起こりません。練習のための実習プログラムを伴わない座学が実践者を生む筈はなかったのです。 しかし、筆者が体験し、見聞した大部分の研修は、依頼者の側に上記の条件を欠如した座学に過ぎませんでした。筆者の講義が貧しかったからだと言われればそれまでですが、少なくとも、筆者の講義プログラムから実践者が生まれたことは稀でした。 そこで過去10年、筆者は社会教育の研修プログラムを根本から改め、上記の異なったアプローチを採用した研修方法にやり方を変更しました。依頼主にも、研修目的を「認識」から「実践」に転換し、参加者の側に強力な動機付けを行ない、必ず実習プログラムと抱き合わせるようお願いしました。結果的に、実践者は一気に増加したのです。過去の文中、事例として紹介した「豊津寺子屋」の子育て支援事業、山口県の地域コーディネーター養成講座、北九州市の「若松みらいネット」事業などは最初から実践者を養成することに重点をおいた研修に変更しました。 従来の「やとわれ研修講師」がやって来た講義では、基本的に学習者は認識者に留まったままです。特別なカリスマ講師は別として、学習者が実践に踏み出す気力やエネルギーや動機を講義で生み出すことは至難のわざです。現に、学習者は実践に踏み出すことはなく、学習成果の社会還元は起こりませんでした。 実践者はいろいろな意味において探求者なのです。最大の問題は、人々が正しく「学習」すれば、やがてその成果を「社会還元」の実践に移すであろうという教育の楽観論です。学校教育もそうですが、社会教育も、生涯学習からボランティア活動へという移行論を同一線上で図式的に語って来たのです。結果的に、社会教育行政は、学習が実践に進化するかのような幻想を振りまいたに留まらず、生涯学習ボランティアという概念を多用することで、生涯学習関係のボランティアがボランティア活動の出発点であるかのような錯覚も蒔き散らしました。「生涯学習」の成果は、「ボランティア活動」として社会的に還元される(されるべきである)としたことで、多くの生涯学習関係者に、ボランティア活動はあたかも教育や学習から出発し、その中核が教育分野にあるかのような誤解を振りまいたのです。もちろん、ボランティア活動は人間の営みの数だけ多種多様な形態で存在します。到底、教育分野に閉じ込めることができるような限定的な活動ではありません。教育行政は、人々のあるべき社会還元活動まで、教育分野で行なわれるべきだという行政の縦割り発想に制約されたと勘ぐりたくもなるのです。生涯学習やボランティアのような生活の全分野にまたがる行為についても、専門が「なわばり」になり、分業が「セクト化」するという一つの典型を示しているのです。

(3) 混同の背景、勘違いの理由

「生涯学習」が「ボランティア活動」の前提になり得ると学習と実践を混同したり、生涯学習がボランティア活動に転移するかのような勘違いが起こったのにはいくつかの理由があります。 勘違いの第一の理由は個人を起点とするというところにあります。「生涯学習」も「ボランティア活動」もそれぞれの活動の原点は個人の「自発性」・「自主性」にあります。両者は思想の原点において同じ性格のものである筈だという立論です。 第二の理由は、両者とも活動の結果が「自己形成」に繋がるという指摘です。生涯学習はもとより、ボランティア活動も、活動の過程が必ず何らかの形で本人の向上に貢献し、結果的に、人間の自己形成に深く関わることは疑いのない事実だからです。活動がもたらす教育効果が人間の向上であるという点で共通しているということです。「生涯学習」も「ボランティア活動」も活動や内容の種類と範囲は文化に匹敵するほど多岐に亘っています。しかし、両者は行動に必要とするエネルギーが大きく異なるという点で全く別物です。両者の類似点だけを見て相違点を見なかったので上記のような勘違いが起こったのです。 「生涯学習」は「認識」に重点を置き、「ボランティア」は「実践」に重点を置きます。前者は基本的に自己の知的向上に限定された頭の活動です。それに対して後者は他者を巻き込む可能性の大きい心身を総動員した活動です。活動に要する「負荷」は質の点でも、量の点でも両者は全くの別物です。地域デビューの心得を説いた参考資料には、「知識習得」から「実践行動」へ踏み出しなさいと書いてありましたが、座学から実践へという図式は、教育者のないものねだりにすぎません。「市役所や公民館主催の地域デビュー関係講座に何十回も顔を出す人を時々見かけますが、それ以上に進展がない人が少なくありません」(*)とコメントが付いていましたが当たり前のことです。座学が実践に結びつくことの方が希有なのです。上記に指摘した通り、目的を実践においていないこと、主催者が強力な地域貢献の動機付けを行なっていないこと、実習のプログラムが組み込まれていないことなどが「頭でっかち」の「畳の上の水練」で終わる原因です。
(*)細内信孝編著、団塊世代の地域デビュー心得帳、ぎょうせい、2007年、p.11

「機能快」への注目
小さな町から相談がありました。類似公民館の活性化をどう図るかが課題です。筆者は「機能快」への注目を提案しました。高齢社会の危機は熟年者が「世の無用人」となることです。「無用人」とは社会から必要とされないということです。「無用人」を「有用」にする方法は「たのみごと」をすることです。行政は「お上」の頭を下げて彼らに社会貢献活動を依頼すればいいのです。私たちの「やり甲斐」は、活動や行為に関係します。まずは身近な小さなことから始めればいいのです。たとえば夏休みの宿題サポートから始めるというのはどうでしょうか。それがうまく行ったら、順次、それぞれの特技に応じて工作や料理や習字などの指導に移行して行けばいいのです。人は「頼まれることが好きだ」とはアメリカ下院議長ティップ・オニールの名言ですが、行政と市民との間の問題は「頼み方」にあります。果たして行政職員の熱意、やる気、礼儀正しさ、フットワークの軽さなどは功を奏するでしょうか?社会教育職員の機能はプログラムを作ること、プログラムの実施を促進すること、お金の工面や広報など関係者に社会のスポットライトが当たるようにプロデュースすることです。Programming, Promoting, Producingは社会教育の3P論と呼ばれました。
人間の「やり甲斐」は、①活動の成果、②社会的承認を伴う達成感、③あなた自身の機能快の3要素で構成されています。「やり甲斐」の第1要因は活動の成果ですから、活動の継続を前提とします。行為のないところ,活動のないところに「やり甲斐」は存在しないということです。 また、活動の成果を上げるためには、日々の生活に目標の設定,方法の工夫,実行の努力が不可欠です。目標が達成できれば当初期待した成果を手にすることになります。仕事でも趣味でも,やろうとしたことが、思い通りにやれた時の成果がやり甲斐の第1条件です。 やり甲斐の第2要因は達成感です。もちろん、成果が出た以上,達成感は一人でも実感することはできます。しかし,通常は,第3者の承認や同意を必要とします。ひとりよがりや自己満足では人間の精神の渇きを癒すことは難しいのです。おのれを誇って、自分の生きているうちに、銅像を建てたり,石碑を建立したりする人がいるのも、おのれの事績を世間に見せて,第3者の同意や承認を求める心理です。心理学者は,人々の拍手や賞賛を「社会的承認」と呼んで、人間が生きて行く上での重要な糧であると論じています。独りよがりでは成功を実感できない社会的動物としての人間の性(さが)だということでしょう。 第3の要因は「機能快」です。ドイツの心理学者カール・ビューラーが提唱者であるといわれています。日本では大分前に渡部昇一氏が「人間らしさの構造」(*)で人間らしさを構成する要因の一つとして紹介しています。「機能快」とは、人間が自分の持つ能力を発揮したときの快感を言います。 子どもの発達を見ていると、疑いなく彼らが機能快を感じている場面に遭遇します。走れる子どもは走りたがり,歌えるものは歌いたがります。大人の指導に耐えて、できなかったことができたとき、彼らの顔が輝きます。人間には自分に与えられた機能を発揮したいという欲求が内在し、その欲求が実現できた時に感じる快感です。「できなかったこと」が「できるようになること」も、過去と比べて上手にできたときも、ある種の快感を感じることは日常経験するところです。活動の成功には自分の能力が試され、自分自身が課題に応えて、立派に為し遂げたという己の能力の実感が「機能快」でしょう。 現行の生涯学習振興行政の問題は高齢者が学習する機会はあっても、その技術や能力を発揮する舞台がないことです。まずは小さな町で子どもと高齢者を結んで夏休みの宿題支援から始めて見ようということです。うまく動き始めましたらご喝采!!
(*)渡部昇一、人間らしさの構造、講談社/学術文庫、1977年

-居場所ありますか、必要とされて生きていますか-自分のためのボランティア(新刊まえがきとあとがきに代えて)
ボランティアは「世のため」「人のため」の行いであると多くの本に書いてあります。しかし、控えめと謙譲の美徳でしつけられた多くの日本人は恥ずかしくて普通そんなことは言えんでしょう。自分の行為が「世のため」だと断言することは烏滸がましくも恐れ多いことです。 参考書では、善意は人間の本質でボランティアの精神は昔から日本に存在したという人もいますが,それも思い込みか、勘違いのどちらかでしょう。もし、そうであるなら日本はもう少しましな温かくて暮らし易い社会になっている筈ではないですか!!またボランティアの概念が昔から日本にあった発想だと言うのなら今更なんで外来語の「ボランティア」と呼ぶのでしょう。 まして日本は世界でも有数のボランティア経験者を誇るボランティア先進国であると言うに至っては、勘違いも甚だしい、と糾したくなります。日本社会は現に「自己中」や「勝手主義」に満ち、ゴミ屋敷からいじめ迄「エゴ」丸出しで動いており、少年教育はまさに体力、耐性、向上心のない規範を欠落した次世代を再生産しているとしか思えません。教育は、社会貢献や他者支援を教えず、自分の欲望のためなら他を顧みない「教育公害」を蒔き散らしている感さえ拭えません。社会貢献を推奨する法律も、ボランティアを守る法律も存在しない日本がボランティア先進国である筈などないのです。ボランティア経験者を調査した統計資料は町内会に駆り出される一斉ゴミひろいや草取り奉仕作業をボランティアと勘違いしているのではないでしょうか。 にもかかわらず私自身はなぜささやかなボランティアにこだわり、ボランティア論を書いたのか!?筆者の自問自答の答は「自分のため」だからです。他者貢献を形にして、自分の老後の活動場所を見つけ、ささやかな貢献を通していくらかでも人々に必要とされて生きたいというのが動機です。他者貢献を選んだのは、それ以外に「さびしい日本人」が居場所を見つけ、さびしさを克服し、孤立と孤独を回避して生きる方法が見当たらないからです。

(1) 「共同体の成員」から「個人」へ
日本人は長い時間をかけて伝統的村落共同体の成員から自由な個人へ移行しました。共同体の成員は集団の「共益」のために一致して「労役」を提供し、成員の相互扶助の慣習を守って来ましたが、日本社会が依って立つ産業構造の転換と高度化によって共同体的な暮らしは不要になりました。そのためこれまで共同体が培って来た価値観や慣習は、それぞれの自由と自己都合を優先し始めた個人に対する干渉や束縛に転化してしまいました。日本人は共同体文化を拒否するようになったのです。
(2) 「自分流」は「選択制」、「選択制」は「自己責任」
日本人の生活は、共同体および共同体文化の衰退と平行して都市化し、人々は多様な価値観と感性にしたがって自由に生きる個人に変身したのです。共同体を離れた個人は、それぞれが思い思いに自分流の人生を生きることができるようになりました。自分流の人生を主張した以上、当然、己の生き甲斐も他者との絆も自分の力で見つけなければならなくなりました。人間関係も日々のライフスタイルも「選択制」になったのです。新しい人間関係を選び取ることのできた人はともかく、「選べなかった人」、他者から「選ばれなかった人」は「無縁社会」の中に放り出されます。自身の「生き甲斐を見つけようとしなかった人」や、探しても「見つけることのできなかった人」は「生き甲斐喪失人生」の中に放り出されます。自由も自立も、選択的人間関係を意味し、選択的人生を意味します。日々の生き方を自分が主体的に「選択する」ということは、かならず自己責任を伴い、願い通りの選択は簡単に実現できることではありませんでした。それゆえ、過渡期の日本人の中には自由の中で立ち往生する「さびしい日本人」が大量に発生したのです。本犒が言う「さびしい日本人」とは、共同体を離れ、自由になった個人が、他者との新しい関わり方を見出せず、また、仕事にも仕事以外の活動にも十分な「やり甲斐」を見出せず、孤立や孤独の不安の中で「生き甲斐」を摸索している状況を指します。その「さびしい日本人」が生き甲斐を摸索する中で出会った新しい生き方の一つがボランティアでした。ボランティアは自分自身が人々の中で「必要とされて生きるための」新しい縁の選択なのです。
(3) 信仰実践のボランティアと生き甲斐探求のボランティア
ボランティアはもともと「自発性」や「善意」を表し、欧米文化においてはキリスト教と結合して聖書の言う「隣人愛」の実践として発展して来ました。欧米のボランティアは「神の教え」・「神との約束」を個人のよりどころとして出発しているのです。 これに対して、日本人のボランティアは、信仰の実践でも、特別に神仏と約束した活動でもありません。日本人のボランティアは、個人の主体性と選択に基づく生き甲斐の探求と絆の形成を求める社会貢献活動です。日本にも「おたがい様」や「おかげ様」のように他者支援の類似発想はありましたが、個人を出発点とするボランティアは存在したことがありませんでした。ボランティアは外来文化に由来する発想であるため未だに適切な訳語が定着せずカタカナのまま日本語化したのです。筆者はそれを「日本型ボランティア」と名付けました。 「日本型ボランティア」は、神への奉仕でもなく、他者への施しでもなく、日々の孤立や孤独の不安を回避し、「自分のため」の生き甲斐や他者との絆を摸索する個人の社会貢献活動の総称です。この時、「生き甲斐」の具体的内容は、活動への関心、活動の成果、活動の「機能快」、人々による「社会的承認」などで構成され、人生の「張り合い」を実感できる生き方の総称です。「日本型ボランティア」は「自分のため」の「生き甲斐」を摸索する過程で発見した社会貢献の方法です。換言すれば、「さびしい日本人」は生き甲斐と絆を摸索して試行錯誤した結果、ボランティアという社会貢献活動に辿り着き、人々のために働く「やさしい日本人」に進化したということです。それゆえ、「やさしい日本人」の「やさしさ」とは、共同体を離れた個人が、自由と主体性を駆使して「自分流」と「自己責任」の人生を生き始め、生き甲斐と絆を求めて選択的に行なう社会貢献活動であると言うことができます。
(4) 「さびしい日本人」から「やさしい日本人」へ
しかし、日本型ボランティアが実践する「やさしさ」は、純粋な「他者への奉仕」とは異なります。また、従来の共同体に存在した相互扶助の「やさしさ」とも別種のものです。日本型ボランティアは明らかに「自分のため」の活動を主たる目的にしているからです。共同体の「やさしさ」は集団の共益保護のためのやさしさでした。日本型ボランティアの「やさしさ」は、ひとりひとりの人間が社会貢献の実践を通して「生き甲斐」と「絆」を求めたが故に生み出された「やさしさ」です。      日本型ボランティアを定着させることによって、結果的に、私たちは人間個人を出発点とした「やさしさ」を生み出しつつあるのです。それゆえ、日本人はかつての共同体に存在した集団的「やさしさ」に戻ったわけではありません。日本型ボランティアによって「やさしい日本人」が集団的に「再生」したのでもありません。「やさしい日本人」は、社会貢献活動を実践する個々人の人生に「新生」したのです。それゆえ、日本型ボランティアは、「新しい生き方」とか「もう一つの生き方」とか呼ばれているのだと思います。 高齢社会が到来して、ボランティアはますますその重要性を増しています。子育てや労働を終えた人々にとってボランティアは二度目の人生の新しい生き方の選択肢となったのです。「自分のため」のボランティアを選択して、最後まで社会の役割を果たそうとする姿勢が「生涯現役」の生き方です。「生涯現役」とは、労働からの引退後も、「社会を支える構成員」として社会貢献活動を継続し、最後まで他者との連帯を求め続ける人々の総称です。居場所ありますか、必要とされて生きていますか。「生涯現役」とは「自分のためのボランティア」の究極の形なのです。

§MESSAGE TO AND FROM§
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

沖縄県那覇市 大城節子 様
この度は過分の郵送料をお気遣いいただきありがとうございました。今年は2冊目の出版に挑戦し、原稿を出版社に提出したところです。まえがきに代えた文章を巻頭に掲載いたしました。自分のボランティア活動も長いものは20年を迎えます。「風の便り」も10年を越えました。元気の背景、養生の原則は人間の機能を使い続けることだという確信をますます深めております。あなたの新聞インタビュー記事を森本前教育長の紹介で拝見いたしました。ご活躍はお見事なことです。なかなか「引退」は許していただけないだろうと遠くから見守っております。鳩山民主政権も気まぐれでしたが、日本人もまた気まぐれです。沖縄が次の選挙で現代の政治にどのような評価を下すのか興味津々でニュースに耳傾けております。

山口県山口市 西山香代子 様、下関市 田中隆子 様
今回は偶然お二人から対談のご依頼を頂きました。楽しみにしております。お礼申し上げます。ご依頼通りに日程は確保いたしましたのでご報告いたします。私は基本的に日本の「間接表現」文化を尊重する者ですが、時に、婉曲、遠回しに申し上げただけでは通じない人々が登場します。特に、「対談」では苦い体験があります。自己主張の強い物知りが我が物顔にしゃべり通して、不愉快で辛い時間に耐えたことがあります。以来、志願していろいろな会の司会の役を引き受けるようになったのです。わが司会は、「自己中」を制し、発言機会の公平性、時間管理の正確さを維持できるよう、ボクシングの試合をイメージして、敢えてレフリーの権限を行使するように務めて来ました。レフリーは、「駄目なことは駄目」、「止めるときはやめてください」と「直接表現」のルールでのぞまなければなりません。レフリーが機能しない限り、日本の会議は声の大きい「奴」が制します。対談も鼎談も「我」の強いものが突出する危険があります。皆さんの企画にも必ず役目に忠実なレフリーを配置していただきたく事前にお願い申し上げます。

鹿児島県鹿児島市 黒脇丸 陽一 様

ご要望のメルマガは確かに登録いたしました。また、5月の29回大会では折角お出かけいただいたのにゆっくり話ができず残念でした。皆様が事業化した学校支援事業を通して学校に入った地域の方々のその後の活躍ぶりをお伺いしたかったです。各地の学校を廻る中から学校支援活動は時に「招かれざる客」であり、文部科学省の補助予算が終った後はどのように存続できるのか危ぶんでおります。鹿児島市の大会で私の質問に答えて学校の関係者がわれわれは望んで学校を開いたと胸を張った場面がありましたが、果たしてそうした姿勢が今後続いて行くでしょうか。高齢社会の突破口は学校が「幼老共生」を目標とした高齢者の活動ステージを創造することが最も効果的だと信じています。これからの学校教育は高齢者福祉と組み合わせて、高齢者の活動ステージを創造することが不可欠になる筈なのです

大分県大分市 谷村歩美 様

お便りを拝見しました。実に久しぶりの大学生からの手紙です。第100回記念フォーラムにはよくぞ来て下さいました。思ったことを思うように言えない辛さは一生われわれにつきまといます。しかし、あなたの口惜しさが必ずあなたを前進させます。これ迄教えて下さったみなさんのお力が結集して出て来ます。「ビッグフィールド大野隊」を育てて来た川田さんもあなたのさらなる前進を見たいことでしょう。懲りずに機会を作っておでかけ下さい。大分県の大会は2月の最終週末に「三浦梅園の里」(安岐町)でおこなわれます。こちらもスケジュールに入れておいて下さい。

北九州市 仲道正昭 様
過日は100回記念フォーラムにご出席いただきありがとうございました。あなたが始められた社会教育の研究会も十数回を越えたとお聞きしました。今後の社会教育政策はどうあればいいのか、皆様の議論が具体的政策に収斂して来たら是非私たちにも分析の結果と方法をお聞かせ下さい。
福岡県岡垣町 井上英治 様
刺激的な再会でした。質問とそれに対する自分の答を反芻しています。Q:町内会の組織率は90%を超えていますが、これを基盤として新しいまち作りはできるでしょうか?A:できません。町内会はやがて滅びます。時間の問題です。青年団から子ども会まで地縁の組織は壊滅します。Q:なぜですか?コミセン方式も駄目でしょうか?A:駄目です。「選択」の時代が来たからです。活動も人間関係も人生の生き方もすべて個人の選択に基づきます。それが「自分流」の時代です。自己責任の時代です。地縁の人間関係はすべて活動の縁、志の縁などに代わります。Q:行政は地域課題に全部応えることはできません。A:その通りです。Q:どうするのですか?A:地域内にボランティア・グループやNPOを組織して必要な機能を委託し、行政との恊働をシステム化するのです。Q:それでは「やる人」と「やらない人」がはっきり分かれてしまいませんか?A:はっきり分けるためにそうするのです。Q:これ迄の相互扶助や「結い」の精神は滅ぶということでしょうか?A:滅びます。共同体が滅ぶからです。これからは市民の一人ひとりのネットワークの時代に入ります。Q:どうやってそうした事業をシステム化して行くのですか?A:まずは身近の「必要なこと」「できること」を有志で組織化して行くのです。行政は心ある市民に頭を下げて、予算を準備してお願いするところから始めます。始める気になったらまた呼んで下さい。

126号お知らせ
第101回生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年7月11日(日)15時-17時(今回は土曜日ではなく、日曜日です。お間違いなく。)場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
事例発表:交渉中論文発表:ボランティア「ただ」論の壁-ボランティア受け入れ風土の未成熟(三浦清一郎)
第10x回移動フォーラムinやまぐち
主催と場所と日程だけが決まりました。ご予定に入れていただけると幸いです。
主催:山口県生涯学習推進センター地域コーディネーター養成講座研修生同窓会日程:2010年11月20日-21日(土-日)場所:山口県セミナーパーク(山口市秋穂)

編集後記: 今を生きる
学生時代の友人が寮生活の日々を小説にしました。「融雪期」(山本茂 著、楡影舎、2010年)がそれです。筆者が18-19歳の時のことですから日ごろはほとんど思い出すこともなく忘却の彼方へしまい込んでいた青春でした。公私ともに人生色々ありましたが辛いことも嫌なことも時間の引き出しに仕舞って,未来の目標を語り、過去のことは語らないという信条を己に課して来たので思い出すことも稀でした。一切の同窓会に出席しなかったのも「過去のこと」はもういいと思うことにして来たからでした。 しかし、友人が描いた「融雪期」を読んで、青春はしまい込んでいただけで少しも色あせていないことが分かりました。ものの考え方・感じ方の原形もその頃に形成されたということも実感しました。今70歳になろうとして過去の節目節目の「選択」を反芻することも時にあります。しかし、時は帰らず人生のできごとはすべて「不帰」です。50歳になった時、傲慢・不覚にも十分思い通りの人生は生きたと錯覚して大学を辞め新しい仕事に就きました。人生は「刹那の華」で、過去はいずれ「紺青の海」に還ると思い定めて新しい己の戦場を探しました。自分のために遠く進軍のラッパを聞きたかったのです。大学に入学した頃と同じような「青臭い」青年の思いでした。しかし、新しい仕事もまた「隣りの芝生」で、己を賭けるほどの戦場にはなりませんでした。傷ついた10年を過ごしましたが、振り返れば大学改革に失敗した失意や怒りが今日の生き方に繋がっていると思います。友人の小説はそうした過去の連鎖を思い出させてくれました。すべての過去は今を生きるためにあったのだと思えることは幸せです。年を重ね、今年の花に逢うたびに今を懸命に生きることがどれほど大事であるかを実感しています。親しい人の死を思い、やがて来るであろう自分の死を思い、つくづくと命が惜しいと思います。ああでもない、こうでもないと行きつ戻りつして煩悶した原稿はようやく見切りを付けてペンを置きました。人の世の決断は「見る前に跳べ」ということなのでしょう。過日上京し、学文社の編集長に新刊「自分のためのボランティア」の原稿をお渡して来ました。9月には世に問うことになるでしょう。
暗黒に倒れ伏したるその時の無念を思い眠りがたかり
この世には本望の死はあり得ぬとしみじみ思うかの人倒る

「風の便り 」(第125号)

発行日:平成22年5月

発行者 三浦清一郎

長年一緒に活動して来た友人が四十数年の公務員生活を終えて退職しました。今は身辺整理やあいさつに忙しいでしょうが、それらのことが一段落した後、ほっとして油断すれば立ちどころに「自由の刑務所」に収監されます。「自由の刑」とは、文字通り自由が基本であり、あなたはどこへ行っても、何をしてもいいのですが、定年という事実は「する」ことも「行く所」もなくなるのです。これまで、現役の時代に、多くの人々がお辞儀をして来たのは「自分」にではなく、「自分の机」にであったこともやがて分かります。やがて「自分は何者なのか」という問いが始まります。果たして「自分はこの世に必要とされているのか」という問いも始まります。「定年うつ病」が急上昇するのはそのためです。解決策はたった一つです。労働に代わる活動を始めることです。彼の長い行政経験が最も生きるのはNPOでしょう。新しい著書の整理も兼ねてNPOが日本社会に何をもたらしたのか、個人にとってNPOの意味は何か、を整理してみました。

労働と並立したボランティア-NPOの登場-

1 NPOは労働と並立したボランティアです

原理的に、ボランティア活動は「労働」ではありませんが、「労働力」ではあります。「草刈十字軍」や「森林ボランティア」がかつて労働で処理してきたことを、ボランティアの活動で処理しているという事実がその証明です。当然、その逆も起り得ます。かつて、ボランティアが行なってきた福祉分野の奉仕やサービスの多くは、今やプロが担う「労働」になりました。「介護」の社会化がそれです。ボランティアが担当していた福祉サービスを「買う」時代が来たのです(*1)。ボランティア無償性の原理も、ボランティア「非労働力」論の論理も高齢社会の変化には抗し切れませんでした。NPOはボランティア活動の「労働化」の結果として生み出された活動です。 高齢化は介護の社会化を必然的に進めました。同様に、男女共同参画思想の浸透は養育の社会化をもたらしました。 高齢社会の介護は老老介護の現象一つを見ても、すでに家族・家庭の担当能力を越えてしまったからです。当然、介護に関わる専門の人々を配置しなければなりません。「有償ボランティア」(*2)によって福祉を買う時代が来た、と書物は指摘しています。長期で継続的なボランティアに「費用弁償」は当然の配慮です。NPOは労働と並立したボランティアが職業化した現象であると考えるべきでしょう。高齢化が進展して、まずは福祉分野に介護の社会化の時代が来たのです。職業としての介護が広く社会に認知され、「ヘルパー」という新語も生まれました。プロに労働の対価を支払うのは当然のことであるように、継続的なボランティアに「活動の費用」を支払うのも当然の配慮です。ボランテジアが組織化されてNPOになったということは、「職業化」し、「労働化」したということです。NPOに「労働の対価」を支払うのも論理の必然です。介護の社会化や養育の社会化が始まった現在、従来の「奉仕」論に引きずられた我が国のボランティア「ただ」論は非常識の限りなのです。福祉には様々な活動場面があります。プロとボランティアの線引きは決して簡単ではありません。職業としての介護が成立したということは、すでに介護が「労働」になったということを意味しています。ボランティアが「奉仕」として社会的弱者の世話や介護を担当してきた時代は変わったのです。福祉分野におけるボランティア「ただ」論も変わらざるを得ないのは当然なのです。

(*1)  M.マクレガー・ジェイムス/J.ジェランド・ケイタ-、小笠原慶彰訳、ボランティア・ガイドブック、1982年、pp.204-205

(*2) 「有償」とは、労働の対価を受け取るということではありません。活動の「費用弁償」を受けても労働の対価を求めないという意味です。労働の対価を求めるのならば、その活動はすでにその時点で「労働」であって「ボランティア」ではないからです。

2  NPO法と新旧2種類の日本人
現代の日本人には、新旧ふたりの日本人がいます。町内会の役員をまじめに引き受けているのは「従来の日本人」です。「従来の日本人」は、好むと好まざるとに関わらず、共同体のために働くことは己の義務であると考えています。それは共同体がもたらす「共益」の分配を受けるための条件だからです。それゆえ、「従来の日本人」とは多くの点で個人としてではなく、共同体の成員として活動に参加しています。町内会の役職もかならずしも喜んで引き受けているわけではありません。筆者は、近年、公民館長も務めましたが、それもくじ引きで決まったからにほかなりません。従来の日本人は共同体を重んじ、「共益」を分かち合う集団中心の発想を重んじてきました。共同体の発想に逆らってまで自立を主張するには、世間は厳しすぎ、日本人の主体性は柔すぎたのです。 ところが自分の中にもう一人の日本人がいます。ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分です。これらの活動はすべて筆者自身の主体的な「選択」に基づいています。みずからの興味と関心を出発点としています。活動の責任は自分にあることは十分自覚していますが、活動への義理や、義務感に縛られているわけではありません。少なくとも活動の出発点においては、みずから「喜んで」、「善かれ」と思って始めたものです。誰かに言われたから始めたのでも、義理で始めたものでもありません。自分が「好きで」「選択した」のです。それゆえ、生き方の「選択制」こそが主体的な活動の特徴です。そうした活動の選び方をするのが「新しい日本人」です。言うまでもありませんが、筆者の親しい人間関係は「従来の日本人」の中にはありません。「新しい日本人」の中にあります。人間関係もまた自らの責任で選択した結果だからです。

3 「新しい日本人」の代表はボランティア
共同体を離れた新しい日本人はボランティアに代表されます。新しい日本人の選択と決定は、基本的に既存の組織や共同体とは関係ありません。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られません。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいています。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌います。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおきます。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第となります。新しい日本人は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじます。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視するのです。当然、新しい日本人は「自分流」の時代に生きています。 しかし、「古い日本人」と「新しい日本人」は別々に独立して存在するわけではありません。一人の個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するのです。このことは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということを意味しています。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのです。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まります。NPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互扶助を重視する発想もあります。変化の時代は常に過渡期ですから、様々な活動が錯綜するのは当然なのです。 この過渡期にあって、NPO法は「新しい日本人」の活動を促進するための法律として誕生しました。NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということがそのことを象徴しています。どのような活動を選ぶか、選択の主体は個々の市民です。

4  “ボランティア先進国”には遠い
平成10年3月、日本のNPO法が成立しました。珍しいことに議員立法による制定でした。この法律の目標は、ボランティア先進国を目指すものである、と立法にかかわった熊代氏はその希望を記しています(*1)。熊代氏によれば、ボランティア先進国とは「やさしさと思いやりに満ちた社会」という意味です。しかし、これまでの共同体も「やさしさと思いやりに満ちた共同体」であったことは多くの人が指摘しているところです。共益を分かち合って生きた、人情味溢れる共同体の相互の助け合いを懐かしむ人も多いのは周知の通りです。その観点から見れば、共同体的人間関係が薄れた都会は人間の”砂漠”であると演歌が歌った通りです。 このことはボランティア先進国における「やさしさと思いやりに満ちた社会」と、従来の共同体における「やさしさと思いやりに満ちた社会」とは質的に異なることを暗示しているのです。個人の中に新旧二人の日本人がいるということはボランティア先進国はまだまだ遠いということを意味しています。共同体発想の「奉仕」と「日本型ボランティア」が混同されてボランティアが盛んになっているような錯覚を生じているのでしょう。
(*1)  熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、まえがき

5  「自治」と「公益」-存在しなかった「市民活動促進」のための法律
近年、都市を中心に、自主的で、多様な市民活動が徐々に拡大しています。しかし、NPO法が登場するまで日本社会には自由な市民活動を支援する法律は存在しませんでした。NPO法は市民活動の内容を「特定」かつ「非営利」に限定しました。「特定」とは指定された分野があることを意味し、「非営利」とは「再分配のために利益を追求しない」という意味です。そのため名称は「特定非営利活動促進法」(以下NPO法)と決まりした。NPO法は、初めて、「法」によって「市民活動」を促進するシステムを具体化したのです。その目的はボランティア活動と重なり、「自治」の拡大と「公益」の増進が2大目標です。活動の「自己責任」が強調されるのは、市民活動の自由と自治の思想が活動の根幹にあるからです。また、「不特定多数の人々のための利益」が活動の目標になるのは、「公益」の思想に由来しています。「不特定多数の人々」とは「一般的他者」と同じ意味です。「公益」とは英語のPublic Interestの意味ですから、これもまた精神において、ボランティアの「社会貢献」と重なります。市民活動における市民とは自らの自治によって、公益を支える人々という意味になり、ここでもボランティアの精神と同じです。共同体文化と根本的に違うところはサービスの対象を市民社会一般に拡大したということです。 NPOによる活動が盛んである社会とそうでない社会の違いは、文化の中にボランティアや住民自治の思想が強く育まれていた社会とそうでない社会の違いであるということになります。日本社会は「お上」に寄り掛かって来た風土でしたから自治の精神も、ボランティアの精神も希薄でした。共同体は一見自治機能を有していたように見えますが、集団と対立する個人の自由は認めていませんでした。行政の下受け組織の側面が強かったことも周知の事実です。それゆえ、共同体集団における個人にとって、住民自治の発想は遠いものであったことは言うまでもありません。NPO法の発想は、共同体には決して存在することのなかった個人の自由と自治思想を結合したものです。法律の名称が「特定」の「非営利」の活動を「促進」する「法律」というように長い「説明文」になっていて、通常は横文字の略語で呼ばれるのもうなずけるというものです。共同体にとっては、「非営利団体」とか「非政府組織」という日本語もなじみが薄い概念です。共同体に帰属した団体は必ず「共益」のための団体であり、「行政」に服従し、行政の下受けとして機能して来たことは周知の事実だからです。私たちに身近な「社会教育関係団体」(*1)と呼ばれる子ども会も婦人会もPTAも行政から補助金を交付されて行政のシンパとなった組織です。 もともと欧米型のボランティアは、宗教上の信仰を源流とし、「神との約束」に基づく「隣人愛」の思想を基本としていました。しかし、日本文化では、仏教も、神道も、儒教も、「個人」の主体性を強調するよりは、共同体の共益を強調しました。それゆえ、われわれの日常は、個人の主体性を基盤としたボランティアの精神からは遠かったのです。 日本社会の相互の助け合いは、共同体の「共益」と「義理」を発生源とし、「報恩」や「共同義務」の観念を基本とした集団管理型のシステムでした。それはボランティアやNPOのいう「公益」ではなく、特定集団に限定された「共益」を追求する思想でした。共益とはマンションの「共益費」の考え方と同じです。「共益費」には、払うか払わないか選択の余地はほとんどありません。払わない限り、共益は分配されないからです。町内会費の支払いも町内会事業への参加原則も同じです。町内会の共同作業への参加は慣習上、選択の自由はありません。それはお互いの利益を守るという「大義」のための、共同の義理であり、共同の義務だからです。参加しない者には、多くの土地で、「出不足金」のような罰金すら課される慣習が生き続けてきたのです。それゆえ、「共益」とは、閉じられたグループ内の相互支援システムの思想だと言えます。マンションの共益費の及ぶ範囲がマンションの住人を越えることがないように、町内会の助け合いが、町内の境界を越えることもまずありません。共同体が主役であった社会に「市民活動促進」のための法律が存在しなかったのは当然だったのです。
(*1)社会教育法の第10条-14条で規定されていて、行政の支援を受けることができるとされています。

6  「市民」とは誰か?
NPO法は名称の出発点から「市民」と言う用語にこだわっています。市民社会と言う時の「市民」とは、思想的な存在であり、思想的な用語です。「そこに住んでいる人」という意味であれば、「住民」でいい筈でしょう。また、自治体の規模によって呼び方を変えるという時は、「都民」、「県民」、「市民」、「町民」、「村民」と呼ぶ筈です。これらは「単位別自治体住民」の呼称です。もちろん、市民社会と言う時の「市民」は、単位別自治体住民のことではありません。 一方、日本社会には「公民」の概念があります。公民館の「公民」です。語感から言えば、市民社会と言う時の「市民」は、「公民」に最も近い感覚だと思いますが、日本社会では法律上「公民」概念を限定して使っています。辞書は、「公民」を、「国政に参与する地位における国民又は旧市町村制度において公務に参与する権利・義務を有した者」(広辞苑)と定義しています。したがって、「公民権」とは、”国会または地方公共団体の議会に関する選挙権・非選挙権を通じて政治に参与する地位・資格”(広辞苑)ということに意味が限定されているのです。 こうした状況では、「市民」の概念もまさしく混乱せざるを得ませんが、NPO法が想定している「市民」は、市民社会と言う時の市民です。広辞苑は、市民社会とは、「自由経済にもとづく法治組織の共同社会」、「その道徳理念は自由、平等、博愛」であると説明しています。したがって、市民とは、そのような社会を支える構成員の意味です。牛山氏は、「市民」の最重要特徴を「自発性」であるとし、市民の自発性の故に、NPOは政府を批判したり、政府と対立したりもすると指摘しています。“行政の下請けに終始すれば、新しい社会セクターとしての存在意義はない”、と言うのです(*1)。まさしく、行政の下受けをして来た町内会のような共同体的集団とは違うのだということを言っているのです。 それゆえ、日本NPOセンターを立ち上げた山岡義典氏は、村にも「市民」がいて、都民の中にも「市民」はいると言っています。ここでも注目しているのは市民の「主体性」と「自発性」です。日本型ボランティアは個人の自由を基盤とする、という筆者の指摘と同じです。したがって、山岡氏の「市民活動」の定義は、「市民社会をつくる活動」ということになります(*2)。広辞苑の言う「自由、平等、博愛」の理念を具体化する「市民社会をつくる活動」こそが、NPO法が目指す「公益」につながるという認識です。仙台NPO研究会は、NPO活動の目的は「公益」の増進であるが、「公益」という用語に代えて「社会的課題の解決を志向する」という表現を使うこともあり得るのではという提案をしています(*3)。NPOは「日本型ボランティア」から発生していることを彷彿とさせます。ここで言われる「社会的課題」が組織や、地域や、国境を越えて発想されるのであれば、それは「不特定多数の利益」に資することになりますから、「社会貢献」と言い換えても大きな違いはない筈です。NPOはボランティアが組織化された社会貢献のための組織であり、分配のための利益を目的としない限り労働の対価を受け取ることも許されています。NPOは、労働と並立したボランティアの組織化であると言って当たらずとも遠からずということでしょう。
(*1) 牛山久仁彦、日本におけるNPOの現状、辻山幸宣編、住民・行政の協働、ぎょうせい、平成10年、p.71(*2) 山岡義典、時代が動く時、ぎょうせい、平成11年、p.82(*3) 公務員のためのNPO読本、仙台NPO研究会編、ぎょうせい、1999年、p.26

7  「選択的」市民活動の促進
NPO法の最大の功績は「選択的」市民活動の下地を作ったことです。共同体が衰退して地域社会は選択的人間関係を原則とするようになりました。ボランティアも当然本人の意志次第であり、選択的です。 それゆえ、選択的市民活動というのは、第一に市民が主役であることを意味しています。したがって、活動は「義理」でも、「義務」でもありません。すなわち、人々の自由な活動を促進することが目的です。NPOは「非営利」の意味ですが、あくまでも「民間」の団体を意味しています。同じ「非営利」でも、行政や特殊法人・公益法人とは異なるのです。その意味で、NPOはNGOと同じです。即ち、NPOも、NGOも、「非営利」で、「非政府組織」すなわち「民間」という意味です。 第二に、市民の活動は「選択の自由」を原理とします。したがって、活動の出発点はボランティアの思想と同じです。ボランティアは本人の「選択」こそが命です。しかし、何をやってもいいという意味ではありません。実際の市民活動にはいろいろあるからです。営利を目的にしないという基準によって、同じ民間でも、企業活動などと区別をしたのです。NPO法の特質は、市民活動に縛りをかけて、「特定」の分野に限定し、しかも「非営利」としたのです。NPOの活動こそ「労働のやり甲斐」と「労働の対価を求めないボランティア」を結合したものだからです。もちろん、「特定非営利」とは、「収益事業」をしないという意味ではありません。活動によって得た利益をメンバーに分配しないという意味です。このルールによって、NPOの活動者は、個人の「儲けを追求しない」という点で「労働の対価は求めない」というボランティアの趣旨とつながっているのです。NPO法の成立によって日本がボランティア先進国になるのではないかという期待はそこから生まれてくるのです。
8  「促進」と「支援」
意識して使用しているかどうかは別として、NPO法の解説書には、「促進」と「支援」の用語が登場します。言葉の意味をいちいちあげつらうつもりはありませんが、促進は英語でpromote、支援はsupportです。当然、支援も促進機能の一部ですが、支援を受けて活動する場合と、自ら頑張って活動する場合では、団体の「気合い」と「姿勢」が違ってくる筈です。上記の通り、NPO法の出発点は市民活動の促進であり、支援ではありません。法律の当初案に冠された「市民活動促進法」という名称における「促進」の思想は、直接的な支援を意味するものではなく、新しい日本人の活動のための環境整備をする間接的応援を意味していたという理解で解説書が一致しています。 一方、NPOは「市民主体」であると一方でいいながら、他方では、行政任務の一環として、直接的に活動を支援したり、NPO団体を育成すべきであるという意見もあります。しかし、行政の直接的関与は、明らかにNPO法の趣旨に矛盾します。法に言うところの市民主体の活動は市民自身が開拓しなければならないことは自明です。したがって、NPO法が示唆する行政の役割は、市民活動に対する制約・干渉を排し、環境を整え、活動の自由を保障し、情報の公開を求めることになります。そこから先は市民自身が開拓すべき領域です。   多くの解説書がNPOに対する行政の「支援」という用語を使用していますが、「支援」は、従来の日本人及び旧来の団体・組織に対する直接的応援の意味です。社会教育関係団体を始め、各種の民間団体に対する「補助金」の交付や「事務支援」のたぐいは「支援」の大義の下に行なわれた実質的な援助です。 共同体文化の下の住民組織はそのほとんどが「お上」によって育成され、保護されてきた団体です。町内会(法律上は行政組織と無関係)も、衛生組合連合会(厚生労働省)も、保護司会(法務省)も、民生・児童委員会(厚生労働省)も、人権擁護委員会(法務省)も、食生活改善推進協議会(厚生労働省)も、子ども会も、婦人会も、青少年育成会も、PTA(以上は文部科学省)も、直接的被支援団体であることは周知の事実です。これらはすべて共同体を基盤とする組織です。個人の自発的な選択によって組織された団体ではありません。旧来の多くの組織は、補助金交付から、団体の事務局機能の代行にいたるまで、行政の直接的「支援」(援助)によって支えられてきたのです。共同体の力が衰退した今、おそらく、行政の直接的援助無しには上記の組織が存続することは不可能でしょう。ボランティアやNPOを上記旧来の被支援組織と混同して、行政の隙間を埋める補助機能のように解説する人がいますが、全くの見当違いです。日本社会では、政治や行政組織のあり方を変革するスピードが遅く、ようやく「事業仕分け」が始まったばかりの過渡期です。当然、新旧両方の組織が同時存在していますが、やがてボランティアやNPOが、旧来の被支援組織の機能を代替する日がやって来ることでしょう。その時、新組織の最大の特性は行政と対等の関係にあるということです。  個人の中にも、集団の中にも、遅まきながら行政職員の中にも新旧2種類の日本人が混在しています。したがって、行政による異なった応援の仕方が混在しているのもまた当然なのです。それが「促進」と「支援」の違いになって現われているのです。

9  NPO法の選択
既存の社会教育活動の大部分は、子ども会活動から、高齢者教室に至るまで、従来の日本人、旧来の日本組織を代表しています。しかし、NPO法の施行によって状況は一変しました。最大の要因はこの「法」が求める「自己責任」への期待と「情報公開」の原則です。旧来の主要組織は行政の補助金と事務局機能の代行または補助によって辛うじてその活動を存続して来た事実は上記の通りです。しかし、無数のNPO法人が誕生し、自前の活動を開始する時、旧来の団体組織のみが行政に”おんぶにだっこ”で甘え続けることはできません。NPO法人の場合、情報公開の原則により、それぞれの活動内容および財務内容も公開されるようになります。そうなれば必ず、団体間の自助努力の「差」が明らかになります。行政が、Aの組織の面倒を見て、Bの組織の面倒を見ないのはなぜかという疑問も生じることでしょう。 具体的に言えば、社会教育関係団体等行政にとって都合のいい団体の面倒は見ても、それ以外のNPO法人の面倒は見ないとなれば、必ずその理由が問われることになる筈です。A団体の活動の方が、B団体の活動より社会的貢献度が高いというのであれば、その評価理由を明らかにしなければなりません。それゆえ、既存の支援団体についても、今後、支援を続けるか、続けないかの説明責任も果たさなければなりません。そうなれば、当然、「支援」の対象は、団体ではなく、個別の事業に変更せざるを得ない筈です。かくして、事業間の切磋琢磨が始まり、行政は、子ども会や、婦人会など既存の「被支援団体」に対する従来の支援のあり方を見直さざるを得なくなるのです。 行政の被支援団体は社会教育関係団体を始め、共同体文化の影響を強く受けた集団です。今やそうした集団にも、新旧2種類の日本人及び新旧2種類の組織観が混在するようになり、共同体の衰退と時を同じくして衰退傾向が続いています。一方、NPO法が選択したのは「新しい日本人」の活動です。NPO法が想定しているのは、ボランティアの精神を起点とする主体的で、自発的な、新しい日本人の社会貢献活動の促進なのです。

10  市民活動の多重機能
市民活動が活発化した第一の理由は、市民自治への要求と自信の高まりであるということに誤りはないでしょう。しかし、市民の自由な活動の背景は決してそれだけではありません。人々は活動に生き甲斐や他者との絆を求めているのです。ボランティア活動も、生涯学習も、それぞれの活動内容に加えて、「縁」を取り結ぶ機能、生き甲斐を充実する機能など多様な機能を併せ持っています。当然、市民活動も同じです。もちろん、活動が交流を促進するという副次機能は国境を越えても同じです。アメリカの「非営利団体」の管理論を説くウィルバーは、”非営利団体は組織を立ち上げた理由である奉仕の対象者の手助けをするが、同時に、活動者の人間的なニーズを満たしているのである“、と指摘しています(*5)。活動の目的の中に、「自分のため」と「他者のため」は併存しているのです。 日本での認識も同じです。「NPOは公益的サービスの提供主体としての役割や、新しい時代の新しい発想の担い手としての重要性に加え、活動する人たち自身にとっては大切な自己実現の場となっている」(*6)という指摘がそれです。  ボランティア活動がボランティア自身を支えるように、NPO活動も活動者自身を支えるのです。「自分のため」のボランティア、「自分のため」のNPOは、市民活動の”隠れたカリキュラム”です。「自分のため」の生き甲斐の探求を抜きにして市民活動も、ボランティアもエネルギーを自家発電できる筈はないのです。ボランティアの志は廻り廻って常に社会貢献と自己実現の両方を同時に追求しているのです。「情けは人のためならず」なのです。
(*5)  ロバート・H・ウィルバー、みんなのNPO、海象社、p.3(*6)  公務員のためのNPO読本、仙台NPO研究会編、ぎょうせい、1999年、p.30
11  NPO法が規定する「特定非営利活動法人」とはなにか?
立法にかかわった熊代昭彦議員はNPO法を100年ぶりの革命的意義を持つ法律であると評価しています。その理由は、NPO法が従来の「民法の隙き間」を埋めた市民活動を応援する法律だからです。応援法の応援法たる所以は市民グループが極めて簡単に法人格を取得することを可能にしたことです。以下は熊代氏が指摘する法の要点です(*1)。
1  10人集まれば、法人格(特定非営利活動法人)が取れる2  基本財産は不要3  年間の会費収入も必要なだけあればいい4  認証の条件がすべて法律に書いてあり、官僚の自由裁量の余地がない5  三年間報告がなければ認証を取り消すことができる6  都道府県知事の認証で、日本中、世界中で活躍ができる7  全員が外国人でも法人格が取れる―「フリー、フェアー、グローバル」を体現8  情報公開を徹底9  制度悪用に対する対応措置を導入
(*1)  熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、pp.3-6

12  「民法の隙間」とはなにか?
民法の制定は1896年(明治29年)です。その民法が定める「公益法人」は社団法人と財団法人です(民法第34条)。その他はすべて個別の特別法による規定です。例えば学校法人は「学校教育法」であり、社会福祉法人は「社会福祉事業法」で規定されています。同じく、労働組合は「労働組合法」で、宗教法人は「宗教法人法」によって規定されています。商工組合も日本育英会もそれぞれ個別の法律によって規定されています。 NPO法はこれら非営利の法人に加えて、市民活動を行なうグループ・団体を文化横断的・社会横断的にNPO法人(「特定非営利活動法人」)の呼称のもとに統括したのです。法人化を認証する条件のひとつが「不特定かつ多数のものの利益」を増進することと定められました。先の熊代氏は、「公益」と「不特定かつ多数のものの利益」は同義であるとしています。それゆえ、NPO法は、民法34条の「公益法人(社団法人、財団法人)の特別法として位置付けられたことになると指摘しています(*1)。文化横断的・社会横断的に謳い上げられた活動は17領域であり、それがそのままNPO法が示す「市民活動」の内容であり、各団体・グループの事業領域です(*2)。
(*1)熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、p.66
(*2)NPO法第2条の別表に掲げる活動に該当する活動(別表)
i保健、医療又は福祉の増進を図る活動 ii社会教育の増進を図る活動 iiiまちづくりの推進を図る活動 iv学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動 v環境の保全を図る活動 vi災害救援活動 vii地域安全活動 viii人権の擁護又は平和の推進を図る活動 ix国際協力の活動 x男女共同参画社会の形成の促進を図る活動 xi子どもの健全育成を図る活動 xii情報化社会の発展を図る活動 xiii科学技術の振興を図る活動 xiv経済活動の活性化を図る活動 xv職業能力の開発又は雇用機会の拡充を支援する活動 xvi消費者の保護を図る活動 xvii前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動

13  行政による「公益」独占状況の修正
これまで「公」とは、ほぼ「行政」と同義であり、「官」と同じ意味でした。それゆえ、「公益」に関する事業は行政の独占に近い状況にあったということです。民間の団体は、法人格を持つか持たないかに関わらず、行政の認知によって、初めて「公益」に貢献していると判断されて来たのです。「公益法人」の名称が雄弁に語っているところです。「公益」に資するか否かの認知権は行政が独占していました。すべての社会教育関係団体も、福祉関係団体も、官が公益に資するという認定を与えない限り、制度的に認知された団体としての活動は出来ませんでした。当然、行政からの支援(援助)も得られません。従来の「公益法人」、あるいは「非営利」の法人は、社団法人も、財団法人も、宗教法人も、労働組合も、商工組合も、すべて民法あるいは特別法の規定によって行政が認可するものです。行政の認可とは官僚の自由裁量の結果によって決まるという意味でもあります。 NPO法は、「許可」を、「認証」に変え、認証条件を法律に明記しました。従来とは比較にならない簡便な方法で、市民活動団体が法人格を取得することができるようになったのです。このことは、行政が「公益」の認知を独占しないことになったという意味です。市民がNPO法に則って、それぞれの活動に取り組む時、それはほぼ自動的に「公益」に資する活動と認められるシステムができ上がったのです。かくして、NPO法は、行政による「公益」の独占状態を一挙に修正することになりました。
14  NPO法人のメリット
NPO法はこれまでの「任意団体」に「法人格」を与えることになりました。個人で行なうボランティアと比較してみると、「法人格」を得るということがどれほど重大な意味を持つかが分かる筈です。「法人格」を持つとは、団体の活動を社会が制度的に承認するという意味です。法人格がなければ、その活動が社会的に認知される保障は全くありません。しかし、NPO法は、次のようなメリットをもたらしたと指摘されています(*1)。課題の税制も改正の一歩が進められました(*2)。
1 契約の主体に成れる2 受託事業や補助金を受けやすくなる3 公的な施設を利用しやすい4 社会的な信用が生まれやすい
(*1) 米田雅子、NPO法人をつくろう、東洋経済新報社、1999年、p.20
(*2)  現在の NPO 法人税制NPO 法人の財政を支援する税制として、 NPO 法人の支出を少なくするために法人税の負担を 軽減する措置と、 NPO 法人の収入源の一つである寄付を増やすために寄付金税制を拡充する 措置の二つが主な課題となっています。
15  NPOによる行政の変革-「公益」を推進するパートナーの登場
NPO法人が「公益」を担う団体と認証された時から、行政による「公益」の独占状態が終わりました。NPO法が定める法人は公益の活動を行なう行政のパートナーとなり得ます。行政による「認可」のシステムをとらないことによって、NPO法人は、従来のどの団体よりも行政に対する「対等性」が保証されているのです。行政の許可が必要でないということはNPOの側に法律上の不正がない限り、行政は命令も、指示もできないという意味です。かくして、行政とNPOの「協働」概念が登場するのです。原理的には、ボランティアと行政の関係も同じです。対等の関係にあるパートナーが、共同・協力して働くことが「協働」という意味です。 最後に残された問題はまたしても行政の縦割りでしょう。NPO法人の認証申請手続きが画期的に行政の縦割りを排したにも関わらず、都道府県の条例如何では再びそれぞれの行政分野ごとのNPO法人がつくられかねないからです。生涯学習関係のNPO法人が、既存の社会教育関係団体と同じ行政上の取扱いになるのか、行政の対応が問われているのです。しかし、今のままでは、生涯学習行政が総合化できないように、NPO法人の活動も総合化できない危険性は高いのです。

16  百家争鳴の活力-「社会的課題」に取組む「ベンチャー・プロジェクト」
「従来の日本人」と「新しい日本人」のひとつの違いは、「個人の力」に対する信頼度の違いです。「従来の日本人」はみんなの意見が揃わないと「事は始まらない」、と信じていました。これに対して、「新しい日本人」は、みんなの意見が揃うことは大切であるが、揃わなくても「事を始めよう」と考えています。 まちづくりにおいては、みんなの意見、みんなの参加が大切であるとたいていの本に書いてあります。「みんな」というのはほぼ間違いなく「従来の日本人」のことでしょう。まちづくりを主導する行政は、若者といえば、若者グループの合意を想定し、女性といえば女性団体のまとまりを必要として来ました。共同体の文化風土においては、「みんなで一緒にやる」ことが行政が責任を問われない「保険」だったからです。「みんなで渡れば恐くない」ということでした。 しかし、みんなの覚醒を待っていたらいつまでたっても「新しいこと」・「革新的なこと」は始められないことは日本の地方史が証明しています。マズローの研究を引き合いに出すまでもなく、どこのまちでも、どんな組織でも、新しいことの提唱者・実践者(マズローは「革新者:Innovator」と呼びました)は人口の3%程度しか存在しないのです。時代の風が吹いて、時間が経てば、いずれ革新者のアイディアも多数者のアイディアに変わりますが、それには膨大な時間とエネルギーを要します。それがこれまでのまちづくりの歴史でした。歴史のある時期に、多数者の考えをまとめようとすれば、通常、当代、当地の常識の範囲を出ることはないでしょう。まちづくりにせよ、活性化戦略のイベントにせよ、「みんなの意見」の平均や常識からユニークな視点は出てこないことは多くの成功実践が証明しています。まちづくりなどに現れる個性とは「常識」の対立概念にこそ近いのです。まちづくりに限らず日本社会の「新しい発想」が、実は何も新しくなく、何処でも似たような「金太郎飴」になるのは、共同体文化の慣習を引きずって「みんなの意見」を寄せ集めて来たからです。通常、画期的なことは全員の合意の中からは生まれません。「まちづくり民主主義」の死角であると言っていいでしょう。新しい企業活動の創造に「ベンチャー」の育成が必要であるように、まちづくりにも「ベンチャー・プロジェクト」が必要になるのは当然のことです。ベンチャーとは、もちろん、「冒険」を試みるという意味です。日本社会がベンチャー・ビジネスを育てることに遅れをとったように、まちづくりはベンチャー・プロジェクトを生み出すことに失敗しているのです。そのような過去の事実に鑑みて、NPO法は、まちづくりのベンチャー(冒険)を育てるための法律であると言い換えてもいいのではないでしょうか。    この意味で日本NPOセンターの山岡氏が指摘する市民活動の四つの性格は重要です。4つとは、①先駆性、②多元性、③批判性、④人間性です(*1)。 先駆性とは、革新的NPOの”冒険”によって、個人または少数グループの新しいアイディアを実行に移すことが可能になったということです。 多元性とは、まさにNPOの百家争鳴のことです。異なった発想、多様なエネルギーが衝突して活動の触媒機能や活性化の条件が整うという意味です。 批判性とは、行政と対等なNPOの登場によって、社会システムと行政活動に対するチェック機能が充実することにほかなりません。 最後の人間性は、多様なNPOの出会いによる、多様な人間相互の交流が促進されるということです。 公平の原則、平等の原理、税金の投入などの「しばり」で従来の行政には実行出来なかったことも、NPOであれば可能になります。ボランティアもNPOも公平である必要はなく、平等である必要もなく、公金を使わなければ自由な活動が保障されます。ボランティアもNPOも最重要の社会的課題は「他者への貢献」ですが、参加者の最大の個人的目的は生き甲斐の探求と絆の形成だからです。 これら4つの視点は、行政の性格上、行政事業にはほとんど存在しません。また仮に、個別の行政マンに上記の視点を有する方々が存在したとしても、システムの性格上、行政ではほとんど活かすことができないのです。(*1)
山岡義典、時代が動く時、ぎょうせい、平成11年、pp.56~61

§MESSAGE TO AND FROM§
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
東京都八王子市 瀬沼克彰 様
ご著書「まちづくり市民大学」を拝受いたしました。恐るべき筆力に舌を巻いております。編集後記に紹介しましたように私たちも29年の大会史を振り返ってこれからの日本が当面するであろう「未来の必要」の執筆を開始いたしました。来年は節目となる30周年大会です。手づくりの大会ですがお時間が取れるようでしたらどうぞお出かけ下さい。
中嶋正信 様
おそらく第1回から今まで連続してご参加を頂いているのは森本前教育長とあなたと私の3名ぐらいになったですね。皆さんとの記念写真をありがとうございました。福岡教育大学の中庭の噴水を囲んで社会教育の未来を語り合ったひと時がつい昨日のことのようです。あなたが中心となられた北九州社会教育講師団の白盧会も35周年を向かえたのですね。皆さまの研修会にお招きいただいて学社複合施設論を展開したことを思い出します。私が構想した宗像市の学社融合施設構想は当時の学校教育課長の裏の画策でつぶれましたが、20数年のときを経て今度は飯塚市が旧頴田町に新しい小中一貫でしかも学社複合の施設を構想中です。われわれも年をとりましたが思い出話を止めて未来を構想し続けたいものです。
広島県廿日市市 川田裕子 様
来年の記念大会はビッグフィールドの子どもたちに会えるでしょうか?正留先生の実行委員就任も内定し、広島の戦力が向上しました。尾道の皆さんもいるし、前の実行委員の中村さんも石川さんも健在です。機会があればいずれどこかで移
動フォーラムを企画しましょう。楽しみにしております。
島根県雲南市 和田 明 様
懐かしい皆さんのお顔が見えて何よりでした。松江の神門校長にも島根大の澤先生と相談して島根移動フォーラムを実現しようと相談しました。地理的には雲南ぐらいが丁度いいのではないでしょうか?来年は30回大会を迎えます。細々と九州大会を続けていた頃、先生のご尽力で島根との交流の道が開けました。小生が元気なうちに一度は恩返しのフォーラムをお届けしたいものです。
鳥取県日吉津村 橋田和久 様
父上のことお悔やみ申し上げます。ご不幸を存じませんでしたが小生の提案に重なった父上の生き方の偶然をふしぎな思いで受けとめています。お便りを拝見して「生涯現役」論にいささかの自信を持ちました。自分も老衰に倒れるまで志を曲げず、現在の生き方を続けたいものと切望しております。今回の西部地区研修会に福岡からまた何人かが参加します。「海原荘」の交流会を楽しみにしております。
島根県益田市 大畑伸幸 様
現役を退いた瞬間から何を話しても中身は過去のことになります。個人にとって生涯現役が重要なのは未来の話をし続けるためです。私が現役にこだわるのも「昔の名前で出ています」にならないためです。交流会でのあなたの未来計画を面白く聞きました。矢野大和氏が証人です。学社連携を推進し、子育て支援の縦割り行政を粉砕する未来の大畑教育長の登場を楽しみにしております。もちろん、政治や中央教育行政の発想が変わらない限り、誰が教育長になってもやれることはたかが知れているのですが・・・。
愛媛県松山市 上田和子 様
婦人会の「はらおどり」のCDをありがとうございました。歌い手が上手なのでわが拙い歌詞も生きました。皆様に使っていただいて光栄に思います。一度皆さんが演じるホンモノの舞台を拝見したいものです。関係者によろしくお伝え下さい。11月大洲大会での再会を楽しみにしています。
佐賀県佐賀市 秋山千潮 様
この度は再会が叶わずまことに残念でした。その後、あなたの方はすべて順調であることをお祈り申し上げております。おかげさまで第29回大会は史上最多の参加者を得て無事終了いたしました。あなたにお見せしたい発表がいくつもありました。佐賀の皆様とも楽しい交流のひと時を持つことができました。 お届け頂いた名物の羊羹は、惜しみながら毎日一切れずつ原稿が捗ったときの自分への褒美にしております。羊羹がなくなる前に原稿を仕上げるつもりですが、今回はその一部を巻頭のNPO論文として紹介しております。加齢とともに小生にもいろいろ身体の故障が起こり始めしたが、日々「読み、書き、体操、ボランティア」を忘れずに実践しております。
過分の郵送料を頂きありがとうございました。広島県廿日市市 川田裕子 様島根県雲南市 和田 明 様

125号お知らせ

第100回記念生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年6月12日(土)13-17時場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)第1部:リレートーク:「あなたが考える社会教育の現代的課題」*日本社会が当面している様々な課題を材料として、古市勝也(九共大)、大島まな(九女短大)、森本精造(前飯塚市教育長)、黒田修三(県立社教センタ―)ほかの方々の問題提起を受けて、リレートークを行います。以下はその切り口の一例です。      ①子育支援のために公民館は何ができるのか?     ②高齢者の元気を維持し、活力を引き出す方法はあるか?     ③学社連携は実現するか、何をするか、誰がするのか?     ④長期休暇中の青少年プログラムに何を選ぶか?     ⑤社会教育はNPOやボランティアと恊働しているか?     ⑥社会教育職員の研修と交流はどうあればいいのか?     ⑦その他                (コーディネーター 三浦 清一郎)          第2部:ミニ講演  「日本型ボランティアの誕生-社会教育の新しい挑戦」(仮)       生涯学習・社会システム研究者  三浦 清一郎*終了後センターにおいて交流会を企画しております。お楽しみに。

編集後記30周年記念出版「未来の必要-生涯学習立国の条件」
以下は第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会実行委員会で報告・提案した第30回大会記念出版の企画原案とこれまでの作業過程の報告です。ご欠席の実行委員のみなさんにお知らせを兼ねて執筆参加のご案内を申し上げます。
1 これまでの作業経緯と編集方針
前回実行委員会でご報告以来、すでに1年以上作業を継続して来ました。これまでに、森本精造、古市勝也、大島まな、黒田修三、永渕美法の各氏が報告・提案を行なっています。
2  編集方針
(1)  企画・執筆への参加は公開で全実行委員にオープンにしています。福岡で開催する「生涯学習フォーラム・編集委員会in福岡」のお知らせは本「風の便り」紙上で行なっています。
(2) 執筆をご希望の方は以下の編集方針に合意の上、ご自分の提案のレジュメを作成し、フォーラムに出席の上、報告し、参加者の討議を経た上で原稿化して提出して頂くことになります。提出された各原稿の編集上の補筆修正は編集代表の三浦が行ないますので予めご了解下さい。
(3) 提案・執筆の視点
執筆の視点は、記念誌表題のとおり、「過去の総括」ではなく「未来の必要」を論じます。交流会30年の歴史を振り返って、必ず大会発表事例を分析の素材として活用し、下敷きにして下さい。論じていただきたいことは、発表事例の分析から見えて来る「未来の必要」です。ただし、過去の事例はあくまでも分析上の素材として活用し、「未来の政策提言」に重点を置くため、事例紹介は必要最小限に留めていただきます。
(4) 過去の発表資料
過去29年間の発表事例の資料は福岡県立社会教育総合センター図書室に保存してあります。

 

「風の便り 」(第124号)

発行日:平成22年4月
発行者 三浦清一郎

情けは人のためならず-双方向の情緒的交流

1 「世のため」、「人のため」、「自分のため」!?

「シニアライフ大百科」には、ボランティアは「世のため」、「人のため」、「自分のため」と簡潔な定義がありました。定義の簡潔性には大いに賛同しますが、順序がちがうのではないでしょうか?日本型ボランティは、さびしい日本人が辿り着いた結論ですから、まず「自分のため」が先で、続いて「世のため」、「人のため」です。日本型ボランティアは、欧米型ボランティアのように「神との約束」に基づく宗教上の実践を起源とはしていません。他者や社会に役立つ行動であっても、信仰上の「信条」を持たない以上、具体的に自分に返って来るものがなく、自分が納得できない事は続かないのです。前掲書が「自分が出来るボランティアの見つけ方」という特別項目を設けて解説しているのはまさしく「自分の在り方」、「自分にとっての意味」が活動のカギになるからなのです(*1)。
日本型ボランティアの出発点は、文字通り、「情け」は「人のため」ではなく、少なくとも半分はまさしく「自分のため」なのです。
ボランティアであると否かにかかわらず,人間を対象としたあらゆる社会的活動がもたらす反応は双方向的です。あなたの働きかけが相手に受け入れられようと,受け入れられまいと、また、好悪・善悪に関わらず,相手の反応は返って来ます。たとえ、具体的には「無反応」の場合ですらも,「無視された」という「反応」になります。もちろん,ボランティアのように他者の必要に応え,他者の存在に尽くせば基本的に感謝や喜びの反応として返って来ます。ボランティアの実践者にとって,実際の活動の成果に優るとも劣らぬ重要性を持つのが他者の好意的な反応です。他者から放射される感謝や喜びこそが実践者の「役立ち感情」を保障します。自分の思いが相手に通じて感謝や喜びをもって迎え入れられるということは双方向の情緒的交流を意味します。社会貢献や他者への貢献を活動の原理とするボランティアは疑いなく世間や他者の拍手や感謝を最大限に保障するのです。

2 日本型ボランティアの原理-「情けは人のためならず」

共同体が衰退し,共同体的人間関係を失って大量に発生した「さびしい日本人」が、欧米文化を発生源とするボランティアの精神を徐々に受け入れ始めた最大の理由が「双方向の情緒的交流」にあります。換言すれば、ボランティアの社会貢献を通して、他者からの「感謝」と世間の「賛同」を求めたということです。日本型ボランティアの原理こそ「情けは人のためならず」なのです。求めたものは人間の「絆」でした。絆を構成するものは、共感を基盤とする温かい人間交流です。人々はボランティア活動を通して、かつての共同体の共同作業や共同行事が育んだ近隣一体の相互に支え合う“温かい”情緒的交流に匹敵する機能をボランティア活動の中に見出すことができたのです。
事実、多くの人々がボランティア活動を通して己の存在意義を実感していると語っています。働きかける対象との共感的人間関係を確認できているとも語っています。彼らが語るところを聞けば,社会貢献の事実や公共の福祉に役立っているという事実とほぼ同等の重さでボランティアが「自分のための」活動であると認識していることが分かります。すなわち,多くの人々がボランティア活動に関わることによって,初めて,自分が必要とされていること,役に立っていること,感謝の対象であることを自覚しているのです。これらの自覚は,やり甲斐の実感であり、自分の行為の存在理由の自己確認になっていることは言うまでもありません。
日本型ボランティアは生き甲斐のある人生の追求の試行錯誤の果てに辿り着いた結論の一つだったのです。
他者による「感謝」や「承認」は、ボランティア本人の生き甲斐となり、他者との人間的絆の形成に繋がっているのです。換言すれば,ボランティア活動の参加者は、活動成果と交流を通して,人々との共感関係を深めており、翻って働きかける対象の肯定的・感謝の反応によって己の日々の生き甲斐を支えているのです。まさしく「情け」は「人の為ならず」、「自分のため」(*2)でもあるのです。
角田四郎氏は、ボランティア活動を通して「得るものを求めてはいけないか」と問いかけています(*3)。当然、「得る」ものが沢山あるからです。人々は、災害の被災者支援活動の中で、無力感や巨大な共通の目標を通して共感し、同志となり、絆を形成し、感動を共有する過程を生き生きと語っています。日本人もまた、「情け」は巡り巡って「身に廻る」と考えていたのです。人のために尽くすということが、結局は自分のプラスとして返ってくるということは日本人の処世論の根幹にあり,日本型ボランティアの極意でもあったのです。「情けは人の為ならず」に限りません。共同体が課した「報恩」の慣習から離れることができれば、「おかげさま」や「おたがい様」も日本文化の中の自由な相互支援を推奨する思想となり、ボランティアの社会貢献の発想につながったのです。「出世払い」の「恩送り」は、すでに死語となり、現代ではほとんど使われなくなった表現でが、他者への貢献を世代間の相互支援に転換した伝統的な発想です。思想の底流において、国境や世代の境目を意識しないボランティアの精神と共通している一例です。ちなみに「恩送り」とは、恩を受けたご本人以外の第三者へ恩を「送る」という意味です。
筆者の若い頃には、出世払いでごちそうをしていただいた時など,親切をしてくれたご本人へ恩を返す代わりに,次の若い世代を育てることに意を尽くせなどと言われたものでした。「相互扶助」や「報恩」の伝統も共同体から切り離した時、狭い人間関係の「貸し・借り」や「義理」の観念から自由になります。「おかげさま」から「恩送り」まで、不特定な他者への支援という解釈を組み合わせれば、どこか普遍的隣人愛のボランティアスピリットに通じるのではないでしょうか。「おかげさま」や「おたがい様」が地域や世代や国境すらも意識しなくなった時、「恩送り」の処世訓もボランティアの精神と交差するのです。日本型ボランティア文化は、基本的に宗教色を持たない代わりに,共同体の歴史が紡いで来た日本文化の処世訓が生きているのです。共同体につきまとった特有の相互干渉や相互の束縛を払い落し、選択制のボランティアを導入した後、「お蔭さま」や「おたがい様」は世界に通用する普遍的社会貢献思想に昇華し得るのです。英語にも「A kindness is never lost(親切は決して無駄にならない)」という表現があるそうですが、この英語の格言を「『おかげさま』は死なず」とか、「『おたがい様』は消えず」と訳しても,当たらずとも遠からず、というところでしょう。人間の文化は底辺のどこかで繋がっているということなのだと思います。どのような調査項目で調べたのか分かりませんが、日本がボランティア先進国になりつつあるという指摘を時々見受けます。調査項目には「まちづくり」や「環境保護」のような活動が入っているので、おそらく、統計数字の中には、町内会型の共同体文化の助け合いも、個人を起点とした新しい日本型ボランティアも両方がごっちゃに混じっているのだと想像しています。町内会の清掃作業やまちづくりと名のついた行政行事への参加をボランティアだと勘違いすれば、参加人数は相当の数字になるでしょう。しかし、日本型ボランティアの方々はまだまだ少数派です。「参加率では世界第3位、日本人の3-4人に一人がボランティアをしている」(*4)などという記述を見ると“勘違い統計”だと思わざるを得ないのです。

(*1)堀田力監修、シニアライフ大百科、2008-2009年版、法研、平成19年、p.136
(*2)情けは人のためならず
文化庁調査では、このことわざの日本人の解釈は二様になりつつあるそうです。「ためになる」を否定すれば「ためにならない」であり、「下手に情けをかけるな」という解釈になります。一方、「ためにやる」を否定すれば「ためにはやらない」となります。古語は後者であり、親切は「人のためにやるものではない、自分のためだ」が正解だと辞書にあります。日本型ボランティアは「ことわざ」を本来の意味に戻したと言っていいでしょう。
(*3)角田四郎、ひとりでもできる地震・災害ボランティア入門、ふきのとう書房、2006年、p.102
(*4)ボランティア情報研究会、熟年だからボランティア、学習研究社、2002年、p.30

「個性重視の教育」と「没個性化の労働」

1 労働の平準化-均質性と没個性化

現代の特性は「利便性」です。「利便性」の意味は、「労せずして手に入れる」ということです。「労せず」の意味には「容易く」も「安価に」も含まれています。換言すれば、利便性とは「単純化」と「効率性」に重なります。利便性を追求した結果、現代の労働は機械化と自動化によって単純化され、均質化され、平準化されました。流れ作業と分業は仕事を更に分断し、単純化は部分労働をもたらしました。商品やサービスが効率化・高度化した分、労働者は労働プロセスの全体に関わることはますます少なくなり、成果の全体も見えにくくなりました。換言すれば、多くの労働が均一化され、仕事は誰がやっても同じようなものになり、マニュアル化されて行きました。自分が計画に参加していない、プロセスの全体も見えない、自動化され、機械化され、平準化され、分業化され、単純化された労働は「つまらなく」なったのです。人々がこの仕事は自分でなくてもいいのだ、誰がやってもいいのだ、と思うのは当然でした。
一方、商品やサービスの均質化は現代の条件です。利便性の条件と言ってもいいでしょう。jisマークやecoマークのように品質の標準化が求められるのは利便性の象徴です。都市や田舎に関係なく「ユニバーサル・サービス」が言われるのも同じ理由からです。利便性の公平も、均等も、均質も、標準化も、企業や役所の条件になりました。現代の労働は個人の働きの違いを消すことに躍起になって来たのです。労働における個人差の解消は状況によっては没個性化ということです。商品もサービスもあなたが作ろうと私が作ろうと同じものが求められるようになったのです。結果的に、「私でなければならない」理由は消滅して行くのです。現代の労働はそこで働く人々の没個性化を要求していると言っても過言ではないのです。
一方、人々が求める「やり甲斐」は成果が上がること、能力を発揮できること、活動に意義を感じること、人々から認めてもらえることなどの総合的結果です。それゆえ、誰がやっても同じことであれば「やり甲斐」が遠のくのは当たり前のことです。対人的な仕事や高度なトレーニングを必要とする専門職業を除けば、恐らく現代の大部分の労働は没個性的なものになったのです。加藤秀俊氏はやり甲斐の根拠を分析して「誰にでもできる仕事ではなく、自分にしかできない仕事だ、と思うから職業生活には張り合いがある」と指摘しています。「その職業が、誰にでもできるようなものになってしまったときに、ひとはそれにくだらないという形容詞をつける」。「そして、現代社会はくだらない仕事に満ちあふれている」(*1)と指摘しています。加藤氏の指摘通り、労働の「平準化」はくだらない仕事を社会に溢れさせたということになるでしょう。
(*1)加藤秀俊、生きがいの周辺、文芸春秋、1970年、p.242

2 個性にこだわった戦後教育

どこの教員研修に伺っても個性についても質問が出ます。筆者は、「子どもの興味関心に関わらず」、「教えるべきことは教えよ」と主張しているのですが、必ずと言っていいほど子どもの個性を抑圧することにならないか、という抗議をこめた質問がでます。一世を風靡した金子みすずの「みんな違ってみんないい」を前提に子どもの現状を認めるべきだという意見も強いのです。筆者も、もちろん、教育実践において、子どもがそれぞれに「違っている」ことは事実であることを知っています。しかし、それぞれが違うということは教育の結論ではなく出発点です。したがって、「みんな違ってみんないい」となるか,否かは子どもの成長過程について社会の評価を待たなければならないということです。それぞれの「違い」が社会の評価基準に叶って「すべて良い」とはならないというのが筆者の意見です。
質疑の核心は、「個性」とは何か、「個性」をどう考慮するかということになります。「個性」こそ戦後教育がもてはやした指導法の「核」になる概念だからです。

3 個性とは何か-欲求・感性との混同

個性の一般的定義は、”「個体・個人」に与えられた資質や欲求の特性“ということになります。要は、他者との「差異」の総体です。しかし、「他人と違っている自分」というだけでは教育指導上「個性」を説明したことにならないでしょう。単純な「他者との差異」を「個性」と等値し,両者を混同したところに戦後教育の混乱の原因があります。戦後教育は個人の感性や欲求を強調し、個性と混同する過ちを犯したのです。
まず第1に,「資質上の違い」だけを問題にするなら、個々の後天的な努力をどう評価するのか、が問題になります。少年期の「他者との違い」は、本人ががんばれば直ちに発生し、縮小したり拡大したりするからです。努力しない少年が遅れを取るのは当然の結果なのです。
第2に戦後教育の個性論は、感性や欲求を個性と混同しました。各人の持つ「資質」と「欲求」が混ぜ合わさって「違い」が生じるとすれば、「個性」とは、「欲求の現れ方」、「自己主張」・「自己表現」の「在り方」ということになります。即ち、個性=「自己主張」・「自己表現」となります。しかし、当然、すべての自己主張や自己表現を個性として尊重せよとは誰も言わないでしょう。馬鹿げた自己主張も,端迷惑な自己表現もあり、社会に害をなす反社会的な主張も多々あることは自明だからです。それゆえ、第3の問題は、すべての個性を肯定的に評価することは出来ない,ということです。子どもの自己中心的な欲求や身勝手な思いこみを個性と勘違いしてはならないのです。
第4に注目すべきは「他者との違い」の構成要因です。
「自分」と「他者」を区別する最も具体的な要因は、知的能力、身体的能力,判断力、適応力、容貌・しぐさ・表現力などあらゆる種類の「能力」です。次の要因は、短気,大胆、優しさ、思慮深さ,のんびりなどの性格的・精神的要因です。まさしく,性格は人それぞれ違うからです。最後の要因は,個人の好みと欲求です。「タデ食う虫も好きずき」で、それぞれに人間の嗜好や相性は異なるのです。
重要なことは,「能力」を「個性」と等値すれば,必ず社会的評価と選別に結びつきます。また、「性格や精神」と「個性」を等値すれば、好ましくない性格の判定やその矯正問題が浮上します。当然、反社会的な欲求や嗜好についても「個性」と等値してすべてを肯定するわけには行かないことは自明でしょう。「みんな違ってみんないい」という情緒的かつ好意的な発想は,楽観的で耳障りは良いですが、現実の教育場面に適用することは決して簡単ではないのです。それゆえ、「他者との違い」を「個性」として全面承認することは、不適切なだけでなく教育的には不可能なのです。感性や欲求を個性と等値することは問題外です。
要するに、人間には、いろいろ特性はありますが,それほど際立った個性などというものは、めったにあるものではないのです。際立った「個性」は押さえても延び,教えなくても自ら花をつけるのです。その「花」には、時に、毒すらあるのです。「個性」とは,個人の「特性」と「生き方」の総合として人生の最後にあらわれる「他者との差異」なのです。「個性」とは,自分に与えられた運命的な特性と本人の人生のがんばりとが綾なす総体的な生き方に現れる特性の意味です。

4 教育による「個性」の過大評価

一方で、個性の重視が教育的に叫ばれ、他方で、労働が没個性化して行けば、多くの人のやり甲斐の探求は悲惨な結果を招くことになります。戦後教育は個性を単純化して各人の欲求や感性と等値しました。自分の欲求や感性にあった仕事だけがやり甲斐に繋がるという仮説に立てば、誰もができる仕事はやり甲斐には繋がらないということになります。しかし、現代の労働の多くは、すでに誰にでもできる労働に分業化され、単純化され、標準化されているのです。「自分でなければならない」という労働に巡り逢うことは至難のわざなのです。多くの若者が仕事に就いても長続きしないと言われますが、原因の多くは彼らの好き嫌いの過大評価の結果です。景気が悪くなるたびに、失業率が問題になりますが、現代の失業は、現実に、仕事があっても仕事が続かないことによる現象だという、事業主の証言をテレビで見ました。有りもしない「自分に合った仕事」を探し続ける若者群の存在は、現代の教育病理的な現象です。仕事を選り好みすることが失業の一因であるとする事業主の証言は一理ある分析と言えるでしょう。
大学の教員に聞いても、学生の多くは一つのことに長続きせず、仕事を途中で辞めるそうです。しかも、自分に合わないから辞めて来たと平気で言うそうです。彼らがこだわっているのは好きか嫌いか、気に入ったか、入らないかの問題です。個性の問題ではありません。彼らの言う「自分に合わない」とは、「好きでない」ということで、彼らのいう特性とは自分たちの欲求や感性のことに過ぎません。要は好き嫌いの問題であり、「自分でなくてもできることだ」という自分に対する過剰評価の問題なのです。個性を感性に等値し、好き嫌いの問題とごっちゃにしたのは教育です。子どもの感性の過剰評価・過大評価を蒔き散らしたのも教育です。なかんずく、学校教育であり、その影響を受けた家庭教育です。考えるまでもなく多くの平均的な若者のやることなど誰でもできることなのです。
労働の平準化・単純化・マニュアル化は、公平・均質な利便性を追求する現代人の欲求がもたらした結果です。感性を個性と勘違いして教えた教育の結果は、労働への幻滅を増幅する結果になったのです。個性と置き換えられた欲求や感性の過大評価は、労働に対する高望みを生み出しました。労働の在り方に対する個人の期待水準を非現実的に高度化したのです。若者の多くは己の能力や努力も顧みることなく、ないものねだりをすることになるのです。高望みの「ないものねだり」を満足する方法はありません。平準化された労働で高のぞみする個人のやり甲斐要求に応えることはほぼ不可能です。労働形態・内容の平準化と過剰な個性教育を組み合わせた結果、労働のやり甲斐は消滅したのです。かくして、現代人の多くは仕事のやり甲斐を失いました。人生の充実は労働以外のところに求める人が増えたのは当然の帰結だったのです。
産業構造の変化の過程で現代人は共同体の温もりを失いました。そして今、労働の形態と内容の変化は現代人のやり甲斐を奪うことになったのです。高度な専門職業や単純労働化が難しい対人関係の職業に就いた人々以外、多くの人々にとってボランティアは唯一残された「均質でもない」、「単純でもない」、「マニュアルもない」活動なのです。「自分らしさ」や「自分の感性」を探求できる活動なのです。
ただし、ボランティア活動は労働ではありません。食うためには、ボランティア以外の労働で日々の糧を得なければなりません。それゆえ、ようやく、ボランティア活動と労働が融合したのです。それがNPOです。社会も新しい「融合」を認めました。公益的な活動を行政の独占から解き放って市民に解放したのです。「新しい公共」という流行語も生まれました。NPOは、自分のやりたいことがやれて、人並みに飯が食えるという職業なのです。NPOが人々の注目を集めるのは当然なのです。生き甲斐が仕事の中にあった時代が急速に遠のきました。共同体文化を失った「さびしい日本人」に加えて、仕事のやり甲斐を失った「生き甲斐喪失の日本人」も急増したのです。
日本型ボランティアも、それが組織化されたNPOも“つまらない労働”からの脱出という要素を含んでいるのです。

短歌自分史の試み

1 自分史講座の困難と意義

現在私たちは高齢社会の真っただ中にいます。しかも、現代は,高齢者に限らず、自分流の人生の真っただ中でもあります。みんなそれぞれに自分の思うように「自分らしく」生きたいと願うようになりました。自分らしくと言いながらも自分のない人もいるので難しいのですが、少なくとも自らの欲求や快不快を中心に生きるようになったことだけは疑いないでしょう。それゆえ、高齢者はこれまで以上に自分の人生にこだわるのです。自分史が注目されて来たのはそのためです。高齢者を看取って来た医師の話では、人間は人生の最期に近づくと「饒舌」になると指摘しています。語り残すことが多くなるということでしょう。
しかし、社会教育のプログラムを見れば明らかですが、自分史を綴る人々の輪は必ずしも広がっていません。広がらない理由は、過去を「思い出す」という作業も、思い出したことを「整理する」ことも、それを文章に「書いて」、「編集する」という一連の作業は決して簡単ではないからです。
高齢者の活力を維持するためには、頭のてっぺんから足の先まで、人間の諸機能を使い続けることがカギになります。その理論的背景が医学用語「廃用症候群」です。言葉の意味は英語の方がわかり易いのですが、Disuse Syndromeと言って”使わない機能は使えなくなる“ということです。そこで筆者の提案する活力維持:老衰防止のスローガンは「読み、書き、体操、ボランティア」になりました。活動を継続して頭も身体も気も使い続けよう、という呼びかけです。ところが一番難しいことが定年や子育て終了後の「労働」から「活動」への移行です。今回は短歌で綴る「自分史」の作成に注目して見ました。
筆者は過去に2度、公民館を舞台として自分史の作成支援事業を主催したことがあります。人々は大いに興味を示され、でき上がった自分史は街の印刷屋さんにお願いして表装や製本を施し、各自思い思いの立派なものができ上がりました。中には世話になったみなさんにお配りすると言って、100冊も増刷した方がいらっしゃって驚かされました。自分史講座は2度とも継続のご要望は強く、自分に取ってもやり甲斐のあるお手伝いだったのですが、各人の記録したものを「推敲」し、「添削」し、時には「聞き書き」までする支援方法では時間と手間がかかり過ぎてお世話をする方が草臥れてしまうのが大問題でした。私もたまりかねて学生諸君や教職についていた教え子に応援を頼んだりして辛うじてその時のプログラムは無事に為し終えることができました。自分史作成の過程でみなさんが生き生きと過去を語り始め、交流が始まり、宿題をこなしてお元気を取り戻して行く様子が明らかに認められました。自分史は高齢者の「読み、書き」機能をフル回転させるのに最適なのです。また、執筆のプロセスで苦労を分かち合うことも完成の喜びを共有することも仲間との交流を深めるため大いに有効であることが分かりました。完成披露パーティーは大いにもり上がりました。唯一の欠点が作業時間と支援する側の負担が大きすぎることでした。経験上、書くことを生業にして来た人以外、散文自分史の作成は量的・時間的に一人の講師による単独支援はほとんど不可能なのです。
そうこうするうちに、偶然、私は若い頃に手がけて長く遠ざかっていた短歌に戻りました。たまたまメールに添付した私の歌を読んで下さって、しかも褒めて下さる方に出会いました。ありがたい出会い、ありがたい歌との再会でした。褒めていただけば嬉しくなって日常を歌にすることが習いとなり、メモのように綴ってすでに3年が過ぎました。初めは思いつくままに興をそそられたこと、節目になることなどを歌にしていましたが、だんだん日々の記録を兼ねた「歌日記」のようになって行きました。

2 短歌に見る個人史の「濾過効果」

どんなたどたどしい歌にも人生の背景があります。私の拙い歌にもあります。歌を読むという作業は人間の感情をゆさぶるものだからです。そんなことを考え始めた時に、たまたま「昭和万葉集」を開いたことがありました。戦中の巻でした。そこに綴られていた歌の大部分はそれぞれの人生の歴史的事件だったのです。恩師に別れを告げて戦地に赴く学生の歌がありました。妻に後事を託して別れて行く夫もいました。妻から夫への、子から親への、親から子への万感の思いを込めた歌もあり、さりげない日常生活の断片を切り取った写生もありました。

今宵限り分かるる妻が茶を入れて
机の上に置きて行きたり(青木辰雄)

旅立つ人を送る歌もありました。その時々の決意を歌った歌も、戦場の友を歌い、敵を歌った歌さえありました。

戦地より便り来にけりふところの
鏡いだして化粧を直す(山田かつ子)

下記のように、時に、歌は読む者にとって事実の背景についての説明は不十分です。

ひぐらしの一つが啼けば二つ啼き
山みな声となりて明けゆく(四賀光子)

しかし、どの歌にも間違いなく当人にとって切実な背景があり、人生の「事件」だったのです。そして、一番大事なことはそれぞれの詠み手にとって、歌は個々の事件の最も重要なことを凝縮した思いを掬い上げているということです。関係も記さず、会話も残さず、前後の説明を省略し、時代の背景も風景も捨象し、今ここに伝えおくべきエッセンスのみを31文字に込めているのです。第3者に読ませる歴史としては事実情報が不十分であっても、自分が振り返る自分史であればエッセンスは残るのです。私はそれを短歌における個人史の「濾過効果」と名付けてみました。

3 朧効果

歌は思いや事実を詳細に説明する必要はありません。私が綴って来た歌日記も肝心の事実をぼかしておぼろな雰囲気を醸し出しています。歌を読み返せば誰がそこにいたか、どんな話をしたか、事実の全貌については、覚えていることもあれば、忘れてしまったこともあります。しかし、31文字に限定して拾い上げた思いや心象風景は鮮やかに甦って来るのです。それが思い出の中心だからでしょう。散文で書けば、「中心」だけを書くわけには行きません。しかも「自分史」という思いで書き始めれば、小なりと言えども歴史は歴史ですから、普通5W1Hを省略することはできません。散文は文の形式や体裁を整えるだけでも主語も、動詞も、目的語も、省略や抽象化には限界があるのです。さらに、人生にはあらわに書きたくないことも多々あります。事実をあからさまにすれば生きている人に迷惑のかかることもあります。事実の叙述もまた自分の主観の偏りを免れません。多くの自分史が「自慢史」になったり、客観性を欠くことになるのはそのためです。そうした批判を避けるためにも短歌は最適です。短歌は最初から「客観性」を主張しません。「写生」に徹した短歌であっても「風景」や「事物」のどこを切り取って31文字に納めるかを決定するのは「写生者」の主観であることは明らかだからです。言いたいことも、言いたくないことも31文字の中にぼかしておくことこそ「朧効果」なのです。ぼかしながらも歌うという行為は選択の行為です。選択したものと選択しなかったものは自分にしか分かりません。時間が経てば恐らく自分にも分からなくなることもあるでしょう。しかし、短歌にしたことは選択した思いであり、事実なのです。朧であって朧でないことそれを歌に残すことが短歌の朧効果です。その時々の思いを残しておきたい時、歌は抜群の効果と機能を発揮するのです。場所も、時も、状況も、人物も、行為も、会話の中身も、我との人間関係も諸々の浮き世のことは抽象化し、捨象することができるのです。「かの時」も、「かの地」も、「かのひと」も「君」も、「かのもろもろ」を短歌という霧の世界に溶かしてぼかしてしまうのです。歌われた歌の解釈は自由ですが、誰も科学者のように事実を特定することはできません。歌われた風景の中に人はいないかも知れません。しかし、あなたにとっては人がいるのかも知れません。だれがいたのかはあなた以外には特定できません。もちろん、時には、遠い歌の中に誰がいたのか、どんな思いを重ねようとしたのか、あなたでさえ特定しなくていいのです。短歌は「解釈の弾力性」、「誤解の自由」をふんだんに内包しているのです。人生は事実の積みかなった結果ですが、事実の記憶も評価も時に朧なままにしておきたいこともあるのです。短歌自分史は、記憶が明確に切り取った人生の一こまと、朧にしておきたい人生の一こまを共に生かすことができます。朧にしておきたいことは朧のままに、それが短歌の「おぼろ」です。

4 短歌の省力化機能

自分史支援プログラムの中で事実関係を長々と聞き書きし、編集し、個人史にして行く過程は一般人には大変な作業でした。支援者にも大変な作業でした。聞き書きと言っても相手が過去を整然と語ってくれるわけではありません。それは誰のことですか、あなたはおいくつでしたか、それはどこのことですか、というように個人史の事実を5W1Hを中心に解きほぐして行かなければならないのです。しかし、5W1Hを省略して、その時々の心象風景も省いて、一番心に残っていることだけを問うことはそれほど時間もエネルギーも必要としません。記憶は事実の濾過装置です。記憶に残っている断片を集めて、5-7-5-7-7の定型の様式に果てはめるだけであれば、困難は一挙に軽減される筈です。もちろん、短歌の出来映えを問う必要はありません。出来映えにこだわればなかなか前に進まないでしょうが、推敲は後でもいいのです。まず、中核を為す事件や記憶を31文字に納めることが重要です。僅か31文字ですから、そこに納めることのできるものは少量です。31文字に納めることのできる範囲の事実と思いを語ることに限定すれば、作業は選択と精選になります。5-7-5-7-7-のメモを取ると思えば、言葉の作業量は極少になります。短歌はメモでもあり、文章作成の省力化でもあります。しかし、メモはメモでも、短歌文学の素晴らしさは、精選されたメモになるということです。定型の様式にどんな言葉を盛り込むのか、その思考と推敲の過程は人生の思い出を濾過する過程であり、雑事を捨象して当人のこだわりを抽出できる筈です。日本の伝統文化を自分史に結びつけることは多くの人の賛同を得ると期待しています。

§MESSAGE TO AND FROM§
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

山口県下関市 永井丹穂子 さま

「頑張ること」と「自然体」の対比のお便りを興味深く拝見いたしました。ご指摘の通り「がんばり」の評価は下がる一方ですね。「いまさら頑張ってどうするの?」と「自然体が一番よい」が時代の流れでしょうか。
しかし、私の近著は「生涯現役」論を手がかりとして、「自然体」礼賛の時代の流れに棹をさして高齢者の「がんばり方」を論じたものです。老化と衰えが「自然」だとすれば、その自然に逆らうことを勧める「読み、書き、体操、ボランティア」は「反自然」です。人間が「ヒト」科の動物から社会的存在の人間となったこと自体が「反自然」であると思います。「自然体」論者は人間の社会性こそが自然の対極にあるという原点を忘れているのです。「弱肉強食」が自然の鉄則であり、共生も人権も、理論的には「弱肉強食」の反語です。共同社会は基本的に反自然なのです。
「がんばる」の「漢字」は「頑に」気や意地を「張る」ことですから、自分が背伸びをして、自然にできること以上の事をするという意味です。振り返ってわが人生色々ありましたが、がんばって生きてきたことだけが誇りです。これからもがんばって生きて行くことを誇りにします。前回の本のあとがきに書いた通りです。たとえ敵わぬまでも老衰に打ち倒されるまでは、がんばって生きます。私に限らず昔の子どもはがんばることをしつけられました。「がんばり」と「勤勉」は日本人の文化的特性です。われわれはこの文化的遺伝(?)を誇りに思うことがあっても、反省することなど無用であると思います。「自然体」礼賛や「スローライフ」の勧めを聞くとイソップ物語の「あり」と「キリギリス」を思い出します。夏の間に遊んでいて冬の老後に助けてくれと言わねばならないキリギリスにはなりたくないものです。社会が「自然体」や「スローライフ」を主張できるようになったのは、「ありの働き」があったからです。自然体など誰にだってできます。がんばることは意志力・気力のある人にしか出来ません。
不登校の子どもにも、引き蘢りの青年にも、「がんばれ」と言ってはいけないのは、彼らにますます己の無能を知らしめ、ますます自己防衛的に落ち込ませることになるからです。彼らの治療法は、世間の白日の下に引きずり出して、有無を言わせず活動を開始させることです。アホな教育論と志を問わない人権論者が柔な日本を作りました。「しつけの回復」も、「教えることの復権」も基本は自らの欲求を制御してがんばることを教えることです。社会はそのように発展して来たのです。だからこそがんばっている人々は尊いのです。

北九州市 西之原哲也 様

複雑な気持でご栄転の知らせを読みました。若松未来ネットの実践研修は終始一貫リーダーが先頭に立たれたから成功した典型的な事例です。新しいお仕事もNPOなど市民の活動に直接関わる分野とお聞きしました。これからの日本も、そこで暮らす日本人も自らの生き甲斐や絆は自らの「市民活動」によって開拓して行かなければならない時代に突入します。共同体文化も、その名残の町内会機能もやがて消滅します。大部分の人々の労働は、自動化され、機械化され、平準化され、マニュアル化され、誰がやってもできるようなものになります。自分の「個性」を発揮し、「特性」を生かし、
「私」でなければできないという種類の労働は確実に消滅するでしょう。大部分の人々は共同体文化の中に「居場所」はなく、現代の労働システムの中にも「やり甲斐」を見つけることが大いに難しくなります。ニートやフリーターは現代の教育が生み出した悲惨な結果ですが、彼らが「生き甲斐」を感じ得るステージが消滅したこともまた疑いのない事実なのです。それゆえ、新たな「日本型ボランティア」やNPOの市民活動がエネルギーのある人々の中に少しずつ広がりつつあります。新しいお仕事はこれまでに倍して重要なお役目になると想像しております。なぜなら日本の政治も行政もいまだ現代日本人の「生き甲斐の探求、絆の形成」についての「渇き」をほとんど全く理解していないからです。

山口県田布施町 三瓶晴美 様

みやこ町の「男女共同参画ハンドブック」の感想をありがとうございました。過分の評価をいただき、作成に関わった委員の皆さんも、一緒に仕事をした自分も報われる「小論文」でした。日本社会の喫緊の課題は、子育て支援と少子化の防止、高齢者の活動ステージの創造と医療費・介護費の軽減、それに女性の社会参画です。
もちろん、これらは社会教育の課題でもあり、更に広く政治の課題でもあります。取り組みを始めれば、必ず行政改革にも、財政再建にも、雇用の創出にも繋がらざるを得ません。新党を結成した老練な政治家には、気力だけがあって具体的現実的な政策がなく、それを揶揄する若い政治家には、金権政治を批判する気力も、政策もないように見えます。政治が愚かなのは国民の愚かさの反映であることは政治学の常識です。『日本人の敵は「日本人」だ』(石堂俊郎、講談社、1995)ということになるのでしょう。若い世代の犯罪のニュースが続いています。おばあちゃんだけを狙う小学生のひったくりグループのことを123号に書きました。鍛錬を怠り、規範を教えない学校教育のつけと「子宝の風土」の家庭教育の破綻がまさに「教育公害」と呼ぶべき現象を生み出しているのです。

愛媛県松山市 仙波英徳 様

メールを拝見するたびに八面六臂のご活躍ぶりに感服しております。あなたのご配慮とコーディネートのお蔭で昨年の「生涯学習フォーラムinふくおか」のメンバーが愛媛を訪問した交流が具体的に実りました。5月の大会で愛媛の皆様にお目にかかれることを一同楽しみにしております。当日の大会会場の“準備指揮官”は過日同行した社教センターの弓削さん、“愛媛ご一行さま歓迎委員長”は「じゃこ天」、「じゃこ天」と騒いだ校長先生になる予定です。また、ご発表の無人島青少年キャンプの事例は大洲青少年の家の分科会で偶然お聞きしたものになりました。近年めったにないタフなプログラムですので各地の参会者の反応を楽しみにしております。

124号お知らせ

1 第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会リーフレットができました。

日時:2010年5月15日(土)10時-16日(日)12時まで
(14日は前夜祭交流)
場所/問い合せ先:福岡県立社会教育総合センター(福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2、-092-947-3511。E-mail:mail@fsgpref.fukuoka.jp)
内容:各県の事例発表28、特別企画:リレーインタビュー「子育て支援」、「社会復帰のカウンセリング」、「市民参画のまちづくり」、「学校と起業の連携」などを予定しています。

2 第100回記念生涯学習フォーラムin福岡の内容が決まりました。

日時:2010年6月12日(土)13-17時
場所:福岡県立社会教育総合センター(前掲の通り)
第1部:リレートーク:「あなたが考える社会教育の現代的課題」
*日本社会が当面している様々な課題を材料として、古市勝也(九共大)、大島まな(九女短大)、森本精造(飯塚市教育委員会)、黒田修三(県立社教センタ―)ほかの方々の問題提起を受けて、リレートークを行います。以下はその切り口の一例です。
①子育支援のために公民館は何ができるのか?
②高齢者の元気を維持し、活力を引き出す方法はあるか?
③学社連携は実現するか、何をするか、誰がするのか?
④長期休暇中の青少年プログラムに何を選ぶか?
⑤社会教育はNPOやボランティアと恊働しているか?
⑥社会教育職員の研修と交流はどうあればいいのか?
⑦その他 (コーディネーター 三浦 清一郎)
第2部:ミニ講演
「日本型ボランティアの誕生-社会教育の新しい挑戦」(仮)
生涯学習・社会システム研究者  三浦 清一郎
* 終了後センターにおいて交流会を企画しております。お楽しみに。

編集後記 「満月に荒れる子ども」
金曜日の英語クラスの教材は微笑ましいものでした。5年生の担任の先生が書いていました。いつもは聞き分けが良く、授業にも集中する自分の生徒が月に1-2回手に負えなくなるほどに授業を混乱させることがあるそうです。気になって調べてみたら満月に近い頃に決まって騒ぎが起こることが分かりました。月は潮の干満に関係し、月夜カニのように甲殻類の脱皮にも関係します。病院が一番忙しいのも満月の夜だと言われています・・・。
先生は、人間の身体の大部分は水で構成されているので、潮の干満への影響と同じように、生徒の情緒的混乱も月に関係があるのではないかと考えたわけです。
ところが友人の科学者が調べてくれたところによると、月と人間行動との関係について様々な観察や実験が行なわれて来たそうです。しかし、両者の間に特定の関係を示す証拠は発見されていないということが結論になったそうです。
先生は今ひとつ納得できないでいるそうです。先生の疑問は、自分のクラスに起こる月1-2回の定期的な「荒れ」は、教師である自分の責任だろうか、ということです。先生は科学の信奉者ですが、この問題ばかりは科学が未だ解き明かしていないのではないかと疑問を呈しています。
最近の天候不順で、われわれの心身もいろいろ振り回されています。日照が足りないだけで気持が暗くなります。雲の低い日は鬱陶しいし、雨が近づけば、頭痛がしたり、足が痛んだりするという方もいます。しかし、時には、春の雨で気持が落ち着き、私の執筆は捗ります。自然状況が人間行動に何らかの影響を及ぼすことはやはりあるでしょうね。

「風の便り」(第123号)

発行日:平成22年3月
発行者 三浦清一郎

「母の世話 人に頼んで ボランティア」

1 解釈の多様性
標記の「母の世話 人に頼んで ボランティア」という川柳は以前古い参考資料の中から見つけたものです。この川柳には多様な解釈があり、人それぞれの反応があるだろうと想像しています。“身内の世話も処理し切れなくて何がボランティアか”、という感想が第1でしょうか?この感想は養育や介護が社会化される以前の伝統的な発想です。家族の問題を社会に押し付けるなという当事者に対する怒りや皮肉が含まれています。
一方、“母を施設に預かってもらった「負い目」を世間に役立つことで解消しようとするのかね”という感想や、逆に、“世間に恩返しをしようというのは偉いね”という感想が出るかも知れません。更には、一層の深読みをして、“母の世話を他者にお願いしてまで、現代人が社会との接触を続けるということは、そうしなければ人間の孤立感や孤独を解消できず、他者との連帯も絆も困難で、自己表現・自分探しの一環なのだ”という解釈も可能でしょう。筆者が論じて来た「共同体の衰退」に起因する「さびしい日本人」論は、最後の解釈に近いものです。
筆者は、日本人のボランティア活動の背景には、本人の自覚の有無にかかわらず、最後の深読みの感想に似た背景があると考えて来ました。結論だけを繰り返せば、共同体の衰退によって自由になった日本人は、自ら進んで他者との連帯や絆を求めない限り、孤立と孤独を回避できないということです。それゆえ、自分が他者に必要とされ、他者の感謝や他者との連帯に導き得る社会貢献を選択せざるを得ないのです。社会貢献は、「人間の砂漠」と呼ばれる現代における数少ない他者との連帯や絆を形成する方法であり、孤独や孤立を免れる自己表現・自分探しなのです。
2 日本型ボランティアの誕生
結果的に、さびしい日本人が辿り着いた連帯の方法論こそが欧米型のボランティア思想に重なりました。ボランティア活動は、もともとキリスト教文化の信仰上の「隣人愛」の発想を原点としています。日本社会では、連帯や絆を求める方法としてボランティア活動が緩やかに定着し始めているのだと考えています。
もちろん、異文化を自分の生き方に採用した背景には、現代の日本人がおかれた複数の事情が存在しています。
第1は、自分の人生は自分で選んで生きたいという願望です。現代人は「自分流」です。自分の価値を貫き、自己の感性に正直に生きることが理想の自分らしさであると考えるようになっているのです。共同体が衰退し,隣近所の付き合いが崩壊し、また隣近所の付き合いに縛られたくないと思えば、自らが選択し、自らが工夫した人間関係を創り出さなければならないのです。「自分らしさ」こそが現代の理想のスローガンになりました。
それゆえ、第2は、自由な日本人の人生は「主体的」でなければなりません。「主体的」とは、自らが納得できる生き甲斐のある日々を生きるという意味です。欧米文化が主唱してきたボランティア思想の第1原理は、「主体性原則」です。「主体性原則」は、自分が選択の主体であるという点で「さびしい日本人」が希求する「自己主張」の基準を満たしました。
第3には、現実問題として、人生の孤立と孤独の回避です。共同体から離れた自由な日本人は,自らの選択によって他者と繋がらない限り、誰もかまってはくれません。「他律性」こそが「孤独な群集」の最大の特性です。したがって、行政事務の下受け的機能として位置付けられた町内会活動のような擬似的共同体活動が、感性や思想を共有する人間の連帯や絆をもたらす可能性はほとんど期待することはできないのです。このことは「他律的」に行政が音頭をとる子ども会から町内会まで、あらゆる近隣活動が崩壊し続けていることが雄弁に証明しています。自らの活力を維持し、連帯に近づくためには「自律的」で、社会に「貢献する」活動の工夫が不可欠なのです。「自律的な社会貢献活動」こそが、最も確実に世間に受け入れられ、他者の感謝を得ることができるのです。「社会貢献」とは人々の「役に立つこと」です。「役に立つ」からこそ拍手と承認を得られるのです。本家本元のボランティア文化の出発点は「隣人愛」ですから、あらゆる社会貢献は原理的に活動の中身が一致するのです。
第4は、「やり甲斐」の自己確認が不可欠になりました。自己確認とは「社会的な承認」を得ることです。人間は自己満足では己を満たすことはできません。日々の充実を実感するためには己の人生の意義を社会的に確認できなければならないのです。隣人愛や社会貢献を原理とするボランティアは他者と世間が認めた意義ある活動です。活動の成果は人々の感謝と賞賛によって確認することができるのです。ボランティアは多くの日本人に耳慣れないカタカナ文化ですが、共同体的人間関係の衰退とほぼ平行して現代の地域社会に浸透し続けているのは社会の承認が得られるからです。「生き甲斐」とは,「居甲斐」と「やり甲斐」の二つが満たされることです。それゆえ、上記の第3および第4の欲求が満たされれば,生き甲斐の条件が整います。第3の欲求は,自分を好意的に受け入れてくれる人間関係の樹立を希求しています。第4は,自分の活動成果の承認を社会に求めているのです。社会的に承認される活動を通して他者との連帯を図ることを可能にするボランティア活動は新しい日本人の生き甲斐追求に合致したのです。
母を介護人の世話に任せてでも、あるいは施設に預けてでも、ある方々はボランティアに出かけなければ自らの精神の健康が保てないのです。換言すれば、ボランティア文化は多くの「さびしい日本人」を救うことができるのです。最近の川柳にも次のようなものがありました。
趣味生かしきずな求めてボランティア(NHK「定年戦略」川柳:京都府 中村長次)

3 「さびしい日本人」から「日本型ボランティア」へ
筆者は、伝統的共同体の衰退が「さびしい日本人」の大量発生に大きく関わっていると考えています。そして「さびしい日本人」が日本型ボランティアの誕生と定着に関わっていると思います。共同体は個人の生活を大いに支配し、その自由を大いに束縛してきましたが、同時に、相互扶助の仕組みの中で個人を守り、人間関係の舞台を提供し、連帯や共感を創り出して来ました。換言すれば、これまで日本人が暮らして来た伝統的共同体は、個人に有無を言わせず共同体の人間関係の中に引き込んでくれたということです。世間とは共同体のことであり、世間との付き合いも、そこで形成される人間関係も、大部分は共同体が設定したものでした。生活上の具体的な仕組みは、共益を前提とした一斉の勤労奉仕作業であり、冠婚葬祭を含む一斉の儀礼行事でした。
しかし、共同体の仕組みを必要とした基幹産業の農林漁業が工業や流通に取って代わられて以来、日本人の日常は生活場面における「共同」を必ずしも必要としなくなりました。個人は徐々に共同体の庇護や共同作業を経なくても日常を生きて行けるようになりました。結果的に、共同体の相互扶助も、共同作業や共同儀礼も、一転、自立しようとする個人に対する事実上の束縛や干渉に転化したのです。ゴミ当番から一斉清掃まで簡便化された現代の共同作業までが忌避されるのは、個人にとっての共同体の慣習が心理的な束縛であり干渉であった一つの証拠ではないでしょうか。
工業や流通の発展は人口の集中をもたらし、生活スタイルを都市化しました。社会学が指摘した通り、都市化は自由化であり、匿名化であり、多様化です。都市化の下で、個人は自由になり、自己選択の権利を得ました。もちろん、これらの特性はいずれも共同体では許されることでも、可能でもありませんでした。都市化の結果、共同体的人間関係を拒否して個人の自立と自由を主張した現代人は、その代償として、自分で居場所を見つけ、自分で人間関係を築かなければならなくなりました。自己選択の権利は自己責任と背中合わせであったことは言うまでもありません。都市化の下では、自立と自由を主張する以上、自分が社会との関わりを見つけない限り、“誰もかまってはくれない”のです。共同体の干渉を拒否するということは、その相互扶助の仕組みも、共同の人間関係も放棄することに通じていました。明治維新以降の急速な産業構造の変革は、急速な都市化をもたらし、急速な共同体の衰退を招きました。それ故、歴史的に自立や自由のトレーニングの経験の浅い日本人は、自己選択にも、孤独にも、孤立にも慣れていませんでした。急速な都市化によって、急に訪れた“誰もかまってはくれない”状況は大量の「さびしい日本人」を生み出すことになるのは必然の結果でした。選択の自由を認めた社会は、選択しない自由も、選択できない無力も合わせて含んでいるからです。共同体を離れた現代人の多くが、当面する孤独や孤立から逃れようと必死の努力をしていることは夙に「孤独な群集」」(*)が喝破したところですが、伝統的共同体の衰退に伴って自由を獲得した筈の日本人も、自らが納得し得る人間関係の開発に失敗すれば「さびしい日本人」に転落することもまた当然でした。欧米のような日常の教会活動も、そこから派生したボランティア文化も持たない日本社会では「さびしい日本人」の大量発生は当然の帰結だったのです。ボランティアが輸入されたカタカナ文化であるにもかかわらず、共同体の喪失に伴う人間関係の空白を埋める新しい縁の創造機能として評価されるようになったのは論理の自然だったのです。日本文化と縁のなかったボランティア文化を社会に根付かせ、新しい日本人の精神生活を支えるきっかけをもたらしたものは「さびしい日本人」ではなかったでしょうか。外来の文物の輸入加工を得意として来た日本人が自らの「さびしさ」を解決する人間の絆を編み出そうとする試みこそカタカナ文化ボランティアの日本化だったのです。「母の世話人に頼んでボランティア」は「さびしい日本人」がおかれた厳しい状況を象徴しているのです。*D.リースマン著、加藤秀俊訳『孤独な群衆』(みすず書房, 1964年)

4 「ゴミ屋敷」に見る自由のコスト-自己主張の代償
戦後の日本人は、戦争から解放され、共同体の干渉からも解放され、国民主権と人権の保障を手に入れました。
現代の最大の特徴は「主体性」の尊重です。個人主義も,個性主義も,自主性も、主体性も,自律も,自立も、自己流も,勝手主義も,時には「自侭」,「わがまま」ですら,みんな「主体性」の別名です。現代は、自分を中心とした生き方を承認し、「主体性」の尊重が幸福の条件であるという考え方が主流になりました。人生を決めるのは「自分」であるという原則が社会を貫徹しています。この流れを総合すれば,「自分主義」と呼ぶことが出来るでしょう。筆者は、この「自分主義」を「自分流」と名付けました。大人はみんな「自分流」を主張するようになったのです。自分流の自覚は自分のために生きることの自覚です。もともと人間は自分に一番関心があるのです。
しかし、中には、明確にこれが「自分」であるという「自己主張」の体系を持たない人もいます。「自分流」が拡散し、定着していない事例です。しかし、「自分」が揺れ動く場合でも、大抵の大人は自分の欲求にこだわり、自己の快・不快を主張します。その意味では,大人は「みんな自分流」であると総括して間違いないでしょう。
それゆえ、自分が気に入らない人生は総じて不幸であり,気に入った人生は総じて満足や幸せを感じることができます。気に入るか,気に入らないか、その判断基準の大元が「自分」です。
したがって,「自分」は、評価の基準であり,判断の基準です。この時の「自分」は、個体性と弾力性を同時に備えているのが普通です。多くの「自分」は、判断の基準になりうる程度に,ほどほどに固定していますが,同時に,環境とぶつかり,経験から学ぶことによって「自分」を変えることができる程度に柔軟で,弾力的です。「自分流」は、自分の意志や欲求に従って,環境に働きかけ、身の回りの条件を変えようとしますが,逆に、環境の壁にぶつかった時は,自分を変え,環境の解釈を変え,その結果、「経験から学んで」,その時々の人生の受けとめ方を変えるのです。
「自分流」は、一方で,自分が思ったように人生に挑戦するかと思えば,他方では,大元の「自分」を変えることによって人生の諸問題を乗り切って行くのです。人生の幸,不幸は、個人を取り巻く条件や環境に大きく左右されますが,同時にそれらをどう受けとめて対処するか,にもかかって来ます。したがって,私たちの人生は,一面では環境の条件次第,他方では、自分の気持の持ち方次第ということになります。
テレビ特集で現代の「ゴミ屋敷」のドキュメントを見ました。打ちのめされ、打ちひしがれ、鬱状況に陥って、希望も気力も失えば、現代の「ゴミ屋敷」のような奇怪な表現方法も生まれ、近隣の鼻つまみに成り果てるのです。自宅にゴミを溜め込む「ゴミ屋敷」の住人の無気力も絶望も、孤立も孤独も競争社会-格差社会がもたらしたひずみであるというテレビの解説がありましたが、的外れな指摘です。無気力も絶望も、孤立も孤独も自由のコストです。近隣の迷惑を顧みずゴミを溜め込むメンタリティは歪んだ自己主張がもたらした闇のような孤独と孤立の代償です。やさしいボランティアの声かけと協力で少しずつ自分を取り戻して行くドキュメントを見れば、ゴミ屋敷の住人に自立の強い意志はなく、近隣の迷惑を顧みるだけの自制心もないのです。彼らに自由を主張する資格はないのです。あらゆる物品の購入に代価が必要なように、精神の自由にもコストは発生します。自己主張にも代償が伴います。自由のコストを負い切れない理由を社会的条件の格差が原因であると言い換えるのはまやかしです。人生の選択にも代償が伴うのは当然なのです。「ゴミ屋敷」についていえば、収拾がつかなくなるまで放置せずに、速やかに法的な措置を講じて、近隣の住民の自由で快適な生活を守ることが先決です。共同体が生きていれば、共同体の共益に反して、個人の自由や自堕落が許される筈はなく、然るに「ゴミ屋敷」も発生する筈はないのです。日本型ボランティアの誕生はますます日本人の自己責任を問うことになって行くことでしょう。そのことを教える教育の責任も、自分の幸不幸を選択する自己責任もますますその意義が重要になって行くのです。

ふたたび「君は君のままでいいか!」?
「金子みすず」文学論についての異論-教育論への適用の誤謬

1 詩人の祈り
118号にある小学校の指導方針を批判して「君は君のままでいいか!」を書きました。筆者の結論は、「みんなちがってみんないい(金子みすず)」を曲解・拡大解釈してはならない、ということでした。「みんなちがってみんないい」を、子どもの現状に適用して、君は「今のままでいい」のだというメッセージを送るのは、教育の自殺としか言いようがない、と断じました。未熟な子どもが「そのままでいい筈はないのです」。成長とは、今「出来ないこと」も、いつか近い将来必ず「出来るように」なるということです。教育の使命は、今「分からない」ことも、やがて「分かるように」しなければならないということです。
その後、本年2月に第5回山口人づくり地域づくり・フォーラムin山口で金子みすず記念館館長の矢崎氏の講演を拝聴する機会を得ました。矢崎氏もまた金子みすずのやさしさを引いて、「君はそこにいるままで満点なのだ」という表現で子どもの現状を受け入れよという主旨の提案をされました。過日の小学校に続き、今回もまた大いに反発を感じました。金子みすずの文学論も、その教育への適用解釈も大いに混乱しているという感想でした。
詩人みすずが歌った「みんなちがって、みんないい」は思想ではなくて彼女自身の「祈り」だったのではないでしょうか?みすずは不幸な結婚の末に彼女自身を受け入れられることも少なく、最後には「詩を書くことすら禁じられ」ました。みすずは現世の人生も、彼女の創り出す詩の世界も回りの人々に受け入れられることはなかったのです。「鯨法会」でも、「大漁」でも彼女は現実の世界の向こう側に身をおいて祈っているのではないでしょうか。

鯨 法会(ほうえ)

鯨法会は春のくれ
海に飛魚 捕れるころ

浜のお寺で鳴る鐘が
ゆれる水面(みなも)をわたるとき

村の漁夫(りょうし)が羽織着て
浜のお寺へいそぐとき

沖で鯨の子がひとり
その鳴る鐘をききながら

死んだ父さま、母さまを
こいし、こいしと泣いてます

海のおもてを鐘の音は
海のどこまで、ひびくやら

捕れた獲物の供養をするのは鯨に限らず日本文化の伝統です。寺の住職に言われたとおり漁師も供養の法会に参列したことでしょう。しかし、詩人みすずは供養の風景の彼方を見ていたのです。彼女のやさしい感受性は、この世で受け入れられることのない子鯨の思いに感情移入して祈らざるを得なかったのです。現実はそうなってはいないけれど、「みんなちがって、みんないい」という世界に「私も生きてみたいなあ」、という祈りです。

2 詩人が生きた現実

詩人みすずは、最後まで、「みんなちがって、みんないい」と言える世界を生きることはありませんでした。最大の悲劇は、恐らく彼女の唯一の救いであった「詩」まで夫によって禁止され、取り上げられたことだったでしょう。「詩」を失うことは、彼女にとって「祈り」を失うことだったに相違ありません。「詩」という「祈りを言葉にする創作の営み」まで禁じられ、恐らくは絶望の果てに、彼女が自らの命を絶っていることは記念館を訪れる者の胸を打つ歴史的事実です。
筆者は、山口大会当日、大会全体の総括評価の担当を仰せつかっておりました。発表された事例の感想を述べたあとに、金子みすずの安易な解釈が教育論を誤った方向に導く恐れがあるという提案をしました。「みんなちがって、みんないい」を引用して、「みんなそれぞれの現状のままで満点なのだ」と断言することはみすずの詩の浅薄な曲解です。彼女は「鈴や小鳥」と同じように「ありのままの自分を受け入れてくれる世界があればどんなにいいだろうか」と祈っているのであって、「今のままの自分でいい」などとは言っていないのです。「大漁」を喜ぶ浜の賑わいの裏側に海の底のイワシの弔いを視ることができるように、鯨の供養をしながらも、鯨を殺さざるを得ない人間世界の裏側で独りぼっちになった子鯨に許しを乞う祈りができるのです。おそらく、詩人みすずは自らの孤独についても祈っていたのだと思います。「みんなちがって、みんないい」は、彼女が体感したあり得ない世界への希求であり、祈りなのです。「現状のままで満点なのだ」というようなことは言っていないのです。詩人みすずの底抜けに明るい、しかし透徹した孤独感を理解することなく、子どもの現状を是認し「君は君のままでいい」というような解釈を導くことは、みすずの文学を論ずる上の誤解です。矢崎講演の解釈を批判する筆者の最終コメントは総括時間の中の3分間ぐらいで触れただけでしたから、「あなたのメッセージは要約の度が過ぎ、抽象的に流れたので、参会者に真意は届いていないよ」、と何人かの方から指摘を受けました。急ぎ過ぎは失敗のもとですね。辛いことでした。

3 「一人」だからこそ「連帯」を希求

もとより筆者も「誰も代わりには生きられない」と主張して来た人間ですから、「あなたに代わり得る存在はない」ということは痛感しています。人間存在の「個体性」こそが筆者の人間論の中核だからです。しかし、存在の個体性とは、生物の実態を観察した結果です。一人ひとりの存在する権利を保障するという法律上の「人権」思想の基盤を為す事実であっても、「人は変わらなくていいんだ」という意味ではありません。
学校教育も、生涯教育も、みんなが頑張って何ものかになろうと努力しているとき、「今のままで満点」という呼びかけはまさに文学の誤った解釈を教育に適用する「毒」以外の何ものでもないのです。未熟な子どもが「そのままでいい筈はない」からです。今「出来ないこと」はいつか近い将来「出来るように」しなければならないのです。今「分からない」ことも、やがて「分かるように」しなければなりません。それが教育の使命、なかんずく学校教育の使命です。

4 再度の挑戦

山口大会の苦い思い出が自分の中でまだ消えていない折りも折り、同県周南市の福祉施設から講演の依頼を頂き、障害者はもちろんその保護者・施設のスタッフ・一般市民に提案する機会を得ました。講演では、従来から筆者が考えて来た「人間とは一人で生きざるを得ない存在」であり、「相互理解は極端に困難」なのだという持論を展開しました。
主催者から頂いたチラシを見たら、筆者の思いとはちがって、主題は「みんなで生きる講演会」、主題を支える副題のスローガンは「みんなちがってみんないい」と書いてありました。おまけにプログラムの最後は、全員の合唱で「世界にひとつだけの花」を歌うことになっていました。筆者も腹をくくって、「独りぼっちだからこそ」「連帯や絆が必要なのだ」と力説し、みんながそれぞれにちがっているとしても、「君は君のままでいい筈はない」と縷々例を挙げて説明しました。われわれ年寄りも、障害を持っているみなさんも今日よりはあす、明日よりは明後日となぜ向上を目指さないのか!人間が生きるということは、最後まで、「今のままでいい筈はない」のだと主張しました。会場からの反応はなく、ホールはしーんと沈黙していました。むきになり過ぎたかな、障害者のみなさんやその保護者の方々に無理なことを申し上げたかなとまたまた不安になる自分を感じていました。
最後の質問は、聴衆のお一人がテレビのコマーシャルを引用して、「あなたはあなたのままでいい」というメッセージは間違いですか、という問いでした。私は、再度腹をくくって質問者にお尋ねしました。「あなたは今のあなたのままでいいとお考えでしょうか?あなたの人生に向上や成長がなくてもいいでしょうか?」
当事者の自助努力や当事者を応援する姿勢や発想を抜きにして、人間の現状を肯定する考えは教育学的に間違いです。特に、子どもの場合には決定的な間違いです、と断言しました。
先日、この施設の施設長さんがご親切に当日のアンケート評価票の結果を送って下さいました。お便りには、当園の歴史的講演会になりました、とありました。心底、ほっとしています。自由記述の評価はほとんどの方が納得して賛成であると言って下さいました。ものの考え方や見方が変わったという感想もありました。向上を目指して、今後の生き方を変えるというお便りもありました。障害者への対応を考え直すというスタッフからのお便りも頂きました。
当日は、私もプログラムの最後に「世界に一つだけの花」をみなさんと一緒に歌いました。自分の花を咲かせるために、「一生懸命に生きればいい」というところだけは声を張り上げて歌いました。

老後の恐怖-一番恐れている「事態」とは何か?

高齢者の集いで何回かお尋ねする機会がありました。加齢の段階で一番の恐怖は何でしょうか?想像するだけでも、死があり、病気があり、災難があり、それも自分のことも家族のことも含めれば老後の恐怖の対象は実に様々です。
そこで思いついて下記のような簡単な調査票を作ってみました。最初に下関の「NPO車椅子レクダンス普及会」理事の永井さんにお願いして小さなパイロット調査をしました。次に、佐賀県唐津市の-唐津市民活動センター「すてっぷ」の講演会の機会を活用して200名近くの方々の本格調査をしました。お尋ねの結果は明らかでした。老後の恐怖の対象はほぼ間違いなく「寝たきり」と「認知症(ぼけ)」に集中するのです。したがって、高齢期の「元気の処方」は如何に寝たきりと認知症を予防するかということに収斂します。処方箋は「読み、書き、体操、ボランティア」です。
恐怖の理由は自分が自分でなくなり、人間が人間の心身の機能を失うということです。拙著『安楽余生やめますか、それとも人間やめますか』の想定は間違っていなかったということです。精神を失い、判断力や意志力を失えば、人間は「ヒト」に戻らざるを得ないのです。誤解されることを恐れますが、命には「あるべき命」と「あるがままの命」の2種類があるのです。「あるべき命」は、生きる目標にこだわり、生きる努力・向上の努力をやめない命です。これに対して「あるがままの命」は、「目標」も「努力」も問うことのできなくなった「生きている」だけの命です。詰まるところみなさんは「あるがままの命」に陥ることを恐怖しているのです。筆者も同じです。自分が考え、自らが理想とする老後を送りたいと希求している以上、心身の自由を失うことは恐怖以外の何ものでもないのです。「寝たきり」と「認知症」は老後の生きる目標も、向上の努力の可能性も完全に打ち砕くことになるのです。
もちろん、老後の養生、精進,自己教育と自己鍛錬の末に「自分」を失うのであれば、それはそれで仕方がありません。人生に仕方のないことはいくらでもあるのです。しかし,「仕方がない」に至るまでにどれだけの努力をしたのか,が問題なのです。高齢期の努力の内容と方法について,己の「判断」と「選択」の意志を持ち続けたか,否かが問われているのです。

2分間アンケート(無記名)
ご自分に関して「老後に一番恐れるもの」は何でしょうか?

生老病死は人間の宿命です。老後は特にいろいろな難儀が重なります。

これまでお尋ねした中では、自分の死に至る前の段階で人々が恐れているものは下記のようなことでした。さて皆様にとって「老後に一番恐れるもの」は何でしょうか?全部が全部恐れるものであることは分かっております。しかし、皆様が現在の日常において、ご自分のことで最も気にかけているものを敢えて一つだけ選ぶとすればどれでしょうか?(   )の中に当てはまるものの番号をお書き下さい。

1 癌、2 独りぼっちの孤独、3 火事、地震、洪水などの災害に巻き込まれること 4 交通事故、5 経済的破綻、6 寝たきりの老衰、7 認知症、 8 生き甲斐がないこと(することがないこと)、9 その他(      )

ご自分の「老後に一番恐れるもの」答:(     )
あなたの年令だけお教え下さい。(       才)
123号§MESSAGE TO AND FROM§

今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

山本洋子様(岡山県笠岡市人権政策課)、ト蔵久子様(鳥取県米子市)、西山香代子様(山口ネットワークエコー)、平野愛子様(山口県連合婦人会)、田中隆子様(下関市ホーモイ)、三瓶晴美様(山口県田布施町 雑学大学)、井口弘子様(福岡県大川市婦人会)、太田政子様(福岡県甘木朝倉女性会議)、小副川ヨシエ様(佐賀市女性の会)、大城節子様(沖縄県連合婦人会)
福岡県みやこ町の「男女共同参画まちづくり委員会」のみなさんと楽しい2年間の社会人ゼミに挑戦しました。私は、1年前に『変わってしまった女と変わりたくない男』(学文社)を上梓しましたが、回りを見渡して女性の社会参画が停滞しているように思いました。女性の能力を活用できない仕組みは、日本国の重大な損失であると思っております。今、為すべきは、女性の社会参画を推進し、少子化を防止し、熟年者の社会的活動のステージを確立することです。しかし、子育ての社会支援システムは、かけ声ばかりでお粗末の極みであり、子どもの発達支援も、女性の社会参画支援も、指導者の確保も出来ていません。にもかかわらず、女性の声も上がらず、女性研究者からの指摘も生温い限りです。民主連立政権は、財源すら定かでない5兆円ものお金を「子ども手当」としてばらまくと言い張ります。多くの親も貰えるものなら貰わにゃ損だというばかりの反応です。何と愚かなことでしょうか!
そうした一方、子育てに国の英知を結集している筈の皇室の「愛子様」ですら不登校問題に苦しんでいることが分かりました。親の慈愛だけに依存した家庭教育の限界に気付かない日本の「風土病」が象徴的に出た事例だと思います。
そんな時、幸い、みやこ町から「男女共同参画まちづくり委員会」の顧問を務める機会を与えられました。共同体が衰退したあとも、田舎の「変わりたくない男」の壁は頑強です。委員会のみなさんには、化石と化した男たちと戦う消耗戦をやめて、しばらく自分たちの勉強に戻りませんか、という意味で男女共同参画ハンドブックの作成を提案してみました。
初めは「いやいや」、途中から「渋々」、真ん中ぐらいで「やむを得ず」、二年目からは形が見え始めて「熱心に」、最後は「いきいき」とゼミが展開したと感じております。
住民のみなさまは何を知りたいだろうかとKJ法の討議を繰り返しました。辿り着いた結論は「自分たちはこんなことを知りたかったのだ」ということでした。図書館に通い、聞き取り調査に出かけ、結果のまとめを発表しました。質疑にも、議論にもすこしずつ慣れました。
担当者を除いて、役場の男たちはこんなものは余計なことだと感じていたことでしょう。決して協力的ではありませんでした。女性委員さんのがんばりを目の当たりにして、女性の社会参画に限らず、自分の人生は、他人や既存のシステムに頼って出来るものではないということを教えてもらいました。時代が変化するのではありません。私たちが時代を変えるのです。楽しい2年間でした。私の任務は一応終わりましたので、これからどうなって行くか、みやこ町の今後を見守りたいと思います。
委員さん方の努力に報いるため、取り敢えず委員会の仕事の価値をお分かりいただけるであろうと感じている女性の皆様に6分冊の成果をお送りいたしました。さて、どんな反応をいただくことになるでしょうか。
*直接お届けする方もいれば、事務局からお送りする方もおられます。万一、届かないようなことがありましたら、ご一報下さい。
*筆者の手元にまだ10セットほど頂いております。組織的にご活用をお考えくださるのであれば、お送りいたします。300円分の切手をお送り下さい。
X市 T. Y. 様

M候補者のリーフレットを確かに頂きました。私には「学童保育」についての政策提言を読みなさい、というご趣旨と理解いたしました。以下は感想です。
選挙戦に関わることですからお名前はすべて匿名といたしました。ご理解下さい。若くして意欲的に政治に挑戦しようとする精神は誠に天晴れと言うべきですが、いかんせん保育問題に関する情報源が偏っていて、貧しいというのが最大の問題です。
1 学童保育は「誰がするか」が問題ではなく,「何をするか」が問題です
学童保育の民営化は駄目だという趣旨ですが、その理由が分かりません。
病院でも,学校給食でも民営で十分できます。問題は「中身」であり,「方法」です。民営にしても政治や行政の指示と監督が「契約」の中できちんと貫徹されていれば何ら問題はありません。ちなみに保育も教育も高齢者の指導参加も学校施設の全面開放も実現している「豊津寺子屋」は豊津の住民による運営です。問題は、「誰がするか」ではなく,「何をするか」なのです。その時、政治の判断は決定的に重要です。豊津の前町長さんに確認してみることをお勧めします。従来の学童保育にそのようなことが出来るでしょうか?
2 子育て支援と男女共同参画時代の最大の課題は、「保教育」の実現です
家族の不安は子どもの健全発達です。子育て支援の目的は、保育と発達支援と女性の社会参画の保障と、高齢者など地域の方々の社会貢献のステージの創造です。現状の子どもは「へなへな」です。解決策は,現状の保育に教育機能を導入して,子どもの発達支援を強化するしかありません。したがって、指導者が不可欠になります。教育活動を展開する施設機能も不可欠です。打開する方法は、高齢指導者の発掘と学校の開放しかないのです。国もようやく自覚して「子ども教室」という保育と子どもの居場所を結合した総合的「保教育構想」を打ち出しました。2年前のことです。しかし、ほとんど実現できておりません。第1の原因は行政の「縦割り」ですが,第2の原因は全国で「学童保育」の指導員が抵抗しているからです。保育にこだわり、教育機能の導入を拒否する現行の「保育」概念や既存の指導者こそが問題の根源なのです。友人の教育長の試算では、現行予算の半分以下で「保教育」は導入できます。有力者や議員を動員して、彼の「保教育構想」に抵抗して来たのは、既得権にこだわり,これまでのやり方を変えたくない学童保育の指導員なのです。全国ほとんど同じです。新しい政治を志す方は既得権にしがみつく抵抗勢力と組んではならないのです。
3 どのような経営形態であろうと「地域の力」を生かすことはできます
M氏の政策提言では、民間委託では「地域の力」は生きないと断定しているようですが,「地域の力」を生かすためには、委託契約に「地域の力」を十分に活用するよう具体的な指示事項を条件として銘記すればいいだけのことです。地域の雇用についても同じです。既得権の上にあぐらをかいて来た従来の「学童保育」より、民間委託の方が契約に基づく明確な評価を貫徹することが可能である事も明らかです。議会の決議に関わった複数の議員さんに判断の理由を確認することも重要なプロセスです。
民間委託に移行することによって「運営リスクの軽減や市民サービスの向上が図れる」と行政当局が言明しているのであれば,それが事実であるか否かを明らかにして市民に公表することこそ新しい政治の使命です。民間委託にした結果,従来に比して「改善」されたことは何か,「改悪」の結果を招いたものは何か,それらを見極めることこそ重要なのです。最初から『「学童保育」民営化に異議あり』というような企業経営をマイナス視点でしか見ない短絡・単眼の発想で政治はできません。このような政策提言をもたらした情報源を再点検することが不可欠であり、若い志ある政治家のために心から惜しむものです。
123号お知らせ
第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会

日時:2010年5月15日(土)10時-16日(日)12時まで
(14日は前夜祭交流)
場所/問い合せ先:福岡県立社会教育総合センター(福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2、-092-947-3511。E-mail:mail@fsgpref.fukuoka.jp)
内容:各県の事例発表28、特別企画:リレーインタビュー「子育て支援」、「社会復帰のカウンセリング」、「市民参画のまちづくり」、「学校と企業の連携」などを予定しています。

第100回記念生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年6月12日(土)13-17時
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
発表者;100回記念特別企画をセンター事務局が構想中です。
終了後センターにおいて交流会を計画しております。
123号編集後記
子どもには世間が必要なのに

守役やご養育係に子どもの「鍛錬」を任せるという発想は、日本の支配階級が「帝王学」の伝授の必要から生み出した子育ての原則です。子どもには親の慈愛が不可欠であると同時に世間による社会生活の予行演習もまた不可欠であるという社会的自覚が存在していたからです。庶民もまたそれに倣って「子やらい」や「ひとなし」と呼ばれる地域における「集団子育て」の形態を発明しました。
子どもを「宝」とする我が国の風土においては、まさしく親の保護と子どもの親依存が決定的に、ある意味では病的に強くなります。子離れも、親離れも難しくなるのは日本文化の「風土病」です。それゆえ、この国の指導者階層は、昔から可愛い我が子を「守役」(世間)に預けて鍛錬することの重要性を自覚していたのです。守役は他人ですから、意識すると否とに関わらず、子どもには「甘え」が許されず、世間を体験させることになるのです。親の慈愛だけで育ち、世間に接していない子どもは必ず依存的で、対人関係の耐性が脆弱になります。親がどれほど自覚的に「鍛錬」を導入して育てたつもりでも「泣く子には勝てない」という古来日本の発想は正しいのです。日本の親は肝心のところで必ず子どもに甘く、その要求を入れる結果になります。子どもは、当然、親のところに帰れば安泰であると思うようになるのです。「一人前」とは世間で生きることであり、世間で生きるということは親の元には逃げ帰らないということを意味します。
天皇家の「愛子様」の不登校問題は戦後日本の教育の失敗と子育て問題の象徴であり、教訓でもあります。戦後教育の風潮に倣って、天皇家もまた守役のトレーニングより親の愛が多くなり過ぎたに相違ありません。親の慈愛が多すぎるということは、子どもが世間に接する機会をそれだけ失うことになります。子どもは親の手で育てることが一番いいという考えは、戦後教育の「迷信」です。子どもには、親に甘えるようには甘えることのできない世間との接触が不可欠であるのに、親の慈愛だけで真っ当な一人前が育つと考えるところに重大な落し穴があります。他者との距離や他人の冷たさに対する耐性が育っていないとき、子どもは世間で生きることができなくなります。解決法はたった一つです。泣こうが喚こうが親から離して、逃げ帰ることを許さぬ、信頼できる守役(他人)に任せて、厳しくて、しかも、親とはちがったやさしさの中で、他の子どもたちと一緒に合宿をさせれば直ります。天皇家であるが故にこそ「愛子様」の不登校を解決できなければ、日本の大問題に発展することを恐れます。

親を処罰の対象にするか!?

執筆の途中で、幼い小学生が年寄りの女性ばかりを狙って、不意を襲って持ち物を奪ったり、突き飛ばしたりして怪我をさせたというニュースを耳にしました。90歳のおばあちゃんが突き飛ばされて怪我をされたということでした。こうした子どもは、獣が獲物を狙うように、意図的で、計画的です。親はしつけを完全に放棄している親で、親になったこと自体が間違いなのです。肉体的に弱い年寄りや女性ばかりを意図的に狙って繰り返される幼い子どもの犯罪は「弱肉強食」のジャングルの原理であって、通常の人間社会では想定していないことです。それゆえ、現行の法律には処罰の規定すらありません。法的に処罰の出来ない幼い子どもはやむを得ず「児童相談所」送りになったということでした。子どもの権利を声高に語り、その人権をもてはやす時代に「児童相談所」もまた何もできないことは明らかです。被害者は不運であったと言われるだけで、今回もその人権は保障されないことになるのでしょう。
幼少年に対して、意図的にしつけを放棄していることは、親の「無知」と「無責任」というだけでは済まないものがあります。しつけや社会化を経ていない人間は、霊長類ヒト科の動物に過ぎません。人間としての基本トレーニングを受けていない「ヒト科の動物」を社会に放し飼いにすることは、犯罪と同等の、親が責任を負うべき反社会的な教育公害です。被害者の老女のみなさんは誰に償いを求めればいいのでしょうか?
霊長類ヒト科の動物として生まれて来る子どもは、しつけと教育によって初めて人間になります。幼いが故に、少年に罪がないとすれば、彼らを育てている親に罪があります。ジャングルの獣のように弱い人間だけを狙って物理的に襲うような子どもを育てている親を「反社会的子育ての罪」で処罰する法律が必要な時代が来ることを恐れます。

「風の便り」(第122号)

発行日:平成22年2月
発行者 三浦清一郎

「集まる」ということ、「結ぶ」ということ
-「日本型ボランティア」連帯の原理-

昨年、妻がくじで引き当てた町内会の「公民館長」を務めて1年が経ちました。わが街では、コミュニティ・センター(以下コミセン)を中心に公民館長部会という組織が作られていて、18の町内会が共同事業を実施する仕組みになっています。筆者は社会教育のプロですが、この一年は、余計なことを言わずにみなさんのおやりになることにひたすら従いました。1年経ってみると、公金を投入したわが街のコミュニティ政策は完全な失敗である事がよく分かります。コミセン方式の政策が目指す住民の連帯も福祉も学習もほぼ完全に形骸化しています。コミセン事業は単発の講演会を含めると10種のプログラムがありましたが、若い住民の多い我が町内会からは、役員を除けば、ソフトボール1チームとふれあい登山に2名が参加したに留まりました。ソフトボールやグラウンドゴルフのような「パンとサーカス」に属する遊び事は住民「同好会」がそれぞれにやるべきことであって、公金を投じた自治会の仕事である筈はありません。回覧板とゴミ処理を残して自治会を解散し、残りの工夫はコミュニティの再生に取組もうというNPOやボランティア団体に期限を切り、サービス内容を指定して有償で委託すべきであるというのが我が結論になりました。しかし、実質的評価システムのないまちづくり事業は、次年度も前年踏襲のプログラムを実施するという結論に落ち着きました。今年も役員のくじ引きが行なわれることになりました。こうして町内会も滅んで行くのです。
部会には、年に2回の公民館長研修があり、年度末は文科省表彰を受けた先進地の佐賀市立勧興公民館の視察研修を行ないました。思うことが沢山ありました。以下はその一つです。

1 「自分流」と「自己責任」

共同体の衰退後、現代の日本人は「共同体の構成員」から「個人」になりました。「個人」の「生き方」は「自分流」が許されるようになりました。「自分らしく」は今や時代の標語になったのです。「自分流」を主張し、「自分らしさ」を標榜する以上、「生き方」の責任は己に帰着します。「自分流」の裏側は「自己責任」になるからです。自由を主張する個人は、原理的に独りぼっちです。それゆえ、個人もまた誰かに繋がり、どこかに帰属しなければ孤立します。孤立も孤独もこの世のさびしさは堪え難いですから誰もが連帯や絆を必要とします。しかし、帰属したい集団が見つからなければ帰属のしようがなく、連帯も絆もあり得ません。その時こそ、自分流が試され、自己責任の意味が問われるのです。自分の居場所は自分で見つけ、帰属集団は自らが創り出すしかないのです。連帯も絆も、ぬくもりもやさしい人々との出会いも自分で見つけ、自分で創り出すことが求められます。それが生き甲斐追求の「自己責任」です。しかし、権利を求め、自己を主張するほど「生き甲斐」の充足は簡単ではありません。生き甲斐には為すべき「やり甲斐」と「居甲斐」が不可欠だからです。「居甲斐」とはあなたを受け入れてくれる好意的な人間関係を意味します。
現代の「自分流」はますます自己主張が前に出過ぎるようになりました。「足るを知る」ことを忘れ、「自己責任」を取り切れない、という事実が現代人の特徴になりました。自由な個人の多くが「さびしい日本人」になったのは当然の帰結でした。人間は自分の人生を自分の意志で生きるために自由を獲得した筈だったのですが、結果は不幸にして、「孤独な群集」(リースマン)が世界中で量産され、「自由からの逃走」(フロム)も世界中で起こりました。共同体衰退後の日本も例外ではありませんでした。この時、社会教育は個々の知識技術を教授するに留まらず、人々の帰属集団づくりを支援すべきだったのですが、生涯学習施策は住民の欲求を満たすことを最優先原則としました。住民サービスを旗印に「パンとサーカス」の提供に走った社会教育は、趣味人や道楽者や見物人を量産する結果に終わりました。戦後教育、特に「生涯学習」概念が紹介された後の社会教育は、学習者の要求を反映させることが教育の民主主義であるという浅薄な勘違いの下に「要求充足原則」に基づいたプログラムの提供を生涯学習振興と等値しました。要は、人々の「やりたいこと」、「望むこと」を提供することを教育サービスと勘違いしたのです。多くのプログラムは住民の希望を尋ねるアンケートの集計結果の下に編成されるようになりました。
人間の向上には、「努力」も「負荷」も必要です。公金を投入する生涯学習の方向を人々の選択に任せれば、負荷を嫌って「易き」に流れることは目に見えていたのです。その結果がプログラムの「パンとサーカス」化でした。社会教育は年を追って弱体化し、人々の帰属集団を創り出す努力や支援はほとんど行なわれませんでした。「さびしい日本人」の大量発生は時間の問題だったのです。
2 人間関係の選択制

伝統的共同体と現代の新しいコミュニティの最大の違いは人間関係の選択制です。無数のグループ・サークルの生々流転をみれば、現代の人間関係は「選んだ人間関係」であり、「選ばれた人間関係」です。友は「類」をもって集まるのです。共同体が崩れ、地縁がほとんど意味をなさなくなった以上、新しい日本人は「志縁」をもって連帯します。共同体による共同や一斉行動などの「付き合い」の強制機能がなくなった以上、「選べなかった人」も「選ばれなかった人」も必然的に孤立します。「さびしい日本人」は、日々の楽しみを求めて「パンとサーカス」を追いかけました。共通の趣味や同一の楽しみ事の参加や見物を通して、一定の交流は生まれますが、軽い付き合いは軽い連帯しか生み出すことはできません。社会教育の趣味・お稽古事・「祭り」に集まる参加者・見物人の多くは「孤独な群集」の変形に過ぎず、「さびしい日本人」が希求した連帯や絆を実現することはできませんでした。多くのプログラムの創造者は、参加者自身ではなく、社会教育や民間カルチャーセンターのごく一部の「プログラム請負人」でした。公民館などに比べれば、いくらか専門的で、高負担のカルチャーセンター・プログラムでさえ、生み出したのは、連帯でも自己実現でもなく、多くの「カルチャー難民」であったことはすでに証明済みのことでした。
「生涯学習」を標榜した頃から、日本の社会教育は「ご馳走を作る人たち」と「ご馳走を食べるだけの招待客」とがほぼ完全に分離したのです。カルチャーセンターの隆盛やイベントを請け負う商業主義がそうした傾向を加速したことも疑いありません。
他者の提供する「パンとサーカス」の安楽に依存し、「ご馳走を食べるだけの招待客」と化した「孤独な群集」は自身の心を支える「生き甲斐」を創り出し、他者との連帯や絆を生み出すことなど出来る筈はなかったのです。中根千枝氏が夙に指摘した通り、「経験の共有」は、「同じ釜の飯」を意味しますから、「パンとサーカス」もまた共有すれば、日本人の交友を確かに促進します。しかし、その場合、「経験」の中身の濃さ即ち人々の努力や負荷の度合いが問われることは言うまでもありません。努力にも負荷にも関係のない祭りの見物人が人生の連帯を果たせる筈はなく、趣味や楽しみ事を共有したところで人生の試練をくぐり抜ける「戦友」になれるわけはないのです。自らが表現者となり実践者となり企画者とならない限り、他者との連帯も絆も形成は困難なのです。
「群衆」または「群集」とは、英語のcroudを意味し、通常、群れ集まった多数の人々を指します。「群集」の特徴は、共通の関心が存するとしても、特定の目的や組織を意識していない集団(広辞苑)です。それに対して「会衆」や「聴衆」とは一定の会合目的を有して集まった人々を意味します。更に「同志」や「会員」の目的意識は一層固いものになります。群集は文字通り人々が群れ集まる非組織的な集団ですが、会衆や聴衆は何らかの共通目的を持って人々が集まる組織的な集団です。「集まる」ことには「集まり方」があり、「出会う」ことには「出会い方」があるのです。集まり方には、参集、参加、参画、結集などの形態が想定されます。出会い方には、地縁や参加の縁(同じ釜の飯の縁)がある一方、志縁や結社の縁があるのです。「志縁」とは同じ気持、同じ目標を持って人生を生きることによって連帯する縁を意味します。「結社の縁」は、共通目標のために団結した組織に所属することから生まれる人間関係のことです。「集まる」だけでも、「出会う」だけでも人が連帯するとは限らず、絆を「結ぶ」ことにならないことは当然です。人間が連帯し、絆を深め、自分が必要とし、自分を必要とする集団に帰属するためには、共通の動機、目標、理想、感性など人間の絆を形成する「結合の要因」が不可欠なのです。それゆえ、共通の志がなく、目的や目標が欠如していれば、向上の理想も苦労を共にする活動の蓄積もあり得ないでしょう。
3 「招待パーティー」と「持ち寄りパーティー」
-「群集」は参画しない-

この度、佐賀市の勧興公民館を再訪して、筆者にとっては三たび事業報告をお聞きすることになりました。文字面のプログラムだけを見ているとどこの公民館にでもあるような事業名が並んでいます。しかし、最大の違いは事業に結集する人々の「集まり方」の違いであり、人と人との「繋がり方」の違いなのです。我がコミセン・プログラムの参加者の参集の目的は、見物と鑑賞と感興のためです。一方、勧興公民館の参加者の多くは自らの参画と向上のための「結集」なのです。喩えが少し具体的過ぎますが,我がコミセンのプログラムをご馳走に例えれば、メニューは基本的に前年踏襲で決定され、繰り返されます。料理人は筆者のように各自治会からくじで選ばれた自治会役員や自治公民館役員が交替で担当します。住民には回覧板が回り、準備のできた「招待パーティー」の案内をします。要するに、参加者のほぼ全員が招待客なのです。これに対して勧興公民館の場合は、地域創生・地域向上という目的を共有した住民有志が自ら楽しみにご馳走を作り,「持ち寄りパーティー」を楽しみます。受益者負担の原則を厳守しているのでパーティーは「ただ飯」にはなりません。彼らは参加者でありながら企画者であり、準備を担当する実践者なのです。実践者の中には、特別支援学級の生徒もいれば、ストリートミュ-ジシャンのような近所で「迷惑者」扱いを受けているものもいます。最初はお客さま気分で見物に来た人々も館長の思いに巻き込まれ、徐々に参画者に変わって行きました。今や学校を含む様々なグループ・サークルが自分たちの企画を持ちよって参加するようになっています。もちろん、多くのボランティアが公民館事業の「臨時スタッフ」になります。
しかし、我がコミセンは市の公金に依存し、企画者と見物人を分離しているため、見物人は最後まで招待客の姿勢を崩さず、ただの「ご馳走」を食べた上に、時に文句や不満まで言います。住民が主役でその参加こそが重要だと言っているので「文句があるなら自分でやれ」とは、市当局も担当者も口が曲がっても言えないのです。それゆえ、住民は汗もかかず、自分の手も汚しません。住民は企画にも、準備にも無関係です。
対照的に、勧興公民館の参加者は受益者負担が原則ですから、それぞれの持ち寄り経費もそれぞれのグループ持ちです。準備に関わらなかった「お客さま」もご馳走が食べたければ自己負担が原則です。その代わり、「屋台」や「出し物」の上がりは応分に「準備者」に分配され、努力に応じて自分たちの「取り分」になります。苦労もそれなりに多いことでしょうが,「取り分」もあり、お客さまの賞賛もあり、他の皆さんの「ご馳走」も頂けるので喜んで協力しているのです。一見人々は、公民館の主催パーティーに手を貸しているように見えますが、本質は自分たちのための「持ち寄りパーティー」なのです。公民館の「パーティー」は、彼ら自身の自己表現の舞台であり、自らの連帯と絆のための活動なのです。
我がコミセン事業の参加者は、自らが主体的に参画していないので、「パーティー」の「ご馳走」を食い散らかして時間が来たら、お仕舞いです。勧興公民館の場合は、参画者のほとんどは後片付けに残らなければなりません。その時こそ、彼らは自己表現や自分探しに成功したか否か、お互いに議論して反芻するのです。人々が、後片付けの中で連帯や絆を実感すれば、「またやろうね」,ということで繰り返しが可能になるのです。自らが参画し,苦労を共にした結果、他人から褒めていただき、感謝の言葉を浴びるので連帯感も、楽しみも倍増します。要するに心理学のいう「社会的承認」が得られるのです。
我がコミセンの関係者は、年1回の文化祭に3、000人が集まったと人数を誇り,年6回、隔月の祭りに700人しか集められない勧興は「まあすごいことですね」と感心していました。しかし、両方の現場に立ち会った自分は、両者の「パーティー・プログラム」の質が天と地ほども違うことを知っています。
前者の住民はごちそうを食べにきているだけですが、後者の住民の多くは自らごちそうを作って持ち寄り、作ることも食べることも、お互いの努力のオーケストレーションを楽しんでいると言えばお分かりいただけるでしょうか?
社会教育の問題は人が集まるか、否かではなく、集まった人々が連帯や絆や生き甲斐を感得し得るか否かなのです。ごちそうを食べるだけの関係でも「同じ釜の飯」ですから、それなりにかすかな共感は生まれますが、見物人から連帯や絆と呼べるような関係は生まれようがありません。「ご馳走」が無料で、食べ易く、努力を伴わないものであれば、我らのコミセンのプログラムにも見物人や参加者はそれ相応に集まりますが、彼らは自らご馳走の準備に取組む主体的な実践者やプログラムの参画者にはならないのです。「職員僅か3人の勧興公民館が職員5名のコミセンの10倍にも当たる事業を年間を通して実行できるのはなぜなのでしょうか」と当方の参加者から質問が出ました。
秋山館長さんのお答えは「この地区ではみなさんが本当によく助けて下さるのですよ」という簡単なものでした。筆者の答は館長さんとは異なります。彼我の違いは「集まり方」の違いです。彼我の違いは、事業の中身と方法が連帯や絆や生き甲斐を創造し得ているか、否かの違いなのです。われわれの事業は「招待方式のパーティー」であり、勧興の事業は「持ち寄り方式のパーティー」です。後者は、パーティーの参加者がパーティーの実行者を兼ねているのです。勧興公民館の凄さは参画者、企画者、実践者を集めて、自ら様々な活動を展開しているところです。これに対して、我がコミセンは、事務局と公民館長部会が前年踏襲のプログラムを町内会役員の労役によって企画した「パーティー」に無責任な見物人が烏合の衆となって集まっているだけなのです。集まりの賑わいだけをみると両者の祭りは似ているように見えるかもしれませんが、事業の中身が天と地ほどに違うというのは「集まり方」の違いなのです。わがコミセンは、人々が「集まり」さえすれば、「集まり方」は関係ないと考えています。これに対して、勧興公民館のみなさんは人々が公民館を応援するために集まって来ているとお考えのようでした。どちらも違います。
館長ご自身は、住民の主体的参画とそれぞれの力のオーケストレーションの素晴らしさを分かっていらっしゃるから、現在の手法を採用なさっているのですが、「招待客」と「持ち寄り参画者」の「集まり方」の違いを意識されていないので、運営原理を言葉にして説明ができなかったということだと思います。
4 見物人と参画者
両者の違いは、公民館運営プログラムの中身の質が違うだけでなく、参加する住民の姿勢が全く違うのです。我がコミセンは大多数が見物人で群集です。逆に、勧興公民館の方は大多数が地域向上の目的を持った参画者を結集し得ているのです。秋山館長がおっしゃるように、応援者はボランティアだと言ってしまえば、それはそれで間違いではないのですが、ボランティアは単なる「助っ人」でも、「奉仕人」でもないのです。新しい日本型ボランティア活動とは、半分は社会貢献を通して他者のために役立ちたいという活動であっても、残りの半分は連帯や絆を求め、時には生き甲斐を求める自分のための活動なのです。勧興公民館の参画者は単なる「助っ人」でも「奉仕者」でもなく日本型ボランティアの新しい活動形態なのです。人々は自分の表現のために、自らの連帯と絆のためにお集りなのです。舞台はたまたま秋山館長という理解者のいる公民館になっていますが、自分たちの活動表現ができ、企画や実践の披露ができるのであれば、どこでもいいのです。
筆者が10年以上も続けて来た英語ボランティアの授業も同じです。半分は自分の社交と絆のためなのです。筆者の周りには似たようなボランティア活動をなさっている友人が何人もいます。勧興公民館に集う参画者の活動は、現象的には、公民館事業の応援をしているように見えますが、多くのボランティアは自分の居場所のため、自己表現のため、連帯と絆を見出すためにやっているのです。舞台をお作りになって、参画者をその気にさせたのは館長さんご自身ですから、感覚的には十分事の真相をご理解になっている事は疑いありません。彼女が説明の言葉に詰まったのは、恐らく共同体が衰退した後に「さびしい日本人」が大量発生したという事実を意識なさったことはないからだと感じました。勧興の周りには、人々が自覚しているか、否かを問わず、すでに新しいタイプの開かれた共同体が成立しているのです。
5 「持ち寄り方式」の可能性
勧興公民館の実践を再分析しながら、われわれが29年にわたって続けて来た「中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会」の運営原理に思い至りました。われわれの大会もまた実践者が手弁当で実施する持ち寄り方式の「大パーティー」だということです。中国・四国・九州の交流会は財政的には無一文ですから、謝金も旅費もありませんが、参加者が自ら手弁当で参集し、自分の料理を披露する「持ち寄り参加型のパーティー」形式を守って来たのです。参加者は自分たちが自ら築いたパーティーだからこそ発表も交流も懇親も満足度が異なるのです。福岡県立社会教育総合センターでの懇親会が深夜まで盛り上がるのは自分たちが作った「料理」を持ち寄って、苦労話を語ることが尽きないからなのです。
公的に主催される社会教育研究大会の多くが、公金を投入した主催者主導型の「招待パーティー方式」の大会です。結果的に、参加のお客さまの多くは企画にも準備にも関わっていません。参加者の大多数は学習に興味はあっても切実な実践課題を持ち寄った参画者ではありません。お金がなくなれば「招待型パーティー方式」が終焉するのはそのためです。
一方、われわれの実践研究交流会の参加者の多くは実践の中から切実な課題を発掘し、その実践結果を持ち寄った身銭を切った学習者です。お金がなくても続いて来たのは、実践の研究者が自らの「実践の苦労」を持ち寄り続けているからです。友は類をもって集まるのです。
「さびしい日本人」から「やさしい日本人」へ

1  歴史的推移

(1) 共同体の衰退

共同体の衰退の引き金は、日本社会の産業構造が大転換したことです。農林漁業を基幹とした産業は工業と流通を中心とした構造に転換しました。日々の暮らしに共同体を必要としたのは農林漁業であって、工業と流通業は共同体を必要としません。それゆえ、日本社会の産業構造の転換と平行して共同体が衰退したのです。共同体は共同作業を通して「共益」を守り、共同体成員の相互扶助を行ない、成員の連帯と絆を守って来ました。
(2) 個人と共同体の衝突

共同体は個人の自由や選択より全体の共益を優先します。共同体共通の利益を守るため構成員にはルールと暮らし方の原理を強制します。それゆえ、個人の恣意的な判断で共同作業や一斉行動を変更したり、拒否することは許されません。共同体は共益を優先し、個人の自由や選択権を後回しにします。それゆえ、産業構造の転換によって共同体に依存しなくても生きて行けるようになった個人は、徐々に自己都合を優先的に主張するようになります。結果的に、現在の地域社会に共同体の暮らし方や慣習が残存している場合には、個人の自由の主張と衝突することになります。個人にとって成員の自由を認めない共同体の慣習は束縛となり、実質的な干渉と化したからです。個人が共同体の慣習を拒否し始めた時、共同体の成員を束ねる力が衰退します。共同体が培って来た共同や連帯が崩れ始めるのです。平行して、共同体が支えていた人間の連帯や絆や教育力が衰退して行きます。
(3) 共同体の衰退はライフスタイルの「都市化」現象として発現します
個人の自由は、工業と流通の拠点が集積して作り出した都市が推進しました。都市型の考え方は原則として個人の能力主義であり、効率主義です。また、都市型の人間関係は、「選択主義」です。都市化は時を経て、農山漁村にも浸透し、最終的には全社会的にライフスタイルの都市化が進行しました。換言すれば、共同体の衰退はライフスタイルの「都市化」として現象したのです。都市化を支える思想的原点は自由と自立です。それゆえ、都市化の中の人々は組織の束縛も、他者からの干渉も嫌いました。一方、自由と自立を主張する以上、個人の生活や行動が行き詰まったとしても誰も世話はしてくれず、心境が独りぼっちになったとしても誰もかまってはくれません。自らの工夫と力で他者との連帯も絆も築いて行ける人は自立と自由を全うできますが、それができなければ、時に、自立は孤立に、自由は孤独に転落します。「さびしい日本人」が大量に発生するのはこの時です。
(4)「さびしい日本人」の摸索

「さびしい日本人」は共同体の衰退によって連帯と絆を失ったことによって大量に生まれました。「さびしさ」から脱出するためには、自分の力で他者と繋がり新しい連帯と絆を見つけなければなりません。なぜなら、一度捨てた共同体に戻ることは不可能であり、さびしいからと言って昔の慣習に戻ったところで一度自己裁量の自由を味わった個人は昔の束縛と干渉に耐えられないからです。結果的に、自分で新しい人間関係を見つけることのできた少数の人々を除いて、孤立と孤独の中に取り残された多数の「孤独な群集」(The Lonely Crowd,David Riesman,1950)が生まれました。「さびしい日本人」が様々な試行錯誤の“実験”の後に辿り着いた一つの結論が輸入された異文化概念の「ボランティア」活動です。「ボランティア」活動の定着と分岐点は阪神大震災であったと多くの方が指摘し、阪神大震災時の救援活動をボランティア元年と呼んでいます。「元年」を機に、活動者の質的にも、量的にも大きな変化が同時に起こりました。福井沖のナホトカ号の重油流出事故にも同じような現象が続きました。日本型ボランティアの誕生と名付けていいと思います。日本型ボランティアについての人々の指摘と観察を収斂させて行くと、そこで起きた変化は、従来の「奉仕活動」が「連帯と絆を求める自分探しの社会参画」に転換したことがよく分かります。転換者は「さびしい日本人」ですから、活動者の人数も彼らの地理的な居住範域も一気に拡大したのです。
(5) 「他者への奉仕」から「自分探しの社会参画」ヘ
-方法論は「社会貢献」です-

従来の日本人がボランティアと呼んできた活動は「施し」や「慈悲」の感性を原点とした「奉仕」の発想でした。従って、「奉仕」は他者のためでした。これに対して、新しいボランティア活動は、「絆と連帯と生き甲斐」を求めての「社会参画」であり、その方法論は多様な「社会貢献」です。両者の違いは、前者が少数の選ばれた篤志家であったのに対し、後者は「孤独な群集」となった多数の「さびしい日本人」の共感者であるという点です。前者の「奉仕範囲」は比較相対的に狭い範域に限られ、「奉仕者」は、社会心理学的に「奉仕」が可能な地位にあった方々が中心でした。これに対し、後者は、活動範域が一気に拡大し、活動者は社会的地位に関わりなく、現代の孤立や孤独を感じざるを得ないあらゆる地域の、あらゆる階層の人々に広がりました。両者の活動は、「人助け」であり、「社会貢献」ですから、現象的には共通項も類似点もありますが、行動の動機と心理的背景は大きく異なります。前者は、人助けを生き方として選んだ「他者への奉仕」であり、後者は絆と連帯と生き甲斐を求める「自分探しの社会参画」です。後者は、「さびしい日本人」が孤立と孤独を回避するために選んだ「社会貢献」の方法だったのです。前者は、行為の崇高さや社会の賞賛にも関わらず、篤志家の階層を越えて日本社会には広がりませんでした。後者は、共同体の衰退が臨界点に達した時点で一気に全社会的に拡大したのです。
結果的に、「さびしい日本人」が選んだ社会貢献の方法は、欧米文化のボランティア活動に類似したものになりました。新しい日本型ボランティアは、宗教的背景は有していませんが、「隣人愛」の原理も、「主体性」の原則も、労働の対価を求めない実践も共通のものになりました。阪神大震災の救援活動は外来語のボランティアが日本文化に定着し始めた曲がり角となったのです。

(6) 「社会貢献」の背景は「さびしさ」と「やさしさ」です

上記の通り、日本人の新しいボランティア活動の心理的背景は「さびしさ」と「やさしさ」です。「さびしい日本人」は人間や社会に対する「やさしさ」を通して他者と繋がろうとしたのです。「やさしさ」の表現法は具体的に多様な「社会貢献」になりました。この方法は成功しました。どの分野の活動であれ「社会貢献」は当然人々に歓迎され、感謝の対象となり、対人関係において「やさしさ」は人間相互を結びつける力を持っているからです。ボランティアの思想は異文化の発想ですが、「主体的な行為」であり、「自らの感性に根ざした行為」であり、隣人愛に発した行為であり、社会的に承認が得られる「歓迎さるべき行為」であり、多くの人々に「感謝される行為」です。共同体を離れ、個人として自立しようとした「さびしい日本人」にとって、他者との連帯や絆を見出す方法としては、自他ともに、最も納得可能で、有効で、賛同を得易い方法だったのです。方法論が「やさしさ」を核とした「社会貢献」である事によって、「さびしい日本人」は他者に出会って連帯や絆を深めたに留まらず、社会的承認を得て生き甲斐を見出し、結果的に「やさしい日本人」になって行ったのです。新しい日本型ボランティア活動が実践する「やさしさ」は、「他者への奉仕」とは異なります。従来の共同体に存在した相互扶助の「やさしさ」とも別種のものです。日本型ボランティア活動は明らかに[[自分のため]]の目的を含んでいるからです。共同体の「やさしさ」は集団のやさしさでした。日本型ボランティア活動の「やさしさ」は、「個別の人間」のやさしい思いが「総合されたやさしさ」です。それゆえ、かつて「集団的にやさしかった日本人」は、共同体を失い都市化の波の中で「人間砂漠」と呼ばれるような殺伐とした「さびしい日本人」になりましたが、ふたたびボランティアによって今度は個人の「やさしさ」を取り戻しつつあるのです。それゆえ、日本人はかつての共同体に存在した集団的「やさしさ」に戻ったわけではありません。「やさしい日本人」は集団的に再生したのではなく、個々の人生に「新生」したのです。
2  「やさしい日本人」の誕生
(1) 日本型ボランティア推奨システムの不在
問題は、政治も行政も従来の共同体概念の呪縛から抜け出すことができず、いまだ社会貢献と自分探しが融合した日本型ボランティア活動の意味と価値を理解してはいないことです。それゆえ、ボランティア活動を奨励し、社会貢献の事績を顕彰する政策やシステムを創り出せていないのです。
これからの地域社会を担うのは、社会貢献を通して他者と関わることを学んだ「さびしい日本人」です。自立した「さびしい日本人」は、自助、共助、公助を組み合わせてお互いを助け合う新しいコミュニティを目指し、他者との連帯と絆を希求しています。社会貢献の方法を採用したことで「さびしい日本人」は、その行為によって、必然的に「やさしい日本人」に移行して行きました。「さびしい日本人」が自由に発想したNPOとボランティア活動は人々を連帯に導いたに留まらず、「やさしい日本人」を組織化することになったのです。
カタカナのボランティア文化を受け入れた日本人は「新しい日本人」です。共同体の崩壊は「さびしい日本人」を大量に発生させ、結果的に、絆や連帯を摸索する「新しい日本人」を生み出さざるを得なかったのです。彼らの摸索と試行錯誤は、今や「やさしい日本人」を新生させつつあるのです。換言すれば、誕生した「新しい日本人」も「やさしい日本人」も、その活動が広がるに連れて、従来の共同体の慣習や発想を一層の衰退に導きます。「地縁」を核とした人間関係は自治会も、子ども会も、婦人会もあらゆる組織が衰退して行きます。新しい日本人は「地縁」で繋がっているのではなく、「志縁」や「活動の縁」で連帯しているからです。行政が展開する疑似共同体構想のコミュティが機能しないのはそのためです。
(2) 新しい日本人
筆者の中の新しい日本人は、市民ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分です。こうした活動はすべて自分が望んでやっている主体的で、「選択的」な活動です。みずからの興味と関心を出発点としています。活動から生まれて来る人間関係は「選択的」人間関係です。活動の責任はすべて自分にあります、誰かに強制されたわけでもなく、諦めて町内会当番の“不運なくじ運”に従っているわけでもありません。それ故、新しい日本人は、基本的に主体的、自発的で、自分が選択した活動に対する責任感も、義務感もあり、活動への義理や受動的かつ消極的な従属感は持ちません。少なくとも活動の出発点においては、みずから「喜んで」選択し、「善かれ」と思って開始したことです。主体的活動とは、選択的活動の意味であり、自発的活動の意味です。共同体では、そのどちらも自由に選ぶことは許されませんでした。自発的選択者は、当然、自分が選んだ活動への熱の入れ方も違います。そうした活動を展開するのが「新しい日本人」です。ただし、「新しい日本人」は過渡期にあります。換言すれば、「新しい日本人」が「従来の日本人」から独立して、別個に存在しているのではありません。ほとんどの場合、両者は、過渡期の日本人の中に同居しています。もちろん筆者の中にも「二重人格者」のように同居しています。ある時は、やむを得ずコミュニティの労役義務の要求に従い、みんなそうするのだから「仕方がない」と諦めています。しかし、別の状況では、「自分の思い通りに生きたい」と主張して生きています。「新しい日本人」と「従来の日本人」の「同居性」こそが日本型ボランティア文化が定着しつつある過渡期の過渡期たる所以です。
新しい日本人はボランティア活動やNPO活動に代表されます。ボランティア活動を通して、「個人的存在」と「社会的存在」の調整をしようとしているのです。「新しい日本人」は、自由に生きたい自立の願望と、絆を深め、やさしい人間関係の中で生きたいという連帯の願望を両立させたいと願っているのです。自立と連帯の両立を求める「新しい日本人」は基本的に既存の組織や共同体とは関係がありません。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られません。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいています。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌います。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおいています。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第で選択が行なわれます。「新しい日本人」は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじます。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視し、生き方は基本的に「自分流」です。
個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するということは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということです。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのです。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まって行きます。
近年のNPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互助け合い発想を引きずっている人々もいます。変化の時代に、様々な活動が錯綜するのは自然なのです。にもかかわらず、ボランティア活動も社会貢献や生涯学習を課題とした「非営利」のNPO団体も、「新しい日本人」を刻々と生み出していることは疑いありません。上述の通り、NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということは強調しても強調し過ぎるということはないでしょう。
(3) 新旧の地域力

ボランティア活動も、NPOも市民個々人の活動を促進しているのであって、居住の縁に基づく共同行動を勧めているのではないのです。自由な市民はそうした一斉行動は受け入れません。多くの自治体のコミュニティ活動は、「みんな一緒にやれば何とかなる」という従来の共同体発想を下敷きにしています。そこから生まれるものは「疑似共同体」以外の何ものでもありません。旧来の地域力は共同体が生み出す、団結力であり、拘束力であり、教育力であり、共同の支援力でした。地方政治や行政は、それらが失われたと嘆き、それらを回復しようとしている政策が多いのです。しかし、現行自治会(町内会)に旧来の地域力を期待しても得られる筈はないのです。自治会も町内会も失われた共同体に代わる「新しいコミュニティ」の形成を看板に掲げていますが、居住の縁に依拠した地域共同体は疑似共同体に終らざるを得ないのです。われわれの居住地域は偶然の選択の積み重ねの縁で出来ています。現代の地縁とはそういうものです。住所も住宅も自分で選んだものですが、居住の縁に基づく人間関係は選んでいないのです。「コミセン」構想による新しいコミュニティの形成は原理的に時代錯誤以外の何ものでもないのです。今や、人間関係の原則は選択制です。グループやサークルの形成過程を見れば気の合った人々が集まっていることは火を見るより明らかであり、気の合わない人々が集まれないこともまた明らかなのです。行政広報の回覧や、家庭ゴミの共同処理ぐらいは仕方のない共同作業として残るとしても、住民はそれ以外の余計なことはしたくないいのです。ソフトボールやゲートボールの大会まで自治会を下請けにしていること自体が間違いなのです。自分のことは自分でやることが市民社会の原則であれば、それらの趣味活動は好きな者同士が実行委員会方式でやればいいのです。残りの市民の生活基盤に関わる行政サービスを自治会や町内会に下受けさせることは間違いです。小さい政府を住民が選ぶのであれば、自由なボランティアやNPOが様々なコミュティサービスを担当することになる筈です。新しい地域力は新しい市民の組織が担うべき時代が来ているのです。
多くの役所が発想するコミュニティ活動が地域自治会を下請けとし、住民を動員した遊びや祭りの一斉プログラムであることを見ても、如何に時代錯誤に満ちているか明らかでしょう。「パンとサーカス」に如何に多くの市民が参集したとしても、彼らは見物人の域を出ることはなく、準備にあたった自治会や自治公民館の役員は労役の提供者であって、彼らの精神が不完全燃焼に終ることは明らかなのです。彼らにとって自治会のほぼ全ての活動は自分が主体的に選んだものではないからです。役所の多くは未だ「古い日本」の「共同体」を発想の基盤としている故に、コミュニティ・ワークを自由なグループ・サークルに委託したり、ボランティアの活躍するステージを創造することができず、ボランティア活動を応援・顕彰するシステムすら作ることができていません。少子高齢化の時代が来たと叫びながら、多くの市民が子育て支援や高齢者支援に活躍する舞台も準備することができないのは当然の結果なのです。役所こそが従来の共同体発想から抜け出すことができず、地方政治や役所で政策立案している人々の多くが伝統的官僚組織に安住した古い日本人であるということなのです。
3 新しい日本人の新しいコミュニティ
現代人は「個人」になりました。個人はどこかに帰属しなければ孤立します。しかし、帰属したい集団が見つからなければ帰属のしようがありません。その時、自分が帰属したい集団は自分で創り出すしかないのです。社会教育はその支援をすべきなのですが、支援はほとんど出来ていませんでした。友は「類」をもって集まります。新しい日本人は「志縁」をもって連帯し、「活動の縁」をもって前進します。現在私たちが住んでいる居住地区はいろいろな偶然が重なった地縁の関係であると指摘しました。当然、人々の志や感性が共通である保障はありません。近隣の人間関係が大事であると言われますが、大事なのは近隣の人間関係ではなく志縁の人間関係です。両者が重なって形成できればそれに越したことはありませんが、通常はそうなりません。偶然が重なってできた「地縁」の関係に過ぎませんから、挨拶ぐらいはするとしても、付き合いたい人もいれば、付き合いたくない人もいることでしょう。自由に生きるようになった日本人は、自分の基準を大事にします。人はそれぞれに自分流に自分らしく生きようとしていますので、自己基準に合わない人とは関わりたくないのです。しつけの出来ていない悪ガキの親とは関わりたくなく、自分勝手で見栄っ張りの年寄りとも付き合いたいとは思いません。生き方の基準や波長が合わなければ仲良くしろということの方に無理があるのです。共同体の時代は共同体が要求する慣習やしきたりの基準を個人に強制することができました。悪ガキにしつけをしないことは許されず、親ができないのであれば、他の共同体メンバーがその子を叱ったのです。親はそうした他者からの干渉に文句を言うことはできませんでした。しかし、現代は違います。「オレの子どもに勝手なまねをするな」と言われれば、それ以上のことは出来なくなりました。学校でさえモンスターペアレンツに怒鳴り込まれれば、子どもの指導ができなくなるのですから、近隣の道徳的・文化的秩序が崩壊するのは当然の現象です。当人が明らかに愚かでも、はた迷惑でも法律に違反しない限り個人の自立と自由が保障されるようになったからです。わがままな年寄りについても、そうした年寄りを放置している家族についても同じです。他者の暮らしぶりに干渉は許されなくなりました。極論すれば、法律の範囲内であれば、後指を指されようと、嫌われようと、たとえばゴミ屋敷のようにゴミを溜め込もうと、個人の自由を錦の御旗として人々は勝手に生きることが許されるようになったのです。こうした人々ともたまたまご近所なのだから仲良く付き合えということの方に無理があるのです。共同体と新しいコミュニティの最大の違いは人間関係の選択制です。共同体の暮らしに個人の選択は原則的に許されませんでした。われわれの地域社会では選択こそが原則になったのです。それゆえ、隣りの人を知らなくてもいいのです。あいさつはともかく組内のひとびととの付き合いもあなたの考える範囲でいいのです。仲のいい友だちが、線路の向こうにいたとしても、となりの町に居たとしても、現代の交流はほぼ可能になりました。
地域の教育力や助け合いを論じる時、多くの論者がご近所の顔も名前も一致しないような状況こそが問題の根源であり、孤立や孤独の問題を解決できないと指摘します。しかし、果たして、そうでしょうか?
筆者は、最大の問題は、日本人のボランティアやNPOや市民活動の経験不足こそが問題の根源であると考えています。社会教育も生涯学習も最大の問題は、国民に「社会貢献」の体験が欠如していることなのです。見ず知らずの人々の中で社会貢献活動を経験していれば、顔を知ろうが知るまいが、名前を知ろうが知るまいが、ご近所の緊急時に対処することなどわけのないことです。近隣の防災も防犯も、高齢者支援も子育て支援も、未知の状況に飛び込んで阪神大震災の救援活動を経験した方々にとっては簡単なことです。政治も行政も、近隣地域社会に「社会貢献」活動の舞台もシステムも作らず、活動の奨励も助成もして来ませんでした。ボランティア活動は「さびしい日本人」自身が試行錯誤の末に自ら発見した連帯の方法です。政治や行政が提案したことではありません。近隣住民は「お上」の指示を待ち、行政に依存することのみを教えられて来たと言っても過言ではないのです。ボランティア活動の経験者が少ないということは、自立の能力も、他者との関わりも、連帯や絆の心理的実感もほとんど体感したことがないことを意味しています。「コミセン方式」だか「新しい公共」だか、スローガンだけが踊って、従来の共同体を下敷きにしている限り、連帯も絆も緊急時の相互扶助も達成することは出来ないのです。政治も行政も自らの仕事の限界を悟り、「訓練された無能力」(ヴェブレン)を自覚し、覚醒した市民の支援を得られるよう、NPOやボランティア活動のシステムを作り、活動者に対する財政的支援体制を整え、「社会貢献者」に対する顕彰のプログラムを作るべきなのです。
孤独死一つを考えてみても、そうしたことに関心のある住民の協力なしに、行政のセイフティー・ネットで救うことができないことはすでに明らかになりました。逆に、社会貢献に関心のない住民は邪魔になりこそすれ、全く頼りにならないことも明らかになりました。自治会も町内会も関心のある人もない人も含んでいるのです。役員の輪番制によって全員に同じような関心を抱けということの方が無理なのです。役員がくじ引きの1年交替にならざるを得ないのはそのためです。
行政はNPOや地域ボランティアに委託契約の条件を銘記して、活動の財政的支援を制度化してお願いすればいいのです。孤独死を防ぐだけでなく、地域の活力を向上させ、志縁に繋がる人々の連帯を深めることは疑いありません。官僚組織は社会の根幹を支える重要なシステムであることは間違いありませんが、お役所仕事のデスクワークで現代の地域を浮揚させることはできません。地域活力の向上も、人々の孤立も孤独も解決することはできません。コミセン方式は古い共同体が掲げた「みんな一緒」の幻想を引きずっています。祭りも、ソフトボール大会も、グランドゴルフも地域住民の交流や連帯を深めると喧伝していますが、公民館長を務めてみれば結果は明らかです。「パンとサーカス」を一諸に楽しんだところで連帯も絆も深まりません。各チーム内の親睦は図れても、チーム間の交流はほとんど顧みられていません。そうしたプログラムが自治会の役目であるわけはないのです。好きでやっている同好の人々が実行委員会を作って自分たちで主体的にやればいいのです。
地域にボランティアやNPOの経験者が増えれば、日常の付き合いがなくても緊急時の対応はできます。人々が望まない地縁の交流を無理強いする必要はなく、くじ引きで選出される自治会役員に手当を支給して役所の下受けをさせたり、ソフトボールやグラウンドゴルフの企画を依頼する必要はないのです。ましてそうした素人がにわか仕立てで企画する「パンとサーカス」のプログラムに公金を投入する必要は全くないのです。コミセン方式は「新しいコミュニティ」の創造という目的に照らしてすでに明らかに破綻しているのです。

122号お知らせ

第98回生涯学習フォーラムin福岡

日時:2010年3月13日(土)15-17時
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
発表者;福岡県立社会教育総合センター副所長 黒田修三ほか
終了後センター食堂において夕食会

第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会

日時:2010年5月15日(土)10時-16日(日)12時
(14日は前夜祭交流)
場所/問い合せ先:福岡県立社会教育総合センター(福岡県糟屋郡篠栗町金出3350-2、
-092-947-3511。E-mail:mail@fsgpref.fukuoka.jp)
内容:各県の事例発表28、特別企画:リレーインタビュー「子育て支援」、「社会復帰のカウンセリング」、「市民参画のまちづくり」、「学校と企業の連携」などを予定しています。
§MESSAGE TO AND FROM§

お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
佐賀市勧興公民館 秋山千潮 様
過日は突然の訪問で失礼いたしました。わがコミュニティの公民館長さんたちは多くを語りませんが、私には実に収穫の多い一日になりました。巻頭に拙文を掲載しましたのでご笑覧ください。これまでの勉強の過程で、私は「さびしい日本人」が己の居場所を探し、他者との連帯・絆を求めて新しいボランティア文化に辿り着いたと確信するようになりました。館長の実践はその傍証になると思っております。私の分析・解釈に誤りがあるようでしたらなにとぞご説明いただきたくお願い申し上げます。次の著作はボランティア文化の「輸入」論を書き始めておりますので是非参考にさせていただきたいと思います。
福岡県岡垣町 神谷 剛 様
お元気なお姿に接し、お便りも頂戴し、喜んでおります。
岡垣町と研修のご縁が出来てこれからもお目にかかる機会が増える事を楽しみにしております。自分が年をとった分、老後を凛々しく生きている方々に一番の興味と関心を抱くようになりました。その逆に、高齢者を単純な弱者と捉え、「保護したり」、「甘やかしたり」、「あやしたり」することに終始している方々に大いに反感を感じております。己の衰弱とともに、人間が「老いる」とは、「意識するとしないとに関わらず、加齢に伴う心身の衰えと戦い続ける過程」であると理解するようになりました。「戦い方」で晩年の在り方が決まります。戦いが不可避であるとすれば,問われているのは,意義ある戦いをできるか,否かになります。高齢社会は「老い方」が問われているのに政治は高齢者を無力視し、「保護の仕方」だけを問題にしているような気がしてなりません。福祉の関係者がこの国の高齢者を間違った方向に導かねばいいがと切に願っております。
福岡市 紫園来未 様
前回フォーラム以来の会話を思い出しております。近年の教育論は「学習」が「実践」に進化する筈であるとどこかで信じている節があります。学校教育が頭でっかちになり、大人の世界が建前の理屈でいっぱいなのも、「分かればやれる」はずだという間違った「教育信仰」の故だと思います。子どもも大人も教室や書物での「学習」が「実践」を導く保障はどこにもありません。理論と実践の間には飛び越えなければならない深い谷があるからです。迷われていたら、ご自身の過去を思い出して、とにかく試行的に「実践」を開始する事です。その中から必ず必要な学習が生まれ、次なる実践に繋がります。何もやらないでものごとを論じてはいけないのです。「実践なくして発言権なし」です。「学びの共同体」などという浮かれた幻想に惑わされてはなりません。共同も、連帯も、絆も、戦友も、人間の生き甲斐はすべて苦楽を共にする実践の中からしか生まれては来ないのです。基本は「実践の共同体」です。実践は必ず学ぶことにつながります。ジョン・デューイが唱えたLearning by Doingは人生の教育論です。
山口市 上野敦子 様
山口大会の運営ご苦労様でした。懐かしい研修同窓生の皆様のご活躍を目の当たりにして心強い限りでした。ご報告を拝見いたしました。進化し続ける井関元気塾に喜んでおります。学校と合同の発表会はあなた方の腕の見せ所です。朗唱はオリンピックのシンクロナイズ・スイミングに匹敵します。「選手」を選べない学童保育の異年齢集団は、どんなチームよりも難しい条件に直面します。素材の選択、腹式呼吸のトレーニング、リズムとスピードの同調、子どもの応援、どれ一つをとっても重要です。最後は朗唱の内容を理解した子どもの感情表現がカギになります。喜んで応援します。至急、指導員チームで発表会素案を作成してみて下さい。赤田先生から山口同窓会は5月の最終週末とご連絡をいただきました。その機会に具体的な詰めをしましょう。ご準備下さい。
過分の郵送料・制作費をいただきありがとうございました。
佐賀市 秋山千潮 様
山口市 西山香代子 様
山口県下松市 三浦清隆 様
福岡県岡垣町 阿形敬之助 様
福岡市 紫園来未 様
鳥取県南部町 岩田 淳 様
東京都八王子市 瀬沼克彰 様

編集後記:「さびしい日本人」の変態

テレビを点けるたびに犯罪のニュースです。若者の犯罪の多くは明らかに規範を教え損なった「教育公害」の結果です。年寄りの方は孤独で自己中心的な日本人の「変態」行動(時期や条件によって様々な発現形態をとること)ではないかと疑っています。ゴミ屋敷のテレビ・レポートを見ましたが、明らかに自由でしかも孤立した「さびしい日本人」のはた迷惑な振る舞い以外のなにものでもないでしょう。孤立も、引き蘢りも、暴走も、自分勝手も、すべて「自由」の裏側です。「さびしい日本人」の自由がどれほど危険なものであるかを実感させます。従来の共同体の中では決して許されなかった事が「自由」や「権利」の名の下に許されるようになったのです。筆者はそれでも個人の自立と自由は進歩の証だと思っていますが、若者の規範教育と老人の社会参画を推進する強力な政策を打たない限り「変態」現象はますます深刻化するものと想像します。暗いニュースが聞こえるたびに、失業に端を発した「格差」だ「格差」だと騒ぐ評論家が登場しますが、「格差」は一昔前の日本にも、その前の日本にもありました。不登校も非行も、フリーターもニートの増加も、筆者には問題の根源は「自由」に対処できない家庭や学校の教育の結果であると思えます。
もちろん、失業問題は大問題だと思いますが、過日、何人かの中小企業の事業主の証言を聴いていたら、多くの失業者は何度採用しても、仕事の選り好みをして我慢が出来ず、直ぐやめてしまう、ということでした。その結果が生活苦というのでは「深刻化する失業問題」というニュースとは理屈が合わないのではないでしょうか?ここにも自由に絶えられない日本人がいるのです。自分の個性だとか適性だの教育界が植え付けた資質幻想を過大に評価するようになった日本人がいるのです。事業主の話の通りだとすれば、取るに足らぬ己にこだわる日本人が、個性や適性を必要としない仕事に耐えられないだけの話なのです。家族を養えない状況を予想すれば、個性だの適性だのくだらぬ自尊心はかなぐり捨てて、自分ならどんな仕事でもやる、と思うのですが、筆者はもはや古いのでしょうか?

「風の便り」(第121号)

発行日:平成22年1月
発行者 三浦清一郎

「さびしい日本人」の大量発生-なぜボランティア文化は日本社会に定着し始めたのか-

1 「みんな一緒に」は不要になったのです -共同体を必要とした産業構造の転換-

日本の伝統的共同体は農山漁村の産業構造が生み出した暮らし方です。農林漁業は、水資源の分配も、共有の森林資源の管理も、時には、収穫も漁も、救難も、屋根葺きも、もろもろの冠婚葬祭すべてに、村人の共同を不可欠としました。ところが工業や流通の出現はこれらの共同事業を分業化し、専門職業化し、共同体総出の作業の必要を徐々に少なくして行ったのです。農林漁業を基幹とする産業構造が、工業や流通を中心にした構造に転換すれば、農林漁業を基盤とした共同体の在り方は衰退せざるを得ないということです。
日本が先進工業国として貿易立国の道を辿ったのと歩調を同じくして、居住環境もライフスタイルも都市化が進行し、個人は自由と自立を主張しました。戦後日本の都市化の歴史は、日本人が個人を確立し、共同体の束縛や干渉を拒否し続ける過程でもありました。農林漁業と異なり、工業も流通も共同体の助けを必要としないばかりか、共同体を共同体足らしめた「共同」や「共有」の慣習を必要としません。それゆえ、「共同」や「共有」を起点とする共同体特有の束縛や干渉が個人の自由と衝突することになったのです。日本人が共同体から自立し、個人の自由を拡大した過程は、日本の地域共同体の衰退の進展と平行して続いたのです。
2 日本人は「共同体の一員」から「個人」になりました
-「自由」の希求と主張-

工業も流通も必要としたのは個々人の知識であり、技術であり、流れ作業のような共同作業ですらも各工場の必要に応じて新たにデザインし直されたものでした。工業・流通業においては、人々は共同体に内在した相互扶助の助けを必要とせず、新しい分業と協業のシステムの中で自分の知識や技術によって生きて行くことができるようになりました。職住の分離は、地縁共同体への依存度を決定的に減少させました。地方文化や地方の慣習の中に残った従来の共同体の約束やしきたりは、今や、束縛と化し、個人の自由と自立への干渉条件と化していったのです。換言すれば、日本人は「共同体の一員」から「個人」に変質して行ったのです。
当然、共同体の衰退は、共同体が特質とした地縁に基づく冠婚葬祭の共同も、安全・安心の相互扶助機能も急速に喪失して行きました。失われたものの中には、共同や協同の背景を為した「地域の教育力」も含まれていました。もはや一斉に行なわれる川さらいも里山の下草刈りも全員に関わる行事ではなくなりました。祭りや寺社の行事も全員の行事ではなくなりました。全員一致の一斉清掃や地域行事への動員は個人の自由なスケジュールに対する束縛に変わったのです。工業化の進展とともに、戦後の日本人は共同体の束縛を拒否し、個人の自由や権利を共同体の必要に優先して位置付けました。「共益」を守る事によって成立していた共同体は、個人の自由と権利を主張する個人が増えた分だけ、その組織力、強制力を失ったのです。当然、共同体を自らのよりどころとしていた人々の精神も信念も衰退します。青年団はとうの昔に消滅し、婦人会の凋落傾向も止まりません。教育の分野では、地縁によって結成された子ども会も役員のなり手がなくて次々と有名無実化しています。それ故、放課後の集団遊びも休暇中の集団での野外活動も子ども会が企画する事はほとんどなくなりました。地域の教育力も壊滅したのです。共同体の干渉や束縛を嫌い,共同体の庇護を離れた日本人は共同体の慣習よりは個人の都合を優先させました。残っているのは行政の下請けの「回覧板」と「ゴミ出し」と年に1~2回の一斉清掃ぐらいのものでしょう。筆者は、組長の他に、自治会の「衛生部長」と[[公民館長]]を経験してみましたが、行政が躍起になって再生しようとしている新しいコミュニティ活動も従来の共同体の慣習を引きずっている限り、自由を求める日本人に支持される筈はないと確信するに至っております。宗像市の自治会組織率も70%台に落ちたと広報に報告が載りました。役員選出が「くじ引き」になるのはそのためです。自治会役員の仕事は、疑似共同体に対する「労役」を意味することを人々が直感的に理解しているからです。生活に不可欠な「共同」や「助け合い」が創り出していた連帯感を、必要のない「ソフトボール」や「グラウンドゴルフ」の交流で補うことなどできる筈はないのです。
共同体が衰退して、日本人は、近隣・日常生活における個人の自由を確立しました。しかし、その反面、相互の助け合いやみんなで一緒にやって来た様々な共同儀式を喪失したのです。都市化の進行と平行して、大量の日本人が自由を獲得しました。しかし、みんなが自立し、自由になった後、そこから先の人間関係も、冠婚葬祭も、時に、個々の家族の危機対処も近隣社会は助けてくれません。個人の危機も孤独もすべて自己責任で行なわざるを得ないことになったのです。共同体の束縛や干渉を拒否して獲得した自由は、その裏側で人々の孤立と孤独、不安と寂寥を発生させたのです。

3 共同体からの「自由」は「孤立」と「孤独」をもたらしました
-誰も世話を焼かず、誰もかまってくれません―

人間とは勝手なもので、自由とは厄介なものです。共同体の慣習が束縛や干渉に思われた時はあれほど鬱陶しかった「みんな一緒」の慣習も、なくなってみると、誰も世話を焼いてくれないという事実だけが残りました。さびしかろうと不安になろうと誰もかまってくれません。一時は、あれほど鬱陶しかった共同体の慣習が懐かしくなるのはそういう時です。「昔は良かったね」「みんなが協力して一緒にやっていたね」という感慨は孤立と孤独と不安と寂寥の象徴なのです。
工業と流通を基幹産業とする構造転換は、個人重視の発想とライフスタイルをもたらし、共同体の束縛を嫌って「個人優先」を価値として選んだのです。しかし、さびしくなったからと言って「相互扶助」と「自由」の二兎を追う事はできません。共同体を拒否したとき、日本人は共同体の有する優しさや相互扶助のシステムを失ったのです。個人の権利を共同体の必要に優先させ、自己都合優先主義を生き方の基本に置いた時、共同体の温かさや優しさのシステムに代わる新しい助け合いの思想は未だ創り出してはいなかったのです。故に、多くの日本人が「自立」したつもりで「孤立」の状況に当面せざるを得なくなりました。現に、自立と自由を全うできない大勢の人々が孤立状況の中で立ち往生しているのです。結果的に、さびしい日本人が大量に誕生したのです。

4 異文化ボランティアへの注目

カタカナのままのボランティア文化は、異国の文化です。しかし、大量に発生した「さびしい日本人」は必死にぬくもりを求めました。ボランティア活動は失った共同体の相互扶助の代替機能を果たし得ることに気付いたのです。ボランティアは、日本に土着の文化ではありません。多くの日本人に未だ耳慣れない異国の文化です。しかし、日本人が「自分流」を主張し、「個」の時代を選択した時から、共同体の相互扶助に代わる新しい「優しさ」の代替機能として活用できることに気がついたのです。従来の慈善や博愛を代表していた「奉仕」の発想は、ボランティア時代に入ってより広範囲の「社会貢献」や「社会参画」の思想に転換して行きました。活動の主体も共同体の一員から市民社会の一員へと変質しました。
新たに日本人が受け入れたボランティアの精神は、伝統的共同体の枠や境界を越えて、阪神大震災に多くの善意を結集させました。その後に起きた、福井沖のナホトカ号重油流出事故の際にもふたたび多くの人々を結集させました。ボランティアの人間関係は、共同体の地縁に基づく結びつきから、「志の縁」や「活動の縁」に転換し、自由と個人主義を基本とした人々の絆を回復しつつあるのです。すでに、「緑のボランティア」があり、難民支援のボランティアがあり、国境なき医師団に象徴される通り、人々の意識は共同体はもとより、国家や地域の枠を越えて人間相互の助け合いを通した交流を可能にしたのです。その時すでに、カタカナのまま輸入された異国のボランティア活動は、日本人に受け入れられ、個人をベースとした欧米型の「隣人愛」の実践に相当する普遍性を持つようになったのです。

5  新しい日本人の誕生

カタカナのボランティア文化を受け入れた日本人は「新しい日本人」です。共同体の崩壊は「さびしい日本人」を大量に発生させ、結果的に、絆や連帯を摸索する「新しい日本人」を生み出し、今や「優しい日本人」を再生させつつあるのです。換言すれば、誕生した「新しい日本人」も「やさしい日本人」も、その活動が広がるに連れて、従来の共同体を一層の衰退に導きます。彼らは地縁で繋がっているのではなく、「志縁」や「活動の縁」で連帯しているからです。
筆者の中の新しい日本人は、市民ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分です。こうした活動はすべて自分が望んでやっている主体的で、「選択的」な活動です。みずからの興味と関心を出発点としています。活動の責任はすべて自分にあります、誰かに強制されたわけでもなく、諦めて町内会当番の“不運なくじ運”に従っているわけでもありません。それ故、新しい日本人は、基本的に主体的、自発的で、自分が選択した活動に対する責任感も、義務感もありますが、活動への義理や、受動的かつ消極的な従属感はありません。少なくても活動の出発点においては、みずから「喜んで」選択し、「善かれ」と思って開始したことです。主体的活動とは、選択的活動の意味であり、自発的活動の意味です。共同体では、そのどちらも自由に選ぶことは許されませんでした。自発的選択者は、当然、自分が選んだ活動への熱の入れ方も違います。そうした活動を展開するのが「新しい日本人」です。ただし、「新しい日本人」の誕生は、「新しい日本人」が「従来の日本人」から独立して、別個に存在しているのではありません。ほとんどの場合、両者は、過渡期の日本人の中に同居しています。もちろん筆者の中にも「二重人格者」のように同居しています。ある時は、やむを得ずコミュニティの労役義務の要求に従い、みんなそうするのだから「仕方がない」と諦めています。しかし、別の状況では、「自分の思い通りに生きたい」と主張して生きています。「新しい日本人」と「従来の日本人」の「同居性」こそがボランティア文化が日本に定着しつつある過渡期の過渡期たる所以です。
新しい日本人はボランティア活動に代表されます。ボランティア活動を通して、「個人的存在」と「社会的存在」の調整をしようとしているのです。「新しい日本人」は、自由に生きたい自立の願望と、絆を深め、やさしい人間関係の中で生きたいという連帯の願望を両立させたいと願っているのです。自立と連帯の両立を求める「新しい日本人」は基本的に既存の組織や共同体とは関係がありません。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られません。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいています。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌います。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおいています。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第で選択が行なわれます。「新しい日本人」は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじます。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視し、生き方は基本的に「自分流」です。
個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するということは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということです。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのです。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まって行きます。
近年のNPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互助け合い発想を引きずっている人々もいます。変化の時代に、様々な活動が錯綜するのは自然なのです。にもかかわらず、ボランティア活動も社会貢献や生涯学習を課題とした「非営利」のNPO団体も、「新しい日本人」を刻々と生み出していることはうたがいありません。NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということがそのことを象徴しているでしょう。
ボランティア活動も、NPOも市民個々人の活動を促進しているのです。多くの自治体のコミュニティ活動は、「みんな一緒にやれば何とかなる」という従来の共同体事業を下敷きにしています。「コミュニティ形成」の看板の下で、共同体の活動を再生しようという行政の試みは時代錯誤以外の何ものでもないのです。
多くの役所が発想するコミュニティ活動が地域自治会を動員した遊びや祭りの一斉プログラムであることを見ても、如何に時代錯誤に満ちているか明らかでしょう。役所の多くは未だ「古い日本」の「共同体」を発想の基盤としている故に、自由なグループ・サークルが活躍するステージを創造することができず、ボランティア活動を応援・顕彰するシステムすら作ることができません。子育て支援も高齢者の活躍の舞台も準備することができないのです。当然、役所で政策立案している人々の多くが伝統的官僚組織に安住した古い日本人であるということなのです。

個性とは何か
「みんな違ってみんないい」の再検討

1  時代のはやりは恐ろしいことです。

仕事始めの教員研修で、「子どもの興味関心に関わらず」、「教えるべきことは教えよ」「やらせるべきことはやらせるべきだ」と主張したら、子どもの個性を抑圧することにならないか、という質問メモが提出されました。「みんな違ってみんないい」ことを前提に子どもの現状を認めてどこが悪いのか、という意見もありました。要は「社会規範」を尊重する以前に子どもの「個性」を尊重すべきではないか、という主張でした。
筆者も、もちろん、教育実践において、こどもがそれぞれに「違っている」ことは知っています。しかし、それぞれが違うということは教育の結論ではなく出発点です。したがって、「みんな違ってみんないい」となるか,否かは子どもの成長過程について社会の評価を待たなければならないということです。それぞれの「違い」が社会の評価基準に叶って「すべて良い」とはならないというのが筆者の意見です。
質疑の核心は、「個性」とは何か、「個性」をどう考慮するかということになります。
「個性」こそ戦後教育がもてはやした指導法の「核」になる概念です。近年一躍時代の寵児となった金子みすゞの「みんな違って、みんないい」や若い世代に流行った「世界にひとつしかない花」に

連なる発想です。教育は「改善」を前提とした「目標行動」であると考える筆者は、「子どもを現状のままに放置してはならない」と提案し続けています。筆者の意見に対して、「君は君のままでいい」と教えてどこが悪いのか、少年野球チームの誰もがイチローになれるわけではないという意見もありました。イチローを目指して挫折するよりいいではないか、と説明が付け加えてありました。
後段の意見に付いては、すでに119号に書きましたので簡単に済ませます。
第1は、学校が子どもの「未熟な今」を是認し、子どもの向上や目標を軽視すれば、教育の使命はそこで終ります。学校の目的は、子どもの現状を改善し,「分からないこと」を「分かるようにし」、「できないこと」を「できるようにすること」だからです。
第2は、誰もがイチローを目指す必要はありませんが、イチローを目指す子に「君は今のままでいい」と言ってはならないということです。確かに目標が高すぎれば、挫折や失敗の確率は高くなりますが、少年の向上は目標に向って努力することの中にあることは疑いないからです。向上や目標の達成を目指さない指導は治療であっても,教育ではないのです。
また、質問者の教員が心配した少年の挫折は、どのくらい努力したあとの挫折であるかによって対処法も評価も変わって来ます。イソップ物語の狐は欲しかった葡萄に向って何回跳んだでしょうか-全力を尽くして何度も、何度も跳んだあとなら「酸っぱい葡萄だ」と思うことで諦めも付くでしょう(それが「認知的不協和」です)。1、2回跳んで挫折するなら、狐(少年)の耐性の方に問題があるのです。耐性を鍛え上げない限り、その子は人生で何をやらせても簡単に挫折して使いものにはならないということです。この種の少年に対しては,指導法の根本を変えなければなりません。この場合、「みんな違ってみんないい」は、子どもに現状肯定と自己満足を促す「毒」に変わるのです。「君は世界にひとつだけの花」だというのも同じです。思春期の重大な悩みは、自分とは何者か、という問いに答えることです。「君は世界にひとつだけの花」であると言ってあげたとしても、理解力・判断力の付き始めている子どもであれば、“自分程度の花”はどこにでもあると思い当たるのです。「悩み」の核心は如何にすれば「世界にひとつだけの花」になれるかということであって、自立もままならない未熟な今の自分が「一つだけの花」だと言ってもらうことではないのです。
第3は、社会生活に不可欠なルールや規範は画一的に教えよ,ということです。教えてもいいし、教えなくてもいいという程度のことであれば、義務教育のカリキュラムから削除すればいいのです。教えるべきことを教えるに際して「個性」のことなど考慮する必要はないのです。さて、本題の「個性」とは何でしょうか?
2 個性とは何か-

(1)「個性」とは「他者との差異」である

個性の一般的定義は、”「個体・個人」に与えられた資質や欲求の特性“ということになります。要は、他者との「差異」の総体です。しかし、「他人と違っている自分」というだけでは教育指導上「個性」を説明したことにならないでしょう。単純な「他者との差異」を「個性」と等値し,両者を混同したところに戦後教育の混乱の原因があります。
まず第1に,「資質上の違い」だけを問題にするなら、個々の後天的な努力をどう評価するのか、が問題になります。少年期の「他者との違い」は、本人ががんばれば直ちに発生し、縮小したり拡大したりするからです。努力しない少年が遅れを取るのは当然の結果なのです。
次に、各人の持つ「資質」と「欲求」が混ぜ合わさって「違い」が生じるとすれば、「個性」とは、「欲求の現れ方」、「自己主張」・「自己表現」の「在り方」ということになります。即ち、個性=「自己主張」・「自己表現」となります。しかし、当然、すべての自己主張や自己表現を個性として尊重せよとは誰も言わないでしょう。馬鹿げた自己主張も,端迷惑な自己表現もあり、社会に害をなす反社会的な主張も多々あることは自明だからです。それゆえ、第2の問題は、すべての個性を肯定的に評価することは出来ない,ということです。子どもの自己本位の欲求や身勝手な思いこみを個性と勘違いしてはならないのです。

(2)「他者との違い」の構成要因

最後に注目すべきは「他者との違い」の構成要因です。「自分」と「他者」を区別する第1の、しかも、最も具体的な要因は、知的能力、身体的能力,判断力、適応力、容貌・しぐさ・表現力などあらゆる種類の「能力」です。第2の要因は、短気,大胆、優しさ、思慮深さ,のんびりなどの性格的・精神的要因です。まさしく,性格
は人それぞれ違うからです。第3は,個人の好みと欲求です。「タデ食う虫も好きずき」で、それぞれに人間の嗜好や相性は異なるのです。
重要なことは,「能力」を「個性」と等値すれば,必ず社会的評価と選別に結びつきます。また、「性格や精神」と「個性」を等値すれば、好ましくない性格の判定やその矯正問題が浮上します。当然、反社会的な欲求や嗜好についても「個性」と等値してすべてを肯定するわけには行かないことは自明でしょう。「みんな違ってみんないい」という情緒的かつ好意的な発想は,楽観的で耳障りはいいですが、現実の教育場面に適用することは決して簡単ではないのです。それゆえ、「他者との違い」を「個性」として全面承認することは、不適切なだけでなく教育的には不可能なのです。

3 「個性」を伸ばすとは-

上記のように「個性」を「他者との差異」と発想すれば、個性を伸ばすということは、「他者との違い」を実現しようとする努力を援助するということになります。論理を突き詰めて行けば,極端な場合,「他者と違った人」は「変わった人」になるのです。幼少期の段階で一般教員が「変わった人」を育てるような“大それたこと”をやってもいいでしょうか-
「個性」は、他者から「自分を際立たせる価値」の別名です。個性の尊重は、その子の能力・性格・好みの価値を尊重するということになります。その「価値」の選別を学校の手に委ねていいですか,ということなのです。現行教育は「価値の尊重」と「差別」を区別できるでしょうか-
それが出来ないから,他者と違っている多くの子どもがいじめられて来たのではないでしょうか- 筆者の結論は,幼少期の教育において個人の種々の特性を「個性」と勘違いしてはならないということです。人間には、いろいろ特性はありますが,それほど際立った個性などというものは、めったにありません。際立った「個性」は押さえても延び,教えなくても自ら花をつけるのです。その「花」には、時に、毒すらあるのです。「個性」とは,個人の「特性」と「生き方」の総合として人生の最後にあらわれる「他者との差異」なのです。

4 幼少年教育に「個性」の概念は不要です

伸ばしてやるべきは各種の能力であり,矯正すべきは他者との共同生活に不適切な性格であり、反社会的な欲求です。学校は、「個性を育てる」ことなど意識しなくていいのです。
先生方は、「個性」の支援を意識せず、子どもを自然のままにしておくと、特性のない人間が育つという心配をしているのではないでしょうか-特性のない人間などそもそもいる筈はないのです。人間は、初めからみんな違うのです。学校が「個性」を認めようと認めまいと、顔立ちや身体的特徴と同じように、能力も,性格も、好みもみんな違うのです。特性は人間の「運命」に似て、事前の選択は困難です。しかし,人生を歩き始めたあとのがんばりは、個人差もさることながら,教育によって大いに異なって来ます。先生方の励ましによって大きく変わるのです。それゆえ、現実は,「みんな違って」いても、「みんないい」とは限りません。事実,子どもの世界にも,反社会的な性格や欲求が存在するからです。子どもに限らず,人間はみんな違うのです。学校が「違い」を大事にしようという時、子どもはみな似ているという人間観を前提に考えていないでしょうか-「個性」とは,自分に与えられた運命的な特性と本人の人生のがんばりとが綾なす総体的な生き方に現れる特性の意味です。学校は,個性豊かに生きた歴史上の人々の人生を教えてやればいいのです。
現代の学校が為すべきことは,目標を提示し、努力を奨励し、学ぶべきことは学べ,やるべきことはやれ,やってはならぬことはやってはならぬという3つの原則を全部の子どもに教えることです。歴史が証明している通り、そうした中から「個性」ある子どもは必ず育って来るのです。学校がやるべきことをやったあとで、万一、「反社会的な個性」が社会に破壊や損害をもたらしたとしても、それは学校の責任ではありません。学校の責任は、本来学校がやるべきことを十分にやっていないことにあるのです。学校は「個性」のことなど考えなくていいのです。教育が矯正にしくじった「個性」は警察や司法と連携して社会全体で対処すべきなのです。
§MESSAGE TO AND FROM§

沢山のお便りありがとうございました。2回目の10年に踏み出しました。メルマガの時代が来たにも関わらず、変わらずに郵送料や制作費を支えていただき誠にありがとうございます。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
広島県北広島町 久川伸介 様

実践報告のお便りありがとうございました。おみごとな実践でした。学校正常化の原則はあなたがおやりになった3つです。第1に公開、第2に断固たる指針の提示、第3は連携です。思春期の子どもが何ものかになりたいと思わない筈はないのです。先生の情熱が伝染するのです。かつては「感化」と呼ばれました。嬉しいお便りに接し大いに励みになりました。当方でも近隣の中学校への協力が始まりそうです。

山口県下関市 田中隆子 様

世間は理論通りに行かないことはお説の通りです。それを理論通りに実行するのが先駆者です。我が論文は先駆者のために書いております。あなたのことも先駆者と思ったからこそ現行の高齢者施策では“駄目だ“と書きました。これからも書きます。
全ての公立小学校のなかに高齢者の教室を作った飯塚市の「熟年者マナビ塾」も、高齢者が毎日の子どもの指導を担当する「豊津寺子屋」も理論通りです。高齢者の社会的貢献を通して老幼の「生きる力」を向上させています。もちろん高齢者本人の認知症も予防しています。
ゲーム性の楽しいプログラムを住民が歓迎したとしても、そうした施策は往々にして「快楽原則」に流され、「パンとサーカス」を追いかけることになります。哀しいことに、わが社会教育の公民館は住民の喜ぶことのみをプログラム化して瀕死の状況に陥っているのです。
読者の皆さんも、世間は理論通りに行かないことは百も承知でしょう。しかし、自民党政権下では理論通りに行かなくても、政権が変われば、理論的に無駄なダム工事は中止することができるのです。また、無駄なダムを理論通りに中止した民主連立政権ができても,子育て支援理論に反する無駄な「子ども手当」を参院選目当てにばらまいていることも、理論通りに行かない世間の一例です。私財を投じておやりになるのであれば、差し出口は慎みますが、補助金もまた税金だからです。

島根県雲南市 和田 明 様

いただいた巻き紙のお便りは大切にとっておきます。ありがとうございました。生涯学習実践研究交流会と「風の便り」が紡いでくれたご縁のお蔭だと思っております。米子移動フォーラムでの再会を楽しみにしております。

佐賀市 小副川よしえ 様

いろいろお心を煩わせましたみやこ町の「男女共同参画ハンドブック」を巡る交流会の件は、小さな町が引き受けてくれました。結果はいずれ何らかの形でご報告申し上げます。

千葉県印西市 鈴木和江 様

東京を離れて30年になります。留守電をお聞きしました。お声が変わっていらっしゃらないのに驚きました。子どもたちもそれぞれ遠くに行きましたね。変わらずに「風の便り」を支えていただきありがとうございます。お便りを励みに2回目の10年に踏み出しました。

高知県香南市 小松義徳 様

ライオンズクラブの活動何よりです。われわれ高齢者を守るのは「活動」です。活動しているからこそ「元気」と「正常」を保つことができます。その活動も,何よりも社会貢献・社会参画が重要です。生涯現役の真の意味は社会貢献を続けるということであり,新しい著書では、それこそが「あるべき命」であると結論付けました。「ヒト」(ホモサピエンス)を人間にし、ひとたび人間になったわれわれをふたたび「ヒト」に戻さないことこそ教育の最大の使命と論じました。社会的活動を離れたこの国の高齢者教育はその根本において発想が間違っております。先生と四万十川キャンプを論じた頃を懐かしく思い出します。
過分の送料料・作成費を頂戴しありがとうございました。
山口県宇部市  赤田博夫 様
島根県掛合町  和田 明 様
福岡県宗像市  岡嵜八重子 様
福岡県みやこ町 山下登代美 様
福岡県太宰府市 大石正人 様
高知県香南市  小松義徳 様
福岡県岡垣町  神谷 剛 様
福岡県宗像市  大島まな 様
広島県府中町  中村由利江 様

大分県日田市  安心院光義 様
福岡県朝倉市  手島 優 様
大分県日田市  財津敬二郎 様
千葉県印西市  鈴木和江 様
福岡県筑後市  江里口 充 様
埼玉県越谷市  小河原政子 様
北海道札幌市  水谷紀子 様
広島県北広島町 久川伸介 様
山口県長門市  藤田千勢 様
中学生の群読と「同調行動」の向上
縁があって長崎県五島市の崎山中学校の特別指導を引き受けています。直接には何もしていないので隔靴掻痒の思いもあるのですが、校長先生に申し入れて、中学生には今回で2度目の講演をしました。また、学校が当方の意図を汲んで下さって公開研究発表会で全中学生による群読発表が実現しました。思春期真っただ中の中学生が「照れ」もせず、観客の前に直立し、学年別男女別に分担して地元の歌人の“詩歌集”から編纂した「ふるさと慕情」を朗々と吟じました。作品に結晶したふるさとへの思いが若人の連帯を強めたということは想像に余りありますが、当日のできばえは、発声・リズムから暗誦に至るまで、ご指導に当たった先生方は勲章に値すると感じました。各学年別、男女別の集団の朗唱は歌の意味や響きを見事に組み合わせ、朗々たる若人の声は共鳴して会場に深い沈黙をもたらしまし、聞き入った自分が身動きできないほど歌に耽溺していました。
発表後、講演の最前列に並んだ中学生の聞く姿勢もたった2回目で著しく改善したように思います。発表会に備えた同調と集中のトレーニング効果が現れ始めたのだと確信しています。小学生の朗唱効果はすでに各地で実証的に体験しておりましたが、中学生の朗唱の集団同調は迫力もリズムも一層見事なものでした。発表会は、群読に加えて、音楽の先生を中心に教師集団が作詞作曲した「崎山讃歌」が斉唱されました。地元のお客さまはさぞご満足だったことでしょう。群読に使われた資料は、崎山地区ご出身の詩人、故田口照子さんの詩歌集「崎山慕情」から抜粋して紹介されました。そのいくつかは次のようなものでした。

白浜のうしほ汲み来て
人寄せの
さかなに作るかたき豆腐を

たれもたれも
崎山女やさしくてよく働きぬ
今もしかあらん

来し方をはるけき道と思えども
ふるさとありぬ
ありがたきかな

発表会の前日はこの地に伝わる伝統行事:「ヘトマト」でした。一部始終を見物しましたが、周りにいらっしゃった誰にお聞きしても民俗学上の由来も、各行事の意味も、奉納先の神社の故事来歴もよく分からないという不思議なお祭りでした。中学校男子生徒は全員、校長先生以下男性教員の多くが「ふんどし一つ」で参加していました。不甲斐なくも自分はオーバーの襟を立てて、ホッカイロを腰に貼って、それでも震えていた次第です。崎山中は文科省指定のコミュニティ・スクールのモデル校です。モデル校のモデル校たる意義は今もって全く分かりませんが、崎山中が地域に支えられ、地域を支えている学校であることだけは痛烈に理解しました。別項のボランティア論に分析した“ふるき良き伝統的共同体”がそのまま残っていたのです。公民館で行なわれた祭りの参加者の懇親交流会にお招きを頂きましたが、“案の定“、100人近くの参加者の中に女性は一人もいませんでした。いずれは「変わってしまった女」に見捨てられて滅んで行く共同体である、と同席した長崎県の指導主事に予言しました。もちろん、ライフスタイルが都市化した他の中学校と違って、崎山中の生徒たちはふるさと崎山の人々に守られて非行も逸脱も起こらないことでしょう。しかし、彼らはやがて自己責任を原則とする日本社会の孤独と孤立に耐え、弱肉強食の国際社会に出て生き抜かなければなりません。目を輝かせて聞き入る中学生に感奮して「自立と挑戦を忘れるな」、「ひとたび故郷を離れればふるさとは守ってくれないと思え」と保護者にも生徒にも強調しました。また、英語の担当教員には母国語をあれだけ見事に操れることを証明したのだから、次の課題は英語の群読に挑戦してみてはどうでしょう、と助言して戻って来ました。
121号お知らせ

第5回人づくり、地域づくりフォーラムin山口
今年度は、2月13日-14日(土-日)の予定です。関心のある方は山口県生涯学習推進センター(〒754-0893山口市秋穂二島1602、電話083-987-1730)までお問い合せ下さい。

第97回生涯学習フォーラムin若松-みらいネット最終報告会&生涯学習フォーラムin若松

会場:北九州市若松区役所3階大会議室
公開プログラム
■11:30~12:00 【論文提案】三浦清一郎、「やさしい日本人」の再生とボランティア文化(仮)
■12:00~13:00    昼食交流会(お弁当:事務局用意)
■13:00~15:30 【第1部】活動最終報告会
― 休憩10分 -
■15:40~16:50 【第2部】個人別感想、フォーラム参加者の紹介・感想
■ 16:50~17:00 【閉講式】
参加希望者は「北九州市若松区役所まちづくり推進課:093-761-5321に問い合せをして見学許可を受けて下さい。
フォーラム終了後簡単な夕食会を若松で企画する予定です。
編集後記・2010年幕開け

上り坂の君と下り坂の私

新春の箱根駅伝のテレビ中継で、往路の山登りで昨年新記録を樹立した東洋大学の柏原選手がインタビューに答えていたのを偶然聞きました。彼は「ライバルは去年の自分です」と言い放ったのです。インタビューは彼の走る前のことでしたから,注目して彼の走りの結果を見守りました。なんと彼は,その宣言通りに今年も同じ往路の山登りで昨年自分が立てた記録を打ち破ってふたたび新記録を更新しました。まことに天晴れなことです。彼は2年生ですから,大学の運動部の「タテ社会」の中でまわりに適応しながら、自己鍛錬に集中し、最終目的のレースに向って自らのコンディションを持続することはよほどの意志力と精神のバランスを必要としたことでしょう。若いのにお見事な調整ぶりに感服しました。柏原選手に見倣って,自分も同じような“啖呵”を切って見たいものですが、上り坂の彼と急坂下りの自分を同列に置いて考えるわけには行かないだろうと思いました。そこで私の新春の抱負は「せめて去年の自分と同じくらい」としてみました。「下り坂」にとっては同じペースを維持するだけでも高望みに過ぎるかも知れません。大リーグのイチロー選手は当然10年連続の200本安打を目指すのでしょうね!

惚けてんのはどっちだ!

妻に命じられて宗像市の高齢者の特定検診を受けました。年令上「介護予防健診」票に記入しなければなりませんでした。質問は,心身の自立度と日々の充実感に集中しています。たとえば、「バスや電車を使って一人で外出しているか」とか「日常の買い物は自分でしているか-」とか,「手すりを使わずに階段を上れるか」とか「15分以上歩いているか」などです。また,充実度については、最近「充実感を感じない」とか「楽しめない」とか,「役立つ人間だと思えない」とか「ものごとが億劫で、わけもなく疲れた感じがする」などの項目が並んでいます。中には,「電話番号を調べて電話をかけるか-」とか「今日が何月何日か分からない時があるか-」などというのもありました。自立して社会的な活動をしていれば、決して失うことのない「日常行動能力」、「やり甲斐」、「居甲斐」の問題です。
定年後の高齢者を社会的活動に招き入れることなく放置していることが如何に危険であるかを象徴している問診票でした。月日がわかならなくなり,電話番号を調べられない人がこのような問診票に正しく応えることができるか,否かも危ういところでしょう。惚けてんのはどっちだと,いうのが正直な感想でした。
医療や福祉の方々はなぜ教育と連携した施策が打てないのでしょうか-なぜ高齢者の社会参画を奨励するプログラムを提案できないのでしょうか。子どもは、基本的に「ヒト」として出発し、社会化と教育によって「人間」となり、時に,不幸にして、極度の老衰の果て、人間としての成果と精神を失うことによってふたたび「ヒト」に返らざるを得ないのです。教育は「ヒト」を「人間」とし、ひとたび「人間」となった「人間」を「ヒト」に戻さないことを最重要の目標としています。「生涯現役論」は、そのための方法論や努力のあり方を意味しています。高齢社会では、医療や介護の在り方だけが問われているのではありません。人々の「老い方」が問われているのです。

政治家の思考停止

編集作業の最終段階で、ハイチの大地震のニュースが飛び込んできました。日本の対応が遅いと批判された岡田外相は現地が何を,どのように必要としているかを確かめる必要があるので対応が遅いわけではないと記者団に答えた、とテレビが報じました。阪神大震災を経験した日本の外務大臣とも思えない感性の鈍さでアホとしか言いようがありません。水もクスリも食料も医療専門家も被災者を発見する警察犬も足りないことは、聞くまでもなく、最初から分かっていることです。
阪神大震災で自衛隊の出動を命じなかった村山首相は結果的に多くの神戸市民や淡路島の住民を見殺しにしました。また、命令が出なかったことを理由に,部下の自衛隊員を待機させたまま出動を命じなかった自衛隊の将官も多くの市民を見殺しにしたのです。すべて感性の鈍さと思考停止がもたらした人災です。自分が、時の首相だったら,あるいは時の自衛隊の将官であったら,と胸が熱くなります。後でどのように罰せられようと,直ちにとるべき措置をとったものをと,今でも思います。近年の日本人の精神の在り方,思考停止は由々しきことだと思います。
何と最後には,小沢幹事長関係者の逮捕のニュースが飛び込んできました。編集後記の今の段階で,民主党幹部の大部分は幹事長の自己説明を求めていません。彼らもまた彼ら自身が「政治と金」の問題で自民党を批判して来たことをきれいさっぱり忘れ,「政党助成金」を国民の税金からもらっていることも思い出せずに、思考停止し,権力の亡者に成り下がったと言わなければなりません。

「風の便り」(第120号)

発行日:平成21年12月
発行者 三浦清一郎

専門発想の「たこつぼ」化
高齢者プログラムの局所化-山口研修の教訓-

山口研修生が集う生涯学習の同窓会はようやく“遠足気分”を抜けた人生の実践研究交流会に育ちました。皆さんとの議論の中で,学問の「たこつぼ」化は行政の縦割りにも似て,「視野狭窄」状態に陥っていると感じましたので小さな論文を書いてみました。筆者の興味を引いた実践は、多額の補助金を頂いた「認知症の予防」事業でした。プログラムに関わる研修生の熱意も,エネルギーも見上げたものですが,実践を支える基本論理の整理は全く不十分だと痛感しました。以下は実践者に礼を失しないよう気を付けて分析した筆者の「老衰対処」論です。

1 「廃用症候群」の教育的意味
医学用語「廃用症候群」は、「使わない機能」は「廃れる」という意味です。それ故、教育論理や治療の処方に翻訳すれば、人間の諸機能は生涯にわたって適切に「使い続けよ」ということになります。筆者が「負荷の教育論」と呼んできたのも同じ主旨に基づいています。
前著作「Active Senior-これからの人生」において、筆者は、定年後または子育て終了後に、一気に人々の老衰が進むのは「労働」の終焉から新しい「活動」を開始する熟年期のライフスタイルへの移行に失敗し,心身の機能を使うことが激減することに起因していると結論付けました。換言すれば,「元気だから活動するのではありません,活動しているからお元気を保っているのです」ということになります。「活動こそ元気の源」といい続けているのは、「活動を通して人間の諸機能を使い続けよ」という意味です。もちろん、このことは下関市の田中隆子氏が奮闘している「認知症予防」の事業に限ったことではありません。人間の老衰現象全てに当てはまる処方です。彼女が依拠した増田式認知症予防の発想は、認知症を老衰の全体から切り離し,局所的に捉え,心身の機能を「部位」によって分断しているのです。学問的には専門・分化と呼ぶのでしょう。増田方式を考えだした増田未知子氏は,その治療法から想定して、老衰は頭に始まるとお考えになったと思いますが、頭に限られる筈は無いのです。当然、認知症も,認知能力だけが衰えるのではありません。全体の老衰の中で,特に使っていない頭の老化が顕著に出るものと考えるべきでしょう。それゆえ、老衰の予防は,認知症だけを予防するのではありません。老後の心身の機能の低下を全機能に亘って予防するのです。インターネットを調べてみれば、「園芸治療」と呼ばれる認知症の治療法も出て来ます。「園芸」活動が認知症の治療に効果があるのなら園芸と同じような働きを要求する他の活動にも同じような効果がある筈であると想定すべきでしょう。老衰防止とは、あらゆる人間機能の保持を目指すのです。研修を積んだ山口の皆さんは、行政の縦割りは問題であるとしながら、事、老衰防止の予防になると「縦割り」「局所的」対処法に疑問を持たないのは何とも不思議な気がしました。予防治療の一環と位置付けられているとは言え、いい年をした大の男がシーツを使った玉入れやじゃんけんゲームなど、人生に関係のない遊戯などやれたものではないと呆れ果てて毒づいたという次第でした。

2 処方は「全方位的」

老衰防止の処方は「全方位的」です。日常の活動に翻訳すれば,「読み・書き・体操・ボランティア」です。活動の中身は人それぞれですが,頭も身体も気も総合的に使い続けなければなりません。それが個人の心身の機能を保持する基本トレーニングだからです。老後の活動は,当人の心身の機能に依拠し,活動を支える機能は当人の活動が生み出し続けるのです。活動は「発電機」のように,活動によって活動エネルギーを生み出し,自らが生み出したエネルギーによって活動を支え続けるのです。活動を局所的に分断すれば,生み出されるエネルギーも分断されます。総合的な人間は頭だけでは生きられません。身体だけでも、当然、思うようには生きられません。もちろん、精神だけが残っても辛い人生になることでしょう。老衰は人間全体の衰えであり,予防も老衰全体を予防する発想に立たなければなりません。「廃用症候群」の命題は全方位的なのです。それ故,推奨さるべき「活動」は、総合的・社会的な活動でなければならないのです。小学生に「知徳体」の向上が謳われるように、高齢者の老衰防止も「知徳体」の全体です。
しかしながら,ボランティア文化の根付いていない日本の現状には,熟年者の社会的活動をささえるステージがなく、ボランティアを推奨する仕組みもなく、「社会を支えている人」と「社会に支えられている人」を区別的に評価するシステムも不在なのです。社会を支えている人と社会に支えられている人は明らかに違うのです。前者が存在しなければ,後者は存在し得ないからです。社会に貢献して生き続ける人々や労働を続けている高齢者を顕彰するシステムが無いのです。認知症の予防も、情緒的で局所的な事だけを言わないで,心身の活動を継続し、人間の全機能に「刺激を与え続けよ」とだけ言うべきです。それがトレーニングの本質だからです。生きる力は全体です。時に、部分的に鍛える必要はあるでしょうが、それだけでは総合的な活力にはなりません。「認知症」予防のみを取り出して、専門分化し、特別扱いする危険性がそこにあります。
言うべきことは、社会的に意義あることに心身の機能を使い続けよ,という一点です。それが、生涯現役という意味であり、生涯現役を続ける方法でもあります。当然,「認知症」を予防する方法もその中に含まれています。これまで書いた「風の便り」も、拙著「The Active Senior」も、如何に読まれていないかを痛感させられた研修でした。
*後日、参考資料として下関市田中隆子さんから「痴呆(認知症)予防教室(増田方式)に関する調査研究報告書(平成17年、高齢社会をよくする女性の会・京都)のご提供をいただきました。報告書を読むと、脳を中心に人間の心身に各種の「刺激」を与えるという方法ですから認知症が始まった患者の治療には一定の効果はあるものと予想できます。しかし、一般の元気な方に対する予防法としては、「総合性」が欠如し、「現実性」が欠落し、社会的活動の推奨、勧誘の配慮が欠如しているので、「局所治療」の批判は避けがたいと思います。また、「刺激」の与え方は、指の運動から始まり、お手玉、風船バレー、シーツ玉入れなど小手先のゲーム性の遊戯処方が続きます。健康に日常生活を送っている大のおとながやれるようなものではないのです。「塊より始めよ」を遵守して、自分たちが実際にやってみてはいかがでしょうか。日々多様な活動に邁進している方々にとって、如何に退屈で、お粗末な方法であるかが体験的に分かる筈です。

「健康」な「今」と「元気」の「その先」-若松研修の教訓-

福祉部門が展開する健康講座の問題は、「健康」な「今」と「元気」になったあとの「その先」を示さないことです。山口研修会での議論と同様、北九州市の若松講座も発想のたこつぼ化、対処療法の局所化という学問の分業の悪影響を重大に受けていました。
先に論じた山口研修の認知症予防にしても,若松研修のグループが企画した“元気になるための講座”にしても、「元気になること」が最終目的化して,健康な「今」や元気になった「その先」で何をするかという「展望」を全く発想していないのです。両講座とも企画をした人々は、それぞれに意気軒昂で、仲間を楽しみ、工夫に挑戦し、企画の成否を論じて実に生き生きしています。彼らには目標があり,期待があり,自信もあります。それぞれの活動が世の中に意義あるものであることも確信しています。それ故に,企画者ご自身はお元気で、生き生きしていられるのです。しかし、彼らが企画する健康講座では、「活力」は社会的活動の賜物であるという単純な事実を看過しているのです。換言すれば、企画者自身のお元気は,自らの社会的活動から得ているのに,彼らの企画する「元気」講座は参加者の社会的活動をほとんど全く視野に入れていないのです。それ故、認知症予防のプログラムは遊戯的、ゲーム的なものに終始し,健康講座は薬草の作り方やスローストレッチ体操に終始するのです。
「元気」な「今」に何をするのか、「元気」になって「その先」何をするのかをなぜ問わないのでしょうか。福祉分野の活動が自己目的化して、現今日本の高齢者を対象とした健康講座は,「健康」の「今」と「元気」になった「その先」を問うことはないのです。「健康」な「今」や「元気」の「その先」を全く考慮しないということは、高齢者は「世の無用人」であり,「保護の対象」であり、彼らの社会的活動は彼ら自身の選択の問題だと伝えていることに等しいのです。果たしてそれで元気を保ち、元気を取戻せるでしょうか?彼らの生き甲斐ややり甲斐は満たされるでしょうか?元気の方法を学んだあと自らの元気を維持して生きて行けるでしょうか?個人は近未来の人生の目標が見えないのに、ストレッチ体操を勤勉に続けられるでしょうか?
絵を書きたい人は絵を書き続けるために健康でいたいのではないでしょうか?山に登りたい人も,その他の趣味や仕事を続けたい人も、現在のあるいは近未来の目標のために「元気」でいたいのではないでしょうか?
さらに、高齢者の社会参画の問題は、個人の要求課題に留まり,個人の選択に任せればいいでしょうか?高齢社会が到来した時点で,すでに社会は高齢者の医療費や介護費で大いに苦しんでいます。高齢者の社会貢献活動を推奨し,顕彰し,彼らの生涯現役を価値とする思想を説かなくていいでしょうか?
すでに病気と戦っている人を対象とした講座ならともかく,お元気な人を対象として,病気予防や活力の維持の局所的な治療法や特定の身体部位にこだわったトレーニング・プログラムだけでは彼らの活力を維持することは出来ません。自分の明日に目標や期待を持たない高齢者は、元気を維持しても一時的な「元気」に留まることは明らかです。健康法は人々の「元気」を構成する要因のごく一部に過ぎません。元気のカギは当人を奮い立たせる活動であり、活動を通して得られる機能快であり,成果であり,人々の共感と拍手です。老衰が加速する「非活動的」高齢者を見れば明らかでしょう。これに対して,「活動的」に社会貢献活動に関わっている山口研修または若松研修の企画者ご自身のお元気を見れば、元気のカギは人生の目標であり、目標実現のために取組む社会的活動であり,そこから得られるやり甲斐であり,機能快であり、周りの方々の社会的承認の拍手と賞賛であることは明らかではないでしょうか?「元気」講座は「元気」の「その先」にある社会的活動への目標や期待を前提に,「元気」の方法を論じることが重要なのです。

「生涯現役」の評価の差異化は正当か

1「世の無用人」を「有用人」にする法

団塊の世代の退職は大量の「世の無用人」の発生を意味しています。「世の無用人」を「無用人」でなくする唯一の方法は、退職者・定年者に社会的な「たのみごと」をすることです。人々に必要とされれば「無用人」はすでに「有用な」人となるのです。「頼み事」は「高齢者支援」でも、「子育て支援」でも、「まちづくり」でも、「環境保全作業」でも、社会的に意味があればなんでもいいのです。要は、労働のシステムから離れた熟年者が活躍できる地域のステージを準備し、活躍のための費用弁償基金を整備し、行政や学校や民間の関係団体が頭を下げてお願いすればいいのです。公共の「たのみごと」を引き受けた瞬間から、「世の無用人」は「有用人」となり、「社会を支える人」に変貌するのです。

2 「生涯現役」とは「社会貢献」の現役

生涯現役者とは「生涯貢献」の意志をもって「生涯活動」を続けようとする人々を言います。生涯現役者は、当然、生涯健康者であり、生涯活動者であり、生涯貢献者であります。但し、「生涯貢献」の意志を持ち続けても、家族の事情によって、あるいはまた、やむを得ざる社会的条件によって、社会貢献の実践が滞ってしまう場合もあるでしょう。それでも、「生涯現役者たるべき者」は、来るべき生涯貢献に備えて、自身の養生と鍛錬を怠らない者をいいます。彼らは、社会貢献から離れているので、事実上、生涯現役者ではありませんが、志を捨てず、備えを怠らないという点で、「生涯予備役」とでも呼ぶべきではないでしょうか。なぜなら、彼らは、社会貢献の志と同時に、体力、耐性、気力、学力、感情値(EQ)など生涯現役者を生涯現役者足らしめる重要条件を保ち続けていることは疑うべくもないからです。辞書によれば、「現役」の対語は「退役」、中間で待機しているのが「予備役」です。
社会参画が「現役」の前提であるとすれば、老後をお元気に生きるだけでは「生涯健康」ではあっても,「生涯現役」ではありません。「現役」とは、現に「役」を引き受けて、社会に関わり続けるという意味になります。当然,社会的「責任」や「役割」を担い続けるという意味を含んでいます。
もちろん、「社会参加」の仕方,「社会貢献の仕方」は,「自分流」でいいのです。人生の多様な経験を考慮すれば,「自分流」にならざるを得ないのです。生涯現役のあり方もそれぞれのやり方でいいのですが,一生懸命生きるだけでも,趣味を楽しんで生きるだけでも,社会との関わりを失えば,「生涯現役」と呼ぶべきではない、と考えます。安楽余生の福祉プログラムや高齢者のための趣味やお稽古ごとの生涯学習プログラムに慣れ切ったに日本人には「酷」に聞こえるかも知れませんが,高齢者の生き方はもはや個人的な問題であると同時に,社会の問題となったのです。高齢者が日々を無為に過ごすか,あるいは自分のやりたいことだけを、やりたいようにやって,楽をして暮らせば,若い世代の負担を増やす一方なのです。
3 「社会を支えている構成員」と「社会に支えられている構成員」
「生涯現役者」は人生の最後まで社会の役に立つことを重視して生きるが故に、「社会を支えている構成員」です。筆者は新しい本を書くにあたって、高齢期に社会貢献を実行に移している方々こそ「一隅を照らす」光であり、「国の宝」(伝教大師)(*)であるという考えを発想の基本に置きました。文明の進化,福祉の充実,豊かになった日本のお蔭で人権も平等もほぼ保障されるようになりました。しかし、それは全て社会を支えている構成員の働きがあっての結果です。それゆえ、障害や老いに関わらず、社会に貢献し続ける方々を正当に評価しないのは問題だと考えています。人権とか平等とか人間の存在に関する普遍的・法律上の価値論を持ち出すと,如何なる理由によっても人間のあり方を「評価・区別」する考え方は「差別」につながると批判されがちですが,「社会を支えている構成員」と「社会に支えられている構成員」は明らかに違うのです。前者がいなければ,後者は存在しようがないからです。これほど自明なことでも、人権論議の過熱した中で「差別主義者」だと言われないかと恐れながら書きました。「安楽余生」論が蔓延り,老後は引退して楽しく暮らすのが当然だという風潮に満たされた日本で,“まだ働け、というのか”と反発が出るだろうとも予想しています。

上記の主張に対して学文社の編集担当者から質問が届きました。質問には、「社会を支えている構成員」と「社会に支えられている構成員」の評価は異なるべきだとして、両者を「どのように区別し、評価するのですか」とありました。質問の背景には「生涯現役」の評価の差異化は果たして正当か、というご意見が含まれていると想定いたしました。

4 生涯現役者の顕彰システムの構築

筆者の考えは変わりません。「社会を支えている構成員」と「社会に支えられている構成員」との評価は違って当然なのです。貢献の意志こそが優れた人間の証明であると言いたいと思います。現代日本は,老いてなお、社会貢献を続ける人々に対する評価が不十分なのです。「社会を支えている構成員」と「社会に支えられている構成員」を区別しないことの方がおかしいのです。彼らは「一隅を照らす国宝」の方々なのです。
労働から離れ、社会との関係を断って,自分だけの生活を主とし,安楽な隠居生活を趣味・娯楽・お稽古事のたぐいで埋めている人々を,「生涯現役」の内に含めなかったのはそのためです。学業にも職業にも関わろうとしないニートのような人々を厳しく批判して来たのも,そのような人々を庇護し続ける家族や社会を批判して来たのも同じ発想からです。社会を支えている人々は、社会から支えてもらっている人の人権も、権利も支えているのです。日本は、一方で、平等や人権の原理の制度化を達成しましたが,他方では、勤労や貢献や奉仕を大切にする心を軽んじていないでしょうか?自己実現や自分らしさが強調される一方、「おかげさま」を忘れ,「一隅を照らす方々」を軽視し,社会を支えている人々の顕彰を忘れているのではないかと恐れます。
編集担当者の質問への答は簡単明瞭です。「生涯現役」の評価を差異化するためには、「生涯現役者」を顕彰し、退職後の社会貢献活動を奨励するシステムを作ることです。一例として『高齢者ボランティア活動基金(仮)』があるでしょう。
東洋哲学者安岡正篤氏は、伝教大師が唱えた「一隅を照らす」人々を、評語化して「一灯照隅 万灯照国」とした、と前号に書きました。評価を区別するためには、『活動基金』の活用によって、「一灯」を掲げるものを社会的に顕彰し、生涯現役を「推奨されるべき」生き方として奨励し続けることです。

「未来の必要」
(30周年記念出版の編集会議が軌道に乗りました。以下は参加者にお願いした協議と分析の視点です。)

1 生涯学習機能の過小評価

政権交替を含め、時代があらゆる面で変化しています。変化は必ずわれわれに新しい状況への適応を要求します。生涯学習もあるいは社会教育も今までの仕組みややり方を全面的に評価し直す時期が来ているのだと思います。
近年の政治は明らかに,社会教育も生涯学習も評価していません。故に,予算が削減され,人員が削減され,公民館を始め社会教育・生涯学習関係の施設も確実に指定管理制度によって行政の直営から外れています。この傾向は今後ますます強まって行くと予想されます。生涯学習概念の登場によって,社会教育は生涯学習と等値され、教育者を主役にする生涯教育の概念は否定されました。行政システムにおいても,社会教育課の看板はほとんど全て「生涯学習課」に書き換えられました。にもかかわらず社会教育法は軽微な部分修正に終始してそのままに放置されました。少子高齢化を始め、時代の緊急課題が噴出する中で,そうした課題に対処すべき、社会教育法に代わる新しい生涯学習を推進する法律も制定されませんでした。また、臨教審時代に別途制定された生涯学習振興法はほとんど全く現実に寄与していません。そのことは、現在、誰一人この法律の存在を論じないことからも明らかでしょう。教育基本法の改正における生涯学習の捉え方は,生涯にわたる“国民の修養”と等値され、技術革新に伴う社会的適応の必然性の視点を完全に欠落しました。生涯学習の必要は国民に修養のためではなく、間断なく発生する社会的条件の変化の連鎖が生み出したものであることを忘れているのです。もっとも重要な教育の基本法においてすら、国民のあるべき生涯学習を立国の条件として認知しなければ、その推進の仕組みや実践の推奨が政治課題、行政課題になる筈はないのです。生涯学習の機能は立法関係者の不勉強の結果、明らかに過小評価されているのです。

2  国民主体と国民放任の混同

更に,基本法の改正は家庭教育に関しても重大な状況判断のミスを犯しました。「早寝早起き朝ご飯」のスローガンに象徴される家庭の教育機能の衰退に直面しているにも関わらず,状況を補完すべき社会教育のあるべき指針は提示されませんでした。学校の閉鎖性や学校外の子どもに対する非協力性も不問に付され、関係分野の連携の「在り方」も謳われる事はありませんでした。驚くべきことに,一方で、家庭の教育機能の重要性を喚起しながら,現状に目をつぶって、過保護の親を過信し、「家庭の自主性」を尊重するという文言が条文に挿入されました。国民の主体性を尊重するということと現状の国民を放置することとが混同されたのです。事、生涯学習に関する限り、教育基本法の改正は,時代の分析と立国の条件を忘れ果て、本質を外した誠にお粗末な条文になったのです。

3  「生涯学習格差」の深刻化

一方、登場した生涯学習の思想と実践は,第1に教育行政の努力、第2に時代が求めた変化の連鎖現象が相俟って、広く国民の間に浸透しました。現象的には,市民が学習の主体となり,学習者の量的拡大、学習課題の範囲の拡大が顕著にみられました。生涯学習はようやく多くの国民の常識の域に達し,日常の実践的課題となりました。しかし,生涯学習概念の導入以来、2つの重大な問題が発生し、進行しました。第1は,学習が「易き」に流れた事であり,第2は「生涯学習格差」が拡大し続けた事です。社会生活上の指針や法律上の規制を課さない限り,人間の行為が易きに流れることは欲求の実現を求める人間性の自然です。生涯学習の選択主体が国民になった時点から,学習の機会と選択の仕組みは教育行政の任務とされながら,学習内容と方法の選択は国民に任されました。その結果,人々の学習は、「社会の必要」から離れ,「個人の要求」を重視したものに傾きました。
社会教育行政が辛うじて保って来た「要求課題」と「必要課題」のバランスは崩壊し,内容・方法の決定にあたって、教育に関わる専門家の参画は一気に低下し、国民の興味・関心は、楽で、楽しい「パンとサーカス」を追い求めるプログラムに集中しました。少子高齢化が進行し,日本国家の財政難が明らかになった今日、“人々の娯楽や稽古事をなぜ公金を使って提供するのか”という政治・財政分野の批判的意見は誠に正鵠を射ているのです。公金の投資が社会的課題の解決に寄与しないのであれば,予算・人員の削減は理の当然の結果だったのです。日本社会がその特徴としてきた「行政主導型」の社会教育・生涯学習の推進施策が失速するのも当然の結果なのです。
もちろん、学習の選択主体となった市民は「選択を拒否する主体」ともなりました。その結果、生涯学習や生涯スポーツを「選んだ人」と「選ばなかった人」との間に巨大な人生の格差が生まれつつあります。変化が連鎖的に続く時代状況は、必ず変化に対する適応の「成否」が問われる時代になります。故に,「生涯学習」の成果が、個人の生活に重大な影響を及ぼすことになるのです。高齢社会において,健康に関する学習や実践を怠れば「健康格差」が生じ,情報化の時代において、情報機器が使えなければ「情報格差」が発生し,人生80年時代において、活動を停止した高齢者には「交流格差」や「やり甲斐」の格差が発生する事でしょう。社会的条件の変化が生涯にわたって連鎖し続ける時代背景を想定すれば,生涯学習によって学んだ事の格差は、社会的課題についても,発達課題についても、個人の適応の成否を分け、人生の明暗を分けることになるのです。「生涯学習格差」の深刻化 が放置されれば,あらゆる分野で社会問題を引き起こす要因に転化することを恐れます。技術革新が続き国際化や情報化が“待ったなし”の条件下で,国民の生涯学習に遅れを取った社会は、産業でも貿易でも立国の条件に遅れを取ることになります。さらに、子育て支援の施策に失敗すれば,未来を支えるべき生産人口は減少の一途を辿ります。高齢者の自立と生涯現役を続ける活力と思想の涵養に失敗すれば,社会は活力を失い,財政負担は次世代の堪え難いものになることは火を見るより明らかです。日本の生涯学習振興行政はこれらの全てに失敗したのです。

4  評価視点の偏向

政治も行政も「パンとサーカス」に走った生涯学習の「負」の結果には正当な評価を下しました。しかし、変化に適応し,立国の条件を形成する生涯教育の「貢献」の重要性を見落としたのです。少子高齢化が引き起こす問題を解決するためにも,国際化,情報化の変化に適応して行くためにも、国民の「適切な学習」が不可欠です。それゆえ、国民の適切な生涯学習の継続こそが立国の条件になり得るのです。教育基本法の改正にも,社会教育法の改正にも,立国の条件となり得る生涯学習振興の適切な指針は盛り込まれませんでした。誰も語ることのない生涯学習振興法も、市民が果たすべき「適切な学習」の中身と方法を問うことはありませんでした。「生涯学習の振興」が立国の条件を形成し,現行行政分野のほとんど全てに関わるという事実にも関わらず,当時の,文部省と通産省のみが参加した「生涯学習の振興」のための法律にどれほどの意味があるのか,その後の政治も,行政も問い返すことはありませんでした。勉強の足りない政治家はもとより,担当官庁やその周りにいる学者達は一体何をしていたのでしょうか。現行行政の縄張りや省益に振り回され,あるべき「仕組み」も,為すべき目標も示されませんでした。生涯学習機能の評価に偏向や怠慢があったと言われても仕方がないのです。

5  指針なき「適切な学習」

民主主義の原則を教育に適用し、生涯学習の選択主体は国民であると突き放した時、各分野の専門家の支援なくして、市民は「適切な学習」に戻ることができるでしょうか。法や政策に示される指針を欠如したまま、生涯学習にふたたび「社会の必要」の視点を導入することは可能でしょうか。生涯学習に「社会の視点」を導入するという事は、現行の国民主体の学習に、諸分野の専門家が発想するあるべき生涯教育の視点を付加することを意味します。
教育基本法や社会教育法など諸法律の改正は、生涯学習の意義と方向を示し,実践の仕組みと指針を提示し,市民に「適切な学習」を推奨することが任務だった筈なのです。確かに、文部科学省も「現代的課題」とか「新しい公共」という視点から、あるべき「適切な学習」を摸索しました。それでも根本において、学習の選択を国民に委ね、滔々たる「要求対応原則」の流れの中では、惨めな失敗に終ることは当初から明らかだったのです。現行の生涯学習が政治の信頼を失ったのも,結果的に、生涯学習推進体制が衰退したのも、政治や行政自身がその真の重要性を理解せず,法も施策もあるべき方向と指針の提示を行なわず、日本の生涯学習が「適切な学習」の選択に失敗したからなのです。
6  「未来の必要」の分析は「未来への提案」を答とする

生涯学習を「未来の必要」から論じるということは、時代が必要とする「適切な学習」とは何か,を論じる事です。「未来の必要」を論じる事は,社会の必要課題を解決するための「あるべき生涯学習」を論じる事です。「あるべき生涯学習」と言った時点で、第1に生涯学習は生涯教育の必要を包含し,第2に現行の行政の枠組みに囚われることなく,第3に学習は国民の選択に委ねればいいのだという発想を捨てなければなりません。この時点で生涯学習施策は政治課題となり、行政施策の優先順位を決定する事業仕分けの対象になるのです。
過去30年の発表事例を整理してみれば、その中のもっとも優れた事例と思われる実践ですら、現状の枠の制約に囚われ,現実の条件に妥協した「過去の実践」の部分修正の事業です。われわれ大会実行委員がまとめた過去3回の記念出版における分析も、これまでの基本は,現状を前提とし,現実の条件を如何に工夫したかを評価の視点に置き,「未来の必要」から事業を論じることはありませんでした。結果的に,ほとんどの事業は行政の縦割り分業に制約され、中央行政が提示する補助金行政に制約され,中央が提示する施策の適否を評価することなく実践を続けて来たのです。30年の実践研究を振り返って,福岡県立社会教育総合センターの調査研究室は追跡調査を実施しました。その結果、優れたモデルと評価された事業も、事業自体が財政上の理由や担当者の交替や状況の変化によって中断されているものが多いことが分かりました。
今回は30年の歴史に学び、蓄積してきた事例を土台にしながらも、事例の現実を分析の出発点にしないことを決めました。代わりに,当該事例が真に未来の必要に応えようとすればどのような実践であるべきなのか,「未来の必要」を評価の視点に置きました。「未来の必要」から見たとき、実践事例はあるべき仕組みの中に位置付けられなければなりません。現状でうまく進めたか,否かではなく,本来どうあるべきなのかを問うことにしたのです。「未来の必要」を分析の出発に置けば,事業分析はあらゆる面で、今後のあるべき方向を理念的にも具体的にも提案しなければなりません。「未来の必要」から論じるということは「未来への提案」を答とするものだからです。30年の実践研究はようやくわれわれの目を開いてくれたような気がします。記念出版は,歴史を振り返り,発表事例を分析の素材にすることは間違いありません。しかし,現状を前提にして“優れたモデル”を抽出したとしても、その解説をして総括に代えることは未来の処方を提案したことにはならないと気付きました。現状の枠に縛られた事例は,数年後の近未来にすら通用しない場合があることは、過去30年の検証によって明らかなのです。過去3回の記念出版は,現存する実態をやむを得ない所与の条件として受けとめ,その範囲で何ができるか,どう工夫すべきに分析の努力を傾けて来ました。

7  30年の蓄積は「未来」を発想する触媒

今回は,過去の優れた事例に依拠して、当該事例が本来目指すべきであった「理想型」の分析と提案にこだわりました。それ故,過去の事例に依拠しながらも,執筆者の新しい発想をどんどん加えて、社会教育も生涯学習もかくかくしかじかの内容と方向で行なうべきであるという提案を行なえるよう全力を傾けました。現状を前提にした場合,システムを改善すれば,簡単に「できること」まで、現状ではできないという答にしてしまいます。
編集会議の議論の過程で、実情論、実態論から遊離すれば,実践の指針にはならないのではないかという悲観的意見も当然出されました。しかし、政権交替によってダム工事を中止することができるように,現行の仕組みを変えることさえ出来れば,生涯学習に生涯教育を加味することも可能であり,ザルのような社会教育法に未来の学習の指針を盛り込むことも十分可能だと考えました。「未来の必要」を論じることは、いまだ実現していない事業の在り方を論じることになりますが,夢物語を回避し,空論を避けるためにこそ実践研究交流会30年の事例の蓄積を活用すべきであると考えました。中・四国・九州の各地で現実と格闘しながら積上げて来た30年の蓄積は「未来」を発想する触媒になり得ると確信しています。
政権が交替し、民主連立政権が掲げたマニフェストは「未来の必要」,「未来との約束」であった筈です。賛否は別として,マニフェストが現実のものとなるまで、その中身は架空の夢物語であると評価されたものも多かった筈です。今、われわれは、政権が交替したとたんに、夢物語であった筈のマニフェストが、国民との契約として、具体的に現実の実践に翻訳されて行く過程を目の当たりにしているのです。
過去は参考にするが,過去の延長線上の部分修正の分析はしないことを本書の方針とします。現状を前提とせず,未来の必要を分析の視点とします。過去の専門化と分業化にとらわれず、未来の必要からあるべき仕組みを総合的に構想します。各執筆者には,過去の実践を素材として,新しい生涯学習の目標と方法を論じていただきました。今、日本社会がおかれている状況、女性がおかれている状況、高齢者がおかれている状況、子どもがおかれている状況、学校の現状をどう変えるべきなのか,今までは出来なかったが,未来は、こうでなければだめだという視点と中身を是非とも提案していただきたいとお願いしました。
執筆は実行委員会が過去の優れた実践事例を抽出し,関係者の評価の視点を集約し、執筆者が草稿に落したものを編集会議で討議の素材とし,各人が提案する追加点と修正点を加えた上で最終執筆を行ない原稿としました。

8  マニフェストの手法

過去3回の記念出版も当然編集会議を経たものではありますが、厳密な編集方針を確認することも,執筆者に指針を守ることを要請することもしませんでした。結果的に,各提案に対する討議は感想のレベルに留まってしまいました。政策の理想型も,プログラムの理想型も、思い切って現状の枠組みを否定してみないと出てこないと気付きました。本書も,政治に倣ってマニフェストの手法を導入しました。賛否は別れても、政治が採用したマニフェストの手法は、提示された「理想型」を国民が選択して現行の仕組みを変えたのです。社会教育も生涯学習も、未来の必要から未来の指針や目標を設定し、あるべき仕組みを想定し,国家の課題、国民の必要に対する処方箋を提示し,国民の選択をせまることが重要なのだと思います。日本の生涯学習は、国民の選択に基づき、楽をして、楽しくやればいいんだという実態が最大の問題です。生涯学習が現状に留まれば,国家は立国の条件を失い、われわれの実践研究の意味は失われ、関係法規の意味も,社会教育行政の存在意義も問われることになるのです。

120号§MESSAGE TO AND FROM§

沢山のお便りありがとうございました。特に,過疎対策と義務教育の農山漁村留学制度の組み合わせに熱い賛同のご意見を頂き喜んでおります。30周年記念出版の編集を「未来の必要」に視点を当てて開始いたしました。小論「未来の必要」はその序文のつもりで書きました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
北九州市若松みらいネットの皆様、山口ボロボロの会の皆様
懇親会で十分に語り尽くせなかったことを「元気のその先」の小論にまとめました。なぜ、お元気な高齢者まで保護の対象としてみるのか。福祉に蔓延している保護の姿勢が高齢者の活力を奪っていることに憤りを感じながら,断じて自分は健康事業の保護対象にはなりたくないという思いをまとめてみました。

福岡県八女郡黒木町 横溝弥太郎 様
未来を人的資源に依拠し、教育に人生を賭ける傾向の強い日本では、地域に義務教育の学校がなくなれば、若い世代は出て行かざるを得ません。もちろん、だれも子ども連れで引っ越して来る人はいなくなります。それゆえ、地域は優れた義務教育学校を中心に繁栄し、義務教育学校の消滅を機に没落して行きます。歴代の政治はこうした単純な論理を見過ごし、タコつぼ化した教育行政はいまでも国土の均衡発展など一顧だにせずに学校の統廃合を進めております。賢い筈の日本人が何とも哀しいことです。

山口県下関市 永井丹穂子 様
世間広しと言えども、拙著をお歳暮代わりにお使い下さったのはあなたが初めてです。恐縮の限りです。自分を拾いあげて下さった学文社の三原編集長にも約束いたしましたが、今後の一層の精進をお誓い申し上げて感謝の言葉といたします。

ご支援御礼
過分の郵送料ありがとうございました。
東京都     池田和子 様
佐賀県多久市  田島恭子 様
同       林口 彰 様
同       中川正博 様
佐賀県多久市      横尾俊彦 様
長崎市         藤本勝市 様
北九州市        古中倫子 様
福岡県宗像市      赤岩喜代子 様
山口県長門市  藤田千勢 様
宮崎市         飛田 洋 様

120号お知らせ
第95回生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年1月23日(土)15-17時
場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)
発表者;九州共立大学准教授 永渕美法
飯塚市教育委員会指導主事 小林広史
終了後センター食堂において夕食会

第96回生涯学習フォーラムin米子
1月30日(土)18:00-;交流会:鳥取県日吉津村「うなばら荘」
1月31日(日)午後;インタビューダイアローグ
テーマ:「まちづくりと学社連携」、
登壇者:鳥取側2名、福岡側3名(予定)
司会:三浦清一郎
会場:鳥取県伯耆町「鬼の館」13:30-16:30
連絡先:鳥取県伯耆郡日吉津村教育委員会(Tel: 0859-27-0211橋田和久様)

第5回人づくり、地域づくりフォーラムin山口
今年度は、2月13日-14日(土-日)の予定です。関心のある方は山口県生涯学習推進センター(〒754-0893山口市秋穂二島1602、電話083-987-1730)までお問い合せ下さい。

第97回生涯学習フォーラムin若松

参加希望者は「北九州市若松区役所まちづくり推進課:093-761-5321に問い合せをして見学許可を受けて下さい。
みらいネット最終報告会&生涯学習フォーラムin若松

会場:北九州市若松区役所3階大会議室
公開プログラム
■11:30~12:00 【論文提案】三浦清一郎、「やさしい日本人」の再生とボランティア文化(仮)
■12:00~13:00    昼食交流会(お弁当:事務局用意)
■13:00~15:30 【第1部】活動最終報告会
― 休憩10分 -
■15:40~16:50 【第2部】個人別感想、フォーラム参加者の紹介・感想
■ 16:50~17:00 【閉講式】

フォーラム終了後簡単な夕食会を若松で企画する予定です。

編集後記

希望と目標を忘れれば事は成らず、足るを知らざれば、日々は哀しい。故に、感謝して頼らず、望んで怠らぬよう努めて行きたいと思います。今月号をもって「風の便り」は10年、120号となりました。支えて下さった読者の皆様に厚く御礼申し上げます。沢山の方から過分の郵送料を頂戴いたしました。年ごとに読者が入れ替わり、古い読者の反応を失うたびに、ご好意に応え得る研究や仕事をしなかったのではないかと恐れます。1年「更新」の手続きを厳格に守って来たのは、読者の評価は甘んじて受けなければならないという覚悟を貫徹したいと願ったからです。
出発から今日まで、福岡県立社会教育総合センターの歴代の職員の方々にはいろいろ助けていただきました。現飯塚市の森本精造教育長が所長でいらっしゃった時に始めた「生涯学習フォーラム」も94回を終了いたしました。「風の便り」はフォーラム勉強会の広報紙のつもりで続けました。また、この間書き綴ったフォーラム論文の多くは、嘉飯山地方の月刊誌「嘉麻の里」に連載していただきました。仲介の労をお執り下さった正平辰夫東和大学教授、大庭星樹編集長のお蔭です。
徒手空拳で始めた「風の便り」の製作は上記センターの印刷室をお借りして手づくりで行ないました。その行程において編集,印刷,折り込んで封筒に入れる発送作業まで全ての行程に手を貸していただいた九州共立大学の永渕美法准教授の支援がなければ到底続けることは不可能でした。100号まで書いて,初めて,「風の便り」は広報紙から研究誌に重点を移し替えました。これ以上よそ様にご迷惑をかけるまいと,コンピューターのレッスンに通い、自前の編集をするようになり,101号からは,印刷も専門の業者に依頼するようになりました。この頃から「メルマガ」の発信も始めました。今後しばらくは現在の方式で進めることになると思います。
お蔭さまで10年,敢えて、マラソンの折り返し点にあたるものと考えようとしています。数々のご支援本当にありがとうございました。これから先は、体力・気力との勝負です。志半ばに倒れるようなことがありましたらどうぞご寛容にお許し下さい。
加齢とともに,避けがたく心身の衰えを日々実感するようになっています。ますます時間が惜しまれます。花を見て来年の花に逢いたいと思い,紅葉を見て次の年の秋に逢いたいと思います。宮城谷昌光氏の小説の中で荀子が言ったという「積土の山を為さば,風雨興る」という一節に出会って以来,少しでも高い山にするよう研鑽を積んでおりますが,我が積んだ土はまだ小さな丘にもなっていません。せめて丘になるまで生き延びてかすかにでも風の興るのを見たいものと切望しています。

燃え尽きる予感の中を歩み来て
あわれ
今年の師走に至る

菊開き著者校正の届きたり
新しき書を
世に問わんとす

年を経ていよよ赤々咲き誇る
さざんかの下
あこがれて立つ

(沢山の人に支えて頂いて生きました。人は人の間で生きる,ということをあらためて自覚し,ありがたく実感しています。「風の便り」も「フォーラム」も世に問い始めた著書も全て巡り逢った方々との出会いの賜物でした。)

あの人もこの人も
今日を導きて
我が晩年の道をしめせり

いつしかに
120号書き綴り
我が歳月に安らぎを知る
歳月は過ぎての後に
有り難く
120号妻に差し出す

ありがたく言うべきことを探せども
思い当たらず
ただありがたし

今日よりは
新しき日を生きんとす
思いばかりが逸るこの頃

水仙のにわかに伸びて
わが庭に
師走の香り運び来たれり

(ミニチュア・ピンシャーのカイザーとレックスを連れて雨の日も風の日も森を歩きました。お蔭で足腰は鍛えられ,心肺機能もさほどの衰えを感じませんでした。社会的に戦わねばならなかった5年の歳月も病気をすること無く乗り越えました。天が味方をしてくれたと言う思いが強くあります。)

かたわらに赤犬2匹寄り添いて
我が晩年は
華やぎにけり

世は移り吾も年老い
森の木も
枯れて切られて横たわりたり
信仰の身にはあらねど
この歳月
吾を見守る神のおわすか

事故も無く病も得ずに
戦いし
この10年のありがたきかな
(「肩書き」を失い,「世の無用人」となって、いくつもの出版社に体よく断られたわが原稿は、学文社の三原多津夫編集長の一諾によって世に出る道を得ました。著書は、結果的に,「無用人」であった自分に「有用」の証を与えてくれました。もちろん、新しい活動の可能性も拓けました。現場を訪ね、人々の活動を取材して研究成果を世に問うことは、我が晩年の天職と思っています。)

学文社出会いの縁の有り難く
歳月を経て
いよよますます

冬の日に咲き誇りたる山茶花に
こがれて吾も
著書を世に問う

薄れ行く視力恐れて
仰ぎ見る
空のまばゆさ末期の景色

静かにも冬の来しかな
1年のことを為し得て
森を巡りぬ