「風の便り 」(第125号)

発行日:平成22年5月

発行者 三浦清一郎

長年一緒に活動して来た友人が四十数年の公務員生活を終えて退職しました。今は身辺整理やあいさつに忙しいでしょうが、それらのことが一段落した後、ほっとして油断すれば立ちどころに「自由の刑務所」に収監されます。「自由の刑」とは、文字通り自由が基本であり、あなたはどこへ行っても、何をしてもいいのですが、定年という事実は「する」ことも「行く所」もなくなるのです。これまで、現役の時代に、多くの人々がお辞儀をして来たのは「自分」にではなく、「自分の机」にであったこともやがて分かります。やがて「自分は何者なのか」という問いが始まります。果たして「自分はこの世に必要とされているのか」という問いも始まります。「定年うつ病」が急上昇するのはそのためです。解決策はたった一つです。労働に代わる活動を始めることです。彼の長い行政経験が最も生きるのはNPOでしょう。新しい著書の整理も兼ねてNPOが日本社会に何をもたらしたのか、個人にとってNPOの意味は何か、を整理してみました。

労働と並立したボランティア-NPOの登場-

1 NPOは労働と並立したボランティアです

原理的に、ボランティア活動は「労働」ではありませんが、「労働力」ではあります。「草刈十字軍」や「森林ボランティア」がかつて労働で処理してきたことを、ボランティアの活動で処理しているという事実がその証明です。当然、その逆も起り得ます。かつて、ボランティアが行なってきた福祉分野の奉仕やサービスの多くは、今やプロが担う「労働」になりました。「介護」の社会化がそれです。ボランティアが担当していた福祉サービスを「買う」時代が来たのです(*1)。ボランティア無償性の原理も、ボランティア「非労働力」論の論理も高齢社会の変化には抗し切れませんでした。NPOはボランティア活動の「労働化」の結果として生み出された活動です。 高齢化は介護の社会化を必然的に進めました。同様に、男女共同参画思想の浸透は養育の社会化をもたらしました。 高齢社会の介護は老老介護の現象一つを見ても、すでに家族・家庭の担当能力を越えてしまったからです。当然、介護に関わる専門の人々を配置しなければなりません。「有償ボランティア」(*2)によって福祉を買う時代が来た、と書物は指摘しています。長期で継続的なボランティアに「費用弁償」は当然の配慮です。NPOは労働と並立したボランティアが職業化した現象であると考えるべきでしょう。高齢化が進展して、まずは福祉分野に介護の社会化の時代が来たのです。職業としての介護が広く社会に認知され、「ヘルパー」という新語も生まれました。プロに労働の対価を支払うのは当然のことであるように、継続的なボランティアに「活動の費用」を支払うのも当然の配慮です。ボランテジアが組織化されてNPOになったということは、「職業化」し、「労働化」したということです。NPOに「労働の対価」を支払うのも論理の必然です。介護の社会化や養育の社会化が始まった現在、従来の「奉仕」論に引きずられた我が国のボランティア「ただ」論は非常識の限りなのです。福祉には様々な活動場面があります。プロとボランティアの線引きは決して簡単ではありません。職業としての介護が成立したということは、すでに介護が「労働」になったということを意味しています。ボランティアが「奉仕」として社会的弱者の世話や介護を担当してきた時代は変わったのです。福祉分野におけるボランティア「ただ」論も変わらざるを得ないのは当然なのです。

(*1)  M.マクレガー・ジェイムス/J.ジェランド・ケイタ-、小笠原慶彰訳、ボランティア・ガイドブック、1982年、pp.204-205

(*2) 「有償」とは、労働の対価を受け取るということではありません。活動の「費用弁償」を受けても労働の対価を求めないという意味です。労働の対価を求めるのならば、その活動はすでにその時点で「労働」であって「ボランティア」ではないからです。

2  NPO法と新旧2種類の日本人
現代の日本人には、新旧ふたりの日本人がいます。町内会の役員をまじめに引き受けているのは「従来の日本人」です。「従来の日本人」は、好むと好まざるとに関わらず、共同体のために働くことは己の義務であると考えています。それは共同体がもたらす「共益」の分配を受けるための条件だからです。それゆえ、「従来の日本人」とは多くの点で個人としてではなく、共同体の成員として活動に参加しています。町内会の役職もかならずしも喜んで引き受けているわけではありません。筆者は、近年、公民館長も務めましたが、それもくじ引きで決まったからにほかなりません。従来の日本人は共同体を重んじ、「共益」を分かち合う集団中心の発想を重んじてきました。共同体の発想に逆らってまで自立を主張するには、世間は厳しすぎ、日本人の主体性は柔すぎたのです。 ところが自分の中にもう一人の日本人がいます。ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分です。これらの活動はすべて筆者自身の主体的な「選択」に基づいています。みずからの興味と関心を出発点としています。活動の責任は自分にあることは十分自覚していますが、活動への義理や、義務感に縛られているわけではありません。少なくとも活動の出発点においては、みずから「喜んで」、「善かれ」と思って始めたものです。誰かに言われたから始めたのでも、義理で始めたものでもありません。自分が「好きで」「選択した」のです。それゆえ、生き方の「選択制」こそが主体的な活動の特徴です。そうした活動の選び方をするのが「新しい日本人」です。言うまでもありませんが、筆者の親しい人間関係は「従来の日本人」の中にはありません。「新しい日本人」の中にあります。人間関係もまた自らの責任で選択した結果だからです。

3 「新しい日本人」の代表はボランティア
共同体を離れた新しい日本人はボランティアに代表されます。新しい日本人の選択と決定は、基本的に既存の組織や共同体とは関係ありません。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られません。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいています。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌います。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおきます。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第となります。新しい日本人は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじます。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視するのです。当然、新しい日本人は「自分流」の時代に生きています。 しかし、「古い日本人」と「新しい日本人」は別々に独立して存在するわけではありません。一人の個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するのです。このことは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということを意味しています。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのです。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まります。NPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互扶助を重視する発想もあります。変化の時代は常に過渡期ですから、様々な活動が錯綜するのは当然なのです。 この過渡期にあって、NPO法は「新しい日本人」の活動を促進するための法律として誕生しました。NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということがそのことを象徴しています。どのような活動を選ぶか、選択の主体は個々の市民です。

4  “ボランティア先進国”には遠い
平成10年3月、日本のNPO法が成立しました。珍しいことに議員立法による制定でした。この法律の目標は、ボランティア先進国を目指すものである、と立法にかかわった熊代氏はその希望を記しています(*1)。熊代氏によれば、ボランティア先進国とは「やさしさと思いやりに満ちた社会」という意味です。しかし、これまでの共同体も「やさしさと思いやりに満ちた共同体」であったことは多くの人が指摘しているところです。共益を分かち合って生きた、人情味溢れる共同体の相互の助け合いを懐かしむ人も多いのは周知の通りです。その観点から見れば、共同体的人間関係が薄れた都会は人間の”砂漠”であると演歌が歌った通りです。 このことはボランティア先進国における「やさしさと思いやりに満ちた社会」と、従来の共同体における「やさしさと思いやりに満ちた社会」とは質的に異なることを暗示しているのです。個人の中に新旧二人の日本人がいるということはボランティア先進国はまだまだ遠いということを意味しています。共同体発想の「奉仕」と「日本型ボランティア」が混同されてボランティアが盛んになっているような錯覚を生じているのでしょう。
(*1)  熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、まえがき

5  「自治」と「公益」-存在しなかった「市民活動促進」のための法律
近年、都市を中心に、自主的で、多様な市民活動が徐々に拡大しています。しかし、NPO法が登場するまで日本社会には自由な市民活動を支援する法律は存在しませんでした。NPO法は市民活動の内容を「特定」かつ「非営利」に限定しました。「特定」とは指定された分野があることを意味し、「非営利」とは「再分配のために利益を追求しない」という意味です。そのため名称は「特定非営利活動促進法」(以下NPO法)と決まりした。NPO法は、初めて、「法」によって「市民活動」を促進するシステムを具体化したのです。その目的はボランティア活動と重なり、「自治」の拡大と「公益」の増進が2大目標です。活動の「自己責任」が強調されるのは、市民活動の自由と自治の思想が活動の根幹にあるからです。また、「不特定多数の人々のための利益」が活動の目標になるのは、「公益」の思想に由来しています。「不特定多数の人々」とは「一般的他者」と同じ意味です。「公益」とは英語のPublic Interestの意味ですから、これもまた精神において、ボランティアの「社会貢献」と重なります。市民活動における市民とは自らの自治によって、公益を支える人々という意味になり、ここでもボランティアの精神と同じです。共同体文化と根本的に違うところはサービスの対象を市民社会一般に拡大したということです。 NPOによる活動が盛んである社会とそうでない社会の違いは、文化の中にボランティアや住民自治の思想が強く育まれていた社会とそうでない社会の違いであるということになります。日本社会は「お上」に寄り掛かって来た風土でしたから自治の精神も、ボランティアの精神も希薄でした。共同体は一見自治機能を有していたように見えますが、集団と対立する個人の自由は認めていませんでした。行政の下受け組織の側面が強かったことも周知の事実です。それゆえ、共同体集団における個人にとって、住民自治の発想は遠いものであったことは言うまでもありません。NPO法の発想は、共同体には決して存在することのなかった個人の自由と自治思想を結合したものです。法律の名称が「特定」の「非営利」の活動を「促進」する「法律」というように長い「説明文」になっていて、通常は横文字の略語で呼ばれるのもうなずけるというものです。共同体にとっては、「非営利団体」とか「非政府組織」という日本語もなじみが薄い概念です。共同体に帰属した団体は必ず「共益」のための団体であり、「行政」に服従し、行政の下受けとして機能して来たことは周知の事実だからです。私たちに身近な「社会教育関係団体」(*1)と呼ばれる子ども会も婦人会もPTAも行政から補助金を交付されて行政のシンパとなった組織です。 もともと欧米型のボランティアは、宗教上の信仰を源流とし、「神との約束」に基づく「隣人愛」の思想を基本としていました。しかし、日本文化では、仏教も、神道も、儒教も、「個人」の主体性を強調するよりは、共同体の共益を強調しました。それゆえ、われわれの日常は、個人の主体性を基盤としたボランティアの精神からは遠かったのです。 日本社会の相互の助け合いは、共同体の「共益」と「義理」を発生源とし、「報恩」や「共同義務」の観念を基本とした集団管理型のシステムでした。それはボランティアやNPOのいう「公益」ではなく、特定集団に限定された「共益」を追求する思想でした。共益とはマンションの「共益費」の考え方と同じです。「共益費」には、払うか払わないか選択の余地はほとんどありません。払わない限り、共益は分配されないからです。町内会費の支払いも町内会事業への参加原則も同じです。町内会の共同作業への参加は慣習上、選択の自由はありません。それはお互いの利益を守るという「大義」のための、共同の義理であり、共同の義務だからです。参加しない者には、多くの土地で、「出不足金」のような罰金すら課される慣習が生き続けてきたのです。それゆえ、「共益」とは、閉じられたグループ内の相互支援システムの思想だと言えます。マンションの共益費の及ぶ範囲がマンションの住人を越えることがないように、町内会の助け合いが、町内の境界を越えることもまずありません。共同体が主役であった社会に「市民活動促進」のための法律が存在しなかったのは当然だったのです。
(*1)社会教育法の第10条-14条で規定されていて、行政の支援を受けることができるとされています。

6  「市民」とは誰か?
NPO法は名称の出発点から「市民」と言う用語にこだわっています。市民社会と言う時の「市民」とは、思想的な存在であり、思想的な用語です。「そこに住んでいる人」という意味であれば、「住民」でいい筈でしょう。また、自治体の規模によって呼び方を変えるという時は、「都民」、「県民」、「市民」、「町民」、「村民」と呼ぶ筈です。これらは「単位別自治体住民」の呼称です。もちろん、市民社会と言う時の「市民」は、単位別自治体住民のことではありません。 一方、日本社会には「公民」の概念があります。公民館の「公民」です。語感から言えば、市民社会と言う時の「市民」は、「公民」に最も近い感覚だと思いますが、日本社会では法律上「公民」概念を限定して使っています。辞書は、「公民」を、「国政に参与する地位における国民又は旧市町村制度において公務に参与する権利・義務を有した者」(広辞苑)と定義しています。したがって、「公民権」とは、”国会または地方公共団体の議会に関する選挙権・非選挙権を通じて政治に参与する地位・資格”(広辞苑)ということに意味が限定されているのです。 こうした状況では、「市民」の概念もまさしく混乱せざるを得ませんが、NPO法が想定している「市民」は、市民社会と言う時の市民です。広辞苑は、市民社会とは、「自由経済にもとづく法治組織の共同社会」、「その道徳理念は自由、平等、博愛」であると説明しています。したがって、市民とは、そのような社会を支える構成員の意味です。牛山氏は、「市民」の最重要特徴を「自発性」であるとし、市民の自発性の故に、NPOは政府を批判したり、政府と対立したりもすると指摘しています。“行政の下請けに終始すれば、新しい社会セクターとしての存在意義はない”、と言うのです(*1)。まさしく、行政の下受けをして来た町内会のような共同体的集団とは違うのだということを言っているのです。 それゆえ、日本NPOセンターを立ち上げた山岡義典氏は、村にも「市民」がいて、都民の中にも「市民」はいると言っています。ここでも注目しているのは市民の「主体性」と「自発性」です。日本型ボランティアは個人の自由を基盤とする、という筆者の指摘と同じです。したがって、山岡氏の「市民活動」の定義は、「市民社会をつくる活動」ということになります(*2)。広辞苑の言う「自由、平等、博愛」の理念を具体化する「市民社会をつくる活動」こそが、NPO法が目指す「公益」につながるという認識です。仙台NPO研究会は、NPO活動の目的は「公益」の増進であるが、「公益」という用語に代えて「社会的課題の解決を志向する」という表現を使うこともあり得るのではという提案をしています(*3)。NPOは「日本型ボランティア」から発生していることを彷彿とさせます。ここで言われる「社会的課題」が組織や、地域や、国境を越えて発想されるのであれば、それは「不特定多数の利益」に資することになりますから、「社会貢献」と言い換えても大きな違いはない筈です。NPOはボランティアが組織化された社会貢献のための組織であり、分配のための利益を目的としない限り労働の対価を受け取ることも許されています。NPOは、労働と並立したボランティアの組織化であると言って当たらずとも遠からずということでしょう。
(*1) 牛山久仁彦、日本におけるNPOの現状、辻山幸宣編、住民・行政の協働、ぎょうせい、平成10年、p.71(*2) 山岡義典、時代が動く時、ぎょうせい、平成11年、p.82(*3) 公務員のためのNPO読本、仙台NPO研究会編、ぎょうせい、1999年、p.26

7  「選択的」市民活動の促進
NPO法の最大の功績は「選択的」市民活動の下地を作ったことです。共同体が衰退して地域社会は選択的人間関係を原則とするようになりました。ボランティアも当然本人の意志次第であり、選択的です。 それゆえ、選択的市民活動というのは、第一に市民が主役であることを意味しています。したがって、活動は「義理」でも、「義務」でもありません。すなわち、人々の自由な活動を促進することが目的です。NPOは「非営利」の意味ですが、あくまでも「民間」の団体を意味しています。同じ「非営利」でも、行政や特殊法人・公益法人とは異なるのです。その意味で、NPOはNGOと同じです。即ち、NPOも、NGOも、「非営利」で、「非政府組織」すなわち「民間」という意味です。 第二に、市民の活動は「選択の自由」を原理とします。したがって、活動の出発点はボランティアの思想と同じです。ボランティアは本人の「選択」こそが命です。しかし、何をやってもいいという意味ではありません。実際の市民活動にはいろいろあるからです。営利を目的にしないという基準によって、同じ民間でも、企業活動などと区別をしたのです。NPO法の特質は、市民活動に縛りをかけて、「特定」の分野に限定し、しかも「非営利」としたのです。NPOの活動こそ「労働のやり甲斐」と「労働の対価を求めないボランティア」を結合したものだからです。もちろん、「特定非営利」とは、「収益事業」をしないという意味ではありません。活動によって得た利益をメンバーに分配しないという意味です。このルールによって、NPOの活動者は、個人の「儲けを追求しない」という点で「労働の対価は求めない」というボランティアの趣旨とつながっているのです。NPO法の成立によって日本がボランティア先進国になるのではないかという期待はそこから生まれてくるのです。
8  「促進」と「支援」
意識して使用しているかどうかは別として、NPO法の解説書には、「促進」と「支援」の用語が登場します。言葉の意味をいちいちあげつらうつもりはありませんが、促進は英語でpromote、支援はsupportです。当然、支援も促進機能の一部ですが、支援を受けて活動する場合と、自ら頑張って活動する場合では、団体の「気合い」と「姿勢」が違ってくる筈です。上記の通り、NPO法の出発点は市民活動の促進であり、支援ではありません。法律の当初案に冠された「市民活動促進法」という名称における「促進」の思想は、直接的な支援を意味するものではなく、新しい日本人の活動のための環境整備をする間接的応援を意味していたという理解で解説書が一致しています。 一方、NPOは「市民主体」であると一方でいいながら、他方では、行政任務の一環として、直接的に活動を支援したり、NPO団体を育成すべきであるという意見もあります。しかし、行政の直接的関与は、明らかにNPO法の趣旨に矛盾します。法に言うところの市民主体の活動は市民自身が開拓しなければならないことは自明です。したがって、NPO法が示唆する行政の役割は、市民活動に対する制約・干渉を排し、環境を整え、活動の自由を保障し、情報の公開を求めることになります。そこから先は市民自身が開拓すべき領域です。   多くの解説書がNPOに対する行政の「支援」という用語を使用していますが、「支援」は、従来の日本人及び旧来の団体・組織に対する直接的応援の意味です。社会教育関係団体を始め、各種の民間団体に対する「補助金」の交付や「事務支援」のたぐいは「支援」の大義の下に行なわれた実質的な援助です。 共同体文化の下の住民組織はそのほとんどが「お上」によって育成され、保護されてきた団体です。町内会(法律上は行政組織と無関係)も、衛生組合連合会(厚生労働省)も、保護司会(法務省)も、民生・児童委員会(厚生労働省)も、人権擁護委員会(法務省)も、食生活改善推進協議会(厚生労働省)も、子ども会も、婦人会も、青少年育成会も、PTA(以上は文部科学省)も、直接的被支援団体であることは周知の事実です。これらはすべて共同体を基盤とする組織です。個人の自発的な選択によって組織された団体ではありません。旧来の多くの組織は、補助金交付から、団体の事務局機能の代行にいたるまで、行政の直接的「支援」(援助)によって支えられてきたのです。共同体の力が衰退した今、おそらく、行政の直接的援助無しには上記の組織が存続することは不可能でしょう。ボランティアやNPOを上記旧来の被支援組織と混同して、行政の隙間を埋める補助機能のように解説する人がいますが、全くの見当違いです。日本社会では、政治や行政組織のあり方を変革するスピードが遅く、ようやく「事業仕分け」が始まったばかりの過渡期です。当然、新旧両方の組織が同時存在していますが、やがてボランティアやNPOが、旧来の被支援組織の機能を代替する日がやって来ることでしょう。その時、新組織の最大の特性は行政と対等の関係にあるということです。  個人の中にも、集団の中にも、遅まきながら行政職員の中にも新旧2種類の日本人が混在しています。したがって、行政による異なった応援の仕方が混在しているのもまた当然なのです。それが「促進」と「支援」の違いになって現われているのです。

9  NPO法の選択
既存の社会教育活動の大部分は、子ども会活動から、高齢者教室に至るまで、従来の日本人、旧来の日本組織を代表しています。しかし、NPO法の施行によって状況は一変しました。最大の要因はこの「法」が求める「自己責任」への期待と「情報公開」の原則です。旧来の主要組織は行政の補助金と事務局機能の代行または補助によって辛うじてその活動を存続して来た事実は上記の通りです。しかし、無数のNPO法人が誕生し、自前の活動を開始する時、旧来の団体組織のみが行政に”おんぶにだっこ”で甘え続けることはできません。NPO法人の場合、情報公開の原則により、それぞれの活動内容および財務内容も公開されるようになります。そうなれば必ず、団体間の自助努力の「差」が明らかになります。行政が、Aの組織の面倒を見て、Bの組織の面倒を見ないのはなぜかという疑問も生じることでしょう。 具体的に言えば、社会教育関係団体等行政にとって都合のいい団体の面倒は見ても、それ以外のNPO法人の面倒は見ないとなれば、必ずその理由が問われることになる筈です。A団体の活動の方が、B団体の活動より社会的貢献度が高いというのであれば、その評価理由を明らかにしなければなりません。それゆえ、既存の支援団体についても、今後、支援を続けるか、続けないかの説明責任も果たさなければなりません。そうなれば、当然、「支援」の対象は、団体ではなく、個別の事業に変更せざるを得ない筈です。かくして、事業間の切磋琢磨が始まり、行政は、子ども会や、婦人会など既存の「被支援団体」に対する従来の支援のあり方を見直さざるを得なくなるのです。 行政の被支援団体は社会教育関係団体を始め、共同体文化の影響を強く受けた集団です。今やそうした集団にも、新旧2種類の日本人及び新旧2種類の組織観が混在するようになり、共同体の衰退と時を同じくして衰退傾向が続いています。一方、NPO法が選択したのは「新しい日本人」の活動です。NPO法が想定しているのは、ボランティアの精神を起点とする主体的で、自発的な、新しい日本人の社会貢献活動の促進なのです。

10  市民活動の多重機能
市民活動が活発化した第一の理由は、市民自治への要求と自信の高まりであるということに誤りはないでしょう。しかし、市民の自由な活動の背景は決してそれだけではありません。人々は活動に生き甲斐や他者との絆を求めているのです。ボランティア活動も、生涯学習も、それぞれの活動内容に加えて、「縁」を取り結ぶ機能、生き甲斐を充実する機能など多様な機能を併せ持っています。当然、市民活動も同じです。もちろん、活動が交流を促進するという副次機能は国境を越えても同じです。アメリカの「非営利団体」の管理論を説くウィルバーは、”非営利団体は組織を立ち上げた理由である奉仕の対象者の手助けをするが、同時に、活動者の人間的なニーズを満たしているのである“、と指摘しています(*5)。活動の目的の中に、「自分のため」と「他者のため」は併存しているのです。 日本での認識も同じです。「NPOは公益的サービスの提供主体としての役割や、新しい時代の新しい発想の担い手としての重要性に加え、活動する人たち自身にとっては大切な自己実現の場となっている」(*6)という指摘がそれです。  ボランティア活動がボランティア自身を支えるように、NPO活動も活動者自身を支えるのです。「自分のため」のボランティア、「自分のため」のNPOは、市民活動の”隠れたカリキュラム”です。「自分のため」の生き甲斐の探求を抜きにして市民活動も、ボランティアもエネルギーを自家発電できる筈はないのです。ボランティアの志は廻り廻って常に社会貢献と自己実現の両方を同時に追求しているのです。「情けは人のためならず」なのです。
(*5)  ロバート・H・ウィルバー、みんなのNPO、海象社、p.3(*6)  公務員のためのNPO読本、仙台NPO研究会編、ぎょうせい、1999年、p.30
11  NPO法が規定する「特定非営利活動法人」とはなにか?
立法にかかわった熊代昭彦議員はNPO法を100年ぶりの革命的意義を持つ法律であると評価しています。その理由は、NPO法が従来の「民法の隙き間」を埋めた市民活動を応援する法律だからです。応援法の応援法たる所以は市民グループが極めて簡単に法人格を取得することを可能にしたことです。以下は熊代氏が指摘する法の要点です(*1)。
1  10人集まれば、法人格(特定非営利活動法人)が取れる2  基本財産は不要3  年間の会費収入も必要なだけあればいい4  認証の条件がすべて法律に書いてあり、官僚の自由裁量の余地がない5  三年間報告がなければ認証を取り消すことができる6  都道府県知事の認証で、日本中、世界中で活躍ができる7  全員が外国人でも法人格が取れる―「フリー、フェアー、グローバル」を体現8  情報公開を徹底9  制度悪用に対する対応措置を導入
(*1)  熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、pp.3-6

12  「民法の隙間」とはなにか?
民法の制定は1896年(明治29年)です。その民法が定める「公益法人」は社団法人と財団法人です(民法第34条)。その他はすべて個別の特別法による規定です。例えば学校法人は「学校教育法」であり、社会福祉法人は「社会福祉事業法」で規定されています。同じく、労働組合は「労働組合法」で、宗教法人は「宗教法人法」によって規定されています。商工組合も日本育英会もそれぞれ個別の法律によって規定されています。 NPO法はこれら非営利の法人に加えて、市民活動を行なうグループ・団体を文化横断的・社会横断的にNPO法人(「特定非営利活動法人」)の呼称のもとに統括したのです。法人化を認証する条件のひとつが「不特定かつ多数のものの利益」を増進することと定められました。先の熊代氏は、「公益」と「不特定かつ多数のものの利益」は同義であるとしています。それゆえ、NPO法は、民法34条の「公益法人(社団法人、財団法人)の特別法として位置付けられたことになると指摘しています(*1)。文化横断的・社会横断的に謳い上げられた活動は17領域であり、それがそのままNPO法が示す「市民活動」の内容であり、各団体・グループの事業領域です(*2)。
(*1)熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、p.66
(*2)NPO法第2条の別表に掲げる活動に該当する活動(別表)
i保健、医療又は福祉の増進を図る活動 ii社会教育の増進を図る活動 iiiまちづくりの推進を図る活動 iv学術、文化、芸術又はスポーツの振興を図る活動 v環境の保全を図る活動 vi災害救援活動 vii地域安全活動 viii人権の擁護又は平和の推進を図る活動 ix国際協力の活動 x男女共同参画社会の形成の促進を図る活動 xi子どもの健全育成を図る活動 xii情報化社会の発展を図る活動 xiii科学技術の振興を図る活動 xiv経済活動の活性化を図る活動 xv職業能力の開発又は雇用機会の拡充を支援する活動 xvi消費者の保護を図る活動 xvii前各号に掲げる活動を行う団体の運営又は活動に関する連絡、助言又は援助の活動

13  行政による「公益」独占状況の修正
これまで「公」とは、ほぼ「行政」と同義であり、「官」と同じ意味でした。それゆえ、「公益」に関する事業は行政の独占に近い状況にあったということです。民間の団体は、法人格を持つか持たないかに関わらず、行政の認知によって、初めて「公益」に貢献していると判断されて来たのです。「公益法人」の名称が雄弁に語っているところです。「公益」に資するか否かの認知権は行政が独占していました。すべての社会教育関係団体も、福祉関係団体も、官が公益に資するという認定を与えない限り、制度的に認知された団体としての活動は出来ませんでした。当然、行政からの支援(援助)も得られません。従来の「公益法人」、あるいは「非営利」の法人は、社団法人も、財団法人も、宗教法人も、労働組合も、商工組合も、すべて民法あるいは特別法の規定によって行政が認可するものです。行政の認可とは官僚の自由裁量の結果によって決まるという意味でもあります。 NPO法は、「許可」を、「認証」に変え、認証条件を法律に明記しました。従来とは比較にならない簡便な方法で、市民活動団体が法人格を取得することができるようになったのです。このことは、行政が「公益」の認知を独占しないことになったという意味です。市民がNPO法に則って、それぞれの活動に取り組む時、それはほぼ自動的に「公益」に資する活動と認められるシステムができ上がったのです。かくして、NPO法は、行政による「公益」の独占状態を一挙に修正することになりました。
14  NPO法人のメリット
NPO法はこれまでの「任意団体」に「法人格」を与えることになりました。個人で行なうボランティアと比較してみると、「法人格」を得るということがどれほど重大な意味を持つかが分かる筈です。「法人格」を持つとは、団体の活動を社会が制度的に承認するという意味です。法人格がなければ、その活動が社会的に認知される保障は全くありません。しかし、NPO法は、次のようなメリットをもたらしたと指摘されています(*1)。課題の税制も改正の一歩が進められました(*2)。
1 契約の主体に成れる2 受託事業や補助金を受けやすくなる3 公的な施設を利用しやすい4 社会的な信用が生まれやすい
(*1) 米田雅子、NPO法人をつくろう、東洋経済新報社、1999年、p.20
(*2)  現在の NPO 法人税制NPO 法人の財政を支援する税制として、 NPO 法人の支出を少なくするために法人税の負担を 軽減する措置と、 NPO 法人の収入源の一つである寄付を増やすために寄付金税制を拡充する 措置の二つが主な課題となっています。
15  NPOによる行政の変革-「公益」を推進するパートナーの登場
NPO法人が「公益」を担う団体と認証された時から、行政による「公益」の独占状態が終わりました。NPO法が定める法人は公益の活動を行なう行政のパートナーとなり得ます。行政による「認可」のシステムをとらないことによって、NPO法人は、従来のどの団体よりも行政に対する「対等性」が保証されているのです。行政の許可が必要でないということはNPOの側に法律上の不正がない限り、行政は命令も、指示もできないという意味です。かくして、行政とNPOの「協働」概念が登場するのです。原理的には、ボランティアと行政の関係も同じです。対等の関係にあるパートナーが、共同・協力して働くことが「協働」という意味です。 最後に残された問題はまたしても行政の縦割りでしょう。NPO法人の認証申請手続きが画期的に行政の縦割りを排したにも関わらず、都道府県の条例如何では再びそれぞれの行政分野ごとのNPO法人がつくられかねないからです。生涯学習関係のNPO法人が、既存の社会教育関係団体と同じ行政上の取扱いになるのか、行政の対応が問われているのです。しかし、今のままでは、生涯学習行政が総合化できないように、NPO法人の活動も総合化できない危険性は高いのです。

16  百家争鳴の活力-「社会的課題」に取組む「ベンチャー・プロジェクト」
「従来の日本人」と「新しい日本人」のひとつの違いは、「個人の力」に対する信頼度の違いです。「従来の日本人」はみんなの意見が揃わないと「事は始まらない」、と信じていました。これに対して、「新しい日本人」は、みんなの意見が揃うことは大切であるが、揃わなくても「事を始めよう」と考えています。 まちづくりにおいては、みんなの意見、みんなの参加が大切であるとたいていの本に書いてあります。「みんな」というのはほぼ間違いなく「従来の日本人」のことでしょう。まちづくりを主導する行政は、若者といえば、若者グループの合意を想定し、女性といえば女性団体のまとまりを必要として来ました。共同体の文化風土においては、「みんなで一緒にやる」ことが行政が責任を問われない「保険」だったからです。「みんなで渡れば恐くない」ということでした。 しかし、みんなの覚醒を待っていたらいつまでたっても「新しいこと」・「革新的なこと」は始められないことは日本の地方史が証明しています。マズローの研究を引き合いに出すまでもなく、どこのまちでも、どんな組織でも、新しいことの提唱者・実践者(マズローは「革新者:Innovator」と呼びました)は人口の3%程度しか存在しないのです。時代の風が吹いて、時間が経てば、いずれ革新者のアイディアも多数者のアイディアに変わりますが、それには膨大な時間とエネルギーを要します。それがこれまでのまちづくりの歴史でした。歴史のある時期に、多数者の考えをまとめようとすれば、通常、当代、当地の常識の範囲を出ることはないでしょう。まちづくりにせよ、活性化戦略のイベントにせよ、「みんなの意見」の平均や常識からユニークな視点は出てこないことは多くの成功実践が証明しています。まちづくりなどに現れる個性とは「常識」の対立概念にこそ近いのです。まちづくりに限らず日本社会の「新しい発想」が、実は何も新しくなく、何処でも似たような「金太郎飴」になるのは、共同体文化の慣習を引きずって「みんなの意見」を寄せ集めて来たからです。通常、画期的なことは全員の合意の中からは生まれません。「まちづくり民主主義」の死角であると言っていいでしょう。新しい企業活動の創造に「ベンチャー」の育成が必要であるように、まちづくりにも「ベンチャー・プロジェクト」が必要になるのは当然のことです。ベンチャーとは、もちろん、「冒険」を試みるという意味です。日本社会がベンチャー・ビジネスを育てることに遅れをとったように、まちづくりはベンチャー・プロジェクトを生み出すことに失敗しているのです。そのような過去の事実に鑑みて、NPO法は、まちづくりのベンチャー(冒険)を育てるための法律であると言い換えてもいいのではないでしょうか。    この意味で日本NPOセンターの山岡氏が指摘する市民活動の四つの性格は重要です。4つとは、①先駆性、②多元性、③批判性、④人間性です(*1)。 先駆性とは、革新的NPOの”冒険”によって、個人または少数グループの新しいアイディアを実行に移すことが可能になったということです。 多元性とは、まさにNPOの百家争鳴のことです。異なった発想、多様なエネルギーが衝突して活動の触媒機能や活性化の条件が整うという意味です。 批判性とは、行政と対等なNPOの登場によって、社会システムと行政活動に対するチェック機能が充実することにほかなりません。 最後の人間性は、多様なNPOの出会いによる、多様な人間相互の交流が促進されるということです。 公平の原則、平等の原理、税金の投入などの「しばり」で従来の行政には実行出来なかったことも、NPOであれば可能になります。ボランティアもNPOも公平である必要はなく、平等である必要もなく、公金を使わなければ自由な活動が保障されます。ボランティアもNPOも最重要の社会的課題は「他者への貢献」ですが、参加者の最大の個人的目的は生き甲斐の探求と絆の形成だからです。 これら4つの視点は、行政の性格上、行政事業にはほとんど存在しません。また仮に、個別の行政マンに上記の視点を有する方々が存在したとしても、システムの性格上、行政ではほとんど活かすことができないのです。(*1)
山岡義典、時代が動く時、ぎょうせい、平成11年、pp.56~61

§MESSAGE TO AND FROM§
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。皆さまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。
東京都八王子市 瀬沼克彰 様
ご著書「まちづくり市民大学」を拝受いたしました。恐るべき筆力に舌を巻いております。編集後記に紹介しましたように私たちも29年の大会史を振り返ってこれからの日本が当面するであろう「未来の必要」の執筆を開始いたしました。来年は節目となる30周年大会です。手づくりの大会ですがお時間が取れるようでしたらどうぞお出かけ下さい。
中嶋正信 様
おそらく第1回から今まで連続してご参加を頂いているのは森本前教育長とあなたと私の3名ぐらいになったですね。皆さんとの記念写真をありがとうございました。福岡教育大学の中庭の噴水を囲んで社会教育の未来を語り合ったひと時がつい昨日のことのようです。あなたが中心となられた北九州社会教育講師団の白盧会も35周年を向かえたのですね。皆さまの研修会にお招きいただいて学社複合施設論を展開したことを思い出します。私が構想した宗像市の学社融合施設構想は当時の学校教育課長の裏の画策でつぶれましたが、20数年のときを経て今度は飯塚市が旧頴田町に新しい小中一貫でしかも学社複合の施設を構想中です。われわれも年をとりましたが思い出話を止めて未来を構想し続けたいものです。
広島県廿日市市 川田裕子 様
来年の記念大会はビッグフィールドの子どもたちに会えるでしょうか?正留先生の実行委員就任も内定し、広島の戦力が向上しました。尾道の皆さんもいるし、前の実行委員の中村さんも石川さんも健在です。機会があればいずれどこかで移
動フォーラムを企画しましょう。楽しみにしております。
島根県雲南市 和田 明 様
懐かしい皆さんのお顔が見えて何よりでした。松江の神門校長にも島根大の澤先生と相談して島根移動フォーラムを実現しようと相談しました。地理的には雲南ぐらいが丁度いいのではないでしょうか?来年は30回大会を迎えます。細々と九州大会を続けていた頃、先生のご尽力で島根との交流の道が開けました。小生が元気なうちに一度は恩返しのフォーラムをお届けしたいものです。
鳥取県日吉津村 橋田和久 様
父上のことお悔やみ申し上げます。ご不幸を存じませんでしたが小生の提案に重なった父上の生き方の偶然をふしぎな思いで受けとめています。お便りを拝見して「生涯現役」論にいささかの自信を持ちました。自分も老衰に倒れるまで志を曲げず、現在の生き方を続けたいものと切望しております。今回の西部地区研修会に福岡からまた何人かが参加します。「海原荘」の交流会を楽しみにしております。
島根県益田市 大畑伸幸 様
現役を退いた瞬間から何を話しても中身は過去のことになります。個人にとって生涯現役が重要なのは未来の話をし続けるためです。私が現役にこだわるのも「昔の名前で出ています」にならないためです。交流会でのあなたの未来計画を面白く聞きました。矢野大和氏が証人です。学社連携を推進し、子育て支援の縦割り行政を粉砕する未来の大畑教育長の登場を楽しみにしております。もちろん、政治や中央教育行政の発想が変わらない限り、誰が教育長になってもやれることはたかが知れているのですが・・・。
愛媛県松山市 上田和子 様
婦人会の「はらおどり」のCDをありがとうございました。歌い手が上手なのでわが拙い歌詞も生きました。皆様に使っていただいて光栄に思います。一度皆さんが演じるホンモノの舞台を拝見したいものです。関係者によろしくお伝え下さい。11月大洲大会での再会を楽しみにしています。
佐賀県佐賀市 秋山千潮 様
この度は再会が叶わずまことに残念でした。その後、あなたの方はすべて順調であることをお祈り申し上げております。おかげさまで第29回大会は史上最多の参加者を得て無事終了いたしました。あなたにお見せしたい発表がいくつもありました。佐賀の皆様とも楽しい交流のひと時を持つことができました。 お届け頂いた名物の羊羹は、惜しみながら毎日一切れずつ原稿が捗ったときの自分への褒美にしております。羊羹がなくなる前に原稿を仕上げるつもりですが、今回はその一部を巻頭のNPO論文として紹介しております。加齢とともに小生にもいろいろ身体の故障が起こり始めしたが、日々「読み、書き、体操、ボランティア」を忘れずに実践しております。
過分の郵送料を頂きありがとうございました。広島県廿日市市 川田裕子 様島根県雲南市 和田 明 様

125号お知らせ

第100回記念生涯学習フォーラムin福岡
日時:2010年6月12日(土)13-17時場所:福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)第1部:リレートーク:「あなたが考える社会教育の現代的課題」*日本社会が当面している様々な課題を材料として、古市勝也(九共大)、大島まな(九女短大)、森本精造(前飯塚市教育長)、黒田修三(県立社教センタ―)ほかの方々の問題提起を受けて、リレートークを行います。以下はその切り口の一例です。      ①子育支援のために公民館は何ができるのか?     ②高齢者の元気を維持し、活力を引き出す方法はあるか?     ③学社連携は実現するか、何をするか、誰がするのか?     ④長期休暇中の青少年プログラムに何を選ぶか?     ⑤社会教育はNPOやボランティアと恊働しているか?     ⑥社会教育職員の研修と交流はどうあればいいのか?     ⑦その他                (コーディネーター 三浦 清一郎)          第2部:ミニ講演  「日本型ボランティアの誕生-社会教育の新しい挑戦」(仮)       生涯学習・社会システム研究者  三浦 清一郎*終了後センターにおいて交流会を企画しております。お楽しみに。

編集後記30周年記念出版「未来の必要-生涯学習立国の条件」
以下は第29回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会実行委員会で報告・提案した第30回大会記念出版の企画原案とこれまでの作業過程の報告です。ご欠席の実行委員のみなさんにお知らせを兼ねて執筆参加のご案内を申し上げます。
1 これまでの作業経緯と編集方針
前回実行委員会でご報告以来、すでに1年以上作業を継続して来ました。これまでに、森本精造、古市勝也、大島まな、黒田修三、永渕美法の各氏が報告・提案を行なっています。
2  編集方針
(1)  企画・執筆への参加は公開で全実行委員にオープンにしています。福岡で開催する「生涯学習フォーラム・編集委員会in福岡」のお知らせは本「風の便り」紙上で行なっています。
(2) 執筆をご希望の方は以下の編集方針に合意の上、ご自分の提案のレジュメを作成し、フォーラムに出席の上、報告し、参加者の討議を経た上で原稿化して提出して頂くことになります。提出された各原稿の編集上の補筆修正は編集代表の三浦が行ないますので予めご了解下さい。
(3) 提案・執筆の視点
執筆の視点は、記念誌表題のとおり、「過去の総括」ではなく「未来の必要」を論じます。交流会30年の歴史を振り返って、必ず大会発表事例を分析の素材として活用し、下敷きにして下さい。論じていただきたいことは、発表事例の分析から見えて来る「未来の必要」です。ただし、過去の事例はあくまでも分析上の素材として活用し、「未来の政策提言」に重点を置くため、事例紹介は必要最小限に留めていただきます。
(4) 過去の発表資料
過去29年間の発表事例の資料は福岡県立社会教育総合センター図書室に保存してあります。