発行日:平成21年11月
発行者 三浦清一郎
拝啓 鳩山総理大臣 殿
「コンクリートから人へ」のスローガンに過疎対策は入っていますか?
1 過疎対策-失敗の連鎖
理屈はともかく過去の政治は国土の均衡的発展に効果のある政策は実行できませんでした。過疎地域はますます生活・環境条件の貧困化に追い込まれています。過疎対策は失敗の連鎖だったのです。恐らく最大の原因は、一方で、国民に居住の自由を保障しながら、他方で過疎地の定住人口を増やそうとした考え方に起因していると思われます。 過疎地域については、これまで3度の過疎対策のための特別措置法が作られ、各種の対策が講じられてきました。今年度期限切れになるのが、10年間の時限立法として、施行された「過疎地域自立促進特別措置法」です。 —
法律の目的は相も変わらず美辞麗句に満ちています。「過疎地域自立促進特別措置法」は、人口の著しい減少に伴って地域社会における活力が低下し、生産機能及び生活環境の整備等が他地域と比較して低位にある地域を過疎地域ととらえ、住民の福祉の向上、雇用の増大、地域格差の是正という従来からの目的に加え、過疎地域に対し、豊かな自然環境に恵まれた21世紀にふさわしい生活空間としての役割を果たすとともに、地域産業と地域文化の振興等による個性豊かで自立的な地域社会を構築することにより、我が国が全体として多様で変化に富んだ、美しく風格ある国土となっていくことに寄与することを目的とする、というものです。
しかし、過疎は止まったでしょうか?止まっていないでしょう!!縦割り行政が縦割り分業の制約の中でいろいろ試しましたが、過疎対策は,高齢者支援や子育て支援に似て、分野を越え、総合的・分野横断型の対策でなければ効果は上がらないのです。住宅を提供しても、牛一頭をプレゼントしても、自由意志を保障した国民を、不便で貧しい過疎地に移住させることは出来ないのです。–
2 過疎地の主張
過疎地は日本の自然を支えています。全国の1割足らずの人口で、広大な国土の過半を支えています。これらの地域は、総括的に日本の自然環境を保全しています。森林・農地の維持・管理を通じ、土砂災害の防止、水源の涵養、食料の供給、二酸化炭素の吸収、自然環境や景観の保全といった重要な役割を果たし、国民全体の社会経済活動の背景となる条件を支えてきました。-しかしながら、生産人口の都市流失と高齢者だけが残されるという現象は一向にとまりません。人口減少が一定の限界を越え、しかも、現代の少子高齢化問題と複合化すれば、学校は消滅し、地域の活力は失われます。過疎問題とは地域活力の低下を意味し、時には、当該地域の自立ですらもが危うくなります。当然、過疎化がその度合いを増せば、過疎地が担って来た多面的・公益的機能の維持が困難になります。過疎地域を守ることは、国土の保全と国民全体の暮らしを支えることになることは、都市住民を含めた国民全体がうすうす分かっていることでしょう。しかし、政治にも行政にも、真の危機意識が欠如し、過疎対策の分析を間違え、国民の積極的な関心を喚起することに失敗しています。何度同じ失敗を繰り返しているのでしょう!定住人口を増加するという政策が効果を上げていないことで過疎問題は今や極限まで深刻化したのです。「限界集落」という言葉の登場が象徴的です。新しい過疎対策においては、都市地域は過疎地域を支えなければなりません。都市住民は今や自分たちが過疎対策の一翼を担うべく、思い切った施策への協力が不可欠であることを再認識する必要があります。それが義務教育を活用した交流人口の定期的な創出です。都市地域が過疎地域を支え始めれば、その後は、相互に支え合う共生社会の形成を目指すことができるようになります。それは過疎地への定住促進策では実現できません。都市は、現代文明のあらゆる「利便性」、「快適性」、華やかな文明の果実を有しているのです。雇用の機会も、文化活動の機会も、都市に集中しているのです。新たな過疎対策の理念は、定住人口の増加ではなく、義務教育のあり方を工夫した交流人口の継続的な流れを作ることです。定住にこだわる限りどんな法律を準備しても、過疎化を止めることはできません。人間というものは、己の「利便性」も「快適性」も捨てません。過疎地の「痛み」も分かりません。何度も書いて来ましたが、「人の痛いのは三年でも辛抱できる」のです。問題の核心は、現代の政治が、都市住民を中心とした日本人に、過疎地域の持つ多面的・公益的機能を意識化させ、国土づくりにおける過疎地域の意義と役割をどこまで明確に自覚・認識させ得るかにかかっているのです。
3 過疎対策も教育の抜本対策ももう待てません
-「農山漁村留学」の義務化による「交流人口」の創造-
「農山漁村留学」の義務化による「交流人口」の創造は、過疎対策と教育改革を結合した施策です。施策の目指している主たる機能は以下の通りです。
(1) 義務教育における小学校5-6年生以上の子どもに、学期単位で「農山漁村留学」を義務づけ、過疎地における「交流人口」を創造する
(2) 過疎地に児童・生徒を受け入れるための校舎・学寮・給食設備の建設等新しい公共事業を創造し、子どもの生活に関連した雇用を創り出す
(3) 「農山漁村留学」におけるカリキュラム上の内容・方法の編成については、学習指導要領の弾力的運用によって地方の教育行政の裁量に任せ、地域の特性に応じた教育を創造する
(4) 「農山漁村留学」によって自然体験、野外活動、集団・共同生活体験、自立体験、親元を離れた困難体験など、現代教育に欠損している人生の「核体験」は全て補うことが可能になる
(5) 「農山漁村留学」には高齢社会における学校支援を志す熟年ボランティアを組織化し、高齢者が蓄積して来た人生経験の表現舞台を設定し、社会貢献のステージを創造し、高齢者の活力と子どもの発達を同時平行的に支援する
(6) 保護者・教員、その他学校支援ボランティアの交流は、当然、都市と田舎との新しい交流を生み出すことが可能となる
「コンクリートから人へ」というのが新しい政権の政策原理だというのであれば、過疎問題は避けて通れない筈です。ダムを見直すことも、道路政策を見直すことも、無駄な箱ものを見直すことも、もちろん重要なことですが、義務教育の方法を抜本的に刷新して、新しい公共事業を過疎地に興すことは可能でしょうか?
昭和50年、国土庁は「セカンドスクール」構想と銘打った調査報告書を刊行しました。 国土庁報告は、教育界の優れた研究者が名を連ねた提言書ですから、当然、文部省においてもその研究成果は読まれたことでしょうが、教育分野の官僚が他省庁の提案に重きを置く筈はなかったのです。セクト主義は当たり前の時代であり、「国益」よりも「省益」が横行し、官庁の縦割りは甚だしく、「省益」優先真っ盛りの時代でありました。かくして、教育施策立案の権限を有さない国土庁提案は日の目を見ることなく埋もれたのでしょう。筆者の知る限り、研究成果を具体化するための政策化の動きは皆無でした。セカンドスクール構想の骨子は、義務教育プログラムの抜本改革と過疎対策を統合する案でした。「セカンドスクール」は「セカンドハウス(別荘)」をもじった和製英語です。国土庁の発想は、義務教育の改革課題への対応と過疎対策をドッキングしようとしていたのです。自然接触体験を欠損し、自発的活動体験を欠損し、親元を離れた共同生活や異年齢集団体験の機会を失った子ども達には、当時も、今も、「日常」を離れた新しい教育活動の舞台が必要です。そうした「必要」に対処するための、当時の文部省の発想は、「青年の家」であり、「少年自然の家」でした。しかし、そのどちらにも国土の均衡発展や「過疎対策」の視点はまったく欠如していました。当然と言えば当然のことですが、縦割り行政の宿命として、当時も、今も、文部科学省は教育のことしか考えていません。地域活性化や国土の均衡発展は文部省の管轄外だということです。縦割り行政の守備範囲が「たこつぼ化」し、官僚の発想がセクト化し、政治家も「族議員化」して、自らが関わる特定領域以外のことは考えず、総合的な問題を分野横断的に考えることができなくなるのです。地域の均衡的発展や過疎対策は、当時の国土庁や農林省、現在の国土交通省の課題であるというわけです。
もちろん、この当時、現在の「生活科」や「総合的学習」の発想は提起されていず、歴史的に積み上げられて来た「合科教育」の視点は忘れられたままでした。また、「子やらい」や「人なし」の伝統も、「子ども宿」や「若衆宿」などの方法論も忘れられたままでした。戦後の教育改革でアメリカから輸入した「児童中心主義」が全社会に蔓延し、保護に傾いた養育思想の中で、子どもを親元から離して人生や社会生活上のトレーニングを行うという発想は全く出て来ませんでした。
4 「交流人口」の拡大–
「セカンドスクール」構想の最大特徴は義務教育に「農山漁村留学」を義務づけることです。これまでの過疎対策は定住人口の増大にこだわり、定期・継続的な交流人口を創り出すことの可能性と重要性を看過していたのです。「セカンドスクール」は、義務教育の改革施策を活用して一定の交流人口を創り出そうとする発想です。この時、都市の住民が理解・共感しなければならない視点は、義務教育を通して国土の均衡発展を補完するということです。もちろん、教育的にも、親元を一定期間離して、子どもの社会的トレーニングを行うことは極めて有効かつ重要ですが、セカンドスクールの最大の意味は、交流人口の創造による国土の均衡発展なのです。日本は「子宝の風土」であり、学校に子どもの「守役」を託して来ました。子どもは社会的活力の源であり、学校は住民の結束の根源です。僻地の学校をつぶせば、地域の活力が消滅するのはそのためです。それゆえ、セカンドスクールの社会心理学的目的は、人口の減少と学校の統廃合によって、コミュニティの精神的よりどころを失う危機に直面している過疎地を支援するということです。定期的な農山漁村留学制度によって、学校の消えそうな地域に都市の子どもを留学させ、学校という活力の拠点を維持することです。また、セカンドスクールの物理的・経済的目的は、児童・生徒の学寮や教員宿舎など、都市の学校と田舎の学校の交流拠点を新しい公共事業として過疎地域に創設することです。-
国土庁の構想では、都市から日帰りで保護者が行き来することのできる日帰り交通の可能距離圏内の地方の学校と協力して宿泊・教育活動の施設を整備するというものでした。当然、セカンドスクールを訪れる子ども達や先生方、時には保護者の皆さんも、過疎地域にとって「交流人口」としての確実な訪問者を確保するということを意味しています。保護者が日帰りで現地を訪問できるという条件を加味したのは、小学校児童の発達段階や親の心情を考慮したものであったことはいうまでもないでしょう。交流人口の拡大は、都市と地方の交流を通して、過疎の町村に雇用の機会や経済効果を生み出す方策です。給食から始まって、宿舎の管理、清掃や児童・生徒の保険・衛生・安全まで、日常生活の万般の世話に関して雇用の機会も増大することになるでしょう。移動用のスクールバスや先生方の出張旅費が義務教育レベルで予算化され、すべての市町村で「セカンドスクール」構想が動き出せば、都市と地方の交流は子どもを核として間違いなく活性化する筈です。セカンドスクールに伴う教育方法の改革がどれほど有効で画期的な成果をもたらすかに付いての論議は本論では控えますが、セカンドスクールの教育的可能性は巨大なものになります。
5 セカンドスクールの教育的可能性
「農山漁村留学」によって自然体験、野外活動、集団・共同生活体験、自立体験、などを補うことが可能になります。子どもの自立はもとより、都市と農村の交流がもたらす、文化、自然、環境、教育の新しい「学び」と「創造」は計り知れないものがあります。「総合的学習」のカリキュラムを始め、親元を離れた長期の生活体験は、現行の短期・小規模で「ままごとのような」野外活動や宿泊体験や通学合宿などを、根本的に刷新し、新しい「子やらい」や「人なし」の包括的プログラムのなかに統合することになります。セカンドスクール構想の場合は、地元の学校と合同・密着が条件です。当然、地元の自治体との協力・交流は不可欠の条件です。自然条件を活用できる都市の学校の利点が多々あることはもちろんですが、地方の学校も都市の学校から様々な刺激を受ける筈です。スク
-ルバスの運行を予算化する以上、田舎の子どもが都会で学ぶ合同の授業も可能になります。当然、都市の子と地方の子が一緒に遊ぶことも、生活を共にすることも可能になります。日本人の「子宝の思想」や義侠心を思えば、その時、都市住民は田舎の子どもにホームステイの提供ぐらいはして下さることでしょう。教師間の交流も可能です。学校支援ボランティアの交流も可能になります。教育的可能性が巨大であるというのはそういうことを全て含んでいるからです。システムが機能すれば、国土の均衡発展はもとより、教育の地域間格差の是正、学校間格差の修正、子どもの欠損体験の補完、過疎地の経済的・文化的支援など多様な機能を同時に果たすことができる筈なのです。-しかし、この仕組みは民主連立政権が言っているような「地方主権」政策で歯の立つような簡単なことではありません。セカンドスクール構想は過疎問題の解決に留まらぬ、義務教育の抜本改革を含む国家全体の重大問題だからです。
問題行動の風土-非行の文化
1 真の原因は「非行容認の文化」
学校の問題行動は、時に学校で発生し、また時に学校外の地域で増殖して学校内に持ち込まれます。
校内の問題行動の解決は教職員の一致した毅然たる集団指導が基本です。一般教職員と生徒指導担当の教員を分けるような分業のシステムではまず非行文化をつぶすことは出来ません。生徒の具体的な問題行動の解決も進みません。荒れた学校の真の問題は、校内にせよ、校外にせよ、生徒の問題行動を生み出し、それらの存在に無関心で、結果的に非行を容認している「心理的風土」の存在だからです。いじめがなくならないのも同じ理由です。問題行動を生み出す心理的風土は、無関心を含め、どこかで非行を容認している人々が存在するからです。生徒の問題行動が頻発する心理的風土を支えているのは、社会と学校を分離し、学校の教育機能を特別視した「非行容認の文化」です。学校外には卒業生の非行少年または非行青年がいる筈です。その背後には、自分の子どもの問題行動を薄々自覚しながら、我が子だけは「まもりたい」とする保護者の「自己中」心理があります。他の大人たちも我が子に直接の被害が及ばぬ限り、「見て見ぬ振り」の「日和見」を決め込んで声を上げません。
教員の中にも、教育現場で起こった問題は教育現場で解決すべきであるという自らの実践も結果も伴わないきれいごとの理想論があり、教育機関の体面にこだわった閉鎖主義があります。これらの人々全部が非行文化の担い手です。子どもたちの問題行動は、学校の「せい」だとして、見て見ぬ振りをしている地域の人々も、学校の問題をひたすら隠し続ける教員達のメンタリティも、それぞれに生徒の問題行動を増殖する心理的風土なのです。
学校の問題行動の芽を摘むためには、暗黙のうちに非行を容認している「心理的風土」を克服して、地域の非行文化の芽を摘まなければなりません。地域において非行文化が蔓延し、卒業生などの問題行動が放置されていれば、校内の問題はいつでも火を噴き、いつまでも沈静化しません。保護者との連携も大事ですが、社会の治安と安全を司る外部機関との連携はもっと重要です。学校は明らかに社会の一部であり、外部機関との連携は学校の中に「社会」を取り入れることだからです。学校は教育の場所であるからと言って、暴力、破壊行為、恐喝、窃盗などの犯罪についての「治外法権」の空間ではないからです。学校が警察や司法と連携することはなんら恥とする必要はないのです。
2 学校が変わらない限り、「保護者」は「頼れる存在」にはなりません
「子宝の風土」の保護者は通常「自己中」で、我が子には「甘い」のです。その他の大人も、また、「自己中」で「渦中の人」にはなりたくないため声はあげません。問題行動が続く学校での批判的意見はいつも「声なき声」となって潜在し、不満は、学校の無策に対して噴出します。問題行動の当事者の親がPTAの中にいることは他の保護者の直接的批判を封じることにもつながります。どこのPTAも同級生の問題行動に断固たる社会的制裁の姿勢を取れないのは、どこかから「我が子の人生に汚点をつけないで!」という当事者の親の声が聞こえてくるからなのです。保護者の事なかれ主義は教員にも伝染します。数年我慢すれば、どこか別のところに転勤できると思えば、教員達はやがて疲れ果てて無気力になり、連帯も団結も出来なくなります。
それゆえ、一般の保護者は、学校が立ち上がり,問題行動を一掃する方針を鮮明にし、具体的に生徒の問題行動指導に踏み出すまでは「頼れる存在」にはならないと思わなければなりません。文科省は「学校支援本部」構想を打ち出しましたが、地域による学校の支援が先ではありません。学校による地域の支援が先なのです。「子宝の風土」の学校は、「子宝」の養育を請け負う地域の「守役」であるが故に尊敬され、子どもの人生を先導する文化的中心であるが故に敬意を持って遇されるのです。学校が本来の学校であろうとすれば、学校地域支援本部など作らなくても日本の地域は必ず学校を支援します。明治以降の学校の歴史を調べてみれば一目瞭然のことです。学校を廃校にして、地域の活力が消滅していることをみても明らかなことでしょう。
3 学校方針の確立と外部機関との連携
学校が一般の保護者を味方につけ、真に問題行動を解決しようとするならば、社会の規範と学校内の規範は同じであることを毅然として宣言しなければなりません。本来、学校の規範は世間の規範のモデルでなければならなかったのです。社会の規範に照らして、生活上の「迷惑行為」は許されません。当然、あらゆる犯罪も許されません。学校の規範に照らした非行や犯罪の取り扱いも違う筈はないのです。そのために、学校は、PTA組織に事前に周知した上で、警察・司法等地域の行政機関と組んで、「非行の風土-非行の文化」の撲滅を宣言しなければなりません。組織の了解を得る論理は、問題行動を起こしている一部生徒が、学習規律を破壊し、多くの“まじめな”生徒の学習権を侵害し、教師の指導力を阻害し、世間に学校発の反社会的行為が波及することを許してはならないということです。学校の宣言は「警察」「児童相談所」などの外部機関との連携を公表することを伴います。学校内の規範は、外部社会の規範となんら区別しないということを周知徹底することが重要です。周知徹底の方法は、学校と外部機関との定期的な連絡協議の場を立ち上げ、その会議録を保護者及び地域社会に公開することです。
自分の子どもの汚点になる学校独自の対処法や具体的な処分には大いに抗議する問題児の保護者も、警察を含めた地域社会が学校に同調し、他者への迷惑行動は断固禁止するという論理にはほとんど対抗できません。
問題行動の沈静化は、学校情報の全面公開、地域の公的組織との連携、教員集団による一致した基準による生徒の集団指導がカギになるのです。学校は、学校の内外を通して「非行の文化」を容認しないということを宣言するのです。学校の宣言は、「見えない教育機能」です。学校が、「他者への犯罪的行為」、「地域への迷惑行為」は断固認めない、という学校発の文化を創造することで地域を支援することになります。その時初めて、地域は学校の方針を支持し、学校を守り、学校文化の庇護者になるのです。もちろん、基本は、情報公開や施設開放も含めた学校の公開であり、教員の“全員野球”であり、地域との連携であり、「守役」の自覚です。「隠し事」をせず、問題行動を公表することが非行の文化に対抗するもっとも有効な方法なのです。
日本文化とボランティア
1 カタカナの日本文化
ボランティアはいまだ適切な日本語訳が作れない外来語です。恐らく,ボランティアが意味する社会的価値は、過去の日本の歴史と文化にほとんど存在していなかった思想と実践なのです。しかし、日本が当面した国際化と高齢化がボランティアを必要とする土壌を創り出し,今や「個」の存在を尊び,「主体」の自律を重んじる日本人の社会貢献を支え,外来語のまま受け入れるようになりました。阪神大震災のような非常時の災害はボランティアの実践が新しいカタカナの日本文化として誕生したことを証明しました。さらに急速な高齢化が現実のものとなり、人生80年時代を生涯現役として生きようとする人々にとって、ボランティア・スピリットは己の活力を維持し,社会への参画を続ける貢献活動に欠かすことのできない思想となったのです。ボランティアは、個人として生き始めた多くの日本人の賛同を得て、全国的規模で、これまで存在しなかった新しい人間関係を創り出したのです。伝統的共同体が崩壊し、「地縁」から発生する「共益維持のための人間関係」が衰退し、個人がバラバラになりつつある日本のコミュニティに新しい「公共」を生み出し、思想と感性を共有する「志縁」の人間関係を生み出しつつあるのです。ボランティアは日本語訳が作れない外来語のまま、主体的な日本人に受け入れられ、新しいライフスタイルとして認知され、日本人の日常を支えるカタカナの日本文化になりつつあるのです。
2 生涯現役を支える精神
ボランティアの行為や活動は、一般的に「奉仕」と訳され、その「行為者」については「有志」、「奉仕者」、「有志活動家」、「任意行為者」、「志願者」などと訳されて来ました。しかし、周知の通り、ボランティアという用語にはいまだに適切な訳語は定着せず、カタカナのまま使われています。日本文化に流入した外来語は、意図的に日本語に訳さないものと訳そうとしてもうまく訳し切れないものとがあります。前者の多くは表現上の“ファッション”であり、外来語のままの方が“格好いい”のです。トヨタも日産もホンダも車の名前に日本語は使いません。当てはまる日本語が無いのではなくて、日本語にしない方が“格好いい”のです。一方、後者は、日本社会にピッタリ当てはまる「概念」や「対象」が存在しないのです。明治期の福沢諭吉先生が、「会議」や「議会」や「会社」や「社会」などの訳語を発明したと言いますが、言葉を作りながら、当該用語に対応するシステムを同時に創らなければならなかった明治維新のプロセスはさぞや大変なことだったことでしょう。
「ボランティア」は恐らく適切な訳語を発明できなかった異文化概念の「典型」なのです。日本の文化にも、奉仕や「布施」や「陰徳」などボランティアに関係する考え方も行為も確かに存在するのですが、どこか「ボランティア」とは発想が異なっているのです。それゆえ、いろいろ工夫をしたあとでも、いまだにボランティアをカタカナで書き続けていることになっているのです。このことは、日本文化にとって重要かつ特徴的なことで、日本の歴史には、ボランティアに匹敵する文化的思想や行為が存在しなかったという証でもあります。
しかし、近年、経済の国際化・地球化の時代が到来して、貿易立国日本は、進んで世界の国々の文物を取り入れ、異文化との付き合いを始めざるを得ませんでした。外国の文物を受け入れているうちに、「レディーファースト」や「スポーツマンシップ」などと同じように、ボランティアの思想と実践も外来語のままに日本社会になくてはならない概念として定着したのです。
事実、年をとって周りを見渡してみると、自分を含めて,友人にもボランティアをしている人が多いことに気付きます。熟年のボランティアは「生涯現役」の社会貢献者であるということです。筆者は、高齢社会の「安楽余生論」を批判し、人生80年の時代に社会への参画を断念してぶらぶら暮らしている熟年の危機を訴えて来ました。それ故、特別に「生涯現役者」や人々のボランティア・スピッリットの気概に惹かれているということなのでしょう。筆者のいう「生涯現役者」とは、老衰で身体がきかなくなるまで社会貢献の志を捨てず、人々の役に立とうとする熟年を意味しています。彼らの魅力は、老いてなお他者の役に立とうとする思想と意志と実践のエネルギーです。ボランティア・スピリットは居住地域に関係なく、所属組織に関係なく、政治上の思想信条にも関係ありません。日本の伝統的共同体が守って来た共益のための相互支援システムや勤労奉仕思想とは発想が根本的に異なっているのです。
これからの日本は,個々人の共生・奉仕の気概なくして高齢社会を乗り切ることはできないというのが筆者の持論です。老いて社会参画の気概を失えば、精神の自律や人間としての魅力を失うということでもあります。若い時ならいざ知らず、年をとってからの生涯現役の生き方は、他者の役に立とうとするボランティアの思想と意志と実践のエネルギーを必要とします。ボランティア・スピリットは生涯現役の精神なのです。
3 ボランティアの概念
ボランティアに関する日本と欧米の社会的風土の最大の相違点は、「個」の概念とそこから派生した個人主義の考え方にあります。欧米の「個」の概念は、常に「全体」と鋭く対立し、個人の権利と全体の福祉は常に葛藤状態に置かれます。
欧米における「個」の考え方は、個人の自立を最大の課題としながらも必ず全体社会の存在を前提としています。社会的存在としての人間は、「全体」なくして「個」ではあり得ないからです。結果的に、両者はそれぞれの存在と利害に関して激しく対立せざるを得ないのです。個人の自立に関わる主張は原則として「権利」の概念として確立されました。これに対して全体社会の中で生きなければならない個人は全体社会を成り立たせるための最小限の役割を果たさなければなりません。それが社会が個人に要求する「義務」の概念です。権利と義務は相互に相手を排除し合う対立概念で、曖昧さを許さぬ論理的で法的な概念です。
この時、ボランティアは、法的で冷徹な権利と義務を規定する社会規範の間にあって、個々人の感情や主観的な判断を伴う“人間味”を付加する考え方です。ボランティアの場合、“人間味”とはキリスト教にいう「よき隣人」の考え方に重なります。ボランティアの精神は、個人の権利と社会的義務の法的な論理の間に割って入る宗教的・主観的・情緒的な隣人愛の表現形式なのです。これに対して日本社会における「相互扶助」や「勤労奉仕」の概念は伝統的共同体が必要とした「共益」を前提とした「おたがい様」や「おかげさま」に代表される持ちつ持たれつの助け合いの精神です。「共益」を前提とするということは、個人の自立に関わりなく、個人と全体は原理的に対立関係にはないという建前・前提があります。個人の利益と全体の利益は相互に重複し、原則として、個人は「共益」に対立するような権利を主張せず、共益を前提とした義務は原理的に個人の権利を侵害しない筈であるということになっているのです。原則として、個人の主体性は共同体の共益に従属し、個人の事情を主張して共同体の利益に対抗することは許されなかったのです。
ボランティアは個人主義を原点とした概念であり、共益や共同を前提とした概念ではありません。ボランティアは、個人と全体が対立する社会において、個人と社会の拮抗をやわらげ,個人を社会(隣人)に結合する概念として登場したのです。
4 神との約束-個人の選択と主体性
社会の最小単位を個人に置き、その個人を全体社会から独立の存在として認知する個人主義の考え方は、大きく一神教;欧米の場合はキリスト教が生み出したものと考えて間違いないでしょう。個人は神の前の個人であり、社会は共同生活上必要となる人工的な仕組みに過ぎません。それ故、社会は個人と全体との「契約」によって成り立つという考え方が提起されたのです。「おたがい様」や「おかげさま」を前提とする共益社会の相互扶助の精神や奉仕の概念と異なり、ボランティアにおける奉仕の概念は個人と共同体との関係から生まれたものではなく、個人と神との関係から生まれたものと思われます。
キリスト教において、人間がこの世にあるのは神の思し召しの結果であり、恩寵の証です。ボランティアは神の恩寵に対する信仰実践としての隣人愛です。神の恩寵と愛に報いるため、人間は力を尽くし、世のため、隣人のために働くという思想です。ボランティアとして登場する個人は、人間同士の相互扶助を前提としているのではありません。「神の意志」への服従を前提としています。神の命じる「隣人愛」を実践するため絶対者の前の個人として立とうとしているのです。
この場合、社会も、隣人も神と人間との媒介物であり、社会に貢献し、隣人に奉仕することを通して神の恩寵に対する信仰実践をするということになるのです。
5 信仰実践としての隣人愛
キリスト教文化圏におけるボランティア活動は、隣人愛の日常的実践です。隣人愛の実践は神の御心に適い、ボランティアも神の御心に応える行為なのです。信仰実践としての隣人愛は教会及びその関係団体の徹底した布教と情宣活動によって、筆者が観察したアメリカ人の日常生活に浸透しています。ボランティア活動は多くのアメリカ人の行動を律する宗教的観念として日々の規範の中に根を下ろして機能しているのです。
どの関連書を読んでも,ボランティアの基本原則は「主体性」であると書いてあります。ボランティアが信仰実践としての隣人愛であるとすれば、思想も行動も神に対する信仰者としての個人に発し,活動が「主体的」であるというのも頷けることでしょう。実践に関わる本人の選択と主体性は、自覚の程度に差異があったとしても、個人の観念の中では自分と神との「約束」であるということができるのです。
これに対して,日本の社会的風土には、人間相互の助け合いの約束は存在しても,「神仏との約束」は極めて希薄であった(である)と言って過言ではないでしょう。確かに、「布施」とか「慈悲」とかの仏教概念は存在しますが、日本人大衆の日常の信仰実践にまで高められたことはありませんでした。布施も慈悲もボランティアと同じような日常的な隣人愛の信仰実践としては普及しなかったということです。「葬式仏教」という言い方がその傍証です。日本人は「他者への奉仕」を神仏と「約束」したことはなく、欧米のボランティアに匹敵する内面的動機は存在しないのです。日本の伝統的共同体は,仲間の助け合いや共益を共有する帰属集団への奉仕は強調しても,宗教的実践として「一般的他者」に対する「隣人愛」を自らに課したことはないのです。日本の助け合いや相互扶助は、個人の帰属する地縁や結社の縁に由来する「仲間うち」のことに限定されてきたのです。それゆえ、ボランティアを「奉仕者」と訳しても「有志」と訳しても、「一般的他者」を対象とする普遍的隣人愛を意味することにはならないのです。換言すれば,日本語にはボランティアの概念を直訳的に表現する歴史的・文化的背景がほとんど存在しないのです。
6 日本文化の中のボランティア類似思想
日本文化の中で欧米のボランティア思想にもっとも近いと思われるのは伝教大師の「一隅を照らす」という発想です。「一隅を照らす」とは伝教大師最澄の『山家学生式』に記されている言葉です。山家学生式では、「国宝とは道心なり」といい、「道心ある人とは,一隅を照らす人」だといい、「己を忘れて他を利する」は、「慈悲の極みなり」と言っています。この場合の「他を利する」とはキリスト教のいう「隣人愛」に匹敵し、宗教の枠を越えて奉仕の対象を人間一般に普遍化することができます。その点で、布施や陰徳の概念より幅広くかつ実践的です。ちなみに「布施」は3種類に分れています。第1は、「法施」で、仏法を説いて聞かせ精神的な施しをするという意味です。第2は、難しい言葉ですが、「無畏施」と呼ばれ、不安を抱いている人に対して安心を施すことだといわれます。第3は、いわゆる日常語の布施で、正確には「財施」と呼び、お坊さんに金品をさしあげることを意味します。
いずれも仏教の枠の中のことで、「他を利する」という普遍概念にはいささか遠いのではないでしょうか。また、「陰徳」を積むという考え方も広く伝わっています。「陰徳積善」という4文字熟語の通り、人の見えないところで善行を積むという意味ですが、調べて行くとあからさまな自己表現を嫌う日本文化の「美学」に近い感性であり反語は「陽徳」です。さらに「陰徳墓」のように陰徳を積んだという記しを残すという点で奥ゆかしい反面どこか偽善の臭いもします。東洋哲学者の安岡正篤氏は、伝教大師の思想を標語化して「一灯照隅 万灯照国」と表現しています。素晴らしい要約だと思います。一人から始まる社会貢献の思想が全員に広がった時、その光りは国家を照らすという意味でしょう。アメリカの国づくりが「フロンティア・スピリット」から「ボランティア・スピリット」へとスローガン化されたように隣人愛を基本とした人々の社会貢献は国家社会の基礎を築くという点で「一灯照隅 万灯照国」の思想と共通しているのです。
7 地縁の衰退と志縁の拡大
戦後日本は戦争がもたらした悲惨な結果から、個人の主権と主体性を何よりの価値として謳いました。結果的に、戦後日本の「個人」は、集団や、全体や、地域や、社会に比して、相対的に重視されるようになったのです。筆者はこうした傾向を「自分の時代」、「自分流の時代と表現して来ました。
日本人の価値観が多様化したと言われる中で、「自分らしく」が価値として突出しています。日常的、具体的には、個人の利害が共益や公益に優先するようになりました。「おかげさま」や「おたがい様」の感覚を忘れ,自分勝手な 日本人が氾濫していると古い世代が嘆く通りです。
戦後の自分主義は、地縁共同体がもたらす干渉や束縛に鋭く反発しました。地縁共同体が発する「奉仕」の要求は、個人の自由を侵害する対立物となったのです。地縁に基づく相互の干渉も,地縁に由来する共同作業や勤労奉仕も大いに憎まれました。国も地方も、地域社会の衰退に危機意識を抱いて、地縁を前提とした共益や公益を立て直そうと,コミュニティの自治や地域づくりを推進しようとしていますが,もはや自分主義を止めることはできません。今や、私益は共益,時には公益に優先しているのです。戦後日本の自分主義は、個人の権利や人権を前面に押し出して日々の暮らしを形成して来ました。自分主義の暮らしとは,端的に言えば、個人の生き方に対する地域の干渉を許さないという思想原理でした。その結果、伝統的共同体は一気に力を失い,地縁による人間関係は崩壊し、地縁に由来する共同作業や勤労奉仕も消滅しました。まつりも伝統行事も確実に消えて行ったのです。社会教育においては、青年団が空中分解し、婦人会が弱体化し、子ども会も次々に崩壊が始まっています。行政の補助機関として多くの行政事務を下請けして近隣をまとめて来た自治組織ですらも衰退が始まっています。
代わりに機能集団としての様々なグループ・サークルが誕生し、各種NPOも一気に誕生しました。これらの新しい集団や組織は共通の「機能」や「志」を共にしています。
同じ近隣に居住していても、気が合わなければ交流は行なわれず、少しくらい住所が離れていても気が合えばいつでも行動を共にする時代が来たのです。換言すれば、地縁や職縁によって繋がれた人間関係が衰退し、思想や感性、あるいは興味や関心を共にする志によってつながった志縁の人間関係が人々を繋ぐようになったのです。ボランティアの思想と感性は、共同体が要求する「相互扶助」や「勤労奉仕」に代わって、日本人の親切や連帯の志を社会的に表現する日常の行動様式として採用され、カタカナの日本文化になりつつあるのです。
お知らせ
1 第94回生涯学習フォーラムinふくおか
忘年例会も兼ねて12/12(土)の予定です。
15:00-18:00(今回は1時間延長です)
(1)事例研究発表:報告者は、古市勝也九共大教授、大島まな九州女子短期大学准教授のお二人の予定です
(2)論文発表:「未来の必要から論じる生涯学習振興政策」(三浦清一郎)です。
(3)懇親交流会は18:30からです。宿泊希望の方は福岡県立社会教育総合センター(092-947-3511)までご連絡下さい。
2 第95回生涯学習フォーラムinふくおか
詳細は次号で発表します。日時は1月23日(土)15:00-17:00、会場は福岡県立社会教育総合センターです。
3 第96回生涯学習フォーラムin米子
米子児童文化センターの15周年事業に便乗して、鳥取県西部のみなさまが集まって下さいます。日吉津村(ひえずむら)の橋田先生を中心に計画が進行中です。冬の日本海の温泉を楽しみながら皆さんで語り合おうという計画です。1月30日(土)夜;大交流会、1月31日(日)午後;米子フォーラムの予定です。
4 第5回山口人づくり、地域づくりフォーラム
今年度は、2月13日-14日(土-日)の予定です。関心のある方は山口県生涯学習推進センター(〒754-0893山口市秋穂二島1602、電話083-987-1730)までお問い合せ下さい。
5 第97回生涯学習フォーラムin若松
若松未来ネットまちづくり研修の実践発表会を見学します。
日時:平成22年2月20日(土)13時-17時
場所:北九州市若松区役所
終了後フォーラム夕食会を企画する予定です。
参加希望者は「北九州市若松区役所まちづくり推進課:093-761-5321に問い合せをして見学許可を受けて下さい。
平成22年(2010年)の更新のご案内(第2回)
1 メールマガジンをご希望の方は「風の便りーメールマガジンを希望する」というタイトルで三浦までメールをお送り下さい。平成22年1月号(121号)から「メルマガ」をお送りします。一切の費用は必要ありません。
2 平成22年(1月-12月)も、これまで通り「風の便り」の実物(ハードコピー)をご希望の方は郵送料と印刷費の合計年間2,000円をお送りください。
§MESSAGE TO AND FROM§
このたびは「風の便り」購読の更新に際し、励まし、ご叱正、近況のご報告等お便りありがたく拝見いたしました。春から夏にかけて研究した「あるがままの命」と「あるべき命」の区別論を主題とした新しい本の第2回著者校正が送られて来ました。恐らく正月明けには世に問うことができるでしょう。次のテーマである「日本文化の中のボランティア」論の執筆にも着手いたしました。前を向いて進んでいる実感がある時、自ずからエネルギーも充実感も湧いて来ます。生涯現役の社会参画を続けることが老後を生き抜くカギになるという持論をますます確信しております。
更新に際し過分の郵送料を頂戴いたしました。慎んで感謝申し上げます。
山口県下関市 永井丹穂子 様
長崎市 武次 寛 様
佐賀県伊万里市 西岡信利 様
福岡県宗像市 山口恒子 様
佐賀市 小副川ヨシエ 様
福岡県宗像市 賀久はつ 様
福岡県八女市 杉山信行 様
福岡県宗像市 牧原房代 様
編集後記
少年の儀式
1 「2分の1成人式」
飯塚市の複数の小学校が取組んだ10歳(4年生)の立志式を拝見しました。正式な事業名は「2分の1成人式」と呼ばれています。4年生の3学期に出てくる学習項目の一つだということでした。20歳の半分まで来た人生の区切りの意味を考えさせたいという行事です。
私も二つの学校を見学させていただき、遠い昔の記憶の彼方にある我が生い立ちを思い出し,少年期の儀式に思いを馳せました。結婚式やお葬式に見るように、少年にとっても,大人にとっても「儀式」は第一に「非日常」のできごとです。第二に、「式典」は儀式の意味付けを反映した「型」を踏まなければなりません。それゆえ、第三に何のための儀式か、何を教えようとしているのか、が明快でなければなりません。入学式が学業の始まりを祝って今後の精進を励ますように、卒業式が学業の成就を祝って新しい門出を励ますように、「2分の1成人式」にも明快な意味を付与しなければならないのです。筆者が「立志式」と呼ぶべきだと考えたのは「志を述べる」という過去の先例に倣いました。二つの学校の当日の式典はそれなりに工夫されて行なわれましたが、以下は筆者の子ども時代への“郷愁”を含んだ感想です。
2 儀式の3要素
「非日常」の式典には、「改まった作法と舞台」、「儀式の意を汲んだ表現と証明」、「当事者の到達点を認知する立会人」の3条件が不可欠です。入場も、退場も、行進も、起立も、礼も、着席も、ものを受け取る時も、逆に差しあげる時も普段とは異なる儀式としての作法と型が不可欠です。子どもの集団行動における同調や規律はまだまだ不十分でした。指導に当たる先生は、テレビで見るシンクロナイズド・スイミングをもう少し参考にすべきだと思います。戦後の学校教育は、運動会から式典に至るまで、儀式の意味や非日常性についての理解が欠落していて、礼節も作法も崩壊させてしまいました。“普段着の卒業式”という言い方に象徴されるような、むしろ儀式を否定する発想がもてはやされて来たのです。
その結果、まっすぐに立つことも、じっと坐っていることも出来ない子ども、間髪を入れず立ったり座ったりできない子ども、注意を集中できない子ども、他者のリズムに同調したお辞儀も発声も言語表現もなっていない子どもが育ったのです。要は、「型」を「踏む」ことが出来ず、集団に適応できず、他律に服することのできぬ、体力と耐性と礼節を欠損した子どもを大量に生み出し続けたのです。社会規範が身に付かず、教室の授業が崩壊するのも無理からぬことなのです。
3 少年期の儀式は「通過儀礼」
式典における子どもの表現行動には一層の注意が必要です。10歳の区切りは民俗学のいう「通過儀礼」を意識するわけですから、当然、決意の表明が行なわれました。決意は「ゆめ」と等値され、「ゆめ」の多くは憧れの職業と等値されていました。「憧れ」は「りっしんべん」に「わらベ」と書くのですから、「ゆめ」を語っていいのです。しかし、その夢をどのように実現しようとしているのかという発想は、先生方の指導がなければ、子どもの意識から欠落します。立志式である以上、「あこがれ」が前面に出て当然ですが、「空虚なあこがれ」を語るだけでは教育の名に値しないのです。「明日」からどのように生きようとするのか、目標には目標に至る過程や方法論が不可欠なのです。また、立志式が「通過儀礼」を兼ねるとすれば、子どもたちは10歳までにどんな課題を解決し、何を達成したのかも併せて問わなければなりません。現代の学校は、学習指導要領の枠外で子どもたちに成就させたい10歳までの達成基準に、果たして、思いを馳せたことはあるでしょうか?
4 感謝を教える
子どもは10歳までの人生を一人で生きてきたのではありません。それなのに、参列した保護者や教師への感謝の言葉が足りませんでした。父や母や祖父や祖母の養育のお蔭でここまで来たのです。教師の指導なくして、「できないことは」「できるように」はならないのです。それ故、これからは「かくかくしかじか」のように生き、「次のようなこと」に努力します、という決意の表明は感謝の言葉と組合わさったとき、必ずや保護者の胸を打つことでしょう。
また、学校が主催した式典ですから、先生方の「祝い」と「励まし」のメッセージも不可欠です。それは子ども自身のためであり、教師自身が己の日々を見直すためでもあります。子どもは指導しな
ければ、「社会の視点」を意識化することは出来ません。式典の中身は、未熟な子どもに任せることなく、憧れも感謝も子どもにあらためて意識化させ、改まった言語表現を駆使して表明できるよう指導すべきだったと思います。先生方がいて、保護者がいて、来賓がいて、上級生の演奏があって、「晴れの舞台」は、当の子どもたちにはさぞ張り合いがあったことでしょう。しかし、10歳(4年生)の当事者だけに注目した結果、やがてこのような儀式が巡ってくる下級生は「立会人」に加えられていませんでした。3年生だけでも加えて、来年は「君たちの番だ」となぜ教えなかったのでしょうか?僅か45分の式典ですが、「立会人」にも当事者と同じ作法や儀礼が要求されます。まさか下級生の担任たちがそれを嫌ったわけではないと思いますが、少年の儀式を立派に為し遂げるまでには、現代の学校にはまだまだ沢山の宿題が残されています。式典を立派にやり遂げる規律と忍耐が確立されていなければ、学習の規律は到底期待できません。学習の規律がない限り、先生方の指導は子どもに到達しません。家庭学習や自学自習なども到底出来るようにはならないのです。式典を拝見すれば、学力のレベルを想定できるのはそのためです。
最後に、保護者のメッセージは、子どもの未来へのタイムカプセルですから、どの子の保護者も参加できるよう無理のない一行書きを基本として、事前に準備をし、先生方のこころ配りのきいた「立志式(2分の1成人式)証書」に添えて子どもに渡してやりたかったものです。