「風の便り」(第112号)

発行日:平成21年4月
発行者 三浦清一郎

市民による市民のための生涯学習システム

行政施策の一環として、市民が市民のために働くということだけであれば,各種のボランティア活動も,人材活用事業も決して珍しい事業ではない。しかし、市民が相互に市民の学習を支え合うということになると,行政主導型で進んで来た日本の社会教育では稀な事例になる。まして,行政の手を離れて活動が自立している事例となると極めて数は少なくなる。福岡県飯塚市の「熟年者マナビ塾」や同みやこ町の「豊津寺子屋」はその一例であるが,それでも完全に行政の支援や管理を離れているわけではない。近年ようやく活気を帯びて来たNPOの諸活動にしても,財源に行き詰まり、活動が孤立して法人の抹消に動き出したものも少なくない。あらゆることを行政に依存して来た「お上の風土」の民主主義は社会教育関係団体の事例に限らず一筋縄では行かないのである。行政支援が希薄になって来た途端、子ども会も婦人会も一気に質量ともに活動が低迷しているのは周知の事実であろう。行財政が逼迫して来た現在、真に自立した「市民による市民のための生涯学習システム」の意義はますます大きくなる。25年の長きに亘って持続し,今や,ほぼ完全に行政から独立した「むなかた市民学習ネットワーク」事業のあり方は,結果的に,生涯学習の民主主義を実現し,市民主導の生涯学習システムの原点と成り得るのである。

1 原始の学習

正規の教育システムが誕生する以前は、知っている人が「知らない人」に教え、「できる人」が「できない人」を訓練しました。教育も学習も現場の必要に迫られました。それゆえ市民相互教授システムは原始の学習方法なのです。必要に応じて必要なことを自由に学ぶことは、教育が職業として成立するまでは「学習」の交換であり、相互の教授システムと呼ぶべきものだったでしょう。
原始の学習の原則は,必要に応じて,「誰が教えてもいい、誰が学んでもいい」ということになります。それゆえ、ウィリアム・ドレイブスがアメリカの「自由大学」の哲学を凝縮したスローガンも「誰が教えてもいい、誰が学んでもいい」ということになりました(*1)。
市民による市民のための生涯学習システムの誕生は筆者が「学習者の変質」という視点で概念化して来た「生涯学習革命」を象徴する具体的な形です。生涯学習革命とは市民が教育と学習の主役になる時代を意味しています。その時、市民は、もはや「鑑賞者」にも「見物人」に留まらず、自らが「プレイヤー」となり、「創造者」となり、「教授者」にもなりうる時代を指しています(*2)。原始の学習形態は「教育者」と「学習者」、「指導者」と「被指導者」が明確に分離していませんでした。当然、教育も専門職業として分化してはいませんでした。「できるもの」が「必要なもの」に教えていた筈です。したがって、教育も指導も、必要に応じ、「いつでも、どこでも、誰でも、なんでも」の形で行なわれていたに相違ありません。
一方,「市民学習ネットワーク」が出発した当時;25年前の状況は、教育・指導の専門・分化が進み,教育機能を効率化した結果、教育者や学校を特権化し,教育者や学校の同意がなければ,市民の学習は行えないところまで教育制度は形骸化していたのです。教育制度はいわゆる「制度疲労」を起こしていたのです。
社会教育の分野も同じでした。「おしえるもの」と「おしえられるもの」は職業によって2極分化し,一般市民はあくまでも「学習者」,「鑑賞者」,「見物人」の枠の中に閉じ込められていたのです。職業や人生経験を通して一般市民が特定事項に通暁していたとしても,教育行政や学校などの専門機関の「お墨付き」がない限り他の市民を指導することは不可能でした。それこそが教育の「縄張り」であり,既成の指導者の「特権」でした。時代は教授する者と教授される者を峻別する教育分業の時代でした。当然、当時の市民は教育の客体に過ぎなかったのです。
それゆえ、「宗像市民学習ネットワーク」事業は,結果的に,形骸化した当時の教育文化への挑戦になりました。突破口は「生涯学習」の思想の登場でした。

(*1) William Draves,  Free University, AP Follett, Chicago, 1980、p.15
(*2) 三浦清一郎編著,市民の参画と地域活力の創造、学文社、平成17年、p.22

2  モデルはアメリカの「自由大学運動」と「学習交換」

「市民学習ネットワーク事業」はアメリカの「自由大学運動(Free University Movement)」と「学習交換(Learning Exchange)をモデルとして誕生しました。市民が市民を指導するシステムの事業化としては、恐らく、日本で初めての実験事業であったと思います。事業の基本は、市民が先生になり、必要とする別の市民に指導する仕組みを独立採算で廻すことが理想の原理です。“市民による市民のための生涯学習“とは後から考えるとそういうシステムの構築を目指していたということです。大元のアメリカでは、I.イリッチの「脱学校化の社会」(*)などが大いに論じられた時代でしたが、九州の小都市においては、「脱学校化」も「脱制度化」も表立って論じられることは全くありませんでした。当時の宗像市の大問題は、ベットタウン化に伴う人口増とそこから生じる新旧住民の和合であり、住民相互のコミュニケーションのステージを如何に創造するかということでした。背景の理屈はどうあれ、生涯学習を推進することによって新旧住民が仲好しになれればそれで”よし”としたのです。実践の動機はともあれ,市民学習ネットワーク事業の原案の作成に関わった当時の福岡教育大学の社会教育研究室では、初めて理論研究の成果を実践に「翻訳」する機会を得たことになりました。ここから“研究と実践の幸福な往復運動“が始まることになりました。
折しも、福岡県の関係者が協力して、日々の社会教育実践を研究の素材として、実践を向上させ,また,実践への応用や現場の反応を手がかりに研究を進化させようという趣旨の「生涯学習実践研究交流会」を発足させたのが昭和57年でした。「市民学習ネットワーク事業」は第1回大会から第5回大会まで連続5年に渡って実践研究の発表:事業経緯の報告と分析を続けました。

* イヴァン・イリッチ 、東 洋他訳『脱学校化の社会』東京創元社 昭和 63 年

3   5人集まれば「学級」成立

「市民学習ネットワーク」では5人集まれば「学級」が成立しました。当時の公民館補助事業の基準学級の人数が50人・年間20時間以上というような規定であったことを考えれば、「5人」という最低基準定数は破格の条件でした。企画の段階の議論では、人数が少ないほど市民の交流の「密度」が濃くなるとか、市民指導者の指導ストレスや同格の市民に対する抵抗感も少なくて済むであろうという説明もありました。しかし、学級の最少基準人数を低く設定した最大の直接的動機は、素人先生を囲んで、10人、15人の参加者を確保することは果たして大丈夫か,ということでした。10人以上の学級編成を義務づければ、学習そのものが成立しないのではないかという懸念がありました。
当時は、教授も指導も分業化されていた時代であり、教育の素人が専門家の領域を「侵して」、同等の事ができるとは想定出来なかった時代でした。
行政に対する説明の理屈としては、当時、世界の最先端といわれていたスエーデンの生涯学習の振興に関する法律が5人を最少の学級人数として講師の派遣をすると謳っていることを根拠として提出しました。
しかし、時代は研究者の予想を超えたスピードで動いていました。市民の「生涯学習革命」が始まっていたのです。これまでの「鑑賞者」は、「創造者」となり、自ら絵筆を握り、文を書き、舞台で演じるようになっていったのです。また「見物人」は、自ら「プレーヤー」となり、生涯スポーツは爆発的に普及しました。「スポーツ担当社会教育主事」というような職名も発明されました。人気のない科目はともかく、多くの領域で「市民学習ネットワーク」事業の参加者は遥かに予想を上回りました。結果はおおむね嬉しい誤算でした。

4 「市民学習ネットワーク事業」の構成要因

この事業には6本の「柱」があります。
「有志指導者」、「学習者」、「運営委員会」、「認定講習会」、「有志指導者連絡会議」、「コミュティ学習新聞」の6つです(*1)。
主役はもちろん「有志指導者」と「学習者」です。「市民による市民のための生涯学習」という時の市民とは「有志指導者」であり、「学習者」だからです。
事業の準備が整ったあと、運営の仕組みは当分の間、社会教育振興協議会の委員を中心に構成する「市民学習ネットワーク運営委員会」に託しました。有志指導者や学習者の成長はずっとあとのことになると予想したからです。社会教育振興協議会は行政の補助金と管理支援で成り立っていた組織であり、その「孫請け」に入るということは,行政の間接管理下に置くということを意味していました。教育活動そのものは市民が自律的に行なうとしても,お金も,事務管理も、まだまだ行政に依存しなければならない時代でした。
各学級の運営は、指導に当たる「有志指導者」とクラスから選出された「学級長」、「会計係」、「会場係」の3名の合議による徹底した自主運営方式にしました。
市民のための生涯学習は市民による自主運営の学級で行なう仕組みにしたのです。当初の認定講習は大掛かりでした。カリキュラムは以下のような項目でした。
(1) 市民相互学習の意義と進め方
(2) 青少年の学習活動の特徴と指導者としての心構え
(3) 成人の学習活動の特徴と指導者としての心構え
(4) 学習指導の方法
(5) 学習プログラムの作成
(6) 指導後の反省と評価

認定講習受講後指導者には「有志指導者」としての資格が与えられますが、資格は2年間しか有効でありません。それゆえ、2年毎に更新研修と新しい指導者の発掘と認定が繰り返され,今日に至っています。

(*1) 竹村 功、三浦清一郎、小都市における人材ボランティア活用事業の企画立案についての方法的考察、第1回九州地区生涯学習実践研究交流会発表資料、昭和57年

5  広報活動が成功のカギ

市民学習ネットワーク事業は広報を重んじました。従来の「教化」・「行政主導型」の社会教育プログラムと異なって、市民主導・相互補完型の生涯学習は、発足当初は、市民にとって極めて馴染みの薄いものだったからです。まずは、事業の思想と原理を市民に知っていただき、「有志指導者」にとっても、市民学習者にとっても仕組みと雰囲気を分かっていただくことが先決だったからです。しかし、市民教授システムである以上、広報活動もまた市民の手で担わなくてはなりませんでした。1年目の「コミュニティ学習新聞」:「学習とであいのひろば」もまた市民ボランティアによる取材・編集で発行していました。初めのころは月1回の発行記事を集めるだけでも大変な作業でした。手づくりの広報紙を行政広報と一緒に全戸配付する仕組みは当時の宗像市の理解抜きには実現し得なかったことです。
25年が過ぎた現在でも「むなかた市民学習ネットワーク事務局(宗像市市民活動交流館内)」には、嘱託・専任の担当者が配置され、ボランティアの編集員さんと協働して広報を作り続けています。幸いなことに事務局の資料棚には第1号からの広報紙が保管されていました。市民学習ネットワーク事業の出発点は最初の数年の広報紙をひもとく中からその歩みが浮かび上がって来ます。

6  発足時の仕組みと状況

「市民学習ネットワーク」は文字通り「無」から作り上げたものですが、世間的に通りがいいように、形態・形式の上では市内の「社会教育関係団体」で構成する「社会教育振興協議会」を推進母体とする形を作って発足させました。発足時の「有志指導者」は89名、利用可能施設は自宅を含めたあらゆる場所を想定していました。未だ、「箱もの」の整備が遅れていた時代でした。事業に先立って学習施設調査が行われ、公立の公民館を含め、農協・銀行・寺院・商工会・電電公社(当時)の会議室など民間施設管理者の理解も得られていました。昭和46年、当時の文部省「社会教育審議会」の答申において、日本に生涯教育(学習)の思想が正式に採用されて以来、十数年が過ぎていたとは言え、民間事業所の協力は当時としては画期的なことだったでしょう。宗像市の積極的な推進姿勢が周りの人々に共感の雰囲気を創り出していたことは明らかでした。
事業の特性を表すキャッチフレーズとして、「コーヒー一杯で学習を」「5人揃えばOK」、「学習者が主役」、「手づくりのカルチャーセンター」、「全国初の草の根学習」、「学習するコミュニティの創造」などの文言が広報紙:「コミュニティ学習新聞」の紙面に踊っていました(*1)。市民教授システムの出発点は24学級でした。

*1 コミュニティ学習新聞「学習とであいのひろば」昭和58年4月創刊号-5月号

7 「受益者負担」の原則-「珈琲一杯で学習を!」

「コーヒー一杯で学習を!」は市民学習ネットワーク事業の学習者募集のキャッチフレーズでした。25年前一杯のコーヒーは300円でした。企画の段階で大きな抵抗があったのは、学習者に応分の負担を求めるという「受益者負担」の原則でした。当時,生涯学習は行政主導・行政丸抱えの政策がとられていました。その中で、受益者負担制度は、行政関係者の理解を超えていて、決して歓迎されませんでした。“素人が教えるのに,市民からお金をとる”などということが出来るはずはないというのが大方の感想であったと思います。「コーヒー一杯」は受講料を意味し、1回300円(平成21年現在400円)の負担を市民にお願いしたからです。今日では想像できないかも知れませんが、当時の社会教育は、材料費実費を除いてほとんど全てが「ただ」の時代でした。社会教育の多くは未だ「啓蒙」、時に「教化」の雰囲気の漂う時代でした。「おんぶにだっこの社会教育」、お上からの情報伝達やお上が選んだ講師陣の解説を聞く「承り学習」が主流でした。
教育の建前は,社会教育と学校教育は車の両輪と言いながら、実質は限定された市民を対象とした「3割社会教育」が実態の時代でした。
「啓蒙」・「教化」の意味合いがあるのであれば、「お上の経費負担は当然」という発想と「金を取ったら市民は来ない」・「金を払ってまで学習する人はいない」・「市民の素人先生になぜ金を払うのか」等々の考え方が綯い交ぜになって、受益者負担原則の導入には心理的な抵抗が大でした(*1)。もちろん、当時の右肩上がりの日本の成長の中で、行財政が現在のように逼迫するなどということは到底予測出来ませんでした。
しかし、新規構想の事業提案としては,結果的に、受益者負担の構想は行政の財源を頼らないという意味を持ったため,当局と交渉する上で大きな力になりました。出来るか,否かの問題は別として、受益者負担構想は大いに市役所幹部の心証をよくした要因でもあったと思います。
また、何よりも,25年後の現在のような財政逼迫状況でも活動が継続出来るという意味で時差を伴って判明した重要な成功条件でした。受益者負担を原則にしていなかったならば、事業の新設・離陸も、現在の活動の継続も到底不可能だったことでしょう。自立した生涯学習は未だ遠い感触の時代でした。
受講料はボランティアで教えて下さる“市民教授“への「費用弁償」に当てたわけですが、ここでも「ボランティアに費用弁償は要るのか」、「そもそもボランティアはただであるべき」だというような「ボランティアただ論」が論じられました。また、反対に,教師の専門性の観点から、教えていただく「先生方に2,000円の交通費しか払わないのか」という伝統的な「指導者特別視」とでも呼ぶべき考え方が存在し,右も左も「抵抗勢力」でした。社会教育においても市民対等の発想は存在せず、「教えるもの」としての「講師」は専門職業の縄張りに守られた特権的な存在だったのです。
しかし、企画会議は逆転の発想をしました。それは「お金を払ってでも学習したい」人々を発掘しようということであり、「身銭を切って」いるからこそ学習の選択にも、継続にも、評価にも真剣さが増す筈である、ということでした。もちろん、「ボランティアただ論」は日本の「誤解」であり、活動に要する基本費用を社会の側が提供しないで持続的で責任のある学習指導は不可能であるという判断で一貫していました。
また、免許状や教員資格は教育制度における職制上の工夫に過ぎず、未来の生涯学習においては、「できる人」が「必要としている人」に教えることになんの問題もないという思想で一貫していました。むしろ、教育を専門領域に限定し、経験上の知識・技能を素人の市民が教えてはならないという教職のセクト主義こそが生涯学習を阻害する条件であるという主張こそが「市民学習ネットワーク」事業の基本姿勢でした。25年が過ぎてこの思想は正しかったことが証明され、市民学習ネットワーク事業における「市民教授システム」も、学習における受益者負担の原則も見事に定着しました。学習領域にもよるでしょうが、今では、「コーヒー一杯分」の料金で学習ができるのは格安であるというように評価が変わりました。学習に限らず「自己責任」の思想も日本人の間に浸透し、さらに行政は財政難に喘ぎ、今では市民の利用に際し,公立公民館の使用料まで取るしまつになっています。

(*1)前掲紙昭和58年6月号
事業の浸透と受益者負担に対する抵抗感を薄くするため従来通りの減免規定を導入したのも苦肉の策でした。子ども会、老人会のような団体活動に対する割引と学校における活用の受講料免除を2本の柱にしました。割引率は以下の通りです。
15-39名・・4千円
40-59名・・6千円
60名-・・・・8千円
学校教育に導入の場合は無料

8  「有志指導者」連絡会議

市民教授システムに戸惑ったのは学習者だけではありませんでした。最も戸惑ったのは指導に当たった先生方(「有志指導者」と命名していました)だったことでしょう。それゆえ、当初は応援と団結のための「有志指導者」連絡会議を年3回の頻度で開催していました。会議の主催者は「運営委員会」でした。第1回「連絡会議」は1984年の8月8日に開催されました。その記録には、指導上の具体的な問題が数多く提起されています。
例えば、「学習者による学級運営が旨く進まないのでオリエンテーションの仕方を工夫が必要であること」、「指導に関わる材料費の負担に学習者の不満が出ていること」、逆に、「指導上の用具などを取り揃えることが“有志指導者”の負担になり過ぎていること」、「研究成果や完成した作品の社会的発表の機会が欲しいこと」などが指摘されています(*1)こうした実践上の指摘は徐々に事業システムの中に組み入れられ、現在の「学級運営の仕組み」や「発表会」の形に進化して来ました。

(*1) コミュニティ学習新聞、昭和58年9月号

成人指導の心得-その1
「成人学習者」の特性と指導の原則

1  自己中心的学習者

(1) 「自分自身観」

成人は過去の経験に基づき、「自分」というものができ上がっています。心理学的には程度の多少はあっても,「アイデンティティ」が確立しているということです。アイデンティティは通常「自己同一性」と訳されますが,それでは何のことか分からないでしょう。私は自己流ですが,「自分自身観」と訳しています。「自分とは何か?」という問いに「自分で答えた答」です。要するに,人生について,世の中について,自分について,自分が出した答の総体です。「価値観」に似ていますが,更に広いあらゆる感性を含んだ自分についての定義です。それゆえ、「自分自身観」は他人のことはどうでもいいのです。換言すれば,自分が、「これが自分だ」と考えている自分の価値観・感性の総体とでもいうべきでしょうか。
この「自分自身観」は人生のあらゆる現象を識別するフィルターの役目をします。経験豊かな成人は「見たいもの」だけを見、「聞きたいことだけ」を聞きます。このような成人学習者に、彼の考えに反する新しいことを教えるのは至難のわざです。未だ人生が白紙に近い子どもに男女共同参画を教えることは比較的容易ですが,女房より自分の方が偉いのだと信じ込んでいる亭主に男女共同参画を教えることは不可能に近い難事だということです。彼の耳には男女共同参画も,女性の自立も,子育て支援も,妻の悲鳴も聞こえないのです。英語でSelective Deafnessと言う表現がありますが、字義通りに訳せば,「選択的聴覚障害」ということになるでしょう。時に人間は、自分が納得していないこと,自分自身に都合の悪いことは聞こえないように出来ているのです。見れども見えずも同じことです。自分自身観の興味・関心のフィルターに引っかからないものは見れども見えないのです。
科学的に証明されたことも,日常の経験的事実も,彼自身が納得しなければ,「何言ってやがるんだ」のひと言でおしまいです。「自分勝手」という意味では無く,成人は「自分流」でしか物事を見ないということです。言い方を変えれば,成人学習者とは,自分自身観に基づいて世界を見る「自己中心的な学習者」なのです。

(2)  自己目標設定と自己評価の原則

自分のみたいものだけを見、聞きたいものだけを聞くという特性は,学習にも適用されます。それ故,成人は自分が納得しないものは受け入れません。成人の学習指導には「自己納得の原則」が不可欠です。どんなに価値があろうと,科学的に証明されたものであろうと,成人は自分が納得しないものには耳を貸さないということです。なんでこんな分かり切ったことが承服できないのか,と思うこともあるのですが,それが大人の限界です。時に,答は初めから決まっているのです。
それゆえ、指導に当たっては,指導者の目標を押し付けても旨く行きません。指導目標を本人が納得できるよう説明上の工夫や配慮が大事になります。指導目標と各人の学習目標が重なるように設定することが重要です。
それゆえ、大きな目標を立てておくといろいろな角度からの解釈が可能になるので、納得してもらいやすくなります。大目標は「まちづくり」とし、「まちづくり」のために何が必要かはそれぞれが判断するというような工夫です。もちろん、学習成果の評価についても,他者の評価よりは,自分が納得できるか,否かが問題の中心です。自分の評価が世間の評価と一致したときが成人指導の“幸福”ですが,そうは問屋が卸さない場合が多いことは周知の通りです。自己目標、自己納得、自己評価が成人指導の基本です。

2  経験豊かな学習者

(1) 「個人差」の多様化

成人の人生経験は多様です。結果的に知識も,技術も、考え方も,生きる姿勢も多様です。過去の経験は,学習にプラスの場合もあれば,マイナスの場合もあります。経験が多様である分,個人差も多様になります。したがって、子どもの場合に比べて、学習集団を一律に扱うことは出来ないということです。実際には,決して簡単ではありませんが,小グループに分散したり、一人一人の事情に耳傾けながら、「個別学習援助の原則」に配慮することが重要になります。

(2) 過去の経験の学習への「干渉」

人々の過去の経験がこれからの学習にプラスに働くと想定できる場合は何よりの幸せです。過去の生活体験を重視し,それを参考にしたり,引き合いに出したり,応用したりすれば,指導はより具体的なものになります。学習者にとっても過去の経験と比較・対照できればより理解がしやすくなります。良きにつけ,悪しきにつけ,成人の指導には過去の経験を十分に配慮した「生活体験重視の原則」が不可欠です。
ところが,過去の体験は,未来の学習にとって全てが参考になるわけではありません。過去に身に付けたことが,新しい学習の阻害条件となる場合も多いのです。それが学習への「干渉」です。「学習への干渉」とは、過去の経験が新しい学習を邪魔することです。従来の価値観や,思い込みや,無知や,誤解が災いして、新しい知識も考え方も受け付けないのです。一度身に付いたやり方,考え方,感じ方を払拭することは容易ではありません。技術的には自己流で身につけた「くせ」などが一例です。ゴルフのスイングでも,泳ぎ方でも,コーチに修正されている方々をご覧になったこともあるでしょう。
また,やり方や考え方では,“柳の下にどじょうがいる”と思い込んだり、“アツモノに懲りてなますを吹く”ほど臆病になるのも一種の干渉です。
子どもの場合には、人生経験が浅い分だけ,この種の思い込みはありません。それゆえ,子どもはタブラ・ラサ:「白紙」の状態であると言われ,「干渉」や「抵抗」が少ないので、新しい学習が入りやすいのです。だからこそ,幼少年の教育は初めが肝心なのです。何もないところにあるべきことを育てて行くことを、教育学は「形成」と呼びます。ところが大人の学習には、時々,2段階が必要になります。最初は,「今までのものを否定し,払拭する過程」、つぎに、「新しい考え方を受け入れる過程」です。これまでの自分を変えるわけですから,教育学では、一般に「変革」と呼びます。「変革」は「形成」より困難であると言われるのはそのためです。

3  機能主義的・現実主義的学習者

(1) 問題解決学習の原則

成人学習者は「学習者」であると同時に「生活者」です。純粋に,学習のための学習、興味・関心を満たすための学習も存在しますが,通常は,生活のなかから学習の課題が生まれて来ます。当然、課題は解決されなければなりません。成人が関わる学習の多くは「問題解決学習」なのです。翻って,問題の解決に導けない指導者は尊敬されず、学習は評価されないということになります。成人の学習が「機能主義」的であるとはそういうことです。成人は現実と戦っています。彼らは「現実主義的学習者」なのです。それゆえ,学習は道具であり,手段であり,別の目的を達成するための「機能」に過ぎないのです。
生涯学習の多くは,ものの原理を研究する「理学部」であるよりは,原理の応用を研究する「工学部」に似ています。「原理・原論」より「応用・解決」を求めているからです。それゆえ,学校教育をそのまま当てはめても社会教育にはなりません。「教えるべきこと」よりは「学びたいこと」を優先しなければならないのです。成人学習において,「象牙の塔」における学問のための学問が歓迎されないのはそのためです。成人は「ハウ・ツー」を決してばかにしません。多くの場合,分かりやすい,すぐ使える「ハウ・ツー」こそが成人学習の目的になるのです。

(2) 学習成果応用の原則

成人にとって学んだことは生活に生かして初めて価値があります。心理学から園芸講座まで学習成果を生活に応用することが原則です。それゆえ,大部分の学習成果は自分に返って来ます。学習成果は「私益」です。生涯学習に受益者負担の原則が大事なのはそのためです。従来の行政主導の社会教育は多くの学習機会を税金丸抱えで実施して来ました。学習者の得るところは大きかったと思いますが,税金を投じた学習の成果は社会に還元されることは皆無に近かったのです。「私益」は特別の工夫をしない限り、「共益」や「公益」には繋がりません。「機能主義的学習者」は自分に役立つ機能を求めています。社会や他者のことよりは自分のことが先です。「現実主義的学習者」の学習の目的は「私益」です。それゆえ、彼らに「共益」や「公益」への貢献を求めることは求める方の考え方に無理があります。社会教育や生涯学習の学習成果を社会に還元することを意図するならば,初めからその意図を表に出して講座を組まない限り、実現しません。
それはフルタイムで,給料をもらって,市民の役に立つことを考えている役場や市役所の職員の仕事です。昨今,はやりのボランティアの振興にしても,学習成果の社会還元にしても,簡単に「機能主義的学習者」を動かすことはできません。まず「塊より始めよ」です。自分たちが先頭に立つこと無く,「まちづくりボランティア」とか「市民協同」とか行っているところに現状の最大の問題があります。「市役所」とは「市民の役に立つことを考えて実践する人々のいるところ」です。日本社会にもボランティアは,当然可能ですが,持続的で責任あるボランティア活動を推進するためには、社会が物心両面で支援することが不可欠です。市民の貢献を評価し,具体的な支援を謳った「ボランティア振興法(条例)」の制定が前提です。役所のかけ声だけで,旺盛に自分の暮らしの改善を求めている「現実主義的学習者」が役場や市役所の下請けに甘んじることはないでしょう。

112号 お知らせ

1 第28回中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会
会場:福岡県立社会教育総合センター
(〒811-2402福岡県篠栗町金出3350-2、JR九州篠栗線篠栗駅下車、
-092-947-3511)
日時:前夜祭-2009年5月15日(金)19:00-
事例発表-5月16日(土)10:15-17:00
特別企画-5月17日(日)9;00-12:00

2  拙著新刊「「『変わってしまった女』と『変わりたくない男』? 男女共同参画ノート」完成しました。3冊以上ご注文の方は東京の出版社から直送の手続きをとりますのでご希望の方はお知らせ下さい。

3  6月に入りましたら福岡県立社会教育総合センターにおいて「生涯学習フォーラムin福岡」を再開します。「中・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会;28年の歴史に学ぶ」、を主要テーマとして何回か連続して行なう予定です。

§MESSAGE TO AND FROM§
お便りありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。みなさまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

鳥取県大山町 山田 晋 様
お便りに保育園の立派な卒園式に多くの親が感動して、「大人の背中を見て子どもは育つ」時代から「子どもの背中を見て大人が育つ時代」の到来かも、とありました。同感ですね。子どもを変えて見せて,初めて大人が変わるのかも知れません。学校が地域を支援するのか,それとも地域が学校を支援するのか。
私は,学校が変って,その結果,子どもが変わった時だけ,家庭も地域もみんな変わって行くと考えています。学校が中心の国だということがユニークな日本の特性ですね。

山口県宇部市  赤田博夫 様
山口県セミナーパーク研修生同窓会のお世話ありがとうございました。思いがけない方々の飛び入り参加も得て,充実した研修になったと思います。各人の活動報告に夢中で耳傾けていたらあっという間の夕暮れ,折角の青海島の海を眺めることも忘れていました。研修とはかくあるべきですね。林さんのご好意によるFM放送への出演も新鮮な刺激でした。後期高齢者の熟年ディスクジョッキーがなぜにあれほどお元気なのか、日々の勉強、リスナーとの社会的交流が人間の活力を維持・向上させていることが実感として分かりました。
後輩として大いに期するところがありました。「動くこと」,「やってみること」「犬も歩かねば,棒にもあたらない」ですね。

編集後記;「じたばた」がカギ
新年度はどこも忙しい。現役のみなさんは今年度の仕事の準備中であり、人事異動があり、入学式があり、初心者研修が始まり、新事業の打ち合せが終わるのは今月末のことであろう。
この時自由業は辛い。注文が来ないからやることがない。当然、遠い先のやることはあるのだが、当面の具体的な宿題は全て完了し,新しい「締め切り」はない。「締め切り」がなければ凡人は動けない。年度末の忙しさにかまけて4月の活動を準備していなかったため行く所もない。忙しく駆け回っているであろう知人に会いに行く理由も見つからない。「小人は閑居して不善をなす」、とまでは落ち込まないが、閑居して無為・不調に陥ることは防ぎようがない。週2回の英語ボランティアの指導だけが唯一の救いであった。
そんな時、歯医者さんで待たされて、時間つぶしに雑誌を見た。今年のプロ野球はどこが勝つかという専門家の解説記事が載っていた。結論は、各チームのピッチャー次第であるということであった。中でも調子が悪くなった時に、とにかく“自分でじたばたしてなんとか本調子に戻ろうともがき苦しむピッチャーの多いチームが勝つだろう”ということであった。“俺のことが書いてある”と思った。不調と暇に振り回されて“じたばた“の努力が足りないと言われたようだった。4月の第1週から“じたばた”を始めて見た。市民学習ネットワーク」の事務局を訪ねて、25年前の資料を読み始めた。福岡県立社会教育総合センターへも足を運んで、初期のころの九州地区生涯学習実践研究交流会の発表資料も調べてみた。少しずつ原稿が進んだ。巻頭小論はその一部である。不調のときの“じたばた”を止めない。野球に限らず、“今日の全力は明日の最善に繋がる”ということなのだろう。
4月18-19日にようやく外出・講義の機会が巡って来た。山口の研修生のみなさんとの同窓会である。長門市でFM放送のシルバー・ディスクジョッキーをなさっている方のお誘いで日曜の朝の2時間番組に出演させていただいた。また、同窓会では,「成人学習者の特性」について講義を担当した。執筆中の原稿の展望が開け,自分の本分に立ち返る効果があった。現場は誠にありがたい。現場がなければ,自分は早晩老いて死ぬ,と確信した新年度であった。