「風の便り 」(第150号)

発行日:平成24年6月
発行者 三浦清一郎

「指導せずに指導し、教えずに教える」教育法
-自分のできないことを子どもにどう教えるか-

 山口市で行った第120回移動フォーラムで筆者と九女大大島まな准教授が井関小学校内に設置された学童保育の指導の現状とその背景を報告しました。交流会が終わったその夜、同室の飯塚市の森本前教育長を聞き手に、問わず語り、寝物語に井関での興奮禁じ得ない体験を喋りまくりました。
 筆者は井関で指導員の皆さんに「教えようとするな」、「指導を忘れろ」、「子ども自身ができるようになる方法を見つけるのだ!」「あなた方は跳び箱も跳べず、とんぼ返りもできない」、「今年の夏は自分の出来ない事を子どもに教えるのだ」と言い続けています。なぜなら、私を始め中年に達した女性指導員にも、そもそも身体能力をやってみせる能力がほとんどないからです。自分のできないことを子どもにどう教えるか、ということは、要は、「指導せずに指導し、教えずに教える」教育法です。
 「それは一言で言うとどんな日本語になるのでしょうかね」、と森本さんから尋ねられ、一瞬絶句しました。筆者が行っている井関での指導法を一言で言えば、どういう教育用語がふさわしいのか、一晩中夢でうなされ、翌朝目覚めてホテルの用箋に「集団的水路付け指導法」と書きました。以下は、その中身です。

1 怯懦を退け、安易を振り捨て自分の限界に挑戦せよ

 齢70を過ぎ、すでに筆者は跳び箱も跳べず、逆立ちもママならず、ブリッジもできません。半日指導しただけで身体の節々が痛み、翌日は草臥れ果てて、半日寝ている始末です。もう小生には、やって見せて教えることはできないのです。これまで筆者は一貫して、率先垂範、師弟同行で指導して来ました。年をとってからも朗唱や英語や教科教育であれば、全てやって見せ、「こんな風にやるのだ」、「こんな風に書き、こんな風に言うのだ」、「私の後をついてやって見なさい」という教え方をしています。
 しかし、今回の身体能力の訓練はそうは行きません。率先垂範の指導原則が老いの身の前に音立てて崩れ落ちたということです。筆者が今、井関の子ども達に語っている(怒鳴っている)のはつづめて言えば「怖がるな」、「逃げるな」、「君ならできる」、「行け!行け!行け!」、「いいぞ、いいぞ!」、「やれ!!やれ!!やれ!!」ということです。気合いを入れて、怯懦を退け、安易を振り捨て自分の限界に挑戦せよ、と叫んでいるのです。子どもは筆者の気を感得して、跳び箱に向かって行きます。それゆえ、個々の身体運動を具体的に指導しているわけではなく、具体的な指導ができるわけもありません。当然、子ども個々人に技術を教えているのでもありません。

2 「達成目標」を与える

 筆者は先ず、子どもに到達すべき目標を示します。「目標」は、やさしいものから難しいものへ、時には逆に難しいものからやさしいものへ難易度を調節しながら、挑戦させ、超えるべき壁の高さを分らせます。
 次に、「君ならできる」、「もうすこしだ」、「そう、それでいい!」と叫んでいます。教育学的に解釈すれば、「君の内在する力を自分で引き出し」、「君ができないと思っていることに挑め」と叱咤激励しているのです。 
 跳び箱でも、マット運動でも、持久走でも、カルタ取りでも子どもが出来そうな目標を設定し、子ども自身に取組ませ、それができたら、少し難易度を上げます。また、時には、子どもの到底できそうもないことを初めに与えて、「とても歯が立たない」と認めさせた上で一気に歯の立つレベルまで落し、「これではどうだ」と成功体験を与えます。「これだったら軽いや」と子どもが食いついたら、少しずつレベルを上げて難しいものに向かわせます。どちらの場合も、与えられた目標を「クリアする」成功体験をもとに子ども自身がより難易度の高い目標に挑戦するよう仕向けて行きます。こうして「目標に向かって子どもを仕向けて行く過程」が「水路付け」です。個々を具体的に、指導していませんが、総合的には間違いなく指導しており、個々には教えていませんが、全体の環境の中では確実に教えているのです。

3 「人を喜ばせること」は「喜び」です

 社会的規範の枠の中で行動するとき、人間にとって自分の存在が人を喜ばせることは喜びです。子どもは単純で明快ですから、他者の喜びがもろに影響します。人を喜ばせることによって自分の存在が明確になり、存在感、達成感、有用感、必要感などに繋がって行きます。
 「母さん、見て見て!」というのは「喜んで」という意味です。
 逆に、自分に対して人が不快感や無関心を表明することは、自分が疎まれることですから、自分の存在を喜ぶことには繋がりません。相手が喜ばないことは、自己の存在の否定的認識に繋がります。大人でもそうですから、自己の行為が、親や指導者に喜んでもらえない時、自己の存在感の希薄な子どもは一層自己を否定的に感じる筈です。人を喜ばせることは喜びであるという前提に立てば、指導者が喜んで見せることは極めて重要な指導法なのです。もちろん、反対に、指導上受入れ難い子どもの特定の態度・行動に対して、叱ったり、怒ったりすることも同じように重要です。
 水路付けの要諦は、「歓迎される態度や行動」と「歓迎されざる態度や行動」を子どもに分からせ、その方向に子どもを導いて行くことです。
 喜びも怒りも明確であれば、子どもはすぐに「進むべき水路」を発見します。ここで「発見します」と書きましたが、事実は指導者によって「発見させられる」のです。筆者の形相や怒鳴り声に近年の教育学で指導を受けて来た若い指導員は大いに批判的であったと聞きましたが、さもありなんと思います。しかし、彼らには自分の背丈ほどの跳び箱を跳ばすことはできないのです。
 指導者が喜べば、子どもは自らの存在感、達成感、有用感、必要感などのために、指導者の喜ぶ方向に自分の行動を修正し、指導者が怒れば、怒りの対象となった態度や行動を自ら修正して行きます。指導しなくても子どもの行動は修正され得るのです。換言すれば、一定の状況の中で、子どもは自分のなすべき役割を見つけて行くのです。ミード(G.H.MEAD)は、このプロセスを特別他者(*1)を喜ばせるための「役割取得」と名付け、子どものしつけや社会化の重要なメカニズムであると説明しています。
 自分がこのように振る舞えば指導者が喜ぶということを子どもに分らせることが指導の第1歩であり、向上への「水路付け」です。それゆえ、指導者はどういう時に喜びを表し、どういう時に不快や怒りを表すか、子どもに明確に分るように行動しなければなりません。具体的に教えることなく教え、指導せずに指導を続ける第1歩です。

(*) 「特別他者」とは、世間・社会など第3者の総体を表す「一般的他者(Generalized Others)」に相対立する概念です。個人的で親しく自分の利害に深く関係する人々を指しています。英語はSignificant Othersと言います。

4 集団を捕まえる

 1年から6年までの異学年の保育集団では、個人指導はほとんどしませんが、その代わり、設定したプログラムへの参加不参加の例外を許さず集団をもって目標に挑戦させます。「集団を捕まえる」とは「全員に同じことをさせる」ということです。もちろん、保育集団の中には、運動の嫌いな子も、苦手な子も、シャイで声のでない子も、人前に立つことが嫌いな子もいます。それでも、あたかも個人の事情など存在しないかのように、指導者は全員に同じことを要求します。出来ても出来なくても同じことをさせます。当然、逆らう子も、ふざける子も、真面目にやろうとしない子も出ます。その時が指導者の勝負時です。上述の通り、集団全体を大声で怒鳴り上げて「歓迎される態度や行動」と「歓迎されざる態度や行動」を子どもに分からせ、その方向に子どもを導いて行きます。個々の子どもの欲求も、子どもの意見も、子どもの主体性も決して認めてはなりません。
 指導者の気迫と賞讃と威嚇によって、全員が指導者の指示通りに動くようになると「集団圧力」(*)が発生します。集団圧力とはみんなが一致して物事に取組む時に生まれる「集団をまとめる力」を言います。具体的には、「みんなそうしている」ので「自分だけがしないわけには行かない」という心理的な「適応」や「負い目」や「強制される」気分です。町内会の一斉清掃に似ています。
 最初は、目標を提示しても当然多くの子どもが怖じ気づき、失敗します。それでも、挑戦しないことは許しません。指導者は目標に向かって行くものを大声で賞讃します。集団に対して「怯懦を退け、安易を振り捨て自分の限界に挑戦せよ」という趣旨のことを大声で叫び続けます。トレーニングの過程で目標はクリアできるように設定していますから、その内かならず誰かができるようになります。必ずしも上級生とは限りません。次からその「誰か」を先生あるいいはモデルにします。指導者は、「だれだれ君、すごい!!」、「だれだれ君のやり方をよく見なさい」、「だれだれ君のやるようにやりなさい」、「だれだれ君に続け」、「ほら、できたろう」と叫べばいいのです。この時最も重要なのは指導者による「承認」と「賞讃」による激励です。学年別、年齢別の学校教育の指導に慣れた現代では、抵抗があるかも知れませんが、跳び箱も、側転も、逆立ちも、ブリッジも学年、年齢に関係なく、保育集団全体を指導します。
上級生と下級生が同じ跳び箱を跳ぶようになります。もちろん、段を高くして行くに連れて、下級生は脱落して行きますが、中には最後まで食いついて行く1年生や2年生がいて驚かされます。「みんなする」から「ぼくもする」のです。朗唱も同じです。時に、下級生の方が集団への適応とプログラムの吸収が早いので驚かされます。これが「同調行動」(*)です。「水路付け」とは、指導者が設定した集団の目標に向かって集団の構成員を同調させることであると言ってもいいでしょう。

(*)普通、「集団圧力」への「同調」というように使います。他のみんなに合わせるという意味です。集団指導の場合は、集団が設定する標準や期待に沿って、構成員が他者と同一ないし類似の行動をとることを意味します。流行なども同調現象の一種であると考えていいでしょう。

5 「機能快」を保障する-「承認」と「賞讃」

 「機能快」とはやっていることが楽しく、快感を感じるという意味です。人間にとってその持てる機能を発揮することは「快感」なのだということを発見したのはドイツの心理学者カールビューラーです。人間の機能は使われることを望んでいるというのです。 
 目標がクリアできるとやっていることが楽しくなります。この時、「興味・関心」と「承認」の関係がひっくり返ります。初めはそれほど興味の持てないことでも、褒められると嬉しくなり、「やっていること」に興味を持つようになります。
「やっていること」が楽しくなると、ますます張り切って集中するので、さらに褒められることになります。勝つことを味合わせ、できる事を拍手を持って承認すれば、子どもの熱中が高まります。
 初めは、中身が面白いのは先生が褒めてくれて、先生も喜んでいるからですが、次に自分が中身に興味を持つとさらに楽しくなり、さらに先生が褒めて下さることになるのです。難易度を上げて、「課題」が克服できるようになれば「やった!」という「快感」はさらに大きくなり、次の目標への挑戦に繋がって行くのです。「機能快」を実感すれば子どもは自分で学び始めます。
 集団の中には、かならずプログラムに合わない子どもがいます。身体を動かすことが好きでない子どもの中には、不幸にして過去の体験の中で身体機能を十分に発揮する機会に恵まれなかった子どもです。朗唱や歌唱のような表現活動についても同じことが言えます。彼はその分野の「機能快」を経験したことがないと言うことです。そうした子どもには「機能快」を味合わせるところから始めます。

6 向上の欲求と闘争本能

 人間にはより良く生きたいという欲求があり、相手より優りたいという闘争本能があります。個人の闘争本能をむき出しにすると「自己中」になる副作用が大きいことが心配ですが、集団間で挑戦させ、競争させると副作用が軽減できます。
 誰もがどこかで脚光を浴び、勝者になることができるよう配慮することも向上の欲求と闘争本能を満足させる指導者の務めです。それゆえ、出来る子どもには彼らの誉れとして、「ハンディ」をつけたり、より「大きな負荷」をかけます。もちろん、どう繕っても最後は「自分との競争」、「自分との戦い」になるので記録会・発表会は不可欠です。
 人間の闘争本能は、「向上の欲求」を生みます。子どもを競わせると、どの子にも仲間より上手になりたいという「向上欲求」が目覚めます。目標をクリアし、出来なかったことは出来るようになりたいのです。友だちより早く、仲間より上手くなりたいのです。しかも、彼らの努力と成果は指導者や世間の拍手によって承認してもらいたいのです。それゆえ、心理学は「社会的承認の欲求」と呼んでいます。通常、子ども達の挑戦は、第3者に認められることが不可欠で、単なる自己満足ではだめなのです。「社会的」に承認するとはそういう意味です。
 子どもに「機能快」を体験させ、併せて社会的承認を与えると彼らの姿勢が一変することが分かります。機能快を保障するには、できる事から始め、出来たことの一つ一つを世間の前で明快に承認してやることです。井関にこにこクラブの指導にとって、発表会が不可欠なのは社会的承認の舞台が必要だということです。
 子どもに向上の欲求があり、闘争本能があり、競争が大好きなのに、しかも、世間に出れば生存競争の修羅があることを知りながら、運動会の徒競走の順位付けを否定するなどこの国の教育界は何と愚かなことを続けて来たことでしょう。
 子どもが跳び箱を跳び切った時、筆者はありったけの声を振り絞って、「この子が一番!」と叫び、一年生では「この子が一番!2年生より先にできた!」と「ほめごろし」のように褒め上げ、握手を求め、「ハイタッチ」を繰り返します。
 その子の破顔一笑、輝く顔をご想像下さい。もちろん、その時も集団を壊さないように細心の注意をします。「あの子に続け」と叫び、「列を崩すな」、「ゆけ!ゆけ!やれ!」と叫びます。モデルを得た集団はモデルを目標にして闘争心に燃えて全速力で突っ走って行きます。「みんなそうする」から「ぼくもそうする」のです。
 障害のある子も自分の能力の範囲で集団の圧力に押されて挑戦します。障害のある子ですら挑戦すれば、障害のない子が挑戦しない理由が消滅し、全員が背水の陣を敷き、目標に向かって行き、ほぼ全員がそれぞれの能力の最大域に達します。井関にこにこクラブは1年-6年を一緒に練習させるので身体運動の場合、常識的には、下級生の能力を超えた挑戦を要求します。当然、最後まで目標をクリアできない子どもも残りますが、彼らにはハードルを下げて成功体験を保障します。しかし、中には最大限の力を発揮して時に上級生を驚かせる下級生もいます。しかし、朗唱などでは上級生に全く引けは取りません。上級生が「友あり遠方より来たる、また楽しからずや」と言えば、一年生が「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と応えます。

7  型から入り、型の美しさを教える

 型は言語の基本であり、礼節の基本であり、人間関係の基本であり、社会生活の基本です。人間行動の型はおよそ基本の形が決っていますから、そこへ子どもを誘導する順序と方法も最初から決っています。それゆえ、型は水路付け指導法の「水路」にあたると言っても間違いではありません。型を教えることは水路付けをすることです。唯一の問題は「型通り」に流れることを避けなければならないという一点です。
集団の指導は礼節の型から教えます。これなら、年をとった筆者にも範を示すことができます。「気を付け」も、「お辞儀」も、「挨拶」の文言もおざなりに型をなぞっただけでは美しい型は身に付きません。武道の修行と同じように型には意味があり、型は美しく教えなければなりません。しかし、型に馴染んでいない子どもは何が美しい型なのかは分かりません。指導者がやって見せ、喜んで見せるしか分からせる方法はないのです。礼節は人々が気持ちよく暮らすための人類の知恵ですから、人が喜んでくれればそれは礼節に適っているということです。指導者が喜んで見せるということはそれが礼節に適っているという証になるのです。
 礼節は基本的に社会的動物にだけ存在します。もちろん、人間が最も複雑な礼節を有し、人間だけが礼節の意味を意識しています。その意味では、整列も、行進も、お辞儀や挨拶も他の動物は意識的に演じることはできません。整列、行進、お辞儀、挨拶など子どもが社会生活の基本の型に従う時、すでにその先のプログラムの指導の半分はできたと思って間違いありません。礼節を重んじない環境で子どもの指導は極めて難しいということです。現代の学校で、授業や学級が崩壊しているのは子どもの欲求と人権を混同し、子どもの個性と勝手気ままを区別することなく野放しにしているからです。現代の教育現場は、家庭から学校まで、子どもにものごとを学ぶ基本の礼節や指導者への尊敬の型を教えそこなったということなのです。

8 「教えずに教える」時の指導者の役割

 第1に、集団を統率するため指導者は尊敬されなければなりません。子どもに尊敬されるためには初めから「尊敬の型」を教えることです。整列、挨拶、お辞儀などから始めます。もちろん、尊敬の型を教えるとはかならずしも実質を意味しません。「尊敬の型」が「実質的尊敬」に変わるかどうかは、指導を始めた後の指導者の資質によります。
 第2に、指導者は子どもの「できるところ」を判断し、「機能快」を動機付けなければなりません。やさしいところから始めても、難しいところから始めてもいいのですが、子どもには「負荷」が必要です。やさしすぎれば「舐めて」しまい、逆に難しすぎれば「投げて」しまいます。ほんの少しだけ努力が必要な課題から与え、徐々に難易度を上げて、「負荷」の高い課題に挑戦させて行きます。努力して勝ち取ったものは賞讃と承認によって「機能快」に転化します。
 第3に、指導者は賞讃と承認を演じ切らねばなりません。「できるところ」から始めれば子どもは「最初からできる」筈です。子どもが課題を達成できたら指導者は子どもの成功を何度でも喜んで見せることが不可欠です。自分の行為によって他者が喜ぶということは自分の喜びになるからです。
 第4に、子どもの努力は大声で褒めます。子どもが分かるように嬉しそうに褒めます。子どもが出来たらあたかも自分が出来たかのように飛び跳ねてみせるのです。
 第5に、具体的な指導が可能な場合には、「挑戦」を鼓舞し、「改善点」を指摘し、「進歩」を賞讃し、「成果」を褒めます。
 第6に、褒め方は「今の誰々君を見たか!」というように他の人々の注意を促して、その子どもにスポットライトを当てて褒めます。
 第7に、子どもの努力や改善の妨げとなることは例外なく叱ります。可能な限り、叱責は「人」ではなく、「行為」を叱ります。

国際結婚の社会学⑥ テーマソングはMoon River

1 「家」の観念への挑戦-国際結婚は冒険と挑戦

 あらゆる結婚は冒険の性格を有し、知らない者同士が一緒に暮らすという賭けの要素を持っていると思います。国際結婚は疑いなく冒険と挑戦ですが、今になって思うと挑戦の対象は「家」制度であり、法的な意味がなくなった後でも残存した「家」の観念だったと思います。
日本の「家」の観念は、本家-分家、長男・跡取り、個人よりも家同士の結婚、その後の嫁-姑関係、先祖代々の墓に至るまで、筆者の頃は未だ強固に残っていました。大げさになりますが、国際結婚は「家」と戦うことを覚悟しない限り全うすることは難しいと思います。少なくとも、私の時代には簡単に行きませんでした。
 言葉のちがい、文化のちがい、生い立ちの背景となった環境のちがいなど国際結婚は挑戦的課題に事欠きません。私たちはその程度のことは自覚していたので、当時流行っていた「ムーンリバー」をテーマソングに選び、「世界に見たいものは山ほどあるから(There’s such a lot of things to see)」「おまえの行く所はどこへでも行くさ(Wherever you’re going, I’m going)」と歌いながらの人生の1歩を踏み出しました。
 国際結婚は、その時の二人の組み合わせ、時代の雰囲気、家族の歴史と状況如何で大いに適応の条件が異なるので、一概に成功するための5W1Hの行動基準を提示することはできません。私たちの場合も、人生の岐路となり、分かれ道での判断は文字通りの挑戦になり、賭けになりました。
 小生がアメリカで出会った後輩の女子学生との結婚を決意し、日本の父に知らせたことは、図らずも日米の両親を東西文化と歴史の葛藤に巻き込みました。特に、敗戦国の、家制度の中にあった私の父は私の結婚によって文化的に辛い立場に立たされました。太平洋戦争の被害者は親族のいたるところにいました。逆に、妻の親族には、日米戦争の直接的な被害者はいませんでした。第2次世界大戦時の兵士は全員ヨーロッパ戦線に行っていました。
 両方の家族が私たちの結婚を巡って、それぞれに揺れました。気持ちよく祝ってもらうことはむりだと判断し、結局、私たちは、私の勤務先の西ヴァージニアと妻の勤務先の北キャロライナの中間のメリーランド州のカンバーランド市で落ち合い、そこの市役所で二人だけの結婚式を挙げました。
 日本の父は、開明的で、話の分る人だからと妻には楽観的な見通しを話していましたが、実際は、父も私たちも「家」の観念との戦いをせざるを得ませんでした。
 小生の結婚の意志を知らせた便りから長い時間を経て、「幸せに暮らせ、自分は息子を一人亡くしたと思うことにした。ただし、ふたたび故国の土を踏むな」という主旨の簡単な便りが届きました。
 学生時代以来、閉鎖的で、退屈な地元を離れ、北海道やアメリカの自由な空気を吸って来た私は当時の関東の田舎の文化を忘れていたのでしょう。最初から決定的な判断ミスで、父の苦境を十分に想像することはできなかったと恐れます。

2 「戦う意志」がなければ国際結婚をしてはならない

 2年目のアメリカは、働く挑戦の機会を与えられ、職探しや面接の試練も潜り抜け、職も得て自分で生計が立てられるようになっていたので、度胸も着いていました。私たちは心情的にムーンリバーに歌われる「夢見る漂流者」だと考えていたので、二人で力を合わせれば何だってできるさと楽観していました。ところが最初の関門で「国に帰って来るな」という厳しい拒絶に合いました。帰国を許さないと言うのは、法律的にできることではありませんが、心情的には一族と縁を切る「勘当」に等しい仕打ちです。日本の反応は予想外でしたが、今思うと、父が反応したのではなく、「家」が反応したのだと思います。私は本家の長男で、跡取りでした。 当時の私は未熟だったので、「家」の掟にまで気が回らず、「何と頑迷固陋な日本か」と「怒り」の方が遥かに大きなものでした。国際結婚を前にして、閉鎖的な地域文化とそのしきたりが正体を現した、と感じました。以後もろもろの困難が続きましたが、「戦う意志」がなければ国際結婚をしてはならないと思いました。国際結婚に限ったことではないでしょうが、人生の重大な岐路は自分で決めて、自分で実行するしかないのです。

3 「家」と戦う戦略は「家」を捨てることです

 「家」の壁に思い至らなかった私は、日本の皆さんに迷惑をかけないようにすれば、支持してくれなくても、黙認くらいはしてくれるだろうと考えていました。しかし、父の便りで当方の日本認識があまりにも甘かったことが判明します。借金を申し込むとか、就職の世話を頼むとか、しばらく家においてくれとか、具体的な面倒を持ち込まなくても、当時の地方文化にとって、国際結婚は、理念的、情緒的、美的に許し難い「悪」だったのです。意識していたかどうかは別として、判断の基準は「家」の観念だった筈です。
 夫を「うちの人」と呼び、妻を「家内」と呼ぶ日本の「家」や「一族」の観念は「内」と「外」を峻別します。これまで書いて来たように「外人」は「外の人」であり、時に、赤鬼・青鬼伝説のように「人間の外」に置かれます。日本の家族観が、社会の最外円に位置するアメリカ人を嫁として受け入れるはずはなかったのです。国際結婚の最大の敵は、恐らく「家」や「一族」の感覚です。なかんずく長男の国際結婚は親族のあらゆる儀式のあり方に重大な影響を与えます。神事でも仏事でも、あらゆる冠婚葬祭の場で「本家」の長男の隣りにアメリカ人の女が座っている図を想像するだけで、親戚中が怖気を振るい、迷惑と恥辱の感情に苛まれたであろうことは家制度が怒っているということです。それゆえ、新憲法下で家制度が崩壊し、観念的にもほぼ消滅している現在では国際結婚に対する文化的障壁は比べ物にならぬくらい小さくなっていると思います。
 あとで薄々分ることですが、故郷では長男で跡を取るべき馬鹿息子の非常識な振る舞いが怨嗟のまととなり、父がその矢面に立たされたようです。明治生まれながらおやじは開明的で、息子には物わかりの良い先達でしたが、自分を取り巻く、文化風土や人間関係の中で、つい20年前まで「敵国」であったアメリカの娘をわが家の長男の嫁に迎えることを「別にいいでないか」と主張することはできなかったのだと思います。父のジレンマは家制度とのジレンマであったに違いないのです。
 短い便りの行間から明らかに父以外の親族が猛反発していることはが読み取れました。我が一族もまた、アメリカ人にあったことも話したこともない方々が圧倒的に多かったことは当時の一般の日本人と同じだったでしょう。私は家を捨てようと決めました。これが最も効果的な戦略でした。

4 アメリカの性悪女-閉鎖社会の身びいき

 これも後で聞くことでしたが、大学院まで行かせて好き放題にさせて来た馬鹿息子が、これほど愚かなことをしでかすのは、アメリカの性悪女にだまされたにちがいないというような陰口も聞かれたということでした。我が一族に、本家の長男で国際結婚を選ぶような不心得者がいるとは思えぬので、悪いのは相手の方だと考えたのでしょう。妻こそいい迷惑でした。
 このような解釈は、典型的な「内向き文化」の「身びいき」です。一族に受入れられぬ恋愛は、身内を庇って、相手を性悪女や性悪男にするというのは、後に私の二人の学生にも起ったことなので日本の家族の認識パターンの常道であることは社会学的に想像できます。それにしても、父が哀れで、自分は「親不孝だな」と思いましたが、怒りは我が一族の田舎者ぶりにぶつけました。小さな町を出たことのないわが継母にいたっては小生が一族に汚名を着せたと受け取ったのでしょうか、怒りと恥とでしばらく実家へ帰ってしまっていたと、これも後で聞いたことでした。
 「いつか志を果たしてこの川を渡る(I’m crossing you in style someday)」というムーンリバーの決意は我が決意になりました。小生は戦闘的になり、「お言葉ながら、かならず国へ帰ります、自分たちのとことは自分たちで始末しますので、みな様にはご迷惑はおかけいたしません」、『故国の土を踏むな』とは法律上もお門違いです」、と苦しんでいたであろう父に書き送りました。「言わずもがな」のことを言ったと反省しています。
 わが妻がアメリカ人であることが気に食わないと言うのなら、こっちから親族を訪問して縁を切るという手紙も出しました。以来日本との文通は途絶えました。出発点から当時の国際結婚は冒険と挑戦だったのです。一族がかっかして熱くなっているところへ帰国するのでは、起こさなくても済むトラブルを起こすことになるだろうと考え、アメリカ勤務で溜めたなけなしの貯金をはたいて、一年をヨーロッパで暮らすことにしました。しかし、それでもまだ、小生は能天気でした。自分たちの結婚が多少の混乱や不満を引き起こしても、後で聞くほどの騒ぎになっているとはつゆ知りませんでした。我々二人は、ドイツのゲーテ協会に登録して、フライブルグのそばの小さな村のの靴屋さんに下宿してドイツ語を学んだり、合間にヒッチハイクを楽しんだり、列車でヨーロッパ各国を旅して回っていました。見るべき世界は無尽蔵で、故郷の親族の思惑などはどうでも良くなっていました。

5 適応と服従-戦いと忍従の使い分け

 日本に帰って初めて、異国の女を自国へ連れ帰って一緒に暮らすということは自分にとっては、「家」との戦いのみならず、自国との戦いなのだとようやく気がつき、覚悟も決まりました。一族の問題は、確かに「家」の問題でしたが、一般日本人との関係は「外人差別」と次号に書く「島国根性」の問題でした。
 帰国後、未だ日本語の全く分らなかった妻を連れて主要な親族を周り、妻の存在が気に入らないと言うのならこっちから縁を切らせていただきますと、感情を抑えて礼儀正しく言って歩きました。
 以後、楽しいこと、嬉しいこと、日本人に助けてもらったことなどいいことも沢山ありましたが、日本における国際結婚の生活の基調は「戦い」でした。買い物から祭り見物まで、匿名の二人になって群集に溶け込むことは難しいことでした。何をするにもどこかから「絡む」奴が出て来て、静かな買い物も街の散歩も難しい日本でした。博物館でも美術館でも子どもや若者がまとわりついて後を追って来ました。礼儀正しく、紳士的なだけでは外国人の妻や混血の子ども達を守ることなど到底できない日本文化でした。国際結婚は自分でも気付かなかったわが内なる性格を引き出しました。アメリカでは喜んで適応し、ある意味では服従し、明るく慣習や文化に馴染みましたが、自国の文化や慣習の一部には大いに反発して自衛するようになって行きました。
 国際結婚の結果、私は喧嘩早い、気短かで、好戦的な人間になったような気がします。事実、役所の窓口でも、学校でも、祭りや町中のショッピングでも、妻や子ども達を巡るたくさんの争いごとに巻き込まれ、小さいながらも攻撃的な喧嘩を一杯してきました。妻はアメリカにいたときの私と日本に帰ってからの私が二重人格者のように表現や振る舞いが違うと言っていましたが、そうだったのでしょう。私はいつも身構えて暮らしていたように思います。
 そんな私を可哀想に思ったのか、言語から立ち居振るまい、納豆から銭湯に至るまで妻の方が日本文化への適応と服従に懸命の努力をしました。アメリカにいる時の主体的な彼女と違って、日本での妻は決して表に立とうとはせず、控えめに立ち居振る舞い、言論を用いず、不満や愚痴を飲み込み、何時もにこにこ笑っていました。私もまた、アメリカにいる時の彼女と日本に暮らす時の彼女の落差に戸惑ったものです。混血の子ども達を守るためには、日本人以上に日本人になることが必要だと考えたに違いないと、今になって思い当たることが多くあります。異文化間コミュニケーションとは適応と服従、戦いと忍従を使い分けることです。国際交流における「表現のダブルスタンダード」や異文化間コミュニケーションにおける戦いと忍従の駆け引きは小規模・原形の形で異文化で暮らす国際結婚家族から発生しているのです。

選択社会の宿命

 第31回生涯教育実践研究交流会の最後は「無縁社会を突破する方法はあるか」というテーマで、人々の自助、共助、公助を組み合わせて、公民館を運営して来られた二人の館長さんに登壇していただくインタビュー・ダイアローグでした。
 筆者の司会は「失敗」でした。館長さん達が工夫された様々な仕掛けが、結果的に、無縁社会に立ち向かう有効な武器になり得るという視点を会場に十分提示できませんでした。また、会場からの質問も「無縁社会」すなわち「選択社会」の宿命を理解しない的外れのものが多く、それらを上手に捌くことができませんでした。

1 自由選択社会の本質

 無縁社会は自由を前提とし、自己責任を前提とし、自己都合を優先し、「私に構わないで」を原則とした「選択社会」です。それゆえ、「私に構わないで」を裏返せば、「あなたにも構わない」からということになるのです。「無縁」は「非干渉」であり、自由選択の裏側は「無関心」です。
 自由社会とは個人の選択が最大限に許される社会のことです。換言すれば、個人の主体性と欲求の実現を最大限に保障しようとする社会です。それゆえ、自由な社会は我々が選び取った社会です。無縁社会が自由社会の裏側であるとすれば、無縁社会もまた我々が選びとった社会なのです。
 自己都合優先の選択権を個人が有する犯すべからざる権利であるとしたのが、一般的な「人権」概念です。個人情報保護法も教育における個性主義も、人権概念を基礎として構築され、個人の主体的な選択が一番大事であると言っているのです。
 このとき社会システムや公民館のような特定の機関が選択肢(メニュー)を提示しても、それを「選択しない」、或いは「選択したくない」とする人がいた場合、選択社会では「選択しない自由」もまた権利であり、人権であるということになります。自ら自己破壊的な選択肢を選ぶ人を止めることはできないということであり、それもまた選択社会では自己責任ということになるのです。
 福祉行政がセイフティ・ネットを張っても、公民館が地域共助のプログラムを実行しても、選択するか、否かは個人が決定します。個人の主体性や個性の発現を「人権」に置き換えた社会では、選択を誤った者や、選択しようとしない頑固者は滅ぶ運命を選択したということになるのです。

2 選択社会の光と影

 社会生活のあらゆる点で自立して自己の人生目標を追求している人々にとって、「選択社会」は素晴らしい社会です。誰にも干渉を受けず、邪魔されることなく、自己実現に邁進できることは人類の理想であったと言ってもいいでしょう。しかし、ひとたび自立の能力を失い、病気になったり、孤立したりした場合、選択社会は自己責任でやりなさい、と迫ります。これ迄好きなように暮らして来て、困ったときだけ「助け下さい」というのは許されない社会です。自由社会では、あなたも他者の干渉を拒否したのですから、他者も同じことをしているのです。自己都合優先の社会では、みんなが自己都合を優先するので、「誰も構ってくれない」、「誰も助けてくれない」冷たい社会にならざるを得ないのです。それゆえ、「選択社会」の裏側を「無縁社会」と呼ぶようになったのです。人間関係における自由とは、礼儀正しい「非干渉」、自分のことに集中する「無関心」、自己責任を規範とする「冷淡」の裏側なのです。

3 自由を主張しておいて、システムに救済を期待することはできません

 会場からは「自立の能力を失った孤立者に対し、公民館はどんな手を打ったのか」、という質問が相次ぎました。お二人の公民館長さんは、「やれることを全部やった上で、なおかつ公民館を選択しない人々を救う手だてはない」と突っぱねるべきだったと思います。逆に、質問者に対しては「公民館にどういう手だてがあるとお考えでしょうか」と問題を投げ返すべきでした。会場の民生委員さんからは自分たちは個別に対応して成功しているという発言がありましたが、数の上から見て成功例は例外中の例外でしょう。現状では公民館にも既存の地域にも個別対応の能力はないと思った方が正確でしょう。それが「無縁社会」だからです。
 自由を最大限に保障した選択社会において、「選択しない人々」を救う方法は存在しないのです。ホームレスの人々に冬の食事とシェルターを提供するプログラムがもてはやされましたが、公民館のような公的施設がそれをすべきかどうかは議論の余地があるところであり、どこ迄やるべきかは大いに議論のあるところでしょう。仮に、救済を必要とする個人が、システムの欠陥によって生み出されたという「格差社会」の責任論の総論的分析が正しいとしてもその救済を公民館の任務として背負わせるのは酷というものです。個人の失敗の大部分は「選択社会」の宿命です。ましてや、「個人情報保護法」のような「私に干渉しないで」という法律を決めておいて、「困ったときはお互いに助け合いましょう」という地域の共助を期待するのは無理というものです。金もない、人もいない公民館に「公民館を選択しない人々」を救う力は存在しないのです。
  自由な選択社会において、「この指とまれ」と指を上げて、その指にとまらない人を救うことはできません。お二人の館長さんはそんな冷たいことはおっしゃいませんでしたが、代わりに司会者の小生が言うべきでした。
 自由選択の原理で社会を運営するようになった以上、原理とシステムを理解しない人々はこぼれ落ちる可能性があるのです。二つの公民館は、地域住民に「自由」を「供出」させ「共助」を創り出すという点で、模範的によくやったのです。現代の生活システムに「共助」が存在しなくなった以上、「無縁社会」を突破するためには、自覚した個人が自らの「自由」を「供出」して「共助」を創り出すか、若者の人権を制約して社会救援活動を義務化するような制度を創り出すしかないのです。
 小生はこの二つを言いたかったのですが、あらゆる発言が噛み合ず、想定した結論に導くことはできませんでした。悔いの残るインタビューでした。

150号 お知らせ

1 第121回生涯教育まちづくり実践研究フォーラムin福岡

日時:6月23日(土)15:00-17:00
場所:福岡県立社会教育総合センター(糟屋郡篠栗町金出、-092-947-3511
事例発表: 「学校全体で取り組む体力向上の実践と成果」 ~パワーアップ5と授業改善~
発表者: 飯塚市立若菜小学校 主幹教諭 江藤 涼子

論文発表:生涯現役研究ノート:「暮らしの姿勢」-後期高齢者の健康寿命の決定要因、三浦清一郎
* フォーラム終了後、第31回中国・四国・九州地区生涯教育実践研究交流会の反省・懇親会を宗像市玄海町の神湊スカイホテルで行います。どうぞご参加下さい。

2 井関元気塾公開発表会-子どもの「内在力」を引き出し、「学童保育」を変革する

日程:平成24年8月18日(土)
10:30-12:30
場所:井関にこにこクラブ(山口市立井関小学校内多目的教室)、〒754-1277 山口市阿知須1639番地、井関小学校内
(1) 朗唱の部
(2) 身体能力・体力向上の部
(3) 読解力向上の部
(4) 自律学習・学力向上の部 

事務局:井関にこにこクラブ:0836-65-1570(問い合せ・見学申し込みは14:00以降にお願いします。)

§MESSAGE TO AND FROM§

 お便りありがとうございました。いつものように筆者の感想をもってご返事に代えさせていただきます。意の行き届かぬところはどうぞご寛容にお許し下さい。

読者の皆様

 おかげさまで150号に辿り着きました。読み継いで、様々に支えていただいた読者の皆様ありがとうございました。1年で12号、200号まであと4年と少しあります。先ずはそこを目指します。今後とも変わらぬご支援をいただければ、執筆者の果報これにすぐるものはありません。

福岡県宗像市 田原敏美 様

 手づくり野いちごジャム、抜群の味です。ごちそうさまでした。寄っていただいた日は、山口市の井関の指導に入っていて留守をいたしました。井関では、かつてご懸念なさっていた「学童保育のあり方」に新しい提案をしています。これから年3回の発表会をいたしますが、第1回は8月18日(土)に山口市阿知須、井関小学校多目的ホールと決まりました。開始時刻は10:30の予定です。どうぞお出かけ下さい。

神奈川県葉山町 山口恒子 様

 思い通りに進まぬ井関の学童保育の指導にかまけて、自らの宿題を忘れておりました。お便りで思い出しました。「不帰III」は自分との約束でもありますのでかならず果たします。それにしても高齢者には残された時間が足りないですね。40を過ぎると人生は「引き算」になると言ったのはアメリカの心理学者ノイガルテンですが、私の人生も平均寿命から引くと後6年、父の寿命から引くと後5年になりました。

山口県山口市 井関にこにこクラブ指導員の皆様

  思いがけぬ機会を与えていただき、巻頭小論のように、これまで自分の知らなかったことを言葉にすることができました。子ども達が日を追って変容していることも励みになります。
 この年になってこのような学問の機会に巡り逢い、皆様と一緒に事業を進めることの果報をありがたく思っております。願わくば、保護者の皆さんも、子ども達も1年の終わりに、あの年寄りの指導を受けて良かったと言ってもらえるよう、全力を尽くしたいと思います。

過分の郵送料をありがとうございました。

鳥取県米子市 田中祟詞 様
島根県雲南市 和田 明 様

編集後記  4年間のサバイバル処方

 200号まで後4年。当面の目標には丁度いいと考え、4年間のサバイバル処方を考えました。執筆中の「生涯現役・介護予防の老年学」とも重なるので、自分に当てはめて実践してみることにします。
 第1は、毎日の運動です。運動だけが脳の若返りを可能にするという米国の研究の翻訳書を読んだばかりです。自分の実感にも重なります。毎日、自己流のエアロビックスを踊り、40-50分釣川桜堤公園の川土手を「大股に」、「早いペース」で歩きます。決定的に重要なのは習慣付けの頻度です。雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず毎日1回はかならず歩きます。わが友;カイザ―とレックスがいなければ挫けることでしょう。持つべきものは友です。
 第2は、断捨離です。英語ボランティアは続けますが、趣味人とは付き合わず、気楽な人間を周りに寄せつけず、義理を断ち、無駄を捨て、TVを消し、本質的でないことから離れて暮らします。自分の弱さを思えば周りに流されることが一番危険なことはこれまでの人生で身に滲みています。戦っている人間を周りに置けば、自分も戦いが続けられます。
 第3は、達成可能な近い目標を置きます。1年に一冊は本を書きます。もちろん厚い本は書けないでしょうから、小さな本に限定して書くことにします。

待合室で

年ごとに友は衰え
吾も老い
道は遠く、
歩みはのろく
時に気力失せ、
身一つの不安におののき
夜半に目覚め
老いに隠れて
怯懦に流れ
安易に逃げて
目標を忘れ
冒険を捨てる

待合室の哀しい年寄りの群れを見よ!
生物の必然を思えば
逃げて生きようと
戦って生きようと
平均寿命の死は近く
やがて力つきる
ならばせめて志高く
荒ぶれて行かんかな
本望でないか!
いいでないか!
思い半ばに
荒野に息絶えるとも